いよいよ年末となりまして、私も仕事がのっぴきならない状態になってきました(笑)。仕事は山積みだわ、やる気になれないやら、鬱にはとてもつらい季節です。でも仕事ですからやらないわけにはいきません。寝不足と偏食と仕事自体のプレッシャーが毎日積み重なっていきます。発病する前は、どんなに過酷な状況でも、まわりがあきれるほどなんとかやり通してきたのですが、鬱というやつは、気持ちに逆らって何もしたくなくなるんですね。これ、なってはじめてわかりました。これって気の持ち用なんかでどうにかなるもんじゃないです。ひどい時は三日三晩部屋に籠もりっきりだったりします。およそ社会人じゃないです。で、結局それもとばっちりが全部自分に返ってきます。不思議な病気です。はやいとここんな自分から抜け出したいと思いつつ、はや2年になろうかとしています。

ここにコメントしてくださっている方も、創価から覚醒したけどメンタルな部分がうまくいかないという方も多いみたいですね。それなりにいろんなな形で克服しようと努力されていることを知って、私もとても勇気づけられます。顔も名前も知らないけれど、同じように辛い思いをして、それに前向きに頑張っている方がたくさんいらっしゃるんだとわかっただけでも、とてもポジティブになれます。「鬱は心の風邪」なんて気休めがありますが、そんなもんじゃないと思います。私なんか軽いもんだと思います。ネット上では限界があると思いますが、この場を通じて、創価の問題を明らかにしながら、ひとりでも多くの方が立ち直っていただければと思います。私も頑張ります。どうかよろしくお願いします。

」への29件のフィードバック

  1. 初めまして、不信心者wの二世です。曼荼羅は自分で破り捨てました。

    二世の方は鬱になる方が多いと思います。
    手の届きようもない目標(広宣流布、自行化他etc.)を外部に設定され、
    そこに到達できないが故に(当然なのですが)自分自身を責めてしまう。
    功徳(飴)と仏罰(鞭)で世界の限界を定められて、自分自身を縛ってしまう。

    真面目な方ほどそうした軛から逃れられず、
    落ち込んで行かれるのだと思います。

    自分にも少なからず似た経験がありますが、「鬱は心の骨折」というのが適切だと思います。

    薬物の勧めではありませんが、抗不安剤を使うという方法もあります。
    「デパス」やそのジェネリックの「エチラーム」など今は色々と安価に手に入りやすくなっています。
    自分はエチラームを時々服用しています。

    ご参考までに。

  2. メンタル面を壊すとなかなか治らないですよね。
    実は私も調子を崩していました。
    ストレス発散で始めたコーラスで、です。
    団と先生の対立の間に挟まって悩みすぎて・・・。コーラスの問題は解決したのに、私自身は精神的にぼろぼろになってしまって、先日、とうとう病院に行きましたよ。
    自分のことだけ考えてりゃ気を病むこともないのでしょうね。
    もっと自己中に生きないと!と、開き直りました。
    それにしても薬の副作用で眠いのなんの・・・。

  3. 創価のおかしさに気づいてから、私は特に精神的にどうこうはなかったです。
    小学生の頃から植えつけられた価値観が変わったことは確かですが、これを機に、物事を多角的にとらえるようになれたのが最大の収穫でした。よい経験でしたわ(^^)
    グジグジ後悔せず、冷静に分析すると納得がいって、むしろさっぱりしますよ。

    冷静に創価を見た時、教学はもとより、考えたのは財務と選挙についてでした。
    財務って寄付のことですよね。
    追及すると、幹部は「真心よ!自由よ!それだけよ!」と頑なに言い張ります。はい真心と自由なら完全に寄付に違いありませんね。
    でも実際は「ご供養」といいます。選挙はただの選挙とは言わず「法戦」といいます。
    ようするに、これはただの寄付ではありませんよ。これはただの選挙ではありませんよ。一切が信心なんです。戦えば功徳がありますよ!(やらなければいつまでも貧乏よ)ということをガンガン注入するわけです。

    ただの真心で、みんなあれだけの額を振り込みますか?わざわざ檀上に上がって決意発表、体験発表なんかしちゃって。
    ただただ政治に熱心なあまり、名簿を見ながら片端から電話をかけて、熱く政策を語り、ついつい他人の選挙権にまで干渉しちゃったわ…なわけないでしょ!

    寄付というのは、金額も自由で当然見返りなど求めず、名もつげずひそやかにやるものです。
    選挙というのは、政策を見て、各自が自分の意思で投票するものです。それ以外意味はないです。

    「この選挙戦に、アナタの宿命を賭けるのよ!」ってちょっと、政治家の政策とアナタの個人的な悩み、どう関係あるわけ?

    みんな頭の中は功徳欲しさでいっぱい、解決したい悩みでいっぱい。中には先生にお応えしたい!なんて本気で思ってる人もいましたが。
    自分の倫理観も客観性もあったもんじゃない。

    集金と政治の権力に信仰心を利用する……これはどう言い訳しても、あくどいです。
    今思えば信仰心?これも怪しいですけどね。信仰心ってこんなあさましいものかしら。
    あさましいことを教え、あさましいことをしている団体…残念ながら、冷静に見るとこんなとこかな。

  4. つい今しがた内田樹氏がツイートされました。
    『AERAのエッセイには「戦争ができる国」について書きました。国家安全保障会議関連法と特定秘密保護法で、緊急事案については内閣総理大臣が「迅速・適切な対処」を指示することができ、その過程でどういう情報が上がり、何が議論され、何が決定されたか、僕たちは「かやのそと」になります。たぶん「次の戦争」が始まるとき、それは「東シナ海沖にて某重大事案が発生し、内閣は迅速かつ適切な措置を講じ、ただいま交戦中」というニュースを「大本営発表」として聞かされるというかたちになるでしょう。首相が戦争をしたがっていることは10月の自衛隊観閲式での式辞からもわかります。「『防衛力はその存在だけで抑止力になる』という従来の発想は捨て去ってもらわなければいけない」と彼は言いました。従来、抑止力は「相互確証破壊」をベースにして「存在するだけで機能する」ものとされています。でも、それは核抑止力に限るものであって、通常兵器による戦争では「適宜行使することではじめて抑止的に機能する」と首相は考えているのでしょう。完全にアンダーコントロールにあり、好きなときに始められ、好きなときに止めることのできる戦争。非戦闘員が死なず、都市も破壊されない戦争。始まると翼賛的世論が盛り上がって、内閣支持率が跳ね上がり、反政府的世論が抑圧され、軍事産業関連株価が急騰する、そんな「おいしい戦争」を首相は夢見ているのでしょう。わずか二度の国政選挙で、それも「民主党にお灸を据える」とか「決められる政治」とか「ねじれ解消」とかいう日常語でだらだらと政治を論じているうちに、政治過程が日常生活そのものを脅かすところまで肥大化してしまったのでした。政治を日常感覚でコントロールできると思ったことの帰結です。』

    これからもわかるように、日本の首相は世界の投資家の金ずるとして利用されているに過ぎないと思います。中国をあおり、韓国をあおり、中東やアフリカ諸国をあおり、国家間の緊張をつくりだして世界中の軍事予算を跳ね上がらせるために動かされている。自民党も公明党もそのための駒に過ぎない。私たちは政府の高官でも防衛庁の官僚でも軍事アナリストではありません。私たちは戦争のない平和な日本の社会に暮らす権利を与えられている名もない一市民として、未来に尊い命をつなげていく大人の責任としての言動をするべきだと思います。保護法案に関することについては、これで終わりにします。いろいろなご意見をみなさまありがとうございました。

  5. モニカさん、ナイス(^_−)−☆です。。
    毎回、投稿の切れ味が良くてスカッとします。。
    ほんとうに、そうだそうだと思います。。

    わたしは、脱会をするまでは、まだ楽チンでした。。なんか、創価学会と違う世界が目の前に次々と開けてきて嬉々としていました。。

    でも、キチンと脱会してしばらくして、いろいろと喜怒哀楽があり、それらの至難を南無妙法蓮華経のお題目にも依らず、誰かに指導を受けるわけでもなく、ただ独りで黙々とそれに向き合うことは、いままで創価学会にどっぷり依存してきたわたしには、あるときはキツかったですよ。。

    でも、いまはやっとそれを乗り越えた感じかなあ。。
    だからいま、非カツの方々も、まだ基本的に組織に護られていると思ってくださいね。。たとえ組織にカミングアウトしていても、組織を批判していて問題視されていても、まだ組織に護られているのですよね〜。。

    そう言わざるを得ないくらい、カルトの洗脳は怖ろしいのですね。
    これからも心を病む人は、どんどん出てくるでしょう。。
    そういう意味でも、このような場は、とても必要だと想います。。

    わたしも、母が創価学会に入会したのが、わたしが7歳くらいで、それから母の後をついて会合に出て、お題目もあげてて、そして高校生の時に兄弟と共にご受戒を受けて脱会するまで半世紀近く創価学会に素直にやってきた人なので。。

    でも、唯一言えるのは、バリ活のような非常識なことはしてこなかったかな、と思うので。。(そんなに無理に人に勧めたりしないヘタレだったので。。)それだけは救いです。。

  6. fkさん、コメントありがとうございます。

    >曼荼羅は自分で破り捨てました。

    すごい思い切りようですね。盲信者にしてみれば身の毛もよだつ話ですが、その後に悪いことどころかなんの変化もないことをはっきり言ってあげれば、少しは正気に戻る人がいるかもしれませんね。毎日ただの紙切れを拝んで幸せになるんだったら世界中のみんながやってますよね。単なる紙切れを拝まされて、いつのまにか大変な額のお金をとられて、政治に利用されているんですからね。

    >「鬱は心の骨折」というのが適切だと思います。

    とっても納得しました。私の場合、心のどこかで「ポキッ」っと音がしたみたいに折れちゃいました(笑)。

    私の場合、薬はサインバルタ、ソラナックス、レメロンを飲んでいます。レメロンを飲むと14時間眠り続けるので、仕事が忙しい時は飲めません。飲まなかったら先生から怒られちゃいました。他のはともかく、「これはちゃんと飲まなくちゃね」って。でも目が覚めて夕方だったらショックですよ(笑)。

  7. 流れ星さん、ありがとうございます。
    実物も切れ味よくて、スカッとしてるんですよ(笑)

    私もたまに聞かれます。やめたはいいけど、今後は何を心の支えにするの?

    創価でいろいろな人を見てきて、一つだけ学んだことがあります。それは「感謝と確信のある人は強い」ということです。それから自分なりの生死観です。
    だれもがそれこそが欲しい。洗脳など関係なく、創価など知らない人でも、等しく同じにです。どんな時も感謝と確信を持てるモチベーションがあれば、人生こわくない。
    お経やお題目そのものではなく、これが幸、不幸を左右するんだろうな、と思います。

    だからたとえトンデモ教でも、心底信じて常にそれに感謝している人は評価します。決して人の悪口を言わず、人生を本当に楽しんでいるなら。滅多にいなかったけど。

    私は創価でそれが持てなくなった。だからやめたけど、感謝と確信の持てる生き方がしたい…それは忘れず考えていきたいと思います。

  8. シンフェニさんへ
    「保護法案に関することについては、これで終わりにします。」と何度か聞いたように思います。
    本当に終わりにしてくださいね。

  9. おはぎさんへ
    保護法案に関して私が終わりにしたいと書いたのは、このブログの本題から話がずれていって、個人の政治的な考えについての議論になっていきそうだったからです。私はあくまで創価学会員が自分の考えもなく公明党を支援していることの「おかしさ」を話題にしたかったのであって、おはぎさんがお話している保護法案自体に関して左翼が煽動していることなど何の関心もありませんでしたし、話題にするほどのことでもないと何度も言いました。保護法案が国会で可決したことは、自民・公明による憲法改正へのとっかかりです。これからもっと露骨に「愛国心」を表に打ち出しながら都合のいい法律をどんどん作っていって軍備を増強していくでしょう。それは「自民がやりたいこと」ではなくて、「自民がやらされていること」なんだとも。その動きに創価学会員がこれからも無批判に公明党を支援し、自民の思う壷にはまっていくことになれば大変なことだと思います。創価学会員は自分たちが知らないうちに日本をそんな国にしているということに気づかないでいることが問題だと思います。ですから、私は最初からそうしたことの問題を話題にしたかったのであって、その問題に関してはこれからも話題にしていきたいと思っています。
    はっきり言いますと、私が終わりにしたいというのは、法案への反対運動と左翼を関連づけて、反対している人たちがみんな左翼に煽動されているかのようなことを繰り返すおはぎさんの話を終わりにしたいと言いました。ここではおはぎさん以外に誰も左翼や革マルがどうしたこうしたという話はしていません。ほとんどの人にとって取るに足りない話ですし、もちろん創価とはなんの関係もない。ですからそんな話はやめにしましょうとおはぎさんに言い続けてきたつもりです。callさんやねこちゃんさんがおっしゃるように、法案には反対しているけど自分たちまで左翼と同じにしないでくださいと言われているではないですか。世論調査でも少なくとも国民の6割(共同通信では8割)は法案反対とはっきりしています。それと左翼は関係ない。たとえあったとしてもここで話題にするようなことではないと思います。どうかご理解ください。

  10. signifieさん、私も産前うつになったことがあるので、うつの辛さわかります。めちゃくちゃ辛かったです。
    生物的に生きると言うことにやる気が出なくなるというか。普通の病気だったら、生きたいとは思えますので、そっちの方がましなのかもと思ったほどです。
    夕方泣きたくもないのに涙が出てきて。
    私はアレルギー体質で、結婚後ひどくなり、たくさん本を読みあさった健康おたくなので、その勘で、そのときは家にあって忘れられていたハーブのカルシウム剤を飲み、すごく楽になりました。妊娠中で、栄養が足りていなかったのでしょう。今では、全ての病気は栄養不足と運動不足とストレスだと思っています。
    油も脳神経を正常に動かしていくには、すごく大事です。私は、揚げ物にまでオリーブオイルを使うようになってから、
    5年以上たちますが、ひどいアレルギーがでなくなりました。ビタミンBも必要なので、白い砂糖やパンは消耗するのでだめです。酵素をとるために生の食べ物も3食食べてください。みかんでもいいんです。
    それと、精神薬で軽いうつも飲めば飲むほど本格的になってしまうそうです。今はしょうがないですが、やめる方向で思ってらしたほうがいいと思います。身体にとって、不自然なこと(昼夜逆転や添加物と食べるなど)をしなければ、自然治癒力が働いて、身体は絶対にこたえてくれます。洗脳されきった医者より自分の力を信じてください。
    signifieさんが、変な生活をしてるみたいに聞こえて、失礼ですね(汗)そうではなくて、子供でも私のような主婦でも、
    よっぽど気を使っている人以外はだれでも同じ状況だと思います。資本主義の犠牲です。
    このコメントは信心と関係がないので、非公開でも結構です。

  11. 創価学会は公明党を立ち上げるために作られたのですか?……
    だとしたら、うちの母の純粋な信仰心はなんだったのでしょう……

    いま娘の通う学校ではクリスマスシーズンで、教授陣や外部の人も交えてお祈りの話があるそうです。
    創価学会で婦人部の地味なおばさんが静かに体験発表を語る座談会の雰囲気は好きでした……
    昔の信心とは遠いところにいってしまった
    いまの学校では子どもたちが皆の前でプレゼンする機会が多くなりましたけど

    鬱になることが、創価学会を抜け出すきっかけなら
    皆さん、仕方ないです……盲目的に踏みとどまるよりマシなはず
    外部の世界はしんどいけど、ずっとリアルで捨てたものじゃない
    学会は時の流れから置いてかれつつある…

    お仕事ある方はほんと辛いですね、申し訳ないです
    鬱にはレタスがいいそうですよ!と新書で読みました
    まえに主人がベランダで作ったとれたてのレタスを食べたら、
    ほんと生の命をいただいた有難う…って感じですっきりした。
    いまは買ってばかりだけど、食事作りのときパクってつまむと回復します。
    野菜洗うの手間かかるけどお金かからないし、オススメです

  12. りこさんのお話し、とてもよく分かります。。
    わたしも最近、食育というか食べることで元気になろう、というか食生活がいかに大切か、というような活動をしている方と知り合いました。

    その方のお話ですと、鬱病も食べるもので改善することができる。。
    鬱病は、脳の伝達物質、セロトニンの働きが弱るということがすでに分かっているらしいのですが、その働きを良くする食品を摂るように心がけるといいらしいです。。

    アメリカでは、鬱病患者さんもお薬を処方するだけでなく、食生活の指導から入るようですよ。。

    油が、まず問題で。。特にマーガリンやサラダ油などはNGで、オメガ3のαリノレン酸がいいようです。。
    DHA、亜麻仁油、エゴマ油、インカインチオイルなどがベストなようです。。

    それから、酵素がいいようです。
    なんか、りこさんのお話しを繰り返しているようで申し訳ないです。。

    日本のお医者さんは、すぐにお薬を処方して、黙っているとお薬は、どんどん増えていくばかりで、お医者さんのほうからお薬を減らしましょう、なんて大抵は言わないですよね。。

    わたしは、メディカルハーブやアロマテラピーなどのお勉強もしたのですが、これからは、セルフケアの時代だと想います。。
    自分で自分の心身を上手にケアするために、薬品に頼らずに自然のものを利用したり、食べるものでケアする。。大事ですよね。。

    14時間も眠り続けるお薬、お仕事をしている人に処方するなんて、そのお医者さん、なんか違うように想う。。
    そのお薬は、次の日がお休みの日に飲むくらいでいいように思うけれどなあ。。

    特定秘密保護法ですが、わたしも左翼ではありませんが、いつかデモに参加したいくらいでしたよ。。
    体力がないので厳しいけれど。。

    何かというと、左翼とか韓国や中国と一色たんにして話す人は、正直言って苦手です。。
    きっと、そういう人は、そういう情報ばかりを好んで選んでいるのだと想うなあ。。

  13. 連投失礼します。
    が、この際はっきり言わせて頂きます。

    創価によってここまで悩み、苦しんで、脱会してもなおその呪縛から逃れられず、鬱にまでなってしまう人がこんなにいることに正直驚きました。
    創価で救われた人がいる反面、ここまで苦しんで、家庭や身体を壊している人たちがいることを、活動家及び幹部の人たちは真摯に知るべきです。
    自分たちは絶対正義で、どこも悪くない。入会すれば、100%誰もが幸せになれる。
    誰にもどんな悪影響も及ぼしていない、などとうぬぼれてはいけません。
    正しいつもりでいても、現実に苦しんでいる人、不快に思っている人、迷惑がかかっている人がいたら、それが正義と言えますか。
    創価の教科書に書いてあるからと、そういう人たちを切り捨てて平気ですか。

    そんな団体、誰も好きになってくれませんよ。

  14.  抗うつ剤、抗不安薬など、私は二十年弱お世話になりましたが、鬱の症状が、よくなっても、少量のくすりが、再発防止に、必要と言われ続けいつまでたってもやめれないので、ネットや本などあらゆる情報を集めました。私の場合ですが、ほかのかたもかかれていましたように、ひとつは、栄養不足からくる鬱病もありました。食事指導をきちんとしてもらえる医療機関で血液検査をしてもらった結果、極度の貧血と、タンパク質がたりていないなど、食事の改善をしつつ、生活の改善とともに薬も減らしていきました。抗不安薬や、抗うつ剤をやめるときの、離脱がしんどかったですが、服薬してもよくならない鬱だったので、薬が増えていくだけで、症状か、副作用かわからなかったです。ほんとに、廃人でした。そして、なにが鬱の原因か探り、ウンセリングを受け、今、現在にいたります。私のコメントはシニフィエさんのブログの趣旨からはずれると思いつつかいてしまいました。すいません。

  15. ヒトんちの曼荼羅を、勢いあまって破り捨てそうになる衝動を、日々必死に抑えているぱこです。(ごめんなさい)

    幸せの青い鳥様。
    コメント、ありがとうございました。
    ぱこは、このブログの存在に助けられ、なんとか生き延びています。
    そして、幸せの青い鳥さんと出会わせてもらえたことを、ずっと感謝していました。
    私は信仰をもちませんが、幸せの青い鳥さんと同じように、いつも「祈って」います。

    「何があっても一緒に生きたい」と思った彼が、学会員であると気がついてしまった後、涙がかれた夜に開いたパソコンで、私が最初に検索した言葉は「愛したひとが学会員だったら」でした。
    あの日の気持ちは、このあとどんな進路になろうとも、いくつ年を重ねても、決して薄れることのない染みとして、こころにべったりと残ると思います。
    「何があっても一緒に生きたい」と思ったくせに、「学会員であっても、一緒に生きる」ことが、自分にはできるのか、正直なところわかりません。
    「創価だから嫌」という思考ではなくて、「愛する人達が騙されている」のを見てみぬふりして、受容して、生きることができるのか、ということです。
    それは、学会員の方や学会にまったく関係ない外部の方には、想像などできない、また想像なんてする必要もない、過酷な道なのではないかと感じています。
    今でさえ、涙のでない日は一日たりともない。水みたいによくでるもんなのですねー。
    少し前に「仏壇と聖教新聞に中指たててる」私に、シニフィエさんが「ナイス!」といってくださったあたりで、電車の中なのにどばーっと泣きました!

    「創価脳」という病に罹っていて現在闘病中、という具合に、発想をくるりと変える?と少し楽かな、と考えることもあるのですが。
    愛する人と会うときには、抗不安薬が必要……(この件があってから人生初で服用していますが、軽めの依存性も少ないもので、さっぱりした効きめが大変よい)
    ……なーんて、おかしな話ですが、これも、避けようがなかった恋と、育ってしまった愛を、手放せないできた結果(もしくは過程)なので、しかたがありません。

    使い古された言葉ですが……
    「人は死ぬときに、愛したことを思い出すひとと、愛されたことを思い出すひとに分かれる」という小説の一説があります。
    私はずっと後者でした。
    愛されたことに決まってるじゃん、って思っていました。
    しかし、今は(というか……今後ですが)、死ぬときに「走馬灯を回すような」時間の猶予が与えられる場合、私は必ず「愛したこと」を強烈に思い出すでしょう。

    私は自分が「正義感のようなもの」がある人間だとは思っていません。
    しかし、今、愛するひとやその家族が騙されていることが、苦しくてしかたなくて、「搾取している側」をやはり憎んでいると思います。
    「何の迷惑もかけてない」「悪いことなんてしてない」「助け合ってるだけ」「信仰があるだけ」
    なのに、なんで?なんで受け入れてくれないの?なんで泣くの?
    ……と問う、子供みたいな瞳に、答えてあげる言葉は見つからないのです。
    「あなたが騙され続けていることが、これからも騙されつづけていくことが、死にそうに苦しいの」なんて、いえない。
    彼の人生や、彼が愛する家族の人生までをも否定なんてしたくないし、するわけにはいかないのです。本当は、しっかり受け止めてあげて、応援してあげられたら、(そのような組織だったら、反社会的な組織でなかったら)どんなにいいか。
    まるで、生き埋めですね。
    そういう自分をふり返りつつ、シニフィエさんの、静かで、整然とした、忍耐強い、対話のすべてに、ただただ感服するのです。

    寒い雨の夜だからでしょうか。
    創価の話、というよりも、個人的な恋バナになってしまいました。(いつもか!?)

    P.S ねこちゃん様
    メッセージボードとカイロとキャンドルもって、隣同士しずかに座ってた、なんてこともあったかもしれないですね。
    私はああいった行動で「何かが変えられる」と楽観視などしていませんが、「その場にいることそのもので、意思表示をさせてもらっている」「意思表示の場を持てる」、それはありがたいかなぁと思っています。反○○の歌も歌えず、評論も書けず、朝生にも出られず、他者に向かって何かを訴える術のない私にとっては、じっとそこに立つことでも少し気持ちが楽になったものです。
    余談ですが、行動に来られているかなり気さく?な感じ(笑)のお坊さん方と、他愛ない?会話をする機会がありました。「南無妙法蓮華経」の黄色い旗がパタパタするのを見ながら、日蓮にいいたいことや聞きたいことがフツフツと湧いてきて、夜の冷たい空気を思い切り吸い込みました。

  16. 精神分析で学んだ今までの価値がひっくり返ったことの一つに
    正義は存在しない、良い悪いもない。ただそうなんだということだけ。というもの。
    幸せの形は無限にある。世間から批判されるようなことであっても、それをしていることが幸せだと言う人も現実にいる。
    その人がそれを選び、やりたくて、そうしてる、ただそれだけだと。
    善悪とはだれが決めるのか、世間?ルール?世間とは何?ルールは誰が決めたもの?
    時代が変われば善は悪になり、国が変われば悪は善となる。相手が変われば。。。
    価値観が違えば、それは違って当たり前なのだと。

    私はこの世には正義がある、善悪があると当たり前に思っていました。最初は、受け入れることが難しいと思いました。
    しかし、徐々にですがこの考え方、理論を受け入れた時、創価への怒りが少しずつ無くなっているように感じます。
    怒りは争いを産むので、手放すことがじゅうようですよね。

    愛する人であっても、境界線はある。
    それは超えられない。融合することはできない。
    その線を越えられないことを嘆き悲しみむことは、意味がないと悟りました。

    人を愛すると言うことは、相手を知り、受け止めると言うこと。
    自分の愛を相手に受け取らせることではない。
    相手を変えることでもない。
    ただ、そうだね、と一緒に生きていくこと。

    人はどんな人も仏性があると創価で教わったことは、私は信じており、精神分析でも仏性という言葉は使いませんが
    その人その人の真実があると考えます。

    ぱこさんへ
    毎日泣いているのですね。それでも彼と離れることはできないのですね。

    ぱこさんにはぜひ、カウンセリングの考えと技法を学ばれることをお勧めしたいです。
    それは、彼を覚醒させるためでなく、ぱこさんの心が壊れないためにです。
    この先も彼と死ぬまで添い遂げたいと言うのが、ぱこさんの願いであり、真実の気持ちなのであれば
    彼が死ぬまで創価であるかもしれないことを受け入れる覚悟が必要で、またそれにぱこさんが一喜一憂しないような心に
    鍛えていくことが必要であると思うのです。
    同じところにとどまり、毎日同じ悩みを繰り返していると、彼もぱこさんを幸せにできないと思い込み
    離れて行ってしまうこともあるかもしれない。
    だからこそ、彼とは切り離し、ぱこさん自身が幸せを感じていることが必要だと思います。

    彼がぱこさんを折伏せず、創価の話を一切しないでいてくれたら、ぱこさんは今より穏やかになれますか?
    彼が創価を止めてくれたら、ぱこさんの恋への不安はすべて解決されますか?
    彼が騙されていることが、人生における最大の汚点であり、悲劇であると思うなら、たとえ別れる選択が待っていたとしても
    彼を目覚めさせるため、なりふり構わず、思いの丈をぶつけようとは思わないのですか?
    彼を傷つけたくない、否定したくないというのは、同時に自分自身のことを彼に否定されたくないと言う思いの裏返しではないですか?

    ごめんなさい。内省といいましょうか、彼に抱いてる気持ちは、ご自身に向けられているものではないかと感じたので。
    表現がうまくできないのですが。
    私が身を焦がして愛しているのに、彼はその思いをわかってくれていないというのが、根本にあるのかなと感じました。
    創価に騙されてる騙されていないということも、ありますが、愛情のベクトルが違っているところに苦しさを感じていると言うことはないですか?

  17. 話は変わって
    創価学会での活動にはまる人について、時々考えていますが。
    洗脳。マインドコントロール、それだけではないと私は考えています。

    やはりそれがないと生きていけないような、その人自身の中に問題がひそんでいる。
    そのために、宗教活動のような絶対だと思えるものを(内容はどんなものであっても)取り入れて行かないと
    生きていけないのではないか。
    育ちの問題もありますが、二世三世であっても、同じ兄弟は全く微塵も信じてないと言う場合も多いですよね。
    同じような洗脳をうけているはずなのに、洗脳される人とされない人がいる。

    創価に一度でも惹かれたような人はたぶん創価が世のなかから無くなっても、他のなにか絶対だと思える信じられるものに吸い寄せられていくと思います。
    新興宗教から新興宗教へ渡り歩く人が多いと聞きますが、宗教ではなくても、何かの思想に傾倒したり、よりマシだと思われる団体に所属してみたり、色々すると思うんです。
    私の場合は精神分析なのかなと思います。
    もともと、人間とはなにか?人間自身に興味があるような場合、創価思想(金儲けのためのまやかしですが)にはまりやすいタイプの一つと思っています。

    創価にはいろんな人がおり、精神性も多様だと思います。一概に創価のひとはこう、とは言えないですよね。
    行動は同じように見えても、内面は色々だと思います。
    創価は言葉を統括するので、その独特の言葉に操られてしまうのでしょうが、創価語の捉え方もさまざまです。

    言葉に付けられた意味は、千差万別です。同じ言葉でも喜ぶ人もいれば死にたくなる人もいる。
    自分の頭に張り付いている言葉の裏に、どんな思いが隠されているのか。
    創価で苦しむ人は、誰にどんな時言われた言葉で苦しいのか、その言葉を初めて聞いた時自分はどういう状況にいたのか
    思い返してみると、その言葉の呪縛から解き放たれるヒントがあると思います。

    自分の置かれている状況が変われば、言葉の持つ意味を変えて行かねば生きにくくなります。
    言葉の意味を書き換えていくことが、成長することにもつながると、最近感じています。

  18. シンフェニさんへ
    事実、マスコミなどは世論操作もしていますよ。
    それを煽動されてないと思うのは、冷静に見てる人からみれば「煽動されてしまって」と思うのは最もなことなのです。

    愛国心に対する過剰な反応をされるシンフェニさんのコメントからも感じられます。
    左寄りです。愛国心の何がいけないのでしょうか。理解できません。愛国心のない外国人によって政治が動かされようとしている危険な状況なのに。

    どうやら、このブログはアンチ創価ブログでも、左派アンチという分類になるようですね。
    私には理解できないコメントが多いので、私の趣味ではないという感じです。残念ながら対話不能ブログです。

    でも、左派よりになった内部アンチの方々を引っぱる力があると思うので、そういう意味では活躍が期待しております。
    願わくば、皆さんの声が公明党に届き、自民党に寄生し続けるのをやめていただけたら幸いです。

    それでが失礼します。

  19. 連投すみません。
    財務について、さまざまな情報をしり、「騙された」「詐取された」「くやしい」と考えていました。
    しかしながら、本当に私は騙されて財務をしていたのだろうか?(創価がの財務が素敵と言う意味ではないです)

    どんな思いで財務をしていたのか、自分の過去へ遡ってみました。
    人の行動は、他人から言われたからそうやったように見えて、実は自身の無意識の働きであると学び、私にはどんな無意識が眠っているのか知りたくなったのです。

    一つは、財務=生きていくうえでの安心料という考えだったと、思い出しました。
    つまり財務が高額であればあるほど、自分自身の不安が大きかったと言うこと。
    結婚直前と結婚直後に、多額の財務をしたのは、結婚と言う喜びと不安の入り混じった時期に、その不安を払しょくするための保険料みたいなものだった。
    しかも、掛け捨ての(笑)
    財務を支払うことで安心して暮らせるのであれば、安いものという考えだったのだろうと思います。
    幸せはお金では買えないということは、根本的にわかっていなかったのかもしれません。
    この価値観はたぶん母親の物です。

    アンチ創価でも財務を辞められないのは、組織の目が怖いとか、波風立てたくないというのは表向きで、実はぬぐいきれない不安があるからやめることができないという人もいるのではないか。

    その不安や恐怖はどこからくるものか、創価から植えつけられたものだと考える人がほとんどのようですが
    はたしてそれだけなのでしょうか。
    創価にお金を使わなくても、他のものにつぎ込んでしまっただろう。
    要はどっちにころんでも、そのお金はもう手元には無くなっていたであろうと、確信しました。

    もう一つは、自分は道徳的な高尚な人間だという、「積極的自己呈示」のために財務をしていたということ。
    要は、見栄と偽善です。
    池田氏の勲章がお金で買ったものだと知ったとき、お金で買ったことのショックよりも、どこへ払ったものかが気になりました。
    どこかの大学への寄付や恵まれない国や地方への寄付であれば、私の財務は自分の目的とも十分あっており
    納得できると思ったのです。
    池田氏がその見返りの勲章が目的だとしても、使った先で相手が幸せになっているなら、良かったと思えたのです。
    (誤解なきよう、勲章目的っていうのは浅ましいと思いますよ。それを笠に着てるなんて愚かしいとは思います)
    また、創価学会のために使ってほしい、創価学会員の方が快適に活動できる施設のため(要は自分のため)に使ってほしいという思いもありました。

    結局は、ご供養なんていうものではなくて、自分自身のため、自分の善意(今思うと偽善です)の向けどころ、なんとなくある漠然とした不安解消のためにしていた財務であったのです。(私の場合です)
    自分を保つために必要な要素であったのだと思います。

    私の主人も、もともとどこか寄付活動をしたいというような願望がありました。ボランティアにも興味があったようですが、仕事しながら楽してできるものなどなかなかなく、何もしないままだったようです。
    そこに創価の財務があり、簡単に自分の社会奉仕の欲求が満たされると感じたのでしょう、喜んでやっていました。
    惹かれあった男女です、私と同じ精神性が彼にもあったようです。
    現在は、フランジャパンというところへ寄付しています。(これは主人がやりたいと言ったので)
    「自分は優しく、他人思いで、困っている人を助ける人間だ(そうあるべきだ)」という、自己概念があるために、自分の道徳的評価を高めたくなりどこかへ寄付したくなるのだと思います。
    私も同じくそういう欲求があり、そのフランジャパンへ寄付することで、その欲求を満たしています。

    財務についての振り返りを終えて、詐取されたという怒りが収まりました。私にとっては詐取されたのではなく、好んで自分のためにやっていたということです。
    現在は考えが変わり、使い道も変わった、ただそれだけということです。
    なにか参考ヒントになるかもと思い、書かせていただきました。

  20. はじめまして、J(30代男)と申します。
    学会員との恋愛、結婚について、自分の経験が多少なりとも参考?に
    なるかと思い書かせていただきます。

    自分は20代前半(12~3年前、大学生)で彼女(2世)と出会い、入会して、その後結婚。
    数年後、子どもが生まれると同時に、子どもも入会。
    自分は入会はしたが、学会と池田じいさんに対しての印象は一言で「キモイ」
    なにより、会ったこともない、何を言っているかよくわからないようなじいさんを、皆で「先生、先生」
    これが一番生理的に受け付けないものでした。
    結婚ののち、2度の引越しがあり、その都度、妻は婦人部に嫌な思いをさせられ、組織に対して違和感を
    いだきはじめました。
    そんなきっかけもあり、少しずつ学会のおかしなところを伝えていく中、
    昨年末、新聞購読をやめ、今年に入りようやく家族で脱会。
    しかし、妻は組織はおかしい、けど先生は正しいという考えだったため、
    「池田じいさんは、ただの頭のおかしい、極悪人だよ。」ということを理解させるのに苦労しましたが、
    先月ようやく理解してもらうことができました。

    自分の場合でいけば、彼女が信じていることを、自分が先に受け入れる(形だけでも)ことで、
    同じ土俵に立つことができて、自分の言葉がまっすぐ妻に伝わるようになったんじゃないかと思います。

    思い返せば、付き合っている時(まだ未入会)、学会のおかしさを主張しても
    「学会のことを知らないくせに、学会のことを悪くいうな!」という主張しかされなかった。
    学会員の場合特に相手の土俵に立たなければ言葉は伝わりづらいように思います。
    相手からこちらの土俵に上ってくることはまずありませんでしたからね。

    今現在、相手が学会員だからという理由で、恋愛、結婚に悩んでいる方がいらっしゃるなら、
    こんな形もあることを知ってもらえればと思います。
    お勧めできる方法ではありませんが…

    あなたの想いはいつか必ず相手に届く!

  21. Jさん、すばらしい!

    まず相手を尊重する。これが大切なんですね。残念ながら創価(特に2世、3世)の人は、自分が絶対正しい、他のみんなは知らないだけだと思いこんでいるので、まず相手をわかろうとしません。

    私も主人は未入会でした。学会も嫌いでした。だけど、相手を尊重することを知っていたんですね。かかわろうとしない代わりに、けなすこともしませんでした。その人にとって大切なものなんだ、という気持ちをまず優先してくれたんですね。
    そのことに今、何より感謝しています。

    今はネットをはじめ、昔では考えられないほど情報が流出しています。それも金儲けのジャーナリストが書く記事ではなく、ごくふつうの学会員の、生の声が全国から届く時代です。元大幹部、職員の声、本音もです。
    よっぽど頑なに、意識的に情報を閉ざしている人ならともかく、そこまで偏狭な人でない限り、必ずわかる日がきます。

    ぱこさんも、無理やり説得したり、深刻に考えなくても大丈夫!
    傍にいて、相手を尊重する気持ちがあると、いつか気づいてくれると思います。創価にはこの「相手を尊重する」という部分が極端に欠落しているんですね。残念ながら。
    自分たちだけが正しい、他が間違っている。押し付け主張することは得意だけど、反対意見は歯牙にもかけない……これでは行き詰ることにいつか、自分から気づきますよ。

  22. はじめまして。non(40代女)と申します。
    今年、覚醒したので、こちらでシニフィエさんやコメントを書いてらっしゃる方に励まされています。

    私は女子部、婦人部とバリ活でした。
    婦人部ですぐに白百合長になり頑張っていましたが
    活動家のいない、老人ばかりの組織だったので
    若い私にあれもこれもと、あらゆることを押し付けられました。
    女子部時代に、「言われた事は何でもやります!!と受けていくこと」と
    教えられていたので、すべてを引き受けました。
    ・・・が
    小さい子どももいるし、未入会の主人もいるしで
    かなり無理がありました。
    ・・・
    そしてとうとう酷い鬱病になりました。
    体が動かなくなり、子どもに「牛乳を入れて」と言われても
    起き上がる事すらできない状態。
    子育てができない。
    子どもを施設に預けることまで考えました。
    こんな役立たずな自分は死んだ方がましだ。
    と死ぬことばかり考えていました。
    食欲もなくなり、激やせ。

    会合にも出れなくなり、仏壇の前に座る事もできない。
    それでも婦人部からは「一緒に題目あげよう」「題目。題目」「今戦うとき」なんて言われました。
    もう無理でした・・・

    その後、一切の活動をやめました。
    仏壇にも座れるときは座っていましたが
    題目をあげると死にたくなるので、それもやめました。

    頑張らない、出来る事だけする。これを徹底し
    徐々に回復。
    5年ぐらいかかったでしょうか・・・
    今、薬がなくても大丈夫になりました。

    回復したらまた学会活動頑張ろうなんて思っていたのですが
    元気になると、色んな矛盾を考えるようになりました。

    まず学会の人の無慈悲。
    これは病気になって婦人部の人とかかわるたびに違和感がありました。
    信心しているのに何でそんなに無慈悲なのか?
    私の事を心配しているのではない。
    結局自分の事、組織の事しか考えていない。
    そう感じました。

    そして、信心にも疑問をいだきはじめました。
    一番は、回復したにもかかわらず、仏壇の前に座ると気分が悪くなる
    気持ちが落ちて行く。
    この信心って生命力が湧くんじゃないのか?
    なので一切、勤行も題目もあげないでいると、どんどん回復していく。
    これは心で感じる。肌で感じる。
    そうしたら、自分で物事を考えられるようになってきた。
    マインドコントロールが解けてきたのでしょうか・・・
    今まで何か悩みがあると指導を受け解決?してきました。

    結局自分の頭で考える事を放棄してきたのです。
    だから本当はいつも不安定だったのかもしれません。
    学会にいると、自分の考えに蓋をされてしまうのだと思います。

    今やっと自分に自信がついてきました。
    卵の殻から出てきたように爽快な気分です。
    生まれ変わったようです。

    長々と書きましたが
    シニフィエさんも決して焦らないでくださいね。
    鬱は絶対治ります。
    何年かかっても治ります。
    自分の心の声に耳を傾けて無理をしないでくださいね。
    回復、願っています。

  23. Jさん、うちの旦那もそういう感じでした。。創価学会のことで言い争いになることはなかった。。
    でも、時たま言う言葉が、わたしの中でゆっくり熟成していった感じです。。
    だから、ぱこさん、大丈夫ですよ。。
    彼は、あなたとの縁を通して、やがて否応なく創価学会の矛盾に気づかざるを得ないレールに既に乗ってしまったのです。。
    将来、例えば彼と別れるようなことがあったとしても、彼の心の気づかぬ底の方には、ぱこさんの想いの種が植えられて、必ず彼が気づく時が来ますからね。。
    それは、わたしの体験からの確信です。。

    わたしも未だに創価学会に洗脳されている母との関係が辛いですよ。実の親でもそうですから、愛している彼とは、どれだけ辛いかと思います。。

    話しは突然変わります。。
    おはぎさんへ。。
    sinifieさんは、何度もこの問題は右とか左ではないと言っていますよ。。
    そういう二極化思考は早く卒業してくださいね。。
    せっかく創価学会を卒業されたのに、同じような思考にはまっているように感じますよ。。
    自分は頑として正しい。。そういうことではありませんか。。?

  24. もう日が変わったので昨夜になりますが、さきほど21日の午後11時からNHKのEテレでETV特集「記憶は愛である~森﨑東・忘却と闘う映画監督」という番組が放送されました。
    http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2013/1221.html
    あまり具体的なことを書いてしまうと、私が誰なのかをつきとめたりするもの好きな人がいるかもしれないので、ちょっと怖い気もするのですが、じつはこの番組に私もちょっとだけ出ています。もちろんこの番組や、主要なテーマになっている森崎監督の映画や原作に関わっているのですが、あえてこのことを言うのは、是非この番組を見ていただきたいと思ったからです。
    森崎東監督は日本を代表する映画監督であり、寅さんや釣りバカ日誌のような喜劇映画をつくる一方で、日本が抱えてきた深い問題を鋭くえぐるような映画もつくってきた巨匠です。その監督が遺作の覚悟でつくった映画がいま全国公開されています。その映画のテーマには表向き認知症の問題があるのですが、じつはその奥に監督の体験した戦争や、軍人だった兄が終戦の翌日に自決したことに対する解決しようのない疑問がありました。以前森崎監督がつくった、いわゆる「原発ジプシー」を真正面から取り組んだ映画「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」や「ニュードキュメンタリードラマ昭和 松本清張事件にせまる」もそうですが、ここまで日本の社会問題を発信する仕事をされてきた方は、右だの左だのといったことなんてはじめから関係ないわけです。私がこの場でくりかえし右だ左だといった価値観がいかに時代錯誤で、いかに不毛なものなのかということを言っているのは、こうしたすばらしい方々の仕事を見てきたり関わってきたりしてきたからです。というか、もう世の中のほとんどの人が右だ左だと言った価値観に対してうんざりしているというのが現実ではないでしょうか。私はこうした芸術関係の仕事の一方で、20年以上に渡って自民党の国会議員や県知事の政策ブレーンとしての仕事もしてきました。ですから自民党のある程度の内実も体験しています。たとえば自民党議員にとって靖国参拝は踏み絵みたいなもので、幹事長室なんてどこの右翼団体の事務所だろうかと思うような雰囲気です(笑)。まあ、それはどうだっていいんですが、12月28日(土)午前0時45分~(金曜深夜)に再放送されるので、ぜひご覧になってください。これを見ていただければ、このブログがおはぎさんが言うような「左派アンチ」などではないことがわかっていただけるかと思います。左派アンチが20年以上も自民党の政策に関わる仕事をするわけないですからね(笑)。
    おはぎさん、自分の思い込みを押し付けるのでは創価と一緒ではないですか。たとえば、私のHNは「シニフィエ」なんですが、おはぎさんは最初から「シンフェニ」と思い込んで疑っていないでしょ。誰にでも気づかない思い込みというものがあります。ここで他のみなさんがおっしゃっているように、「自分が正しい」という思い込みが自分も他人も不幸にしてしまう。それがこのブログのテーマだと思うのです。自分の思い込みに固執して他者を認めないことが不幸のはじまりだし、右や左といった二極化思考からいちど離れて考えてみることもされてみてはいかがでしょうか。

  25. 「自分の思い込みに固執して、他者を認めないことが不幸のはじまり」まさにそうです。
    が、創価の病巣の深いところは、執行部はそんなこと、とっくのとーっくの昔にわかっているところですね!

    排他的宗教には限界がある。草創期には通用しても、民主主義が成熟して他者を認め合い共存していかなければならない時代には、そんなもの成り立たないことは、100も承知しています。
    SGI憲章を見てください。排他的な日蓮仏法と真逆のことが書いてありますよ。価値観が多様化する国際社会に通用するわけないですからね。

    ですから世界津々浦々に広まった、なんて言ってますが、日蓮仏法が受け入れられたなんて大嘘です。仏教のエッセンスをちゃらっと入れた創価哲学、創価モラル、いわゆる池田教を広めた、ということにすぎません。
    日蓮に唯一の直結の団体です、などと言いながら、そんなもの世界平和に通用しないことはよーくわかっている。

    だけど、草創期に塩をまかれながら布教にはせ参じた功労者を、今さら否定するわけにいかない。
    日蓮仏法が唯一正しくて、宇宙の真理とまで言った看板を下ろすわけにいかない。(目玉商品ですから)

    それで必死にごまかしているんですね。
    ちょっとづつ、ちょっとづつ教学を変えて、やばい本を片端から絶版です。書き換えです。
    昔は常套句だった「宿業とは邪宗教による害毒である」なんてフレーズも、いつの間にか聞かなくなりました。
    教学の詳細はここでは書きませんが、私が覚醒していちばん注目したのは笑っていまう創価の教学でした。ビジネスにうまく利用したというか、創作したというか…。

    そんなこと今さら、とわかっている執行部。まったく疑ってもいない末端の盲信者。気づいて離れはじめた会員たち。
    このバランスは、今後どうなっていくんでしょうね。

  26. Jさん、ほんとに素晴らしい……!
    私は若い勇気を感じました、ほんとに素晴らしい…!

    うちの主人は特に何もせず、ただそばに居てくれた…20年間も
    初めての出産、育児、知らない土地での生活
    学会の人に頼れたらと思ったことも、でも結局は自分で決めていかないと
    でも学会の外にも慈悲深く関わってくれた人が何人もいた
    そして本当に色んな現実と向き合う年月に、うちの主人はとにかくそばに居てくれた……!
    それも勇気ある態度だと感謝してます。うちはそんなでした

    テレビ番組のことびっくりしました、楽しみにしてます。
    この場で、さまざまな現実を飛び越えてみなさんと会話できること、
    ほんとに感謝してます、リアルな感覚を自分も素直に語ることを心がけて…

    年末は自分の時間が家族にふりまわされがちですが、なんとか時間つくって……

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