まじか!500万アクセス!

おかげさまで、どうやら後2週間ほどで500万アクセス達成の模様です。

二月になるかならないかのところだと思われます。

みなさん、用意はいいですか〜〜!?(笑)

500万アクセス達成の時は、え〜〜と、何をやるんだったかな?

あ、まず、みなさんからのコメントは、初めての方でも面倒な自己紹介をしなくても、ちょっとした一言だけでもOKということにします。

え〜〜と、それからもう一つ500万アクセス達成特別ルールを決めたような気がするんですが忘れました(笑)

どなたか覚えていらっしゃる方、教えてください。

ということで、前スレのコメント数があっという間に100超えていたことに気づいてませんでした。宴たけなわでございますが、そろそろ次のスレッドにさせていただきます。

で、今回のテーマは500万アクセス達成間近!ということで「まじか!500万アクセス!」とさせていただきます。あと2週間ですから、そろそろお祝いムードを盛り上げていきたいなと(笑)

そこで、みなさんにお聞きしたいのは、このブログのこれまでのすべてのスレッドの中で、特に一番印象に残ったスレッド、あるいはどなたかのコメント、あるいはどなたかとの対話など、今でも忘れられない箇所というものがありましたら紹介してください。

いわば「対話を求めて総集編忘れられないあの人あの言葉」って感じです。

また、まだ創価が半信半疑の状態でこのブログを恐る恐る覗いたとき、創価の真実を読んで知ってあまりの衝撃に震えたときの箇所を教えてください。

例えば『創価は詐欺だ』という言葉に「そりゃいくらなんでも言い過ぎと違うんかい」って思った人も多いと思います。しかしその後を読んでいくうちに「創価が詐欺でなくてなんなんだ」となっている自分に驚いたはずです。

このように、このブログが始まってから加速度的に読者を増やし、たくさんのコメントが増えていく中で、創価が詐欺であることの証拠がこんなに集まりました。みなさんから寄せられる真実の体験は、すべて「創価は詐欺だ」という揺るぎない証拠となったのです。そしてその証拠を500万アクセスという形で多くの人が目にする結果となりました。

残念ながら、創価問題は多くの人の人生を取り返しのつかないものにしてきました。それはもうどうにも取り返すことなどできません。私たち創価被害者である反面、創価加害者でもあったということを念頭に入れながら、創価がもうこれ以上に人間を不幸に陥れることができないように、創価が詐欺であるという証拠を、これからももっともっと積み上げていきましょう。それが創価から覚醒できた私たちのせめてもの償いではないかと私は思います。一人では何もできません。創価のような国政をも動かすような巨大権力を持つ詐欺団体に、個人が太刀打ちできるわけがありません。しかし、幸いネット社会において、個人の情報発信が大きな力を持てるような時代になりました。

2011年12月6日。このブログの一番最初のスレッド「シニフィエブログのスタートです。」に、このように書きました。

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『対話を求めて』シニフィエのブログへようこそいらっしゃいました。

私は地方都市に住む普通の一般市民シニフィエと申します。自営業を営みながら、妻と子ども一人の三人暮らしをする中年男性です。

このブログは、対話の場としてつくりました。対話とは、闘いではありません。互いの考えをぶつけあって、どちらが正しいのかを競うようなことを対話とはいいません。私は対話とは「他者を認めること」だと思います。互いの存在を認めあうこと。たとえ考え方は違っていても、互いの考え方・生き方を尊重し認めあうところに対話が生まれ、対話の中に互いの相違点や共通点が明らかになり、信頼関係が築き上げられます。そしてそこに無益な闘いは生まれません。しかし今の日本にはその対局にある考え方をする大きな集団があります。

「世の中は一つの考えこそが正しくて、それ以外はみな間違いだ。そんな間違った考え方をしているから不幸になる。そして自分たちの考えることこそが正しい考えであり、それ以外はみんな間違っているから不幸になるのであって、自分たちと同じ考えをするようになれば世界中の人が幸せになれる。自分たちの考えを批判することはそれだけで不幸になり、逆に自分たちの考えに従うものだけが幸せになれるのだ。だから、自分たちは世界中の人々を幸せにするために、自分たち以外の考え方をする人を片っ端から否定することが正義であり、そもそも自分たちの考え通りの世の中にすることを使命としてこの世に生まれてきた。それは一人の偉大な師匠に従うことで実現できる。何も疑うことなく、この偉大な師匠についていくことが人類の世界平和の唯一の道なのだ。」

ふつう世間一般の人は、こうした極端な考えを信じて排他的な行動をする集団をカルトと呼びます。これはかつて日本を震撼させたオウム真理教のことを言っているのではありません。このような思想のもとに今の現実の日本の権力構造に深く入り込んでいる強大な権力組織。ふつうに考えれば、こんな幼稚でひとりよがりな思想に頷く人がいるはずはないと思いますが、しかし今の日本の何百万もの人が、こうした考えのもとに日々行動しているという驚くべき事実があるのです。それが創価学会です。

そして私は53年間、この創価学会の一員として活動をしてきました。今でもなぜこのような恐ろしい集団の中にいたのか不思議でなりません。おそらく私と同じように多くの人が、この恐るべきマインドコントロール下に、自分で物事を考えることを放棄して、池田大作というたった一人のカルトのカリスマに盲従しているのだと思います。

マインドコントロール下にある人に、自分の異常さをいくら言っても理解できません。特に創価学会のような徹底的な排他思想を植え付けられていては、外部から何を言っても聞く耳をもたないどころか、普通に対話を試みても自分たちを批判したとみなし、世界平和を妨げる魔と決めつけるような洗脳までされているので、もとより対話など成立しようがないのです。

先日、私はひとつの試みとして、典型的な組織の末端会員への対話を試みました。それがこのブログです。
http://sokanomori.exblog.jp/17098281/
ここをご覧いただければわかると思いますが、やはり対話どころか、私を罵倒した挙げ句にナリスマシと勝手に決めつけ、一方的にアクセス禁止にしました。
その後、この学会員ブログにもよく登場する別の会員のブログに行き、私の真意を書いたのですが、やはりそれでも対話など成り立つはずもありませんでした。
ある程度予想はしていたのですが、このあまりに非論理的なそして攻撃的な態度に、今まで自分もこのような組織に加わっていたのかと考えると、ほんとうに恐ろしくなりました。彼ら自身の暴力的な発言が、一般の人に対してどれだけ非常識さや反社会性や違和感を感じさせているのかさえわからないでいるのですから、これをカルトと呼ばずして何であろうと思いました。

この経験で、私ははっきりと創価学会の異常性についての確信が持てましたし、これまでの私の創価学会員としての経験を、やっとのことで客観視することができました。振り返ってみれば、どれもこれもおかしなことばかりです。この異常さに気づかせないことがマインドコントロールの恐ろしさであるし、創価学会の結束力の根拠でもあります。そういう意味ではこのお二人のブログ管理人に感謝しています。

現在、創価学会員の数は文化庁発表で推定約500万人(学会の発表ではその数倍の数)。いづれにせよこの数の人たちが建前とはいえ、上記のような排他的な思想を持たされて活動していることの異様さを、私はもう見逃すことができなくなりました。つまり創価学会とは多くのマインドコントロールされた被害者の集団だということです。こうした思いからまずこのブログを立ち上げることにしました。

池田大作名誉会長ひとりのカリスマ性に頼って運営してきた創価学会は、いま大きな転換期にさしかかっています。カリスマの健康状態が悪く、すでに1年半以上も人前に出ることができなくなり、指導体制がとたんに弱くなった組織から、脱会者や活動から離れる会員が続出し、また私のようにマインドコントロールから脱却する会員も増えています。逆に、あたかもカリスマが元気であるかのように粉飾し、疑うことを知らずに育った学会2世3世の多くを副会長に登用し、地方での活動拠点になる会館の建設ラッシュは、むしろ組織上部の悪あがきのようにも見えます。私はここで創価学会の行なってきた多くの矛盾を語りたいのは山々ですが、私一人が多くを語るよりも、さまざまな立場の方が対話を通じて創価学会の客観的な姿を浮き彫りにすることがより意義のあることだと考えました。創価学会の活動家、未活動家、脱会者、反学会を標榜する方、学会から被害を受けた方、学会とは関わりのない一般の方などなど、さまざまな立場の方に、今の創価学会をどう見るべきなのかを、冷静な対話によって浮かび上がらせることができればと思っています。

もちろん、きれいごとでは済まないことです。白バラ通信というブログを立ち上げられている大学教授の高倉良一氏は、まさに命がけで創価学会の異常さを世に問うていらっしゃいます。おそらくこのような動きはこれからあちこちで起こってくるでしょう。私のようにマインドコントロールから抜け出す人も加速度的に増えていくと思われます。しかし、ひとつ忘れていけないのは、創価学会員の多くの人が被害者でもあるということ。もちろん多くの人が加害者でもあるのですが、こうした精神的ねずみ講のような悪のスパイラルに組み込まれた人にとって、そこから抜け出すことのできる何かのきっかけをつくることは、意味のないことではないと考えます。そうした意味でも、ここで本当の意味での対話が交わされることを願ってやみません。みなさま、冷静で建設的な、なおかつ忌憚のないご意見をお聞かせくださればありがたいです。

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今からおよそ5年前。「創価学会は宗教ではなく詐欺だった」という衝撃的なことを受け入れるには、あまりに酷なことでした。しかしその現実を受け止めないかぎり、自分の人生はもはや一歩も進むことができないという崖っぷちに立たされた時でした。どうすればいいのか。私はまず今自分の身に起こっていることを整理して把握する必要があると思いました。ただただ狼狽しているでけでは済まされない。そこで言葉にしようと思いました。自分が考えてきたこと。そして自分の考えが根こそぎ間違っていたこと。どうして間違いだと気付いたのか。これからどうすればいいのか。他の人はどう思っているのか。とにかく言葉にして整理することでなんとかこの恐ろしい状況をどうにかしようと思いました。

そしてその結果、このブログは多くの「創価からの覚醒者」が集う場所となり、さらに創価に疑問を感じた人が、創価が詐欺であることの確信をつかむきっかけとなることができました。途中、いろんなトラブルこそありましたが、こうして500万アクセスという前代未聞のアンチ創価ブログへと成長することができました。「創価学会」をググると、トップに出てくる創価学会の公式ホームページのすぐ下に、この「対話を求めて」が表示されるまでになりました。このブログの存在によって、創価学会が詐欺であることに気がつく人が一人でも多く現れたら、このブログを立ち上げた甲斐があったと思います。

500万アクセス達成を目前にして、またこれから1000万アクセス達成を目指して羽ばたくためにも、皆さんから特に印象に残った箇所を紹介していただけたらと思います。

よろしくお願いします。

これを書いている途中で思い出しました!

約2週間後に予定している次のスレッドの「500万アクセス達成記念特別ルール第二弾」は

「私は創価学会が詐欺だと◯年◯月に気がつきました」ということを必ず書いてくださいということです。

どうかよろしくお願いします!

いまどきの学会員

やはり第3シーズンになって、皆さんのお話がパワーアップしてますよね。年が明けて、まだ9日しか経っていないのに、180件ものコメント。それもどれもが驚くほどの深さで語られています。管理人としても、もっとゆっくりと噛みしめて読んでいかないといけないし、お一人おひとりにお返事をしていきたいのは山々なんですが、もうそれだけで1日が過ぎてしまいます(笑)。なので私が管理人として最低限やらないといけないところだけでもしっかりとやっていきたいと思いますので、ここは温かく見守っていただいて、皆さん同士での対話を進めていかれてください。

前スレでは早くも5日で100件のコメントになりましたので、次のテーマに行きたいと思います。もちろんテーマに関係ないお話でも全然構いませんし、新聞やめました、非活宣言できました、仏壇と曼荼羅処分しました、脱会宣言できました、晴れて正式に脱会しました、家族が覚醒してくれました、などなどの嬉しいご報告もお待ちしています。

また、バリ活の家族と喧嘩してしまいました、地区幹部に苦しい胸の内を相談しましたが「題目が足りない」としか言われませんでした、断っても会合への誘いがあります、いくら断ってもしつこく家庭訪問にやってきます、個人情報が組織内でだだ漏れです、組織内であらぬ噂を立てられて困っています、活動したくないと言ったら「ど〜しちゃったの〜?」と、さも親身になっているようなつくり笑顔でやってくる幹部が気持ち悪いです、などなど、実際に身近な学会員の言動に困っていると言った話でも結構ですので、ぜ〜んぶ吐き出しちゃってください。

ということで、しばらく重いテーマが続きましたので、今回のテーマは「いまどきの学会員」とさせていただきまして、皆さんが直接接してきた学会員、あるいは今も何かにつけてやってくる学会員、あるいは自分が脱会したために、突然手のひらを返したように無視する学会員など、皆さんが実際に会って話をしたリアル学会員のお話と、そのありえないほどの非常識さ、反社会的行為の数々を、客観的にぶちまけちゃってください。感情的にならないで、実際にあったこと、あっていることを、冷静な視点というか、ごく一般的な人間の視点によって観察した結果を報告していただけるとありがたいです。

学会員は程度の差はあれど創価の都合おいいように洗脳されているので、物事の価値判断の物差しが壊れています。この壊れ具合がどの程度のものなのか、そしてなぜにこれほどまでに壊れてしまうのかを、実際の事例をあげながら確認していければと思います。どうか、よろしくお願いします。

今回は軽いノリでバンバン書き込んでくださいね〜

これからどうしますか?

おかげさまで、今年に入ってからのアクセス数が1日8000越えです。かなりの数の人が「創価は詐欺」ということを認識してきたのではないでしょうか。「創価学会」でググってみると、私のパソコン画面では、聖教新聞公式HPよりも先にこのブログが出てきます。「創価学会ってなんだろう?」とネットで調べようとした人のほとんどが閲覧するサイトになりました。

去年は3ヶ月の休止期間があったにもかかわらず、約200万アクセスがありました。今年はさらに上回るでしょう。何度も言いますが、このサイトは創価を知らない人が創価の悪口を言っているのではありません。創価学会員としてまじめに活動してきた方の、真実の声が集まっています。これまでどれくらいの数の人がコメントしていただいたかはわかりませんが、そのほとんどが「創価は詐欺だと気がついた」という結論です。10人や20人じゃありません。少なくとも数百人の方が「創価は詐欺だった」と断言されているんです。それもそれぞれに自分の実体験を通じて出した結論が「創価は詐欺だった」というものです。これを誰が否定できますか?どうやったら数百人の実体験から来ている結論を覆すことができるでしょう。できるわけがありませんよね。このブログに価値があるのは、これだけ多くの信頼に足るコメントが常に増え続けているということです。時間とともに創価が詐欺だったと気づいた方のコメントがどんどん増え続ける。そしてそのコメントを見る方もどんどん増え続ける。あと一月ほどで500万アクセスが達成します。今のペースでいけば1000万アクセスは2年半後。勢いを計算に入れると、2年後に1000万アクセスも夢ではありません。2019年の初めには1000万アクセス到達ということになったら、外国人記者クラブで記者会見しようかな(笑)
ま、それは冗談ですが、一月後に迫った500万アクセス達成記念の日には、やはり皆さんとお祝いしたいですね。先日も書きましたように、池田のXデーが来れば、そこから創価は一気に崩壊すると思われます。多分、その日は突然やってくるでしょう。その日まで、相変わらずメッセージだの小説の連載だのと平然と池田元気説を言っておきながら、突然「池田先生がお亡くなりになりました」と発表こそすれど、その死に顔などは葬儀でも公開されず、喪主になるであろうカネコ夫人も人前に出せるわけがないので、息子の博正が喪主かな。いずれにせよ密葬になるのではないでしょうか。全国の洗脳学会員はしばらく池ロス状態が続くでしょうね。で、それが収まってくると、次第に学会員は夢から覚めるのではないでしょうか。「これから何を支えにして生きていけばいいんでしょう。ダーハラ?まさか(笑)」「俺は今まで何をしてきたんだ?」「私、もう50年も信心してるのに幸せになってないんですけど」こんな声が内部でもポツリポツリと出るようになり、昨年末にここでもテーマにした「活動家時代の本音」が組織内でも出るようになったら、あとはガラガラと崩れていくことになるのでしょうね。「こんなダッせえパステルスーツ着れるかよ。おてもやんの化粧もだよ」「男子部長のどこが偉いんだよ、プー太郎のくせしやがって偉そうに」「仕事休んでまでタダで牙城会やらせるなんておかしくね?」全国の現役学会員のいろんな愚痴が止まらなくなるでしょうね。
どんなに長くても、この10年の間に池田Xデーはやってきます。池田大仏さんが姿を現さなくなって6年半。いくらなんでも100歳まで元気に生きていることにするのは無理がありすぎます。っていうか、今の時点ですでに無理がありすぎるんですが、まだまだ学会員が騙され続けている限りは、元気なことにするんでしょうね。でも本当に亡くなったら、さすがにごまかしはききません。死亡届を役所に出さなきゃいけないし、火葬するにも許可が要りますし、勝手にやったら犯罪ですからね。池田大仏のXデーはいくら創価でも隠すにはリスクが大きすぎる。でもそこから学会員はごっそりと減るでしょう。会員が減ればお金が集まらなくなります。お金が集まらない創価学会は、創価の最高幹部にとっては大赤字を抱えた会社みたいなものです。維持すればするだけ金がかかってしょうがない。だから最高幹部でさえ「やってらんねえ」ってことで、何かにかこつけて去っていくでしょう。それより会員を騙してきたことの責任を問われたらどうしようもなくなるので、そこは東電の社長や役員のように家族もろともドバイなどの外国に雲隠れするかもしれません。学会員さん。創価が斜めになった時の最高幹部の様子をしっかりと見ておいてください。創価学会が宗教ではなくただの詐欺だったことがはっきりとわかりますよ。
創価学会もあと10年の寿命と考えると、ちょっとワクワクしませんか。やっと「創価は詐欺だった」ということが社会的にも明らかになるんです。「創価学会被害者の会」とか「創価学会詐欺事件対策本部」「創価学会訴訟団」などの言葉がニュースを飾るでしょうね。役所には創価学会専用の相談窓口が必要になりますね。もちろん公明党は解散。当然、連立を組んでいる自民党は知らん顔。すっかりなかったことにするでしょう。ニュースはもちろんワイドショーもすごい勢いで特集を組むでしょう。学会員の芸能人が「私も騙されていたんです」みたいな涙ながらのインタビューが流れるでしょうね。聖教新聞を印刷している毎日新聞は大打撃。シナノ企画や創価専門仏壇店は軒並み倒産。他にもたくさんの創価関連企業は窮地に追い込まれます。日本全体が相当なパニックになると思います。反社会勢力とのつながりも相当なものですから、やはり最高幹部は雲隠れするしかないでしょうね。警察や法務省に入り込んでいる創価キャリアも肩身が狭くなるでしょうね。学会員はみんな嫌でも気づかざるをえなくなる。あの3人組も。白いブランコさんも。このブログに殴り込んできた創価スイッチ全開の学会員もです。10年以内にこのブログでずっと訴え続けていたことに間違いはなかったということがはっきりすると思うと、なんだか目標がはっきりしてきていいですね。その頃はこのブログのアクセス数も1億になっているでしょう。ちょうどいいタイミングかもしれません。みなさん、よろしくお願いします。

ということで、今回のテーマは「これからどうしますか?」とさせていただきます。

ちょっと抽象的なテーマですが、創価が詐欺だと気づいた方は、多かれ少なかれ精神的なショックは免れません。特にかなり年取ってしまうまで騙され続けてきた人にとっては切実な問題です。また、まだ創価に未練がある方も「創価をやめてどうなるんだろう?」というのが不安な方もいらっしゃるでしょう。そこで今回は、創価が詐欺だと気づいて、なんとか辞められた方が、その後どうやって人生を立て直すことができたか。人生とまで言わなくても、気持ちを立て直すことができたかを、具体的にお話ししていただけたらありがたいです。もちろんその途中である方が多いでしょうから、途中経過で構いません。要は、まだ創価をやめるか迷っている方へ「創価をやめても大丈夫ですよ」ということを実際の経験を通じてお話ししていただければということです。

時々いらっしゃるのは「創価がダメだったので正宗に行きました」とか「創価はもうこりごりなので、どこの宗教がいいでしょうか」「創価をやめて何を信じて生きていけばいいのでしょうか」などなど、とにかく何かにすがっていなければ生きていけないと言った方が意外といらっしゃるということです。まあ、「創価を信じてお金を貢げば幸せな間違いない」ということを信じ続けてきた人にとっては、突然ハシゴを外されるようなものですから、別のハシゴが見つからないことには不安なんでしょうね。「世の中には幸せになれる秘密の法則みたいなものがあって、限られた人間だけにその法則と巡り会える」みたいな事を本気で信じているような人です。新興宗教はおしなべてそんな絵空事をまことしやかに語って「奇跡」みたいなことを信じさせます。新興宗教に限らず伝統宗教の多くも似たようなもののようです。終末思想とか輪廻思想、選民思想もそんなところから発生してきました。学会員にとって、御本尊も日蓮もいわゆる「神様」なんですね。この世はなんでもできる全知全能の神様がいて、その神様に気に入られれば絶対的な幸せになれる。気に入られるようになるには、自分ではなにも考えず、神様を信じて、言われるだけお金を出すことだと信じてしまう。これが伝統・新興に関わりなく怪しい宗教に共通する詐欺行為です。キリスト教もローマ帝国を維持するために教義さえも変えながら維持されてきました。それに反発したプロテスタントも、その巨大化する組織を維持するために国家権力と結びついたり、国家権力に利用されたりして、戦争までも繰り返してきました。言ったい宗教って何だろうって思いますよね。イスラム教とキリスト教は同じ「神様」を信じているにもかかわらず、何千年にもわたって戦争しているんです。仏教も、それ以前のバラモン教やヒンズー教や土着信仰が合わさり、ブッダの教団によって、ある程度刷新されたにもかかわらず、結局のところは長い時間と伝播していく長い長い距離の中で変容していき、いつの間にやら最初の仏教とは似ても似つかないものになって日本に伝わってきました。さらに日蓮など、そんな変わり果てた仏教をさらに自分の都合のいいように解釈して、あろうことか自分が全知全能の神様だと言い始めたんです。ここは諸説あるところですが、特に極端な解釈をしてきたのが日蓮正宗であり、それを利用して詐欺の道具に使ったのが創価学会なんですね。いつも言いますが、何を信じても勝手ですが、よくまあそんなもんを大の大人が真顔で信じれますねって話です。

こういう私も5年前まで信じてたんですがね。信じていたからこそ、今でも信じている人のそのありえないほどの思考停止がわかるんです。「自分は世界で唯一の正しい信仰に巡り合って、絶対に幸せびなれる方法を知っている」と天狗になっている。しかし心の底では「いつどこでバチが当たって恐ろしい目にあうのかわからない」と震え上がっているんです。他人には上から目線のドヤ顔で威張り散らし、他人を哀れむような目でしか見れないですが、家に帰ればバチが強くて震え上がっているんです。それが創価学会員の本当の姿です。洗脳されているうちは決して認めませんがね。

さて、また話が長くなってしまいました。すみません。

「これからどうしますか?」という問いかけは、信じていた創価が詐欺だとわかったあなたはどうしますか?という意味です。ということは、気づいた方は、その後はどうされましたか?という質問に対して、自分はこうしました。こうしようとしています。実際にはこうだったです。と言ったことをお話ししていただけると嬉しいです。よろしくお願いします。

もう一つお願いですが、このブログに初めてコメントされる方は、一般常識レベルの自己紹介をお願いします。コメントの内容に関わらず、初めてなのに挨拶や自己紹介のできない方のコメントは承認しません。それから多少とも幾つかのスレッドを読んでからコメントしてください。コメントするにあたり、特に難しいことを要求しているわけではありません。人として当然の礼儀をわきまえていれば何の問題もなくコメントできます。それでもコメントが承認されないというのは、よほど一般常識がないのだと判断してくださって結構です。こんなこと書きたくはありませんが、たまにいらっしゃいますので、あしからずということで。

創価学会新年勤行会最新情報

みなさま、新年明けましておめでとうごさいます。

今年もよろしくお願いいたします。

晴れて創価から去ることができて、身も心も軽くスッキリと新年を迎えられた方。家族の覚醒がまだで、もうしばらくは大変だという方。覚醒したばかりで、まだ洗脳の残骸が頭のどこかにこびりついて、わけのわからない恐怖心に悩まされている方。いろいろだとは思いますが、今年もまた皆さんとともに、創価の詐欺被害から一人でも逃れることができるよに、対話を深めていきたいと思います。どうかよろしくお願いします。

さて、新年最初のテーマは、先日もお知らせしましたとおり「創価学会新年勤行会最新情報」です。

普段はほとんど活動をしていなくても、周りの人間関係のせいで、どうしても仕方なく新年勤行会に行かなくてはいけないという方がいらっしゃると思います。そんな方に、ぜひ最新の新年勤行会の様子を報告してほしいと思います。なんならスマホで会場の様子やスピーチを録音録画したものをアップしてくださっても結構です。参加者の顔ぶれや、人数、式次第、時間や幹部挨拶の内容などなど、具体的にお願いします。

もちろん新年勤行会に行ってない方も、昔の新年勤行会のことなどを遠慮なくコメントください。昔と今の創価学会の勢いの違いを浮き彫りにして、ことしの「世界広布新時代 青年拡大の年」がいかに名ばかりの空々しい洗脳の言葉なのか、ここではっきりさせましょう!よろしくお願いします。

 

創価脳の彼氏(彼女)のもたらすもの

先のスレッドでの、ゆんちゃんさんからの問いかけは、とても切実な問題だと思います。この問題はあらためて皆さんからのご意見を伺うべきものだと思いましたので、別のスレッドとして作りました。ゆんちゃんさんからのコメントは以下の通りです。

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こんばんわ。
ブログが再開したときに1度コメントさせていただきました彼が創価学会のゆんと申します。
脱会された方、おめでとうございます☆

今回のタイトルと主旨が違うことをわかっていてどうしても覚醒された方、脱会された方にご相談がありコメントさせていただきます。
signifieさま、もしダメでしたらコメント削除お願い致します。

現在、創価学会3世の彼と婚約破棄手前です。もちろん創価学会が大きな壁となっております。いろいろ自分の意見を言いましたが聞く耳持たず…。『ネットの情報は嘘ばっかりやから自分で見て、やっていいか悪いか判断してほしい。ネットを信じるか俺を信じるか…わからんことがあるんやったらネットぢゃなくて俺に聞いてくれたら答えるし、答えれやんことやったら一緒に会館とかに行って一緒に学ぶから』と言われています。私は彼を(創価学会のこと以外)信じています。なので私が彼にネットで見た疑問に思うことに答えてほしいって話をしました。
実際私は疑問に思うことばかりをネット上で探そうとは思っておらず100%創価悩の彼が創価学会ってもしかしたらなんか変?と1%でも0.01%でも思ってもらえるブログ記事を探しております。
創価学会ではない私がどのブログ記事、どのコメントを読んでも説得力があり納得できるのですが創価悩となれば創価シャッターが…
この”対話を求めて”を読まれてる方は創価学会って変?と思われた学会員の方が完全に覚醒できるきっかけとされるものだということはわかっているのですが、この”対話を求めて”で覚醒された方はどのブログタイトルの記事やコメントがきっかけだったか教えていただきたいです。

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30年前の私が、ちょうどゆんちゃんさんの彼氏さんのような立場でした。とても他人事とは思えません。創価の詐欺によって人の一生が変えられてしまうんです。本当に創価の洗脳とは恐ろしいものです。ここでは「創価脳の彼氏(彼女)のもたらすもの」というテーマで皆さんからのご意見やアドバイスをいただけたらと思います。

なお、先のスレッド「創価学会の本音」は引き続きコメントを募集します。

二つのスレッドを同時進行させていただきますので、よろしくお願いします。

活動家時代の本音

第3シーズンに入ってから、とくにテーマ設定についていろいろと考えました。それは第2シーズンとまるきり同じでは失速してしまうんじゃないかとか、このブログも6年目に入ったのだから、単にシーズンが更新するだけではなくて、内容的にも変化しなくては続かないんじゃないかとか。それで皆さんからテーマについてのアイデアをお尋ねしました。皆さんからのご意見を参考にさせていただきつつ、第3シーズンの方向性を模索してきたわけですが、その結果、おかげさまで第3シーズンのカラーが見えてきた気がします。これまでと大きな変化はありませんが、まずは創価が詐欺であることの揺るがない事実を積み重ねるというこのブログの本来の立ち位置をより強化する方向で進めていきたいと思います。そしてもっと具体的にそれぞれに創価時代を振り返って、それらのことがいかに理不尽であり、反社会的であり、人間の幸せとは程遠いものなのかを浮き彫りにできたらと思います。

で、とくにこれからの展開で気をつけたいのは、私たちも気づく前までは同じような思考で同じようなことを平気でやっていたのですから、創価とは関係のない人から見れば「目くそ鼻くそ」みたいなものかもしれないということです。でも実際に現役の学会員さんの気持ちがわかるのは、実際に学会員として活動経験のある人間だ思いますので、たまたま自分が先に創価が詐欺だとわかったからといって、まだ気づかない学会員さんをボロクソに批判したところで、何の問題解決にはならないとも思います。そうした意味も込めた上で、みなさんそれぞれが学会員だった頃の本音を積み上げていければと思います。そういう意味でも前のスレッドで話題になっている「池田の顔は気持ち悪い」というのは、言いたくても言えなかった、しかしそれが本音だった。その言いたくても言えないのが創価学会だったということです。池田の顔に限らず、活動の一つひとつが正直なところ辛くてたまらなかったけども、これも人間革命や一生成仏や世界平和のためなんだと、これが自分がこの世に生まれてきた理由なんだ、使命なんだと。一生懸命自分に言い聞かせていた。いつの間にか家族がバラバラになり、近所付き合いが希薄になり、一般常識が理解できなくなり、精神的な病に陥ってしまう学会員がどんどん増えてきたんです。

かといって「自分は気づいちゃったし、気づかないやつに何言っても一緒だということは誰よりもよくわかるから、もう創価のことなんて知りませ〜ん」とならないのが創価問題の根の深いところです。創価学会がただの詐欺であれば、詐欺だと気づいて「高い授業料だった」として終われるのでしょうけど、創価の場合は創価に残っている家族がいる人にとってはいつまでも終わりはありません。また、取り返しのつかない年齢まで騙されてしまうと、もういっそのこと騙されたまま死んだほうがマシなんじゃないかという状況も出てきます。それほど創価はほんとうに恐ろしい犯罪です。

このブログにたどり着いて創価が詐欺だと気づいた方もずいぶん増えました。ただ、このブログにたどり着いたという時点で、すでに気づいていたと言っていいのではないでしょうか。あとは皆さんの体験を読んで、自分の考えや感覚は間違いではなかったということが確認できたということだと思っています。

つまりこのブログは覚醒のためのブログではなく、覚醒を確認するためのブログだと思います。例えば今の創価は間違っていると確信している例の三人組がこのブログを読んでも、もとから創価が詐欺だなんて絶対に認めないでしょう。これだけの人たちの声を全部読んだとしても、彼らにとって池田大作は永遠の師匠だと言い張るはずです。サイレントアピールや各地での座談会の開催や、告発本の出版と外国人記者クラブでの会見などの積極的な行動をしても、彼らの中での創価学会は世界平和を目指す世界一の尊い宗教団体なのです。本部職員として働く中で、どんなに理不尽なことが目の前で繰り広げられても、自分が信じた池田大作が間違っているはずはないという思考から一歩も踏み出すことはありません。彼らの外国人記者クラブでの会見をネットで見ました。彼らのブログに書いてあること以上の話はしませんでしたので退屈なものでした。ただとても面白かったのは、後半の記者からの質問と、それに対する回答がしどろもどろだったことです。外国人記者はとても簡潔に問題の本質をつく質問をしてきました。それに対して三人組はほぼ何も答えることができていませんでした。私が感じたのは、彼らは自分たちが主張することの、つまり本来の創価学会は正しいのだということの理論的な考証を行っていないということです。彼らの頭の中にあるのは自分の考えではなく、小説『人間革命』に書かれていたことがそのままの状態であるだけです。つまり「小説『人間革命』に書かれていたことと、今の創価がやっていることが違うではないか」ということを言ってるだけのことです。だから日本の社会の中での創価学会の位置付けを問われても何も答えられません。自分たち以外に現在の創価に異を唱えるものはいないのかという質問にも「いない」としか答えきれない。正確には「知らない」というのが妥当な答えでしょう。考えようとしないから知らないんです。自分たちが理想としてきた小説『人間革命』に描かれていた池田大作創価学会と、目の前の現実である創価学会がまるで違うということしか頭にないようです。ではなぜ自分たち以外に今の創価に異を唱えるものがいないのか。なぜ自分たちが理想とする創価学会と今の創価学会がまるで違ってきたのか。そのことについて考えたこともないから、ただ単に話を聞いてくれない執行部を悪者扱いにして、自分たちの正当性をデモや集会や出版という形で主張する。これでは親から叱られて自分は間違っていないと泣きじゃくる駄々っ子でしかないと思います。

例え話が長くなってしまいました(笑)

要は、学会員はたとえ創価に疑問を抱いたとしても、必ずしも覚醒までたどり着くとは限らないということですね。ここを恐る恐る読んでいる学会員の皆さん。もうすでに創価への疑問はぬぐえない状況ではありませんか?でもまだ創価が宗教だと思い込んでいるので、疑ったら罰が当たって何かしら悪いことでも起きるんじゃないかと半信半疑という方もいるでしょう。べつに無理に気づいてくださいとは言いません。ただ自分の人生について自分で考えることを放棄しているという現実には、きちんと向き合ってはいかがですか?とまでは言いたいのです。それでどうするかは自分次第です。創価の罰が怖くて、やっぱり自分では今までと同じように何も考えずに組織の言う通りの人生を送りますというのであれば、それはそれであなたの人生です。いずれにせよ、答えは自分で出す以外にないということまでをも創価に委ねてしまうのは如何なものかと思いますけど、余計なお世話かな。

ということで、今回のテーマは「活動家時代の本音」ということで、活動家の時に言いたくても言えなかったこと。たとえば「池田の顔が気持ち悪かった」でもいいです。本当は何部も聖教新聞とりたくなかった。配達したくなかった。家庭訪問したくなかった。幹部に文句の一つも言いたかったけど罰が当たると思って言えなかった。などなど、とにかく自分の本音が一切出せなかった学会活動の現実を、かたっぱしから思い出して語ってください。そしてそんな創価の現実から抜け出すことができた今現在の心境を語ってください。もしかしたらこれを読んでいる学会員さんが「ああ、それ確かにあるよなあ。自分のことだよなあ」と思ってくれるかもしれません。また、脱会した人でも「なるほど自分では気づかなかったけど、そうとう我慢したり、自分の心を自分で押し殺してきたよなあ」と今になって気づくかもしれません。

創価がじつは一切本音の言えない組織であることに気づくこと。いや、一切本音を言わせないような組織であることに気づけば、組織がなぜ会員を罰の恐怖で縛りあげてきたかの理由にも気がつくのではないでしょうか。

罰なんかなかったよ 2

今回の『罰なんかなかったよ』のテーマに怒涛のコメントありがとうございます。
創価が宗教ではなく詐欺だという覚醒にあたり、「功徳はない」と気づくことよりも、この「罰はない」という気づきの方が大きいとあらためて思いました。創価が宗教だろうが詐欺だろうが、功徳がないのは当たり前のことです。そもそも功徳欲しさで何でもしてしまうというのは、宗教以前に人として最低の行いであることに気づかないのがおかしいのですが、それよりも「罰が当たる」「不幸になる」という恐怖心によって操られていることに気づかない、気づこうとすることさえ恐怖心によってできなくなっているということの恐ろしさがあるということですよね。学会員は知らないうちに「創価に逆らうと不幸になる」と徹底的に刷り込まれていますから、どんなに創価がやっていることがおかしいと疑問に思っても、「不幸になる」「何か不吉なことが起こる」「一生幸せになれない」という恐怖心がもれなくついてくるので、「創価がおかしいわけがない」と自分に言い聞かせるか「凡夫の自分が考えたところでどうにもならないんだから考えないようにしよう」となってしまいます。思えば私もそれで10年は覚醒が遅れた気がします。
みなさんの実体験として、「罰なんかなかった」と声を上げることは、創価がおかしいと気づき始めた学会員にとっては、いちばん救いのある言葉ではないかと思います。実際に創価をやめてみてどうなったか。罰が当たったと思えるようなことがあったのかどうか、みなさんの実体験をどんどんここに披露して下さい。

今回のテーマは引き続き『罰なんかなかったよ 2』とさせていただきます。

罰なんかなかったよ

みなさん、たくさんのコメントありがとうございます。
とくに第3ステージになってから、コメントの内容がますます深くなっているように思われます。あのような形で休止になって、今後どうやって再開したらいいのか、またどのような形で継続できるものなのか、正直わかりませんでした。テーマ設定にしても、これまで通りでいいのかもわかりませんでしたので、手さぐりの再開でした。幸い皆さんからのコメントが以前と同じくらいの数になりましたし、以前よりも増して内容が深くつきささるようになっていると感謝しています。
皆さんから次々と寄せられる創価の恐ろしい実態は、少し読んだだけでも、創価学会がまともな宗教ではないことなどすぐにわかることなのですが、皆さんが一様におっしゃるように、創価に騙されている間は、そのことにどうしても気づけない。そしてその原因が気づくことに対する異様なまでの恐怖心がそうさせているということもはっきりしました。もともとありもしない功徳と罰に翻弄され、自ら人生を狂わせている学会員さんが、1人でも多く皆さんの渾身の訴えを目にすることで、なんとか自分で自分の人生を考えるきっかけになってくださればいいと、ますます願わずにはおれません。
学会員さんに「創価の活動をいくらやっても功徳なんかないよ」といくら伝えても、それはその人の人生を頭ごなしに否定するだけのことになってしまうし、創価はそうしたときの都合のいい言い訳もちゃんと用意しているので、学会員さんは自分にとっての都合のいい言い訳として、ますます創価の殻に閉じこもってしまいます。
それよりも「創価を疑っても罰なんかないよ」と伝えるほうが、いくらかは届くのではないかと思うようになりました。学会員さんは創価を一途に信じようとすることで、罰への恐怖心を無理やり消し去ろうとします。一心不乱にカラーコピーの曼荼羅に題目を唱え続けるのは、仏教が一神教的な他力本願のおねだり信仰と勘違いした上での「功徳が欲しい」というのもあるでしょうが、同時にどうしても心の底から湧き上がってくる創価への不信感、あるいはどうしても不信を抱いてしまう自分の心を否定しなければ恐ろしくてしかたがないといった恐怖心を、思考停止によってごまかそうとしているように思えて仕方ありません。日々の勤行唱題は、真面目な信者でいることの安堵感というよりも、現実の問題を勤行唱題によって逃避し、そんな自分の心の底から湧き上がる不信感と恐怖心を、さらに勤行唱題によって封じ込めてしまう日々なのだと思います。現実の問題が解決されないばかりか、自分の心を否定し続けることの日々がいつか精神のバランスを崩してしまうのは当然のことだと思います。勤行唱題というのは、アドレナリン分泌によるその場限りの高揚感と現実逃避をもたらすだけであって、何一つ問題の解決にはなりません。
「今の自分を疑っても罰なんかないんだよ」と言ってあげるのは、じつは学会員さんが心のそこに封じ込めているいちばん望んでいる言葉なのではないかと思いました。それを他人が言ってもなかなか通じるものではありません。要は最終的に自分が自分に対して「疑っても罰なんかないんだよ」「自分の心に正直でいいんだよ」と言ってあげられる。つまり何よりも自分を信じることが大切なんだと気づくことで、初めて自分が何をしてきたのかが理解できるのだと思います。
このブログにある20000近くのコメントは、そんな「創価によって自分を見失っていた人たちの赤裸々な記録」です。これから30000、50000、100000と積み重ねていきたいと思います。これこそが創価学会の実態であるという動かし難い実証を、これからも皆さんとともに残していきたいと思っています。どうかこれからもよろしくお願いします。
ということで、今回のテーマは「罰なんかなかったよ」とさせていただきます。「創価を疑うことは死ぬほど怖かったけど、思いきって自分の心に正直になったら、まったく恐れることはないし、もちろん罰なんかあるわけないこともすぐにわかったよ」という皆さんの体験のお話しをお願いします。

それと、おかげさまでこのブログの500万アクセスが、どうやら来年の1月末に達成できそうです。そのときはまた皆さんでお祝いしましょう!これまで100万アクセス達成ごとにお祝いしてきましたが、今度はなにしろ5000000アクセスなんですから(笑)いつもよりもっと派手にお祝いしたいですね(^ω^)

考えると恐ろしくなる自分

今回は「創価がなんかおかしいんだけどな」とちょっとだけ疑問を抱いている学会員の皆さんにお話しします。

一度全ての自分の先入観を捨て去って、シンプルに考えてみて欲しいんです。と言われてもそう簡単にできることではありません。私たちは先入観によって多くのことを判断して生きているからです。でもそこで一度でいいからあえて先入観を捨てることを頑張ってみてください。いいですか。決めつけなくたっていいんですが、仮に「創価学会が宗教ではなく詐欺だとしたら」と仮定して創価が言ったりやったりしていることを冷静に眺めてみてください。仮にだから無理しなくていいんです。あくまで仮定の上で、まずはぼんやりと自分がイメージしている創価学会のことを思い浮かべてみてください。そうした中で、いつも教えられている「創価は世界で唯一の正しい宗教団体だ」という前提で見たときと、このブログで一貫して訴えている「創価は会員をことば巧みに騙してお金を巻き上げる詐欺団体だ」という前提で見たときに、創価学会が実際に言ったりやったりしていることとは、どちらの前提がしっくりくるかということを、いちど先入観を捨てて考えてみてください。先入観を捨てシンプルに自分の気持ちを見つめてみることは、決して悪いことではないのですが、その考えて見るという中で、なんとなく「自分は創価を疑おうとしているのではないか?」といった気持ちになると思います。と同時に、言い知れないようなわけのわからない恐怖感が湧いてきませんか?

このように自分の気持ちについてあらためて考えてみること自体は、決して悪いことではありません。ところが創価を疑ったら不幸になると脅され続けていると、恐ろしくてそんな仮定の想像すらできなくなります。私が言いたいのはそこです。その疑うことに異常なほどの恐怖感を感じてしまう自分がいるという、まさにその事実について「自分は創価を疑うことになんでこんなに恐怖を感じているのだろう?」と考えてみて欲しいのです。
もう一度訊きます。自分のことについて自分で考えるということは悪いことでしょうか。「自分が何かを考えただけで不幸になってしまうと恐怖感を覚えてしまう自分ってなんか変なんじゃないか?」って思いませんか?

何かしら恐ろしい状況を想像する。例えばストーカーにつけまわされるとか、高速道路での走行中に他の車が突っ込んでくるとか、そんな状況を仮定して恐怖を感じるのなら話はわかります。誰だってそうですし、恐ろしいと思うのは当然だし、人間も含めた動物にとっての恐怖感は、生きていく上での危機管理としてなくてはならないものです。逆にそうしたことに恐怖を感じなければ安全な生活できません。何かに恐怖を感じるというのは、とても自然なことだということです。でも、自分が正しいと信じている創価学会のことを、ちょっと「変だな 」と考える自分に恐怖を感じてしまうということ自体は、決して自然なことではありませんよね。でも実際に創価を疑おうとするだけで恐怖感に襲われるという現実がここにある。一体これはどういうことでしょうか?
結論から言えば、知らないうちそのように思い込まされているということではないでしょうか。こんなことに自然と恐怖を感じるなんてそれこそ不自然です。ということは自分が知らないうちに、さもそれが当然のことように感じるよう意図的に教えられたということではないでしょうか。

本来は恐怖感を抱くようなことではないはずのことに、異様に恐怖感を感じてしまう自分がいる。このわけのわからない恐怖心が嫌でたまらないから、考えることそのものを放棄してしまう。いつしかそうしたことを考えることを最初から放棄してしまう。これが学会員さんに共通して見られる思考停止というものです。このブログでは「創価シャッター」と名付けています。

大切なのは、まさにこうした自分の現実。知らない間に思考停止してしまっている自分がいるという現実から目をそらさないことです。本当なら決して難しいことではありません。これが普通に物事を考えるということだからです。もしここまで読んできて「あれ?そういえばそうだよな」と思えることができたら、話は早いと思います。要するに、学会員さんは何かにつけて「疑ったりすると恐ろしいことになますよ」と脅され続けていますから、普通の人が普通に考えることが、学会員さんはできなくなっているということだからです。今の時点で創価がいいのか悪いのかそれはわからない。いや、おそらく創価悪いはずがないと信じているでしょう。でもあらためてそのことを考えようとしたときに、その考えることそのものに恐怖を覚える自分がいることは決して否定できないはずです。

はたから見ればそれは異常なことなんです。でもあることを考えた瞬間に思考をストップしてしまう自分がいるとすれば、逆に自分のことを自分で考えることを自分で許すことができたなら、創価が詐欺であることぐらい、誰にだって理解できるということです。

このブログでコメントしてくれている多くの皆さんが同じように言われるのは「なんでこんな簡単なことに気がつかなかったのだろう」ということです。つまり創価を疑う、あるいは創価について自分で考えることと条件反射的に恐怖心とをくっつけて、それ以上怖くて考えきれないようにさせられているということです。だから、あえて自分で考えることを頑張ってやったら、創価が詐欺だなんて当たり前のことはすぐ合点がいきます。ただすでに無意識に植えつけられている恐怖心のメカニズムですから、そう簡単に消えてなくなるものではありません。だから頭でわかっていても、その恐怖心が何かのきっかけで襲ってくるのは、むしろ当然とも言えます。来る日も来る日も「創価は正しい宗教団体だ」「これを疑うと恐ろしいことになる」と教え込まれてきたわけですから、その恐怖心が消えるのは、人によっては教え込まれてきた時間と同じぐらいかかるのかもしれません。

まずは自分で考えることに恐怖感や違和感を覚えないことが大切です。変な話ですよね。自分で何かを考えるだけで恐ろしくなって震え上がるような自分って。そんな変な自分から抜け出す努力をしてもいいんじゃないかと私は思います。

いかがですか?今はまだ創価を疑うなんてこと自体がおかしいと信じているでしょう。その気持ちはよくわかります。私やここにいらっしゃる皆さんのほとんどがそうでした。でも、創価を疑うこと自体に、自分でもわけがわからないほど恐怖を感じている自分がいるということまでは否定できないのではないですか?だったら、そんな恐怖を感じている自分という現実にまっすぐに目を向けることは、決して悪いことではないと思いますが、いかがでしょうか。

ここの皆さんは、こうして現実に向き合ってきました。その結果、今まで正しいと信じて疑わなかった創価学会が普通に考えて詐欺だということが理解できる自分になったんです。これをこのブログでは覚醒と呼んでいます。でも、覚醒って言ってもそんなに大げさなことじゃないんです。最初から言ってるように、「自分のことを自分で普通に考えることができるようになる」ということです。これって本来普通のことなんですよ。これができないようになっている学会員さんが異常なんです。いや、異常な状態にさせられているということです。

最初は大変だと思います。創価のことをちょっとネガティブに考えてだけで、わけのわからない恐怖が襲ってくるんですからね。でもそこでひるんでは今までと同じ思考停止人間でしかありません。そのわけのわからない恐怖心と戦うんです。何を持って戦うのか。それは目の前の現実をしっかりと受け入れるということだと私は思います。逆に言えば、学会員さんはどんなおかしな現実を目の当たりして反射的にガラガラと創価シャッターを下ろすことによって見えなくなる。現実を見なければ恐怖心がなくなるからです。だから自分で考えることと恐怖心を切り離すこと。これを目指して創価学会にまつわる目の前の現実を徹底的に考えてみてください。きっとある日、ポンッとわかるときがきますよ。「今までなんでこんな簡単なことに気がつかなかったんだろう〜っ!!」ってびっくり仰天するとともに、人によっては今までやってきたことにとんでもなく後悔するのも事実です。これでここの多くの皆さんが苦しんでいるんです。そんな方たちの話なんだということを頭に入れてからここの皆さんの話を読んでほしいです。

ということで、思いがけず長くなりましたが、今回のテーマは「考えると恐ろしくなる自分」とさせていただきます。皆さんはもう覚醒されているので、上に話したことはよく理解できると思います。今回はこうした自分の過去(創価脳時代←悲しい時代ですね)にあった恐怖体験を具体的にお話ししていただければと思います。その時はそこまで思わなかったけれども、考えてみたらあれは恐怖に心を縛られていたから、あんなふうになっていたんだろうということでもかまいません。気がつけば何のことはないのですが、気がつかないうちは本当に不思議なくらい「創価は正しい」ととんでもなく思い込んでるんですよね。これはもうとんでもない暴力です。だって創価を悪く考えたら恐ろしい目に合うどころか、末代まで地獄をさまようことになるぞと脅されるんですから。そしてその恐怖から逃れるには創価にありったけのお金を貢ぐしかないと信じてしまうんですからね。その挙句、晩年になっても一つも幸せにはならなかったことに気がついて、一生を絶望感のなかで閉じることになる。あるいは死ぬまで自分の不幸に気がつかないまま終わってしまう。創価はこうやって人を不幸にし続けている団体だということを、ちょっとでも創価のことや自分のことを考え始めた学会員さんに向けてお話しをしていただけるとありがたいです。よろしくお願いします。

創価脳の家族にほんとうに言いたい事

前スレのコメント欄で、常連のラザリスさんが懐かしい話を振ってくださいました。

2年前の秋に書いた「おじいさんとおばあさんと薬のお話」です。近頃このブログにたどり着いた方はご存知ないと思いますので、ここに再掲させていただきます。

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『おじいさんとおばあさんと薬のお話』

昔むかし、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。二人とも歳はとっていましたが、飲むだけで元気になるという噂の薬を毎日飲んでいました。おじいさんはそれを薬だと思っている。もちろんおばあさんも同じようにずっと薬だと思って飲んでいたのだけども、なかなかこれといった効き目がないものだから、なんかおかしいなと思い始めました。そして同じようにその薬を飲んでいた近所の人に訊いてみたら「あれは薬じゃない。何にも効かないよ。まだ飲んでたの」と言われました。

おばあさんはビックリして、他の多くの人にも訊いて回ったのですが、みんな「あれは薬なんかじゃないよ。みんなそれがわかったから、あの薬屋には行かないようになった。行ってるのは何も知らずに薬だと信じている年寄りだけだよ」と言っていました。それでおばあさんはよくよく考えてみることにしました。自分のこれまでの体験にも照らし合わせてみたところ、それが薬じゃないと仮定したら、みんなつじつまが合うのでした。そこでおばあさんはおじいさんのことを思って「それはじつは薬じゃななかったんだよ」と言いました。

おじいさんは思ってもみないことを言われたのでビックリすると同時に、おばあさんは頭がどうかしたんじゃないかと心配になりました。ついこのあいだまで一緒にこの薬を飲んでいたのに、なんで今さらそんなことを言うのかわかりませんでした。おじいさんは薬屋から「これは絶対よく効く薬です。でも元気になると信じて飲まなければ効きません。効き目を疑ったりしてはいけませんよ」とくりかえし言われてきたことを思い出して、薬をやめようとはしませんでした。おばあさんはそんなおじいさんの姿を見て、なんとか薬をやめさせなければと思い、客観的な証拠をたくさん集めておじいさんを説得しようとしました。しかしその薬を疑うことで効き目がなくなることを恐れたおじいさんは、おばあさんの話を聞こうとはしません。かえってそこまで言うおばあさんは自分のことを嫌ってるんじゃないかなどと疑心暗鬼に陥ってしまいました。

そんな態度のおじいさんを見て、おばあさんはとても悲しくなりました。「おじいさんはどうして私の言うことを信じてくれないんだろう」とさらに考えました。そしておばあさんはこう思ったのです。「おじいさんは薬を信じているのではなくて、薬をくれている薬屋のことを信じているんだわ。だから薬が効いてなくても効いているような気になってるのよ」。おばあさんはその薬局のことを調べました。するとその薬局では、お客さんに「これはよく効きます。でも信じなかったら効きません。それに効かないと文句を言ったりしたら、今まで飲んだ薬の効き目もなくなってしまいますよ。そして薬を飲むのをやめたりでもしたら、病気になってしまいます。初めから飲まない人よりも悪くなるんです。ですから絶対この薬はやめないでくださいね。はい、今月のお薬代1万円」。

おばあさんはビックリしました。「薬を飲まない人よりも具合が悪くなるだなんてどういうことでしょう」おばあさんはますますこの薬局は怪しいと思って、さらにいろいろと調べてみました。するとこの薬局はときどき薬の内容を変えていたのです。つまり仕入れ先ともめて、いままでの薬が仕入れられなくなったものだから、その薬の成分表を仕入れ先から盗んで、自分たちで勝手に薬をつくって売るようになりました。お客さんには「こんどお薬の中身が変わりました。今度の薬はもっと効きますよ。じつは今までの薬にはちょっと問題があったので、私たちでもっといい薬を開発したんです。今までよりちょっと高いんですけど、安心して飲んでくださいね。私たちがいい薬を作ったものだから、いままで作っていた仕入れ先が私たちのことを妬んで、あることないこと言ってますけど気にしないでくださいね。それから、飲んだことのない人にも紹介してくれたら、この薬はもっと効きますよ。これはそんなとってもありがたい薬なんです。でも効き目を疑ったりしたら毒になってとっても苦しみますから注意してくださいね。はい2万円」。

もうおばあさんはビックリ仰天です。ただの薬屋が、勝手に薬までつくって売ってるのですから、それは驚きます。これでその薬屋が完全に怪しいことがわかりました。「やっぱりこの薬屋は効きもしない薬を客に騙して売りさばいて金儲けをしているんだ」おばあさんはやっと気がつきましたが、おじいさんにそのことをいくら話しても聞こうとはしません。おじいさんはそんな話を聞いたら、今まで飲んできた薬が効かなくなるどころか、病気になると思って怖がっているからです。そしておじいさんは、あろうことかおばあさんが自分を病気にしようとしていると思い始めました。「こんなばあさんの話なんか聞いてられるか」と、あんなに仲の良かったおじいさんはおばあさんを憎むようになってしまいました。おばあさんは途方に暮れます。「おじいさんのためを思ってここまで言ってあげているのに、どうしてわからないんだろう。いままで何十年もいっしょに暮らしてきた私をさしおいて、あんな薬屋の言うことを信じるなんてあんまりだわ」おばあさんも、いいかげんおじいさんを嫌いになり始めました。

おばあさんは、その薬を何十年も飲んできました。その薬を飲んで来たからこそ、たいした病気もせずに、おじいさんと仲良く暮らして来れたと、その薬に感謝もしていました。でもよく考えてみると、この薬のおかげで元気だった証拠なんてどこにもありません。それにこの薬をやめてずいぶんとたちますが、体調の変化もありません。ただおじいさんのことが心配で、不眠症になったぐらいです。そこでおじいさんが飲んでいる薬の成分が何なのか調べてみました。そしたらなんとただの小麦粉だったではありませんか。おばあさんは愕然としました。「私とおじいさんは何十年も何千万円も出して小麦粉を飲んでいたんだ」おばあさんは気が遠くなりそうでした。

そこでおばあさんは気を取り直して、もう一度よく考えてみました。「おじいさんはどうしたら気がついてくれるだろう?」「もし自分がおじいさんの立場だったら?」「みんなどうしてあんな薬屋の言うことを信じてしまうんだろう?」いろんな疑問が次々に湧いてきました。そしてこう思いました。「みんな何かを信じている。何かを信じるには、それなりの理由があるのだけど、それは科学的な根拠だとか、目の前の事実だとか、そんなものは理由にならないんだ。どんなことであっても、いったんその人がそれが正しいと信じれば、その人にとっての真実になってしまう。たまたまこの薬を飲んだときと、病気が治ったことが重なって、この薬のおかげだと信じきってしまうのも当然だわ。だってそう信じたいんだから。信じるって、信じたい気持ちが、ものごとをそんなふうに見せるのね。でも、この世の中に何があっても動かない絶対的な真実なんてありはしないとお釈迦さまも言ってた。あるのはその人にとって都合のいいことを真実だと思い込んでしまうこと。それこそが人間の不幸の原因であり、不幸の始まりなんだと、2500年も前に教えてくれてる。だからまわりからどんなにあからさまな間違いを指摘されても、それが何を意味するものかがわからなくなるんだわ。おじいさんの都合では、あの薬屋の言うことが真実だから、それと違うこととなると、私がどんなに間違いである事実を言っても聞かない、聞こうともしないのは当然なのよ」おばあさんはそう納得してはみたものの、それではおじいさんを救えない。原因がわかったところで、このままじゃおじいさんはただの小麦粉に大金を払い続けることになる。それよりも何よりも、このままでは私とおじいさんの仲が壊れてしまう。私は優しかったおじいさんと一緒にいつまでも暮らしたい。なんとかしておじいさんの優しい心を取り戻さなければ…」。

おばあさんはおじいさんを説得する材料がないか、さらに調べました。その薬局のことも。そしたら、その薬局の社長がどうもそうとうな悪人らしいのです。その社長は自分のところの薬が効くことを客に信用させるために、ただの小麦粉を薬だと騙して売ったお金を使って世界中の著名人と会ったりしているところを写真に撮らせて、それらを載せた会報を有料でお客さんに売っていました。ただの小麦粉に高い値段をつけて売っているというのに、さらにそのお客さんの家族や友人知人にもその会報を購入させているのです。お客さんを自社の商品の販売員としてタダ働きさせているのでした。お客さんは、自分が飲んでいる薬が効くようにと、その薬を売ってまわります。どこまで欲深い社長でしょう。ところがなぜ会報を売ったら薬が効くのか、なぜかお客さんは何の疑問も持ちません。それはそういうものだと信じているからです。お客さんは薬が効きさえすれば何だってする気持ちになってしまっています。お客さんにとってはもはや理屈などどうでもよくなっていることに、おばあさんは恐ろしいものを感じました。

それからその薬を飲んでいる人同士を集めて、その薬や会報をたくさん購入するにはどうしたらいいかを相談する会合を開くようになりました。たくさん薬を売ったお客さんが体験発表をして、まだあまり売れてない人を激励するようになりました。そのうち、あちこちにそんな集まりができて、お互いに競争するようになり、それがだんだんエスカレートしていくと、あろうことか売れなかった会報をひとりで何冊も買う人が出てきました。もうおばあさんは開いた口が塞がりません。薬が効くようにと会報を何冊も買う人の気持ちは普通の人には理解できません。でも、そんなことを言っても、お客さんたちは何の疑問も持ちません。それで自分が飲んでいる薬がいっそう効くのだと本気で信じているからです。おばあさんは思いました。「人間、信じるものを間違えると大変なことになる。もしかしたらおじいさんも一生このまま小麦粉を飲み続けて死んでしまうかもしれない」。おばあさんは寒気がしました。

さらにその薬局の社長が今何をしているのか気になりました。なにしろ自分の大切なおじいさんに、バカ高いただの小麦粉を飲ませ続けているのですから。すると、どうもその社長は近頃人前に姿を見せないのだそうです。もうかれこれ4年半も。おばあさんはおかしいと思いました。「会社の社長が4年半も社員の前にすら顔を出さないなんてあるかしら。でも病気じゃないと言うし、あいかわらず会報には大量の執筆をしているし。でももっとおかしいのは、そんな社長のことを社員もお客さんも誰一人として心配していないことよ」おばあさんは、何かあると思いました。「社長がいなくても、この薬屋はどんどん小麦粉を売りさばいているし、社員も何一つ文句も言わずに働いている。会報には薬を飲んで幸せになったお客さんたちの満面の笑顔がびっしり載っているし、社長の文字だけのメッセージには、なぜか大昔の社長の写真が載っている」おばあさんは思いました「あまりにも不自然だわ」。

ある日のこと、おばあさんは結論を出しました。「おじいさんに正気に戻ってもらうには、この私を信じてもらうしかない。はじめから理屈なんかじゃどうにもならなかったのよ。私はおじいさんに元気になってもらいたい。以前の優しかったおじいさんに戻って欲しい。おじいさんは自分が信じているものを私が否定したから私を嫌って、ますます私のことを信じられなくなっているんだわ。だから私は何があってもおじいさんを信じなくちゃいけないの。私までその小麦粉にふりまわされてなんかいられない。私が大事なおじいさんを信じていけば、きっといつかおじいさんもわかってくれる日が来る」

それからおばあさんは、その薬の話はいっさいしなくなりました。おじいさんの言うことにいちいち反論したり、冷たくしなくなりました。そしたら次第に優しいおじいさんに戻ってきました。おじいさんは優しくなったおばあさんの変化に少し気がつきましたが、薬をやめようとはしません。おじいさんにとって、おばあさんと薬はなんの関係もないからです。

おばあさんは何事もなかったように、優しくおじいさんに接しました。おじいさんも何事もなかったように、仲良く暮らしました。それからさらに20年の月日が流れ、いよいよおじいさんの寿命が尽きようとしています。もう動けなくなったおじいさんに、いつもかいがいしく面倒を見てきたおばあさんも、別れの覚悟を決めるときが来ました。

「ばあさんや、わしもいよいよお迎えが来たようじゃよ。いままで本当にありがとう。いろいろ世話になったな。贅沢はさせてあげられなかったけど、こうして今までたいした病気もせずに、事故にもあわずに生きてこれたのは、ばあさんのおかげだよ。感謝してるよ。ありがとう」

「いいえ、おじいさん。私こそ、いままでほんとうにありがとうね。私はおじいさんと生きてこれて幸せでしたよ。途中でいろんなことはありましたけど、おじいさんを信じて生きてこれた私は幸せでした。ほんとうにありがとう」

「それとわしがこうして元気で来れたのも、若い時からずっと飲み続けてきたこの薬のおかげじゃよ。この薬にも感謝しないとな。まあ、ずいぶん高い薬ではあったが、命には換えられんものな」

「そうね、感謝しなくちゃね。ほんとにいい人生だった。私もすぐあとから追いつきますからね。また一緒にくらしましょう」

そうやって、ふたりは最後まで心を重ねたまま幸せに生涯を全うしたのでした。

ただひとつ、おばあさんはおじいさんに言わなかったことがありました。それはおばあさんが薬の正体に気がついた20年前から、あの薬を別の小麦粉にすり替えてきたことでした。

チャンチャン(^^)

______________________

以上です。

あらためて読むと、ちょっと切ないですね。(笑)

結局のところ、おじいさんは真実を知らないまま亡くなりました。それはおばあさんの愛情だとも言えます。創価が詐欺だと知らないまま死んでいく学会員。知らないままの方が幸せなんじゃないかと思うときもあります。真実を知って訪ずれる地獄のような後悔の日々。取り返しのつかない時間を失い、社会悪に加担してしまった事の後悔。片や真実を知らないまま幸せだと思い込んで死んでいく家族。どっちがいいんだろう。そんな問いかけの話です。おばあさんはおじいさんと昔のように仲良く暮らしたい。そのために真実を封印したんです。でもそんなおばあさんを誰も責めることはできません。おじいさんは幸せな気持ちで一生を終えることができました。幸せと幸せな気持ちは別なんだなと思いました。

皆さんはどう思いますか?

実はあの頃、私自身の鬱の症状がひどい頃で、仕事への集中力がなくなって困っている頃だったんです。自分が感じている創価のおかしさをなんとかして伝えたいという思いと、なかなかできない現実の狭間で苦しんでいたように思います。あからさまな現実をいくら叫んだところで、自分で気づけない人にとっては現実が現実ではなく、自分の都合の良い妄想が真実なんですね。まさにそれが創価脳だと思いました。そんな人に何を言っても無駄という焦燥感もありました。ここにコメントされる方の多くは、愛する家族がどう考えてもおかしな創価を正しいと信じていることに心を痛めていらっしゃいます。本人にとっては良かれと思って大切な家族よりも創価を優先する創価脳が本当に多いです。ではどうやったら家族の絆を取り戻せるのか。このことで多くの方が悩んでおられます。

ということで、今回のテーマは「創価脳の家族にほんとうに言いたい事」」ということにします。

創価が詐欺だと気づいたのに、何を言っても家族はいっこうに気づかない。真実を話せば話すほど信頼関係がなくなっていく。もうどうしていいのやらと、家族のことを思うたびにいつも暗い気持ちになってしまう。とてもよくわかります。言ったところで喧嘩になるだけ。「創価と私とどっちが大切なのよ」と喉まで出ている言葉を無理やり飲み込む日々。そんなやり場のない思いを、ここで思い切り吐き出してください。創価脳の家族にほんとうに言いたい事。いくら真実だと言っても創価脳は聞く耳を持ちません。創価脳にとっての真実は、創価から言われた事のみですから、人によっては離婚だ勘当だという話にもなります。せめてこの場で言えない創価脳の家族への気持ちを言葉にして消化できれば、気づかない家族への苛立ちも薄れて、優しく接してあげられるのではないでしょうか。そうすれば何かのきっかけで気づいてくれる時が来るかもしれません。上の話ではおじいさんは気づきませんでしたが、もしかしたらおじいさんはおばあさんの「ほんとう」の気持ちをわかってくれる日が来るかもしれません。

自分は気づいたのだから、家族が気づかないはずがない。そう思いたいです。まだ間に合うなら、衝突してでも気がついて欲しい。そうも思っています。ただそれには自分がどこまで持ちこたえ切れるのかがわかりません。自分が死ぬまでになんとか創価の詐欺が社会に認知されるようになればと思っています。