創価学会の会員のみなさん。

コメントをくださったみなさん、ありがとうございます。

以前のように毎日コメントに対してお返事を書けるような状況ではありませんので、もしかしたら失礼をしているかもしれません。なにとぞ大目に見てやってください。

いまは選挙で大忙しの創価学会の活動家のみなさんですが、私が住んでいる選挙区では公明党の候補者がいないので、それほど忙しそうでもないようです(笑)。私はもう会合も何もでないので、今回の選挙で地元の学会員さんが自主投票なのか自民党を推しているのか知りませんが、活動家でもなぜ自分たちが自民党の票を集めなければならないのかよくわからない人が多いようです。それ以前に、公明党が自民党と組む理由をはっきりと言える学会員がどれだけいるのでしょうか。

先日、公明党の旗を掲げたおじさんが街の中心部でマイク片手に演説をしていました。公明党が義務教育での教科書無償化の法律をつくったことを自慢げに話していました。「おいおい、いつのことを自慢してんだよ」と思いながら信号が青になるのを待っていましたが、演説は途切れとぎれ、しどろもどろで、しまいには「東北の復興のために土木予算を大幅に拡大して、土木建設業を潤わせることが、みなさんの生活が潤い、被災地のみなさんが救われるのです。これこそこれからの日本のやるべきことであります」だって。「おいおい、あんたは平成の田中角栄か?」とひとり心の中で笑っていました。もちろん誰もそんな演説に足を止める人はいませんでしたけど。かつては平和と福祉の公明党が、いつのまにやら国防軍と土建屋の太鼓持ちになってました(笑)。党の職員なのか県会議員なのかは知りませんが、よくまああんな恥さらしなことを平気でやれるもんだと思いました。しょせん公明党ってこの程度なんだよなって思われて当然です。

私はこれまで商売がら政治家と直接接する機会が多かったので、わりと政治家の本音の部分を見ることも度々ありました。実際、県会議員レベルで国政の話をしても彼らはチンプンカンプンです。っていうか、興味がない。それは公明党以外でも同じです。それから国会議員にしてもあきれるほど理想が低いというか、考えが浅はかです。以前、まだ自民党が与党の頃、そして民主党ができたばかりのころ、テレビで民主党の国会議員と対談する生番組に呼ばれて出たことがあります。相手は民主党が誇る若手のリーダーでした。詳しく言うと私のことがわかってしまうので言えませんが、本番前の打ち合わせのときに、その議員と少ししゃべっただけで彼の考えのなさにあきれたことがあります。生番組で恥をかかせるのはかわいそうでしたから、それなりに話をまとめました。番組終了後、その議員が私のところにやってきて「すみませんでした。私はそこまで考えてもみませんでした。」とお礼のような謝罪のようなことを言われました。私は人として当たり前のことを普通に話しただけなのですが、彼にとっては眼からウロコだったようです。

これはひとつの例です。公明党の議員も似たり寄ったりです。おおむね議員というのは、その頭の中のほとんどが自分のことでいっぱいです。ですから普通の人にとっての普通のことすら考えが及ばないんですね。よくある国会議員の信じられない失言があとをたたないのも合点がいきます。それは自分にとって損かと得かでものごとを判断してしまうからです。大局でものごとを見ても彼らにとっては何の得にもならないからです。選挙で当選するならば、どんな絵空事でもめいっぱい大きな風呂敷を広げるし、子供のころ以来乗ったこともない自転車でこれみよがしに遊説するし、見ず知らずの子どもに頬ずりをして写真に写りたがるし、最後には誰彼かまわず涙を流して「男にしてください!」と土下座をします。ここまで白々しいことを平気でやってのける神経がなければ国会議員になどなれないようです(笑)。無神経であればあるほど政治家にふさわしい人材となります。

話がそれましたね(笑)。それすぎて何を書くつもりだったのか忘れてしまいました(笑)。

そういった政治家が寄ってたかって今度の選挙で日本は右側へ大きく方向転換しようとしています。これも恐ろしいですね。民主党のあまりの頼りなさ不甲斐なさに国民の多くは強いリーダーシップを求めています。そこにきな臭い連中が権力を求めて気勢をあげました。またそれに危機感を感じた心穏やかな人たちも動き始めました。しかし政局はそんな神経の細かい良識が通用するところではありません。目の前においしい餌を垂らして権力をつかんで、あとは見えないところでやりたい放題やるのが日本の政治です。とはいえ、政治家もしょせん利権を誘導しておこぼれをもらうだけの孤独で悲しい人たちです。私は何度かその孤独な政治家の本音を直接聞いたことがあります。彼らは本当に孤独です。いつ誰に裏切られるかわからない世界で、いつもまわりを疑ってかからなければならないのですから、心の平穏はありません。それがいつしか人の心のわからないモンスターに成り果てます。そして政治家は何度でも政治家になりたがるんですね。

ますます話がそれましたね。

公明党を一生懸命支援している創価学会のみなさん。なぜ創価学会が民主主義を完全に無視して公明党を支援するのか、いちど自分の頭で考えてみてはいかがでしょう。自分はなぜ公明党を支援しているのか?「池田先生にお応えするため」ですか?その池田先生から公明党を支援しなさいと言われましたか?もし公明党が政権を取ったとして(そんなことはありえませんが)、そのとき日本は民主国家と言えますか?そんな政党をわけもわからず支援に走り回って疑問を感じませんか?自分はいったい何をやってるんだろうと思ったことはありませんか?どうか一度でいいから自分の住んでいる国の政治のことを自分で考えてみてください。組織から下りて来るわけのわからない指導を何も考えずに鵜呑みにして走り回ることが信心ですか?それが民主国家である日本国民のやることでしょうか?

創価学会の会員さんは自分で考えることが罪悪であるかのように思わされています。自分はそうではないと思ってみても、外から見れば正気を抜かれたロボットです。私がそうでしたからよくわかります。よけいなことを考えないで、ただひたすらこの信心だけが真実だと自分に言い聞かせながら、本当はおかしなことだらけでも疑問に感じなくなる。今思えば恐ろしいことです。若い頃は本気で世界中が創価学会になったらいいのにと思っていました。普通に考えればおそろしく偏ったことも、小さい頃からそればかりを言われて育つとそうなるんですね。いまどき「池田先生のために」とか一般社会で言ったらただのもの笑いです。「偉大な将軍様のために」とまったく変わりません。でも変わらないことがわからないのが創価学会の会員さんたちです。学会の中では当たり前なんですからね。

創価学会の会員のみなさん。日本の選挙は、有権者が自分の考えで投票するからこそ民主主義と言えるのです。騙されたと思って(笑)いちど日本国憲法の前文だけでいいから読んでみてください。日本国憲法と創価学会が目指していることがどれだけくい違っているか、その眼で確かめてほしいものです。集団で特定の候補者に投票するのは民主主義とは言いません。全体主義と言います。もし仮に創価学会が目指す広宣流布が成し遂げられたとき、国家とはどういう意味を持つでしょう。文化とは、民族とはどのように解釈されるか考えたことがありますか?創価学会は公明党を支援することによって、あなたの師と称する「偉大な池田先生」を最高指導者とする全体主義国家に変えようとしているのと同じではないですか?実際にはならないにしても、少なくとも創価学会員であるということは、それを目指しているということなのですよ。今の日本において国民一人ひとりの一票がどのような意味をもつのか、一度自分の頭で考えてみてはいかがでしょうか。

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