芸術と宗教(つづき)

 

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たとえば、バチカンにあるシスティナ礼拝堂に描かれたミケランジェロの「最後の審判」と「天地創造」。私は実際にこの絵と出会って感動のあまり動けなくなりました。ずっとここにいたいと思いました。ご存知のようにこれらの壁画は聖書の物語をあらわしています。この絵から宗教的側面を取っ払って見ることが可能でしょうか。もし可能だとして、それにどんな意味があるのでしょう。それが文化といえるでしょうか。ミケランジェロの見事な造形力にだけ注目することが文化なのでしょうか。私はそうは思いません。この絵が聖書の物語だからこそ成り立つものだと思います。

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同じくこれもバチカンにあるミケランジェロ25歳のときに彫られた「ピエタ」です。とはいえ観光客が見れるのはレプリカのようですが、それでもこれが聖母マリアと主イエス・キリストであることを無視してみることにどんな意味があるのでしょう。

ここにあるのはまぎれもなく宗教性です。ローマカトリックと聖書がなければ存在しなかった至高の芸術作品です。これらの作品の芸術性を認めるということは、ローマカトリックの宗教的意義をも含めて認めるということだと私は思います。人類が芸術作品に意識的に宗教性を排除するのは第一次大戦前後のヨーロッパに起きたダダイズムぐらいからの、いわゆる現代美術とよばれる運動から以降の作品です。わずか100年かそこらの話です。それまで人間は宗教とともに芸術作品をつくってきました。それを今になって芸術は文化だから宗教的側面とは切り離して鑑賞するなんておかしな話だと私は思います。

もし日蓮がバチカンに行ってミケランジェロの作品を見たとしたら、「これはすばらしい作品だ、外道だけど」って言うんでしょうか(笑)。

池田氏はローマ法王と対談する話があったと言ってましたけど、外道の総大将であるローマ法王と接見してどうするつもりだったんでしょう。折伏でもしたんでしょうか。「あなたはそんな信仰をしていると地獄に堕ちるよ。悪いことは言わないから謗法払いして、こんなものみんな焼き払いなさい」って(笑)。創価学会にとっては外道の指導者となるキング牧師やガンジーなのに、池田氏は彼らと肩を並べたかったのを考えれば、ローマ法王と会えるほどオレ様はエラいんだと会員に自慢して尊敬を集めたかったというのが実際のところだと私は思います。あさましいかぎりです。

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人類最古の絵画と言われているラスコーの洞窟壁画は、狩猟祈願の祈りの絵として描かれたというのが一般的な学説です。1万5千年前の旧石器時代にクロマニヨン人によって描かれたものだそうです。おそらくこれ以前にももっと多くの「祈り」としての絵画が存在したのだと思います。絵を一度も描いたことのない人間が、突然このようなすばらしい絵を描けるわけがありません。しかしいずれにせよ絵画の発祥は「祈り」から始まったものであることに違いはありません。芸術はその原初から宗教的側面と切り離しては考えられないということがわかりますよね。

芸術が太古の昔からその土地の宗教に根ざしてつくられていきました。ネイティブ・アメリカン、アステカ文明、マヤ文明、オーストラリアのナバホ族、エジプトの他にもアフリカ各地の民族芸術、ギリシア、トルコ、地中海沿岸、メソポタミア、インド、中央アジア、東南アジア、中国、エスキモーなどなど、何千年もの昔から世界中の人々の暮らしの中になんらかの信仰とともに芸術がつくられていったのです。その芸術から一宗教の教義にそぐわないからという理由で宗教的側面を剥奪して芸術を鑑賞するということに、どんな意味があるのでしょう。

芸術と宗教とはそれだけ切っても切り離すことのできない表裏一体のものです。そのへんの美術館に行って絵を眺めて「きれいな絵だね」というような簡単な話ではありません。芸術が見るものに投げかけるものとは、人間の本質に迫る重要な問題であり、世界の有り様に関わるたいせつな哲学的命題であります。

創価学会の方も、日蓮正宗の方も、どうも芸術に関しては軽くとらえているような気がします。つまり芸術をなめてかかってるから、宗教色のある作品でも見たり聴いたりしますよなんて軽く言えるのではないでしょうか。

日蓮は自分が末法のご本仏であり、三大秘法以外を信じるものは救われないと明言しているのであるならば、ましてや外道の考えを賞賛する芸術を認めるわけがないのではないですか?それとも創価学会にしても日蓮正宗にしても、そのあたりはなんとなく現代の世情に合わせた懐柔策をとっているのでしょうか。

芸術と宗教(つづき)」への24件のフィードバック

  1. シニフェイさんおはようございます
    先のコメントといい、このコメントといい自分(私サラマンダラ)の思っていたことを確信的にコメントされて感激です
     昇華された精神性を横に置いて芸術なんて成り立ちませんよね、昇華された精神性を、それを強く感じるからこそ芸術であって
       心と体を切り離してというような解釈はなりたちませんよね。実際できもしません

    小花様
    したがってキリスト教芸術を理解し認めるというのならその昇華された精神性をみとめるということでありキリスト教を認めると、いうことに通じるのではありませんか、私はそう理解して日蓮の教えとの整合性は到底無いと思っています

    この絵はクリックして拡大できますよ

  2. システィーナ壁画2度クリックすると画面一杯に拡大します

  3. おはようございます。
    私がsignifieさんのブログで感じる事は、他宗信仰者を否定しているなぁということです。
    鎌倉時代に念仏が広まり法華経への帰依が希薄になりました。
    そのため日蓮大聖人は諸大善神は法味を得られず天上界へ去ってしまい、悪鬼が盛んに災難を起こしていると示され布教活動をされました。
    日本国の安寧のために折伏されたのです。
    迷っている無明の人を法華経に導くために布教活動されたのです。
    ですから芸術を否定などしていません。
    signifieさんはそう学会で教えられたから、そう思うのではないでしょうか。
    それで他宗信仰者の芸術作品は否定しないといけないと頑なに思われているのでは?

    >もし日蓮がバチカンに行ってミケランジェロの作品を見たとしたら、「これはすばらしい作品だ、外道だけど」って言うんでしょうか(笑)。
    これは言い過ぎではないでしょうか。
    signifieさんは日蓮大聖人のことよくわかっていて、このような発言をされたのでしょうか。
    私はいつも学会員に対して思うのですが、どうしてよく知りもしないことをあたかもそれが事実であるように発言されるのか不思議です。
    疑問を持ったならまず調べて、自分の頭で考えるべきで、それをされないのはなぜなのでしょう。
    池田さんの指導が基礎としてあるからではないかと私は思うのですが・・・。

  4. 木花さん、おはようございます。

    >鎌倉時代に念仏が広まり法華経への帰依が希薄になりました。
    >そのため日蓮大聖人は諸大善神は法味を得られず天上界へ去ってしまい、悪鬼が盛んに災難を起こしていると示され布教活動をされました。
    >日本国の安寧のために折伏されたのです。

    こうした断定的ないい方も、ことも普通の人間にしてみれば想像の範疇を超えないと思います。

    何度も言いますが、人類の創りだした芸術のほとんどは宗教芸術であって、宗教と切り離して考えることは不可能だと私は言っているのです。宗教芸術はその宗教とともに否定することができないということを繰り返し言っているのですが、どうしてそれを

    >それで他宗信仰者の芸術作品は否定しないといけないと頑なに思われているのでは?

    というように解釈されるのですか?
    たとえば上に示したようにミケランジェロのようなキリスト教の芸術はキリスト教自体と切り離してみることは無意味だと私は思います。
    ですからキリスト教芸術を賞賛することはキリスト教も含めて認めるということであり、
    創価学会や日蓮正宗の方であってもキリスト教芸術を賞賛するということはキリスト教を認めるということになるので、
    他宗を排斥する(念仏を否定するような)日蓮の教義と整合性がとれないのではないでしょうかということを言っています。
    「私は他宗信仰者の芸術作品を否定するべきではない」と繰り返しいっているつもりなのですが、
    木花さんは、この私の考えをどうして全く逆の意味にとらえられるのでしょうか、そこが理解できません。

    私としては創価の考えを批判するとともに、そうとうわかりやすく説明しているつもりなのですが、まったく逆の意味として捉えられてしまうのでどうしようもありません。
    どなたか私の意図を木花さんへご説明していただけないでしょうか。

  5. ごめんなさい。
    そうでした。創価の教えのお話されていたんですよね。
    ですので、このコメントの前にした一行コメントは削除して下さい。

    それにしても、創価の教えと日蓮正宗の教えが全然違うので、創価の教えのおかしさを法華講は答えようがないです。
    「創価学会の方も、日蓮正宗の方も、どうも芸術に関しては軽くとらえているような気がします。」・・・残念なお言葉ではありますが、signifieさんそう感じていることに反対はいたしません。
    日蓮大聖人はキリスト教の教えは間違っているとしていますが、キリスト教に限らず他宗の存在自体を否定はしていませんよ。
    そこの解釈が違うようですね。

  6. 皆様、こんにちわ
    アレックスです。
    私の方から少し別な角度で補足ということでお話させて頂きますね。

    >鎌倉時代に念仏が広まり法華経への帰依が希薄になりました。そのため日蓮大聖人は諸大善神は法味を得られず天上界へ去ってしまい、悪鬼が盛んに災難を起こしていると示され布教活動をされました。日本国の安寧のために折伏されたのです。

    今もこれからも科学が進歩して行くであろう現在の時代においては、説得力を持ち得ません。
    と言うのも、signifieさんの言う様に残念ながら想像の範疇を超えないからです。
    その理由ですが、例えば、東洋医学と西洋医学の融合の結果としての「EAV」と言う電子鍼灸器がありますが、念仏の言う「南無阿弥陀仏」、日蓮の「南無妙法蓮華経」も共に中庸で最高の「50」と言う数字が出ると言うデータがあります。
    「有難う」と言う感謝の意がこめられたその言葉も、EAVでは「50」の数字が出ます。

    更に、水からの伝言と言う事で、「南無妙法蓮華経」と「南無阿弥陀仏」の水の結晶の写真があります。
    「南無阿弥陀仏」の水の結晶は、残念ながら破壊的な結晶では無く均整の取れた結晶となっています。
    こうして、科学のメスを入れる事で、今までの見直しを余儀なくされています。
    下記ページを参考にされてください。
              ↓
    http://www.hado.com/books/dengon3.htm#mizuden3_phot_5 

    >日蓮正宗の方であってもキリスト教芸術を賞賛するということはキリスト教を認めるということになるので、
    他宗を排斥する(念仏を否定するような)日蓮の教義と整合性がとれないのではないでしょうかということを言っています。

    はい、日蓮の教義との整合性は残念ながら取れません。
    但し、キリスト教や仏教、さらに日蓮の教義と言う枠を超えれば、すべての宗教を超えて内在する宇宙の法則で見れば、自ずと整合性が取れてきます。
    そうなれば、もはやそれは宗教ではなくて霊的な科学です。
    「祈り」は、宗教のあるなしに関係なく、人間の本来の霊的な発露です。

    ですから、キリスト教芸術を賞賛するということはキリスト教を認めると言う点ですが、フォーカスする視点によって変わってきます。
    例えば、キリスト教に内在する「普遍の宇宙の法則」と言う部分に意識的にフォーカスすれば、キリスト教という色と言うか?カラーに囚われること無く認めると言う事が可能になります。

    逆に言えば、ある人が日蓮正宗だとします。
    signifieさんの言う様に教義的には整合性が取れなくなりますが、その人が内在する「普遍の宇宙の法則」と言う部分に意識的にフォーカスすれば整合性が取れたりします。
    つまり、地上において整合性はないが、霊的には整合性が取れていると言う具合にです。

  7. はじめまして。クロさんのブログからこちらを知って、ずっと読ませていただいてます。一昨年から創価学会の組織を離れて、今は神社仏閣が軒を連ねる生まれ故郷に戻り、伝統工芸の末端に身をおいています。
    ここでは様々な宗教も産業も人々の生活も、どこかしらで繋がっています。
    若い頃は、なんと面倒くさい町だと思っていましたが、私自身いろいろと経て来て、この町では至るところに祈りと誇りが静かに充ちているのが、心地よいです。
    創価学会の中では、知らないうちに、このような文化に対して「見ざる言わざる聞かざる」になっていました。
    この町の人間の目線で改めて創価学会を眺めて見ると、「あの人らは相手にせんとこ」の一言でしょうか。
    人々が千数百年かけて身につけてきたスルースキルの知恵も、やっと理解できました、というより、自分の中にもあることを認めた時に、とても楽になりました。
    『成熟』ってこういうことなのかなと、ちょっと思ったりします。

    私なんかはしょうもない職人のなりそこないみたいなもので烏滸がましいのですが、signifieさんは創作のお仕事に携わられているとのこと、勝手に親近感を覚えてしまっています。
    仰っていることも、全部、納得いたします。
    勉強させていただいています。

  8. ふと。。日蓮の時代に他宗教の仏像を見たら、どう思われたのだろう?と思います。。
    木花さんの言われるように芸術性のみを見て讃嘆し評価されたのだろうか。。?

    sinifieさんの言われるように、仏像も宗教色が強いですが、ある意味、昇華された芸術の類でもあると思うのですね。キリスト教の絵画も彫刻もそうですが、日蓮正宗及び創価学会員は好んで仏像を鑑賞されるのだろうか。。
    展覧会という形でなくても実際神社仏閣に詣でまでは見に行けるのかなあ。。
    ふと、疑問に想いました。。

  9. カノンさんへ
    コメントありがとうございます。私の大学からの友人にも陶芸、金工、木工、染織の職人がたくさんいます。画家やデザイナー、アートディレクターとして活躍している人間も少なくありません。彼らは理論ではなく、自分の皮膚感覚でものごとを捉えますから、理論を越えて言うことに説得力があります。私もどちらかといえば理屈よりも感覚でものごとを捉えるタイプですので、若い頃は創価学会の教えとずいぶん違うことで悩んだりもしました。創価の間違いに気づいて、自分の感覚は間違っていなかったんだということがわかり、自分を解放し、信じることができるようになりました。創価学会は間違いだったということを基本に考えると、芸術でも哲学でも世界の宗教でも、いろんなことがきれいに整って見えてきます。創価という矛盾を自分の中から追い出すことができたときに、宗教自体をどのように捉えればいいのかが、目隠しがとれたように見えるようになりました。生理的に嫌っていた神社仏閣にも何の抵抗もなく入っていけるようになって、ああ、これが本来の感覚だよなあって思いました。創価学会員は功徳と罰という巧妙な心理的目隠しによって本来の人格を抑えこまれ、池田氏のロボットにされてしまっています。私や私の両親のような残念な人生を送らないでいいように、一日も早く創価学会の真実が世間一般に知られることを願っています。
    これからもよろしくお願いします。

    アレックスさん、お久しぶりです。
    おかげさまで、私も以前にくらべればずいぶん元気になれたと思います。こうしてブログを更新する気持ちになっただけでもよかったと思っています。そして卓越したコメントをありがとうございます。アレックスさんのお考えは、生意気言うようですが理解できると思います。ただ今の対話のなかでアレックスさんの言われる世界に踏み込むのは、なかなか理解されないのではとも思います。私としては極々単純で身近な疑問点から対話をすすめて、話を深めていければと思っています。霊性、波動、フォーカスと言う言葉は私にとってはなじみのものです。または瞑想、呼吸、多層世界の解釈…そうした話になるのはまだまだ先のことかなと思います。今後ともよろしくお願いします。

    木花さんへ

    >日蓮大聖人はキリスト教の教えは間違っているとしていますが、キリスト教に限らず他宗の存在自体を否定はしていませんよ。

    日蓮は他宗の存在自体を否定してはいないとしましょう。つまり
    「末法においては本仏であるこの私ただひとりが解釈する法華経以外では、もはや衆生は救われないのだよ。
    かといって他宗の存在は否定しないけどね。でも同じ鎌倉時代に出てきた新興組の念仏を唱えると無間地獄に堕ちるし、
    禅を修すれば頭割れるけどね。他のお寺にしたって一家離散したりでろくなことないし。
    ま、存在自体は否定しないんだけどさ」
    って言ってるわけでしょ。これって優劣のことを言ってるのではないでしょうか。
    これも創価学会独特のご都合主義ニセ日蓮宗なのでしょうか。
    私はまだ創価学会の詐欺にはまって動けないでいるのでしょうか。

    >>もし日蓮がバチカンに行ってミケランジェロの作品を見たとしたら、「これはすばらしい作品だ、外道だけど」って言うんでしょうか(笑)。
    >これは言い過ぎではないでしょうか。
    >signifieさんは日蓮大聖人のことよくわかっていて、このような発言をされたのでしょうか。
    >私はいつも学会員に対して思うのですが、どうしてよく知りもしないことをあたかもそれが事実であるように発言されるのか不思議です。
    >疑問を持ったならまず調べて、自分の頭で考えるべきで、それをされないのはなぜなのでしょう。

    私は創価学会から脱したので、それまで末法のご本仏だ人本尊だと思い込まされていましたので、日蓮のことを大聖人と読んでいましたが、今は数ある宗派の中のひとつの教祖として日蓮と呼んでいます。親鸞や道元や天台を呼び捨てにするのと同じです。それはソクラテスやプラトンやニーチェやハイデガーを呼び捨てにするのと同じことです。木花さんもソクラテスさんとは呼ばないでしょう。それと同じです。べつに馬鹿にしたり非難したりはしていません。ただ芸術に関しては普通に考えても整合性がとれないなあと思っているだけです。それとも日蓮を呼び捨てにして現代語で表現したら罰が当たりますか。これは単に話をよりわかりやすくするためです。日蓮氏というのも変ですよね。それに日蓮大聖人と呼ぶのは学会と正宗だけでしょう。日蓮宗のお坊さんも信者さんも日蓮上人だったと思いますが、ちがったらごめんなさい。前にも何度も言いましたが、私は日蓮正宗に関してさほど興味もないので、というか今となっては他の宗派と同じような位置にあるので、とくだん日蓮を差別する理由もありません。私の中では今のところ鎌倉仏教界のパンンクロッカー道元が一歩リードって感じでしょうか(笑)。日蓮も含めて他の教祖もみんな当時のアウトローだったわけですけどね。

  10. わたしもアレックスさんのお話し良くわかります。。
    世界中が思想、イデオロギーや宗教の違いを乗り越えて共生できたら、どんなにいいだろうと願います。。

    スピ系だろうが、左翼でも右翼でも、どうでもいいです。。v(^_^v)♪

  11. sinifieさんへ
    日蓮と呼んだことに対して言ったのではなく、「これはすばらしい作品だ、外道だけど」って言うんでしょうか(笑)。がちゃかしたように聞こえたことを言ったのです。
    四箇格言を明確に解釈していないので上手く答えられないのですが、日蓮正宗で教えられている四箇格言と創価学会の四箇格言は違うようですね。
    「末法においては本仏であるこの私ただひとりが解釈する法華経以外では、もはや衆生は救われないのだよ。
    かといって他宗の存在は否定しないけどね。でも同じ鎌倉時代に出てきた新興組の念仏を唱えると無間地獄に堕ちるし、
    禅を修すれば頭割れるけどね。他のお寺にしたって一家離散したりでろくなことないし。
    ま、存在自体は否定しないんだけどさ」
    こんな上から目線の言い方は日蓮正宗はしません。
    創価学会独特のご都合主義ニセ日蓮宗だと思いますよ。
    学会員は僧侶から御書や教義を学んでいませんよね。すべて学会員か池田さんに指導受けている。
    それが正しくなかったということです。
    私はsinifieさんの先入観を変えることはできません。
    元学会員・学会員のみなさんは「大聖人の教えと芸術の整合性は到底無い」と思っている。
    それをとやかく言うつもりはありません。
    日蓮正宗とは違いますね。それだけのことです。

  12. >元学会員・学会員のみなさんは「大聖人の教えと芸術の整合性は到底無い」と思っている。

    木花さん、それはちがう(^^)。
    【私も含めて元学会員は「大聖人の教えと芸術の整合性は到底無い」】と思っていても、
    【学会員は「大聖人の教えと芸術の整合性は到底無い」とは絶対に思えない】のではないでしょうか。もしくは
    【学会員は大聖人の教えに反する芸術は芸術として認められない】と思っているのではないでしょうか。
    私も学会を信じていた頃は、その矛盾に苦しんでいたわけです。
    あなたも元学会員なのに、元学会員と学会員の考え方の違いをなぜ理解されないのですか?

    学会員は自分たちの考えが世界で一番正しいと思っているので、何が何でも大聖人の教えと芸術性は整合性がなければ困るわけです。芸術に限らず、すべてのことについて自分たちの信仰が完全無欠の法理だと信じていますから、理論的に来られると話をはぐらかしたり、遠い目になって聞こえないフリをします(笑)。
    ですから私はあえて誰でもわかりやすいような【創価学会の考え方の矛盾点】を明らかにするためのとっかかりとして、芸術の話をしました。なにも日蓮正宗の矛盾点を言及したいわけではありません。日蓮正宗の方が芸術をどのように見ようとも、ここではさほど問題にしていません。ついでの話で「この点は日蓮正宗ではどうなんでしょうね」といった程度にとどめています。それは江戸時代や明治期はどうなのか知りませんが、ともかく日蓮正宗が700年続いているれっきとした宗教であり、学会のような宗教を隠れ蓑にした社会悪ではないからです。
    ここで芸術と宗教をテーマにしているのは、創価学会のあきらかな反社会的な考え方を明確にするための題材のひとつに過ぎません。あくまで創価学会の矛盾をはっきりさせるためのとっかかりです。このテーマが出たはじめのところを見てもらえばわかると思いますが、仮に創価学会がその目的である広宣流布を達成した時に、世界の宗教を基盤とした膨大な芸術作品はどのような扱いをうけるのでしょうか?という問いかけでした。日蓮正宗のことはよくわかりませんが、【創価学会での五重相対や四箇格言】に照らせば、それらミケランジェロから日本の仏像にいたるまでの多くの芸術作品は謗法であることになってしまうのではないかということを書きました。あくまで【創価学会の五重相対や四箇格言を正しいとするならばという仮定】の上での話です。それを木花さんは私の考えであるかのように思い込まれているのではないでしょうか。ですからさきの日蓮の現代語表現は創価学会が考える日蓮の言葉として表現したので【上から目線】であり【ちゃかした表現】なのです。
    木花さん、毎回書きますが私は日蓮正宗をなんとも思っていません。ここで問題にしているのは最初から創価学会の社会悪についてです。木花さんも「ちょっと気が抜けちゃいました」って言ってたではないですか。木花さんを批判する気はさらさらありませんので誤解なさらないでください。先日ここにコピペをくりかえしていた今も活動家。さんを出入り禁止にしたのは、このままでは日蓮正宗の印象が悪くなるばかりで、本題から話がそれて混乱すると判断したからです。私はむしろ宗教としての日蓮正宗を擁護しているつもりですけど(^^)

    木花さん、どうでしょう?ここまで説明しても私が創価学会の教義を信じて日蓮正宗を攻撃しているように思われますか?私が創価学会の教義に縛られて苦しんでいると思われますか?木花さんが最初にここにコメントしてくださったときに、すぐに木花さんのブログを読ませていただきました。
    http://ameblo.jp/yo-akemae24/
    ここで話されているキャラとはずいぶんとちがって、かなり過激に創価学会を批判されていますよね。ほんとに同一人物なのかなと疑うくらいでした。そして日蓮正宗についてはほとんど出てこない。私はすこし「あれ?」と思っていました。日蓮正宗は学会と闘ったりしませんといったことを最初に言われていたわりにはかなりの学会バッシングを展開されているので、ちょっとびっくりでした。いいですけどね(^^)

    それから宗教の優劣についてですが、木花さんはこのように仰っていました。

    >日蓮大聖人は他宗では救われないと仰ってはいますが、劣っていると教えてはいないです。
    >大聖人は衆生の救済のために立宗されたのですから、劣っているという解釈は間違っているかと・・・。

    木花さんに日蓮正宗について語るのは、それこそ釈迦に説法なので恐縮ですが(笑)、日蓮正宗はたしか大正元年に改名して「日蓮正宗」になったと思います。それまでは日蓮宗富士派として、いわゆる【勝劣五派】のひとつだったと思います。その【勝劣五派】という名称の由来は「(法華経)本門が迹門に優れるという勝劣をたてる諸派の総称」から来ていて、つまり日蓮正宗は宗教に優劣を断ずる五重相対に照らして法華経本門を本流としたわけですよね。【勝劣五派】という文字通り日蓮正宗の成り立ちが法華経に至るまでの宗教の優劣を断じた結果だったのではないでしょうか。
    さらに木花さんはこうも仰っています。

    >法華経以外は劣っていると教えているのは創価学会・池田さんの指導ですよね。

    これでは日蓮正宗の教義と創価学会・池田さんの指導は同じということになりはしませんか?木花さん、本気でそう思っていらっしゃるのであれば、もう一度正宗の僧侶の方に五重相対と四箇格言の解釈について確かめられたらいががですか。世界中に仏教の宗派は数えきれないほどありますが、日蓮を本仏とする宗派は日蓮正宗と創価学会のみで、したがって日蓮を本仏とする広宣流布を謳っているのも日蓮正宗と創価学会だけです。でも私は創価学会と日蓮正宗はまったく違うと思っています。それは何度も言っているように、途中でなんだかんだと分裂統合はありはしたものの、それでも大石寺700年の歴史をもつ宗教であり、一方は戦後のどさくさと高度経済成長時に都会に放り出され精神的に阻害された人々の心をあやつり縛り上げ暴利をむさぼるだけの社会悪ということがわかったからです。
    日蓮正宗は堂々と本門の本流を勝劣で主張しています。私はそれはそれで立派だと思いますよ。他の日蓮宗派が戦時中の大政翼賛会に無理矢理合同させられたときでも、日蓮本仏論を主張する正宗だけは断固独立を貫いたんですから。でもそのこともあえて書きませんでした。それは私にとって日蓮正宗がどのような教義であってもさほど関心がないからです。日蓮本仏論を唱える宗派としては他にない超マイノリティ宗教ですが、日蓮が末法のご本仏であっても、あるいは正宗以外のすべての日蓮宗のように釈迦を本仏としたとしても、私にとってはたいしたことではないからです。ただ木花さんがことごとく私の言ってることと真逆の捉え方をされるので、ここはひとつぐらい話の矛盾を説明しとかないとなと思った次第です(^▽^)
    私は日蓮正宗を批判するどころか、かなり持ち上げていると思います。それをどうして日蓮正宗の信者さんである木花さんからことごとく誤解されて「創価の教義に縛られて苦しんでいるようで気の毒だ」と言われるのかわかりません。私が苦しんでいるのは創価から抜け出て初めてこれまでの自分の間違いに気づいたからです。私ははっきりと創価学会の呪縛から覚醒しています。そして私の人生経験上、芸術はいかなる場合でも宗教によって左右されてはならないと思っています。逆に言えば芸術をどんなかたちであれ抑制するような教義の宗教であるならば、それは低俗な宗教であると思います。しかし創価学会はそんな宗教云々の次元ではない。もともと非常に悪質なネットワークビジネスであり精神のねずみ講だと位置づけていますから、教義がどうのこうのと議論する意味さえないと思います。創価学会員さんにはそのことに一人でも多く、一刻もはやく気づいてほしいと思っています。

  13. 様々な方からの手厳しいご意見を頂戴しておりますが、私は私の個人的な確信で物申しています。

    特に主張したいのは、学会の現実の現場から乖離した学会像を、虚飾も交えて吹聴する方がいるという事実。

    そして、その方々は本質をあえて見ようとせず、うわべだけの文言を、さも鬼の首を取ったかのように邪推した挙句、学会にカルト教のレッテルを貼るという行為。

    そのひとつが、仏敵に対する『打倒』などの御祈念版や唱題会についてでしょう。

    それは実際、存在したというならば、全組織の活動の中にどれだけのウエイトを占めているのでしょうか。ごく稀な会合の一つなのではないでしょうか。その他の会合の中身や、実際の現場の闘いは一体、どうなのでしょうか。

    また、逆を言えば宗門側は、創価学会を諸悪の根元・仏敵としていると思いますが、その学会に対する打倒や撲滅の祈りもせず、座して放置しているとでもいいたいのでしょうか。

    私は1つ、御書を通しました。大聖人の御書には、他にも数多く、仏敵に対する強烈な御文があります。

    別の御書《聖愚問答抄》では、

    『此等豈(これらあに)謗法にあらずや責めても猶(なお)あまりあり禁めても亦(また)たらず』

    とあります。

    学会は御書根本、大聖人直結を標榜していますので、これは絶対に譲れない一線です。

    さて、とある法華講員よりの

    『日蓮正宗の信徒団体である創価学会が、会合のなかで、わざわざキリスト教の神を賛美する歌を信徒に歌わせるのは、どういう理由からなのか、と尋ねただけです。それを学会が回答拒否されたのですが、これが直接の破門の理由にはなっていません』

    についてですが、当時のお尋ね文書を正しく精読して頂いたらわかると思います。

    当時ですが、長年、対話による相互理解を積み重ねてきた歴史もあり、今回も『対話による解決を』ということで幾度も対話をお願いしたにも関わらず、対話には応じず、文書での回答を強要されました。

    ゆえに、対話をお願いしていたその間は、お尋ね文書には回答はしませんでしたが、最後はラチがあかないので、回答に応じていることはご存知のはずです。

    その回答には、第九の歌の中身について、それは、キリスト教の一神教を賛美する歌ではなく、万物の法則(それを神と表現)した曲なので、文化を尊重する学会としては問題ないという内容をご回答しています。

    しかし、宗門は第九の歌の合唱は、外道礼賛であり謗法であると回答されました。

    当時、私は高校生でしたが、お尋ね文書のやりとりとや、当時の法主・日顕との手紙のやりとりは、聖教新聞に掲載されていましたので、興味あった私は貪るように読んでいた記憶が鮮明です。

    特に正本堂における意義のやりとりは、日達猊下の『広宣流布の暁には本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり』の《たるべき》についての解釈で、大変紛糾した議論があったことは記憶に鮮明です。(学会の主張は、たるべきは確定はしているが、未来のことなのでそういう言葉になるという日本語の権威の専門家の裏付けを元にした『確定のたるべき』であると主張しましたが、日顕は、未来のことなので、確定していないという主張で、全く噛み合いませんでした)

    そして、最後はお尋ね文書も、日顕対論も、宗門側の回答不能で終了したことは周知の事実です。

    そして、その結末は、学会への解散勧告、破門、正本堂破壊でした。

    ある意味、建物は文化遺産にもなる性質でもあるのに、学会憎しの結晶として、問答無用に破壊するその所業は、これこそ、到底、仏法者がすることとは思えません。

    つまり、私が主張したいのは、学会は、日蓮仏法を正しく世界に広宣流布するためには、それぞれの国の文化を尊重し、その土壌の上で、深遠な日蓮仏法を世界に広める、その大変な苦労と闘いを起こしてきました。しかし、その苦労をよそに、やることなすこと、それは謗法だなど何癖をつけて妨害してきたのが宗門だったのです。

    ローマ法王との対談も反故にされたのも、理由はカトリックの人間と対話すること自体、謗法であるとの理由です。

    どんな宗教を持ち、どんな立場の人であっても、原点は人間ですから、その人間に会いに行き、胸襟を開いた対話こそが、人類の平和の直道です。池田先生はそれを命がけでやってきました。そして、各国・角界のキーパーソンと友情を結べたからこそ、例えば学会が建設した富士美術館には、今迄、例がなかったような門外不出の芸術品の展示を許可され、学会員だけでなく、日本の多くの方に世界の芸術に触れ合う機会を提供して下さいました。

    学会が建設した富士美術館は日本に2つありますが、今迄、どれだけの国の文化遺産を展示してきたことか、そこには、その国の宗教文化が内在した展示物も数多くありました。

    学会がやってきたことは、日蓮思想は決して偏屈のものではなく、全ての人間に仏性があり、その仏性から芽生える大文化の枢軸となり得るのが日蓮思想であり、それを広めるべく、全世界に打って出ようとの壮大な大闘争であったのです。

    しかし、私の話しを作り話とされるなら、どこに真実があり、どこにその真実を歪める働きがあるのか。その溝を対話によって、埋めていけたら幸いです。

    本日も大変な猛暑日です。皆様におかれましては、とにかく、熱中症などには十分注意して、よい一日をお過ごし下さい。

  14. excommunicateさんへ
    コメントありがとうございます。

    excommunicateさんにお訊きしますが、宗門側が創価学会を攻撃しているという事実を証明できるのであれば、写真なり文書等をネット上に公開してみてください。

    >特に主張したいのは、学会の現実の現場から乖離した学会像を、虚飾も交えて吹聴する方がいるという事実。
    >そして、その方々は本質をあえて見ようとせず、うわべだけの文言を、さも鬼の首を取ったかのように邪推した挙句、学会にカルト教のレッテルを貼るという行為。

    他の大型掲示板などはともかく、少なくともここでコメントしてくださる方は、実際の学会の姿を知って脱会したり非活になられている方がほとんどですので、無責任に「学会の現実の現場から乖離した学会像を、虚飾も交えて吹聴する方」はいないと思います。つまりみんな実際の現場を知っているわけだからウソ言ってもすぐにばれちゃいますからね。私も含めて何十年と学会の中で活動してきた方たちばかりなので、事実関係にウソがあったらその方の言ってることはすべて信用できないということになります。ここではそれくらいの責任をもって発言していただきたいと思います。

    宗門の方も、創価学会が宗門を批判・攻撃していると客観的にわかるような写真なり文書等がありましたらネット上に公開してみてください。聖教新聞紙上での恐ろしいほどの宗門バッシングは私もよく知ってはいますが、excommunicateさんにしてみれば正義の闘いということになるのでしょうね。

    いまのところ、こちらに来られる学会側の方も、宗門側の方も、自分からは攻撃・批判などしないと仰られているようですので、ここはひとつ客観的な事実として誰にでもわかるようなもので確認するのが早いと思いますがいかがでしょうか。

    そのあたりがはっきりすれば、対話もより深まるのではないでしょうか。

    それにしてもexcommunicateさんの判で押したような学会優等生ぶりは失礼ないい方かもしれませんが、ここを訪れる方のほとんどがなかばあきれ気味だと思います。excommunicateさんのような純粋な方が創価の実体を知ったときのショックたるや、考えるだけでもゾッとします。おそらく「ああ、あのときあそこで言われていたことは本当のことだったんだ」と地団駄をふむときが来るでしょう。カルトから抜け出すにはそれ相応のショックが伴います。私も真実に気がついて一年以上になりますが、まだそのショックから完全には快復できていません。でも一生騙され続けて終わるよりは、どこかの時点で気づいて、自分の人生を取り戻してほしいと思います。私の父は結局創価学会にすべてを捧げたまま亡くなりました。私が一番尊敬してきた父の人生を否定しなければならなくなったときの気持ちがexcommunicateさんにおわかりになりますか?自分の父親の人生を「間違いだった」と否が応でも認めなければいけなくなったときの気持ちがおわかりになるでしょうか?私だってこれまでの50年以上の自分の人生を自分で否定するときが来るなんて思いもしませんでしたし、できれば創価学会は正しい宗教団体であってほしかった。でも真実はちがったのです。それは自分の目で見て確かめて、自分で気づくしかありません。excommunicateさん、ここで交わされる対話は、決してあなたを陥れようとするものではありません。私やここにコメントされている方から見れば、あなたは確実に創価学会のうわべだけしか知らないままを発言されています。だからexcommunicateさんにとって厳しいコメントが寄せられるのです。それは学会を攻撃しているのではなくて、あなた自身に学会の真実に目を向けてほしいとの思いからです。どうかそのことを勘違いしないでいただきたいです。対話とは相手の思いを理解しようという姿勢がなければ成立しません。自分の主張を吐き出すだけでは対立は深まるばかりです。客観的な事実関係が明らかにできるところは、できるだけ明らかにしながら、それぞれの考え方を正直に出し合いましょう。

  15. 横から構いませんか?
    流れを遮るようでしたら非表示になさってください。
    signifieさんのお父様の話、そのまま私にとっては主人の事と重なります。
    主人は明るく単純な人で、生き生きと楽しそうに男子部で活躍しておりました。
    婦人部壮年部からは頼られ、部員さんには慕われ、女子部からは結構モテたりして、本人は毎日それはもう充実していたようです。男子部の間は。
    ここからは、私の、主人を通しての独断になりますが。
    主人は壮年部へ移ってから、だんだんと疲弊してきました。
    男子部は、なんというか、別枠だったようです。壮年部へ移って始めて、婦人部がどんな取り組みをしているのかどんなやり取りがあり誰がどんなに傷ついているのかetc. 創価学会の現実の有り様を肌で知ることになり、幻滅し、焦り、迷い、諦め、それでも自分に出来ることは何でもしなくてはと無理に無理を重ね、一昨年に急逝してしまいました。
    長くなりますし、私自身まだ主人の突然の死を乗り越えることが出来ていませんので、中途半端な話ですが、主人の事は今日はこのくらいで。

    ただ、とっても失礼ながらexcommunicateさんの純粋さが主人を思い出させ、余計なことと思いましたがコメントさせていただきました。
    excommunicateさん、婦人部では『打倒』どころか『撲滅』と銘打って、地区・支部・区単位で唱題会も会合もとっていますよ。
    コンビニのコピー台に日程表を忘れる人がいたりしますので、表向きは『○○唱題会』 とか『○○会議』などの名称になっていますが、会場に行けば
    仏前にデカデカと『日顕撲滅!』などと掲げられていますよ。

  16. カノンさん、そうでしたか。つらいお話をあえてしてくださって痛み入ります。ありがとうございます。

    excommunicateさん、カノンさんのお話が「学会の現実の現場から乖離した学会像を、虚飾も交えて吹聴する」ように思えますか?カノンさんがexcommunicateさんの現実が見えないあまりの純粋さを思われての精一杯のアドバイスだと思いますよ。ここにコメントされたのも何かのご縁だと思います。よくお考えになって、勇気を出して現実を直視していただきたいと思います。

  17. 文のみの対話って難しいですね。
    私の書き方が悪くて誤解を招いてしまいました。
    元学会員・学会員とはここにコメントされている「大聖人の教えと芸術の整合性は到底無い」という意見に賛同された方のことです。
    ややこしくてすみません。
    sinifieさんが日蓮正宗の矛盾点を追及している訳ではないことわかってます。
    途中混同したこともありましたが、sinifieさんの真意はそこじゃないことに気付いて、あのようなコメントになりました。
    ただ劣っているという表現が私には理解できないのです。
    他宗は法華経じゃない仏典を使っていますが、それらの経典が劣っているという話はお寺で聞いた事はありません。
    創価学会では法華経の話(これも正しくない解釈ですが)しかされませんが、日蓮正宗では違うお経の話もされるんです。
    とにかく御住職様に確認してみますね。
    sinifieさんが法華経以外は劣っていると表現したので「創価の教義に縛られて苦しんでいるようで気の毒だ」と思ったのです。
    申し訳ありません。
    誤解した理由はあるのですが、書くとまたさらなる誤解を招くので書かないことにします。

    sinifieさんの仰るように日蓮正宗は750年以上、何も変わっていませんし、丑寅勤行も欠かさず続けております。
    学会員は法華講が同じ信仰をされていると思っているでしょうけど、信仰に対する姿勢や大聖人様に対する想いがこれほど違うことをどう思われているのでしょうか。
    21年前日蓮正宗が間違っていると去っていったわけですが、法華講は何も変わることなく信仰を続けているのに、学会員はおかしいとか嫌だと辞めていく人が続出しています。

    excommunicateさんは自分が憎むものに対して、敬称もつけずに呼び捨てしていますが、それは世間では非常識なことです。
    私は日蓮正宗と創価学会の関係がよくわかっていなくて、つい最近まで創価学会が日蓮正宗だと思っていた大ばか者でした。
    これは私が無関心で無知だったからです。
    仏教の基本も知らず、創価学会を仏教だと思っていた自分がとても恥ずかしいです。
    世間はそんなこととっくに知っていたから創価学会を危険視していたんですよね。
    池田さんは聖者なんかではありません。
    創価学会は二大カルトの一つです。
    人の不幸を祈る・・・これは人の道に外れる行いです。洗脳された学会員であっても出来ない人は絶対にしません。
    でもそれを出来る人もいる。
    これは大きな分かれ道だと思います。

    excommunicateさんは自分より創価学会をよく知っている先輩方の話を聞けないようですが、そこがもう間違いなんですよね。
    どうしてそう言われないといけないのか、一方的に学会員が正しいと言ってもそれは正しいことにはならないです。
    excommunicateさんの語っていることは池田さんの思想であり、大聖人の教えではありませんよ。
    学会の会館に行けばそれはすぐわかります。
    あの会館に入って、ここは日蓮宗なんだと思う人はいないです。
    第一、日蓮宗系の寺院には決まりごとがあります。学会はそれを行っていないのになぜ仏教と言っているのでしょうか?
    新聞啓蒙・選挙活動を仏道修行なんていう宗派はありません。そんなおかしなこと言ってるの学会員だけです。
    迷惑な学会活動で人と摩擦を起こすことが修行なのですか?

    私の祖父母、両親は草創期の学会員ですが、祖父は亡くなる前に創価学会が正しくないことに気付いたようでした。
    でも父は気付けず、今もバリバリの学会員です。
    両親は学会に多額のお金を使い、現在お金に苦労しています。
    それでも幸せだと言い張っているのは、自分が間違った選択をしたことを認めたくないからです。
    学会員にとって一番苦しく辛い事は自分の人生を否定することでしょう。
    excommunicateさんだって本当は真実を知るのが怖いから、耳も目も塞いでいるのではないですか?
    覚醒したら辛い作業をしなければいけない、sinifieさんは正面からその苦しい壁を越えられた方だと思います。
    これは心理学的にも大変なことで偉業なんだそうですよ。
    いずれ創価学会の嘘は明らかになると思います。
    日本人はサイレントクレーマーなので、何も言いませんが創価学会・学会員に対しての怒りは相当なものがあります。
    創価学会の話は今までタブーでしたけど、それもなくなりつつあります。
    もう嘘が通じる時代ではないのです。早く気づかれて脱会してほしいです。

  18. excommunicate様

     まず、御隠尊日顕上人を呼び捨てにするのは、やめていただけませんか。私が池田名誉会長を呼び捨てにしたら、あなたは不愉快だと思いませんか。失礼だと言いましたよね。「上人」や「猊下」などの尊称を付けてくださいとまでは言いません。その失礼な態度が学会員の特性をよく表しているのではないですか? ここは対話の場です。学会員のアジテーションの場ではありません。学会が敵視する人物、団体は何と呼んでもいいということにはなりませんよ。

    >また、逆を言えば宗門側は、創価学会を諸悪の根元・仏敵としていると思いますが、その学会に対する打倒や撲滅の祈りもせず、座して放置しているとでもいいたいのでしょうか。

     すみませんが、御宗門および法華講は、創価学会を諸悪の根源や仏敵などと目してはいません。それはあなたの自意識過剰というものです。法華講は何も学会のみならず、あらゆる人たちを折伏していますので、学会さんを特別視することはありません。同じような異流儀に、顕正会や正信会などもありますし。先だっても浄土真宗の僧侶が正宗に改宗されるということがあり、その方は一信徒として修業に励まれています。

    excommunicate様は、かなり学会の洗脳が進んでいらっしゃるので、論争だとか反証などを示しても、無意味だと感じております。sinifie様のご好意を頂いておりますが、以下の裁判についてのリンクを明示するに留めます。裁判結果は客観的事実ですので、excommunicate様は、ご自分の眼で確かめられてはいかがでしょうか。 ちなみに、以下のような正確な裁判結果は、学会内でしっかり知らされましたか? 聖教新聞は、学会が勝訴しようが敗訴しようが、事実をその都度報じていましたか? excommunicate様の回答をお願いしたいです。

    御隠尊日顕上人に対する、学会の芸者写真捏造裁判
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%BD%E9%80%A0%E5%86%99%E7%9C%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6

    宗門と学会の裁判結果
    http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/html/souka_7.html

    破門の経緯については、まず、昭和52年路線と呼ばれる、池田大作名誉会長や最高幹部による、本尊模刻事件などの数々の教義逸脱問題が根底にあります。その後、折に触れ猊下様からの御教導と御慈悲を賜りながらも、結局、改悛することなく、創価学会は破門という事態に至ったのです。正本堂については、法華講も御僧侶、寺族の方々もこぞって御供養申し上げたのです。いいですか。学会員だけで正本堂を建立したのではないですよ。そして、御隠尊日顕上人のご判断に、学会の方以外は、誰も疑義を差し挟んではいないのです。

  19. 木花さん、コメントありがとうございます。
    とりあえず誤解は解けたということでよかったでしょうか?(^^)
    教の勝劣については私はあっていいと思っています。それはソクラテスの対話の哲学においても基本ですし、古代インドの修行者の討論も勝つか負けるかの真剣勝負で互いの考えを磨いていたそうですから。
    ただネット上では文字だけのやりとりですので、ちょっとした誤解がさらに誤解を生み、本来の趣旨から離れてしまうことがままありますから、論争ではなくあくまで対話という形式でやれればと思っています。
    これからもよろしくお願いします。

    とある法華講員さん、コメントありがとうございます。
    excommunicateさんへ具体的な資料の提示をしていただきありがとうございます。
    excommunicateさんもそう簡単には納得はしないでしょうが、ここでの対話によって何かしら今までとは違う空気を感じてもらえると嬉しいです。

    ところで、ちょっと気になったのは、とある法華講員さんが紹介されている日蓮正宗の信徒さんのHPでは池田氏をふつうに「池田」と呼び捨てにしていますが、そこはよかったのでしょうか(^^)いや、私はべつにかまわないのですが…

  20. exco….さんへ
    すみません。。話しを戻してしまいますが。。
    日顕や竹入、乙骨など創価学会総出でそれらの人の仏罰?を祈ることは、ここに来て読むだけの創価学会員のほとんどが知っていることだと思うので、そんなことはない、と言い切るのは、学会の正義?を主張されるあなたにとって却って逆効果だと思いますよ。。

    それでもなければ、いまの創価学会では敢てそれを表に出さないように、とのお達しでもあったのでしょうか。。
    もし、そうであるのなら非常に安堵いたします。
    人の不幸をみんなで祈るなんて、信仰者としてあるまじき姿ですものね。。(イヤミですよ。。)(^_^)☆

  21. excommunicateさんへ

    私、思うんですが、excommunicateさんはあまたいる創価学会員のなかでもいちばん幸せ者だと思います。なぜかというと、顔も名前も知らないあなたに、たくさんの人がこうして真剣にあなたの人生についてアドバイスをされているからです。それはあなたが勇気をもってこのサイトにコメントをしてきたからでもあります。創価学会ではネット上の情報は相手にするなと指導されていると思います。ですから素直な学会員ほどそれを鵜呑みにして私のブログのようなものの存在さえ知らないし、たとえたまたま見るようなことがあっても頭から信用しません。ネットに関することだけではなく、創価学会員は外部からの情報をシャットアウトされています。それは上のとある法華講員さんが紹介してくださったこともexcommunicateさんはおそらく知らなかったでしょう。矢野さんをはじめ、かつて創価学会にいた人の告発本もウソばかりだから読むなと言われていると思います。それは読まれては困ることが書いてあるからです。本当のことだからこそ読まれては困るので、読むなと言っているわけです。知られてはまずいことがネット上にいっぱいあるからネットを見るな信用するなと一様に言います。ウソだったら「読んで見なさい、ウソだとわかるから」と言うはずです。「そんなもので学会はびくともしないよ」と言うのが本当じゃないですか。それをあわてて外部の情報をシャットアウトしようとするなら、あなたは一度きちんと考えたほうがいいと思います。ためしにあなたの組織の上にあたる方に、このサイトにこんなふうに書いたら、こんなふうに言われたと相談してみてください。そしたら彼らはびっくりして「そんなところと関わるんじゃない、罰が当たるぞ」「おまえは信心がおかしくなったんだ、いっしょにお題目をあげよう」「そんなことをして先生に恥ずかしくないのか」などと必死で思考停止にもっていこうとするでしょう。それが何よりの証拠です。あなたに本当のことを知らせまいと必死になると思います。そこで正本堂のことや写真捏造事件の裁判についても訊いてみてください。もしそこできちんとexcommunicateさんの納得する説明がなされたなら、ここでその説明を私たちにしてみてください。でもきっと彼らは話をはぐらかすと思います。そしていつのまにかあなたのしらないうちに組織の中の注意人物として知れ渡ります。「あの人は信心がおかしくなったから、まともに話を聞かないように」っていうふうに。そしてあなたの中の疑問は何も解決することなく大きくなると思います。同じ組織の人もよそよそしくなったら、あなたはそこで少し考えることになるんじゃないかな。excommunicateさん、創価学会の組織と言うのは、同志と思っているぶんにはとても心強い存在かもしれませんが、ちょっと疑うようなそぶりを見せるととたんに態度が変わるんですよ。それは彼らは目の前にぶら下がっている「功徳」欲しさに信仰しているからです。そんなもの信仰じゃないですよね。たんなる欲に走った集団です。ありもしない「功徳」に盲目になって、何も考えずに選挙活動に走り回り、新聞啓蒙を強要され、ありったけの金を財務につぎこませられます。それが信仰というものでしょうか?人間の崇高な「祈り」がどこにあるでしょう。ところが創価学会員はこの信心を貫き通しさえすれば、ものすごい「功徳」がやってくると本気で信じています。と同時に、この信心を疑えば「地獄に堕ちる」と脅されています。とても簡単なマインドコントロールですが、それが徹底されているのが創価学会の組織なんですよ。座談会をはじめとした各種会合も家庭訪問も、体験発表や学会歌の合唱だってそうです。あたたがここに書いてることは、ここに来られる方はとうの昔に知っていることだし、それがすべてマインドコントロールされた結果であることもよくわかっています。あまりに単純な絵に描いたようなマインドコントロールにはまっているあなたの言動にむしろあきれてしまっているのです。
    私はここでのexcommunicateさんの勇気ある行動に拍手を贈りたいです。excommunicateさんはたまたまこのサイトに来て創価学会の正義を主張しようという思いなのでしょうが、ここに来られる方は創価学会の大先輩なのです。あなたの見聞している創価学会のことはすべて知っています。そしてあなたの知らない創価学会を見てきたからこそ、こうして対話の場をつくり、あなたのような純粋無垢な方が一日もはやく自分の人生を取り戻してもらいたいという思いなのです。
    人は集団に属することで安心感を得ます。その集団が世界の平和と文化に貢献し、人々を幸せにしているんだと思えば、自分もその手助けになる存在になりたいと思うのがまっとうな人間です。しかし、そのまっとうな人間の心を利用して金と権力を欲しいままにしてきたのが創価学会なのです。創価学会には数々の矛盾があります。しかしその矛盾が矛盾として感じないように会員は見事にマインドコントロールされ、思考停止を余儀なくされ、あわれな人生を強いられています。これは何度も言うように自分で気づくしかないんです。どんなに創価学会の悪事を目の前に並べられても、気づかない人はまったく気づかない。それがマインドコントロールです。オーム真理教しかり、北の将軍様もしかり、日本の信教宗教の多くもそうです。excommunicateさん、あなたの考えていることが、本当に自分の考えなのか、もう一度しっかりと検証してみることをおすすめします。それでもやっぱり創価学会は正しいと思えば、今までどおり活動に専念すればいいではないですか。でもほんのちょっとでもあなたの心になにかしらひっかかるものがあったとしたら、組織の人にその疑問を思いきりぶつけてみてください。それと同時に、ここにいらっしゃる方にも同じ疑問をぶつけてみてください。はたしてどちらが人としてまっとうな答えをするのか、しっかりと見極めてください。私はまちがいなくここにいらっしゃる人があなたの納得できる答えを出すと思います。そしておそらく組織の人は答えるどころか、脅したり、あなたを疑ったりすると思います。外からの情報を頭から否定し、あなたの疑問や悩みを否定し、何も考えずに信心に励めと言うはずです。それがマインドコントロールの手口ですから、それであなた自身が判断してください。
    excommunicateさん、私も含めてここに来られる方にとって、あなたは名前も顔もしらない全くの他人です。言ってみればあなたが創価学会で人生を見失おうがまったく関係ない方たちばかりです。しかしそれでもこうしてあなたの人生についてのアドバイスを真剣に思ってしてくれるのですから、これはいったいどういうことだろうかと考えるのも、決して無駄ではないと思います。あなたの文章を見れば、頭のいい人だなとすぐにわかります。そのすぐれた頭をつかって、これを機会に一度でいいですからこれまでの自分の人生と、創価学会との関係を見つめ直してはいかがでしょうか。

  22. sinifie様

    私のコメント掲載、またコメントをいただき有難うございます。

    私は基本的に誰かを呼び捨てにすることは好きではありません。ですから、少なくともこのコメント欄ではやめてください、というお願いです。ここは、sinifie様のご案内のように、「対話の場」ですから。他のブログについては、もう仕方ありませんね(苦笑)。私がご紹介したリンクは、裁判結果が一番分かりやすいと判断したからです。理由はそれ以外にはありません。

    裁判結果については、宗門側は、事実を信徒に公表しています。勝訴・敗訴関わらず、です。学会側はどうなんだろうな、と。学会員さんは、いつも連戦連勝のように仰るので、事実を知らされていないのでは? と疑問に思ってきました。

  23. シニフィエさん、みなさん、はじめまして。
    私は、今年33歳になります、兼業主婦のクリームと申します。
    一般人の心になりたいと思っている、籍だけの学会3世です。
    ちなみに子どもはまだいません。近いうちにほしいです。

    職場が夏季休暇に入り、主人も最近まで出張で時間がありましたので、シニフィエさんのブログ・みなさんのコメント、すべて拝見いたしました。

    こちらのコメントは、「内部から見た創価学会」の事実を寄せるところ、または学会についておとなの対話をする場と、私は受け取りました。

    私が見たものを具体的に書きたいと思います。
    ただ、あまり覚えていないことも多いです(自分でどうにもできなさそうな嫌なことは忘れてしまう性格です)。
    それと、このように感じたよ、ということは、やっぱり主観的になってしまいますので、そこはお許しください。

    ◆我が家が創価学会にふれるきっかけ

    若かった祖母と幼かった母が、同時に入会しました。
    母は母子家庭でした。
    母はあまり友人がおらず、学会員だけが優しくしてくれたそうです。

    父は、けっこう貧乏な、子沢山の家の三男で、学会2世です。
    彼の父親は、今でいうギャンブル依存症で、彼の母親が、家族そろって入会させたそうです。

    父と母は、学会活動で知り合い、姉と私と妹が生まれました。
    母方の祖母(故人)・両親・3姉妹の、6人家族で、創価学会をほとんど疑わず(おかしいなと思ってもあまり追求することなく)育ちました。

    ◆私や、姉妹のスタンス

    私たち姉妹は、時期やきっかけはそれぞれバラバラではありましたが、3人とも、創価学会から心が離れて、すでに数年経っています。
    今は、以下のような考えです。
    「両親も脱会させられたらベストだけど、それには、両親が何十年も信じ切ってきたものを否定することを避けられない。
    人生そのものとも言えるものを、子どもが否定するような悲しいことはしたくない。
    もし、両親が脱会したとしても、両親がどんな目に遭うかわからないし、両親の友達も生きがいもなくなってしまう。
    私たちが脱会したと知ったら、今はたぶん怒ったり悲しんだりするだろう。
    両親が亡くなった時に私たちは脱会する。」
    ミもフタもない言い方をすれば「この年になって両親といざこざを起こしたくない」ということです。

    両親に元気でいてほしいという気持ちもあるし、両親は学会のお墓に入るだろうということもあるし(もう買ってあります)、複雑な気持ちです。

    ◆私が創価学会から離れたきっかけ

    私は、はっきりとは覚えていませんが、2007年ごろには、活動・財務・新聞購読・選挙など、全ての学会活動はしていなかったと思います。

    きっかけは、2005年ごろに一人暮らしを始めたことで、まず、両親(おもに母)からの干渉が薄れました。
    その後、「自由の砦」というサイトさんに出会ったことで、会合や財務への気持ちがなくなり、それらへの協力を心から(罪悪感を持たずに)やめました。
    新聞購読は、「やめると、実家の両親に連絡がいくのではないか、両親とケンカをしなくてはいけないのではないか」とおそれ、しばらくは止めませんでした。
    しかし、思い切ってやめてみると意外とアッサリしたもので、両親とのケンカなどはありませんでした。

    私は、高校卒業までは、なんとなく創価学会は正しいんだろうなあと思っていました。
    我が家でいちばん良心的と思われた、父親は、創価学会風の躾に熱心でした。
    (ちなみに母親も熱心ですが、母親よりも父親のほうが説得力がありました。)

    父親は、家族の中でこそ良心的に見えましたが、職を転々としたり、ギャンブルもしています。
    でも、すごく物知りで、今では、私たちのことを思って、私たちが一生幸せを約束されるのであれば、と、創価学会風の躾に熱心だったんだろうと理解できます。
    私が親となった場合、同じことはしませんが、心情としては理解できるし、それが父なりの愛情の示し方であったのでしょう。

    母親は、純粋で努力家ですが、家族に手伝いをお願いしたりすることは苦手で、「ちっとも協力的でない」と不機嫌になります(頼んでみたらいいことなのに・・)。
    少し、言葉に攻撃的なところもあります。
    普通のコミュニケーションを取りづらいことがあるので、帰省したときなどに、「そんなときは、こう言えばいいんじゃない?言ってみ?あかん、もっと可愛く!」など、助言?したりしています。

    自己紹介はこのあたりで終わりとします。

    ◆小学生ごろのエピソード(昭和60年代~平成初期ぐらい)

    ・父親は、私が小学校低学年のころから、日曜の朝は、毎週、長いほう(五座・三座だったかな?)の勤行を家族揃ってしないと物凄く怒りました。
    ・父親は、小学生向けの会合に行かないと言うと物凄く怒りました。姉がそうして怒られるのを見て、私は従っていました。
    ・両親は、方便品を真っ先に読めるようになった姉を、すごく褒めていました。
    ・小学校低学年のころだったと記憶していますが、私はある日、小学生向けの会合に行きました。
    その頃は、民家の2階をお借りしてた覚えがあります。
    そこで、唱題中に、トイレに行きたいということを、そのお宅のおばちゃんに言えず、おしっこを漏らしてしまいました。
    具体的に、何分唱題していたかは覚えていませんが、そうとうな長さに思えて、苦痛でした。
    それと、トイレに行きたいと言えなかったのは、「食事中にトイレに行くのは行儀が悪い」と同じように、我が家では、勤行中にトイレに行くと怒られたからです。
    ・ある日、子ども心に、「学会は、日顕さんとケンカしているのだなあ」と感じ、父親に、「ケンカするなら、創価学会と日顕さん、2つの言い分を聞かなあかんのちゃうの?そのあと、お互いの良いところをとれば良いのに」というようなことを聞きました。
    すると父は、「あの人たちは、普通の話が通じないから、創価学会の言うことを聞いていればいいんだ」というようなことを答えました。
    このことは、中学生になって、任用試験の勉強をすると、ますます矛盾に思えました。
    「任用試験では、すべての人に仏性があると教えるのに、日顕さんだけ仏性がないってこと?わからない・・」と。
    しかしその頃には、そのような素朴な疑問すら、質問することは無礼のような空気だったのと、疑問をうまく表現することもできなかったので、いつのまにかうやむやにしてしまいました。

    ◆中学生・高校生ごろのエピソード(平成10年ごろまで)

    ・あまり会合に出なくなりました。
    しかしその後、高校でクラスが一緒になった女の子が、2世で、明るくて優しい子だったので、仲良くなりたくて、会合にまた出はじめました。

    ・任用試験を受けました。
    細かい内容はあまり覚えていませんが、よくある、学会風の、四箇の格言・五重の相対・転重軽受などだったと思います。
    御書はたぶん、大百蓮華に書かれた4行くらいのものを2つくらい出題されたと思います。
    牧口常三郎さん・戸田城聖さん・池田大作さんのことも、教材にあったと記憶しています。

    ・母が「学会活動にもっと時間を使うために」と婦人部の責任者に言われ、それまで20年近く勤めた専門職を辞めました。子どもだったので家計の詳しいことは知らされていませんが、一般的には月収20~30万くらいの職業です。
    ・父は、自営を始めたものの、あまり利益が出ず、家で一日中テレビゲームをしている期間がありました。
    ・姉は、高校卒業して、進学のために家を出ました。
    ・姉の進学にともない、父は姉妹の進学のための学費を稼ぐため、就職します。それは、肉体的にきつくてボーナスもないけれど、月収は20~25万くらいの仕事でした。

    ◆短大生のころのエピソード(平成10年代、私は大阪周辺の都市で、一人暮らしでした。)

    ・高校までは「正しいんだろうなあ?」でしたが、学生部の先輩との出会いを通して、このころは、「正しいに違いない!」と思ってしまいました。

    ・それまでは、のんびりした田舎の組織だったので、「本流」とか「入決」とかに一生懸命になれるのは、すごく信仰熱心な、限られた特別な会員だと思っていました。

    ・学生部の活動は、同じ年頃の学会員の女の子と触れる機会があって、楽しかったです。
    ・その頃の私には信仰熱心に見えた、学生部のみんなが、おしゃれで明るく思えました。
    ・私は、「本流」や「入決」に、最初はあまりこだわっていなかったせいか、学生部のメンバーとは少し距離感があると感じていました。
    ・学生部の活動に熱心になっていくと、学生部のメンバーとも仲良くなれましたが、勉強とは遠ざかってしまいました。
    ・今は、学生部のメンバーの誰とも、連絡しあったり、会ったりすることはありません。

    ・私は、飲食店でアルバイトをしました。大将と彼の義母が営む、小さな店でした。
    私は、ホール係と厨房の補助を任されました。
    厨房の責任者は義母のほうで、彼女からこう言われました。
    「(野菜の切り方やアクの取り方などいちいちすべて指示を仰ぐ私に)あなたは、実家で、お料理のお手伝いをする機会などはあまりなかったのかな?」
    「(今は覚えていませんが非常識なことをしてしまったんだと思います、)あなたに何かあれば、あそこの家はどんな育て方してんねん、ってあなたの両親が言われるの」
    「あの子(私のこと)では仕事にならない」←厨房でそう言っているのをホールで聞いてしまいました。
    おそらく彼女が私に伝えたかったことは、普通10代後半の女の子が世間に求められる教養などが少ないということでしょう。
    私がそう想像できるようになるのは、ずっと後になってしまいますが・・。
    幸いに、大将が見捨てずにいてくれたので、1年半後には頼ってももらえるようになり、惜しまれながら卒業と同時にやめることになりました。
    ちなみに、アルバイト先の人には折伏も新聞啓蒙もしませんでした。

    ・短大は、経済的に大変な中、学費を出してもらったにも関わらず、アルバイトと学会活動をしていて、勉強や就職活動はほとんどしませんでした。
    (ちなみに生活費は、奨学金とアルバイト代で賄いました。)
    「こんなに信心強盛になったんだから、両親は喜んでくれるだろう」という私自身の甘えもあったと思います。
    お金もないので、とりあえず実家に帰って考えよう、と実家に帰ります。今考えるとおそろしく行き当たりばったりです。
    ・私がいたところの学生部の幹部は、「活動家にして地元に帰してあげるんだ」みたいなことを言ってました。

    ◆社会人のころのエピソード1(平成17年ごろまで、実家にいたころ。田舎です)
    ・帰郷して、しばらくしてから、中小企業に正社員で働けるようになりました。母に、「家にいくら入れたらいい?」と聞いたら、お金はいらないと言われました。
    今でも、このときの母の真意はわかりません。

    ・寄付について
    新年勤行会・本部幹部会など、大きい(=参加者をたくさん集めるために家庭訪問などをする対象の)会合で、一口いくらからでも受け付ける寄付がありました。
    私は、それを集計する係に携わったことが複数回あります。
    私の地域では、その集計係は「部長以上の役職の人が2名以上で務める」とされていました。
    仕事の内容は、申込書に書かれた金額と、封筒に入れられている金額が同じかを確認し、合計金額を所定の用紙に書きます。
    1万円札が何枚、5千円札が何枚、と、けっこう細かく書いて、集計した人の押印欄もありました。
    そのお金は、決められた袋に入れて、男子部の牙城会の方に渡します。
    牙城会の方は、もう少し会員数の多い地域の、別の会館の金庫に納めに行きます。
    集計が終わるころには、ほかの参加者はもう、会合が終わって、帰っていました。

    ・財務について
    私は、活動家のころは、10~15万くらい寄付していました。
    母は、毎年、生命保険を解約したり、公共料金を滞納したりして、けっこう無理して寄付していました。
    父は、「身の丈にあった分を寄付すれば良い」という考え方でした(かつてに比べるとずいぶん丸くなっています)。

    ・選挙への協力もしました。
    選挙がある地域へ、私の地域の女子部の何人かが、ウグイス嬢をするという形での協力でした。
    選挙当日が近くなってくると、平日は毎晩仕事が終わってから、街頭遊説の司会や、街中でのアナウンスの練習をしました。
    その練習会場は、個人宅でした。選挙カーの運転手は、男子部員でした。
    選挙がある地域の婦人部の方が、「一日は仕事を休んで、選挙カーに乗るんでしょうね」と言われたので、意外に思い、適当に流しておきました。
    私が住んでいる地域では、そのような示唆はなかったので、ほっとしました。
    ・その時、女子部の人数が足りなかったので、ウグイス嬢経験者の婦人部の方も参加されたのですが、一人の方が、別の女子部の方のことを、陰で、「あの子は年くってるばっかで何にも気が利かない」と言いました。
    その頃の私は、それがずいぶん非常識な言い方だとは気付けませんでした。
    今なら、「本人が受け入れやすい言い方を考えて、良いやり方を提案すればいいのに」と思います。

    ・家庭について

    妹は、就職のため、家を出ました。
    母は、学会活動のため、ほとんど家を空けているか、電話連絡や会合の原稿作りをしていました。
    父は、私たちの学費のために勤めていた会社を辞め、別の会社に就職しました。父いわく、「こんな年いったオジサンはどこでも雇ってもらえないものだけど、就職できたのはご本尊様のお陰だ」とのことでした。ちなみに数年後、社長とケンカして辞めました。
    (私からしたら、社長がせっかくひろってくれて、そのお陰で食いつないだのに、いかがなものかと思います。)
    その後、就職した会社には、今も勤めています。

    食事は母が作ってくれていたのですが、毎晩、食卓にあるのは、くしゃくしゃの揚げ餃子2・3個と、くしゃくしゃの揚げ豆腐に、サニーレタス1枚を添えたものでした。
    結婚して子供も生まれた姉が、一家で帰省がてら遊びに来る時は、それなりに作っていました。
    私はすでに成人した良い大人でしたが、少し嫉妬したものです。
    ちなみに私は、飲食店のアルバイトで少しは料理ができるようになっていたので、作りました。しかし母は気に食わない様子でしたので、家で料理をしないようになりました。
    母の言い分は、「あなたは材料も調味料もたくさん使っちゃうから、それらを買うお金があるなら、私が作ってあげるから材料費ちょうだい」ということでした。
    今思い出しても悲しいです。おいしいご飯をみんなで楽しく食べたかっただけなのに。

    ◆社会人その2(平成20年前後 大阪周辺)
    ・学会活動や母から距離を置きたかった気持ちもあり、一人暮らしを始めました。最初はアルバイトをしていましたが、やがて、派遣社員ながらフルタイムの事務職で生計が立てられるようになりました。
    ・よく女子部がアポなしで来ましたが、居留守にしてました。
    ・一度、「私は学会活動に協力しませんので、来られても無駄です」と言いましたが、また来ました。
    ・ポストによく、手紙と連絡先を書いたメモが入っていましたが、読まずに捨ててました。
    ・ある日、夜8時ごろ家に帰ってくると、家の前に女子部員が立っていたので、びっくりしたのと、怒りが湧いてきました。
    それで、このように言いました。
    「前に来ないよう申し上げたはずですが、なぜまたお越しになりましたか。このようにいきなり来られても迷惑ですし、正直、気味が悪いのでやめてください」と。
    彼女らは、言い訳をしながら帰りました。ごめんなさいとは言いませんでした。
    その後、いやがらせなどは特にありませんでしたが、ポストへのメモ投函は、少しありました。
    読んでませんが、一目でいやがらせと思えるようなものではなかったです。

    ・29歳くらいのとき、「実家が学会だし、私も貯金ないし、奨学金の返済あるし・・」と本気で悩みました。
    ・30歳過ぎてから、幸い、今の主人と知り合うことができました。
    お互いに結婚を意識していたので、実家が創価学会であることとともに、以下のことを伝えました。
    「今、私は学会に協力する意思はまったくない。けれども、家庭環境が環境だったから、私が一般常識と外れたことをしたり言ったりしたら注意してほしい。あなたのご両親が、学会にひどく拒否反応を示すようだったら、一緒に良い方法を考えたい。」
    彼なりに葛藤があったようですが、彼のご両親も受け入れてくださり、結婚し、一緒になれました。

    ・選挙の時など、まだ学会員の訪問はあります。
    主人も私も、「彼らには協力しない」という意思が一致しているので、どちらが応対しても、学会員にはお引き取りいただいています。
    (今後、ママ友社会などで、学会員と関わることになったらと思うと気が重いですが)

    ・私の母親は選挙の時しか連絡してきませんが、母親には「ふーん。わかった。ところで・・」とそそくさ違う話にしています(それが一番良い方法と私なりに考えてのことです)。
    もちろん投票は、自分が良いと思った党や候補者に投票します。

    ・母が私に寄付するためのお金を無心してくることがあったのですが、メールで、次のようなメッセージが送られてきたときには、心底うんざりしました。
    「今年、三桁をやりたい。20万しかない。80万!」
    つまり、100万の寄付をしたいので、80万ほしいということです。
    やりたいなら勝手にすればいいのですが、子どもにせびるなんて、本当にうんざりです。

    ◆あとで両親から聞いた話
    ・母は誇らしげに「妹の妊娠中、流産の危機があったが、仕事も学会活動も熱心だったから、妹はかろうじて、1000グラムちょっとの未熟児としてではあるが、生まれた」と言いました。
    (当然のことながら、安静にしていれば、もう少し大きい赤ちゃんになれたと思います。)

    書きたいことがたくさんあって、大変、長くなってしまい、申し訳ありません。
    もしまた思い出すことがあれば、書き込みさせていただきたいと思います。
    特に、これに対するお返事は不要ですが、何かお聞きになりたいことがありましたら、記憶にある範囲ならお答えさせていただきます。
    最後になりましたが、これからもシニフィエさんを応援しています。
    シニフィエさんにも、みなさんにも、良いことがたくさんありますように!

  24. クリームさん、コメントありがとうございます。
    貴重なお話をしていただき感謝します。学会の一般社会から逸脱したモラルがよくわかります。
    その異様さが学会員にはわからないんですよね。私もそうでした(笑)。
    今後ともよろしくお願いします。

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