対話の可能性[1]

これまでも数人の現役活動家の方がここにコメントされてきましたが、私をはじめ、創価のまちがいに気づかれた方がいくつかの質問をされると、みなさん何の反論もすることなく去られました。それは反論できなかったのか、反論する気も起きなかったのかはわかりませんが、いずれにせよ現役活動家の方との対話はこれまで成り立ちませんでした。このブログに現役活動家の方がコメントされること自体がめずらしいことであると同時に、めったにない現役活動家さんとの対話への機会であるのですが、今回もこれまでと同じようになってしまうのかなと残念に思いつつ、それでも根気づよく対話の可能性を試みていくことの意義はあるだろうと思っています。
創価の間違いに気づいた方は、創価の矛盾をいくらでもあげることができますが、それに対して納得のいく反論を創価の方から聞いたことはありません。あるのは判で押したような学会の指導の言葉を並べるだけです。創価の間違いに気づいた方にとっては、創価の間違いは一目瞭然なのですが、現役活動家にとってそのことがどうしてもわからないのは、やはり自分自身が思考停止されていることに気づかないからだと思います。そのような組織の構造になっているからです。ですから何を言われても上からの指導の言葉以外に言葉が出てきません。まさに組織の思う壷です。これは新興宗教に共通に見られることでもあると思います。目の前の間違いが間違いと思えない。これが決定的なことだと思います。だから彼らにどんなに創価の矛盾を問いかけても、そのこと自体が見えなくなっているのだから対話が成立しないのだと思います。
では、どうやったら現役活動家の方との対話ができるのか。私は以前「コミュニケーション能力について」というタイトルで内田樹氏のツイートを紹介したことがあります。
ここです↓
https://signifie.wordpress.com/2013/09/12/408/
内田氏の言葉にあるように「私は私の立場をいったん離れる。ついてはあなたもあなたの立場をいったん離れてはくれまいか」ということだと思います。
今はお互いに対話が成り立たない。それはお互いの立場を背景に主張を続ける。一方では相手の間違いを指摘するばかりであり、一方では指摘された内容に触れることなく、上から言われたことを繰り返すだけだからです。これではいつまでたっても対話は成り立たないでしょう。そこで私はあえてここにコメントをくださるみなさんに提案したいと思います。お互いに言いたいことは山ほどあることはよくわかります。しかし、もし現役活動家のみなさんと、創価の間違いに気づいた方たちが、それでも対話を成り立たせたいと思うのであれば、一度お互いに自分の立場を離れてみてはどうでしょう。つまり創価の間違いに気づいた方は、あえてごく普通の創価のことは何も知らない一般人として話をする。これはそれほど難しいことではないと思います。そして現役活動家の方も、自分が創価学会員ではないという立場になって話を聞いてみて、考えて、意見を述べてみるという方法です。しかしこれはなかなか難しいかと思います。なにしろ普段から「創価が一番正しい」という前提でものごとを考えているのですから、そう簡単に一般的な思考ができるとも思えません。しかしそうした努力をすることによって、まったく違う考えを持つものがコミュニケーションを成り立たせるのであれば、こんなに素晴らしいことはないのではないかと思います。
まず大切なことは、武器(立場)を捨てて共通のコミュニケーションのフィールドに立つということだと思います。お互いに土嚢を楯にしてマシンガンで打ち合っていても対話はできません(笑)。
もしこの私の提案に賛同していただける現役活動家の方がいらっしゃるのであれば、その旨のコメントをいただきたいです。

対話の可能性[1]」への42件のフィードバック

  1. わたしは、高校一年生の時に弟たちと共に大阪で入信しました。
    その頃の大阪は、池田先生に対して並々ならぬ心情があり、女子部の大先輩などは、東京は池田先生に対して忘恩の徒だと口々に言うくらいでした。

    わたしは、大阪の地で師弟不二を叩き込まれたと言ってもいいくらいです。。
    だから、創価学会に不信を抱いた時も、池田先生は、こんな組織の体たらくはご存知ないのだと、ずーっと信じてきたし。。じつは、脱会してしばらくしても、そう思っていたのも事実ですし、正直に言うと、いまのわたしがあるのも、あの青春時代に池田大作を師匠と信じて頑張ってきた過去があるから、ともじつは想っているのですね。。
    何故なら、わたしの青春時代の原動力は池田大作だったからです。。
    女子部の会合の帰り道に友と夜空の星を仰ぎ見ながら、池田先生への想いを語り合ったのも懐かしい想い出のひとつです。

    だから、匿名さんのお気持ちも分かるような気がします。匿名さんの書き込みを読むと女子部歌を思い出すくらいですから。。

    わたしが脱会に至ったのは、何度もここでお話ししたかと思いますが、公明党がイラク人道復興支援と言い始めた時からでした。。

    その疑問を組織にぶつけた時、わたしは完全に、組織においての困ったさんになってしまいました。
    創価学会の組織では、根本的な疑問をぶつけるひとに、丁寧な答えが返って来ることはなかった。。

    例えば、今回の安倍政権の特定秘密保護法のことに問題意識のある創価学会員は、どれほどいるのでしょうか?
    原発再稼働のことに、何故?という同志はいるのでしょうか?
    消費税増税にも、疑問なく容認されましたよね?

    公明党のことは間違いないから、創価学会のことは間違いないから、強いて言えば、池田先生の言うことは絶対に間違いはないから。。
    これが、総じての創価学会員の心ではないでしょうか?

    わたしも若い頃は、池田大作に実際に会いました。会ったと言っていいのかいまは疑問ですが、壇上の指揮や指導を直接聞いたり、すぐ目の前で卓球をする姿を見たり、ピアノの演奏?も見たりしましたが、いまは、池田大作の真実の姿を知ることは出来たとは言い難いです。

    その当時は、池田先生の指導も食い入るように聞きましたし読みました。確かに池田大作には、いま思ってもカリスマ性があったと思います。
    でも、わたしは、ほんとうの池田先生を知りはしなかった。。
    それがいまの正直な想いです。。

    匿名さんも、池田先生に並々ならぬ想いがおありのようですが、池田先生のことをどこまでご存知なのでしょうか。。?

    仏法には、依法不依人という言葉もあるようです。
    日蓮大聖人の仏法も、いまの創価学会は勉強不足で、ある意味池田教になっているとは言えませんか?
    日蓮の教えを真摯に学ぶ学会員は、どれほどいるのでしょうか?
    せいぜい、ゴーストライターの書き記した人間革命を学ぶくらいではありませんか?
    それだけで何故日蓮の弟子と名乗れるでしょうか?日蓮仏法を学んだと言えるのでしょう。。?
    。。と言うわたしも、創価学会では、人間革命の勉強ばかりを熱心にやってきましたが、日蓮の教えは、大百蓮華くらいのお勉強がせいぜいでしたが。。

    深く深く生きて行くと、創価学会の矛盾にも行き着くと思うのです。

    匿名さんは、多分、創価学会の中でも指導的立場にある人ではないかな?と思ったりします。。
    せめてものお願いです。
    組織で、もし創価学会への疑問をいう方がいらしたら、真摯にその声を聴いてあげてください。
    一方的に説き伏せるのではなく。。
    それだけを最後にお願いいたします。

  2. はじめまして

    私たち家族と同居している兄弟が、家族に何も言わずに創価学会に入会していることを、正月元日に「入会おめでとうございます」の写真を見つけて、知りました。

    入会記念写真の日付は2013年11月。

    兄弟と一緒に写っている6名は創価学会員なのでしょうか。
    そのうちの一人が、家族が付き合いを認めていない兄弟の「彼女」でした。

    きっと「彼女」の影響で入会したのでしょう。
    家族に反対されるから、家族にはなにも言わずに入会したのでしょう。

    しかし、調べてみると、創価学会公式サイトには入会について、「同居家族がある場合は、入会に際しての了承が必要となります」と
    ありました。

    このような兄弟の入会は、認められるものなのでしょうか。

    信仰の自由は、誰にでも権利はあると思います。

    が、最近の兄弟は家族に対し嘘を重ねることが頻繁になりました。

    家族に対し、行き先を告げない外出がここ何か月もありました。

    創価学会公式サイトの「入会について」を読むと、座談会等に出席していたのでしょう。

    なぜ、兄弟は正々堂々としないのか。

    「彼女」は、私たち家族が反対するのをわかっていて、入会の立会人になったのか。

    入会が恥ずべきことでないのなら、事前に家族に言うべきだと思います。

    創価学会の公式サイトに明記してある「入会について」を平気で守らず、それでも兄弟や「彼女」は正しい創価学会員なのでしょうか。

    入会記念写真に写っている人たちは、同居家族がどんな思いなのか、何も考えない人たちなのでしょうか。

    入会に際しての提出書類は、そのようにいい加減な内容でも入会を認めるのでしょうか。

    兄弟が自立しているのなら、何も家族は申しません。

    が、現在の兄弟は成人ですが、親に養われている身です。

    なぜ、家族に黙っての入会が認められるのか憤りを感じます。

  3. はじめまして
    マウンテンブックと申します

    お題は変わりましたが
    一会員さんが様々質問なさっている件で発言させてください。

    具体的に創価学会の何が悪なのか暴露してみたら?
     →小説『人間革命』で事実と異なる事を正しいとするところがまず悪ではないでしょうか

    ネットで提起されていて事実と異なる可能性があるもの

    ・戸田・牧口の両氏は戦争反対を主張して治安維持法違反で捕まった
     →日蓮正宗に帰依しなければ戦争は勝てないと
      主張し治安維持法違反で捕まった(戦争反対という立場ではなかった)

    ・池田大作氏の入信経緯
     会合に誘った女性目当てだった
     出席した会合に戸田氏はいなかった
     当然 池田氏からの短歌(和歌?)も歌われなかった 

    ・池田氏は借金取立に秀でていた
    ・『ルビー』は風俗本だった
    ・7月3日ではなく7月4日に捕まった

    ・池田大作の会長就任までの経緯(画策)
     戸田会長からの次期会長の指名はなかった(皆で話し合って決めなさいと発言)ので
     戸田氏逝去後、池田氏を慕う大阪のメンバーを使い クーデター紛いの画策をした
    (戸田氏からの指名もなく借金取立てくらいしか実績がない
     若干32才の若造が東大卒エリートや重鎮達を差置いて会長になるのは不自然)

    これはネットで提起されている内のごく一部です

    小説だから事実と異なっても問題ないのですが
    一般会員は小説の内容を事実と思っています

    小さい嘘ですがその一つ一つが伝説になり池田氏の神格化に繋がっています。
    人の手柄を自分の手柄として自分の神格化に繋げているように見える
      
    池田氏が神格化するに足る人物ならまだ納得しますが・・実像はそうではないようですし。
    (実像を知る人は数百万の会員がいるのも係わらず数人でしょう)

    すべてが計画的に進められていたと考えると恐ろしいものを感じます。それこそ巨悪です

    それによってあなたの日常生活にどんな悪影響があったんですか?
     →自分の頭で考えることを奪われてました

    もしあったなら、それをあなた自身が信じる正義に即して
    路線変更していこう位の行動はしたんですか?
     →約半年、未活を貫いて巨悪をわかった上で創価に付き合うか、脱会するか悩んだ

    どんな決意をして、どんな具体的な行動を起こして、
    どんな結果を出したのですか?
     →『脱会したら地獄行きだぞ』と脅されたのでご本尊返却し脱会しました
     →月々約3000円の新聞書籍代が浮いた
     →毎日のように車で会館に行っていたのでその燃料代約10000円浮いた
     →携帯で連絡取り合うことも無くなったので約3000円は浮いた
     →よって貯金できるようになった(それまで貯金0円)
     →その貯金で海外旅行もできた
     →趣味に時間を割けるようになった
     →国内外問わず様々な問題に目を向けることができるようになった
     →国内外の問題を知れば知るほど創価の陳腐さが目立つ
     →創価の巨悪を分かったうえで、自分の幸福を歩める今は面白いです
     →脱会やご本尊返却しても地獄には落ちないと実感した

    一会員さんには愚痴に聞こえるのでしょうかね?

  4. 活動家の皆さんの意見はなぜ来ないんでしょうか。
    世間でどんな悪評があろうと、それは誤解なんだ、真相を知れば必ずわかってもらえる。そのために対話が大事なんだ、とあれほど言ってるではありませんか。対話こそが我々の使命であり、相互理解の源なんだと、口酸っぱく。

    ここは絶好の対話の場だと思いますよ。文字に残せば、内外問わずみんなに見てもらえます。
    面と向かっての対話とは違うかもしれませんが、メリットもあります。書いて伝えることで冷静に言葉を選べます。読む方もじっくり内容を理解しようとします。
    誤解を晴らし、理解を深められるまたとないのチャンスではありませんか。

    私たちは相手をやりこめたいと思ってるわけじゃないんです。もともと励まし合った同志ですもの。
    その同じ志を持ったはずの私たちが、疑問を持ってしまった。同じ組織にいて、同じ活動をしていながら疑問を持たない活動家のみなさんの、その理由が知りたいのです。私たちに何か足りないものがあるのかもしれません。
    ここまで言い切ってる私たちが、まいった!という回答をむしろ聞きたいと、私などは願ってるくらいですよ。しびれるような回答をください。

  5. 活動家の皆さん、ご意見お待ちしています。
    ここはあなたがたの師匠が常々言っておられた「対話」の場です。創価学会の正義を信じて疑わないのであれば、対話のできるフィールドに自ら立つことは、師匠の言葉を身をもって実践することではないでしょうか。あなたがたにとって「一人立つ精神」とは何でしょうか。他人の言うことにはまったく耳を貸さずに、上からの指導を何も考えずに主張し、自分の財産を組織に捧げることでしょうか。世界中の人々がそのような生き方を「正義」であるとするのであれば、どのような世界になるのか自分で考えたことがあるでしょうか。ここは討論の場ではありません。対話の場であることの意味を理解していただきたいと思います。
    私は50年以上の学会員としての体験の後、やっと2年前に創価に疑問を持つことができた人間です。もしかしたら創価学会はあなたがたの信じている通り、仏法を基調とした世界平和を目指す宗教団体なのかもしれません。そのことについて、お互いの立場を一度捨て去って、正直に思うところを出し合い、私たちとあなたがたはどこが同じでどこが違うのかという点を明らかにすることは、決して意味のないことではないと思います。創価の正義に確信があるのならば、なおのこと私たちの疑問を払拭できるような対話ができるはずだと思います。しかしあなたがたとの対話を成立させるためには、いちどお互いの立場を離れることができなければ成り立ちません。でなければ単に一方的な考えの押し付け合いにしかならないからです。元信者ひとりとの対話すらできずに、日本の仏教徒はもとより、世界の何十億という他宗教の信者と対話ができるのでしょうか。それともそこまで考えたことはないのでしょうか。信仰による世界平和を標榜する創価学会のビジョンとはその程度のものなのでしょうか。私たちは対話を望んでいます。対話のためのフィールドを示しました。対決の場ではありません。相互理解のための場であることを是非理解していただいて、ご意見をいただければと思います。

  6. いま学会の新入信者がどれほどいるのかわかりませんが、これだけ新聞啓蒙をやったり、会員が何部も購入しているにもかかわらず、聖教新聞の購読数がこの10年ほど減少しているのを見ると、学会員の数が減り続けているというのは間違いないですね。学会二世や三世の方が結婚を機に配偶者や生まれてくる子どもを無理矢理会員にしてしまうということでもしなければ、なかなか折伏数の確保はできないでしょう。それって折伏ではなく相手の弱みにつけこんだ「信仰の自由」を奪う行為だと思うのですが、学会員さんはそう思わないんでしょうね。どんな手をつかっても学会員にすることが正義だと信じているというふうにしか私には思えません。それが民主主義の国であるとする憲法をもつ日本でまかりとおると考えている学会員さんの意見も聞いてみたいです。もう、いろんなことを聞いてみたいのですが、どうもそうした質問自体が「正法を広めさせまいとする魔の力だ」などと思い込まされているというのも、これまでの私の創価学会員としての長い経験上よくわかります。もし創価学会員でなければ、そんな基本的人権を無視するような思考が異常であることぐらい小学生でもわかることなんですけどね。創価学会のまちがいがいちばんわかりやすいのは、基本的人権を無視した信仰活動であるところだと思います。でも会員自体はそのことに気づかせないような組織のシステムになっていて、たとえ気づきそうになっても「罰が当たる」とか「地獄に堕ちる」などという根も葉もない脅し文句で心をがんじがらめにしてしまうところでしょう。独裁国家ならともかく、民主主義の国でこのようなことが許されること自体がおかしいのだと思います。

    でもそんなことを学会員さんに言ってもおそらくチンプンカンプンです。自分で考えることをしないことが信仰だと思い込まされていますからね。もし、この場で対話を試みてみようという勇気ある学会員さんがいらっしゃれば、「創価学会の考える民主主義」について話をさせていただきたいなと思っています。私は学会二世ですので、生まれて一週間目にお寺に連れて行かれ御授戒を受けさせられ、まだ文字が読めない頃から勤行・唱題をさせられ、小学生のときから有無を言わさず学会活動をさせられてきました。それこそ神社の鳥居をくぐることさえ怖くてできませんでした。大人になって仕事で禅宗のお寺や教会に行って僧侶や神父さんと話をすることさえ後ろめたさを感じたものです。私にとって、また多くの学会二世や三世の方たちにとって、日本が憲法で保障している信仰の自由はありません。そのことを現役活動家の方はどのように考えているのか、また自分の子どもや孫を、生まれた時から有無を言わせず学会員にして信仰をなかば強要してしまうことに、何の疑問も感じないものなのかどうかもお聞きしたいと思っています。

    ただこうした質問をするにあたっても、お互いの立場を一度離れたところで対話をするという前提がなければならないと思っています。そうでなければいつもの平行線でしか終わりません。この場合、私は学会二世という立場や経験をいったんなかったものとして対話に望みます。と同時に活動家さんも、活動家としての信念や経験をいったんなかったものとして、つまり思想信条としてはおたがいにニュートラルな立場として日本に住む一般的なひとりの人間として対話をするという前提を提案します。当然そこには「普通の人ならどう考えるだろう」という思考が必要になってきます。対話に必要なことは「相手の立場を思いやる気持ち」だと思います。しかしお互いの立場を思いやれないのであれば、お互いの立場をいったんないものとして、そこにお互いを「一般的な人間」という立場に置き換えてものごとを考えてみるという方法です。そうした対話のなかで、少しでもわかり合える点、共通の認識が生まれるとすればすばらしい進展だと思います。もしかしたらその結果、創価学会の正義が多くの方に理解されるということもあり得ると思います。また逆に創価学会の間違いが明らかになるということもあり得ると思います。いずれにせよ平行線でしかない対立よりも、理解の可能性を秘めた対話には大きな意味があるのではないかと思っています。

    創価の正義を確信する現役活動家のみなさん、一度ここでの対話に参加してみませんか。私たちはいつでも対話の門戸を開けてお待ちしています。

  7. 新年あけましておめでとうございます。

    去年投稿させていただいたチョッパーです。

    チョッパーは飼ってから親族11年目で(犬の年齢で60歳)家族同様の愛犬の名前です。

    大型犬で色は真っ白です。屋外の犬小屋で飼っていいるのですが、近所の人気者で訪問者が多くて差し入れがたくさんあります。

    幸せな犬だと思います。

    元旦に親戚の顔合わせに行く途中に日蓮正宗のお寺があるのですが、晴れ姿の信者の人たちがたくさんいました。

    私は現在は正宗の信徒ではないのですが、この人達のなかに学会をやめて元の正宗に戻られた人たちもいるなのかなと思いました。

    今になって考えると、創価学会の矛盾は公明党の存在だと思います。

    学会も党も既得権者になり下がりました。これが衰退の原因の一つと思います。

    流れる水は腐らないと言いますが、組織が拡大すると共に清流が少なくなり淀んでいるのだと思います。

    広宣流布すると皆幸せになると言われて活動をしてきましたが、学会員の私の兄弟を見ているとその実感はありません。

    血を分けた兄弟ですから今後も仲良くしていきたいと思っています。

    また訪問させてもらいます。今後ともよろしくお願いします。

  8. 脱会を考えている男子部です。

    もっと早くこちらのサイトと巡り合っていれば、私自身、ラクだったのかも知れません。
    まさしく、みなさまが疑問に思っておられる事がこれまで私が悶々と悩んでいた事です。
    このようなブログを通して意見の交換をさせて貰える場を作っていただき、シニフェイさんに感謝申し上げます。

    私は現在、30代半ばです。
    妻と二人暮らしです。

    妻と出会った頃の私は相当なバリ活で「結婚するには信心を一緒にして貰う事が条件だ‼︎」と言った事があります。
    当然、妻からは「信教の自由を犯している」と言われましたが、その頃の私は「学会は絶対に正しいんだ!」と力説。妻は色々な人から学会を勧められ、嫌気がさしてしまい、「俺くんの活動には口出ししないけど、私はやらない」と、はっきり断られました。
    で、現在の非活動家の立場から振り返りますと、当時の私の考えは異常でした。妻のほうがまともで常識人だと今は思います。
    幼少の頃から、学校の遠足で鳥居をくぐったら地獄行きだと父から脅かされていましまので、鳥居の外側の道の悪い場所を歩きにくそうに通ってましたし、高校の修学旅行は奈良京都の仏閣めぐりで、ずっと心の中でお題目を唱えていましたので、全く楽しめませんでした。
    先日、妻の要望で浅草の雷門へ行って来ましたが、子供の頃からの刷り込みが未だ邪魔をして、「良くない事が起きたらどうしよう」としばらくの間考えてしまいました。

    母に「創価学会は日蓮仏法を学ぶ通過点であり、最終目標は大聖人様だと考えている。」と話し、さらに「学会を極めるのではなく、永遠の師は大聖人様だ」と考えを述べたところ、「師匠は先生だよ」と。全く話が噛み合いませんでした。
    私が大学を出て、地元の男子部と活動を開始したあたりに、御守り御本尊を友人に配り広宣流布を進めようとする動きがありました。
    私は猛反発しました。
    信心に理解の乏しい人にそこら辺の御守りと同じ感覚で粗末に扱われ、最終的にご不敬にされたらどうするんだと。当然、幹部は上からのアウトプットの為、答えられず、当の私は男子部組織から危険人物あるいは面倒な部員とのレッテルを貼られてしまいました。
    学会組織は池田先生を頂点とするピラミッド構造です。私は最底辺です。
    最近思うのですが、創価学会人事は学歴社会になっている気がします。
    創価大出身者が多いというのは、ある意味、管理し易いのだろと思ってしまいます。
    脱会をするならば、勘当だとバリ活両親に言われました。その時は絶句してしまいましたが、「信教の自由」盾に頑張りたいです。
    宗教は誰かに褒めらてやるものではなく、個々人が穏やかに豊かになるため人生哲学だと思っています。

  9. 覚醒して4年の50代の元活動家です。10人の現活動家を入会させてしまった今の気持ちを話させてもらいます。

    死、将来の不安を感じている人に、宿命転換、功徳といったファンタジーを提供して、悩んでいる会員に勇気と希望を送る宗教ビジネスと捉え、時間と金の配分を無理しない範囲で活動するならば、なかなか創価家族というように今の世知辛い世の中にはない、末端は温かいところだと思いますよ。

     宗教はアヘンとはよく言ったもので、幻想は覚まさないほうが幸せなのかなと最近はおもいます。創価村の掟を守っている羊であれば、面倒見の良い互助組織ですから、、、

     私は思考停止できないタイプなので、柵のそとでも自立して生きていける人間ですが、創価の言うとおりのおまかせ依存タイプの方は、ファンタジーの世界にひたっているのが、幸せなのかと思います。特に公布第1世代の方は、、、

     ディズニーランドのミッキーとシンデレラが仕事帰りにラブホいっているなんて、聞きたくないじゃないですか?(たとえです)

     信濃町の毛をはやした坊主どもを、逆に利用するくらいの気持ちで、財務はできる範囲で、新聞書籍は地区で回し読み、選挙は自主投票もしくはエアー報告。このくらい腹をきめたら、師匠や幹部なんかびびって何も言ってきませんよ。

     柵の外には、安心の世界がありますよって、言える現状でなければ、入会させた友人に、この4年間味わった脱マインドコントロール葛藤のつらさを体験させたくないですね。

     ポスト池田に会員の幸せを最優先する創価のゴルバチョフの登場をかすかに期待したいですね。無理かな、、、、
    下から変えていく土壌があれば、組織改革のお手伝いをしたいとも、まだおもっているんです。

     創価の建前や理想に人生かけてきた自分なんで、なかなか未練がましく、脱会しきれない昨今です。
     
     

  10. 熱心だった頃を思い出して書きます。

    私は御本尊様があるかぎり大丈夫!だから不安なんてない。不安に思う時はお題目を上げればいい。これがある限り、どんなことでも挑戦できるし、へこたれない。ああなんて幸せなんだろう。この安心感がすべてだった。
    まさに信じるものは救われる。疑うことを知らないことは幸せです。

    創価はそんな幸せを確かにくれました。文証の真偽がどうのとか、裏がどうのとか、からくりがどうのとか、そんなことは意味がないんです。
    事実、幸せだと実感できるんだから、そういう力があるわけです。
    誰がそんな確信、絶対的な安心感をくれるでしょうか。生命の根底からわきたつような不屈の精神をくれるでしょうか。希望をくれるでしょうか。覚醒した今でも、私はそれに代わるものを見つけていません。

    だからある意味、インターネットなど知らぬが仏。創価の新聞と出版物と、会合での伝聞のみ信じて、余計なことを考えないのは正解です。
    疑ってはいけない、言われたままバカになってやりなさい、退転してはいけない…確かにそうです。執行部は金儲けかもしれないけど、本当に愚直にやれれば、それに見合う安心感や、希望が実感できる。
    他の情報を知ったところで、それで心を病んだり、恨んだりしたら、何の得があるんだろうと思います。

    私はいろいろな事実を知り、いろいろなことを考えてしまった時点で、失ったものが確実にあります。失ったものはあまりにも大きいと言っていいくらいです。(もちろん得たものもあります)

    創価を簡単に批判するのはむずかしい…。
    そう思いますよ。

    それはそれで、しかしながら衰退していく組織を見ながら、これも必然だったんだろうなと考えずにはいられません。

  11. わたしは、そんなに上手に生きられないです。。腹の内と言動が違うような生き方は。。。
    何も知らなければいざ知らず、もう創価学会の矛盾と悪に気づいてしまったから。。

  12. 創価の信仰自体に力があるというより、「信じさせる力」があったんでしょうね…。同じことなのかな。人は強く信じることで迷いがなくなり力が湧く。
    そういう意味では力のある宗教というのは合ってると思います。

    だけど弊害もあった。失うものがあってでも批判せずにはいられないくらいの。

    私が活動家の皆さんに問いたいのはそういうことです。
    盲信することによって得られる幸せというのは、盲信しないと得られない幸せということです。

    迷惑してつらい思いをしている人がいる。信仰の自由というには、あまりにも他者を巻き込んで、その上で成り立ってるんです。
    ここの部分を切り捨ててはいけないと思います。

  13. 私は、学会活動より、アセンション情報(宇宙人からの声)ですが、脱宗教、何に頼らなくとも人間にはすごい力があるという考え方にひかれます。正に無明を取っ払った姿。アセンションがあってもなくても、もうそうなんだと思っています。仏法もそう言ってるんだから、そうだと思えばいいんですよね。
    でも、学会の場合、題目を唱えてなかったら成り立たない。題目あげないと何もできない自分って何?という疑問もありました。外出するにも題目をあげてないと不安とか、自分に自信がなくなり段々おかしくなって来て。
    活動や題目を常に頑張り続けることなんてできないし、それをできる人は学会の信心じゃなくてもいい人生を送ってると思います。というか、ほとんどいないでしょう。逆に、できないことに罪悪感でいっぱいでした。
    結局、学会活動のいきつくところ、依存ですよね。
    宗教って組織になるとおかしくなるんでしょうね。

    学会の人より、外部の人で、人のためになることをしている人(ボランティアや権力と闘っている)の方が、素晴らしいし賢いと感じます。私は、題目あげて、活動頑張っても、社会のことや人の心が全然わかってなかったです。

    母に、ネットの情報を知ったところで自分に関係ないし、どうにもならないし、ネガティブにもなって損だ、信心しっかりやっておけばうまくいくと言われます。でも、それをやってきた自分は馬鹿だったし、もう絶対戻りたくありません。
    モニカさん、ネットの情報でネガティブになった時にそのままにしてはバランスくずします。自分の好きなサイトをみたり気分を切り替えてから、パソコンを閉じた方がいいですよ。

    言いたいことが全然まとまらなくてすみません。

  14. りこさん、ありがとうございます(^^)
    ネットでネガティブになったことは幸い一度もないです。冷静に考えられる便利なツールだなあと思いますが。

    今回はシニフィエさんのテーマに基づき、一度自分の立場を離れて考えてみたんです。
    本当は現役活動家さんの意見がもっと聞きたかったのですが、あまり投稿がないので、過去の自分をさかのぼって考えてみました。
    覚醒前の自分ならば、どう答えるだろうと、想像してみたんですね。

    初めて、自分の知らなかった創価のさまざまな事実を認識した時もそうでした。
    私の場合、まったく信じられませんでした。(バリバリでしたから)信じられなかったんだけど、わかりました、では仮にそうだと仮定してみましょうと、一度、その受け入れがたい意見を想像してみたんですね。
    この、自分の立場、主張をいったん横に置いて考えてみる…これはシニフィエさんのおっしゃる通り大切なことだと思います。

  15. モニカさんはタフですね。私はすぐガーンとなってしまいます。日本版FEMA創設とか。
    なので、必ず自分が豊かな気持ちになれるものとセットで読まないと楽しく暮らせません・・・。

    まず現役の時は、ネットする時間がありませんでした。たとえあっても、こんな時間があったら題目あげないとって焦ってました。私はとろいので、朝、聖教読むのに30分はかかってましたし。このブログを読んだとしても、直視できない、信じられない、魔だって思ってたと思います。なので、現役の活動家がここで対話するのは奇跡に近いような・・・。
    兄に、学会は負けてる裁判もあるよって忠告されて、それも気づくきっかけでした。同中で全部勝ってるって言ってたよね?もしかして騙されてる?って。現役時代は事実を知らな過ぎました。事実を知ってるか全く知らないかでは、対話も噛み合ないのではないでしょうか〜

  16. 「もし自分が創価学会と関わらない人生を歩んできたとしたら」という仮説で考えてみました。
    たぶん、他の新興宗教と同じように創価学会を見ていたでしょう。つまり「〇〇の科学」とか「〇理教」とか「〇〇教団」などですね。おそらく私が学会二世として生まれてこなかったとしたら、まったく鼻もひっかけなかったと思います。宗教と新興宗教はまったく別物という考えは今でもずっと変わりません。鎌倉時代に出てきたたくさんの仏教宗派とは訳が違うと思います。私は二世として生まれてきたから「学会は新興宗教とは違って日蓮宗の流れを正統に受けついできた唯一の仏教だ」と思い込まされてきたから信じてきたのだと思います。ところがそのもともとの日蓮正宗から破門された後も、創価学会は独自の考えで宗教団体であると主張するようになった。でも二世じゃなかったら、そんないきさつさえ興味すら持たなかったと思います。「あ、所詮たくさんある新興宗教のひとつなんだな」といった程度の認識だったろうと想像します。できれば宗教に関してはそんなスタンスで生きてこれればよかったのにと今さらながら思います。創価学会員になるくらいなら、無宗教であるほうがどれだけ自由な生き方が出来ただろうかと思います。
    私が学生部や男子部時代にいっしょに活動してきた人たちに対して、常に違和感も持っていました。なんと言いますか、そののめり方がハンパじゃないなと。どうして会ったこともない「センセイ」に対して、そこまで入れこむことが出来るのか、それとも自分の信仰が不真面目なのだろうかという疑問もありました。学会活動には疑問を抱いても、日蓮仏法は間違いないという確信はありました。疑問に思うのは学会員の態度や常識知らずの行動なのであって、それでも日蓮仏法を正しく継承しているのは創価学会だけなのだと思っていました。悩みがあれば真剣に唱題を続けたし、この仏法を人に語ることが自分の使命なのだとも思っていました。学会に疑問は持てても日蓮仏法に疑問は持てませんでした。
    私は若い頃から芸術関係に興味があり、芸術関係の書物も読みあさりました。芸術を語る上で、思想哲学は欠かせません。西洋の哲学や思想史などもかじりました。心理学もどうしても知らないわけにはいきませんでした。しかしなんだかんだ言っても結局は日蓮仏法に終着するんだと本気で思っていたものです。西洋の近代絵画をつくりあげてきた巨匠とよばれる多くの作家はいわゆるコミュニストでした。またフロイトの登場によって深層心理に着目してシュールレアリズムを提唱したアンドレ・ブルトンやサルバドール・ダリやイブ・タンギーも大好きな作家でした。ルオーやマティスなどを除けば、彼らの多くが基本的に宗教を否定していました。ただし彼らにとっての宗教とはキリスト教なのですが。彼らはパリのカフェで毎晩のように芸術や思想を語り討論しました。そこにはピカソやジャン・コクトーやサルトルが自由な言論を展開していました。近代文化はパリのカフェを中心にひろがっていきました。そんな芸術家のもつ思想を学ぶなかで、私はステファヌ・マラルメという思想家にとても興味を持ちました。彼の思想を簡単には説明できませんのでここでは割愛しますが、彼が自分の死を予感して最愛の妻と娘に残した手紙の中には、これまでの自分の人生は何者でもない、何の意味もなかった。だから自分が書き綴ってきたすべてのものは残らず焼き捨ててくれと言いました。彼は近代史に残るすばらしい作品を生み出していながらも、最後には自分の人生に絶望し死んでいきました。そのことが書いてある本を読んだとき、たしか学生時代だったと思いますが、「マラルメがもし日蓮仏法を知っていたら、こんな悲しい人生の幕引きを迎えないで済んだことだろうに」と思ったものです。今思えば恥ずかしいのですが、当時は本気で思っていました。つまり思想家の苦悩は日蓮仏法を知らないところから生まれてくるなどと傲慢な考えでした。まったく顔から火が出るほど恥ずかしいです。
    つまり何を言いたいかというと、日蓮仏法の真偽を語っているのではなく、たとえばかつて私が「日蓮仏法が何よりも正しい」と思い込むことによって、自分にかかわってくることすべてが間違った見方をしてしまったということです。それはなにも日蓮仏法だけに限ったことではありません。たまたま私が学会二世で真面目に活動をしてきたからそうなったということであって、「何かが絶対に正しくて、それ以外は間違いだ」という考え方は、すべてを見誤ってしまうことになるのではないかということです。もちろん、問題はこんな単純なことではなく、とても複雑で深い闇が存在することは言うまでもありませんが、単純なたとえ話をすることで少しでも伝わればと思い書いてみました。

    創価学会の指導は「信心に対してとにかく疑いの心を持つな」ということです。そのためにあるときは御書を引用し、あるときは脱会者にふりかかる不幸な出来事を言ってさらに疑うことの恐ろしさを植え付けていきます。だから会員はみごとに疑うことをしません。たとえすこしでも疑う心がわきあがってきたとしても、まわりから「それは信心が足りないから」「信心を妨げようとする魔の力」などと、いつでもどこでもステレオタイプの言葉しか言われません。つまり「疑うことなく組織の言う通りにすることがあなたの幸せなのよ」ということです。そんなことを言われて、それをそのまま鵜呑みにして自分のありったけのお金を出し、他人に新聞を購読するように奨め、政治のことなどよくわからないまま公明党の候補者に投票を促すことが、自分の幸せなんだと信じて疑わない。そうした姿を一般の人が見て奇異に感じないわけがありません。普通の人ならあまり関わりたくないと思うでしょう。でもそんなこともわからなくなるほど「創価学会を信じて生きることだけが幸せの道なんだ」と信じて疑わなくなるんです。それでも信じるというのなら、それはそれで何も言いません。日本は民主主義の国だし、個人の思想信条の自由が保障されています。ここで大切なことは、許されているのではなく、保障されているのです。ですから創価学会員がそうでない人に信仰や政治思想を強要することはできないということを認識していただきたいと思います。つまり日本において折伏は憲法違反であり、基本的人権の侵害であると思います。これは私が学会二世だということと、学会の間違いに気づいた人間だという立場をいったんばずしても、わき上がってくる素朴な疑問です。このことについて、活動家の方で、活動家であることから離れて考えることが出来る方、ぜひご意見を聞かせてください。よろしくお願いします。

  17. 以前、何人もの活動家や幹部と何度も意見を戦わせたので、参考になればと思い書きます。

    特に差し迫った悩みがなくて、心に余裕のある時はこんな討論もできるでしょう。
    でも深刻な悩みがあり、生きるか死ぬかの問題を抱えている時、愛するわが子に待ったなしの難題がある時などはどうでしょうか。
    世間は誰も助けてくれません。
    なりふりかまわず何にでもすがりたい。悪魔に魂を売ってでも家族を守りたい、と思うでしょう。
    そして、その悩みが救われたとします。
    あるのは深い感謝です。恩を返したいという信念を何よりも優先したい。世間からどう思われようと、それを貫きたい…そう思うのはわかります。

    私はこのブログを見つけてから、何度も出しゃばってまいりました。
    自分は覚醒したもんね、みたいにいい気になって言いたい放題、という一面もあったかもしれません。

    しかし投稿しながら、この問題はむつかしい…という思いはずっとあります。
    りこさんのおっしゃるタフで、わりきりの早い私も、すぱんと切るのはむつかしい…そう思います。

    なので言いたい放題批判はしていますが、その分覚悟もしています。
    その人にとって大切な心の支えを、ボロクソに言って人を不愉快にしているのは確かですよね。(いい子ぶってるわけではないです)

    活動家の皆さん。学会員さんだけが誠実で信じられて、温かい連帯のある世界ではありませんよ。
    退転したって脱会したって、人として誠実であろう、と多くの人は思っています。
    少なくとも、かつて志を同じくした人たちの不幸など願ってはいません。
    だから脱会した人たちへ、地獄へ落ちるだの、忘恩の人でなしだの、見ててごらん、今に現象が出るわ、などとは言わないでください。そんなことを言う人がいたら注意してください。おかしいと思う感性は持っていてください。

    それだけは強く言っておきたいです。

  18. 信じるというのは実に複雑な心の動きだと思います。
    私には、国法を犯し実刑判決を受けた身内がおります。世間からみればどうしようもない人間でしょう。やったことの罪の重さも重々承知しています。それでも私は身内ですから、この子に背を向けることはできません。生涯守らなければならない。この子にも良心があるのだと信じて、信じて、信じ抜いていかなければいけない。そう簡単に割り切れないものがあるのです。正しいから信じられるというのではありません。理屈ではないのです。
    学会を信じてついていく方々も、似たような心の動きがあるのかもしれません。善だ悪だと単純には割り切れないものがあります。長らく学会に身を置き、組織の良いところも悪いところも見てきた活動家の方であれば尚更、そう簡単に割り切ることは難しいのだと思います。非活や脱会した方からみればいつまでやってんだという気持ちにでも、活動家の方はここに人生を賭けている。自分の幸せ、家族の幸せを賭けています。そう簡単に捨て去ることもできないし、果たして捨て去ることがその人の幸せになるかどうかも、他人には判断できません。
    ほんとうに難しい、デリケートな問題ですね。いっそ何も知らないほうが幸せだったのかも、なんて思うときがあります。コメントのまとまりがなくて申し訳ありません。まとまるものではないのかもしれませんが…

  19.  少欲知足の本部職員とSGI基準の信仰(新聞啓蒙、選挙なし、財務会費並み、謗法厳禁なし、他宗を尊重など)に、日本の組織もポスト池田の時代に変革すれば、世界に連なる社会福祉団体、庶民の血の通った互助組織に生まれ変わりませんか?

      毒矢のたとえの説のように、誰が矢を放ったとか、毒の成分は何だと、いろいろ理屈をこねているうちに、死んでしまう愚かさを例に、仏は、まず矢を抜いて、苦しみから解放させてあげることが大切なんだと、、、、

     この話はバリ活時代から好きな仏説で、創価学会は、教義論争や理屈より、目の前の会員さんの悩みを解決させるために、どれだけ、同志として共に悩んで、共に題目をあげて乗り越えていけるか、そこが勝負でした。

     幻想でもいいんです。宿命転換、福運、変毒為薬、願兼お業、冬は必ず春となる、獅子吼のごとしなどなど、創価用語の励ましで勇気と希望を与えていくことは、悪くないはずです。

     なかには、アヘンの力で解決もするし、しなくても共に悩んで動いた人間関係は大切な絆として残ります。覚せい剤におぼれ、ヤクザの世界に入った友人を半年間、共に生活して薬を絶たせたこもありました。

     酷い差別を受けて育ち、憎しみしかなかった種違いの妹の不妊を知り、共に題目をあげ、憎しみを乗り越えて対話にいき、無事子供を出産し、涙ながら、兄妹が抱き合った体験もありました。

     あまり具体的に書くと、身元バレバレなってしまいますが、こんな体験はどの組織にもあるのが、創価の強みだと思います。

     宗教は幻想が命だと思います。悩む会員に勇気と希望を与えていくという意味では、池田氏は良き指導者だと思います。裏の実体は知らないほうが幸せですよ。

     ある意味宗教指導者というのは、ペテン氏では?うそでも絶対大丈夫といって欲しいという、庶民の需要に応えるわけですから、、、

     死や、将来の不安に対する安心を創価は提供していると思います。

     
     10人の活動家に今の思いを話そうと思い、3人にはなしました。幼なじみは脱会、友人関係は大丈夫、高校の友人は裏切り者扱いで、友情は絶たれ、もう一人の友人はショックだったけど良き理解者になり、金、時間はほどほどになりました。

     
     覚醒させるより、組織が徐々にSGI化してまるくなり、信仰を通した励ましあいの互助組織に変わっていけばいいと、今は思っています。
     

  20. 新聞啓蒙なし、選挙なし、財務は会費並み、謗法厳禁なし、他宗を尊重…創価じゃなくなりますね(笑)
    解体と同じですよ。
    だから解散を望むんですってば。
    由緒ある宗教という看板をおろして、「啓蒙開発セミナーも聞ける社会福祉団体」とでも改める。はっきりそう宣言、明言してやり直すならいいですよ、もちろん。
    明言、謝罪は嫌いだから、ごまかしながらいつの間にか、はダメですよ。

    好かれますよ。愛されると思います(^^)

    なーんだ、唯一の正しい宗教、宇宙の法則なんてウソだったのね、と離れる人はいるでしょうが、ビジネスとはっきり割り切って手腕を発揮する、新しい人材もいっぱい入ってくるんじゃないでしょうか。

    幻想でも勇気と力を与えらえる、というのはその通りだと思いますが、最初から幻想とわかってしまったら効果はないのでは?
    もう騙すのは限界にきている気がします。

  21. 幻想と私はきずいたので、プラセボ効果はなくなりました。ただ喜々と活動している友人には、自分できずくまでは、あえて覚醒させなくてもとおもっています。

     折伏して海外に渡った友人から、SGIの組織の話を聞く限り、かなり自由があり日本も真似れば私でもOKかなと感じます。

     思想、教義のごまかしは、今に始まったことではなく、牧口時代から変遷されていることですから、、、

     創価の外にでて、絶対正しい思想、法、コミュニティーがあれば、友人に脱会をすすめられますが、それが今の私に見つからない以上、創価のファンタジーの世界にいた方が、幸せかなと思うんです。

     どんな悩みも信心根本に乗り越えられるという、勇気と希望という幻想を提供してくれる世界ですから、、、

     ガンに罹った患者に、「もう、おてあげです。残り3カ月の命です。」と正直にいう医者と、「まだ希望をすててはいけません。最大限医師として、最善を尽くしますから共にたたかいましょう。」とうそを言う医者なら、私は前者を選ぶタイプですが、多くのかたは後者の方がいいのでは?

     だからといって、後者の医師はペテン師と呼べるでしょうか?

     覚醒した非活の私が擁護するのも変ですが、私が人生かけて頑張った組織は、そういう血の通った暖かい組織なんです。

     私もはじめは、だまされたと怒りがこみあげたものですが、最近はこういう世界もありなのかなと思うようになりました。

     

  22. つまり創価学会はじつは宗教じゃありませんでした〜ってカミングアウトすれば生き残れるってことかな(笑)
    そうまでして生き残ることに何の意味があるのかわかりませんが、いずれ正体がばれる時は来るでしょうね。池田氏があんな状態ですから、それほど遠いことでもないと私は思います。彼のいない組織はすぐに分裂崩壊すると思います。そこはオウムと構造が同じでしょう。池田氏が人前に出せないほど抜け殻状態になっても、まだ元気を装わなくてはいけない組織ですからね。
    人はそれぞれに自分の物語をつくりながら生きています。さっきもそんなことを糸井重里氏がテレビで言ってましたが、たしかにそう思います。番組ではNPOの活動でどうやったらモチベーションをあげて結果を出すことが出来るかという話ですが、そこには共通の物語を持つことが必須だといった話です。これはNPO活動にかぎらず、企業でも学校でも地域社会においても基本的なことだと思います。人は自分の人生を物語りとして完結させようとする。その背景に唯一神を信じて物語をつくる人もいるし、物質主義という信仰によって自分を演じる人もいます。誰がどんな物語を創作しても、今の日本では他人の自由を奪わないかぎり許されるのですが、創価の組織は一方的に都合のいい物語をアメとムチで演じさせてしまうところに間違いがあるのだと思います。創価の物語に酔いしれながら死んでいった人もたくさんいるでしょう。私の父はまさにそんなひとりでした。草創の幹部だった母も、もはや何もわからない状況です。おそらく創価とは何だったのか知る機会はありません。創価のつくった物語に勝手に枝葉をつけて自分の物語をつくってきたのが創価学会員だと思います。宗教とは多かれ少なかれそうしたものだと言ってしまえば身もふたもないのですが、知らないうちに多くの人の物語(人生)を奪い、個人の自由を奪うという点に関しては、やはり見過ごせないことだと思います。

  23. yさんのおっしゃってることはよくわかりますが
    学会をやめてもそれにとって代わるものがない、誰もが人生の基軸としていくものが今の社会にはないといわれるのもわからないでもないですが
    昔、私の組織に先生にも近いドクター部長がおられました。外科医長でした
    その方のお話では、学会員はいつも病院に来るのが遅い、来られた時はいつも手遅れで、手のつけようがないと
    嘆いておられましたよ
    信心で、題目で乗り切って治すんだと幻想に浸りきって結局は取り返しのつかない結果に
    題目も大事だけどもっと早く病院に来なくてはだめですと、学会員としてあまりにも相談が多いので、
    ある会合で言われてましたね
    そのドクター部長も胃がんでお亡くなりになりましたけどね
    人の人生に当てはめてみたときに、幻想も良いけど方々手遅れにならない一度きりの人生を、生きたいものですね

  24. 創価の魅力の根幹は、「みんなはまだ知らないだけで、誰もが最終的にたどり着く絶対的な法則を知っている団体」と、私などは本気で信じていました。
    コミュニティとか励ましは副産物で、それは創価を離れてもないわけではない。
    根幹が幻想だとわかった時、ああいられないと思ってしまいました。

    そうしたら、今までこの秘法があればこそ目をつむれた弊害が、鼻についてしょうがない。というより、弊害しか残ってないじゃんと思ったんですね。
    コミュニティや励ましや道徳程度のことで、時間と労力とお金を費やし、人生を賭けられるかと。

    私も一瞬は考えたんですよ。
    創価を温かいコミュニティと、ためになる道徳が聞ける団体、と割り切って残ってみようかな。
    でもたとえば、財務の時期が来る。「会費を徴収します。心ある方はご協力を」ならわかるけど、「この財務の戦いで宿命転換をしましょう」などど言われれば、ケッと思ってしまう。
    指導はまだ、幻想を信じている人用に発信されます。聞き流して笑っていられるかなと。

  25. モニカさん、同感〜!!
    いつも、組織と縁するたびに心がザワザワして、精神衛生上ヨロシクないですよね〜。。
    そして、いつの間にか、心は濁っていくのですよね。。
    人生、もったいない。です〜。。

  26. 以前にも投稿させてもらった学会二世のマサハルです。
    結局の所世の中お金なんですよね。
    一口でも良いのだからやりなさい、やったら必ずお金に困らないからとよく親は言ってました。まだ組織についていた頃はなんかオカシイな〜と思いつつ払わないと悪い事が起きるんじゃないかとかお金に困ったら財務をしなかったせいだとか、今までの洗脳もあり流されるままに振り込んでましたね〜
    今は本当、バカだったなと思います。
    財務はできる人はすればいいと思う。
    生活が厳しく、今は出来ないし、しばらくは出来ないかもしれませんから!
    そう今の組織の人に伝えたのにもかかわらず、振込用紙をポストに入れましたから〜本来手渡しなのよ〜とわざわざ連絡をよこす…
    なんかこれってやっぱりオカシイ。
    普通じゃないですね。

  27. パートナーが学会員の、自身はアンチ創価な、ぱこと申します。
    社会の「負の部分」として眺めるだけで、創価とは無関係に生きていくはずだったのに、この場に足しげく通うことになりました。

    年末にコメントをくださった、「正義を宣揚しつづける」一会員さん、創価大卒の匿名さん、ありがとうございました。
    内容には、意味がわからない部分もありましたが(すみません)、この場に来てくださったことを、私はありがたく思いました。またぜひ来て意見をきかせてください。
    そして今度は先生の言葉の引用ではなく、活動家さん、ご本人の言葉がお聞きしたいです。

    創価が、相互扶助をベースにした大衆のための団体として改革される?
    それは信濃町を更地にしてからいってくれ、などと思ってしまいます。
    一般会員が一生行けない海外の豪華なSGI施設を売却してからいってほしい。
    各国の大学や市町に寄付している額を(公にした後)、会員や公共の福祉のために使うようになってからいってほしい。
    非正規雇用の方、年金生活で貯金もゼロの方、ご病気の方、生活保護の方、被災された方……たくさんいらっしゃるでしょう?
    多額の資本をつぎ込んだ荘厳な聖堂を、一般会員の何人が何回利用しますか?
    他にお金で助けられる民や民の生活もあるのではないですか。
    信濃町買い占めるくらいなら、福祉施設くらい建てなさいよ。
    (……なんていいたくなります。)
    与党公明党が、生活保護法の申請や親族の扶養義務を厳しくする「改正」について、何かやってくれましたか?
    増税はどうですか? 高齢者医療負担の引き上げについてはどうですか?
    成長戦略路線にのせられて、非正規雇用の労働者がもっと増えたら、どのような社会になりますか?
    獄死された創始者牧口氏、70回忌だそうですが、彼を捕らえる根拠となった「治安維持法」と「秘密保護法」の気味の悪い類似点は無視ですか。公明新聞の生ぬるい説明で満足ですか?
    自民党の改憲案を読みましたか?
    世界平和の理念はどこにいきましたか?人間革命冒頭で、センセイは「戦争」についてなんといわれていますか?
    公明党が自民党のストッパーになどなっていません。
    そんなことを考えているうちに、「矢の毒が回って死んでしまう」から、速やかに折伏してお題目をあげることが救いになりますか?ほんとうですか?
    「国」という文字に、中の「王」を「民」と書き換え記した日蓮、その弟子のなすべきことでしょうか?

    「自分に勝つ」とか「宿命転換」とか「人間革命」とかよくおっしゃりますが、自分を自分自身が「承認」してあげられないと、どうなるでしょう。
    自分を認められない。
    自分の弱さ、宿命と、闘うべき。
    そんなことするから、折れやすいのです。
    折れやすいから、「なにがなんでも信じぬくもの」が他に必要になります。
    ファンタジーの世界にいくほうが楽になる。
    折れそうなところに、「人生唯一の師匠」や日蓮が残したものの「抜粋」がぶら下げられます。(日蓮の「個人の救済だけでなく社会全体を見据えた思想」や排他性は、強い引力のあるものだと思います)
    そこに、世界平和や広宣流布といった届きそうもない目標がさらに掲げられている。
    もう、自分を「承認」してあげる必要もないし、そんなヒマも、余裕も、ないですよね。
    「創価哲学」って、弱者のための哲学では決してないと思います。
    弱い部分を無理やりあぶりだして、そこを麻痺させる「信仰心」を引き出す、悪い意味で大変上手なシステムになっていると思います。

    「世界平和」と「多様性の価値」を謳う昨今のようですが、自分自身さえも認められずに「闘い」を強いられる皆さんが、本当に「世界」を受容し、肯定し、あいすることができますか。

    祈ることで、現実から目をそらす。
    生きるうえでのくるしみを麻痺させる。
    現世利益を謳う。
    今は鎌倉時代じゃないから、他に選択肢はいっぱいあるのに、民主主義国家なのに(過去形になりませんように)……生き方を制限する。
    だから、創価は嫌いだし、かなしすぎる。

    そりゃ、「ファンタジーからでておいで。現実世界はすてきだよ」といえるネタなんて、あんまりありません。おっしゃるとおり。
    残念な社会でごめんなさい。
    でも、実際に生きねばならない世界は「ひとつ」なのです。ここですよ。
    幻想はあくまで幻想であり、メシを食うのも、金を払うのも、家を探すのも、あいするひとを見つけるのも、この「いまいちな世界」なのです。

  28. 現実がきびしいから、創価の幻想から抜けたくないんですよ。私は10人の現役活動家を紹介し育ててきた責任の重さを自覚しているので、自分だけ幻想から醒めてクリアしましたではすまない状況なのです。

     実は明日からの3連休で、4人目の友人(地区幹事)と話すため、飛行機で北国へいきます。行こうと思ったきっかけは、聖教の先生の写真は合成では、とメールがきたので、もしかすると話し合えるかなと思ったからです。

     覚醒してお互い理解しあいたいという気持ちと、かえって生きる指針を揺るがし絶望させてしまわないかと気の重い旅となりそうです。

     創価村限定ですが、本当に濃い絆、血の通った暖かい組織も多くあるんですよ、、、、

     月3000円の会費(新聞代、財務1口、タダも可)で、ゆりかごから墓場まで面倒みてくれ、困ったことがあれば、共に悩んで共に祈ってくれ、議員もタダで動かし、愚痴もじっと聞いてくれる。一人暮らしで生きるのがやっとこさの人にとっては、創価の組織は砂漠のオアシスなんですよ。

     その世界から、引き離してしまう負担を考えると、幻想のままがいいか、距離をおいて、あまり金と時間をつぎこまない用に死なよ程度がいいのかもしれません。

     ある意味、結婚も幻想、仕事も幻想、世の中のウラを知ったら、幻想の中で、生きているようなものと感じます。

     自分は覚醒して大丈夫ですが、本音は死ぬまできずかずにファンタジーに陶酔していたかったなと思います。末端は純粋でまじめな魅力的な先輩方が本当に多いんですよ。

     もちろん創価の成果主義、北朝鮮に似た体質など悪いところをあげればきりがなく、嫁も地区婦としてうつ寸前まで追い込まれましたが、創価のメリット、デメリットをトータルでかんがえて、この情報がオープンになっている時代でも創価に残るという選択をしている方も多いのです。

     2世のかたの親の罰論の刷り込みなどの弊害は嫁をみているとわかります。私は20歳で自分の意志で入りましたので、罰とかの恐怖感は薄く、むしろそれで脅す指導性に疑問を持っていました。

     ですから覚醒の段階で、創価だけではなく、日蓮の考えにも疑問をいだくまでに至りました。

     創価の問題は、ハードランディングではなく、ソフトランディングで、ポスト池田の時代は社会性、常識をもって、ゆるやかにSGI化してほしいと願っています。

     日蓮もどきの新興宗教(建前の池田教)として変われば、それなりの人は残り、人権侵害、憲法違反とまでいかないのでは、、

     巨大教団の脱マインドコントロールを考えたら、多くの友人を創価の世界に入れた私からみれば、創価の良い部分は残しながら、ゆるやかな改革を信濃町の寄生虫どもに期待したいところです。

     

     

  29. 「一口でもやったら必ずお金に困らないから」
    これもファンタジーかしら。
    商売ですからね。お金出したら夢も売りますって。

  30. yさん

    時間もお金もほどほどにしてオアシスを手に入れる、というのは無理があると思います。「陶酔」するまで幸せを感じたかったら、盲信して人生を賭けるほどじゃないと。
    それは創価であろうと、他の世界であろうと同じです。
    私も創価の教えにしびれた時期がありますが、その分徹底して活動しました。だから弊害など気づかず幸せを感じられました。

    ほどほどの教えになったら、ほどほどの結果しか出せない…皮肉ですが、そういうものだと思います。ドラマとか、血潮とか、涙とか連帯、ロマン…創価を支えた根源はなくなります。
    今の創価を支えている末端活動家は、愚痴を言って疑問を持ちながらも、それらを誉れある迫害とか難だと思って、乗り越えることにむしろ喜びを感じているように思えます。
    さまざまな問題と幸福感は、こんなふうに表裏一体になっているというか。
    だからよい部分だけ残し、悪い部分は変えていくというのはそう単純なものではないと思います。

    ほどほどの団体になったら、つまり規模も小さくなって、害も功績もなくて、誰も咎めない団体になったら、それはそれで解体みたいなもんでしょうね。
    厳しい現実の対極にあるオアシス…そこまで言う存在ではなくなるでしょうね。

  31. 学会葬があるから大丈夫といった、母の言動にぞっとしています。
    とても感覚的で、言葉が足りなくて申し訳ないですが、心底いやなのです。
    学会から離れたといって何年たっても毅然とできない自分がいや…でも負けたくもない。
    真実にありのままに人生を受けとめたい
    逃れきれない自分は、記憶は愛であるに共感しました
    自分を大事にしたいとは思います

  32. 創価学会は、砂漠の中のオアシスでしょうか?
    わたしは、そうは思えません。
    まあ、高齢者の独り暮らしには、そうかもしれませんが。。
    果たして魅力ある幹部が多いか?といえば、非常に癖のある幹部も多いですよ。
    オアシスと感じられるうちはまだ、創価学会は捨て難いですよね、確かに。。

    創価学会を離れたら厳しい世界が待っていますか?
    それは、その人次第ではありませんか?
    わたしは、創価学会をやめて、気持ちがとても楽になりましたよ。
    違う世界が拓けて、また向上心のある方々との交流も増えて、創価学会よりかは、なんぼもいい人間関係に恵まれています。。

    そういう世界も知らないで、選挙活動や新聞啓蒙などに明け暮れる毎日なんて悲しすぎませんか?

    まだ、麻薬を打っていたいのでしょうか?
    どうかしてますよ。。
    まやかしですよ。。
    怖いですね。そんなまやかしに納得してしまう心が。。
    創価学会のMC怖るべし、ですね。。

  33. それに、月に3千円の会費を払うくらいなら、わたしは寄付に回します。
    あんなどうしようもない新聞とっている人の気が知れない。
    (過激ですかね?言い方が。。)
    わずかなお金でも有効に使いたいですから。。

  34. yさん

    >現実がきびしいから、創価の幻想から抜けたくないんですよ。

    正直な気持ちを書かれていると思います。よほど現実に辛い思いをされたのでしょう。
    では、このことをあなたの子どもさんに言えますか?
    「現実は厳しいんだから、幻想の心地のよいところに引きこもっているほうがいい人生なのだ」と。
    「ここにいれば死ぬまで辛い現実を忘れられる」と。
    我が子に現実の厳しさから目を閉ざして生きる人生を教えますか。
    そしてもし、現実にあなたにお子さんがいらっしゃるなら、そのように言っていらっしゃいますか?
    あなたのお子さんは厳しい現実に対して、実際にどのような生き方をされていますか?

    Yさんと一緒に活動されていた方は誠実で立派な方だったかもしれません。
    それはここにコメントをくださる他の方も熱心に活動されていた方ばかりですので、
    みなさんわかっていると思います。
    問題にすべき点は活動家の方の人間性ではなく、その誠実で立派な方たちが
    池田氏が思い描いている組織の目的に盲従している現実ではないでしょうか。
    その創価の現実のほうが厳しいと思いませんか?
    創価から毒抜きをすれば、もはや創価ではなくなるでしょう。
    お金の集まらない創価は創価ではなくなります。
    Yさんがおっしゃるように、創価学会が自ら毒抜きをして
    現実逃避のための麻薬的な宗教団体として存続するとしましょう。
    それってかつて創価が無限地獄に堕ちると批難していた念仏思想なのではないでしょうか。
    実際の念仏思想がそのようなものかどうかは知りませんし、
    おそらくそのようなものではないと私は思っていますが、
    Yさんの言葉からは、現実の厳しさから逃れるためには創価が言うところの
    墮地獄の思想にすがってもいいじゃないかとおっしゃっているように思えます。
    ならばいっそのこと、すべての人間の罪を一身に引き受けたあと復活された神の子イエスの力を信じる
    キリスト教に改宗されたほうが、お金もとられないし、選挙活動もしなくていいし、
    信者の方は優しい方たちばかりで心も安らぐのではないでしょうか。
    創価ほどお金に執着する宗教団体は、よほど怪しいカルトでなければないと思います。
    創価は宗教を悪用した集金団体だということはYさんも気づいたはずです。
    そこまで気づいておきながら、それでも創価に心のよりどころを求め、
    社会的な存在価値を見出そうとする考えが残念ながら私には理解できません。

  35. おもしろいエピソードを話しましょう。
    私が創価に疑問をもったきっかけの出来事です。創価以外のマスコミはノータッチで暮らしていたので、おかしいと思ったのは内部での出来事でした。

    ある時、地区婦人部長が新聞を5部とっていることを知りました。
    熱心に信仰はしながら、他人のこと、細かい打ちだし事情などに無頓着だった私は、多部数購読なるものを生まれて初めて知って、それはそれはびっくりしました。(遅い?)
    その婦人部長、ご主人もお子さんも未入会なんですよ。
    そういえばなんだか新聞の打ち合わせだとかいって、会合のたびに数人でよくわたわたしてたな。

    「なんで一部でいいのに5部もとるの?!」
    私は目をまるくして、率直に聞きました。切り抜きにしろ会合用にしろ、んなもんコピーすればいいじゃん!パソコンでも見れるじゃん!資源の無駄じゃん!お金かかるんだよ!
    聞けば、上から目標部数が設定されるんだそうです。(世帯数の1.5倍だそうです。なんだそりゃ)それをあきらめずに挑戦することが大事なんだそうです。できませんでした、と返すことは負けたことになるから絶対やらないそうです。そうやって福運を積むんだそうです。学会のために使ったお金は戻ってくるんだそうです。

    いやあ、納得できませんでした。すぐ支部幹部をつかまえてまくしたてました。
    「そういうことが信心があるっていうことなんですか?なんでそんなことがまかり通っているの?」

    そしたら支部婦人部長がうーんと悩んだあと、ちょっと待って!と言って本部幹部を連れてきました。
    その本部幹部が言ったことが以下です。
    「そんなふうに人をわるく言ってはだめよ。やめなさい。私の母なんかね、すごくすごく貧乏でお金がない中、10部とってたのよ。そして、ご近所や知り合いに配っていたの。けなげに学会理解のためって頑張ってたのよ。創価を支えようとしてたのよ。それを見て、私、母を尊敬したわ」

    私はそれ以上言うのをやめました。他人の大切なものを悪く言って、不愉快にさせたくなかったからです。

    そのかわり、その日から決定的な疑惑を持ちました。創価について私は誤解しているんじゃないか、知らないことがもっともっとあるんじゃないか…。

    ゆりかごから墓場までは、そういう会員さんの労苦、資金源で成り立っているんですね。

    心底賛同して創価に残っているならわかりますが、本部職員を寄生虫とまで言いながら、学会のおいしいところだけ吸いたい…これはバリ活さんよりヒドイんじゃないですか。(すいませんキツイ意見かな)

  36. ほんとです。
    ほとんどがゴミになるものにお金をつぎ込んでいる人の気持ちが理解できません。。。というよりお気の毒です。数という成果を上げるためにタブ数購読。。

    それに、ポスティングされた人も迷惑でしょう。かつては、そうではなかったかもしれませんが、とても欺瞞に満ちた新聞ですからね、いまは。。

    世帯の150%目標ということは、50%もゴミとなってる!(◎_◎;)
    それだけで、地球温暖化を充分に進めていますよね。。
    モッタイナイ精神、あれは宣伝しただけですかね?

    そんなことに大切なお金を使うのではなく、ぜひ!寄付に参加してくださいね。。その気になれば、たくさんの窓口がありますよ。

    うちは、聖教新聞をやめてしばらくしてから一般紙もやめました。
    いまは、ネットのほうが真実に近い報道が手に入るから。。
    無駄は極力削ぎ落とす生活ですよ。

    これから景気は大変になるのに、呑気にタブ数をとってるご時世じゃありませんよ。
    そうやってモノを言えない弱い人たちにしわ寄せが来るのが創価学会なんですよね。。

  37. それに、建設的な意見や正直な想いを述べただけで、悪口とか怨嫉とか嫉妬とか言う。。やり切れませんね。
    だから、こんな組織になってしまったのですよ。
    ほんとうだったら、クレームも意見も、どんどん吸い上げて、それに対して、組織としてどうあるべきか?とやっていくのが血の通った漸進的な組織のあり方ですよね。

    そうではなくて、大幹部はまやかしの指導しかしない。
    純粋な若い人から次第に離れていくのも当然の成り行きです。

  38. yさん

    くるしいこころで、北への旅はお疲れになると思います。
    お気をつけて、あたたかくしていってきてください。
    お話の結果がどんな形をもつにせよ、ご友人との時間が、できるだけよいものになりますように。

  39. こちらは、学会を離れて、その後の友人関係がどうなったか
    コメントされている方も多いようなので、
    さかのぼって参考にされたらいいと思います。

    若い頃に身近な環境だけで、人生を達観してしまうのはよくないです。
    十年、二十年とたって自分がこんな風に思考するようになるとは想像つかなかった

    こちらの場面で、年齢環境を問わず、学会のコメントが寄せられるのは
    とても現在の自分にビタミンとなっています

    みなさん心の窓を開けて…まだ寒いですが

  40. 地球温暖化やユニセフやワクチンって詐欺だそうですよ。

  41. 私は55歳といういい大人ながら注射が大嫌いなチキン野郎なので、インフルエンザの予防接種を受けたことがありません(笑)。さいわいインフルエンザにかかったことがないのでことなきを得ていますが、何年か前に中学生だった息子がインフルエンザにかかり、たいへんな熱を出して救急車で運ばれたことがありました。それで息子には毎年必ずインフルエンザの予防接種は受けさせていたのになぜだろうと思っていたのです。そこで友人の医者にきいてみると、その年で流行るインフルエンザが特定できてからそのワクチンがつくられて一般の病院に出回るには、かなりの時間がかかるので、ふつう流行前に接種されるワクチンは前回のためのものだということでした。だからしないよりはしたほうが確率的にはリスクを抑えられるけど、そのワクチンが実際にその年のウイルスに効くかどうかは賭けみたいなもんだね、と言っていました。なるほどなと思いました。まあ、詐欺ではないけど、その年のインフルエンザに効くかどうかはわからないということはちゃんと伝えないと、予防接種しているから私は大丈夫なんて思っている人も多いんじゃないでしょうか。
    ユニセフに関してもあまりいい話は聞かないですね。ア○グ○スなんとかというタレントさんのこととか、ずいぶんバッシングがあるようですし。でもそれが詐欺なのかどうかは知りません。というかあまり興味がありません。国境なき医師団やほかの慈善団体やボランティア団体がありますが、実情をよく確かめないといけませんね。
    私の友人たちがときどきカンボジアに訪問して、現地の貧しくて学校に行けないような子どもたちに絵の具と紙を持参して絵画教室を行い交流を深めているのですが、先に絵の具と紙を送りたいと政府関係者に言ったら「物は持参しないと届きません」ときっぱり言われたそうです。つまり絵の具とが用紙は子どもたちに届く前に誰かが売り飛ばしてしまうのだそうです。日本では考えられないことですが、むこうではさほど珍しくないことだそうです。
    私がこんなふうに実際の友人からの話をするのは、知らない人から聞いた話や単にネットで見たことではなくて、それが確かな情報であることを伝えたいからであって、決して「自分はこんなに人脈がある」とか「話に権威付けをして上からものを言いたい」といったことではありません。
    国境なき医師団の話も、アフガンで井戸掘りを中心にしたボランティア活動を精力的に展開されてきたペシャワール会代表の中村哲医師から直接聞いた話です。
    http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/index.html
    地球温暖化に関することも、いろんなことが取りざたされていますよね。原発推進のための口実になったり、そもそも温暖化の原因がCO2とは関係ないことも。
    映画「六ヶ所村ラプソディー」や「ミツバチの羽音と地球の回転」で有名な鎌中ひとみさんを中心にしたみなさんの活動も素晴らしいですね。
    http://kamanaka.com/
    以前ここで紹介した森崎東監督の映画「ペコロスの母に会いに行く」がこのたびキネマ旬報で2013年のベスト映画第一位を獲得しました。
    http://www.kinenote.com/main/kinejun_best10/2013/award/
    巨額な制作費を投じなければ興行的に極めて難しくなった日本映画界の中で、低予算と小さな配給会社でつくられたこの映画が日本一の栄誉に輝いたことは、困窮する日本の社会の中で、一筋の光が射したような気がします。森崎東監督の映画に「生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言」という原発ジプシーの現実を題材にした映画があります。こちらもぜひ見てみてください。原発がいかに一般の人たちの犠牲の上になりたっているかがよくわかると思います。ただ監督は単なる社会問題を提示するために映画を作り続けてきたのではありません。今回受賞した「ペコロス…」も、高齢社会と認知症や介護の問題を題材にしながらも、人間が生きていくことの意味、死ぬこと、そして命をつなぐことの大切さを、どこにでもいる一般の人たちの生き様の中から見事に浮き彫りにしていて、映画館では多くの人が感動の涙無しには見れないような映画です。そしてこの映画は単にスポンサーの後援だけではなく、原作の素晴らしさに賛同していただいた全国の読者の方の少しずつの寄付金によって完成することができました。
    さて、そこで創価学会が行っている平和と文化の活動とは何でしょうか。金にものを言わせて高価な名画を買いあさって展覧会をやったり、名の知れた舞踏団や演奏家を日本に呼んで興行(それも民音主催で組織を通じて学会員に購入ノルマを押し付ける)、何に使うのかわからないような外国のお城を買ったり、海外の大学に多額の寄付をして池田氏の名誉称号を買いあさる。そのお金はすべて学会員の財務から流れています。学会員は社会が抱えている問題ではなく、創価学会と池田氏が有名になるためだけのためにお金を払わされているのであって、決して会員が出したお金が世界の問題解決のために使われているわけではないことに気がついてほしいものです。
    学会員として財務をする、聖教新聞やその他の学会書籍を購入する、民音のチケットも買わされる。そんなお金が世界の平和や文化にどれだけ貢献しているでしょうか。っていうか、しているわけはないと思います。

  42. 初めまして、ebitと申します。
    こちらのサイトには度々ご訪問させてとても共感できる点が多く、今までロムっておりましたが、初めて発言させて頂きます。
    どうぞ、宜しくお願いしますm(__)m

    私の簡単な自己紹介ですが…学会3世です。現在一応…婦人部の副しらゆり長って事になってますが、今はパートの仕事の関係上会合もあまり出ていません。今は徐々に距離を置こうと思ってる最中です。
    家族は、未入会の旦那(先祖代々他宗のお寺の檀家の家)、高校生の子どもがいます。
    勿論、旦那の身内には1人も学会の人間は居りません。
    私の身内は…祖父母の代からで、特に母親・親戚が殆どバリ活の幹部クラスの学会員一家です。(他県に在住)
    結婚の時に、旦那の父親が反対したらしいですが、母親の知人・友人に学会員の知り合いが多かったので理解があった為、結婚出来た様な感じです。今は義父母どちらも亡くなり、3人暮らしです。

    signifie さんの仰るように、今の学会の組織の問題、池田名誉会長などを巡る一連の事、公明党が今は連立与党になってますが、秘密保護法を巡る法案を可決賛成に回った事…後、本当に色々と疑問符だらけ???の状態で。

    元々、私自身の事で母親が入会してから、本当に母親の影響が物凄く大きかったのは事実です。なので、学会の事、名誉会長の事は何の疑いもなく3世として独身時代は信仰にそこそこ…励んではいたんですが、就職先に選んだ先が基本、女子部の会合に殆ど出られぬ大手の小売業に決まり、それを女子部の幹部に報告した所、「何で土日の会合に出られない販売なんかを選んだのか?」などと言われ、深く傷ついて泣いた事もあり。そこから幹部の在り方に違和感を持ちだした事が今思えば些細な疑問でありきっかけだったのかもと思います。今して思えば本当に、その女子部の幹部…今は何処でどうしてるのかも不明ですが。逢う事があれば言い返してやりたい。傲慢な指導をして苦しめてくれたなと。
    と言うのも自身はここでは詳しく書けないのですが障碍を持っていて、今は手帳を取得していますが一番ハードルが互い面の所なんで、それが原因でずっと書類選考ににも落ち、面接にも落ち…でも、やっと自分の足で就活して掴んだ内定先だったんですね。
    でも、正社員として数年勤務して、結婚も決まって寿退社出来たんです。障碍持ちの私でも。

    結婚してからもネットでの情報が今まであまり主流でなかった頃は、まだ学会の組織の裏の面など分からない事も多かったので、居まして思えばいくらでも美談に出来た訳ですよね…
    疑いの心などは持ってなかったです。でも、組織のやり方には正直ずっと違和感を抱えてたのは事実です。

    そして、組織の人々は個人個人では本当に基本的には良い人が多いですが、ごめんなさい、幸せそうなオーラを持ってる方…殆ど居ないんです。悲愴な雰囲気を抱え必死に生きてる会員さんが多く、明るくない。
    しかも、お金に余裕がない…ない…と言われてる方、本当に多いんですよね。何故なんでしょうね。
    財務をすれば功徳が出る、何倍にもなって返ってくる…と言われておきながら。残念ながらその疑問も、何にも内部の方からは言ってこないし、疑問視する声も出ない。

    私自身は未入会の旦那持ちですが、色々確かにありましたけれども、幸い経済的にはとても恵まれてます。困った事はないです。
    今迄組織のやり方に殆ど流されなかったからだと思います。
    マイ聖教云々の時も、決して余分に購読しなかったですし、財務の時も結婚して最初の数年こそ数口はしましたが、ここ最近は1口しかしてません、でも、経済的には何も影響ありません。
    むしろ、ご近所の組織の方に色々とお菓子であったりとか、食品などをお裾分けしてあげられてる境涯なんですよね。
    私自身はこの分け与える見返り、まあ学会用語であえて言えば功徳、なのかな?と思ったりもします。決して見返りなどを期待して差し上げてる訳ではないんですよ。

    …ただ、自身の悩みがあるとすれば、学会員(未活になりたいのですが、母親が幹部なのでなかなか…)である事でなかなか、それを隠し通す事がしんどいですよね。
    後、母親と将来的に起こり得るであろう葛藤…そこも乗り越えなければ、です。

    又こちらのサイトでもお世話になるかと思いますが、宜しくお願いします。

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