創価学会の矛盾になぜ気がつかなかったのか。

創価学会の数々の矛盾にどうして気づかなかったのかということを、いまでも考えます。もちろん創価学会が宗教に名を借りた金儲けのためのMC集団だったからといえばそれまでなんですが、ここまで多くの人を騙しつづけている創価学会の存在を許している日本という国家のありかたにも問題があるのでしょう。

建前とはいえ、民主主義を標榜する戦後日本での個人の思想信条に国家権力は踏み込めないことを楯に、そして宗教法人の非課税制度という、あまりにも悪用しやすいシステムによって、創価学会幹部は莫大な財力を蓄えてきました。組織の上層部のどこまでが搾取する側で、どこまでが搾取される側なのだろうかと、私の父と一緒に学会の草創期を支えてきたいわゆる「同志」は副会長をしています。また私と小学校時代から一緒に活動してきた同級生はみな県の幹部をしています。彼らと接している限りでは、創価学会の活動を正しい宗教として信じているようです。中学校時代、彼らと一緒に参加した大石寺での夏期講習会。声が出なくなるまで唱題し、学会歌を歌い、未来の人材として全国の同志と誓い合った塔の原グラウンド。ちょうど正本堂が完成したばかりのころでした。当時の池田会長とも会いました。自分も恐ろしい巨大カルト集団の一員だったのですから、自分のこれまでの人生は何だったんだと思う一方で、年月がかかりすぎたとはいえ、そこから抜け出せたことは、やはり安堵しています。

創価学会の幹部の家庭に生まれた者にとって、創価の矛盾に気がつくということは、同時にそれまでの自分の人生を否定するということです。ですからそう簡単には受け入れることができません。私はまだ軽症のほうだと思います。創価の矛盾に気がついていても、どうしても組織から抜け出せなかったり、あらたな人生に足を踏み入れることに恐怖しか感じられなかったりもするでしょう。闇雲に「この信心に間違いはない!」と子どもの頃から言い聞かせられ、「この信心を捨てれば地獄に堕ちる!」と脅迫され続けて育った人にとって、創価の矛盾などまったく目に入らないこともよくわかります。私の場合、同級生の創価エリートたちとはちがって、芸術関係に興味をもち、学生時代に哲学や心理学を勉強したこともあって、創価学会とはまったくちがった、すばらしく深い世界があるということも知るようになったおかげで、ようやく今になって創価の矛盾に気がつくことができたのだと思います。それでも完全に創価の間違いに気がつくのに何十年とかかったわけですから、創価以外の宗教は間違いだと教えられ、聞く耳を完全に閉ざされた人たちにとっては、おそらく死ぬまで気がつくことはないでしょう。私の両親のように。

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創価学会の矛盾になぜ気がつかなかったのか。」への10件のフィードバック

  1. 創価学会のおかしさに何故気がつけないのか。。

    いえ、多少は誰もが気付いてる、自覚あるなしに。。

    でも、それを打ち消すような指導を五万と受けているわけなんですよね、日蓮の御書とか池田氏の指導とか通して。。

    たとえば、ふと疑問を抱いた瞬間に。。
    あの蟹だかなんだかの無疑を強要するような御書の一節が浮かぶわけです。。
    そして即座に、自分の信心がおかしくなってる?と悟る???わけです。。

    ひとたび決めたこの道を一直線に。。
    恩を受けた??師匠を裏切ることなど自分のアイデンティティに反する。。とか。。

    それらは、組織の中にいる限り逃れられないです。。

    自分の心の奥底の真実のハテナ?が持続する間もなく、自らの心と対峙する間もなく、静かに観心する間もなく、広くさまざまな世界を知る間もなく、会合や指導を浴びるように受けている中にいる限り、疑問を抱く暇すらないのですから。。

    だからもし、自分が少しでも疑問を抱くようなことがあるとしたら、組織からの距離を置き、しばし自分自身と向き合う時間を持つ以外にないですよね。。

    一度、創価学会員と一切会わない、とかやってみるだけでもいいかも。。

    それだけでも、自分が如何に異常な時と場所にいたかが分かるかな。。

    創価学会を批判しながらも毎日、聖教新聞を読み、会合に出て。。??

    そんなことをやっていたら気がおかしくなると思うのに、それを平然とやっている人がいるから驚きですよ。。

  2. シニフィエさん、

    お久しぶりです。
    産まれたばかりの乳児が純粋に親の言うことを信じて育っていく姿を見ています。
    こんなときから、会合に連れて行かれ、親の熱心な姿を見て、教育されて育ったなら、
    当然のように、習慣的に正邪の判断もなしに身に付いてしまうのではないでしょうか?
    気づけたことの方が素晴らしいと思います。
    私は自分の子に学会を教えたくないのもあって,やめました。

    しばらく、罪悪感にかなり苦しみましたが、心を解放したら「本当は学会の何もかも
    嫌だったんだ。」と押さえ込んでいた気持ちを表に出すことができました。

    時々思うのですが、私たちは創価という国に生まれ逃亡できないわけじゃないのです。
    「やめる」という選択があって、本当にラッキーだったなっと。
    何度も思いますが、こればっかりは個人で気づくしかないですね。
    でも、誰でもやめられます。

    半年くらいは葛藤の連続で辛かったですが、それを抜けると楽でした。
    人間嫌なことって忘れるように出来ているのか、もう学会で教わったことも
    だいぶ忘れ、「今」をしっかり生きることを楽しんでいます。
    心が解放された分、世界の見方が変わり、時に深い闇に絶望的に感じることも
    ありますが、シニフィエさんのおっしゃるとおり、深くて素晴らしい世界の存在
    にも出会い、人生の楽しさを改めて学んでいる日々です。
    やめて良かった!!

    シニフィエさんのブログに出会えて、本当に良かったです。

  3. 流れ星さん、匿名さん、コメントありがとうございます。
    このブログを始めた頃には、私もかなり動転していて、どうにかして創価学会のとんでもない反社会性を暴露しなければと思っていました。そのうち多くの方がこのブログを訪れるようになり、多くの方の賛同をえることができた反面、おかしな方々の攻撃にも会い、このブログの意義も含め、考え直す機会ともなりました。今思えば、いたずらに正義感に走りすぎて、いい気になっていたのかもしれません。やはり自分で気づくしかないというのが結論です。人から言われても気づけないことがよくわかりました。だから、創価学会はこんなに間違っていますと会員に言ったところで、その人自身が自分の頭で考え、自分の心に正直になるしか道はないのだと思います。ですから、このブログを再開してからは、創価学会を直接批難することはやめようと思いました。話の内容が結果的に学会批判になることは仕方ないとしても、学会のおかしなことをあげつらったところで、それで気がつく人はそうそういないと思ったからです。それに同じような土俵で醜く批判し合っている学会と宗門を見るにつけ、自分はそんなところと関わりたくはないと思うようにもなりました。
    匿名さんがおっしゃるように、私もようやく自分の心を解放できつつあるように思います。そしてその心の変化に同調するかのように、まわりのいろんなことに変化が見られ、「ああ、心を解放するということは、こういうことだったんだ」と気づくことができました。それは単に気持ちの持ちようなどではなく、心の様相によって環境が変わっていく。不思議な時の符合を感じることができます。これからは自分の気持ちに本当に素直になれるような生き方を目指していきたいと思いますし、創価学会の恐ろしい精神的呪縛から抜け出すことができた今だからこそ、自由な人生を楽しんでいきたいと願っています。創価学会から抜け出すことができて、心底ほんとうに嬉しいです。自分にも幸せになることができるチャンスを得ることができたのだと思っています。

  4. すみません。
    「匿名」になってしまっていました。
    シニフィエさんのおっしゃること、よくわかります。
    私がこちらへ初めて来させて頂いた時は、休止されてる時で、過去のブログを読ませて頂き、賛同することばかりでした。
    ただ、学会の批判をするだけのブログは、まだ受け入れられない頃だったので、シニフィエさんの訴えかけは、私の中でひたすら押し込めていた疑問や我慢やらを解放する手助けになりました。
    葛藤中は、批判も説得も聞きたくなく、ただまっさらの状態で自分で考え抜きたいと思って過ごし、それができていないことが幸いでした。

    ブログが再開された頃は、とても嬉しかったです。
    私は自分がやめるなんて想像もしてなかったので、家族もいずれは気づくだろうと前向きに行こうと思ってます。

  5. 何度もすみません。
    「それができていないことが幸いでした。」
    ではなく
    「それができたことが幸いでした。」
    です。

  6. ヨーさんだったんですね(笑)。お久しぶりです。コメントありがとうございます。
    私は学会草創期の幹部だった両親に育てられました。4人兄弟で、今も活動をしているのは兄夫婦だけです。父は20年前に他界し、母は認知症で我が子の顔さえ忘れることがあるほどです。以前も書きましたが兄夫婦だけは信心強情(?)で、毎年数百万円の財務をしています。もちろん私の気持ちとしては一日も早く兄夫婦にも気づいてほしいのですが、70歳に近い兄夫婦にとって、創価学会の真実に気づくことがいいのかどうかさえ考えさせられます。まあ、私が何と言っても覆るようなことはないでしょうが、創価学会の真実を知っても知らなくても不幸であることに変わりはないのかもしれませんし、いっそこのまま父と同じように最後まで騙され続けたほうが幸せなのかもしれません。なんとも複雑な気持ちです。もし万が一、兄夫婦が気づくようなことがあれば、同じような経験者として心のケアの手助けをしてあげたいと思っています。

  7. sinifieさん、あなたがこのBlogを立ち上げた頃、多くの人に創価学会の邪の部分を知らしめたいと発信している時がありました。。

    確かわたしは、それに何故?よいうようなコメントをした覚えがあります。。
    それに対し反論も多かったような。。
    (じつは、ハッキリとは覚えていないのですが。。過去のことはサッパリと捨て去ってしまう性格なので。。)

    怒りや憎しみ、恨みなどでは創価学会のことは乗り越えられないから。。
    負の連鎖を産むだけだから。。

    お陽さまの光で、滞っていたものたちが氷解するように。。自分の心の奥底に光り輝くものが、自身を心から納得が行く方向へと誘ってくれるものだから。。

    プライドこそ捨て去って、観心すべきなのですよね。。

    わたしの知る限りでは、創価学会員は、そんなことに思考が及ぶことすらないように思えます。。
    はてな?に至るのは、まだ先かもしれませんね。。

  8. シニフィエさん、お返事ありがとうございます。
    普段、気軽に語れることのできない問題を、こうやって発する機会があるのは嬉しいことです。

    私は祖父母が戦後の草創期の入会でした。
    兄は学園在学中に嫌気がさし未活なので、父は数年前他界したので母と姉一家だけが活動です。
    私も説得したいと思ったこともありますが、私自身が学会の悪口を言われると嫌悪感を
    示していた人間だったので、効果がないこともわかります。

    創価のMCから覚めてくると、実は世の中他にも洗脳だらけに嘘だらけという事も実感し、
    今はそんな社会の中でそれを見抜く力を養うことと、子供を守ることで精一杯です。

  9. シニフェイさん 皆さんおはようございます

    矛盾になぜ、きずかなかったのか

    これは先にも書き込みさせていただきましたが、心から先生を人生の師と仰ぎ長く先生に使えられた超側近の大幹部の方が言っていた

           限りなく本物に近い偽者ゆえに、見破りがたいのだ 

    と、いっておられたこの言葉につきると思います

    今日、脱会して外から見てみるとバカバカしくて吐き気すら覚える思いなのにね、見破りがたいのですね

    狭い教条の教えから心が開放されることがどれほど自分の人生にてとってすばらしいことか

    シニフェィさんもいっておられるように物の見方捉え方が大きく前向きになって心が軽くなるのがわかって嬉しいですよ

      

  10. シニフィエ様 はじめて コメントします まりんと申します 昨年偽本尊を返却し聖教新聞購読をやめました 正式な脱会は出来ずに現在に至ります 未活動になってから 道ですれ違う学会員の態度が急に冷たくなりました こんなものかと改めて思いました 私は創価班も未来部担当も必死にやってきた40代男性です 自分の人生を棒にふった現実の悲しみに明けくれる毎日です 創価が裏側でやってきた事に憤りを感じています また私の母も含め脱会を引きとめようとしてます 気持ちの整理はまだ時間がかかりそうです まとまらない コメントですいません

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