ぼちぼちと、少しずつ

このブログを始めた頃は、そうとう力が入っていたと自分でも思います。人生の指針とか、価値観とか、とにかく世の中を見ていく基盤としていたものが、とんでもない間違いだったことに気づいたときに、平常心でいることのできる人はそういないと思います。50年以上も自分の人生は間違ったことを信じ込まされていた。そのことに気づいたとき、そしてこれからもはや余生と言っていいほどしか残っていない自分の人生にどう折り合いをつけばいいのか、全くわからなくなりました。ですからほどなくして私は鬱病の症状が出ました。何をするにもやる気がなくなりました。今まで親の代から疑うことなく信じてきた信仰が間違いだった。間違いだと言うだけではなく、途方もない数の人を騙し、その人たちの人生を食いものにしながら搾取のための組織に加担することになってしまっていたのです。どうにかならない方がおかしいくらいです。

そういうわけで、これからはあまり気を張らずにぼちぼち思ったことを書いていくことにしました。それからコメントももうしばらくは受け付けません。受け付けるとまたわけわからない人が面白半分にかきまぜにくるのがバカバカしいので当分やりません。というかいまのところはコメントを受け付ける気はありません。かつては一日で4000以上のアクセスがあったこのブログですが、今は一日50そこそこと言った感じ。それでいいと思います。ただ50年以上創価学会を信じていた私が、その創価学会が間違いだったということに気づいた人間のひとりとしての思いを書き残していこうと思います。それは一貫して変わらないと思います。今は無理に「創価学会はいけない団体だからあなたも止めた方がいいですよ」なんて声高に言いません。それがどんなにおかしな団体でも信じてる人にとってはわからないということがいやというほどわかりました。だからわかるひとにだけわかってもらえればいいと今では思います。創価学会によってたいへんな思いをしている人がたくさんいます。このブログにも多くの人のそんな声が寄せられました。そうやって気づく人はそれでいいと思います。気づかない人にいくら言っても無駄です。そしてネット上でそんなことを叫んでみても、暇で暇でしょうがない関係ない人が面白半分にぶちこわしにくるだけですから、当分コメントは受け付けません。ただこのブログのタイトル「対話を求めて」とあるように、どうにか対話が成立するかたちを模索しないといけないと思っています。具体的にはまだ何も思いつきません。それほどネット上での対話は困難です。こと創価学会がテーマだとなおのことのようですね。

それではまた。