近況報告

おかげさまで、このブログの会社であるWordPress日本版のトップページにこのブログが載りました。これでおそらくさらに多くの方にここを訪れていただけると思います。頑張ります。

そこで、WordPressのトップにあったからなんとなく来てしまった方へご説明します。ここは日本最大の宗教団体と言われている創価学会に関するページです。私はその創価学会に53年間所属している現役会員です。ところがつい最近、この創価学会がとんでもない集団であることに気がつきました。創価学会は巧妙なマインドコントロールによって会員を洗脳し、会員から金品や労働力を吸い上げている悪質な利権集団だったのです。これは戦後最大の犯罪事件です。様々な証拠があり、多くの裁判が全国に立ち上げられていますが、それでもその被害の実態は世の中に示されていないままです。ここでは、創価学会の内部を知っている現役会員や、過去にたいへんな被害を受けて脱会された方の真実の声を紹介し、社会に創価学会の実態を示していくことを目的としたサイトです。日本の歴史上に残るであろう卑劣な犯罪の実態を多くの方に知っていただきたいと思います。よろしくお願いします。

このブログを立ち上げてから2ヶ月ほどですが、その間にもそうとうな葛藤や心の変化がありました。おそらくまだまだ変化していくでしょう。あれから家の仏壇はほったらかしです。おそらくもう自ら勤行・唱題をすることはないと思います。ご本尊は巻いて、仏壇を処分するところまでは気持ちの整理はついていますが、捨てるところまで思い切ることはできません。本部に返してもかまわないのですが、脱会せずに学会の実態をこのブログで報告するには、ご本尊を返さずにいなければなりません。それでも無下に捨てる気にもなれません。そう言う意味ではまだMCが解けていないのかもしれません。自分はどこまでMCが解けているんだろうと自問自答を繰り返す毎日です。

つい先日のこと、このブログで荒らしが横行しているときですが、妻が初めてマンモグラフィの検査を受けました。その診断結果が「要精密検査」でした。つまり乳ガンの可能性があると診断されたのです。詳しくは話せませんが、妻は以前別の部位での腫瘍の摘出手術を受けたので、乳ガンの発症であれば以前の部位のガンの転移という可能性が大きいということです。つまり命に関わることです。妻も私もそうとうなショックでした。妻にもしものことが…と考えてしまいます。今の仕事、子供のこと、いろんなことがネガティブに襲ってきます。じつはちょうど私がこのブログで「信心をやめても何一つ悪いことはありません」と言い放った直後のことでした。「おっ、来たか」と思いました(笑)。そこで考えました、この状態で昔ならご本尊に祈っただろうと。一心不乱にお題目をあげただろうと。もしかしたら私は試されているのではとも思いました。なんだかんだ言っても、結局は怖いんじゃないか、信じてるんじゃないか。自問自答が続きました。そして結局私は仏壇に近づくことはありませんでした。意地を張っていたのではなく、そんな気にならなかったのです。それで私のMCはかなり解けていたんだということが自覚できました。その後、妻の精密検査の結果は「とりあえず心配ない」ということでした。胸を撫で下ろしました。と同時に、あのときまたご本尊にすがっていたら不甲斐ない自分を責めていたかもしれません。そして異常なしの結果をご本尊のおかげと勘違いしたかもしれません。じつはこの一週間にそんなことがありました。
今も「自分はどこまでMCから抜け出しているのか」そんなことをずっと考えています。このことでまた一歩、創価学会の宗教性がまやかしであることの確信を得たような気がします。ただまだまだ創価学会に関わるいろんなことが自分を縛り付けていることに変わりはありません。やはり単に脱会すればそれでおしまいというわけにはいかないようです。このブログは、そうした自分の気持ちを整理していくという目的もありますし、また多くの同じようなことで悩んでいる方とのコミュニケーションがとれればとも思っています。みなさまの忌憚のないご意見を伺えるとありがたいです。

近況報告」への56件のフィードバック

  1. シニフィエさん、おはようございます。
    前の記事にもさっきコメントしましたが、再度書かせてください。

    私のところも、この前息子が怪我をして、頭を打って切ってしまい脳外科にかかりました。
    その時の心情が、まさにシニフィエさんと同じでした(笑)

    まさか・・・もしかして・・・これって・・・ぶ・・・つ・・・ば・・・ち・・・
    という思いが頭をグルグル駆け回っていました。
    MRIを撮ってもらった結果、異常はなかったと知った時、我ながら何となく恥ずかしい思いがしました。

    もしかしたら、二世三世は仏罰の呪縛から一生逃れられないのかもと思い、だったらそれと付き合ってやろうと思っています。
    MCが解けるには、MCにかかっていた時と少なくとも同じ年月が必要だと言います。
    焦らずいきましょう。

  2. シニフィエさん、おはようごさいます。
    「もも」さん、「ら」さん達が最近何かと忙しいので
    わたくし達、「里芋(ら)」が地域密着(?)の
    「小ネタ」を提供いたします。
    「もも」さん曰く、「情緒が中学生」の私たちなので
    支離滅裂な駄文を晒す事を、お許しください(笑)

    子どもの同級生に「学会賛成」、いや、違った、違った、
    「学会三世」の子がいます(苦笑)
    小学生高学年ともなれば親兄弟と遊ぶよりも
    同級生や友達と遊ぶことが楽しいのは当たり前です。
    学会三世の「その子」の両親は2人とも学会二世です。
    特にお母さんは「ハンパない」活動家です。

    「その子」は会館に行くのがあまり好きではないらしく
    「本当は☆☆☆くんたちと遊びたいんだけど、今日はお母さんと出かけるから・・・」
    、と、遊びに誘いに行くと、とても寂しそうに言うのだそうです。
    「その子」はわずかな時間でも友達と遊びたいらしくある時は
    「これから出かけるけど15分だけでも一緒にゲームやらない?」と
    来た事がありました。「その子」があまりにも不憫で可哀想に思えました。
    「その子」がまだ低学年の頃、夜の9時頃に突然、家に来て
    「どうしたの?1人で来たの?」と聞くと黙ったまま返事をしません。
    「☆☆☆くんと遊べますか?」と聞くので
    「もうこんな時間だからね・・・」と言うと
    とても悲しそうな顔をしました。
    「家に誰もいないの?」と聞くと
    黙って頷きました。
    (あ~また、どうせ会館に行ってるんだろうなぁ~)
    と思い、「お母さんは会館に行ってるのかな?お父さんはまだ仕事かな?」
    と聞くと「その子」は、うなづくと同時に目にいっぱいの涙をためていました。
    本当は泣きたいのに一生懸命に涙をこらえるその姿に、こちらも涙が出ました。
    結局、家に上げて「その子」の母親にはメールで
    「☆☆☆くんはうちに拉致してぁ~す」とあえてふざけたメールを送信しておきました。
    しばらくして母親が迎えに来ましたが、ご迷惑をおかけしましたの
    挨拶も、そこそこに帰り際「市議選の時には☆☆☆さんをよろしくね」と言った姿には
    本当に呆れかえりました・・・。

    「この子」も「福子」とか言われてるのでしょうか・・・。

    不憫でならないです。

    あ~、やっばり全然、文章がまとまらない。
    やっぱり「もも」さんや「ら」さんたちのようには、いかないわ・・・・(自己嫌悪)

    文責「里芋」 監修「ももさん(笑)」

  3. SJさん、よかった〜、話してよかった〜、ありがとうございます。こんなこと当の妻にも話せませんでした〜。やっぱりそうなんですよね。あ〜、よかった〜。
     
    里芋さん、ありがとうございます。じゅうぶん伝わっていますよ。
    私も子どもの頃、誰もいない自宅の寂しさをよく経験しました。とくに学校から帰ってきて、ちょっとうたた寝している間に、両親が会合に出かけていて、ちょうど兄弟も出かけていて、目が覚めると真っ暗な家に自分一人だったときの孤独感は今でもはっきり覚えています。よくグレなかったなと思います(笑)いまでもそんなかわいそうな「福子」がいるんですね。

  4. シニフィエさん、おはようございます。
    心配要りません。
    仮にガンだったとしても、治療する方法はあります。
    そう言った本も出ていますし、その薬も他の処方もあります。
    ただ、世に出ると困る人が世界中に多く居るらしく世に出回っていないだけです。
    今その本を探しているのですが、探している最中です。
    仏罰?功徳?そう言う考え方はもう止めましょう。(苦笑)

  5. 理路整然と書かれている文体にいつも感心しています。

    誰が読んでもよ~くこのブログの趣旨が伝わってきます。すばらしい~♪~(拍手)

    生きていくうえでいろんなことがあるのはこれあたりまえのことなんです。だって私たちは今を生きているんですもの!!

    この当たり前のことを創価学会は、会合のたびに創価学会から離れたら地獄の生活だとの罰があるだの言われていたら知らないうちに自分ではMCされているとは気が付かないうちにすっかり洗脳されてしまいます。

    それが今の創価学会員方々の姿です。その証拠に物事を理路整然と考えられないし捉えられなくなっています。

    創価学会員と論じても会話が成り立たないという事はこのことなんです。

    人間ってこんな簡単に洗脳される動物だということなんですね~

    誰でもがなる可能性があるんです。それを止めるのもその人の理性が最後は歯止めになりますね。
    常に自分自身を見つめ直して見ること、向上心を失わずにいって・・・

    そしてその最後の歯止めをするには、常にいろいろな方の情報を知っていくということが大切な一つなのでは・・・

    でもこれって学会の中では我が強い!って言われそうね~疑問を持つ心にふたをして疑わず、純粋にもっと素直に先生、幹部について行きなさいとね~

    私は散々学会の組織の中で言われ続けてきたんですから。(笑)

  6. こんにちは。
    皆様は勘違いしてらっしゃる。
    ご自分を基準に物事を解釈されておられますね。
    創価学会の信仰の事はよくしりませんが、
    全ての信仰に関して言えることは、祈る側だけの勝手になならないという事です。
    創価学会に所属されている皆様が、このブログのような形で「祈りません。」と宣言されているわけですから
    祈られる側からの加護はもうありません。
    間違っているから止めた。
    も困ったことがあったから又なんとかして下さいなんて祈られても何の返事もありません。
    信仰とはギブアンドテイク。
    祈る側のご都合には合わせてくれません。

    人間関係に置き換えて考えてください。
    普段から自己中心な人が困ったときだけ擦り寄ってきても力になる気は起きないでしょう。
    日々こつこつと努力する人には力になってあげたくなりますよね。

    信仰とは自分の勝手にはならないと思いますよ。
    一度止めたなら二度と思い出さないくらいの気構えが必要だと思います。

  7.   シニフィエさん
     先日は、失礼致しました。またその後フォローして頂きありがとうございます。
     さて、奥様の事お察し致します。
    私も9年前、母を癌で亡くしました。最初は大腸癌の手術を受けましたが、3年後に肺に転移
    抗がん剤治療の甲斐も虚しく、ある日容態が急変し最後は意識のないまま逝きました。
    あまり、苦しまずに逝ってくれたと思う事がせめてもの慰めでした。
    そんな母を見て「きれいな顔で亡くなったでしょ。これも信心のおかげ。」とどこまでも学会活動
    と結びつけて考える叔母の姿を見た時、唖然とした事を覚えています。
     それからというものは、抗がん剤治療というものにかなり疑問を持つようになりました。
    癌はもはや不治の病ではないと言いながら、日本人の死因のトップとなっている。
    この矛盾はなんなのかと思いました。
     色々調べていくと、どうも欧米系開発の抗がん剤とこれまた欧米系の医療保険会社がセットで
    浮上してくる・・・。
    そして、どうも癌治療というものがなくなれば、現在の病院のほとんどが経営がなりたたなくなるらしい・・。
    抗がん剤の副作用などというものは、嘔吐にしても下痢にしても発熱にしても脱毛にしても要するに人体
    の解毒作用であって抗がん剤の毒性を身体が必死に追い出しているのだという事です。
     癌は死の病という恐怖を煽り、保険に入りましょうという事です。事実ガン保険はアフ●●ク、ア●コ、ア●サ
    という外資系が主流です。
     ですから、シニフィエさん、奥様の治療には安易に薬を使用する事は充分にお考え下さい。
     昨今、低線量被曝の恐怖をなにやらえらく煽っているようですが、ラジウム鉱石を利用した温泉、いわゆる
    ラドン温泉でのガン治療や、可視光線を利用して体内で必要物質を生成する方法とまだまだ一般には知られて
    いないものもあるようです。
    また、癌は明らかに生活習慣病ですから、食事、運動特に心身への過度のストレスもよくないようです。
     いずれにしても信頼できる医師に出会う事が大事だと思います。シニフィエさんならお知り合いにいらっしゃるでしょう。
     市さんのコメントにありました「信仰とはギブアンドテイク。」
    信仰もした事もない私が、生意気を言うようですが、何か違う気がします。
    本来、信仰に自分の利益を求めるというのはどうなんでしょうか?
    成功した事、嬉しかった事に対して両親や先祖に感謝する。試練に立ち向かう過程で勇気をもらう。
    そういう素直な気持ちで良いのではないでしょうか? 
     「功徳」だの「仏罰」だの、それを言う人は結局自己の利益の為に言っているとしか私には思えません。

  8. シニフィエさん

    追伸です。
    ガンの患者さんは、概して基礎体温が35℃台だそうです。
    血液の汚れが万病の元とともいいますから、奥様の体温にも
    気を遣ってあげて下さい。また発熱という作用も前にコメント
    したように、解毒作用、白血球が必死に戦っている状態ですから
    安易に解熱剤に頼らない事です。脳細胞には影響しますから
    頭は充分に冷やした方がいいようです。
     シニフィエさんの事ですから、よく調べられているとは思います。
    私も母が生きている間に今の知識があれば助けられたかもと悔やまれて
    なりません。
    なんにしても、シニフィエさんと奥様が理解し納得した治療、健康法を
    実践していって下さい。

  9. すいません。連投します。
    ガンという病気は体表面に近い臓器や中が空洞の臓器に多いようです。
    前者なら肝臓や乳房、後者なら食道、胃、腸といったところです。血液や空気の触れやすさと言うのも、関係あるみたいです。
    実際、常に血液を循環させている心臓や免疫細胞を作り出している脾臓といった臓器のガンになったとは聞いた事がありません。
    すいません。参考までに。

  10. もう一回です。
    亡父の事で思い出した事があります。
    生前の父と母は学会の事で、口論が絶えませんでした。私が高校生の時です。それが元で父母は一時別居状態、離婚の危機にまで発展した事があります。
    「イラン・イラク戦争は宗教戦争やないか!」
    「(池田大作の事を)信仰してるモンがあんなブクブク太ってるか!」(失礼!肥満でお悩みの方も真摯に信仰していらっしゃると思います。)
    そして、よく

  11. シニフィエさん、いつも貴重な場をありがとうございます。
    ここへ来ると一人ではないと思えてきて 今やなくてはならない存在となっています。

    奥様の件 大事に至らなくて良かったですね。
    シニフィエさんとは状況は違いますが、私も同じように葛藤していました。娘が登校拒否したのです。
    今までの私だったら仏壇の前に座ったでしょうが、ここの皆さんのお陰でMCから解かれつつあったので ちゃんと娘と向き合う事が出来ました。感謝です。

    母に話をしたら「題目しかないよ」の一言でしたが…。やはり寂しいですね。

  12. すいません、続きです。
    そして、よく
    「人間、死ねば無や!」と妙に悟った事を言ったり、母の臨終の際には
    「人間、必ず寿命がある。今があの人の寿命やったんや。」
    と、妻を失った悲しみを必死に自分に言い聞かせ、運命を受け入れる気持ちが表れていたように思います。
    私もその言葉を聞き何か気持ちが落ち着いたように思います。
    そこには、「功徳」や「仏罰」といったものを遥かに超越したものを感じるように思います。

  13. このblogで語られる皆様へ

    お忙しいところ、申し訳ございません。

    一つ、是非ともお伺いしてみたいことがあり、コメントを書かせていただきます。

    皆さまにとって、「祈る」という行為は、どういう意味だと思われますか?

    創価学会のような団体の祈りが間違っているのでしょうか。

    宗教団体とは切り離して、祈る行為自体は、別に悪いことではないと思うのですが…。

  14. こんばんは、お邪魔します。
    大きなお世話かもしれませんが

    >創価学会のような詐欺団体

    実在する団体を指してこのような表記は名誉毀損です。
    管理人さんに迷惑がかかりますので、削除されることをお勧めします。
    学会を用語するとか攻撃するとかではなく、常識の範疇で討論される事とお勧めします。
    軽い気持ちでの書き込みが管理人さんの社会人としての生命を脅かす危険があります。

    実例を引用しますので読んでください。

    インターネットのホームページで著作権を侵害されたとして、
    学会が日顕宗寺院の元講頭を相手に損害賠償を求めた裁判の判決が
    今月12日、東京地方裁判所であった。
    設樂隆一裁判長は、檀徒で元講頭の黒川和雄(大阪市住吉区長居、57歳)による
    著作権侵害を認定し、黒川に対して損害賠償金40万円の支払いを命じる判決を下した。

    黒川は「れいな」なるハンドルネームを使って、
    インターネット上に学会を誹謗・中傷するホームページを開設し、学会が著作権を有する写真を掲載した。
    法廷で黒川は“写真は他のホームページから
    コピーしたものだから責任はない”云々と強弁。

    これに対して判決は、著作権が誰に帰属するかを確認することなく、
    漫然と写真をコピーして自分のホームページに貼り付けたのは
    黒川の「過失」であると認定。
    さらに写真の著作者である学会の意図に反するかたちで
    写真を使用したことも厳しく指摘し、40万円の損害賠償を命じた。

  15. 涼風さん、こんばんは。
    祈るということは生命の対話だと思います。
    生命の対話とは何をおいても信じるという事でしょう。
    市さんが書かれていたように、疑いをおこしてしまったら祈りは成立しないと思います。
    50年100年心から祈り続けても、一瞬の疑いで全て崩壊すると思います。

  16. 今田利次郎 様

    ご指摘、ありがとうございました。

    遺恨が残らないよう、管理人さん…どうか、削除をお願い申し上げます。
    ご迷惑おかけして申し訳ございません…。

    今田様に、素朴な質問なのですが、させてください。
    管理人さんが書いてる文章に、詐欺集団とあります。そこから引用するような形で、私も書いたのですが…何か違いはあるのでしょうか?

  17. 話のなりゆきのなかで、つい妻の病気のことを話してしまって、ご心配をおかけしました。おかげさまで妻は元気です。心配は心配ですが、とりあえず普通の生活をしています。みなさまの暖かいお言葉、ほんとうにありがとうございます。
     
    今田利次郎さん、アドバイスありがとうございます。そうですね、このブログがかなりのアクセス数になっていくであろうことを考えれば、公的な言葉の表現として気を使わなくては、思わぬところで閉鎖へ追い込まれてしまうかもしれません。私自身も詐欺集団という言葉を使っていました。名誉毀損か表現の自由か、いろいろと難しいことも関わってくると思いますが、つまらないことで争いになるぐらいなら避けた方が賢明かとも思います。伝える内容は同じでも、言葉尻を捕まえて攻撃されては元も子もないですからね。詐欺集団はやめましょう。

  18. 涼風さん、今晩わ
    >皆さまにとって、「祈る」という行為は、どういう意味だと思われますか?

    「生命の対話」だと言う考え方もあれば、「生活そのものが祈り」だと言う考え方もあります。

    従って、「宗教団体とは切り離して、祈る行為自体は別に悪いことではないと思う」と言う事も成立します。^^
    だからこそ、生活態度も大切ですね。
    一生懸命祈っても、生活態度が伴わないと変でしょ?(笑)

  19. またまた失礼致します。

    設楽(したら)隆一裁判長は、これまでも何度か学会に有利な判決を出されていますね。
    裁判官は、他に何人もいるのに、創価学会が関わると何故か設楽裁判長が出てくる。
    まるで、示し合わせたように・・・。
    実に不思議な事です!!
     
    「設楽隆一 創価学会」で検索すると、色々興味深い事が出てきます。

  20. みなさま、不快な思いをさせてしまって申し訳ありません。このブログに寄ってくる無礼者の退治は管理人である私の役目ですから、みなさんは一言たりとも口出ししないでください。ここは対話の場である事をタイトルから謳っているにもかかわらず、彼らは無礼で卑怯極まりない言動を吐き捨てていくだけです。いくら創価学会とは言っても、とりわけ頭の悪い人たちしかこんなことはしません。とにかく相手にしないでくださいね。よろしくお願いします。

  21. ほんとうの意味で創価学会のマインドコントロールの闇と向き合うようになるのは脱会してからだと思います。
    まだ組織に片足を置いているうちは、真の意味でのマインドコントロールの恐怖は襲っては来ないでしょう。
    脱会して分かったことは、周りの創価学会の人は、誰一人として脱会者が幸せになれることはないと確信を持って信じていることです。
    それは、たとえ身内でも親でもそうなのです。

    創価学会のマインドコントロールを解くには自力では厳しいと実感しました。
    オウムでもそうですが、アメリカでも専門のカウンセラーが必要だと言います。

    もしいま、マインドコントロールに苦しむ方がいらしたら、どなたかの助けを求めてください。
    精神世界に秀でた方でもいいし、また、このようなブログで自らの想いを吐き出してみるのも由。

    わたし個人は、日本古来の神社仏閣に詣でることから始めました。
    創価学会の悪しき想念を断絶するために、日本の八百万の神々の助けを借りて結界を張り巡ら
    しています。

    sinifieさんの言われるように、創価学会を離れて罰のように錯覚することがあっても、じつは、ただ、マインドコントロールの影に怯えているだけだと気づかされるでしょう。

    いまの世の中は、波乱万丈があたりまえだと気がつけば、なんのことはないのです。
    どのようなことがあっても自分自身の魂に生ききればいいだけのこと。
    それは、創価学会の意のままに生かされるよりも遥かに真の意味で幸せなことなのですから

  22. 市さん、はじめまして。コメントありがとうございます。
    私はこのブログの管理人のシニフィエと申します。53歳になる学会二世です。思うところあって今は学会活動をしていません。学会二世というのは、生まれる前から親が創価学会に入会していて、生まれてすぐに自分の意志とは関係なく親の独断で創価学会員として育てられた人間のことを指します。ですから自分の意志で自分の信仰を選択する余地がないまま大人になった人間です。生まれてからずっと「創価学会の信仰だけが正しい。あとはすべて間違った信仰であって、創価学会以外の信仰をすると不幸になって地獄の苦しみを味わうのだから、創価学会員の子供として生まれてきたお前は誰よりも幸せな人間だ」と教え続けられてきた人間です。こういう子供を創価学会では福子(ふくし)と呼びます。最初はこのことが一般的な信仰の概念とは大きく違っている事にまったく気がつきませんでした。なにしろ創価学会以外の宗教はすべて間違いであり、創価学会に対する批判はすべてウソだとずっと教え込まれてきたのですから疑いようがありません。ですから少年部、中等部、高等部、学生部、男子部とそれはそれは真面目に活動していました。ただ年を経るにつれ、さすがに創価学会と社会とのモラルの違いがあからさまに見えるようになり、壮年部になるころには次第に活動から遠のいていきました。しかしそれでも学会は正しいと無理矢理考えるようにしていましたが、ついに53年目にしてやっとのことで創価学会は普通の宗教団体ではないとはっきりと気づいたのです。少なくとも創価学会のやっていることは宗教のそれではないと今から2ヶ月前に気づいたのです。気づいたときはもうたいへんな価値変換を突きつけられ、これまでの53年間の自分の人生は何だったんだと落ち込みました。それからほどなくしてこの創価学会の実態を多くの皆さんに知っていただくことをめざしてこのブログを立ち上げました。このブログでは創価学会が宗教団体を装った利権集団であるかもしれないということを、さまざまな方の実体験を通してあきらかにしようと考えています。ですから「創価学会の宗教的側面は手段であって、本来の宗教団体の信仰とは違うものである」と感じるに至った私のこれまでの実体験を前提に話をしています。また同じように実体験をされた方が、私の体験や考えの変遷に共感されて、多数コメントをいただくようになりました。以上がこのブログの管理人である私の自己紹介とお考えください。わけあって実名や住所を明かせませんが、自称800万世帯(笑)とも言われる日本の創価学会員の中のどこにでもいる現役学会員の一人です。よろしくお願いします。
     
    市さん、あなたのコメントに対してほとんどの方が無反応なわけがおわかりでしょうか?それはですね、はっきり言って話にならないからです。こんな人とは話しても無駄だなと思われているからです。おわかりですか?もちろん皆さんがそんなふうに思っているわけですから、市さんの話の内容がここを訪れる方に理解されるわけがありませんし、実際理解しがたい内容です。
    でも管理人の責任として、少しだけかいつまんでご説明しましょう。そしてこれから説明の中で、いくつか質問をさしあげます。よろしかったらお答えいただけませんか。もしかしたら、その質問と回答のやり取りの中で、あなたと対話ができるかもしれません。私はそのわずかな可能性に賭けてみます。できるだけお互いに誤解のないような言葉を使おうと思いますので、多少まどろっこしい言い回しになりますがお許しください。

    まず市さんのコメントの4行目と5行目です。

    >創価学会の信仰の事はよくしりませんが、
    >全ての信仰に関して言えることは、祈る側だけの勝手になならないという事です。

    この2行の言葉がよく理解できませんでした。日本語としては間違っていないと思うのですが、意味がまるでわからないのです。いったいこの文章がどうしてわからないのだろうと自分なりに考えてみました。
    私なりに理解したのは、伝統的な解釈でのいわゆる「信仰」といわれるものに関しては、一貫してすべてに共通して言えることがあって、それが「祈る側だけの勝手にならない事」であるということのようにうけとりましたが間違いないでしょうか。そしてこのことは何か一般論としてあるのでしょうか。それとも市さんの個人的な見解でしょうか。ここは大切なところですからはっきりお答えいただきたいです。

    市さんのこの言葉からは、信仰というものは教義や宗派の違いはあっても基本的に同じであるという前提で言っているように聞こえるのですが、そう受け止めて間違いありませんか。それはそれで市さんのお考えであれば誰も否定はしません。ちなみに私は肯定できないといいますか、そんなこと誰がわかるんだろうと思うわけですが、ここではそれは問題にしていません。
    まず、私やここにコメントをいただいている創価学会員やかつて学会員だった方(以後ここでは「私たち」と省略させていただきます。)にとっては、他の宗教や宗教全般のことを話題にしているわけではなくて、こと創価学会の信仰は本来の伝統的な解釈としての信仰ではないとの実体験に基づいて発言していますので、市さんと考えが異なるのも当然だと思います。つまり市さんは創価学会の信仰も含めたあらゆる信仰と呼ばれるもの全体をひとつのものであるという前提で話をされている。ところが私たちが問題にしているのは、そうした一般的な信仰と呼ばれるものの枠から大きく逸脱していると感じる創価学会の「信仰」なるものに関して論じているわけです。論じる対象や前提が最初から違っているんです。
    にもかかわらず、市さんのコメントは最初の「こんにちは」のすぐあとで「みなさまは勘違いしていらっしゃる」と私たちを全否定することからはじまりました。つまり市さんは私たちとの論点がくい違っている事を無視した上で、私たちを「勘違い」と断じていらっしゃいます。すでにこの時点で対話拒否されていますので、誰も口をはさもうとしないわけです。市さんのようにまずはじめに私たちを否定するところから話を始める態度は、およそ対話とは言えないのではないでしょうか。いいですか、市さんはまず最初に自分の考えが正しくて、私たちは間違っていると断定された上で、話をされています。これは創価学会の考え方とほぼ同じように思えますが、市さんは創価学会ではないのですね。さらに次の行では私たちに対して「ご自分を基準に物事を解釈されておられますね。」とおっしゃいました。どうでしょう、この市さんの一方的な否定の仕方こそが、ご自分を基準に物事を解釈されているように私には思えるのですがいかがでしょうか。 
    私は市さんの考えを否定はしません。まだ市さんの考えがよくわからないので肯定もできません。たとえば市さんが「私はこう考える」と言われれば、私は「そうですか、そう考えられるのですね。私はその点に関してはこのように考えますので、残念ながら同意はできません。でもお互いの考えですから、本来すべての考えを一致させることのほうが不自然ですよね」などと、不一致の一致といいますか、意見が違うにしても互いに認め合うところではじめてコミュニケーションが成立すると考えています。それが対話というものであり、生産的なコミュニケーションの方法ではないでしょうか。もし私が市さんのように、あなたに対して「あなたは間違っています。話にも何もなりません」と否定したら、あなたはどう思いますか?市さんは私たちの対話の場にやってきて、まさにそうした発言をしたのです。つまり最初から「あんたたちと話す気なんてない」と言いにきたようなものです。このことに関してどう思われますか?
    さらに市さんは「創価学会の信仰の事はよくしりませんが、」と前置きをしておられます。少なくともこのブログで創価学会について発言されている方は何十年と創価学会の活動を実践されてきた方ばかりです。何十年という実体験が裏付けとしてあっての発言に対して、「よく知りませんが」という前置きをしながら「みなさまは勘違いしていらっしゃる」と言われるのは、私たちの実体験を覆すことができるだけの根拠があってのことなのだろうと思いますので、その根拠をお話ししていただければありがたいです。
    市さん、あなたは何のためにここにコメントを書いたのでしょうか?私たちを否定して優越感を持ちたいからですか?単に暇つぶしで一方的に言い放ちに来たのでしょうか?私たちはそんな暇ではないのです。生まれたときから創価学会員であったことによって自分の人生を失ったことの気持ちの整理をしながら、これ以上私たちのように苦しむ人を増やしたくないという思いで必死で対話を重ねています。ですから、真剣に人生を考えている方が集まる場所に、理論にもなにもなっていない無益な書き込みをするのは今後やめていただきたいのです。私たちがあなたに何か嫌がらせでもしたでしょうか?どうか私たちの自分自身の人生を取り戻す邪魔をしないでください。よろしくお願いします。

    1行目の「こんにちは」はさておき、2行目から5行目までのたった4行の市さんのコメントに、すでにこれだけの疑問が出てきました。私としては6行目からも同じようにわからないことばかりで、質問を最後の行までしていくと何日かかるかわかりませんので、とりあえずここでやめておきます。

    できましたら一般の方が理解できるような言葉で回答いただけませんでしょうか。よろしくお願いします。回答する気がなければ、「ない」とだけでも返事をください。でなければ私はいつまでも待っておかなければなりません。

  23. 今田様
    アレックス様

    私の、わがままな質問に対して応えてくださり、本当に、ありがとうございます。
    お二方は、現役創価学会員でしょうか?
    文面から、祈りに対する確信が、おありのよう空気が感じられます。

    別の方々の、反応が知りたいのですが、いかがですか?
    特に、既に脱会された方々、未活動の方々。

    管理人さん。
    私のわがままな質問で、この場をお借りしてしまい、申し訳ございません…。

  24. 涼風さん、いつもコメント拝見しています。
    私は40代非活婦人ですが、青春時代からヤングミセスまでを学会活動と先生に捧げてきたので 涼風さんの気持ちが手に取る様にわかりました。幹部の指導という名の罵声も受けました。

    さて本題ですが、祈りというと正直わからなくなってきています。
    活動していた頃は何時間も題目をあげていました。
    非活になった今は 自分自身との対話、瞑想というと大袈裟ですが、潜在意識にネガティブな感情を入れない様にしています。
    祈りとは何か対象があってだと漠然と思います。それは御本尊なのか神なのか、人それぞれですが皆さんと同じように言える事は「信じる」 という事なのでしょうか。

  25. 涼風さん、おはようございます。
    >お二方は、現役創価学会員でしょうか?

    すでに脱会届出は出していますが、たまに学会の人が来ることから受理されていない様です。
    心は一般人ですが、学会員の籍はそのままにされている様に思います。
    ご本尊はあります。日蓮正宗の日達上人様の本尊です。自宅に安置しています。
    これは、一般人に見られる神棚と同じ感覚です。

    学会から離れて随分と長く経ちます。もう20年になるでしょうか?
    勤行も唱題もしていません。
    ですから、現在の学会の現状は良く知りません。
    たまたま、知り合いが学会員で事件を起こし、テレビ報道がきっかけでどうなっているのか?と言う事で、学会関係のブログを拝見する様になりました。
    そして、皆様の悩みがいかに深いか?驚いています。

    >文面から、祈りに対する確信が、おありのよう空気が感じられます。
    ジョージ・アダムスキーの生命の科学とか、宇宙哲学とか、そう言ったグループに教えられました。
    実にシンプルな言葉で原点への回帰です。

    2000年前とか700年前とか?昔の精神指導者を拠り所とすれば、解釈に色々と違いで出て悪用される恐れもありますね。
    これだけ、科学の進歩に伴い無理が出てきますね。
    この様な訳ですので、科学が進歩した現在に合った新しい本物の精神指導者の出現(科学の造詣が深いことが条件)が望まれます。

    涼風さん、これでよろしいでしょうか?

  26. aiさんという方のコメントおっしゃる通りだと私は思います。
    脱会してからが本当に大変でした。
    私はやっと10年かけて解放されて来ていると実感している毎日でございます。

    それと涼風さんの祈りについてのご質問ですが、・・・・

    私は祈りとはその人の強い思い=祈りと思っています。

    この日本が平和であってほしい、家族のものが健康で暮らせますように、自分の人生はこのようになりたいだとか、個々の強い強い想い、祈りが波動となって毎日の暮らしていく姿勢がまずかわり、自分の周りの環境を変え、物の捉え方もちがってきます。

    人間の一人一人の命がけの強い強い想い、祈りが大自然の環境も変え、どんな環境も変えていけるのではと思います。

    でもそこ迄行くのは並大抵のことではないですね。時には挫折したりの繰り返しです。

    祈りってもっともっと深くってただ簡単に祈っていけばいいということではないと思います。

    自分の心と対話、向き合うことだと思います。

    人間は誰であろうと、気がつごうか?気が付かないとか関係なく祈りながら生きているのではないでしょうか?

    ただ人間の根本にある祈りというものを利用されてはならないと思います。

  27. みなさんおはようございます

    ai さん教えてください結界とは何なんですか、よろしく

  28. ゆうべは涼風さんが意義深い提案をされているなかで、私も「祈り」についてあれこれ考えていたのですが、そこにまたも「荒らし」がやってきて暴れてしまいましたので、その対応に気持ちを削がれてしまいました。それで思ったことは、荒らしは徹底的に相手にしないのがいちばんだなと思いました。ちょっとでも相手にすると面白がるか、または逆上するかで手に負えない醜態をさらします。学会員のふりをして面白がって荒らしているのか、ほんとうに学会員がこのブログをやめさせようとしての荒らしなのかはわかりません。もしほんとうに学会員だとしたら、学会の異常さを一般にアピールすることにしかならないのですから、ふつうなら考えられないのですが、教学のことも話をしていましたので、頭のおかしな学会員なのかもしれません。それで私はみなさんにこういう輩には一言たりとも相手にしないでくださいと呼びかけました。真夜中ということもあり、みなさん見事に無視してくださいました(笑)。荒らしの書き込みはすべて削除しました。今後もこのようなことがあったときには、同様に徹底的に無視してください。私も見つけ次第削除します。よろしくお願いします。

    それから市さんという方に関して、私は長々と質問をしています。もちろん市さんのコメントを荒らしだとは思っていません。ただこのブログで対話を望むような態度ではないと思いましたので、そのあたりのことを書かせていただきました。荒らしに頭に来ている最中だったので(笑)、ちょっと遠慮なく書いた部分もありますが、上から5行だけでも、これだけ長い文になってしまいました。全部で16行のコメントですが、すべてについて書いていると1冊の本ができるくらいです(笑)。「信仰とはギブアンドテイク」この1行だけでも頭がクラクラするくらい長い文章を書いて説明しなければ対話につながっていきそうにありません。ですからそれ以前に最初のあたりでジャブ的に(笑)市さんがどこまで自分の言葉に責任を持って書かれているのか確認をしたかったのです。もし市さんが本気でここで対話をしたいと考えられているのであれば、私の質問に答えてくれるだろうし、そこまで考えられていないのであれば、もう書き込みはしてこないでしょう。ここまではっきり言われた上で市さんがどこまで言ってくるのかわかりませんが、私としては少しでも対話につながる可能性があるのであれば、きちんと対応していきたいと考えています。私は真剣にここにコメントをしてくださる多くの方たちのためにも、管理者として快適な場所を提供していきたいと思っています。
     
    涼風さん、おはようございます。祈りについてですが、まず創価学会とは切り離して考えた方が良さそうに思います。これは信仰全般についても言える事だと思いますが、宗教に限らず、人間の精神活動を考えるなかで、創価学会のことを同じレベルで比較するとわけがわからなくなります。祈りとはとりわけ人間の崇高な精神作用だと思いますし、とても大きなテーマだと思います。祈りとは宗教がこの世に生まれる前から存在していました。親が我が子の健康を思うのも祈りですし、作物の豊穣を願うのも祈りです。震災で大変な思いをされている方に、どうか元気を出してくださいと願うのも祈りです。一方、創価学会は何を祈っているのか。「新聞啓蒙ができますように」とか「Fがたくさんとれますように」とか「宗門は地獄に堕ちますように」とか「財務が百倍になって帰ってきますように」という創価学会員の祈りは呪いと呼んだ方がしっくりきます(笑)。これは冗談のようで冗談ではないですから恐ろしい。祈りという尊いことばひとつとっても創価学会の世界ではとんでもないことに変換されてしまいます。ですからまったく別の世界のものとして考えなければならないと思っています。
    私ももう少し自分の考えをまとめてからお話しさせていただこうと思っています。

  29. みなさま、こんにちは。
    昨日は「里芋(ら)」が大変にお騒がせいたしました(笑)
    今も「もも(ら)」の傍らで、資料作成に勤しんでおります。
    黙々と作業を続けるその姿はとても微笑ましいです(笑)
    「里芋(ら)」がまとめた資料は整理がつき次第、
    希望様のブログを皮切りに順次公表させて頂きます。
    創価学会の呆れた「欺瞞体質」を如実にさらけ出す「出来事」を
    広くみなさまに周知させていただきます。

    今田利次郎さまへ

    はじめまして、私たちは「もも(ら)」は地域限定ではありますが
    創価学会と云う団体を適切に批判、監視している「覚悟を決めた方たちの集団」です。
    行動と目的ゆえに、その報復として(爆笑)創価学会の広宣部や創価班、青年部、壮年部
    狂信的な婦人部、果ては福子にまで「行動監視」され、付きまとわれ、まとわりつかれると云う
    想像を絶する「嫌がらせのオンパレード」を受けております(大爆笑)
    (このあたりのお話は、またいずれ・・・)
    さて、今田様は「創価学会は詐欺団体(集団)」と云う「比喩」「例え」に反応されたようですが
    それでは「欺瞞体質の団体(集団)」ではいかがでしょうか?

    「欺瞞(ぎまん)」→あざむくこと。だますこと。「欺瞞に満ちた言動」「国民を欺瞞する」

    その昔、公明党の某国会議員が頻繁に「国民を欺瞞する言動だ」とか言っていましたよね(笑)

    ★「池田大作氏の欺瞞に満ちた言動」・「創価学会員を欺瞞する」★

    あれ?ほんとぴったり、バッチリ、スッキリ、ぴったんこ!(爆笑)

    続いて今田様は、
    黒川和生氏(HNれいな)の裁判と判決内容をコメントしていましたが
    このブログを見ている現役の創価学会さんが
    誤解したままだと、後々、面倒なので記しておきます。

    「日顕宗」と云う表記、表現は創価学会の中でしか使用されず
    世間一般では通用しない「創価学会用語」のひとつですよね(笑)
    わたしたちも判決文の原文を読みましたが
    「日顕宗」なんて表記はどこにもありませんよ。
    「日蓮正宗」と云う表記はありましたけど・・・。
    今田様は創価学会側が聖教新聞等々の限定された媒体で限られたMC会員に向け
    一方的に流す情報、「用語」「単語」を不特定多数の方たちが訪問する
    このブログにおいて「使用」してしまいました・・・。
    しかも「いかにも」判決文に「日顕宗」と表記されていると「大衆・民衆」(爆笑)が
    誤解してしまう文体でコメントをされています。
    そこには「何らかの」「意図」「思惑」があるように思われますが、いかがでしょうか?

    シニフィエ様や涼風様に対し「創価学会は詐欺団体(集団)」と云う表現の
    削除を求める「心意気」があるならば、
    ますば、ご自身のコメントから「日顕宗」と云う表現を削除してくださいと
    要求するのが「大人の立ち振る舞い」だと思いますが、いかがでしょうか?
    もしくは再送にて、訂正します「日顕宗」→「日蓮正宗」と
    コメントするべきだと考えますが、いかがでしょうか?

    一方的な「宗門VS学会」の裁判判決がコメントされたので
    おそらくこのブログに訪問されている創価学会員さんも
    知らない方が多いだろうと思われる「判決」を連投にて
    ご紹介します。

    追伸

    今田様へ
    「名誉毀損」になりますよと断言されていますが
    この件に関して名誉毀損が成立する要件を
    具体的にご指導いただければと思います。
    お待ちしております。

    あ、ごめん、ごめん、わかったから、わかったから、
    「里芋(ら)」が
    「せっかく入れたコーヒーが冷めるでしょ!早く飲んで、飲んで」と
    騒いでいるので、軽めのランチ食べてからコメントを投稿させていただきます。
    (情緒が中学生なので困ります(笑)

    文責「もも(ら)」

  30. はじめまして、そらといいます。
    私自身学会員ではありませんので外部の人間という表現が合っているのでしょうか。

    シニフィエさんをはじめ、こちらのブログに投稿されておられます皆さんのお考え方に触れ、勇気を頂き励まされているような心境です。一時期、荒らしが続いていたときは、(どうかせっかく知り得たブログをダメにしないで・・・)と願わずにはいられませんでした。
    詳しいことはお話しできないのですが、私も学会によって自分の人生が大きく動かされたものの一人です。ここを知り、自分の中に一筋の光が見えかけたような気がしています。

    今ももがき苦しんでいますが、このブログの存在がどんなに私を後押ししてくれているか・・・

    皆さんのように自分の意見をここでお話しできるほどの文章力もありませんので、今後も拝見させてもらうのみではあると思いますが、これからも誹謗中傷ではなく健全な対話のあれる場としてこちらが続いていきますことを願っています。

  31. すいません、連投します。
    その前に先のコメントに訂正があります。

    (誤)黒川和生氏→(正)黒川和雄氏でした。
    失礼いたしました。

    今田利次郎様といまだにMCから脱却できない創価学会員様へ
    次のような「謝罪文」を紹介します。
    (妙観講HP・フォーラム21 2011・7月号・瀬戸弘幸氏ブログ・日本よ何処へより抜粋)

    この「謝罪文」を掲載したのは「ゴルゴとマリア」と称するインターネットのホームページサイドである。

    「ゴルゴとマリア」のホームページ閉鎖について
    当ホームページにおいて、作者不肖の「勝ち鬨」、「フェイク」をそのまま流用して、
    宗教法人日蓮正宗の信徒団体である妙観講の講頭・大草一男氏にあたかも女性スキャンダルがあり、
    また反社会的な活動や破廉恥な行為を行っているかのような情報を掲載し、大草氏の名誉を著しく毀損しました。
    当ホームページにおいて、虚偽の事実もしくは何の裏づけもとれていない事柄を掲載したことにつき、大草氏をはじめとする
    関係者に対して深く謝罪するとともに、当ホームページを閉鎖し、今後は大草氏や妙観講の名誉を毀損するような情報を
    公開しないことを確約いたします」

    「謝罪文」を掲載し閉鎖された「ゴルゴとマリア」と称するホームページサイトには、
    閉鎖直前「ゴルゴとマリア」のウエブサイトへようこそ!/当サイトゴルゴとマリアは、日顕宗の悪を撃つ
    「地涌」「勝ち鬨」「同盟通信」「新改革通信」「フェイク」等、さらに有志が個人的に作成している各種文書を集積しています。
    サーバーの維持費は管理人(モンキー)のポケットマネーから捻出しており、私の命ある限り、このサイトは存続します。
    いつの日か相承する時がくるかもしれません。合掌」との一文が掲載されていたが、ここにある「日顕宗」との表記は、
    創価学会が日蓮正宗を誹謗する時に使用する常套句。
    要するに「ゴルゴとマリア」と称するサイトは、日蓮正宗とその関係者を攻撃することを主目的とするサイトであり、
    妙観講が日蓮正宗の法華講(信徒団体)の中で、もっとも激しく創価学会を批判していることから、妙観講ならびに
    同講の大草一男講頭を誹謗・中傷する「勝ち鬨」「フェイク」などの怪文書を貼り付けていたということのようだ。
    しかし「勝ち鬨」「フェイク」などに掲載された女性スキャンダルがあるかのような記述や、妙観講が反社会的活動を
    行っているかのような記述については、別件の名誉毀損に基づく損害賠償請求訴訟において、悪質な名誉毀損であることが
    認定されていたことから、大草氏ならびに妙観講は、名誉毀損記事を垂れ流す「ゴルゴとマリア」の運営管理者を、
    プロバイダーに情報開示を迫るなどの法的措置を講じるなどして特定。昨平成22年12月、名誉毀損に基づく
    損害賠償の支払いと謝罪文の掲載、そしてサイトの閉鎖を求めて訴訟を東京地裁に提訴していた。
    日蓮正宗関係者によると「モンキー」るハンドルネームを用いて素性を隠し、大草氏や妙観講を誹謗中傷する怪文書を
    垂れ流していた人物は

    創価学会の総区幹部で未来部長や創価班委員長を務めるバリバリの現役幹部だったという。

    まさか身元を特定されるとは思わなかったのであろうが、被告となったサイト管理者の男子幹部は、怪文書の
    内容が名誉毀損にあたると認定されていることもあって抗弁を断念。

    代理人の創価大学OBの学会弁護士を通じて、早々に原告の大草氏・妙観講側に、謝罪文を掲載して
    サイトを閉鎖するとともに、解決金を支払うことで和解の申し入れ行い、6月下旬、和解成立とともにサイトを閉鎖する旨を
    記述した謝罪文が掲載された。
    この「ゴルゴとマリア」については、怪文書の収集能力が個人の域を超えていることや、全国の創価学会組織において
    幹部が日蓮正宗攻撃のために利用するよう宣伝するなどしていたとの情報もあり、創価学会組織の関与が推認されるが、
    今回の和解措置によって、少なくとも

    創価学会男子部の現役幹部が「ネット上に悪質で、卑劣で陰湿なデマを流して」いたことは明白になった。

    長文メールにお付き合いいただき、ありがとうごさいました。

    一方的な情報の発信に慣れてしまうと「真実を見抜く目」が「退化」します。
    自分の「目」で見て、自分の「耳」で聞いて、「心」に感じたことに、正直に向き合ってください。

    私たち「もも(ら)」は「日蓮正宗」の信徒ではないのですが、
    今田様のコメントには些か「違和感」を覚えましたので
    あえて、長々と紹介させて頂きました。

    聖教新聞等で絶対に掲載されない創価学会敗訴の裁判判決例を
    今後も紹介していきたいと考えています。

    文責「もも(ら)」

  32. はじめまして、ほとけといいます。

    シニフィエさんのMCがとけた直接の原因とは何でしょうか。
    何がきっかけだったかぜひ教えてください。

  33. シニフィエさんこんにちは。太平洋側では少し寒が緩んでいます。寒い朝は出勤がつらいですね。
    WARDPRESにトップ表示されたとのことおめでとうございます。

    さて、信仰とMCについて私の現在の考え方をコメントしたいと思います。私の活動歴は35年くらいでしょうか。長い割にはそれほど良いこともなく月日をいたずらに過ごしたようです。逆に悪いことの思い出の方が脳裏から離れず今でも、悔恨の情に苛むことがあります。

    そして近年あることがきっかで活動を停止、あるいは廃止しました。脱会しても構わないのですが、親戚等の対応がおっくうで現在、籍を置いてる状態ですかね。

    私が、学会に大きな不審を抱いたのは、日顕法主の芸者写真捏造裁判を知ったときです。あれほど日顕法主をいたぶっておきながら、その根拠が捏造された芸者写真だったのですね。あいた口が塞がらないとはこのことです。
    当然、裁判は学会側の敗訴になりました。当時、このことを学会員の誰も知りませんでした。

    まず言っておきたいのは、そのような不法行為を公然とやっていながら、学会を辞めると罰が出るのでしょうか。たった今人を殺しておいて、その血の付いたナイフを懐に仕舞って大勢の人に慈悲を説いているのと同じ本質があると思いませんか?

    たった一つ例を挙げても、その行為の狡猾さと、非人間性がはっきりと見えてきます。再度言います。そのような学会を辞めてどのような罰があるのでしょうか。

    もう一つ、信仰についてですね。私は、活動を止めても題目は上げ続けています。女房も一緒です。おかげでこの数年様々な難関を乗り越えた確信があります。
    はっきり言いたいことは、学会と御本尊とは全く別物であると言うことですね。これが私の見解です。
    700年来日蓮正宗のご本尊が変わったことはありません。変わったのはそれを受け保つ側の学会が変わったのです。だからこそ、現在人が離れているのではないでしょうか。

    ただ私は、ご本尊が正しいとか、他の人に無理強いしようなどと思いません。人は自分に合うものを受け入れていけば良いのではないでしょうか。

    私は、日蓮仏法は未完成ではないかと思うことがあります。法の流布のあり方と人間組織のあり方がいまいち曖昧で大雑把な印象を受けます。だから、昭和、平成の時代に利用されたのではないか。また、昭和初期の2.26事件も大半の青年将校が日蓮宗であったと言うことも無視できません。

    長々とコメントしましたが要は学会を止めても罰など出ませんと言うことです。と私は思います。

  34. もも(ら)さん
    私も今田さんのコメント見たときから、あれっ、う~んという気持ちでした。もも(ら)さんのこのコメント入るまでズット違和感もつてました。自分には余りコメント力ないので出来なかったのですが、確かなコメント有難うございます
    少し気持が軽くなりました。

  35.  「創価学会のような詐欺団体」という表記は、名誉棄損にはならないと思います。著作権侵害とは、全く
    別の問題です。

     万が一にでも、創価学会本部が「名誉棄損」で提訴したら、堂々と受けて立てば良いのです。それだけ
    のことです。

     その時には、創価学会本部の脅迫に屈しない優秀な弁護士の方々をご紹介します。

  36.  失礼しました。変換ミスでした。名誉「棄損」は、名誉「毀損」の間違いでした。

  37. .>涼風さん、こんにちは!

     信仰について何たるかも知らない私が言うのも、おこがましいですが
    私の考えは2/3 14:37のコメントの最後の6行に書いています。
    人間として生まれたからには、「祈る」という神聖な行為は別に特定の団体に
    入っていなくても、自然に湧きあがるものだと思います。

     とにかく創価学会の上層部というものは、人間の「欲」や「願望」、「恐怖心」や「疎外感」
    と言った深層心理に深く入り込み、人心掌握術に長けたプロの集団と言っていいでしょう。

     彼らは洗脳に使えると思えば、何でも利用します。
    大阪事件、月刊ペン事件、シアトル事件、C作戦における学会に有利な点については
    聖教新聞紙上等で大々的に誇張しても、少しでも不利な点、一般学会員に知られたくない事は
    徹底的に隠蔽します。
    学会幹部の死は聖教新聞では伝えられませんし、彼らの葬儀は友人葬では決して行わない事
    僧侶が読経する事、戒名まである事まで一般学会員は知らないでしょう。

     シニフィエさんが、創価学会が一番正しい、他は邪教、学会員は幸せで他は不幸であると教えられた
    とコメントされました。この教えは、そっくりそのまま現在の北朝鮮と同じ思想だという事です。

     涼風さんには学会員だから祈る、のではなく一人の立派な人格の人間として信じていけると思った
    事を祈ってほしいです。

     

  38. 民事で言う名誉毀損にはあたらないのかなと、私も思います。
    損害賠償を求める場合、その発言行動によって明らかな損害をこうむったことを証明する必要があります。
    周知の事実・イメージであれば、今さら損害など出ませんからね。

    刑事罰の場合は、事実であれば免責されるという原則があったと記憶しています。

    日本での著作権は創作時に自動的に発生する物ですので、わかりやすく訴えやすいというのがあります。
    肖像権の侵害もそうですね。

    失礼しました。趣味程度の勉強での、うろ覚えです。合ってるかどうかはお調べくださいね。

    ただ、好戦的と取られかねない言い方ではあるかなと思います。
    慎重にいきましょう。

  39. 祈りとは、太陽の光のようなただただ地上に言葉もなく思考もなく降りそそぐものが唯一素晴らしいものだと感じるようになりました。

    たとえば、思うようにならない反抗期の心配な子供がいたとしたら、ただその子の本来の姿を信頼しぬき共に居るだけでいい。
    病気の家族もそう。
    人間の勝手なエゴや思考で、どうこうしようと思わない。
    陽の光が、ただただ降りそそぐように共に居るだけでいい。

    結界についてですが、ある意味、風水の氣の流れですね。
    創価学会の方々の想念のエネルギーは異常で、それを防ぐために氣の流れを変えようと思うに至っています。
    陰陽師の世界とまでは言いませんが、この世には目に見えない世界があるのも事実です。
    ちなみに、これは宗教とは違うと思うのですが

    わたしは、ちょっとこことは場違いなコメントをしているようですが、もしわたしの書いてあることが変だと思われる方がいたとしたら、こう思ってください。
    わたしaiは、ただ、創価学会の被害者なのだと。
    たとえば、ここに来られるアラシの方もある意味そうです。
    管理人のsinifieさん含め、皆さんこころに深い傷を負っているのです。
    だから、みんなあまり大差ないように想います。

  40. 希望さんのおっしゃる通り、名誉毀損にはならないと思います。専門的なことは分かりませんが。
    弁護次第では、白が黒に、黒が白になりそうでもあります。

    創価学会は外への攻撃はすごいものがあります。
    大声で正義とやらを叫んでいる割には、自分たちに不都合な点があると、
    とたんに静かになり、黙ってしまいます。

    重要な内容の書かれたものを、勝手に転送していいものでしょうか?
    法律以前に、人間としての品格のないことを平気でしますし。

    こちらが指名した人物あてに出したメールを、何の返事もよこさず、
    数名の人宛にかってに転送し、責任逃れをして隠れて逃げます。
    裁判のときに”私は知らなかった”というために。

  41. あおみゆさんへのお返事を、どう書けばいいかと考えていました。

    私の両親は、もともと宗教に嵌りやすいと言われる依存心や依頼心の強い人たちです。
    私には兄弟がおりますが、同じタイプです。
    兄弟が問題を抱えた時、兄弟は両親に、両親は私に助けを求めます。
    私は昔から誰かに頼ったり助けを求めるのが苦手で、自分で何とかしようとする性格です。
    独身の頃まではイライラしつつも、家族の後始末をしていました。

    それでも、両親は私の考えは間違っていると否定します。
    私だけが、家族の中で真面目に素直に信心していないからです。学会の疑問をぶつける私が、煙たかったんでしょう。
    それでも、私に頼ろうとします。そして私が問題を片付けたら「私(父母)が祈っていたおかげ」と言います。
    この矛盾に、私は押し潰されそうになっていました。自分の家族を持つまでは。

    高校の頃、毎日死ぬことばかりを考えていました。この得体の知れない生き辛さは何なのか。
    親に相談したところで「お題目しかない。業が深いんだ。」言われることは分かっていました。
    だから、相談なんて出来るわけがなかった。さらに追い詰められることが分かっていたからです。

    私は、出産時一人目も二人目も実家に帰りませんでした。呼ぶこともせず、旦那と何とか乗り切りました。
    親に借りを作るのが嫌でした。そもそも、そういう親子は親子と言いませんよね。

    初めて「学会から離れたい」と親に言った時、私は二人目を妊娠中でした。
    「信心がおかしくなってるんじゃないの!!!組織にキチンと付かないからそうなるの!!
    丈夫な子を産みたくないの?!あー子供がかわいそう!!!罰が当たるよ!!!」
    こうまくし立てられ、聞く耳など持ち合わせてないのは明らかでした。
    罰が当たったとしたら、あんたの子供に生まれてきたことだよと、本気で思いました。

    考えてみると私の家族は、話し合ったり、お互いの疑問を解決したり、そういうことを全くしてこなかったと気付きました。
    もともとの信頼関係が、全く築けてなかったんです。これは、家庭の問題ですから親の責任だと思います。
    私は全く親を信用していないんですね。だから、こうなってしまったんだと。

  42. ももさん「やめとけ、やめとけ、シニフィエさんのブログは創価学会犯罪史じゃあないんだから」

    里芋(ら)さん「駄目よ、こんな重大な事件を起こしたのが創価学会員だってこと知らないひとが多いから教えてあげなきゃ」

    ももさん「わかったから、また別の機会にしよう、今日は相当なボリュームのコメントを投稿したんだから、もういいよ」

    里芋(ら)さん「でもさ、これほどの事件を起こしたのが創価学会員だってことをみんなに知らせることも必要だとおもわないの?」

    ももさん「うん、その通りだよ。でもね、今日はもうやめておこうよ、しつこいのは駄目だよ、誤解されるからさ」

    里芋さん(ら)「うん、わかった・・・」

    ももさん曰く「ほんと、情緒が中学生で困ります」※里芋(ら)さんは全員、女性であり、妻であり、母親なんですが(笑)

    閑話休題・・・

    きっかけは、本日の読売新聞朝刊の25面文化欄の特集記事。
    昭和38年に起きた幼児誘拐事件「吉展ちゃん誘かい事件」を読んだ
    里芋(ら)さんが「子を持つ母親として絶対に許せないわ」と、「雄たけび(笑)」をあげたことに始まります。

    この事件の犯人「小原保」が創価学会員であったことは
    あまり知られていないようです。もっとも当時は日蓮正宗創価学会でしたから
    現在の創価学会とは些か趣が異なる信者であったと推測されますが・・・。

    久しぶりに「ももさん」宅にて集まり、ここ最近の、吉報続きの「祝杯」をあげる為に
    「ももさん」と「里芋(ら)」さんが、買出しに出かけている間に
    「もも(ら)」がコメントを投稿してしまいました(爆笑)

    ももさん、里芋(ら)さん、ごめんなさい(爆笑)

    文責「もも(ら)」

  43. 北斗七星さん、今晩わ
    はじめまして
    時の日達上人様が創価学会を破門された時点で、創価学会は日蓮正宗に認められない団体になったのだと思いました。
    この時点で私は少しずつ学会から離れていったと思います。
    と言うのも、学会に入会した目的は仏教について色々と知りたいと言う事でした。
    ですから、破門されると言うのはそれなりの意味をもつものでした。

    >私が、学会に大きな不審を抱いたのは、日顕法主の芸者写真捏造裁判を知ったときです。あれほど日顕法主をいたぶっておきながら、その根拠が捏造された芸者写真だったのですね。あいた口が塞がらないとはこのことです。

    はい、私もそれも学会との決別に至った理由の一つでした。

    >はっきり言いたいことは、学会と御本尊とは全く別物であると言うことですね。これが私の見解です。
    700年来日蓮正宗のご本尊が変わったことはありません。変わったのはそれを受け保つ側の学会が変わったのです。だからこそ、現在人が離れているのではないでしょうか。

    はい、私もそう思いますし、その通りです。

    >ただ私は、ご本尊が正しいとか、他の人に無理強いしようなどと思いません。人は自分に合うものを受け入れていけば良いのではないでしょうか。
    私も同じ考えです。

    >私は、日蓮仏法は未完成ではないかと思うことがあります。法の流布のあり方と人間組織のあり方がいまいち曖昧で大雑把な印象を受けます。
    はい、その通りです。
    日蓮さんについて、人間ではない存在にコンタクトし質問した事があります。
    当時は、科学が発達していない鎌倉時代ですからそう言った背景があり、当時の人々に合わせる必要があった為、結構方便を多用された様です。
    方便として強い口調での脅かしもあった様です。
    例えば、「悪いことしたら地獄に落ちるぞ」みたいなものです。
    当時は効果があったのでしょうが、現在ではネガティブに作用する場合もあります。
    それに似た様な事が学会にも散見されると言う事でしょうか?

    対象についてもしかりです。
    科学的見地から言えば本尊は必要ないのですが、当時は色々な仏教の宗派が乱立しました。
    当時の大衆は、素人から見ればどれが正しいのかも?も分からない。まして、知識もありやしません。
    日蓮さんの偉大なところは、言葉のジャングルであった仏教に7文字の南無妙法蓮華経を打ちたてシンプルにした事でした。
    これを心穏やかに唱えるだけでも気持ちが良いものです。

    しかし、これだけでは大衆は目に見える形がないのも等しく、目に見える形での本尊が必要でした。
    そこで、曼荼羅の真ん中に「南無妙法蓮華経」を位置づけました。
    これによって、素人には必要な?目に見える形のものが出来上がりましたが、それも方便です。

    ですから本来宗教は必要ないのですが、宗教としての位置づけがある限り未完成だと思います。
    完成すれば、それは色々な事が統合されると言う事を意味しますので宗教ではなくなるからなのです。

    aiさん、はじめまして、
    >結界についてですが、ある意味、風水の氣の流れですね。
    創価学会の方々の想念のエネルギーは異常で、それを防ぐために氣の流れを変えようと思うに至っています。
    陰陽師の世界とまでは言いませんが、この世には目に見えない世界があるのも事実です。
    ちなみに、これは宗教とは違うと思うのですが

    そうですねえ。
    この世には目に見えない世界があるのもその通りです。
    確かに学会員の想念のエネルギーは異常ですねえ。
    自意識が過剰この上なく、まして、題目をあげれば増幅されますので「君子危うきに近寄らず」に徹するしかないのかも?

    >祈りとは、太陽の光のようなただただ地上に言葉もなく思考もなく降りそそぐものが唯一素晴らしいものだと感じるようになりました。

    それ、良いですねえ。^^

  44. 北斗七星さん、アレクスさん。
    破門された創価学会が駄目になったのであれば
    現存する日蓮正宗は正しいのでしょうか。
    もし創価学会が日蓮正宗創価学会のままであれば
    お二人は活動を続けていたでしょうか。

  45. ほとけさん、今晩わ
    質問されましたのでお答えさせて頂きます。
    >破門された創価学会が駄目になったのであれば現存する日蓮正宗は正しいのでしょうか。

    はい、正しいと思います。
    ただし、相対的な意味にです。

    >もし創価学会が日蓮正宗創価学会のままであればお二人は活動を続けていたでしょうか。

    そうですねえ。
    人には、気持ちと言うものがありますので微妙ですねえ。
    今の私であれば、活動を続けていたかどうか?は自信がありません。
    と言うのも、学会とは別に精神世界の探求をしていましたので、学会とは関係なく心穏やかに題目をあげている時はすがすがしいものです。
    その時のエネルギー状態と言うのは、題目を上げている時だけしか維持出来ません。

    ですが、それ以外の方法で先ほどのエネルギー状態を年中無休で維持出来る方法が見つかったのです。
    起きていても寝ていても同じエネルギーですから、自覚がありません。
    ですから、日蓮正宗の題目によらなくても良い訳ですから、残るのは日蓮正宗の教義のみになります。
    その教義は、結構役に立つ部分も多いので参考程度に引用するのではないでしょうか?

    あくまでも、私個人の場合は?と言う事での前提です。^^

  46. ほとけさん、今晩は。ご質問に私なりの考えを述べさせていただきます。
    本山の宗務も人間の組織ですから様々な矛盾もあるでしょう。その責務は大ご本尊と教義を守ることです。少なくとも、本山としては最低限の責務は果たしてきたと言えるのではないでしょうか。
    もう一方の創価学会は、仏法を広宣流布して人類の救済を目的とする平和運動が主体の組織であったはずですよね。
    ところが、時代とともにその実態が大きく変貌してきたことは周知のことと思います。私は、自分の思いと相容れないことはその時点で止めるのが正常な人間の道と思います。

    話が少し論点から外れそうですので戻しますと、私が言った「創価学会とご本尊は別物」とは、
    ご本尊は悩む民衆に授けられたのであり、それは組織が云々することはできないのです。言ってしまえば、ご本尊はそれを信じる一個の人間の問題であると思うのです。

    続きはまた明日述べます。ちょっと遅くなりましたので。

  47. ほとけさん、はじめまして。そのHNどうにかなりませんか(笑)
    ま、いいですけど。
    私のMCが解けた直接の原因についてですね。
    じつは私にもよくわかりません。すみません。「これっ!」って言う決定的な出来事があれば分かりやすかったのですが、今思い出してみても、はっきりと指し示せるような出来事がないんです。ただ前にも何度か書きましたが、学会のおかしさを確認する意味で、活動家のブログにコメントをした結果、でたらめな反応しか返ってこなかった事が、大きく私の気持ちを決定づけたのは確かです。おそらくそれはMCが解けたのではなく、学会のおかしさについての確信が持てたといったほうが近いと思います。MCが解けはじめたと感じたのは、それからもう少し時間が経って、このブログを立ち上げた当初であったような気がします。
    もちろん学会がおかしいと思い始めたのは、もっともっと前のことです。う〜ん、いま過去のことを思い返してみて頭に浮かぶのは、中等部のときです。そうですね、すでに中学生のときから違和感を感じていたようです。それは今から約40年前の富士大石寺。正本堂ができたばかりで、当時建物は完成していましたが周辺の植栽は全く整備されていませんでした。そこで全国中等部夏期講習会なるものに参加をしました。行き帰りの交通手段の中ではずっと学会歌を歌い続け、交代で指揮をとりあい、すでにそこからトランス状態が始まっていたようにも思います。新世紀の歌、東洋広布の歌、威風堂々の歌(別名:濁悪の歌)などなど、どう考えても軍歌にしか聞こえないトランスミュージックです。その夏期講習会のメインイベントが屋外で行われる予定の全国中等部総会。しかし台風接近とあって天候が危ぶまれていました。案の定「我々のお題目の力で中等部総会を大成功させよう!」と、総本山に到着するなり晴天祈願の大唱題会。上げましたよ(笑)。何時間上げたかわからないくらい、渾身の力をこめて上げました。今思えば当時いっしょに参加したメンバーが、のちの副会長、総県長、青年部長をはじめうちの地元の最高幹部になっています。そう言う意味では私はおちこぼれですね(笑)。当時は総房に宿泊し、正本堂に参拝、その後、体験発表、交流会、御書学習会(講師は当時の全国男子部長だった太田昭宏氏)などいろんな行事をこなし、晴れこそしなかったですがそこそこの曇り空の下、夕暮れの塔の原グラウンドに全国から集まった数千人か数万人かは知りませんが、全国中等部総会が行われました。そこに現れましたイケダセンセイ。それだけでものすごい熱狂でした。みんな「センセイ〜センセイ〜!」と泣き叫んでいました。私の2・3メートル先にそのイケダセンセイが近づいてきました。そう、まわりはイケダコールなどと生易しいものではなく、絶叫と感涙の嵐です。私の横にいた地元部員を見ると、やはり涙をぼろぼろ流しながら、声が枯れるのもかまわず「センセイ〜!」の絶叫を繰り返してました。私はというと、完全に冷めていました(笑)。「なんで会った事もない大人にこれだけ陶酔できるんだ」と、そうとうな違和感をおぼえたのを今でもはっきり記憶しています。ここまで冷めていても、その後何十年もMCが解けなかったのですから、ある意味私はそうとうなおバカさんだったんですね。あのときMCが解けていれば、私の人生も…
    次に私が創価学会に違和感を感じたのは、その総会から7年ほど経った学生部の頃だったと思います。その当時、毎晩学生部の先輩のアパートに集まっては離散し、新入生の下宿を片っ端からアポなし訪問しての仏法対話と折伏の連続。仏法対話といえば聞こえはいいけど、地方からでてきたばかりの孤独で不安な新入生に対して、どかどかと勝手に部屋に上がり込んで「仏法とは…信仰とは…」とわけのわからないことをまくしたてて、そのままご本尊送りをする。いわば相手の弱みに付け込んだ押し込み強盗のよなことを毎晩繰り返していました。これって当時の極左といわれた学生運動家よりも過激なことをやっていたような気がします。たち悪すぎです。そしてまた集まっては唱題と人間革命の歌の大合唱。私は何が嫌かって、この人間革命の歌を狭いアパートの一室に集まって、みんなで正座して歌うのが死ぬほどいやだった(笑)。ふつうの神経ならいやですよね。こと学会の音楽センスに関しては心底最低最悪だと思っていました。ついでに創価班や牙城会のブレザー(吉本漫才かって間違えそう)も最悪ですが、今もかわらないですよね。だったらあれに金色のでっかい蝶ネクタイをしてほしい(笑)。話がそれましたね。こんな学生の集まり、気味悪くて当然です。学生運動でヘルメットとハンドマイク持って叫んでいた連中の方がまだまだずっと健全だと思います。そうそう、学生部時代は活動はしていましたが、この歌だけは勘弁してほしいというか、そうとうな違和感を感じていたことを思い出しました。
    その後私は就職し、男子部員として活動するようになりました。そのとき感じた違和感は財務です。高校卒業したばかりのとてもおとなしい新男子部員に、有り金全部を財務にさせた当時の地区の男子部長。そしてそれを拍手でたたえたメンバー。私一人がなっとくいきませんでしたが、有りはたいた本人の意思であるならしかたがないと自分に言い聞かせていましたが、それは今でもずっと心に残っています。
    あとは、選挙かな。選挙について話をすると私の素性がばれてしまいますのでやめときます。でも政治関係はとくに納得いかないことのオンパレードでした。今もそうです。
    それから結婚するときでした。相手はまったく学会をしらない家庭でしたが、私が結婚すると言ったとたん、幹部が相手の実家まで押しかけて信心の話をするんです。挙げ句の果ては結納までついてきて、あれやこれやとおせっかい。今思えば彼らは本流(外部の方は知らないと思うので言いますが、本流(ほんる)とは御本尊流布の略で、つまり学会員の数を増やすってことです)の数が欲しかっただけなんですね。彼らは妻がご本尊送りをしたあとは知らん顔でした。
    その後は、もういくらでもあります。地元の婦人部長の横柄で日和見でご都合主義といったら怪物です(笑)。壮年部もほとんど人格破綻者です。ですから彼らの言動によって学会に対する疑問は膨らむだけ膨らんでいきましたが、ご本尊に対する信仰という意味では、ほとんど揺らぐ事はありませんでした。今考えればということでしかありませんが、おそらくこのご本尊への信仰の確信が揺らがなかったせいで、ここまでMCが解けなかったんだろうと思われます。とにかく昔から組織の人間に対しては常に強烈な違和感があったし、反発こそしませんでしたが、軽蔑していました。あとはチベット問題や、公明党の問題や、世間一般に言われている創価学会の問題も、ことごとく「あ、やっぱりな」と言った感じでしたが、しかし勤行・唱題はびっくりするほど真面目にしていたし、教学も積極的に学んでしました。悩みが出てきたら即唱題。誰に言われなくともお題目で乗り切ることができる自分を信じていました。でもそれさえ間違っていたことに気づくのが、残念ながら本当に遅すぎたと思います。
    そうですね、ここまで書いてきてはじめて気づきました。私はとうの昔に学会を見放していたんだと。ただ信仰に関して疑わなかった。だからこの信仰にも疑問を持ち始めたつい2ヶ月ほど前、つまり勤行・唱題をぱったりとしなくなった瞬間が、私がMCから解き放たれた瞬間だったのかもしれません。しかしそれは自分のMCを自覚する始まりでしかなかったということです。
    ほとけさま(笑)、私に貴重なご質問をいただきありがとうございます。こうして自分で書きながら、なるほどこうだったんだということがわかりました。これからの私に必要なものは、確信の持てる信仰に出会うことだと思います。いやあ、かみさまほとけさまです(笑)。今後ともよろしくお願いします。

  48. バリ活31年非活1年の52歳の壮年部のYさんと申します。パソコンを打つのが苦手なので、見ているだけでしたが、どうしても聞きたくなったので質問させてください。創価学会の否定から、日蓮仏法までの否定までいってしまったお気持ちをもう少しお聞かせいただけないでしょうか?
     私は創価のMCから覚醒しましたが、成仏の法を説く日蓮仏法は否定しておらず、勤行唱題はしております。打つより皆さんと本音でお話できる座談会ができれば、遠い地域でも全国交流以上に喜んで参加いたします。

  49. ほとけさん、お早うございます。昨夜の続きです。

    私は、ご本尊は信じて題目を唱えれば、生命力が持続できるということを、この35年間で確信できたのです。また、それ以外に得たものはあまり記憶にありません。記憶と言うより生命に深く残ったものはありません。
    しかしそのことと日蓮正宗総体が正しいこととは違うと思っています。法主は三大秘法のご本尊をお守りすることが最大責務であり、またそのようにしてきたのではないでしょうか。ですから私はお寺に付いて活動をすることはありません。
    御金言に「日蓮を用いるとも悪しく敬わば国滅ぶべし」とあります。このご本尊はあくまでも苦しむ凡夫一人一人に個別に授けられるものであり、誰にも侵すことはできないと考えます。但し悪用する人には唯一干渉できるものではないでしょうか。

    その結果、創価学会は破門されたと思います。詳しくは他のネットでお調べ下さい。そう考えると創価学会と日蓮正宗が今でも僧俗一体と言う仮定は成立しません。

    最後に、創価学会が余程の内部改革をしない限り、私は永遠に拒否することになると言うことを断言いたします。
    ほとけさんこれで良いでしょうか。以上です。

    ※signifie さんも仰っているようにHNは変えたほうがよろしいのでは・・・。

  50. ほとけさん、おはようございます。

    ご質問の「エネルギーを年中無休で維持できる方法とはどういう方法なのでしょうか」と言う件ですが、ご自身で探した方が良いと思います。
    「求めよ!されば与えられん」です。
    求める想いが強ければ磁石の様に引き寄せて来ます。

    見つかるまでのプロセスもほとけさんにとってプラスになるはずです。
    そうした旅もよろしいのではないでしょうか?
    ご健闘をお祈り致します。

  51. ほとけさん、おはようございます。
    よかったらほとけさんの信仰や日蓮仏法や創価学会に関するお考えを
    少しでもお話しいただけませんか?
    単純な質問だけでは何をどこから話していいのかわからないのです。
    またアレックスさんへの質問は、あまり感心できるものではないように思いました。
    アレックスさんの回答が見事でしたが。

  52. Yさん、コメントありがとうございます。
    ゆうべ、思いがけずかなりの文章を書きましたので、
    仕事に追われています(笑)。
    Yさんの質問は、簡単に答えられそうにありません。
    しばらく時間をください。
    よろしくお願いします。

  53. アレックスさんおはようございます。コメントありがとうございます。
    朝起きて、ほとけさんに続きのコメントをするため気が付きませんでした。

    ちなみに私はご本尊の前では時間を取って題目は上げません。通勤時間が長いのでいわゆる読誦の題目です。それでもすごい力があります。
    また、勤務中でも工場内を歩くときには心の中で題目を唱えます。行住坐臥、お題目です。

    これからもよろしくお願い致します。

  54. ここの内容を読んで、私も似た体験があるなぁと思いました。
    私は、20以上も年下ですが。。。
    感想だと思ってごらんいただけると幸いです。

    私のMCが解けたきっかけは、母の病気でした。母は熱心な学会2世。
    父が仕事を転々としてしまうから、余計にその道に没頭したといわれています。
    せめて家庭が円満になるように、勤行・唱題、折伏、選挙活動と必死でやり続けてきました。
    ですが、家庭はいつも口論が絶えず。
    私が知る限りそれは25年以上続きました。

    その後、母は病気(癌)になって、完治を目指し必死で祈りと活動をより一層続けましたが、その甲斐もなく。
    その祈りを先生に届けよう、と周りの幹部に誘われて本部に行き、「手紙」のようなものを「先生」に送りましたが応答は無い。
    母は、報われるばかりか、末期になって精神崩壊し、私のことすらよくわからなくなってしまいました。
    ただひたすら、「ごめんね」としか言わない日も。

    私は「あれだけ熱心に活動しているのであれば、どうやって生き、どうやって死ぬか、そこまで考えて考えて考え抜いて、恐怖心ががってもできる限り毅然とした姿で最後を迎えるのではないか」、「いや、そうであって欲しい」と見守っていましたが、前述の通り、最後は死への恐怖から精神崩壊と錯乱状態の日々。とうとう最後を迎えました。

    それを見て、「あぁ、これ(信仰・活動)を続けても何も残らないんだ。きちんと考えて自分の足で生きて、死なないといけないんだ」と思うようになり、今ではすっかり活動どころか勤行・唱題もしていません。それでも、心が弱いせいもあり、何か良くないことがおきると、「あのまま続けていたらどうなっていたのか」と頭によぎることもあります。そんなときは、自分に起こることは他人にも等しく起こる可能性があるものなのだ、と静かに思っています。

    大っぴらに応援できない情けない人間ですが、シニフィエさんのブログをこれからも応援しています。

  55. Nakano72さんはじめまして。

    貴兄のブログを拝見し、悲しくなりました。私の母も良い死に方ではありませんでしたが、もっともっと悲惨な生涯を送られたのですね。心からご冥福をお祈りします。

    私がよく思い出す、三木 清の「人生論ノート」の一説を書かせていただきます。

    Ira Dei(神の怒)、――キリスト教の文獻を見るたびにつねに考へさせられるのはこれである。なんといふ恐しい思想であらう。またなんといふ深い思想であらう。
     神の怒はいつ現はれるのであるか、――正義の蹂躪された時である。怒の神は正義の神である。
     神の怒はいかに現はれるのであるか、――天變地異においてであるか、豫言者の怒においてであるか、それとも大衆の怒においてであるか。神の怒を思へ!

    創価学会も将来、諸天の治罰を蒙る日が近いのではないかと思うこの頃です。悪は断じて許さないとの覚悟で生きていこうと思っています。

  56. シニフィエさんへ
     ご返事ありがとうございます。時間がとれたときで構いません。日蓮仏法の教えを現代の大衆にわかりやすく実践するための創価の組織と思っておりましたので、創価の組織が誤っていても、それは相当なショックでしたが、信仰心は変わりません。
     ちなみに私は、創価ルネンサンスにものすごく期待していたのですが、結局法主絶対が、池田絶対に変わっただけかと残念に思っています。
     魂の解放記念日なんて、開かれた組織なんて期待した自分が情けないです。
     
                                                Yさん

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中