誰も知らない池田大作

会員に「何でも願いが叶うが、お金を出さないことには叶わない。少しでも疑ったら最後は地獄行き」とおだてて脅して、聖教新聞と財務で巨万の金儲けをしている創価学会。会員以外には決してそんなことは言わない創価学会。会員以外にいえば、たちまちインチキがバレるからです。マスコミもお金で黙らせてるし、政治も学会票で黙らせている。とにかく会員を騙してお金を奪い取る。当然ですが会員は全員不幸になります。しかし自分が不幸であることすら気づけないように騙されています。新聞配達一つにしてもそうですよね。どこの世界に有料で販売している新聞をただで配達させて、ただで集金させて、おまけに部数が減りそうになると自腹を切って補填する団体がいますか?それが当然だと思っている団体がいますか?しかしそれが創価学会の会員の姿です。
そんな創価学会のインチキぶりにようやく気がついて、このブログにたどり着いた方がたくさんおられます。自分が騙されてきたことのあまりのショックに精神のバランスを崩してしまう方もおられます。怒りの持って行き場がなくて、毎日フツフツしている方もおられるでしょう。でも、もう何をどうやっても過去は変えられません。これからどう生きていくかしかないと思います。ただ、やっぱり一番辛いのは覚醒できない家族の存在でしょう。みなさん自分の体験としてお分かりのように、創価に騙されていると、創価以外のものを全て見下すような考え方しかできなくなります。「どんなに偉い人だってこの信心してないんだから私の方が上なのよ」と、ものごとや人間の価値に優劣をつけては鼻をどんどん高くしてふんぞり返ってますよね。これが信仰を持つ人間の姿なのか考えればわかりそうなものだし、こんなに他人を見下すことに対して何の違和感も感じないというのは、信仰者云々以前に、もはや人としてどうなのかというレベルだと私は思います。学会員はそれほどまでに物事の判断力がなくなっているということなんですよね。

おかげさまで、このブログも来月には600万アクセスに届きそうです!

これまで通り、600万アクセス達成の時には、みなさんでお祝いしましょう!

この600万という数字は、それだけ「創価学会はインチキ詐欺集団だ」という認識が世間に広がっているということでもあります。まあ、創価学会と直接関わりのない人にとってはどうでもいいことなのですが、少しでも創価と関わる人にとっては、この「創価学会はインチキ詐欺集団だ」というまぎれもない事実は多少ともショックなことではないでしょうか。

「聖教新聞という集金ツール」
「創価学会というインチキ詐欺集団」

さて、次のテーマはどうしましょう?

「誰も知らない池田大作」にしましょう。つまり、今の池田大作について創価学会員は誰も知らないということについてです。7年以上も誰も姿を見ていないのに、崇め奉っている学会員の思考停止について、みなさんの感想を聞かせていただければと思います。特に最近まで組織にいた方は、実際に会員は池田大作の疾走状態についてどのように言っているのかを聞かせていただけるとありがたいです。会長や副会長が言うような「池田先生はお元気です」という言葉を、何の疑いもなく信じているのか。それとも顔には出さないが疑っているのか。しかし疑ったりするとバチが当たるとか、福運を逃すなとと恐れているのか。7年もの間、声すら聞かせない池田大作が元気でいるわけないんですが、学会員さんはその辺りをどのように納得しているんでしょうね。
この7年間のうちに新たに入会した人は、ただの一度も池田大作の動く姿を見たことのなければ、声も聞いたことないわけです。変な話ですよね(笑)。それでも「先生はお元気です」って言う会長や副会長の言葉を信じることができるんでしょうか(笑)
普通に考えればこんなことってどう考えても納得はできないでしょうから、考えないことにしているのでしょうね。もちろんそれは池田大作の姿についてだけではなく、創価のおかしなところ全てにおいて思考停止させられているということですよね。そこまで話しているとキリがないので、今回のテーマは「誰も知らない池田大作」ということで、みなさんが感じてきた具体的な例を通じて学会員の思考停止ぶりをお話していただければと思います。
よろしくお願いします!

創価学会というインチキ宗教詐欺集団

今回はこれまでとは少し違ったテーマの立て方をしてみました。

創価学会というインチキ宗教詐欺集団。いきなりですが、このブログではこれが基本です(笑)。「いくらなんでもそれは言いすぎだろ」とか「とはいえ多少は宗教的な要素があるんじゃないか」などと思っている人にとっては、このブログで多くの人が語っている創価学会員としての体験には納得がいかないと思います。
例えば「聖教新聞をやめるとバチが当たるんじゃないかと恐ろしい」とか「今朝は勤行をサボったから嫌なことがあった。明日からはサボらないようにしよう」とか、あるいは「創価学会も日蓮正宗の信徒だった頃はちゃんとしていたんじゃないか」などと宗教とオカルトと詐欺の違いがわからないというか、考えようともしないのが多くの創価学会員であり、その「自分で考えない」というより「自分で考えることの罪悪感を植えつけられている」というのが実際のところではないでしょうか。だから、創価がおかしいと思えることも、めちゃくちゃな屁理屈で自分を納得させているんですよね。

もう一度言います。いや、何度でも言います。創価学会は最初からインチキ宗教詐欺集団でしたし、今もタチの悪い詐欺集団でしかありません。いくら衰退の一途をたどっているとはいえ、まだまだ創価による詐欺の被害は計り知れません。この「創価学会というインチキ宗教詐欺集団」という結論に納得できない限り、学会員は創価学会のインチキに惑わされ続けるということです。また、創価はインチキでもご本尊には力がある。お題目をあげるといいことがある。過去世の罪障消滅ができるなどといったオカルト思考が抜けないのも、結局は創価学会の詐欺に引っかかったままでいるということだと私は思います。「この信心を続けていれば、いつかきっと幸せになれる」という考えは、「いつか王子様が白馬に乗って私をお城に連れて行ってくれる」というのと一つも変わりませんが、創価ではいい大人が現実にこんな子供騙しの詐欺に引っかかっているのです。

私は生まれた時からこのような創価学会のインチキを徹底的に植え付けられ、というか、創価以外の宗教も哲学も間違っているという考えしかできない人間に育てられました。今思えば本当にとんでもない洗脳教育です。実際の日蓮正宗や日蓮宗の教えがどのようなものかは知りませんが、少なくとも創価学会は日蓮正宗の排他的な教義を利用して、このような極端な考え方しかできない人間を量産し、お金と労働力をまんまと搾取してきました。

何度でもいいます。創価学会はインチキ宗教詐欺集団です。かと言って、これまでのことをああだこうだ騒いでもしょうがありません。1日も早く立ち去りましょう。静かに、さっさと立ち去りましょう。もうそれしかないと思います。

もしこのブログを読まれている方の中で「創価学会はインチキ宗教詐欺集団だというのは言いすぎなんじゃないか」「創価にもいいところがあるじゃないか」「創価を信じるのは個人の自由だから他人がいろいろ言うのはおかしい」と言った考えの方がいらっしゃいましたら、わかりやすく意見を述べていただいて結構です。ただし、そうした考えと、創価の現実が矛盾しないことをきちんと説明できる方に限らせていただきます。もっとはっきり言いますと、創価がインチキ宗教詐欺ではないという根拠を示すことができる人との対話を試みてもいいのかなと思った次第です。

とはいえ、ブログを始めてから5年間、まともに話のできる学会員さんはいませんでした。唯一ここでまともな対話のできた学会員さんは白いブランコさん一人だけだと言ってきましたが、その白いブランコさんも、結局は一方的に対話をシャットアウトして、ご自分のブログも何の経過報告もないまま閉じてしまわれました。白いブランコさんは創価を離れたのかどうか、また活動するいたったのか、それとも創価が詐欺だと認めることができたのかどうかもわかりません。
私が思うには、学会員は対話する能力を洗脳によって剥ぎ取られてしまっていると思います。対話する能力がないんです。常に自分の言うことが絶対に正しくて、創価を否定されたら創価スイッチと創価シャッターが発動するので、つまり感情でしか物事を判断できなくなるので話にならない。ほとんど絶望的ですが、まともに話のできる学会員さんがいらっしゃいましたら、私は喜んで対話をする用意はあります。もし我こそはと思う方、まず池田大作が元気だというのに6年以上も会員の前に姿を表さない納得のできる理由を述べてください。その理由が一般人にも通用する内容であれば、私が対話に応じます。

私があえてこのスレッドのテーマとして「インチキ宗教詐欺集団」と表現したのは、もうこの時点で創価脳は創価スイッチが発動して創価シャッターをガラガラと下ろしてしまうからです。本当に自分の考えで創価が正しいと信じているのであれば、正々堂々と冷静に建設的な意見を述べることができて当然なのでしょうが、学会員には誰一人としてそんな冷静な態度で対話のできる人は現れませんでした。「創価はインチキ宗教」と言っただけでカーーーッ!と頭に血が上ってまともな話ができなくなるのが創価脳である証拠です。つまり自分で物事を考えられなくなっている。つまり創価に洗脳されて創価のいいように操られている証拠でもあります。私はこの5年間、このブログを運営してきて、数え切れないほどの創価学会経験者のお話に接してきて、創価がインチキ宗教詐欺集団であることの確信を得ることができました。同時に自分が生まれた時から騙され続けてきたことの悔しさとの戦いでもありました。創価学会の最高幹部以外は全員騙されてきたんです。残念ですが、これが現実です。私の父の親友でもあった副会長ですら騙されてきたんです。少年部時代から一緒に活動をしてきた県青年部長も騙されてきたんです。本当にごくわずかの創価学会最高幹部以外は被害者であり加害者でもあります。
池田大作はとうの昔にいないのも同然です。ただ元気でいることにしなければこの巨大組織が運営できないことが最高幹部にもわかっているので、池田大作が今も正気でいることに無理やりにでもしています。6年以上も人前に姿を見せない健康な人間がいること自体無理がありすぎます。「池田先生はお元気です」と側近が何度言おうが、動いている池田大作、話をしている池田大作を見たという記録はこの6年間ただの一度もありません。何度か抜け殻のような池田大作の写真が聖教新聞に載りはしましたが、決して学会員の前に現れたわけではありません。それでも会長や副会長は「池田先生はお元気です」と言うしかない。そう、言うしかないんです。そういう意味ではもはや創価学会は末期だと言えるでしょう。少なくとも今以上に会員が増えることはありえません。ただまだまだ聖教新聞や財務と言った巨額の集金システムは稼働していますから、お金を貢ぐ会員がいる限りは、創価学会中枢はどんな嘘でも吐き続けるでしょう。
まあ、そもそも創価学会はインチキ宗教詐欺集団なので、中枢が嘘を吐くのは当然といえば当然なんですがね(笑)

ということで、今回のテーマは「創価学会というインチキ宗教詐欺集団」です。これに違和感を感じるか感じないかで、創価脳であるかどうかの判断がつくと思います。
覚醒した方の一番の悩みは、覚醒していない親族との人間関係をどうするかといったことのようです。なにしろ冷静に話のできない相手が一緒に住んでいる親だったり配偶者だったり子供だったりするのですから、文字通り話にならないし、愛する家族が騙されているのに、指をくわえて見ているだけしかない自分は辛いでしょう。そして家族といえども創価を否定するものには容赦なく罵声を浴びせ、見下し、親子の縁さえ切ろうとするのが創価脳です。このブログでは常々「自分で気づくしかない」と言ってはいますが、創価脳の家族との生活は本当に辛いと思います。

創価学会は史上最大のインチキ詐欺集団です。だからそのことに気づいたからといって、あっさりと問題解決できる人ばかりではありません。新聞(会報)一つやめるのにも精神のバランスを崩すくらい大変なインチキ集団なのですからね。それなりの覚悟は当然必要だと思います。私もまだその後遺症は残っています。時々「どうしたらいいでしょう」と言う質問もありますが、まずは目の前の現実を受け止めることが先だと思います。現実を受け止める精神的な受け皿のないままだと辛いばかりで何の解決にもならないと思います。一つひとつこれまでの自分に起こってきたことの現実を現実として受け止めていくことから始めないことには、それこそパニックになるだけのようです。

このブログに創価の現実が山のように積み重なっています。これらの真実の声を受け止めること。騙されてきたのは自分だけではななかった。自分だけどころか、もうすでに何百万人もの人が騙され続けてきたという恐るべき現実にきちんと向き合うこと。このブログはそれができると思います。

創価学会はインチキ宗教詐欺集団

まずはこの恐るべき現実を受け止めましょう。そしてこの現実に対して自分はどうあるべきかを自分で考えましょう。自分がこれまでどんなに考えることができなかったのかを知るにつけ、辛さも襲ってきますが、それは仕方のないことだと思います。創価脳の家族との軋轢もどうしようもないと思います。でもそれを乗り越えなければならないと思います。生半可な気持ちでは乗り越え切れない場合もあると思います。でもここにはそんな辛さを理解できる人たちがたくさんいることが励みになると思います。私もそれだけが励みとしてここまでやることができました。

このブログのアクセス数がこの夏の終わりには600万を越えると思います。何百人もの創価経験者が「創価学会はインチキ宗教詐欺集団だ」と証言しているサイトのアクセス数が600万を越えようとしている。これも現実なのです。創価学会がインチキ宗教詐欺集団であることに気づく学会員が日に日に確実に増えているというのも現実です。一人また一人と創価の現実に気づいて静かに去っていけば、創価学会によって不幸になる人が確実に減っていきます。それだけが創価の現実を知りえた者の希望であるような気がします。

このスレッドでは、「創価学会はインチキ宗教詐欺集団」と聞いてどう思われるかを、皆さんそれぞれにコメントいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。

聖教新聞という集金ツール

なかなか更新できなくて申し訳ありませんでした。

前スレの「自分が創価脳であることに気づいたとき」というテーマ以上のものがなかなか思いつかないことや、みなさんからのコメントの説得力が半端なかったこともあり、ついついこのままでとなって、いつの間にかコメント数が200を超えていました(笑)
もういい加減新しいテーマにと思っていましたが、この「創価脳」という言葉が、この創価問題の全てを集約しているように思えて、ここから離れることができなかったように思います(笑)

いよいよ日本全国夏本番って感じですね。朝からうだるような暑さの中で、タダ同然で聖教新聞を配達している高齢の学会員さんが日本全国にいらっしゃいます。聖教新聞に掲載している広告の掲載料だけでも何十億円ものお金が創価に転がり込んでいるんです。もちろん550万部×1934円=106億3700万円の購読料が毎月毎月入っていますが、この聖教新聞という有料の会報を配達している学会員さんは、配達はもちろん集金業務までもタダ同然でやらされています。みなさんご存知のように聖教新聞は新聞という名前ではありますが、一般の新聞ではありません。新興宗教団体の会報です。あたかも新聞であるかのような仕様にして、一般の新聞と同じような企業広告を載せて、広告費だけはしっかりと企業から回収しています。聖教新聞の公式ホームページには、広告掲載の料金表が載っています。
http://www.seikyoonline.com/intro/information/pdf/price-ad.pdf
普通の人が見てもすぐにはわからないと思いますが、簡単に言うと、1ページをカラーで全国版に1回載せるには400万円の掲載料を創価学会に支払わなければなりません。例えば今日の聖教新聞にカラー広告が4面載っていたとしたら、それだけでも1600万円のお金が創価学会に転がり込んでいるわけです。また、例えば関東地域に限って紙面の一番下の段に白黒の広告を1回だけ載せたとしても682,000円のお金が創価学会の懐に入ります。一回の聖教新聞にはどれだけの広告が載っていますか?ちなみに聖教新聞社は「社」という名称ですが、決して会社ではありません。だから会社としての収支報告の義務はないので、聖教新聞の購読料と広告掲載費で、創価学会にどれだけの収益があるのかを公表する義務もありません。創価学会の出版部門をあたかも独立した会社であるかのように思わせるためのカラクリでしかありません。毎日新聞社をはじめとした新聞社に聖教新聞の印刷を外注していますし、印刷所から各地域の販売店までの運送費などがかかったとしても、創価学会は聖教新聞だけでも毎日毎日莫大な利益をあげているわけで、しかしそんなことはおくびも出さずに、タダ同然で会員に配達や集金をさせているのが現状です。

創価学会は毎年年末に「財務」という名の寄付金を募ります。表向きは「真心の財務を」などと謳っていますが、現場は壮絶な金取り合戦が繰り広げられています。このブログでも4桁財務をしてしまったという方の報告も少なくありません。(ご存知ない方のために言いますと、4桁というのは一人で1回に1000万円以上の寄付するという意味です。3桁は百万円以上ということです)私の両親も娘たちが結婚するときもびた一文渡さずに、何軒か家が建つほどのお金を創価に貢いできました。財務部員拡大の時期になると、創価脳たちはとりつかれたように会員にお金の無心に奔走します。そして財務によってどれだけのお金が創価に入ったのか、そのお金を何に使ったのかを、創価学会は創立以来、タダの一度も公表したことはありません。
創価が会員からお金を巻き上げるのは、財務と聖教新聞だけではありません。二束三文で買い叩いた僻地にみすぼらしいペット霊園のような墓苑を造成し「この墓を買えば功徳がある。成仏間違いなし」などと会員にふれ回らせて、法外な価格で売りさばいています。私の父の墓も分骨して創価の墓を購入しましたが、場所があまりに遠くなため、もう何年も誰も足を運んでいません。
創価学会は聖教新聞以外にも、書籍や民音やその他あの手この手で会員にいろんなものを買わせていますよね。それも組織を通じてノルマをかせていますから、末端組織では否が応でも購入しないわけにはいきません。

でもこれだけ創価がお金儲けをしていても、そしてそのお金を何に使ってるのかを知らなくても、学会員が少しも疑問に思わないんです。これが創価脳です。どんなにおかしな現実を見せられても何の疑問も抱かない。ここでは一つの例として聖教新聞の料金について書きましたが、他にも創価学会が正しい宗教であると考えるには、あまりにおかしなことばかりが満載なのです。でも実際にお金を貢いでいる、つまりお金を騙し取られている学会員自体は、そのことに全く気づかないように洗脳されてしまっている。創価学会とは宗教を隠れ蓑にしたただの詐欺組織です。会員はただのカモでしかありません。会員を騙してお金を巻き上げる。それだけの犯罪集団でしかありません。もしそうではないというのなら、聖教新聞によって得られるお金がいくらなのか、そしてそれを何に使っているのかぐらいは公表して当然でしょう。月100円かそこらの町内会の会費だって一円も漏らさず会計報告をします。それが当たり前の姿です。そんな当たり前のことが創価学会員には通用しないんですね。これだけ莫大なお金を巻き上げられて、それを何に使ったかも教えられなくても何とも思っていないんですから(笑)。もう笑っちゃいますよね。

ということで、今回は創価がいかにお金目当ての詐欺団体であるかをあらためて考えてもらおうと思いまして、特に聖教新聞を例にとって書いてみました。皆さんも聖教新聞をはじめとした集金ツールについて思うところを思う存分書いていただければと思います。よろしくお願いします。

自分が創価脳であることに気づいたとき

このところ仕事が忙しくて皆さんからのコメントを承認するのが精一杯で、なかなか更新できませんでした。もうしばらくは忙しい日が続きますので、どうか皆さんで対話を進めていただければと思います。

前スレで「創価脳」をテーマにしました。もちろんこの言葉はこのブログで出てきた造語です。文字どおり創価学会員の思考回路の事をさしますが、同時に学会員は被害者であるということの意味も含まれています。騙されていることの自覚を持てないどころか、創価を信じることで誰よりも幸せを手に入れることができると思い込んでいます。思い込んだら最後、疑うことすらできなくなるのが創価脳です。その自覚を持てないがために、無意識に創価以外の考え方を見下してしまう。家族だろうが友人だろうが、創価を批判するものを見下したり嘲ったりしても、何の罪悪感も抱けない。罪悪感どころか、誰よりも尊い行いをしていると思い込んでいます。だから逆にちょっと批判されたら頭に血が上って逆上する。これをこのブログでは創価スイッチ」と名付けています。それから創価脳は創価以外の考え方を丸ごと否定して、他人の言うことを聞く耳を持ちません。これをこのブログでは「創価シャッター」と名付けています。「創価脳」「創価スイッチ」「創価シャッター」つまりこれは学会員が洗脳によって思考停止に陥っている状況を指す言葉です。
いつも言うことですが、基本的に学会員は被害者であるということ。さらにその被害者が自覚することなく被害者を増やすことに喜びを感じていることも大きな特徴だと思います。本人はいたって真剣です。家族や友人に創価がいかに素晴らしいかを教えて幸せになってもらいたい一心で、そのじつとんでもない非常識な言動を発してしまうんですね。何しろ創価を信じている自分は絶対に幸せになれると信じてます。現実には労働力もお金も吸い取られ、いつまでたっても幸せなんかじゃないのにです。そしてちょっとでも疑ったりしたらとんでもなく不幸になるという恐怖感も植えつけられています。思考停止と恐怖心。自分では幸せだと思い込んではいますが、心の奥底ではここから離れられない恐怖心が渦巻いています。その恐怖心を払拭しようとさらに一心不乱に勤行唱題に励んだり、組織から言われるままにノルマを達成しようとします。「自分で考えてはいけない。言われた通りにすれば絶対に幸せになれる」と来る日も来る日も自分に言い聞かせます。日々の勤行唱題や活動は、自己洗脳の日々なんですね。例えば開目抄の「我 並びに 我が 弟子 諸難 ありとも 疑う 心なくば 自然に 仏界に いたるべし」は、「なにしろ自分でいろいろ考えずに、疑ったりせずに、上から言われるとおりのことをやっていれば幸せになれるんだ」ということです。そこで現実のおかしなことにも目を閉ざすことになる。自分のことをふりかえったとき、つくづくバカだったと思います。疑問は感じるんです。どう考えてもおかしいことをやってるんですから。でもその度に「もう自分で考えるのはやめよう」と思い直すんですね。そして疑問が疑問でなくなる。すると楽になる。でもやってるうちにまた疑問が湧いてくる。悩む。でも結局はまた思考停止という楽な道を選んでしまう。こうやって50年も生きてきたんですから(苦笑)。
皆さんのコメントで創価脳の家族の心ない言動に苦しんでいらっしゃる方が本当に多いですよね。かつては自分自身がそんな言動を平気でする人間だったということも思い知らされて二重に苦しんだりします。これはなってみたものでないとわからないでしょう。創価脳だった自分と、そのことに気がついた自分。この両方を体験しなければ、なぜ創価脳がこんな思考しかできないのか、なぜ平気で人をディスったりできるのかが理解できないと思います。創価脳が被害者であり加害者でもあるということが体験的にわかるからこそ、創価脳に対して「早く自分で気づいて欲しい」という強い思いがあるのだと思います。もともと完全に創価と関わりのない人はあえて関わろうとはしませんし、同時に創価脳の奇行が理解できるわけもないと思います。創価から覚醒するとうことは生易しいことではないし、覚醒したからといってすべてが解決するのかというとそうではない場合が多いです。問題は人それぞれですが、同居する家族が創価脳である場合は毎日が辛いでしょう。そこであらためて自分の身近にいる創価脳の家族や友人も、基本的には自分で考えることができなくなっている詐欺の犯罪被害者なんだということを、こちら側がしっかりと踏まえた上で接しなければ、それこそ相手は「信心を妨げる魔」だと思い込んでしまいます。魔とか地獄とか前世の宿業とか、どう考えても気味の悪いカルト思考なんですが、そうした自覚がないのが創価脳です。まともに話などできるわけがないんです。でも同居する家族がそんなカルト人間では諦めるわけにもいきません。
今回のテーマはもう一度原点に立ち返って「自分が創価脳であることに気づいたとき」にします。
つまりどうやったら創価が詐欺であることに気づけるのか。みなさんご自身の体験をお話ししてください。よろしくお願いします。

これが創価脳

これまでも創価スイッチ全開の鉄砲玉のような創価脳が時々やってきては暴れまくっていましたが(笑)、結局は何も反論できずに去っていくというパターンでした。また、白いブランコさんのように創価に疑問を持ちつつも、基本的に「創価は正しい」というところから逃れきれずに改善運動を立ち上げたり、組織(地区)の人に意見を聞いたりしておられましたが、結局組織からも相手にされずに孤立した方もいらっしゃいました。創価に疑問を持っても組織は相手にしてくれません。学会員が組織に疑問を持って、良かれと思って改革しようとしても、それに答えてくれるような組織ではないです。なぜかというと、創価学会は宗教ではなく詐欺だから。これが創価学会の数々の矛盾に完璧に答えることのできる回答です。「創価はなんでこんななんだろう?」と学会員でさえ疑問に思うことがあるでしょう。でも学会員にはそれがなぜかはわからない。当然です。学会員は創価学会が宗教だと勘違いしているから。言い方を変えると、創価学会員は創価が宗教だと思わされているから。つまり騙されているからです。創価が宗教ではなく詐欺だという前提に立てば、創価に関する疑問の全てが綺麗さっぱり辻褄が合います。学会員は創価学会という詐欺に騙されているという自覚が持てない。持てないようにさせられているから仕方がないといえばそれまでなんですが、やはり学会員が抱く創価に関する矛盾や疑問は「創価は宗教ではなく詐欺だ」という前提に立たなければ、結局は創価脳のままに搾取され続けるだけなのだと思います。

昨夜、「少し活動家」というHNの方からコメントがありました。そのHNの通り、現役の活動家さんのようです。ぱっと見は落ち着いて話をされているようですが、これこそがいちばん多いパターンの創価脳なんだろうなと思いました。いつもの創価脳のコメントよろしく、やはり初めてのコメントだというのに挨拶も自己紹介もありません。このブログの冒頭に「このブログに初めてコメントされる方は、挨拶と創価との関係を中心にした自己紹介をしてください。」と提示しているのに、創価脳はそんなことはおかまいなしなんです(笑)コメントを書くということは、自分の考えを伝えようという意思があってのことだと思いますが、私が「挨拶や自己紹介のない方のコメントは承認しません。これはこの場のルール以前の、人として当然のマナーだと思うからです」といつも言っているにもかかわらず、創価脳のコメントは自分の感情のままに吐き出すだけ吐いて去っていきます。今回の「少し活動家」さんも、物腰は柔らかですが、完全な創価脳の典型といったコメントの内容ですね。挨拶や自己紹介がないので、コメントとして承認できませんが、今回のスレッド「これが創価脳」というテーマにふさわしいので紹介します。
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「少し活動家」    05/18/2017 11:46 PM

相変わらず馬鹿なことを書かれてますね。貴方の言い方で言うと創価学会の人はみんな自分の頭で考えないただの馬鹿みたいじゃないですか。どこたまに読ませていただいてますが、の世界」に自分の頭で考えない人間がいるのでしょうか?確かに色々な情報を知っているか知らないかの
差はあるでしょうし、ネットを見ないから創価に対する悪い情報を知らない人も多いでしょう。
でもネット情報のうち、どれが本当でどれが嘘かそれを正確に判断できている人もまた少ない
と思います。私から言えば逆にアンチの方々がネット情報の嘘に踊らされている部分も多いと思います。無疑曰信、創価の中で疑わないように仕向けられているといいますが、本当の無疑曰信とはそうではなく、疑って疑って、疑い尽くしてそれでも信じるしかないとの境地に至ることです。私も創価を疑って、疑問やら矛盾を沢山感じ、信じられなくなった時期がありました。悩んで悩んで自分の頭で散々考えて様々な情報も精査してその上でやっぱりこの信心、創価学会は正しいと結論しました。罰はないと言いますが、必ずあります。直ぐに出て来る場合もありますし、5年7年10年と経ってから現れる方が多いです。それでもまだ生きている間に出る方が軽いのです。私は創価に対する疑問と創価の内部での嫌な経験からネット上に批判を書いてしまっていました。その事に対する罰としかいいようのないことが現れたのが10年近く経ってからです。どれほど恐ろしい目に遭っているか、それがわかるから皆さんに苦言を呈するのです。
まだ生きているうちなら間に合うかもしれない。もうこれ以上愚かなことは止めた方がいいです。必ず後でわかる時が来ると思います
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私は別に「少し活動家」さんをさらしものにして、みんなで袋叩きにしようという気持ちはありません。私がこのブログを立ち上げるきっかけとなったのが、まだ私が学会員だったときに、創価の疑問をとある創価脳のブログにコメントした際に、さらしものにされ袋叩きにあったことでした。本当に異常な世界にいたんだと気味が悪くなったものです。だから私はそんな集団いじめのような愚かなことをするつもりはありませんし、私自身もかつては「少し活動家」さんのような考え方しかできない創価脳だったから、創価が詐欺だなんて言われても信じられない気持ちはよくわかります。でも、いったん創価が詐欺だと気づいてしまったら、もう後には戻れません。創価が詐欺ではない理由がどこにも見つからないからです。そして「少し活動家」さんもかつての自分のように、自分で考えることができなくなっている状態だということもよくわかるからです。

>相変わらず馬鹿なことを書かれてますね。

呼ばれてもいないのに初めてお邪魔する他人の家に上がりこんでの開口一番「相変わらず馬鹿なことを書かれてますね。」
さて、創価のどうのは関係なしに、知らない人がいきなり家に上がりこんできて「相変わらず馬鹿なことを書かれてますね」って言われたら、その家の人はどんな気持ちになるでしょう……といったことを、わりとつい先日話したと思います。これはぜひ少し活動家さんにもお聞きしたいです。初対面なのに挨拶も自己紹介もない見知らぬ人がやってきたら、少し活動家さんはその人をどう思いますか?私は「あ、他人の気持ちなど思いやれない常識のない人なんだな」と思います。思われても仕方ないですよね。少し活動家さんは何才ぐらいの方かはもちろん、男か女かもわかりません。そんな人が誰に何を言っても、初めから信用できない人でしかないのですから、あなたの話など誰が聞こうとするでしょう。そんなことも想像できないで他人のブログに平気で文句を言ったり「必ず後でわかる時が来ると思います」などと脅し文句の捨て台詞を吐く。これこそが非常識の自覚のない創価脳の典型だと思います。

>貴方の言い方で言うと創価学会の人はみんな自分の頭で考えないただの馬鹿みたいじゃないですか。たまに読ませていただいてますが、どこの世界に自分の頭で考えない人間がいるのでしょうか?

そうです、創価学会員はあなたのように「自分の頭で考えないただの馬鹿」です。はっきり言います。自分で考えているつもりで、何も考えていない。全て上から言われることを自分の考えて出した答えだと思い込んでいるだけの被洗脳者です。なんども言いますが、私も生まれて50年間そうでした。ここの皆さんもほとんどが程度の差はあっても創価に騙されてきて、やっとのことで騙されてきたことに気づいた方たちです。それも10人や20人じゃない。このブログに書かれている方だけでも大変な数ですよ。これ「考え」とか「見方」ではなく「事実」なんです。ここの皆さんは自分の体験として否定しようのない「事実」を書き込まれています。信じるとか信じないという話をしているんじゃないんです。創価に騙されて不幸になってしまったという数え切れないほどの「事実」を書かれているんです。事実ですから否定しようがありませんよね。この事実をどう考えるかはその人次第です。何年か後には必ずバチが当たるとか当たらないとか、
そんな幼稚な話をするところではないんです。でもね、創価脳がそんな幼稚な発想しかできないことも経験としてわかります。別に少し活動家さんに考え直してくださいなどというつもりはありません。少し活動家さんが創価を宗教だと信じ流ことに関しては誰であろうと止める権利はありませんからね。ただ私やここの皆さんは自分の経験上、自分で考えてもいいんじゃないですかとは言いたくもなります。だってどう考えても過去の自分とまるで同じ思考だし、今はその思考が自分の考えなどではなくて、完全に創価によって操作された創価に都合のいいだけの思考だということが手に取るようにわかるからです。つまり少し活動家さんは、創価が詐欺だと気づいた元創価学会員から見れば、絵に描いたような創価脳でしかないからです。
それと少し活動家さんも他の学会員さんと同じくバチに怯えてますよね。本当は「創価に背いたら不幸になる」という恐怖心でいっぱいだと思います。で、よく創価脳が口を揃えて言うのは「今はなんともなくてもそのうち大変な目にあう」「今は良くてもろくな死に方はしない」これが創価脳の紋切り型です。これって自分で考えたんですか?違うでしょ。組織の上から言われてることですよね。これ何を根拠に言ってるんですか?
人間、生きていればいいことも悪いこともあります。創価学会員がそうでない人と比べて特別幸せなんですか?そう聞くと、やはり創価脳の人は判で押したように「今は人間革命の途中だから」などと言います。中には「今世で過去の宿業を洗い流し、来世においては清らかな命になって生まれ変わってくる」などと言う人もいます。あれ?日蓮仏法って現世利益じゃなかったんですか?(笑)生きているうちに幸せにならないと意味がないって言ってませんでしたっけ?でもそれもこれも、どこの何を根拠に言われているのかも知らないで、適当に言い返してるだけですよね。

私はここで宗教の是非について語るつもりはありません。いつも言ってますが、誰が何を信じようとそれは自由です。何も信じないというのも自由です。このブログでは、創価学会という詐欺団体で多くの人が不幸になっていて、その当人が不幸であることすら気づけないでいるので、どうか気づいて本当の幸せを目指す人生を送ってくださいと言ってるだけです。その気づくことのきっかけになればということで、創価学会が詐欺だと気づいた人のより多くの実体験を書いてもらっています。

ということで、今回のテーマは「これが創価脳」とさせていただきます。
つまり「少し活動家」さんがおっしゃるように、「創価脳」とは「自分の頭で考えないただの馬鹿」だという「事実」を皆さんの過去の体験を通じてお話ししていただければと思います。よろしくお願いします。

ただそれを知らない。気づかない。考えない。疑わない。

前スレでの「自分で考えることができなかった」というのが覚醒された方に共通して言えることですよね。つまりは自分が思考停止状態に陥っているという自覚がないということです。
「この素晴らしい信仰がまさか詐欺だなんてあるわけない」「この信心に疑いを持つなんて自分の信心が足りないんだ」などと、基本的に疑うことを知らない。いや、疑うことを極端に恐れていたんですね。疑うということは自分で考えるということなのに、そのこと自体を極端に恐れるような精神状態になる。それはバチが当たるのが怖いという幼稚な発想もあるでしょうし、今までの人生を否定しなければならないという人生観を覆させられるという恐怖もあります。自分の人生において取り返しのつかない過ちを犯してしまった。それももう人生が終わりかけの時点で気づいてしまう。こんなに怖いこともないですよね。だから、多少はおかしいなと思うことがあっても、その恐ろしい思いを必死でかき消して何も考えないでいい活動に没頭してします。何も考えずに狂ったように唱題をしてアドレナリンを分泌させて多幸感に浸ることで現実逃避をする。考えてみれば若い頃の私はそんなことの繰り返しだったような気がします。なんであの若い時に徹底して自分で考えることをしなかったんだろう?そう思うと今でも悔しくてたまらなくなる時があります。まあタラレバ話をいつまでやってもどうにもならないわけですが(笑)、特にまだ若くして創価のインチキに気づいた学会員さん。決して怯むことなく、徹底的に自分の頭で考えてください。目の前の現実をありのままに受け止めてください。その現実が理想とかけ離れていたとしても、創価から言われていることと真逆のことであっても、それが本当の世界の姿なんです。逃げちゃダメです。創価の甘い罠に浸ってはいけません。ゆでガエルのように、自分に何が起こっているのかわからないままに死んでいくんです。草創期の幹部だった私の両親がそうでした。全てを創価に捧げ、現実は二の次。信心さえ愚直にやっていれば、必ず幸せになれると本気で信じていました。毎晩のように我が子を留守番させて会合や家庭訪問に走り回る両親でした。しかしそうやっても結局四人の子供のうち三人は覚醒しました。長男が一人だけ創価脳のままです。両親は幸せだったのか。長男は幸せなのか。別に創価ではない人と何の違いもありません。命に関わる事故に遭い、病気もし、財産は全て創価に貢いできた。他に何があるのかわかりません。
ネットが一般に普及するまで、創価のインチキが世に出ることはあまりありませんでした。創価に限らず、世の中の悪事は闇から闇へと葬られてきました。日本に限らず、世界がほんの一部の支配者によって動かされてきたことが、ネットによって暴露される時代となりました。パナマ文書やスノーデンは言うに及ばず、世界はほんのわずかな支配者が圧倒的大多数の人間を支配するシステムの中で営まれてきたということが明らかになりました。映画『マトリックス』はそんな現実の世界を象徴する恐るべき映画でしたが、一見、娯楽SFであるかのように見せて、実は現実の社会構造をはっきりと提示したものだと私は思っています。
知らない。気づかない。考えない。疑わない。疑うことをまるで地獄の所業のように徹底的に教え込む。そのうってつけのテキストが日蓮正宗の教義だったのでしょう。
ちなみに日蓮の教義の中心となっている法華経は、じつはヨハネの黙示録をセント・トマスがインドに宣教に行った際にサンスクリット語に訳されたものだという、年代もぴったりと符合する話もあります。そうすると法華経が本来の仏教とは真逆の一神教的な考えがベースになっていることにも合点がいったりします。しかしそれ以上にいろんな矛盾もあります。私がここでこんな話をするのは、その話の是非を議論するためではありません。宗教においては特に数千年の時間と何万キロという伝わっていくための物理的な距離があることです。何が本当なのか誰にもわからないんです。少なくとも法華経は釈迦の教えではないことは明らかだし、それ以前に釈迦とは一体何なのかもよくわかっていないのです。もちろんキリストについても同様です。余談ですが話のついでに「ミトラ教」で検索すると、世界の宗教に対する概念が変わるかもしれません。これもネットの時代になったからこその情報でしょう。特にキリスト教にとっては「ミトラ教」の存在は都合が悪かったのでしょう。あ、これはほんとに余談ですので、興味のある人は自分で調べてください。法華経が仏教であることすら何の保証もないんです。ただそれを知らない。気づかない。考えない。疑わない。そうやって人はとんでもないことであっても何も疑わずに信じてしまうのだろうと思います。それが楽だから。何も考えずに「幸せになれる」と信じている方が楽で気持ちがいいから。
なんども言いますが、人は何を信じようと自由です。信じないことも自由です。それこそ知ったことではありません(笑)。ただ知らない。気づかない。考えない。疑わないことで、本当は不幸なのに幸せだと信じて疑わない人生。つまり自分の人生なのに自分で生きることを放棄して生きる生き方が、果たして幸せなのかと「考えて」しまうんです。逆に言えば、創価にいれば何も考えないで「自分は幸せだ」と思い込んだままに歳を重ねることができる。気分だけは幸せなまま、じつは不幸のどん底に追いやられて死んでいく。これが創価学会員の現実なのに、その現実を知らない。気づかない。考えない。疑わないのが創価学会員だと思いました。
今回のテーマは前スレとかぶるんですが「ただそれを知らない。気づかない。考えない。疑わない。」とさせていただきます。
ここに来られる皆さんは、おそらく「考えて」来たのだと思います。普通そうです(笑)。何も考えないで言われたことだけを信じて生きていけば幸せになれるなんて、誰が信じますか?でも学会員さんはそうなんですね。そんなとんでもない人生観を柱に利用されるだけされながら生きているんです。私の両親も長男もそうです。思考停止にさせられて、いいように使い回されて、何も知らずに、知ろうともせずに死んでいくんです。
考えることは人間の崇高な精神作用です。もちろん他の動物も考えます。きっと植物だって考えてると思います。なるようになると漫然と生きているわけではありません。しかし創価学会員は自主的に生きることを積極的に放棄しているんです。人生の困難にぶつかったときに日蓮の教義を元にして自分の力で乗り越えているような気になっていますが、じつはそうじゃない。単にいいように使い回されて、骨の髄まで吸い尽くされてボロ布のように捨てられる。そんな人生を歩んでいることを知らない。気づかない。考えない。疑わない。ただそれだけの話なんです。
自分で気づくしかない。それには自分で考えるしかない。それには疑ってみる。目の前の現実を一度疑ってみる。そしてその疑っている自分という現実をきちんと受け入れる。そこからしか創価脳から抜け出す道はないような気がします。
「ただそれを知らない。気づかない。考えない。疑わない。」
このテーマで皆さんの創価時代を振り返って思うところを聞かせていただければと思います。
よろしくお願いします。

替え歌の部屋

ということで、ここは皆さんから創価学会に言いたいことや、学会員さんに気づいて欲しい思いを歌に託した替え歌と川柳のスレッドとさせていただきます。
よろしくお願いします。

自分で考えることができなかった

このブログは、創価学会員自体を非難したりするものではありません。一人でも多くの学会員さんに、自分が騙されていることに気づいてほしいんです。でも、学会員さんがこのブログを読んでもその真意は伝わりません。なぜなら創価を批判するものは魔だと思うように教え込まれているからです。そこに本人の考えや判断はありません。完全に創価から教えられた通りの発想でしかありません。自分で考えていません。自分で考えることは悪だと、さらに不幸になると信じ込まされているからです。今の自分がどんなに不幸でも、創価の言うとおりにしていれば、いつか絶対的幸福境涯になれるんだと教えられていて、そのことを信じる以外に自分の生きる道はないと思っています。
学会員さん。創価学会に入会して、活動やって、聖教新聞を購読して、その他の出版物や民音のコンサートチケットやDVDを買って、毎年毎年財務のお金を貢いで、選挙のたびに嫌われるの覚悟で公明党の票をかき集めても、絶対に幸せになんかなりませんよ。それがなぜだかわかりませんか?それは創価学会が宗教ではなく詐欺だからなんですが、ここで100歩も1000歩も譲って、創価学会が宗教だと仮定しましょう。もしそうだとしても、活動やって、聖教新聞を購読して、その他の出版物や民音のコンサートチケットやDVDを買って、毎年毎年財務のお金を貢いで、選挙のたびに嫌われるの覚悟で公明党の票をかき集めても、絶対に幸せになんかなれるわけないんです。なぜか?そんな活動や寄付は幸せになるための宗教行為じゃないからです。どこの世界に組織にお金を貢げば貢いだだけ幸せになれるなどという宗教がありますか?あるとすればそれは詐欺です。だから創価学会は詐欺でしかないんです。創価にお金を出して幸せになれるんだったら、創価学会員はとっくの昔に幸せになっていないとおかしいですよね。あなたの周りで創価にお金を貢いで幸せになっている学会員がいますか?このブログには散々創価にお金も時間も貢いだあげく、家族を失い、財産を失い、社会的な信用さえも失ったという実体験がたくさん寄せられています。この事実をどう説明できますか?それでも創価にお金も時間も貢げば貢ぐだけ幸せになれるという根拠と実例を示してみてください。そう思っているだけではないですか?なんとなくそうであってほしいから、いつの間にかそう思い込んでしまっている。そしてこれまで相当なお金と時間を創価に貢いでいるものだから、自分がやってきたことをそう簡単には否定できないからなのではないでしょうか。だってバカみたいですもんね。良かれと思ってやってきた。家族にも友人にも、良かれと思って勧めてきた。自分の子供に至っては、生まれた途端に入会させ、無理やりでも勤行唱題をさせ、しなかったら不幸になると脅し、まともな価値観を持てなくしてしまっているんですから、自分の人生がそんな恐ろしいものだったなんて考えたくもないですよね。でもね、これが真実なんです。創価学会は宗教ではなく、人を疑うことを知らない善良な人をまんまと騙してお金と時間を徹底的に貢がせる凶悪な詐欺集団なんです。そして会員はそレとは知らずに騙される側から騙す側に回ってしまい、さらに被害の輪が大きく広がってきたのが創価学会の現実なんですよ。信じられないでしょうけど、現実を直視すれば、創価が詐欺だということは小学生にだってわかることなんです。
もう一度、最初の質問をします。
創価学会に入会して、活動やって、聖教新聞を購読して、その他の出版物や民音のコンサートチケットやDVDを買って、毎年毎年財務のお金を貢いで、選挙のたびに嫌われるの覚悟で公明党の票をかき集めても、、絶対に幸せになんかなりません。学会員さん、それがなぜだかわかりませんか?
こんな質問について考えたこともないでしょ。そうです。考えないようにさせられているから考えたことないんです。学会員さんはこんなこと考えずに、活動やって、聖教新聞を購読して、その他の出版物や民音のコンサートチケットやDVDを買って、毎年毎年財務のお金を貢いで、選挙のたびに嫌われるの覚悟で公明党の票をかき集めているんです。
学会員さん、一度でいいですから自分でこのことについて考えてみませんか?
つまり、創価学会の活動を真面目にやっているのに、いつまでも幸せにならないのはなぜだろう?そして今までどうしてそんなことを考えたりしてこなかったんだろう?
大切なのは、自分の人生について自分で考えることをしてこなかったことに、少しも疑問を感じていないという事実です。そこに気づきましょう。そして創価学会は会員に対して考えることをさせないようなシステムだということに気づいてほしいんです。日々の活動や会合で、自分の人生について考えているようで何も考えていないということに気づいてほしんです。学会員さん、日々の活動や会合では、何を考えていますか?自分はいかに創価の言うとおりにできているか?でしょ?創価の言うとおりにしていれば絶対に幸せになれるという前提で、自分で考えたりしちゃいけないんだと、自分で考えることを自分で否定する日々ではないですか?昔の私もそうでしたからよくわかるんです。それでもときどき自分で考えて、創価に矛盾を感じたりすることもありました。でもすぐに自分の考えが間違いなんだと自分に言い聞かせていました。余計なことを考えずに、御本尊の力を信じてやっていこう!と自分を思考停止に持って行っていました。自分で考えさせない。人の心をコントロールする最強の方法だと思います。そして創価学会は見事にその方法によって、ものすごい数の善良な人々からお金と時間を奪い取り、不幸にしてきました。不幸の連鎖を繰り返させてきたんです。
ということで、今回のテーマは「自分で考えることができなかった」とさせていただきます。つまり創価が宗教ではなく詐欺だと気づかなかったのは、自分で考えることができないように仕向けられていたんだと言うことですよね。だから、みなさんの活動家時代に、いかに自分で何も考えていなかったのかという体験。さらに自分で考えようとした時に襲ってくる恐怖について、そのまま語っていただけたらと思います。もしかしたらこれを読んでいる学会員さんの心に「そういえばそうだよね」という共感が生まれれば、そこから「自分で考える」ことが始まるかもしれません。というか「自分で考えることをしていない自分」に気づくことが、覚醒への第一歩ではないかと思うんです。なので、みなさんの過去の「考えなかった時代」や「考えようとして襲ってきた恐怖心」についてリアルに語っていただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。

創価の幸せ

創価学会が宗教ではなく、多くの会員からお金をだまし取り、不幸にしていくだけの卑劣な詐欺団体であることは、もはや疑う余地などありません。それはこのブログに寄せられている多くの創価学会経験者の真実の声だけでも明らかです。このブログに寄せられた2万件以上のコメントの全てを読まなくても、普通の人であればすぐに理解できることです。しかし創価に洗脳された学会員は、これらの事実を前にしても認めようとしないばかりか、人によっては激怒して感情的なだけの言葉をぶつけてきたりします。詐欺であることの証明は、このブログにいくらでもなされています。そして創価学会が正しい宗教であることの客観的な説明は不可能です。なのに創価学会が正しいと信じ込んでいる活動家は、何の根拠もないままに信じきっています。その結果どうなるか。会員はただただお金を差し出し、労働力を提供し、近隣住民には嫌われ、家庭は崩壊します。学会員同士だけのコミュニティでメンタルを保っています。ひとたびそのコミュニティから抜け出す者が現れたら、反逆者扱いで罵倒し、陰口を広げます。創価のコミュニティの多くが所詮そのような人間関係です。このように創価学会員が極端な選民主義の考えに陥ってしまうのも、日々の活動の中で意図的に洗脳されてしまったことが原因であり、もともとからそのような人間の集まりではないこともよくわかります。創価学会が宗教ではなく詐欺団体だということに気づき、脱会し、通常の生活を取り戻すことができた人は、おしなべて何の問題もない社会生活を営むことができているからです。もちろん、創価を脱会できたからといって幸せになれるかどうかは別の話です。創価によって不幸になるということから逃れられたということではあっても、それ以外に関しては一般の人と同じような問題があったり、人間関係で悩んだり、病気や仕事のことで悩んだりするのは当然のことです。
創価を信じていると、そうした人間の幸不幸の全てが信仰によって決まるのだという価値観で物事を見てしまうという特徴があると思います。「なにごとも信心で受け止める」と常日頃言いくるめられていては無理もないことなのかもしれません。いいことがあったら信心のおかげ。悪いことがあったら魔が競った、あるいは信心が足りないから。病気になったら信心を試されている。治ったら功徳。治らなかったら信心が足りない。夫の給料が上がったら信心した功徳。上がらないのは信心が足りないから。子どもが大学に入ったら功徳。落ちたら信心が足りないから。いづれにせよ、全てはこの信仰をしているから幸せになっていて、不幸なことは全て信心が足りないことにしてしまう。問題は、それで全てに納得してしまって、それ以上のことを考えずに、ひたすら組織のいいなりになろうとすることだと思います。財務をすればするほど幸せになれる。何が幸せなのかを考えようとはしません。とにかくお金を出せば幸せになれるそうだから、何が何でもお金を出そう。疑ったら功徳がなくなるそうだから疑ったりしないようにしよう。功徳がなくなるどころか不幸になってしまうから恐ろしい。こうやって思考停止だけではなく、創価に貢がなければ不幸んあるという強迫観念に縛られて生きていくことになります。そんな恐怖の毎日が不幸だとも思えないでいます。むしろ無心に創価を信じること自体に幸せを感じているのです。
いわゆる創価脳がこれにあたるわけですが、創価脳は自覚症状がありません。創価が世界で唯一人間が幸せになれる宗教だと信じています。世の中にはどれだけの人がいて、世の中の人のどれくらいが創価の信仰をしているのかなんて考えもしません。と言うより、今は創価学会員が世界に増えていて、近い将来、創価の信仰によって世界が平和になると信じています。世界の宗教分布を知ろうともしませんし、創価学会の世帯数が何十年も827万世帯であるとの発表に何ら疑問も感じません。創価学会が世界に広がっていると言われながらも、自分の地元の組織が増えていないことにも何の疑問も感じていません。都合の悪い事実には徹底的に蓋をします。いわゆる創価シャッターです。そして創価の批判をされたと思うと、普段は温厚な人でも、人間が変わったように激昂するのが創価スイッチです。もちろん冷静な対話などできるわけがありません。思考停止の創価脳、コミュニケーション不全の創価シャッター、人格崩壊の創価スイッチ。この創価三大特徴を持っているのが創価学会員です。やっかいですよね。こんな人が一人でも自分の家族にいたら、そりゃ幸せな家庭など築けるわけがありません。

今回のテーマは「創価の幸せ」とさせていただきます。
いったい創価学会員にとっての幸せとは何か。みなさんが創価学会員として活動してきた中で感じていた「幸せ」について思い出して語っていただきたいです。何も考えずに創価の活動を一生懸命にしていけば必ず幸せになれると言われてきて、その通りに信じてやってきた方ばかりだと思います。「あのとき何が幸せだと思っていたのか」あるいは「幸せだったのか」あるいは「きっと幸せになれる」と信じていたのか。いろいろな観点があるとは思いますが、幸せになれると信じて頑張っていた学会活動が、何かのきっかけによって「あれ?これって幸せのためなの?本当に幸せになれるの?」と自ら考え始めた瞬間から覚醒が始まったのではないかと思うんです。つまり、幸せについて自分で考え始めたところから、覚醒が始まり、創価に対する疑問を隠しきれなくなり、さらに自分で考える機会が増えた結果、人として当たり前の価値判断が次第にできるようになり「創価はおかしい」が「創価は詐欺だ」ということの結論にたどり着いたのだと思います。
「幸せってなんだっけ?」と考えるのは人として当然なのですが、創価ではその答えをはじめから用意しています。「何も疑わずに創価にお金を出せば出すだけ幸せになれる。これを疑ったら不幸になるだけ」こんなこと普通の人間が信じるわけがないのですが、これを宗教を利用して巧妙に信じさせてきたのが創価学会のやり口なんですね。ちょっと冷静になって考えれば創価が詐欺だと誰でもわかることなのに、それがわからなくなる。あるいは生まれたときから親にそう言い聞かされ続けてきたら無理もありません。
ということで、今回はあらためて皆さんが創価時代に考えていた『幸せ』について聞かせてください。
よろしくお願いします。

本部職員に告ぐ 2

ちょっと重いテーマが続きましたので、今回は少し軽やかに行ってみましょう。

去年の1月に「本部職員に告ぐ」というテーマでみなさんにお話をいただきました。

今回はその続編となります。

ちなみに去年は

「詐欺団体創価学会の本部職員というのは、会員を騙すのが仕事なわけですが、騙そうと思ってやってる職員と、自分もまんまと騙されてやってる職員がいるみたいですね。騙す職員と騙される職員。どのあたりで別れてるんでしょうね。少なくとも騙している自覚のある職員というのは、ものすごく人生割り切ってますよね。きっと「騙されるほうが悪い」と自分に言い聞かせているんでしょう。それにしてもそんな人生で良しとしている本部職員の気が知れません。自分の子どもにもそんな人生を歩ませて平気なんでしょうか。それとも自分の子どもだけは創価に関わらせないようにしてるんでしょうかね。その点、騙されているとは知らずにせっせと働いている職員というのが、あの3人組みたいな人たちなんでしょうね。自分が人を騙していることさえわからないで、というか人のために頑張ってると思っているんだから救いようがないです。」

といった内容です。

どうやらこのブログは創価の職員もチェックしてそうです(笑)

なので、今回はこのブログをチェックしている創価の職員さんに向けてピンポイントでみなさんからのメッセージをお願いします。創価を批判しているブログなどをチェックする仕事ですから、創価にとって何が都合が悪いのかを知っていなければ仕事になりません。そして創価の何がおかしいかもわかっていなければ仕事にならない。つまり一般の会員のような創価脳では仕事稲荷様がないんですよね。もし創価が正しい宗教で、何一つやましいところなどないのであれば、そもそもアンチブログのチェックなど必要ないわけです。アンチが何を言おうが、どんなデマだろうがほっとけばいいんです。でも実際にはある。創価にダメージを与えるかもしれないようなアンチブログがないかチェックしている。つまり創価は知られるとまずいことがあるってことですよね(笑)

毎日毎日アンチ創価ブログをチェックする仕事をしているそこの創価職員さん。このスレッドでは、元創価学会員が特別にあなたに向けてメッセージを差し上げます。普段から見てるでしょうけど、今回はあなたについて直接語りかけますので特によ〜く読んでくださいね(笑)そして言いたいことがありましたら返事のコメントもお待ちしてます。ただし、本当に創価の職員であるかどうかを証明してもらわないと載せられませんので、それなりに工夫して書いてくださいね(笑)

それから、もう一つ、元創価の職員をしていたけど、創価が詐欺だと気づいてやめた方がいらっしゃいましたら、ぜひコメントをしていただきたいです。これも元職員だと判断できるような記述をしてください。身バレが怖い人は、前スレのBARONさんのように、いったん非公開で私にだけわかるようなコメントをしていただいてからでもいいです。

ということで、今回は創価の本部職員、とりわけ普段からここのようなアンチブログを読むことを仕事にしているような、創価が詐欺だと知っていながらも創価から給料をもらって詐欺の仕事を続けている職員さんに対して、みなさんから言いたいことを募集します。どうかよろしくお願いします。