アンチ学会の旗手は創価の盲信者

さて、気分を変えて(笑)、別の話題に移りたいと思います。というかページを更新しましょう。

今回はちょっと笑い話でも。

私はこのブログを立ち上げる前に、つまり「まだ学会はそれほど間違ってもいないんじゃないか」となんとなく思っていた頃、う〜ん、去年の10月頃はまだそんなふうな感じでした。でも、なにがそのきっかけになったのかはわかりませんが、ふと思い立って学会員のブログをのぞいてみたんです。おそらく自分の心のどこかで何かがいっぱいになってこぼれだしたんだと思います。で、たまたま除いた「私こそが創価学会員だ」と宣言するブログ。そのあまりの盲信ぶり、排他的、独善的、また反社会的な言動に驚いたのです。まさに金太郎飴のようにステレオタイプの「指導」の言葉を繰り返すサイト。それはもうでたらめでした。イケダセンセイのためなら爆弾抱えて国会議事堂にでもつっこみそうな勢い(笑)。でもそのときはそんな極端な盲信者も中にはいるだろうぐらいにしか思いませんでした。それで、そこに「53歳学会員」の名前で「学会員のあなたがこんな恐ろしいことを書いて学会の信頼を踏みにじってどうするの」みたいなことを長々と書きました。そのときは本当にそう思ったからです。反応はすぐにありました。「おまえは学会員じゃない。学会の評判を落とそうとするナリスマシだ」と。そしてすぐにアクセス禁止になりました。そのことはこのブログの最初のページにも書いた通りです。今でも当時の私の書き込みは一部ですがその盲信者のサイトに「ナリスマシのサンプル」として表示しています。それが全部でないのは、彼にとってよっぽど都合が悪かったのでしょう。

それからその盲信者はアンチとの対話の専用サイトを開設しました。そこでは愚にもつかない低レベルの話がぼちぼちあるようですが、ひとたび彼の都合が悪くなると、すぐに「ナリスマシ」と決めつけて片っ端からアクセス禁止にしているようです。その姿はほんとうに全国の学会員の縮図を見ているようです。ですからほんとにくだらない話がボソボソとあるにすぎないみすぼらしいサイトのようです。おまけに彼にいつも盲従していた子分がいるのですが、2chなどでさんざんいじめられたせいか、自分のサイトも削除して、その後もいっさい顔を出さなくなりました。言葉の使い方が変だったし、もともと挙動不審なところも見られたので、ちょっと心配しています。

なぜ私がそんな取るに足りないサイトの話を持ち出したのかというと、私はこの盲信者のサイトを見て創価学会のおかしさを実感したわけです。さらにこのことでアンチ側のサイトを見てみようという気になりました。今思えば、よくまああそこまで極端にくだらないサイトに遭遇したものだと思いますし、もう少しまともなサイトであれば、私はまだMCが解けないまま、このブログもなかったろう思います。その反動のせいもあってか、その後に高倉先生の「白バラ通信 パンドラの箱」と、クロさんの「真実と幻想と創価学会」を見たときに、これこそがまともな人間の言うことだと確信できました(こんな言い方をしてすみません)。あーーー¢§£※⁂℃∀∈!!!って感じでした。そこからみるみる目が覚めていきました。以前もアンチのサイトを見たことはありましたが、なんか口汚く学会を罵倒するサイトばかりで、まったく気持ちが動くこともありませんでした。気持ちのわずかな振れと、そこにたまたま居合わせた盲信サイトときちんとしたアンチサイト。この出会いがなければ今の私はいません。

あの盲信者のサイトに出会い、そして高倉先生とクロさんのサイトにであったことで、私の人生観がガラリと変わったのです。そう言う意味でもあの盲信者サイトは特別な思いがあるので、ときどき覗いたりもします。でも相変わらずですけどね(笑)。そりゃそうですよね。見方によっては史上最強のアンチ学会サイトです。なんせ信心53年のベテランを退転させてしまったのですから表彰状ものです(笑)。だからいつかこのお礼を言いたくてしょうがない。「目覚めさせてくれてありがとう。こうして洗脳されたまま妻や子供までも不幸にしなくてすんだのは、あなたのおかげです。私は最初から言い続けているようにナリスマシではないし、今でも創価学会員です。どんなに多くの人があなたのサイトを攻撃したからといって学会の評判が悪くなるとも思いません。誰よりも学会の評判を悪くしているのはあなたなんですよ。よかったら私のブログに来てみませんか…きっと頭おかしくなりますよ(笑)」って。彼はこのブログの存在を知らないのか、知っていて知らないふりをしているのかわかりませんが、アンチ学会の旗手として今日もわけわからないサイト運営に精を出しているようです。誰か伝言してくれないかな…

笑い話でした チャンチャン

アンチ学会の旗手は創価の盲信者」への16件のフィードバック

  1. こんばんは。
    お忙しい中、ブログ運営お疲れ様です。

    思いもかけず、私のブログの名前が出てきたのでびっくりしました。
    いや、お恥ずかしい。
    私はアンチとしての目覚めも浅く、また自分の学会活動経験もないアンチとしてはパンチの弱い(笑)ブログですが、シニフィエさんに見つけて頂いて光栄に思います。
    ネットの中にはたくさんの、良質なアンチサイト、アンチブログがあります。
    たまたま早い段階でシニフィエさんが私のブログを訪れてくれて、このように言って頂けたのだと思いますが、それも何かの縁。
    これからもどうぞよろしくお願いします。

  2. シニフィエさん、昨日は何だか釣られてしまってすみませんでした。恥ずかしいです。

    騒音おばさんは、ある意味学会に関わる重大な方ですよね。
    私は事実を知った時、側面的なものの見方をしていたことを後悔しました。

    愉快さん、温かい言葉ありがとうございます。
    大丈夫です。私は全然気にしていません。
    今度からは、絶対触らないように全力でスルーします。

    toppoさん、何か思うところがおありのようでした。
    落ち着いたら、またtoppo節を聞かせてください。

  3. おはようございます。
    今朝は国道が凍結していて仕事に行けません。
    で、シニフィエさんのブログ読んでたら黙っていられなくなり、
    昨晩に引き続きコメントさせていただきます。

    >彼がまともな道徳心や人間性を取り戻すには、その見捨てられたという感情が起こった時代に記憶をたどって、あるいは退行催眠などで、決して誰も自分を見捨てたりしていないということを実感させることが効果的な治療法ではないでしょうか。

    シニフィエさんのこの言葉に深く感じるものがありました。人間のあるいは他の動物との
    「絆」の原点はここにこそあると思います。
    悩み苦しむ人、それは家族であれ、友人であれ「私はどんなことがあろうともあなたを見捨てないよ」と言う真心以外に人間を癒すことはできないのではないか。
     それは無償であり自分が捨て身にならないとできることではありません。ましてや、後の魂胆見えみえの、聖教を取ってもらおうとか、入会させようなどは偽善による作為に他なりません。

    昨年の3,11で私たち日本人が身を切って学習したものが「人間同士の絆」であったと思うのです。創価の永遠さんは少しは学習したのでしょうか、極めて疑問です。だいいち、人前から姿を消してますからナゾですね。

    あっ、それと例の人は本当の犠牲者かもしれませんネ。かわいそうに・・・。

    ではまた。

  4. 困ったチャンの出現は、このブログをニュートラルな目で読んでいる人々や、学会員の中で悩んでいる方々にとっては、一段とはっきり見えてくるものがありますからね。
    カルトで培養された考え方を含めて、そこで形成された人間性というか、振る舞いというか・・・全て・・・ヨウチ過ぎます。

    みなさま、お疲れ様でございました。

  5.  「白バラ通信 パンドラの箱」が、シニフィエ様のお役に立ったとのこと、嬉しい限りです。

     創価学会池田カルト一派のことは、調べれば調べるほど、デタラメだということが分かり
    ます。私も、これほど酷い組織だとは思いませんでした。

     これからも力を合わせて、創価学会池田カルト一派の真実を、一人でも多くの方々に伝
    えて参りましょう。

     お忙しいこととは存じますが、今後とも、私のブログにコメントを頂ければ幸いです。

  6. 希望さん、コメントありがとうございます。希望さんのブログはいつも拝見させていただいています。希望さんのブログに行き着いたとき「やっぱり自分の感覚は間違いじゃない。間違っているのは学会の方なんだ」と目から鱗でした。そのときを境にこの数ヶ月で創価学会のいろんなことがわかってきました。私のスタンスも次第に固まりつつあるようです。私は何の力もありませんが、こうして思いを一つにできる方々と知り合うことができて、ほんとうに心強いです。私のブログは希望さんとは比べようもないほどちっぽけな場所ですが、私なりにできることをやっていきたいと思っています。これからもよろしくお願いいたします。

  7. みなさま先日からお疲れさまでした。ここにも荒らしが来たかと思いきや、あっという間に醜態を晒して自滅していきました。なんだか気の毒なくらいヘナチョコでしたね。また彼は心の中に見捨てられ感を膨らましたんじゃないでしょうか。彼は大丈夫なんだろうか。アンチが100の言葉で学会のおかしさを言うよりも、活動家がちょこっと出てくるだけで、創価学会がいかにおかしな団体かを身を以て証明してくれています。やはりアンチ学会最高の旗手は創価の盲信者でしたね。

  8. お久しぶりです。

    創価学会員の狂信者は、困ったものです。昔から似たようことが繰り返されていますが、某巨大掲示板で当時ウォッチされていたサイトに、「がんばれ公明党」というのがありました。

    そこでのやり取りの一部が、『公明党』応援『がんばれ公明党』ファンサイト (http://jijiro.tripod.com/index.html)にまとめられています。下の方の『がんばれ公明党』の人々-徒然なるままに-のところがそれで、なかなか面白いやりとりです(なりすましを疑う人々から下がやり取りですね)。さっと読みましたが、管理人JIROと愉快な仲間たち(参) に次があります。

    >きっと信心でも、他人に批判・否定されると、確信が揺らぐんでしょう。揺るぎない確信であるなら「創価学会の教えが間違っている? それがどうした。俺は創価学会で行くんだ」となるし、自分が確信しているからこそ「確信できないなら見つめ直せ(辞めろ)」となります。しかし確信のない信心だと「創価学会の教えが間違っている? ……この『詭弁』『右翼』」となるのです。ここの住人にもいますよね?(笑)

    以上が引用ですが、信仰に確信がないから、ちょっと言われただけでも揺らいでしまう。その揺らぎが自己を不安定にし、これまでの自分を否定しかねない要素となる。創価学会員としての頑張りを否定する要素であるので、殊更、反発するのです。

    ちなみに創価学会員だけでなく、何かにハマってしまった人間は、そこから脱するのに時間がかかります。カルト信者がカルトから完全に脱却するには、カルトにハマっていたのと同じ時間がかかるそうです(10年ハマっていれば、カルトから離脱してから10年かけて、完全にカルトの考えから解放されるわけです)。そしてカルトに限らず、何らかの思想・信条・イデオロギー等についても同じことが言えるかと思います。創価学会の30年選手は、創価学会の30年の日々を否定することが心理的に難しいのです。

    だから、ある意味、彼らも被害者ですよ。本当に、信仰的確信があれば、何を言われても揺るぎません。しかし彼らは、揺らいでしまう信仰でしか持てないように強いられてきたのですから。

  9. >「おまえの母ちゃんでーべーそーっ」って子どもなら可愛いんですけどね(笑)。いい歳して自分がどれだけみっともない姿を晒しているのかがわからないんでしょうね。

    あなたの対応もかわりませんよ。
    「うん、うん、さみしいんだね。でもかまってあげられないんだよ…もう来るんじゃないよ…」
    これの繰り返しじゃ対話にならない。
    対話を求めてのタイトルが泣きますよ。
    支持者とだけ仲良くしたいならタイトルを変えるべきですよ。
    反論者があってはじめて議論が進むんじゃないでしょうか?
    違いますか?
    愉快さんの煽り方も子供並み。

    まあ私の書き込みも「荒らし」として処理されるんでしょうけどね。
    お邪魔しました。

  10. シニフィエさん、こんばんは。何度かコメントさせていただいてます。学会三世のほしです。
    良きも悪きも様々な出会いを通して、創価学会から気持ちが離れたとのこと。私の両親にも少しでも早くシニフィエさんのように気づいて欲しいと日々思っています。
    さて、私事ではありますが、先日やっと購入した本がありまして、まだ読みかけではありますが、ご報告させて頂きたいと思います。
    その本とは矢野絢也さんの「乱脈経理」です。創価学会とお金の問題は数えきれないほどあるとは思っていましたが、表沙汰になった事件も私が幼少期に起きたことだったので詳しく知りませんでした(興味がなかったのもありますが…)
    今一度、創価学会問題と向き合うためには、過去の出来事を知る必要があると思い購入した次第です。内容は宗教団体とは程遠い学会の体質が丸見えといった感じでした。
    お金と学会。切っても切り離せない関係。
    先日、私が誕生してから現在に至るまでに両親が学会に投与した金額を計算してみました(入信歴はもっと長いですが…)
    少しずつ少しずつ霞めとられ、気づけば相当額に膨らんでいました。
    おまけに心をも磨り減らす学会活動。
    遣りきれない思いです。

    本日も私の話ばかりになってしまい申し訳ありません。皆様に大変勇気を頂戴しております。ありがとうございます。

  11. 君は色んな人の文章を真似てたもんな(苦笑)
    できればもっと面白くって、為になるようにしてくれれば非常に嬉しいので、よろしく(笑)

  12. やっぱり釣りだったんですね・・・悔しい。
    途中でスルー検定かと思って引っ込んだんですけど、そうでもなかったのかな。

    核心の質問には答えずに、どうでもいいところをほじくってくるとこなんか、バリ活そのものでしたよ。
    本気でイライラしてしまいました。私もまだまだだなー

  13. 純真な学会員さんは何も気にしないで思うままにお話されてくださいね(笑)

    お子ちゃまには、世の中の仕組みやがわからないようですからしようがありません。

    でも沙樹羅は頭がいいから、「覆水盆に返らず」って言葉の意味は知ってるよね(笑)

    何事も自己責任なんだからしょうがないよな(苦笑)

    それではみなさんごきげんよう(笑)

  14. 純真な学会員さんへ

    カルトの指導者や狂信的信者の多くは、『サイコパス』か『ソシオパス』(反社会性人格障害)であるとされ以下のような特徴があります。

    良心の異常な欠如
    他者に対する冷淡さや共感のなさ
    慢性的に平然と嘘をつく
    行動に対する責任が全く取れない
    罪悪感が全く無い
    過大な自尊心で自己中心的
    口達者

    カルトから脱洗脳する為には、呪縛的忌避を無視して、破綻した教義の疑問点を客観的に見つめ直し、専門用語ではなく、一般的な用語で考え続けることが効果的です。
    同時に組織内の人間との信頼関係と、公表事実との対立についても考察をする必要があります。

    精神病質(サイコパシー、Psychopathy)は、反社会的人格の一種を意味する心理学用語であり、主に異常心理学や生物学的精神医学などの分野で使わている。精神病質者を英語で『サイコパス』(Psychopath)という。類似する用語として、社会病質(ソシオパシー、Sociopathy)、社会病質者(ソシオパス、Sociopath)がある。

    行動遺伝学者デヴィッド・リッケン(David・T・Lykken)は反社会的人格を、「サイコパス的人格」、「ソシオパス的人格」、「性格神経症」の三つに大別し、「サイコパス的人格」は元来の性格、気質などの先天的なもの、「ソシオパス的人格」は、親の育て方などによる後天的なもの、「性格神経症」は、衝動的で子供じみた無茶な行動を好み失敗して周囲に迷惑をかけて、他者に責任を転嫁し反省することはなく、自分が不利になるような行動を繰り返すと云う特徴があるもの、として位置付けています。

    反社会性人格障害の一般的な特徴は、道徳を無視する良心の呵責がない心性、社会的逸脱行為や思考柔軟性の欠如、社会的または職業的な領域における機能の障害、生涯にわたる異常な言動の持続性などが挙げられ、これに加えて他の精神疾患や薬物的または生理学的な作用によって引き起こされた症状ではないのであれば、その状態は人格障害であると診断されます。

    愉快犯もカルトちゃんみたいなものですからね(爆笑)

    『サイコパス』への自衛策(by バビアク&ヘア)を紹介します。

    1. 『サイコパス』についての知識を得る
    彼らの策略には、専門家でさえだまされることがある。それでも、『サイコパス』の策略から逃れるためには、彼らの”正常を装った仮面”の奥に隠れた素顔を見破る目を養わなければならない。

    2. 安易に『サイコパス』のレッテルを貼ってはいけない
    実際には、その人物に『サイコパス』とおぼしき特徴や行動が多く見られることを認識すれば、それで十分だ。
    『サイコパス』の傾向が見られる人間の精神分析を試みたり、罪悪から救おうとしたり、変えようとしたりするのは、勝ち目のないゲームに参加するようなものだ。

    3. 自分自身を知る
    自分を知ることは、『サイコパス』が仕掛けるわなへの免疫力を高めるうえで役に立つ。

    4. 『サイコパス』にとっての利用価値を知る
    そういうときは、こう自問してみよう。「この人は、私の何が欲しいのだろうか。」

    5. 自分の”つぼ”と “弱み”を知る
    彼らは、つぼを利用してあなたの気を引き、彼らの関心事や計画に巻き込むのだ。
    あなたに欠けているものを与えることを、その気もないのに約束するのは、無限連鎖講やスリーカードモンテのようなカードゲームで使われるテクニックだ。

    6. 『サイコパス』が他人を操る手法を理解する
    もっとも経験豊かな心理学者でさえも、魅力的な『サイコパス』の甘言に惑わされてしまうのだから、あなたが安全である保証はどこにもない。だからといって、『サイコパス』の他者を操る手口を、さらに学ぶことを思いとどまるべきではない。

    7. 誘惑を退ける (幸運を!)
    悪いことに、『サイコパス』に出会った直後は、好印象をもつことが多い。
    少なくとも、相手に関する新たな情報が入るたびに、第一印象をもう一度見直すことにしよう。
    理由は定かではないが、『サイコパス』と出会ったすべての人が好印象を抱くわけではないことを注意しておく。

    8. 『サイコパス』的絆を避ける
    だが、不幸にも、あなたが『サイコパス』と結んでいるのは、まやかしの絆なのだ。それはあなたの心のなかにしか存在しない。ここまでくると、あなたは『サイコパス』に利用される可能性が高くなる。

    9. 『サイコパス』のゲームに加わらない
    いったん、サイコパシック・ボンドが固く結ばれると、あなたは、『サイコパス』があなたのつぼや弱みに乗じて協力を取りつけたり、二人の関係をあらためて確認したりすることに気がつくだろう。
    『サイコパス』との関係は、つねに一方通行だ。あなたは、金、住居、セックス、権力、支配権などを与え続け、『サイコパス』はそれを奪う一方だ。

    10. 自己喪失と自己否定を乗り越える
    人を欺き、操り、機を見るに敏な『サイコパス』の行動に、多くの被害者は困惑し、自信を失い、自分を責めるようになる。
    自信を失い、自分を責めてばかりいる人を助けるのはそうたやすいことではない。

    11. 虐待されたら、ただちに助けを求める
    『サイコパス』の行動に疑問を投げかけ、不審な矛盾点を問いただすことには、『サイコパス』に報復されるリスクがついて回る。
    情緒的、心理的虐待は、被害者にとって筆舌に尽くしがたい苦しみであるのもかかわらず、外からはなかなか把握できない。

    12. 自分自身が『サイコパス』の手駒に過ぎなかったと気づいたとき、どうすべきか
    重要なことは、客観的に状況を分析し、さらなる接触や報復から自分の身を守ることだ。

    13. 羞恥心を乗り越える
    羞恥心は虐待に対する自然な反応だ。このために、多くの虐待的状況は、未報告のままである。
    それは、あなたの落ち度ではない。『サイコパス』は捕食者で、あなたはその獲物であり、犠牲者に過ぎなかったのだ。

    14. 怒りと雪辱
    被害者は加害者への強い怒りを感じ、仕返ししたいと思っている。これは、比較的健全な状態といってもいいかもしれない。ただし被害者が感情に赴くままに行動を起こさない限りは。

    怪物と闘う者は、その過程で自分自身も怪物になることがないよう、気をつけねばならない、深遠をのぞきこむとき、その深遠もこちらを見つめているのだ。

    フリードリッヒ・ニーチェ「 ツァラトゥストラはかく語りき」より

    参考書籍 マーサ・スタウト「良心をもたない人たち」、ロバート・D・ヘア「診断名サイコパス」ロバート・D・ヘア/ポール・バビアク「社内の『知的確信犯』を探し出せ」

    それではみなさまおやすみなさいませ(笑)

  15. 通りすがりなので一言だけさん、ご心配していただいてありがとうございます。
    >反論者があってはじめて議論が進むんじゃないでしょうか?違いますか?
    とのことですが、それは違うと思います。あれは反論者ではなく、ただ単にブログを混乱させて楽しんでいるだけだと思います。誰でもいいから煽って相手にしてもらいたいだけなので、最初から対話をしようという気は見当たりません。議論を進められるような態度ではないですから、そんな暇つぶしならどこかよそでやってほしいと思っての発言です。

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