祝!1,000万アクセス達成!創価学会とは何だったのか?

おかげさまで、このブログ『対話を求めて 創価学会を静かに去るために』が1,000万アクセスを達成いたしました。

本当にありがとうございます。

さあ、皆さん!お待たせしました〜!(^^)

今回のスレッドはコメント投稿に制限をつけません。誰もが面倒な自己紹介などをしないでもコメントできるようにします。特にかつて創価学会を経験して、創価学会が宗教などではなく、会員を騙してお金を巻き上げるために作られた悪辣な詐欺集団だということに気づいて脱会、あるいは脱会はしたいが家族との関係などのいろんな事情で脱会できないで悩んでいる現役の学会員さんも含めて、そうした真実に気づいた方が一体どれだけいるのかをわかっていただくためにも、一人でも多くの方に生の声を届けていただきたいと思っています。

実際に創価学会員として何十年も真面目に活動してどうだったのか?そして創価の活動をしなくなってどうなったのか、あるいは脱会してからどんな生活になったのかをお話しください。

あえてこのスレッドにタイトルをつけるとすれば『創価学会とは何だったのか?』です。

創価の呪縛から逃れることができた皆さんが今思う『創価学会とは何だったのか?』について語っていただけるとなお嬉しいです。

ほんの一言でもいいですし、今まで誰にも言えなくて悶々としてきたことを吐き出していただいてもいいです。実際に創価を経験した方に創価学会とは何だったのかという声を届けてください。よろしくお願いします。

皆さんの一言ひとことで、創価に疑問を持っている学会員さんが、自分の現実にきちんと向き合うきっかけとなることができると思います。一人でも多くの創価経験者の方に創価の現実について語って欲しいと思います。創価のデタラメな口車に乗せられて、思考停止に陥って自分の力で生きていくことに恐怖心を抱くことがないように、自分の人生を自分の力と判断でもって自信を持って生きていけるようになっていただければと思っています。

もうすぐ1000万アクセスです!そこで!

いよいよ1000万アクセス達成が目前にやってきました。たぶん9月の始めあたりになりそうです。

そこで、もう一度「1000万アクセス達成記念スレッド」についての説明をさせていただきます。

これまで100万アクセス達成ごとに、みなさんと一緒にお祝いするスレッドを立ててきました。そのスレッドに限り、自己紹介などなしにコメントできるようにしてきました。もちろん今回もその方針は変わりなく、というより今回は特にたくさんの方に「創価は宗教ではなく詐欺ですよ。創価に騙されたままでは幸せになるどころか不幸になるだけですよ」という創価経験者の声を、できるだけ多く寄せていただきたいと思っています。1000万アクセス達成までに9年近い年月がかかりました。おそらく2000万アクセス達成にはさらに同じくらいの年月がかかるでしょう。どこの誰が書いているのかすらわからないブログが1000万アクセス達成というのは、それほど難しく気の遠くなるような時間がかかるということでもあります。それでも未だに創価に騙されて不幸なまま死んでいく学会員さんがいるという現実を見るにつけ、このことを声に出さないでいるわけにはいかないという思いで続けてきました。

創価学会自体に物申す気はさらさらありません。言ったところでどうにかなるようなものではないことは、かつて学会員であった自分だからこそわかっています。ではどうしたらいいのかと考えると、学会員さんは「静かに創価学会を去る」ことがいちばんの近道だと考えました。このブログのタイトル「対話を求めて−静かに創価学会を去るために」はこうした思いを込めています。おかげさまで、8年と9ヶ月で1000万アクセスを達成することができそうです。それだけ創価学会というものがとんでもなく大きな問題を抱えているということの当然の結果だと思います。よく学会員さんは原因結果と言います。ならばこのブログに寄せられた創価経験者の声という結果に、どのような原因があると考えられるのかを考えてみて欲しいです。

このブログにたどり着いて、結果的に創価の現実に気づいて活動をやめたり脱会した学会員さんはたくさんいます。そのお手伝いをしてきた私は、創価の論理で言うならばとんでもない謗法を犯してきたのだから、恐ろしいバチが当たって当然です。しかしこの8年9ヶ月の間、バチどころか、それまでは考えもしなかった幸運がやってきました。具体的なことを言えば確実に身バレするので言えませんが、こうして8年9ヶ月もの間このブログを続けられているという事実が「バチなどない」ということの証明だと思います。学会員さんに言わせれば「いや、今は何もなくとも、いづれ地獄に落ちる。たとえ今世では何もなくとも来世で地獄行きだ」という発想しかできないでしょう。創価を信じたら「たとえ今は幸せになれなくても、来世できっと幸せになれるはずだ」といった浄土宗と同じような発想しかできなくなっています。どんな現実を突きつけられても「創価は正しくて、創価以外は間違い」としか思えない人間になってしまうんですね。私が常に「自分の頭で考えましょう」というのは、「創価は正しくて、創価以外は間違い」という発想がいかにおかしいのかを気づけるようになってほしいと思うからです。いい大人が自分の頭で考えた結果「創価は正しくて、創価以外は間違い」となるでしょうか。たとえ一度はそんな考えに陥ったとしても、自分で考えることができれば、すぐにその発想はおかしいと気づくはずです。でも気づかないということ自体が「自分で考えていない」という証なんだと思います。

次の2000万アクセス達成までこのブログが続いているかどうかはわかりません。おそらく10年後にはこんなブログなど必要ないほど創価は見る影もなくなっていると思います。すでに今現在も男女青年部は壊滅状態ですから、10年後は老いた壮年婦人部が互いに監視しながら創価にお金を貢ぐだけの集団になっていると思います。

この10年間でどれだけの活動家が幸せになれたかを考えれば、これから10年間でどれだけの学会員が幸せになれるかは想像がつきますよね。ではその10年間で、創価でなくとも幸せになれる人はいくらでもいるわけです。この現実を学会員は考えようとはしません。また、学会員がやることはこれまでの10年とこれからの10年もやることは変わりません。つまりやってることが変わらなければその結果も変わることはないというのが日蓮仏法のはず。聖教新聞をたくさんとって、財務をたくさんやって、公明党の票を取りまくってきた創価学会活動家の結果が今の創価学会です。これからも創価学会活動家は同じことをさせられるでしょう。この何十年もの年月でその結果はもう見えています。そしてこれまでもそうだったように、創価学会活動家の数は確実に減っていき、残った活動家も確実に年老いていくんです。それが現実です。

学会員さんは幸せになりたくて活動していると思います。幸せになれると信じてすでに何十年もの間、ずっと聖教新聞を取り、財務をやり、公明党の票をとりまくってきました。いつその結果として幸せになれるのかは考えないですね。「いずれ、必ず」「たとえ今世でなれなくても来世でなれるはず」学会員さんはそんなことしか言えないんです。「いつ幸せになれるんだろう?」などと考えようものなら、今までの苦労が水の泡どころか、バチが当たってとんでもなく不幸になると信じ込まされています。少し活動家さんのように、信じ込まされていること自体も気づかず「自分で考えて信じている」と言うんです。

ということで、あと2週間ほどで来るであろう1000万アクセス達成にあたり、もう一度みなさんにお願いがあります。それはこれまで以上に「創価をやめてよかった」という創価経験者がどれくらいいるのかということを示したいと思っています。ですから、今回は特に一人でも多くの創価経験者の方に、ほんの一言でもいいので「創価をやめてよかったです」といった心からの声を寄せて欲しいのです。皆さんの中には自分でブログを運営されている方もいらっしゃると思いますし、ブログまではなくともSNSで日頃の思いを発信されている方は圧倒的に多いと思います。そんな方は可能な範囲でこのブログ「対話を求めて」の1000万アクセス達成のことをお知らせしていただいて、できれば一言でいいのでコメントしていただきたいと発信して欲しいと思います。「対話ブログが1000万アクセス達成で、コメント募集してるらしいよ」だけでもいいです。できれば https://signifie.wordpress.com のリンクを貼っていただけるとありがたいです。

普段はこんなこと言いませんし言ったことはありません。でも今回の1000万アクセス達成という記念すべきタイミングで、創価学会の現実について学会員さんにとって考えるきっかけになってくれればいいなと思っています。この特別スレッドで多くの創価経験者に「創価は宗教なんかじゃなかったよ。創価を疑ってもバチなんか当たるわけないよ」と言っていただければ、創価に悩んでいる学会員さんがどれだけ心強く新たな人生の第一歩を踏み出すことができるだろうと思うわけです。これから2週間、1000万アクセス達成スレッドへのコメント依頼を拡散していただければと思います。どうか、どうか、よろしくお願いします。

この宇宙は無始無終ではなく、138億年前に始まったことは日蓮仏法では都合が悪い

おかげさまで、このブログはもうすぐ1000万アクセスを達成します。おそらく来月の今頃ではないかと思われます。これまで100万アクセスごとに、みなさんと一緒にお祝いしていましたが、今回は1000万アクセスという記念すべきタイミングですので、特に多くの方と一緒にお祝いしたいと思っています。その時には1000万アクセス専用スレッドを立てますので、何か一言でもいいですからコメントをお願いします。そのスレッドに限って初めての方であっても、自己紹介などは不要です。創価が宗教ではなく詐欺だと気づいた創価経験者が実際にどれだけいらっしゃるのか、まだ創価を信じている方に知ってもらうためにも、できるだけ多くの方にコメントしていただければと思っています。そしてできればどれくらい創価を信じていて、いつごろ創価がおかしいと気づいたのかを教えていただけると、説得力もグッと上がると思います。みなさま、来月の今頃、何かしらのコメントをお願いします。

さて、今回のテーマは「この宇宙は無始無終ではなく、138億年前に始まったことは日蓮仏法では都合が悪い」とさせていただきます。これまでとちょっと違った雰囲気のテーマ設定です。「この宇宙は138億年前に始まった」とは、現代の科学が解明した誰も否定のできない事実です。でも学会員さんは「この宇宙は無始無終だ」と信じているので、138億年前のビッグバンによって宇宙が誕生したという事実を認めるわけにはいかないんですね。まさに不都合な真実なんですね。ちょうど人間は神様が作ったと信じているクリスチャンが進化論を認めないのと同じです。もちろんクリスチャンはビッグバンも認めるわけにはいかない立場です。ただバチカンはとうとう「ビッグバン理論と進化論は、創造の全てを動かしている神の存在を否定するものではないし、神の存在は科学的な諸発見を否定しない」という苦しい言い訳を発表しました。言い訳にもなっていないですね。なにしろキリスト教世界では2000年もの間、この宇宙は神様が作ったということになっているので、ビッグバンや進化論を認めてしまうと神の存在を否定してしまうことになり、ひいては自分の信仰が間違いだったということも認めてしまうことになります。

ただキリスト教の教義についてここで論じるつもりはさらさらありません。どんな教義だろうが信教の自由です。鰯の頭も信心からとはよく言ったものです。もちろん学会員さんも創価を信じるのは信教の自由が保障されている日本では、誰からもとやかく言われる筋合いはありません。だったら創価についてとやかく言うなよと思われる方もいらっしゃると思いますが、ただ私が創価についてこうしてとやかく言っているのは、創価が宗教ではないということがわかったからです。

じゃあ宗教ではないなら何なのか?

結論から言えば詐欺です。

創価が詐欺であると仮定すれば、創価が現実にやっていることの全てが綺麗に説明がつくからです。逆に創価が宗教だと仮定すると、どうにも説明できないことばかりです。それは小学生程度の思考力のある人であれば誰にでも理解できることです。では、なぜ小学生でもわかるようなことが学会員にはわからないのか?それは自分で考えないからです。正確に言うならば、自分で考えないように恐怖心によってコントロールされているからです。学会員さんは「そんなことはない。ちゃんと自分で考えて、自分の判断で行動している」と言うでしょう。言うのは簡単ですが、現実は違います。例えば今このブログで対話中の少し活動家さんの発言を読んでいただけるとわかります。少し活動家さんは真面目な学会員ですが、創価に疑問を持ってしまいましたが、その後、恐ろしいことが自分の身にふりかかって、地獄の苦しみを味わったそうです。それで「創価を疑うと地獄に堕ちる」と創価から言われてきたことは本当だったんだ!と確信を持つことになり、それ以来、創価を疑うことはしなくなったそうです。疑わないばかりか、このブログに何度も「あなたたちのように創価を批判すると、恐ろしい目にあいますよ」「私はあなたたちが心配でならないのです」と心配してくださっています。それでどうしてそんな心配をしているのかと尋ねると、自分が体験したからだと言われました。それはどんな体験かと聞いてもそれは言えないとのこと。少し活動家さんは心配のあまり私たちを説得するために対話をしたいと言われるので、私も対話に応じているのですが、私が質問や返事をしても何週間かに一度ぐらいしか返事をしてくれません。具体的には言えない大変な理由があって、なかなか返事ができないということでした。創価を疑わずに真面目に信心している人が、人に言えないほどの大変な問題を抱えて、何週間かに一度しか返事すらできないで、創価を日々ボロクソに言って広めている私がこんなに元気に毎日ブログの更新ができている現実を、少し活動家さんはどのように思うのかを聞いても返事はありません。というか、自分のことで精一杯なら、どこの誰かもわからない人たちのことを心配している場合ではないのではないかと思います。それはともかく、現役の創価学会活動家である少し活動家さんの話を読むと、少し活動家さんが自分では考えずに、創価の言うことだけを鵜呑みにして発言しているということが良くわかります。創価学会員は自分で考えていないという私の意見を少し活動家さんは、わざわざ身を以て証明してくれているんですね。

では、今回のテーマ「この宇宙は無始無終ではなく、138億年前に始まったことは日蓮仏法では都合が悪い」に戻ります。

下の図は、以前、私が作った宇宙の始まりから現在の人類までの年表です。138億年前のビッグバンに始まり、138億年後の200年間で、人間は突然10億人から78億人に増えました。今後少なくとも100億人までは増え続けるだろうと言われています。

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創価学会は基本的に日蓮正宗と同じ教義です。創価学会は日蓮正宗の外護団体としてスタートしたのですから当然です。その日蓮正宗から1991年に破門されてもなお、2014年の「会則の変更」を聖教新聞の3面に発表するまでは、日蓮正宗の教義と同じでした。つまり日蓮は末法の御本仏であり、釈迦仏法では救うことのできなくなった末法の衆生を救うために三大秘法である本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇を世に残すために、本仏が一介の僧の姿となって現れたのが日蓮だという教えです。これは数ある仏教教団の教えの中でも、特に異端中の異端とされる教義です。実際に仏教界からは相手にされていません。

キリスト教に例えれば、ほとんどのキリスト教が信仰の対象を神だとしているのに、ある一つの教団だけが「神ではない別の何か」を信仰の対象としているようなものです。仏教の教祖はブッダですが、日蓮正宗と創価学会は自分たちは仏教だとしながらも釈迦は日蓮が出て来る前の前座のようなものでしかないし、釈迦の教えはとうの昔に通用しない世の中になっているという教えです。そしてこの日蓮が末法のご本仏であるという教えだけが正しい仏教であると主張しているのが日蓮正宗と創価学会です。しかしそんな創価学会も日蓮正宗から破門されて、日蓮が残したとされる信仰の対象である大御本尊を拝むことができなきない立場になったので「日蓮の大御本尊は信仰の対象とはしない」という意味の「会則の変更」を破門されてから24年も経ってから発表しました。もうわけわかりませんよね(笑)。そしてその信仰の対象とはしないと言った大御本尊を書写したものをコピーして修正して大量印刷した創価の本尊と、日蓮正宗以外の日蓮宗の本尊が本当の本門の本尊であると「会則の変更」として発表したわけです。それどう考えてもおかしな話なんですが、学会員さんはそれでも疑問に思わないんです。なぜか?自分で考えないからです。なまじ自分で考えると「おかしいな」と思ってしまうので、思ったら最後、大変な不幸が襲いかかってくると恐れているので、何が何でも疑おうとはしないんですね。そのことが少し活動家さんのコメントを読めばはっきりわかります。

上の年表でもわかるように、私たちの祖先であるホモ・サピエンスが地球上に登場したのは約25万年前です。地球上に生命が誕生してから約38億年の月日を経て次第に進化した結果です。そして約25万年かけて人間は集団生活をはじめ、集落形成から、やがて国を作るようになります。多くの人間を統率するリーダーシップのある人間が現れると、そこに宗教が生まれます。宗教とは人間を支配するためのフィクションとして発生したんですね。つまりこの世を支配する絶大な力の存在を信じさせることで国を維持してきたわけです。部族の王様や貴族はその絶大な力の声を聞くことができる選ばれし人間だという権威を様々なフィクションを作り上げることによって誇示します。そうやって古代インドではバラモン教が発達し、カースト制度が人々の暮らしを決定づける社会になりました。インドに限らず、古代文明には必ず宗教が存在します。なぜ宗教が存在するのかというと、権力を維持するためのシステムとして必要だったからです。権力を維持し人間を支配するには、人間にはどうしようもない絶対的な力、つまり「神」というフィクションが必要だったわけです。それが宗教です。本当にそんな「神」が存在したからではありません。古代ギリシャや古代インドではたくさんの「神」の物語が作られ、その物語を信じさせるために多くの絵画や彫刻が作られました。ヨーロッパでも絶対唯一神による物語が作られ、その物語の絵画や彫刻が権力者によって作られました。

そうやって人類の宗教の歴史が展開されていきますが、つい200年前に人類は科学という宗教に変わる物の見方、考え方を手に入れます。もちろん古代ギリシャにも科学という概念はありましたが、キリスト教に抑え込まれ、科学は2000年近く発達することを拒まれます。しかしヨーロッパにおいて古代ギリシャ哲学が見直され、同時に産業革命が起こると、宗教の化けの皮が剥がされてしまいます。ニーチェは「神が人間を作ったのではなく、人間が神を作りあげたのだ」と言ったように、宗教とは人間が人間を支配するために作りあげたフィクションだったことを科学が証明したのです。

しかし宗教の中でも原始仏教と呼ばれる比較的釈迦の思想に近いものは、その立ち位置がとても特殊であり、それはむしろ反宗教とでも言えるほどの独特の哲学体系をつくりあげました。結果、他の宗教に見られるような権力者の道具にされたり、自ら権力を持つようなことはありませんでしたが、残念ながらそうした性質上、当時の権力者や他の宗教に滅ぼされることになってしまいました。インドが仏教の発祥地でありながら、インドから仏教が消滅したのも、仏教の持つこうした性質が原因だったと考えられます。ただかろうじて禅という形でインドから中国を経て日本に伝わり、その一部スピリッツが世界へと伝わったのが現代のマインドフルネスといったムーブメントだと言えるでしょう。

宗教の起源と経緯についての一般的な見識をざっと述べました。神だろうと仏だろうと、神話だろうと、みんな人間が作ったフィクションであることを科学が証明してしまったのです。

140年も前に書かれた「神は死んだ。神は死んだままだ。そしてわたしたちが神を殺したのだ。」というニーチェの言葉を出すまでもないほどに、現代に生きる私たちにとって、宗教とは人間が作ったフィクションだったということがはっきりしているわけです。

上の年表をあえて再掲したのは、宇宙の起源から見れば、人間が神の概念を作り上げ、宗教によって人々を支配してきたのは、ほんのつい最近のわずかな時間でしかないということをビジュアルとして見ていただきたかったからです。

創価学会の教義では「この宇宙は無始無終だ」となっていますが、これは明らかに間違いであることを科学が証明しました。創価としても今更「あ、違いました」と言えません。創価の教学は科学が解明した事実とは明らかに矛盾するのです。創価にとってこの宇宙が無始無終でないと困るのは、この考えが大乗仏教からきているからです。もし創価が「宇宙は無始無終でない」と会則の変更をしてしまうと、日蓮はもちろん大乗仏教そのものも否定することになります。創価の教義は基本的に日蓮正宗の教義と同じです。日蓮は天台宗を学びました。天台宗はインドの大乗仏教をベースにしています。その大乗仏教は釈迦滅後500年から600年に流行った宗派で、それまでの厳格な部派仏教を否定する立場で書かれた万人受けする、いわば新興宗教でした。法華経もその中の一つです。その大乗仏教の基本的な考え方に輪廻転生とか永遠の生命といった概念があり、その概念でいくと、宇宙に始まりや終わりがあっては都合が悪くなるのです。ですから「この宇宙は無始無終だ」というのは自分たちの理屈を通すために後付けされた勝手な設定だったわけです。

しかしながらそもそも仏教の教えのもとになった釈迦の考えは「万物流転」のはずです。この世に確かなものはないという考えが基本のはずです。全ては縁に触れて現れ、必ず消えてしまうまぼろしのようなものである。この宇宙といえども実体はないのであり、必ず消えていくというのが釈迦の悟りであったはず。釈迦はこの仏教すらいつかは消滅するだろうと言っているくらいです。要するにこの宇宙が始まりもなく終わりもないというのは釈迦の考え方ではないのです。学会員が「三世の生命」「永遠の生命」などと言いますが、これも本来の仏教の教えとは真逆のものです。

しかしなぜそんな真逆な考えが仏教の教えとして伝わったのかというと、大乗仏教はその教えを広めるために仏教以前のバラモン教の教えを取り入れてしまったからです。「三世の生命」とか「永遠の生命」などはカースト制度を神の教えだと納得させるために作ったフィクションでした。貴族は何度生まれ変わっても貴族だし、奴隷は何度生まれ変わっても永遠に奴隷として生まれるということを納得させるためのフィクションでした。先祖代々からそんな教えが浸透している古代インドでは、三世の生命とか永遠の生命など存在しないという釈迦の教えにはなかなか馴染めなかったんですね。しかし権力者は多くの人の心を捉えるような教えを広める必要があった。そこで仏教にも「三世の生命」とか「永遠の生命」といったバラモン教の教えを入れ込んだものが流行って、それが中国にも伝わり、中国では儒教の教えなども取り入れながら広まり、ついに日本にも伝わってきたので、日蓮は三世の生命が仏教の教えだと勘違いしてしまったんですね。日蓮の御本尊にはヒンドゥー教、道教、神道の神様の名前が並んでいるのをみなさん知ってますよね。

「この宇宙は無始無終ではなく、138億年前に始まった」この現代科学が解明した事実は、実は本来の釈迦の考えに符合するんです。他にも現代の宇宙物理学や素粒子論と矛盾しないのが釈迦の哲学です。ただ釈迦の哲学を無視して、人心掌握の手段として都合よく変えられて伝承されてきた大乗仏教が、釈迦の哲学とは似ても似つかないものになってしまったというのが現実なんですね。そういう意味では釈迦の哲学は哲学であって宗教ではないと私は思います。「何かを信じると、その信じた何かが自分を幸せにしてくれる」というものが宗教であるとしたら、釈迦自身が「そんなものは信じてはいけない」と言ったでしょう。「そんなものを信じるから人間は不幸になるんだ」というのが釈迦が言いたかったことだと私は思います。

宗教自体を完全に否定したニーチェの象徴的な言葉「神は死んだ」があります。ニーチェはどこからその発想を得たのかというと、彼の長年の親友に東洋思想の研究者がいました。ニーチェは彼から釈迦の哲学を真剣に学んだそうです。わたしもその話を知ったとき「なるほど!」と思いました。彼は釈迦から学んだ超現実主義哲学から「神は死んだ」と確信したのだろうし、ニヒリズムを提唱し、「超人」という概念に至ったのだと思います。

仏教の一般的な話を長々としましたが、創価の言う日蓮本仏論がいかに仏教とはかけ離れた、突拍子も無いフィクションであるかを自分で考えることによって気づいてもらいたくて書きました。

私は学会員さんを否定しているのではありません。学会員さんの悪口を言っているのでもありません。学会員さんにも普通に宗教や仏教についての知識を知ってほしいと思って書いています。私が話していることは学会員さんにとってはトンデモ話かもしれませんが、私は別に特別な話をしているわけではありません。普通に宗教や仏教の歴史の変遷についての一般的な認識をできるだけわかりやすく話しているだけです。私の勝手な作り話ではないのですよ。

創価学会は宗教ではなく詐欺だというのがこのブログのテーマですので、宗教そのものについて言及することは、このブログの趣旨から外れることになるのですが、学会員さんがあまりにも本来の宗教や仏教のことについて知ろうとしないので、本来の宗教というものが何であるかを考えてもらうことが、自分で考えることのきっかけとなるのではないかと思い、このようなテーマにしました。

創価にしてみれば学会員さんが本来の宗教や仏教について知られると困るわけです。創価にとっては不都合な真実ですからね。不都合な真実に学会員さんが気づけば、もう学会員さんを騙すこともできなくなるし、お金も騙し取れなくなります。だから何かにつけて「考えるな。疑うな。疑うと地獄に落ちるぞ」と脅しまくるのです。逆に言えば、創価にとってはそこが一番の弱点なわけです。創価としては学会員が自分の頭で考えたら終わりだということがよくわかっているから、ある意味必死で考えさせないようにしているんですね。

学会員さん、自分の頭で考えましょう!

何をかって?

自分の人生について自分で考えていない今の自分についてです。

世の中にはすがって祈ればなんでも願いを叶えてくれる魔法の曼荼羅があると信じている自分についてです。

創価の言うことさえ聞いていれば必ず幸せになれると信じきっている自分について考えるということです。

聖教新聞を何部も購入して、毎年ありったけのお金を財務にして、選挙になったら死に物狂いで公明党の票をとりまくる自分が、果たして幸せなのか?ってことをです。

この宇宙が始まって138億年の間に人間が生まれたのは25万年前です。もし宇宙に始まりもなく終わりもないとして、生命が生まれては死ぬを繰り返してきたとしたら、この200年で実際に10億人から78億人に増えたのは、何が人間に生まれ変わったというのでしょう。

それ以前に、この宇宙は無始無終で、生命が永遠に生死を繰り返すといったバラモン教の教えを世界で唯一の正しい仏教だと信じている学会員さんは、実際には138億年前に宇宙が始まって、地球に生命(バクテリアのような単細胞生物)が発生するまでの100億年間、少なくともこの地球に生命は存在しなかった事実をどう理解しているのでしょう?そんなこと考えたこともないですよね。考えたってしょうがない。誰が何と言おうとこの宇宙は無始無終で、生命は永遠に生まれては死ぬことを繰り返していると創価が言っているから、それを自分は信じるしかない。疑ったら恐ろしいことになる。としか思えないから何がなんでも自分では考えないんですよね。

というか、日蓮はビッグバンも進化論も絶対に知らなかったんです。ビッグバンや進化論以前に、地球が丸くて太陽の周りを1年かけて回っていることは小学生だって知っています。その丸い地球にはアジアの他にヨーロッパやアフリカやアメリカやオーストラリアや南極大陸だって知っているし、キリスト教やイスラム教という宗教があって、そこに文明が発達したことも小学生だって知っています。日蓮はそんなこと一つも知りませんでした。そんな日蓮が書いた御書だけが絶対の真実であると信じているのが創価学会員です。日蓮と今の小学生とどっちが正しいことを言えると思いますか?圧倒的にそのへんで遊んでる小学生ですよ。鎌倉時代の坊さんより、今の小学生の知識が圧倒的に多いんです。その知識の質と量は比較にならないでしょう。今の小学生に「この宇宙は無始無終で、生命が永遠に生死を繰り返すのだ。それが宇宙根源の法則なのだ」とか言っても笑われるだけです。「おじさんバカじゃね?」って言われるのが落ちです。学会員さん、どうか自分で普通のことを普通に考えてみてください。

 

それでは皆さん!1000万アクセス達成までに、自分の頭で自分の人生について考えることができる学会員さんが一人でも多く現れることを願いながら「創価に疑問を持ってもおかしくないし、恐ろしいことでもないし、ましてやバチなんか絶対に当たらないですよ」って、皆さん自身の体験を元にしたお話を通じて聞かせてください。よろしくお願いします。

創価っておかしいんじゃないか?と疑問に感じた学会員さんへ

このブログを始めてから8年半が経ちました。あとひと月ちょっとで1,000万アクセスを達成します。自分でもここまで続いて行くとは思いませんでしたし、ここまでのアクセスのあるブログになるとも思っていませんでした。でも実際にここまでやれたのは、創価に疑問を持てるようになった創価経験者の方が本当にたくさんいらっしゃって、今も学会員なのに創価に疑問でいっぱいなんだけど、誰にも相談できないとか、疑問を持つだけでバチあがたって恐ろしいことになるんじゃないかとビクビクしている学会員さんも多いと思われます。今回のテーマはまさにそんな学会員さんに向けて言いたいことを言ってください。題して『創価っておかしいんじゃないか?と疑問に感じた学会員さんへ』とさせていただきます。

創価に疑問を持っても、誰に相談していいのかわからないとか、実際に創価の幹部に相談したら「信心が足りない」「魔に負けている」「バチが当たるぞ」と言われるだけで、何の解決にもならず、ますます疑問が膨らむ一方だという学会員さんもたくさんいらっしゃって、思い切って禁断のネットをさまよった挙句にこのブログにたどり着いた人も多いと思います。そしてそんな方の多くが「やっぱり自分が思っていたことは間違いじゃなかった。創価は宗教じゃなくて詐欺だったんだ。そう考えたら全てのことの辻褄がピッタリあってしまう。バチなんか当たるわけないんだ。自分で考えていいんだ。いや、自分で考えなくてはいけなかったんだ」と、今となっては当たり前のことに初めて気がつくんですね。

そんな悩める学会員さんに対して、創価学会経験者の先輩としてアドバイスをお願いします。みなさんが歩んできた創価からの覚醒の道すじを教えてあげてください。よろしくお願いします。

創価が詐欺だということを受け入れることができるかどうかの違いとは何か?

ちょっと早いですが、新しいスレッドを立てさせていただきます。

というか、今回は前スレの第二段と思っていただければと思います。

前スレのテーマである「創価学会は宗教ではないとわかった瞬間」というのは、創価が世界で唯一の正しい宗教であり、人間が幸せになるには創価学会の活動をするしか方法はないと信じきっている学会員にとってはとんでもないデマであり誹謗中傷だと思うでしょう。私は学会員がそう思うからこそあえてこのことをテーマにしました。学会員にとってはとんでもないことであるのはもちろんですが、それは創価が詐欺だと確信した私たちにとっても、恐ろしいほど衝撃的な事実であったということも言いたかったからです。脱会者のほとんどはかつて真面目な活動家でした。今の創価脳と同じく、創価が世界で唯一の正しい宗教であり、人間が幸せになるには創価学会の活動をするしか方法はないと信じていたのですから、創価は宗教ではなく詐欺だったということに気づいた時の衝撃は並大抵のことではなかったはずです。ちなみに私はうつ病になりました。私などまだいい方だと思います。中には覚醒はしたものの、同居している家族、つまり創価が正しい宗教だと信じきっている親や配偶者や子どもたちと一緒に生活しなければならないという現実の辛さは、私にも想像できません。創価が詐欺だとわかることは、最終的には良かったのかもしれませんが、それは今までの自分の人生が間違っていたということを認めることであるし、それまでたくさんの人に嫌な思いをさせてきたことがわかることでもあるし、さらに今まで友人たちにもある程度距離を置かれていたという事実にもきっちりと向き合わなければならないということでもあります。創価が詐欺だと気づいたから全てが万々歳だということではありません。私の場合でいえば、騙され続けて一生を終えた親のこと、同じように騙され続け、不幸なまま人生を終えなければならない兄夫婦の現実にも向き合っていかなければなりません。創価が詐欺だと気づくことの意味とは、それぞれの置かれた立場によってそう簡単に言い表すことはできないし、そう簡単に割り切れるものではないということです。
そう考えると、創価が詐欺だと言われて怒り狂ったり一笑に付してしまう創価脳にとって、創価が詐欺である可能性がちょっとでも頭がよぎることですら身の毛もよだつ恐怖であるのだと思います。私の場合は10年間の非活時代があったからこそ、うつ病になったにせよ創価が詐欺であることを受け入れることができたのだと思います。
創価が詐欺だということを受け入れることができるかどうかの違いとは何なのかという視点で、皆さんのそれぞれの体験から考えられることをお話ししていただけるとありがたいです。

創価学会は宗教ではないとわかった瞬間

どんなおかしなことでも、生まれた時から親からずっと言われ続ければ信じますよね。よほどひどい親だったり、よほどひねくれた子供でないかぎり、親の言うことは正しいと信じて育つものです。創価が会員を増やしていったのは、そうした1世が2世3世を生まれてすぐに洗脳し続けた結果だと思います。私もそんな純粋培養の2世として育てられましたので、50歳になるまで自分も親も騙されていたことに気づきませんでした。父親はとうとう気づかないまま逝ってしまい、母親は完全な認知症で過去の全てを忘れたまま、自分がだれかもわからないで生きています。夫婦も幼い時から創価脳の親に徹底的に洗脳され続けたので、今も創価脳のままです。兄は仕事中に事故で障害者となりました。兄嫁も病気で障害者となりました。兄夫婦は子供もできなかったので、共働きで働いたお金は全て創価に貢ぎました。毎年それぞれ3桁の財務をしていました。決して裕福な家庭ではないのに、ありったけのお金を創価に貢いで、今は70歳代です。そして兄はステージ4の癌が見つかり、もう手の施しようがありません。いったい兄の人生は何だったのでしょう。題目で病魔を倒す!とか、今こそ信心が試されている!なんてことは言いませんでした。もう諦めています。かける言葉もありません。兄嫁も諦めています。この夫婦はいったい何のために全てを創価に捧げてきたのでしょう。今頃、自分の人生をどのように感じているでしょう。私の両親は草創期からの大幹部でしたが、私の兄弟で学会員は兄夫婦だけです。他の兄弟は早いとこ脱会しましたし、私も8年半前に脱会しました。兄夫婦は信心を貫いて幸せになった姿を兄弟に見せたかったことでしょう。でもそれは叶わぬものとなってしまいました。私は決して「そら見たことか」なんて思いません。ただただ悲しくてたまりません。学会員だから癌になったなどとは思わないし言いもしません。学会員だろうがなかろうが、癌になるときはなるんです。ただ大真面目に信心一筋で一生を創価に捧げてきた兄が、自分の癌をステージ4になるまで発見できなかったという事実を受け止めてほしいとも思いません。兄にはもう何も考えなくていいと願っています。今さら悔やんでも仕方がないんです。もう兄に「実は創価学会は詐欺なんだよ」なんて絶対に言えません。むしろ創価が詐欺だと知らないまま亡くなる方が幸せだと思います。子どももいない兄嫁は兄が亡くなれば一人です。彼女に血の繋がった身寄りはいません。おそらく近所の学会員と今までのように学会活動に励むのだと思います。それこそ死ぬまで。残念です。でももう今さら気付いたり、気付かざるを得ない事態になるのも残酷な話だと思います。
学会員だからといって不幸になるわけではありません。もちろん創価じゃないから幸せになれるわけでもありません。宗教を楽して幸せになれる特別な魔法のようなものと考えること自体が間違っています。幸せになれるならないとどんな宗教を信じるかに関係はないと思います。当たり前です。ただし宗教でもないものを宗教だと信じて、その宗教団体にお金を出せば幸せになれるなどと本気で信じている学会員は明らかに間違っていると思います。学会員はご近所や職場から疎まれたり、公明党の投票依頼をした友人から避けられたり、子どもが学校でいじめられたりすることは仕方がありません。学会員はそれを承知でやっていますからね。それを不幸だとも思っていませんし、むしろこの難を乗り越えたら幸せになれるなどと、とんでもない勘違いをさせられています。そうです。勘違いしているのではなく、勘違いさせられているのです。だから創価は詐欺だと言っているんです。
それと学会員はいつか自分たちだけは幸せになれるんだと思っているので、自分でも気づかないうちに他人を見下すような言動をしてしまいますから、そうやって嫌われるぶんだけ不幸だと言えるでしょう。つまり、学会員は自分は正しく、創価以外は間違った生き方をしているかわいそうな人たちだと見下げてしまうんです。それが周りの人にはわかるので、深く付き合おうとはしない場合が多いです。おもてでは当たり障りのないように笑顔で対応しても、心底腹を割って相談したりすることは稀です。それこそ相談でもしようものなら待ってましたと有無を言わさず勧誘されるのがわかっていますからね。それでもきちんと差別なく付き合ってくれる素晴らしい人たちがいます。もう学会員とは雲泥の差です。私が脱会した、自分は間違っていた、すまない、と謝罪した友人たちは、皆一様に「よかったな!気づけて本当によかった。正直お前の創価の部分だけは嫌だったんだよ。でもこれからは大丈夫!お前はお前だよ」と言ってくれました。私は周りも気にせず号泣しました。わたしはかつて創価のことでさんざん嫌な思いをさせた友人に救われたのです。

さて、今回のテーマは「創価学会は宗教ではないとわかった瞬間」とさせていただきます。創価学会が宗教ではなく詐欺だと言ってきました。最初は「いくらなんでもそこまで言うことないだろ」と思った人も多かったようですが「よく考えてみるとそっちの方がいろんな辻褄があうぞ」と納得するパターンが多いですね。そうです。事実を事実としてしっかり見逃さず、創価の一つひとつを落ち着いて見ていけば、少なくとも創価がやっていることはとても宗教と呼べるようなものではないことがすぐにわかるんです。わからないで活動を続けている学会員は、むしろそれをわかりたくなくて問題をあえて避けていることが、このブログをやっていてわかってきました。心の底では薄々気づいているのに、もう今更自分の生き方が間違っていたなんて恐ろしくて認めるわけにはいかない。それと、正しいとか間違いと言ったこと以前に、創価に逆らったらバチが当たるという恐怖感がどうしようもなく襲ってくるということです。これは理屈じゃないんですね。例えば普段から「幽霊なんかいるわけないじゃん」と言ってる人でも、夜中の寂しい山道で道に迷ったりして、ボロボロの墓地の横を通ったりしたら「もしかしたら幽霊が出るかもしれない」ってびびったりするものですよね。理屈じゃないんです、恐怖というのは。創価はそこに目をつけて、会員をバチの恐怖で雁字搦めにして創価から抜け出せないようにしてきました。創価も日蓮正宗も互いに「お前たちこそ大謗法だ。とんでもないバチが当たるぞ」と30年も言い合ってきました。ある意味バチのようなものが当たっている気もしますが(笑)、それは単に醜い利権争いを露骨にやっているだけの話です。少なくとも周りはそう見ていますが、それは御構い無しらしいです。
あ、話が逸れました。今回のテーマ「創価学会は宗教ではないとわかった瞬間」です。宗教ではなかったら何なのか?詐欺です。紛れもない詐欺です。こんなことを言うと「名誉毀損で訴えてやる」とか「創価学会から訴えられますよ」と言ってくる創価脳がいます。訴えるなら訴えていいです。訴えられたら受けて立つしかありません。その代わりちゃんとした手続きをとってください。もちろんその全てを公開します。やるなら徹底的にやります。でも創価学会はそんなことしないでしょう、自分たちのボロが出るのは目に見えています。創価学会はこのブログもチェックしているでしょう。しかし私は創価学会と戦う気はこれっぽっちもありません。そんな暇人じゃない。創価ごときで自分の時間をこれ以上盗られたくはありませんからね。
また話が逸れました(笑)すみません。
今回のテーマ「創価学会は宗教ではないとわかった瞬間」です。皆さんが「創価学会は宗教ではありません」と思う根拠を教えてください。おそらくいろんなことが出てくると思います。
私の場合は先日もお話ししましたように、創価が正しいとなると、人類の芸術文化のほとんどを否定するしかないということがわかった瞬間です。これは芸術家であり学会員でもある友人も相当悩んだことでした。彼はそれで人間関係がおかしくなり、うつ病になってしまいました。でもまだ学会員のままです。学会員は真面目なほど精神を病みます。自分の正直な心に蓋をして生きるのですから当然だと思います。私もうつ病になって苦しみましたが、それは覚醒後に自分の人生を悲観してのことでした。学会員の中には何が原因かもわからないで精神を病んでしまう人が結構います。真面目に考えすぎるからでしょうね。
それでは皆さんが「創価学会は宗教ではないとわかった瞬間」のお話をお願いします。

少し活動家さんとシニフィエとの対話についての感想など

前スレでの少し活動家さんとの対話がやっと始まりました。今のところ、日本人の6人に一人が創価学会員だという公式発表をどう思いますか?という内容の質問に対して「学会員が何人いるのか考えたこともないですが、学会員が2,000万人以上ということがそんなにおかしいですか?」といった感じの返事でした。

今回の現役学会員さんとの対話の試みは、とにかく現役学会員さんが実際に何をどのように考えて創価を信じて活動したり財務や聖教新聞購読のためにお金や時間を使っているのかをはっきりすることができればいいなと思っています。互いの考えがいいのか悪いのか、どっちが間違っているのかといった議論をする気はありません。それではすぐに物別れになることがわかっているからです。互いに創価についてどう思っているのかを具体的な事例を出しながらはっきり対比できれば、このブログを見ている方にとっての創価についての判断材料になるのではないかと思います。

このブログの読者の大半は、かつて真面目に活動してきた創価学会経験者であり、ある時点でその創価がとんでもない詐欺集団で、自分はまんまと騙されて、お金と時間を巻き上げられてきた被害者だったことに気づいた方たちです。毎日2,000から2,500ほどあるアクセスのほとんどが、こうした経験を持つ創価経験者ですが、たまに現役学会員さんもいくらかはたどり着いて読むこともあるようです。少し活動家さんもその中の一人なんでしょうが、そうした現役創価学会員さんがこのブログを読んで、激しい拒否反応であったり、見てはいけないものを見てしまったような気まずい思いであったり、少し活動家さんのように、創価に背を向けた私たちにバチが当たりはしないかと心配で、なんとか思い直して創価に戻ってもらえないかとコメントしてくるような方もたまにいらっしゃいます。そこにはやはり「創価は正しい。創価を信じている自分は正しい。創価を信じて実践している自分は幸せを約束されている。創価を批判する退転者は必ずバチが当たって不幸になる」と信じて疑いません。少し活動家さんもそのような思いで、このブログを読み、私たちとの対話を望まれてきました。

私が8年半もの間、このブログで一貫して述べている「創価学会は宗教ではなく詐欺だ」という主張を続けてきたにもかかわらず、少し活動家さんは、自分との対話によって私たちが考えを改めて創価学会が世界を平和にできる素晴らしい宗教団体であると気がついてくれるものと信じているようです。そこにはやはり「創価は正しい。創価を信じている自分は正しい。創価を信じて実践している自分は幸せを約束されている。創価を批判する退転者はバチが当たって不幸になる」という考えが存在し、私たちのような「創価学会は宗教ではなく詐欺だ」という考えとは真っ向から対立するものです。

しかしここで忘れてはならないのは、私たちもある時期までは「創価は正しい。創価を信じている自分は正しい。創価を信じて実践している自分は幸せを約束されている。創価を批判する退転者はバチが当たって不幸になる」という考えで生きてきたわけです。今の少し活動家さんの考えは、かつての私たちと同じものであったということです。少し活動家さんと私たちの違いは、ある時点以降から決定的に違ったということですね。それが私たちが「創価学会は宗教ではなく詐欺だ」と気づいたということに他なりません。だから少し活動家さんの気持ちは、かつての自分と同じだったのですからよくわかります。少し活動家さんの言葉から、どんな感じで日々の活動をしているのかもだいたい想像がつきますし、少し活動家さんがなぜこんなことを言うのかもよくわかります。だってかつての自分とさほど変わらないことを話しているんですからね。

逆に少し活動家さんにしてみれば、私たちがなぜ「創価学会は宗教ではなく詐欺だ」と言っているのか理解できないと思います。理解できないというよりも「魔に負けた」とか「過去世の謗法によって苦しんでいる」などといった魔女狩りレベルの迷信を本気にして自分を納得させているんだろうなと想像がつきます。さらに創価を批判している私たちは、そのことによってさらに罪業を積んで地獄に落ちるんだと信じているようです。私たちからすれば、あなたの言う地獄って何?創価をやめても現実には誰も不幸になってなんかいませんよって思うんですが、どうやら少し活動家さんは、世界平和を目指す創価学会を誹謗中傷し、創価の活動を妨げるという原因を作ることで、その結果として地獄に落ちるという結果をもたらすんだという考えから一歩も外に出ることはないのでしょう。この原因があって結果がもたらされるというのが仏法の絶対の法理だと少し活動家さんはいうわけで、だから「仏法の因果の法則をどう思いますか?」と言った質問を私たちにされました。つまり私たちがこの因果の法則を知れば、創価を批判するなど恐ろしくてできないはずだと思うんでしょうね。私たちが少し活動家さんのいう因果の法則を知らないとでも思っているのでしょうね。

少し活動家さんとしては創価を信じて実践することとは善業を積むことで、これによって幸せになれるんだと信じているんでしょう。いい替えると、創価学会員でなければ人間は幸せになれないと信じているとも言えます。びっくりですよね。それがどんだけ偏った考えかがわからないんです。確かに創価では会員にそのように指導します。「創価学会こそが南無妙法蓮華経というこの世の法則に即した唯一の宗教団体である」と常日頃植えつけているわけですから、そう信じてしまうのも仕方のないことなのかもしれません。実際にかつての自分もそうでしたからね。創価学会とは、77億人の世界人口のうち、創価学会員だけしか幸せになれないと信じている人たちの集団なんです。まあ、そんなことはどうでもいいんですが、今回の少し活動家さんとの対話のために独立したスレッドを立てた理由は、皆さんおわかりだと思います。皆さんも言いたいことは山ほどあると思いますが、実際に少し活動家さんと誰もが自由に対話をすることを許してしまうと、全く収拾がつかなくなることは目に見えているからです。かといって言いたいことがあるのに黙っていなさいというのもアンフェアなので、このスレッドは直接対話はできませんが、少し活動家さんに言いたいことを述べる場所にしたいと思います。少し活動家さんとしては、相手を限定されることなく、みなさんと自由に対話をしたいようですが、どう考えてもそれは不可能です。みなさんからの質問の全てに少し活動家さんが答えを書いていくような余裕があるわけありません。「どうぞみなさんで自由に対話をしてください」で済むなら私も楽ですからね。

ここの読者といっても、創価に人生を狂わされたと恨んでいる脱会者も少なくないですから、現役活動家に言いたいことはいくらでもあるでしょう。冷静になれない方もコメントしてくることにもなります。創価問題はそれほど簡単なものではありません。少し活動家さんはその辺りがほとんどわからないので、このブログでもみなさんと普通に対話ができるものだと簡単に考えているんだろうと思います。

ということで、前スレの少し活動家さんと私の二人だけに限定した対話を読んで、言いたいことや質問したいことなどがありましたら、このスレッドにコメントをお願いします。また前スレの内容に関する感想などでも結構です。

そしていつものように、テーマに関係なく、いろんなコメントもこの最新スレッドにお願いします。ブログのシステム上、過去のスレッドにコメントされてもほとんど読まれませんので、皆さんからのコメントは全てこの最新のスレッドに書いていただきますようお願いします。

少し活動家とかつて活動家の対話2

このスレッドは、7つ前の「少し活動家とかつて活動家の対話」のパート2となります。↓

https://signifie.wordpress.com/2020/03/15/少し活動家とかつて活動家の対話/

現役の創価学会活動家である少し活動家さんと、8年半前に脱会し、このブログの管理人であるsignifieの対話とさせていただきます。他の方はこのスレッドのコメント欄にはコメントしないでください。

最初にsignifieからの質問をさせていただきました。
signifie「少し活動家さんが所属している創価学会の会員は、今現在何人いるのでしょうか。そして創価学会が1991年11月に日蓮正宗から破門されてから現在に至るまで、会員数はどのように変化しているのでしょうか。私も8年前までのおよそ50年間は学会員だったのですが、正式な学会員の数を教えてもらったことがありません。少し活動家さんは色々とお忙しそうなので、一発で答えられるような質問にしました。まずは人数だけでも教えてもらえるとありがたいです。よろしくお願いします。」

3ヶ月後に下記ような謝罪の言葉とともに、質問に対する答えをいただきました。

>最後にコメントしてから数カ月も経ってしまっていたのですね。大変に申し訳ありませんでした。まさかこんなスレッドまで出来ていることさえも知りませんでした。もしかしたら亡くならているのでは?(笑)と思われた方もいるかもしれませんが、まだ生きてます。その後健康上の理由と諸事情により全くこちらのサイトも見ていませんでした。SGKMKさんの質問にもお返事も出来ないままに本当に申し訳ありませんでした。先ずはお詫び申し上げます。

>私は創価学会の公式発表しか知りません。他に知る術がありません。今まであまり気にしたこともなかったものですから。827万世帯が約2000万人に当たるとして、それならばどうして選挙の票数が700万を切るのか?という質問ですが正式人数を知らないのですからお答えの仕様がないですが、もしもその人数が本当だとして子供も入っているだろうし、学会員でも投票しない人もいるからじゃあないですか。実際に創価学会に籍はあっても活動している人がどれだけいるのか?等々人数なんて全然わかりません。とりあえずこれで宜しいでしょうか?

ということで、ここから先はコメント欄にて続けて行きたいと思います。

少し活動家さん、よろしくお願いします。

10年後の創価学会の現実

今回は現役の学会員さんに向けて書きます。

100日後に死ぬワニではないですが、10年後に死ぬ創価は日に日に現実味を増している気がします。と言っただけで、創価脳さんたちは「創価が死ぬなんていつまでバカなこと言ってるんだ」と秒で否定してくるでしょう。その何も考えることなく秒で否定してしまう創価脳の態度こそが「創価が衰退するなんて考えたくない」という現実逃避の表れなのです。創価脳とは現実逃避の別名です。期末試験の前日に、普段は絶対に見ないような昔のアルバムや日記を見つけて読みふけってしまう中学生のようなものです(笑)。

ずっと10年後と言っているとキリがないので、今年から10年後ということで2030年としましょう。これを読んでいる学会員さん、2030年の創価学会を想像してみてください。というのも、学会員さんはなんとなく「創価学会は世界に広まっている」という思い込みをしているようですので、一つ現実に即して考えてみてほしいということです。学会員さんにとっては創価が世界に広まっていなくては都合が悪いですから、じつは創価が衰退しているという不都合な真実など見たくもないですよね。

当たり前のことですが、今のバリ活と呼ばれる学会員さんたちは、事故や病気で死なない限りは全員10歳年をとるわけです。もちろん学会員さんに限らず、死なない限りは誰もが10歳年をとります。でも具体的に自分の周りにいる学会員さん、例えば一緒に座談会や協議会を運営したり、聖教新聞の配達や集金をやっている身近な学会員さんの10年後の姿を想像してみてください。10年後の座談会や協議会にいる顔ぶれを想像してみてください。今現在60歳の地区部長や婦人部長は70歳。50歳の白ゆり長さんも60歳です。今70歳の学会員さんは80歳。80歳の学会員さんは生きていれば90歳。90歳の学会員さんは生きていても会合に出れるかどうかといった感じでしょう。池田大作も生きていれば102歳です。今の時点で50歳以下の活動家が地区にどれくらいいるでしょうか。例えばこの10年で、50歳以下の新入会員が何人入会したでしょうか。いても一人か二人ですよね。また、30歳代の活動家があなたの周りに何人いますか?彼ら彼女らも10年後には40歳代になるわけですが、彼ら彼女らはほとんどが入信動機を持たない学会3世か4世です。そのとき、30歳代の活動家が何人いるか考えたことがありますか?つまり今現在20代の活動家が10年後も地元でしっかり活動している姿が想像できるかどうかということです。そうやって10年後の自分の地区や支部で活動している学会員の顔ぶれが何人いるのかを想像してみてください。

そこで現役学会員さんに質問です。今のあなたの地区、あるいは支部の活動家の数は、これから10年後に増えていると思われますか?減っていると思われますか?変わらないと思いますか?もしいままでの10年間で20歳代や30歳代の活動家が増えているのであれば、10年後に増える可能性もあるかもしれません。でも変わらないか減っているとしたら、10年後は確実に活動家は減っている可能性が極めて高いですよね。現実はどうでしょう。これまでの10年間で、あなたのいる地区や支部の活動家の数は増えましたか?変わりませんか?それとも減りましたか?そうした現実を考えてみれば、「10年後に死ぬ創価」という言葉にリアリティが出てきませんか?

「創価学会員が減っているからといって衰退しているとは言えない」と言っていた創価脳さんがいます。これからの創価は少数精鋭で行くのだそうです。量より質なんだそうです。そんな苦しい言い訳が出るということは、創価脳の脳みそでも「学会員の数は減り続けている」という現実はわかっているんですよね。でも何が何でも「衰退している」ということを認めるわけにはいかないから「これからの創価は少数精鋭でいくんだ」などと勝手なことを口にしてしまうのだと思います。池田大作がそんなこと一度でも言いましたか?創価の指導にそんなものが一度でもあったでしょうか?あるわけありません。創価は一人でも多く金蔓が欲しいんです。少しでも金になればどんなウソでもつきます。創価に喜んでお金を貢ぐ会員を増やすことが目的なんですからね。

また、創価脳はこうも言います。「少子高齢化の進む社会で人口が減るのと同時に学会員が減るのも当然だ」とこれまた苦しい言い訳をします。学会員の数が減り続け、新入会員もいなくなり、高齢者ばかりが残っている創価学会ですが、その会員の減少が始まったのは、創価が日蓮正宗から破門されてからの話です。つまり1991年から学会員は減り続けているんです。ところが総務省国勢調査によれば、日本の人口は有史以来2008年が最高に多いのです。言い方を変えれば、創価が29年前に日蓮正宗から破門されてどんどん会員数を減らしてきた16年間のあいだ、日本の人口は増え続けてきたというのが現実なのです。つまり日本の人口が最高に増えていたときに、すでに創価学会員はずっと減り続けてきたというのが現実です。

それから創価脳さんはこんなふうにも言います。「日本では減っているかもしれないが、世界ではどんどん広がっていて世界192カ国・地域の会員がいる」と。確かに創価学会公式HPにはそのように書いてあります。また海外メンバーの数も220万人と明記してあります。しかし同時に創価学会は827万世帯と書いています。以前も何度も言ってますが、日本での827万世帯という数字が何を意味するのか、学会員さんはわかっているのでしょうか。日本の世帯数は5042万5000世帯(2017年)だそうです。ということは日本人の16.4%が創価学会員ということになります。つまり創価学会公式HPには日本人の6人に1人、つまり2000万人が創価学会員であると堂々と書いてあるのです。学会員さんなら信じるのかもしれませんね。「創価学会は絶対に正しい」のであれば、創価学会が公式HPで嘘などつくわけがないですからね。でも現実を見れば日本人の6人に1人が創価学会員であるわけがありません。もしそれが本当なら、公明党はとっくの昔に単独与党の座にいるはずです。しかし現実の公明党は700万票も取れないんです。

公式HPに日本の創価学会員数が2000万人と書いている横で、海外メンバーの220万人という数字を誰が信用するでしょう。でも学会員は信じるんでしょうね。創価学会は絶対に正しいと信じていますからね。

もし仮にこの220万人という数字が本当だとしても、これが世界に広がっていると言える数字でしょうか。いま現在の世界の人口は約77億人です。77億人中の220万人が「世界に広まっている」と言える数字なのかどうかです。しかも世界の人口は爆発的に増えています。国連広報センターによれば、世界の人口は10年後に85億人になると予想しています。10年後には今より7億人増えると言うのです。7億人って日本の6倍の人口です。最初に言ったように日本の創価学会は29年間減り続けています。創価によれば海外メンバーは220万人だそうです。これから10年で海外では7億人もの人口が増える中で、創価の海外メンバーは何人増えれば「創価は世界に広がっている」と言える数字になると思いますか?

池田大作は10年後に生きていれば102歳です。おそらくこの10年間と同じように、決して姿を見せたり、声を発したりすることはないでしょう。つまり、20年間一度も姿を見せない師匠ということになります。もちろん10年間訃報がない場合の話です。そう考えると、池田大作はこれから10年の間のどこかで亡くなると考えた方が自然ですよね。もし仮に10年後も「先生はお元気です」とその時の会長が言ったとして信じられますか?ちなみに今の原田会長は10年後は88歳なので、存命かどうかわかりませんけどね。

学会員さん、これからの10年間で創価学会がどのようになるか想像できましたか?

もう一つ、聖教新聞の発行部数についても考えてみてください。聖教新聞の公式HPに記載してあるのは550万部です。

1951年 5,000部
1960年 1,000,000部
1962年 2,000,000部
1965年 3,000,000部
1969年 4,100,000部
1978年 4,450,000部
1991年 5,500,000部
2010年 5,500,000部

ご覧のとおり、創価学会が日蓮正宗から破門された1991年当時の550万部から29年間、全く発行部数が変わっていません。減りもしなければ増えもしていない。これは何を意味するの考えてみませんか?

もし今現在の550万部が本当であれば、創価学会は29年間会員数が増えも減りもしていないということにもなります。あるいは会員数は減っても、一人の会員が今まで以上に多部数の購読料を支払っているということにもなります。しかしこの550万部という数字がどういう数字なのかと言うと、800万部の読売新聞の次に多いのが聖教新聞の550万部なのです。ちなみに朝日新聞は530万部、聖教新聞の多くを印刷している毎日新聞に至っては230万部しかありません。要するに、聖教新聞が30年近くも550万部を維持しているということが、全く現実離れしているということです。では聖教新聞の550万部はウソなのか?おそらくウソでしょうね。しかし創価としては聖教新聞の発行部数が減っていることを学会員に知らせるわけにはいきません。それは創価が衰退しているということを白状していることになるからです。何が何でも550万部より少ない数字をあげるわけにはいかないわけです。

さあ、学会員さん。どうですか?それでも創価学会は躍進していて、広宣流布が進んでいて、原田会長が言うような世界広布新時代に突入したという実感がありますか?現実はどうですか?あなたの身近な学会員の様子が創価学会の未来を語っていますか?10年後の創価学会は今より素晴らしく繁栄していると本気で思えますか?一度じっくり自分で考えて見てはいかがでしょうか?

ということで、今回は「10年後の創価学会の現実」というテーマで、現役学会員さんに向けて話をして見ました。

皆さんも、皆さんが考える10年後の創価学会の姿を教えてください。よろしくお願いします。

創価学会はなぜこんなにも嫌われているのか?

創価学会は本当に一般の人たちから忌み嫌われています。これは誰の目にも明らかな事実ですので、たとえ学会員でも否定することはできないでしょう。しかし学会員はそれになんだかんだと言い訳をします。もうめちゃくちゃな言い訳を平気でしますよね。「日本は創価学会を羨ましくて妬んでいるのよ」「正法を広めようとすれば必ず難が競ってくると大聖人も言っている」「この難に打ち勝ってこそ人間革命ができるんだ」などと、上から言われたことを鵜呑みして、そのままを言い訳にして言い放つのですが、学会員は自分で考えないようにしているので、そのこと自体が途方もない屁理屈であるということを理解できません。だから世間からどんなに嫌われようとも、その事実を突きつけられても創価を疑うことができなくなるんですね。

そこで今回のテーマは「創価学会はなぜこんなにも嫌われているのか?」とさせていただきます。これも一つの「なぜ?」です。本当は創価に少しでも疑問を持つことができている学会員さんにこの「なぜ?」を考えて欲しいのですが、この人として当然の「なぜ?」という疑問を徹底的にできなくされている学会員さんにとっては、創価を疑うこと自体が、それはもう大変なことなんですよね。前スレの「創価に『なぜ?』はない」というテーマは、まさにそうした学会員の現実について語ったものです。

創価のおかしなところをあげればいくらでもあります。しかしどんなにおかしなところをあげたところで、学会員さんはそれを「おかしい」とは思えないんですね。というかおかしいとは思いたくないといったほうが近いのかもしれません。うすうすはわかっていても、そのおかしさを認めてしまえば自分の人生を否定しなくてはならなくなる。学会員さんにとってはこれが何より恐ろしいことなんだと思います。とくに真面目に何十年も創価にお金も時間も貢いできたベテラン学会員さんにとって、創価学会は自分の人生の中心に位置していたものですからね。万が一にもこれが間違っていたということがはっきりしたら……と、ちょっと想像しただけでも身の毛がよだつでしょう。しかし、創価が宗教ではなく詐欺だと気づいて創価から離れることができた人は、そうした身の毛もよだつような苦しみを経験しながらも、真正面からその現実に向き合って、苦しみを乗り越えて今日があるわけです。そんな元学会員がどんどん増えているんです。一方で、あいかわらず創価の現実に向き合うことができずに、今も創価からお金と時間を搾取され続けている高齢化してしまった学会員さんが残っているのです。

数が減り、残っている会員もほぼ年寄りばかりになってしまった創価学会という現実。それでもいっこうに姿を見せないお元気であるはずの永遠の師匠池田大作。もし創価が順風満帆で、会員が今もどんどん増えて、社会的にも評価され続けているのであれば、池田が「あとは任せたよ」と言って身をひくのであれば話はまだわかります。しかし池田がいなくなってからの10年間は、創価学会の衰退ぶりはいよいよ顕著になっていくばかりです。茨城県の聖教新聞はもはや学会員が配達できないところまで追い詰められたのです。

さあ、この創価学会の現実をもってしても「創価学会は世界で唯一の人間を幸せにできる正しい宗教である」と胸を張って言えるかどうかを学会員さんに考えてほしいのです。その考える材料として、創価学会がここまで世間から忌み嫌われているという現実をきちんと受け止めて欲しいのです。そうすれば学会員さんにも「なぜ?」を自分で考えることができるようになると思います。創価学会員にとって、創価学会の現実に向き合うことは死ぬほど恐ろしく辛いことかもしれません。それはここに集う多くの元学会員の方々が、自分の経験をもとにリアルな話をされていらっしゃるのでわかります。いま現在、創価学会の活動家は90万人ぐらいだそうですが、創価を経験して離れた方々は、その何倍もいらっしゃるでしょう。

創価学会にもはや未来はありません。どこから見てもそれが現実なのですが、創価学会活動家の約90万人だけが「創価学会だけが幸せになれる方法を知って実践している」と思い込んでいます。残りの約77億人の人たちは創価学会のその字も知らないのです。これが現実なのですが、学会員だけが「創価は世界に広まっている。もうじき創価学会が世界に認められる時代がやってくる」という創価からの話を鵜呑みにしているという現実なのです。世界の人口からすれば、創価学会活動家の数は0.01%に過ぎません。それもこの20年で減り続けているのです。なのに、この現実を無視し続け、創価にお金を貢ぎ続けることが世界を平和にすることだと学会員は信じ切っているのです。そして疑うことから徹底的に遠ざかることで、自分を正当化し、その間違いを指摘されても全く耳を傾けずに、自分が正しいとしか言うことができないのが学会員です。そんな学会員が嫌われない訳がありません。自分たち以外の人生を否定しまくるような人間がすかれるわけがありません。どうかこうした現実に気づいて欲しいと思います。