芸術が私を救ってくれた

私の場合、二世であるにもかかわらず、学会員としてはある意味劣等生でしたから、こうして気づくことができたし、かろうじて自我を壊してしまわずにいれるのだと思います。それともうひとつは若いころから芸術の創作活動にたずさわってきたからだと思います。日蓮の教えに従うならば、世界遺産の多くが人々を不幸に陥れる邪教の産物になるからです。私の友人に学会員でプロの彫刻家がいます。彼は日本の仏像彫刻のレベルの高さを知りながら、それがなぜ邪教なのかということに答えを見出せずに、いつも悩んでいました。他にも芸術の価値と日蓮の教義が相容れないことや、仏像の美しさを認めることが法謗になるんじゃないかと、ビクビクしていました。あげくうつ病になってしまいました。
私も若いころは他宗のお寺に行くのは気味が悪かったし、神社の鳥居をくぐるのもいやでした。いま考えればバカみたいですが、そうやって生まれたときから借り物の自我によって大きくなってきたのだと思います。幸い、私が芸術に目覚めたものだから、しだいに学会と芸術の整合性がとれない疑問が大きくなっていったように思います。
たとえばグレゴリオ聖歌やヨハン・セバスチャン・バッハがつくった音楽は教会音楽です。日蓮的に言えば邪教を讃美する音楽です。またモーツアルトのレクイエムは人々を不幸にしたでしょうか。西洋音楽に限らず、古代から神を讃美する信仰から生まれた音楽は、日蓮にしてみれば無用の長物なのでしょうか。またアフリカから新大陸へ奴隷として連れてこられた黒人の悲劇的な運命に救いを与えたのは教会で奏でるゴスペル音楽でした。彼らは独特のリズム感と音感によって神の存在を信じ、讃美することで明日への勇気を与えられていました。世界の民族音楽は、その土地の信仰と深く結びついて伝承され完成されたものです。もし日蓮以外の宗教は人々を不幸に陥れる邪教のものとして排除されたとしたら、世界はなんと味気ないものになるでしょう。まあ、極端な話かもしれませんが、平和と文化を守り創造するという創価学会が、なぜ他の宗教を完全否定するような教義をもとにしているのか、理屈が合いません。また、宗教自体を否定し、チベット仏教を徹底的に弾圧し殺戮してきた共産主義の中国と創価学会が仲良くする理由がわかりません。
この疑問に見事に答えられる学会員がいたなら、私は創価学会にもどってもいいと思います。日蓮の仏法思想によって見事に人間の芸術文化を整合性のある理論で納得させることができたなら、私は日蓮正宗の信徒になりましょう。

これはたとえ話です。しかしその疑問に関して深く考察し、日蓮仏法を世界の道理としてきちんと説明できるのであれば、私は本当に知りたいと思っています。

芸術が私を救ってくれた」への29件のフィードバック

  1. シニフェイさんおはようございます。たびたびの書き込みすみません
    わたしも若いころからクラシック音楽が好きでよく聞いていますしコンサートにも良く出かけます。また絵画鑑賞も大変好きで美術館や展示会に行きます
    仰られていることにまったく同感ですね
    かって学会、正宗問題が一番盛んなときに学会から法華講に戻られた最高幹部の方が学会の誤りについて全国を回られて当地にこられたときに私はシニフェイさんが言われてるような同じことを疑問としてお尋ねしました。今思い返してみれば確かベートーベンの第九さえ否定されて話題になったときでした、なぜ第九を賛美することが行けないのか質問したところ、あれはフリーメイソンの神を賛美する歌、曲だからだめなんだと一蹴されましたね
    まぁ~なんと心の狭い考えと思いました
    歴史とともに名曲や名画が神や宗教をを題材にしたものがほとんど、といってもいいくらいなのにと思いました
    でもじぶんも若いときはすんなりと心癒される宗教曲でも聴けば(ほうぼう)になるんじゃないか、となかなか聞けなかったですね滑稽なマジなお話です。それくらい考えを狭くしてしまう宗教なんですよね
    勇気がわいてくるマヘリヤジャクソンのゴスペル
    心癒されるモーアルトやバッハの宗教曲、またオペラなどすべてを法華講の方は永遠に否定されるのでしょうかね

  2. 昨日、成田山の護摩祈祷のお経を拝聴し不動明王に手を合わせてきました。
    そのあと、般若心経の写経をしてきましたよ。
    いえ、信者ではありませんが、自分がしたいからしています。
    ここ2年ほど1900年の歴史ある神社にお詣りし、あるときは、日本の素晴らしい文化である巫女舞を拝見しました。
    創価学会や日蓮正宗の方は、それを謗法といい、わたしのことを気の毒がることでしょう。
    BSテレビで日本の文化でもある神社仏閣を取り上げた番組をいくつか見ていくうちに、創価学会の行っている信仰と称した活動が、いかに薄っぺらか気づかされました。
    あれは宗教とは言えないですね。
    わたしもサラマンダラさん言われるように、無宗教というか、特定の宗教に縛られずに自由でいたいですね。
    今後も、どこかの宗教に入信することもなく、あちこちの神社仏閣に深い感謝と畏敬の念を持ってお詣りしていくでしょう。
    神仏習合という考えも好きだし、わたしの知り合いが言っていた。。「神さまは喧嘩しないのよ」という言葉も好きです。
    日本が世界が宗教の違いを乗り越えて想いがひとつとなれば、平和な地球になれるのかも。。そんなことを想います。
    創価学会や日蓮正宗のように他の宗教を謗法と蔑んでいるようではダメですよね。ひとつの垣根を越えてみたら、見えてくる世界は広く素晴らしいです。

  3.  シニフィエ様、コメントを掲載していただき、大変恐縮です。
     実は、不躾な内容を書いてしまった、と後悔しておりました。

     シニフィエ様の芸術に関してのご考察、拝読いたしました。ただ、どうしてこうまで創価学会の信仰が、シニフィエ様やご友人を苦しめるのか、不思議に思いました。法華講は信仰対象については、謗法厳誡ですので、厳しいのですが、クラシックを聴くことや世界の芸術を堪能することを謗法とは決めつけておりません。他宗の神社仏閣を見に行く、その芸術的素晴らしさを褒めることなどを禁止することは聞いたこともありません。昔からそうです。学会の指導だけでは?と思います。そんなことを禁止していたら、正常な社会生活を送れませんよね。

     総本山第9世に日有上人という方がいらして、『化儀抄』という書物の中で、そういうことを述べられています。いま、思い出しましたが、御隠尊・日顕上人様のご親類のお墓が、禅宗の墓地にあり、そこで読経・唱題するのは謗法だ、と学会の方が大騒ぎし、お寺にも押しかけてきたことがありましたが、これも『化儀抄』に照らして、問題ないのです。異常に謗法、謗法と触れ回ってきたのは、学会だけではないでしょうか。

     まず、「創価学会の指導=日蓮正宗」という思考を一度お止めになってみては、いかがでしょうか。そうすると、日蓮大聖人様への考え、解釈もまた違ってくると思います。私が思いますのは、シニフィエ様やここにコメントされている学会に関係された方々は、池田大作氏と幹部の方たちの解釈・指導を、日蓮正宗のそれだと思われているようですが、これは、違うのではないかと思います。聖書やコーランも、指導者によっていかようにも解釈されますので、それと同じではないかということです。猊下様が仰ったことでいろいろ思われるなら、それは正宗の教義ですので、議論の余地があると存じますが、学会の指導・解釈をそのまま正宗のそれと思われ、味噌も糞も一緒だとなると、正宗の信徒として異議を申し立てたくなる気持ちをお察しいただけたら幸いです。

     学会と縁を切った方も、未だに「学会目線」で物事を見ていらっしゃることが残念です。「学会目線」とは、他者を一つの考えや見方でもって切り捨てる、ということです。「学会=正宗」というのも、一つの見方に過ぎません。現に、学会は正宗の教義から逸脱し続けたので、破門されたわけです。私が端的に思う学会と正宗の違いは、慢心を増長させる宗教か、戒めるか宗教かの違いだと思います。正宗の信仰は、日々自己の振る舞いを振り返り、よりよく生きることが眼目です。その根本に勤行・唱題があるのです。

     またまた、長文失礼いたしました。
    もし、シニフィエ様がこれは「コメント欄を利用した折伏だな」と思われましたら、どうか不掲載にして下さい。日蓮正宗の宣伝をしたいわけではありませんので(笑)。蒸し暑い日が続いておりますが、どうかご自愛くださいませ。    
     
     

     

     

      

  4. 学会=日蓮正宗の件ですが、どの視点で見るかによっては正解でもあり誤りでもあると思います。
    正宗は、学会がやっている(いた)ような、組織を挙げての違法行為はおそらく、していないと思います。

    その意味ではまともなのかもしれませんが、ありもしない功徳とかいうもののために
    信仰をしている、この点では学会と同一であると私は考えています。

    シニフィエさんも言っておりましたが、せっかく私も学会の洗脳から目が覚めたのに、正宗を含めた他の宗教に
    入ろうなどという気は全くありません。むしろ、学会から目が覚めて正宗や他の宗教に移る人が
    いることに驚きます。

  5. とある法華員さま、はじめまして
    クラシック音楽といっても、キリスト、神を限りなく賛美する宗教曲、そしてまた宗教絵画、これらキリスト教を外道と一蹴する日蓮信徒が正宗がすばらしいと諸手をあげて賛美することなどできるのでしょうか
    第九のことを書きましたがこれは学会が第九の演奏会をしたときに正宗のほうから批判があったことを覚えています
    クラシック好きな私はそのとき、仮に(失礼ですが)正宗が世界に広まっていったときあなた(とある法華講員さま)の言葉のごとくそんなことを禁止していたら、正常な社会生活を送れなくなってしまうと、これらの名画や音楽はどうなってしまうのだろうと思ったものです
    指導者によっていかようにも解釈されますという当たり障りの無いお話では誰を信じれば良いのかわかりませんね
    話し変わりますが
    親が無くなってから後、法華講員の方が足しげく私の説得勧誘に半年か、こ一年こられていましたが私はもう宗教はこりごりと思っていましたので丁重にお断りし続けておりましたが、ある日ついにというかあきらめられたというか最後に言われた言葉は

    あなたは傲慢ですねの捨て台詞を残してお帰りになりました

    私はあっけにとられてしばらくあぜんとしたまま立っていました。法華講員にならなかったら傲慢なのでしょうか
    私はこのときつくづく思いました。これでは学会と同じじゃないかと
    とある法華講員さま、学会からも正宗からも離れてしまえば50歩、100歩ほとんど変わらずみえますよ、それも客観的に良く見えます

  6. とある法華講員さま

    コメントありがとうございます。

    >どうしてこうまで創価学会の信仰が、シニフィエ様やご友人を苦しめるのか、不思議に思いました。

    知らなかったとはいえ、自分がまちがった生き方をしてきてしまったことがわかったときの絶望感は、それこそいまだに抗鬱剤が欠かせないほどのショックです。以前からうすうす疑問に感じていたり、学会の組織がおかしくても、大聖人の仏法に間違いがあるわけがないと、これは生理的に否定できないでいました。それとやはり「地獄に堕ちる」という強迫観念を子どものころから植え付けられていますから、真実に気づいた時の「とりかえしのつかなさ」に対して、とてつもない無力感に襲われたのです。自分が信じていたものが間違いだった。それどころかとんでもない社会悪の片棒を担がされていたことに気づいたときの苦しみです。おそらく学会二世三世で学会の間違いに気づいた人は、多かれ少なかれそのような苦しみを味わったでしょう。

  7. 訂正します

    それも客観的に良く見えます >>それも客観的によくわかりますよ

    とある法華講員さま

     ついでにといえば失礼になりますが、次にシニフェイさんがあげられている ピエタの彫刻の前で正宗の信者として
    すばらしい なんて言えるわけ無いと思いますがね それこそ大謀法になるのでは?いかがでしょうか

  8. 私は正宗なら正宗で信仰されることに何も意義を差し挟んだりはしません。それは正宗は宗教であり、信教の自由が保障された国ですから、それが正しいとか正しくないということを他人にとやかく言うつもりはありません。ただ自分が思うことを自分のブログで言っているのですから、宗教を批判していると捉えないでください。ただし創価学会は宗教の衣を装った詐欺集団です。被害者は会員です。加害者は池田名誉会長率いる組織の上層部です。宗教ではなく社会悪ですから批判します。私の親兄弟も大変な被害を被りました。しかし両親も兄夫婦も被害者であることすらわかっていません。おそらくよほどのことがないかぎり気づかないままでしょう。
    よほどのことというのは、まず近々予想されるのは池田氏が亡くなったときに、組織が持ちこたえられるかどうかだと思います。創価学会の資産と池田氏個人の資産がどのようになっているのかは知りませんが、池田氏個人も相当溜め込んでるでしょうから、相続税をどのようにするのかは見物ですし、創価学会の資産が池田氏の死後にどのように扱われるのかも興味があります。そもそも毎年の財務でどれだけ非課税のお金が舞い込み、地方の会館建設ラッシュで、土地や建物も相当買い込んでいます。池田氏亡き後、創価学会の経理がこれまで通り隠し通しきれるのかというところでしょう。創価学会員は卑近な利害で繋がっています。けっして信仰心などではありません。だから功徳と仏罰によって心をがんじがらめにされるのだと思います。
    そうした意味においても、創価学会と日蓮正宗は基本的にまったく別物であると思います。こっちがだめだったからこっちにというようなものではないでしょう。正宗の信仰をしていらっしゃる木花さんやとある法華講さんは、とても紳士的に丁寧に正宗のことについて語ってくださいました。それはとても感謝しています。こうした対話はとても有意義だと思います。だからこそ私も正宗に関しての疑問を正直に書いています。これを批判とか攻撃だと思わないでください。私は創価学会の両親のもとに生まれた学会二世として、残念な人生をそれとは気づくことなく送らなければなりませんでした。そしてそのような人が日本にはたくさんいることもネットを通じてわかりました。そしてもうひとつわかったのが、創価学会の人には対話が成立しないということです。なにごとも自分たちの信仰が一番であり、それ以外は不幸になると本気で信じていますし、それ以上のことを考えるスキを与えないものすごい組織ですから、まわりから何を言っても無駄です。もうそれは完全に諦めています。たとえ親兄弟でさえ無理なものは無理のようです。自分で気づくしか方法はないと思っています。

    何度も繰り返しになりますが、私は宗教は否定しません。宗教を否定することは芸術もまた否定することになるからです。さらに芸術を否定する宗教は、宗教としてどうなのかという疑問はあります。だから私は正直に日蓮系の宗教には拒否反応があるということを先に述べました。そうした意味ではまだ高度な芸術を生み出した禅宗のほうに興味があります。いずれにせよ私は自分の人生と宗教との関わりをどのように折り合いをつけていけばいいのかということを、最初から探っていかなければならないと考えています。だからどんな宗教も否定はしません。そして創価学会は断じて宗教などではないということは断言できます。

  9. サラマンダ様

    キリスト教美術が芸術的に素晴らしいとは、問題なく言えますよ。
    ほかの仏教美術(仏像なども)も息を飲むほどの素晴らしい作品がたくさんあり
    ますよね。

    謗法とは、信仰対象についてです。芸術作品は信仰対象でないなら、謗法では
    ありません。では、ある芸術的に優れたもの(仏像にしましょうか、)を信仰対象に
    していたら、謗法かどうか。
    それは、謗法です。ですから、信徒としては、日蓮正宗のご本尊様を信仰対象に
    するべきですよ、と言う事になります。その人が何を本尊としているか、それが
    問題です。この仏像は本尊でなく、美術作品だ、という認識であれば問題ないで
    しょう。

    >ついでにといえば失礼になりますが、次にシニフェイさんがあげられている ピエタの
    彫刻の前で正宗の信者としてすばらしい なんて言えるわけ無いと思いますがね 

    と断定されていますが、どうしてそうお考えなのでしょうか?

  10. シニフィエ様

    シニフィエ様のコメントに大賛成です。シニフィエ様が正宗を含めて、宗教批判をされる意図でないことは、
    重々承知しておりますのでご安心下さい。

    サラマンダ様から質問が寄せられましたので回答しましたが、このブログで正宗の教義を聞かれて私が答えても、
    それがシニフィエ様のブログの趣旨に合わないのではと思い、心配です。私は正宗の信徒ですが、正宗の代表者では
    ありません。私が理解している範囲で答えていますので、間違えていることもあると思います。それは、過激な言動を
    されている0001今も活動家。様も同じことだと思います。0001今も活動家。様の大上段からの物言いは、本当に法華講員
    なのかと疑いたくなります。法華講員だろうが、学会員だろうが、人としてマナーは守るべきです。

    本当に正宗の教義が知りたければ、近くの寺院の御住職様にお聞きいただくか、猊下様の御指南集をご覧いただけ
    れば、言うまでもなく一番正確です。

    私、今日一日かけて、シニフィエ様の過去の記事を読ませていただき、本当に創価学会という組織の有り方が、
    大変な社会問題になっているという認識を強く持ちました。シニフィエ様の体験・ご意見に心が苦しくなり、何度も
    気分転換のため、ベランダに出て沈思黙考しました。

    私の疑問は、同じ日蓮正宗信徒だったのに、どうしてこうまで異なってしまったのか、ということです。昔から異質に
    は感じていましたが、もう少し理屈で理解したいのだろうと思います。私の認識ですと、この欄では様々な立場の
    方が、多角的に「創価学会」を論じるべきだと思うのですが、いかがでしょうか。

    サラマンダ様、流れ星様、お二方のご意見や生き方について云々する資格は、私には毛頭ありません。シニフィエ
    様のおっしゃるように、ここではどんな生き方も是とし、あらゆる角度から創価学会を論じるべきではありませんか。
    私の希望は、学会の信仰の素晴らしさを堂々と主張する方のご意見を知りたいのですが、やはりそれは無理
    な話でしょうか。

  11. とある法華講員様
    あなたさまのお考えはたいへんよく理解できました
    ピエタの像があまりにも宗教的に高度に敬謙なものを象徴しているので増してをや正宗からすれば。外道の神を象徴的にあらわしたものを私は、到底賛美などできないであろうと自分の長い経験からお伺いいたしました。
    その昔は他宗の鳥居さえくぐることに恐怖を覚えた経験すらあります。そのような教えはいったいどこからきたのでしょ
    とある法華講員さまが他の法華講を戒められておられますように、また自らおっしゃられていますように指導者によっていかようにも解釈できるというのは困ったお話ですね
    先にお話しましたベートウベンの第九の話も自ら悔いて法華講に戻られた名前を挙げれば誰でもご存知の方です
    なぜこうも極端に同じものを信じているにもかかわらず、解釈が違うのでしょう
    いえば御住職のお話さえ、ふつうにかんがえても頭をかしげるようなお話をされる方もおられましたよ
    ですから、とある法華講員様のお考えがすべての講員の考えであることを願いたいですね
    もつと、もっとこの場をお借りしてでも真摯な意見をいろんな方からお聞きしたいものです

  12. 木花さんへ

    とても心のこもったコメントをありがとうございます。感激です。非公開ということでしたので、そのとおりにさせていただいていますが、できれば公開させていただきたいほどすばらしいコメントだと思っています。木花さんのような方と対話ができてとてもうれしく思っています。今後ともよろしくお願いします。

  13. とある法華講員さんへ

    私のこのブログでの意図をご理解していただいて、たいへんうれしいです。父の墓は今も正宗の寺院にあります(骨は半分ですが)ので、今年のお盆には堂々とお墓参りができそうです。今後ともよろしくお願いします。

  14. シニフィエさんのお気持ち考えよくわかりました。
    私も正直に書きますが、もし不快になれれたらお許し下さい。

    学会員・元学会員が全員がみなそうだとは申しませんが、黒か白、0か100、二者選択思考の方が多くて、それが攻撃的な印象を個人的に受けます。
    物事はわかないことが多く、白黒はっきりとできない部分、わからない部分が大半であり、それが人(凡夫である自分)を成長させる部分でもあると思っています。
    考える余地をあたえない思考は自らの成長をスットプさせる危険な思考であり、創価の洗脳そのものです。

    他宗教の影響を受けた芸術を日蓮正宗は認めないという考えは元学会員さんたちの希望のように思えます。
    私は書道も茶道も好きですし、能も素晴らしいと思います。
    ピエタも拝見したことがありますが、とても素晴らしいものでした。
    一級の芸術は人間の精神性を追求されていると思うので、仏教と通じるものがあると思います。

    茶道は禅宗のわびさびから来ていますが、いらない動作を省いた究極の作法であり、とても心が落ち着きます。
    日蓮正宗では法華経以外の仏教の経典の話をすることもあり、仏教のお経を否定はしていません。
    法華講仲間が集まるブログがあるのですが、そこには禅宗の方も来ます。
    その方はシニフィエさんと同じで、禅宗からくる芸術に魅かれて禅宗の信者になったと言ってました。
    ふつうに会話のやりとりしています。
    般若心経を信仰するある宗派の経典?らしきものを見たことがありますが、法華経が載っていて驚いたことがあります。
    その時、法華経は認められているんだなぁと思いました。

    指導者によって解釈が変わるのではなく、個人の捉え方の問題ではないでしょうか。
    学会員から法華講になったからといって、いままでの境涯が一瞬にして変わることはありません。
    どんなに素晴らしい法を知っていても、実践できなければ何の意味もないです。
    それなら毎日の唱題修行など、修行はする必要はないですよね。
    今も活動家さんは法華講の名を語って、人を脅しているだけで学会員と同じです。

    何の目的でしつこく仏罰を連呼され、読者を不快にさせているのか、理解に苦しみます。
    何か別な目的があるのかな・・・法華講という形で日蓮正宗を貶めたいのかもしれませんね。
    明らかに御書は読まれていないことだけはわかります。
    大聖人の教えをわかっていない人です。

    無明の人が悪いわけではありません。
    闇を彷徨っている人が修行によって、仏界を開いていく生き方が大事です。
    だから法華講さんたちは菩薩行をされているのです。
    今も活動家さんのしていることは菩薩行ではありません。

  15. つづきです。

    学会員は池田さんによって自分の中の不平不満を刺激され、代弁してくれる池田さんに魅力を感じたんだと思います。
    学会員は騙された被害者でもありますが、社会に迷惑をかけた加害者でもあります。
    そして自分を洗脳している人でもあります。それは自我がなかったからでしょう。
    創価のマインドコントロールにかかる人とかからない人の違いはそこにあるのです。

    池田さんは日本に創価王国を作るために、日蓮正宗や大聖人の教義を利用しただけで、学会員はそれに気付けなかっただけなのです。
    ところで、学会員や元学会員さんは日蓮正宗を批判しますが、大聖人の教えを正しく理解できたのでしょうか。

    ある学会員は自分のブログである御書の解釈をしていましたが、日蓮正宗の解釈とはまったく逆のものでした。
    御書をきちんと読めば、学会員の解釈が間違いであることはすぐわかります。
    あと創価のホームページに載っていた、仏典に出てくる話が他宗はと微妙に違っていました。
    お釈迦様の話でしたが、創価は微妙に変えて信者に伝えているんですね。
    なぜ、そんなことをしているのか知りません。
    そして、海外創価いわゆるSGIは仏教研究所となっています。
    たぶんどこの国でもそうなんでしょう。
    創価は仏教ではないということ元学会員さん達はご存知なのでしょうか。

    なので創価=正宗ではありません。
    それを創価=正宗という思考で話されているなら平行線で終るでしょう。
    学会員は元々、日蓮正宗の教義は知らないし、似非教義を教えられていただけです。
    騙す側にすれば騙される人が必要だった。
    池田創価になってから教義なんて初めからなかったのです。

    自分に起こる事は自分が引き寄せているわけで人のせいにはできません。
    学会員になって後悔したのなら、自分を反省すべきだと思います。
    私はそうしました。

    あのコメントは非公開でお願いします。
    誤解や攻撃の元になり、日蓮正宗や法華講さんにご迷惑かけるので・・・。

    またまた長文になってしまい大変申し訳ありません。

  16. 訂正

    物事はわかないことが多く→×
    物事はわからないことが多く→〇

    他宗教の影響を受けた芸術を日蓮正宗は認めないという考えは元学会員さんたちの希望のように思えます。の「希望」はそうであってほしいという願いのことです。

  17. 木花さんととある法華講員さんへ

    すみません、おふたりが私の素朴な疑問を噛み砕いてやさしく答えていただいているのでかえって恐縮なのですが、多少論点がずれているような気がしますので確認させていただきます。ちょっと意地悪に聞こえるかもしれませんが、決して論破しようという意図はありませんのでご理解ください。討論ではなく対話として話を深めていけたらと思っていますのでご理解ください。

    木花さんやとある法華講員さんが仰るとおり、正宗の信者さんが他宗の影響を受けた芸術も受け入れていることは理解できます。でも、私が言ってるのは今の信者さんの対応の話ではなくて、日蓮自身が言っている法謗の定義です。日蓮の主張では四箇の格言のとおり、禅天魔だったり念仏無間だったり、さらに仏教以外の他国の宗教においては話にもならないという宗教の貴賎をはっきりと謳っているわけです(もしそうではないのであればはっきり言っていただいてかまいません。私の長年の創価学会の経験による勘違いかもしれません)。そして立正安国論をもって三たび国家諫暁するほどまでに人々の不幸の原因が邪宗にあると主張し続けたのは、学会だけの誇張され曲解された話ではないですよね。今の正宗の方が他宗の芸術に寛容であるならなおのこと、日蓮は正宗においては末法のご本仏なのですから、仏の言うことに時代がそぐわなくなったということ自体、日蓮本仏論を否定するか、もしくは今が末法であることを否定してしまうことになるのではないでしょうか。つまり日蓮が末法万年にわたる仏であるとすれば、700年かそこらでその教義の根幹をなすところが変わるというのもおかしな話であるような気がします。
    個人的な気持ちをいえば、人類の歴史に残っている崇高な芸術を否定してしまうかのような教義をもつ宗教よりも、今の正宗の方のように仏像やキリストの母子像に素直に芸術的価値を認められているほうが自然な気がします。しかしそれでは教義をどう捉えるのかという矛盾が生じます。私はそのあたりをいくら考えてもわかりません。私の素朴な疑問はそうした単純なものです。それとも日蓮について私の認識が基本的に間違っているのでしょうか、ご教示いただければと思います。

  18. おはようございます。
    一度くらいのコメントでは判りづらいのだと思いますが、論点のずれというより、とある法華講員さんと私が話しているのは日蓮正宗での教えで、シニフィエさんや他の元学会員さんが語っているのは学会の教え(指導)なので、かみ合わないんだと思います。
    確かに立正安国論では邪宗が不幸の原因、あらゆる災いの源ということで、日蓮大聖人は国家諫暁行っていますが、貴賎を謳うという解釈は学会独自ものではないでしょうか。
    シニフィエさんの解釈で物事捉えると、他宗教の信者も否定しなければいけませんよね。
    大聖人の教えは衆生の救済であり、排除したり支配したりする教えではないです。
    学会員が受けた教えは強制であり、大聖人の教えを拡大解釈したまったく別のもの、学会に有利に解釈した歪んだ教義ではないでしょうか。
    たぶん、日蓮正宗は間違っていて、学会こそが教義を正しく行っていると学会員にアピールするために教義を歪曲解釈したんだと思います。
    そうでなければ、学会員の言い分と法華講の言い分がここまで大きくずれたりはしないです。

    学会員が受けたものは日蓮大聖人の教えというより、池田さんの指導です。
    牧口・戸田創価から池田創価になってから、教義逸脱や板御本尊を8体も勝手に作るなど、大謗法をしてきて、その度にご法主様が諌めてきましたが、池田さんは聞く耳を持つことも信仰をすることもなく、破門劇を自ら起こし独立しました。
    そして、このたび信濃町に総本部というテーマパーが完成するそうですね。
    地元の地主さんが土地を売らなかったため中途半端なものなったそうですが・・・。
    大石寺の参拝登山を信者の一大イベント思っている池田さんに学会員は指導され育ったのです。
    その学会の教えを今もしっかりと持たれているということは、洗脳が解けていないとになりませんか?
    それが借り物の自我ではないかと・・・。

    もっと根本的なことを言うと、学会は寺院僧侶否定の教えがあります。
    その教えを信じている人がどうして僧侶である大聖人の教えを語るのか、私は不思議なんです。
    仏教を否定し、仏教の戒律を破っている教団が、正しいなんてことあるでしょうか。
    学会を辞めてもしっかりと学会の教えが残っている。
    それほど強い洗脳を学会員は受けたという証でもあります。
    学会員が一番最初にしなければならないことは覚醒だそうです。
    学会の教義を日蓮正宗に当てはめるから、意見が合わないのだと思います。

  19. シニフィエさんへ

    自分の意見を述べさせて頂きましたが、正しく教えを学ぶには宗門の御住職様を尋ねる以外ありません。
    お盆のお墓参りでお寺に行かれた際に、そのような機会があれば一番よろしいと思います。
    私の意見はまだ修行途中の一法華講員ですので、間違いもあろうかと思います。
    今、思っていることを書かせてもらっただけですので、私の意見が日蓮正宗の教えだと思い込まないで下さい。
    ただ、学会の教えと日蓮正宗の教えは違うということを言いたかっただけですから。

  20. 木花さん、さっそくのコメントありがとうございます。
    すみません、ちょっと仕事の都合ですぐにはお返事ができそうにありませんので、とりいそぎお礼を申し上げます。
    木花さんとの対話でより真実へと深めていければと思っています。よろしくお願いします。

  21. とある理由でこのブログに訪問してしまいました。少しだけ対話の中に入らせて頂いても宜しいでしょうか。もし、気にそぐわないなら、削除して頂いてもかまいません。

    木花さんという方の発言が、このブログの本質から乖離して、事実を歪曲されていますので、学会側擁護の立場で軌道修正させて頂きます。

    signifieさんのお話の主旨は、日蓮仏法は「五重の相対」や「四箇の格言」から芸術否定に繋がるとし、その思想を体現しているのが学会であり、芸術を愛する貴方としてはその思想とは相容れないため、脱会されたということと思いますがいかがでしょうか。

    現在、学会は世界192ヶ国・地域に広がっており、それぞれの国で、それぞれの言語を使い、その国の文化や芸術の土壌で、いきいきと日蓮仏法を行じています。
    まず、この世界への広がりの一事を持ってしても、日蓮仏法の深遠さが垣間見れると思いますし、なかんずく、その国の文化や芸術を否定して成り立つものではありません。

    ここで大事なことは、その誤った宗教・思想を信仰対象にしているのか、その宗教・思想を人生の行動原理や価値基準にしているかどうかだと思います。

    そうでなければ、ある宗教から派生した文化や芸術は宗教色があっても謗法とならないというのが私が教わった学会指導です。

    身近な例としましては、この日本においても、多くの学会員がいろんな地域に根ざして活動を展開しておりますが、有名な話しのひとつとして、神社の境内で飲食店を経営していた学会員が、ここで商売をするのは謗法なのかどうか、池田先生に指導を受けた際、先生は全く謗法ではないし、立派に仕事をする人間が最も尊いんだと激励され、自らその鳥居を悠然とお渡りになられました。

    また、聖教新聞にも記載されましたが、地域の行事で山車祭りがあり、その山車祭りに参加することは謗法なのかという質問に対して、謗法ではないと学会の指導ではそうなっています。

    つまり、宗教色のある建物や芸術品などは、世の中に多くの存在しますが、それそのものが謗法ではなくて、それを信仰対象に据えることが謗法であるということだと思います。

    であるから、学会はベートベン第九の歌を唄いましたし、それは歌そのものは芸術なので謗法ではないからです(宗門はこれも謗法だということで破門の原因になりました)。

    かつて、ローマ法王と池田先生の対話が実現しようとしたとき、宗門からそれは謗法だと横槍が入り、中止になったことも有名な話しです。

    日蓮仏法には「随方毘尼」という考え方があります。

    http://www.sokanet.jp/kaiin/kisokyogaku/jissen/14.html

    つまり、信仰の対象にするかどうか、その根本的な誤りをしなければ、その国の文化や習慣などに従っても良いとしています。

    以上のことから、学会はその国や地域の文化や芸術を最大に尊重しながら日蓮仏法を広めてきたからこそ、世界へ大き広宣流布してきたのでしょう。

    逆に、今の宗門に至っては、御書にも書いていないような「僧侶の言うことを聞かなかったら謗法」とか、「学会が建造した建物は謗法」などと、建物にまで 難癖をつける始末で、350億円もかけて建築した建造物を平気で取り壊すといった暴挙を見る時、気に食わないものは取り壊す、破門するという宗門の恐ろしさを覚えるとともに、深遠な日蓮仏法を貶めてしまっていることに、残念で仕方ありません。

  22. excommunicateさん、コメントありがとうございます。
    申しわけありませんが、いま仕事が超多忙な時期の真っ最中で、せっかくのコメントに対してきちんと応えていく時間的な余裕がありません。excommunicateさんのコメントの一つひとつにお応えしたい気持ちはあるのですが、私の仕事が滞ると多くの方にたいへんなご迷惑をかけてしまいますので、今はほんの少しだけ要点だけでも書かせていただき、もしexcommunicateさんがこの場での対話を続けてもいいというお気持ちがあれば、私としては大いに歓迎します。
    ただ、おわかりのように、私は学会二世の現在54歳の男で、一昨年学会のまちがいに気がついてから、このブログにその思いを書き綴ってきました。自分の人生においてとりかえしのつかない大変な時間と労力と費やしてきたことと、友人知人に向かって大言壮語におかしな似非宗教団体の正当性を主張してきたことを本当に後悔しています。
    今の私の基本は、創価学会は宗教団体ではなく、宗教のとりわけ日蓮の排他的な教義を利用した詐欺集団であるというところです。それが50年間以上も創価学会員をしてきた私の結論です。学会の2世3世は、そのことに気づいて脱会している人がとてもたくさんいるということもわかりました。このブログにはそんな方々からの共感のコメントがたくさん寄せられました。ここはそんなブログです。
    まず最初に、あえてexcommunicateさんが創価学会を擁護するコメントをこのブログにされるということが、どういうことであるかわかっておられるのかを確認させていただきたいと思います。
    いまの段階でここでの対話の論点は芸術と宗教ということを考えた時に、日蓮仏法に即して芸術を捉えると、人類の残して来た優れた芸術の多くは法謗のひとことで片付けられてしまうのではないか。もしそれが違うと言うのであれば、日蓮の教義は時代によって変わってもよしということなのだろうか、という素朴な疑問からです。

    私は創価学会が他宗がもとになる芸術をどのように捉えているかを問題にしているのではなくて、日蓮仏法の教義と他宗教がつくり出してきた芸術性の整合性がとれないのではという問題点を挙げました。池田氏がローマ法王と対談して何をしようとしたのか知りませんが、そんなことは問題にも何もなりません。それ以前に私にとっては創価学会は恐るべき詐欺集団なのですから、マリア・テレサとデートしようと、ダライ・ラマとパズドラしようとどうでもいいことなんです。私が創価学会を宗教団体として評価する余地は微塵もありません。それはいったんおかしいと気づいてからすべてが見えてきました。カルト宗教のMCが解けるというのはそうしたものなのでしょう。たいへん失礼な言い方で申しわけありませんが、ここで学会の正当性をexcommunicateさんがどんなに主張されても、ここではそうしたことが論点になっていない以上、対話にならないと思います。また、excommunicateさんがコメントされている内容は、いつも学会がしている通り一遍の言い訳にしか聞こえません。私は昨日今日学会を知った人間ではありません。ものごごろつく前から学会の中にどっぷりとつかってきた人間です。たとえば私が子供の頃、柏原ヤス氏が夜遅くに突然私の家を訪問したことがありました。旅行先で買った記念のおみやげ品や、両親が友人からもらった贈りものにちょっとでも宗教色を見つけては両親を烈火の如くしかりつけました。それはほんとうに些細なものばかりでした。「あなたがこんなことでどうするの!」と怒鳴っていたのを子ども心によくおぼえています。当時の学会は他人の家にあがりこみ、神棚や他宗の仏壇を焼き払わせることを強引にやっていました。これはでっちあげなどではなく、幼い私を毎日のように連れて歩いて会員の指導をしていた私が見てきた私の母親の姿です。

    まあ、これはほんの一例ですが、もしexcommunicateさんがこのブログでの対話を望まれるのであれば、徹底的に本音で語っていただきたいと思います。ここは創価学会のホームページに書いてあるようなきれいごとが通用するような場所ではありません。また何度もここで言っている通り、このブログでは宗教の優劣を議論したり、他人の信教の自由を攻撃したりするような場所でもありません。そして何度でも言いますが、私がここで学会を批判しているのは学会がやっているのが信仰ではなく、金と権力を組織の頂点に集約するための不法行為だと思っているからです。

    もし、それでもexcommunicateさんがここでの対話を望まれて、創価学会の正当性を主張したいのであれば、池田氏がここ2年半以上も一般の学会員の前に姿を現わさない理由をなぜ誰も知らされていないのかを、客観的に納得できるような説明をしてください。仏法用語にはありもしない師弟不二を指導してきた張本人がなぜ弟子の前に何年も姿を現わさないのか、学会員はいろいろと勝手な理由を話します。しかしそれはどれをとってもなんの客観性もありません。私が知りたいのは「なぜ姿を現わさないのか」ではなくて、師匠が姿を現わさないにもかかわらず、弟子に対して何一つその理由を説明されないことに、どうして弟子は疑問をもたずに選挙や財務に没頭できるのか不思議でなりません。私は自分がそんな不思議な組織に何の疑問も持たずに自分の人生をつぎ込んできたことに、心を病むほどショックを受けました。このショックを一掃できるほどの明確な回答がこの場でexcommunicateさんにできるのであれば、私はexcommunicateさんと大いに対話をしてみたいと思います。そんな明確な回答によって私の創価学会の見方も変わるのはもちろん、ここを訪れるアンチとよばれる方々や正宗の信者さんをはじめ、マスコミも財界も芸能界も政界も、学会に対する印象が大きく変わると思います。できることなら是非そうしていただきたい。また「白バラ通信」に書かれている高倉先生の驚くべき学会とのやりとりに関しても、excommunicateさんがここで学会の正当性を明確に示していただけるとありがたいです。

  23. タイトル 高倉先生が、戦っている池田大作・創価学会とは 

    平成20年2月12日に、
    原告は、創価学会幹部の和田公雄氏(以下、「和田氏」という)から
    「将来、髙倉さんが忘れた頃に、創価学会とは直接の因果関係が分からない者に、

    髙倉さんを殺させる工作をするはずだ。

    本体(池田大作創価学会名誉会長のことを意味する言葉)は、
    自分を批判した者は絶対に許さない。
    目と目を合わせた上で、すっ飛んで行って、
    相手を殺害するような人間が、創価学会本部には大勢いる。

    本体の取り巻きは、髙倉さんとその家族がバラバラになることを面白がっている。
    誰も、髙倉さんの家族の将来のことなど考えていない。」と、電話で告げられた。

    質問―1
    池田大作の現在の姿が、創価学会の信心の結果である。
    この意見へのコメントは如何。

    質問―2
    池田大作の現在の姿は如何。

    「にせ本尊」を発行し、700万人の創価学会員を地獄に導いた
    現代の一凶である池田大作が、地獄に墜ちなければ、仏法は、虚妄になる。

  24. 0001今も活動家。さんへ

    「白バラ通信」でのコメントと同じものをこちらでもコピペされているようですが、こうした行為はあなたと同じ法華講の方たちの信頼を大きく損なうものでしかありません。他人のブログの内容を無視して自己主張ばかりをされるようでは、これ以上あなたのコメントを承認するわけにはいきません。それほど言いたいことがあるのならご自分のブログでやってください。お願いします。

  25. 流れ星さんへ
    コメントありがとうございます。私もそう思います。自分の思想信条に関して批判されるのは、誰にとっても気持ちのいいものではありません。もしかしたら自分はとんでもない思い違いをしているのではないかと自己検証する勇気がほしいですね。何かを信じることは素晴らしいことだし大切だと思いますが、真実へ目を向けるために疑うことも大切だと思います。創価学会の会員は創価学会が一番で、他の信仰では幸せになれないということをひたすら植え付けられて、それ以上のことを考えられないように指導されています。学会では指導=MCといってもいいでしょう。カルトに代表される思考停止のシステムですね。自分でものごとを考える。これができれば創価学会の真実に気づくことができるのだと思うのですが、そこがいちばん難しいのだと思います。

  26. ご丁寧なご返答を頂きまして、誠にありがとうございます。お仕事で重責を担われてい
    ることでしょう。そんなご多忙の中で、拙い私の為にご返答頂いたことに大変感謝申し
    上げます。そして、対話を続けて頂けることに大変嬉しく思います。

    私は学会三世です。あなたと一回り年が若いと思いますので、所詮は若造の戯言と一蹴
    して頂いても仕方ない身分です。私の祖父は九州のある地域で産まれました。そして、
    真言宗の強信者として、当時は地域でも大変有名だったようです。
    その祖父が草創の学会員の友人から強烈な折伏を受けて入信しました。この当時の経緯
    は、また、機会があるときにお話しさせて頂ければと思います。

    Signifieさんの長い人生経験の上から培われた学会への見方については、ここで端的に
    済まされるような軽薄なものではないことは重々承知しております。その上で、私は、
    一方的に自分の主張を押し込むようなことをする為に、ここに来たワケではありません
    せんし、そのつもりも毛頭ございません。しかしながら、Signifieさんがご主張される
    ことと、若輩の私がこれまで体感してきた事象との深い溝についての意見交換、つまり
    対話を継続できましたら大変幸いです。

    Signifieさんが御主張される

    「芸術と宗教ということを考えた時に、日蓮仏法に即して芸術を捉えると、人類の残し
    て来た優れた芸術の多くは謗法のひとことで片付けられてしまうのではないか。もしそ
    れが違うと言うのであれば、日蓮の教義は時代によって変わってもよしということなの
    だろうか、という素朴な疑問」

    について、私がお答えしたいがために、先のコメントで愚昧を申し上げたつもりでした
    が、それ以前に、「日蓮仏法を創価学会が行じていない」ので、「創価学会の主張は意
    味を為さない」とお考えであると思います。そのお考えが根底にあるので、創価学会が
    草創時代から今日まで成してきた活動をもとに主張する私の意見が、日蓮仏法からの意
    見ではないから意味を成さないとお考えなのでしょう。

    そう、Signifieが「どっぷりつかっていた」とされる学会のご経験から、もはや私のよ
    うな学会員からの主張が受け入れられないくらいの御心境に達していることは十分推察さ
    れます。そのひとつの例が、大変貴重な御経験だと思いますが、牧口門下生のお一人で
    、戸田第二代会長時代から、池田先生と共に戦われた柏原ヤスさんのお姿だったのかも
    しれません。

    推測ですが、お土産や友人からの贈り物に他の宗教色があったことで、大変お叱りにな
    られたということですが、その当時のご背景は当事者ではない私には到底知る由もない
    です。ただ、ひとつ知りたいのは、その柏原ヤスさんのご指導で、Signifieさんのご両
    親はどう思われたのでしょうか。これは大事なことであると思います。

    また、学会草創時の、謗法厳戒の精神の一事象であったと思いますが、その「神棚や他
    の仏壇を焼く」という行為について、その焼き払った当事者のご意見を直接聞いた上で
    のSignifieさんのご意見なのか、そうではなくて、ただ見た聞いただけの主観論なのか
    、これも大事なことであると思います。

    特に、幼いSignifieさんを毎日のように連れて歩いたお母様のご真意を、Signifieさん
    はお母様から直接伺った中で、今の事態に至ったのでしょうか。これもとても大事なこ
    とであると思います。

    繰り返しますが、私は、自分の一方的な主張を展開するためだけにここに来たわけでは
    ありませんので、御承知おきください。Signifieさんがご主張される「学会がやってい
    ることは、金と権力を組織の頂点に集約するための不法行為」ということに対しても、
    Signifieさんほどではないですが、私も40年近く学会の庭で育ち、それなりの役職まで
    経験させて頂き、多くの学会員と人生を共にしてきた人間からすると、とても理解に苦
    しむご意見でもあります。

    そして、現在、84歳になられるご高齢の池田先生に対して、姿を現さないのはおかしい
    というご意見に対しても、私からの意見を申し上げる機会を頂きたいです。

    だいぶ長くなりましたので、このあたりで、いったんコメントを失礼させて頂きます。

    高倉氏のブログ内容についても、これは既に裁判上の争点となっている案件と思います
    ので、素人がコメントするのは控えたいですが、しかしながら、私の私見の一端でも吐
    露させて頂けましたら幸いです。

    長文になりまして、大変失礼しました。いずれにしても、連日猛暑でありますし、時折
    、豪雨などで大変な時節柄でもあります。くれぐれもお身体を十分ご自愛下さいまして
    、お仕事でもご活躍を心からお祈りしております。

  27. excommunicateさんへ

    excommunicateさんへはかなりきついことを申し上げましたが、ていねいなお返事をありがとうございます。

    >Signifieさんがご主張されることと、若輩の私がこれまで体感してきた事象との深い溝についての意見交換、つまり
    対話を継続できましたら大変幸いです。

    わかりました。excommunicateさんはネット上によくある妄信的な主張をするだけの学会員ではないと思います。私も何度も言うようにここで不毛なバトルをくりひろげる気はありませんし、お互いに本音で対話のできることを期待しながら「深い溝」が少しでも埋まることを望みます。そうした意味で、ときにはかなりきつい表現になるときもあるかと思います(すでに私はきつい表現をしているわけですが)が、それは問題点を見失うことなく、より有意義な対話にしていきたいという思いからですのでご理解いただきたいと思います。
    それとこれから先のコメントは、常にいちばん新しいページにお願いします。

    また、先日ここに書きましたように、池田氏の消息に関する学会員の対応についても、excommunicateさんの意見でかまいませんので伺いたいです。
    よろしくお願いします。

  28. 創価学会の事を色々と調べていて、こちらのブログを発見しました。

    創価学会の事でとても困っています。
    勤務先の社長が創価学会の活動家で、その思考が著しく偏っており、経営に支障が出ています。

    雇われ社長なので、株主から辞めさせてもらうのが一番かと思いますが、諸事情から株主は現状を把握してないと思われます。

    とても厄介な状態です。

  29. さくらんぼさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
    ただ、さくらんぼさんがここで何を望まれてコメントされているかがよくわかりません。
    その厄介な状態をどうされたいのか、ここで何かしらアドバイスが欲しいのでしたら
    もう少し詳しい話をしてもらえると、何かお役に立てるかもしれません。
    よろしくお願いします。

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