対話をしましょう

おそらく日本で500万人以上の人が今も被害者になっているたいへんな社会問題が創価学会の存在です。でもその500万人以外の人はほとんど被害にあわないので社会問題化されないでいます。マスコミも取り上げないし、政治家も知らないフリをしてる。一番の問題は、その被害者が被害者だと気づいていないことです。騙されているうえに、そのことで自分は誰よりも幸せだと思い込ませれている。理屈に合わないことでも、めちゃくちゃな理由をこじつけて疑わないようにしてしまっています。自分がどれだけめちゃくちゃなことを言っているのかが理解できない状態にさせられています。これを犯罪と言わずして何なのでしょうか。本来ならこの巨大な詐欺集団を壊滅させるのが民主国家の政府の役割なのですが、その政府自民党さえ大量組織票という甘い餌で飼いならされています。まったく残念な世の中です。
せめて個人のレベルであっても、この巨悪の現実を世に訴えていくべきだと思います。ただそれは一筋縄ではいきません。被害者意識も加害者意識もない人に「あなたは騙されている」などといくら言ったところで聞く耳を持ちません。まじめに活動をされている創価学会員のみなさん。少しでも「おかしい」と心のどこかで感じたら、ここのみなさんに訊いてみてください。ここには何の利害もない本当の対話があります。そのような方たちと是非いちど対話を試みてみませんか。

対話をしましょう」への24件のフィードバック

  1. 信仰は自由です。
    自分だけ御本尊に祈り、心の支えとするなら私は何もいいません。
    信仰を持つことで日々感謝ができて、迷いのない生き方ができるのなら、何の文句があるでしょう。素晴らしい!と思いますよ。

    ただ創価は、それだけでは済まないんですよね。本番はここからです。
    「強いてでも聞かせなさい!相手が嫌がっても種を植えれば芽がでます」
    そういう教え故に、一人静かに信仰することは許されません。
    明けても暮れても、他人を巻き込もうとします。身内はもちろん、親しくなった友人、知人に隙あらばと。
    他人の選挙権に干渉するわ、強引に新聞を勧めるわ、そういうことに恥も外聞もなく挑んでいくうちに、面の皮もどんどん厚くなっていきます。
    これを勇気、正義、人材、人間革命といって賞賛する…そういう教えです。

    たいていの人はついていけません。
    ついていける人は最強になります。この最強軍団がやっかいなんです。
    リーダーとなり、あらゆるポジションについて、素直でおとなしい会員を鼓舞し、扇動するからです。
    幹部は「他人の人生に影響を及ぼすこと」に使命感を感じ、おっそろしいほどの情熱をかけています。
    気が強く、弁が立ち、行動的でどにでも飛んでいきます。
    ただ、心底これをよかれと思ってやっているので、一応「信仰者」ですよね。

    その一枚上手をいくのが執行部です。巨大組織のトップに位置するこの人たちはビジネスと割り切っているので、盲信などしていません。
    ホンマもんのワルだと思います。

    ワルにワルと言ってもしょうがないので、私がいちばん注目しているのが盲信幹部です。
    貴方たちがいちばん影響力があるんです。アナタたちが覚醒してくれたら、大勢の人が救われるんです。
    いちばん弁が立つ貴方たちと、私は対話したい。

  2. そうですね、私も本気で学会の活動家の方と対話ができればと思っています。でも、このブログをはじめてから二年以上になるなかで数人の活動家の方がコメントしてくれましたが、結局は対話にまではならず、自分の考え(上から流れてくる創価の指導のまんま)を一方的に発言されるだけで、こちらからの質問に答えてくれた方は一人もいませんでした。みなさん一度だけ言いたいことを言って去っていかれる。しかもおっしゃることは私が過去に聞いたことのある組織からの受け売りの話ばかりで、とてもご自分の考えとしての発言とは思えませんでした。それは私が活動家だったことがあるからこそよくわかることであり、ここにコメントしてくださるほとんどの方も「なぜ活動家が非常識な言動しかできないのか」をよく理解していると思います。かつての自分も同じような経験をしてきたからこそ、活動家の言動の理由が理解できるわけで、逆に活動家にしてみれば、私たちのようにいったん創価の間違いに気づいたものの考えは決して理解できないだろうし、それを理解することは同時に今までの自分をも否定することになりかねないからなのだと思います。ですから、活動家の方との対話がもし成立するとしたら、すでにその活動家の方は創価を疑っているということになります。
    私はそうした「少しでも創価に疑問を持っている活動家」と対話をしたいと思います。創価学会の表向きの思想信条や歴史について今さら議論してもしょうがありません。私は「否定しようとしてもできないわずかな疑問」に対して、真正面から向き合っていく勇気のある活動家さんとの対話を望みます。
    何も考えずに組織の言いなりになることが信仰でしょうか。自分の中からわきでてくる疑問から目を背けて、常に思考停止状態を他人にも押し付けながら、罰や功徳で信仰を強要することが正しい人間の行いでしょうか。多くの活動家さんたちが、よかれと思って活動を続けていることは知っています。でもそのよかれと思っていることが間違いだったとしたら。多くの元活動家がその間違いをネット上に発言しているとしたら、それをどのように理解しますか。ただの妨害だとして無視しますか。ではなぜそのような「妨害」が存在すると思いますか?正法につどう魔ですか?(笑)私は創価学会の元活動家だったからこそ、創価の間違いに苦しみ、この苦しみから一人でも逃れることのできる機会ができないものかと思っているだけです。日本では信仰の自由は保障されています。ただし他人に迷惑をかけない範囲ということです。創価学会は会員になったら最後、信仰の自由を奪われます。自分でものごとを考えることすらできなくなり。そのこと自体に何の疑問も感じなくなり、自分たちの信仰以外をさげすんで生きていくようになります。そして気づかないうちに財産を組織に捧げ、民主的であるはずの選挙にも自分の考えをはさむ余地さえなくなります。創価学会の活動家さんは、そのような活動に日々汗しているわけです。他人を思う気持ちで活動し、祈っているつもりでも、それは自分がそう思わされているだけであって、結局は組織の言いなりに動かされているだけであることに気づいていない。自分がよかれと思ってきたからこそ、そのことを否定されるのはつらいことです。それ以上に自分で自分の人生を否定しなければならない状態など考えたくもないでしょう。しかしどう考えても創価学会は間違っている。このことを認めなければ、つまりこれまでの自分の人生のかなりの部分の「間違い」を認めなければ、その先に一歩も踏み出せない。そうしたぎりぎりの葛藤の中で、私はかつて愛した人を間違った信仰によって冷たく突き放し、一人の人生を変えてしまったことの後悔から、心のバランスを崩してしまいました。私の場合はそれでも気づいたからいいほうだと思います。すでに多くの人が創価を正しいと信じたまま、利用されるだけ利用されて亡くなっていった方がたくさんいらっしゃいます。創価学会の真実が世に知られたときに、大きな社会問題となるでしょう。しかし被害者は自ら入会した会員ですから、早晩騒ぎも過去のものとなると思います。「かつて日本にもこんなに大きな詐欺団体が暗躍していた」という昔話になると思います。しかし人ひとりの人生にとっては、かけがえなのないものを根こそぎ奪われたことに変わりはありません。一日も早く、一人でも多く、活動家さんは自分の中のわずかな疑問に正面から立ち向かい、創価の間違いに気づかれることを願って止みません。そのためにもここであなたのわずかな疑問についての対話をしてみませんか。

  3. 学会員が被害者と言うけれど、原則それは自業自得だと思いますが。

  4. 対話、したいです。
    私も母親が創価にどっぷりで、小中高と創価学園に通わされました。

    ちょうど、就活の時期で、まわりの創価大学に通っている友達は、学会本部を受けています。
    強引に色仕掛けで折伏をした男友だち(友だちと言えるほどの付き合いはないけれど)もいます。授業なんてそっちのけで活動に励んでいます。

    それもこれも、本部職員になるためのようです。

    本部職員になることを最終的にめざしていなくても、試験だけは受けるという人も多く、受けさせていただけることに感謝していると、仲の良い友人が言っていました。

    先日の都知事選にもショックを受けましたが、自分の頭で考え、心で感じ、行動するということがあまり行われていないような気がしています。

    人は人を救うことはきっとできないんじゃないかと思ってます。だから創価を強く信じている友人には、あなたのやっていることは少し違う、などと言ったこともありません。
    でも、自分はこうやって考えて、こう思うからこう行動している。あなたはどうなのか?と、訊くようにしています。

    人が人にできるのは、きっかけを与えることなのかもと思います。結局は自分自身で気づくことが大事なのではないかと、、。だからこのような場での対話はすごく大事です。

    本部の内部についてはなんにもわかりませんが、結構ビジネスと捉えている人間以外に、盲信的な活動家もいるのではと思っています。

    長くなりました。シニフィエさん、いつもありがとうございます。お疲れ様です。

  5. 堅皇さんへ

    >学会員が被害者と言うけれど、原則それは自業自得だと思いますが。

    自分の意志で入会した学会員であれば自業自得かもしれませんが、産まれてすぐに入会させられ、親兄弟から学会の価値観を植え付けられた二世三世も自業自得なのでしょうか。私は創価の問題を自業自得かどうかなどといった単純な問題だとは思いません。

  6. 自業自得だと思いますよ。
    どんな家庭に生まれようが、子供は親の思うがままに育つわけでもないですからね。

    それって子供にも自我があり、最終判断はその自我によってきめるからでしょ。
    加えていえば、全て完璧な判断を持つ親など居ませんよ。

    いたらいたで、子供の持つ親に対する依存性が増し、その分判断能力が削がれる事にもなるんじゃないかな。

  7. こんなに創価の実態が暴露されてる昨今、それでも熱心な活動家でい続ける幹部のことを、私は最初、何しろ信心が強情なんだ、と思っていました。
    何がどうあれ、私が活動家だった頃には敵わない、純粋でひたむきな信心故、なんだと。

    でもいろんな人と会話し、観察し、考えてるうちに、いや違う、性格だなあとしみじみ思います。
    確かに活動家にもいろんなタイプがいますが、共通するのは「頑固。」これに尽きます。
    信心の厚薄じゃないです。頑固な性格ですね。
    一見、情深く心優しくても、頑固な人はいます。にこにこ聞いてはくれますが、自分の意見は譲りません。
    それと執着心がとにかく強いです。欲しいものはとことん欲しい!絶対にあきらめない。
    題目は、そのまま執着心の塊のようになります。
    こういうタイプの人は、よくもわるくも発想の転換をしません。

    風のようにやわらかく、発想が自由な幹部、会ったことがないでしょう?

    執着って決して人を幸せにしない気がします。
    そういう私も、執拗に書き込みをしているので、そんなものが強いんだろうと思います。
    もっと軽やかに生きたいなあ、と反省してみたり…

    創価をテーマに書いてきましたが、このブログでいろんなことを気づかされる面もあり、書き尽くした感もあります。
    この場に出会えたことを、本当に感謝しております(^_^)/~

  8. 堅皇さんが自業自得という言葉の意味を仏教的な因果応報みたいなこととして使っているのか、単に自己責任という意味で使っているのかで違ってくると思いますが、「たとえ創価が相手であっても騙されるほうが悪いのであって、信じた人間が悪いのだから、彼らを被害者とするのはおかしい」という考えでしょうか。
    極端なたとえかも知れませんが、福島で生まれ育ったばかりに震災にあって家族を亡くしてしまった方に「それって自業自得だよね」って言えますか?どこのどんな家庭に産まれてくるかも自己責任でしょうか。産まれてからずっとDVの親から虐待される子どもたちも、自我によって自分の境遇を克服できなければ自業自得なのでしょうか。
    私は強いていえば創価学会員は被害者であり加害者でもあると思います。現実に創価の家庭に産まれてこなかったとしたら、人生を無駄にしなくてもよかった人がたくさんいただろうと思います。自分が知らないところで創価学会員として育てられた人間が被害者であるとか加害者であるという判断に何の意味があるのでしょう。創価学会によって騙され搾取され続けている人たちがたくさんいるという現実が問題なのだと思います。

  9. > 福島で生まれ育ったばかりに震災にあって家族を亡くしてしまった方に
    > 「それって自業自得だだよね」って言えますか?

    言えますよ。
    そもそも、現代の科学で再生不可能な原子力技術を用いている時点で
    それはもう「それって自業自得だよね」。
    福島に限らず、原発稼動を良しとして来たこの国あげての自業自得ではないですかね。

    僕は原則、運不運なんて”神がかり”的な非合理なものは一切迷信であると思ってますから
    それよか自業自得は誰に対しても平気で言いますし平気で思います。
    なんなら仏罰でも構わないですよ。
    ちなみに、神と仏は同一視される傾向がありますが完全に別物です。

    全ての現象に法則があるならば、運否天賦は全て自業自得と断言してもいいです。

    それに人災天災問わず、受ける災害を自業自得と捉えると
    他者に対する恨みと言うものが無くなります。
    二度とこの様な惨事を生まないと願うなら、自分はどうあるべきかを見つめる事ができます。
    国が悪い、社会が悪い、東電が悪い、創価学会が悪いと
    恨みは恨みの連鎖を生むだけで、プラスに作用する事など何一つないと思いますからね。

    指摘するなら立て直そうとする気持ちがある時。
    見放す、見限る場合は相手を野次る前に自分が強くあるべきだと思いますから。
    自分が強くなれば、相対的に相手は弱くなり、必然的に相手は自滅します。

    詐欺師は人を騙す事を生業とする、また騙しやすい相手をターゲットとする。
    では、この世から騙される人間がいなくなればどうなる?
    詐欺師は詐欺を生業には生きていけなくなります。
    詐欺師を攻撃するなら、これ以上の攻撃はないと思いますから。

    「騙された」と言うなら騙す相手を恨む前に先ずは「騙されない」自分を作ろうと思います。
    また、「騙されない」人を多く育てようとします。

    退会者は相手憎しのあまりに、これまで加担していた自分を棚に上げ犯人探しをしようとします。
    創価に限っていえば、そもそも犯人と呼べる犯人なんて居るのかなと思いますけどね。
    仮に居たとして、犯人は既に退会して傍で笑っているかもしれないのに。

    ま、その前に主犯的確信犯など何処にも居るとは思えませんが。

    誰かを確信犯として吊るし上げ、やれ革命と称して崩壊をもくろむのは
    正に創価思想そのものなのではないかと思ったりするわけですが。

  10. 堅のうさんは、親から何かを強制された経験がなくて、
    子どもや、配偶者や周囲の人にも、強制した経験がないのですね……
    心底、うらやましいなあ…

  11. そうですね。自分の価値判断に間違いはないという自信に満ちあふれて生きていける人はいいですね。このブログにも過去に同じようなことを言われていた方がいたような気がします。ただしうらやましいとは思えませんけどね。私は人の傷に塩を擦り込むようなことはしたくはありません。失礼ですが堅皇さんの言葉は机上の屁理屈のように聞こえます。「オレはオマイラとは違うよ」みたいな。
    「自業自得だからしょうがない。自分の不幸はすべて自分がやらかしたことなんだから、誰のせいにもできない」というのは私も思います。でもそれは他人から言われることでしょうか。言われてどうなるのでしょう。言ってどうなるのでしょう。「創価で不幸になるのは自分がそんな星のもとに生まれたんだからしょうがないでしょ」というより、「騙されてきたことにやっと気づけたんだから、これからは本当の自分の人生を歩もうよ」と共感できたほうがいいのではないでしょうか。
    > 福島で生まれ育ったばかりに震災にあって家族を亡くしてしまった方に
    > 「それって自業自得だだよね」って言えますか?
    と私が訊いたのは、堅皇さんのメンタルが傷ついている目の前の現実の人に対してまでそこまで冷たくできるのでしょうかということを確かめたかったからです。「騙されるのが嫌なら騙されない自分になれ」そりゃそうでしょう。当たり前のことです。
    「創価の間違いに自ら気づいて静かにやめていきましょうよ」というのが私の考えです。誰かを吊るし上げたいとは思っていないし、やったとしてもとりかえしがつきません。自分で気がつくしかない。だからそのきっかけを、自分の心のどこかに創価に対する疑問が少しでもあるのであれば、そのことをみなさんとの対話の中で掘り下げながら考えていきましょうという提案をしています。

  12. 生まれつき創価を強制されても大人になってからまで他人に迷惑かけたのだから純然たる加害者です。親に強制されても反発してアンチになっている人はいくらでもいます。
    遅くとも大学行く頃には気付いて当然です。

    大人になってまで迷惑行為をしたのだから被害者ではありません。

  13. まあ、自分が創価学会員として加害者であることを自覚できないうちは加害者であり続けるということだと思います。そしてその人の人生全体としては被害者でもあると思います。かといって被害者なんだから許してやれよなどとは思いません。本人にその自覚があるかないかでずいぶん違ってくると思います。大方の学会員は加害者意識は無く、自分は正しいことをしていると信じている。そこが問題なのだと思います。何度もいいますが、被害者とか加害者とか定義の問題ではないと。

  14. 堅皇さん、皆様はじめまして、白百合長のひかると申します。
    学会に疑問を持ちながら(最近はほとんど非活状態)、まだ在籍している私にはここで話されている事は貴重なことばかりです。
    ここで話されている事は、それぞれの方が体験し感じた事実ばかりで、被害者意識とか恨みつらみを話しているようには思えません。「自業自得」と大変に貴重な話を一言で終わらせないでください。
    自業自得であろうとなかろうとどうでもいいです。

  15. 30になった大人が悪いことをしたとします。

    それは親に善悪を教えてもらわなかったからだと言い訳したら滑稽ですよね。

  16. ノブさん、コメントありがとうございます。
    その滑稽なことが何十万、何百万と起こっていることが問題なのです。
    「滑稽ですよね」では済まされない現実があることを問題にしているのです。
    理屈を並べるだけなら誰だってできます。
    たとえば北朝鮮の人権侵害は世界中が知っていることですが、いまだにどうにもできないでいます。
    「滑稽ですよね」では済まされないのが現実ではないでしょうか。
    ノブさんの言われることは常識的なことです。
    モラルや常識が通用しない創価学会だから問題なのです。

  17. はじめまして。

    2年程前から組織に疑問を抱き始めて、今すっかり組織から距離を置いています。 私の周りの学会員さんは本当に良い方ばっかりで、何でこの人達が学会さんなんだろう?と、思ってます。

    不信感があるからもう会合も出ないし、連絡しないでねって伝えたらその様にしてくれるし。でも、組織はそれとは別で調べれば調べる程、駄目だなって 騙されたと思います。 知らなかったでは済まされないし、ただ単に事実から目を背けていただけなんですよね。 今までとんでもない思考の中で人と接してきてしまって(泣)

    ごめんなさいの気持ちで、いっぱいです。

  18. signifieさん

    いえ、僕は一応遺伝性の先天性の病を持っているのですけどねぇ。
    それでもこの件に関しては、親に対し親が悪いと言う事は一言も言った事がないです。
    全ては自業自得だと思っております。
    ちなみに僕も元創価学会ですが
    この考えは、創価が機で親から願兼於業と言う言葉を習い、それで納得したからです。

    もちろん模範的ないい子ではありませんでしたし、今もいい大人とはいえないでしょう。
    だからこその自業自得であるとも思っています。

    ちなみに苦を知ると言う事は別に不幸なことだとは思っていません。
    苦を知る事により見えてくる喜びと言うものがありますから。

    全ての事柄を他人のせいに片付けて、苦から逃れようとする事の方が
    不幸なんじゃないかなと思いますけどね。

    「オレはオマイラとは違うよ」は悪いですが思う人には思っております。
    さんざっぱら創価をやめた人をバリ活目線で批判し続けていた人が
    自分がやめた瞬間から「私は何でも知っている」「オマイラとは違う」言ってる人が
    どんな考えを持っているのだろうというのが少し気になったからこちらを覗いて見たわけです。
    なるほど、オレはオマエとは違うなと思いました。

    ちなみにこれは管理人さんの事ではないです。

    宝星さん

    強制されるというのは子供側の意見で、親の立場から言えば
    子供は思った様には育たないのではないでしょうか?

    ノブさん

    仰る通りだと思います。

  19. 自業自得、誰もがそう思えば争いや根源的な悩みも胡散霧消するかと言えば、そうでもない。。

    世の中に、どうにもならないことに岩に爪を立てるように地道な活動をしている人をわたしは非難したくはない。。

    その、どうにもならないことにも無駄とも思えるような活動をしてきた方々のおかげで、わたしはいま、ここに生きているから。。

    それは、AIDS薬害訴訟に地道に声をあげてきた人々もしかり。。

    みんなが自己責任だけで自己完結してしまったら、この世の中で解決できないことばかりになってしまい、結局は、格差を生み、不幸な人は不幸なまま。。となっていくのではないでしょうか。。

    この世は、精神世界だけで完結させられることばかりではないと思うのですね。。

    創価学会の矛盾、有る意味で悪にも声をあげていくことも大切ではないでしょうか。。

    自業自得という、一括りで治めてはいけないような気がします。。

    追記。。
    モニカさん、投げ出さないで。。お願い。。
    引き続き、声をあげて対話をしていきましょうよ。。(#^.^#)

  20. 堅皇さんへ
    堅皇さんのお考えは私は最もだと思います。
    しかし、活動に間違っている おかしい 助けて欲しい と思っても誰も助けてくれません。
    それどころか 助けて欲しい間違っていると思っている自分が悪いんだと思い
    誰に相談しても みんな同じ 大丈夫 お題目で乗り越えようとしか返ってこない。

    そんな時にこちらのブログに出会い命を救われました。
    私も今までの自分は自業自得だと思っています。
    人のせいにしようが 自分のせいにしようが
    その人が幸せに生きていられるのならば
    死んでしまうよりは良いのかなと思います。

  21. signifieさん

    このブログのタイトルは「対話を求めて」ですよね。なら、いっそのこと僕と対話しませんか?

    対話とは違う考えのものたちが、その中での共通を見出だしていくものです。

    最初から全く同じ考えのもの同士の会話は対話とは言わない。
    それは自分に自信を付けるための自己確認か自己満足だな。

    違うものの間から共通を見出だすところに対話の価値と言うものがあるのだと思います。

    キミはボクの考えに従うから大歓迎。
    キミとボクでは考え方が違うので、ではさようなら。おまけに「地獄へ落ちるわよ」と言うメッセージ付きと言うのが創価学会。
    およそ対話でもなんでもない。

    でも、一部アンチ諸氏の行動が、これと全く同じように見えるんです。

    昨日まで新聞啓蒙してた人が今日からは脱会活動に。扱うものが違うだけで、本質は何も変わってないのではと。

    もちろん変わってはいけないと言う話ではなく
    その部分が対話を求める箇所と言うわけです。

  22. 堅皇さん、ここではほとんどの人が対話をされています。ただ創価学会擁護側の方はほとんどコメントはありません。ほかにも学会から宗門へ移って、学会のことをボロクソに罵倒される方もいましたが、ここはそのような場所ではありません。堅皇さんがどのような立場で、創価に対してどのようなお考えなのかを話していただければ、ここにいらっしゃるいろんな方との対話ができると思います。私はそうした方々の対話のための進行役だったり、調整役ができればいいなと思っています。私自身、創価の間違いに気づいたものの、それでは何が真実なのか、どうやって生きていけばいいのか、こんな歳(55歳)になってもまだわからないでいます。この場所は何らかの形で創価に関わった方が、後に覚醒したり、何かしら疑問を持ったりしている方が集ってくださっています。みなさんが思い思いに発言する中で、今までの自分の思い込みや、新しい発見に気がつくことができればいいなと思っています。私はお互いにどこの誰かもわからない人たちと議論して、どこの誰かもわからないような人を打ち負かそうなんて、これっぽっちも思っていません。そんなネットで遊んでいるような暇人ではありませんからね。
    ただ、自分の気持ちの納め方と言いますか、学会の真実に気づいてなお何もなかったかのように生きていくことができそうにないので、このようなブログを立ち上げて、ネット上であっても共感できるような場所によって、かろうじて前向きに生きていけそうな気がしています。学会と関係のない生活をしてきた方にとっては信じられないかもしれませんが、それほど学会の行ってきたことの反社会性というものは看過できないと思っています。
    堅皇さんが対話を求めるのであれば、私との対話というより、ここにこられる様々な方との対話をするつもりでコメントしていただければと思います。よろしくお願いします。

  23. 堅皇さん

    ひかるさんのおっしゃる通りです。
    自業自得とか、あなたの持論はどうでもいいんです。
    ここは創価に価値を置く人たちと、または疑問を持つ人たち、そこに価値を見いだせなくなった人たちが対話するところです。
    答えを出すことが目的以前に、考えたり安心したり、共感する場所でもあるのです。
    持論をひけらかして討論したければ、よそでおやりなさい。

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