自分で気づいてください。

昨年の12月26日以来の投稿になります。なかなかおちついて投稿する機会が持てないでいたら、あっという間に一ヶ月近くになるんですね。

毎年、お正月には家族が実家にみんな集まって食事をしたり、子どもや孫たちにお年玉をあげたりするのですが、今年は少し様子が違いました。創価学会の活動をしている兄夫婦の姿がありませんでした。どうやら私が「退転」したことに我慢がならなかったのでしょう。後日子どもたちへのお年玉だけを託けにきたそうです。結果として兄夫婦だけが家族から孤立してしまっています。きっと以前口にしたように「どうせいい死にかたはしない」と本気で自分の兄弟のことを思っているのでしょう。しかし結果としてお正月に家族と挨拶もできない立場に自分を追い込んでいるのは兄夫婦なのですから可哀想なものです。はやく自分たちの信仰がどんなに反社会的なものなのかに気づいてほしいです。

学会では「邪宗を信じると一家離散するぞ」などと脅されます。しかし夫婦揃って何十年も真面目に創価学会の活動をやってきて、兄は一命が危ぶまれるほどの事故に遭い、子どもにも恵まれませんでした。正月には親兄弟とも会えない家庭が創価学会のいう「一家和楽」なのでしょうか。それとも兄夫婦の信心が足りないのでしょうか。「社会に実証を示してこその信心だ」などと幹部が指導をします。しかし私が知っている学会幹部(県長・副会長クラス)は、みな悲惨な病死をしています。そう言う意味では創価学会の幹部のほとんどは信心が足りないことになります。つまりそんな信心の足りない幹部ばかりの組織だということです。私は学会員だからそうなのだとは言いません。しかし少なくとも学会員だから幸せになるというのは、どう考えても間違いだと思うのです。創価学会の信心で幸せになるなんて絶対にありえません。学会に入って幸せだという人は、そう思わされているだけです。「功徳」をエサに有り金をはたかされる。「功徳」をエサに選挙活動を強要される。学会活動をしていると、なにかしら人よりラッキーが舞い込んでくるみたいな勘違いをしてしまいます。ほんとにあさましい人生観です。私がそうでしたから(笑)。

昔は信心をしている家庭に生まれてよかったと両親に感謝していました。しかしそれがそもそもの間違いでした。父も母も完全に騙されていました。両親は私を騙したわけではありませんから、いまでも恨んだりはしません。しかし多くの人を騙し、お金を吸い上げてきた創価学会は許せません。そして今現在も創価学会が正しい信仰だと思い込まされて人生をボロボロにされているひとがたくさんいることに、なんとか一石を投じることができないかとも思います。しかし自分で気がつかないとだめのようです。他人が何を言っても無理なのです。たとえ親兄弟でもです。逆に親兄弟からだとなおのこと反発するでしょう。「正法を打ち破ろうとする魔の働きだ」などと勘違いもはなはだしいのです。ただほんの少しでも自分の中に疑問が生まれたのなら、それを足がかりに本当の自分というものを見つめ直すチャンスかも知れません。

「なんかしっくりこないんだよなあ」とか「こんなふうに思う自分っておかしいのかな?」といったことを、じっくりと真剣に考えてみてほしいです。そこでひとつの風穴があけば、あとは早いです。いろんなものがあたりまえに見えてきます。今までのことが異常に感じるでしょう。そして人によってはそのあまりのギャップに強いショックを受けるでしょう。しかしそれが本当の自分なのだということをしっかりと知らなくてはなりません。今までの自分を否定することを恐れてはいけません。今までの自分もあなただし、気づいた自分もあなたなのです。そしてこれからどのように生きていくのかが一番大切なことだと思います。

私は人間にとって信仰は必要だと思います。しかし創価学会の信仰は本来の信仰ではありません。人間の信仰心を利用した巨大な詐欺組織です。いうならば「精神のねずみ講」とでもいいましょうか。「功徳」や「罰」を巧みに吹聴していつのまにか精神をがんじがらめにして思考停止にさせたあげく、お金を組織の最上部へと集約する恐ろしい詐欺集団だと断言できます。どうか一人でもそのことに自分で気づいて、この創価地獄から抜け出ることができることを祈ります。

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自分で気づいてください。」への6件のフィードバック

  1. シニフィエさん。

    ご無沙汰しておりました「もも&里芋クローバーZ」略して「ももいも」です。

    早速ですが、単刀直入にお聞きします。

    シニフィエさん、

    「白バラ通信パンドラの箱」のブログ主、

    高倉良一様を中心とした「アンサンブル」的な同心円を描く「活動」に、

    本気で関わり、加わる、お覚悟はありますか?

    私たち(ももいも)との対話の前に、

    まずは「そこ」を「明確」に「はっきり」と意思表示して頂けませんか。

    シニフィエさん、

    あなたが尊敬すると云う、高倉良一様とは、個別に連絡、コンタクトは取りましたか?

    恐らく、間違いなく、「否(いな)」でしょう?

    シニフィエさん、せっかくの機会なので、私たち「ももいも」の自論(私見)を、誤解を恐れずに、お伝えいたします。

    今は「対話」では無く、「闘い・闘争」の時期なのです。

    「折伏」⇔「摂受」、相反するものを、きちんと理解し、検証し、

    「今」、成すべきことを「成す」

    その上で、「時の符号」を受け入れる。まさに「その」時なのだと思います。

    心傷つき疲れ果てた「人たち」が「寄り添う」・・・

    それらを「理解」し「受け入れる」・・・

    「白バラ」まだ、それを甘受するべき時期ではないと思います。

    「様々」な受け皿は、文字通り「様々」あるべきです。

    例えば、旧想学サロンの「運ちゃん氏」が準備中の、

    「想学檀林準備室」 http://sougakudanrin.blog.shinobi.jp/Entry/15、

    などは、悩める現役学会員はもちろんの事、脱会したけど「宗門」に入るのは、ちょっとなぁ~、

    、と云う方には最適な「ご指南」を示してくれていると思います。(ご指南と云いましたが、私(たち)は宗門、学会等、無関係です)

    そうそう、運ちゃん氏のツイッターで興味深い「つぶやき」がありました。

    宗門も学会も「異体同心」、悪く言えば「目糞、鼻糞を笑う」の典型なのだと云う「証明(あかし)」、

    誤解されても仕方がない「事例」を紹介していました。

    「運ちゃん氏ツイッター(1月31日・木曜日)」

    http://twitter.com/sougaku_salon

    日蓮正宗の某末寺の住職が発信したメールを紹介しています。

    この住職は宗門では上から数えて5番目の地位(役職)、

    「教学部長」なのだそうです。

    信仰を持たない私たちからすると「教学」では無く「驚愕」です。

    だって、「100%の完全勝利」とか「大勝利」とか、

    あげくの果てには「日蓮正宗法華講の時代が幕を開けたというべきでしょう」、

    とか、断言しています・・・コメント、言葉が見つからないです。

    あ~あ、やれやれ、と云った印象です。

    私たちのスタンスが、ご理解頂けたと思います。

    宗門の方たちには大変にお世話になった時期があったとは言え、

    宗門=「善」、学会=「悪」、またはその逆もしかり。

    「是々非々」なのだと捉えております。

    まとまりませんが、今日は、このあたりでやめときます。

    それでは、また。

    ごきげんよう。

    以上、よろしくお願いいたします。

    (^0^)/‘‘

  2. お久しぶりです。
    『気づき』にも、いろいろなステップがあり、確信ができるまで
    には時間がかかるかと思います。

    私の気づきは3.11直後です。
    会合は行く度にがっかりしてたので、未活になっていたのですが、
    震災後、日本の状況を祈らずにはいられなく、唱題に集中していました。
    その後の原発事故、放射能問題が続く中、学会の行動の頼りなさ
    にがっかりしました。

    私が正義と信じてやってきた「仏道修行」っていったい
    なんだったんだろうと思い、それまでMCで見えなかった組織の
    異常さが少しずつ見えてきて、本当にショックでした。
    まずは迷いと恐怖がやってきて、その後、絶望的な気持ちになりました。
    それまでは、「創価」というフィルターを通して世界を見ていた
    から、世の中は全て大丈夫と信じきってしまっていたのです。
    しばらくはそのフィルターを失って、無防備になったような
    気がして不安で仕方ありませんでした。
    「だまされてた方が楽だったな」って思ってしまうこともありました。
    今は、それも通り抜けたと思います。

    私は「信仰」と同じ意味になるかわかりませんが、「祈り」は
    必要だと現時点では思っています。
    ただ、題目という手段を使って祈っていたのを、今はどうしたら
    良いのかと思考中です。
    まだまだ、MCから抜けるステップ時間がかかりそうです。

  3. シニフィエさん、貴方の言葉には真摯な誠意を感じます。無理なさらないで下さい。貴方のブログを目にして、立ち止まって考える創価学会の信者の方は想像以上に多いと思います。信者だった経験のあるシニフィエさんの言葉だからこそ、心を打つものがあります。

  4. ヨーさん、いつもありがとうございます。

    >「創価」というフィルターを通して世界を見ていた

    よくわかります。私もほんとうにそうでした。
    組織に疑問を抱いても、この信心は基本的に間違いないんだと思っていました。
    人がおかしいだけで、この信仰そのものが間違っているわけがないと。
    それこそが間違いだったと気づいたときにはほんとうにショックでした。
    しかし同時に闘おうとも思いました。ではどうやって闘えばいいのか。
    実際に会合に参加したり、組織活動を頑張っているようにみせかけて
    おかしなところを逐一ネットに公開してやろうとも思いました。
    親兄弟の人生をとりかえしのつかないことにしてしまった創価学会を
    とにかくギャフンといわせなければ気がすまないと思っていました。
    しかし、それ以上に自分が自分の人生の真実に気づくことは
    大きな運命の歯車を動かすことなんだということに気づきました。
    うまく言えませんが、何十年と抱いてきた信念がひっくりかえるということは、
    自分の意志とは関わらず、環境が自然と変わることなんだと思いました。
    思いがけない人との出会いや、過去の出来事の意味や、今の自分がいる場所のこと。
    それまでとはあきらかに違った動きがはじまりました。
    これまで自分が見てきた世界も、おそらくこれから見えるようになるであろう世界も、
    それは確かに自分が生きてきた世界であり、
    そしてこれから自分が生きる世界として存在するんだという希望が見えたような気がします。
    つまりこれまでの自分を自分で否定するのではなく、
    自分の過去にさかのぼって、「創価」というフィルターをはずして世界を見ることができました。
    そのあまりの変化に心がついていけなくなって、いまだにぎくしゃくしてはいますが、
    少しずつ新しい世界になじんでいくことで
    これまでの自分を否定して暗やみに放り込まれるような不安とは違った
    人生の光を感じはじめているような気がします。
    創価学会は自分の人生のかなりの部分を占めてきたけれども
    これからの生き方によって、これまでのことが何であったのかが決まるんだと思います。
    もちろんずいぶんと無意味なことをしてきたと思います。
    知らないうちに、たくさんの人を傷つけたかもしれません。
    でももう自分の人生の歯車は創価学会抜きで回り始めたんだと実感しています。
    一度しかない人生、何かに臆することなく自分に正直に生きていければと思います。
    ほんとうに気づけてよかったと思っています。

  5. ブックカバーさん、コメントありがとうございます。
    おっしゃるとおり、無理をせずにやっていきたいと思います。
    これからは「創価学会の真実に気づいたとしても心配入らないよ。
    それまでがどんな人生であっても、これからどう生きるかで、これまでのことも決まるんだ」
    ということを、自らの身を以て証明できるといいなあと思っています。
    まだ多くは語れませんが、少しずつ誠実な対話が実現できると嬉しいです。
    ほんとうにありがとうございます。

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