コメントお待ちしています。

おかげさまで、ここにコメントしてくださる方が増えてきました。とてもありがたいです。かつて創価学会の活動家だった方、2世3世で、今でも活動をされている方、活動していない方、脱会された方、正宗に戻られた方、宗教はもうまっぴらと言う方、宗教の大切さはわかるけれども、今は特に何かを信仰する気にはなれない方など、さまざまな立場でのご意見が寄せられています。また、みなさんこのブログの趣旨をよく理解されての発言なので、感情的になったり、ブログが荒れることなく対話が進行しています。こうした対話から、創価学会の真の姿に気がついてくれる創価学会員がひとりでも多く出てくれると嬉しいです。急がず、じっくりと対話を進めていければと思っています。とくに創価学会の活動家であるexcommunicateさんは、ここが創価学会に批判的なブログであるにもかかわらず、勇気をもって自身の考えを表明していらっしゃることに関しては敬意を表します。こうした方がさらにここでの対話を通じて、お互いの信仰についてしっかりと確認をしていただけると、大いに意義のあるブログになると思います。よろしくお願いします。

なお、新しいコメントは、いちばん新しいページにお願いいたします。過去のページにコメントされても、管理者である私にはわかりますが、他の方は気づかないことが多いようです。よろしくお願いいたします。

コメントお待ちしています。」への6件のフィードバック

  1. シニフィエさん、前回のコメントではお返事いただき、ありがとうございました。
    熱いお話の最中だったので、「KYかな?」と不安でしたが、受け止めていただけて、ほっとしました。
    こちらこそ、よろしくお願いいたします。

    >学会の一般社会から逸脱したモラルがよくわかります。
    その異様さが学会員にはわからないんですよね。

    私が見たことの異様さが伝わって良かったです。
    「学会員にはわからない」本当に、おっしゃる通りです。
    私は今も、「常識的な言動ってどんなだろう?」と、自問自答しています。
    創価学会とは無縁の方が、ごく当たり前にできること・感じられることが、私にはできない・わからない、と気付いたときの絶望感は、なかなかこたえるものでした。
    1人で夜中にそんなことを考えてたら、恥の力で消えられる!と思ったものですが、私がいなくなったらペットの猫が困ると、思い直しました。
    命の恩人?の猫は、今や、夫も癒し、一緒に暮らしています。

    話がそれましたが、モラルについては、職場の人や、創価学会から離れたあとにできた友人の見よう見まねで何とかなってますが、困ったら、ヤ◯ー知恵袋などで調べます(笑)。
    みなさんどうなさってるのでしょう・・?
    ぜひ、ご意見を聞いてみたいところです。

    創価学会の考え方からさめていくにつれ、自分の生育環境がいかにおかしなものだったか気付き、本気で悩んだ時期があります。
    その頃、数回相談したカウンセラーの方に、「あなたはどうしたいですか?何かひとつでも、できそうなことを教えて?そして次にお話するまでにやってみて」と言われました。
    ちなみにそのときは英語の勉強でしたが、進めるうちに、自分で決めて何かをした経験が少ないことと、失敗がとても怖いことに気付きました。それらは、少しの行動を重ねていけば、ゆっくりとではありますが、自信になっていくと感じました。
    そして、元活動家だろうとそうでなかろうと、きっとみんなそうして悩んだり迷ったりしながら生きているのだろうとも想像しました。

    それと、ときどき美術館に行くようになりました。
    シニフィエさんは、芸術関係のお仕事をされているとのことで、私からしてみれば憧れの存在です。

    私の興味は今のところ、アーツ&クラフツ、アールヌーヴォーあたりで、他の時代はあまりわからないので、取り上げていらっしゃる作品について実りある話題を提供できないのが残念ですが・・

    以下の本に書かれていたことが心に残っています。
    「ニューヨーク美術案内/千住博・野地秩嘉著、光文社新書刊」
    美術初心者の私には、全体的におもしろく、読みやすい本でしたが、特に良かったところを二点、紹介させてください。

    (ゴッホの作品が、弟から送られた最高の絵の具で丁寧に描かれていることを紹介して、)
    >なぜ、それほど細かい部分までいちいち描いたかと言えば、それは作者にとって絵を描くことは祈りであり、筆を運ぶことは神との対話だったからです。p.24
    >決して退色してはならない絶対の神聖な価値だったのです。だからこそ最高の絵具を使う必要があったのでしょう。p.25
    これで、目からウロコが落ちました。
    私は、なんて偏狭な目で物事を見ていたのかと。

    モネについては、以下のように解説されています。
    >モネの眼のすごさとは色や形を再現するためだけに対象を見ていたのではないということでしょう。
    彼の眼は対象の持つ温度や時間といった実際には眼で見えないものまでとらえていました。p.30
    この本を読んだあと、すぐに、ニューヨークのMoMAでモネを見ましたが、「おお!確かに、光と感覚が描いてある!!」と感動しました。

    それでは、また、長くなってしまいましたがこのへんで。
    暑い日が続きますが、お体を大切になさってくださいね。

  2. クリームさん、とても説得力のあるリアルなお話をありがとうございます。
    ゴッホもモネの話もとてもよくわかります。牧師もしていたゴッホの絵は神の概念なしにはありえませんよね。パリのオランジェリー美術館でモネの睡蓮に囲まれた時は、やはりすばらしい体験でした。

    かつて母が言っていました。婦人部から「四角い部屋を丸く掃いてでも学会活動に専念しなさい」と指導されたと(笑)学会の常識は世間の非常識。学会から覚醒はしたものの、自分がどこまで世間の常識を身につけているのかわかりません。まあ、バイト先の冷蔵庫に入って写メ撮ったりはしませんけどね(笑)

  3. 詳しくは知らないのですが、最近の学術的な仏典研究の成果として「法華経は釈迦が書いたものではない」ということがはっきりしたり「鎌倉における末法の時代解釈は間違っていた」となると、日蓮が言っていたことにいろんな矛盾がでてくるような気がします。世界がインド、中国、朝鮮、日本という範囲での記述で、キリストやイスラムや他の古代文明の基盤となった文化や宗教はまったく想定されていないのですから、たとえば御書を鵜呑みにするというのもどうなんでしょうね。たとえば十界論の「地獄」という概念も、もとは古代の土着信仰から生まれたんじゃなかったかな。なんか「地獄に堕ちるぞ」って言われると恐い気もしますが、よくよく考えるととっても不幸な状態を勝手に想像して怖がってるだけのような気がします。

  4. シニエイさん、私もかなり前に仏教特集の雑誌に(名前はもう忘れましたが)どこかの洞窟に法華経が書き残されいた
    のを、引き合いにだし、法華経は釈迦が書いたものではなかった。 というような記事を読んで(写真入で掲載されてました)人が知っている歴史なんていい加減なものなんだなと思ったものです
    いつも深い考察の元にコメントされていて敬服するとともに、大変な勉強をさせていただいております
    いろんな方がここを訪れて忌憚の無い思いを意見交換しながら、益々すばらしいブログになることを祈っています

  5. シニフィエさんお久しぶりです。お元気なご様子、うれしく思います。波があるでしょうから、無理はしないでください。

    素晴らしい芸術作品は、時代を超えて存在し受け継がれていきますね。宗教など越えて。
    作家の背景に宗教、考え方、様々あると思いますが、身を削る創作活動の中で、苦悩を突き破り作品が生み出される瞬間は、どんな宗教、考え方も超えてしまうのではと思います。違いなどどうでもいい。と、こちらに訴えかける情熱の形=作品
    の価値は、時代を超え普遍性を持っています。ころころと変わりません。
    スポーツ選手が1秒タイムを縮めるのに、気の遠くなる時間をかけ、自分自身に挑み乗り越えていく瞬間も同じだと思います。
    そのようなものに触れた時、人間って素晴らしいと感じます。
    そこに嘘と偽りは存在しません。嘘と偽りのあるところに価値などありません。

    長くなりそうなので、この辺で。またお邪魔します。

  6. yokoさん、お久しぶりです!お元気でしたか?
    私はご覧のとおり、ずいぶん元気になりました。まだ完全とはいえませんが、調子が悪い時の何もかもがいやになっていたりしたときに比べれば、雲泥の差があります。これからも無理をせずにやっていきたいと思います。
    よろしくお願いします。

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