新年勤行会

功徳というクモの糸に群がる亡者の群れ。十把一絡げにこう言いきってしまうのには無理があると思うのだけど、少なくとも昔の貧乏人と病人の集まりと言われた創価学会は、そうした藁をもすがる人たちにクモの糸を垂らして会員を増やしていたように思います。涙ながらに語られる神憑った奇跡の体験談に多くの会員が陶酔し、この信仰によって自分にも夢のような幸福がつかめると信じていった。戦後の荒れ果て疲弊しきった日本の心にそうしたクモの糸を垂らされた状況を考えれば、そこに群がった人を責めることはできません。

では今の創価学会はどうでしょう。集団での唱題や学会歌の合唱。功徳功徳と涙ながらに力説する体験発表。特攻隊の出陣式のように名誉会長に命を捧げると叫ぶ各部長の挨拶。名誉会長のものと信じきって聞くありがたいメッセージ。そして余裕の語り口でユーモアと崇高さを演出しながら「何も考えず、何も疑わず、師匠である池田先生のために自分の人生のすべてを使い切ることが、地湧の菩薩としてこの世に生まれてきたあなたがた一人ひとりの使命なのです」と幹部指導。学会のいつもとかわらない会合のパターンは、そのどれもが集団での変性意識下における見事な洗脳儀式です。こんな状況下ではその気になれば集団でUFOだって見てしまう。今の世の中に公然とこうした儀式が行われていることに疑問を感じないことのほうが不思議です。しかしこれが洗脳集団であることの証左であり、根拠であります。この信仰だけにしがみつかせるための末法思想は、カルトおきまりの恐怖を植え付ける終末論といえるでしょう。いま現在、全国各地の中心会館で行われている新年勤行会も、末端会員の洗脳を強化するための大切な一年のスタートの行事です。
しかしそこにはメッセージの代読こそあれ、カリスマ池田大作の声も姿もない。あまりにカリスマに依存した組織指導体制は、カリスマ不在という不測の自体(本来なら不測ではないのだが)に、どうにも対処できないでいるのではないでしょうか。これまでのような功徳と罰のダブルバインドによってがんじがらめにされた末端会員の意識も、ここにきていよいよ真実から隠し果せない状況になっているように思えます。とにかく実態のわからない創価学会組織上層部。そのわからなさに疑問を抱くことさえできれば、脱洗脳への道は拓けるのではないかと思います。
聖教新聞を開くと、そこにはもはや現在進行形の学会の姿はありません。昔の池田名誉会長の著名人との会談の記録ばかりで、来る日も来る日もよくもまあこんな昔話を大仰に取り上げるものだと感心します。それだけ伝えるだけの現在の創価学会がないからなのでしょう。そして新しい会館の建設ラッシュ。これも気になります。学会はどんだけお金をもっているのかと感心します。それもそのほとんどが会員から搾取した財務と聖教新聞等のお金なのに、会員は「私たちのために先生が建ててくださった」と本気で思っている。
功徳というクモの糸に群がる亡者の群れ…新年勤行会に集う創価学会員のみなさんの姿を、このように形容するのは心苦しいのですが、今となってはやはりどうしてもそのようにしか見えません。もちろん多くの学会員さんたちは、信仰者として輝かしい新年のスタートを切るために集っていることはよくわかります。私もついこのあいだまではその一人でしたから。しかしその気持ちがわかるからこそ、はやく真実に気づいてほしい。金と権力のために搾取され続けている自分たちの姿に気づいてほしい。そう願うだけです。
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新年勤行会」への5件のフィードバック

  1. 文責「もも」代筆「里芋」さんからのコメントです。______________________シニフィエ様明けましておめでとうごさいます。本年もよろしくお願いいたします。「ももさん」が他のブログ(希望様のブログ)へのコメントに注力し過ぎ、精根尽き果て放心状態(笑)なので「里芋」が代筆させて頂きます(笑)シニフィエ様のブログが広く世間に浸透すべく奮闘している1人として、率直に思うのは皆、判っているのに「目を背けている」「後ずさりしている」「避けている」のではないのでしょうか?でも、覚悟を決めた人達が勇気を持って立ち上がりそれ相当の結果が出たときに「相当数」の創価学会員は・・・「私も、前からそう思っていたのよ」「だから前からね、嫌だと思っていたのよ」、と「調子よく」同調し「さも」以前から行動を共にしていたかの様に語る連中がほとんどなのでしょうね・・・「いい加減」なのでしょうが、この「いい加減さ」が創価学会の「強み」でもあると「もも(ら)」は考えております。「いい加減」ですよね?創価学会員さん、て・・・(私(ら)の地元に蔓延る創価学会員さんらを見た印象です)創価学会員さんへの質問その壱(新年を迎えたので「壱」からとします)「日蓮正宗創価学会」ならば(元学会の方に聞きました)クリスマスなんて「邪宗」のイベントなんでしょう?(邪宗とは凄い言葉と思いますが・・・)なのに何で創価学会さんの自宅の庭にはクリスマスイルミネーションが飾られているのですか?許されているのですか?どう説明(言い訳)しますか?地元の神社で巫女さんの服を着て「おみくじ売り」のバイトをするのは教義的に問題はないのですか?非常に興味があります。創価学会員さんからの回答を楽しみにしています。文責「もも」代筆「里芋」

  2. 「里芋」さん、ありがとうございます。昨日の記事にコメントいただいたようですがアップされていなかったようです。ご迷惑おかけしてすみません。さきほど気づきましたので、本日の記事のコメント欄にアップさせていただきます。いつも応援ありがとうございます。 昔は家にお土産でいただいたダルマの置物があるだけでやかましく言われたものでした。そう考えると学会員のケーキ屋さんがクリスマスケーキを売るのは謗法なんですけどね(笑)。今は学会員の家でもクリスマスにはケーキを食べプレゼントを交換し、ツリーを飾ったり家にイルミネーションまで飾ることに何の抵抗もないですね。以前、クリスマスのときに何度かヨーロッパに行きましたが、さすがに西洋のクリスマスは聖なる祝日です。自分たちの信仰以外をめちゃめちゃ批判するわりに、他の宗教のことをなんにも知らないのが学会員ですね。学会のような上意下達の軍隊組織は、どんなにおかしなことでも鵜呑みにして何の疑問も感じない。キリスト教は地獄に堕ちる念仏や真言などの邪宗よりもさらにレベルの低い外道の教えだと主張してきたのに、かの池田氏はキング牧師と何が何でも肩を並べたがってましたよね。このことについても学会幹部にお訊きしたいです。末端会員は何も考えてませんから、訊いても無駄ですが、幹部たるもの会員の質問には答える義務があると思います。そんなに肩を並べたいならキリスト教徒になったらいいじゃないのってね(笑)。で、同じ仏教のダライ・ラマ氏を敵対視するのはなぜですかって訊きたいです。ダライ・ラマ氏を弾圧追放している中国共産党と仲良くしたいのはなぜですかって。これは公明党さんにも訊きたいものです。政教分離ってこうゆうことですかって。

  3. シニフィエ様、そして応援者のみなさま明けましておまでとうございます。今年こそ私たちの大いなる前進の年であることを祈って止みません。「里芋」様のコメントに「邪宗」と言う言葉を読み今では懐かしく思い出します。宗門から離脱するときに、大石寺の地元の檀家は法傍だらけだと【創価新報」でどれほど宣伝したことでしょうか。学会員もとっくにそのことは忘却し、まるで古墓から蘇えった「ゾンビ」のごとく得体の知れない組織の奴隷と化してしまったのでしょうか。人間がこんなにも洗脳されやすいとは、恐怖以外の何物でもでもありません。池田氏が若い頃、一万冊の読書をしたなどと嘯いていましたが、実際はどうなのでしょうか。ある情報では、ヒトラーの「我が闘争」を読みふけっていたとも言われています。ここまで人心を誑かし、国土と民衆を荒廃させた人間も歴史上類をみません。私たちも少数ではあっても着実に戦いを進めていきましょう。今年はもっと目覚める人が増えるために。

  4. 北斗七星さんコメントありがとうございます。>私たちも少数ではあっても着実に戦いを進めていきましょう。はい。確かに表立って学会の真実に気づいたことを表明している方は少数派かもしれませんが、実質そうとうな方が学会の真実に気がついているだろうし、私のようにほんのちょっとしたきっかけで突然見えてくる方が相当数いらっしゃると思われます。福島の事故によって原発政策のからくりが多くのひとにわかってはじめて大掛かりな反原発運動が展開されているように、多くの方によって学会の真実が社会に示されたときに、利害だけで結びついていたマスコミや大企業や芸能界なども相手にしなくなるでしょう。学会に関係のない方にとってはどうでもいいことですし、むしろ新興宗教など関わりたくないというのが本音です。今、多くの芸能人が創価学会員であるのは、金銭的な利害が一致してのことですから、学会員であることでのリスクが大きくなれば、すぐにでも離れていくでしょう。それはビジネスですから当然のことです。芸能界に限らず、企業もマスコミもそして公明党と連立して動いている自民党も、創価学会が危険なカルト集団であるということが社会に示されればまちがいなく手を切ります。こうして社会から異端視され完全に孤立したときに、もはやカリスマ不在の組織は壊滅せざるをえなくなります。今でこそこうして内部から学会のおかしさを訴える人はまだまだ少数派なのかもしれませんが、実際のアンチ学会やアンチ予備軍の数はかなりの数だと思われます。こうした内部の方の声を社会に示していくことで、かなりの速度で先に述べたシナリオのような道を辿っていくのではないでしょうか。

  5. なら、行くの辞めればいいと思うのは私だけでしょうか?小さい頃は、参加することが当然と思っていましたが、青年部で運営などに携わるようになると運営のズタズタさに歯がゆい思いをしていました。多くの人が感じられるように昔と比べて会合の数は少なくなっているものの、運営に携われる人間が減っているのです。しかも、会館の数だけは増えているのですから手薄になってしかたないのです。大晦日、正月の家族団らんや友達、恋人と楽しい時間を過ごす時間を、会合の準備、飾りつけ、会館の掃除、宗門寺院に長時間張り付いての人数のカウント、来館者の自転車の整理、駐車場の整理 司会の打ち合わせ、音響の準備書き始めればきりがありませんが、こんなくだらないことに夢中になってうすら寒い中駆けずり回って、疲れてなんになるのでしょう。

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