自分が創価脳であることに気づいたとき

このところ仕事が忙しくて皆さんからのコメントを承認するのが精一杯で、なかなか更新できませんでした。もうしばらくは忙しい日が続きますので、どうか皆さんで対話を進めていただければと思います。

前スレで「創価脳」をテーマにしました。もちろんこの言葉はこのブログで出てきた造語です。文字どおり創価学会員の思考回路の事をさしますが、同時に学会員は被害者であるということの意味も含まれています。騙されていることの自覚を持てないどころか、創価を信じることで誰よりも幸せを手に入れることができると思い込んでいます。思い込んだら最後、疑うことすらできなくなるのが創価脳です。その自覚を持てないがために、無意識に創価以外の考え方を見下してしまう。家族だろうが友人だろうが、創価を批判するものを見下したり嘲ったりしても、何の罪悪感も抱けない。罪悪感どころか、誰よりも尊い行いをしていると思い込んでいます。だから逆にちょっと批判されたら頭に血が上って逆上する。これをこのブログでは創価スイッチ」と名付けています。それから創価脳は創価以外の考え方を丸ごと否定して、他人の言うことを聞く耳を持ちません。これをこのブログでは「創価シャッター」と名付けています。「創価脳」「創価スイッチ」「創価シャッター」つまりこれは学会員が洗脳によって思考停止に陥っている状況を指す言葉です。
いつも言うことですが、基本的に学会員は被害者であるということ。さらにその被害者が自覚することなく被害者を増やすことに喜びを感じていることも大きな特徴だと思います。本人はいたって真剣です。家族や友人に創価がいかに素晴らしいかを教えて幸せになってもらいたい一心で、そのじつとんでもない非常識な言動を発してしまうんですね。何しろ創価を信じている自分は絶対に幸せになれると信じてます。現実には労働力もお金も吸い取られ、いつまでたっても幸せなんかじゃないのにです。そしてちょっとでも疑ったりしたらとんでもなく不幸になるという恐怖感も植えつけられています。思考停止と恐怖心。自分では幸せだと思い込んではいますが、心の奥底ではここから離れられない恐怖心が渦巻いています。その恐怖心を払拭しようとさらに一心不乱に勤行唱題に励んだり、組織から言われるままにノルマを達成しようとします。「自分で考えてはいけない。言われた通りにすれば絶対に幸せになれる」と来る日も来る日も自分に言い聞かせます。日々の勤行唱題や活動は、自己洗脳の日々なんですね。例えば開目抄の「我 並びに 我が 弟子 諸難 ありとも 疑う 心なくば 自然に 仏界に いたるべし」は、「なにしろ自分でいろいろ考えずに、疑ったりせずに、上から言われるとおりのことをやっていれば幸せになれるんだ」ということです。そこで現実のおかしなことにも目を閉ざすことになる。自分のことをふりかえったとき、つくづくバカだったと思います。疑問は感じるんです。どう考えてもおかしいことをやってるんですから。でもその度に「もう自分で考えるのはやめよう」と思い直すんですね。そして疑問が疑問でなくなる。すると楽になる。でもやってるうちにまた疑問が湧いてくる。悩む。でも結局はまた思考停止という楽な道を選んでしまう。こうやって50年も生きてきたんですから(苦笑)。
皆さんのコメントで創価脳の家族の心ない言動に苦しんでいらっしゃる方が本当に多いですよね。かつては自分自身がそんな言動を平気でする人間だったということも思い知らされて二重に苦しんだりします。これはなってみたものでないとわからないでしょう。創価脳だった自分と、そのことに気がついた自分。この両方を体験しなければ、なぜ創価脳がこんな思考しかできないのか、なぜ平気で人をディスったりできるのかが理解できないと思います。創価脳が被害者であり加害者でもあるということが体験的にわかるからこそ、創価脳に対して「早く自分で気づいて欲しい」という強い思いがあるのだと思います。もともと完全に創価と関わりのない人はあえて関わろうとはしませんし、同時に創価脳の奇行が理解できるわけもないと思います。創価から覚醒するとうことは生易しいことではないし、覚醒したからといってすべてが解決するのかというとそうではない場合が多いです。問題は人それぞれですが、同居する家族が創価脳である場合は毎日が辛いでしょう。そこであらためて自分の身近にいる創価脳の家族や友人も、基本的には自分で考えることができなくなっている詐欺の犯罪被害者なんだということを、こちら側がしっかりと踏まえた上で接しなければ、それこそ相手は「信心を妨げる魔」だと思い込んでしまいます。魔とか地獄とか前世の宿業とか、どう考えても気味の悪いカルト思考なんですが、そうした自覚がないのが創価脳です。まともに話などできるわけがないんです。でも同居する家族がそんなカルト人間では諦めるわけにもいきません。
今回のテーマはもう一度原点に立ち返って「自分が創価脳であることに気づいたとき」にします。
つまりどうやったら創価が詐欺であることに気づけるのか。みなさんご自身の体験をお話ししてください。よろしくお願いします。

これが創価脳

これまでも創価スイッチ全開の鉄砲玉のような創価脳が時々やってきては暴れまくっていましたが(笑)、結局は何も反論できずに去っていくというパターンでした。また、白いブランコさんのように創価に疑問を持ちつつも、基本的に「創価は正しい」というところから逃れきれずに改善運動を立ち上げたり、組織(地区)の人に意見を聞いたりしておられましたが、結局組織からも相手にされずに孤立した方もいらっしゃいました。創価に疑問を持っても組織は相手にしてくれません。学会員が組織に疑問を持って、良かれと思って改革しようとしても、それに答えてくれるような組織ではないです。なぜかというと、創価学会は宗教ではなく詐欺だから。これが創価学会の数々の矛盾に完璧に答えることのできる回答です。「創価はなんでこんななんだろう?」と学会員でさえ疑問に思うことがあるでしょう。でも学会員にはそれがなぜかはわからない。当然です。学会員は創価学会が宗教だと勘違いしているから。言い方を変えると、創価学会員は創価が宗教だと思わされているから。つまり騙されているからです。創価が宗教ではなく詐欺だという前提に立てば、創価に関する疑問の全てが綺麗さっぱり辻褄が合います。学会員は創価学会という詐欺に騙されているという自覚が持てない。持てないようにさせられているから仕方がないといえばそれまでなんですが、やはり学会員が抱く創価に関する矛盾や疑問は「創価は宗教ではなく詐欺だ」という前提に立たなければ、結局は創価脳のままに搾取され続けるだけなのだと思います。

昨夜、「少し活動家」というHNの方からコメントがありました。そのHNの通り、現役の活動家さんのようです。ぱっと見は落ち着いて話をされているようですが、これこそがいちばん多いパターンの創価脳なんだろうなと思いました。いつもの創価脳のコメントよろしく、やはり初めてのコメントだというのに挨拶も自己紹介もありません。このブログの冒頭に「このブログに初めてコメントされる方は、挨拶と創価との関係を中心にした自己紹介をしてください。」と提示しているのに、創価脳はそんなことはおかまいなしなんです(笑)コメントを書くということは、自分の考えを伝えようという意思があってのことだと思いますが、私が「挨拶や自己紹介のない方のコメントは承認しません。これはこの場のルール以前の、人として当然のマナーだと思うからです」といつも言っているにもかかわらず、創価脳のコメントは自分の感情のままに吐き出すだけ吐いて去っていきます。今回の「少し活動家」さんも、物腰は柔らかですが、完全な創価脳の典型といったコメントの内容ですね。挨拶や自己紹介がないので、コメントとして承認できませんが、今回のスレッド「これが創価脳」というテーマにふさわしいので紹介します。
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「少し活動家」    05/18/2017 11:46 PM

相変わらず馬鹿なことを書かれてますね。貴方の言い方で言うと創価学会の人はみんな自分の頭で考えないただの馬鹿みたいじゃないですか。どこたまに読ませていただいてますが、の世界」に自分の頭で考えない人間がいるのでしょうか?確かに色々な情報を知っているか知らないかの
差はあるでしょうし、ネットを見ないから創価に対する悪い情報を知らない人も多いでしょう。
でもネット情報のうち、どれが本当でどれが嘘かそれを正確に判断できている人もまた少ない
と思います。私から言えば逆にアンチの方々がネット情報の嘘に踊らされている部分も多いと思います。無疑曰信、創価の中で疑わないように仕向けられているといいますが、本当の無疑曰信とはそうではなく、疑って疑って、疑い尽くしてそれでも信じるしかないとの境地に至ることです。私も創価を疑って、疑問やら矛盾を沢山感じ、信じられなくなった時期がありました。悩んで悩んで自分の頭で散々考えて様々な情報も精査してその上でやっぱりこの信心、創価学会は正しいと結論しました。罰はないと言いますが、必ずあります。直ぐに出て来る場合もありますし、5年7年10年と経ってから現れる方が多いです。それでもまだ生きている間に出る方が軽いのです。私は創価に対する疑問と創価の内部での嫌な経験からネット上に批判を書いてしまっていました。その事に対する罰としかいいようのないことが現れたのが10年近く経ってからです。どれほど恐ろしい目に遭っているか、それがわかるから皆さんに苦言を呈するのです。
まだ生きているうちなら間に合うかもしれない。もうこれ以上愚かなことは止めた方がいいです。必ず後でわかる時が来ると思います
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私は別に「少し活動家」さんをさらしものにして、みんなで袋叩きにしようという気持ちはありません。私がこのブログを立ち上げるきっかけとなったのが、まだ私が学会員だったときに、創価の疑問をとある創価脳のブログにコメントした際に、さらしものにされ袋叩きにあったことでした。本当に異常な世界にいたんだと気味が悪くなったものです。だから私はそんな集団いじめのような愚かなことをするつもりはありませんし、私自身もかつては「少し活動家」さんのような考え方しかできない創価脳だったから、創価が詐欺だなんて言われても信じられない気持ちはよくわかります。でも、いったん創価が詐欺だと気づいてしまったら、もう後には戻れません。創価が詐欺ではない理由がどこにも見つからないからです。そして「少し活動家」さんもかつての自分のように、自分で考えることができなくなっている状態だということもよくわかるからです。

>相変わらず馬鹿なことを書かれてますね。

呼ばれてもいないのに初めてお邪魔する他人の家に上がりこんでの開口一番「相変わらず馬鹿なことを書かれてますね。」
さて、創価のどうのは関係なしに、知らない人がいきなり家に上がりこんできて「相変わらず馬鹿なことを書かれてますね」って言われたら、その家の人はどんな気持ちになるでしょう……といったことを、わりとつい先日話したと思います。これはぜひ少し活動家さんにもお聞きしたいです。初対面なのに挨拶も自己紹介もない見知らぬ人がやってきたら、少し活動家さんはその人をどう思いますか?私は「あ、他人の気持ちなど思いやれない常識のない人なんだな」と思います。思われても仕方ないですよね。少し活動家さんは何才ぐらいの方かはもちろん、男か女かもわかりません。そんな人が誰に何を言っても、初めから信用できない人でしかないのですから、あなたの話など誰が聞こうとするでしょう。そんなことも想像できないで他人のブログに平気で文句を言ったり「必ず後でわかる時が来ると思います」などと脅し文句の捨て台詞を吐く。これこそが非常識の自覚のない創価脳の典型だと思います。

>貴方の言い方で言うと創価学会の人はみんな自分の頭で考えないただの馬鹿みたいじゃないですか。たまに読ませていただいてますが、どこの世界に自分の頭で考えない人間がいるのでしょうか?

そうです、創価学会員はあなたのように「自分の頭で考えないただの馬鹿」です。はっきり言います。自分で考えているつもりで、何も考えていない。全て上から言われることを自分の考えて出した答えだと思い込んでいるだけの被洗脳者です。なんども言いますが、私も生まれて50年間そうでした。ここの皆さんもほとんどが程度の差はあっても創価に騙されてきて、やっとのことで騙されてきたことに気づいた方たちです。それも10人や20人じゃない。このブログに書かれている方だけでも大変な数ですよ。これ「考え」とか「見方」ではなく「事実」なんです。ここの皆さんは自分の体験として否定しようのない「事実」を書き込まれています。信じるとか信じないという話をしているんじゃないんです。創価に騙されて不幸になってしまったという数え切れないほどの「事実」を書かれているんです。事実ですから否定しようがありませんよね。この事実をどう考えるかはその人次第です。何年か後には必ずバチが当たるとか当たらないとか、
そんな幼稚な話をするところではないんです。でもね、創価脳がそんな幼稚な発想しかできないことも経験としてわかります。別に少し活動家さんに考え直してくださいなどというつもりはありません。少し活動家さんが創価を宗教だと信じ流ことに関しては誰であろうと止める権利はありませんからね。ただ私やここの皆さんは自分の経験上、自分で考えてもいいんじゃないですかとは言いたくもなります。だってどう考えても過去の自分とまるで同じ思考だし、今はその思考が自分の考えなどではなくて、完全に創価によって操作された創価に都合のいいだけの思考だということが手に取るようにわかるからです。つまり少し活動家さんは、創価が詐欺だと気づいた元創価学会員から見れば、絵に描いたような創価脳でしかないからです。
それと少し活動家さんも他の学会員さんと同じくバチに怯えてますよね。本当は「創価に背いたら不幸になる」という恐怖心でいっぱいだと思います。で、よく創価脳が口を揃えて言うのは「今はなんともなくてもそのうち大変な目にあう」「今は良くてもろくな死に方はしない」これが創価脳の紋切り型です。これって自分で考えたんですか?違うでしょ。組織の上から言われてることですよね。これ何を根拠に言ってるんですか?
人間、生きていればいいことも悪いこともあります。創価学会員がそうでない人と比べて特別幸せなんですか?そう聞くと、やはり創価脳の人は判で押したように「今は人間革命の途中だから」などと言います。中には「今世で過去の宿業を洗い流し、来世においては清らかな命になって生まれ変わってくる」などと言う人もいます。あれ?日蓮仏法って現世利益じゃなかったんですか?(笑)生きているうちに幸せにならないと意味がないって言ってませんでしたっけ?でもそれもこれも、どこの何を根拠に言われているのかも知らないで、適当に言い返してるだけですよね。

私はここで宗教の是非について語るつもりはありません。いつも言ってますが、誰が何を信じようとそれは自由です。何も信じないというのも自由です。このブログでは、創価学会という詐欺団体で多くの人が不幸になっていて、その当人が不幸であることすら気づけないでいるので、どうか気づいて本当の幸せを目指す人生を送ってくださいと言ってるだけです。その気づくことのきっかけになればということで、創価学会が詐欺だと気づいた人のより多くの実体験を書いてもらっています。

ということで、今回のテーマは「これが創価脳」とさせていただきます。
つまり「少し活動家」さんがおっしゃるように、「創価脳」とは「自分の頭で考えないただの馬鹿」だという「事実」を皆さんの過去の体験を通じてお話ししていただければと思います。よろしくお願いします。

ただそれを知らない。気づかない。考えない。疑わない。

前スレでの「自分で考えることができなかった」というのが覚醒された方に共通して言えることですよね。つまりは自分が思考停止状態に陥っているという自覚がないということです。
「この素晴らしい信仰がまさか詐欺だなんてあるわけない」「この信心に疑いを持つなんて自分の信心が足りないんだ」などと、基本的に疑うことを知らない。いや、疑うことを極端に恐れていたんですね。疑うということは自分で考えるということなのに、そのこと自体を極端に恐れるような精神状態になる。それはバチが当たるのが怖いという幼稚な発想もあるでしょうし、今までの人生を否定しなければならないという人生観を覆させられるという恐怖もあります。自分の人生において取り返しのつかない過ちを犯してしまった。それももう人生が終わりかけの時点で気づいてしまう。こんなに怖いこともないですよね。だから、多少はおかしいなと思うことがあっても、その恐ろしい思いを必死でかき消して何も考えないでいい活動に没頭してします。何も考えずに狂ったように唱題をしてアドレナリンを分泌させて多幸感に浸ることで現実逃避をする。考えてみれば若い頃の私はそんなことの繰り返しだったような気がします。なんであの若い時に徹底して自分で考えることをしなかったんだろう?そう思うと今でも悔しくてたまらなくなる時があります。まあタラレバ話をいつまでやってもどうにもならないわけですが(笑)、特にまだ若くして創価のインチキに気づいた学会員さん。決して怯むことなく、徹底的に自分の頭で考えてください。目の前の現実をありのままに受け止めてください。その現実が理想とかけ離れていたとしても、創価から言われていることと真逆のことであっても、それが本当の世界の姿なんです。逃げちゃダメです。創価の甘い罠に浸ってはいけません。ゆでガエルのように、自分に何が起こっているのかわからないままに死んでいくんです。草創期の幹部だった私の両親がそうでした。全てを創価に捧げ、現実は二の次。信心さえ愚直にやっていれば、必ず幸せになれると本気で信じていました。毎晩のように我が子を留守番させて会合や家庭訪問に走り回る両親でした。しかしそうやっても結局四人の子供のうち三人は覚醒しました。長男が一人だけ創価脳のままです。両親は幸せだったのか。長男は幸せなのか。別に創価ではない人と何の違いもありません。命に関わる事故に遭い、病気もし、財産は全て創価に貢いできた。他に何があるのかわかりません。
ネットが一般に普及するまで、創価のインチキが世に出ることはあまりありませんでした。創価に限らず、世の中の悪事は闇から闇へと葬られてきました。日本に限らず、世界がほんの一部の支配者によって動かされてきたことが、ネットによって暴露される時代となりました。パナマ文書やスノーデンは言うに及ばず、世界はほんのわずかな支配者が圧倒的大多数の人間を支配するシステムの中で営まれてきたということが明らかになりました。映画『マトリックス』はそんな現実の世界を象徴する恐るべき映画でしたが、一見、娯楽SFであるかのように見せて、実は現実の社会構造をはっきりと提示したものだと私は思っています。
知らない。気づかない。考えない。疑わない。疑うことをまるで地獄の所業のように徹底的に教え込む。そのうってつけのテキストが日蓮正宗の教義だったのでしょう。
ちなみに日蓮の教義の中心となっている法華経は、じつはヨハネの黙示録をセント・トマスがインドに宣教に行った際にサンスクリット語に訳されたものだという、年代もぴったりと符合する話もあります。そうすると法華経が本来の仏教とは真逆の一神教的な考えがベースになっていることにも合点がいったりします。しかしそれ以上にいろんな矛盾もあります。私がここでこんな話をするのは、その話の是非を議論するためではありません。宗教においては特に数千年の時間と何万キロという伝わっていくための物理的な距離があることです。何が本当なのか誰にもわからないんです。少なくとも法華経は釈迦の教えではないことは明らかだし、それ以前に釈迦とは一体何なのかもよくわかっていないのです。もちろんキリストについても同様です。余談ですが話のついでに「ミトラ教」で検索すると、世界の宗教に対する概念が変わるかもしれません。これもネットの時代になったからこその情報でしょう。特にキリスト教にとっては「ミトラ教」の存在は都合が悪かったのでしょう。あ、これはほんとに余談ですので、興味のある人は自分で調べてください。法華経が仏教であることすら何の保証もないんです。ただそれを知らない。気づかない。考えない。疑わない。そうやって人はとんでもないことであっても何も疑わずに信じてしまうのだろうと思います。それが楽だから。何も考えずに「幸せになれる」と信じている方が楽で気持ちがいいから。
なんども言いますが、人は何を信じようと自由です。信じないことも自由です。それこそ知ったことではありません(笑)。ただ知らない。気づかない。考えない。疑わないことで、本当は不幸なのに幸せだと信じて疑わない人生。つまり自分の人生なのに自分で生きることを放棄して生きる生き方が、果たして幸せなのかと「考えて」しまうんです。逆に言えば、創価にいれば何も考えないで「自分は幸せだ」と思い込んだままに歳を重ねることができる。気分だけは幸せなまま、じつは不幸のどん底に追いやられて死んでいく。これが創価学会員の現実なのに、その現実を知らない。気づかない。考えない。疑わないのが創価学会員だと思いました。
今回のテーマは前スレとかぶるんですが「ただそれを知らない。気づかない。考えない。疑わない。」とさせていただきます。
ここに来られる皆さんは、おそらく「考えて」来たのだと思います。普通そうです(笑)。何も考えないで言われたことだけを信じて生きていけば幸せになれるなんて、誰が信じますか?でも学会員さんはそうなんですね。そんなとんでもない人生観を柱に利用されるだけされながら生きているんです。私の両親も長男もそうです。思考停止にさせられて、いいように使い回されて、何も知らずに、知ろうともせずに死んでいくんです。
考えることは人間の崇高な精神作用です。もちろん他の動物も考えます。きっと植物だって考えてると思います。なるようになると漫然と生きているわけではありません。しかし創価学会員は自主的に生きることを積極的に放棄しているんです。人生の困難にぶつかったときに日蓮の教義を元にして自分の力で乗り越えているような気になっていますが、じつはそうじゃない。単にいいように使い回されて、骨の髄まで吸い尽くされてボロ布のように捨てられる。そんな人生を歩んでいることを知らない。気づかない。考えない。疑わない。ただそれだけの話なんです。
自分で気づくしかない。それには自分で考えるしかない。それには疑ってみる。目の前の現実を一度疑ってみる。そしてその疑っている自分という現実をきちんと受け入れる。そこからしか創価脳から抜け出す道はないような気がします。
「ただそれを知らない。気づかない。考えない。疑わない。」
このテーマで皆さんの創価時代を振り返って思うところを聞かせていただければと思います。
よろしくお願いします。

替え歌の部屋

ということで、ここは皆さんから創価学会に言いたいことや、学会員さんに気づいて欲しい思いを歌に託した替え歌と川柳のスレッドとさせていただきます。
よろしくお願いします。

自分で考えることができなかった

このブログは、創価学会員自体を非難したりするものではありません。一人でも多くの学会員さんに、自分が騙されていることに気づいてほしいんです。でも、学会員さんがこのブログを読んでもその真意は伝わりません。なぜなら創価を批判するものは魔だと思うように教え込まれているからです。そこに本人の考えや判断はありません。完全に創価から教えられた通りの発想でしかありません。自分で考えていません。自分で考えることは悪だと、さらに不幸になると信じ込まされているからです。今の自分がどんなに不幸でも、創価の言うとおりにしていれば、いつか絶対的幸福境涯になれるんだと教えられていて、そのことを信じる以外に自分の生きる道はないと思っています。
学会員さん。創価学会に入会して、活動やって、聖教新聞を購読して、その他の出版物や民音のコンサートチケットやDVDを買って、毎年毎年財務のお金を貢いで、選挙のたびに嫌われるの覚悟で公明党の票をかき集めても、絶対に幸せになんかなりませんよ。それがなぜだかわかりませんか?それは創価学会が宗教ではなく詐欺だからなんですが、ここで100歩も1000歩も譲って、創価学会が宗教だと仮定しましょう。もしそうだとしても、活動やって、聖教新聞を購読して、その他の出版物や民音のコンサートチケットやDVDを買って、毎年毎年財務のお金を貢いで、選挙のたびに嫌われるの覚悟で公明党の票をかき集めても、絶対に幸せになんかなれるわけないんです。なぜか?そんな活動や寄付は幸せになるための宗教行為じゃないからです。どこの世界に組織にお金を貢げば貢いだだけ幸せになれるなどという宗教がありますか?あるとすればそれは詐欺です。だから創価学会は詐欺でしかないんです。創価にお金を出して幸せになれるんだったら、創価学会員はとっくの昔に幸せになっていないとおかしいですよね。あなたの周りで創価にお金を貢いで幸せになっている学会員がいますか?このブログには散々創価にお金も時間も貢いだあげく、家族を失い、財産を失い、社会的な信用さえも失ったという実体験がたくさん寄せられています。この事実をどう説明できますか?それでも創価にお金も時間も貢げば貢ぐだけ幸せになれるという根拠と実例を示してみてください。そう思っているだけではないですか?なんとなくそうであってほしいから、いつの間にかそう思い込んでしまっている。そしてこれまで相当なお金と時間を創価に貢いでいるものだから、自分がやってきたことをそう簡単には否定できないからなのではないでしょうか。だってバカみたいですもんね。良かれと思ってやってきた。家族にも友人にも、良かれと思って勧めてきた。自分の子供に至っては、生まれた途端に入会させ、無理やりでも勤行唱題をさせ、しなかったら不幸になると脅し、まともな価値観を持てなくしてしまっているんですから、自分の人生がそんな恐ろしいものだったなんて考えたくもないですよね。でもね、これが真実なんです。創価学会は宗教ではなく、人を疑うことを知らない善良な人をまんまと騙してお金と時間を徹底的に貢がせる凶悪な詐欺集団なんです。そして会員はそレとは知らずに騙される側から騙す側に回ってしまい、さらに被害の輪が大きく広がってきたのが創価学会の現実なんですよ。信じられないでしょうけど、現実を直視すれば、創価が詐欺だということは小学生にだってわかることなんです。
もう一度、最初の質問をします。
創価学会に入会して、活動やって、聖教新聞を購読して、その他の出版物や民音のコンサートチケットやDVDを買って、毎年毎年財務のお金を貢いで、選挙のたびに嫌われるの覚悟で公明党の票をかき集めても、、絶対に幸せになんかなりません。学会員さん、それがなぜだかわかりませんか?
こんな質問について考えたこともないでしょ。そうです。考えないようにさせられているから考えたことないんです。学会員さんはこんなこと考えずに、活動やって、聖教新聞を購読して、その他の出版物や民音のコンサートチケットやDVDを買って、毎年毎年財務のお金を貢いで、選挙のたびに嫌われるの覚悟で公明党の票をかき集めているんです。
学会員さん、一度でいいですから自分でこのことについて考えてみませんか?
つまり、創価学会の活動を真面目にやっているのに、いつまでも幸せにならないのはなぜだろう?そして今までどうしてそんなことを考えたりしてこなかったんだろう?
大切なのは、自分の人生について自分で考えることをしてこなかったことに、少しも疑問を感じていないという事実です。そこに気づきましょう。そして創価学会は会員に対して考えることをさせないようなシステムだということに気づいてほしいんです。日々の活動や会合で、自分の人生について考えているようで何も考えていないということに気づいてほしんです。学会員さん、日々の活動や会合では、何を考えていますか?自分はいかに創価の言うとおりにできているか?でしょ?創価の言うとおりにしていれば絶対に幸せになれるという前提で、自分で考えたりしちゃいけないんだと、自分で考えることを自分で否定する日々ではないですか?昔の私もそうでしたからよくわかるんです。それでもときどき自分で考えて、創価に矛盾を感じたりすることもありました。でもすぐに自分の考えが間違いなんだと自分に言い聞かせていました。余計なことを考えずに、御本尊の力を信じてやっていこう!と自分を思考停止に持って行っていました。自分で考えさせない。人の心をコントロールする最強の方法だと思います。そして創価学会は見事にその方法によって、ものすごい数の善良な人々からお金と時間を奪い取り、不幸にしてきました。不幸の連鎖を繰り返させてきたんです。
ということで、今回のテーマは「自分で考えることができなかった」とさせていただきます。つまり創価が宗教ではなく詐欺だと気づかなかったのは、自分で考えることができないように仕向けられていたんだと言うことですよね。だから、みなさんの活動家時代に、いかに自分で何も考えていなかったのかという体験。さらに自分で考えようとした時に襲ってくる恐怖について、そのまま語っていただけたらと思います。もしかしたらこれを読んでいる学会員さんの心に「そういえばそうだよね」という共感が生まれれば、そこから「自分で考える」ことが始まるかもしれません。というか「自分で考えることをしていない自分」に気づくことが、覚醒への第一歩ではないかと思うんです。なので、みなさんの過去の「考えなかった時代」や「考えようとして襲ってきた恐怖心」についてリアルに語っていただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。

創価の幸せ

創価学会が宗教ではなく、多くの会員からお金をだまし取り、不幸にしていくだけの卑劣な詐欺団体であることは、もはや疑う余地などありません。それはこのブログに寄せられている多くの創価学会経験者の真実の声だけでも明らかです。このブログに寄せられた2万件以上のコメントの全てを読まなくても、普通の人であればすぐに理解できることです。しかし創価に洗脳された学会員は、これらの事実を前にしても認めようとしないばかりか、人によっては激怒して感情的なだけの言葉をぶつけてきたりします。詐欺であることの証明は、このブログにいくらでもなされています。そして創価学会が正しい宗教であることの客観的な説明は不可能です。なのに創価学会が正しいと信じ込んでいる活動家は、何の根拠もないままに信じきっています。その結果どうなるか。会員はただただお金を差し出し、労働力を提供し、近隣住民には嫌われ、家庭は崩壊します。学会員同士だけのコミュニティでメンタルを保っています。ひとたびそのコミュニティから抜け出す者が現れたら、反逆者扱いで罵倒し、陰口を広げます。創価のコミュニティの多くが所詮そのような人間関係です。このように創価学会員が極端な選民主義の考えに陥ってしまうのも、日々の活動の中で意図的に洗脳されてしまったことが原因であり、もともとからそのような人間の集まりではないこともよくわかります。創価学会が宗教ではなく詐欺団体だということに気づき、脱会し、通常の生活を取り戻すことができた人は、おしなべて何の問題もない社会生活を営むことができているからです。もちろん、創価を脱会できたからといって幸せになれるかどうかは別の話です。創価によって不幸になるということから逃れられたということではあっても、それ以外に関しては一般の人と同じような問題があったり、人間関係で悩んだり、病気や仕事のことで悩んだりするのは当然のことです。
創価を信じていると、そうした人間の幸不幸の全てが信仰によって決まるのだという価値観で物事を見てしまうという特徴があると思います。「なにごとも信心で受け止める」と常日頃言いくるめられていては無理もないことなのかもしれません。いいことがあったら信心のおかげ。悪いことがあったら魔が競った、あるいは信心が足りないから。病気になったら信心を試されている。治ったら功徳。治らなかったら信心が足りない。夫の給料が上がったら信心した功徳。上がらないのは信心が足りないから。子どもが大学に入ったら功徳。落ちたら信心が足りないから。いづれにせよ、全てはこの信仰をしているから幸せになっていて、不幸なことは全て信心が足りないことにしてしまう。問題は、それで全てに納得してしまって、それ以上のことを考えずに、ひたすら組織のいいなりになろうとすることだと思います。財務をすればするほど幸せになれる。何が幸せなのかを考えようとはしません。とにかくお金を出せば幸せになれるそうだから、何が何でもお金を出そう。疑ったら功徳がなくなるそうだから疑ったりしないようにしよう。功徳がなくなるどころか不幸になってしまうから恐ろしい。こうやって思考停止だけではなく、創価に貢がなければ不幸んあるという強迫観念に縛られて生きていくことになります。そんな恐怖の毎日が不幸だとも思えないでいます。むしろ無心に創価を信じること自体に幸せを感じているのです。
いわゆる創価脳がこれにあたるわけですが、創価脳は自覚症状がありません。創価が世界で唯一人間が幸せになれる宗教だと信じています。世の中にはどれだけの人がいて、世の中の人のどれくらいが創価の信仰をしているのかなんて考えもしません。と言うより、今は創価学会員が世界に増えていて、近い将来、創価の信仰によって世界が平和になると信じています。世界の宗教分布を知ろうともしませんし、創価学会の世帯数が何十年も827万世帯であるとの発表に何ら疑問も感じません。創価学会が世界に広がっていると言われながらも、自分の地元の組織が増えていないことにも何の疑問も感じていません。都合の悪い事実には徹底的に蓋をします。いわゆる創価シャッターです。そして創価の批判をされたと思うと、普段は温厚な人でも、人間が変わったように激昂するのが創価スイッチです。もちろん冷静な対話などできるわけがありません。思考停止の創価脳、コミュニケーション不全の創価シャッター、人格崩壊の創価スイッチ。この創価三大特徴を持っているのが創価学会員です。やっかいですよね。こんな人が一人でも自分の家族にいたら、そりゃ幸せな家庭など築けるわけがありません。

今回のテーマは「創価の幸せ」とさせていただきます。
いったい創価学会員にとっての幸せとは何か。みなさんが創価学会員として活動してきた中で感じていた「幸せ」について思い出して語っていただきたいです。何も考えずに創価の活動を一生懸命にしていけば必ず幸せになれると言われてきて、その通りに信じてやってきた方ばかりだと思います。「あのとき何が幸せだと思っていたのか」あるいは「幸せだったのか」あるいは「きっと幸せになれる」と信じていたのか。いろいろな観点があるとは思いますが、幸せになれると信じて頑張っていた学会活動が、何かのきっかけによって「あれ?これって幸せのためなの?本当に幸せになれるの?」と自ら考え始めた瞬間から覚醒が始まったのではないかと思うんです。つまり、幸せについて自分で考え始めたところから、覚醒が始まり、創価に対する疑問を隠しきれなくなり、さらに自分で考える機会が増えた結果、人として当たり前の価値判断が次第にできるようになり「創価はおかしい」が「創価は詐欺だ」ということの結論にたどり着いたのだと思います。
「幸せってなんだっけ?」と考えるのは人として当然なのですが、創価ではその答えをはじめから用意しています。「何も疑わずに創価にお金を出せば出すだけ幸せになれる。これを疑ったら不幸になるだけ」こんなこと普通の人間が信じるわけがないのですが、これを宗教を利用して巧妙に信じさせてきたのが創価学会のやり口なんですね。ちょっと冷静になって考えれば創価が詐欺だと誰でもわかることなのに、それがわからなくなる。あるいは生まれたときから親にそう言い聞かされ続けてきたら無理もありません。
ということで、今回はあらためて皆さんが創価時代に考えていた『幸せ』について聞かせてください。
よろしくお願いします。

本部職員に告ぐ 2

ちょっと重いテーマが続きましたので、今回は少し軽やかに行ってみましょう。

去年の1月に「本部職員に告ぐ」というテーマでみなさんにお話をいただきました。

今回はその続編となります。

ちなみに去年は

「詐欺団体創価学会の本部職員というのは、会員を騙すのが仕事なわけですが、騙そうと思ってやってる職員と、自分もまんまと騙されてやってる職員がいるみたいですね。騙す職員と騙される職員。どのあたりで別れてるんでしょうね。少なくとも騙している自覚のある職員というのは、ものすごく人生割り切ってますよね。きっと「騙されるほうが悪い」と自分に言い聞かせているんでしょう。それにしてもそんな人生で良しとしている本部職員の気が知れません。自分の子どもにもそんな人生を歩ませて平気なんでしょうか。それとも自分の子どもだけは創価に関わらせないようにしてるんでしょうかね。その点、騙されているとは知らずにせっせと働いている職員というのが、あの3人組みたいな人たちなんでしょうね。自分が人を騙していることさえわからないで、というか人のために頑張ってると思っているんだから救いようがないです。」

といった内容です。

どうやらこのブログは創価の職員もチェックしてそうです(笑)

なので、今回はこのブログをチェックしている創価の職員さんに向けてピンポイントでみなさんからのメッセージをお願いします。創価を批判しているブログなどをチェックする仕事ですから、創価にとって何が都合が悪いのかを知っていなければ仕事になりません。そして創価の何がおかしいかもわかっていなければ仕事にならない。つまり一般の会員のような創価脳では仕事稲荷様がないんですよね。もし創価が正しい宗教で、何一つやましいところなどないのであれば、そもそもアンチブログのチェックなど必要ないわけです。アンチが何を言おうが、どんなデマだろうがほっとけばいいんです。でも実際にはある。創価にダメージを与えるかもしれないようなアンチブログがないかチェックしている。つまり創価は知られるとまずいことがあるってことですよね(笑)

毎日毎日アンチ創価ブログをチェックする仕事をしているそこの創価職員さん。このスレッドでは、元創価学会員が特別にあなたに向けてメッセージを差し上げます。普段から見てるでしょうけど、今回はあなたについて直接語りかけますので特によ〜く読んでくださいね(笑)そして言いたいことがありましたら返事のコメントもお待ちしてます。ただし、本当に創価の職員であるかどうかを証明してもらわないと載せられませんので、それなりに工夫して書いてくださいね(笑)

それから、もう一つ、元創価の職員をしていたけど、創価が詐欺だと気づいてやめた方がいらっしゃいましたら、ぜひコメントをしていただきたいです。これも元職員だと判断できるような記述をしてください。身バレが怖い人は、前スレのBARONさんのように、いったん非公開で私にだけわかるようなコメントをしていただいてからでもいいです。

ということで、今回は創価の本部職員、とりわけ普段からここのようなアンチブログを読むことを仕事にしているような、創価が詐欺だと知っていながらも創価から給料をもらって詐欺の仕事を続けている職員さんに対して、みなさんから言いたいことを募集します。どうかよろしくお願いします。

 

話したいことは話してください 2

ということで、今回も引き続き「話したいことは話してください 2」というテーマで、自分が体験した創価学会を言いたいだけ言ってください。ただし、基本的に自分の体験に基づいた話に限ります。聞いた噂だとか、感情的な人格否定はご遠慮ください。あ、でも「アホんだ〜ら」とかの可愛いやつならOKですよ(笑)

前スレで、ルフランさんがものすごい体験談を書いてくださいました。これはちょっとやそっとの覚悟では書けない内容です。まだ読まれていない方は、前スレのコメント欄を是非読まれてください。

このブログを始めて5年半。ちゃんと数えてはいませんが、このブログにたどり着いて、創価が宗教ではなく、ただの悪質な詐欺だったことに気がついて脱会した方が、本当にたくさんおられます。まだ脱会まではいかなくても、折を見て脱会しようとしている方もたくさんおられるようです。創価学会員はどう考えても確実に減っています。公明党の得票数の現象を見ても明らかですし、新年勤行会の参加状況を見ても明らかですし、各地の座談会会場の顔ぶれを見ても、これで「創価学会が世界に広がっている」なんて真顔で言える人はいないでしょう。いないはずなんですが、創価脳の人たちは何がなんでも「創価学会が世界に広がっている」と言い張ります。それは「創価学会員でも幸せになってないじゃないか」と問い詰めても「それはみんな人間革命の途中だ。過去世において背負うことになった宿命を、この信心によって転換しようと頑張っているんだ」と苦し紛れの返答しかしません。では創価学会ができて80年以上も経つのに、その宿命転換できた人がどこにいるのかと聞いても答える学会員はいません。きっと死ぬまで宿命転換のための戦いをして、死んだ途端に宿命が転換されて来世では健康な体で幸せな家庭に生まれているんだなどと、またまた証明のしようのない、誰も見たこともない苦し紛れの言い訳しかできません。創価の信仰で功徳があるなんて、誰にも証明できないし、誰も見たこともないんです。一方、創価学会員になって活動したために、全財産をなくし、病児になってもまともな医療も受けずに、苦しむだけ苦しんで死んだ多くの学会員がいることは、紛れもない事実です。ではこの事実を学会員はどう説明するのか。できるわけがありません。またもや「人間革命の途中」ですか?(笑)
池田大作はよく「生きている間に幸せにならなくちゃこの仏法の意味はない」と言っていました。そりゃそうですね。でもその池田が生きている間に幸せになったでしょうか?一体創価学会で誰が幸せになったのか教えてほしいものですよね、学会員さん。

ということで、このスレッドでは、創価学会の活動をして、こんなに不幸になりましたという体験もどんどん書いてください。もちろん、創価学会でこんなに幸せになりましたと言いたい創価学会員さんも書いていいですよ。書くことがあればの話ですけどね。

話したいことは話してください

このブログは、創価の実態を実際に創価学会員として活動してきた方の体験として話していただくという方法で、創価学会が宗教団体ではなくただの詐欺集団であって、会員は宗教にありがちな「特別な力」を信じ込まされて、お金や労働力を奪い取られるという現実に気づいていただくための場所です。
創価学会が会員に対してやってきたことが、あまりに卑劣であるがゆえに、創価に騙され、自分の人生のほとんどを台無しにしてしまい、さらには家族や友人をも失ったり傷つけてきたことに対する罪悪感をどうすることもできずに悩んでいらっしゃる学会員と元学会員が驚くほどたくさんいらっしゃるということが、このブログに寄せられるコメントによってわかります。
また、客観的に創価の実態を知るにつけ、創価へのそうした批判が、まるで自分を否定されているかのように感じてしまう方もたくさんいらっしゃるようです。逆にそうした方に配慮しすぎて、創価の実態についての話ができなくなっては、このブログの存在理由もなくなってしまうように思います。問題が問題ですから、創価の批判が自分の人生の否定としか捉えられない方にとっては辛すぎる話かもしれません。しかし、辛いからといって現実から目をそらしても、これまでと同じだと思います。創価を体験し、覚醒した方は、それぞれに超えなければならない精神的な重荷を背負っていらっしゃると思います。私も含め、ここに話をされている多くの方が、そうした辛さを受け止め、乗り越え、さらにこうした卑劣な詐欺が生き延びていかないように、声を発し続けてくださっている方に深く感謝申し上げます。
知らなかったこと、騙されていたこととはいえ、創価学会員として活動していた方は、大なり小なり社会悪の片棒を担いできたという現実は、きちんと受け止めなければいけないと私は思います。このブログを見て、辛くて耐えられない方は、無理に読んでくださいとは言いません。しかし覚醒した方が現実に向き合うにはショックが大きすぎるからといって、創価がやってきた卑劣な行為をオブラートに包むことは断じてあってはならないとも思っています。
ここで語られているのは創価学会の現実に対する批判であり、現実的な被害の内容です。学会員の人格を否定するものではないし、コメントを書く中でそうした表現になってしまうことに対しては注意をしてくださいということをブログのトップに書き加えました。創価を批判すると覚醒した人が傷つくからほどほどにということではなく、何が良くて何が悪いのかを明確にした上で、しっかりと創価の批判をしてくださということです。それでも自分が批判されているようにしかとれなくて辛くて読めないという方は、逆に読まないでいただきたいです。もちろん読む読まないはこのブログに限らず個人の自由です。このブログを読むことが自分にとって何になるのかを明確にしていないと、内容が内容なだけに、人によってはただただ自分を否定されているだけのものでしかない場合もあると思います。それはあくまで自分の判断で、自己責任でお願いします。
また、ここで創価批判をするにあたって、思いのほか傷ついてしまう人がいるいるかもしれないという理由で、言いたいことが言えないということになってはいけないと思います。ここはとても難しいところだと思いますが、創価に関わってきた自分が体験したこと、そして覚醒してからの心の変化については、できる限りそのままを話していただきたいと思っています。
このブログの中で再三述べていますが、私はこのブログにコメントをくださる多くの方と同じように創価に騙された人間の一人でしかありません。何か特別なことができたり、軽やかに創価から脱出するための方法を知っているわけでもありません。比較的短期間で創価から去ることができましたが、創価が詐欺であって、騙された自分の人生の取り返しのつかなさに精神のバランスを崩してしまい、未だにうつ病の症状に悩まされている状態です。うつの症状とはもう一生付き合っていかなければならないだろうなと思っています。それが自分の現実を受け止めることでもあるんだろうなとも思っています。せめてもの救いは、このブログの存在によって、創価が詐欺であることに気がついてくれる学会員さんが確実に増えているということです。これはある意味、自分がやらかしてきたことに対する贖罪のようなものだという気もしています。自分にできるせめてものことだと思っています。
そこで今回のテーマは、「話したいことは話してください」です。それが創価の被害者を一人でも減らす方法だと思うからです。そりゃそんなひどい創価に自分もいたのであれば、辛くなるのは当然です。でもそれを乗り越えなければ何も解決しないと思っています。だからそのことで大なり小なり創価だった自分の現実に傷ついたりするのは覚悟しないといけないと思うんです。それは仕方のないことだし、ここで避けたからといって、それは問題を先延ばしにするだけのことなのだろうと私なら思います。もちろん今は先延ばしにしないとまずい人もいらっしゃると思います。それは自分で判断してください。読んで辛い思いをしてしまっている方へはそう思います。
ここにコメントをされている方、あるいはこれからしてみようと思っている方は、どうぞ「話したいことは話してください」ということです。現実を話してください。実際に思ったことを話してください。それは何一つ遠慮しないでいただきたいのです。ただ言葉に注意してください。感情的になる場合もあると思います。しかしこの場にいらっしゃる方への個人攻撃や感情的な批判の言葉は何も生み出さないばかりか、この場をぶち壊しにしてしまうからです。そのことに注意をしていただければ、特別に気を使う必要もないと思います。
以上、長くなりましたが、このブログにコメントを書いていただく際に注意していただきたいことを述べました。要は言いたいことはどんどん言ってください。ただここにいらっしゃる方への個人攻撃につながるような言葉は慎んでいただきたいということです。どうかご理解とご協力のほど、よろしくお願いします。

で、この今回のテーマ「話したいことは話してください」ですが、今回はそれぞれに自分が特に創価についてこれだけは言いたい!ということを話していただければと思います。そりゃもちろん言いたいことはいくらでもあると思います。それは私も同様です。そこであえて創価に物申すとすれば、自分は何を言いたいのだろう?ということをあらためて考えていただいて話していただければと思います。そのことによって創価の何が問題なのかが見えてくるかもしれません。それは創価の誰に対して言いたいのかということで言いたいことの内容も変わるでしょう。池田大仏本人に言いたいことなのか、会長とその周りの最高幹部に言いたいことなのか、本部職員なのか、地元の学会員なのか、創価から甘い汁を吸わせてもらっている関係企業なのか、人によっていろいろだと思います。もちろんいろいろでかまいません。いろいろあるけどこの人にこれだけは言いたいということを書いてみてください。よろしくお願いします。

創価後遺症について

このブログは6年目の途中になります。昔ほどではないですが、今もときどき何年も前のスレッドにわけのわからないコメントが来たりします。本当にときどきですけどね。内容はこのブログに対する現役学会員からの批判です。もちろん挨拶も自己紹介もないし、言葉遣いもめちゃくちゃです。ほぼ100%が現役学会員からのコメントです。昔は全く関係ない人からの面白半分のコメントもありましたが、今ではほぼありません。ウンコタレも来ないようです(笑)それだけこのブログがどんなものなのかが認知されてきたのだと思っています。しかし現役学会員だけは話は別です(笑)。相変わらず「かわいそう」とか「地獄に落ちる」とか「本当の信仰を手放すなんて愚かな人たちだ」とか「もう一度大聖人の仏法を学んではいががですか」とか、ほとんど似たり寄ったりの言葉だけが並んでいます。多分、たまたまネット上でここの過去のページに行き着いて、創価批判を目にした途端スイッチが入って書かずにおれなくなるんだろうと思います(笑)。判で押したようなと言いますか、ステレオタイプと言いますか、紋切り型と言いますか(みんな同じですが笑)、あらためて思うのは、創価脳になってしまうと、思考が止まるせいか、みんな同じことしか言えなくなるんですよね。それも上から言われたことをそのまま繰り返すだけの人間になってしまいます。それがいいことか悪いことかの判断すらできないまま、そして創価だけが幸せになる道であって、そうでない人はいずれ不幸になると思い込んでます。現実に不幸になってないことを指摘しても「いずれは不幸になる」としか言いません。創価で幸せになった人がいるのかと指摘しても「今は人間革命の途中だと口を揃えて言います(笑)つまりみんな途中だからまだ幸せにななっていないけど、最後は必ず幸せになるんだと言い張ります。こんなことをいい大人が真顔で言うんですから、一般の人たちから頭おかしいだろって思われても仕方ないんですけど、そこはなんとも思わないのも創価脳の特徴ですね。言う口は持っていても聞く耳を持たないのが創価脳です。つまりそんな人間に仕立て上げられていて、その自覚すらないということですよね。で、私たちが創価が詐欺だと気づいて脱会できた今でも心に深く傷を負ったままでいるのは、かつて自分もこのような思考停止人間であり、なおかつ自分たちだけが何でもわかっていて、自分たち以外の人間はカスだと見下しながら生きてきてしまったことです。もちろんおもて立って他人を見下すような発言をしてきたつもりはないのですが、ときとしてそのような思考が態度や言葉尻に漏れ出てしまってきたんだろうなと思い返しただけでも自己嫌悪に陥ってしまいます。たとえ騙されてきた被害者なんだと自分に言い聞かせたところで、失った人生を取り戻すことはできないと思うと、さらに凹んでしまいます。
なんでこんな暗い話をするのかと言いますと、こうしてみなさんとの対話を通じて、なんとかこれから生きていける希望を見出せたということも大きいですし、人それぞれに事態の深刻さもそれぞれだということを思いやりながらコメントしてほしいなと思っています。創価脳を同居する家族にもつ方の毎日は、それこそそれだけで大変な心労だと思います。普段の生活は普通でも、何かあったときの価値観や選択肢がまるで違ったりすると、これは単なる価値観の違いではなく、自分の大切な人が明らかに騙されているということを目の当たりしてしまうので、その出口のない迷路に閉じ込められたような閉塞感もたいへんなものだろうと思います。覚醒したからといっても、すぐには辞められない方のなんと多いことか。そしてそんな方の悩みのなんと深いことか。
「嫌だったらやめればいいじゃん。なんでそれができないの?ははあ、本気じゃないんだ。もしかしてやめたらバチが当たるとか思ってんじゃないの?」こんなことは人から言われたくはないでしょう。
もう何十年も前に覚醒して、脱会も完了した人でさえ、このブログでの対話をされている方も多いです。コメントしないまでも、脱会して創価と関わることもないのに、ここの皆さんの言葉が気になってしょうがなくて、しょっちゅう覗いていらっしゃる方も多いと思います。覚醒し、脱会してもなお、創価であったことに対する傷というものは、そう簡単には癒えないと言うことの証拠だと思います。覚醒し脱会できた人でさえそうなのですから、まだ創価が宗教なのかもしれないと少しでも思っている人にとっては、ものすごい葛藤があるのだろうと思います。もし創価が詐欺だとしたら、自分のこれまでの人生は何だったんだ。必ずここを通らずにはおれないと思います。通らずにうまいことやっていこうとすると、ポン太さんや紅さんのような、創価はおかしいと思うがそれに関わってきた自分の人生までも否定できないというジレンマに陥ってしまうのだろうなと思います。
創価学会は詐欺であり、それに騙されてきたのが自分の今までの人生だったのだと受け入れること。確かに辛いのかもしれませんが、これを受け入れない限りは本当の覚醒はないだろうし、そこから一歩も前へは進めないのだろうと思います。覚醒したから、脱会できたから、これでめでたしめでたしではありません。どなたか数人の方が創価への復讐は脱会後の自分が幸せになることだと言われていましたが、それも一つの生き方であると思います。創価時代に創価に引き入れてしまった友人に会って、全てを話して謝罪することも、これからの脱創価の人生を始めるにあたってのくぐらなければならない門なのかもしれません。覚醒後のショックをどうやって克服し、創価後遺症から抜け出すにはどうしたらいいのかわからないまま何年も悩んでいる方もたくさんおられると思います。
今回のテーマは「創価後遺症について」とさせていただきます。決して後遺症の解決法を教えてくださいということではありません。そんな簡単なことではないこともよくわかります。これまでの皆さんのお話と随分とかぶるとは思いますが、あらためて自分が感じてきた創価後遺症がどんなものなのかを具体的に教えてくださるだけでいいんです。きっと同じ思いで悩まれている方がたくさんおられると思います。その思いを共有できるだけでもいいと思うんです。具体的な解決策を箇条書きにするなんて野暮なことはしません。皆さんが実際に感じてきた覚醒後の辛い体験をいまいちどこの場でお話ししていただければと思います。その辛かった過去、あるいは現在の思いが誰かと共有できたと感じるだけでも意味はあると思っています。よろしくお願いします。