先日も書きましたが、ほかのことはともかく創価学会の問題に関してはわからないことが多すぎるので、わからないことに関して憶測でものを言ったり、評価したり批判したりすることは、必要最小限にとどめるべきだと思います。必要最小限という中途半端な言い方をしたのは、客観的な確証のある事実だけに限ると、創価学会に関しては誰も何も言えなくなるからです。

たとえば池田名誉会長が会員にさえ2年近く姿を現わさないことに関して、ネット上にはさまざまな憶測が飛び交っていますが、これに関して今の段階で何を論じても説得力はありません。ただ、姿を現わしていないという事実は確かなようです。でもなぜかメッセージだけは伝えられる。新聞紙上に長い文章が載ったりもする。これだけの執筆活動ができるにもかかわらず、2年近くまったく姿を現わさないということが、普通の人なら不自然だなあと思うところですが、組織では表向きそんなことを問題視しているようでもないし、内部の会合には出ているとの発言がありますが、それもまったく確認することができません。これまで仏法とはさほど関係のない師弟不二をさんざん訴えて強引な組織論を展開していながら、自らを師匠と自認してきた当人が2年近くも弟子の前に姿を現わさないことは事実です。でもその事実をどのように解釈するのかは人それぞれでしょう。池田氏を師と仰ぎ、自分がその弟子たろうとして活動に励んでいる人にとっては、おそらく複雑な気持ちではあっても、なんとか「吾が師匠」の偉大さを信じていく以外にないのでしょう。でなければ自分の人生さえも否定することになりますから、わからないでもありません。そうしたことひとつとってみても、それをどのように判断するのかは自由です。他人が批判したところでその人の人生ですから、最終的には他人がどうこう言えることではありません。

憶測でものを言ったり、自分の考えに反するものを否定することは、少なくともネット上ではあまり意味がないことがわかってきました。これからは、できるだけ自分の体験したことや確認できる事実についての話をしていきたいと思います。コメント欄を再開しても、同じように自分の体験か客観的な事実として確認できるものについての話をしていただければと思います。

これも前回と同じ原発関係の話ですが、こういったサイトがあります。

http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-54.html

↑このように現場での事実を示していくことが大切ではないかと思います。このような現場での話を誰もが見ることができて、それについてどう考えるかはその人の自由だと思います。この3ヶ月を振り返って、ネットでできることはこうしたことではないかと思うようになりました。近頃ではやろうと思えば誰もがツイッターやFACEBOOKやUSTでリアルタイムに事実を発信できる時代になりました。同様に情報を歪曲させて意図的なものに書き換えることも可能です。サイトの信憑性を確保するためにも、あきらかに歪曲された情報や、扇情的な書込みに関しては管理人として削除するという方向でいこうと思っています。

コメント再開までにはもうしばらく時間がかかりそうですが、この「対話を求めて」は可能な限り続けていきたいと思っています。