ここ数日の荒らしの対応について

さて、おかげさまでこのブログもいろんな方の証言が集まるようになりましたが、ここ数日は心ない一部の書き込みによって、これまでコメントをいただいた方には大変失礼をしてしまっています。ほんとうに申し訳ないと思っています。ブログがどこにでも開かれたネット上にあることが前提である以上、こうした現象も仕方ないことではあるのですが、やはりこうした事態はこれから先のこのブログの運営に関しても障害になるでしょうから、単にスルーすればすむことではないようです。全国の多くの方が、創価の被害者がひとりでも減ることを願って、言いにくいことであっても真剣に勇気を出して書いていただいているのに、ふざけたひとりの暇つぶしによって乱されるのは、管理人の責任としてどうにかしないといけないと考えています。当初はできるだけ投稿を限定せずに、なおかつ節度のあるサイトとして多くの方に見ていただきたいと思っていましたが、やはりネット社会の腐った部分がここにも少しだけ入り込んでしまいました。これまで何度も申しましたが、ここは創価学会の実態を論点にしぼった対話の場であり、自由気侭な何でもありの腐った掲示板では断じてありません。この事態を収拾するために、決して本意ではありませんが、管理人の判断で削除する必要のあるコメントは削除させていただきます。いろいろ考えましたが、この方法をとらせていただきます。

それから愉快さんには、荒らしに対してひとり果敢に対応していただいて恐縮なのですが、愉快さんのここ数日の荒らしに対するコメントもいっしょに削除させてください。この荒らしの言動はブログの内容とは全く関係のないことで閲覧者を煽り、ただ単にそれを面白がっているだけですので、たとえ徹底的に荒らしを糾弾したとしても何の生産性もないばかりか、本来のこのブログの姿が見えなくなってしまいます。そういうわけで愉快さんのコメントの中でも、この荒らしに特定している発言のみを最小限の範囲で削除させていただきますことをご了解ください。どうかよろしくお願いします。

また愉快さんに限らず、荒らしに対してのコメントで、それがあっても前後の意味がつかめない場合も削除させていただきました。これは管理人の判断と権限としてやるものですので、不本意でありますがやむを得ないこととしてどうかご理解ください。

みなさま、今後このような良識に欠ける書き込みがあった場合は、決して相手にしないでください。相手をすればするだけこのブログの存在価値が下がっていきます。どんなに煽ろうが徹底的にスルーしてください。これは学会の問題とは別の社会の病理なのですから、ここで論じてもしょうがないことです。一言たりとも関わらないでくださいね。と同時に、今回の荒らしへの対応に関してのコメントも差し控えてください。徹底的に無視してください。みなさまには引き続き本来の「対話を求めて」のコメントをどうかよろしくお願いします。

ここ数日の荒らしの対応について」への44件のフィードバック

  1. 削除された人たちよりも、愉快氏の書き込みの方が荒らしでカルトだと思います。
    かれは病気です。

  2. あっちこっちの創価系にここの事が紹介されてますよ。
    今後お客さんが増えると思います。
    愉快氏に発言させるという行為は、このブログの崩壊を呼びますよ。
    愉快氏は狂ってます。

  3. シニフィエさんへ、

    管理人として、大変賢明な判断であり、良い対応だと思います。

    怪物と闘う者は、その過程で自分自身も怪物になることがないよう、気をつけねばならない、深遠をのぞきこむとき、その深遠もこちらを見つめているのだ。

    フリードリッヒ・ニーチェ「 ツァラトゥストラはかく語りき」より

    全部読みましたさんは、ご自分では、この言葉の意味がよく理解できましたか。

    ところで、あなたはカルトの言葉が気になってしょうがない学会員ですか(苦笑)

    それでは、後は、純真な学会員さんに、全てお任せいたしますので、よろしくお願いいたします(笑)

  4. 全部読みましたさんに激しく同意します。愉快氏はアンチ側のカルトだね。
    カルトっていうのはシンパ側だけじゃないんだよ。

    これまでの書き込みを見て、恥ずかしくないの?削除もされてるしさあ。
    意気揚々と勝手に仕切ってるけど何様のつもりなのかね?

  5. 創価学会って、宗門問題の直後に「日蓮世界宗創価学会」で商標登録していますよね。
    私もつい数年前にネットで知ったんですが、思い立ってsokanetで「日蓮世界宗」で検索かけたら、ヒットしませんでした。
    会員に向けて公表していないんでしょうか?折伏する時、今はどう説明してるんだろうと、疑問です。
    昔は「創価学会自体が宗教ではない。あくまで日蓮正宗を信仰している仏教徒の団体です。」と言っていました(多分)。
    あくまで、組織と信仰は別というスタンスでした。だから勿論、日蓮正宗を信仰しているけど学会員じゃない人もいます。みたいな。
    その流れで、組織と政治は別だ。あくまで個々人の応援だという解釈。
    それだから、ある程度公明党の支持もスムーズだったのかなと思います。屁理屈と言えばそれまでなんですが。
    今はそういう線引きが更に曖昧になっていますよね。

    元々日蓮世界宗という宗教は無いんですから、創価学会が便宜上であっても作ったことになります。
    宗教団体が宗教を作った。それがどういう意味を持つか、分からないはず無いとおもいますけどね。

    もはや仏教じゃなく、ただの新興宗教なんですね。
    今組織にいる人たちは、そういう矛盾をどんな思考で呑んでいるのか、とても興味があります。
    ほとんどの人は新興宗教でも関係ないんでしょうけど、なら師弟ごっこに宗教必要か?という疑問が湧きます。
    師弟ごっこ抜けるのに、なぜ今まで苦しんだのかと馬鹿馬鹿しくなりますね。MCは怖ろしいです。

  6. あ、前の記事にコメントすべき内容だったかもしれません。
    場所間違えちゃった。ごめんなさい。

  7. 全部読みましたさん、コメントありがとうございます。ご心配の件、ごもっともです。ありがとうございます。
    >削除された人たちよりも、愉快氏の書き込みの方が荒らしでカルトだと思います。かれは病気です。
    たしかに行き過ぎはあると私も思います。ただ私の立場上、全部読みましたさんがおっしゃるように、愉快さんが狂っているかどうかを断じることはできません。ネット上の世界ですからすべてがバーチャルです。私も匿名が前提である以上、誰かに対して何かを断じたとしても、あまり意味のあることではないように思います。先にも述べましたとおり、とにかくここでは多くの方々が創価学会の実態に焦点をしぼっての報告や感想を述べていただければいいと思います。それ以外の論争はとにかく削除するということでいきたいと思います。

  8. 全部よみましたさんや脱会者さんの意見に大賛成です。
    カルトカルトと連呼する愉快さんの粘着な書き込みは読めば読むほど鳥肌がたちました。
    愉快さんは、相手さんが立ち去った後半日以上も執拗に相手をあおり続けていました。
    気持ち悪いです。
    ネットだからバーチャルだから放置するのであれば、全ての書き込みを放置すべきです。
    愉快氏ひとり擁護するのは不公平です。

    >ここは創価学会の実態を論点にしぼった対話の場であり、自由気侭な何でもありの腐った掲示板では断じてありません。

    何でもありの腐った掲示板にしているのは「我慢」できない「かまってちゃん」の粘着「愉快」さんです。
    私も彼は狂ってると思います。

  9. 脱会者さん、山のいぬさん、コメントありがとうございます。
    おふたりのおっしゃることもよくわかります。私は愉快さんを擁護しているわけではありません。愉快さんの言葉は他の場所でも扇情的ですから、どんな立場の人が聞いても違和感を覚えるでしょう。おそらくそれが愉快さん本人も分かっていってるのだと思います。ですから今回の荒らしに関わるコメントは削除させていただきましたし、愉快さんもそれで納得いただいたようです。もうここで無益な論争はありません。あっても即削除です。どうかこれで気持ちを納めていただきたいと思います。私もこれ以上この話をするのはやめにしたいと思います。よろしくお願いします。
     

    ここでもう一度言います。
    まず私がこのブログの一番最初に挙げた言葉を再度挙げます。
    「このブログは、対話の場としてつくりました。対話とは、闘いではありません。互いの考えをぶつけあって、どちらが正しいのかを競うようなことを対話とはいいません。私は対話とは「他者を認めること」だと思います。互いの存在を認めあうこと。たとえ考え方は違っていても、互いの考え方・生き方を尊重し認めあうところに対話が生まれ、対話の中に互いの相違点や共通点が明らかになり、信頼関係が築き上げられます。そしてそこに無益な闘いは生まれません。」
    このブログ「対話を求めて」は、この考え方を変えません。人によってはただのきれいごとにしか聞こえないかもしれません。そうした批判が出るのも想定した上での言葉です。しかしきれいごとすら受けいれることのできないような精神に対話を求めることはできないでしょう。
    以前、村上春樹氏のエルサレム賞での有名なスピーチ
    「高く堅固な壁と卵があって、卵は壁にぶつかり割れる。そんな時に私は常に卵の側に立つ」
    私もこの精神でいきたいと思っています。たとえ負けると分かっていても、目先の利益のために勝つ側にまわるようなことはしない。私たち名もない庶民にできることは、これしかないのだと思います。私は何かに勝つことを目指しているのではなくて、悔いのない人生を貫きたい。ただそれだけです。いままでの自分の人生の間違いの部分に気づけただけでも幸せだと思いますし、ではこれから私が何をするべきなのか、この歳になってから何ができるのかを今まさに模索しているところです。無益な言い争いなど、愚の骨頂です。もう若くはないですから、そんな暇はありません。たとえ言い争いに勝ったからと言って、それが何になるのでしょう。自己満足の何者でもありません。すべてはバーチャルな発言として闇に吸い込まれていくだけです。
    これからは管理者の私の判断で不適切なコメントは見つけ次第削除しますし、削除したこともいちいち告知しないことにします。何が不適切かどうかは、あくまで私の判断で行います。誰かに意見を聞いたりしません。残念なことですが、今後はこの私の判断に賛同していただける方にコメントしていただく他ないだろうと判断しました。ネット上の論争は何の意味もない。ましてやそこに敵対心や悪意が含まれると、まわりにまで大変な迷惑をかける。こうした常識をわきまえないコメントは容赦なく削除していきます。ただこれまでのほとんどの方のように、ふつうに書いていただければ何の問題もないことです。みなさまよろしくお願いします。
     
    SJさん、レアな情報ありがとうございます。
    >創価学会って、宗門問題の直後に「日蓮世界宗創価学会」で商標登録していますよね。
    知りませんでした〜!そうなんですか!みっともないですね〜。
    私は日蓮世界宗創価学会の会員ですが、何か?……恥ずかしくって言えませんよね〜。
    一般会員は知らないですよね。日蓮のあとに大聖人つけなくていいんでしょうか。
    末法のご本仏を呼び捨てにしていいのかなあ。
    じゃなかったらもうすぐイケダ大聖人になるのかなあ(笑)。

  10. 早々にご返信まことにありがとうございます。
    管理人さんのご意思に従わせていただきます。

    管理人さんは創価学会に不満をお持ちだそうですが
    元々の日蓮正宗の狭義に対してはどういったお考えですか?
    創価の会長や団体が嫌いだが日蓮仏法は異議がなければ
    お寺の方に所属するという考えはありませんか?

    ちなみに私は寺の関係者ではありませんが、学会からお寺に行ったという話しをよく聞きますので
    質問させていただきました。

  11. 山のいぬ。さん、ご質問ですね。
    私はついこのあいだまで創価学会側にいました。ですから創価学会が打ち出してきた日蓮仏法のことしか知りません。一般的な仏教の知識もある程度ありはしますが、いつも創価仏法が正しいと思い込まされていたものですから、今はその反動のせいか、特にどこかの宗派に所属する考えはありません。神や仏という概念や、それに近い人間の力を遥かに超えるものに対する畏敬の念は人間にとって大切であると感じています。この先どうなるかは分かりませんが、今の感じでは、私の友人の多くがそうであるように、仏教に限らず信仰の大切さを認めながらも、特に決まった宗派に属することはないのではないかと思っています。このようなお答えでよかったでしょうか。

  12. これから仕事でネットから離れます。できるだけのことはしますが、リアルでの仕事がなかなか厳しいので、しばらく返事がなくても忙しいだけだと判断してください。よろしくお願いします。

  13. >おふたりのおっしゃることもよくわかります。私は愉快さんを擁護しているわけではありません。愉快さんの言葉は他の場所でも扇情的ですから、どんな立場の人が聞いても違和感を覚えるでしょう。

    シニフィエさん、山の犬さん、お返事ありがとうございます。皆さんが同じ意見と聞いて安心しました。
    これ以上、荒らしが来ないといいですね。
    もちろん、そのなかに例の勘違いしているカルト人物も入っていますが(爆)。

  14. 日蓮世界宗のお話が出てきたようなので、少しご紹介をぱ。
    拙ブログにて、一度記事にしたことがあります。
    「発想が宗教家じゃないですね」という記事です。
    http://ullr.no-blog.jp/blog/2009/04/post_c185.html

    簡単な記事ですし、ブログ開始当初の記事なので今と少し文体が違ってお恥ずかしいですが、ご参考までにどうぞ。
    それにしても学会員さんでもやはり知らないんですね。
    学会員さんだからこそ知らない、というべきでしょうか…。

  15. 日蓮世界宗……何度聞いても怪しい教団ですね(笑)。近所の学会員に聞いてみましょう。

    私「俺さあ、学会やめて日蓮世界宗に入ろうと思ってるんだ」
    学会員「おいおい、何それ?そんな怪しい団体に入ってどうすんだよ。
        やめとけって、洗脳されるに決まってるぞ」
    私「うん、すでに洗脳されかけてるかも。なんでも学会と同じで日蓮大聖人の仏法が基本なんだそうだ」
    学会員「よくあるんだよな日蓮系っての。でもなイケダセンセイの仏法じゃなきゃ功徳はないんだぞ」
    私「へえ〜、そうなんだ。じゃあ学会は池田大聖人の仏法なんだな」
    学会員「えっ?知らなかったの。今やイケダセンセイは誰にも会わずに指導をされてるすごい人だ。
        いや、もはや末法のご本仏なのさ。出世の本懐ってやつ」
    私「え〜っ!俺の知ってる学会は日蓮大聖人が末法のご本仏だったぞ」
    学会員「いや、日蓮がいた鎌倉時代はまだ末法じゃなかったんだ。
        昔は釈迦が死んだ時期が曖昧だったから、
        日蓮は今が末法で自分がご本仏だって自分で勘違いしてたわけ。
        単なる思い込みだったわけよ。で、今は歴史的に明らかなんで、
        21世紀の今こそが末法であり、そこに出現されたのが
        ご本仏イケダセンセイというわけだ、すごいだろ。
        ほらこの最近の聖教新聞の写真を見ろ、即身成仏って感じだろ」
    私「そうか、もはや日蓮呼び捨てなワケね。なるほど、イケダさん目がいっちゃってるし。」
    学会員「で、その日蓮なんとかって教団、功徳あんの?」
    私「教団にお金出せば、出したお金は功徳で何倍にもなって帰ってくるそうだ」
    学会員「ほらやっぱり怪しいぞ。そんなうまい話があるわけないだろ。
        そりゃどう考えても金目当てだな。おまえ騙されてんだよ」
    私「そうかなあ…新聞とか本とかもいっぱい買ってるけど」
    学会員「ほらみろ、そうやっていろんな手をつかってお金を絞りとるんだよ。
        きったねえ宗教詐欺だな、そいつは」
    私「そうだね、でも辞めると地獄に堕ちるっていうからさ」
    学会員「なんだそりゃ、そんな恐ろしいこと言って脅して、
        お金を絞るだけしぼり取る気だな。タチ悪すぎだろ。
        そんなカルトは俺が折伏してやるから連れてこいよ」
    私「ここにいるよ」

    チャンチャン

  16. 初めてコメントを書かせていただきます。
    いつも、読ませていただいております。
    お忙しい中での、充実した内容…本当に、ありがとうございます。

    私は、学会2世です。
    ここ近年、私の所属する組織幹部の“傍若無人”な態度がキッカケで、組織から離れています。
    (内容を話すと、特定されていしまう恐れがあるので、割愛させてください。申し訳ございません)
    最初は、何とか戻って、初心に帰って頑張ろうと思っていましたが、仕事の忙しさも理由にして未活動です。
    そんな生命状態で、少しずつ、アンチ系のブログや、様々なブログを拝見している中で、このブログに辿り着きました。

    このブログは、他のところよりも、本当に読みやすいです。
    私の気持ちに近いところもあるのかも知れません。

    …私は、大学時代から、学会活動に頑張ってきました。
    折伏も、同級生を何十人もしました。一つも御本尊流布が出来ませんでしたが…。
    そのことで悩むことが、活動の中では大半でした。
    また、地元幹部にも、そのことだけ毎回のように指導されることが多かったです。
    池田先生の指導を引用され、本幹同中を観ては、歓喜をして泣いたことも多々あります。
    しかし、今現在も決まる事がなく…今では、外部友人がいないほどです。

    成果を出している幹部からすれば、
    「題目が足りない」
    「相手のことを真剣に思い切っていない」
    「そうやって、中途半端な決意だから、結果も出せないでいる」
    等、言われるのが関の山です。

    はっきり言って、題目は「2000万遍」は越えています。
    幹部から言わせれば、数ではなく“質”なのでしょうが、足りないと言われれば唱えたし、“質”の向上にも真剣に努力してきました。
    自分自身の中でも、題目しかないと思って祈っていましたし。
    でも、これだけ唱えても、幹部からは「題目が足りない」とか「不信の心があるんだ」、「過去世の業が深いんだな」とか…そんな感じに言われれば、いつかは苦しくなってきます。

    当初は、学会幹部で上にあがりたい。
    某人材グループで、認められたい。
    池田先生に勝利のご報告をしたい、等。
    その思いもありました。
    必死に戦ってきましたが、結局、成果が出せない人間は、認められないのです。

    なぜ、信仰をしているのに、ここまで現実社会と同じで「成果ばかり求められるのか?」と。
    成果が出せない人間は、上にあがれない。でも、成果を出して上にあがっても、はっきり言って、糞みたいな幹部は多くいる。
    そんなことを考えていたら、そこに執着いている自分は、何のために信仰をしているのか、疑問がわきました。

    そして、ある幹部の傍若無人な態度がキッカケで離れて、今に至ります。

    長々と、申し訳ございませんでした。
    こんな私でございます。
    今後とも、よろしくお願い申し上げます。

    …ちなみに、職場では真面目に働いていることもあり、役職をいただいて、今も真剣に従事しております。
    決して楽な仕事ではないですが、関わる方々のために、身を粉にして奮闘しております。

  17. 涼風さん、おはようございます。
    初めまして、SJと申します。私も二世で非活、両親がバリ活です。
    大変な思いをされましたね。成果主義は体質でしょうが、私も度が過ぎていると感じます。
    質問してもよろしいですか?

    涼風さんにとって、学会活動はどういう意味を持つものでしたか?
    福運を積むためのものですか?それとも精神的なボランティア?

    というのも、私は信仰の線上に活動があることに、ずっと違和感を抱いておりまして
    さも活動が信仰であるように同一に語られることが、理解できなかったんです。

    例えば、お坊さんが徳を積むと言いますよね。
    宗門問題が起こったころ、創価新報で宗門を口汚く罵り叩く文章を書く、それを読んで共感する。
    この時点で人としての徳は、積めるはずありませんよね。
    しかし、学会流では功徳があり、福運が付いているんでしょう。普通に良識のある人なら混乱します。

    全ての活動は、啓蒙・折伏・選挙など、強引さやしつこさで人としての徳を落としますが、
    学会では、功徳や福運はどんどん積まれていくという設定を盛っています。
    人生はRPGやファンタジーではありませんし、設定は設定です。設定からは何も生まれない。
    この活動のどこに、人としてのステージを駆け上がる要素があるのか、ずっと分からないままです。

    身内だと発狂して会話にならないので、組織にまだ近しい方に聞いてみたいと思っていました。
    お答えいただければありがたいです。

  18. ご参考程度にお耳にいれておいていただければと・・・。

    「お寺」の話題がいよいよ出てきたよぉ~、と
    メンバーからのメールで知りました。
    「もも(ら)」のメンバーが以前、接触に成功した、元創価学会員で関東甲信越地方の某県においては
    上から数えて三番目の役職だった方がいます。「その方」は現在都内の「お寺」にいます。
    「希望様」のブログでも一度触れましたが「敵の敵は味方」の意味をよく理解せずに
    「お寺」の方たちと行動をともにしたわずかな時期があります。(入信はしていません)
    数年前の苦い思い出です(笑)

    率直な感想を述べさせて頂きますと、
    「創価学会を脱会してお寺側の人間になってもMCから完全に脱却できていない方たちが
    非常に多いなぁ~」と思いました。
    後になって気づいたのですが、「お寺」の方たちの普段の会話が創価学会員の行動批判の際、頻繁に多用される
    「言葉」「用語」「単語」と全く同じなのです。もちろん全国すべての「お寺」がそうだとは申しません。
    私たちが接触できたごくわずかな人たちに限った話だと思います(思いたい)

    「信心が足りない」「お題目を唱えていない」「勤行していない」
    「必ず出るから間違いないから」「ご本尊さまを粗末にするからそうなった」
    「ほら見たことか、信心が足りないからそうなった」等々・・・。

    様々な媒体で展開される創価学会員さんたちの話題の際には上記の台詞は必ず
    登場しますよね。

    だからこそ「もも(ら)」は思うのです。

    もともとは一緒にいたのだから、
    今は袂を分かち合っていても、
    「根っ子の部分では同じでしょう」、と。

    「もも(ら)」の周りにいる創価学会さんたちのほとんどは
    「大石寺」や「ニセ本尊」の話題を振っても
    「え?何それ?」と云った反応ですよ(笑)

    信仰を持たない無宗教の「もも(ら)」は「お寺VS学会(池田大作)」の歴史は
    書籍等からの知識として、あるいは当時の体験者からの伝聞としてしか知り得る以外のすべがありません。

    「お寺」に戻りたいなら戻ればいい(影の会長、池田の金庫番と云われた中西氏のように)
    「学会」に残りたいなら残ればいい(池田に散々罵倒されても脱会せず人目を忍んで大石寺に通う某最高幹部のように)

    どちらの立ち位置でも忘れてはならないのは「真実から目を背けないこと」です。
    自分の「目」で見て、自分の「耳」で聞いて、「心」で感じたことを素直に受け入れることです。
    「あれ、やっぱりこの幹部の指導は変だよ、おかしいよ」と感じたら勇気を持って行動することです。
    どうしても出来ないなら「シニフィエ様」や「希望様」のブログに訪問してください。
    素性なぞ、そう簡単には、バレませんから(笑)
    安心して正直な気持ちを勇気を持ってコメントしてください。

    大丈夫です。

    「時が全てを解決してくれます」

    文責「もも」 代筆「里芋」

  19. シニフィエ様
    初めまして。いつも、興味深く拝見させて頂いております。
    私は、叔父夫婦とその家族全員が30年来の熱心な信者で、ちょっと気持ち悪いなと思いながら、亡母がこれまた熱心な信者だったという事もあり、聖教新聞を取らされ、3年前話を聞くだけと会館に連れて行かれました。
    そしたら、話を聞くどころか大勢の信者に取り囲まれ、叔母のいうままに3000円で本尊を買わされ、入信させられてしまいました。
    まぁ、親戚付き合いという事もあるし、叔父夫婦の顔を立ててもいいかと、その時は気軽に考えていました。
    それからは、大百蓮華を取れだの、座談会に
    来いだの、任用試験を受けろだの、とにかく
    しつこかったです。
    その頃、私は学会については全くなんの関心もなかったですが、驚いたのは選挙に付いてくるといわれた時です。しかも投票所まで車で送るとまで言われました。これには、ビックリしました。もちろんお断りしましたし、公明党にも投票しませんでした。
    それに、政教分離問題や矢野発言について聞いても、全く要領を得ません。
    なにより、不信に思ったのは聖教新聞紙上の
    「池田名誉会長へ・・・名誉博士号」というほぼ毎日といっていい程の記事です。しかも写真は相当以前のものばかり・・・
    これを見た時、私は即座に「朝鮮中央テレビ」と一緒だ!と思いました。金正日同様、池田大作をカリスマ化するための洗脳だと確信しました。
    はそれからは、ネットの情報を調べました。
    宗教は非課税を利用し、裏社会のブラックマネーを洗濯している事、池田大作や幹部の大半が在日である事()

  20. SJ様

    はじめまして!
    涼風と申します。
    よろしくお願い申し上げます。

    質問、承りました。
    私、今朝がた仕事が終わり、かなり眠いので…起きた後に、私なりに精一杯の返事をさせてください。

  21. すいません。どいしても最後まで入力できませんでした。続きです。
    池田大作と幹部の大半は在日である事。
    (学会旗の三色は韓三色)
    本尊は日蓮正宗のものを都合よくコピーした偽物だという事。
    政界、公官庁、警察、検察、裁判所、弁護士会、財界、芸能界といったあらゆる組織に根を張っている事。
    オウム事件に、統一教会同様に深く関わっていた事等を知り脱会を決意し、彼らにその旨を知らせました。キッパリと言い切った事が良かった
    と思います。半年になりますが、何も言って来ません。

  22. 涼風さま、お仕事お疲れ様でした。
    お疲れのところ、申し訳ありません。

    大丈夫です。お待ちしています。
    ゆっくりお休みになってください。

  23. すいません、また続きです。
    なにより、許せなかったのは信者でもない亡父の法要を会館でやろうとした事です。
    亡父は学会嫌いだったにもかかわらずです。
    そして、今持っているお守りやお札は処分しろと言われた時は、唖然としました。
    これが、平和、友好を口にする信者の言う言葉かと憤りを禁じえませんでした。では、ニセ本尊を売っている学会はどうなんだと!
    決起、一般信者は集金マシーンであり集票マシーンなんだなと確信しました。

  24. 続き
    今、私が懸念しているのは、政界の動きです。
    橋下市政がスタートした途端、公明党が摺より、次に統一教会の傀儡の「みんなの党」が
    尻尾を振っています。一連の動きを見ていると、知事、市長ダブル選挙の前に密約でもあったのかと勘繰りたくなります。信者の方で詳しい情報をお持ちの方がいらっしゃったら、ぜひお教え下さい。
    とにかく、今我々にできる事は、情報の拡散と選挙で公明党を当選させない事です。

  25. 続き
    今年中におそらく実施されるだろうと思われる衆院選。そして、来年の都議会選。
    特に、都議会は長年、公明党が支配している為、警視庁の予算を握っているのでやりたい放題です。
    創価学会問題は、学会員の問題だけに留まらず、日本国民の将来にも深く関わっている問題なので、皆さんの叡智を結集していただきたいです。
    スマホの入力上昇が悪く誤字が多く、また長々と失礼致しました。

  26. もとよりネット社会でも、実生活でも、「政治」「宗教」については、聞かれても「興味がない」とだけ言って、論争しないことにしています。この二つの問題は日本ではアンタッチャブルな話題で、「触れるなかれ」を守ることに徹するべきです。

    世の中を見るに、イスラム社会では宗教対立で戦争まで起きていることに注意を払うべきです。

    この日本でも同じことです。宗教・政治的立場の表明は避けるべき。今回の件も起きるべくして起きたことで、軽々と「神」の世界を論じる(断じる)投稿者の基本的態度に私は投稿者の「慢心」「過失」を指摘します。あなたは傍観者であるべきだった。

    それ以外でも日本では日本固有のタブーがあります。部落問題、在日朝鮮人の問題があります。

    こうしたことを念頭に投稿すべきです。敢えて、騒ぎを起こす問題を投稿したあなた自身の「過失」も問われるべきです。
    第三者を軽々しく非難することは容易いことです。先ずは、そのもとを作ったあなた自身の「過失」を断罪することが、まず初めにしなければならないと思います。

  27. 上記、宗教と政治の関係を、追及してほしくない勢力のいつもの逃げ口上ですね。
    あえて、言いましょう。日本は戦後61年余、政治と宗教、部落、在日問題を避けてきたから、今日のような国家的危機に
    陥っているのです。これらの問題にもうそろそろ国家的見地で真摯に取り組むべきです。
    取り組んでこなかったのは、そこに大きな既得権益があるからに他なりません。
    真に日本の国益とはなにか?聖域なしで真剣に議論すべきです。
    個人レベルで創価の問題をあれこれ言ってみたところで真の解決にはなりません。

  28. Q 涼風さんにとって、学会活動はどういう意味を持つものでしたか? 福運を積むためのものですか?それとも精神的なボランティア?

    A 僕にとっての学会活動は、自らを向上するための実践活動です。
    自身の弱い精神や心を、強靱に鍛え上げるためのものだと。
    福運を積むことでも確かにありますが、別に、そこに執着はしていませんでした(苦笑)
    自分自身が強くなれば、自ずと幸福も掴めると思っています。

    Q 私は信仰の線上に活動があることに、ずっと違和感を抱いておりまして
    さも活動が信仰であるように同一に語られることが、理解できなかったんです。

    A 正直、違和感を感じたことはありませんでした。
    人間、一人ぼっちでは、いつしか惰性に流されてしまいます…まぁ、よほど一人でも大丈夫な心だったら別ですが。
    「活動が信仰であるように同一に語られることが~…」と、思いが語られておりましたが。
    何事にも、実践が不可欠であると、僕は思います。
    マニュアル本を読んでも、実際に行動に移さなければ、体験にならないというか。

    日々の勤行や唱題だけでも十分かも知れません。
    あくまでも学会活動は、一人ぼっちでは惰性に流されやすい(目標や決意を見失いやすい)心を、修正する役割があると思います。
    会合に出る事が、そのまま福運に変わるとは思いません。
    ぶっちゃけ、最近の会合は、どこに出ても同じ内容しか話がでません。
    別の会合に出ているはずなのに、幹部が話す内容は、すべて焼き回しばかりです(苦笑)はっきり言って、無能です。

    「会合に出る事が大事」という幹部がいますが、それは「何故なのか」、その真意を理解していないで、単に数字ばかりを求める幹部が多すぎるのも現実です。
    何で、本幹に出るの?
    何で、座談会に出るの?
    何で、部活に出るの?

    参加してくれた人に対して、何かしらの決意や歓喜、悩みを克服するためのキッカケなど…。
    そこを重点的に意識しながら、対話をするのが、本来、会合には必要なことです。
    しかし、現実、そんなことを考えている人間は皆無ですね。
    特に、ここ最近、名誉会長が各種会合に不在になって以降、会合の質は、ますます低下しています。
    幹部の口から出る言葉は、いつも“檄を飛ばす”内容だったり、“師匠にお応えしよう”的な内容ばかりです。
    一人ひとりの吟線にふれるような内容は、なくなりましたね。

    Q 宗門問題が起こったころ、創価新報で宗門を口汚く罵り叩く文章を書く、それを読んで共感する。
    この時点で人としての徳は、積めるはずありませんよね。
    しかし、学会流では功徳があり、福運が付いているんでしょう。普通に良識のある人なら混乱します。

    A 結局、日蓮大聖人の御書の中の一節にある言葉を引用して、その正当性を強調しています。
    「功徳というのは、悪を滅するを功、善を生ずるを徳という」(主旨)
    「法を破る者が目の前にいるのに、それを放っておくことは、仏法の中の仇」(主旨)
    「いくら法華経を読んだり、書写しても、悪を放っておけば、無間地獄に落ちる」(主旨)
    などなど、いくらでも出てきます。

    これを全面に出してきて、仇なす者に対しては、徹底的に糾弾(この場合、破折(はしゃく)するという方が正しいかも知れません)することが、正義であると訴えるわけです。

    ただ、これは学会内では正当性があるのかも知れませんが、世間一般では逆に良識がないと思われるかもですね。
    現に、そのやり過ぎが、乙骨氏に対する名誉毀損裁判で、学会側が逆転敗訴しています。

    宗教間同士の争いの次元で考えるならば。
    学会側も宗門側も、お互いの正義を主張して、激しく罵り合っているのが現実でしょう。
    声を止めれば、負けを認めることになる…ような勢いで。

  29. <上記、宗教と政治の関係を、追及してほしくない勢力のいつもの逃げ口上ですね。

    こういうのが民主主義なのか?と疑います。自分では何も意見を述べておらず、他人を非難することだけに専念しています。
    無責任=放任=何を言ってもそれは自由なのだ、という姿勢が見えています。戦後民主主義の方向性が誤った方向、自分に利する方向性に理解されているのは、残念。

    そして、「聖域」という言葉を使っていますが、私は使っていません。

    私が言わんとすることは十分所信を述べました。政治的発言を初めとする諸問題をあえて取り上げることに、そもそもの投稿者の言う「荒らし」を招くことは、予め予見できたはずであり、一概に「聖域」の名のもとに、敢えて提議するならば、狂信的信奉者からの攻撃も覚悟すべき。

    また、投稿に当たっては、最低限、自分のHNくらいは、明らかにすべき。無署名の発言は、自分の主張が正しくないかもしれないという心があるからだ。こういう連中は英語でBITCHESという。私は堂々と署名付き発言です。それと同時に、BITCHESの私への攻撃があった場合、自衛行動として報復はすることを明言します。

  30. Q 全ての活動は、啓蒙・折伏・選挙など、強引さやしつこさで人としての徳を落としますが、
    学会では、功徳や福運はどんどん積まれていくという設定を盛っています。
    人生はRPGやファンタジーではありませんし、設定は設定です。設定からは何も生まれない。
    この活動のどこに、人としてのステージを駆け上がる要素があるのか、ずっと分からないままです。

    A ようは、啓蒙や折伏、選挙での支援は、“精神闘争”に繋がるかもしれませんね。
    平和活動とか、広宣流布とか言いますが…ようは、今の自分が向上していくためのツールなのかなと。
    これに挑戦することは、かなり勇気のいることですので。
    普通は、やりたくないのが本音でしょう。
    ここに、功徳や福運はどんどん積まれていくという設定が隠されているのでしょう。
    でも結局は、何かに挑戦した結果、自分が大きく成長したと思えば。

    長々と申し訳ございませんでした。
    支離滅裂な内容で、申し訳ございせん。

  31. ネット上では誰かが誰かに対して抑制できるシステムがないので、事実上特に決まりはないといえばないのでしょうが、ネット上の情報のやりとりに関しての信頼性を確保するために、最低限のマナーといいますかネチケットなるものが建前にあると思います。おおかた一般の個人ブログがさほど障害もなく運営管理されているのは、そうしたマナーに支えられているからだと思います。ですから個人のブログに初めてコメントを投稿する時には、少なくとも「はじめまして」とか「◯◯と申します」とか、「以前からこちらを見ていました」などの挨拶を書くのがネットの世界とはいえ、日本人のマナーではなかろうかと思います。もちろん実名を明かす必要はないですが、自分をどこの誰とも言わず、いきなりずいぶん昔に言われていた一般論を並べて「先ずは、そのもとを作ったあなた自身の「過失」を断罪することが、まず初めにしなければならないと思います。」と、なんだかグーグルクロームで外国語を自動翻訳したような上記のカーネギー氏の不自然な日本語のコメントを、どうしたものかなと考えています。つまりまともに相手をしていいものかどうか迷っているところです。
    上のカーネギー氏のコメントを読みますと、要はネット上でタブーに触れるのは、場合によっては戦争まで起きるのだからつつしむべきだという意味なのでしょう。それでそのタブーとは政治と宗教。それから部落問題、在日朝鮮人の問題もだそうです。いやいや日本のタブーはもっとあります。暴力団、右翼、原発ジプシーもそうだろうし、共産党や従軍慰安婦や南京大虐殺だってタブーですね。日本に原子爆弾が二度落とされたことや、なぜか海軍が戦争責任を負わなかったこと。ロッキード事件やオイルショックに関わることでもタブーがありますし、数ある政治家や実業家の不可解な自殺なんてわかりやすすぎるタブーでしょう。耐震偽造事件や民主党の献金問題だって一般に知られているのはうわべだけです。いわゆるタブーなんていくらでもあります。面白可笑しく語られる陰謀論まで入れれば、世の中タブーのほうが絶対的に多いのではないでしょうか。オウム事件や創価学会にまつわるいろんなタブーだけでも数えきれません。創価学会員自体、心の中に触れてはいけないタブーで破裂しそうになっているのではないでしょうか。べつに私はそんなたいそうな日本のタブーをほじくりかえそうという気はありませんし、できるわけもありませんし、興味もないです。そんなもの個人のレベルでどうしようもないではないですか。どっかのオヤジが仕事の合間にパソコンをカチャカチャやって日本のタブーが揺り動かされるなら、世界はとっくの昔に変わっているでしょう。
    ここで何度も言うように、私は私自身が騙されてきたと気づいた創価学会のことを、いまだに騙され続けている創価学会員に対して伝えようとしているだけです。創価学会の会員として自分の心情をネット上に公開しようとしているだけです。ひとりの創価学会員の個人的な日記を多くの人が読んでくれているという、ネット上では無数にある個人ブログのひとつに過ぎません。これのどこが「過失」であり「断罪」されなければならないのでしょうか。あくまでひとりの創価学会員が他の創価学会員に対して個人の思いを表明しているだけです。これがどうして「「触れるなかれ」を守ることに徹するべきです。」となるのか、私には理解できません。おそらくほとんどの人が理解できないのではないでしょうか。
    私のブログでの発言に対して「敢えて、騒ぎを起こす問題を投稿したあなた自身の「過失」も問われるべきです。」というこの方は、国民は政治や宗教に関して何が行なわれても触れることなく、みんな見て見ぬ振りをするべきだと言いたいのでしょうか。もし百歩も千歩も譲ったとして、日本のタブーに触れて騒ぎを起こすことがほんとうに断罪に値する「過失」であるならば、この日本はいったいどういう国なのでしょうか。国民の権利とは何でしょうか。日本の国民みんながタブーに触れないことを国民としての美徳とするならば、この国はどうなってしまうのでしょう。政治家と宗教家のやりたい放題の国になりはしませんか。ここはかの北の国ですか?
    と、ここまでいろいろ書かなければいけないほどのコメントではないと思いますが、せっかくこのブログがもとのかたちに落ち着いて、再びみなさんからのすばらしいコメントが寄せられていたというのに、なんだかがっかりです。このカーネギー君は高校生ぐらいなのかな?このHNは陰謀論をちらつかせたいのかな?それとも荒らしの別バージョンなのかな?それともちょっとした気のきかないいたずらなのかな?
    私は、荒らしは頭に来ません。ただただ気持ち悪いだけなので関わってほしくはありません。むしろこのようないい加減な遊び半分の幼稚なコメントにはそうとう頭に来ます。腹が立つので、ここまで書くんです。ここにはたいへんな勇気を振り絞って自分の過去を曝け出してコメントしていただいている方もいるというのに、創価学会のくだらない指導のせいで本当に苦しんだり悲しい思いをしたり大切な家族を失ったりしている方がいるというのに、挨拶もなく名のりもせずに「軽々と「神」の世界を論じる(断じる)投稿者の基本的態度に私は投稿者の「慢心」「過失」を指摘します。」などと、どちらが慢心か考えてみろと言いたくなります。ぶっちゃけていえば「日本語も満足に書けないで神の世界がどうのなんて言うな」といった心境です。
    ここで対話をする気があるのであれば、それなりのマナーをわきまえ、対話を望む意思をはっきり表明するべきでしょう。そうでなければ、上記の失礼きわまるコメントはこのブログに訪れる人を小馬鹿にした冷やかしとしか見えません。

  32. 上記、政治と宗教はアンタッチャブル、部落、在日問題はタブーとコメントされている方。
    つまりは、この4つの問題こそが、創価が触れてほしくないない暗部、一般信者に決して知って
    ほしくない学会の裏の顔であるのです。
    ですから、ああいうコメントをして一般信者に煙幕を張っているのです。
    信者の方は決してこの問題から、目を逸らさないでください。
    現在の学会の真の姿を理解してこそ、本当の信仰というものが見えてくるものとご理解下さい。

  33. シフィニエ様

    申し訳ありません。私のせいで少し荒れてしまいました。
    私は、創価学会で苦しんでおられる方々の気持ちは痛いほどわかります。
    もちろん、皆様のような辛い思いとは私は程遠いかもしれません。
    しかし、今の苦難を乗り越えより良い未来に向かっていってほしい気持ちはかわりません。

  34. 涼風さん、申し訳ない!せっかく心をこめて質問に丁寧にお答えしていただいているのに、妙なコメントにはさまれるかたちになってしまいました。大変失礼しました。私の方でコメントの順番を変える技術がありませんので、すみませんが今のかたちのままになってしまいます。ほんとうにすみません。

    NRさん、大丈夫です。気にされなくてけっこうです。私がカーネギーくんに対しての返事を書いている間に、NRさんに先に対応していただきました。ありがとうございます。そこでお願いです。ここはしばらく私に対応させてください。NRさんの意見に賛成です。ただ具体的に議論を交わすような価値のある相手かどうかをはっきりさせなければ無駄骨ですし、私が感じる彼の言葉の印象からは、さほど深い思索は感じとれません。ですからはっきりいって頭に来ています。カーネギーくんが対話に値する人物であるかどうかを管理人として判断させてください。他の方もそれまでは静観してください。お願いします。

  35. signifie様

    私は大丈夫です♪
    お心遣い、ありがとうございます。

  36. howdoigettocarnegiehall さん、ここで私シニフィエと話をする気がありますか?あなたのここでの発言の目的がよくわかりません。私に不用意にことを荒立てようとしている責任をとれ。とれないなら最初からやめとけということでしょうか。あなたのここでの最初のコメントの冒頭は「もとよりネット社会でも、実生活でも、「政治」「宗教」については、聞かれても「興味がない」とだけ言って、論争しないことにしています。」でした。
    初対面の人間同士が初めて話をするときに「もとよりネット社会でも…」は失礼ではないでしょうか。あなたの理想とする民主主義とはこういうことでしょうか。この冒頭から、あなたがここで何を言っても聞き入れられない空気を作ってしまったのです。つまり対話の場として公開している場所に、何のあいさつもなくいきなり土足で踏み入れたわけです。ですからその後の話も「こんな失礼な人間なら話す気などないのだろう」と思われます。私より先に対応されたNRさんは、そのあなたの失礼な振る舞いに対して相応の言葉を投げかけたのです。誰もあなたを攻撃していませんし、する気もありません。なぜかわかりませんが、自分を攻撃しているかのように感じて、予防線を張っているのはあなたではないでしょうか。
    私がこのブログを立ち上げたいきさつは、これまでにさんざん書いてきました。これまでかなりの文字数でこのブログを埋めてきましたが、言いたいことはそれほど多くはありません。創価学会は人を騙して金儲けをするだけの団体だったことに今になって気づきました。「創価学会は宗教ではなくて、精神を縛ることで一方的に金と権力を吸い上げようとする悪質なネットワークビジネスだと、気づいていない人がいたら教えてあげてください。」とネットを使って表明しているだけです。
    もしあなたの親が悪質なネットワークビジネスにのめり込んで、無用な散財を続けていると知ったら、それでもあなたは見て見ぬふりをするのですか?それがあなたの言う民主主義ですか?私は前にも書いたように53年間創価学会員を続けてきた結果として、創価学会は宗教ではないということに気づいたのです。ですから宗教や政治や他のタブーといわれることに対して軽口を叩いたのではありません。悪質な巨大ビジネスの被害者が目の前にたくさんいるから、人間として見て見ぬ振りができなくなって、どうにかして注意を促そうとしていることが、なぜ誤った民主主義なのでしょう。教えてほしいものです。
    もしあなたが私と対話をする気があるのであれば、私のこの質問に答えてください。ないのであれば、一度だけ「ない」と答えて二度とここに来ないでいただきたい。

  37. 怒りはときに創造的エネルギーとなる。怒りもエネルギーとしてうまくコントロールできれば、創造的なものに昇華できると、これまでの創作活動の実体験から感じています。ただ、その怒りが自分でコントロールできなくなると事態は違ってきます。いま、私は久々に怒っています。この怒りを自分でコントロールするためにここにこうして文字を書き連ねています。先にも言いましたが、先日の態度を豹変する執拗な荒らしに対しては、怒りなどではなくて「気持ち悪いから、もうわかったからとっとと出て行ってくれ」というのが正直な感想でした。人格が破綻していると思われる言動に対しては、それが確実だと判断できるのを待ってから、それなりの態度を示しました。しかし今回のカーネギーくんは違います。人格に問題はなさそうですが、あまりに浅はかだと思います。人をバカにしすぎです。自分の都合でものごとを見ることがあたりまえになっていて、自らの浅薄さに気づかず、むしろ知的な振る舞いだと勘違いしている。これが大人ぶった高校生なら可愛げもあるのだけど、いい大人を相手にこれだけくだらないことを書き連ねるのには、いささか頭に来るわけです。彼が創価学会を擁護するために、こんな理屈の通らない発言をしているかどうかなど問題ではありません。まず人としてなっていない。発言以前の問題です。
    私はここで無益な言い争いはしないと最初から断言しています。途中で同じことを何度も何度も言ってきました。批判や議論なら受け取ります。きちんと返しもします。しかしこんなバカバカしい口先だけのことで、多くの人の苦悩を片付けられては黙っておれないのです。ですからはっきりと怒りを表明します。そしてここで彼がそのことについて真面目に話をするつもりがあるのなら、人として最低限のマナーを備えた人間であることを証明してからものを言いなさいと言いたいのです。

  38. シニフィエ様
    夜分にも関わらず、即対応して下さりありがとうございます。
    残念ながら、テーマが創価学会ですから好むと好まざるとに関わらず、これからも「荒らし」はやってくると思います。
    彼らの目的は、このブログに訪れる善良な方を嫌な気分に誘導し、
    最終的には閉鎖に追い込む事です。充分にお気をつけ下さい。
    コメントされる方は、そんな彼らに惑わされないようくれぐれも
    ご注意下さい。そして、むしろそういう輩からシニフィエ様を
    守る事こそ、我々の使命だと考えるべきです。
    今後とも、このブログを楽しみにしております。

  39. signifie様

    NR様のおっしゃる通りだと思います。同感です!

    結局、節度や礼儀正しさがない学会員がいるのは実情ですから。

    「荒らし」の人間の根本精神は、大抵、アンチに対する攻撃が、そのまま「功徳になる」「破折に繋がる」とか…思っているのでしょうね。それが、立派な活動になっていると勘違いしている人ばかりだと思います。

    私も、このサイトは大好きですので、これからも共々、よろしくお願い申し上げます。

  40. NRさん、涼風さん、ありがとうございます。あの…様はやめてくださいね(笑)。私もここでは誰彼かまわず「◯◯さん」とあえて呼ぶようにしています。白バラ通信の高倉先生にも「希望さん」とさんづけにさせていただいています。
    >そして、むしろそういう輩からシニフィエ様を守る事こそ、我々の使命だと考えるべきです。
    たいへんありがたいですが、そこまで大変なことをやっているわけではないので、使命ではなく役回りぐらいにしといてください(笑)。でもとても心強いです。ほんとうにありがたいです。今後ともよろしくお願いします。

    このブログは創価学会擁護側にとってはヤバい場所ですから(笑)、いろんなかたちで妨害が入るでしょう。それは当然想定しなければなりません。ただそうした妨害も創価学会の実態をリアルに示すいい機会ですので、頭ごなしに削除しないようにしたいと思っています。彼らの言い分と、私をはじめここにコメントを寄せられる多くの方の言い分を、しっかりと比較できる場所になれば、それはそれで意義ある場所になると思っています。彼らの目的は自分の目先の利益でしかありませんから、どこまでいっても宗教とはかけ離れたものです。もし議論になったとしても、そこをきちんと明らかにするような議論が展開できれば、むしろ歓迎したいくらいです。もし議論が破綻して感情的な言動が見られればそのときに削除すれば、その様子を見てきた方でも納得するでしょう。ここは対話の場所なのですから。
    また以前のような学会とは関係のない、リアルでは居場所がなくなってネットの世界に四六時中居場所を探して彷徨っている人格障害の類いは、本来の対話にたどりつくことがありませんので、これからは即削除となります。今のところこの2種類の削除の対象になる判断基準かなと思っています。しかし、どんなわけのわからない妨害や不具合(笑)が襲ってくるかわかりませんので、そのつど判断したいと考えます。
     
    ときに、世の中の不公平を嘆く人たちがいますが、私などはそれがどうしたと思います。もともとどこに公平な世界があるのか教えてもらいたい。何をもって公平な世界が理想と言えるのか。また民主主義という言葉を理想的な社会と勘違いして、声高に言う人間も信じがたいです。私は民主主義とは単に個々の不平不満を封じ込める詭弁としか思っていません。民主主義だから、多数決だから、いちばん幸せになる人の数が多いから。そんな理由で人の幸不幸を決められてたまるかと思っています。近代国家では大人数の競争社会だから、民主主義というい決済システムで掟を決めるしかないから、仕方なく取り入れているのだと思います。少人数で経済競争のない社会では、人格の高い王様が仕切ってしまえば、よほど人々は幸せになるのだと思います。民主主義とはしょうがなしにとりいれている効率のすこぶる悪い統治システムだと思っています。なくて済むならそれにこしたことはないのではないでしょうか。
    いまや全国的に大人気の神戸女学院の内田樹教授は、今の日本の混迷を解決するには、世界のグローバル下から脱却して、鎖国をし、廃県置藩をするのが手っ取り早いと言っています。もちろん実際にできるわけがないが、それくらいの発想の転換と、それにともなうバイアスが必要だという意味です。私もまったくその通りだと思います。最近彼がこんなことを言っていました。トヨタ自動車は名古屋のさまざまな産業を根っこから支えてきていて、企業トップはその立場をよく理解しているので、末端までの雇用も含めた「みんなで豊かになる姿勢」を崩さないようにしてきた。しかし今のグローバル化による賃金体系や雇用状況の変化によって、いよいよ国内生産が困難になってきたから、これからは名古屋の本拠地から撤退してもやむを得ないと宣言したことに、たいへんな危機感を感じていました。むしろこの危機感を大きくは報じないマスコミのほうがおかしいと言っていました。何が言いたいのかと言うと、もう日本の国内では大企業と言えども成り立たなくなってきたということです。私たちの身の回りにあるものは、かなりの割合で外国製です。それも韓国、中国、東南アジア、インドに至るまで、さまざまな途上国で生産された、極限にコストダウンされたものを当たり前のように使っています。中国をはじめとした極端な貧富の差、地域格差はますます広がるばかりです。私の友人には工芸家も多いです。ひとつが何十万円もする茶碗や、茶さじをつくっている人間にとって、今の経済はまったく通用しません。多くの人が100円ショップの茶碗で事足りる価値観に慣らされてしまっています。私たちは私たちの意思のとどかないところでアメリカを中心としたグローバル経済に無理矢理組み込まれて、美しさを愛でる精神的な豊かさを削除されてしまっています。リーマンショックが極東の島国の端から端まで影響を受ける世界になりました。風が吹けば桶屋が儲かるの世界版です。アメリカはイランの石油を狙って経済封鎖をしています。あまりの苦しさに暴動が起きれば、待ってましたと武力介入をして甘い汁を吸うつもりでしょう。ですからたいへんな円高にも関わらず日本のガソリンがまったく値下がりしないのです。さて、このような状態でも民主主義は民主主義です。民主主義で人々が幸せになるなんて大間違いです。内田教授が提唱する鎖国と廃県置藩によって、江戸時代の藩の規模での行政システムと経済流通を限っていく。そこではおそらく民主主義のようなまどろっこしい非効率な意思決定よりも、ひとりの賢明なリーダーシップ。つまり賢いお殿様の采配によって社会が作られて行くほうが、どれだけ人々は幸せになるかと言う話です。
    話が長くなりましたが、それくらい私たちは民主主義の亡霊に毒されているのだということも知るべきでしょう。民主主義は決して公平ではない。公平なように見せかけて人々を煙りにまく詭弁なのです。だから私はここで何度も言っているように正義は勝たないとはこういった理由からです。正義は勝たないですが、それでも正義の正義たることを信じて貫きたい。少なくとも私は自分の人生において負けてもいいから正義の側に立っていたい。そう思います。ですから何もできないかもしれないけれども、負けてしまうかもしれないけれども、創価学会よって苦しんでいる人たちに「創価学会は宗教ではないし、脱会しても恐れることはない」と言い続けていきたいと思っています。
     
    これだけ喋ると少し気持ちが収まってきました(笑)
     
    さて、民主主義の大好きなhowdoigettocarnegiehall さんは、どのような姿勢で返事をしてくるでしょうか。みんなで待っておくことにしましましょう。

  41. シニフィエ様ではなく、シニフィエさん(((^_^;)
    私は、日本は世界で最も成功した社会主義国家だと自負?しています!政府や官僚が計画した経済活動を、勤勉な国民が粛々と実行していき、世界第二位の経済大国となるも、一昔前までは、一億総中流と言われた時代もある。
    これぞ理想的な、社会主義、共産主義体制ではないですか!
    「民主主義」や「民主化」という言葉は、ほんの一握りの世界権力者の戦争の道具、言葉遊びでしかない!
    かつての中南米、東南アジアしかり、そして現在のイラク、リビアしかりです。
    本題からだいぶ、それちゃいましたね(^^;

  42. みなさんこのページのコメント欄にはhowdoigettocarnegiehall 氏が書くまで、誰も書かないでください。お願いします。
     
    howdoigettocarnegiehall さん、対話をしたい旨のまともな返事、もしくは「ない」という返事のどちらかをお待ちしています。

  43. ここをご覧のみなさんには、ことの顛末はお分かりかと思いますが、いちおうこのブログの管理者として下記のとおり締めくくりたいと思います。このhowdoigettocarnegiehall氏に関する件は取るに足りないいたずらだったということで、これでおしまいにしますので、みなさまも忘れてください。
    __________________________

    howdoigettocarnegiehallさんは、昨日あれだけのことを言いながら、あれから何も言ってきません。

    >私は堂々と署名付き発言です。それと同時に、BITCHESの私への攻撃があった場合、自衛行動として報復はすることを明言します。

    彼の昨日の勢いはどうしたのでしょうか。報復って何でしょうか。彼にとってここは戦場なんでしょうか(笑)。彼の言動を例えれば、いきなり営業中のファミレスに入ってきて「俺になんかしたらただじゃおかねえからなっ!」って叫ぶ、めちゃめちゃ気の弱いチンピラみたいなもので、食事中の家族連れや勉強中の予備校生もキョトンとして、ウェイトレスたちも笑いをこらえるのに必死といった光景です。で、支配人が奥から出てきて「はいはい、これあげるから静かに帰ってね」ってレジの横にあるおもちゃを手渡されて、すごすごと帰っていく残念なチンピラです。実際、彼の堂々と発言された(?)ことに対して、私は真夜中であるにもかかわらず、すぐに率直な意見を述べさせていただきました。いくつかの質問もしています。その上でもしこれ以上この場で対話をする気がないのであれば「ない」とだけ返事をするようにも言っていますが、それさえありませんので、もともとその程度の面白半分の軽口だったと判断します。きっとおもしろ半分に拳を振り上げてみたものの、あまりの場違いに拳をおろす場所も見つけられなくて、自分の不甲斐なさを恥じているのかもしれません。
    howdoigettocarnegiehallさん、みんな気にしちゃいないから、もう返事はしなくていいので二度とここには来ないようにしてね。大人をからかったりするんじゃないよ。

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