私が鬱になったわけ[3]

国家機密保護法案の話題で、多少創価のことから離れてしまいましたので、っていうか私が話を脱線させてしまいましたね(笑)すみません。

学会員さんと政治の話をしてもチンプンカンプンなので、文字通り話にならないですもんね。なにしろ池田センセーとお題目ですからね。私の母が若い頃には婦人部の指導で「四角い部屋をまるく掃いて学会活動に専念しなさい」と言われていたそうです(笑)。家庭のことはいい加減でいいから折伏にまわりなさいということですね。つまり今思えば「主婦だからって家庭に落ち着いている場合じゃない。ひとりでもたくさん金ずるを連れてきなさい」ということですね。そして政治はというか選挙は公明党。政治がどうのということはそれほど関心はなくても、とにかく選挙となったら公明党の票をどれだけとるかが目標でした。公明党の議員が増えれば日本の国教が日蓮正宗(当時)になるとでも思ったのでしょうか。あのころは打倒自民党でした。自民党を倒すためなら社会党とも手を組むみたいな感じでした。今とはまったく正反対のスタンスでしたね。自民と連立を組むようになってから、私の母が「公明党から大臣が出るようになったんだねえ。学会はすごいねえ」と感激していましたが「そりゃ意味が違うだろ」と心の中でつっこんでいました。

私が完全に覚醒したのは一昨年の今ごろでしたが、学会に疑問を持ったのはそれよりも何年も前でした。自衛隊の海外派兵を公明党が賛成したことや、中国のチベット弾圧にたいする学会の無関心さにはあきれかえりましたが、それよりも前に学会の選挙活動の異常さには嫌気がさしていましたし、組織幹部のカルトぶりも尋常じゃないなと思っていました。ただ、たとえ学会がどうなっても、大聖人の仏法はまちがいないと信じていました。だから活動をしなくなっても、公明党に投票しなくなっても、勤行・唱題は毎日欠かさずやっていました。何か悩みがあるときには何時間でも唱題しました。

そのうち私はあることに気がつきました。勤行・唱題という行為は、自然とヨガの呼吸法を無理なくやる方法なのではないだろうかということです。正座をして一気に息を吸い込み経文やお題目を声に出していく。それはちょうどヨガの呼吸法の基本のかたちとよく似ているなと思いました。それから意識して勤行・唱題のときは、一回の呼吸でできるだけ長く経文を読む、一回の呼吸でできるだけ多くの唱題をするようにしました。ヨガではあまり無理をしないのが基本ですが、私の場合、可能な限り一回の呼吸でどこまで経文を読めるのかを試してみました。最初は方便本・自我偈を唱えるのに5回の呼吸が必要でした。それがだんだんと能率的で静かな呼吸ができるようになり、信じられないかもしれませんが、最後には「 妙法蓮華経方便本第二 〜 (十如是三回)妙法蓮華経如来寿量品第十六 〜 速成就仏身 」までを2回の呼吸で唱えきってしまうのです。でも苦しがりながらやるのも変だなと思い、それでも3回の呼吸でらくらく唱えることができました。唱題も息の続く限り多く唱えるようになりました。瞑想と違うのは常に声を出していくことです。瞑想は自分の内面に深く入り込んで、ときには自分で自分の心をコントロールできなくなる危険さがあるようですが、常に自分から静かに声を出すことによって、つまり瞑想に入りながらも常に身体に小さな刺激を与えることによって、心の深層に陥ってしまう危険性を回避しているのではないかと勝手に思うようになりました。

私がそのようにして学会の組織からはなれ、自分独自の勤行・唱題をはじめるようになって半年ほどしたときに、私のまわりでいろんなことに変化が起きてきました。そしてその変化の中で、日蓮仏法自体に対しても客観視できるようになったような気がします。そして私は勤行・唱題をやめました。それと入れ替わるように日常生活の中で深い呼吸を意識するようになりました。するといろんな思っても見なかったことや、思いもしない方との出会いがあり、仕事やプライベートでも飛躍的に多彩な活動ができるようになりました。そして、そのころには学会はもちろんのこと、それまで疑うことのなかった、というより疑うことが怖くてたまらなかった日蓮仏法をはっきりと否定できる自分になりました。勤行・唱題をしても何も変わらない。多少気持ちの持ち方は変わるが、それはとりたてて日蓮仏法だからというわけではなく、自分の心をどうコントロールするのかという方法論でしかないということがはっきりしたのです。それからようやくネットで学会についてのいろんな情報を見るようになりました。そこでやっぱり創価学会はまちがいなのだということに確信が持てました。私は試しにコテコテの学会員のブログにコメントをしてみました。そのあたりのいきさつはこのブログの最初に書いた通りです。

https://signifie.wordpress.com/2011/12/06/シニフィエのブログスタートです。/

いまでもその学会員のブログはあるようですし、あいかわらず完璧に洗脳されまくって、都合の悪いものには蓋をし続けているようです。かわいそうだなとは思いますが、本人が気づかない限りはしかたがないと思います。

私が若い頃に創価学会員だということで彼女の親から結婚を反対されたということを理由に、私の方から離れていった彼女から突然電話がかかってきたのも、ちょうどそのころでした。そのときは電話だけでしたし、お互い1000kmも離れたところで幸せな家庭を築いていることがわかって安心した二人でした。そのことはこのあいだここに書いた通りです。しかしその半年後に、彼女が突然私の目の前に現われました。まさに30年ぶりの再会です。状況をくわしく書くと、私の素姓がばれてしまいますので書けませんが、とにかく彼女は突然私の目の前に現われたのです。

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私が鬱になったわけ[3]」への2件のフィードバック

  1. 脱会するまで、日本が唯一の被爆国だと思ってました。
    でも、インターネットで、東トルキスタンで中国政府により、約50回もの核実験がなされていたという事実を知り、愕然としました。
    世の中には、こういう悲惨なことが世界中で起きてるのでしょうね。

    こてこての学会のブログ記事を、ちょっとだけ拝見しました・・・。
    なんとも見事な創価学会員っぷりで、さぞや池田先生も賞賛するようなブログですね・・・。
    異論を唱える学会員を、ことごとく「工作員だ!」と攻撃するところとか。
    テレビCMの平和主義的なカモフラージュに隠された本性と言いましょうか。

    という私も脱会する前に、ネットで学会の問題点について投稿した経験があります。
    私も学会の同志の皆様から、それはもう大歓迎されまして、「お前は偽学会だろ!」「成り済ましめ!!」「ニッケン宗!!」と罵詈雑言の嵐。
    泣けましたよ。これが学会員の同志なのかと。
    でも、なんとか学会員であるということを信じてもらったのですが、罵詈雑言を詫びる人は誰一人いない。
    正義だから当然みたいな態度に、失望しました。

    今も思うのですが、正義以前に「人としての礼儀」も信心のためには失くしてしまうようです。
    そんな彼らも、ネットを離れた社会では、普通に良い人で生活してるのでしょうが、ネットという匿名性のある世界では、本性が丸出しになるのかな。

    シンフェニさんの昔の彼女との再会が、普通に恋愛問題がぶり返して云々ではなさそうなので、読みながらドキドキしてます。

  2. 最近は、政治の話題で盛り上がっているので、創価問題から離れてるように思います。
    はっきり言うと、学会:公明党は現実路線です。普通の国民側に立ってるかも。

    秘密保護法案の話題から、創価学会問題になるまで、私はしばらくこちらをお休みいたします。

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