これまでのこと

以前は連日のように記事やコメントを書いていたのに、今はここに書く言葉がなかなか出てきません。それはかなり自分の中での創価学会というものが変化してきたからではないかと思っています。どういう変化かと言いますと、これもなかなかうまくは言えないのですが、以前のように創価学会の悪い部分をどうにかして世間に知らしめることができないかという、妙な正義感のようなもの…裏を返せば、創価学会によって自分の人生の大半を間違った考えをベースにして過ごさなければならなかったことへの恨みつらみのようなものであったのかもしれません。しかし今はそうした憎しみのようなものを感じているわけではありません。もうこうなっては、どんなにあがいても自分の人生の時間を取り戻すことはできないというあきらめもあるし、また違った意味では、これから自分は自分の人生をどのようにしてくべきなのかという、今までよりも前向きな方向でものごとを捉えられるようになってきたように思えます。ですからこのブログにも創価学会の悪口を連ねるようなことはしないと思うし、コメントを解放しても、そのような学会に対する感情的な批判は遠慮していただこうとも考えています。

数ヶ月前に私は自宅のご本尊をいただいたお寺に返しに行きました。そのお寺の住職に私が創価学会の本当の姿にやっと気づくことができたことと、信仰自体をもう一度はじめから考え直す機会にしたいということ。したがって、このご本尊もお返ししたいとの旨を話しました。住職は大聖人の仏法を貫くことで創価学会のおかしさをひろく一般の人にも知ってもらうことがあなたの使命ではないですか、とおっしゃいましたが、私はとにかく信仰そのものを一から考え直さなくては立ち直れない状況にいます。ですから今だからといって日蓮正宗の信仰に向きを変えることはできそうにありません、といいました。住職は、まあ、気持はわからないでもないですということで、ご本尊を収めてくれました。その後私は家にある空っぽの仏壇をハンマーとノコギリでバラバラにしました。今までは手を触れるのも慎重にしていた仏壇を、ハンマーで叩き割り、ノコギリで切り刻みました。と同時に、それはこれまでの50数年にわたる信仰が間違いだったんだということを身を以て自分に言い聞かせるための儀式のようなものでもありました。いくぶん気持がスッキリしたような気もしましたが、そうそう気持がまるっきり切り替わるものではありません。学会のおかしさにはっきりと気づき、自分は見事にマインドコントロールされていたことがわかったと同時に、私はこのとりかえしのつかない過ちを前にして鬱病の症状が出始めました。最初はそれとは気づかなかったのですが、日常生活の中で次第に感情のコントロールができにくくなっていることに気づいたのです。妻の勧めもあって心療内科にかかると、やはり治療が必要なほどの鬱の症状が出ていました。それから薬物治療が始まりましたが、すぐに快復するようなものではないらしく、今でも薬の種類や量を調整しながら定期的に病院に通う日々を送っています。今思えば、鬱の症状が出たのは、このブログが荒れてきたころでした。このブログを通して、多くの方が同じような悩みを抱えていることを知り、そうした対話は自然と自分の気持の整理にもなっていたのでしょう。しかしこのブログにも心ない荒らしが登場し、皆さんとの対話ができない状況になってから、私の鬱の症状が悪化していきました。そしてその打開策としてご本尊をお寺にお返しして、仏壇を自分の手で切り刻むことで気持の整理をしようとしたのだと思います。その甲斐あってか、それから次第に鬱の症状は緩和されてきたように思います。まだ完治するまでには時間がかかるとは思いますが、一時期の仕事すらまともにできないほどの無気力な日々が続いた頃に比べれば、ずいぶんと快復しているように思います。そしてこのブログもなんとかして再開しようと頑張る気力も生まれてきたわけです。

これから、どのような形になるかは自分でもわかりませんが、少しずつ書き進めていきながら、できるだけ近いうちにコメントを受け付けられるようにしたいと考えています。

またこのブログを始めるきっかけとなった「白バラ通信」の高倉教授にも、このブログが再開できたことを喜んでいただいているようです。感謝します。おそらくはいつか戦後最大の宗教詐欺事件として創価学会の実態が明らかになる日が来るでしょう。それが一日もはやく訪れ、これ以上騙される人が一人でも少なくなるように願う次第です。

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