コミュニケーション能力について

ついさきほどコミュニケーション能力について、私が大ファンである内田樹先生がとてもわかりやすい例をあげてつぶやいています。

以下 内田樹ツイッターより転載

ミュニケーション能力とは「言いたいことを伝える」とか「相手の言い分をきちんと聞き取る」というようなことだと思っている人が多いけれど、それには尽くされません。コミュニケーション能力とは「コミュニケーションが不調に陥ったときに、言葉が通じなくなった相手との間になんとか架橋して、コミュニケーションを蘇生させる術」のことです。円滑にコミュニケーションする力ではなく、コミュニケーション・ブレークダウンから逃れ出る力です。そのためのふるまいは一言で言えば「私は私の立場をいったん離れる。ついてはあなたもあなたの立場をいったん離れてはくれまいか」というものです。「私は私が従っているコードを破る。だからあなたもあなたが従っているコードを破ってはくれまいか」と懇請することです。素朴な攘夷論者であった坂本龍馬は開国論者の幕臣勝海舟を斬り殺すために屋敷を訪れました。海舟は「おまえさんがたのようなのが毎日来るよ。まあ、おあがり」と座敷に通し、世界情勢について長広舌をふるいました。それを聞いて龍馬はたちまち開国論に転じ、その場で海舟に弟子入りしてしまいました。海舟は「テロリストを座敷に通す」というかたちで幕臣のコードを進んで破り、それによって龍馬に「一時的に自分のテロリストとしての立場を離れてひとの話を聴く」という立場に誘いました。これがコミュニケーション能力の典型的なかたちです。

末の逸話をもう一つ。山岡鐵舟は勝海舟の委嘱を受けて、駿府の総督府に江戸開城交渉のために西郷隆盛を訪ねたことがありました。薩人益満久之助ひとりを連れて鐵舟は六郷川を渡り、そこで篠原國幹率いる官軍の鉄砲隊と遭遇しました。そのとき鐵舟は大音声でこう名乗りました。「朝敵徳川慶喜家来山岡鐵太郎、総督府に罷り通る」。篠原はその迫力に気圧されて道を空けたそうです。これも困難なコミュニケーションの架橋を果した希有の例でしょう。鐵舟は幕臣であれば決して口にするはずのない「朝敵家来」という名乗りをなすことで「幕臣のコード」を一瞬離れました。私が官軍のコードによれば殺すべき人間であることを私は理解している。けれども、今だけそのコードを機械的に適用することを抑制して、「この人物がしようとしていることには何か私の理解の届かない意味があるかのかもしれない」という「未決の仮説」を採用してはくれまいか。私は幕臣であれば決して口にすることのない「朝敵家来」という名乗りをなして「私のコード」を破った。あなたも私を通すことで「あなたのコード」を破ってはくれまいか。その鐵舟のメッセージを篠原はただしく受け止めました。真のコミュニケーション能力とはこのことだと思います

転載終わり

このブログ「対話を求めて」は、見知らぬ者同士のコミュニケーションのためのブログです。対話とはコミュニケーションのためのとても有効な手段のひとつです。実際には面と向かって手振り、身振り、顔の表情や、言葉と言葉の間や抑揚も含めて、お互いのシグナルとともに言葉を受け取るというのが理想ですが、ネット上ではそのなかのテキストのみのやりとりだけで意思の疎通を行なおうとするのですから、元来とても難しいのかもしれません。

>そのためのふるまいは一言で言えば「私は私の立場をいったん離れる。

ついてはあなたもあなたの立場をいったん離れてはくれまいか」というものです。

「私は私が従っているコードを破る。だからあなたもあなたが従っているコードを破ってはくれまいか」と懇請することです。

つまり、それぞれが自分の立場から勇気を出して一歩前に飛び出して

>「この人物がしようとしていることには何か私の理解の届かない意味があるかのかもしれない」という「未決の仮説」を採用してはくれまいか。

ということです。

相手の言葉や行動を自分のコードにあてはめて、そこにはまりきれないことを非難するばかりではコミュニケーションとは言えないということです。相手に脱コードを求めるばかりではなく、自分から先に自分のコードを堂々と外してみせる。そこにコミュニケーションの第一歩がはじまるのだということだと思います。

「自分の言うことを理解してくれないから、もうお前と話すのはやめた。私の話がわからないのは、理解できないお前のせいなのだ」「バカに何を言っても無駄だ」という慢心で対話をすぐにあきらめるのは、はじめから対話をする気がなくて、自分の意見を通すことだけが目的の人の言葉だと思います。言いたいことだけ言って、反対されたら知らん顔をする。

創価学会の人は、自分のコードではなく、創価学会の決められたコードでしか語りません。だから誰が話しても同じような言葉しか出てこないのです。繰り返し繰り返し、戦いだ、福運だ、先生のために、報恩感謝だ、人間革命だ、広宣流布だ、一家和楽だと、判で押したように同じ言葉を繰り返して、そのうちそんなコードの中だけでしかものごとを考えることができなくなります。桜梅桃李なんてとんでもない。創価工場で大量生産される個性も何もない人造人間です。都合の悪いことは聞こえず、創価の言葉しか言えないロボットです。

創価の間違いに気づいた人は、創価を信じている人の気持ちも理解できます。つまり創価のコードも理解できます。それはそれは無理もない話だということもたくさんあります。ここにコメントしていただいている多くの覚醒された方は、創価コードを理解したうえで、本来の人としてのコードを取り戻すことができた人です。創価のコードが間違いだとわかったからこそ、気づいてほしいと願うものです。

かといって、覚醒後の自分のコードが正しいという保障はどこにもありません。だからこそ、人と対話をするときは自分から自分のコードをある意味あからさまにしながら対話に望まなければいけないと思います。ですから私はできるだけ正直に今のリアルな思いを書き続けています。創価学会の批判はしますが、決して上から目線で卑下するものではありません。私も創価を長年信じてきたバカな人間のひとりとして、今の思いを語っているわけです。創価が間違いだとわかっても、それでは宗教とは何かということがわかったわけではありません。ですから、もしまだ創価学会を正しいと信じている人は、それはそれでいいので、創価のコードから一歩ふみだしたところでの本当の自分の考えをめぐらし、対話に望んでいただけたらと思います。

もう一度、内田樹先生のツイッターの一部を引用します。

>「この人物がしようとしていることには何か私の理解の届かない意味があるかのかもしれない」という「未決の仮説」を採用してはくれまいか。

創価学会の方に言いたいのは、まさにこのことです。自分が信じている世界以外に、思いもよらないことがあるかもしれないという仮説を立ててみてはどうだろうかということです。

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コミュニケーション能力について」への35件のフィードバック

  1. 私も本当のコミニケーション、相互理解というのは、自分の持ってる価値観を捨て去って相手の話を聞くことだと思っています。とある家族カウンセラーさんが「あなたもオッケー私もオッケー」というのが本当のコミニケーションであると言っていて、なるほどと思ったことがありました。

    内田樹先生の言葉は、まさに人から学ぶために不可欠な事ですね。

    創価にはまっちゃう人って、私もそうでしたが、やっぱり自分に自信が無かったり、共依存的なんだと思うんです。だからまんまとはまっちゃうし、覚醒できないし、覚醒しても離れられなかったりするのかな。。。と。
    だから自分を認めてほしいばっかりで、人を認めることができない。他人を認めると自分を否定しているように感じてしまうのだろうと思います。

    さて、非活宣言して一週間くらい経ったのかしら?
    ご近所の組織の方とは、関係良好です。普通のご近所さん的に挨拶もするし、「天気いいね」くらいの会話はします。学会の話は一切しません。向こうからもしてこないです。
    壮年部の方なんかは、逆に私に同情してくれてます。「そんなことになると思ってた」みたいな事も言われました。
    他のサイトでは、非活になったら、猛烈に嫌がらせをされたとか、ストーカーのようなことをされたとかあったけれど、全く全然そんなことありません。常識的な人間関係は作れそうです。たぶん脱会しても、そんな感じだと思います。

    実際創大出で、退転してる方いますけど、皆さん普通に接してるし、その人がある時すごいいいことをして(具体的に書けないけど)表彰されたと一般紙に出た時は、組織でメールが回ってきて、みんなで喜んでましたしね。
    ただ、やはり時々、なぜ創大出なのに、脱会しちゃったのか真相を知りたいという話題にはなってました。何を見聞きしたのか、知りたいのでしょうね。幹部は人間関係で辞めたと言ってましたが、そんなもんじゃないということを、みんな感づいてる。

    みんなどことなく、気づいてる。勇気ある人が一人一人と抜けていく。そういう時代になったんです。

  2. 昔の折伏経典のような、がちがち頭は団塊の世代以降だけだと思います。
    特に四十代より若い世代は、もう、感覚的には一般の人とそう変わりないです。特に婦人部から活動し始めた人とか、結婚入会の方なんかは、そうですね。女子部で役職持ってガンガンやってきた人は、そのままの勢いで一気に幹部になり組織に囲われてしまうか、私のように婦人部になっておかしさに気づき非活になるか、極端です。(私の周りではですが)

    感覚は一般と変わらないくらいなのに、なぜ、あの活動をやってのけるのか、それはひとえに人間関係ですね。狭いコミュニティーですからそこで摩擦を起こせば多大なストレスになりますから、それを避けたい一心で、周りのおばさん婦人部の言うことに従っているのです。結局自分に自信がないから意見を言うことすらできないのです。若い世代は親ほど年の離れた人にあれこれ言われれば萎縮しますからね。

    私ももうすぐ40という年になり、図太さがでてきましたから、意見も言えるようになり非活にもなれましたが、30代前半のころは、逆らえなかったですよ。おそろしいおばさんだなあ、まいったなあ、と思いながら、笑顔で取り繕いつつ合わせてましたね。
    脱会者が30代後半に多いっていうのも納得ですよ。

    今の青年部は財務する、他部数の新聞を取るくらいしか、学会に貢献できないでしょう。人数を増やすことはできないと思います。
    まあ、お金こそ重要なのでしょうが、人数が減れば必然的に収益も減るでしょう。
    でも、今までの財務の蓄積がありますからね。人数が激減しても、結構維持してくんじゃないかな。

    会館に関しては、東京ではちょいちょい閉鎖に追い込まれてる会館あります。住民からの苦情により閉鎖になってるんですけどね。

  3. >創価学会のような桁外れの醜い攻撃ではないものの、もしかしたら日蓮正宗は創価学会と多少は対立して批判をしているように思われます。ネット上でもかなりの創価学会批判サイトを見かけますので、もし日蓮正宗の方が創価学会を相手にしているのであれば、あのような宗教でもない集団を相手にする理由が日蓮正宗の教義に基づいているのかをお訊きしたいです。

    このブログの8月19日「創価学会と日蓮正宗は対立しているのか?」に書いた上記の記事について、testさんという方から下記のようなお答えをいただきました。推測ですが、おそらく法華講の方からのお答えだと思われます。過去の記事はなかなかみなさんが目に触れにくいので、こちらに転載させていただきます。

    >謗法与同罪。
    >折伏です。

    testさんによれば、正宗は学会を折伏しているとのことです。
    もちろんこれは正宗としての考えではなく、testさんの個人的な意見としてうかがいます。
    みなさま、ご意見などありましたらどうぞ。

  4. >正宗は学会を折伏しているとのことです。
    >もちろんこれは正宗としての考えではなく、testさんの個人的な意見としてうかがいます。

    逆にお聞きします。冗談はよしてください。言っている意味がわかりません。

    宗門は破門直後から、慈悲の立場から創価学会を折伏し続けていていますよ。
    それが口汚く喧嘩をしているようにしか思えなかったのでしょうか?

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    初めまして、「test」改め「田舎爺」と名乗らせてもらいます。

    末端の法華講員です。
    ハハハッ。 子供の喧嘩にしか映りませんか。

    大きな誤解があるようです。
    池田創価がいけないのであって、
    二代会長戸田城聖氏と昭和の時代の創価、つまり破門前までは、創価は正しかったのです。
    創価を離れるのも、池田創価を離れるということではないのでしょうか。

    「受くるはやすく、持つはかたし。さる間成仏は持つにあり。」

    耳に優しい言葉の上辺面を綺麗に飾り上品ぶる。争いごとを好まず逃げることはたやすいでしょう。

    善無畏三蔵抄に、「仮令強言なれども、人をたすくれば実語・軟語なるべし。設ひ軟語なれども、人を損ずるは妄語・強言なり」

    大聖人亡き後、幕府からの弾圧を恐れて次第に軟風化し、
    世間に迎合して大聖人の法義を曲げ天台沙門と名乗った五老僧と同じ様に見えます。

    阿仏房尼御前御返事に、「云ひて罪のまぬかるべきを、見ながら聞きながら置いていましめざる事、眼耳の二徳忽ちに破れて大無慈悲なり。章安の云はく(慈無くして詐り親しむは即ち是彼が怨なり)等云云。重罪消滅しがたし」

    大聖人様は、「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」諸宗は謗法・堕地獄根源であると喝破せられました。

    教義を大きく逸脱、折伏を止めて摂受に切り替えた(身延派と同じ)大謗法の池田創価に罰こそあれ功徳も即身成仏もありません。

    日興遺誡置文に、「 未だ広宣流布せざる間は身命を捨てゝ随力弘通を致すべき事。」
    日興上人の「佐渡国法華講衆御返事」に、「この法門は、師弟子を正して仏に成り候。師弟子だにも違い候へば、同じ法華を持ちまいらせて候へども、無間地獄に堕ち候なり」

    皆様は、池田(三毒強盛故に魔となった)の弟子ではなく、日蓮大聖人様(御本仏)の弟子なのですよ。
    今一度、破門前の教学を見直してください。

  5. 御本尊もただの紙だという価値観を受け入れた自分に驚いています。
    学会のコードから外れた自分です。

    三週間前に仏壇を廃棄する時に、御本尊はとりあえず引き出しに入れました。
    本当にペラペラのコピーですね。

    どう処理しようか心が決まるまで置いておくつもりでしたが、
    所謂“邪宗”のお寺が、「どの宗派のでも御守りやお札などを燃やしてくれる」とのことだったので、お願いすることにしました。
    御守り御本尊と一緒に持って行きます。

  6. 秋生さん、すごいですね。もう後戻りすることはないでしょうね。
    私のときは情緒不安定になり、とつぜん泣き出したり、些細なことにとても腹立たしくなったりと、自分の感情を抑えられなくなるときがありました。何でも話せる友人に話を聞いてもらうなど、誰かに話を聞いてもらったり、気持ちを吐き出す場所をもたれたほうがいいと思います。このブログにも思いを書いてください。よろしくお願いします。

  7. シニフェさんお元気でなによりです。

    最近のシニフェさんの論調の見識の深さに
    感動することが多くてブログを拝見するのが
    楽しみです。

    でも、創価学会員に学会コードを外す対話ができるのか
    極めて疑問です。

    また、できたとしても組織の理論に妥協せざるを得ず
    その場限りの話になるのではないかと思いますね。

    要は、学会員自身が根深い洗脳に覚醒して行く以外
    ないように思います。

    そして、「崖っぷちさん」のように後一歩の勇気を持って
    組織に一線を引くしかないのでは。

    何事も、大事をなすには勇気が必要と
    思うのですが・・・。

    佐渡御書にありました。

    『獄卒が罪人を責めずば地獄を出ずる者難かりなん』

    つまり学会の上層部は獄卒のような気がします。

    それではまた、お元気で。

  8. 田舎爺さん、コメントありがとうございます。
    失礼ですが、カッチンコッチンの法華講じいさんって感じですね(笑)。
    ここは法華講のPRの場ではなくて、創価学会のまちがいについて対話をする場所です。
    創価の方と同じように、自分の言いたいことだけを言って去るような方では対話にはなりません。

    >皆様は、池田(三毒強盛故に魔となった)の弟子ではなく、日蓮大聖人様(御本仏)の弟子なのですよ。

    そんなことを断定的に仰られても、私は日蓮の弟子でもなければ、日蓮を本仏とも思っていません。おそらくここにコメントされる方のほとんどがそうだと思います。私たちの立場を勝手に決めないでいただきたいです。

    >二代会長戸田城聖氏と昭和の時代の創価、つまり破門前までは、創価は正しかったのです

    つまりあの「折伏教典」は法華講としても支持・評価しているということでしょうか?そして破門までの創価の存在を正しい宗教団体であると認めているのですね。

    >大聖人様は、「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」諸宗は謗法・堕地獄根源であると喝破せられました。

    知ってます。だからこのブログで世界中の芸術や遺産も謗法・堕地獄の根源とするのはおかしいのではないだろうかと言ったのです。どう考えても整合性がとれないのではないかと。アルカイダがバーミヤンの石窟寺院を爆破したように、日蓮正宗が広宣流布をなしとげたあかつきには、世界中の寺院や芸術作品を謗法・堕地獄根源と断定して破壊してしまうのでしょうか。でもそうでもしなければ整合性はとれませんが。

    >大聖人亡き後、幕府からの弾圧を恐れて次第に軟風化し、世間に迎合して大聖人の法義を曲げ天台沙門と名乗った五老僧と同じ様に見えます。

    世界の宗教の歴史全体から見れば、五老僧などよくある内部分裂の一出来事です。日蓮を本仏とするのは世界広しといえども創価学会と日蓮正宗だけですよ。「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」諸宗は謗法・堕地獄根源であるとするあなたがたにとってのご本仏の教えのとおり、自分たちの宗教以外を本気で否定して回ったらいいではないですか。創価学会だけではなく、あなたがたの宗教は自分たちの宗教以外を完全否定する宗教界の極右翼に位置していることをもっと自覚すべきではないでしょうか。それにしてはあなた方のやっていることのどれだけが世間に周知されているでしょう。あなたがたの目指す広宣流布が進んでいるのならともかく、世間に対して生っちょろい懐柔策をとっているのは創価学会よりもむしろ日蓮正宗だと思います。750年前に日蓮が命がけで三たび国家諌暁したように、あなたがたも自分たち以外の宗教を否定する教義であると命がけで世間に表明したらいいのではないでしょうか。それが宗祖日蓮大聖人の門下としての生き様なのではないですか。日蓮を本仏とほんとうに信じているのであれば、人類救済のために世の中すべての他宗を命がけで否定してはいかがでしょうか。それをしないのはなぜですか。おそらくそんなことをしても逆に誰からも相手にされなくなることがわかるからでしょうし、そこまでの熱意があるとも思えません。

    …というふうに、田舎爺さんのように頭ごなしに言われれば、誰でも文句のひとつも言いたくなるでしょう。しかしそれはおそらくどこまでいっても平行線です。対話とはほど遠い罵りあいです。それこそ子どもの喧嘩です。子どもなら可愛げもありますが、いい大人が「おまえのかあちゃんで〜べ〜そ〜」って罵りあっているのと変わりません。それは相手の立場を認めず、攻撃することを目的としていますからね。ここではこのような対立の議論はやめましょうねということを常に申し上げています。先にあげた内田樹先生のたとえのように、互いの知らない部分を認めあう勇気をもって対話に望むことではじめてコミュニケーションがなりたつと私も思います。そして創価学会と宗門の罵りあいはまさに子どもの喧嘩としか私には写りません。それ以上に、宗門を口汚く攻撃することで創価学会は会員に摺り込んでいます。むしろそっちのプロパガンダが目的でしょう。創価は宗門を攻撃する姿勢を会員に見せることで、会員のMCを強化しています。つまり宗門さえ道具に使っていると思います。本気で宗門と闘う気はないでしょう。お金になりませんからね(笑)。だから私から見れば、なぜ宗門は宗教でもない創価学会をそこまで相手にしているのだろうという疑問をもっているわけです。相手にしなきゃいいのにと思います。宗門が相手にすればするだけ創価に利用されるのだと思うのですが。

    田舎爺さん、日蓮の御書を引きながらお話をされていますが、その内容をすべて信じている人ならともかく、多くの一般人(ほぼ世界中の人々)にとって御書は単なるいち宗教家が750年も昔に日本で書き残した文書でしかありません。それをあたかも真実であるという前提で話をされても、ほとんど説得力がないと思います。たとえば私が田舎爺さんに「アッラーの神はこのように申されています………うんぬんかんぬん」と言っても聞く耳をもたないでしょう。対話とは、たとえ立場が完全に違っているとしても、どこかに共通に立てる場所をどうにか見つけて、それがとてもせまいところであってもなんとか一緒に立つことではじめて成り立つと思います。とくにネット上での知らないもの同士のテキストだけの会話でそうそう成り立つものではありません。さらに内容が宗教のことですからことさら難しいです。そこに田舎爺さんのような大聖人ありきで頭ごなしに断定されたのでは、対話もなにもあったものではありませんよね。申し訳ないですが、田舎爺さんがおっしゃるような破門前の教学がどうとかという話ではありません。ここは対話によって創価の間違いに気づいていただける方がいらっしゃるといいなあと思う方のブログです。法華講のPRならご遠慮ください。よろしくお願いします。

  9. せっかく日蓮正宗の信仰に戻ったのならば、創価学会などという宗教と言えないようなブラックなところなど相手にせずに己が信仰の道を極めてほしいと思う。。他宗のように。。
    それができないのは何故だろう。。

    創価学会と日蓮正宗のやり取りを見ていると、日蓮そのものにも不信を感じてしまうのは、わたしだけではないだろう。。
    つまり、法華講も創価学会と並び日蓮を貶めているとは言えないだろうか。。

  10. 法を下げる言動をしない、、、などと昔よく言われました。人の振る舞いこそが教主釈尊の出世の本懐であるという言葉は、私は的を得ていると思っていて、今でもすべては私の言動であると思っています。

    だけど、それを実践できてる人はなかなかいなくて。常識はずれな教義を振りかざして、我だけが正しい、お前は間違ってると言う姿勢は、いただけないですね。

    さて、祖母の葬儀の話の続きをさせていただきたいと思います。
    例のごとく友人葬であったようです。私は遠方ゆえに出席できず香典と弔電のみとしました。
    昨夜母から電話があり、延々と一方的に友人葬がどのように行われたか、学会員が何を話していたかなど、聞かされました。
    母は、以前にも書いたように、題目も上げない、活動もしない、組織の人には暴言を吐く、仏壇はゴミ箱のようになっている、だけどなぜか創価脳という、、、正直人格破綻者です。。。
    その母は、友人葬で実母を弔い、やっぱり学会はすごい的なテンションになっていました。

    セオリーどおり、死相の話からはじまり、祖母が信心頑張ったから孫のあんたが幸せだとかなんだとか。
    挙句の果てに、遠い親戚の●●は邪宗だったから、末期がんに苦しみ、七転八倒で仁王立ちしたまま鬼の形相で死んだそうだとか、
    吐き気がするような話をしてきました。

    私はひたすら40分ほどだまって聞いていましたが(自分でも気が長いと思う)この話には耐えられず、「死んだ人の顔がどうのこうのというのは、悪趣味でしかない、死者への冒涜だと思わないのか?どんな宗教をしていても、ほとんどの人は安らかな死に顔なのが普通だ。でも病気などで苦しまざるを得ない人もいる。だけどその瞬間まで頑張って生きたことは素晴らしいと思わないのか?学会員はすぐそういうことを言うから嫌だ、聞きたくない!」と言うと、「あんた、なんでそんなこと言うの?おかしいよ・・・あんた変だわ、おかしいわ」と繰り返し言われました。

    おかしいのはあんたの頭だよ!!

    百歩譲って、バリ活が言うならわかりますが、信仰心のかけらもないような人間が、そういうことだけはシタリ顔でどやさ~って感じで言ってのけるってなんなの??

    はっきり分かったんです。創価は信仰じゃなく、完全なる洗脳なのだと。
    宗教じゃあないですわ。

    その後兄弟と話し、やはり母は頭がおかしいと。そして創価もおかしいと再確認しました。
    告別式のとき、とある親戚が泣き崩れたそうなのですが、その親戚に対し、婦人部が「泣くんじゃない、成仏できなくなるよ」と注意したとか。はああ???ですね。遺族が泣いたら成仏しないっていう教えなの??びっくりです。
    だから友人葬って誰も悲しんでる人がいないんだなあって、納得しました。
    親が死んでるのに超笑顔だったり、幹部も会合でも出席してるかのように平然とした顔してたりするんですが、それは、感情を殺さないと仏様が成仏しないって思ってるからなんだ!!と。
    そんなのあり??人から感情とったら、何が残るの?借り物の思想と動く肉塊だけです。恐ろしい。
    生きながらに死んでるのと同じだなって思いました。

    母は友人葬で見送ってほしいのだろうか、もしそうなら、「組織の人と仲良くしてしっかり学会活動しろよ!!」と言ってやりたいですね(苦笑)

  11. 続きで、昔の戸田先生時代?のまま止まってる母に、「お母さんさ、今の学会の教義知らないんだね。池田センセーは他の宗教とも仲良くして、批判せずやりましょうねって教えなんだよ~他の宗教の悪口いうのは教義逸脱だよ」と言うと大混乱おこしてました(苦笑)

    母は、お寺に戻ればいいと思いましたね。母は今の学会には適応できない。お寺ならなんとかいけるんじゃないかなあ?と思いますが、なぜか創価脳なので「日顕宗は極悪だ」って信じてますから。どうしょもない救いようがない。こういうのを「頭七つに割れる」っていうんじゃないのかい??

  12. 北斗七星さん、お久しぶりです。
    私はずいぶん元気になりました。
    私はこのブログをはじめてから、いくつか新しいことに気がつきました。そのひとつが、やはり創価の間違いは自分で気づくしかないということです。まわりからどんなに筋の通った話をされても、そして創価がどんなに間違っているかを理路整然と話したところで無駄なんだということを実感しました。それは他人に対してではなく、過去の自分を思い返すことで実感できました。理屈はどうあれ何が何でも学会は正しいという思いがあるんですよね。そして学会を離れると地獄に堕ちるという恐怖心はもちろん、もし学会が間違いだったとしたら自分のこれまでの人生は何なのだという虚無感もあるでしょう。二重三重に自分で心を縛り上げているのですから、他人から少々のことを言われても聞く耳をもたないというのは、自分の経験上よくわかります。それがいちばんやっかいなことですね。つまり対話にならない。学会員は対話ができないんです。だからこそこのブログは「対話を求めて」というタイトルにしています。ですからもし対話が成立すれば、創価のMCから抜け出す糸口が開けるのではないかと思っています。

  13. 崖っぷちさん、いつも説得力のあるお話をありがとうございます。
    創価に疑問を感じつつも、脱会まで踏み切れないでいる多くの学会員さんがとても勇気をもらっていることと思います。

    私の近い親類では、唯一兄夫婦が活動をしているのですが、その兄嫁の母親が亡くなったとき、義姉はまったく涙どころか悲しむそぶりも見せませんでした。義姉は一人っ子で、父親はすでに他界し、親一人子一人の状態で、近くに親戚もいませんでしたので、母親が唯一血の繋がった家族だったのにもかかわらずです。葬儀の時に私の母親が涙しているのを見て、義姉は「母は信心強情でなくなったのだから成仏したんです。悲しくなんかありませんから、義母さんも泣かないでください」と平然と言ったそうです。これにはさすがに私の母もびっくりしていました。実の母親が死んだのに涙ひとつ流せないないなんてねえ」ってあきれていました。私の母も信心強情だったのですが、そこはまだ人の心があったんですね。

  14. 何度も言うようで申し訳ないのですが、組織をただフェードアウトして非カツになるのと脱会して縁を切るのとでは大きく違うように思います。。

    わたしは、創価学会を脱会するに至る時、組織のどんなひとにも家族にさえも相談したり愚痴ったりしませんでした。
    それは、その当時自分の選択に確信が持てなかったのもありますが、わたくしごときの悩みで組織の中に波紋を及ぼしたくないという気持ちもありました。。
    いまも、その気持ちは変わらず、脱会からいまに至るまで、自分の想いを敢えて組織のひとには語らずに、と思っているのですね。
    創価学会の組織からしたら、わたしの考えは魔、そのものです。。
    そんなことで、組織をかき回すのは、わたしの本分に非らず、といったところでしょうか。。
    わたしは、もともと組織でも群れるのは苦手でしたので。。それに、組織に波紋を及ぼすことで、自分に返ってくることも容易に想像できて、そんなどうでもいいことで心かき回されるのも嫌でしたし。。

    だから、アンチBlogの存在は、わたしにとって有難かったです。自分の想いを整理する意味でも、これで良かったのだと我が身を肯定する意味でも。。

    わたしが、創価学会?による嫌がらせのストーカー行為に遭ったのは、自分のいた組織に依るものではありませんでした。
    つまり、大本営?に依るものだったと思います。。組織の人は誰も知らないことです。創価学会の闇の部分を近に体験しました。

    いつだったか、桃さん軍団の言われていた、それです。
    正直、恐怖さえ感じるものでした。詳細は語りませんが、創価学会は、そんなところにも人件費を使っているのか?と考えたり、もしかして?ほぼボランティア要員か?と思ったり。。
    創価学会の闇の部分を知るには充分すぎる体験でした。。
    なので、いま、実名を晒して創価学会と闘っている白バラ通信の高倉教授はいかばかりか?と想います。。

    sinifieさん、なんだか関係ない話しをつらつらとすみません。。
    アンチBlogもいろいろあって、ただ創価学会員のガス抜きのためのものだったり、とか。。
    それに比べ、このsinifieさんの立ち上げた、対話に重きを置いたBlogは、とても秀逸だと思うし、組織の中で独り悶々としている多くの純粋な学会員に知って欲しいです、こういう場があるということを。。

    組織の人に想いを訴えて嫌な想いを被るよりも、この場で勇気を出して自分の想いをぶつけてほしい、と願うものです。。その中で自分のほんとうの気持ちを整理してほしい。。
    組織に訴えても骨折り損のくたびれ儲け、ですからね。。

    この場での対話がさらに積み重ねられ昇華されていくことをとても楽しみにしています。。

  15. 社会的影響力のある方や役職が高い方だと、脱会後嫌がらせなどがあるのでしょうか。
    私の知っている婦人部や青年部の脱会者は引越しもせず普通に暮らしています。私の知らない世界があるのですね。

    私は引越しと同時に脱会するつもりですが、なぜか主人が消極的なんですよね。。。
    一般の仏像などを大事に思うように御本尊も大事に思っているようで、活動は全くしていませんが、時々「題目上げないとだよね」とつぶやいていたりします。大事な会議の時は題目上げたりしてるところを見ます。
    だから脱会するとか、御本尊を返すことにためらいがあるように見えます。
    私が「仏様が欲しいなら、今は自分で仏像彫刻なんかもできるんだよ、自分で作って祭っておけばいいじゃん?」というと、笑っていますが。。。
    やはり、やっとの思いで一生の宗教を決めたのにっていう思いがあるのかなあ。申し訳ない限りです。
    ただ、もし主人が辞めたくないといっても、私だけでもやめるつもりですが。
    御本尊は主人のものなので、本来私がとやかく言う筋合いじゃないんですよね。

  16.  お久しぶりです。「白バラ通信パンドラの箱」の希望です。

     シニフィエ様のブログで、真摯な「対話」が繰り広げられて
    おられることに対して、心より敬意を表します。素晴らしいこ
    とだと感じております。

     私の場合は、池田カルト一派との裁判闘争の準備に追わ
    れております。それだけに、シニフィエ様が、丁寧な応対を
    され、最近では、崖っぷち様のような方が、新たにコメント
    を投稿されるようになられたことに感銘を受けています。

     流れ星様のご指摘のように、シニフィエ様のブログは「秀
    逸」であると存じます。何かと気苦労は絶えないでしょうが、
    貴ブログがますます発展されることを心よりお祈り申し上げ
    ます。

     なお、流れ星様におかれましては、私のことを案じて頂き、
    誠にありがとうございました。一瞬たりとも警戒を怠ったこと
    はありません。

     

  17. 希望様、ごぶさたしております。コメントありがとうございます。
    ネットの情報を通じて創価学会の悪行が世の中に確実に知られつつあることを実感しています。
    相手が相手だけに一筋縄ではいかないことは十分承知しているつもりですが、
    なんとか少しずつでも前に進んでいければと思っています。
    希望様の心労に比べれば、私など比ではないと思いますが、
    今の自分にできることをやっていきたいと思っています。
    どうか今後ともよろしくお願いします。

  18. 「二代会長戸田城聖氏と昭和の時代の創価、つまり破門前までは、創価は正しかったのです」
    上記のような意見が出て笑っています。

    牧口は戦勝主義であって、他宗教の仏壇を廃却せよという過激な運動もしたお方です。
    戸田といえば、会長質問会集を読めば、ただの酔っ払いのインチキ宗教屋でした。
    ポルノ雑誌ルビーの出版もしてました。

    池田以前の創価を知れば知るほど、まともな目で見れば「異常」でしたよ。

  19. 牧口、戸田会長時代のことは知りませんが、法華講の方が「破門前までは、創価は正しかったのです」と書き込まれたことにはちょっと驚きでした。ほんとうに宗門としてそのような認識があるのであれば、由々しきことですね。たしかに破門前までは宗門にもそうとうな額のご供養があったでしょうから「破門前までは、創価は正しかったのです」と言うのもうなずけますが、「なんだやっぱりお金かい」ってことですよね。そう思われても仕方がない発言です。もちろん「破門前までは、創価は正しかったのです」が宗門の認識であればの話ですけどね。
    実家に戸田会長の講演のLPレコードがあって、一度聴いたことがありましたけど、やっぱりただの酔っぱらいおやじでした(笑)。
    いつの時代もカルト宗教っていうのはあって、それはその時代からこぼれでた膿のようなものだと思います。それを薬物や違法な商品取り引きや暴力で行なうのが暴力団であり、人の良心や信仰心や弱みにつけこんで行なうのがカルト宗教だと思います。そのいちばんでかいのが創価学会だと仮定すると、いろんなことがすっきりと見えてきますね。

  20. シニフィエさん、皆さん、ご無沙汰です。
    最近のにぎやかな対話、楽しんで拝見させて頂いています。
    読みながら、実際にお会いして皆さんとお話したい気分になってきます。
    「静かに創価学会を辞めるために」というサブタイトル、良いですね。

    アメリカSGIは、日本の独特な雰囲気とは少し違います。
    もう離れてから2年近いので忘れていることが多いですが、まず、選挙がないのは大きな違いですね。
    アメリカ人のメンバーでは、日本で創価学会が特定の政党を支持しているという
    ことが信じられないと言われました。
    日本人の幹部でさえ「日本の学会は選挙があるからイヤ」と言う人がいました。

    あとは、財務も気軽です。白蓮で担当していた時になけなしの5ドルを寄付していた
    方がいらして、幹部の方も歓迎されていました。
    でも、基礎を固めているのは、やはり日本人グループでアメリカSGIは日本人の
    財務で保っているようなものだと、よく聞かされました。

    新聞は「World Tribune」というのがあって、私が購読していたころは年間35ドル
    ほどでした。「読め」とは言われますが、啓蒙ノルマはありません。

    大学時代は、学生部を大学に発足して「ガンジー・キング・池田展」なるものを
    開催しましたが、今振り返ると、歴史上で顕著な人権運動をされている先の2名に
    対し、池田氏は何をやったんだろうかと当時は気づかなかった疑問があります。

    アメリカは日本に比べて自由な分、日本から来た青年部が活動家になってく様子を
    よく見てきました。私もアメリカだったから、続けていたのかもしれないです。

    今は、創価のことも考える時が減り、いろんな思想も自由に受け入れつつ読書にふけって
    いますが、楽しいですね。もう洗脳はゴメンなので鵜呑みにはしないようにしています。

    創価に入っていたことを後悔する時期もありましたが、今は良かったのかなとも
    思っています。組織がいろいろやらかしているという実態はあるのかもしれませんが、
    今の私の生活からはかなり遠いとこにあるものなので手を伸ばす必要もないですし、
    ある程度の仏教思想が今の自分の精神を築く根本になっていることを考えれば、
    おかしいと思われるかもしれませんが、自分には必要な時期であったのかもしれないと
    思い始めるようになりました。
    創価に入っていた時期を否定してた時は、自分を全否定してしまってなかなかうまく
    行かなかったのですが、それを丸ごと受け入れた時に、やっと気が楽になりました。

    気づいてからしばらくは、一人で考え込んで、苦しい時期がありましたが、今の
    この気楽さは、もし創価で苦しんでいる方がいらっしゃるのであれば、感じて欲しいと
    思いますね。
    それを訴え続けているシニフィエさんには、本当感謝でいっぱいです。
    日本の家族に一番に見て欲しいブログです!

    最近、自分に日本語力に自信がないのですが、今は思うことを書いてみました。
    これも対話の一つに入れて頂けますでしょうか。

  21. ヨーさん、お久しぶりです。

    >創価に入っていた時期を否定してた時は、自分を全否定してしまってなかなかうまく
    >行かなかったのですが、それを丸ごと受け入れた時に、やっと気が楽になりました。

    私の場合、まだ丸ごと受け入れることができずにいると思います。きっと時間がかかるのだろうなとも思います。でも少しずつですが確実に受け入れる方向に進んでいるような気もします。今はそんな時期なのかなと思っています。このブログを書くことで自分の考えを整理したり、みなさんの考えをお聞きすることで、私自身がとても救われていると思います。みなさんにはとても感謝しています。これからもよろしくお願いします。

  22. 秋生さん、少し気になったので遡りますがコメントをさせてください。。

    すでに秋生さんは決断され一歩を踏み出しました。その自分をどうか認めてあげてくださいね。
    決して、創価のマインドコントロールに後戻りされませんように。。
    この決断は、秋生さんの人生に於いて最善のことだったと思いますので。。
    もし、また妙な怖れに心が取り憑かれるようなことがあったら、どうかこの地球上にわんさかある新興宗教のことに想いを馳せてください。。創価のそれも、そんなたわいもないものの一つなのですから。。

    もちろん、秋生さんには、わたくしの心配も取り越し苦労だと想うのですが、念のために一言もうしました。。

    人生苦あり楽あり。。
    秋生さんが、これからの人生を自ら立ち踏みしめていかれることを願っております。。
    すでに大海へと舵をとり、大きな喜びでもって行かれることでしょう。。
    おめでとうございます*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)’・*:.。. .。.:*・゜゚・*

  23. 朝晩すずしくなってきましたね。皆さま風邪ひかないように気を付けてくださいまし。

    さて親戚が池田センセーに会ったそうです。「お元気だったわよ、直々に書籍を戴いた」と喜んでました。「マスコミ対応が大変らしいわよ」とか。私は「そうですかあ」とだけ返事しましたが。わざわざ電話がかかってきて、遊びに来いと言われたのですが、絶対行くもんか!

    それと、主人ですけど、今回初めて自分から座談会に行ってくると言いました(汗)今回の座談会は壮年だけでやるらしいので、だから参加するのかな?
    私が非活となったせいで、主人が活動家に転じるなんてことあるんですか??そうなったらすごく怖いのですが・・・。
    主人は入信後すぐに牙城会に数年いたので、結構洗脳されちゃってるのかなあ?単に仕事が忙しいから活動してないだけで、暇ならやるんだろうか??
    新聞啓蒙や選挙はおかしいと思うらしいけど、財務は納得しているようだし、学会はいい組織だと信じているとも言ってます。なにせ池田センセーは素晴らしい人だと信じています。役職ないからいつまでも新入会者気分でいい部分しか見えてないみたいです(汗)

    我が地域の壮年はアンチが多いので、活動家ですら、壮年だけで集まるとひたすら組織批判の嵐らしい?ので、主人はそれを楽しんでるところもあると思いますが。
    地域の寄合程度に思ってるだけならいいのですけども。

    座談会に行けば私の事を聞かれるだろうから、なんて答えるつもりなのか聞いたら「疲れてるようだから、長い休みを下さいって言っとくよ」だって~サラリーマン的な角の立たない言い方だなあ(苦笑)まあ、私は永久の休みに入りましたけどね。

    主人はもともと白黒つけない主義といいますか、極端なことを嫌う人なので、一旦やり始めたことはなんとなくでも続けて行こうって感じなんだと思います。帰属意識が高いっていうのもあるかな。脱会までしなくても非活で事足りるならいいじゃん?みたいな。波風立てない方がいいよって感じですかね。
    このブログの副題の静かに創価学会を辞めるために・・・って言う感じで(笑)

    まあ私個人としては、信仰は夫婦であっても干渉できないものだと今は思っています。主人が会合に参加していても、私が参加しないことを認めてくれるならそれでいいとも思ってますが。一抹の不安を感じます。。。

  24. 崖っぷちさん、いつも新鮮な情報をありがとうございます。そうですか、池田センセーから書籍を直接手渡されたんですかね。話のひとつもされたんでしょうか。そこまでされるのであればセンセーとの記念写真のひとつも撮ってもらえばよかったのにですね。そしたら大スクープものですけどね(笑)。マスコミ対応がたいへんというほどマスコミに出てないみたいですけどね。っていうか会員にすら顔見せませんからね(笑)

    >信仰は夫婦であっても干渉できないものだと今は思っています。
    もちろん信仰の場合はそうなのですが、創価は信仰ではなく、どう考えても悪質なネットワークビジネスなのですから、そのあたりはやんわりとわかってもらったほうがいいかもしれません。
    それにしてもご主人、めちゃめちゃいい人なんですね。人のよさを逆手に取って利用するのが創価のやりくちですから注意しないとですね。でも崖っぷちさんがいらっしゃるから大丈夫でしょうけど。
    またいろいろお話聞かせてください。

  25. 崖っぷちさん、その先生にお会いしたってお話し、せっかくだからトコトン聞いて欲しいくらいですよ。。どこまでが、真実なのかしっかり見極める目を持って。。
    もしそれが嘘だとしたら、既に創価学会末期症状か?!ってことでしょうか。。驚きですよね。。

    ご主人、わたしの友だちみたい。。
    組織活動にドップリ頑張ったことがないからでしょうかね〜。。
    却って頑張れって言ったら引くかも?しれませんよね〜。。(笑)
    頑張ってもらったほうが気づきは早いかもしれませんよね。。
    壮年部は婦人部と違って、あまりバリバリなひともいないからいいのかな。。

    なんだかんだ言っても、創価学会ってそうは簡単に衰退する雰囲気でもないのかもしれませんね。。
    あと20年が勝負かなあ。。
    まず、世間のひとの認識も薄いですものね。。
    マスメディアが真実を報道しないから。。

  26. 実母が折伏の本責でストレス溜まってると電話で話してました。
    何のために信心してるのか本当に理解出来ません。功徳だ罰だという意味付けも分からない。
    週末に家に遊びに来るのでじっくり話してみようと思ってます。組織から離れて自分で気付くしかないんでしょうけどね。

  27. そうですよね、とことん聞けばよかったなって電話切ってから思いました。。。でも、その親戚も家の中ごたごたの人で、わずらわしいことに巻き込まれたくないって思って、極力会話をせず切ってしまいました。
    葬儀でセンセーに会ったことを話してたようなので、他の親戚から聞くこともできるかもしれません。もし新しい情報あればこっそり?ここでお知らせします。
    なんとなくだけども、センセーと会話をしたとか一緒に勤行したとか特別な会合に出たとかではなくて、本部で見かけた?というくらいじゃないですかね。で、その場にいた人に書籍が配られたのではないでしょうか(想像ですが)
    私が女子部の時も、先生直々に頂いたってよく言われてたけど、センセーから手渡しされたことはないし。たぶん押印があるものは、センセー直々ってことになってるんだと思います。。。写真などはマスコミ対応が大変というくらいだから、たぶん撮らせてもらってないでしょうね。センセーが出席する会合には数度出ましたが、写真は禁止でしたし、携帯も電源オフでしたので。勝手に撮影したら取り押さえられると思います(汗)
    お元気だったというくらいなので、立って歩くことはできていると想像します。
    その親戚は嘘をつくほど上の幹部?ではない。一般の婦人部員なので(地区婦だったかな?)まあ、それなりに元気そうに見えたのでしょう。
    ただ、あの新聞の写真で元気だ!って確信しちゃう婦人部だから、真相はわかりませんけど。
    いくらお年寄りでも、もう少し表情って物があるんじゃないか?って普通は思いますよね。(ってか私は思うんですが)ましてや、85歳であれだけの執筆活動をするということは、並みの頭脳・体力じゃないって思うんで。。本当ならですが。

    壮年部は役職なければ、いてもいなくてもわからないくらいの活動しかしてないですよね。主人も、一応所属してるから、暇なときは顔は出すけど~っていうくらいだと思うんですが。あと、そのアンチの壮年の方の事がキャラ的に好きみたいですね(笑)かなりの毒舌だから、聞いてると面白いらしいです。
    財務は会費?みたいに思ってるようで、一口だけやるらしいですわ。

  28. 本当に連投ですみません・・・。最近身の回りが激しく変わっていくので。。。
    カウンセラーのいう、自分が自律すると、世界が変わるってこのことかな?と最近思います。

    えっと、祖母が亡くなった話は書きましたが、その葬儀の翌々日。母からメールが来ました。前に書いた「あんた頭おかしいよ。」と言われた電話の翌々日です。

    メールうざ、まだ文句あるのかい!!と思いながら見たメールにびっくり。

    「お父さんと離婚することになりました。この間は色々言ったけど私も大した信心してないしね、まあどうでもいい話だったね」と。

    えーー!です。

    私の両親は私が生まれる前から不仲でありながら、離婚もせず共依存だったのですよ。ついこの前まで「とんでもないお父さんだけど、一人よりまし、私はお父さんと普通の老後を過ごすのが夢」と言っていたので、絶対離婚なぞしないと思ってたんですよ。

    なんでも「おばあちゃんが死んだら、なんかどうでもよくなってきた」だそうで。

    やはり母も、親の支配を受けて生きてきたんだなって、改めて思いましたね。創価母の呪縛ってすごいですよ。私もつい最近まで親が死ぬまで活動するしかないと思い込んでましたからね。

    三世の私が抜けることで、祖母がこの世を去り、母は呪縛から解き放たれ自由を得ようとしている。

    これが、2週間程度の間に起きたことです。すごいドラマだなと、我ながら思っています(笑)

    人生ってひっくり返るときはあっという間なんですね。母が覚醒し始めたので、私も心置きなく?覚醒し続けていけそうです。

  29. 初めまして。私は学会3世の婦人部員です。非活になって一年半が過ぎました。あまりにも創価にいた(少年部員から)年月が長くて、
    今だに自分の頭で物事を考えることができず、判断ができません。幼少の頃から実家が地区の拠点になっていましたので、
    父は母は忙しくて、子供に愛情をかけることをしませんでした。忙しくしている両親にわがままを言えず私はいつも一人でした。
    褒められることも無く、叱られることも無く、今から思うと無関心で育てられました。一人は寂しいので母親に連れて行ってもらう
    少年部の会合だけが心のより所になっていました。そうして私はどんどん創価の活動にのめりこんでいきました。
    唯一母が反応を示すのが学会活動の話題だったからです。成人して、私は学会以外の青年と恋愛をしました。
    まったく違う世界を見て驚き、こんなにシンプルに物事を見て、考えて、私はこの世界に浸っていたいと思いましたが、
    心のどこかで、会合をさぼり楽しい思いをしていると活動を頑張っている人達に後ろめたさを感じることもあり、デートの約束を
    していても時々嘘をついて会合を優先させてしまいました。結局、「創価学会と俺とどちらをとる」と聴かれ、私は悩んだ末に
    創価をとりました。
    今だに実家は拠点になっており心のより所ではありません。
    未入信でいてくれた主人だけが心のより所です。この年齢になっても両親に対して憎しみがとれないつらさがあります。
    シフィニエさんのブログにより助けられました。有り難うございます。
    皆様のコメントをこれからも読ませていただきながら、一日も早く心を楽にしていきたいです。

  30. 風鈴さんの、両親に対して憎しみが取れないつらさ、良くわかります。私も憎んで憎んでも、憎み切れないくらい、頭がパンクしそうで、いつもいつも特に母のことが頭から離れず、独り言をぶつぶつ言うような毎日でした。

    カウンセラーさんからは「あなたはお母さんに褒められたいのですね、いつかお母さんが変わって、優しい理想の母になって私を褒めてくれる日が来るんじゃないかと、そう願い続けて生きてこられたのではないですか?」と言われ、涙が止まりませんでした。
    そして「でも、お母さんが変わることはありません、あなたを愛してくれることはないのです、だから、その思いを手放しましょう。大丈夫できますよ、そしてあなた自身が理想の母に成長するのですよ。」と言われ、もう、耐えられないくらい辛かったです。泣き叫び子供の様になきじゃくりました。

    でも、一週間ほど過ぎたある日、突然心がすとんと落ち着いて「私は生まれ変わるしかない、今までの私は死んだと思って人生やり直そう」って急に思えるようになりました。それと同時に親への愛憎も消え、不眠や視野狭窄・独り言・めまいなど、さまざまな身体症状もよくなりました。

    風鈴さん、今はとてもお辛いのだろうと思います。だけどいつかその憎しみが消える日が来ると、私も願っています。

  31. mintさん、お母さまと冷静に対話ができるといいですね。。
    わたしの母は、創価学会に関することを話そうとすると発狂しかかるので、とても話せません。別に幹部もやってこなかった人なのですが。。

    崖っぷちさん、凄いね!扉がどんどん開いていってますね。。
    カウンセラーの方に相談されて良かったですね。。

    風鈴さんへ
    わたしも母との関係で悩んでいますよ。。
    生まれた時からの親の刷り込みは、いい加減な年齢のわたしでも、なかなか乗り越えられない課題です。。そこに創価学会が入り込んでいるから更に拗れてしまいます。。
    そこに気がついただけでも、いまはヨシとしています。。

  32. 親との関係のことで私も一言。
    学会では、真面目に信心をし広宣流布の使命を果たすことが「最大の親孝行」と刷り込まれました。
    池田大作も何度も口にしてましたね。
    それを真剣に受け止めてた私です。

    親孝行したいと思う子ほど、信心と親とのことで悩むのではないでしょうか。

    私はかつて友達に言われました。
    「思ってることを言い合えるのが親子でしょ。喧嘩してもいいじゃない」と。
    信心もしてない友達に言われてハッとしました。
    「聞き分けの良い子」は、後から反動がきます。心を病みます。
    相手が年老いていようが、親が生きているうちに想いをぶつけるべきだと思います。
    子供が親に気を使って言いたいことも我慢し黙ってるなんて、悲しいことです。
    親になって知りました。

    風鈴さんへ
    本当に辛い経験をなさってるんですね・・。
    親を憎んでいいと思います。
    無神経な人がよく「どんな親でもあなたを生んでくれた親だよ」とか言います。
    これは親を思う子の気持ちを理解しない人が言う言葉です。
    親を愛する気持ちが強い子ほど、親への怒りと憎しみも強いのだと思います。
    本当に親なんてどうでもいい子なら、親に対して何にも感じません。

    それにしても、やはり元凶は池田大作です。
    信心に励むのが最大の親孝行、進まざるは退転で地獄行きとか。
    夫婦そろって信心しないと一家和楽はないとか。
    こんな指導をしてくれた責任もとらずにのうのうと生きてる。

  33. 流れ星さん、どうもありがとうございます。
    年老いた母を見てると責める気にはなれなくて。学会の教えが強迫観念になって苦しんだ事もあったけど、母のせいではないんです。
    正しいとか間違ってるとか言い合う事自体疲れてきました。エネルギー消耗しますしね。これからは静かに見守って行こうと思ってます。
    でも、創価の親子関係ってどちらか一方がバリ活だと難しいですね。

  34. いつも思うのが、「親がバリ活で困っている、という子供」はたくさんいるが、
    「子供がバリ活で困っている、という親」は見たことがないですね。

    なんでだろ。

  35. 崖っぷちさん、流れ星さん、おはぎさん、あたたかい励まし有り難うございます。
    心が救われた思いです。心から感謝いたします。
    signifieさんのブログにより私のように一人でも多くの方の心があたたかい言葉で
    癒されますように願います。
    ほんとうに有り難うございます。

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