対話が進行中です。

おかげさまでコメント欄には活発な対話が進行中です。私と同じように学会の真実に覚醒された方、そこから法華講に移られた方、現役の創価学会員の方による対話です。みなさん立場の違いを前提に、それぞれの意見を聞こうとする配慮のある方々ですので、とても意義深い対話がなされていると思います。おひとりだけそうした対話の趣旨を理解されないで自分の言いたいことだけを貼付けられる方がいらっしゃいましたので非表示とさせていただいています。

対話の内容はまだ平行線から脱していませんが、とても興味深い内容となっています。たいへんありがたいです。今後ともよろしくお願いします。

対話が進行中です。」への14件のフィードバック

  1. ewcomminicateさんはじめまして
    コメント読んでいて私も在籍していたらおそらく全くといっても良いくらい同じコメントをしていたでしょうね
    すべて上層部からの指導、お話を自分のものとしてコメントされているのでしょう
    私は今現在も昔からの同じ組織にいた方と仕事をしていますが、全くといっても良いくらいの同じ話をしますね
    だからあなたのコメントは失礼ながらもう聞き飽きたという思いです。
    まず >>私はその闇など知りません
    このことは大変大事なことです、なぜかならば真実を知ることこそ自らの人生の再生、蘇生につながるからです
    おっしゃっていることは余りにも奇麗事過ぎます
    あなたが本当に他人を思い会員を思う心が人一倍強いと思われるなら、第一に強い覚悟と勇気を持って真実を知る努力を惜しまないで欲しいと思います
    一度にあれこれお話はできませんか一つ例を挙げれば

    学会に関してのネットの話はいい加減で信用できないなどといわれてますがよくよく冷静にお考えください
    確かにいいかげんな情報も多い(自分も在籍してたので良くわかります)ことは確かです、が
    先にシニフェイさんもいわれているように本当のことをいえない、質問できない恐ろしい組織であることを知ってください
    ですから手段として、ネットで真実を告発をされていることも大変多いのですよ。ネットの時代になって真実がどんどん暴露され始めあわてているのですよその対策としてネット拒否を指導するんですよね。私の友人の奥様もかなりの幹部ですが回線ごとパソコンやめたといってました
    どうか一度本当の勇気と覚悟を決めて告発本などをお読みください、勇気がないとなかなか読めませんよ
    それからもう一度ここで感想などコメントしていただけたら、大変うれしいですが
    何度もいいますが告発本などは勇気が無ければ学会員はとても読めませんよ、でも自分の人生が本当の意味で再生できるチャンスかもしれませんよ
    付け加えますが、学会の本当の姿を知るということは池田氏の本当の姿、裏表を知るということに尽きると思います

  2. サラマンダラさんへ
    こんにちは!
    サラマンダラさんのこと気になっていたので、コメント下さってありがたいです。
    signifieさんとサラマンダラさんは宗教色の強い芸術は外道だから認めてはいけない、大聖人の教えに矛盾があると思われているんですよね。
    でもそれは池田さんにそう教えられたからですよね。

    とある法華講員さんも仰ってますが、日蓮正宗では芸術の見聞は禁止されていません。
    音楽も建造物も文化なので、美術品として見て賛美するのは謗法にはなりません。
    それを何度も言ってるのですが、伝え方が悪いのか理解していただけないようで・・・。
    宗教色の強い芸術は外道だから認めてはいけないと思っているのはsignifieさんとサラマンダラさんで、私たちはそう思っていない。
    日蓮正宗では整合性が取れているのに、signifieさんとサラマンダラさんは取れていない。
    なぜ自分達が整合性が取れないのか、そこを考えたほうがいいのではないでしょうか。
    日蓮正宗は関係ないと思います。
    自分の器に創価の教義がは入っているから、いくら私やとある法華講さんがコメントしても、宗門の教えが入らない状態なのだと思います。
    それでsignifieさんには創価の教えを捨てられないのですか。と言ったのです。

    >法華経の敵を見ておいてせめずんは無間地獄疑いなし
    この「せめずん」は相手を攻撃する事ではないです。
    池田さんが表面的な解釈しか出来ず、攻撃することと勘違いしただけでしょう。
    折伏は相手を納得させることです。
    相手を納得させるには自分の人格や慈悲心にかかってくるので信心が大事と宗門では教えられています。
    折伏は菩薩行であり、自分の仏性を開かせる修行です。
    ですから菩薩界の次に仏界があるのです。

    そもそも大聖人の教えを正しく理解している人は創価にいないので、そこで学んだものは大聖人の教えではありません。
    それを学会員さんは大聖人の教えと信じているのです。
    まずそこを壊さないといつまでも創価の教えというか指導を引きずってしまって、正しい解釈は入ってこないと思います。

    学会員は一般の方と天地ほどの意識のずれがあるので、それを埋めることはかなり難しいことです。
    signifieさんはかなり覚醒されてますが、全て覚醒された訳じゃないから苦しまれているのでしょう。
    本当に覚醒したら苦しむこともないし、宗教を否定することもないと思いますよ。

  3. すみません、サラマンダラさんと木花さんのコメントをあたらしい場所に移させていただきました。

    木花さんへ

    わかりました!木花さんのおっしゃることはほとんど理解できるのですが、芸術と日蓮正宗のことに関しては、どうも話がかみ合わないなと思っていました。それが今回の木花さんのコメントではっきりしました。

    >signifieさんとサラマンダラさんは宗教色の強い芸術は外道だから認めてはいけない、大聖人の教えに矛盾があると思われているんですよね。

    どうやらここのことろが完全に真逆に捉えられているようです。
    私は創価学会からはほぼ完全に覚醒していると思います。創価の本尊ならその場でいくらでも破り捨てることができます。現に私が持っていた仏壇はこの手でたたき壊して燃えるゴミに出しました。私が持っていたご本尊は30年以上前に正宗の寺院でいただいたものだったので、その寺院にお返ししました。
    何度も言うように創価学会は宗教ではないということがはっきりとわかったし、それ以上に創価学会は人の心を利用して金と権力を吸い上げるとんでもない社会悪だということを誰に対してもはっきりと断言することができます。だからこそこのブログを立ち上げたのだし、一人でも多く創価学会の恐ろしい真実に気がついてほしいと願っています。
    そして宗教を基盤とした世界中の優れた芸術の厳然たる存在は、創価の教えに反しているから悩んでいるのではなく、創価学会や日蓮系の宗教では認められないものがあるのではないか。その矛盾をどう説明するのだろうかという疑問があるということです。ほんの少しだって学会の教えにとらわれていることはありません。まったく逆の立場で、この芸術との矛盾が解消されないかぎり、創価学会の教えは誤りだということになると思います。それはたとえば五重の相対や四箇の格言に照らしても、生命の永遠性を解いていない宗教が劣っていて、法華経だけが人間を救済する唯一の法であるとし、さらにその欄外でしかないキリスト教やイスラム教など問題にならないとするならば、世界中の人類が残してきた芸術はとるにたりないものにしかならないじゃないか。しかしそれはどう考えても日蓮の教えのほうに無理がある。私は宗教芸術を認めるか、日蓮の教え通り他の宗教を邪宗として否定するのかと訊かれれば、一も二もなく芸術をとります。それは厳然たる事実であり、崇高な文化であり、人類の遺産だからです。日蓮系の宗教から生まれた文化がどれほどあるでしょう。それ以外の宗教から生まれた芸術との比較ができるほどのものでしょうか?
    木花さんおっしゃるのは今現在の日蓮正宗では他宗の芸術文化を認めているとのことですが、それは日蓮の教えとしてあるのでしょうか?「日蓮正宗では整合性がとれている」と仰っていますが、どの時点で他宗の芸術を認めるようになったのでしょうか。もしどこかの時点で変化したのであれば、それは整合性がとれていないということになるのではないかと思うのです。

    話を整理しますね。
    まず、創価学会に関して
    私は創価学会は100%間違いだということに気づきました。創価学会の最高幹部たちは日蓮の教えを利用して多くの会員をだまし、金と権力を思いのままにしている。だから創価学会は日蓮の教えを、会員を思考停止させる手段として使ってきた。他宗に関わることはすべて法謗と決めつけて、学会の信仰だけを強制してきた。しかし学会にとって邪宗である宗教がすぐれた芸術を生み出してきたこと自体をどう説明するのか理解できないということ。ついでに「ガンジー、キング、イケダ」と題した本を出版するほど、学会にとっては外道でしかない指導者と自分を無理矢理並ばせて自慢する池田氏の行動も理解できません(笑)。

    次に日蓮正宗に関して
    私は日蓮正宗は宗教であると思っています。そして私は他の宗教と同様に宗教自体を否定していません。ただしいわゆる新興宗教は創価学会と似たりよったりだと思っていますが、それに関してとくに思い入れも反発する気持ちもありませんし、勝手にやってくださいといったところでしょうか。また正宗に関してもそれほど興味もありません。ですから木花さんがおっしゃるように日蓮正宗では他宗の芸術も認めているということに関して何も異論はありませんが、強いて言うならば、他宗であっても芸術的な面で仏像や賛美歌を鑑賞することが、日蓮の教えとしてどの時点で認められたのだろうかという素朴な疑問はあるなあということです。
    木花さん、私は自分が信じていた創価学会のすべてが偽りであったということに傷ついたのであって、今は創価学会に何の未練もありませんし、創価学会の言ってることとやっていることの矛盾ならいくらでもあげることができます。それに何十年も気づかなかったことの悔しさと、まだ気づいていない人へなんらかのメッセージが伝えられたらという思いでこのブログをつくりました。何度も言いますが私は創価学会は批判しますが、日蓮正宗を批判する気はありません。私にとって日蓮正宗も日蓮宗も他の仏教もキリスト教もイスラム教も同じです。世界中の芸術を生み出してきた宗教は素晴らしいと思います。あえていうならば私は宗教によって昇華された人間の精神性を無視しての宗教芸術作品の理解は不可能だと思いますので、木花さんが仰るような宗教芸術を精神的な面と文化的な面にわけて鑑賞するということ自体、芸術に創作の面から携わっている私自身としてはなんとも納得はいきませんが、それはそれぞれの考えであって、まわりがとやかく言うことでもないと思っています。芸術はどのように見ようとも自由ですからね。

    私は創価学会の考えが間違いであるということを証明するひとつの方法として、創価学会は邪宗として否定したきた宗教芸術の存在に対して何も答えられないのではないかという問いかけをしているのです。民音がグレゴリオ聖歌のコンサートをしたり、東京富士美術館でミケランジェロやルオーの展覧会などありえないでしょう。出品者のほうから願い下げでしょうけど(笑)。

  4. signifieさんへ

    えっー!
    日蓮正宗に問いかけているのではなく、創価学会に問いかけていたのですか?
    それなら私はお答えする事はできないです。
    私は学会員ではないので・・・。
    ちょっと気が抜けちゃいました。
    でもすこし意見を書かせて下さいね。
    「生命の永遠性を解いていない宗教が劣っていて」とのことですが、
    日蓮大聖人は他宗では救われないと仰ってはいますが、劣っていると教えてはいないです。
    大聖人は衆生の救済のために立宗されたのですから、劣っているという解釈は間違っているかと・・・。
    法華経以外は劣っていると教えているのは創価学会・池田さんの指導ですよね。
    あと、大聖人の教えに芸術は認めないという教えがあるのですか?
    まだ勉強不足でよくわかっていないのですが、そういう教えがあるのですね。

    創価の話ですが、創価が文化事業を展開したのは海外に入り込むためではないかと思います。
    海外ではカルト認定している国もあるので、文化を通せば入り込みやすいですから。
    ロシアでは池田さんの顕彰買収が発覚しニュースになったそうですね。
    日本と海外創価(SGI)の活動は全然違いますが、海外の学会員も騙されていて本当に可哀想です。

  5. 木花さんへ

    すみません、私は日蓮正宗については勉強不足のようなので、これといって批判できるような知識も気持ちもありません。ですから単純に木花さんのおっしゃる生命観において「救われない宗教」と「劣っている宗教」との違いがよくわかりません。
    五重の相対は教義の優劣を五つの基準に即してわかりやすく解いているというわけではないのでしょうか。それは優劣ではなく、救われるかどうかということでしょうか。それは優劣とは違うのでしょうか。それとも「他の宗教も立派だけど人々は救われないよ」っていう…なんだかよくわかりません。それから四箇の格言では「念仏を唱えるのはいいけど無間地獄におちるかもしれないよ、知〜らないっと」「禅宗って頭よさげで謎めいてかっこいいけど頭割れちゃうかもね」って感じでしょうか。どうやら私は創価のご都合主義の教学しか知らなかったようなので、日蓮正宗における五重の相対と四箇の格言について教えていただけたら嬉しいです。またそれは日蓮宗との違いはあるのでしょうか。

  6. とある法華講の方からの

    《学会に敵対する人物の不幸や打倒を祈るというのは本当ですか》

    という問いに対してお答えします。まず背景や詳細がよくわかりませんので、お答えするのは難しいですが、まず、知りたいのは、その元学会員の方は、どういった会合でどんな形でご質問のようなことを経験されたのでしょうか。

    経験されたのは婦人部の唱題会ですか?壮年部の唱題会ですか?少なくとも青年部の会合で、唱題会という名目で、ご質問のような光景は見たことがありませんし、そういった主旨で開催することもありません。

    ただし、個人の仏壇にある御祈念版は個人の自由なので、何を御祈念されているか、そこには組織として踏み込むことはできません。

    会員の中には、大恩ある学会を、供養を取るだけ取って無残に切り捨てた日顕や、同じく学会の手弁当で議員にまでさせてもらいながら、議員を辞めてから口汚く学会を罵る輩に対しては、破折の思いで『打倒』などの単語は使うかもしれません。

    しかし、その意味は『大聖人の御精神に照らして間違っているから、改めなさい』という破折の精神からくる言葉でしょう。決してその人の不幸を祈るようなものではありませんし、学会指導においても、そのような指導は聞いたことがありません。

    ゆえに、個人の意思で書いた『打倒』などの御祈念版のあるご自宅で、唱題会があったと推測しますが、いかがでしょうか。

    御書《阿仏房尼御前御返事》に、

    『涅槃経に云く「若し善比丘法を壊る者を見て置いて呵責し駆遣し挙処せずんば当に知るべし、是の人は仏法中の怨なり、若し能く駆遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」云云、此の経文にせめられ奉りて日蓮は種種の大難に値うといへども・仏法中怨のいましめを免れんために申すなり。』

    (通解)
    涅槃経には「若し善比丘がいて、法を壊る者を見て、置いて、呵責し駆遣し挙処しなければ、当に知りなさい。是の人は仏法の中の怨である。若し能く駆遣し呵責し挙処するならば、この人は我が弟子であり真実の声聞である」と。この経文にせめられて、日蓮は種々の大難にあうといっても「仏法の中での怨である」の誡まぬかれるために謗法を責めるのである。

    とあります。『駆遣し呵責し挙処する』とは、『厳しくその責を咎める』ということなので、言論戦でそれをしようとすると、どうしても激しい単語が使われることがあります。

    普通の会員では、日顕や竹入、矢野といった輩に直接会って破折することはできません。だから、祈りで破折するということはあると思います。

    御祈念版ですから、短く要点をついて書かないと、だらだら『日顕、竹入、矢野などの学会破壊を企み、罵詈雑言する輩達が、一日でも早く自分の間違いに気がついて謝罪し、正しく日蓮仏法を行じてくれるよう御祈念します』とは長すぎるので、それを極端に短くして、『打倒!日顕、竹入、矢野』という風になってしまうのではないでしょうか。

    それを言葉尻だけ捉えて、本質に肉薄せず、邪推の挙句、脱会されるのは大変残念でなりません。ただし、信教は自由なので、脱会する、しないは個人の自由です。一方、誤解を解いて頂く為に、脱会を考え直して頂けるか、その望みをかけて説得することはあるでしょうが、最終的には本人の自由意思です。

  7. excommunicateさんへ

    >会員の中には、大恩ある学会を、供養を取るだけ取って無残に切り捨てた日顕や、同じく学会の手弁当で議員にまでさせてもらいながら、議員を辞めてから口汚く学会を罵る輩に対しては、破折の思いで『打倒』などの単語は使うかもしれません。

    私の父は戸田門下生として草創期の幹部でした。そして若くして公明党の議員に抜擢されました。衆議院の秘書もしていました。父はなにも好き好んで議員になったわけではありません。順風満帆な商売をやめさせられ、それでも広布のためにと秘書や議員として走り回りながら、生活をぎりぎりに切り詰め、毎年たいへんな額の財務をして、それでも絶対に愚痴一つこぼさない人でした。ある日突然脳溢血かなにかで倒れて亡くなりました。家族の誰も父の死に目には会えませんでした。学会員は公明党の議員に対して「俺たちが手弁当で議員にしてやったんだからな」って思っているのでしょうか。

  8. わたしが創価学会にいたころ(7年前)日顕打倒唱題会が最寄りの会館で定期的にありましたよ。
    なにをうそぶいて平然とそのようなことをしら〜っと言われるのか。。
    各家庭の御本尊に置いて願うようにと印刷された日顕・竹入などのご祈念の厚い立て掛けて使うものも配られましたよ。。
    創価学会総出でそれらの人の仏罰?を祈っていたことは明らかですよ。。

  9. excommunicateさんは支部や本部が主催する教宣唱題会では毎回、日顕撲滅がテーマになっていることをご存知ないのでしょうか。そこでは邪義の破折ならまだしも、僧侶や法華講の人格を攻撃して盛り上がっています。人格攻撃はあの悪評高い聖教新聞の四面座談会で明らかなように、学会本部の指導そのものではありませんか。あの新聞内容を読んで激怒しない名誉会長は本当に宗教者なのでしょうか。自分で読んでいないのか書けと命令しているのか、どちらにしても会員を馬鹿にしています。

    >ただし、個人の仏壇にある御祈念版は個人の自由なので、何を御祈念されているか、そこには組織として踏み込むことはできません。

    心ある幹部ならこのようなものを見つけたら諫めるのが本当の宗教団体ですが、どこの拠点にも同じように掲げてありますね。幹部自身が罵詈雑言して面白がっていますのでとても無理です。きれいごとはやめて下さい。見たいものしか見たいようにしか見えていないのですよ。どんな立派な革命も現実を正視眼で見て初めてスタートできるのではないでしょうか。

  10. >四箇の格言では「念仏を唱えるのはいいけど無間地獄におちるかもしれないよ、知〜らないっと」「禅宗って頭よさげで謎めいてかっこいいけど頭割れちゃうかもね」って感じでしょうか。
    signifieさんはそういう風に思われていたのですね。

    救われると劣っているがsignifieさんにとっては同義語のようですが
    「芸術と宗教(つづき)」にもコメントしましたが、大聖人が念仏・禅宗を破折したのは念仏・禅宗が広まり日本国が混乱したからです。
    上から目線で「優劣」を語り自慢したくて布教活動していたのではありません。
    法華講は日蓮正宗の信仰を自慢したくて信仰をされてる思われているのかしら・・・。
    だから「劣っている」という言葉が出たのでしょうか。
    signifieさんは他宗より創価の信仰が優れているから、長く創価の信仰をされていたのですか?

    白バラでの私のコメントにも「自慢」と言ってましたよね。
    事実を述べたら自慢?ん?って思ったんですが、どうしてそう思うのかなぁと不思議でした。
    創価学会は信者に役職を持たせ上下をつけて、常に上か下かで判断してますが、仏教は上か下かではなく自分の境涯を高めるものです。
    signifieさんの言葉からは大聖人をやり込めたい気持ち、ちょっとした憎しみみたいなものを感じられるのですが、頑なに大聖人は芸術を認めない。日蓮宗系はそういう宗教と思われるのならそれはでいいと思ってます。
    日蓮大聖人の教えは間違っている。そう思う方も実際いますし・・・。
    この話はsignifieさんの考えによって変わることので、signifieさんの考えが変わらない限り平行線だと思います。
    私は人を変えようとは思ってないし、できないと思ってます。
    誰でも今の選択がその人にとってベストである訳だし、人によって学ぶことも違います。
    ただそれだけのことなんだと思います。
    そこに上下・優劣はないです。すべてはその人の学びであり、罪障(カルマ)です。
    だから私たちは創価学会に縁しなければならなかった。

    《学会に敵対する人物の不幸や打倒を祈るというのは本当ですか》
    これは本当です。
    日顕上人の乗った飛行機が落ちるよう祈ったり、踏み絵した学会員もいます。
    ありもしない日顕宗をでっち上げ仮想敵としています。それは創価の教学試験に出ます。
    日顕上人ほど学会員に恨まれ不幸の祈りをされた方はおりません。
    でもその不幸の祈りは全部学会員に返るでしょう。
    因果応報ですから。
    学会員は自分達を仏教徒と言いますが、なぜそんなことをするのでしょうね。
    そして学会員は何がしたいのでしょう。

  11. はじめまして。約一年前からこちらのブログを拝見させてもらっています。
    私は学会3世で、40代です。女子部時代は部長を経験した活動家でした。
    昨年あるきっかけで創価が宗教のかさを着た巨大搾取集団であることに気付き脱会を決意。 
    現在も籍はありますが一切の活動・献金(財務や新聞、書籍購読)をやめ、非活です。

    excommunicateさんはまだお若いのでしょうか。 
    宗門問題(正宗が創価学会を破門・平成3年)当時の年齢で、創価への印象って差異があると思います。
    当時まだ少年部くらいなら、なかなか解らないでしょうね、創価のダーティな部分が。
    私は当時20代初めでしたので、手のひら返したように創価の会員が正宗打倒撲滅に向かい狂乱していたのを
    はっきり覚えています。 正気の沙汰じゃ無かったですよ。

    私が女子部で活動家だった時代(12年前)でもなお、青年部で「日顕宗撲滅」を祈念していました。
    撲滅の意味を辞書で引くと、「完全にうちほろぼすこと。根こそぎなくしてしまうこと」とあります。
    これが折伏・破折精神なのでしょうか? 存在を消してしまえ、ということのどこに慈悲があるんでしょうか。

    個人指導でも、悩みがなかなか解決しないと大幹部(学会職員)に話すと
    真顔で”それはあなたが真剣に日顕打倒を祈っていないからだ、他人事と思っているからだ、
    師匠の敵を倒す事こそ弟子の使命。 その一凶を認識しない限り壁は打ち破れないよ”と言われて。
    会った事もない日顕さんを、自分の敵・自身の一凶だと思えという指導が平気で行われてましたよ。
    地域の個人宅の会合席上じゃないですよ。本部で行われている指導会で、です。

    私が住んでいた地域では当時、組織から配布されるご祈念板?に、日顕宗と共に乙骨さんの名前ものってました。
    池田氏の敵=仏敵。だから倒せという解釈は創価学会員の共通認識でした。
    改心してもらって共に幸福にというのは一回も聞いたこと無かったですね。
    「言葉尻だけをとらえて本質に肉薄せず邪推」はたんなる言い逃れです。
    本当にそう(相手の幸福)考えているなら、ご祈念板に長すぎて書けなくても、日常的に言葉にして指導するはずですよね。
    そこを「撲滅、打倒」で止めているのはどうしてでしょうか。
    一度、現役幹部の方にその理由を聞いて来てここで教えてもらえませんか? お願いします。

    シニフィエさん
    約一年前に創価の実態に気が付き、まさかと思いながらもネットで調べている時にこちらにたどり着いて
    真実を訴えてくれる方が存在しているということに、とても安心し、勇気をもらいました。
    当時の私は組織がおかしいと気づきながらも、生まれてから40年近くも創価で刷り込まれてきた「仏罰」を恐れ、
    どうしたらいいのか右往左往していたのです。
    この一年間でやっと現実を受け止められるようになり、仏罰への恐怖感もなくなりました。
    心がおれそうなときシニフィエさんの言葉に励まされ救われました。本当にありがとうございます。

  12. 祥蘭さん、はじめまして。
    コメントありがとうございます。2世と3世という違いはありますが、私とほとんど同じような変遷をへて、やっと気づいたクチですね(笑)。ブログも少し読ませていただきました。うんうんそのとおり!って何度もうなづきました。
    「仏罰」なんてない、功徳と思っていたことも信心したからじゃない。自分で努力して自分でつかみとった幸せなんだと素直に思えるようになりました。それを悪いことは信心が足りないから、いいことは池田先生のおかげっていうことをまともに信じている人がいること自体が今となっては不思議ですが、それがわからなくなるくらい思考停止させられてしまうんですよね。私は若い頃、そういう思考停止の中で、とりかえしのつかないことをしてしまっていました。そのことに去年やっと気づいて、めちゃめちゃ落ち込みました。病気にもなりました。そしてそれをなんとか残りの人生でとりかえそうと思っています。具体的にはとても言えないことですが、この歳になって思ってもみなかった人生の転換期を迎えています。まだまだ老いるわけにはいかないなと思っています。
    今後ともよろしくお願いします。

  13. excommunicate様、ご回答、有難うございます。

    私は学会員ではないので、学会の方が日常どういう活動されているのかわかりかねます
    ので、会合の名称等の間違いは、ご容赦ください。ただ、脱会された方が「仏敵打倒」などと学会に敵対する人物に不幸が訪れるように祈る、ということを唱題会で行うことが非常に苦痛だったと、涙ながらに語られたことがあったので、お聞きしたいと思いました。

    excommunicate様が否定したいお気持ちはわかりますが、他の方々のコメントからも、創価学会がそのような活動をしていることは、事実だと思わざるを得ません。私がお聞きした元学会の方が、わざわざ嘘を言う理由は毛頭考えられません。私はその方が属していた組織だけが、そういう信仰者にあるまじきことをやっている、特殊事例かもしれないと思っていたので、聞いてみたかったのです。

    私は、前にも書きましたが、学会が正宗の信徒団体だった頃から存じ上げていますので、異質に感じてはいましたが、どちらかというと、学会を贔屓目に見ておりましたが、このブログでsignifie様はじめ、様々な学会出身の方のコメントを読むにつけ、創価学会は正常な人間の精神を毀損する団体かもしれない、との感を強く抱くようになりました。

    >ただし、個人の仏壇にある御祈念版は個人の自由なので、何を御祈念されているか、そこには組織として踏み込むことはできません。

    とのことですが、それは無責任な組織ですね。学会は「指導主義」」を標榜していた(る)はずです。それなのに、信徒が間違った信心をしていても、ほったらかすというのでしょうか。

    >会員の中には、大恩ある学会を、供養を取るだけ取って無残に切り捨てた日顕や、同じく学会の手弁当で議員にまでさせてもらいながら、議員を辞めてから口汚く学会を罵る輩に対しては、破折の思いで『打倒』などの単語は使うかもしれません。

    まず、御隠尊日顕上人はもとより、竹入、矢野両氏、誰に対しても敬称をつけるべきではありませんか。こういう姿勢が、このブログを読まれている方はもとより、世間一般でも「独善」と指弾される所以ではないでしょうか。
    供養云々については、御隠尊日顕上人に対してさせて頂いたのではなく、仏祖三宝尊に対してですので、御隠尊様を逆恨みするのはおかしなことです。それに、議員云々についてはsignifie様が仰っていることが、私には真に迫ってきます。
     
    御書をお引きになっていますが、学会は御書に則って信仰するのではなく、組織のために御書を利用していることも、excommunicate様のこのコメントでよく理解できました。 いま流行の「上から目線」どころか、慢心、独善そのものです。元学会員の木花様が、「学会と正宗の信仰は違う」と繰り返し述べられていましたが、その意味がよく理解できました。その意味で、excommunicate様には感謝申し上げます。

     私はsignifie様や他の方々が再三主張される、「学会の恐ろしさ」について認識が甘かったことを痛感しました。申し訳ありません。excommunicate様もはやく覚醒されることをお祈り申し上げます。 

  14. はじめまして、アップルパイと申します。60代、女性です。

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