創価脳でもわかる創価の疑問その4 なぜ創価脳(思考停止)になるのか?

創価脳でもわかる創価への疑問シリーズ第4弾は「なぜ創価脳(思考停止)になるのか?」です。

おそらくこのブログで初めて「創価脳」という言葉が生まれました。みなさんとの対話の中で自然と生まれた言葉です。創価学会に入ったばっかりに「創価脳」になってしまった。これは自然となるのではなく、明らかに創価学会という組織が意図して会員をそのような思考しかできないようにしているものと考えられます。

これは創価がおかしいと感じて、自分の頭で考え出してから、創価が実は詐欺だったんだと気づいた方ならよくわかることだと思います。おそらく催眠術にかかって、わけのわからないことを平気でやっていた人が、催眠が解かれて「今まで自分はなんでこんなものを信じていたのだろう?」と驚くようなこととよく似ている気がします。

だから、創価学会に入会し、言われた通りに毎日勤行唱題し、会合に参加し、各種グループの活動にも積極的に参加し、一人で何部も聖教新聞という名の会報を購入し、ノルマとして回ってきた書籍や民音のチケットをしぶしぶ購入し、毎年「お金を出せば出すほど功徳がある」という言葉を信じて、持てる限りのお金を差し出したり、「公明党の票をとればとるほど功徳がある」と言われて、友人を失ったり、勤め先での信頼を失ってでも公明党の票をとることに熱中する。

こうした世間一般の常識からは考えられないようなことを、創価脳になるとなんの疑問も持つことなくやってしまいます。そして友人や職場の人からドン引きされても「正しいことをやっているから嫌われる」などとわけのわからない理屈で自分を納得させています。

よく創価学会の会員の間で交わされる言葉に「信心で捉える」というものがあります。普通に考えて理屈の通らないことが活動していく中で起こったとしても「それは信心で捉えましょう」との言葉で、それがなかったことのようになってしまいます。平和を基本理念とする公明党がイラク派遣や安保法案を強行採決したことに疑問を持って幹部に質問したら「確かにそうかもしれないが、そこは信心で捉えましょう」との指導?で、問題をうやむやにされてしまいます。公明党のことの限らず、創価にはいくらでも理屈に合わないことが溢れているのですが、会員がどんなに疑問を持ったとしても「そこは信心で捉えて、お題目を上げきって、池田先生にお応えできる人材になりましょう。それがあなたの使命であり、あなたが創価学会員として生きることの意味がここにあるのです」などと煙にまきます。それでも納得できない会員には恐ろしい罰論で脅しまくります。そうやってたいていの創価脳は再度洗脳されて、どんなこかしなことがあっても自分で考えたりしなくなります。どんなにおかしなことでも「信心で捉える」の一言で、思考停止になるわけです。それは創価の信仰が世界で唯一の正しい信仰であると思いたいからです。もし自分の信仰が間違っているといった可能性がちょっとでも感じられたら、不安で不安で仕方ないでしょう。夜も眠れなくなるでしょう。自分の人生を自分で否定することになるんですからね。だから創価が正しい宗教であることは、創価脳にとっては何がどうあっても譲れないんです。譲ってしまったら自分の人生はただ単に詐欺に騙されてきただけのものだったという恐ろしいことになるんですからね。

このブログで「創価脳でもわかる創価の疑問」というのは、ちょっと矛盾しているんです。創価の疑問を疑問として捉えることができれば、それはもう創価脳ではないんですよね。だから創価脳にでもわかる創価の疑問なんて存在しません。疑問に思ったその瞬間に創価脳ではなくなります。その意味を込めて、あえて矛盾したタイトルをつけています。つまり「創価脳のみなさん!どうか創価に創価に疑問を持ってください!」という願いを込めたタイトルです。

その第1弾として、誰にも確認できる「創価学会員は実際にどれくらいお金を出しているのか」という事実をみなさんに教えていただきました。普通の家庭でも10年、20年で1000万円は出している。多いところでは億単位で出しているところも少なくないということがはっきりしました。その金額は創価の職員の給料や会館の建設維持費や運営費などを考慮しても、桁外れな多額の金額であることがわかります。ではその国家予算なみのお金を何にどれくらい使っているのか?そのことを創価学会はただの一度も公表しません。公表できるわけがありません。公表したら創価学会は一発で消えて無くなるからです。これだけは何があっても知られたくない。だから公明党を作ったんです。そして国会や警察や裁判所にたくさんの創価学会員を送り込み、集めたお金の一部を暴力団に渡して、創価のお金が何に使われているのかバレないようにしてきました。それには政府自民党に楯つくわけにはいきません。宗教法人に課税できれば、国の借金は簡単に解決します。それがされれば創価学会は莫大な額の税金を取られるだけではなく、収支も公表しなければならなくなります。これを何としてもくい止めたいがために、自民党のいうことには逆らえません。これは統一教会などの朝鮮系組織にしても同じだし、ただこの辺りの支配、被支配の構造はわかりません。誰が支配者で誰が被支配者なのか。これはこのブログではこれ以上は関わらないことにしています。取り上げたとしても意図的に怪しいい陰謀論で片付けられてしまうし、みなさんからの貴重な証言の信憑性にも関わってきますので、ここでは創価学会の詐欺の部分だけに特化して、創価学会を潰すことではなく、一人でも創価の被害者を減らしていくきっかけになるブログとして続けていきたいと思います。

第2弾として「会員は幸せになったのか?」というテーマで、創価経験者のみなさんが実際に経験してきた、その目で見てきた創価学会員の現実を語ってもらいました。創価で幸せになった人はいません。自分は創価で幸せだと思っている学会員はたくさんいます。それは思っているだけであって、実際の生活は悲惨である場合が多いということも、みなさんの報告ではっきりしました。

第3弾は「なぜ選挙活動が功徳になるのか?」というテーマでした。これはもうその通り。学会員さんは「公明党の票をとればとるだけ功徳がある」と本気で信じて、家庭のことなどないがしろにして、自分がとったFの数に執着します。そのFの数が功徳の数であると思い込まされているんですね。これのどこが信仰なのか、普通に考えればわかりそうなものなのですが、「ここは信心で捉えましょう」という魔法の言葉で疑うことがなくなります。そしてみなさんからは、創価学会員がどれだけおかしな選挙活動をしているかという現実を報告してくださいました。

そこで今回の第4弾は「なぜ創価脳になるのか?」です。第一弾でわかったように、創価脳は上から言われるがままにお金を創価に貢ぎます。それは功徳という代償があることを信じているからです。これが単に組織運営のための寄付であれば、3桁4桁出す人はいないでしょう。ここまで多くのお金を差し出すのは「お金を出せば出すほど功徳がある」ということを信じ込まされているからです。で、実際にそれだけお金を出した分だけの功徳があったと感じている学会員がいるのかというと、現実にはいません。学会員がお金をいくら出そうと出すまいと、何の違いもありません。学会員の中だけではなく、創価とは何の関係もない一般の人と、どれだけの違いがあるのかというと、創価にお金を貢いだ分だけ貧乏に苦しんでいるという現実しかありません。創価では「財務をたくさんすればするだけ功徳があるし、しかも出したお金は後で何倍にもなって返ってくる」といった何の根拠もないことを会員に信じ込ませてお金を出させます。これは一部の幹部が勝手に言っているのではなくて、組織的に全国でこうした指導がされていることもわかりました。組織ぐるみで嘘をついて会員からお金をだまし取っているという事実があります。これが詐欺でなくて何なのでしょう。しかし創価脳はこんな簡単なことがわかりません。創価脳は創価学会が宗教だと信じているし、創価学会の言うことに間違いはないと信じきっています。被害者意識が全くありません。どんなにおかしなことを言われても自分で考えることができなくなっているからです。

こうしてみると、創価にお金を貢ぐ(第1弾)のも、創価で幸せになったと勘違いする(第2弾)のも、公明党を血眼になって応援する(第3弾)のも、全てはこの創価脳(思考停止)のなせる技だということが言えます。

そこで今回のテーマ「なぜ創価脳(思考停止)になるのか?」ですが、これまでのテーマと違って、そこし難しいかもしれません。しかしここはひとつよく考えていただきたいのです。自分はどの時点で創価脳になってしまっていたのか。何をどうしたら創価脳になってしまうのか。それぞれ自分が創価脳になってやっていたときことを思い出してお話をしていただけるとありがたいです。特に「信心で捉えましょう」と指導された時、自分の心にどのような動きがあったのか?少しは葛藤がありはしなかったか。それでもそれ以上のことは考えないようにして活動に専念してしまわなかったか。日顕撲滅唱題会に参加している時に「こんなことしていいんだろうか?」と自分の心のどこかに疑問がわかなかったか?安保法案が閣議決定されるときの国会前でのものすごいデモを見て、公明党はこんなことして大丈夫なのか?などなど、自分の本当の心と創価脳との間でのせめぎ合いを経験したことはありませんでしたでしょうか。そうしたリアルな心の葛藤の体験と、のちにあれが創価脳であることがわかったときの衝撃を語っていただけたらと思います。

よろしくお願いします。

創価脳でもわかる創価の疑問その3 なぜ選挙活動が功徳になるのか?

いろいろゴタゴタが続いたので、ここで気持ちをリセットしまして、『創価脳でもわかる創価の疑問その3 なぜ選挙活動が功徳になるのか?』へといきたいと思います(笑)

今回は、すでに創価では始まっている来年の選挙のための公明党支援活動、いわゆる法戦についてがテーマとなります。公明党がやっていることが、創価の平和主義に反していると言ったことで、相当な数の学会員さんが活動を離れているようです。自衛隊のイラク派遣、特定機密保護法、安保法制、そして安倍政権がこの秋に何としても成立させようとしています。このブログでもそうしたことを話題にした時期もありましたが、今回はそれではないです。政治議論をするような場所ではないし、創価が詐欺であることとは、関係があるとはいえ論点がぼやけてしまいますから、あえてそこにはいかないようにしたいと思います。

公明党がやっている政治活動の批判を始めれば、とめどなくあります。それ一つとってもどう考えてもおかしいことばかりですが、今回はそこはぐっとこらえてください(笑)

では何を語るのか。みなさんが創価学会員時代に実際に行ってきた公明党支援と称してやってきた具体的な活動内容と、それをやることで実際にどうなったか?創価学会員による政治活動がどういうものであったのかを、自分が体験してきたこと、自分がこの目で見てきたこと、そしてそれをやることによって人間関係や家庭環境がどうなったのかまで含めて、できるだけ具体的にお話をしていただければと思います。

選挙活動が始まると、創価脳でも本当に鬱陶しいと思うようです。でもおかしいとかやりたくないなどと言えるような雰囲気ではないですよね。私の父は公明党の議員だったので、子供の頃から直にその雰囲気は染み込んでいます。選挙が始まると、朝の5時から集まって1時間唱題会をします。どう考えても近所迷惑です。周りの住民からすれば異様ですよね。選挙なのに朝の暗いうちから集まって一心不乱に題目を大声で大合唱する選挙運動員。選挙の終盤になると男子部が夜中に相手候補のネガティブチラシを住宅のポストに入れて回る。みんな興奮状態です。とりつかれたようにやります。もちろん友人知人への投票依頼も常軌を逸しています。頼まれる方はいつものことなので口だけハイハイと言ってやり過ごしますが、学会員はそんなこと構いません。とにかくFの数が取れた分だけ功徳になると思っていますから、頼んだ相手が投票しようがしまいが関係なんですね。特に婦人部の方たちは顕著です。政策について聞いてもほとんど知りません。「そんな難しいことわからないわよ。とにかく公明党に入れれば功徳があるんだからやってるの。それの何がいけないの?」と逆ギレします。

まあ、私もいろいろ言い出したらキリがないので(笑)これくらいにしますが、今回はみなさんが体験してきた驚愕の選挙活動の実態を昭隆にできればと思います。

その1 お金と功徳

その2 学会員は幸せになったのか?

そしてその3はなぜ選挙活動が功徳になるのか?

その「功徳」というのも学会員は本来の仏教でいう功徳とは違うものとして刷り込まれていますから、「なぜ選挙活動が功徳になるのか?」と言うタイトルは、いまいち相応しくないのですが、ここでいう「功徳」とは学会員が思い込んでいる「ラッキーなこと」という意味で捉えてください。

それではよろしくお願いします。

とくのさんへ

鯛焼きさんのブログで私の対話記録を元にして戦ってくれたとくのさん、私が水を差すようなことをしたみたいですみません。ガッカリさせてごめんなさいね。でもこれもシニフィエです。そしてシニフィエもブラックシニフィエも世界の山根も私のほんの一部でしかありません。そして私はとち狂ってあのような行動に出たわけではないことを、とくのさんだけには知ってほしいと思いまして、急遽目立つようにこのようなスレッドを立てました。どうか最後まで読んでください。
とくのさんは鯛焼きさんと私との対話の言葉を検証しながら、どっちが正しいことを言っているのかをはっきりさせたいと思ってやってくれていたと思います。私の言いたいことをよく理解してくれたからこそ、思い切って鯛焼きさんのブログに挑戦状を突きつけたのだと思います。その思いはありがたいのですが、結論から言うとやり方がまずかったと思います。

最初はスレッドの中でのやりとりだったのでまだ大丈夫だろうと思っていたのですが、鯛焼きさんが専用のスレッドを立ち上げて「とくのさんvs鯛焼きさんの一騎打ち」みたいな形になりましたよね。私はこりゃまずいと思いました。なぜかというと、このままではとくのさんを総大将とした対話軍と鯛焼きさんを総大将とした鯛焼き軍の合戦になってしまうからです。とくのさんにはそのつもりはなくとも、もはや両大将とも対話ではなく戦闘状態です。そこで論戦が始まると、二人の総大将の後ろには対話ブログの兵士たちが槍を構えていて、鯛焼きさんの後ろにも過激な創価脳が槍を構えて戦闘態勢で構え始めました。さあ、これで戦闘開始になると、ネット上の兵士たちがわらわらと集まってきます。あっという間に二人の戦いなんかじゃなくて、創価大軍vsアンチ大軍の大合戦絵巻になってしまいます。

6年半前に、私はこのブログを立ち上げました。最初は言葉を尽くして創価の犯罪を暴き、被害者である学会員を一人でも覚醒させよう、またできるだろうと意気盛んでした。でもやっていくうちに創価に犯された学会員の病巣の深さに何度も打ちのめされました。そもそも言葉でわかるような相手ではないと。たいして洗脳されていなかった私でも50歳過ぎまで覚醒できなかったのですから、完全に創価にはまっている人間が、おいそれと覚醒できるわけがありません。また、それに加えネットの恐ろしさも痛感しました。創価とは関係のない気ちがいどもがうようよしてるんです。それでなくても覚醒時のショックでうつ病になり、ちょっとしたことでも気が沈んでいた私に、ネットに徘徊している魑魅魍魎が次から次に面白半分に荒らしに来るんです。頭がおかしくなりそうでした。何度かブログを休止しました。でもその度に数ヶ月でなんとか復帰しました。その度に思い知らされたのは、戦ってはダメだということです。そりゃ悔しいです。今のとくのさんの気持ちがわかります。でもね、戦っても何も得るものはありません。あくまでも『対話を求めて』じゃないと、創価脳はいつも戦闘態勢でやってくる。私たちの考えなんか聞く気はないんです。私たちの考えを打ち負かして勝利したいんです。勝利こそが創価脳の目指すところですから。そんなのに乗せられたら、そこですでに負けなんです。というか勝ち負けになっちゃいけないんです。

今でこそ対話ブログはスムーズに流れていますが、これからもいつどこでぶち壊されるかわからないという不安が常に付きまといます。そうした緊張感の中で対話ブログの運営をしてきました。そして6年半。いちばん新しい創価脳との対話の試みが鯛焼きさんでした。私のスタンスはあくまでも対話を成立させることです。たとえ鯛焼きさんが創価脳から出ることはなくても、それを見ている半覚醒の創価脳が見れば何かしら気づいて自分で考えるきっかけになるかもしれないからです、しかしそれが対話ではなく戦いだとしたら、それを見ていた半覚醒の創価脳もまた完全創価脳に逆戻りしてしまうでしょう。鯛焼きさんはとても冷静な風を装いながらも、実は戦闘態勢の強い方でした。のらりくらりと大人のふりをして質問をかわしていくが、肝心なことには絶対に答えない。私も煽ったりなだめたりと様子を見ていましたが、彼の底意地の悪さはウンコたれ(創価とは直接関係のない荒らしが目的の愉快犯)かもしれないと思うほどでした。ちなみに鯛焼きさんは『世界の山根』の最後の二つのコメントは載せていません。品がないから載せられないなどと言ってますが、それは創価にとってかなり辛辣なことを書いていると読み取ったからだと思います。
とくのさんも論戦の勝ち負けで言えば完全に私の方が勝ってることはわかってましたよね。だからあえて私の対話の文章をベースにして「これはいけるぞ」とその気になっていたんだと思います。そこになんで事もあろうに、よりによって私が茶々を入れたのか、なぜぶち壊すようなことをしたのか。これだけ賢いとくのさんならきっとわかってくれると信じています。

創価問題が向かう先は「創価vsアンチ」じゃないと思います。創価の活動をすることでものすごい数の学会員が不幸になっている現実があるということです。だから創価に騙されているのに気づかない学会員に気づいてもらう。このために創価の現実をネットを通じて発信しているんです。なのにその発信が原因で「創価vsアンチ」のバトルがおこり、学会員がますます頑なに創価にしがみつくようなことになっては元も子もないのではないでしょうか。

だからこそこのブログは対話をキーワードにしています。いつも勝ち負けを競う討論ではダメだと言っているのは、討論して勝ったところで相手は敗北感を抱くだけだからです。特に常日頃から勝利勝利と人生の究極の目的が勝利であると信じている創価脳ですから、普通の人以上に恨みつらみも大きくなるでしょう。覚醒どころの話ではなくなります。いわゆる負の連鎖です。とくのさんと鯛焼きさんのバトルが始まれば、鯛焼きさんの取り巻きと、私を応援してくれている方々との関係もどんどん悪くなるでしょう。醜い罵詈雑言の掛け合いとなります。私のブログから鯛焼きさんのブログに行く方も増えていったようだし、創価脳応援団も増えてきていました。おまけに白ユリというネット上では有名な極端な創価原理主義の精神疾患の婦人部もセコンドにつきました。だんだん暴力団抗争みたいに膨らんできたからです。何度も言いますが、たとえとくのさんが言葉で打ち負かしたところで、事態はよくなるどころか返って悪くなります。悪くなるくらいなら負けた方がマシです。もちろん鯛焼きさんが言ってましたように『世界の山根』によってますます俺は創価からは離れないぞ!って叫んでました。もうそれはどうしようもないです。それはとくのさんが鯛焼きさんを言い負かしたところで同じことです。

とくのさんは鯛焼きさんとの討論に勝とうとしてたんですよね。勝てると確信してた。私が余計なことをしなかったら勝てたのにみたいなことを書かれてましたが、勝ってどうするんですか?って、私なんかは思います。そして「もう少し私を信じてくれていれば良かったのに」っておっしゃていました。とくのさんは何でこのタイミングで、よりによって私がナリスマシみたいなことまでしたのか、裏切られた気持ちで怒り心頭なことは、鯛焼きさんのブログに書いたコメントでも伝わってきます。しかしとくのさん、私はあえてこのタイミングだからこそ、そして私だからこそ、こうしてとくのさんと鯛焼きさんのバトルを『世界の山根』という着ぐるみを着てぶち壊しに行ったんですよ。植木等のギャグみたいに「こりゃまった失礼いたしましたっ!ちゃんちゃん」ってなるように。

私が鯛焼きさんとの対話を早々に切り上げたのも、似たようなことからでした。鯛焼きさんの受け答えははなっから対話なんかじゃないんです。創価脳特有の上から目線で仏敵を叩きのめす。それこそが正義だと思い込んでいる。あるいはアンチに対する慈悲だと思っているかもしれません。しかし対話ブログという相手の経歴が経歴だから、ここはひとつものわかりの良さそうなキャラでいこうという、なんとも底意地の悪さがにじみ出ていました。鯛焼きというHNは少し前にアンチブログ『白バラ通信』という希望さんのブログのコメントにあったのを思い出しました。それが鯛焼きさんなのかどうか確認はできませんが、そのコメントの内容が異様な創価脳丸出しの雰囲気だったのを思えています。だから私は早い段階でこりゃ対話は無理だと判断したんです。ただ本当に自分でブログを立ち上げて大騒ぎするとまでは思ってませんでした。かといって私が鯛焼きさんのブログに乗り込んでいっては、さらに事態を悪化させて、ネット上の魑魅魍魎が大喜びするだけのみっともないバトルになることは目に見えていたから何もしないでいました。その特設リングに颯爽と現れたのが正義の騎士とくのさんだったんです。さっきもいったように、普通のスレッドのコメント欄に埋もれるぐらいならまだ良かったのでしょうが、特設リングでのメインイベントが始まりそうになっていましたからね。こりゃぶち壊さなくては、私のブログが原因で大変なことになると思ったんです。

たぶん、とくのさんは私を信頼してくれていただけに、ナリスマシみたいなことをして、とくのさんのやろうとしていたことをぶち壊してしまった私に大変な不信感を抱いているかもしれません。そのまっすぐな正義感には敬服します。拍手も送りたいです。でもそうやって得られるものが何なのかを考えてもらいたいんです。なぜ私がこんなことをしたのか、とくのさんがわかる日がくるかもしれないし、こないかもしれません。それは私にもわかりませんが、とくのさんの私に対する信用など失ってもいいから、私の対話の記録が元になって、覚醒できる学会員までもが覚醒できなくなるのは阻止しなければと思った次第です。そうした理由で『世界の山根』が登場したのです。

 

それでは鯛焼きさんが承認しなかった『世界の山根』の最後の演説を載せておきます。言葉遣いはデタラメですが、言ってることは真面目なことを書いています。鯛焼きさんは下品の一言で掲載しませんでした。そしてこの一つ前もかなりいいことを書いていたのですが、すでに削除されています。それならそれで構いません。彼のブログなんですから。『世界の山根』が何を言いたかったのか、わかる人にわかってもらえればいいと思っています。

___________________________

2018年8月10日

鯛焼き屋はん、ワシ呼んだか?笑
おぉ、ワシが世界の山根や笑
鯛焼きは〜ん、あんたやっぱりとことんだっさいな〜笑
バラすの早すぎや笑
この山根風高度なシャレがわからんのかいな〜ほんまに〜笑
なんで途中で標準語話した思てんねん。
なんでワシがIPアドレスですぐにわかるようなことしたんか考えんかったんかいな?
せめてもうちっとウィットとユーモアっちゅうもんを見せて欲しかったわ〜笑
鬼ごっこで勝ったのが嬉しくてはしゃぎすぎて過呼吸になった小学生みたいにみっともないで〜笑
ワシわな、28歳下の韓国人の奥さんから「もう楽になってください」言われて辞任する決めたんや。
いやいや、ワシは教祖様でも聖人君子でもないてずっと言うてきたで。
対話ブログはそんな薄っぺらいもんとチャイまんがな(方言めちゃくちゃですまん)笑
鯛焼きはんがシニフィエ教だの教祖様だの勝手に言うとるだけやがな笑
その点、たえちゃんはんはよう分かっとるなあ。ありがと。
判定はたえちゃんはんの奈良判定勝ちやな笑
そりゃワシも黙っとったから対話ブログの人たちもビックリしたかもしらん。
昔はブラックシニフィエと自分で言っとったわ笑
しらんやろうけど笑
しかしワシは世界の山根であっても教祖さまとはちゃうんやから、
そこでガッカリして離れてもろうてもいっこうにかまわん思てるで。
ワシ正義のヒーローやないし笑
そんなヒーローになりたくてやっとるわけでもないし。
ワシそんなペラペラなプライド持ち合わせとらんし笑
ネットでチヤホヤされて喜ぶようなアホちゃうで笑
人間そこまで単純なわけでもない。
創価の闇なんぞそんな生易しいもんとちゃう。
ほんまは創価は詐欺ぐらいで済む話やないんやけど
せめて詐欺のところぐらいは気づいたらどやって話や。
それがいちばん分かっとらんのが当事者である創価脳の皆さんなわけや。
鯛焼き屋はんがヒステリックに言う感情的とか、脳内変換とか、そんなもんど〜〜うでもええねん。
そんなん1万回言われても痛くも痒くもないで。
本門の本尊も三世の生命もど〜〜〜うでもええねんで。
対話ブログはそんなくだらん話をするようなとこやない。
それがいつまでたっても鯛焼きはんにはわからんのや。
要は!
ええか?鯛焼きはん。
要は最低限創価が詐欺だという事実をどこまでわかるかが問題なんや。
最低限の話をしとるんやで。
対話ブログでそれ以外のことなんか話する意味ないで。
だからバカバカしくなってスレッドごと削除したんや。
それが感情的だと非難するならしたらええがな。
また表示したとおちょくったらええがな。
んなもんど〜〜〜でもええことや。
会則の変更とか池田が8年も出てこんとかどうでもええんよ。
会則がどうなろうと池田がどこぞで100年元気だろうと、
脱会した者にとっては本門のポンポンでも池田が200年生きていようと何だってかまわんわけや。
しかし創価脳にもわかりやすく話そうして、会則やら池田の話を例にしてわざわざ話をしとるわけ。
そこのどうでもいい細かいとこをいつまでもうだうだ話すから頭にきたんや笑
頭に来て何が悪い!笑(ほんとは呆れただけや笑)
しかし学会員が創価に騙されて不幸なままに死んでいってることに変わりはない言うてんねん。
問題の中心はそこ以外にないっちゅうねん。
あんたら騙されとるで〜っちゅう話をしとるのに、俺が正しいの、御書に書いてあるだの、創価にも間違いはあるだの、中国にSGIがどうたらだの、
たらたらたらたら愚にもつかんことしかぬかさんやろ。
はっきり言うけどな、創価で不幸になってる学会員があんだけおるっちゅう事実を徹底的に無視するあんたらに、
創価を語る資格なんかあらへんがな。
わかるか?
たくさんの人の命がかかっとんのや。
見たか?対話ブログの最新スレッド。
創価で一生懸命に頑張ってきた学会員がどんだけ不幸になったかという事実が、
対話ブログに何百人もの自分の体験として書いとることを完全に無視するやろ。
なんでや思う?
いちばん肝心なことを無視しとる自分がいることを考えもせんやろ。
だから思考停止言うとんねん。
これこれこういう事実があることをどう思うか?って訊いてもな、
これはこうだから、あれはそうだからと、
その場しのぎの苦しい屁理屈でかわしとる気になっとるんやろうけどな、
なんでいちいち屁理屈を考えんと答えられんのか考えてみ。
恐ろしくて考えられへんやろ。
創価が正義やないと自分も正義じゃなくなるしな。
創価脳は自分は正しい生き方をしとると思いこまんとやっとられんもんな。
創価脳のモチベーションはそこにつきるわな。
もしほんとに創価が詐欺だったら自分の人生全否定やもんな。
なんとか屁理屈言うてでも自分に言い聞かせなあかんもんなあ。
しかしどんなに屁理屈こねまくっても、
創価でここまでたくさんの不幸な学会員がいると言う事実はごまかしようがないから、
ここは無視するしかないわけや。
創価脳は「創価で不幸な人もいれば幸せという人もいる」とか平気で言うわな。
創価で幸せな人がおるなら不幸な人がおってもかめへんのか?
その不幸な人が自分の子どもであっても同じことが言えるのかって話や。
自分でも気づかんうちにそこは真っ白になっとるよな。
なんでかちゅうと、自分で考えへんからや。
世界の山根も昔はそうやったからようわかる笑
で、もうこりゃいい加減に対話にならんと匙なげたら、
今度は無断で他人のブログのデータを盗んで勝手にブログを立ち上げて、ネチネチネチネチ愚痴るわ、愚痴るわ、
ほんまみっともないがな。
まあ、これが創価に騙されきっとる創価脳なんやから仕方のないことかもしらんがな、
このとことん問題意識のない思考停止のみっともないブログを他人のブログのテキストを盗んでまでやらんで欲しいけど、
まあ、そんなもんどうでもええがな。
男の中の男、世界の山根が許したるわ笑
そこでこの軽薄盗用ブログにふさわしい世界の山根の出番が来たわけやな笑
口と頭は悪いが女には甘い世界の山根がいっちょ出たろか思ただけや。
意外とおもろかったやろ?笑
だから鯛焼きはんには世界の山根が誰か分かっても、
しばらくはそのまま対話をしてくれとったら少しは人気ブログになったかもしらんのに、惜しいことしたなあ笑
残念ながら鯛焼きはんはあいかわらずやることが理事たちとおんなじでえげつないわ〜ほんまに笑
ま、そゆこっちゃ笑
鯛焼きはんは筋金入りのロボトミーやから無理やろうけど、
これを見にきた覚醒しかけの学会員なら少しは創価脳の意味がわかるかもしらん思たわけや。
それと世界の山根ならカッとなってもええし笑
気楽におもろい話もできたのになあ笑
鯛焼きは〜ん、もう返事はいらんし、世界の山根もこれで引退や。
大阪ブロックの会長は続けるけどな笑
これ以上はもうけえへんで。
いつまでもこの盗用ブログで愚痴っとったらええねん。
じゃあみなさんお元気で笑
男の中の男、世界の山根がお送りしました笑笑
________________________

以上です。

創価脳でもわかる創価の疑問その2 学会員は幸せになったのか?

そろそろ次の創価への疑問に移りたいと思います。

Ka-Thiiさんにまとめていただいたリストで、2番目に多かった創価への疑問は、

2.宗教としての創価学会への疑問(本尊、教義や指導、活動、入会や退会について、一家和楽、やってた時の方が不幸等)

でした。

「これでも創価は宗教なのか?」という基本的なことに関する疑問ですね。内容としては特に実際に創価学会員に幸せになった人が見あたらないというか、これだけ頑張って言われたとおりに活動しているのに普通の人よりも明らかに不幸になってる人が多いというのが大きな疑問点としてあげられると思います。そこで今回はやはりテーマをグッと絞って、皆さんの実体験をもとにした検証をしてみたいと思います。

皆さんの身近な人たちで長いこと創価の活動をしていて幸せになった、つまり創価が言うところの絶対的幸福境涯を得たという学会員がいるのかどうか?また、身近な学会員が実際にどのような生活をしているのかをお話ししていただけるとわかりやすいと思います。前スレでハッキリしたように、活動を真面目にすればするほど自分や家族との時間はなくなり、お金もみんな創価に貢いでしまうのですから、それだけでも一般の人より幸せなわけがないことははっきりしているわけですが、実際にそれがどのような生活ぶりなのかを具体的に教えていただけると「これでも創価は宗教なのか?」という疑問の答えは出るのではないかと思います。

私の身近な学会員としてはやはり両親ですね。それこそ昭和30年ごろから死ぬまで信心を愚直に貫いてきました。いわゆる草創期からの学会員です。たしかひとつの支部(支部と言っていたかはわかりません。部隊とか言ってたような気もします。名前も組織の実態も軍隊そのものでした)が3つの県をまたいでいたぐらいの頃です。

もちろん私は生まれていません。そのころ両親は自営業を営んでいました。高度経済的成長期の始まりの頃でしたから、私が生まれた頃は商売も順風満帆で、病気もすることはなく、とくに悩みもなかったそうです。あるとき父の知り合いが創価に入らないかと勧誘してきたそうです。(その知り合いの子どもが中学校のときの私の同級生だったのですが、親子ともどもとても悲惨な死に方をしました)当時の父は特に悩みなどなかったそうですが、信じられないくらい人のよかった父はあっさり入会してのめり込んでいったようです。

当時はまだ学会員と言ってもひとつの県に何百人もいない頃で、住んでいる市内でも学会員は100人ぐらいだったと聞いています。もちろん会館などあるわけもなく、私の自宅が会館がわりになっていました。私が小学校に入る前くらいにやっと木造平屋建ての中古の一軒家を買って会館になりました。父は母に対して入会を迫ることはしなかったそうです。それも父らしいと思いました。

それでも毎日一生懸命に勤行唱題や活動している夫の姿を見ているうちに入会することにしたのだそうです。このような話を聞けば、仲睦まじい夫婦の幸せそうな話に聞こえます。確かに両親はほんとに仲が良かったです。これは創価に入る前からそうでしたから創価とは関係ありません。夫婦で仕事も頑張りながら、学会活動にもはげみ、ふたりともあっという間にその地域の最高幹部になります。なので夜はほとんど家にいません。私は夜に親がいないのが当たり前だと思ってました。それでもときどき強烈な孤独感に襲われるときがありました。そのころのトラウマが後に芸術系の興味を持つようになる素地を作ったのかもしれないとあとで思うようになりました。

さて、その両親ですが、父は公明党の議員として出馬させられることになり、順風満帆だった商売をたたまなければならなくなります。議員としての給料はありますが、貯金することなく、あるお金はみんな財務に貢いでいましたので、わが家は商売している頃より明らかに貧しい生活を強いられました。それでも学会員は影で「誰のおかげで議員がやれてると思ってるんだ」みたいなことはあったようです。

前にも言いましたが、2人の姉が結婚するとき両親は1円も出さなかったそうです。いや、出せなかったんです。そして父は何期か議員をやりますが私が高校生のとき落選します。このいきさつを話すと身バレしますので話せませんが、とにかくわが家はそこで一文無しになります。私は芸術系の私立大学を諦めて奨学金の出る国立大学に進まざるをえなくなりました。それから父は高齢者雇用の受付業務の仕事をはじめます。当然それでは家族を養ってはいけませんので、母は生まれて初めて食品製造のパートで働きはじめました。一般的には定年間近になった一家が突然ほっぽり出され食うにも困るような事態になります。結局、父は70歳で突然原因不明の呼吸困難に陥りひとり自宅にいて苦しみながらこの世を去ります。そのとき母は会合に行っていたので夫の死に目に立ち会うこともできませんでした。もちろん子どもたちの誰も立ち会うことができないまま父は逝ってしまいました。その後、母は気丈に生きてきましたが、今は認知症が進み、わが子の顔も忘れて自分が誰なのかもわからないまま施設で暮らしています。

いったい両親の人生は何だったのでしょう。これが創価の言う絶対的幸福境涯なのでしょうか?私の両親はとくに悩みなどなかったのに、人がよすぎたために創価に騙されて、創価にすべてを捧げたまま、貧しい暮らしのままで人生を終えてしまいました。

また、私の兄夫婦がそれと同じ人生を辿りつつあります。創価脳の兄夫婦は両親が創価のせいであんな悲惨な人生になったことを理解できません。そして自分たちが両親と同じような人生を辿っていることもわからないでいます。両親と同じように持てるお金はすべて創価に貢いでいます。もう70を越えています。何十年も一心不乱に活動に専念してきましたが、夫婦そろって事故と病気で障害者になりました。子どももできませんでした。今さら創価は詐欺だなんて残酷すぎて私からは言えません。これが私の身近な創価学会員の現実です。

学会員にとって創価は宗教なのでしょうが、客観的に見れば詐欺でしかありません。それは何よりも現実がすべてを表しています。創価でも三証と言って、宗教の浅深高低を判断する基準の考え方を教えますが、この文証、理証、現証に照らしても、創価がもはや宗教ではないことはあきらかなはす。文証としては法華経ですが、法華経は釈迦の教えではないことは学術的にハッキリしています。御書もかなりの部分が偽書であることもわかっています。理証としての日蓮正宗の教義も創価は全否定しました。そして三証の中でも最も重要だとする現証。つまり現実はどうなのかを見れば、私の両親や兄夫婦の人生を振り返っただけでもはっきりわかるというものです。

ということで、今回のテーマは

『創価脳でもわかる創価の疑問その2  学会員は幸せになったのか?』とさせていただきます。

皆さんの身近な学会員、あるいはご自分の活動家時代の話でもけっこうです。とにかく自分のこの目で見てきた学会員が実際に幸せになったのかどうかについてのお話を聞かせてください。

よろしくお願いします。

創価脳でもわかる創価の疑問その1 お金と功徳

それではこれから「創価脳でもわかる創価の疑問」をテーマに、みなさんからのご意見や創価時代の体験をお話しいただければと思います。

まずはいちばん疑問の多かった創価のお金の問題からいきます。

創価はなんと言っても会員からお金をまきあげることが目的の詐欺集団です。このことに気がつけば、今まで創価がやってきたすべてのことがきれいに説明がつきます。それを「創価は正しい宗教だ」ということを前提にするから、たくさんの疑問があふれてくるのです。

先日から私がしつこく聖教新聞の売り上げがどれくらいになるか試算して見せているのは、聖教新聞ひとつとっても、会員さんは一年に何千億円というお金を創価に貢いでいます。財務に至ってはその比ではないことは創価脳にもわかりますよね(笑)。創価が会員から受け取っているお金は財務と聖教新聞だけではありません。あの巨大な墓もそうです。ひとつ100万円以上します。私の父の骨が半分入っている創価の墓は、人里離れた山奥の森林を二足三文で買いたたき、一家にひとつにとどまらず、一人にひとつづつ買わせようとしてました。しかもペット霊園かと思うようなお粗末さ。山奥にあるので墓参りするのも大変です。ちなみに私の父の骨は半分を、二つ県を越えた創価の霊園に移しました。車で高速飛ばしても3時間以上かかります。家族で行ってる者はいません。少なくともこの10年以上誰も墓参りに行っていないんです。だって車で15分の日蓮正宗の墓に骨を半分残しているから、みんなそっちに墓参りに行きます。あの墓園事業でもそはかなりぼろ儲けしてます。たくさんの書籍や民音や美術展も、みんな組織にノルマが与えられているから、創価は確実に儲かってます。学会員さんがタダ同然で配達や集金しなくたって人を雇えるだけの利益はいくらでも出てるんです。だって聖教新聞は印刷を依頼している毎日新聞より発行部数が多いんです。部数で言えば朝日、読売についで日本で3番目に多いんですよ。毎日新聞はタダで配達したり集金したりしてくれる人はいませんが、ちゃんと会社として成り立っています。しかも聖教新聞みたいに広告ばっかりの新聞ではなく、全国にたくさんの記者や編集局をかかえてやっています。聖教新聞は新聞ではないし、本社以外は会館が社屋がわりで、記者も創価の職員が片手間にやってます。経費なんて全然かからないんです。ものすごい利益率です。毎日新聞なんかの利益の比じゃないことは明らかですよね。そして財務。経費なんてぼぼゼロに近い。何百万円出そうが三色マーク入りの便箋やら見られたら恥ずかしい創価のクリアファイルとかですよ。あとは振込手数料ぐらいでしょうか。とにかく創価はいっさい収支を公表しません。朝鮮半島にかなり流れているという話もあります。パナマ文書にもSOKAの文字が並んでましたよね。役所がある時期まで創価の最高幹部の納税額を公表してましたが、とんでもない額でした。でも集めた額にくらべればなんてことはない額です。創価はいまでもあの手のこの手で会員からお金を巻き上げています。

学会員さん、いい加減気づきましょうよ。そもそもお金を出せば出すほど功徳があるなんて、どう考えてもおかしな話なんですよ。日蓮の御書にそんなこと書いてますか?法華経に書いてありましたっけ?今はわからないでしょうけど、まともな思考能力を取り戻せたなら簡単にわかることなんですよ。創価の信心で幸せになった人がどこにいるんですか?逆に不幸になった人がこれだけいる事実をどう考えているんですか?と聞きたいですが、学会員さんは自分で考えるとバチがあたると教えこまれているから、恐ろしくて考えることもできないんですよね。いろいろ考えなくていいですから、今まで自分がどれくらいのお金を創価に差し出したかざっとでも計算してみてください。今まで払った財務、新聞、書籍、民音、美術展、選挙のときの交通費、ほかにももっとありますよね。で、そのお金に見合うほどの今の生活なのかどうか。学会員ではない人よりどれくらい幸せになっているのかだけでもいいから考えてみてほしいものです。要するに目の前の現実を見てくださいということです。

ということで、今回は創価に関するお金の闇は底知れないので学会員さんに言ったところで頭から否定するだけでしょうから、ここではテーマをグッと絞って、学会員さんが実際に創価に貢いできたお金がどれくらいあるのかということと、そうしたお金の多い少ないで人間の不幸が左右されるという創価の指導を信じきっていることの非常識な感覚について、みなさんの創価時代の実体験を中心にしたお話とご意見を聞かせていただければと思います。

よろしくお願いしますm(_ _)m

創価に対する疑問リスト

以前お話が出ていました「創価に対する疑問リスト」

これからしばらくはこれでやっていきたいと思います。

創価に対する疑問はいくらでもあります。ありすぎて頭の中で整理できないですね。なので、ここでひとずつ「創価に対する疑問と根拠」つまりどういった具体的な事実が疑問になっているのかということが簡潔にはっきりとわかるようなリストをみなさんで作っていければと思います。まずは基本的なところの疑問をみなさんに出していただいて、それをジャンル別に整理してナンバリングしてから根拠の部分を簡単な文章にまとめていくとわかりやすいのではないかと思います。

本当は鯛焼きさんとの対話を進める中で作れたらいいなと思っていたんですが、すぐに論点をずらされてきたので無理だと思いました。

・なぜ創価は会員数を公表しないか?

・なぜ創価は収支を公表しないか?

・なぜ莫大な収益をあげている聖教新聞の配達集金を会員にタダ同然でやらせるのか?

・なぜ創価は御本尊を平気で替えるのか?

・なぜ公明党は戦争しやすくする法案を強行に通すのか?

などなどいろいろあると思います。

ということで、まずはみなさんからは思いつく「創価に対する疑問」をあげていってください。

よろしくお願いします。

日顕撲滅唱題会について教えてください

先日から始まりました現役活動家支部長の鯛焼きさんとの対話で「日顕撲滅唱題会」について話をしようとしています。

私が非活になって20年近くになるので、実際の日顕撲滅唱題会に参加したことがありません。どうやらまだ今でも名前を変えて続いているようです。そこで。日顕撲滅唱題会なるものの実際をご存知の方、どんな内容なのかを教えていただきたいです。この撲滅と言う表現が実際に参加者がどのように受け止めているのか。そこでどのようなことを幹部が話しているのか。参加者に対して日顕に不幸があることを祈るように指導しているのか。唱題会の時間や参加者の人数や開催頻度など、今の話でなくてもいいです。実際に参加した方の報告が欲しいのです。そして今でも人の不幸を組織的に祈っている事実がはっきりすれば、これは本当に大変な問題だと思いますし、これを当たり前のようにやっている会員は本当に人間としてのモラルが麻痺していると思います。

まずは日顕撲滅唱題会あらため一凶撲滅唱題会の実態についてご存知の方は、どんな小さなことでもかまいませんので教えてください。よろしくお願いします。

鯛焼きさんとの対話

バリ活の壮年部と言われる現役活動家の鯛焼きさんから前スレに対話の申し出がありました。

前スレにしておくと、鯛焼きさんは大勢の方から質問責めにあうので、いつものようにこのスレッドに移しました。とりあえずしばらくは鯛焼きさんとシニフィエとの対話の場とさせてもらいますので、このスレへは鯛焼きさんのみコメントをしてください。また、鯛焼きさんへの質問や感想などは前スレにお願いします。よろしくお願いします。

私たちは創価学会員さんをこのように思っています。

今回のテーマは「私たちは創価学会員さんをこのように思っています。」とさせていただきます。

というのも、このブログが脱会者が寄ってたかって創価学会員の悪口を言いまくるようなところだと思い込んでいる創価学会員さんが結構いるようだということからです。というか、上からそのように教え込まれていたり、勝手にそのように思い込んでいるのが学会員だからです。なぜそのようにしか思えないのかも含めて、少しお話ししましょう。

もちろんのことなんですが、私たちは学会員さんの悪口を言っているのではありません。このブログを読んで、それすら理解できない方は読まなくても結構です(笑)。

創価学会員として、何十年も活動を続け、お金もありったけ財務に回し、自分のやりたいことや夢や家族との時間を犠牲にしながら広宣流布実現へと、人生のすべてを投げ打って生きてきた何千何万人という学会員が、なぜ「創価は宗教ではなく詐欺だ」という結論に達し、脱会し、あるいは脱会しようとしているのか。その理由は、このブログを少しでも読んで貰えばわかります。「創価が宗教ではなく詐欺だという証拠」は、このブログだけでも山ほど詰まっています。でも創価脳という物事を自分で考えることを放棄した学会員がいくらこのブログを読んでも、そこには嘘しか書いていないとしか思いません。あるいは何を書いてあるのかさえ理解できないようです。宗教について自分で考えないような脳になっているので、このブログに何が書いてあるのかわからないのも当然といえば当然でしょう。

しかし、私たちはそんな学会員を見下したり、バカにしたりしているわけではありません。創価学会の真実の姿を知ってほしい。それには自分の頭で考えることができるようになって、創価学会が何をしているのか見てほしいとの思いで、これほどまでの膨大な証拠を積み上げているのです。

創価学会員であるということは、創価学会に騙されてお金も時間も、人生そのものを奪われて死んでいくということです。創価学会員に今もその途中であるということに気がついてほしいからです。創価の信心をやれば幸せになれる。そんなの嘘です。幸せになれた学会員がどこにいますか?いません!しかし学会員は自分で考えることができないために、創価学会員で幸せになった人がいないことすらわからないでいるのです。いや、何が幸せなのかさえわからなくなっているといったほうがいいでしょう。そして自分もいつかは幸せになれる。誰よりも福運を積んで、絶対的幸福境涯をつかむことができる。と、創価から言われたことを自分で考えることなく、そのまま信じてしまっているのです。なぜ自分で考えないのか。普通の人間は赤ちゃんでさえ自分で考えて行動します。でも創価学会員は「自分で考えたりしたら地獄に落ちてしまう!」と日々の活動の中で嫌という程叩き込まれているので、どんなにおかしなことを言われても、恐ろしさのあまり考えることを拒否してしまいます。神秘主義の終末思想で信者を脅して思考停止に持ち込み、言われるがままに搾取するという典型的な新興宗教の代表格が創価学会です。創価学会の活動の中でそのような脅しの刷り込みがずっと続くので、もう無意識のうちに考えることをしなくなり、パブロフの条件反射の如く「何があろうと創価は正しい」としか生理的にも思えなくなってしまいます。すると、創価について批判的な話を聞くと、反射的に恐怖と怒りがこみ上げてきてブチ切れます。これを「創価スイッチ」と呼んでいます。これは決して学会員をバカにしているのではなく、創価スイッチという言葉で、学会員がいかに思考停止状態でキレやすいのかをわかりやすく表現したものです。ちゃんとした根拠があるからこそ言っています。

また、このブログで一番使われる学会員の呼称は「創価脳」です。つまり「この世で創価学会だけが正しく、後の全ては間違いであり、その間違った宗教や思想を信じているから人間は不幸になるんだ。したがって世界中が創価学会員になれば世界中の人が幸せになり平和な世の中になる」というめちゃくちゃなことを本気で信じているのが創価脳です。さらに「その世界全員創価学会=広宣流布を達成させるためには、どんなことをやっても許される」という過激で危険極まりない「創価原理主義者」のことを創価脳と名付けています。

原理主義というと、イスラム原理主義が浮かびますが、イスラム教というのはもともと他国の文化や宗教にとても寛大な宗教です。その寛容さゆえにイスラム文化と経済は発展の歴史が存在します。それとは別にイスラム原理主義過激派というのは、ごく一部の偏った武装勢力であり、これももっと大きな権力によって操られている傀儡集団でしかありません。これはキリスト教についても同じようなことが言えますが、ここではテーマからそれてしまいますので割愛します。

それと同じように、創価学会員も創価原理主義を脳に植え付けられることによって、いいように操られて自分自身を搾取してしまうという悲劇を繰り返しているのです。折伏も、聖教新聞の啓蒙、法戦と言われる強引な選挙活動も、こうした創価原理主義に染められた思考停止の学会員による悲しい現実です。

創価学会員は創価原理主義を脳に植え付けられているので、創価以外の考え方には見向きもしません。創価以外の考えを知りもしないのに完全否定します。完全否定する根拠など一つも持ち合わせていないし、確かめる気持ちもない。自分で考えたら地獄に落ちると怯えているからです。ネットを見たら地獄に落ちると本気で怯えている学会員もいます。

私たちは、そんな創価脳の悪口を言うためにこのブログにコメントしているのではありません。ここにコメントされる方のほとんどが、かつての創価脳でしたので(笑)、当時の自分がいかに愚かだったのかを身にしみてわかっているから、こんな自分のような失敗はこれ以上誰にもして欲しくない。そしてこれだけ多くの人を騙し不幸にしてきた創価学会が1日も早くなくなってほしい。そうした思いから、このブログに驚くほどたくさんの創価学会経験者から真実の声が集まっていることをわかってほしいのです。

もう一つこのブログから誕生した言葉が『創価シャッター』です。何度も言いますが、創価脳は創価原理主義者です。つまり創価以外の考えを頭ごなしに否定します。創価以外の誰の言うことも聞きません。そのような状態を『創価シャッター』と呼んでいます。これは創価学会員のブログをみればよくわかります。本当に気持ちが悪いです。

このように、日々の活動(勤行唱題、会合、折伏、新聞啓蒙、選挙活動など)によって一旦「創価脳」が完成すると、創価以外の人間は劣った人間だと見下します。創価以外の人間は正しい宗教を知らない愚か者だと憐れみます。人を見下し哀れむことを仏の慈悲だなどと勝手に勘違いして、自分は高尚な人間だと悦に入ります。そしてそんな創価に対する世間一般のまっとうな意見や、創価に対する社会的な評価も一切聞く耳を持たなくなります。下等な人間の言うことを聞く必要はないと言うものすごい傲慢な姿勢を当然だと思うようになります。創価シャッターとはそうした極端に傲慢な精神状態から現れます。とにかく何を言おうが「私が一番正しい」というのがあるので話にならないのは当然です。これをわかりやすく「創価シャッター」と呼んでいます。

「この信心をすれば幸せになれる。ものすごい功徳をもらえる。どんな悩みも必ず解決する」という理論的にはめちゃくちゃな創価原理主義に染められ、創価以外の全てを蔑み、ちょっとでも批判されたら理性を失い烈火のごとく怒りまくる。この典型的な創価学会員の姿を世間の人がどう見ているかというと「気持ち悪い」「関わりたくない」です。しかしこれも創価脳には通じません。むしろ嫌われたり相手にされないと「これで前世からの宿業を切ることができる」とか「これが正法である事の証だ」などと、これまた創価から言われたことを鵜呑みにして、ますます洗脳の深みにはまっていきます。創価の思う壺です。そしてどう見ても不幸な境遇であるにもかかわらず「自分は幸せなんだ。今はそうではなくても、いずれは誰よりも幸せになれるんだ」と、これまた創価から言われたとおりのことを信じて疑いません。疑わない。疑うと不幸になるから何が何でも疑わない。思考停止。それが創価脳です。

さて、この「創価脳」「創価シャッター」「創価スイッチ」という言葉が創価学会員に対する単なる悪口でしょうか。「早く気づいてください。あなたたちは本当はこのようなことになっているんですよ。自分で考えないことがどんなに恐ろしいことかに気づいてください。私たちもかつて同じように騙されて、とんでもない目に合わされていることにやっと気づいたんです。だからこうして繰り返し訴えているんです。」

私たちはこのような思いで現役学会員さんにメッセージを送っています。

このブログを恐る恐るでも覗いているそこの学会員さん。自分で物事を考えて判断するというのは、人間として当然のあるべき姿です。何も考えずに自分の人生を他人に委ねる生き方が正しい宗教だと本気で思えますか?それが宗教だと思えますか?私は思えません。釈迦は目の前のありのままの現実をみなさいという、現実主義者だったと思います。何かにすがるといいことがあるなんて言うはずがありません。ましてやカラーコピーに呪文を唱えると幸せになれるなんて宗教を信じろという方がおかしいと普通なら考えます。創価学会員はそうした判断すら自分でしようとはしません。怖いから。バチが当たるから。地獄に落ちると言われてるから。誰が言ったんでしょう?考えたことないですよね。自分で考えたこともないことを言われるがままに信じている自分に気づきませんか?

もし仏教に興味があるのなら、まともな仏教の書物を読んでみましょう。創価学会の言っていることが全くでたらめだということがいやでもわかります。もし哲学に興味があるのであれば、ちゃんとした哲学の書物を読みましょう。創価の言う哲学がとんでもないインチキだということがわかります。創価は会員がそうした書物を読んだら創価のインチキがバレるから「読んだらバチが当たる」「地獄に落ちる」と必死で脅しまくるんです。もし創価がまともな宗教であれば、他宗教をそこまで否定したり、哲学を下等な考えだなどと蔑むようなことはないはずです。

いずれにせよ「自分で考える」。これによって創価がいかにインチキであるかがすぐにわかります。「なんでこんなインチキに気づかなかったんだろう」このブログにコメントを寄せる皆さんは口を揃えておっしゃいます。いかに自分で考えないことが恐ろしいことかがわかりますよね。さあ、これでも私たちが学会員さんの悪口を言うために集まっていると思いますか?

と言うことで、今回のテーマ「私たちは創価学会員さんをこのように思っています」。あらためてそのことに絞ってみなさんの思いを述べていただけると、もしかしたら少しは通じる学会員さんもいるのかなと思います。少しでも創価に疑問を拭えないで悶々としている学会員さんであれば、少しは自分で考えていると思います。その自分で考えるというところが覚醒への第一歩です。

今回も皆さんの実体験を元にしたコメントをよろしくお願いいたします。

活動家の私が思考停止だったと思うこと

サッカーワールドカップの熱狂と、オウムのテロ実行犯の死刑執行と、大雨による甚大災害発生の報道の影で、国会では働き方法案やカジノ法案がろくに審議されることもなく、国民の関心もないままに通ってしまいました。日本の水道利権が外資に売り渡され、新しい種子法によって、日本の農業は外資の思うままになることがほぼ決まったようです。莫大な利益を生むであろうIR事業に参入を狙っているカジノの外資が、カジノ法案に関係する国会議員のパーティ券をかたっぱしから買っていたことがわかりました。種子法も水道利権についても、確かに自民党と外資の裏取り引きがあったことでしょう。マスコミはそうした報道はしません。サッカーとオウムと災害と芸能スキンダルばかりです。何か大きなイベントがあるときは 本来なら通らない法案も簡単に通してしまうというのは、昔からの自民党のお家芸で、イベントがないときには広告代理店に溜めさせていた芸能人のスキャンダルを小出しにして国民の関心を政治から逸らすのもお手の物です。

公明党は自民党の太鼓持ちでしかないので、自民党がどんなことをやろうと、あの山口代表のようにいつもヘラヘラ笑って見ているだけです。公明党としては宗教法人への課税がされなければ、自民党の政治に口を出すことはありません。

それと同じように、学会員は公明党が何をしているかほとんど関心がありません。学会員にとっては公明党の票をとれば功徳がもらえると信じているので、ちょうど願いを叶えるためにお百度拝りをするようなもので、政治をどうにかしようと思って公明党を支援している学会員はほとんどいません。そもそも政治をどうにかしようと思ったら公明党には入れませんからね(笑)

このように学会員は功徳欲しさに創価の言うことなら何でも聞く奴隷にさせられています。また、しないとバチがあるとか地獄に落ちるなどと、見え透いた嘘にも簡単に騙されますので、やめるにやめられないで苦しんでいる学会員もたくさんいます。

創価学会は宗教ではなく詐欺ですから、功徳もバチありません。

こんな簡単なことが学会員にはわからないです。このブログには数え切れないほどの証拠を挙げているのに、先の秋雄さんのように「創価が詐欺というなら証拠を見せろ」と言う。いやいや、証拠は目の前にいくらでもありますよと言ってもわからないんですよね。ここほど創価が詐欺だと言う証拠の揃ったサイトは他にはないでしょう。

功徳欲しさとバチの恐怖でまわりが見えなくなっています。功徳どころか自分も家族も不幸になっていることさえ気づかない。そりゃそうでしょう、お金は新聞だの財務だのとかたっぱしから吸い取られ、毎日毎晩活動活動の日々。家族の団欒もなければ旅行ひとつできません。近所からは異様な目で見られ、仕事場でも当たらずさわらずの人間関係しか持てないので、一家和楽なんて百年続けても無理です。でも、会員にはそれがわからないんです。いい加減気づきはじめると、バチが当たる気がして、恐ろしくてそれ以上に考えることをやめてしまいます。

今も秋雄さんのあの言葉が忘れられません。

>信仰とは、覚悟の道です。途中に何があろうが、組織に矛盾があろうが、幹部が腐っていようが、貫き通すことこそ信仰です。学会員であったならば耳にタコができるくらい聞いてる言葉でしょう。

 

これぞミスター創価脳。秋雄さんは耳にタコができるほど聞いているから、何があろうとこの信念だけは手放しません。これは指導でも激励でもなく脅しです。脅迫です。「自分で考えるな。黙って言われていることを聞きなさい。言った通りにしなさい。さもなければ地獄行きだぞ」学会員は耳にタコができるほど言われ続けているんです。秋雄さんの言葉で思考停止されている様子がよくわかりますよね。

それで、今回のテーマは「活動家の私が思考停止だったと思うこと」とさせていただきます。「活動家時代にはこんなふうにしか考えられなくなった」と、今となっては話すのもの恥ずかしい「やっちまった話」の思い出と教訓を、今でも「やっちまってる学会員」のためにお話ください。