私の加害者としての学会員時代

皆さんそれぞれに大変な思いで創価から去ったり去ろうと努力されていらっしゃいます。創価を知らない人にはとうてい理解できないだろうし、おいそれと他人に相談できることでもない。ましてや創価脳の人に言ったら最後、危険人物あつかいを受けるのが関の山です。そんな方がこのブログにたどり着いて「自分だけじゃなかった」という驚きと「やっぱりそう(詐欺)だったんだ」と納得される方がほとんどではないでしょうか。

自分は完全に騙されていたという現実を目の前にしたときに、そしてこれからどうするのかとなったとき、やはり人によってやることが違います。ここにコメントしてくださる皆さんのように、創価学会が詐欺だという現実をきちんと受け止めながら、自分にできることを少しずつでも実行して結果を出していらっしゃる方。逆に現実を受け止めることができずに、なんとかして創価を正当化しょうとしたり、創価の正当化は無理でも、自分が信じてきた部分だけでも正当化しょうとして、おかしな理屈をこねたり、あるいは今の創価だけが悪いのであって、本来の創価も、それを信じて生きてきた自分も間違ってはいないと頑なに主張する人もいます。あの三人組のように、創価悪の根源である池田は正義であり、今の最高幹部が悪の根源であるとすることによって自分を正当化するためにまわりを間違った方向に巻き込んでしまうという悲しい人たちもいます。彼らほど極端ではないにせよ、安保法案に反対して国会前でデモをしていた学会員さんなどはそうした方たちのようです。どちらもいまだに創価から騙されていることに変わりはありません。

確かに自分の人生の根幹にしていたものが完全に間違いだったなんて、そうかんたんに認められるようなものではないことぐらい、誰にだってわかります。だからこそこ創価問題は深刻であり「詐欺だと気づいたから、さっさとやめてハイおしまい」というわけにはいかないのです。学会員の多くは被害者であると同時に加害者でもあります。騙された自分のことはまだ自分の責任として受け止められても、自分の家族や友人の人生までも狂わせてしまったというあまりの「とりかえしのつかなさ」に、心が折れてしまったり、立ち直るすべを見つけられないでいたりするのだと思います。でもそれでもどうにか生きていかなければならない。そんなギリギリの精神状態のなかで「自分だけじゃなかった」ということがわかるだけでも、また、自分と同じ境遇や気持ちの人と対話ができるだけでも、これから生きていくための大きな支えになっていると思います。対話によって気持ちを分かち合う。これは単に互いの傷を舐め合うだけのその場しのぎの自己満足ではありません。こうした対話を通じて生きる希望へとつなぎ、さらに創価に少しでも疑問を持てた方が、自分をとりまく厳しい現実をしっかりと受け止めることができるようになるための心のリハビリの場になってもらえればと思います。

皆さんからの貴重な体験談はもちろん、楽しい替え歌や川柳なども、とてもありがたいです。管理人の私は、そんな皆さんの気持ちを受けとめられる器のような場所を継続していくことが、せめてもの自分にできることであり、それが自分の人生を取り戻すための方法だと思っています。これからもよろしくお願いします。

ということで、今回のテーマはちょっとシビアなんですが「私の加害者としての学会員時代」とさせていただきます。つまり創価が詐欺だと気づいて「チックショー騙された〜っ!」と地団駄を踏むと同時に、自分もそうとは知らずに家族や友人を結果的に騙してきたことの後悔や、また覚醒してから自分はこうして家族や友人に謝罪し赦してもらうことで、逆に救われましたといった経験のある方のお話をしていただけるとありがたいです。よろしくお願いします。

財務という名のカツアゲ 2

おかげさまで、再開してから2週間たらずで休止前の勢いを取り戻すことができました。下のグラフにあるように、まるまる4ヶ月休止していたにもかかわらず、12月1日の時点で昨年の総アクセス数を上回ることができました。今年は7ヶ月で去年のアクセス数を超えた計算になります。現在、1日の平均アクセス数が約7000です。この調子でいくと500万アクセスまで、ほぼ2ヶ月。2月の初めには500万アクセス達成のお祝いが皆さんとともにできそうです。

 

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上のグラフの下の数字は今年のビュー、訪問者、コメント数です。今年の1月から11月末までに、 1739467のアクセスと、のべ493978人の訪問者と、7ヶ月で5300ものコメントをいただいたということです。7ヶ月で5300の「創価は詐欺だと気付きました」というコメントが集まっているということです。これ、誰が否定できるでしょう。このコメントを前にして「いや、創価は正しい宗教団体だ」と証明できる人がいるんでしょうか。できるという人の言うことにどれだけの説得力があるでしょう。あるわけないですね。

何度も言いますが、こんなにアクセス数やコメント数での勢いをアピールするのは、自分で考えることを避けている学会員さんに、少しでも目の前の現実に目を向けて欲しいからです。創価の中で言われていることと、現実の社会とのギャップについて、自分は見ようとしていないのではないか。それが果たして正しいことなのかどうかを、自分の頭で考えて欲しいからです。さらに財務というお金のについて考えると、とてもわかりやすいのではないかと思います。例えば「創価のお金の集め方は、宗教法人として正しいのか」という問いを自分に投げかけてください。そこで少しでも考えようとしている自分があったとしたら、それはまだ覚醒する可能性があると思われます。もし「なにをバカなことを言ってるんだ。創価が間違ったことをするはずがないじゃないか。そんなこと考えるなんてどうかしてる」と全く考えようとしないのであれば、残念ながらほとんど望みはないですね。そんな人はこのブログをどれだけ読もうと何の価値もありません。っていうか、そもそもそんな人は読まないですけどね(笑)

とにかくこのグラフにも現れている事実。つまり「創価は詐欺だと気付いた人たちがこんなにいる」という事実とその証言。これは学会員だろうが元学会員だろうが、創価と全く関わりのない人だろうが、誰も否定のしようがないということです。ところが学会員だけは、この否定のしようのないことを否定するんです。つまり創価学会は否定しようのない事実を否定するしかない集団ということです。そんな集団が世界平和を実現できるのでしょうか?と言いますか、そんなこと誰がしようとしているんでしょう。たくさん財務をすればするだけ幸せになれるという教えの教団が世界平和を目指しているなんて誰が思えるんでしょう。会員から集めた莫大なお金の使い道を全く公表しない教団が、いつ世界を平和にしてくれるというのでしょう。そんなことすら考えようとしないのが創価学会員です。とにかく考えない。考えようとしない。考えることを悪だと思い込まされている。自分で何も考えずに組織の言うことを聞いてありったけのお金を貢げば幸せになれると思い込まされている。これ絵に描いたような詐欺の手口ですよ、学会員さん。だからそれに気付いた学会員さんや元学会員さんが、こうやって7ヶ月で5300もの証言をしてくれているんです。このブログが始まってまる5年間で19514の証言です。これだけの証言を無視できること自体が不自然ですよね。

もう創価は衰退・激減の一途をたどっていることは、活動している人の方が身にしみてわかることです。ブロックが消滅し、地区が統合され、幹部の兼務が当然のこととなり、残された会員の新聞啓蒙のノルマが増え、新聞配達員もいなくなって、高齢の会員が身体を酷使して配っている。座談会は何十年経ってもただ年をとっているだけの同じ顔ぶれ。こんな組織に未来があると本気で思っているのでしょうか。思っていなくても思っていることにしなければならないのが現実でしょう。そこまで無理して創価が正しいと思いたい、自分の人生は間違っていないと思いたい。きっとこれが本音だと思います。しかし口が裂けても言えない。言うどころか、自分が思っただけでも怖くてたまらない。そうやって怯えることもしたくないから、とにかく考えないようにする。思考停止に安住の地を求める。それこそ創価の思う壺です。自分で考えましょう。自分で自分の人生のことを考えましょう。自分の子どもに今の自分のような生き方を強制していいものかどうかを考えましょう。それが未来のある子どもに対する正しい人生の選択なのかを自分で考えて欲しいと思います。

私は自分の考えが正しいかどうかはわかりません。なにしろ生まれて50年過ぎてから、自分の人生観、価値観は完全に間違っていたことに気づかされたんです。今さら何が正しくて、何が正しくないかなんて他人に言えた義理ではありません。ただ、自分のこれまでの残念な人生の中で、一つだけわかったことは「創価学会は詐欺だ」ということです。そしてこれはこのブログにコメントをしてくれているほとんどの方と共通の認識だということです。この事実を受け止めるか受け止めないかは読む人次第です。その人が何を信じるのか、何を信じないのか誰も何者からも強制することはできません。何を信じ、何を信じないかは、自分で考えて自分で決めることだと思うからです。

ということで、今回のテーマも引き続き「財務という名のカツアゲ 2」でいきます。財務に関して、これまでの経験や思うことなど、思う存分お話しください。よろしくお願いします。

財務という名のカツアゲ

皆さん、さっそくお返事いただきありがとうございます。
テーマについては、皆さんのご意見を参考にさせていただきつつ、基本的にはこれまでと同じように、私の方で決めさせていただきます。
要は、このブログの趣旨に賛同された皆さんが、積極的にお話をしていただければ、多少の脱線も含めて多いに結構なことだと思うわけです。いちばん避けたいのは変な雰囲気になったり、妙な気を使わなければならなくなるような事態ですね。挨拶だとか自己紹介だとか管理者として色々言ってきましたが、普通に人と話をする感じで書いてもらえば何の問題もないんです。
私は管理人として、これからの方向性を色々と模索していきたいと思います。皆さんはこれまでどおり、思うところを書き綴っていただければ嬉しいです。

ということで、今回のテーマは、何人かの方が提案されていましたように、また時期的も今が真っ盛りであろう「財務」にしたいと思います。皆さんがこれまでどんな風にして財務を行ってきたか。どれだけのお金が集まって、いったい何に使われていたのかも一切明かさない財務について、なぜ何の疑問も抱かなかったのかなど、これだけとっても話は尽きないし、思い出すだけでも悔しい思いをされる方がたくさんいらっしゃると思います。創価の収入源として、おそらく財務の占める割合が多いと思われます。もちろん、聖教新聞の購読費や、掲載広告による収入や、会員にノルマとして買わせる書籍や、ペット霊園みたいな貧弱な墓を一人で軟区画も買わせたり、ご本尊が変わったからといってただのカラーコピーに買い替えさせたりと、ありとあらゆるいろんな手を使って会員からお金をふんだくっています。職員の給与や会館の維持費にこんなにもお金がかかるわけがありません。本来お金がかかるはずの会館の警備やメンテナンスも会員の無料奉仕です。聖教新聞の配達や集金業務もほぼ無料奉仕。ではいったいそのお金はどこに流れているのか。宗教法人故の非課税。非課税というメリットもさることながら、どれだけのお金が集まっているのかを公表しなくていいという、創価にとっては最大のメリットがあります。パナマ文書にも創価の名前がありましたが、実際はそんな生易しいものではないでしょう。どれだけのお金が集まっていて、何に使われているかも大変な問題ではありますが、そんなことに少しも疑問を感じないまま、言われるがままに毎年毎年組織単位で競争しながらお金を出している一般会員の洗脳ぶりが最大の問題だと私は思います。

皆さんにとっては嫌なことを思い出させることになるとは思いますが、何も考えずに創価にお金を貢ぐような人が一人でも減るように、皆さんの財務にまつわるお話を中心に聞かせていただければと思います。

テーマは「財務という名のカツアゲ」。ちょっと刺激が強いですか?まだ創価を少しでも宗教だと信じている人にとっては「なんてことを言うんだ(怒)」となりそうですが、創価の財務がカツアゲでなくて何なのかと逆に訊きたいくらいです。創価の目的はお金です。何の見返りも与えることなく、ただひたすら会員からお金を巻き上げること。そのための日蓮の教えであり、組織であり、会合であり、聖教新聞であり、創価学会仏であり、池田大作大先生です(笑)。何も疑わずに持っているお金を効率的に差し出させるには、インチキ宗教がいちばん手っ取り早い。創価以外にも怪しい新興宗教が山ほどあるのはこのためです。サラ金やエロ雑誌の販売で小銭を稼いだり失敗したりしていた戸田・池田の悪徳コンビは、もっともっと確実に金儲けをするにはどうしたらいいかという悪知恵を働かせた結果「よし、いっちょインチキ宗教でドカンと儲けてやれ」そう考えたわけです。金儲けのためのインチキ宗教だからこそ、教義の内容なんてどう変わろうが、会則が180度変わろうが、会員が信じてしまえばOK。きっと彼らは自分にこう言い聞かせてきたでしょう。「騙される方が悪い」。そう、騙される方が悪い。それだけです。だからもう騙されないようにしましょうよ。今までは騙されてきたかもしれない。なぜか?それは自分で考えることをやめてしまったから。なぜか?自分で考えると不幸になると言われたから。それが恐ろしくて自分で考えることをやめて、言われたとおりのことをやれば必ず幸せになれる。それが宇宙の法則なんだと。こうして多くの人が幸せになりたいがあまりに自分で考えることをやめて、「お金を出せば出すだけ幸せになれる」と言われたとおりに、お金を出し続けてきたわけです。こうして創価学会は会員が出すお金でどんどん大きくなりました。大きくなりましたが会員は幸せになどなってません。自分で考えないから、幸せになっていないことにも疑問を持てなくなってしまった。たとえ疑問を持っても、疑問を持つと福運が消えるとか、魔が競ってきたとか、適当な脅し文句で黙らされる。日本全国この繰り返しで、創価学会はいまだにお金をいくら持っているのか会員は誰一人知りません。そしてそのことに何の疑問も持ちません。一般のカツアゲはお金を取られた被害者は被害意識がありますが、創価のカツアゲは被害者意識を持てなくしてますので犯罪として立件できません。それも計算ずくです。計算ずくのカツアゲに変わりはありません。

最近まで創価を信じていた人にとって、また、これまで数百万、数千万円の財務をしてきた人にとっては相当なショックでしょうけど、これが現実です。こんなひどい話ってないでしょ。でもこれが現実です。創価が詐欺だと気づいたなら、この残酷な現実をしっかりと受け止めるしかないんです。きちんと受け止めた上で、これから先どう生きていくかを考えなければ、あの3人組のように、苦し紛れの自己正当化行動に走るしかなくなります。白いブランコさんのように、八方塞がりになってしまいます。あるいは精神的に参って、現実逃避の世界に逃げ込んだまま帰らぬ人となってしまいます。辛いけれども辛い現実を辛い現実としてきちんと受け止める。そのためにこのブログで多くの人が気持ちを共有しようと頑張っていらっしゃいます。このブログはそのために存在します。自分が創価にどんな気持ちでどれだけお金を貢いできたか。その現実を受け止めるためにここの皆さんのお話に耳を傾けてみてください。

ご意見拝借お願いいたします。

今回このブログを再開するにあたって、皆さんにあらためてお断りしなければなりません。皆さんのお言葉に甘えて、これからは以前よりもゆっくりとマイペースでやっていきたいと思います。基本的に言いたいことはこれまで繰り返してきましたので、これまで以上に皆さん同士の対話の場にしていただければと思います。コメントをいただいた皆さんへのお返事は、お一人お一人にできないのはこれまでどおりですが、今後はこれまで以上にお返事できる機会が減ると思います。「思い切って初めてコメントしたのに何にも返事がない」とがっかりしないでくださいね。それよりもこれまで以上に皆さん同士の対話場になっていけば嬉しいです。もちろん私もできるだけ対話に加わるつもりでいますが、しょっちゅうブログを覗いているわけではありませんので、そこは勘弁してください。

で、再開後のテーマですが、とりあえず創価で話題になっている「創価学会仏」と「池田大作先生」というお笑いネタで軽くスタートしました。まあ、皆さんの対話のきっかけになればテーマは何だってよかったのでこれにしたわけです。でもいつまでもこんなおチャラケテーマでは話したいことも話せなくなるかもと思い、これからのテーマ設定や方向性について、この間から考えていましたが、なかなかいい案が浮かびませありません。そこで、皆さんにお知恵を拝借したいのです。もう5年もやってきたので、テーマ的には出つくした感があるし、かといって「なんでもいいから話をどうぞ」なんて管理人として無責任だなとも思うし、このテーマの内容によってたどり着く方も少なくないと思うのです。

創価の何が問題なのかははっきりしてます。そのはっきりしたことをどうやったらはっきりしない人にも理解してもらえるのか。あるいは、問題ははっきりしているけれども、この先どうしたらいいかわからない。という方もたくさんおられます。本当に難しい問題なので、これ!といった解決策を明示できないのですが、それでも問題意識を共有するということだけでも、気持ちを整理して前向きに物事を考えることができると思います。私は5年前に創価が詐欺だったということに気がついても、このブログを書かなかったら気持ちの整理がついていたかどうかわかりません。鬱の症状からねけだせないままだったかもしれません。とりあえず今の自分に何が起こっているのか、これを文字にして整理してみる。また、そうした自分の気持ちを理解してくれる人と対話ができる。これほど当時の自分を救ってくれましたのはありません。だから自分のためにも、また創価問題で悩んでおられる方のためにもこのブログは続けたほうがいいなと思いました。ただ、数ヶ月前のような展開になると如何にこうにもならなくなるということも勉強させていただきました。テーマの闇の深さを思えば、それはある意味仕方のないことなのかもしれません。何もかもうまくいくわけがないし、むしろそんなことを乗り越えながら続けていくことの方が、よりリアルな対話が展開されるのではないかとも思います。それなりに辛いですけどね(笑)

いうことで、ブログの方向性はもちろん管理人の私が決めますが、毎回のテーマに関しては、これまで以上に皆さんのアイデアをお聞きしたいと思います。そんなことも含めて、今回のテーマは第3シーズンの「対話を求めて」に関するご意見を皆さんにお伺いしたいです。

よろしくお願いします。

池田大作先生という会則

創価学会仏が世間一般の感覚からすれば、ただの笑い話ってことに学会員さんが気づかないのは、気づきたくない、あるいは気づいてもなかったことにする。都合の悪いことには慌てて蓋をするのが学会員さんの特徴ですね。自分の体験として痛感します。「もうあれこれ考えないようにしよう。日蓮仏法は絶対に正しいのだし、凡夫の自分が考えて判断するようなことじゃない」と、まさに思考停止状態でした。思えば、まわりの学会員さんはみんなそうでした。今考えると本当に気味の悪い集団です。

創価学会仏に輪をかけてもっとお笑いなのが、池田名誉会長を池田大作先生と呼ぶことを会則にしたということですね。これも一般常識では考えられないことなんですが、創価の常識は世間の非常識と言われてきたように、それほど驚くようなことでもないかもしれません。「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」ということわざもあるように、馬鹿丸出しな会則変更には、幹部も「はやまったかな?」と後悔してるかもしれませんね。

ということで、今回のテーマは「池田大作先生という会則」とします。「創価学会仏」も含めて、今回のお笑い会則変更を通じて、会員がいかに洗脳状態にあるか、皆さんの過去の体験などのお話しをしていただけるとわかりやすいと思います。

よろしくお願いします。

創価学会仏って何?(笑)

今や全国のお笑いネタとなっている「創価学会仏」。第三ステージのスタートは、ツッコミどころ満載のこのテーマからいってみましょう。

いやはや、創価学会仏ってマジで何なの?創価学会員になって、何も疑わずに活動して、新聞代払って、財務をしたら、みんな「創価学会仏」っていう仏様になれるよってことですかね(笑)。こんなことを真面目な顔して会則に入れ込むって、マジ終了って感じですね。どなたかもおっしゃってましたが、私もこれを聞いたときには「創価学会おだぶつ」って見えました(笑)

う創価学会は日蓮なんてどうでもいいんでしょうね。ってか、もう日蓮の教義では会員が騙されにくくなってきたことの対策なんでしょう。日蓮が一切衆生を救済するために出現した末法のご本仏だの何だのと言ってると、日蓮正宗との違いが出せなくなるし、それまで日蓮と同じだとされる大石寺の大御本尊に手も足も出せなくなった創価学会としては、信仰対象を日蓮の教義から創価学会オリジナルへとシフトする必要性があったのかもしれませんね。創価としては「創価の信仰だけが幸せになれる」ということにしとかないとカモが逃げてしまいますから、そこで考えたのが「創価学会仏」という苦し紛れの会則変更だったのではないでしょうか。「創価学会仏」という表現は過去の指導にもあったようですが、ここに来て会則入れ込むというのは、執行部の方も相当な危機感を持ってのことなんだと思いましたよ。創価学会が日蓮正宗から破門されて、創価学会独自の教義を会員にゴリ押ししてきましました。今まで拝んでいたのは偽物で、創価学会が発行する改ざんカラーコピーが本物の御本尊ですよ〜って言いだしました。それでも会員は疑わずに、新しいカラコピ御本尊にひたすらナムナムしてきましましました。それまで邪宗だといって、神社の鳥居をくぐるだけでも不幸になると指導していた創価学会は、他の宗教と共存するのがこれからの宗教の姿ですなどと、180度言うことをひっくり返すと同時に、これまで世界で唯一正しいと言い続けてきた日蓮正宗だけが間違った宗教であると、ボロクソに攻撃するようになりました。こんな風に、創価学会は会則どころか、根本的な信仰の対象教義そのものも、いとも簡単にひっくり返して涼しい顔をしてきました。そしてそのことにほとんどの会員は何の疑問も持たないまま、活動に財務にと、自分の人生を捧げ尽くしてきたのす。

「創価学会仏」……と聞いておかしいと感じないこと自体がイかれてる証拠です。

「はあ?創価学会仏ってどんなブツ?」って思うのが普通の感覚ですよ学会員さん。いや、きっと聞いた瞬間は思ったはずです。でも次の瞬間に、そんな疑問を持ってしまう自分の心をなかったことにしようと自分で自分をごまかしてしまうのが創価脳の特徴です。常識的にどんなおかしなことを打ち出されても「創価がだから正しい」「疑いを持つ自分が間違っている」と無理にでも自分に思い込ませる、あるいは考えないことにする。これが創価脳です。

創価脳は自分で価値基準を持つことができません。疑問を感じてもすぐに打ち消してします。あるいは考えないことにする。思考停止の人間となります。ナチスに先導されたドイツ国民と同じです。 「創価学会仏」といったスットコドッコイな言葉でも創価の中でまかり通るのは、会員が完全に思考停止の創価脳に仕上がっているからです。創価としてはそれでいいわけです。会員が騙されてお金を貢いでくれるのが目的なんですから、はたからどんなに思われようが関係ないんですね。だからこそこんなことも平気でできるんです。

ってことで、これまでと同じように、初めてコメントされる方は、人間として当然の挨拶と自己紹介をお願いします。どの程度の自己紹介が必要かは自分で考えてください。それもわからないような方は、コメントされなくて結構です(笑)。それから、なりすましや荒らしと疑われるような、わけわからないコメントは、管理者が黙って削除しますのでご了承ください。要は普通に一般常識の範囲で書いていただければ何の心配も問題もありません。また、楽しい替え歌や川柳も皆さんで楽しみましょう。

それでは「対話を求めて」第三ステージ、よろしくお願いいたします。

第3シーズンのスタートです。

皆さま、お待たせしました。

まずは4ヶ月近くブログを中断してしまいまして、またたくさんの方にご心配をおかけしたことを深くお詫びします。そして、管理人のシニフィエに対してたくさんの励ましのコメントをいただきましたことに深く感謝申し上げます。

「対話を求めて」第3シーズンのスタートです。

創価学会が詐欺だと気づくことのできた創価学会員、元創価学会員の皆さま。それぞれにいろんな思いがあり、言い尽くせないことがあり、これからどうしていいのかわからない方もたくさんいらっしゃると思います。このブログでは、そんな皆さんのどこへ持って行きようのない気持ちを共有し、また、まだ創価学会に宗教性などというものがあるかもしれないなどと寝ぼけたままお花畑をさまよっている人が、何らかのきっかけによって創価学会の実態を客観的に受け止めることができるよう、皆さんが体験してきた創価学会での体験を、それぞれの立場からお話しいただければと思います。

これから数日間は、初めての方でも自己紹介などなしでもコメントを承認させていただきます。これからこのブログが何らかのお役に立つことができますように、皆さんと共に対話を積み重ねていきたいと思います。どうかよろしくお願い申し上げます。

 

明日再開です。

そういえば、今思い出したのですが、このブログ「対話を求めて」が休止したのは二度目です。一度目は、コメントの制限を全くしていなくて、それでもある程度はスムーズに進行していたんですが、やはり途中からおかしなのがワラワラ湧き出てきて、一旦休止した経緯がありました。それからしばらくして、コメントを承認制にした上で再開しました。その後は特に大きな問題もなく、アクセス数もどんどん増えてきて、1日8000を超えるほどになり、創価がじつは詐欺団体だったということに気づいた方も随分増えたようでした。相変わらずなりすましや嫌がらせや、時には創価脳の殴り込みなどもありましましたが、それらをコメントされる方がどう捉えるのかという考え方の違いで、意見の分かれるとこととなってしまい、なんだか違う方向に陥ったようでしたので、ここで一旦休止させていただきました。これ管理人の私もかなり疲弊してしまいましたが、皆さんからの励ましや要望のコメントをいただき、ゆっくりと考える時間をとれたおかげで、明日再開の運びとなりました。皆さん、明日はたくさんコメントくださいね♫

明後日再開です。

今回、ブログを再開するにあたって、どんな風にやっていこうかといろいろと考えましたが、基本的に負担にならない形で、じわじわと続けていけるようにしたいと思っています。創価を信じて真面目に活動をやってきたあげくに、結局は大切な時間とお金をだまし取られ、友だちをなくし、社会的な信用もなくしてきたことがわかったら、本当に凹みます。凹むくらいならいいですが、失った人生や。家族や友人や仕事場の仲間に大変な迷惑をかけてきたことの取り返しのつかなさに立ち直れない人もたくさんいらっしゃると思います。逆にこのことを受け止められないばっかりに、変な理屈をこね回して「創価は変わってしまった」とか「自分が信じてきた創価を取り戻そう」などと、現実逃避に走ってしまう人も少なくないようです。例の3人組も、白いブランコさんも、その典型と言えるようです。どうにかして自分はまちがっていないことにしたい。ごめんなさいが言えない子供のようです。目の前の現実をきちんと受け止め、自分がやってきたことの過ちを素直に認める。それはたとえどんなに苦しかろうと、自分で乗り越えなければ先には進まないということだと思います。それは3人組のブログを見ればわかります。3人組はサイレントデモや集会を開催し、今度はほんまで出すそうです。ところで彼らのゴールはどこなのでしょう。彼らの行動で創価が心を入れ替えて正しい宗教団体に返信するとでも本気で思っているのでしょうか。それ以前に創価のどこが正しかったというのでしょう。創価は最初からただの詐欺団体だったということに気がつけば、すべての謎が解けます。つまり「自分は騙されていたんだ」ということに気がつくことです。自分が騙されてきたわけがない。そう思いたい気持ちは痛いほどわかります。でも現実を見なけれなならないのです。創価学会員は一人残らず騙されてきた。創価学会は最初から宗教でもなんでもない、ただの詐欺団体だった。そのことを受け入れて、なおかつ騙されてきた自分の現実も受け入れて、そしてこれからどうやって生きていけばいいのかを語り合える場にしていきたいと思っています。まずは11月18日に皆さんとの再会をお祝いしましょう。何かひと言でもいいですからコメントをお願いします。そして初めて来られる方も「なるほど創価ってそうだったんだ」とわかる場にしていければと思います。皆さん、どうかよろしくお願いします。

再開まであと5日です。

おそらく11月18日の創価学会や聖教新聞の公式HPには、誰が書いたのかもわからない「池田大作先生」のメッセージが載るんでしょうね。創価学会を検索したら、最初に出るのがこの公式HPですが、そのすぐ下に「創価学会は詐欺です」とたくさんの元創価学会員が告白しているサイトがあるというのは重要なことだと思います。

5年前に私が創価学会が詐欺だとうすうす気付きかけたとき、背中を押してくださったのが、希望さんの「白バラ通信」とクロさんの「真実と幻想と創価学会」でした。あ、それからもう一つが「創価の森の小さな家」という完全創価脳サイトでした。私が創価学会に対する疑問を自分でどうしようもなくなったときに、最初に見たのがこのサイトです。そのとき私はまだ半信半疑で「53歳学会員」というHNで創価に関する質問をしました。その様子は今でもここで見ることができます。

http://sokanomori.exblog.jp/17098281/

読んでいただくとわかりますが、創価に疑問を持った私を、このサイトの管理者は何一つ答えようとはせずに、すぐさま「なりすまし工作員」と断定して、他の常連創価脳の方々とともにけちょんけちょんに攻撃しました。上記のページには私のコメントも載せてありますが、私が書いたコメントはこの何倍もの量になります。明らかに答えようのない創価の矛盾に関する部分は載せていません。生まれた時から学会員にさせられて、そこそこ真面目に信じて活動をしてきた私が、50歳を過てどうしようもなく湧いてきた疑問に対して、気持ちを汲むような学会員はそこにはいませんでした。おかげさまで私はこれで創価学会は完全におかしいと確信が持てたのです。今となっては感謝しています(笑)。それから今度はアンチブログを見るようになりました。そこで一番しっくりと自分の中で納得できたのが、先ほど紹介しました「白バラ通信」と「真実と幻想と創価学会」です。いったん創価は詐欺だとわかったら、アンチブログの方が言っていることがスルスルとわかってきます。逆に創価を信じているうちは何も入ってきません。理屈じゃないんですね。「創価は正しいと先生が言ってるから正しい」それだけです。それ以上は自分で考えない。創価から言われたことは絶対的に正しいのだから、どんなにおかしなことであっても疑問を持つ自分の方がおかしいんだと自分に言い聞かせて、それ以上考えることをやめてしまいます。先の「創価の森の小さな家」にも日蓮の言葉について色々と書いてありますが、日蓮が本仏で、御書は絶対だという前提なので、言ってることが根底からおかしいんですよね。例えば日蓮は釈迦が法華経を説いたということを前提にしていますが、そもそもそれ自体が間違いであることは誰でも知っていることです。そもそも釈迦は自分の教えを文字にしなかったわけで、文字として残されている仏典というのは何百年もあとの聞きづてだったり、勝手に想像して書かれたものであることが判明しているわけですから、これ一つについても基本的に日蓮の教義は根本から破綻しているということになります。日蓮は鎌倉時代の僧ですから、宇宙がどうなっているかも、地球が丸いことはおろか、アメリカやヨーロッパの存在すら知らなかったわけで、当然キリスト教やイスラム教のことも知らないで、宇宙の法則は南無妙法蓮華経だなどと勝手にふれ回ったのですから、何も知らない当時の人たちならともかく、800年後の私たちがこんなものを信じること自体がどうかしていると思います。まさに、どうかしていたんです。こんなデタラメでも生まれた時から言い聞かされていると、理屈など関係なく信じてしまうのが人間なんですね。

そんなわけで、5年前の私は53歳にしてアイデンティティが崩壊してしまいました。もっと若い頃だったら、まだ頑張ってやり直していこうと思えたのでしょうけど、なんせ人生の大半をこんなインチキ宗教団体のいうことを信じてきたのですから、これから何を頼りにどうやって生きていけばいいのかわからなくなってしまいました。いてもたってもいられなくなって、このサイトを立ち上げたのです。いったい創価が詐欺だとわかった学会員たちはどうしているんだろう。どうやって生きているんだろう。そんな思いで、その時その時の自分の気持ちを整理するために、書かずにはおれませんでした。こうして言葉にしていくことで、なんとか自分を保てていると思っていました。しかし、すぐに鬱の症状が出ました。仕事にもプライベートにもいろんなことが上手くいかなくなりました。この時、もしまだ創価を信じていたなら、これが罰だと思い込んだのかもしれません。しかしもはや創価の教えは完全にインチキだという確信は揺らぎませんでした。それはあの創価脳サイト「創価の森の小さな家」の異様な世界を目の当たりにした経験が、私を創価に引きもどさなかったんだと今は思います。

この「対話を求めて」はそんな経緯を経て5年前の12月6日にスタートしました。いろんなことがありました。特に荒らしには苦労しました。でも後から考えると、荒らしをするような輩というのは、ネットの広大さを考えればほんの一握り、結局のところ数で言えばほんの数人だけが面白半分で攻撃してきたように思います。まあ、攻撃しなくても、よそのサイトや巨大掲示板などでボロクソ書いてあったりもしましたが、それは別にこのサイトに関してだけのものではなくて、もともと無法地帯のネット上でのことですので、いちいちそんなものを相手にするようなことではありません。考えるに、荒らしは取るに足りないものだという結論です。ただ、この荒らしをきっかけにしてサイト休止になったのも事実です。これは今後の荒らし対策のための良い経験として活かしていければと思います。それと創価脳の殴り込みが順にやってきました(笑)。私としては真摯に対応したつもりなのですが、一人残らず尻尾巻いて逃げて行きました(笑)。なので、これからは創価脳の殴り込みは相手にしないことにします。

「対話を求めて」再開まであと5日。皆さま、創価学会創立記念日でもある11月18日のコメントをどうかよろしくお願いします!創価が詐欺だと確信できた学会員や元学会員が、現実にこんなにたくさんいるんだということをはっきりとリアルに示す機会に出来ればと思っています。それがこのブログの最大の存在意義だと思います。どうかよろしくお願いします!