功徳について考える

創価学会の方にお訊きしたいのですが、もし創価学会の信心で功徳はないと知っていたら、それでも創価学会の活動を続けますか?世界の平和と文化の総体革命のために、自分の財産と労働力をつぎこみ、選挙活動に奔走し、聖教新聞を友人知人に購読してもらうようにお願いして回りますか?自分に何の見返りもなく、創価学会の活動を死ぬまで続ける覚悟がありますか?

なぜこんな質問をするのか、普通の人ならすぐに理解できると思います。それは本来宗教は見返りを求めるものではないと思うからです。この質問が理解できず、信仰に功徳を求めることがどうしていけないのかわからないと思うのであれば、それは少なくとも仏教ではないと思います。自分はこの信心をしているのだから、信心していないものよりも福運があるはずだ。人よりも幸せになれるはずだ。これだけ財務を頑張って、選挙も走り回って、新聞啓蒙もしこたまやって、折伏もたくさん決めて、組織ではそこそこ役職もある。これで他の宗教をやっている人間よりも幸せの切符を手に入れたようなものだ…と勘違いしている創価学会員も多いことでしょう。人より幸せになりたい。それがそもそも卑しい煩悩のかたまりではないでしょうか。功徳、つまり創価学会員にとっては活動の見返りです。それを求めること、あるいは見返りをモチベーションとして、ひたすら組織の言いなりになることが、はたして信仰といえるのでしょうか。

学会の指導は、ひたすら「自分で考えるな」です。「何も考えずに池田先生にお応えするんだ」です。自分の意思で考えられると困るからです。組織に疑問を抱いたり、折伏や選挙の結果が出せなかったりすると「我見の信心だ」とか「それは君のエゴだよ」などと、ますます何も考えずに組織に尽くせという指導しかありません。そうやってMCを深められていきます。功徳はアメ、地獄はムチ。そして「何も考えることなく組織のために戦い抜け」というのが学会の指導です。会員は組織のためのロボットです。ただ働きどころか、毎年お金まで貢がせる奴隷なのです。ありもしない功徳に惑わされて利用されるだけ利用される哀れな奴隷であることに、一日もはやく気づいてほしいと思います。

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功徳について考える」への23件のフィードバック

  1. こんにちは。初めて書き込みします三世です。3.11以来少しずつ覚醒し始め、今回の選挙では公明を入れない選択を初めてしました。
    私は現在、しらゆり長をしているため、おいそれと未活になれず、苦しい思いをしています。
    こんな書き込みするのも初めてで、もし学会本部とかが見張ってて身元がわかったらどうしよう、・・・とドキドキしています。
    もう、ばれてもどうでもいいやって気持ちもありますが。。。

    さて、質問の答えですが、私はかつて、功徳がなくてもやってました。なぜなら、この信心で本当に世界が平和になり人類の幸せになると信じ込んでいたからです。
    青年部時代、「世界平和のために!人類の宿命転換のために!自分を変えるところからルネサンスは始まる!」との、
    なんとも壮大なキャッチコピーの横断幕に、心を熱くみなぎらせ、一心不乱に不惜身命で活動してました。
    若いからこその純粋な熱い気持ちからでした。

    覚醒始めたころでさえ、功徳欲しさの信仰など純粋な信心ではないと、私だけでも、純粋な信仰をとりもどそうと御書を勉強しなおしていた時期もありました。
    色々振り戻しもありながら、現在に至ります。
    学会の中には功徳を求めている方ばかりではないと思います。むしろやらないことの罰の方が怖いんだと思います。
    青年部時代の友人とたまに電話していても、活動していないと、不幸になる気がして怖いと言います。
    妊娠・出産の時期ですら、活動してないからちゃんとしたお産ができないのではないかとか、無理しても活動しながら子育てしないと、子供がまともにならないと信じ込んでいます。
    私もそんな罰はないのだと、頭では理解していても、時々急に不安になることがあります。洗脳ってなかなか抜けないです。
    そんな時に、こういったブログを読んで気持ちを落ち着けています。

    現在は地区は新聞の数の話に躍起です。みんな疲れています。やる気のある人なんていません。役職あるから、責任とらされて、否応なしにやるしかないから、やってるって感じです。新聞社に文句言いたい!という壮年部だっています。
    役職のない方は、会合に行きたくないという方ばかりです。
    私の地区は良いのか悪いのか、半覚醒みたいな人が多いですね。しがらみやら、今までの人生を思ってか、はたまた信仰を捨てるほどの勇気はないためか、みな組織に残っていますが、私が越してくる前には、退会した人もあったそうですが。

    まあ、これは私の地域の話で、となりの地区は活気づいていて、啓蒙もばしばし決まってるらしいですが。
    地区が妄信であれば、結構できるんですよね、啓蒙も(贈呈がほとんどですけどね)
    でも、一旦地区の方々が覚めてしまえば、途端に目標達成は厳しくなります。我が地域はそんな感じです。

    目標って言う名のノルマですが、ノルマ達成しないと誰か困るのですか?って感じですよ。
    困るのは幹部だけでしょう。勝手に困ってて!って思います。

    下半期は家庭訪問に力を入れ、青年部中心に折伏だそうですよ。

    個人家庭訪問って勝手に押しかけてきて、こっちの話を聞いてくれるふりして、最後は池田先生のために!!!目標を明確に!!とか、ウンザリ。

  2. コメント承認してくださり、ありがとうございます。ドキドキしながら書いたコメントですが、投稿してみたら幾分ですが気持ちが落ち着きました。人に話すことって大切ですね。人に伝えて、受け入れられたという思いが癒しになります。

    組織の中でも話を聞いてくれる方もいるし、私も全く同じ思い!と言う方もいるのですが、なぜかしばらくすると「とにかくまず祈りだよね!」とか言い出して、結局ただの愚痴でしかなかったりします。ガス抜きってやつですか?

    ヤング層のなかには「私たちの世代から学会を変えようよ、SGIのような自由な組織にしよう」などと張り切っている人も結構います。聖教新聞に自由そうに笑顔で写ってる海外メンバーがうらやましいようです。選挙も聖教啓蒙もないですしね。実際海外から帰ってきた同志に話を聞くと、海外は自由で優しくて楽でいいよと。日本のメンバーはなんであんなに意地が悪いの?それに会合多すぎ!と言ってました(苦笑)

    私も3.11以前はガス抜きに同志に愚痴ることで、なんとかだましだまし活動してました。でも、もうそれも限界になってきました。

    母子関係に創価の信仰が複雑にからまりあい、精神をおかしくする寸前になってしまい、このままでは私はダメになるって思っていた時に、たまたま、とあるカウンセラーに会うことができ、話を聞いてもらえるようになり、少し楽になってきたところです。

    そのカウンセラーさんはまず、役職に任期がなく無期限だということに大変おどろいていました。「まるで監獄ですね」と。その一言に、私は「ああ、監獄なんだ、苦しくて当たり前だよね」と自分の気持ちを受け入れることができました。

    カウンセリングでは、宗教より先に、母から自由になることを目的に進みました。それは案外あっさり呪縛がとれて、楽になりました。
    すると、今度はそれと同時に創価からの覚醒がぐんぐん進んできたんです。信仰心そのものが薄らぐ感じというか。
    私は母を通して、この信仰をしていたんだと気づきました。私の親は幹部でもなくまじめな方でもないのですけど、それでも母や祖母から発せられる学会精神が私を縛り上げていたようです。

    二世三世、これからは四世もいると思いますが、彼らが苦しまず覚醒するためには、まず親子分離が必須なんだと思います。
    あっさり覚醒する人と、妄信のまま過ごすあるいは覚醒が苦しく難しい人の差は親子分離ができてるかどうかの差だと感じました。

    現在、脱洗脳などは、出来る専門家が非常に少なく、また費用も莫大にかかるので、一般の方には難しいと思います。それに、その専門家ですら、創価学会や統一教会は今となっては危険なカルトではない、と本に書いてしまわれているような状況です。
    確かにオウムのような破壊的カルトではないですが、地味ながらも精神をむしばむ恐れがあるのは、問題だと思うんですけどね。

    私はネットで言われている池田先生の闇のことや、元幹部の方の暴露本がどこまで真実なのか、確かめるすべを持ちません。
    もし丸ごと本当でも、嘘でもそんなことは私には関係なくて。今、実際に自分が苦しい!目の前の組織で繰り広げられていることがおかしい!それがすべてです。

    自由に生きたい、おかしな考えや行動を押し付けられたくない、そういう願いを叶えるには、自分一人の精神力では無理でした。
    今の私はカウンセラーさんを味方に付けて、頑張ることができています。将来的には未活になることが目標です。
    引越しと同時にそうするつもりでいます。

    もしかしたら脱会という選択肢も出てくるかもしれませんが、当面親が生きていて、親戚とのつながりがある以上は、未活が一番自分にとって楽な方法かなと思っています。

    二世三世で悩んでいる方がいたら、カウンセリングをおすすめします。宗教問題もやってくださる方を見つけて、味方になってもらえると心強くなると思います。たとえ組織から離れられない事情があっても、心を病まずにいられます。必要あれば、組織に「私はカウンセリングを受けるくらい苦しくおかしくなってる」と伝えると、ぱったりと頼まれごとが無くなったりするので、おススメです。
    私は引越しするまでのあいだ、なんとか最低限の活動をしながらやり過ごそうと思ってます。

  3. 崖っぷちさん、コメントありがとうございます。
    崖っぷちさんのHNに思わず笑ってしまいましたが、笑い事ではなかったのですね。失礼しました。
    おそらく全国に崖っぷちさんのような方がおられると思います。このブログをはじめて、そのことが実感として伝わってきます。私もはじめは不安なこともありましたが、実際に脱会宣言をしてからは、誰も何も言ってきません。引き留められる前に、ご本尊をお寺に返したということをはっきり言ったのがよかったのかもしれません。
    親兄弟のことなども気にはなっていましたが、実際にやめてみると、自分で悩んでいたことよりも意外とあっさりやめられたなと思っています。
    ただし、これまでの自分の人生の中で学会員として人と接してきたことの後悔の気持ちはどうしようもなく、それこそ気が変になるような崖っぷちにまで行ったように思います。そしていったん精神が壊れると、なかなか完全にもとにもどらないというのも実感しています。気持ちに波があり「ああ、今日はちょっと調子が悪いな」と感じたりもします。抗うつ剤を服用するようになって1年半になりますが、まだ手放せないでいます。このブログも更新できるようになったので、快復へと向かっているとは思うんですけどね。気長にやるしかないと思います。
    崖っぷちさんは、きっと話をしたいことがたくさんあると思うんですよね。これまでは話すに話せないで、自分の気持ちを内側に無理矢理閉じ込めていたわけですからね。ここでは何でも話してください。そうすれば、同じように悩んでいるったくさんの方がきっと救われると思います。
    これからもよろしくお願いします。

  4. 初めまして。最近、ブログを見さして頂いております。
    学会員です。色々な考察が本当に興味深いですね。功徳に関してもですが私は功徳を得る為に会員として活動してる訳ではないです。
    この仏法を自分だけではなく、人にも伝えていく事で自他共に幸せになれる。幸せとは地位や名誉を取得するのではなく、どんな事があっても乗り越えていける強い自分になる事。私は功徳の見返りを求めて活動してるわけではありませんが様々な会員さんがいるので幸福の求め方が日蓮仏法からズレてる人もいるのが現実だと思います。
    学会も教学の見直し、組織の見直しをしなければいけない時代に入ってるのは間違いないと思う一人です。
    また、コメントさして頂きます。

  5. アスランさん、コメントありがとうございます。よろしくお願いします。
    アスランさんのコメントはひとつ前のページにしていただいたので、他の方が気づかずに読まれない可能性もありますので、いちばん新しいページに移動させていただきました。ご了承ください。
    ここに学会員さんからコメントをいただくのは珍しいので、アスランさんへの質問が集中する可能性もあると思いますし、かなり厳しい指摘もあると思います。しかし決して会員さんを攻撃しようというのではなくて、素朴な質問としてとらえていただきたいと思います。学会の表向きの理念はここにおいでになる方はよく知っておられますので、そうした優等生的な学会の指導をなぞるのではなくて、ご自分の意見を伝えていただけると嬉しいです。

    そこで、アスランさんにいくつか質問させてください。

    >この仏法を自分だけではなく、人にも伝えていく事で自他共に幸せになれる。

    創価学会でいう仏法とは、日蓮大聖人の仏法ですよね。いわゆる日蓮こそが末法のご本仏であるということがベースになっています。仏教のなかでもほぼ日蓮正宗と創価学会だけが主張している仏法といえます。アスランさんは、学会と日蓮正宗以外の仏法をどのように捉えていらっしゃいますか?また、創価学会と唯一同じベースである日蓮正宗を徹底的に批判していることについてはどのように思われますか?

    >幸せとは地位や名誉を取得するのではなく、どんな事があっても乗り越えていける強い自分になる事。

    そうですね。あなたが師とあおぐ池田氏はびっくりするほどたくさんの名誉教授とか勲章を集めて聖教新聞紙上で会員に向けて報じています。そしてそれらの称号はお金を出せばもらえるものばかりです。池田氏は学会員から集めた財務のお金をつかってそうした称号をもらっては新聞紙上に掲載させています。そのことについてはどのように思われますか?しかもお金では買えないような実質的な名誉教授や称号はほとんどもらったことはないようです。会員も師匠を見習ってお金で地位や名誉を得るべきだと思いますか?それとも師匠だけは別だと考えますか?池田氏以外の学会幹部が名誉教授とか勲章をもらわないのはなぜだと思いますか?

    いきなりの質問で驚かないでくださいね。ここは対話の場でありたいということは、最初から何度も掲げていますので、私の質問の意味も理解していただけるものと思います。よかったらアスランさん自身のお考えをきかせていただければと思います。
    どうかよろしくお願いします。

  6. signifieさん、お返事ありがとうございます。ニックネーム何にしようか悩んだんですが、思わず本音が出てしまいました(
    苦笑)

    御本尊をお寺に返したと宣言されたとは、確かに組織の人もそう言われたらもう何も手出しできないですよね。

    はっきり意見を言うとフェイドアウトする幹部が多いなと思います。公明のことも、イラク派遣のことや100年安心年金の話をすると、さっさと帰っていかれました。ただ帰り際に怖い顔で「でも池田先生は絶対です!そこを疑えばあなたの信心は曲がってしまう!!」と細木和子のように言われ、がっかり感が半端なかったです。政治の話してるのに、池田先生関係ねーよ!みたいな。

    姉弟不二と叫ばれる中、大聖人の「法に従うべきで人に従うべきでない」という教えに反している矛盾に、学会はダブルスタンダードだなと思っていました。妄信中はそれを掻き消しながら、大聖人の仏法は絶対だから頑張ろうと思ってました。

    私は昔から池田先生は偉大だけど、リーダーなだけで本尊ではないので絶対だとは思っていませんでした。晩年は同時中継で、机をドン!と叩きながら「私がすべてやってきた!」と繰り返され、(ええ?側近の幹部の方の努力は?)と毎度私をがっかりさせました。私が十代の頃の先生は「これらの勲章は私が頂いたのではない、皆さんが頂いているのです、ただ私は代表として受け取ってるだけですからね」と優しくおっしゃっていたのに。いつのまにか私の尊敬する先生の姿ではなくなっていました。
    なんというか、同時中継でみる先生の姿と、先生が書かれている文章がだんだんかけ離れているように感じてました。新聞で読む先生の随筆やご指導は素晴らしいし、時には私を勇気づけ応援してくれる存在であるのに、同中の先生は?と。

    それでも、かつて私の中で父親代わりのような存在だった、先生です。先生の姿が見えなくなって、悲しくて大白蓮華を読んで泣いたこともありました。時々新聞に載る、目がうつろで痩せた先生を見るたび、お体が悪いのではないかと心配でなりませんでした。学会活動が辛い、先生にお会いしたい。どうして姿を見せてくれないのか。せめてDVDでもいいので、今のお元気な姿が見たい。11.18の総本部完成にはもしかして先生にお会いできるのではないか?など、ついこの前まで、思ってました。いえ、今でもその思いは奥底にあるかもしれません。

    私は自分で言うのも変ですが、本当に大真面目に信心してきました。だから、幹部にもたくさん当たり、質問もしました。けれどもまともに応える人はおらず、「先生にお会いしたいです」と言うと皆なぜか、苦笑いするだけ。婦人部ではもう「先生にお会いしたい」と言う方はいません。聞いたことないんですこの一年くらい。昔は「先生をお迎えしよう」がキャッチコピーだったのに今は「原田会長をお呼びできるよう祈ろう」となってます。それなのに戦いのときは「先生にお応えするぞ!」なんて勝どきしたりします。そんな組織の言うこと忠実に聞いてた私って、大ばか者だなって。もう嫌になります。

    この信仰って、たぶんいい加減にやってる人や自己流でやってる人ほど覚醒しないと思います。大真面目に追及していくからこそ、どうしようもない矛盾につきあたり、それが解消されず、不信となっていくんだと思います。組織では不信を起こすと、魔に侵されたとか言われますけど、お前らが魔にやられてんだよ!もっとまじめにやってみろ、そして勉強して考えて答えてみろ、と言いたいです。

    私は不真面目だからとか、魔にやられたから活動ができなくなったなんて、悔しくて思われたくないのです。だから組織を去る前にさらに大真面目に色々調べてみよう、勉強してみようと思いました。ネットを見始めたのもそれがきっかけです。
    幹部を徹底的にかつ「純粋に」追及(攻撃姿勢は見せず、けなげな会員の訴えとして追及)して、時には涙を誘い(苦笑)ぐうの音も出ない状態にして、活動を拒否ってます。
    正直何所帯も折伏し、入決を何十人も取ってきた私にしたら、幹部を言い負かすくらいチョロいです(苦笑)ほんとバカみたいです(涙)

    人間革命に第二版が出版され、内容が少し変わっています。文体などはほぼそのままですが、差別用語などが無くなっていたりします。旧版と読み比べました。
    長いのでコメント分けます。

  7. 二版の大きな違いは宗門に対しての記述だと思います。宗門のご僧侶に対する敬称が無くなり呼び捨てにされてます(汗)私はまだ一巻しか買っていませんので、その先はどうかわかりませんが、宗門に対する学会のスタンスなどを書き換えているだろうことは想像できます。

    この二版の出版に当たりヤングで毎月感想を書かされていました。なんというか二版をわざわざ買う人っていないんですよね。だからヤングや青年層に買わせるための感想文(勉強会)だと思いますが。
    誰も買わない人間革命のなかで、しれっと歴史を変えていくという、姑息だなと思いますね。青年層はこの新しい学会の歴史を真実だと教えるのでしょう。

    そんな幹部の下心は解ったうえで、それでも私は大真面目にたくさん感想を書きました。今年の話です。学会本部へ提出し、池田先生にお渡しするというので、(たぶん先生はご覧にらなないだろうけど、大幹部は見るんだろうし)と思い、自分の率直な感想疑問を書きました。

    なぜ「三大秘法」という言葉が二版では削除されているのか。世界中に南妙法蓮華経を唱える人がこんなにたくさんいて、日本でもみんな頑張って活躍してるのに、どうして福島のような悲惨な事故や天災が相次いでいるのか。世界の平和を何十年も祈り続けているのに、なぜ紛争はおさまらないのか。人革の中で描かれる戸田先生のご友人とのお付き合いの仕方が折伏ではなく摂受に見えるが、内部の人間には絶対大聖人に背くことを許されない厳しい姿勢なのはなぜなのか。

    三回にわたり、さまざまな疑問質問を書きました。
    けれどどうでしょう、見事にスルーされました。はっきり言って無視です。

    選挙が終わり、また、勉強会を再開するので、読んで感想を書けとメールが来ましたが、ふざけるな!と怒りがわきました。「今までの勉強会大真面目にやってきたが、幹部から何も答えがなく、やる意味を見いだせないので出席しません」と断りました。本来役職がある私が断るなんてできない会合ですが、試に断ってみたら、これまた意外すぎるくらいあっさり「わかりました」と返信が着ました。

    組織側はもう離れていく人は追わないと言うことになったんですかね?面倒くさい人間は無視しとこうって感じですかね?拍子抜けなくらいでした。

    ある意味で「自他共の幸福を祈る、徹底して一人を励ます」なんて、してない幹部ばっかりです。そんな人格は持ち合わせていないんだなと思います。求めてた私が間違っていました。

    普段も、私が色々質問すると「あなたは頭がいいんだね、議員にでもなれるんじゃないの?」と冷やかしてきてごまかされます。学会を批判する内部の人のことはみな、「頭が良すぎて余計なこと考えるんだろうね」と婦人部は言います。確かに私の地域は高学歴の方がおおいですし、年をとっても英会話をしていたり多趣味多才な方が多いですけれども、本当に正しいならそういう人が納得できるはずですよね。頭がいい人には納得できない信仰ってなんなの??末端の人間はバカでいてほしいってこと?

    最近は自分が折伏してきた友人の事が気にかかります。たぶん真面目にやってない(もしかして幽霊会員になってるかも)と思いますが、申し訳ないと思います。まだ連絡する勇気がないですが、今度会ったら率直に話したいと思います。

    ながなが書いてすみません。signifieさんの心が回復され楽になれる日を、願っています。

  8. 崖っぷちさんのお話、とてもよくわかります。とてもリアリティのある話ですね。
    私が脱会した時も、もう少しいろいろ言われるのかなと覚悟もしていたのですが、あまりにもあっさりしていたので拍子抜けすらしました。何か言ってきたら思いきり言ってやろうかとも思ったんですがね(笑)。こいつと口論してもめんどうだからって思ったのかもしれません。
    まわりの人間関係が原因でやめたくてもやめられないと悩んでいる方もたくさんいると思いますが、もしかしたらすんなりやめられるのかもしれませんね。
    私も大学時代の友人と夜を徹して仏法対話(態のいい勧誘)を一生懸命していました。
    今さらですが、そのときの友人に謝りたい気持ちでいっぱいです。連絡のつく友人はすでに話をしたりしていますが、あのころどうしてあそこまで確信を持ってこんなインチキ宗教を宣伝していたのか、説明するのにも困ってしまいます。

    このブログでの素朴な質問をきちんと答えてくれる創価学会の方が現われてくれるといいのですが、そうそういませんね。だいたい判で押したようなきれいごとしか言いませんものね。矛盾点を指摘すると遠い目になって聞こえないフリをするし(笑)。いや、もしかしたら都合の悪いことはほんとうに聞こえないのかもしれません。「人間、だれでも完璧ではありませんから、今は不十分でもそうした理想に向かって努力し精進していくことが仏法が目指す本来の姿ではないでしょうか」などとはぐらかすだけです。私は人の行いを批判しているのではなく、考え方の矛盾を指摘しているのですから、努力してどうこうという話ではないのにですね。このブログでも創価学会活動家の方ときちんとした対話ができれば、ほんとうに実のある場所になると思っています。

  9. 崖っぷちさん、はじめまして。。流れ星と申します。。
    お話しに深く、うんうんそう。。と頷くことばかりです。
    真面目にやっている人ほど疲れるんです。。
    わたしの唯一の学会の友だちも(彼女とは滅多に信心の話しはしないのですが。。)会合も滅多に出ないし、新聞啓蒙や選挙活動もほとんどしませんが、なあんとなく学会にいて、学会を辞める気もなさそうですもん。。(笑)
    ただ、組織の人の人間関係で辞める気がないみたい。。ほとんど活動らしきこともやっていないので、組織に対する悩みもないというか。。
    そういう人もいるのですよね。。

    母親との関係に、この信心が絡むとほんとに、どうしようもなく悩みますよね。。いまのわたしがそうです。。
    カウンセリングとかじゃなくても、誰か物事のよく分かる人に相談したいくらいですよ、わたし。。

    高齢で一人暮らしの母のことが心配ですが、母と話すとどうしても創価学会のことになり、言わなくてもいいことを言ってしまう自分が、ほんとうに嫌です。。
    母は、わたしにまた創価学会の信心をやるように祈っているのが分かるので、余計に嫌です。。まるで呪いの祈りのように思えて、母が憎くなったり。。
    だから最近は、なるべく母と接しないようにするしかないと。。これは自分を守るためですが。。
    悪い娘だな、と自己嫌悪に陥りながらも母とは良い関係にはなれそうにありません。。

    母は、多分いま、あまり幸せではないので、余計に創価学会にしがみついていたいようです。。だから、家族よりも創価学会のほうが大事みたいですよ。。弟たちも、そんな母を捨ててます。。
    母が創価学会に入会しなければ、わたしも創価学会に縁することもなかった、と想うと。。なんとも心の中で解決できない気持ちになりますね。。

  10. 流れ星さん、はじめまして。よろしくお願いします。
    うちの主人も言います、適当な人の方が多いんだから、適当にやっとけばいいじゃんって(苦笑)
    最近私も悩むことにばかばかしさを覚えつつありますが、ともあれ、ブロックにおける新聞の目標が全くできてないので
    最近締め付けが凄いです。。。でもはっきり言いました「目標が達成できなくても私は困らないので、マイ聖教とやらは絶対取りませんよ」と。あっさり「大丈夫、目標については上の幹部に相談してるから」だって。適当に数字の操作ができるってことですかね。それとも支部幹部で何十ポイントもやるってことなんでしょうか。

    流れ星さんもお母様の事でご苦労されているんですね。私の母は私が信心やめたと知っても、私のために祈る人でもないですが、なんというか、自分はやらないくせに、夫婦の問題、家庭不和の責任を娘の私に押し付け「あんたが苦しいならあんたの宿業でしょ、あんたが信心してどうにかしなさい」とか飛んでも発言する人でした。そのことを地区の婦人部に相談しても「苦しむ人の宿業」という教えでした。たぶんこの教えは地元特有の幹部の我見の教学みたいですけど。
    ひどいもんです。宗教による精神的虐待です。

    私が組織から離れたい理由の一つに、子供への影響があります。夜の会合に連れまわさなければならないのも子供の生活リズムが乱れて困りますし、人材不足による未来部への締め付けも困ったものがあります。
    私の子供たちに「君たちは優秀だから創大行って将来は大幹部だね」と刷り込んできたりします。子供って純粋無垢ですから、優しそうな婦人部に満面の笑みで言われたら、あっという間に刷り込まれます。それは驚くほどなんです。
    上の子は池田先生カッコいい、っていいますもん。私はそんなこと言ってないんですけど。先生は偉大ってすでに刷り込まれちゃってて、先生からの激励の品とやらを、宝箱にしまってます(汗)
    良く毛穴から信心は入るって婦人部いいますが、あれはあながちウソじゃなく本当です。新生児から刷り込まれたものは否応なしに取り込んでしまうんですね。
    下の子なんてまだ幼児ですが、「お月様にお願いしよう、なんみょうほうれんげきょう」とか言います。私は久しくお題目やってないんですけど、祈りと言えば南妙なんですよね、もうすでに。

    今年は創価ファミリー大会なるものが各地で盛大に行われています。関東では創大教授や富士美術館館長などが来て、絵画指導や作文指導を、絵画コンクールや作文コンクールのために開いています。うちは参加してませんけどね。
    第一子供が行きたくないと言いますし。
    高学年になれば合唱隊などにも誘われると思います。今は少子化の上に参加者がとても少ないので、存続が大変みたいです。

    ヤングの子育て論も昔と基本的に変わっておらず、「子供より信心をとりましょう」的な指導がまかり通ってて、目玉が飛び出そうです。幹部が「子供に私と信心どっちが大事なの?ときかれました、その時迷わず、信心よ!と答えました。するとどうでしょう子供が『そんなに信心が大事ならわかった、活動頑張ってね』と言ってくれました!」と嬉しそうに壇上で話してるのをみて、本当におそろしかったです。そのお子さんはもう、お母さんから愛情をもらうことをあきらめたんだろうなと。可愛そうに、人を信じること愛することが出来ない子になるかもなと。仮面をかぶって良い子を演じるしかなくなったその子に同情しました。
    そんな人たちに子育ての相談などできるわけありません。子育てのプロでもない勝手な持論を、さも立派な子育て論かのように話す学会の人たちに、この十年間ウンザリさせられています。

    とある地域にいた時、一番びっくりしたのは、会合で言うことを聞かない子は叩けばいいというものです。言い張るんですよ。ビックリです。ヤングで外部の友人を呼ぶセミナーでも、体罰容認の考えの元、研究発表があり、度肝をぬかれました。ありえないですよ。私がいくらそれはダメだと、世間とずれてると話しても、聞く耳持たず。しかたないですよね、お母さんたちもまた暴力を受けながら信心を刷り込まれた二世三世です。子供をその様に育てることしかできないし、正しいと思い込んでいるのです。
    さすがに池田先生だってそんなこと一つも言ってないのに。大事に一人の人として尊重して育てなさいと指導されてるのにですよ。

    実際、長い爪で子供の頬をつねり上げそのまま足が床から浮くまで上げて投げる、と言うことを会合中にしている人がいました。子供の頬は血だらけ。普段からされてるようで痕もすごかった。活発で可愛い子だったのに一年後には無表情で動かない子になっていて、私が「ずいぶん大人しくなっちゃったけどどうしたの?」と聞いたら、「やっと大人しくなってくれたよ」と自信満々の笑顔。
    怖すぎると思いました。子供は精神を殺されたも同然です。
    学会の庭で子供を育てれば立派になるっていうのは、立派に洗脳できるだけであって、到底世間の言う立派とはかけ幅れています。活動家の青年部がロボットみたいなのも、こういった教育が影響していると思います。

    現在私がいる地域は、まだまともな方ですが、それでも子供に暴力をふるっている幹部は多いです。子供にいじわるな事を言ってる人とか見てるだけで気分が悪いです。学会活動のストレスを子供にぶつけているのでしょう。本人は気づいていないですがね。夫婦関係も微妙だったり。。。見本となる人がいないっていうのも、組織を魅力ないものにしています。新聞啓蒙なんてどうでもいいから、人間革命の目標でも立てたら?って心底思います(苦笑)

  11. 崖っぷちさんはじめまして。
    崖っぷちさんのお話、私もよ~くわかります。
    私は崖っぷちさんほど真面目に学会活動はしていませんでしたが
    なぜか中等部あたりで目をかけられるようになり人材グループに入れられて大きな会合に参加したりするようになり
    その流れで親を説得して学園にまで入れてもらいました。
    なので大学生となり地元に戻った私はおそらく幹部候補みたいになっていたんだと思います。
    女子部の上の方の人がよく自宅指導に来たりしてました。

    が、その頃からいろんな矛盾や学会に対する不信を感じ始め、さらに単純に活動が面倒って気持ちもありました。
    このまま女子部になってメンバーを指導していく立場になんて絶対なれないって思っていました。
    かと言って本心を打ち明ける勇気もなく。
    会合に出て、さも活動してますみたいなふりをする自分と本当の自分のギャップにもだんだん疲れて
    わたしはとうとう日本を出てしまいました。
    日本を離れたのは他に理由がありましたが、そこまでしないと学会から離れられないという切羽詰った気持ちだったのも確かです。

    皮肉なものでしばらく離れてみると、これでいいのかなと不安になったり。
    そんな中偶然日本人の学会員と知り合って思わずカミングアウトして会合に参加したこともありました(汗)
    でも海外の活動が緩いのは事実ですね~
    こちらから連絡取らなかったら会合の誘いなど連絡一切なかったです(笑)

    今は完全に学会から心離れ数年が経ちます。
    去年思い切って母に電話でですが打ち明けました・・・ものすごい激怒でした。
    しばらく音信不通でしたが、今は表向きは普通に話しています。

    流れ星さんのお母様と同じで、うちの母も1人暮らし。決して幸せといえる暮らしぶりではありません。
    もともと人付き合いが苦手でつきあいのあるのは地域の婦人部の人のみ。
    あちこち体の調子が悪かったりするのに聖教新聞の配達をしたり、民音のチケットが余ってるから買い取ったり
    買って欲しいとお願いの電話をしていたり。
    なんでなにも疑問に思わないのか不思議で仕方がありませんが、母から学会がなくなったら世の中から
    自分の居場所がなくなるのと同じなんだろうな~と思います。
    なので私に攻撃的にならない限りはどうぞ信心しててくださいとも思います。
    そうそう、この夏帰ったら仏壇の祈念項目に、同じく私が信心するようにって書いてありましたよ~
    すぐ隠してましたけど。
    母は母で私からいろいろ指摘されるのが怖いんでしょうね。
    母親との関係は私の永遠のテーマと思われます。

    なんだか功徳と関係ない話になってしまいましたが、自分の経験上、なんらかの見返りを求めて活動してる学会員って
    そんなに多くないんじゃないかなと思います。
    少なくとも自分も含めて私の周りでは、結果を出すことで実証を示すという気持ちの人が多かったです。
    まぁそうやって学会のために、師匠のためにと努力に努力を重ねて夢を実現させていった友人や同級生たちを尊敬はしています。
    ほんとに真面目で純真な人たちなので。
    ついつい平凡な自分と比べて、自分がダメ人間に思えてしまったり。
    その辺がいまだにものすごーく複雑です・・・

  12. signifieさん、連投すみません。
    対話の議題として、功徳よりも頻繁に言われている言葉があります。現在はむしろ功徳論はほとんど語られません。一般会員にいたるまで、功徳を実感してる人があまりに少ないからでしょう。
    功徳のなくなった組織にそれでも縛られてしまう言葉、それが「報恩感謝」です。

    組織内に長年いると多かれ少なかれ組織の人にお世話になったり、組織の人のお世話をすることになります。そういうなかで「あなただって学会で救われたことあるでしょう、報恩感謝の思いで今度は自分が使命を果たす番」と言われます。それをしないと「不知恩の者」となります。

    「あなたがが今幸せなのは学会のおかげでしょ」と、断言されますから。
    「組織で嫌な思いをたくさんして、それは大変だったと思うけど、それだってあなたの血や肉となって、今みたいに素晴らしい人になれたんだと思わない?苦労した人が一番幸せになるって、あなたを見てると間違いないと思うわ。世間ではない苦労をした分、幸せになれたのよね。」とかね。

    そりゃあ、十代の頃とか、親からの虐待に苦しみ組織にSOSしたこともありましたし、救われたこともあったのは事実ですが、もうそのお返しは十分したよ?って感じです。
    一生を縛り付ける恩にはなりえませんし、だいたい恩を返せなんて学会員以外から言われたことなんてありませんよ。

    そんなわけで、もしよければ魔の言葉「報恩感謝」について意見を募集していただけたらうれしいです。

  13. 初めまして。皆さんのコメントを読ませていただいて頷くことばかりでした。
    私は3世で主人と子供達は未入会です。今の役職は副しらゆり長だったと思います。活動から離れて一年位かな。女子部時代から学会に対する違和感はありました。でも、家族や組織の人達の前では良い子を演じてました。
    だけどもう本当に疲れちゃいました。
    活動してないと何か悪い事があるんじゃないだろうかとか、色々考えるのもやめたいです。
    遠方で一人暮らしの母とはたまに電話で話しますが、信心の話はずっと噛み合わないままです。仕方ないですね。
    ブログを読んで私だけじゃないんだなって思いました。相談出来る場所が何処にもないのでまた何かあったら書き込みしますね。

  14. 崖っぷちさん、ココアさん。。創価では同じような想いをしている人は多いと思います。

    崖っぷちさん、新聞啓蒙のことですが、わたしはタブ数で取ったことはないですが、成果が目標まで達成しないと幹部などは、いろいろと裏工作をやっていたようです。
    新聞をとっていない内部を一ヶ月ごとに啓蒙用紙を切って、新聞は幹部宅へ入れるようにするとか、やたら贈呈で啓蒙用紙を切るとか。。
    わたし、配達員をやっていたので毎月変な啓蒙用紙ばかりが廻ってきて、ある外部の御宅に確認に行くと、仕事の付き合いだから仕方なく了解したけれど、読む気もないのでpostには入れないでください。お金だけは払います、と言われたことも。。
    どこも、まともな新聞啓蒙はしていないですよ。支部幹部も本部幹部も。。それは新聞店の店主から聞いたことですけれどね。。

    池田氏は数字しか信じないから、どの幹部も大幹部も減部では困る、という慣習がすでに出来上がっているから、中間幹部は、その数字合わせに奔走しているだけです。ほとんどが、そんな感じ、それがいまの創価学会の現実でしょう。

    わたしもヤングの頃は子ども中心の生活でした。幹部は、呑気に子育てしてと思っていたでしょう。でも、子供のことは自分の責任、取り返しがつきませんから、堂々とお子さん第一で行くべきだと想う。無理やり創価を押し付けても、普通に育っている子どもだったら中学生くらいで、おかしいぞ、と気付きますから大丈夫です。。

    創価学会で心の傷を負った人は計り知れません。傍若無人な幹部の言葉にも、どれだけ傷ついたか知れない。創価家族なんて幻想です。特に婦人部は自我の主張ばかりで疲れます。いつになったら人間革命できるんだか果てしないですよね。外部の人のほうが、どれだけ人間的に素晴らしい人が多いかと脱会してから気づかされました。

    報恩感謝。。母にも言われました、わたし。。創価学会のおかげでいまのお前があるのに、なんだ。。って。。
    でも、40年近く頑張ってきて、そのご恩はきっちり返したと思うので、プラマイゼロなんですよね。
    もう充分やったし苦しんだのだから卒業してオッケーなんですよ。

    mintoさん、始めまして。。
    どんどん想いを吐き出して軽やかになりましょうね。心に詰まっているものを出してしまわないと新しい風が入ってきませんから。。大丈夫^_−☆

  15. 友人のマンションの婦人部たちは、子供を学会活動に連れて行かないというスタンスで、完全に放置だったので
    今年中学に上がったそのマンションの子達は、揃って不登校になっています。
    以前はマンションのエントランスで、ぽつんとDSやってる姿を見かけていましたが、それさえも見なくなりました。
    今、子供に向き合わないと取り返しのつかないことになると周囲はハラハラしていますが、当の婦人部たちは
    それさえも燃料にして、躍起になって活動にのめりこんでいるようです。

    そのマンションに住む友人は外部ですが、しつこく会合に誘われているようで、商売をしているのもあり困っていました。
    他人の幸せより我が子の幸せを考えたら?と言ってやりたいと憤慨していました。
    その婦人部たちの子供らから、「おばちゃんの家の子になりたい」と言われて悲しくなると言っていました。

    うちの両親もそうでしたが、学会員は「信心をしていれば、子供は絶対にまっすぐに育つ。事故にもあわない。」と
    根拠も無く強く信じています。
    親が子育てを放棄したら、子供は苦労し苦しみます。
    それを見て見ぬフリをするのは、卑怯です。子供の苦労を自分の信心(慢心)の手柄にしないでください。

  16. ココアさん、海外に行かないと組織から離れられないっていうのは、相当追い込まれた精神状態ですよね。辛かったですね。
    私も時々、海外に逃げたいと思うことがあります。いっそ海外転勤ないかなあ?なんて。

    組織の中でも、活動頑張りながら自分の夢も実現した人はいると思います。私もたぶんそのクチです。
    だから余計に組織の人から表に立つように言われ、聖教新聞やグラフなどの取材があったりプレッシャーでした。

    私は功徳で夢がかなったと思っていましたが、考えてみたらそれに向かっての努力や、自分の意思を押し通すと言うことをしてきました。
    祈るというのは自分を信じて力に変えるためのもので、自分を信じる力があれば、夢は実現に向かっていくものだと今はおもいます。
    自分を信じるって自己肯定感が低い人には無理なんですよね。そういう人のために宗教があり、人間を超えた力(神など)を信じることよって自信をつけ、夢を実現できる自分になっていけるんだというふうに理解しています。

    残念ならが世間には、自己肯定感の低い人をカモにして金儲け組織拡大しようとする宗教があまりに多いです。残念です。

  17. 流れ星さん、裏事情ありがとうございます。
    やっぱりそうなんですね。私、前の地域で地域の人に入れる新聞代だからと言われ、お金を払っていたことがあったんですが、結局地区婦の家にたまってただけってことがありました。お金詐取されたも同然だと思いましたね。
    新聞だけならまだしも、折伏も裏工作しますよね。それを知ったのは今年の話なんですが。

    地元の婦人部幹部から電話があり、「あなた●●さんを折伏してるみたいだけど、連絡も取れないし、どうしたらいいの?」と。
    ●●さんなんて、知らない人でした。「その人は知らない人ですね」というと「おかしいわね、お守りの人なのよね、折伏者があなたの名前なのよ。当時どの幹部と親しかった?」と聞かれたので「支部婦と一番話してましたけど」というと「じゃあ事情聞いてみる。」と。

    どうやら、お守りでの折伏で水増ししてたようですね。幹部の家にはお守りが沢山あるのかもしれないですね。
    それこそそういう行為は地獄に落ちないんですかね(苦笑)
    命より大事な?池田先生に嘘ついてることになるんですよ~御本尊にも嘘ついて。
    本当の信仰者なら怖くてできないことだと思いますね。

  18. 子育ての話が出たので、もう少しだけ発言させてください。

    良い子が危ないと言われて久しくなりますが、非行に走る子はまだ生きるパワーがあるし、親にも訴えることができるので、親が変われる可能性がありますが、良い子になった場合、親はますます今のスタンスを強化しますよね。

    未来部でも異彩を放つ、見本のような良い子が一部いて、たぶんそういう子が将来青年部で幹部を務めることになると思いますが、(私もそうでしたが)非常に生きづらさを感じながら、崖っぷちを伝い歩くような人生を歩むことになる危険性があります。

    子供らしさがない、年齢より大人のような発言や表情をする子は要注意です。

    青年部時代、私たちですら引くようなくらいの真面目さで信心していた学生部幹部が、結婚後ひどい鬱になったと聞きました。創大には休み時間中ずっとゴミ拾いをしている子がいたというのも聞きました。
    度が過ぎた真面目さ良い子さです。

    こういう話を聞くと、辛くてたまりません。もっと自由な方向へ導いてあげれたら、どんなに輝く未来が待っていたでしょう。
    子供の未来を踏みつぶす教育は断固許すことができません。

    本日の聖教新聞にウィンストンラングリーさんの提言が載っていました。「人間は、他の誰かの目的の手段として利用されたり、支配されたりする存在ではないのです。自分自身のため。自分自身の目的達成のために生きるべき存在なのです」とありました。
    素晴らしい言葉だと思いました。この通り組織がなっていたら、私だってたくさんの人に伝えたくなります。

    でも、ダブルスタンダードであるがゆえに、実際の活動は組織維持拡大のためのものばかり。このあまりにもわかりやすい矛盾に誰も答えを出すことはできません。そして精神を病んでしまうんです。

    先日の会合では「順風満帆な現世安穏が功徳ではなく、この信心のために戦えることそれこそが功徳。何も恵まれなくとも、信心ができるだけで幸せ」と、幹部が言ってました。そしてその話の後半では「福運を増すため、新聞がんばりましょう」と。
    一つの幹部指導の中で反対の事を平気で話して、したり顔です。自己矛盾はないのでしょうか??会場のみんなはどんな顔で聞いてるんだろう?と思い見渡してみると、時計を見てる人、天井見てる人、手混ぜしてる人、結構いました(苦笑)バカバカしいと思いながら付き合ってる人たちたくさんいますね。私もその一人ですが。。。

  19. 学会員は功徳や福運を求めずして、何のために学会にいるんでしょうか?
    今や内部が、功徳や福運を欲していない人がほとんどであるとするなら、
    学会信心=福運・功徳であるから、ダブルスタンダードでさえ無いのかも知れません。
    そうすることで大概のタブーも矛盾もなくなります。なんでもアリでしょう。

    しかし幸せ=学会だなんて、本当に情けなく可哀相で涙が出ますよ。

    ずっと組織はそのように誘導してきたんしょうね。じわじわと、一見分からないように。
    青写真はあったんですよ。きっと。

  20. しかし幹部さんは、「但し、罰だけはあります。」なんてまさか言わないですよね(笑)

    功徳は無いのに罰はあるとか、馬鹿にしてる。

  21. SLさん、最近は功徳や福運に満ちた学会員がいないのでしょうね〜。。
    わたしがまだ会合に出ていた頃、火事未遂や怪我や病気を功徳だ、わたしを信心に気づかせてくれた、と体験発表している婦人部がいましたが、それってどう考えても功徳じゃないやろ、と心の中で突っ込んでいましたよ、わたし。。
    それとか、子どもが不登校になって勤行するようになった、とか。。そりゃ、学校に行っていなければ、勤行する時間もあるやろ。。
    きっと、いまの創価はこんな人が多いのではないでしょうか?幹部しかり。。

    頑張れば頑張るほど損の体験は続々と出て来ていると思いますが。。
    わたしが非活になりかけていた時からか、選挙となると、組織の中で交通事故や火事や怪我などなど、そういう人が増えていたように思いますね〜。。

    それなのに、この信心から離れると地獄に落ちる、とか〜罰を受けるとか〜言いますが、それって創価学会員のいまの姿じゃないですかね?信心しているほうが地獄の様相ですよ。。言い過ぎでしょうか。。?言いすぎたらごめんなさい。。

    それでもマインドコントロールのおかげで、冷静に客観的に現実を見られなくなるという。。

  22. みなさん、活発な対話をほんとうにありがとうございます。
    学会員であるアスランさんのご意見もおききしたいですね。
    また以前そうとうな覚悟でコメントしてくださっていたexcommunicateさんですが
    ぱったりとお見えにならないので、どうしていらっしゃるのでしょう。

  23. ここ数日の書き込みを興味深く拝見していました。
    現在の創価は功徳や福運を求める信心ではなくなっている、というところにジェネレーションギャップを感じました。
    私は40代、バブル後期を経験しています。世代的なものもあって、みんな功徳と福運のために信心するって感じでした。
    もちろん広宣流布が一大テーマだったけど、「目の前の一人を幸福にできないのに、世界平和なんて達成出来ない」から
    小さなことからこつこつとやろうってムードで、壮大な話はなかったです。

    私は30代半ば・約10年前まで女子部に居ましたが、当時の若いメンバーにフリーター、派遣契約社員などの非正規雇用者が
    多くなった事に驚いていました。
    私が20代の頃は、そういった雇用形態の女子部は非常に珍しかったんです。
    正社員じゃ無ければ社会に実証が示せないと、かなり厳しく幹部から就職するよういわれてましたしね。
    けど10年前は、もうどこかで働いていればそれでOKでしたね。無職のメンバーも多かったですし。
    景気低迷で、ぱっとした話もない時期が続いていますし、そういった世相が福運・功徳を求めない信心の流れに変わっていったのかなと
    思ったりしました。

    親世代なんかは、経済成長の上げ潮とともに・学会興隆全盛期と共にやってきた人達だからなんでもかんでも功徳だって言う。
    年金を満額で60歳からもらえてる人達は、いいよなって思います。お気楽で(嫌味です)。
    だから信心には功徳があるって言い張るし、なかなか目が覚めませんね。うちの母の事なんですけどね。

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