荒しとゴミ屋敷

このブログをスタートしてからの2ヶ月の期間で、創価学会についてのいろんなことが分かってきました。そしてもうひとつ、こうした学会批判をネットでやっていると、かならずそれを妨害しに書き込んでくる人たちがいるということもわかりました。それは決して自分のことを学会側の人間だとは言いません。でも学会に不利なことに対して、気が狂ったかのような批判を繰り返します。それもどれも皆おなじような品性を欠く語り口です。なんだかおもしろいほど一緒です。で、思ったんです。これはほんとうにわずかな人間が名前を変えて書いてるだけだと。結局その真相のほどはわからないし、基本的にどうでもいいことなんですが、感心するのは、一日中ネットに張り付いて、わけのわからない批判を繰り返している、そうとうな暇人だということです。彼もしくは彼らの言うことは「とっとと脱会しろ」ということです。余計なお世話です(笑)。いい大人が「とっとと脱会しろ」なんて子どもじみてますよね。それと「荒らしと勝手に決めつけて削除する卑怯者」というのも多い。これが荒らしでなくて何なんでしょう(笑)。

このブログを立ち上げた時点で、創価学会を敵に回しています。こんなことを言っても、たぶん「おまえなんか敵でも何でもない、ただの卑怯者の糞だ」と返ってきます。それから「罰が恐くて脱会できないでいる弱虫だ」という言い回し。これも多いですね。まあ、ほかにも言い方はいろいろですが、どうも私を脱会させて学会の実態をリークさせたくないのではないかという気もします。それはそれで理屈は通っている。でも「とっとと脱会しろ」で「はいそうですね」と言う人はいませんからね。よほど暇なんでしょうね。それは彼もしくは彼らが学会側の人間だという仮定の話です。

もうひとつは彼もしくは彼らが反学会側で、なおかつ私のブログの存在が気に食わないという立場。これはちょっと理解に苦しむわけですが、彼もしくは彼らはいつもとってつけたように「私は学会員ではない」とか「私は非活ですが」と言います。

いや、私があえてこんな話をするのは、そんな彼もしくは彼らが(私が一方的に彼らを男性と思い込んでいるのは、女性がこん無駄な暇つぶしなどしないだろうという判断です)、なぜこのブログにやってきて、ちょっと頭の弱そうなコメントをするのか、実際に頭が弱いのか、それはわかりません。私なら同じおちょくるにしても、もう少しましなやり方をします…しませんけど(笑)。

ですから、こんな少数のわけわかんないおちょくりのために、大切な対話を台無しにされては困ります。このブログでは、機を見てふたたび対話を始めたいと考えています。そのためには、こうした極少数の妨害対策は講じなければなりません。四六時中ネットに張り付いている彼らにとって、どうやら即削除というのは、こちらが思っている以上に堪えるみたいですね。それから自分の煽りに対して乗ってくると嬉しくてしょうがないみたいです。人間、批判されるより無視されるのがいちばん堪えるといいますが、彼らがネットに張り付いて誰か相手にしてくれるところを求めて彷徨っているところに、ここのような批判的立場でものを言っていて、なおかつコメントをむやみに削除しないと見たら、喜んで飛んで来るのだろうと思いました。もともとこっちの迷惑なんて問題外ですから、なんでもいいから相手してもらいたいのだろうと。

「創価学会ノート」というアンチ学会の秀でたブログがあります。常に冷静で客観的な視点から創価学会の矛盾を指摘されている鋭い切り口のブログです。私もうかつだったのですが、昨日そこに私がコメントをしたら、すかざずワラワラと彼らが寄ってきました。例によっていつものステレオタイプの悪口です。そこの管理人さんには本当に悪いことをしたなと反省しています。私が何を言っても「糞」だの「卑怯者」だのと言うばかりで、あいかわらず話にもなんにもなりません。当然です。彼らは相手にしてほしいだけなのですから、会話にならない方が都合がいいのでしょう。そこで私も最後と思ってちょっとだけ相手をしました。http://d.hatena.ne.jp/zadia1906/20120206/1328529565#c

当然、管理人さんにはご迷惑なので「すぐに消してください」と書いてますので、もう見られないかもしれませんが、なにしろこんなふうに誰彼かまわず迷惑をかけることでしか自分の存在感を確認できないような人たちです。私のおちょくりには目もくれず、もしくは真に受けた形で返事をしてくるのには、いささか閉口しました。そんなに寂しいのかい?って。

私はそんな彼らの姿を見て、ゴミ屋敷の住人を思い出しました。家族も含めて周辺住人とうまくコミュニケーションがとれない人が、やたら家の中にゴミを集めていく。ゴミは床はおろか天井まで達するというのに、決して処分しようとはしない。もちろん周辺住民は悪臭と火事などの危険性に不安な日々を過ごします。公的機関からの強制撤去が入るまでには、そうとうな被害がでてしまうのが実態です。それで、彼(彼女)らはなぜそんな行動に出るのか。実際に彼らはなんとでも言いますが、結局のところ寂しいんだなあと。せめてゴミだけでもいいから自分の相手をしてほしい。ゴミでもいいから心の隙間を埋めてほしい。そんな心情ってわからなくもない。そんなの甘えだというのは簡単ですが、これも現代社会の病理のひとつだともいえるし、社会全体として解決していかなくてはならない問題でもあると思います。

こうした孤独感、あるいは自分勝手な見捨てられ感にどうにか適応しようとする行為が、ネットの世界での荒らしにつながっているのではないかと思います。コメント欄を解放したままこんなことを書いたら、おそらく大変なことになるでしょうね。彼らはいつも見ています。なにか相手をしてくれそうなところはないか、寂しくて寂しくてたまらない。こうして彼らのことを書いているのを見て喜んでいるんです。おおっ、俺のことを書いてるぞ〜ってね。

でも、彼らのような現代社会の病理と、ここであつかう創価学会の問題は同じ病理とはいっても直接は関係ない。少なくともここでの対話とは関係はない。ほんとうにお呼びでない(笑)。…とか書いたらまた「糞」だの「ハエ野郎」だのと言ってくるんですね。もうどうしようもないです。

もうしばらくは、こんなヨタ話を交えながらやっていきます。やはりコメントを休止してからはアクセスが立ち上げ当初よりも減りました。それだけ対話の重要性を感じています。一日も早い実のある対話が再開できることを願って、しかし逆にじっくりと準備をしていきたいと思います。