宗教とは何か

「あなた方の文化と文明はすでに死の寸前にある。三次元の世界においてあなた方の世界はもはや取り返しようがない状態になっている。もともと人類が英知を結集すれば、それは偉大な文明になりうる要素を持っていた。しかしそれは失われて久しく時間が過ぎ、あなた方は地球の破壊者と弱者への虐待者に成り下がってしまった。

不浄の場にこそ最も清浄な場を見出すのは、インダス文明の言葉だが、彼らの文化は合理性優先の今のあなた方とは、対照的な文化だった。その文化文明はインダス文明に限ったことではなく、自然と調和を図るすべての文化の中に存在した。だが残念ながらあなた方は自然と調和する術を喪ってしまったのだ。

国家はファシズムへと進みもはや後戻りは不可能となり、国際世界は平穏の仮面の裏で暗闘と対戦の危機を隠し持つ。経済はすでに破たんし個々のコミュニティは喪失し、土は病み腐りその再生を促すことはもはや困難である。日本の民族個性は土と微生物と自然調和にこそあったが、もはや大地はあなた方の手によって殺された。

地球は重要な局面を迎え、日本はさらに重要な局面を迎える。残念ながら政治家に期待することは難しく、医療者たちに何かを期待することも難しく、司法や検察などというものに何かを期待するのも難しい。あなた方は新たな文化の創造をあなた方自身の手で担わなければならない。

あなた方は、旧来のよくない文化の要素を捨て去る必要がある。自然にも日本にも地球にも必然的な流れがありそれを感じる必要がある。あなた方の思想と哲学はすでに終焉を迎えており、それは存在すればするほどに破壊を繰り返すだろう。自分たちを滅亡へ導ききる前にこの日本に新しい世界を誕生させなさい。」

この文章は、若干40歳になる若い医学者である内海聡(うつみさとし)氏によるFACEBOOKへの投稿文です。

うつ病の治療に関して調べていたら、特に向精神薬の薬害に詳しい友人から教えてもらいました。

彼自身、無宗教だとはっきりと言います。彼ともちろん話をしたことはありませんから、どのような経緯で彼の信念が出来上がったのかはわかりません。しかし、今のこの世界をしっかりと言い当てていることに、現実の危機感と、未来に対するわずかな望みをかいま見たような気がします。

もうひとつ、私が興味を抱いている方の言葉を紹介します。

これは超有名なインドの思想家クリシュナムルティの「宗教とは何か?」という問いに対する言葉です。

「宗教とは何か、知っていますか。それは詠唱の中にはありません。礼拝や他のどんな儀式を執り行うところにもありません。ブリキの神さまや石像の崇拝の中にもありません。寺院や教会の中にもありません。バイブルやギーターを読むところにもありまん。尊い御名を反復したり、人間の考案した何か他の迷信に倣うところにもありません。これらは何ひとつ、宗教ではないのです。宗教とは善の感情、河のように生きていて永久に動いている愛なのです。その状態で、君はもはやまったく探求のない瞬間が来ることに気づくでしょう。そして、この探求の終わりこそが、まったく違う何かの始まりです。神や真理や完全な善の感情の探求一善や謙虚さの涵養ではなく、心の考案したものや企みを超える何かを探し出すこと、それは、その何かへの感情を持ち、それに生き、それであるということですがそれこそが真の宗教です。しかし、それは、自分で掘った水溜りを離れ、生の河に出ていくときにだけ、できるでしょう。そのとき、生は驚くような仕方で君の世話をしてくれます。なぜなら、そのときには、君の方で世話することはないからです。 君は生そのものの一部ですから、生は君を至る所に運びます。そのときこそには、安全や人々が言ったり言わなかったりすることの問題はなく、それが生の美しさです。」

創価から覚醒した今、これらの言葉が乾いた砂に水がしみ込むように心に入って潤してきます。自分は創価によって大切なことを自分で遮断してきたんだと、つくづく思います。クリシュナムルティの言葉は以前から気になってはいましたが、やはり創価の頭ではどんな思想も受け付けませんでした。ギリシャ哲学も、インド哲学も、古代中国も、日本の仏教も、キリスト教も単なる知識としてしか中途半端に、いや完全にゆがめられてしか入ってきませんでした。創価学会は、日本人が憲法によって最低限保障されている思想信条の自由を子どもの時から奪ってきました。学会員さんにはそのことに少しでも気づいて欲しい。創価学会の外には、ちゃんとした宗教や思想があるんだということ。創価の思想がなくても、きちんと世の中のために人生を賭けて奔走している人がたくさんいるんだということを知って欲しいと思います。私もこれからが勉強だと思います。自分の人生を取り戻すための学びです。おそらく死ぬまでこの学びは続くでしょう。何も答えは出ないかもしれません。しかし創価にどっぷりと浸かって、何も考えない人生よりも、しっかりと自分で考え抜き、生き抜く人生でありたいと思っています。

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宗教とは何か」への15件のフィードバック

  1. クリシュナムルティは、覚醒し始めた時に、その存在を知りましたが、断片的な言葉を知るのみで、キチンと学んではいませんでした。
    ただ彼の言葉の中に組織というものに対する投げかけがあり印象に残っています。
    マザーテレサも組織には懐疑的でしたね。
    創価学会のように、宗教(とは言えませんが。。)と組織が同列に並んでいるなんておかしいとしか言えないでしょう。

    自分の中に愛が満ちてくると、宗教に依存していくこともなくなるような気がしています。もう、それだけで充分で満たされているので、そうなってくると、怪しげな宗教やマルチ商法や詐欺まがいのことにも騙されなくなるというか、既に違うステージを生きているので、そういった紛い物にも出逢わなくて済むようになるでしょう。

    結局は、自分の中の愛の飢餓感が、怪しげなものを引き寄せてしまうのかもしれませんね。創価学会にまだ疑問も持たずに活動にのめり込んでいるとしたら、それはきっとある種の飢餓感からでしょう。満たされないものが裡にあるからだと思います。

    人は、いつも多くの人と共に生きているような錯覚にいますが、それぞれ違うステージを生きているのですね。家族でも親子でも。。親友といえる人でも愛する恋人同士でも。。
    具体的に言えば、テレビでもネットでもそれぞれが選択するものが、そもそも違う。心の裡は違っていて、出逢う人も違う。そして生きるステージがそもそも違う。
    あ〜文章能力がなくて上手く言えないのですが。。

    仕事やお出掛けの帰り道に、同じ道を歩いているのに、ある人は微笑ましい風景ばかりが目に飛び込む。愛を感じて家に辿り着く。
    ところが、ある人は不愉快な風景ばかりが目に飛び込み実際に不愉快な目に遭ったり、悪くすると危害まで加えられて散々な目に遭う。。
    こう言えば分かるかなあ。。

    アンチの人の中には、同じところをいつまでもグルグル廻っているような方がいます。創価学会特有の批判精神が抜けないままに。。その批判精神で創価学会を批判し続けている。なんでかなあ?と思うと、その人は、その実まだ創価学会に自分でも気づくことなく未練があって片脚は創価学会に軸を置いているんだなあ、って。。。

    わたしが脱会したのは、いままで記憶が曖昧でしたが、2007年6月だと最近思い出した。(記録を見たが正しいが。。)
    いままで、ただの一度も創価学会をやめて後悔したことはなく、ほんとうにやめて良かったとしみじみ想う日々です。

    ただ、二世三世の人は、たとえやめても、創価脳の親との確執に悩まされるのが、きっと、まだ完璧に離れられないという悩ましいところでしょうか。。
    わたしも、そんな感じです。。

  2. 創価脳、創価気質、バリ活。
    これ私、覚醒してからネットで覚えた言葉です^^;
    それまで聞いたことなかったです。

    そんな用語?を新鮮に思いながら、でも一括りにしてはいけないと思います。
    活動家も非活も、退会した人のタイプも理由も、本来それぞれのはず。
    一人一人の事情を踏まえて対話すべきですよね。
    なんだか、カテゴリ?系?そんなふうに括っててわかったように話していたことが、恥ずかしいと思うのです。

    宗教とは何か、なんて難しいことは私には話せませんが、こんなことに気づかせてくれる対話の場には感謝いたします。

  3. 流れ星さん、おっしゃりたいことよくわかるような気がしますよ。クリシュナムルティの言葉を読むと、そういえば創価の指導(MCの強化)には「愛」という言葉がないなあと思いました。今はどうか知りませんが、昔の創価では愛と憎しみは表裏一体で、キリスト教などは憎しみを表に出さないような二面性があるなどと批判していましたよね。
    キリスト教の愛は、そんなレベルの低い愛など説いていないことは私にもわかります。ほんとにレベルの低い価値観で会員を騙してきたのが学会です。神社は狐や蛇を拝んでいるから取り憑かれるとか、禅宗は頭がおかしくなるとか、小さな子どもを脅して言うことを聞かせるような程度の話(指導)しかしません。
     
    熱原の法難の話とか、キリスト教の殉教の歴史に比べればとるにたりないようなことを、あたかも日蓮が法華経を末法流布する機になったようなものすごい事件であるかのようにもちあげ、そのような伝説を聞かせて、命がけで創価を守ることを植え付けていましたね。
     
    座談会の御書講義はいつも同じことばかり。十界論に一念三千、転重軽受、日夜朝暮に怠らず…なんとかかんとか、大地に矢を射るがごとし…なんとかかんとか、みんな小学生でもわかるようなことをくりかえし行います。そうやって都合にいいところだけを都合のいいように植え付けていきます。難解なところがあると逆に嫌になってしまうから、やさしいところばかりを繰り返すのでしょうね。そこにさらに「色心不二」や「依正不二」にまざりこんでいつのまにか「師弟不二」という摩訶不思議な仏法用語のようなそうでないような言葉を教え込んで、センセイに絶対服従するように植え付ける。「ハイルセンセイ!」です。まさにイケダ独裁王国をつくってきたわけです。

    自分のところの教義以外はボロクソに言い捨てるだけ。純真な会員はそのまま受け取ります。私の母など県幹部でしたがキリスト教徒のことを「アーメン」といって気味悪がっていました。なんともお粗末な組織でしょう。とにかく創価以外はみんなだめで、家事や子どもの世話などほっぽり出してでも学会活動に専念することが一家和楽の道なんだと指導していました。そんな非常識をみんな真に受けるのですから恐ろしいですよね。
     
    私が覚醒していちばん不思議だったことは、ここまで民主主義に敵対している組織が政治の世界にここまで入り込んで多くの人を動かしていることでした。どうして気づかなかったんだろう、どうして疑問に思わなかったんだろうと。マインドコントロール下においては、目の前のものすらわからなくなるんですね。見えているようでまったく見えていない。ほんとうに恐ろしいです。50年も気づかなかった私ですが、気がつけてよかったと思います。

    「宗教とは何か」なんて難しいタイトルをつけてしまったので、みなさんコメントしづらくなったのでしょうか。すみません。たまたまクリシュナムルティの言葉を紹介したために、こんなに仰々しいタイトルにしてしまいました。いつものように気軽にコメントしていただいていいですよ〜(笑)

    それから匿名の方から、もう少し改行してくれないと目がチカチカして見づらいというご意見もありました。すみません。私の癖みたいなもので、ついつい続けて書いてしまってました。以後きをつけます。また勢いで書くので誤字もあったりしますが、そこはご勘弁を。

    もうひとつ、べつの項目で靖国神社についてのことが書かれたコメントがあったのですが、この場の内容から離れて違った議論になりそうでしたので非承認とさせていただきました。すみませんがご理解ください。

    みなさま、創価学会に関する対話のためのブログとして、これからもよろしくお願いします。

  4. 宗教とは何か?誰かも言ってましたが一言で言ったらやっぱりおとぎ話ですよね。
    化城の譬えとかありましたが結局いつまでたっても仮(空想)の域を出ませんもんね。
    あと前スレの宗門と学会ですが、最近になってあれは単なるビジネスパートナーの仲間割れだったんじゃないかなと思うようになりました。それを正当化するために会員巻きこんで大騒ぎして。
    つくづく騙されてたなと思います。
    善悪とか正邪とかそういう二元性のものはすべて人間の頭が考えだしたものであって真実はそんなところにはないそうです。

  5. 宗教とは一体何なんだ、そして信じるとはどういうことなのか
    学会に疑問を抱くようになってから自分なりにいろいろと考えましたね、ほんと。そして恐る恐る他宗の書物などを読んだり、心理学の本を読んだり
    哲学の入門書を読んだりといろいろやってみましたが頭の悪い自分にはさっぱり理解のできない内容ばかりでした
    私にとってこのタイトルはとても知りたい重要なことです
    今自分にはもう宗教は必要ないと思っていますが、とても難しいことだと思いますがどなたか明快なお答えをいただけないでしょうか

  6. 創価をおかしいと思わなかったのは、周りにいる人が「騙そう」としている人ではないからでしょうね。
    騙している人たちは遠くにいて、会ったこともない数パーセントの人たち。
    周りの人はみんな本気で接してたから、思いやりもホンモノ。誠意も愛情もホンモノです。偽善ではない。
    これじゃあ見破れという方が無理です。
    よほどのひねくれ者じゃなく、素直に愛情を感じる人なら、あなたの言うことなら信じる!となると思います。

    ここまで情報が公開されたのもここ10年くらい。決定的な情報が洩れてきたのは7、8年でしょうか。
    ちょっとくらい早く気づいたからって威張ることでもないし、今気づいた人もこれから気づく人に、懸命にエールを送ればいいと思います。

    私もそうでしたが、今日、久しぶりに話した古い創価の友人も言ってました。
    「忙しさに追われてネットなんて見る暇もないのよ(泣)」
    わかります~。
    人それぞれのペースですよね。
    一人一人の事情、気持ちを大切にしたいと思います。

  7. こんばんは

    管理人さんお疲れ様です。アホ全開ですが、コメントします(笑)
    今母に、偽本尊の事や学会のおかしさ、公明党の事などを話してますが、やはり怒ります。怒りながらでも一応は聞いてくれますが、我慢ならんオーラ全開でおっソロしい。
    でも、こんな組織に引き摺り込んでしまったのは私なので、子供の責任として伝えなくてはならない事は伝えてます。こちらが話した事を学会員さんに確認したらしく、『アンタの言うてる事、間違ってるー!』と喚いたりしてました。聞く相手間違ってるやろと、突っ込んでしまいました(笑)

    長年信じてきたものが全くのウソだったと、受け入れるのは並大抵の事ではないとおもいますが、伝えなくては何もはじまらないですし、残るもやめるも本人の意思ですので強制はできません。 けど、学会ではなく神社でもいいし、伝統のある信仰でもよいと思います。 あー兎に角 こんな所から離れてほしい。

  8. 騙された!という感じがないのは私も同様です。
    親からも、組織の方からも、悪意など感じたことはありません。
    だから余計にたちが悪いのか…

    いい夢を見ていたのかもしれませんね。
    この信仰さえあれば、どんな苦しいことも辛いことも乗り越えて、すごい境涯になれると本気で思っていたので。

    根拠のない自信が失われて、自分の頭で考えるようになり、色々な意味で地に足がついていることを実感します。
    絶対大丈夫!という勘違いのもとで、やはりどこかフワフワ浮いていたのは否定できません。

    お金ひとつとっても、財務すれば守られるという、第三者から見ればインチキにも程がある話を真に受けて、きちんとしたライフプランを描けていませんでした。
    愚か者、と言えばそれまでですし、弁解する気にも、ましてや親や他人のせいにする気にもなりません。
    正真正銘のアホでした(^^;)

    早い段階で気付けたこと、そういう機会をくれた様々なアンチブログの存在に、今はただ感謝するばかりです。

  9. はるさん、大丈夫です。全国津々浦々で行われていることです^^;
    決して楽しいことではないけど、責任という思いですよね。
    どうしようが相手の自由ですが、私も自分が巻き込んだ人には、責任から話しました。申し訳ないの一念でした。
    特に理解者だった主人から、
    「せっかく理解して尊重してあげてたのに、今度はやめる?簡単に言うなよ」
    と言われたり、子どもからは
    「ウチはいや。みんな大好きだし、勤行がんばって覚えたのに。会館また行きたいし、子ども座談会(少年部員会のこと)楽しいのに…」
    とポロポロ泣かれ、それは辛かったです。

    自分がやめる時は、その理由を話すため幹部さんに話しましたが、この人たちは私が巻き込んだわけではないので、ちょっと違いましたが。
    こういう事実を知っていまいまして、もう信じられなくなりました。解放してください、そんな感じです。
    そしたら、自分とネットのどっちを信じるの?と詰めよられて、かなりしぼられましたね。
    どっちにしろ、散々怒られ、こちらが非難するどころか非難されまくりましたね。

    が、なんとか円満に退会できてほっとしました。
    そんなわけで、退会を促す側、自分がする側、私は誰よりエールを送りたいです。

  10. みなさんコメントありがとうございます。
    「宗教とは何か」……たいへんなテーマでしたね(笑)
    私も誰が言っていたのかは思い出せませんが、宗教とは物語であるという話は聞いたことがあります。それは単なる絵空事ではなく、生きていく上で必要な物語。震災で難を逃れた人が、まず最初に自宅があった場所にもどってやることは、家族の安否はもちろんですが、写真を探すそうです。これまでの自分が歩んできた物語の痕跡を取り戻しに行くのですね。自分はどこから来てどこへ行くのか。そもそも自分とは何なのか。そこから人としての思索が始まります。そこに物語を求めるのでしょう。
    創価の場合、その人間の素晴らしいところでもあり、弱点でもある物語につけこんで金儲けをたくらんだわけですね。人間の力を遥かにしのぐ大いなる力の物語を夢に見せ、それに近づくためにお金を出させる。日本の新興宗教の多くがそのようなシステムになっています。しかし創価学会ほど大きな影響力を持つ集団はいないでしょう。中枢部の幹部以外の何百万人という会員は、その偽りの物語を信じてのめり込み、疑うことなくお金を差し出しているんですよね。

    誰にも物語は必要だと思います。あ、河合隼雄さんだったかな、そんなことを言ってた人。河合隼雄さんは、難しいことをほんとにわかりやすく話してくれたので、私なんかにも心理学のことが少しは理解できたと思います。ある時期、河合さんの本を夢中で読んだことがあります。物語なくして人は生きられない。それがどんなに荒唐無稽なストーリーであったとしても、科学的に証明できなくても、誰にもわかってもらえなくても、その人その人の物語があるんだって。宗教はそんな物語の中でも、とても多くの人を魅了する力のあるものなのかもしれませんね。仏典、コーラン、聖書、死者の書、ギリシャ神話、日本の神話、チベットの神話、南米の神話、ネイティブアメリカンの神話、北欧の神話……つまり神々の物語なわけです。ソクラテスのイデアも、ルターの宗教改革にしてもひとつの物語だし、デカルトもルソーもゲーテも、マルクスもハイデッガーもフロイトもユングも。その後の思想家もつまりはそれぞれの物語を語ってきたわけです。思想家だけではありません。芸術家はもちろん、科学者もひとつの物語を世界に映し出そうとしてきました。それを人間がつくりだした…いや発見したと言ったほうがいいのかもしれません。物語というのは、その人にとっては真実なのだから、単に客観的な価値観では量れない崇高なものなのだと思います。

    創価では共産主義のことを「宗教はアヘンだ」と言ったとか言わないとかで宗教を否定する低俗な思想だと批判しましたが、自分たちがやっている似非宗教のほうがどれだけ悪質で麻薬よりたちが悪いものかをわかっていただきたいです。そして創価学会に宗教を語る資格など断じてないと言いたいのです。

  11. シニフェイさんのコメント読んでなるほどと思いました
    表現力、文章力がない自分が情けなくなります
    自分の思っていた考えに近いコメントでとても感動しました
    絶対これが唯一正しいと決めつけるところから過ちがはじまるのですね
    愛を解き、慈悲を説き、平和を唱えながら宗教のために戦争をする、人殺しをする、そして宗教に無知な人から大金を巻き上げる
    信じることの始まりから誤っているんですね。物語、的確な言葉ですね

    宗教はそんな物語の中でも、とても多くの人を魅了する力のあるものなのかもしれませんね

    これが魔物なのかな? 

    話変えますが河合隼雄さんとてもわかりやすく、優しく多くの本を読んで勉強させてもらいました。初心者の方でもスッと入っていけますよ、お勧めします

    このブログはいろんな方と出会えいろんな考えを聞くことができ、なおかつ素晴らしい管理人さんによってコントロールされ、私のようなものが書き込みできることをとても感謝しています。
    1日でも早く、一人でも多く創価の悪に気付いてほしい!

  12. おはようございます。

    モニカさん ありがとうございます。
    本当 どこででも起こってる事かもしれないですね。
    この 分からず屋!と内心思っていたので、気持ちが軽くなりました。
    後は、母に任せるしかないです 自分の人生ですし。

    どのご家庭も、同じ事あるかもしれませんね。
    ご主人様の気持ちもお子様の気持ちも、わかります。

  13. こちらこそありがとうございます。
    巻き込んだ人に謝罪し、わかってもらうのは胃が痛く、消えたい日々でした。
    が、これは宗教の骨頂を知っている、なんて自負を捨てるためにも必要だったと思います。

    逆に創価をやめて新たな自負のようなものがほしい、とは全く思いませんでした。
    説教じみたことがつくづくイヤになりましたね。
    興味は知識より、断然感覚に移ったというか、正論より人の気持ちを重視するようになりました。
    本来、テキトーな人間だったんでしょうね。

    だから難しいことは書けませんが、覚醒しました!っていう人に対して、よかったですね~くらいは書けます(笑)

  14. 前回のコメントを投稿して後になって、自分が恥ずかしくなるというか、身の程知らずにもほどがあり、よっぽどシニフィエさんに削除をお願いしようかと思ってました。
    分かったようなことを書いていますが、実際はUPダウンもあり、自己嫌悪の塊になることもしばしばなんです。

    まる、さん同じです。。
    わたしも、騙されたという感覚は全くありません。
    そのじつ、周りの学会員の方々は、それは熱心で一生懸命に上の方の幹部の打ち出しのまま頑張っているだけなのですものね。。

    ただ、あまりに素直で無知で、自らモノを考えなくなってて。。
    こういう人がほとんどなんですものね。。

    この時代の曲がり角に、こんな体たらくでいいのか?と思ったりします。創価学会で何を学んで来たのだろう?と。。

    はる、さん
    母にこの信仰を勧めたのは、わたしだと思ってます。母は、わたしが熱心な活動をしている頃、半退転状態だったのです。。
    そんな母を叱咤激励したのはわたしなんです。。
    だから、わたしも母に責任がある。でも母は、いま創価学会の話しをしようとすると半狂乱になるんですよ。
    罰を恐る恐怖心からです。

    でも、そんな母も最近は、あまり熱心に会合には出ていないみたいです。。お布施も、わたしが何度も言ったので最低限の1万円だけのようです。。それに読みもしない公明新聞は、頼まれても取らなくなりました。

    高齢で独り暮らしなので、周りに学会員がいるのは、有る意味いいことかなあと思ったりします。最近の母の口癖は、母さんは先祖供養のためにこの信心をしているんだよ。です。。そう言われると何も言えなくなります。これは母流の到達点なのでしょうね。

    サラマンダラさん
    宗教。。ほんとむずかしい。
    ただ、宗教に依り、物欲を願ったり(家が欲しいとか、給料がUPとか)って違うと思う。病気が治りますように、も何か違うような気がする。
    うまく言えませんが、ご縁をたいせつにして感謝して生きていけるようになればいいな、と。。
    まだまだなわたしですが。。

  15. こんばんは

    流れ星さん ありがとうございます。
    今となっては… と、後悔ばかりです 私。
    皆さん、同じ様な反応になっちゃいますよね。
    母の場合は、自分の信じてきたものが間違っていた=自分を否定された
    なんです プライドが傷つくのと、罰への恐怖というより、頼る人がいなくなってしまう事への恐れ。わからなくもないんですけどね。

    流れ星さんのお母様は、程よく組織と距離を置かれてらっしゃるのですね。
    高齢の方が一人暮らしならば、周りに人間関係があるとそれは安心ですよね。うちもおなじですので、わかります。

    悩ましい日々であります。

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