創価にお金を出せば出すほど功徳をもらえるという創価の教えが、なぜ世界で唯一の正しい宗教だと信じれるのか?

「創価にお金を出せば出すほど功徳がもらえる」
「カラコピに呪文を唱えるとどんな願いも叶う」
いい大人がこんなことを真に受けて、創価に財産を捧げ、毎日毎日狂ったように呪文を唱える。創価学会はそんな人たちの集まりだと世間の人たちは知っているから関わろうとしないんです。誰がそんな人たちの言うことを真面目に聞くでしょう。でもそんなことはおかまいなしに「創価は世界で唯一の正しい宗教だ」と信じて、今日も狂ったように呪文を唱えている気持ちの悪い新興宗教の信者たちです。しかしただの気持ち悪い新興宗教なら他にもたくさんありますが、創価は中でも会員のお金を徹底的に巻き上げる宗教詐欺であるからタチが悪いんです。いつも言いますが、学会員は創価の被害者です。お金も時間も家族や社会の人間関係も奪い去る犯罪組織です。そしてその被害者である学会員が被害にあっていることに気づかないように、勤行唱題や会合やその他の活動をひっきりなしにさせることで気づかないようにコントロールされています。日々、自分で考えることに罪悪感を感じさせられているので、なかなか気づくことができないでいる学会員が、今も創価に残って活動をしているんです。そんな人たちに「あなたは騙されているんですよ」と教えてあげたところで「そうだったのか〜!」と素直に認めるわけがありません。
「創価にお金を出せば出すほど功徳がもらえる」
「カラコピに呪文を唱えるとどんな願いも叶う」
と言われて狂ったように毎日呪文を唱えるような人なんですからね。このことを自分の頭で考えて「なんか自分はとんでもないことを信じて、とんでもないことをやってるのかもしれない」と気づかない限りは、狂ったように毎日呪文を唱えることが世界で唯一の正しい宗教だと信じて死ぬまで生きていくんです。
そこで今回のテーマは『創価にお金を出せば出すほど功徳をもらえるという創価の教えが、なぜ世界で唯一の正しい宗教だと信じれるのか?』とさせていただきます。
まともな人間ならこんなことを信じるわけがないのですが、学会員はそれが当たり前の感覚になっていて、疑うことはありません。皆さんもかつて創価脳時代は普通にこんな馬鹿げたことに何の疑問も持たずに、毎年毎年財務をどれだけ出せるかを考えていたと思います。そんなあの頃を思い出して、あの頃の自分がいかに狂っていたかを教えてください。そして、そんな狂った自分からどうやってまともな感覚を取り戻すことができたのかを教えていただけるとありがたいです。よろしくお願いします。

世界平和、広宣流布、人間革命と言う名の幻想

ふと思ったのですが、創価では「この信心をすれば必ず幸せになれる」と言って、多くの人を日蓮正宗の信者にしました。それを最初にやったのは創価学会会長牧口常三郎です。さて、その最初の言い出しっぺの牧口自身は幸せになれたのでしょうか。「日本は神道ではなく日蓮正宗を国教にしなければ戦争に勝てない」と言い張って治安維持法違反で逮捕されあっさり獄死した牧口は幸せだったのでしょうか?

先ほど、NHKで『連合赤軍 終わりなき旅』を見ました。

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259608/index.html

浅間山荘事件で生き残った人たちのドキュメンタリーです。その中の1人は、当時の自分と同じ年頃の今の学生から「あのような状況(山中のアジトで次々に同志を殺害していた)で、自分がやっていることに疑問を感じることはなかったのですか?」との問いに対して「考える余裕なんかなかった。常に指示されたことをやるのが精一杯で、逮捕されて初めて自分が何をやっていたのかがわかった」と答えていました。また別の人は「今になって思うのは、普通に生きることのほうが難しいんだということ。指導者を信じて言われることに従って生きることは、ある意味容易いことだとわかった。人間にとって普通に生きることは難しいことであり、そこに幸せがあるんだと。あの頃は国民を幸せにするために革命をやっていたつもりだったが、それはただの幻想に過ぎなかった。現実を見ることなく、ありもしない幻想に向かって突き進んでいただけだったと思う。逮捕されて『お前は人を幸せにするために革命に参加したと言うが、それでは誰か1人でも幸せにできたのか?』と聞かれて何も言えなかった。実際に誰も幸せにできなかった。」といった言葉が印象的でした。

これは今の学会員にそのまた当てはまると思いました。

世界平和、広宣流布、人間革命……これらは学会員を思考停止にして思いどおりに操るための幻想の言葉でしかありません。いつも言うように、毎日毎日言われるままに生きることで精一杯の学会員は、自分が何をやっているのかわからないし、考えもしないのです。連合赤軍のメンバーの精神状態と同じだと思いました。

だから学会員が減り続け、高齢者ばかりになっている現実が理解できずに、広宣流布だの人間革命だのと幻想を追わされるだけの人生に何も疑問を持てないのだと思います。

連合赤軍のリーダーだった森恒夫は逮捕後に獄中で首吊り自殺。永田洋子も2011年に獄中で病死。その2人にマインドコントロールされ、15人もの仲間を次々と総括と言う名のもとに惨殺していった若者たちは、はじめはどこにでもいる若者でした。それができもしない理想に心を奪われ、革命と言う名のもとにとんでもない人生を歩まされました。浅間山荘の生き残りが逮捕されて牢獄で初めて自分のやったことがとんでもないことに気づいて、47年間も悔やみ、今も苦しみ続けているというドキュメンタリーでした。

学会員は人をこそ殺したりはしませんが、創価の言う人間革命や広宣流布という幻想に心を奪われ、自分の頭で物事を考える余裕もなく、日々の活動に追われ、お金も時間も奪われ続け、創価が崩壊するまで、その現実に気づくことはないのです。

おそらく学会員がこの連合赤軍の番組を見ても「かわいそうに、信じるものを間違えると、こんな悲惨な人生を歩むことになる。その点、自分は創価に出会えてこんなに幸せな人生を歩むことができる。これもみんな池田先生のおかげだ。この福運に感謝して、もっと信心強情に広宣流布をやっていくぞ」と決意を新たにするのでしょうね。

そこで今回のテーマですが『世界平和、広宣流布、人間革命と言う名の幻想』とさせていただきます。

皆さんも活動家の時代には、これらが現実になる日がやってくるんだと本気で考えていたと思います。しかしちょっとでも現実を見れば、そんなものはただの幻想でしかないことがすぐにわかります。特に創価が日蓮正宗から破門されてから今に至る28年間は会員数はずっと減り続けてきたし、今となっては新しく入会する人はもうほとんどいないし、したがっていま残っている学会員はネットを見ないような騙され続けている高齢者ばかりとなりました。もちろんネットの情報を見ても「嘘ばかり」としか思えないのが創価脳ですが。たとえネットでなくても自分の身の回りの現実を見ても、創価脳は自分の頭で考えないので、世界平和、広宣流布、人間革命がただの騙し文句でしかないことが理解できないでいます。そして創価批判にはすぐにスイッチが入って逆上するのです。

学会員として活動した経験のない人にはとても理解しがたいと思いますが、人間、信じてしまえばどんなおかしなことでも信じてしまうものです。特に生まれてからずっと創価だけが正しいと教えられて生きてきた2世、3世、4世の人たちは、創価を疑う余地のない人生を強制されてきたのです。これひとつとっても創価学会は大変な人権侵害をやってきた犯罪集団です。創価に騙された人生だったと気づくことは勇気のいることです。3人組や、公明党を批判している学会員も、まだ自分が創価に騙されたという現実に向き合うことが恐ろしくてできないのだと私は思います。向き会うには辛すぎてできないから「今の創価がおかしくなっただけで、本来の創価も、それを信じてきた自分も絶対に正しい」と幻想を見続けているのだと思います。あるいは「公明党がおかしくなっただけで創価は正しいし、それを信じている自分の人生に間違いはない」と思いたいのでしょう。しかしそれはみんな幻想でしかありません。

「まぼろし〜〜!」です(笑)

連合赤軍の実行犯が回顧しているように、学会員が抱いている世界平和も広宣流布も人間革命もすべて幻です。現実を見ないから夢から醒めないのです。連合赤軍の実行犯たちは逮捕されて嫌でも現実を見せられ、自分たちが目指した革命が幻だったことに気がつきます。しかし、そのことで自分がやったことが取り返しのつかない犯罪だったことにようやく気がつきはしますが、懲役20年の刑期を終えてもなお、今もなおその罪の意識に苦しめられています。

10年後、ほぼ高齢者の集まりになっているであろう創価学会員は、創価が崩壊して、その化けの皮が剥がされたとしても、一生後悔と自責の念に苛まれながら生きていくしかないのだと思います。ほんとうに恐ろしいことですが、これが現実です。だからこそ1人でも多く、1日も早く、創価は宗教ではなく、悪質な詐欺であって、誰も幸せにはなれないインチキ宗教だという現実に気がついてほしいです。

創価脳が言い放つメチャクチャな言いわけ

それにしても創価脳というのは気持ち悪いです。かつての自分もそうだったのかと思うとゾッとします。ほんとに自分の都合のいいようにしか物事を考えることができないんです。「もしかしたら自分は間違っているのかもしれない」といった人間本来の真摯な考えは微塵もありません。何が何でも「自分は正しい!創価は正しい!」あるのみです。目の前の現実を見ればそうではないことばかりなのに、そこは見事にスルーします。基本的に「自分は正しい」としか思えない。創価以外はみんな間違い。創価=自分。創価批判=自分の人生そのものの批判。創価のためなら犯罪も正当化します。選挙違反、怪文書投函。尾行、待ち伏せ、嫌がらせ。創価のためなら犯罪とわかっていても何のためらいもなくやれるのが創価脳です。だから世界の何ヵ国からも危険な宗教団体としてカルト指定されているのも当然です。戦後の歴史に残る凶悪犯罪の犯人の多くが学会員ですが、そんなことは創価脳にとっては何でもないんですよね。創価脳は創価にとって都合の悪いことは見事にスルーします。
創価脳はこの信心を貫くことによっていずれ幸せになれると信じて、日々の勤行唱題と学会活動と財務と選挙で自分の時間とお金を使い、周りから嫌われ続け、かなりの割合で家庭崩壊と精神疾患を招いているのが現実です。学会員が日々やっているのは自己否定と現実逃避です。学会員の親が自分の子どもにやっていることは自分で物事を考えさせないことと、自己否定です。自分の子どもに物事の判断がつく前から、いいことがあったら信心のおかげ、悪いことがあったら信心が足りない。御本尊様はすべてをお見通し。御本尊を疑うだけで地獄に堕ちる。小さい頃からそう教えられ、わけもわからず勤行唱題を強制される。幼いときから自己肯定感を徹底的に否定され続ける創価脳の子どもたち。自分がそんな環境の中で大人になり、どこかで人を見下して生きてきて、普通の人は直接口には出さないけれども、やはりどこか非常識な人間として距離を置かれていたような気がします。学会活動と言っても真面目にやっていたのは30代の男子部時代まででしたが、活動をしなくなってからも、創価が詐欺だと覚醒するまでは、やはり非常識なおかしな人間だったと思います。
創価以外はみんな間違い。三世の生命を説かない宗教は外道と見下して宗教ですらないとまで言う。しかし池田大作は「ガンジー・キング・イケダ」などと自分があたかも世界の偉大な宗教指導者と肩を並べたかのような本まで書かせて、自分の名前で出版して学会員に無理やり買わせています。創価の教義ではガンジーもキング牧師も取るに足りない愚かな外道の宗教家であるはずなのに「ついに偉大なる世界の宗教指導者と肩を並べた池田先生はすごい!」と学会員に思わせたいがためのゴーストライター本でした。もちろん創価以外ではまったく相手にされず、ただのみっともないトンデモ本でしかないのですが、学会員だけはいいように騙されてしまうのです。それはちょうど大川隆法が霊験などといったインチキ本を片っ端から出版して信者に買わせ続けているのとまったく同じです。世間ではどちらもインチキだとわかっているから近づかないのですが、学会員も幸福の科学の信者もそのインチキに気づかないのはまったく同じ構造だと思います。学会員は幸福の科学がインチキだとわかるのに、創価がほぼ同じインチキだとわかりません。幸福の科学の信者も創価がインチキだとわかるのに、幸福の科学が同じようなインチキだとはわからないんですね。統一教会も同じで、新興宗教と呼ばれるものはおおかた同じ構造を持っていて、創価だけが正しい宗教だなんて思えることが無理があり過ぎです。しかしその無理があり過ぎることがわからないというか、そうした現実に目を向けようとしないのが創価脳です。
創価脳に現実の矛盾を指摘してもまともに答えません。もちろんまともに答えられるようなものではないからなのですが、それ以前に矛盾を指摘されたことで頭に血がのぼるから、ますます非常識な態度しか取れなくなるのです。「これにはきっと深いわけがあるのよ」「負けるが勝ち」「広宣流布は数ではなく質の時代に入った」もう言うことがメチャクチャです。
そこで今回のテーマは「創価脳が言い放つメチャクチャな言いわけ」とさせていただきます。
皆さんが創価に疑問を抱いたときに創価から言われたメチャクチャな言いわけがたくさんあると思います。ここではそうした一般常識ではとても考えられない学会員のイカれた発言を一つひとつ具体的にあげながら、創価がいかにおかしな価値観を思考停止した学会員の脳みそにに刷り込んでいるのかを検証してみましょう。このことによって自分がいかに思考停止に陥り、創価にいいように騙されてきたのかに気づいてくれる覚醒予備軍の学会員さんが出てくると思います。かつて幹部に言われた理不尽な指導でもいいし、創価脳だった自分自身のトンデモ発言でもいいです。辛すぎて思い出すのもいやだと言う方もいらっしゃると思いますが、過去の嫌な自分をこの場で吐き出してしまうと、想像以上にスッキリしたり心が軽くなったりするものです。この機会に「創価脳が言い放つメチャクチャな言いわけ」を思い出すかぎり書いてみてください。創価が学会員をこうやって騙してきたのかということが浮き彫りになると同時に、半分覚醒している脱会予備軍にとっても、脱会を決意する後押しになると思います。よろしくお願いします。

創価学会に未来はあるのか?

「創価のご本尊に題目を唱えると何でも願いが叶う」と言われて大の大人が信じてしまうという不思議さ。でも生まれたときから親からずっと言われ続けてきた人間にとっては信じる以外はないわけで、私も50歳過ぎまでそれがインチキだとは気づきませんでした。何より親が死ぬまで信じてきたことですから、自分の人生もさることながら、親の人生までも否定しなければならないわけです。
創価のすべてが嘘だった。インチキだった。学会員はみんな騙された。これが現実なのですが、騙された人間にとっては簡単に受け入れられることではありません。たとえ自分が気づいたとしても、家族が気づかない場合はその苦悩はさらに続いていくわけです。たとえ創価が崩壊して創価を告発したところで、騙され搾取されてきた事実は消しようがないし、失ったものを取り戻すこともできません。これから先のことを考えるしかないわけです。せめてもの救いは創価の衰退は破門されたときをさかいに加速度を増し、あと10年もすれば創価がインチキ宗教だったことが社会的にもはっきりするだろうということです。2030年の日本で創価はどうなっているか。おそらく今いる会員の中でも若い人の大半はやめているでしょうし、今残ってる会員の大半もすでに高齢者ですから、その高齢者も10歳としをとるわけです。その頃に会員から集められるお金も激減するでしょう。会館自体も維持できるような状態ではないし、会員がいないので会館を必要としなくなるでしょう。もちろんその前に確実に池田は亡くなります。学会員は誰の言うことを信じるでしょう。池田が姿を消して9年ですが、創価はいまだに「先生はお元気です」と嘘をつかなければ組織を維持できないのです。本当に池田が亡くなったと知らされた学会員のどれだけが組織についていくでしょう。創価の最高幹部たちはそのことをよくわかっているからこそ、いまだに「先生はお元気です」と嘘をつき続けなければならないのです。この9年間、池田がいなくなったあとの創価をどうすればいいかが創価の最高幹部はいまだにわからないでいるということです。たぶんそう遠くないうちに池田の死亡が発表されるでしょう。少なくとも2030年になる前にです。池田ロスによってさらに多くの学会員は創価のおかしさに気づくでしょう。創価の何もかもが嘘だった。インチキでしかなかった。この現実に残された高齢の学会員も気づくはずです。
今回のテーマは「創価学会に未来はあるのか?」とさせていただきます。
もちろん創価学会に未来などあるわけがありません。でもそのことに今も気づかないで騙されている学会員さんに目の前の現実について自分で考えていただくきっかけとなればと思い、このようなテーマにしました。
いつものように、皆さんの実体験にもとづいて「創価学会に未来はあるのか?」ということについてお話しいただければと思います。

どう考えても創価学会が嘘をついていると思えること

創価ははっきりした会員数を公表しないので、他の客観的な数値から判断するしかないのですが、公明党の得票数や聖教新聞の発行部数、座談会や幹部会への参加人数などから判断すると、日蓮正宗から破門された1991年直前をピークとして、加速度的に減少しているということが言えます。創価学会はこの28年もの間、会員数を減らし続けているということです。創価脳は「会員の数が減っているからといって衰退とは言えない」などと訳のわからないことを言ったりしますが、そんな理屈がどこの世界で通用する思っているのでしょうか(笑)。創価学会の目的は広宣流布。つまり世界中の人が日蓮の教えを信じるようにすることです。これは日蓮正宗も顕正会も同じですね。同じ目的であるこの三つの団体が激しくいがみ合っている。そしてその三つの団体以外の人たちは、そんなこと何とも思っていないし、関わりたくもないと思っている。これが現実です。日蓮本仏論というのはこのいがみ合っている3つの団体が言っているだけのことであって、世間は誰も相手にしていないということです。でもこの現実を認めてしまっては創価学会も顕正会も日蓮正宗もぐうの音も出ない。出ないから決してそのことには触れない。そもそも創価は会員さえ騙してお金を巻き上げられればいいのですから、日蓮本仏論が正しいとか正しくないとかどうでもいいわけです。会員を騙すために使っている単なる詭弁でしかありません。だから日蓮正宗から破門されて、それまでの御本尊を会員に買わせることができなくなったから「日蓮正宗の御本尊は偽物で、創価学会のカラコピ御本尊が本物だ」などと、いとも簡単に教義を根底から覆したりできるのです。これだけでも創価が宗教なんかじゃなくて詐欺だということはすぐにわかりそうなものなんですが、自分の頭で考えることができなくなっている学会員はなかなかそれがわからなかったんですね。でもさすがに破門されてから28年の間に少しずつ創価が宗教じゃないということに気づく学会員が増え続けて今に至ります。もう28年もの間、創価学会は広宣流布から遠ざかり続けているということが現実なんです。かつて創価の活動家は200万から300万人はいたでしょう。でも今はせいぜい100万人だと思われます。それも日々減りつずけているのは、いつも言ってるように座談会や幹部会などの現状を見ればわかります。もちろん今後も創価学会員の数は確実に減り続けます。すでに若い会員がほとんどいなくなっている今、もう組織自体を維持することは困難でしょう。
聖教新聞の発行部数は550万部。この数字は28年間変わっていないそうです。本当でしょうか。日蓮正宗から破門されてから聖教新聞の発行部数が全く変わっていないと誰が信用するでしょう。もし本当であれば、今の学会員がものすごい多部数購読を強いられているということになります。
一人平均5部はとっていることになります。金額にすると、活動家一人が聖教新聞だけでも年間116,040円払わされているということになります。
100万人の活動家が550万部の聖教新聞代を支払い、なおかつタダ同然で配達集金までさせられているということです。
以前何度も言ってますが、550万部の新聞代というのは
1,934円×5,500,000部×12ヶ月=1,276億4,400万円
それに新聞広告による年間収入の推定額は
2,000万円×350日=70億円
二つ合わせると、1年間に聖教新聞だけで1,346億4,400万円となります。
会社ですらない聖教新聞社という創価の出版部門は収支決算報告もないし、聖教新聞は新聞ではなく宗教活動の一環として会員向けに出す機関紙なので税金もかかりません。税務署でさえ聖教新聞で創価がいくら儲かっているのかわからないわけです。もちろんこうしたことを学会員には知らせません。1,276億4,400万円のお金を100万人程度の学会員が毎年出しているお金です。
これ以外にもいろんな形で学会員は創価にお金を巻き上げられていますよね。各種書籍や民音や展覧会もそうです。そしてこの金額とは比べものにならない金額を「財務」として集めているんです。
創価学会活動家は創価にこれだけのお金を出しながらも、何に使っているかを知ろうともしない。そしてタダ同然で配達集金をやって当然だと思っている。普通の人間の感覚では考えられないことですが、自分で考えることをしない学会員だからこそ、こうして簡単に騙されているんですね。
だからこそこのブログでは学会員に対して「自分の頭で考えましょう」と呼びかけています。どうしてこれだけのお金を出しているのに、何に使っているかを知ろうともしないし、その前に創価学会員が何人いるかすら知ろうとも思わないのか。目に見えて学会員が減っていて、今はもう老人ばかりになっているというのに、これからどうやって広宣流布ができるというのだろう?創価学会ができて89年もなるというのに、どうして創価学会はこんなに嫌われ続けているんだろう?などと考えもしないのか。
そう、まさに「考えない」からです。自分が考えないことすらわからない。あるいは自分で考えることに罪悪感や恐怖感を感じてしまうというのが多くの学会員だと思います。

そこで今回のテーマは『どう考えても創価学会が嘘をついていると思えること』とします。
みなさんが活動してきた中で、創価学会が言ってきた中で、これはどう考えても嘘だとわかることをお話しください。たぶん、皆さんの多くが「創価の何から何まで嘘だということがわかった」とおっしゃるでしょう。わたしもそう思います。だからこそ創価は宗教ではなく詐欺だとわかったんですからね。でもそれがわからない学会員さんへ向けて「少なくともこれはどう考えても嘘だとわかりますよね」といった具体的な事例を一つづつ上げていって欲しいのです。できる限り具体的に、自分が直接幹部からこう言われたとか、会合でこのように言われたなどです。本にこんなことが書いてあるとか、こんな動画があるとかではなく、実際に自分が体験したことを話しいただければと思います。よろしく願いします。

ところでお元気な池田大作さんがこの9年間どこでどうしているか827万世帯の学会員さんで知っている人がいるのでしょうか?

今回のテーマはご覧の通りです(笑)。

「先生はお元気です」と何かにつけて原田会長は会員に言います。でもこの9年近く、創価学会員の誰もお元気なはずの池田センセーの姿を見たことはありません。創価学会の公式HPにはいまだに日本の創価学会員は827万世帯だと記載しています。それ以外に海外には220万人もの学会員が192カ国・地域にいると書いてあります。海外のメンバーの人数は書くのに、日本のメンバーの数は明かしません。いつもいつも827万世帯です。創価学会は躍進を続けていると原田会長はことあるごとに言いますが、もう20年ぐらい827万世帯ではないでしょうか。なぜ何人いるのかを明かさないんでしょうね。そして会憲というわけのわからない会則よりも偉そうな決まりまで発表して、9年近くどこで何をしているのか全くわからない池田大作を「永遠の師匠」と会員に呼ばせていることに、当の学会員さんは何とも思わないのが本当に不気味ですよね。

この9年間、池田大作の映像は一つも出たことはありません。声も全くなしです。あるのは聖教新聞に3度か4度掲載された遠巻きの姿。顔のわかる写真では、その表情は明らかに痴呆症のそれです。私の手元には2011年11月の池田の写った写真が載った聖教新聞がありますが、すでにこの時点で遠い目をした全く精気のない表情です。ここにその新聞を掲載したら名誉毀損で訴えるから私の名前と住所を教えろとプロバイダを創価が脅してくるかもしれないので載せませんが、9年前にあの表情で、今はもう90歳超えた老人が「お元気」であるはずがないです。これだけの執筆活動しながら、全国の同志を激励に飛び回っているというのであれば、そして日本全国に827万世帯もの学会員がいると言うのであれば、その中の一人ぐらい「池田センセーを見ました」と言う学会員がいても不思議ではないですよね。っていうか、実際にはそんな学会員が一人もいないというのがどう考えても不気味ですよね。というか、いまだに平気で「先生はお元気です」という原田会長も不気味なら、それを言われるがままに信じている学会員ももっと不気味です。創価学会は不気味な新興宗教団体ですね。

こうしたことは誰もが言ってることですから、ここで今さら言うことでもありません。でももしかして学会員の方でこのブログを覗いた人で「ああ、そう言われればそうだよね〜」と自分の頭で考えるきっかけとなればと思ってわざわざ書いているわけです。つまり永遠の師匠と呼べと言われている「元気な池田」が9年も姿を見せないことや、そもそも自分が所属して毎年何十万、何百万円ものお金を出していながらも、その人数も、集まっている金額も使い道も知らされないことに何の疑問も持たないで、言われるままに、何をやっているのかも知らない公明党の票をかき集めいている自分に対して何の疑問も持たないという学会員が、一人でもいいから目の前のことや自分がやっていることがどういうことなのかを自分で考えて欲しいと思っているからです。

ここで一つ学会員さんに考えて欲しいんです。

・どうして創価は実際の会員数を会員に教えないのか?

・どうして創価は集めた財務の金額を会員に教えないのか?

・どうして創価は財務の使い道を会員に教えないのか?

・どうして「お元気な池田先生」を9年近くも学会員が誰一人見たことがないのか?

・どうして永遠の師匠が9年近くも姿を見せないことを学会員は何とも思わないのか?

・どうして学会員はそれらを知らされないことに何の疑問も感じないのか?

普通の人なら、人数が何人なのかも知らないで入る人ってそんなにいないと思うんです。自分の通う学校の生徒数が何人かぐらい知ってて当然です。ましてや年間何万何十万円ものお金を出し続けている団体です。創価学会員って何人いるの?と学会員に聞いても誰一人答えきれる人はいないんです。財務も同じですね。毎年何万何十万何百万円も出しているのに、創価はそのお金を何にいくら使っているかを学会員が誰一人知らないんです。

例えて言うなら、近所にある普通のお家のご主人が9年間誰も見たことがないと噂になっていて、心配した近所の人がそのお家に行って「ご主人はどうされましたか?」と聞いても、奥さんが「いえいえ、主人は元気で毎日会社に行って仕事をしてます」と笑顔で言われるようなもの。そんなの誰が信じますか?一週間とか一月の話じゃないんです。この5月で9年になるんです。自分が働いている会社の会長が9年間全く姿を見せないで、心配して社長に「会長はどうかされたんですか?ご病気なんでしょうか?」と聞いても「いや、会長は元気で毎日忙しく仕事をされているよ」と言われるようなものです。そんな社長や会長を社員が信用するわけないですよね。でも学会員の場合、そんなことでも言われるままに信用してしまうんです。不気味です。

ということで、今回のテーマは、みなさんの経験として、学会員だったときに「なんであんなことを信じていたんだろう?」「なんで『どうしてだろう?」と疑問に思わなかったんだろう?」「なんで自分で考えたりしなかったんだろう?」といったことをお話ししていただけるとありがたいです。よろしくお願いします。

やっぱり気づけてよかったと思うこと

創価もいよいよ人を騙し続けられる限界にきたようです。これからは自分では何にも考えない老人だけの集まりになって(もうすでになってます)、ある日突然「解散します」で終わるんじゃないでしょうか。もうすでに若い人はいませんからね。日蓮がどうたら本仏がどうたら講釈たれても、これから創価学会は消えていくしかないのが現実ですもんね。普通に考えればわかりそうなものですが、その現実を認めたら、自分で自分の人生がいいように騙されただけのバカだったことを認めなくちゃいけなくなるから「大聖人の仏法が〜!」「池田先生の弟子として〜!」「空前絶後のお〜!」「広宣流布を成し遂げる〜!」「我らこそ地涌の菩薩の〜!」「これぞ一人立つ精神じゃ〜!」と思考停止したままで、何が何でも創価に依存し、現実逃避するしかないのでしょうね。創価が詐欺だと気づけない創価脳は、現実に目を向けるのが怖くてたまらないんだと思います。「もし創価が宗教ではないとしたら」なんて考えただけでもゾッとするのはよくわかります。でもそれが現実なんですね。創価の現実の全てが「創価は宗教ではなく詐欺だ」ということを物語っています。学会員が何と言おうとこの現実は否定できません。学会員がその現実を認めるにはあまりに辛いというのもわかります。このところ幸福の科学を総裁の息子がどんどん暴露していますが、学会員は幸福の科学がイタコ芸人の詐欺集団だとわかるのに、創価がほぼ同じような宗教詐欺だということを認めきれないのも不思議な気がしますが、人間っていったん信じてしまえばこんな風になるんでしょうね。

この頃は特に「もういいかなあ〜」って気がしてます。つまり、自分で気づきたくなくて考えようともしない創価脳はもうほっといちゃおうって思うんです。どのみち創価はそんなに長いことはありません。公明党も然りです。気づける人だけ気づいてもらえば、焦ったところでどうしようもないという厭世的な気持ちが強くなってきました。辛い現実に目を向け、それでも頑張って人生を取り戻そうとされている方が、このブログにもたくさんいらっしゃいました。もうそれでいいかなあって気持ちです。わざわざカッチンコッチンの創価脳の皆さんの神経を逆撫でするようなことを言ったところで創価スイッチが入って悪口言われるだけですもんね。だから、このブログは創価が詐欺だと気づいて、心が折れたり、家族やパートナーが創価脳で悩んでいらっしゃる方など、つまり多少なりとも自分で覚醒できた方以上の皆さんが対話を通じていろんな問題を解決できるような場所にしていければと思います。もちろんみなさんのおかげでもうすでにそのような場になってはいます。なっていますので、特にこれからのテーマの設定をそのようにして行きたいと思います。

ということで、今回のテーマは「やっぱり気づけてよかったと思うこと」とさせていただきます。皆さんはどこかの時点で創価が詐欺だと気づいて、そのときは大変なショックだったと思います。でもそのショックを乗り越えてこそ今があると思います。まだ創価脳の家族の存在に悩まされている方もたくさんいらっしゃると思いますが、何はともあれまずは自分が気づけてよかったと思われている方が多いと思います。みなさんそれぞれでも創価に騙されていたという過去が過去ですので、手放しには喜べないとは思いますが、それでも死ぬまで騙され続けることを思えば「よかった」との実感があるのではないでしょうか。今回はみなさんそれぞれの「気づけてよかったと思うこと」についてのお話をしていただければと思います。まだ覚醒したばかりで不安がいっぱいだったり、どうしても創価に未練を残してしまったり、中にはまだ「バチが怖い」と深層心理に刻まれた恐怖心に悩まされている方もいらっしゃるでしょう。だからたくさんの方の「でも大丈夫!」とご自身の体験を通じてお話しをしていただけるとありがたいです。よろしくお願いします。

私が公明党を支援してきた理由

世間でも選挙のムードが出てきたようですが、創価はすでに去年の秋から選挙態勢に入り、もうしばらくは本幹もしないで公明党支援というか、表向きは新興宗教なのに、完全に怪しい政治結社になっています。今年の創価は「創価勝利の年」だそうです。完全に選挙対応ですね(笑)。

昨年秋の沖縄県知事選での完全敗北というか、会長自ら沖縄入りして会員に投票依頼のマインドコントロールをしにきたにもかかわらず、学会員の多くが対抗候補に投票するという前代未聞の珍事が発生しました。いかにダーハラくんに人望も指導力もないかがはっきりしましたね。創価執行部もダーハラくんに人望がないことがわかっているので、いつまでたっても池田大仏を元気なことにしとかなくちゃいけないんですよね。

沖縄の辺野古基地の住民投票では、公明党は自主投票だそうです。沖縄の創価学会員は辺野古基地移転に賛成なんでしょうか?沖縄の学会員さんの意見を聞いてみたいですね。でも沖縄の学会員と言えども公明党に逆らうようなことをやるわけにはいかないでしょうから、座談会とかでも辺野古基地移転反対なんて言えないんでしょうね。沖縄創価学会にとって玉城デニー氏は仏敵なんでしょうか?(笑)

創価学会員は自分で政治のことを考えたり判断することができません。学会員は学会員であるというだけで公明党を応援しなければならないことにらなっています。もうこの時点で民主主義ではありません。でも創価学会員にとって民主主義なんて邪教みたいなものです。「宗教は創価だけが正しいのと同じように、政治は公明党だけが正しい」と信じています。しかし公明党は自民党のやることに従っているだけの政党です。自民党のやることに従っているだけなに、公明党だけが正しいと信じているんですね。しかも民主主義なんて考えもしない。

もう一度言います。創価学会員は政治について自分で考えることを禁じられているんです。そして学会員は公明党の票をとればとるほど功徳があると言われて、その功徳欲しさに目が眩んで選挙違反など平気でやります。これが創価学会の選挙活動ですね。つまり創価公明は日本の民主主義を壊しているんです。学会員は自分で考えることができないので、自分が何をやらされているかもわからないのです。かわいそうですよね。

投票というのは民主主義の原点であり国民の権利です。そして自分の意思で投票すらできないのが創価学会員です。創価は国民の権利すら奪っているんです。学会員はそのことに気づきません。自分が有無を言わさず公明党に投票することを精神的に強要されていることに何の疑問も感じないんです。

おそらく沖縄の学会員さんの多くは基地問題がきっかけで、自分で考えるようになったと思います。自分で考えることができれば創価がおかしいことはすぐにわかるんですが、沖縄のようなとんでもない理不尽なことが直接降りかかってくるまでは、騙され続けてしまってきたのだと思います。

もういい加減、沖縄以外の学会員さんも気づきましょうよ!秘密保護法、安保法案の次は憲法そのものが自民公明の連立政権によって変えられようとしています。自民党の草案が公明党の議席によって通されようとしています。この草案が通れば自衛隊が国防軍となって、世界の戦場に駆り出されます。創価学会員はその支援をさせられているんです。

 

学会員さん、自分の頭で考えてください。かつて創価学会婦人部が日本の平和憲法を守ろうとして作った漫画の中に出てくる憲法改悪の愚行を、今の創価学会員が何も考えずにやらされているんです。おかしいと思いませんか?「創価は正しい。創価の言うことを信じていけば自分で考えなくても間違いない。自分で考えたら我見と言って返っておかしなことになる」と、思考停止されているんです。現におかしいと思わないこと自体が自分で考えていない証拠です。

ということで、今回のテーマは、『私が公明党を支援してきた理由』とします。つまり活動家時代に取り憑かれたように必死に公明党の票をかき集めていた自分を振り返って、当時の自分がいかに思考停止されていたか、いかに政治のことを考えることなく創価の言われるままに家庭も省みることなく動いていたか。そうした活動家時代の奴隷の日々を思い出して書いていただければと思います。

創価は衰退して会員数も激減しているとは言え、自民党が憲法を変えるために必要な議席を公明党が握っています。逆を言えば、今年の参院選で公明党が議席を大量に失えば、自民党も公明党を見限るでしょう。創価としては絶対に負けられないんだと思います。

創価は宗教ではなく詐欺です。創価の思想や教義には一貫性がまったくありません。もともと日蓮の思想は平和主義ではありません。平和どころか極端に好戦的で過激な選民思想です。日蓮の思想に民主主義が入り込む隙などないのです。牧口や戸田が投獄されたのも、戦争に反対したのではなく、日蓮を重んじなければ戦争に負けると主張して治安維持法違反で投獄されました。なのに今の創価は牧口や戸田が平和主義を貫いて投獄されたかのようなウソを会員についています。会員は自分で考えることを放棄していますので、創価がどんなにウソをついても信じてしまいます。

創価は正しい、公明党は間違いない。こんな大ウソを信じて公明党の票をかき集めていたころのお話を聞かせてください。よろしくお願いします。

創価が会員についてきたたくさんのウソ

創価学会というのは、1991年に日蓮正宗から破門されてからは、伝統仏教とは何の関係もない単なる新興宗教集団です。その単なる新興宗教集団の会則をどんな内容にしようが、その集団の勝手だし、逆に言えば、創価学会以外では何の意味も持たないものです。基本的に仏教ではありません。統一教会がキリスト教のような新興宗教であって、伝統的なキリスト教と関係があるわけではないのと同様に、創価学会は仏教のような新興宗教であって、伝統的な仏教とはなんの関係もないし、伝統的な仏教界からは全く相手にされていません。しかし学会員にはそのような認識が全くありません。まるで世界の仏教界をリードしているかのように思い込まされています。
創価に疑問を感じることができた学会員さんは、まずそのあたりの創価学会の認識を再確認することから始めるといいかもしれません。
創価学会は宗教団体として世界からも日本からも全く相手にされていないという事実を知るべきです。と同時に、自分たちの創価学会に対する認識が誤ったものであったのはなぜかについて考えて欲しいです。

今回のテーマは『創価が会員についていたたくさんのウソ』です。

皆さんが創価時代に思い込んでいた創価学会と、現実の創価学会があまりにも違っていたことに気づいて脱会したり、脱会に向けて頑張っていらっしゃる方も多いわけですが、今回は「なぜ創価は会員にウソをつき続けてきたのか」ということをあらためて考えていただくために、「実際に創価が会員についてきたたくさんのウソ」を具体的に上げていきたいと思います。

おそらく創価は会員に数えきれないたくさんのウソをつき続けてきました。何もかもがウソで塗り固められていますから、何から言い出したらいいのかわからないくらいです。ここで大切なことは、単にウソを暴くことではなく「なぜ創価は会員にウソをついてきたのか?」ということを自分で考えることです。「創価め、こんなことまでウソをつきやがって」ではなく「こういう理由でウソをつかなければ成り立たなかったんだな」と理解することです。創価が会員に嘘をつく理由を理解することが大切だと思います。それは自分で考えなければできません。そしてなぜ自分がそんなばかみたいなウソに引っかかってしまったのか。なぜこんな簡単な詐欺に騙されてしまったのか?という疑問について、自分で考え、自分のやってきたことがどういうことであったのかをきちんと把握し、受け止めることが大事だと思います。

そうすれば、創価に疑問を抱いた自分に罪悪感を感じることもなくなると思います。創価に疑問を感じるのは当然なことだし、決して恐れたり不安になるようなことではありません。創価が変だと思えないことの方がよっぽど変なんです。変なんてものじゃなりません。狂ってるんです。頭がおかしくなっているんです。頭がおかしくなっているので、自分がおかしくなっていること自体にも気づくことができません。でもなんとなく「創価は変なんじゃないか」とうっすらとでも感じる心が残っているのであれば、そこをきっかけに自分の頭で考えてみてください。

そこで、皆さんからコメントをいただきたいのは、まずは「誰がどう見てもわかる創価のウソ」をあげてみてください。実際にみなさんが創価から言われ続けてきた明らかなウソを並べてみましょう。よろしくお願いします。

自分で考えるということ

みなさん本当にありがとうございます。
皆さんのコメントの質がものすごく高くて深いので、私などはみなさんのコメントを途切れなく表示していくという管理人としての役割に専念することができます。

このブログは2011年12月6日にスタートしました。今年で8年目が始まったところです。このブログを始めた7年前の2012年12月28日のスレッド『1万人の声を』というタイトルにこう書いています。

『私の言葉足らずなところが、いろいろと誤解を生むのかもしれません。批判は真摯に受け止めるつもりですし、それに対して思うこともできるだけ書かせていただきたいとも思っています。ここは最初に書きましたように、正邪を決める戦いではなく、いろんなかたの考えや体験を語っていただく対話の場としてやっていきたいと思っています。とくに創価学会についての思いや経験を書いていただけるとありがたいです。私は学者や宗教家ではありませんので、誰かに何かを教えるようなことはできません。学会幹部が尻尾を巻いて逃げ出すようなすごい秘密を知っているわけでもありませんから、本部幹部の方、安心してください(笑)。ただ創価学会の真実の声を徹底的に集めたいと思います。もし本当に創価学会が正しい宗教であれば、それはそれで学会にとってもありがたいブログということにもなるでしょう。そうなれば私の両親のように創価功労賞をもらえるかもしれません(笑)。包み隠さず、一切の脚色をすることなく、53年間の創価学会員としての自分の思いや経験をここに書き、それをきっかけとして、他の方との意義ある対話が広がっていければと願うだけです。』

そして丸7年。このときのブログの方針は全く変わりません。「正邪を決める戦いではなく、いろんなかたの考えや体験を語っていただく対話の場としてやっていきたいと思っています。」

そして今、コメント数は1万どころか、32,670となりました。今年の末には1000万アクセス達成するかもしれないです。

7年前、まさかここまでの規模になるとは思いませんでした。当時はただただ自分が覚醒したことで襲ってきた「とんでもない間違いだった自分の人生」をどうやって受け止めたらいいのかわからなくて、頭によぎることを片っ端から書きなぐっていくばかりでしたが、結果としてそれはよかったと思います。途中で創価脳ばかりか、ネット上のわけのわからない魑魅魍魎の攻撃を受けたりしながら、時には休止を余儀なくされたことも何度かありましたが、それでもこうして続けていくことができたのは、皆さんがここに渾身のコメントを寄せてくださるからだと感謝しています。

このブログを始めたころは、私はまだ脱会していませんでしたし、家には仏壇もありました。春頃にマンダラを日蓮正宗のお寺に返しに行って、仏壇はノコギリとカナヅチで叩き壊し、自治体の「燃やせるゴミ」に出しました。私が持っていたマンダラは大学進学の時にお寺で受け取ったものでしたので、お寺に返すのが筋かなと思ったのですが、いま考えたら、破門された後なのだから、わざわざ返さずに仏壇と一緒にゴミに出せばよかったと思っています。その後は統監カードのある組織の長に「脱会します。御本尊はもうお寺に返しました。もちろん新聞などは止めてください」と言ったら、「新聞だけは今月いっぱいまで入れさせてください」と言われたので承知しました。

それ以来、組織からはただの一度も何も言ってきません。べつに退会届を本部に郵送したり、意思確認のための家庭訪問もありませんでした。ただ、選挙の時だけは通りすがりに「公明党をお願いね」と今でも言われます(笑)。創価との関わりは脱会宣言以来それだけです。統監カードがどうなっているのかもわかりませんし、もう何の興味もありません。何をどうすれば正式な脱会なのかも知りませんが、こういう脱会の仕方もあるんだという例として知っていただけたらと思います。「脱会します」の一言であとは何も言って来なかったのは「こいつを引き止めても厄介だ」と思われたのかもしれません(笑)

話は変わりますが、学会員が使う特有の言葉があります。例えば「お題目を送る」。何かにつけて使いますよね。「お題目を送る」って何でしょう?題目って贈り物ですか?(笑)誰かが病気になったので「題目を送る」とか、誰かの子どもが受験生なので受かるように「題目を送る」とか。何かの特効薬のように題目が送り送られるのが当たり前のように使っています。何を持って「送る」ことになるんでしょう。誰かの病気が治りますようにと祈ることが「送る」という表現になるのでしょうけど、これって考えるとおかしいですよね。前に何度も言いましたが、南無妙法蓮華経とは「私は蓮華のように不思議な法に帰依します」という意味の言葉です。それを「送る」ことで誰かの病気が治ったり、誰かの子どもが大学に受かったりすると本気で考えているんです。それを学会員は「送る」という言葉で納得しているんですね。例えば「シュレピッピ」ではなく「南無妙法蓮華経」でなくては病気は治らない。「テクマクマヤコン」ではなく「南無妙法蓮華経」を送らないと大学に受からない。学会員はそう信じているんです。「南無妙法蓮華経」を唱えることで仏界の命を涌現させると他人の病気も治れば大学進学も可能にすることが「題目を送る」とできると信じているんですね。どう考えても怪しい宗教です(笑)。

学会員が使う言葉に「なかんずく」というのがあります。これは日蓮正宗の人も同じように使ってます(笑)。「中でも」って言えばいいものを、何かしら勿体つけていかにも大変なこと重要なことであるかのように「なかんずくこの大聖人の仏法では…」と言います。一徃と再往も使います。文上の意味と文底の意味するものがあるという、釈迦(ではないが)の説いた法華経がなぜ末法の今に力があるのかというときの言い訳に使いますね。命が汚れている。魔にやられた。境涯が低い。他にもたくさんあります。一つ一つ考えると、これらを何の疑問もなく、つまり学会員は何も考えずに当たり前のように使っているということです。

私はこのブログで学会員さんに一貫して「自分の頭で考えてください」と繰り返しています。それは自分の頭で考えることさえできれば、創価が宗教ではなく詐欺だということがすぐにわかるからです。言い換えれば、自分の頭で考えない限りは創価を宗教だとしか思えないままになると言うことです。つまり学会員は自分の頭で考えることができなくなっているということです。自分の頭で考えることができなくなっている人に「自分の頭で考えてください」と言っても、自分が自分の頭で考えているかどうかも考えることができないので難しいんですよね。だから、とってもわかりやすい例をたくさんあげて、自分で考えていなかったことに気づく機会ができればと、こうして何度も同じようなことを言い続けています。

前スレでも少しだけ言いましたが、宗教とは根拠のないことを信じることができるかどうかです。つまり人間は考えることをやめないと信じることができないということでもあります。宗教と哲学は同じ線の上にあるような気もしますが、全く違います。哲学とは自分の頭で考えるところから始まります。宗教とは自分の頭で考えることをやめるところから始まります。例えばキリスト教では、絶対唯一神が本当にいるのかどうかを自分で考えても信じることはできません。考えることをやめて神様はいるんだと信じるところから信仰が始まります。神様がこの世を1週間で作ったと頭で考えても理解はできません。理屈に合わないからです。でもキリスト教を信じるということはそれを信じるしかない。人間は猿が進化したと頭ではわかっていても、信仰の上ではアダムとイブがエデンの園から追放されて人間になったと信じるしかないんです。信仰上ではビッグバンなんてありえない。

例えば幸福の科学では大川隆法総裁がこの世界を作り出し、過去において釈迦やキリストをも教化した最高神エル・カンターレだということを信者は信じています。本当に信じているかは別にしても、教義上ではそういうことになっていて、信者もそれを信じていることになっている。日蓮正宗と創価学会の教義でも日蓮は過去において釈迦をも教化した上行菩薩の再誕だと自覚したという教義になっています。そして日蓮正宗の信者も創価学会員もそれを信じています。やはり本当に信じているかは別にしても、誰かに聞かれたら「その通り」と答えるしかない立場にあります。言ってることのレベルは幸福の科学も日蓮正宗も創価学会も同じなんです。それを信じるかどうかという点に関しては宗教なんですね。つまり自分の頭で考えたら到底信じることができないことを信じさせる力が宗教にはあるということです。そしていつも言うように、信じるのは自由です。勝手です。勝手ですが、創価学会の場合には「バチが当たる」とか「魔にやられる」と言った脅し文句で強引に信じさせ、お金を出させるところです。信じるのは勝手ですが、それによって自分も周りも不幸にしている。この現実がわからないでいるから問題だと言っています。幸福の科学やその他の新興宗教も似たようなものですが、ここでは創価を問題にしていますので、その他の新興宗教に関しては言及しません。

そこで話は戻りますが「題目を送る」という、学会員が普段から普通に使っている言葉。これ、自分の頭で考えていないということのわかりやすい例だということです。創価が会員に信じさせていることは、会員が自分の頭で考えれば到底信じることなどできないことばかりです。「お金を出せば出すほど功徳がある」「選挙支援は最高に功徳がある」「聖教新聞をたくさんとったら幸せになれる」「創価を疑えば子どもに何が起きるかわからない」「脱会すれば必ず地獄に落ちる」普通なら「はあ?何言ってんの?あたまダイジョーブ?」ってことをマジ顔で言うんです。なぜ言えるのか。もちろん自分で考えることができないからです。「自分の頭で考えてください」と創価脳に言うと、もちろん「自分の頭で考えている」と言います。でも即座に言えるということは考えていない証拠です。自分で考えてくださいと言われて、考えもせすに考えていると言えるのは考えていない証拠だと思います。創価脳は創価についてはハナっから考えようとしません。私がそうでしたのでよくわかります。考えようとしたら矛盾がどんどん出てきてしまってどうしようもなくなって、恐ろしくなってやめてしまうんです。そんな恐怖に耐えられなくなる。だから薄々は感じていても、それとともに襲ってくる恐怖心は無理にでも打ち消さなければ頭がおかしくなってしまいそうになるほどです。これがマインドコントロールなんですね。

人類史に残る方法序説で有名な大哲学者デカルトは「神の存在証明」を書きました。大学生のとき、これが哲学の授業のテーマだったので多少は知っています(笑)。神が存在することを哲学的に証明しようとする論文です。デカルトは完全無欠の神の存在が哲学的に証明されれば、これほど完璧な哲学は他にないと考えたようです。しかしこれほどの大哲学者であっても神の存在証明はできませんでした。できなかったからこそ、それ以降のヨーロッパの哲学者は神の存在については哲学では不問とし、ニーチェ以降に至っては神は存在しないということが前提となっています。哲学、つまり人間が考えるということと、神の世界は全く別のものだというのが彼の結論であり、人間がものを考えるというところに信仰は成立し得ないということなんだろうと思います。

創価が宗教ではないということを理解するには、自分の頭で考えること、つまり哲学することが必要だと思います。哲学と言っても難しいことを考えるということではありません。目の前にあるありのままのものをありのままに認識するということです。これは原始仏教と言われる釈迦の教えと同じです。釈迦は宗教を解いたわけではなかったと思います。釈迦の教えはまさに哲学だった。その頃の社会で苦しむ人々の現実に触れて、人々がどのようにして苦しみから脱することができるのかを「目の前の現実を正しく見て、正しく自分で考えることから始めましょう」と個別に説得したのだと思います。それがあまりにも素晴らしい教えだったので、後世の人が釈迦自身を神様のように崇めて、いつしか釈迦自身を信仰の対象にしたり、釈迦を仏像にして拝んだら功徳とかご利益があるなどといった、釈迦以前の土着信仰と同じにして広めてしまったのが仏教として広まってしまったのだと思います。そういう意味では本来の釈迦の教えは宗教ではなくて偉大な哲学だったと思います。後世の権力者たちが勝手に都合よく変えておすがり信仰にしてしまったのだと思います。奈良の大仏なんてその最たるものだったろうと思います。

「題目を送る」「魔にやられた」こんなもの仏教以前の何千年も昔の土着信仰の発想です。それを世界で唯一正しい宗教だと何も疑わずに信じているのが創価学会員さんです。釈迦は何かを拝んだら幸せになれるとか、題目を送ったら他人の病気が治るなんて言ってません。題目を送ったら他人の息子が東大に入ると本気で信じているのが学会員です。あまりにも稚拙です。でもそれが稚拙なことだとは気づかない。自分で考えてない証拠です。

ということで、今回のテーマは『自分で考えるということ』とさせていただきます。私も7年前に創価が詐欺だと気づく前まで、本当に自分で何も考えていなかったなとつくづく思います。皆さんも覚醒した時はきっと同じようにショックを受けたと思います。そして愛する家族が今だに何も考えることができない創価脳だったりすると、これほど辛い日々もないと思います。そこで今回は、自分が物事を自分で考えていなかった創価脳時代と、考えるきっかけとなった事やその後の自分の変化も含めて、学会員さんに向けて「自分で考えることの必要性」について思うところをお話ししていただけるとありがたいです。よろしくお願いします。