対話は自分の正直な気持ちのほんのひと言からはじまります。

ここ数日、このブログのアクセス数が毎日1000を越えるようになりました。みなさんのお話に興味のある方が増えているのだと思います。以前、このブログが論争の場になった時には、いまの4倍のアクセス数だったのですが、それはなにかと自分の主張ばかりの不毛な論争に終始して、さらにそれを面白がっている野次馬の数だったように思います。そうやってこのブログが荒れた時は、私自身いやになって中止していた時期がありました。今はアクセス数はそれほどなくても、みなさんがとても現実的で説得力のあるお話をされるので、変なコメントはほとんどありません。みなさんにはとても感謝しています。かつて創価学会員だったが、活動自体に疑問を感じて脱会した人。まだ学会員ではあるけれど、組織のやっていることがおかしいと思っている人。また、学会員にはなったことはないが、恋人や配偶者が学会員で、その考え方や行動を理解できないで悩んでいる人。近所の人や友人に学会に入るように勧められて迷惑に思っている人。いろんな形で創価学会との関係を断ち切れないで悩んでいる人。いろいろだと思います。なかなか人には相談できないことかもしれません。そして創価学会の問題は、世間が思っている以上に恐ろしく根深いものです。このブログにそんな悩みを書いていただければ、いろいろな創価学会の組織で経験された方から適切なアドバイスをいただけると思います。創価学会の問題を解決するには、創価学会員が少なくなればいいことだと思います。精神的にあの手この手で組織にがんじがらめにして金と権力をむさぼる巨大な新興宗教ですが、一人またひとりと脱会者が続けば、どこかの時点で一気に崩れ落ちるのだと思います。いきなり世間に向けて創価学会のまちがいを訴えても、さして関わりのない人にとってはどうでもいい話です。学会からなかなか抜け出せないでいる人は、何かのきっかけをつかむことによって、脱会への道を歩むことをお勧めします。そのひとつとして、この場で学会に対する自分の本当の気持ちをあらわにしてみるのもいいのではないかと思います。特に、入信動機を持たずに、ものごごころがつくまえから勤行・唱題をやらされ、子どもの頃から池田氏を人生の最高の師匠だと言い聞かせられ、親の喜ぶ顔を見るために学会活動をしてきた純粋培養の学会二世三世の方たちは、理屈では学会がおかしな団体だとわかっていても、学会を否定することは自分の人生や親の人生までも否定することになるものだから、たいへんなジレンマを抱えている方もたくさんいらっしゃると思います。そんな方も含めて、日本にどれだけ創価の悪が蔓延してきたのかという実態を共有できればいいなと思っています。そして何も争うことはないと思います。自分の信念によって、静かに創価学会を辞めればいいのだと思います。親の代から引き継いできた創価学会を自分の代で粛々と根絶やしにしていけばいいのだと思います。財務の集まらない創価学会、公明党の議席がとれない創価学会は幹部にとっても死活問題です。そうすれば自然と消滅するのだと思います。すでに表に出ることのできなくなった池田氏をいつまでもカリスマとして持ち上げることはもはや困難です。きっと幹部同士の身勝手な利害が衝突して空中分解するでしょう。その日が一日もはやく訪れるように、ここで学会員だった頃の自分の考えや行動と、学会の間違いに気づいたきっかけや今の気持ちをお話ししていただけるとありがたいです。一日1000アクセスということは、少なくとも毎日300人の方がこのブログを見ていただいています。みなさんのお話を学会で悩んでいる多くの方に読んでいただくことは、決して無駄ではないどころか、やがては大きなうねりにならないとも限りません。一人でも創価学会による被害をなくすためにも、ひと言でもいいですので、ご自分の体験やお考えを書いていただけたら嬉しいです。対話は自分の正直な気持ちのほんのひと言からはじまります。どうかよろしくお願いします。

対話は自分の正直な気持ちのほんのひと言からはじまります。」への11件のフィードバック

  1. 冷静な記事をありがとうございます。
    こちらでいろんな方のコメント、またシニフィエさんの記事を読むことで
    眠っていた感情や忘れていた過去を思い出し、その都度こちらで語らせていただいてきました。
    本当に感謝しています。このブログなくしては覚醒できなかった、非活にはなれなかったと思います。

    争うことなく、それぞれが覚醒し自律し自分の道をみつけ歩んでいくこと。ほんとうにそれに尽きますね。
    現在自分の道を模索中であります。
    なかなか夢中になれることが見つからないのですが、目に留まったもの縁したもは、とりあえずやってみる、覗いてみる、ということをしながら、自分の視野を広げているところです。

    昔折伏し、現在疎遠になっている友人にまだ非活になったことを話せてないので、それだけがいつも心に引っかかっています。
    疎遠になっているだけに、わざわざ連絡を取ってまで言うべきか、機会があるまで言う必要はないのか、いつも迷っています。

  2. 学会三世チョコです。
    創価についてネットで調べるということを今迄考えもしませんでしたが、
    自分と同じように、創価学会のことで悩んでいらっしゃる方がたくさんいて、中には退会した方もおられて、とても安心しました。

    実は今日、新聞の購読停止を申し出ました。勤行をやめ、会合にもほとんど出なくなっていたため、惰性で取っていました。購読停止を申し出たことは自分にとって勇気ある一歩でした。

    生きていれば色んな悩みが出てくると思います。
    私にとっての悩みは、自分が創価ということでした。
    この信心は正しいという洗脳教育は受けていましたが、子供ながらに後ろめたさがあり、創価学会員であることを隠していました。
    本当の深い悩みが創価のことだなんて、当然組織には言えるはずもなく…
    未入信の夫にも創価の親にも誰にも話せない苦しい悩みです。

    幸い、友人に学会宣言をしていませんので、疎遠になることもなく普通の関係を築けています。

    バリ活だった頃の私を、何も言わず静かに見守っていてくれた夫には感謝の気持ちでいっぱいです。

    お金だけ払って読んでいなかった創価の書籍も全部捨てました。

    これから、夫を支え子供たちにしっかり愛情を注いでいきたいと思っています。

  3. チョコさん、はじめまして…でしたっけ?
    新聞の購読停止おめでとうございます!外部の人にしてみれば、新聞やめるのにそこまで勇気がいるの?なんて思われますが、創価の新聞は新聞であって新聞ではありません。幹部にとっては貴重な財源であり、会員を洗脳する大切な道具ですもんね。新聞をやめるというのは大きな意味があります。それこそ大きな一歩ですね。これからきっと新しい世界が開けてくると思いますよ。またいろいろとお話を聞かせてください。チョコさんのリアルタイムなお話は多くの方にとって大きな励みになります。これからもよろしくお願いします。

  4. チョコさん、おめでとうございます。創価での新聞の位置づけってすごいですから、購読停止は非常に大きな一歩ですよね。
    書籍も全部処分されたんですね!すごい行動力!
    私も励まされました。なかなか書籍の処分に思い腰が上がらないのです。。。

  5. 「蝉は夏を知らない」

    セミは、夏を生きます。
    春夏秋冬、大きく四つの季節があり、例えばこの国ではその季節ごとに、気温も昼夜の長さも大きく異なります。
    夏を生きるセミ、夏にしか生きていないセミは、「夏のことなら、とてもよく知っている」存在に思えます。
    そのセミに「夏は日本で一番涼しくて、過ごしやすい季節なんだよ」って教え込んだら、どうでしょうか。
    セミは「そうなのか。我々は一番涼しいときに、生きているんだ」と思います。
    思い込んだまま、生きて、生を終えるでしょう。
    確かめる術はもちません。
    特に疑うことも、疑う理由もないでしょう。
    夏を生きるセミは、夏をよく知っているといえるでしょうか。

    私たちは「夏を知らない蝉」になってしまってはいけないと思います。

    「生涯をかけて信じるものがあって、しあわせ?」
    「立派な会館がまた建ってうれしい?」
    などという質問に、恋人は迷いなくうなづいて、答えがわかってはいたくせに、私はとても疲れます。
    聞かなきゃいいのに、私。
    この複雑な感情を何といえばよいのでしょうか。
    「センセイは今後の学会のことをおもって裏にまわられている」
    「体調が悪いご様子でもあるのに、たくさんの文筆を続けられるなんて、並大抵のことではない」
    「人生で、師匠はこのひとと決めたら、一生揺るがない」

    このブログでも数多くよせられる創価語録、みごとにそのまま。
    本当に、日々の教育、啓蒙がびっちりと継続されているのですね。
    生き生きと活動にでかけてゆく姿をみると、苦しくてしかたありません。
    騙されているとわかっているのに、何もできないのです。
    毎日毎日、何もできません。
    「騙されている」といったら、彼のシャッターは音を立てて閉まるでしょう。
    「何もしらないくせに、悪いと決めつける。この人も理解してくれない」と感じるでしょう。
    そして、外界とのシャッターを閉ざしたまま、一生、財務と新聞と会館運営と選挙活動などなど……を続ける。
    創価や創価家族のためなら、お金も借りると思います。
    すばらしい仏法を広め、自他ともにしあわせになるために。
    センセイが亡くなられて、本当の意味で神格化することも、今からこわいです。

    小さな「ナゼ」を、彼に向かって発するのが、私のせいいっぱいです。
    ほんの少しでもいい。
    創価脳ではなくて、自分の感情で、アタマで、私の言葉に耳を傾け、考えてくれないかと、思います。
    創価と自己は一体化しすぎていて「創価のコードの外し方さえわからない」「創価の枠からどうでていけばいいかわからない」と、以前彼はいいました。
    そして、質問の答えには、完全にMCされた内容の回答がこぼれつづけ……
    それをいったん受け止めなくてはなりません。
    傷つくことなんて、とっくに覚悟しているはずなのに、帰り道や布団の中で、涙が止まらない。

    すうすう寝ている寝顔をみていると、お母様は、なぜこんなかわいい子(いい年のおじさんですが 笑)を、創価になんかに売り渡してしまったのか、と考えてしまいます。
    もちろん、お母様は子供のしあわせを願ってそうしたのでしょうし、本人も「しあわせ」といっているわけなので、私の存在や苦悩自体が「なくてよいもの」なのかもしれません。

    不安と憂鬱をためこんだ社会、ヒーローを求め仮想敵をつくる社会、富める者と相対的貧困者がはっきりわかれる社会、不寛容な社会。
    憂いてきたもの、漠然と「嫌い」ながらも指をくわえてみていたこの国のこと。
    「知ること」を面倒がり、おそれ、私が考えてもしかたないと傍観してきたそれらが、象徴的に、凝縮されて、いま目の前の日々として、形を成して現れているように思えることがあります。大袈裟かもしれませんが。

    「創価」という集団は、誠実に生きる一般会員の方を、騙し続け、搾取し続けていると思います。ですが、その「悪」を生み出し、成長させてきたのは「わたしたち」であると思えるのです。
    だから、彼や彼の家族に、ここに集われているみなさんの苦しみに向けて……
    時々「ごめんなさい」と思います。利益優先で、未成熟で、不寛容で、無関心な、わたしたちが、創価のような団体を大きくしたのです。

    いつも、内容が薄いくせに、重たい話になってしまいます(笑)。
    近くの公園のプラタナス(鈴懸の木)や銀杏が色づき、今日は澄んだ空気の中で、陽の光をたくさんの葉が受け止めていました。
    束の間、秋の世界のうつくしさのこと、ただそれだけを感じました。

  6. 縁って不思議です。。
    それは、自分の人生の一部。。
    悪しき縁も。。その時は気づかなくても、自分にとってかけがえのない大切なご縁。。

    わたしが結婚したばかりの完全に池田大作を人生の師と仰いでいた頃、組織に婦人部の大先輩で、かつて創価学会の中枢にいて池田大作の指導も身近で受けている人がいました。
    でも、彼女は時々、池田大作のことに批判的なことを言うところがあったんです。
    いまなら充分に理解できますが、20代の婦人部に来たばかりのわたしには理解できなかった。。
    その先輩に、いま想うと残酷な言葉を投げかけたことをずーっと後悔してる。。

    それから、数十年経ち。。わたしは覚醒に至りました。いまも忘れることのできない先輩です。。

    真実とか正義とか、時が経たなければ、その真価は見えてこないことが往往にしてあると想う。。
    オセロのように黒が一瞬にして白に変わったり。。

    自分にもし引っかかる人がいるとしたら、そのご縁は深いんだね。そのときは反比例しているようでも、きっと自分にとって大切な何かメッセージがあるんだね。。

  7. ぱこさんへ
    いろいろと大変そうですね・・・。
    それでも公園の樹々の色づき、澄んだ空気、葉の上できらめく日の光を感じられること
    それこそが、自分の生きる道を照らす心の灯火だと思います。
    ぱこさんの純粋な感性、大事になさってくださいね。
    それさえ守り続けられれば、彼が変わらずとも大丈夫のように思います。
    「普通の人の豊かな心の感性」
    これがもしかするとMCを解く鍵になる気がします。

  8. ぱこさん
    ラカンの言葉に鏡像段階という言葉があります。出会う人のなかで、自分が好きになる嫌いになるなど、心をかき乱される存在は自分自身であるという考えです。まるで鏡の様な存在ということです。
    嫌悪を抱くその人の言葉、態度、そこに自分自身の気づかれざる一面が隠されていると考えます。
    傷つくことがわかっているのに、投げかけてしまう質問。意識上では彼を救いたい、覚醒させたいという思いからなのだと思いますが、もう一歩踏み込んで自分自身にスポットを当ててみるのも良いかもしれません。
    彼が言うように、彼と創価(あるいはセンセー)は完全に一体化している状態だと言えると思います。「一体化」とは心理学では防衛本能の一つと言われています。そうしなければ彼は生きていけないのです。無理にそれを外してしまえば、彼は生きる意味を失ってしまいます。

    創価からある日突然いきなり覚醒と言うことは珍しいと思うんです。徐々に本人も気づかない無意識の深い部分で少しずつ崩れていき、あるきっかけでその思いが意識上にあがり、「もうやめたい」となるのだと思います。その時に支えてくれる人、安心できる環境があれば、覚醒は進んでいき創価から離れられるのかなと。
    しかし覚醒しはじめても、支え手がいない、環境が整っていない(居場所がない)場合は、結局組織にとどまり続けるしかなく、創価への不信を無意識に「抑圧」し、平然と信心復活!とばかりに活動再開してしまうのだと思います。「抑圧」も防衛本能です。すべては自分を壊さず生きるためにしていることなのです。

    彼の中は創価で満たされています。100%創価でできていると考えてみると、それを取ってしまったらゼロ、死を意味します、だから怖くて抜け出せないし、抜け出すという考えすら浮かびません。
    幸い彼にはぱこさんという外部との連絡通路があります。そこから創価以外の価値観をどれだけ送り込めるかにかかています。
    創価を否定したり、疑問をぶつけることは、彼側のドアを閉じてしまうことになるのでそこに触れないでいかに送り込めるかですかね。。。難しいですが。

    私の場合は、やはり主人の支え、家庭という安心できる場所があったから、覚醒できたのだと思います。
    主人は創価について疑問を投げかけたり、私が不機嫌になるようなことは一切言いませんでした。というか創価の話題を彼からふるということが、過去も今現在においても全くありません。
    非活になった現在も、全く主人の言動は変わりません。創価のことは彼の意識の中には全くゼロなのかしら?と思うくらいです。
    余りに主人からの発信がないので(創価に関して)どんなに長い付き合いになっても、いつも創価の話を私からする時(公明頼むとか)は非常に勇気がいりました。でも話すと、「うん、わかった」という返事でした。会合も誘えば来ますが感想は皆無。しつこく聞いても「まあ、すごいよね」くらい(笑)スルースキルが凄いんです(苦笑)私は創価脳でしたから否定しないなら脈あり(活動家の資質あり)と思ってました。

    バリ活だった時に出会い結婚したのですが(出会いから今年で14年になります)、主人は私のどこに惹かれたのか?いまだになぞです。
    昔私が「創価学会なのに、何とも思わなかったのか?」と聞いたら「人にはない経験をしてるから、深い話ができる珍しい人だと思っていた。普通の女の子は面白くないと思ってた。」と答えてくれました。今でも「創価で活動したことは、君にはプラスになっているよ」と言います。(でも彼自身は活動にはまったく参加しませんし、題目も上げませんし、理解も示していません。)
    だからこの言葉は創価を肯定しているというより、私の過去からすべてを肯定し受け入れてくれているんだと捉えています。

    私が逆の立場だったら、彼と同じ言葉を言えただろうか?明らかにおかしな宗教にはまっている彼女(妻)を、14年間もずっとそばで支えて見守るなんてできるだろうか?想像しますが、きっと私には無理です。
    なんとか試行錯誤し覚醒させようとするか、もう無理だとあきらめて他の人を探すかもしれません。
    彼に捨てられず、責められず過ごせた私は本当に幸せ者だと思います。

    パコさんのコメントを読んで気づきました。きっと私も主人を陰で泣かせていたんだと。たくさん傷つけてしまっていたんだと。
    これからの人生、主人と共に本当の幸せを築くために、主人のやりたいことは何でもやってほしいと思う。いつでもどんな時でも主人の味方となり応援していきたいと思いました。

  9. 長くて済みません。今思い出したのですが、私の主人が巧みだったなと思うのは
    私が創価の価値観を延々と語った後、「うんうん、そうだね、よくわかるよ、たとえばね、、、」と経済学者の話を持ち出したり、偉人の話を持ち出したりしながら、巧みに私の価値観をすり替えようとしていたところです。
    今でもそういうところはありますね。
    私は「そうだね、よくわかるよ」との言葉で彼に受け入れられたと安心し、心の扉を開くことができ話が聞けたのだと思います。そのあとにづつく彼の語りは?とかそれって創価思想とはちょっと違うよ?と思うことも多々ありましたが、日々そんな会話を続けていくうちに、彼の言葉に傾いていきました。
    そして、彼の考えのほうが心地いいと感じるようになっていき、徐々に創価の思想が私にとって苦痛で嫌悪を抱くものに変わっていきました。
    そう思うと本当に覚醒に至るまで14年まるまるかかったんだな~と。長かった(苦笑)

  10. シニフィエさん

    本当に仰る通りですね。
    世間の人にしてみたら、新聞をやめるのにそんなに勇気がいるのか?
    なんて思われそうですが、
    学会員でありながらあの新聞を拒否するということはとても勇気のいることです。

    会合にも全く出て来ないとなると、激励しに訪問に来るかもしれませんが
    接触しないようにスルーしたいと思います。

    一歩踏み出せたので、清々しいです。

    崖っぷちさん

    家中の書籍を処分したらスッキリしました!
    誰が書いたか分からないものを読んで感動していた自分がバカらしいです。

    新聞も中止にできたからホッとしてます。
    学会の中にいると、何かを拒否することは許されないというか、そんな雰囲気だったので勇気が必要でしたが
    自分と家族のため強い意志でいたいと思います。
    組織に対しては完全にスルーしていきます。

    これから自分らしく、平穏に生きていきます。

  11. はじめまして。私は私が産まれる前から親が創価学会員のいわゆる二世です。
    今思うと物心つく前からほぼ強制的に勤行や会合に連れ回される日々で、私は小さかったし親は若かったし末端の会員で周りの子供と合わせないとならないしで。会合で騒ぐと後でゲンコツくらったりして(その記憶は一度くらいだったと)辛かったです。
    中学生くらいになると周りの学会員の友達や担当の大人達も入り押さえつけが強くなる一方。うまくいかない事があるとなんでもかんでも信心が足りないから、題目をあげないから、朝晩の勤行をしないからだ、だからダメなんだと自分で思い込んだりして、今もそれはトラウマとなってます。
    でも心のどこかでやっぱりおかしいと思う自分がいたのは今こうして色々な
    事見て知って行くうちに、私と同じ思いをしてきた方がたくさん居るんだ、私だけじゃないと気持ちが楽になりました。そして自分の子供時代はなんて不幸で情けないものだったんだろうと。今は親に対しての憎しみも増すばかりです。
    今後はまだまだ課題が山積みですが、創価学会と関わらない人生を生きて行こうと思います。

    コメント長くなり失礼しました。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中