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これからも対話(コメント)の再開まで、私が感じたことなどをときどき書いていきます。

「つい偉そうに文化人ヅラして『子育ての環境とは』などという発言をしてしまうことがありますが、たいてい誰も聞いていません。つまり、いくら発言をしてもなんの影響力もないのです。必要なのは、理念を語ることではなくて実際になにかをやることです。」宮崎駿

ふとツイッターで目にとまった宮崎先生のことば。あれだけすごいことをされているのに、いつも等身大で謙虚に言葉をつづられる氏の視点には学ぶことが多いです。

原発事故に対する考え方も、決して多くの理念を語らず、そのときに自分でできることは何かということを実践されています。私はマンガやアニメについてはそれほど知識も感心もありませんが、一人の人間としての宮崎駿さんの卓越した世界観に最大の敬意をはらいます。そして上に紹介した何気ない言葉にも、とても深い真実が表現されていると思いました。

このブログに寄せられた、人としてとても真摯に生きていこうとする方のコメントは、多くの人に勇気を与えてくださったと思います。一方、こうしたことも含めたすべてをめちゃくちゃにしてやろうという悪意だけのコメントもありました。これはあきらかに悪意のコメントをする者が悪いと思います。それがどんな考え方や思想信条であったとしても、他人の場所にやって来て、一方的に他人を否定するだけの行為が許される道理は断じてないと考えます。しかし現実はこれです。とても残念なことです。私はこうした両極端のコメントを同じフィールドにあげるしかないブログに我慢がなりませんでした。またたとえある程度時間をおいてからこのブログを再開したとしても、また同じような事態になることは目に見ています。ほんの一部の悪意によって、真摯に生き方を語り合う対話の場が汚されるなら、ないほうがいいでしょう。

しかし私が昨年末に気がついた創価学会の真実の姿を「なかったもの」として過去に葬り去るには、あまりにも悲惨な真実でした。私は生まれたときから創価学会員として育てられ、53年間、創価学会の真実に気がつきませんでした。ところが様々な要因が重なりあった時にやっと気がつきました。「創価学会は宗教ではない。宗教ではないばかりか、会員を宗教の神秘主義的な利益と恐怖心を煽ることで金銭や労働力を無限に搾取する戦後最大の凶悪な団体」ということに私は気づきました。このことに対して自分はどう対処すればいいのだろう、何ができるのだろう、何をすべきなのだろう。動揺する気持ちを抑えながら、とりあえずネットから情報を得ることにしました。

これまでもときおりネットでの創価学会を支援するサイトや逆に非難するサイトを覗いたりもしましたが、何も心を動かされることはありませんでした。一方では紋切り型の平和思想のくりかえし。また一方では罵詈雑言の嵐。私は歳を重ねるあいだに、いろいろな自分の気持ちや考え方、体験を通じて、創価学会が掲げる思想と実態にそうとうな落差があることに気がついてはいましたが、それでも根本的に悪意のある団体だとは思いませんでした。また、信仰と言う面でいえば、日蓮仏法の正当性を疑うことはなかったし、正法を誹謗することは、すなわち地獄に堕ちると本気で思っていました。ですから創価学会に疑問を感じることはできても、この信仰を棄てることの恐怖心からはどうしても逃れることができなかったのです。いまでも完全に逃れられているのかはわかりません。

しかし、そうした思いもかけなかった自分の心の変遷の中でこのブログを立ち上げ、多くの方の同じような体験を知ることができました。そして私よりも、もっともっと卑劣な損害を被っている方がたくさんいらっしゃることも知ることができました。さらに、実際に被害に遭っていることすらわからずに、問題の本質から巧妙に目を背けさせられ、思考停止されたまま金銭や労働力を捧げている何百万という会員さんたちがいるということがわかりました。

もうひとつわかったことは、創価学会のこうした真実を知らされることに危機感を感じた者たちによって、悪質な妨害も受けました。このことこそ創価学会の真実を示す、動かない証拠だと言えます。彼らは創価学会は真実を知られてはまずい団体なのだということを自ら証明しにやってきました。

とりあえず、このブログをたちあげてわかったことはこうしたことです。ですからこのたった約2ヶ月のブログの軌跡は無駄ではなかったと思います。ただこのまま続けていくことにどんな意味があるのか、そして管理者である私の予想外の精神的な消耗もありました。それだけ創価学会に関する問題の根深さを象徴しているのではないでしょうか。

たった2ヶ月であきらめた。そうではありません。たった2ヶ月で創価学会に恐ろしい問題があることが露呈された、ということだと思います。

上に紹介した宮崎駿先生のことば。

「理念を語ることではなくて実際になにかをやることです。」

宮崎先生がおっしゃるように、誰でも口では何とでも言えます。

目の前の真実に対して、単に非難することは簡単です。

「では、あなたは何をやるのですか?」

この問いかけを自分自身に対してずっとしています。これまでの自分の人生に関わってきた創価学会の真実を知らされた今、自分は何をやるべきなのか?少なくとも無視することはできそうにありません。それは自分で自分の人生を無視することと同じことだからです。中には「それでもいい」という人もいるでしょう。「もうこれ以上関わりたくない」むしろそうした人たちが多いと思います。私が最も信頼のおける友人の2人にこのこと打ち明けました。二人はそろって「関わらないほうがいい」という意見でした。もっともです。自分の意思を貫く以前に、私の身の安全を思ってくれてのことです。ひとりの名もない男がこれだけの巨悪に立ち向かって何の意味があるんだと、私も思いました。

しかし、私だけではない。このブログでたいへんな勇気をいただきました。自分の人生をも大きく変えてしまったこれだけの巨悪を前に、何もなかったことで済まされることではない。そう思います。以前、このブログに何度も紹介しました村上春樹氏のエルサレムでの講演のように、私も何があっても、ぶつかって割れてしまうとはわかっていても、常に卵の側に立って生きていこうと思います。創価学会の真実を社会に示すこと。そのために自分でやれることが何かをこれからも考えながら、そして同じような思いの方とのコミュニケーションを通じて、次の新たなステップを踏み出せるようにしたいと考えています。みなさま、これからもよろしくお願いします。

このブログを読むことをどなたかに奨められた創価学会の会員のみなさまへ。

私は今も創価学会員です。私は同じ思想信条を持って生きてきた名もない一人として、このブログに寄せられた創価学会の真実の姿に、何の先入観もなしに目を通されることをおすすめします。それはなかなか難しいかもしれません。でも、あなたの中に、ほんのわずかでも創価学会の言動に疑問を感じているならば、一度、ここに寄せられた、あなたと同じように信仰を貫いてきた方の心の叫びに耳を傾けるのは、けっしてあなたの人生にとってマイナスではないのではないでしょうか。そして、もしあなたへこのブログを見るように奨められた方がいらっしゃるのならば、あなたとその方の関係と、創価学会の関係のどちらを信頼していいものかを考えていただければと思います。

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