一万人の声を

このブログの「正義は勝たない その2」のコメント欄に匿名でコメントをいただきました。さきほどそのコメントに対してお返事させていただきました。ここの一番下のコメントです。二つ前の記事になりますので、みなさん見逃すかもしれませんからここでお知らせしておきます。私の言葉足らずなところが、いろいろと誤解を生むのかもしれません。批判は真摯に受け止めるつもりですし、それに対して思うこともできるだけ書かせていただきたいとも思っています。ここは最初に書きましたように、正邪を決める戦いではなく、いろんなかたの考えや体験を語っていただく対話の場としてやっていきたいと思っています。とくに創価学会についての思いや経験を書いていただけるとありがたいです。私は学者や宗教家ではありませんので、誰かに何かを教えるようなことはできません。学会幹部が尻尾を巻いて逃げ出すようなすごい秘密を知っているわけでもありませんから、本部幹部の方、安心してください(笑)。ただ創価学会の真実の声を徹底的に集めたいと思います。もし本当に創価学会が正しい宗教であれば、それはそれで学会にとってもありがたいブログということにもなるでしょう。そうなれば私の両親のように創価功労賞をもらえるかもしれません(笑)。包み隠さず、一切の脚色をすることなく、53年間の創価学会員としての自分の思いや経験をここに書き、それをきっかけとして、他の方との意義ある対話が広がっていければと願うだけです。

そういうことで、ここをご覧になっていて、まだ何も書いてないけど、ちょっとは言いたいなとか、私はどこまでも学会を信じて死ぬまでやっていくぞという方も、自分の思いを伝えてください。悪意がなければ削除はしません。幸い、いままでどなたも削除していません。これってけっこうびっくりなことかもしれません。きっとみなさんの真剣さが変な書き込みを拒絶する力になっているのだと思います。ありがたいです。ここに載るのは真実の声であれば、学会でもアンチでも外部でもかまいません。右でも左でも法華講でも幸福の科学でも真言密教の行者さんでも四国のお遍路さんでもカトリックでもプロテスタントでもフロイト派でもユング派でも神道でも気功師でもプラグマティストでもニヒリストでもオタクでもかまいません(笑)。北海道のアイヌの方でも、沖縄のナンクルナイサーな方でも、キムチがきらいな韓国の人でも、カレーが苦手なインド人でも、リズム感のない黒人でも、いっこうにかまいません(笑)。いろんな方がいて当然ですし、先にお返事させていただいた匿名さんもそうした中のお一人ですので、ここから対話が広がっていけばいいなと思っています。
みなさま、私は創価学会に関する一万人の真実の声がここに集まる日まで頑張ります。その結果がどういったものになるのか、学会本部の幹部の方をはじめ、しっかりと見届けていただきたいと思います。できれば創価ネットのトップページにリンクバナーを貼っていただきたいぐらいです(笑)。ある意味、聖教新聞より学会のことがよくわかるブログになると思いますがいかがでしょうか。
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一万人の声を」への17件のフィードバック

  1. 正義は勝たない。。とは、そういう意味だったのですね。卵と壁ですか~。。たしかに、いまの日本で真の民主主義はないように感じています。でも、わたしはただ壁にぶち当たる卵の存在にはなりたくないですね。無意味なことは最初からしたくない人なので。。シニフィエさんが、創価学会に長くいたことがありながら、それを悪であると言い切る所に、正直わたしは疑問を感じてしまうんですね。そして、1万人の声を集めて何がしたいのか、よく見えません。。わたしは脱会して4年、身近な創価学会の人と交流はナッシングですが、敢えて創価学会の事実を知らせようとか、在る意味目覚めさせようとか、そういう気持ちは初めからなくて。。ただ、運ちゃんさんのサイトに出会い、そこに想いを書き込みながら、自身の気持ちを整理させてきた部分から、このシニフィエさんのブログへと至っただけで、なにも創価学会の方に積極的に脱会を勧める気持ちもあまりないんですね。皆さん、ご家族やしがらみもあり、今さら面倒なことはしたくない人も多いでしょうし。。つづく

  2. めげずに書きますね。。わたしは、すでに脱会して4年、戻ろうなんて気持ちもさらさらないし、辞めたコトを後悔する気持ちも微塵もないです。ただ、純粋なアンチブログならいいのですが、在る意味、よくわからないような権力に飲み込まれてしまう感じがするモノには近づきたくないんです。わたしの思い込みかもしれませんが、シニフィエさんには、そのような匂いを感じてしまいました。もし、創価学会に幻滅を感じて脱会したいなら、なにもここで断るコトなく、サッサとやめればいいだけなのに、何故?と不思議なんです。。また、消えてしまうかもしれないので、ここまでにします。。

  3. ラピスラズリさん、続きのコメントはこれですね。私はとにかく削除はしません。以下、ラピスラズリさんのコメントです。________________________ただ、創価学会で悩み苦しんでいる人に、こういう生き方もあるよ~という気持ちからですね。。基本的には。。そもそも、正義なんて価値観、人により国により、宗教により、様々なモノに思い込みと言うか、そんな曖昧なモノに価値を見出そうなんて気持ちもないです。何故、シニフィエさんは、そんなに性急にされようとしているのか、その真意も分かり兼ねます。また、自分と違う考えの方に対するコメントの反論が半端なくて、正直わたしは引いてしまいます。また、ここにどんどん書き込んでくださいと言えばいうほど、正直、なんか怪しげに感じてしまうわたし。。おかしいでしょうか?また、勇気だして書いたコメントが、いままで何度も消えてしまうと、正直、無言の圧力のようなものを感じてしまうわたしは考えすぎでしょうか?サイトの不具合で在るのならば、リニューアルするのもいいかと。。右寄りであるか左よりであるか、その書き込む内容を読めば誰でも薄々わかるものです。今日は、ここまでにします。。 _____________________

  4. ラピスラズリさん、コメントありがとうございます。これまでのラピスラズリさんと随分感じが変わったので驚いています。といいますか、ラピスラズリさんのコメントは書かれるたびにスタンスが違いすぎて驚いてしまいます。いや、べつに批判しているのではないので誤解しないでくださいね。ラピスラズリさんが先日YOUTUBEの動画を紹介してくださいました。お返事をと思ったのですが、正直あの物語にあまり共感できませんでした。なんとか意を汲もうと努力しました。人と人とのつながりとか、ヒューマニズムがテーマだったのでしょうが、物語の設定にあまりに無理がありすぎて、違和感ばかりが心に残ったのです。人間の心の機微をこんなにも凡庸に扱われたのではたまらないなといった感じです。怒らないでくださいね。正直に言ってるだけです。だからあれからなかなか返事ができないままになってました。日本における創価学会の存在は、世界に君臨する巨悪の「壁」に比べればチンケなものでしょう。でも学会によって不幸になっている人がこれだけいる。幸福になりたいという思いを逆手に取って搾取してきた組織は、村上春樹氏が言う「システム」であり「壁」のミニチュア版であると思います。>1万人の声を集めて何がしたいのか、よく見えません。。このラピスラズリさんの感想に対して、私はこれまで述べてきた言葉でわかってもらえていないことを考えたときに、これ以外にわかってもらえそうな言葉を見つけ出すことができません。ですので先に取り上げさせていただきました村上春樹氏のエルサレムでのスピーチを抜粋します。_________________________今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目はみえてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。 このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです。
 これが、私がお話ししたいすべてです。________________________物心ついてからずっと、ついこのあいだまで信じていたものが、じつはとんでもない悪だった。私はそれに気づいたからきっぱりと「悪である」と言い切ることができたんだと思います。今思い起こしてみれば、それは突然ではなく、さまざまな伏線のようなものがありました。今になってわかることです。そしてそれに気づかなかった自分に対する嫌悪感。それを信じたまま生涯を捧げて人生を終えた父親。いまだに信じている母親と兄。創価学会というシステムも、村上氏が言うようにまさに私たちがつくった思います。そのことに対して、私はそうした自分の人生に対してこれからどうやって折り合いをつければいいのかを考え始めました。まだ考え始めたばかりです。日本でこれだけの人間を思考停止させて動かしている創価学会は、やはり私たちがつくりだしたシステムであり壁であると思います。そして私もその前に転がる一個の卵なのだと思います。なりたいなりたくないの問題ではなく、この地球に今生きて生活をしているということは、誰もがこのシステムがつくった壁の前の卵なのです。そして創価学会員であることは、多かれ少なかれそれぞれが創価学会というシステムがつくった壁の前に転がっている一個の卵なのだと思います。その小さな卵が自分の前に立ちはだかる壁の大きさに気づいて立ち向かったところで、おそらく簡単につぶれるでしょう。でもどんなに大きな壁であっても、たとえばそこに一万個の卵がぶつかりくだける様子を想像してみてください。その姿を日本中の人が見ることを想像してみてください。私たちが幸せに生きていく上で、創価学会が必要なのかどうかを考えるきっかけにはなるのではないでしょうか。創価学会の会員さんがそれでも信仰を続けるのか、脱会するのかは、それぞれの人が自分で判断するのが当然です。誰もやめなさいとは言えません。他人が言ったところでやめるようなシステムではないことはわかりますよね。ただ何をもって信仰をやるやらないの判断をするのか。私はそのきっかけもしくは判断材料を提示したいと考えました。そしてそれは私のこれまでの自分の人生に対する折り合いをつけるための行為になるのかもしれないと思っています。ラピスラズリさんにはなかなかわかっていただけないかもしれませんが、今の時点で自分が考えているこのブログの可能性です。自分のすべてをすべての人に分かってもらおうと思いませんし、土台それは無理なことです。>また、勇気だして書いたコメントが、いままで何度も消えてしまうと、正直、無言の圧力のようなものを感じてしまうわたしは考えすぎでしょうか?考え過ぎです(キッパリ)断じて私が消しているわけではないことは言っておきます。>自分と違う考えの方に対するコメントの反論が半端なくて、正直わたしは引いてしまいます。私は私の書き込みに対して共感していただける方へも反論される方に対しても、正直に思ったままを書いています。結果として反論に対しては、できるだけ誤解がないように詳しくお話ししてしまうので長くなっているのだと思います。べつに圧力をかけているわけではないし、意地悪な言い方かもしれませんが、詳しく説明されるのが苦痛であればコメントしなければいいだけのことではないでしょうか。私は誰にも何も強制はしませんし、できもしません。自分の思いを書き綴ることで自分の揺れ動いている気持ちを確認しながら、他の方の考えや経験もお聞きできればと思っているだけです。それがいやなら見なくていいんですよ。逆に何か別に邪悪な魂胆があるやに言われるほうが心外です。私のようなどこの誰ともわからないような人間のブログの書き込みなどで人の心は動かせません。動く方がどうかしてます。でも私も暇つぶしでこんなことはしません。ラピスラズリさん、私もあなたもお互いにどこの誰だか分からない人間同士が書かれた文字だけで会話をしているのです。もういちど村上氏の言葉を上げます。___________________私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。___________________私の言いたいことのすべてを村上氏は見事に言ってくれています。「私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさ」これが宗教の存在価値であり目指すところだと思います。まさに生命の尊厳とはこのことだと思いました。だから私も少なくともこれからの人生は卵であり続けようと思ったのです。参考までに村上春樹さんのスピーチ全文のページをリンクしておきます。http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php?page=all

  5. つづきわたしは、この場を排除しようとか批判という意味からではなく、疑問として書き込ませて頂きました。ラピスラズリ

  6. >わたしは、この場を排除しようとか批判という意味からではなく、疑問として書き込ませて頂きました。 あぁ、すみません。おっしゃる意味がわかりません。ラピスラズリさんが疑問として書いていただいていることはわかっているつもりですし、その疑問に対して、できるだけ誤解のないように答えているつもりなのですが、私が書けば書くほどラピスラズリさんは悪意に感じてしまうのでしょうか。その「匂い」とか「気がする」というのが私には見当もつかないのです。よかったら、どなたか中に入っていただける方いらっしゃいませんか?

  7. もうひとつ>もし、創価学会に幻滅を感じて脱会したいなら、なにもここで断るコトなく、サッサとやめればいいだけなのに、何故?と不思議なんです。。サッサとやめるだけでは済まないことを、ここにコメントされる多くの方が言われてきたと思うのですが…、それがおわかりにならないのでしょうか。

  8. ごめんなさい。書くか書くまいか迷いましたが、このままでは眠れなくなるので書くことにします。それはラピスラズリさんに対して大変失礼なことを訊くことになると思いますがお許しください。ただこれ以上の食い違いは私もどうかなりそうです。どこかではっきりしなければならないと思います。ラピスラズリさんのコメントを最初から読み返してみました。そこで思ったのは、ラピスラズリさんは、自分に入ってくる何らかの意思にとても過敏に影響されすぎてしまう方のように思われます。私の書き込みに対しても、私があたかも命令しているかのような反応です。それからご自分のコメントが意図的に消されているのではないか、自分は否定されているのではないか、無視されているのではないかと言った猜疑心さえうかがえます。最初にコメントがアップされない自体があったときに、別のブログの方へ相談のコメントをされました。その後、私がシステム上の単なる不具合であることをお話ししたところ、丁寧にお詫びのコメントもいただきました。それはそこで解決したと思っていました。しかしその後、先にも言いましたように、コメントのたびにラピスラズリさんのスタンスがまるで違う。またあまりこちらのことを聞かずに自分を主張される。なにかとても不安定なものを感じます。>よくわからないような権力に飲み込まれてしまう感じがするモノには近づきたくないんです。といいながら、私に近づいているのはあなたの方ではないのでしょうか?先にも言いましたとおり、ここはネット上のどこの誰かも分からない他人のブログなのですから、近づく近づかないはあなたの判断でしかありません。私はあなたに対しても誰に対してもなにひとつ強制した覚えはありません。私はあなたの言動のちぐはぐさにどう対応していいのか分からないでいます。ここが嫌な「匂い」がするのであれば、そんな思いまでしてきていただかなくていいんですよ。私はあなたにぜひともここに来て何かしら書きなさいと言っているわけではありません。ここにいらっしゃる方に、その気があったら何か思うことを書いてくださいませんかとお願いしているのですが、そうしたことも理解していただけてないようで残念です。あなたのことをなんとか理解しようとしましたが、残念ながら精神的に消耗するばかりです。できればこれで終わりにするか、まともな対話ができるようなスタンスでお願いしたいです。よろしくお願いします。

  9. 以下、ラピスラズリさんの最後のコメントだそうです。________________________わたしは創価学会を離れ自身の心の変化を自分でも不思議なくらいに感じています。いま、正直変化途中なので、他人からみると、大きく違うコトを言っているように思われるかもしれませんね。。ここに書き込むコトも最期になると思いますが、正直、いまのわたしには創価学会問題は、もう自分の問題ではなくなっているんです。もう、そんなことはどうでもいいんですね。。一時、母にだけは創価学会の事実を伝えようとしましたが。。最期の言葉でなにもそれ以上言えなくなってしまったんです。。「もう言わないでよ。。分かっているけれど、いろいろめんどくさいからほっといてよ」また、創価学会すべてを悪と言い切れることにも疑問です。なにが善でなにが悪か、いまもってわかりません。正直わたしは、在る意味、絶望感からかもしれません。。卵をぶつける人になるよりも、自分の人生を眈々と生きていく。。それだけです。わたしは、創価学会で成長できたことも事実ですし、そのときの自分には必要だったと思うし、そういう自分を否定したくないんですね。思いっきり頑張って卒業した。感謝の気持ちで。。また怒りや、批判で世の中は変えられないと心底感じたからです。『すべての出逢いは良き出逢い。すべての出来事は良きできごと』軽薄なヒューマニズムと言われても、これから先もわたしは魂の進化をし続けて行くつもりでいます。どうせなら人生、わくわくすることを選択し楽しく生きて行きたいですから。。思ったよりも人生は短い。。怨みつらみを言い続けて生きたくないですから。。ゴメンなさい。。最後に。。 ____________________ 大変失礼かとは思いますが、ラピスラズリさんはきっとおひとりではないのかもしれないと思いました。そしてそのときそのときで思いついたことを口走ってしまうので話に一貫性がない。でもそんなことは気にしないので、逆に聞かされているほうがどうかなってしまいそうです。こちらからのいくつかの質問に対しても最初から答える気がなかったようです。視点の見えない話は対話になりませんでした。今考えてみると最初から対話ではなかったです。お元気で。

  10. いやあ、びっくりしました。こんなことだってあるんだなあと勉強になりました。正直動揺しました。とても深い闇が見えました。闇というより虚といったらいいのでしょうか。上の対話を見ている方もちょっと怖くなったんじゃないでしょうか。もう少し私が冷静になるべきでした。コミュニケーションが破綻すると、一見会話のようで会話にならない恐ろしい空間が生まれるのですね。さ、気持ちを切り替えて明日も頑張ります!

  11. アナスタシアさんのコメント…はじめまして。アナスタシアと申します。つい最近、学会員になったばかりなのですが、学会の思想、日蓮大聖人の思想(と言ってしまっていいのかまだ何も知らないので不安ですが)をもっとよく知りたいと思い、関連する本や聖教新聞などに積極的に目を通し始めた者です。しかし、同時に『創価学会の真の姿とはどのようなものなのか』も気になっており、もちろん、言葉を交わした学会員の方々には繰り返し教えて頂いているのですが、人間、自分が信じているものを客観的に捉えて、思索し、結論を出すのは至難ですよね(率直に書くと「それは真実ですか?」)と思うのは当然のことで、ゆえに、真に参考になるご意見やご感想はないものかとネット上で検索していたところ、シニフィエ様のブログに辿り着いたという次第です。前置きが長くなりましたが、現在の私の心境を書きますと、学会は黒に近いグレーではないかと思っています。よくあるインチキ宗教のように“これは搾取ではないか”と感じるような露骨な要求は今のところありません。しかし、御本尊のご供養(そもそも何ですかこれは)にかかったお金や、私には関係の無いところで話す学会員の方々のお話の中には“それってアレ(搾取)じゃないの?”と感じる部分があるのも事実で、ゆえに嫌な予感があり、“実は黒なんじゃないの?”と思う理由になっています。一番気にかかっているのは、財務という言葉です。私はまだ具体的な話は聞かされていませんし、聞くこともしていませんが、ネット上で見た様々な情報から、大体の予想はついています。予想というよりは“その通り”なのでしょうから、上のような表現は本来不要なのですが。これ、ありのままに素直に結論を出すなら、完全に“アレ”ですよね。財務が存在――または発生しなければならない理由を学会側から聞いた訳ではありませんが、少なくともそんな私がその理由を考えると『活動費』または『ただの金儲け』くらいしか結論が出てきません。さて、ここで急に別の話になってしまうのですが、私が初めて学会の存在とその思想を知った時に抱いた感想を書くと、『思想は素晴らしいが、それが宗教(つまりお経を唱えたりする)必要性を感じない。疑問である。むしろ、宗教的な部分が無く、ただ“それ“(思想)を追求するだけの研究・学びの集いの場としての組織だったなら、世間の見方も全く違っていたのではないか。勿体無い!』ということでした。自身、宗教の利点や欠点、存在意義などは把握していないので、そんな状態でこのようなことを思うのは愚直としか言いようがないのですが、これが偽らざる感想でした。ですが、私情で色々ありまして、学会に入信することを決意。もちろん、宗教的な部分も受け入れる覚悟の上での決意でした。本音を言うと、私があてにしているのは、入信することで築ける人脈や、年齢層豊かな数多の人達と関わることで磨かれるであろう人間性や社会性です。このような場は探せば他にいくらでもあるのでしょうけど、もともと社交性に欠け、積極的に輪に入れない自分を変えるための鍛錬の場を求めるなら、学会は最適な場所だと思ったのが入信の主な理由でした。そして、今では信心を欠かさずに行っていて、その効果も何となくではありますが実感しています。しかし、それは神がかり的なものではありません。これは私の独自の解釈になってしまうのですが、それが何なのかと問われれば、自分なりに説明することができます(もちろん具体的な物証はありませんし、ただの一個人の想像の上に成り立つ考えなので、鼻で笑われてしまうかも知れませんが)それを踏まえた上での信心です。この話を真面目に他の学会員の方に聞かせたら、間違いなく怒られるでしょうけど・・・・・・(苦笑)話を一つ前に戻します。以上の理由から、今のところ、学会は私にとって“有益であるだろう”存在ですが、それはまだ『広布』や『財務』などの活動に関わっていないからだということは何となく感じております。学会によって不幸になった方々やその状況を実際に見た訳ではないので、そういう観点から学会の真を問うようなこともなるべくしないようにしています。しかし、冒頭で書いた悪い予感――“兆し”を素直に受け止めると、やっぱり学会は危ういのだろうなと思う気持ちは否定できません。実際に、納得のいかないことを強要されるようなら、止めることも考えています。もちろん、思想や、信心(における精神的な効果の継続とでも書けばいいのでしょうか)は独自に続けていきたいなとは思っているのですが(苦笑)だらだらと自分の考えを書き綴ってしまいましたが、私の考えを読んで、シニフィエ様はもちろんのこと、コメントを書かれている方々もどう思われるのか、ご意見を頂きたいと思いコメントさせて頂きました。(こういうことは自分で場を設けてそこでやれと思われるでしょうし、私もそう思うところはありますが、『対話』という部分に甘んじて書き込ませて頂きました。ですが、場違いの勘違いであるのでしたら、本当に申し訳なく思います)最後に、このようなブログの運営管理は大変だと思いますが、どうか健康を第一に、その上でがんばって頂けたらと思います。応援しておりますm(_ _)m

  12. 北斗七星さんからのコメントです。____________________シニフィエ さんはじめまして。ご商売をされながらブログを運営するのはご自身にとって大変な負荷があるのに、よく決意されましたね。それだけでもパワフルな方だと尊敬します。わたしも他のブログでも、たまに投稿させて頂いていますが、シニフィエさんの対話型のブログも素晴らしいと思いました。創価学会が現在の姿に変貌したのは、宗門を切り捨てた頃からのように思います。もちろんその下地は以前から計画していたのでしょうが、宗門離脱が全会員に対するGOサインだった訳ですね。要するに、池田氏はこの世に自分と肩を並べたり、格が上の人がいてはいけないのです。あくまでも、御本仏の再誕でないといけないのです。しかし、創価学会が宗教団体を標榜していくならばその裏づけ、根拠がないとおかしなことになりますよね。現在は、ご本尊を信じる人は学会には要らないそうです。つまり「池田教」です。あっさり、「池田暴力団事務所」と名前を変更して、儲けたお金に対しては税金を納めて欲しいものです。特に、東北大震災の復興資金には喜ばれると思いますね。創価学会がストーカー行為を行わず、きっちり税金を納めれば、世の中こんなに批判は起こらないでしょうに。池田氏がこの世にせっかく生を受け、現在のような「けもの道」に多くの人々を放り出したのは、第2字世界大戦と同様の20世紀の不幸と言うしかないと私は思っています。そのためには、多くの反対者の批判を積み重ねる以外に私たちの戦いはないと、深く思う次第です。シニフィエさん、頑張って下さい。よろしければまたコメントさせて下さい。

  13. ちょっと映像がショッキング過ぎて、投稿を削除されてしまったのでしょうか。それとも、エラーが生じたのでしょうか。もし、敢えて削除されたのでしたら、そのご理由の開示していただければと存じます。決して、悪意があっての投稿ではありません。悪意が満ち満ちているカルト教団の実態をお知らせしたかっただけです。「百聞は一見に如かず」ですからね。

  14. 匿名さん、先のコメントは削除させていただきました。その理由は30日の本文に書かせていただきますのでお読み下さい。

  15. アナスタシアさん、コメントありがとうございます。私はたいへん疑問に思うのですが、これだけの聡明な文章を書かれる方が、どうして今現在の崩壊へ向けて転がっている創価学会に入会したのか。何も知らないで座談会に連れてこられて夜遅くまで取り囲まれたあげくに、返りたい一心で入信しますと言ってしまうような、昔のやりかたで動くような方には見えませんが。そのあたりをお話いただけないでしょうか。アナスタシアさんの入信動機が見えてこないので、何をどうお話ししていいのかわかりません。おそらく他の方もそんな感じをお持ちではないでしょうか。よろしくお願いします。 北斗七星さん、はじめまして。またコメントがアップできない不具合が生じているようです。すみません。アップする前にチェックしているわけではありませんので心配しないでください。またいつでもコメントしてください。よろしくお願いします。

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