これからのこと

やっとパソコンの前に座る余裕ができました。更新できなかったこの数日間も、たくさんの方においでいただいて感謝してます。育子さん、ラピスラズリさん、SJさん、 yokoさん、ペガサスさん、サラマンダラさん、もも(ら)さん、匿名さん…もう今さらおひとりづつお返事が書けそうもないくらいです。またこれから少しずつお返事をさせていただくつもりですが、とりあえず以下の文章にまとめてしまって申し訳ないのですが、今回はこのような形にさせていただきます。すみません。また、yokoさんとSJさんのように、この場で対話していただけるととてもありがたいです。みなさんほんとに貴重なお話をありがとうございます。よろしくお願いします。

私はこれまでにも書きましたように、ほんのひと月前までは、まだ創価学会というものをそこまで批判的には見ていませんでした。疑問に思うことはたくさんありましたが、それでもまだ会員が組織に対するきちんとした認識をもつことができれば変わることが可能なのではないか…つまり社会的に害のないまでの宗教団体として生まれ変わることができるのではないか…ぐらいのレベルで思っていたように思います。しかしそれはまったく甘い考えだということ、完全な認識不足であることに気がつく毎日です。つまり創価学会はまじめな宗教団体だったのが、どこかで間違ってしまったから、今からでも修正できればたちなおることができるのではないかといった認識自体が間違っていたことに気がついたのです。少なくとも池田大作という人物が指揮をとるようになってから、創価学会は宗教団体ではなく宗教を利用した営利団体、マインドコントロールによって信者からお金をむしり取る巨大なシステムになったのだということがはっきりとわかりました。これは大変なことです。日本に数ある怪しげな新興宗教の害悪どころではないと思います。
ひと月前、まだ私が半信半疑のころ、ネットで創価学会の末端会員のところへランダムに書き込みをしました。このブログのスタート時にも紹介しましたが「あなたがたの対話をしようともしない独善的・排他的な言動が、創価学会の社会的信用を貶めているのではないか」というふうにです。それに対する反応は「あほらしい」「最低最悪のナリスマシ」といったものでした。なるほど、創価学会というのはこうした思考停止の人間を多く作り出すことで莫大なお金を集めてきたということがわかりました。思考停止の人間は、自分自身がそうであることに気づかない。そしてそうした実情を指摘するものに対して異常なほどの攻撃姿勢を見せる。そこには世間の理屈などまったく通用しません。
もともと日蓮宗の特色である排他思想は、仏教であるにもかかわらずキリスト教的な一神教といいますか、もしくは選民思想に近いもので、これを思考停止のための道具に利用しようと思い立ったことは、ある意味見事だといえます。ただ初代会長や二代会長がはじめからそうした目的であったのかはわかりません。はっきりいえるのは池田名誉会長が創価学会をそのようにつくりあげたということです。
新興宗教の教祖によくあることですが、幼少の頃から自らの出生や学歴や身体能力にたいへんなコンプレックスをもち、逆にそのことを原動力として、やがて非合法なやりかたを持ってしてでも金と権力を得ようとする。閉じた世界ではあるけれども誰にも有無を言わせないカリスマ性のある立場に自分を仕立てることでまわりの人間を支配していく。社会的モラルなどお構いなしに実行していく。そして信者共々数々の犯罪に手を染めていくというのが、すべてとは言いませんが多くの新興宗教と偽る団体の実情です。
知らなかったとはいえ、今思えばあのような完全に洗脳された末端会員のブログに書き込んだことは軽率だったと思います。今となっては恥ずかしいかぎりですが、この恥ずかしい経験を機に私はこのブログを立ち上げる決心がつきました。そしてここに来られるみなさんとの人間らしい対話にほっとしているところです。MCが解け始めてまず感じたことは、ソクラテスではありませんが、自分の無知を思い知ることでした(笑)。
功徳と地獄による洗脳。つまるところ「夢のような功徳」を語ることで心を引き寄せ「地獄に堕ちる」という恐怖を植え付け組織に縛り付ける。このふたつのアメとムチを信じさせることによって、末端会員を集金マシンに仕立て上げる。日蓮の排他的な教義はそのためにぴったりの道具だった。創価学会はこれだけのために様々な戦略を実行してきた。座談会、聖教新聞、出版事業、創価学園、文化祭、民音、公明党、芸能界、法曹界…その他いろいろなことをしてきたけれども結局ここに行き着きます。金と権力です。実際の平和や文化などいっさい関係ない。だから日蓮正宗から破門されようが、チベットで仏教者が虐殺されようが、ヨーロッパでカルト認定されようが、会員がお金を貢いでいるあいだはたいした問題ではないわけです。学会の組織にとって一番怖いことは、会員が財務をしぶりだすことでしょう。それを防ぐために新たに数多くの会館を建設し、幹部を増やし、聖教新聞で露骨に洗脳し、対外的な名声を今まで以上に会員に対して誇示していく。このひと月でいろんなことが「なるほど」と思えてきました。
私が大学を卒業してから地元に帰ってきて男子部に入ったとき、はじめての財務をしました。もう30年前ですが(笑)。そのとき同じ地区に新入信の男子部がいて、その人は高校卒業してすぐに就職して2・3年といったところでした。かれはまじめを絵にしたような男で、その年わずかな給料からコツコツためた貯金の100万円をまわりがよってたかって財務にさせました。当時の地区部長は「新しい友が発心して3桁の財務を達成することができました〜!」と発表し、まわりは拍手喝采。当時私はこれはありえないだろとは思いましたが、本人の意思だから何も言えないなとも思いました。今考えれば、あれは本人の意思などと言えるようなものではなかったし、30年前に二十歳かそこらの青年にとっての100万円がどれだけ貴重か(年とっても大変な金額なのですが)、それを盲目的に貢がせる団体の異常さをどうして見抜けなかったのかと思います。今考えればそんなことばかりです。おそらくこの年末の時期に、今もそのようなことが全国で展開されているのでしょう。
先日、88歳になる私の母親の米寿のお祝いに家族が集まりました。母は去年から少しずつ痴呆が進行してきて、ときどき会話もかみ合わない状況です。今さら母へ創価学会の真実を訴えたところで通じることはないでしょう。それ以前に母の人生を今さら否定して何になるのかと思います。また母は60年近く創価学会へどれだけのお金と時間を貢いだのだろうと思いました。すべては人のためによかれと信じてのことでした。母の人生のほとんどが創価学会のために生きてきた人生でした。そしておそらくこのまま創価学会員として人生を終えていくのかと思うとやりきれない気持ちになりました。圏幹部の兄夫婦はあいかわらず毎年それぞれ3桁の財務をするというありさまで、たぶん財務がなければ、この夫婦は豪邸に住んでいるだろうと思います。彼らの姿を見るにつけ、まだ私が脱会をきりだすタイミングではないと判断しました。
このブログを立ち上げて10日。今の私の立場では、学会を無視すれば実害は避けられるのでしょうが、私はまだまだ創価学会の真実を知る必要があると実感しました。逆にこの程度であればこそ、何かしらできることがあるかもしれないとも思います。ここではとにかく現役学会員さんや元学会員さんたちの真実の声を一人でも数多くご紹介できればと思いますし、さらに多くの人たちにこうした声を聞いていただければと思います。
学会員は加害者なのか、被害者なのか。単に被害者として救済されていいものかどうかという心情的な問題もあると思います。人生を棒に振らされたことに対する怒りをどうやったらいいのかという問題もあるでしょう。学会周辺には実際に不可解な自殺や、不可解な事故で亡くなった事件もあります。現実との葛藤に鬱や精神障害に追い込まれた人も知っています。でも私の力では如何ともしがたい根深い大きな問題です。私には守るべき家族がいるし、やはりそのことを優先します。ですからまず、せめて多くの方の真実の声を積み重ねることによって、次のステップが見えてくるかもしれないと思っています。単に学会を感情的に罵倒するような自己満足のためのブログではなく、学会の真実を客観的に伝えるブログが何百何千も立ち上がれば、事態は必ず変化するでしょう。私のような何の力も名もない一人の人間でも、何かしらできることがあると思っています。
今、創価学会は姿を見せられなくなってしまった池田名誉会長のカリスマ性をどうやって維持していくかで懸命です。聖教新聞の紙面にはその苦しみがつとに鮮明ですが、その努力が無に帰するのももはや時間の問題でしょう。しかしだからといって今創価学会によって苦しんでいる人の問題が解決するわけではありません。すでに脱会して何年も経つというのに、いまだに精神的な呪縛や絶望感から脱しきれないでいる方も多くいらっしゃいますし、学会のせいで一家離散したり経済破綻した多くの方の問題が解決するわけではありません。また命を落としてしまった方はもはやどうすることもできないのです。ですから、せめて創価学会という組織が崩壊するだけではなく、実際に創価学会とは何だったのかということが社会的に白日の下に晒され糾弾され、このような社会悪が今後出現できないような社会作りをしていかなければならないと思います。そのためには、これまで表に出ることのなかった名もないお一人お一人の真実の声を社会に示していくことが大切なのではないだろうかと考えています。
まずはこのブログに一人でもコメントいただきたい。こんなブログがあることを多くの方に伝えていただきたい。そしてできる方はご自分でブログを立ち上げて、さらに多くの声なき声を形にしていただければと思います。
このひと月で、私の考え方はこんなふうに変わってきました。自分としてもこの歳でこれほどまでの精神的な変動があるとは思ってもみませんでした。人生とはわからないものです。こうして文字にすることで自分の考えの変化を確認することも大切だなと思います。そしてこれから自分は何をすべきかを落ち着いて考え行動していき、その一部始終を可能なかぎりこのブログに記録していきたいと思います。
なお、このブログは何の説明もなく閉鎖したりはしません。もし突然アクセスできなくなることがあったとしたら、私以外の何らかの意図だと考えてください。
また、みなさんからのコメントを無断で削除するようなこともしません。削除が必要だと判断したときには、ここでお知らせした上で削除します。コメントしたけどアップされていない場合は、アップされなかったことだけでもコメントいただければと思います。
また私は今後の不測の事態も考えてメールアドレスは公開しませんし、嘘は書かない代わりに、私自身がどこの誰かを特定できるような表現は避けています。またコメントされる方もメールアドレス等の公開はしないでください。ちょっと考えれば無責任な発言を許してしまうことにつながりそうですが、それは逆に、より真実を伝えるために仕方のないことだと思っています。ここではあくまでみなさんの真実の声をお聞きするための場所として、みなさんとともに作り上げていければと思っています。今後ともよろしくお願いいたします。
いっきに書いたので日本語になっていないところはお許しください(笑)。

これからのこと」への43件のフィードバック

  1. 名無しの権兵衛こんばんは。1ヶ月前まではそのような状況だったのですね。私も比較的最近までそのようでした。創価学会の真実を知ったときの衝撃は、相当のものでした。両親が、本当は生みの親ではない里親であったというのを聞いた場合と、同等の衝撃ではないかと思います。何といっても衝撃だったのは・ご本尊がカラーコピーした偽物・池田大作には、愛人が多数いた・多数の裏金を含む、恐ろしいほどの集金体質などですかね。過去の離反者の証言は、ほとんどが事実です。

  2. >せめて創価学会という組織が崩壊するだけではなく、実際に創価学会とは何だったのかということが社会的に白日の下に晒され糾弾され、このような社会悪が今後出現できないような社会作りをしていかなければならないと思います。この一文にとても共感いたします。私も学会員の母親の下に生まれた福子ですが、幸いにもほぼ外部感覚で育ちました。私自身が我が強い子どもであったのと、物心つく頃には母親のことを「情けない人間」だと心のどこかで悲しく思っていたために、そう容易く母親からは洗脳を受け付けなかったのです。学会のことは必要以上に何も知らなかった。私は最も「内部」に近い「外部」の感覚で、自身のブログを運営しています。そういうスタンスの人間もあまりいないかと思って。その「外部」感覚で言えば、学会を批判するのは義憤によるものが大きいです。創価学会という社会悪に対して、いち社会人として、いち納税者として、いち有権者として、批判の声を挙げざるを得ません。小さな声も集まれば大きな力となります。学会員さんであるなしに関わらず、社会の問題として広く学会の闇が捉えられるようになって欲しいですね。それまで小さな声の一つとして、自分にできること(ブログ)を続けていきたいです。そして一際大きな声になりそうなこちらブログを応援しています。

  3. もも(ら)さんよりコメントをいただいたのですが、なぜか表示されませんでしたのでこちらからアップさせていただきます。________________ シニフィエ様へ今回ご紹介するお話しは、私(ら)が住む地域では当たり前の様に行われている事です。現役の創価学会員の方達も宜しければ感想を聞かせてください。「民生委員」と呼ばれる「公人扱い」の人達がいます。私(ら)の地域の民生委員は代表(女性)を含めて複数が創価学会員です。それ自体を問題視している訳ではないのです。ただ、民生委員と云う「立場」で知りえた個人情報、民生委員でなければ知ることの出来ない地域住民の情報が「何らかのかたち」で外部(創価学会内部)に伝わることが頻発しています。具体的な一例を紹介します。ご主人の家庭内暴力に苦しみ悩んでいた方が同じ町内の民生委員(学会員)に相談をしていました。これはよくある事です(何も家庭内暴力を肯定している訳ではありません)私(ら)が問題提起するのはここからです。結果として離婚し子供も奥様が引き取り新たな生活が始まりました。そして間もなく、ある日突然、今まで交際のなかった、お子さんの同級生のお母さんたち(学会員)が頻繁に訪れるようになりました。「大変だったわねぇ~」「これからお茶でも飲まない」と、それはそれは熱心に訪れるようになりました。その方は「なぜ゜こんなにも私たちの事情に詳しいのだろうか」と不思議がり「どうしてそんなにもうちの事情に詳しいのですか」と聞いたそうです。すると、いとも簡単に、あっけらかんと「あら、民生委員の◎◎さんに相談していたでしょう、◎◎さんから聞いたのよ」と答えたそうです。民生委員は「守秘義務」を課されています。違反した場合は「処罰」の対象にもなります。私(ら)の仲間が、このお母さんから「しつこく勧誘されていて困るのよ」と相談を持ちかけられ判明したのです。市役所へこの件を伝え改善を求めましたが市役所の担当からの回答は「本人に確認したところその様な事実はないとの報告です」当たり前です。認めるわけがないでしょうと抗議しても本人が云っている以上、追及のしようがないそうです。この一例は最悪の結果となりました。このお母さんは、子供と一緒に創価学会に入信をしたのです。先の統一地方選挙の際、子供と一緒に公明党議員の投票依頼を同級生のお母さんたちに熱心にやっていそうです。心配したお母さんが「学会にはいったの?」と聞くと「ええ、子供と一緒に毎日がとても楽しいです」と答えたそうです。民生委員が関与していると思われる事例は他にもあります。またの機会に紹介します。決して許される行為ではありません。ちなみにお子さんは会館に行くのが嫌で嫌で仕方がないらしく離婚した父親に訴え、説得に来た父親を母親が追い返そうとし、学会員らを電話で呼びその学会員らが「ストーカー行為をしている父親がいます」と警察に通報し大騒ぎになりました。誰かの入れ知恵でしょう。母親が被害届けを提出したそうです。呆れ返る話しです。長々と駄文を晒しましたが、皆様に少しでもお伝えできることがあれば今後も、具体例を紹介いたします。文責「もも(ら)」 ___________________以上。もも(ら)さん、コメントありがとうございます。みなさまご意見ご感想、よろしくお願いいたします。

  4. 名無しの権兵衛さん、コメントありがとうございます。 クロさん、こんばんは。このブログの来訪者の足取りを見てみますと、かなりの割合でクロさんのブログからのアクセスのようです。ほんとにありがとうございます。「福子」っていう言葉も滑稽ですよね(笑)。それから「退転」というのも、MCありきの言葉です。師弟不二という言葉も御書にさえ出てこないのに学会員はみんな師弟不二の精神で思考停止させられています。「日蓮大聖人の仏法を根本に」というわりにはおかしな話ですよね。学会が社会悪であるということは、社会的に影響力のあるおおかたの人たちは知っているんだけども、大企業やマスコミや芸能界や政治家も含めて、その甘い汁欲しさに見て見ぬ振りをしている。でも一般市民から隠しきれないほどの大量の問題があがってきたらどこかの時点で彼らは学会を見放すでしょう。彼らも学会との癒着が明るみに出たら同じようにバッシングされるでしょうから、きっと手のひらを返すがごとく敵に回ります。たとえば原発事故のあと、原発自体をつくってきた東芝や日立は原発とは関係ありませんみたいな顔をして、クリーンエネルギーを推進する企業であるかのようなコマーシャルを流しています。「あんたたちは原発でいったいどれだけ儲けてきたんだよ」って言いたいですけどね。自民党だって原発利権で儲かりまくりだったもんだから今は何を言われてもじっと我慢している。火の粉が自分たちに飛んでこないように当たらず触らずでおとなしくしている。自民党でしっかり原発事故の対応をしているのは河野太郎さん周辺ぐらいじゃないでしょうか。それと同じで、学会から甘い汁を吸わされて、黙って見過ごしている新聞社や出版社も、いづれ学会が美味しくなくなった途端に見捨てるでしょうね。創価学会は会員から集めたお金をつかって、企業やマスコミまで封じ込めながら、さらに学会員を洗脳して、またさらに金と(組織内での)権力をふくらませてきました。こんな単純な構造がMCが解けるまで気がつかなかった私がバカでした(笑)。事実関係はおおよそ分かっていながら、学会が悪いと思えなかったところがMCの恐ろしいところだと思います。目の前に丸くて赤い果物があることはわかるんだけど、それがリンゴであることに気づかないようなものだと…ちょっと例えが変ですね(笑)

  5. もも(ら)さん、コメントありがとうございました。メールボックスには入っていたのですが、なぜかコメント欄には表示されていませんでした。今後もこういった不具合が予想されますが、コメントは必ず表示しますのでよろしくお願いします。もも(ら)さんの超具体的なお話は、とても説得力があります。そして並々ならぬ覚悟がうかがえてすごいと思います。今後ともいろいろなお話をご紹介ください。

  6. 名無しの権兵衛私へのコメントだけあからさまに差別していますね。今後書き込みはしないし、あなたのブログだからどうしようとかまいませんがね。あなたがこのブログを立ち上げた意味が不明です。返事は特にいりません。

  7. 名無しの権兵衛さんへ どうかなさいましたか?名無しの権兵衛さんへの私の返事がクロさんへのそれと違って一行だけだったことを「差別」だと思われて憤慨されているのでしょうか?私は名無しの権兵衛さんを差別したつもりはありませんし、だいいち差別する理由などありません。「名無しの権兵衛さん、コメントありがとうございます。」という返事のどこがいけなかったのでしょうか?文字数でしょうか?文字数がクロさんと同じくらい多かったらよかったのでしょうか。そして文字数が少ないということがなぜ差別と判断され、なぜそのことに対して私が怒られなければならないのでしょうか?私は名無しの権兵衛さんのあとに、続けてクロさんへのお返事を書きました。確かに長い返事です。クロさんは、私がこのブログを立ち上げる前から大変お世話になっているし、このブログに多くの方がいらしているのも、クロさんのブログで紹介していただいているからです。また私からクロさんへも話したいことがたくさんあるので、この機会に書かせていただきました。それだけ対話のベースが成立しているということです。名無しの権兵衛さんは、今日初めてコメントしていただいたばかりで、そのコメントでも名無しの権兵衛さんがどういった方なのかも全くわかりませんでしたので、とりあえずお礼のコメントをさせていただきました。以下に名無しの権兵衛さんの最初のコメントをペーストさせていただきます。_____________________ 名無しの権兵衛こんばんは。1ヶ月前まではそのような状況だったのですね。私も比較的最近までそのようでした。創価学会の真実を知ったときの衝撃は、相当のものでした。両親が、本当は生みの親ではない里親であったというのを聞いた場合と、同等の衝撃ではないかと思います。何といっても衝撃だったのは・ご本尊がカラーコピーした偽物・池田大作には、愛人が多数いた・多数の裏金を含む、恐ろしいほどの集金体質などですかね。過去の離反者の証言は、ほとんどが事実です。_________________ この文章に対して、私は何を言えばいいのだろうと、しばらく考えました。クロさんへの返事を書く時間と同じくらいの時間を割いて考えました。それでも残念ながら何も出てきませんでした。あえてぶっちゃけて言いますが「………で?」って感じです。「過去の離反者の証言は、ほとんどが事実です。」と断言されて終わっていますが、それに対して「そうですね」と私が言えるほどいろいろ知っているわけではありませんし、「そうなんですか」と言うほどのことでもないような気もしたからです。私は昨日までの五日間ネットから離れていて、その間にいただいた多くの方のコメントに対してお返事を書くことができないでいる状態です。そこには学会についての綿密な分析や、つらい体験に基づく心からの訴えと共感など、今まで私が気づかなかったところを言ってくださる方の貴重な言葉ばかりです。申し訳ないのですが、その方々へのお返事も満足にできていない中で、名無しの権兵衛さんの上記のようなコメントに対してこれ以上時間を割けないと判断し、とりあえずお礼の言葉を申し上げました。そのことに対して、なぜ私が憤慨されなければいけないのか理解できません。また、「あなたがこのブログを立ち上げた意味が不明です。」と書かれていますが、私は10日前にこのブログを立ち上げてからずっと「私はなぜこのブログを立ち上げたのか」ということを書き続けてきました。最初からこのブログを読んでいただいて、なおかつ名無しの権兵衛さんが「私はなぜこのブログを立ち上げたのか」の意味を読み取れないのであれば、私のなす術はもはや見つかりません。この際ですからもう少し詳しく言いましょう。名無しの権兵衛さんがおっしゃる「創価学会の真実を知ったときの衝撃」のひとつ・ご本尊がカラーコピーした偽物ということについて、私はそれほど衝撃ではありませんでした。私がそのことを知ったのはYOUTUBEの動画でですが、その真偽を確認するすべもなければ、今さらそれがどうとも思えなかったからです。あえて言うなら「さもありなん」です。・池田大作には、愛人が多数いたということについても、真偽はどうあれべつにどうでもいいことです。あえて言うなら「興味がありません」です。・多数の裏金を含む、恐ろしいほどの集金体質ということも、今までさんざん言われてきたことですので、これもあえて言うなら「やっぱりね」といった感想しか持てません。つまりどうも名無しの権兵衛さんのコメントから「ああ、そうですね、そうなんですよ、私もそうでした衝撃でしたよ」といったような共感を得られなかったということです。でもそれをそのまま見ず知らずの、どんな方かもわからない、つい今しがたはじめてコメントしてくださった方に対して言うのも失礼だと思いましたので、私としてはネット上のマナーとして「コメントありがとうございます」とお返事させていただきました。もう一度お尋ねしますが、名無しの権兵衛さんのコメントに対する私の「名無しの権兵衛さん、コメントありがとうございます。」という返事のどこがどういけなかったのでしょうか?何をもっての「差別」なのでしょうか?私は名無しの権兵衛さんの「私へのコメントだけあからさまに差別していますね。今後書き込みはしないし、あなたのブログだからどうしようとかまいませんがね。あなたがこのブログを立ち上げた意味が不明です。返事は特にいりません。」といった書き込みの方がよっぽど失礼だと思っています。この気持ちは間違っているでしょうか?私はこのブログを軽い気持ちで立ち上げたわけではありません。ですから、ありがたいことにその気持ちを汲んでいただいた方からのたくさんの応援メッセージもいただきました。ネット上のことですから、白バラ通信の高倉先生をのぞけば、みなさんお互いにどこの誰だか分からないもの同士で会話をしているわけです。だからといって無節操な発言が許されるような場所には断じてしたくないと思っています。数日前にアオキさんという方からコメントをいただきました。名無しの権兵衛さんはその件(くだり)を読まれたでしょうか。その内容は「なぜ身内の大幹部に質問しないのか」そして「せっかく近くに宝物(大幹部)があるのに外でぎゃんぎゃん吼えてばかりいないで活用してくださいよ。見栄ばっかり張ってないでさあ^^。チベット問題とやらも聞いてくださいよ。」といった内容に対してはっきりと申し上げました。つまりアオキさんの言葉から受け取られるような生半可な気持ちでこのブログを立ち上げたわけではないということをです。案の定、その後アオキさんからの返事はありません。また期待もしていません。あきらかに創価学会のMC下にある方へ対話を試みても何も生まれないからです。もし名無しの権兵衛さんが私と同じような境遇で共感を求められてコメントをされたのであれば、その返事がたとえ一行だったとしても、それを自分に対する「差別」だと感じるようなことはないと思うのですがいかがでしょうか。私はこのブログでできるだけ正直に話をしていくつもりです。またコメントされる方も誠実で真剣ですので、このクオリティを心ない人による自己満足のための書き込みによって壊されたくはないのです。そしてこのクオリティであればこそ、創価学会に対して疑問を感じている学会員さんや一般社会に対しても説得力のある真実を示していけるのだと思っています。ですからこのまま名無しの権兵衛さんの言いっぱなしを見過ごすことはできませんので、わざわざ時間を割いてこうした長い文を書いています。ほんとはこんなことを書きたくはないのですが、第二第三の名無しの権兵衛さんが出てこられてはたまりません。また「こんな人はほっときなさいよ」といった他の方からのコメントが来るかもしれません。だからこそここにいらっしゃる多くの方に対しても、私がこのまま見過ごすことは失礼だと考えます。以上のような理由で、名無しの権兵衛さんには、私の質問に対して誠意あるお答えをしていただきたいと望みます。それとも最初からこれくらい長い返事をしていれば満足だったのでしょうか。しかし返事に満足しなかったというだけの理由で捨て台詞をはいて消えることが許されていいのでしょうか。私に対するあなた自身の最初のコメントが、長い返事や上っ面な共感を求めるだけのものだったとすれば、ここに心からのコメントを寄せられるみなさんに対して謝罪すべきだと思います。そのあたりを冷静にもう一度よく考えていただきたいと思います。

  8. こんばんは別に私が出る幕では無いと思いますが、少し感じることがあったので、書かせていただきたいと思います。別に「名無しの権兵衛」さんと管理者の方と間を取り持つという気持ちもありません。そもそも「名無しの権兵衛」さんが見てられてるかどうかも分かりませんし。1、まず感じるのは「名無しの権兵衛」さんというHNです。ご本人は考えられてのHNだとは思いますが、普通自分の書き込みに責任を持たない、もしくは書いただけ、あるいはレスを期待しないスタイルと思います。「匿名」ならばなんか事情があったり、あまりブログに深入りしないという感情が、なんとなく感じられるわけですけど、「名無しの権兵衛」さんというHNだと、いったい会話系なのか、ただ書かれただけなのか管理者としては非常に迷うところと思います。それでレスがあっさりしてるからといって不満を申し述べられるのは、少し自己矛盾があると思います。2、>創価学会の真実を知ったときの衝撃は、相当のものでした。両親が、本当は生みの親ではない里親であったというのを聞いた場合と、同等の衝撃ではないかと思います。という表現は普通出てこない表現なので、いかに「名無しの権兵衛」さんが衝撃を受けたかは心中さっしあまるところがあります。私なりに理解するところ大です。つづきます。

  9. 3>過去の離反者の証言は、ほとんどが事実です。これは心情的には分かります。ですが、管理者の立場からすると難しいものがあります。なぜなら一口に離反者といっても無数の方がおられるわけで、「そうですね、分かります」といったコメントを出すことは簡単かもしれませんが、公開のブログで安易に同調するとリスクも大きいです。幅広い離反者の言葉にすべて同調すると言えましょうか。それは無限責任で保証人の印鑑をつくようなものです。公開のブログですから様々な方が見られています。特に人気ブログはそうです。ブログを批判する方は、何も強烈シンパだけとはかぎりません。場合によっては強烈アンチ系から矢が飛んでこないとも限られません。具体的に言わせていただくなら「いい加減なことを書くからアンチサイトは信用されなくなる」といった批判もありえないとは限らないのです。つづく

  10. ですから、管理者の立ち場は非常に難しいものがあります。その辺をすこし考えていただき、「私はそう思うのですけどと、ご自身の考えを述べられ、どうなんでしょうかみたいな思いを「門底」(あくまで思いの部分ですけど)に秘められると対話に進めると思います。管理者の方がいろいろ考え、悩まれたと思うんですけど「コメントに感謝します」というのは最大公約数の「真心」で、後はレスしようがなかったのではないかという思いを持っています。よけいなお世話だったかも知れませんが、このブログがますます盛り上がるよう、また「名無しの権兵衛」さんが誤解を解かれてくださると嬉しいなという気持ちで書かせていただきました。

  11. 初めて投稿します。理由あって匿名にさせていただきます。申し訳ありません。リスクを負って学会に戦いを挑む多くの方々の思いが、痛いほどわかる一人です。長期間学会にいると、当然友人のほとんどが内部になります。私の場合、アメリカ創価大学をはじめとした海外で活動する友も多くおり、「世界に師匠を宣揚する」「創価の思想の正しさを証明する」との意気込みで頑張っているようです。しかし、もしかしたら創価という思想が間違っているかも知れない。その場合既に世界に飛び立っていった彼らは、そしてこれから飛び立っていくであろう彼らは、絶望にくれるのではないか。そう思うと、現状の組織に対して真剣に向き合わざるを得ませんでした。続きます。

  12. 私が取ることができる立場は複数ありました。一つ目に、師匠も組織も思想も宗教も、すべて間違っているという立場。二つ目に、思想・宗教は正しいけれども、組織や師匠は間違っているという立場。つまり、日蓮仏法のレベルから再生を図ることが出来るのではないかという立場。三つ目に、間違っているのは組織だけであるという立場、でした。大変に悩んだ末、私個人としては、三つ目の立場を取ることがより多くの民衆の幸福につながるのではないかと思われました。続きます。

  13. 世界は今、危機に瀕しています。それは疑いようの無い事実です。そして、時代は精神的な革命を求めていることも事実でしょう。その点においては、創価の人間革命運動が思想的に間違っているとは思えませんでした。そしてその根本となる仏法思想も、間違いと断ずるのはとても難しい、高度な哲学です。現代的に仏法を展開し、精神革命を推進するために組織的活動を行うことは、間違いではないと思います。クリシュナムルティがそうしたような、組織の解体という考え方も重要なのでしょうが、やはり多くの人間は一人ではどうしても弱いものではないかと思うのです。組織は必要悪ですから、その活動の中で多少の犠牲が出ることは仕方がないのではないかと思いました。続きます。

  14. 問題はその犠牲の多さと質の悪さと言えるでしょう。あまりにも、学会のせいで不幸になってしまった人間が多すぎる。今や、すべての会員の身の回りにいるのではないかと思います。一つの見方からすれば、その元凶はリーダーの池田大作であり、彼が仕組んだ犠牲と考えることも間違いではないと思います。もちろん最終的な事実関係は、まだしばらく明るみに出ることは無いと思います。(なので、私の出した結論も、変わることは大いに有り得る話ですが…。)私も草創期からの会員ではないですし、彼に直接指導を受けた経験もありません。疑わしい存在であることは間違いないです。しかし、それでも私は池田大作という人間を信じてみたいと思うようになりました。続きます。

  15. その最大の理由は、過去の宗教団体がことごとく失敗し続けてきたその歴史にありました。http://www.bllackz.com/2010/12/blog-post_09.html宗教は、結果としてみれば害悪であり続けてきました。しかし、人間精神を根底から変えていくには、宗教的な部分に頼らざるを得ません。本当に卓越した指導者なら、こんなときどうするのだろうか。それは、おそらく常に組織悪を乗り越える強さを構成員が持つことが出来る、たくましい組織をつくろうとすることなのではないかと思いました。これは、なかなか難しいことですね。続きます。

  16. つまり、私の中での判定基準は、池田大作という人間が、創価学会という組織を、どのようにつくろうとしてきたのか、という点に絞られてきたわけです。組織を強く永遠に続くものにしようとしたのか、自分が生きている間だけ金が回るシステムにしようとしたのか。これは、私にとって紙一重の問題でした。それ自体がMCと言われるかも知れませんが(笑)なぜなら、金がなければ組織は回りませんからね。とても長い間、組織を見ながら考えてきました。続きます。

  17. 本部職員でも、一晩に100万円も歌舞伎町で使って遊ぶような人間がいる、と聞いたこともあります。会長の年収も巨額だし、幹部の人間性も腐ってます。会員はとてもかわいそうです。しかし、本当の組織の強さを考えた時、一人のカリスマがすべての指示を出し、すべての問題を解決したら、カリスマが死んだ時に組織が崩壊する、というのは歴史の常ではないかと思うのです。じゃあ、組織を解体するのか。それも違うのではないか。最終的にカリスマがとったのは、会員を期待し信じてじっと待つ、という選択肢だったのではないかと思うのです。内部からの変革を待つという、気の遠くなるような選択です。続きます。

  18. これが正しい考え方だというつもりもなく、むしろ非常に自信のない、ただの楽観的な観測に過ぎません。ただ、あなたが本気で世界を変えたいと思った時、どうするか、考えてみて欲しいのです。自分が本気でつくった(指導してきた)宗教によって戦争が起こったとして、あなたはどうしますか?あるいは宗教でなくとも、NGOだって構いません。どれだけ正しくても、人を傷つけるような組織は許されるものではありません。つまり正しくないです。それが普通の考え方です。その意味では、創価学会は悪であると言えますし、私も悪の一員としてとても申し訳ない気持ちを持っています。しかし、その悪を超克する力がもし人間にあるとしたら…。最終的に私は、池田大作は人間の可能性に賭けたのではないかと思います。ここにおいて、彼はたとえ弟子が犯罪を犯したとしても、その善性を信じるのだろうと思います。続きます。

  19. やはり私も今、MC下に置かれているのかもしれないですね。おそらく今、必要なのは「情報」でしょう。それも、池田大作個人に関する。彼が本当は何を望んでいるのか。一体どうやったらわかるんでしょうね?(笑)少なくとも、今手に入る情報で私が出した結論は以上のようなものでした。また変わるかも知れませんし、変わらないかも知れません。皆さんがよりよき人生を歩まれるよう、ひっそりと祈っています。長文失礼しました。

  20. 匿名さんの思索に思索を重ねられた自らの想いを発信されたことを心から尊重します。匿名さんにとって、いまは創価及び日蓮仏法は必要な存在なのだと思います。。批判はしません。そう思われるなら、自らの信ずる道を思いっきり貫けば良いのだと思うんです。匿名さんのような方々が、雨後の筍のように増えて行く中で、もしかしたら?創価は再生するのかもしれません。いえ、もしかしたら、結局は、悪しき流れに呑み込まれ闘い敗れ討ち死に?の人生としてムダに終わるのかもしれません。。ただ、ほんとうは信ずる心があるのに閉ざし世間の風潮に合わせ、自身の心に嘘をつき続ける生き方は、正直、納得できません。わたし個人としては、創価を辞めたあとも池田氏を恨む気持ちもなく、創価を憎む気持ちもありません。その時、思いっきり頑張って悔いはなく、正直、その当時の自分には必要であったし、成長させて貰ったので感謝あり。。ただ、いまのわたしにはもう必要ではなく、創価から離れてみて、やっと自分自身の人生を生きている実感を得て、幸せを心から実感しています。ただ、創価にいることで苦痛を感じているのなら、そんなん、せっかく生きているのに勿体無いやん。苦痛をわざわざ選択することないんぢゃない?と言いたいです。自分を誤魔化して生きるのはよそう。。最後に一言。。宗教に組織は要らないです。日蓮仏法に組織は必要なのでしょうか?

  21. 自分は活動から離れ、冷静に見ている状況です。アポなしにいきなり訪問する、心配していると言いながら一切連絡なし、と言うのはざらです。

  22. ペガサスさん、心優しいサポート感謝します。ペガサスさんや、上記の匿名さん、ラピスラズリさんからのコメントを読ませていただいて、ようやく私の気持ちも収まってきました。ありがとうございます。 匿名さん、いよいよこのブログも本題に突入してきたなと思われる問いかけをありがとうございます。匿名さんへのお返事は、一朝一夕でできそうもありませんので、もう少し時間をください。よろしくお願いします。学会に疑問を持てるようになるまでの道のりに関しては、私もある程度理解できると思います。いま、自分のこれまでの創価学会との関わりを検証中です。自分のこれまでの人生の中で、どの時点でどのように思い行動してきたのか。どの時点で疑問を持ち組織から距離を置くようになったのかを「よっこいしょ」と記憶を辿らなければいけないような状態です。また私はついこのあいだやっと学会がおかしいと誰に向かっても言えるようになった人間ですので、まだまだ自分で自分のことをどれだけ理解しているのか、また客観視できるものなのかが分からない状態だと思います。まだまだMCも解けていないと思いますし、それは宗教全般についての再考といいますか、いっさいがっさいを問いかけ直さなければならない事態なのだと思っています。学会とは、仏教思想とは、宗教とは、そしてそれらが自分とどう関わっていくべきものなのか…、そのような思索はまだ始まったばかりです。ほんとは学生時代に超えるべき課題をこんな歳になって始めなければならないのですからお笑いぐさですよね。しかしネットが普及したおかげで、このようなことについて見ず知らずの方と真剣に対話ができることは、ほんとうにありがたいです。科学もあながち捨てたもんじゃないなと思います(笑)。今後ともよろしくお願いします。それから匿名さん、匿名はもちろんかまわないのですが、今後の対話のためにも何かHNを設定してもらえるとありがたいです。ラピスラズリさん、匿名さんに対するさっそくのコメントありがとうございます。これからある程度論点をしぼりながら話を展開していけるといいなと思っていた矢先でしたので、この流れはジャストタイミングだと思っています。よろしくお願いします。

  23. コメント投稿したのですが、見当たらないようです。長文だったかな?お手数ですが、表示して頂けたらと思います。

  24. クロさん、こんばんは。すみません。やはり表示されていないみたいですので、メールに届いているクロさんからのコメントを以下に表示させていただきます。_____________________「先生には我々が理解できない深いお考えがあるのだ…」と、学会員の方々は現実で目にした様々な問題に対して回避する思考をお持ちです。もちろん、本当に「理解できない深いお考え」があるかもしれません。ないかもしれません。けれど指導者としては、目に見え耳に聞こえる実際の言動よりも、各々に都合のいいように解釈させ、自らは何ら責任を取らないという在り方は失格の部類ではないかと思います。もちろん、深いお考えあって敢えてそのような指導者像を演じてのことかもしれませんが。ただ、MCの手法でもこういうことは使われています。信者=凡人には理解できない思想(神秘)が、宗教組織のリーダーには備わっていると思い込ませることです。言動の外にある思惑を理解しようとして、信者は悉く都合のいい解釈を自分に課しては思考停止にはまります。私が思うだけですが、これは「認知的不協和の理論」となっていくパターンではないでしょうか。自分の信じていたこと、心地いいことを否定するような情報を与えられたとき、精神がストレスを回避しようとして常識的な範疇を超えて都合よく解釈する心の防衛本能です。これは誰にも備わっています。それを増長させることで利用しているんですね。あくまで、素人の私がMCの本やサイトなどで得た情報で出した感想ですが。匿名さんのコメントを拝見し、そのようなことが頭に浮かびました。匿名さんのお考えを否定するのではありません。その可能性も否定できないでしょうからね。

  25. あのオウム真理教も、いまだに麻原章晃を信仰する人はいるわけですから、傍から見て、どう考えても不思議でも、組織の中にいる限りは、そのMCは解けないということだと思いますね。クロさんにしても、完全に離れたからこそ冷静に客観的に見えてくるものだと思うんですね。わたしもそうです。組織の中にいる限り、それはムリですよ、絶対にね。地湧の菩薩的思想、つまり選ばれし者的な思想に執着する、そこに自身の存在価値を見出したい願望に支配されるこころ。。選ばれし自分は、組織を変えていく一翼を担いたい願望。。使命。。(これも、わたしのこころに根深く残る執着以外のなにものでもなかったです。。)きっと、オウム真理教も、そういった使命感のもとに存在し続けているのかもしれませんね。。そう考えたら、この選民思想は、厄介なものかもしれません。先ほどのコメントと真逆のようなことを書き連ねましたが、正直な気持ちは、ちょっと悲しかったですね。でも、基本、信仰は個人の自由なのですから、やりたい人はやればいい。。もしかしたら、この創価学会は、真の宗教界の王者であり、池田氏は歴史に残る指導者であり、日本を世界を変えた人物なのかもしれないし。。悪いのは、みんな弟子ってことで。。でもやはり、どうしても疑問です。信仰に組織は要るのでしょうか?信仰にお金は必要なのでしょうか?

  26. 上で匿名さんのコメントを読んで、とても象徴的だと思いました。組織を悪にすることで、誰もが善意の第三者。悪気は無かったんだとしたい気持ち、すごく良く分かります。私も、そういう立場で考えていた時期もありました。以下は現在の私の考えですので、批判ととらないで下さい。匿名さんのおっしゃる通り、考えは変わるということだと思います。組織が悪という考え方は、今現在の内部としては丸く収まるのかもしれないけれど、その先はどうでしょう。現実的に迷惑をこうむった、本来の第三者(外部)の立場はどうなるの?という問題が残りますね。外部の心境としては「あれだけ新聞とか選挙とか訳分からんことばっかり言って、散々よそ様の先祖代々の仏様を侮辱しておいて、今さら『組織が悪いんだ』って何それ?」ということですよね。結局、組織がやったこと=自分たちの歴史なんです。私も「私は、啓蒙もF取りも折伏もしたことないから悪くない」と思っていたんですが、他所から見たら同じ穴の狢ですよ。知らない人にそう言って回るわけにも行かない。すみません続きます

  27. 最近になって、ようやく「認める」ということができるようになりました。「私もあの組織にいたんだ、一員だったんだ」ということを、現実として今は受け止めています。その上で、否定しています。組織も、あの頃の自分も、それに加担している「善意と思い込んでいる人たち」のことも。それには、両親も含まれます。私は、新聞を読んでも池田氏が書いた著書を読んでも、心動かされたことがありません。日蓮さんの教えに畏怖してた訳でもない。だったらなぜ組織にいたのか?二世だったからです。自分の親が懸命にやっていることが、まるで無意味であることを知るのが怖かったんです。最終的には「人は支えがいるもんだ」と自分に言い聞かせていました。一般的にはそれが「家族」なんですけどね。匿名さんの池田氏に対する気持ちは、私の親に対する気持ちに似ているのかもしれないと思いました。信じたいという気持ちだけで信じるというは苦しいものです。他所と戦う暇があったら、逃げないで少しでも子供の苦しみを理解しようとすればいいのに。これは池田氏にも言えますね(笑)

  28. SJさんのコメントに激しく同意します。私(ら)が親しくさせて頂いている「ある方」は今でこそ創価学会を脱会してはいますが現役当時は、それこそ毎日のように仕事そっちのけで学会活動に勤しんでいたと語っています。自身が入会させた人数は「200人」を超えると言っていました。親兄弟、親戚等々もほとんど入信させたとも言っております。私(ら)は一度些か意地悪な質問をしました。「今は脱会し何もしていないと云っているが仏間に置いてある仏壇はなぜ処分しないのか」「それだけの人数を入信させて自分は奥様(故人)と一緒に脱会をしている事に何ら後ろめたさは感じないのか」等々。「その方」は相変わらずの論調で「池田が悪い、池田の教義が狂っている戸田先生の頃とは変わってしまった」と繰り返すばかり・・・。信仰を持たない私(ら)から見れば「池田大作1人を悪者にして自分が負うべ責任をすりかえてやしないか・・・」と思うわけです。「その方」よって創価学会と云う組織に入り、今もなお学会活動を強いられている人達がいるのに・・・人生の大先輩である方に対して大変に失礼だとは思いますが「身勝手な理屈だよなぁ~」と思うわけです。脱会した青年部の自称地区リーダーだった「彼」が「人には云えないような事もたくさんやらされた、これはやばいと思いながらもその時は何も反論はできなかった。人生の汚点だ」と語った時に私(ら)はすかさずこう云いいました「そのことも含めて創価学会に入りやっていてた事は全て自分自身で決めてやったのでしょう、無理矢理にやらせさたなんて言葉は通用しないんだよ」と。「彼」は「居心地の良い組織」に「どっぷり」とはまった典型なのでしょう。ようは「甘ったれ」なんです。話が少しそれてしまいました。創価学会に入信したのも脱会したのも反社会的行為に加担したのも全て自分の「意思」で決めたの事です。この事だけは絶対に避けては通れないし目を背けては何ら解決もしないし前進もない。私(ら)は、そう確信しています。「文責もも」代筆「里芋」

  29. もも(ら) さんのコメントを読んで、思い当たることがありましたので、再度コメントします。もも(ら)さんのおっしゃるように、責任転嫁は見苦しく情けないものです。結局、そういう人間だからこそ、組織に依存してしまったんでしょう。そういう人は、案外人に言われてあっさり脱会してしまいます。そして簡単に戻ってしまう。もしくは別の依存先を見つけてきます。私は「非活」から「脱会」までのプロセスが、その人のこれからにとって一番重要なんだと自身の経験を持って確信しています。脱会してから自省することは、よほどの無理難題です。本人が反省を自己否定と履き違え、責任転嫁している時点で、脱会にはまだ早かったんじゃないかと思えてしまうのです。MCからの解放は、自身と向き合わないと叶いません。組織ではやらなくて良かった「考えること」を常にやらなければいけない。ずぶずぶだった人にとっては、さぞ逃げ出したくなる修行でしょう。その脱会者の方々は、まだ組織にとり憑かれているんだと思います。脱会しただけで、MCが解けるなんていう単純な話じゃない。脱会してまで組織に依存しなければいけないとは、これまた難儀なことです。彼らが前向きになるのは、長い道のりだと感じます。

  30. 初めまして。私、フリーで書籍の編集者をしているものです。これまでさまざまなジャンルの本を企画編集してきましたが、なかでも創価学会とはなんなのであろうか、というテーマがあり、2014年、『創価学会あるある』という本を、編集しました。外部の人間ではなく、学会員の方に、さまざまな質問をして、タブーなしで、意見を伺いまとめました。そして、同書に協力してくれた方から、貴ブログを紹介いただき拝見しました。不躾ではございますが、当方の仕事歴を送らせていたくことは可能でしょうか。連絡をとらせていただくことが許されたら、ご提案させていただきたいことがあります。ご検討のほどよろしくお願いいたします。

  31. 野口英明さん、はじめまして。コメントありがとうございます。
    どういう経緯で3年前のスレッドになぜコメントされたのかわかりませんが、私がどこの誰なのかがわからないというネットの環境があればこそ、こういったブログをたちあげて、創価によって大変な被害を被っている多くの方の話を聞ける場所をつくっています。したがって今後も私がどこの誰かわかるようなことは一切致しません。また、野口英明さんが出されている「創価学会あるある」のアマゾンのページを拝見したところ、どうやら野口さんは創価側の立場のようですので、私が野口さんに協力できるようなことがあるとも思えません。せっかくですが、私の個人的な連絡先を教えるわけにはいきませんのでご理解下さい。よろしくお願いします。

  32. 怪しさMAXの方が出現しましたね。私の創価センサーが「危険!近づくな」と最大音量で警笛を鳴らしています。

    ・連絡を取りたいなら、自分から連絡先を公開し、こちらに連絡くださいというのが筋でしょう。そもそもおっしゃるような仕事だったら、自らの連絡先を公開することは、何らためられわるものではないと思います。

    ・「当方の仕事歴を送らせていたくことは可能でしょうか」とのことですが目的も不明ですし、そのような申し出自体、かなり怪しいです。

  33. ご連絡いただきありがとうございました。アプローチのしかたがこれしか思いつかず、また、当方の連絡先は、コメントフォームに記載してあるので、手続き自体は問題ないかと思ったのですが。また、当方の立場がどのようであるのか、というのは仕事歴をみていただいたり、本を最後までみていただければわかるかと思ったのですが、残念です。本の受け止め方はいろいろありますが、あるやり方のなかでなにかを伝えるというのはなかなか難しいものです。それはさておき、お立場を考えると、警戒にも警戒をされるのはよくわかりますので、このような返信をいただくのも仕方がないかなと。ますますのご健筆を念じております。

  34. 怪しさマックスとのコメント拝見しましたので、ひと言述べさせていただきます。当方は自身の好奇心と問題意識でさまざまな書籍の刊行に取り組んでおります。そのうちのひとつのテーマが学会であったということです。当方のネットワークを駆使して直接お会いした学会員には、シニフィエさんと同じように真摯に学会とはなにか考えている方がたくさんいることがわかり、、そのような方たちとつくりました。学会員には、こんな悩みがあるのか、二世、三世ならではの悩みとはこういうものなのか、このような会話が、こんな用語を使って多くなされているのか、創価カルチャーとはなにか、いったいどこから創価に変化がおきたのか、学会タレントとはどのような存在で、どのようなパターンのタレントがいるのか、これからの創価学会はどうなりそうか、世間の評価に対してどのように考えているのかなどなど、本音を語っていただきました。本とはどのようなものであれ、面白くてためになるものであってほしいという願いから、エンタメ色を強く出してはおりますが、いずれにせよ白か黒かというような、単純な本にはなっていないと自負しておりますので、決めつけるのではなく、読んでみていただけると幸甚です。勝手なことを述べてしまい恐縮ではございますが、ご検討のほどよろしくお願いいたします。

  35. 野口さん
    ここは創価学会のおかげで人生を棒に振ってしまった、あるいは大きなダメージを受けた人々が、それぞれの経験を語ることにより、同じように苦しむ人々を創価の呪縛から解き放つためのサイトです。創価の問題は、貴方が思うより根深く大きな問題なのです。貴方の商売の道具とされるような類のものではないと思います。

    百歩譲って、貴方が真剣に創価の被害者を救いたいという思いから何らかの行動を熱心に行い、その一環として本を出版したいというならば話は別でしょうが、あなたの紹介している前述の本は創価を肯定するものですから、そのような立場であった貴方が、ここで協力を求めるなど、勘違いも甚だしい。

    このような問題を単に商売の対象として取り扱われることに対し、強い不快感を持ちますね。ここに集う方々は、真剣です。

  36. 野口英明さん、怪しさMAXが気に触ったようでしたらすみません。でもそれくらいあなたのコメントは気に触るものだったんですよ。
    まず野口さんは初めてのコメントであるにもかかわらず、肝心な自己紹介もないままに連絡をくれと言ってきたんです。どこの誰ともわからない人に自分の身元がわかるよな情報を流しますか?とくにここで問題にしているのが創価学会です。そうとうヤバいですよ。その意味すらわかっていないんだろうなと判断しました。あなたが創価学会の立場の人間なのか、あるいはかつて創価で、ある程度内情がわかっていて今は脱会したのか、もともとまったく外部の人間なのかもわからない人に「ご提案させていただきたいことがあります」と言われて「はいそうですか」と自分の素性を明かすような人はいないと思いますよ。そういう意味で「怪しさMAX」だという意見に賛同しました。
    野口さんはどういう立場かもわからない創価関連の人に「ご提案させていただきたいことがあります」と言われて「はい、私が創価を徹底的に批判している人間です」とのこのこ出て行きますか?自分の実績のわかる書籍の紹介ぐらいするべきではないですか。私は書籍や情報誌などの取材・編集も仕事としてやっているので、取材依頼のノウハウは心得ているつもりです。自民党の議員関係の仕事も多く手がけてきて、ヤバい世界もそれなりに承知でやっています。野口さんのコメントは、いきなり相手を警戒させるだけで、あなたの仕事に対しての興味を起こさせるようなことが皆無でした。なのであっさり断られたんですよ。
    自分が何歳くらいのどういうキャリアがあって、どのような立場での編集を心がけているのかぐらい最初に説明すれば、まだ考える余地もあったでしょうけど、いきなり「連絡をとらせていただくことが許されたら、ご提案させていただきたいことがあります」はないと思います。それから「創価学会あるある」に関してはアマゾンの書籍紹介のページを見ただけですが、取材した学会員がどの程度の話をしたかぐらい想像がつきますよ。問題はそれをあなたがどのような立場と視点で捉えたて編集したものかによってその本の価値が決まってくると思います。ちょっと世間の感覚とは違った不思議な世界としてまとめてしまったものであれば、はっきり言って何の意味もないと思います。創価問題はそんなものではありません。戦後日本における重大な基本的人権の侵害行為が堂々とまかりとおっている大変なことなんです。あなたが他にどのようなテーマで本を編集されたのかは知りませんが、数ある面白ネタシリーズのひとつとして創価問題を扱われたのでは、創価の被害者はたまったものではありません。
    問題意識がなさ過ぎるのではないでしょうか。そしてアプローチがまず過ぎます。たとえば北朝鮮拉致被害者の家族の方へたいした自己紹介も編集方針も告げないままに「『北朝鮮あるある』という本を出そうと思いますので、なんか面白ネタを思いつくまましゃべってください」なんて面と向かって言えますか?私は言えません。あなたのいう数ある「好奇心と問題意識」のなかのほんの一つとして創価問題はあまりに大きすぎると思います。手に負えるものではありません。『創価学会あるある』に対するアマゾンのレビューを見ただけで、問題意識の希薄さが伝わってきます。タイトルに創価学会とつけて、批判的な内容でもなく、学会員が面白おかしく読めるものであるなら、あるていど学会員さんが買うのも見込めます。それが何になるのでしょう。はっきり言えば創価をネタにした単なる暇つぶしの本でしょう。
    野口さんは「それは言い過ぎだろ」と思うかもしれませんが、実際のところ「創価学会あるある」を載せるとすれば、
    ・学会員にはうつ病や統合失調症の患者の割合がとても多い
    ・学会員の過程の子どもは不登校や引きこもりがとても多い
    ・サラ金に借金してでも財務をしろと脅される
    ・聖教新聞の多部数購読はあたりまえ
    ・脱会などしようものなら、近所にあることないこと言いふらされる
    ・父親はすべてを創価に捧げたあげく自殺した
    ・うちの支部男子部長は事業に失敗して夜逃げした
    野口さんはこんな話を載せてますか?学会員からこんな話が出ましたか?
    いくらぶっちゃけ話をしたとしても笑って済ませるようなことしか言わないでしょう。
    こんな話を野口さん名義の本で出版するというのであれば協力も考えますが、そんなことしたらあなた潰されますよ。出版を通してそうか問題の実態と本質をあからさまにするといった問題意識と覚悟があるのであれば協力も考えますが、あの本のレビューとあなたのコメントを見る限りでは、とてもそのようには思えませんので、お断りさせていただいた次第です。どうかご理解ください。

  37. シニフィエさんのこのコメント、面白すぎです。

    >北朝鮮拉致被害者の家族の方へたいした自己紹介も編集方針も告げないままに「『北朝鮮あるある』という本を出そうと思いますので、なんか面白ネタを思いつくまましゃべってください」

  38. アプローチの仕方にについてだけ述べます。コメントのフォームにメールアドレスの記載があったので、そこに記入させていただきました。おっしゃるとおり、なにかお願いするときには、私はこれこれこういうものですと名乗るべきです。それをしたかったのですが、この投稿で私の全履歴をのせるのはさすがにちょっとと思いまして、投稿フォームの当方のアドレスをのせましたので、それで連絡がとれたら、当方がいったいなにもので、なぜアプローチさせていただき、なにがしたかったのか、ご説明させていただければと思っておりました。たいへんなリスクを背負ってブログを運営されていると察しますので、警戒されているのは十分わかるのですが、どうやってアプローチするべきか、こちらも悩ましく、それで、当方の履歴にかんしては、個人的に送らせていただき、また、アプローチの動機なども吟味していただければいいなと思っておりました。このような、ブログでのアプローチはやはりなかなか難しいですね。投稿フォームに当方のアドレスをのせたので、シニフィエさんは匿名のまま、当方に、あなたはいったい何者で、何のようなの?と問い合わせしてくれたらいいなと、そんな勝手なことを考えておりました。たいへん失礼いたしました。今後ともご健筆を念じております。

  39. 追記 公の投稿の場でどの程度ものをいうべきか迷ったところもあり、その点で、不快、もしくは疑念を喚起させてしまったこと、たいへん申し訳ございませんでした。段階をへて、やりとりができたらとは思っていたのですが、アドバイスに従うと、公の投稿の場で、履歴を公表し、どんな意図でなにをしたかったのかを、最初に全部公開するしかなかったのかと思うと、さすがにそれは当方も勇気いる、もしくはあまりにも最初から情報てんこもりでおしつけがましいのではないかとか、いろいろ考えてできませんでした。とはいえ、アプローチが不快であったことにかんしては変わりませんから、当方のいたらなさです。失礼いたしました。

  40. 野口さん、あなたが怪しいものではないことはわかりました。最初にメールアドレスの記載は確認しましたから、メールを送って連絡を取り合うことは可能でしたよ。しかしもしあなたが怪しい人であれば、私のアドレスから身元がバレることもあります。そうしたことも警戒しなければならないほど創価問題はヤバい世界なのです。ご理解ください。たとえばブログのコメント欄に書けないようなことで依頼したいことがあるのであれば、アプローチの仕方をこのコメント欄に「非承認でお願いします」として、簡単でも自己紹介や実績の記載のあるリンクを載せて見てもらった上で「不明な点はこちらのアドレスまでお尋ねください」とすればよかったのではないでしょうか。とにかくあのコメントでは、私の立場上、身元を探られることを極力警戒していることに察しがつかないような方だと判断されてもおかしくないですよね。ですから私もあのような厳しい態度をとらなくてはいけませんでした。今はあなたが警戒しなくてもいい人だということがわかりました。しかし創価問題に絡んでくるネット上の魑魅魍魎がどんなにおぞましいものか、おそらく野口さんは知らないのだと思います。だから「問題意識が希薄だ」と判断したんです。そういうことです。気を悪くさせてすみませんでした。

  41. アドバイスありがとうございます。コメント欄に「非承認でお願いします」とし、こちらから警戒をとくだけの発信をさせていただき、ご判断をおまちすればよかったすればよかったのですね。書き方のいたらなさも含め、こちらこそすいませんでした。底知れない問題を長きにわたって真摯に発信されていることから、さまざまなことを想像します。ご自愛ください。ますますのご健筆を念じております。

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