いつも多くの方からコメントをいただき、とても感謝しています。

ひとつひとつお返事をと思ってはいますが、なかなかできないのが現状です。とくに今年は年度末締め切りの仕事がすでにたくさん迫っておりまして、みなさんからのコメントを読んで承認するので精一杯と言った感じになってきました。また鬱の症状もあいかわらずで、忙しいのはわかっているのに仕事をする気になれなくて、何日も自宅に引きこもってしまうということもあります。でもこれは現実を直視しながら乗り越えないといけないことですから、逃げることなく頑張っていきたいと思っています。

今年になってとくにこのブログへのアクセス数が増えてきました。以前は一日750〜1000だったのが、1000〜1500、多いときには1750にもなります。もちろん多けりゃいいというものではありませんが、みなさんのコメントからは、とても誠意のある、そして切実なご意見をいただけて、もうそれだけで感謝感激です。以前ここを中止せざるを得なくなったような攻撃的なコメントは一切ありませんし、みなさんの冷静で知性のある対話によって、多くの方の共感を得られることができました。ほんとうにありがたいです。もしよければ、コメントは一番新しいページにしていただけると、読まれる方も見落としがなくていいのかなと思います。

「創価に疑問をもってからは辞めたいと思うのだけど、なかなか辞められない」という方がかなりいらっしゃるようです。そうした方の切実な悩みも、このブログにどんどん書いてください。また、私はこうして辞めることができましたといったことも書いていただけると、たいへんな励みになると思います。組織に対して抵抗があったり、自分の内面的な整理がつかなかったり、家族との衝突が心配だったりと、いろんな場合があると思います。

私の考えとしては、どうにかして組織から離れるという方向で行動を起こすことをお勧めしますが、問題はそれほど簡単ではないということもよくわかります。でも、それでも創価に関わることでいいことなどひとつもありません。それは断言できます。人によっては組織にいたほうが心地いいという方もいらっしゃるでしょうが、そんな組織のおかげでたいへんな被害(人権に関わる)にあっている方がたくさんいるんだということも事実なのですから、これは自分ひとりの問題ではないということも前提に考えなければならないことだと思います。

ブログでできることは限られるとは思いますが、一人でも多くの方が創価の問題点を共有し、解決に向かって行動できるきっかけとなっていただければと思います。

これからもよろしくお願いします。

 

」への10件のフィードバック

  1. 非活婦人部チョコと申します。
    新聞を止め活動を止めたら、ストレスが減り心が軽くなりました。創価の家庭に生まれたことは決して消えないけど、これから続いていく自分の子供や孫にはこんな思いはしてほしくないです。
    創価学会の信者というだけで後ろめたさも感じていました。

    神社仏閣などにも足を運んで日本人としての感覚を取り戻せたらと思います。
    そう思っても、生まれた時から創価の洗脳で育っているので元々その感覚さえないのですが…

  2. 私は結婚を機に創価学会である実家から離れて、20年たちました。

    慣れない育児等新しい生活の中、苦しいことも沢山あり、
    その度戻ったら楽になるとも思いましたが、
    子どもたちや主人との生活もあり、踏みとどまりました。

    20年たって、意外と平凡になんとか生活できています。
    実家は…いろいろな方が言われているように、相変わらずです、なぜでしょう

    親孝行はしたいんですけどね……

  3. 以前のコメントにも書きましたが、創価の指導は「近隣の模範に」「社会で実証を示そう!」と掲げます。
    末端は言われるままに、懸命にそう務めます。
    選挙が頼めるように。新聞をとってもらえるように。何より「創価ってすばらしいのね。あの人を見てればわかるわ」と言ってもらえるように。
    執行部の狙いですね。
    そんな自分たちは果たして、近隣の模範ですばらしい存在なのか。

    けなげな末端の会員の振る舞いで、ぎりぎり組織は持っています。上層部でどんなにアクドい事件があっても、隣の学会員さんの〇〇さんは爽やかでいい人だから…これでよしとなります。これを創価の真実の姿とします。
    末端は、世間で悪評が立つほどに、自らの振る舞いでイメージを払しょくしようとします。巧くできてますよね。

    地域や社会から信頼されるのは誠に結構なことで、そう務めるのは立派です。
    ただその理由が「創価の看板を背負っているから」という理由なら、その影響力を考えてほしいです。
    自分の個人的な信頼の他に、及ぼしているものがある…

    純粋でけなげ、で済まされないことに気づいてほしいです。
    つくづく強かな組織ですよね。

  4. 初めまして。30代半ばの学会三世の婦人部、もふもふと申します。
    昨年より、こちらのサイトをたびたび拝見させていただいております。

    シニフィエさんをはじめ、こちらに書き込みをされている多くの方々のコメントに勇気をいただき、本日、脱会届を学会本部に提出いたしました。
    やっとのことで、生まれたときからの重たい創価の足かせを外すことができて、今はスッキリした気分です。

    私は生まれた時から両親がバリ活学会員、親戚もほとんどが学会員という家庭に育ちました。
    仏罰の恐怖を物心がつく前から植えつけられ、創価の思想を強制的に刷り込まれ、親の期待に応えること(学会を継承しなければ!という思い)に必死になって生きてきました。

    子供のころから心が不安定で、いつも苦しくて、不安で、大人になるほど、長く生きるほど、人間不信が強まっていきました。
    そうして、20代でついに鬱病になってしまいました。
    しかし、両親は心の病などは全く理解できず、「お前の弱い命を信心で切り捨てるんだ!」「お前の心が弱いのがいけないんだ!」「鬱病なんかあるわけない!ただのなまけ病だ!」と、ひたすら私を責め続けました。

    電車のホームから、フラリと吸い込まれるように落ちてしまいそうなほど限界に達していた私に、血の通った親としての温かな言葉はかけてくれませんでした。

    私は両親に、解決策を求めていたわけでもなければ、励ましてほしかったわけでもありません。
    ただ、「大丈夫だよ。苦しくても、大丈夫だよ。」と、苦しんでいるありのままの姿の私を受け入れてほしかっただけなのに・・・。
    血の通った、温かな親としてのぬくもりを、心に感じて安心したかっただけなのに・・・。

    けれども、こういった場面では、いつも学会指導のような厳しい言葉を浴びせられたことしかありませんでした。
    親自身から発するぬくもりも、感情も、ほとんど感じたことがありませんでした。

    ただひたすら、「題目あげなさい!」「弱い自分を乗り越えなさい!」「強くなりなさい!」と言われ続けて、自分でも幼少時代からの刷り込みもあって、女子部時代には活動家として、ひたすらがんばっていた時期もありました。
    弱い自分を変えたくて、鬱から解放されたくて、人間不信を乗り越えたくて、学会は正しいと思い込んで、自分は変われるとひたすら信じて・・・。
    けれども、常識外れの学会活動は、さらに自分を苦しめただけでした・・・。

    物心ついたころから背負ってきた自分の苦しみの原因は、両親の古い価値観と、創価学会の間違った思想や指導、特に「仏罰、宿業への恐怖心」にあったことに、ようやく昨年気が付きました。
    「自分は自分らしく生きてもいいんだ」ということに、ようやく気が付きました。

    創価学会から私を切り離すきっかけをくださったのは、こちらのサイトの存在、真剣に書き込みをしておられる皆さんのコメントでした。
    創価学会二世、三世として生きる苦しみは、本当に計り知れないものがあります。
    周囲の人間関係、生活環境や、両親の影響などは人それぞれだとは思いますが、学会二世、三世の抱えている心の問題は、軽視できないと思います。

    本当に、覚醒した今となっては簡単にわかることなのに、学会の矛盾も直視できず、本当の自分を押し込めて、正義だ悪だ法戦だという言葉に操られて、福運というアメと仏罰というムチに上手に操られて支配されていた自分が、いったい何だったのか・・・長くてとても嫌な夢を見ていたような気分です。

    現在は、カウンセリングに通いながら、心を癒しながら、本当の自分として再出発する準備をしています。
    私の心の苦しみを解放する方法は、インチキな学会活動なんかじゃなく、もっとキチンとした精神分析という学問に基づいた、カウンセリングという手法なのでした。

    もっと早くに覚醒できていれば、もっと有意義な時間をたくさん過ごすことができたのになぁ、と思う今日この頃です。

  5. 二世、三世問題は私もよく考えることです。
    本来自分と人格が別な相手に、分別のつかないうちから一方的に価値観を押し付ける…創価ではこれを、親以外の他人でも堂々とやります。
    子どもができると組織の幹部は大喜びします。苦労して折伏しなくても、会員が増えるからです。成果が上がるからです。
    生まれると「それで入会はいつ?いつ?」と執拗に聞きます。(実家の組織の方で考えてます、と言ってモメたケースありますよ)

    婦人部などは実際、可愛がってくれて子守りもしてくれたりします。
    小さな手を合わせてナンミョーというと、みんなで絶賛してお菓子をくれます。自分の組織の中で人材に育てようという崇高なる下心があるからです。ようするに「創価の子」と思っています。
    子どもはちやほやされるそんな雰囲気を、嫌いにはなりません。
    うちの子なんかは、会館は広くておもしろいし、会合一切を完全に遊びの一つと思っていました。ああ、この辺で覚醒してホントによかった!冷や汗です。

    もう少し大きくなると、部員会だ、合唱団だ鼓笛隊だ、子ども用新聞だと、トラップはいろいろ用意されています。
    受験時期になると、当然創価学園が勧められます。受験だけでもするというのが一部で慣行されます。
    この辺りで反抗する子はいいんだけど、中には親顔負けのバリ活くん、バリ活さんになってしまう子がいて、私はこれが見ていて辛いです。
    大人ほど多角的な判断がつかないけど、自意識が芽生えた時に純粋に信じてしまう…怖いですね。

    前に、少年少女合唱団(という名目の幹部候補生養成所)の卒業コンサートというものを見に行ったことがあります。
    小学生が「これからも、学業にスポーツに頑張り、必ず先生にお応えできる人材に成長します…」と作文を読んでいました。親は涙ぐんでいましたけど…

    近所に一家そろって信心強情な家族がいますが、子どもの一人は創価大学に行きました。
    最近は学園で覚醒する子も少なくありません。そうなった時、いちばん傷つくのは子どもです。
    覚醒した時、みんな過去を消したいと悔いますが、学歴は消せないのです。就職にも結婚にも一生ついてまわります。

    自分だけじゃなくて、他人を巻き込む。家族を巻き込む。当然よかれと思って巻き込む…それがどんなことか、どこまで責任が持てるのか、どこまで熟慮すべきことなのか…もっともっと重く考えるべきです。

  6. 私は二世で、ものごころつく前から仏壇の前に正座して唱題すると親から褒められ、まだろくに文字も読めないうちから朗々と暗記した方便本を唱えて、まわりの学会員さんたちを驚かせていました。小さい子どもというのは親に褒められたり認められることで、ものごとを学んでいくのですから、二世三世を「福子」などと呼んでちやほやされると、子どもは何の疑う余地もなく「創価の子」になっていくんでしょうね。まったく人権も何もないおそろしい洗脳教育です。私は大人になってからも活動はしていて、ある程度役職もありはしたものの、組織の人の言動にどこか腑に落ちない部分もあって、ときどき組織の中でも反抗したりしました。そんなときは自分で自分がいやになったりしました。どうしてここまで他人の人生に立ち入らなければならないのだろうと感じていました。また、小学生の時からバリ活の同じ年のいとこがいて、彼はいわゆる創価の子のまま大人になり、気がつくと地元の青年部長にまでなっていました。私はというと壮年部になるころには、組織のおかしさを自分の中で消化することができずに、すっかり非活となりました。でもそれでも日蓮仏法はまちがいないと思っていましたので、勤行唱題は欠かさずにやり続けていました。今思えば、自分のこれまでの人生を否定したくないという最後のあがきのようなものだったのだと思います。もっと早くに気がついていればと今でも思います。
    ここにコメントされる方の多くは、私と同じように何の疑問も持つ機会を与えられずに創価漬けの環境で大人になってしまった方です。そして創価の間違いには気がついても、まだ創価学会が宗教であるという一点を払拭できずに悩まれている方もいらっしゃるようです。ここで私が言いたいのは、創価は日蓮仏法を金儲けに利用しているだけであって、決して宗教ではないということをはっきりと自分の中で認識させることだということです。それは自分の人生を否定することになるという恐怖と後悔の念が襲ってくることもよくわかります。そのことによって私はまだ鬱が続いていますが、今私が思うのは、たとえ自分の人生をくだらない詐欺に利用されてきたとはいっても、そのことに気がついて、そこから勇気をもって抜け出し、新たな人生、ほんとうの自分の人生を歩める時間がまだ残されていると前向きに考えるようになりました。脱会したらすぐにきれいさっぱり忘れるというわけにはいきませんが、少なくとも自分が創価の正義を主張してきた友人たちには、直接会って謝罪したいと思っています。

  7. もふもふさん、一歩前進できてよかったですね…

    私が実家にいるとき、ずーっと親に言われていた言動とまるで同じです。
    感じていた思いも切ないほどよく理解できます。
    自分が育てられた環境を否定するのは辛いですよね。
    女の人は、またこれから人生左右されて、もしかしたら私のように、
    後ばかり振り返って日々の暮らしに前向きになれないことも
    あるかもしれませんが、またこの場を御借りして
    ……いつも有り難うございます…
    リラックスしましょう

    御書の一節に、冬は必ず春となる、という箇所があったと思いますが、
    世界中で同様な意義深い言い回しが存在するのですね…
    この世は限りない真実が実はあふれていて、気づいてよかったと思うのです

  8. 覚醒したとどんなに言ったところで、自分の学歴は消えません。これは本当に軽率だったとしか言いようがありません。

    創大でなければ受験させないという偏狭な親ではなかったので、もう少し考えれば良かったと思いますが、疑うことなくやってきた自分にはそんな選択肢はなかったし、親や、親身になってくれた組織の方が喜ぶという思いも少なからずありました。

    最近思うのは、自分は親離れできていなかったんだなぁということです。いくつになっても、親から与えられた価値観から離れられない。その中で上手にやっていれば、親も喜ぶ。みんな喜ぶ。そんな狭い枠の中で生きてきたのだと思います。
    活動をやめて、新聞も財務もやめて、初めて親と対立しました。

    子どもといえども、一人の独立した人格であるというのは、皮肉にも創大で学んだことです。なのに、親子間の思想信条の違いは受け入れない。なぜか信仰のことは別問題で、そこはスルーです。明らかに矛盾しているのにそれを「幸せを願って」という言葉で片付けてしまう。それを私も我が子にやってしまった。激しく後悔するとともに、子どもが幼いうちに気付けて本当に良かったと思っています。そして、自分にはそういう傾向性があるということを肝に銘じて、子どもと向き合っていこうと思います。

    親を大切に、親孝行しなさいというのは、創立者のスピーチでも何度となく飛び出す言葉でした。学生の多くは、創立者の言葉を忠実に守り、親の期待に応えようと一生懸命でした(もちろん、そうではない人もいましたが)。それも、親離れできない一因だったと思います。

    今、親から与えられた価値観の枠から出て、自分の頭で物事を考えるようになりました。創価のガイドラインに沿わない、自分でアレコレ考えた意見は、なんだかとても頼りなく見えるときもありますが、これでいいのだ、これが本当の「考える」ということなんだと、言い聞かせるようにしています。

  9. まるさん

    学園出身でらしたんですね。
    私のコメントはまるさん始め、多くの方を不快にさせていると思っています。覚悟しています。

    創価の多くの方に関わって、助けて頂いての今の自分があります。それを重々わかってながら、友人を売るようなコメントをしていることも承知しています。
    友人を傷つけ、絶交も覚悟しながら、敢えて書いています。
    そしてそれが使命感のような言い方をしながら、単に自分の中のわだかまりを整理してスッキリしたいだけ、という我がままもあります。
    一定期間言いたいことを言ったら、やがてこんなコメントもやめて消えてしまうでしょう。

    それでも創価で苦しんでいる人がいたら応援したいですね。二世、三世には特にそう思います。
    私は二世だけど、我が子に連鎖はさせなかった、これだけは後に誇って言いたいです。

  10. モニカさん

    私は不快とは受け止めていませんよ。むしろはっきり言っていただけることで、見えてくるものがたくさんありました。感謝しています。
    本当のことは、なかなか受け入れがたいときもあると思います。そしてそのモヤモヤを、自分が書き込むことでまた見つめ直し、受け止めていけるのだと思います。

    受け止め方は人それぞれですが、私は明快なモニカさんのコメントにいつも背中を押してもらっています。

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