コメントの承認について

今日、このブログの2月26日のページのコメントに次のような匿名さんのコメントがありました。

『このサイトは一方的なものしかありませんね。このコメントは消されてしまいますか。子供の幸せを祈らない親はいません。子供は何歳になっても親から見れば子供です。たゆみなく祈る親の後ろ姿を見てどう思われるのでしょうか。 親の心子知らずと言いますが、宗教うんぬん、親や幸せにと願う人に対して感謝できないところに問題があるのではないでしょうか。(私は親ではないですが)』

その後しばらくして下記のような追伸がありました。

『追伸 人は命に及ぶ困難にあって、初めて気がつくことがあります。 人生の辛酸を味わった人間でしかわからないこともあります。』

 

2月のページへのコメントですから見逃してしまう方も多いと思いますので、あえてここに転載させていただきます。あえてと言いますのは、本来なら未承認にするところですが、基本的にこのような形でのコメントにいちいち対応している暇がありませんので、この機会に私の考えを書いておきます。

ほんとにたまにこのサイトに意味不明、もしくは批判的ともとれるコメントを寄せられる方がいらっしゃいます。もちろん批判は批判としてきちんと承認していくつもりなのですが、こうした方にかぎって自己紹介も何もなく、いきなり批判の言葉を並べられるので、なかなか承認しづらいのです。つまり、自己紹介どころか、初めてコメントするのに挨拶の一言もなしに、自分の言いたいことだけを言いっぱなしというのは、ただ単に批判するだけが目的なのか、それともここに訪れる方との対話を望んでいるのかすらわかりません。そして、このような書き出しでは、はたして対話の意志があるのだろうかと疑いたくもなります。ネット上とはいえ、ここは管理者の家のようなものです。初めて他人の家に入ってきて、挨拶も自己紹介もなく文句だけ言うことが、一般的な常識として許されるでしょうか。匿名さんには子どもがいらっしゃらないということですが、もし自分に子どもがいたとして、その子どもが他人の家に挨拶もなしに上がり込んで騒いでいたとしても何も思いませんか?「知らない人の家でもだまって上がり込んで騒いでもいいんだよ」と平気で自分の子どもに教えますか?そんな親の心なら、子どもは知らないほうがいいと思います。

>このコメントは消されてしまいますか。

このような匿名さんの態度では消されても何も文句は言えないのではないでしょうか。他人のブログにコメントするための最低限のエチケットぐらいは守ってもらわないと、返事のしようがありません。ここは○チャンネルのような垂れ流しの巨大掲示板ではありません。このブログの趣旨はいちばん最初に書いています。そして学会の活動家さんへも、常に「対話をしましょう」と呼びかけていますが、ほとんどコメントはありません。あったとしても一度っきり言いっぱなしで去っていかれます。結果として匿名さんが「このサイトは一方的なものしかありませんね」と言われるようなかたちになってしまいます。私はもちろん、ここにコメントされているほとんどの方が、学会員さんとの対話も望んでおられます。そしてはやく創価学会の真実に自分で向き合うことを望まれています。それは対決ではなく対話であればこそ生まれるものだと思っています。そのためには、お互いの立場を理解し合うことから始めなければなりません。その点、今回の匿名さんの初めてのコメントは、とても他人と対話しようとか、自分の考えを聞いてもらいたいといった態度ではないと思いますがいかがでしょうか。

>人は命に及ぶ困難にあって、初めて気がつくことがあります。人生の辛酸を味わった人間でしかわからないこともあります。

この追伸で匿名さんは何をおっしゃりたいのでしょうか。ここにいらっしゃる方は人生の辛酸を知らないのだとでもおっしゃりたいのでしょうか。

私は私自身が命に及ぶ困難にあったことはありませんが、他人の家にお邪魔するときの礼儀ぐらいはわかっているつもりです。私の妻は、命に及ぶ困難が数度ありました。そのたびに救急車の中で妻の命を助けてくださいと祈りました。妻は脳の開頭手術もしました。自分の力ではどうしようもない困難にも遭い、家族や仲間に助けられた経験もあります。だからこそ対話の大切さを理解しているつもりです。私から見れば、匿名さんのコメントのほうが、よっぽど一方的だと思うのですがいかがでしょうか。

もし匿名さんがこのブログの趣旨を理解されて、ここに訪れる方との対話を望まれるのであれば、以上の私の問いかけにお返事ください。もし何もなければ、単なる言いっぱなしの方だと判断させていただきます。

 

じつは一週間ほど前に、もう一件承認するかどうか迷ったあと、結局承認していないコメントがあります。これも何の挨拶も自己紹介もなく、日蓮系全般の教義がとてもいいかげんで、およそ仏教とは呼べないということを述べ、そのことを書いた自分のブログを見てくれといった内容でした。これも家に例えると「押し売り」のようなものです。どんな方かもわからない人のブログに誘導するようなコメントを載せられるわけがありません。おまけに、そのブログに行っても、管理者のプロフィールなども一切なく、ただ日蓮系の宗派はどれもいいかげんなものだということを書いた1ページだけのものでした。自分がどのような立場で、どのようなことを発信しているのかすらわからないような方のコメントは承認できませんでした。

 

以上、このブログで承認されないコメントは、ほんとうにごく僅かで年に数件だけですが、以上のような理由があっての未承認ですので、どうかご了承ください。そしてこれから先は、未承認のコメントについては、何らかの理由があってのことだとご理解ください。もちろん挨拶や自己紹介さえすれば何を言ってもいいというような子どもじみたことを言う方はご遠慮ください(笑)。よろしくお願いします。

コメントの承認について」への32件のフィードバック

  1. 匿名さんのコメントの追伸は、まるである意味脅しのようにわたしには受け取れて、心底ゾッとして震えましたよ。。
    怨念めいた命の波動を感じてしまいました。。

    母の子を想う心は素晴らしいものです。
    でも、それが創価学会というプリズムを通すと、また違ったものになるのですよね。
    その自覚のない創価学会員が、どれだけ二世・三世・四世の心を傷つけ取り返しのつかないことをしているか、少しでも考えたことがあるのだろうか、と投げかけたいです。。
    考えてみてくださいね。。

    ちなみにわたしは、生命に及ぶ辛酸を数回経験しておりますが、それを自慢したくもないし、まして苦労していない人に上から目線でモノを語るなんてことはしないですね。

    感謝の心は苦労したから生まれるものではないですよね。
    それに創価学会の親で悩む子供たちに感謝の気持ちがないということはないと思いますよ。子どもの苦しみを理解しようとしないでしょう?創価学会の親たちは。。自分は、まったく悪くないと思っている。。
    だから、断絶するのです。。

  2. >この追伸で匿名さんは何をおっしゃりたいのでしょうか。ここにいらっしゃる方は人生の辛酸を知らないのだとでもおっしゃりたいのでしょうか。

    匿名さんは、
    「お前たちは人生の辛酸を知らない。自分たちは知っている」
    と言わずにはいられないのでしょうね。
    まあ、思うのは自由でしょうが、
    選民意識の底にあるのはひどい劣等感だと思います。

    奇妙キテレツな創価理論の言い訳がいらない人間は、
    自分の課題にまともに向き合って解決しているものです。
    脱会してからのこの数ヶ月、根深い宿業だったはずのものが、次々にあっさりと解決しています。
    創価の害悪を実感している毎日です。

  3. おはようございます。

    匿名さん 見てるかな? んーここはそんな一方的なとこではないと、私は思いますけど…。
    勝手に思った事ですけど、匿名さんは、沢山大変な事を抱えてはるんかなと。
    誰でもでしょうけど、余裕がない時は、先のコメントの様な表現になるかも。
    でも、辛酸をなめた人は沢山いると思いますよ。
    それは、弱い自分をちょっとずつでも強くする為に、経験するんじゃないかしら?
    経験する事によって、人に優しくも出来ると思います。
    祈りは目に見えるものだけじゃなくて、心の中でも祈れますしね。

    変なコメントで、ごめんなさい

  4. 創価でも創価じゃなくても、親は自分の子に愛情を持つでしょう。
    でもそれは時として世間では通用しない、非常識な行動に出ることがあります。

    私が小学校の時、母親が私に断りもなく、私の担任に新聞啓蒙したことがあります。それも朝の出がけの忙しい時間に。
    担任は、当時私があまり好きではなかった男の先生。突然キレることがあって、クラスのたいていの女子から嫌われていました。
    先生は「忙しい時間にいい加減にしてくれますか!」と怒鳴って電話を切ったそうです。(当然です)
    先生は私にはそんなことがあったとは一言も言いませんでしたが、学校から帰って、母親から苦笑いされながらその事実を聞かされた時、私がどんな気持ちになったか想像がつくでしょう。
    まあ母は他にもそういう客観性を欠く面があり、例えば私が傍で電話中でも、張り上げたの唱題を落とさないとか、そういった人でもありました。

    母は家族を思って、ひたぶるに子どもの幸せを願って、祈ってしていたことなんでしょう。
    或いは人生の辛酸をなめて、追い詰められてしたことかもしれませんね。
    が、どう言い訳しても、常識的で正しい行動だとは思えません。
    家族への思いに感謝はできても、そういった行動自体に感謝することはできません。

    今となっては笑い話です。
    断絶というのものがあるなら、価値観より愛情の問題だと思いますしね。
    愛情深さが、非常識な形になってしまうのは勿体ないと思います。

  5. 親孝行はしたいんです…

    自分もそうですが、創価学会の問題がある中で、
    リアルに親子の確執が生じている場合が多いと思います。
    外部の方には体験がなく、なかなか難しいことと思いますが
    少しでも理解を寄せていただければ、有り難く思います。

    宗教でも世間一般の事柄に対しても批判をすることより、
    理解を示し関心を寄せることは難しいですが、
    批判体質だけでは、前向きな対話は進まないと思います。

  6. みなさんコメントありがとうございます。今回の匿名さん、きっと見てると思いますが、お返事来るでしょうか。匿名さんは学会員なのか、そうでないのか、単に学会とは関係のない方なのか、それとも未活の方なのか、あるいはいわゆるバリ活なのかもわかりません。何一つ素性のわからない人から、いきなり「一方的ですね」と言われても「どっちが一方的でしょう?」と思ってしまうのも無理のないことだと思うんです。対話のしようがない。というか対話の意志が伝わってこない。相手の立場を理解しようがないから対話のしようがない。すべて憶測で話すしかないので不毛な会話になってしまいます。匿名さんは、ご自分がそのようなコメントをしていることに気がついていないのかもしれないと、これも憶測ですが思ってしまいます。
     
    私の父はもう20年以上前に他界しました。葬儀には1000人以上の学会員が来ました。それなりに人望があったと思います。残念なのは父が創価を信じたまま他界してしまったことです。昨年90歳の誕生日を迎えた母は、身体は元気ですが認知症がすすんで、学会のこともどこまで判断できるのかわからない状況です。30分ほど話す間に4、5回同じことを訊いてきます。10分前に話したことも憶えていないこともあります。両親とも草創期の幹部でしたが、今となっては創価のことをどこまでわかっているのかすらわかりません。ですから母には創価の話をするつもりはありません。たとえ話が理解できて、創価のまちがいに気がついたとしても、それも残酷な話だと思います。90歳にして今までの人生を実の子どもから否定されたらどうでしょう。まあ、言ったところですぐに忘れてしまうと思います。母は父と同様に創価の真実をしらないまま、つまり創価に騙された人生を送って一生を閉じることを余儀なくされてしまったということになると思います。とても残念です。

  7. 度々失礼します。

    親孝行 子供孝行って、私が思うに健康で元気にいる事なんだと思います。
    元気でおってくれたら、それでいい。
    心配や迷惑を、かけられない事に感謝やと。
    私はずっと健康優良児でしたけど(笑) 2年前に癌で、腫瘍が破裂寸前の所で
    手術して助かりました。そん時に親が泣いてる姿見て、『元気でおる事が親孝行やな』と、痛感しました。

    孝行って、特別な事ではないんです。

  8. 同じブログを読んでいて、「救われました。いつも感謝してます」とにこやかに書きこみをする人がいるのに。
    「一方的なものですね」と捨て台詞を吐いていく人。
    どちらが感謝する気持ちを持った、幸せな人なんでしょうか。哀れな人だなあと思います。

  9. 典型的な活動家っぽくて笑えます。
    人の話を聞かないで一方的な主張のみするって典型的な空気読めない婦人部みたい
    だから世間から嫌われるんだよ
    対話ってのは相手の話を聞くこと。

  10. はい。ということで、今回の匿名さんからはお返事いただけないようですので、これまでたまに来ていたあまりマナーのよろしくないクレーマーだったということで終わらせていただきます。みなさま、これからもよろしくお願いします。
     
    考えの違う人との対話は難しい。同じステージに立てばいいというものでもないし、かといって歩み寄る気持ちのない人に対話を試みても徒労に終わることが多いですね。これが対決となれば、なんらかの勝敗もつくのでしょうが、結局は理解し合えるような形から遠ざかるのは目に見えています。やはり対話とは、お互いの立場からいったん下りて向き合うという気持ちが大切なのだろうと思います。ここにコメントしてくださる方のほとんどは、かつて創価を信じて活動してきた経験のある方ですから、活動家の気持ちは理解できるし、そしてそれはやはり間違った考えに囚われて世界を見ていた…というか現実を見ていなかったということに気づいた方たちです。ですから活動家の方の気持ちによりそうことはできると思います。ところが現役活動家の方は、ここに来ても自分の人生を否定されているようにしか感じられないので、どうしてもコメントなどする気がしないのもよくわかります。活動家の方でここでの対話が成立するとしたら、創価である自分と言う立場からいったん下りて物事を考える勇気のある方でなければ成り立たないということだと思います。やはりそれは難しいことなのでしょうね。とにかく自分が信じている創価だけがこの世の正義だと信じ込まされて、ひとつも疑えない心にされてしまっているのですからね。残念なことです。

  11. おはようございます。

    匿名さん 来ないだろうなと思ってましたが、
    来てくれたらいいのになと期待してました。が、残念ですね。
    否定を嫌う感じはしてたから、考えてコメントしましたが
    先ず自分と向き合う事が出来ないと、人との対話は難しいのかもしれないですね。
    私も創価にどっぷりの時は、同じ感じだったと思います。

  12. ネットに詳しくなかった私が初めてアンチサイトを見た時、創価は確かにおかしいけど、アンチの品のなさはどうも…と思ったこともありました。
    ですが、これは明らかな私の認識不足。今はすばらしいアンチブログがたくさんあるのを承知しています。

    創価については本当にいろんな立場の人が、いろんな角度から言いたいことがいっぱいあると思うのです。
    「創価」というキーワードだけで、好きなことをのべつなく発言できたらスッキリするでしょうね。
    でも個人のブログとなると事情は違うと思います。
    管理人さんのおっしゃるように、ここは巨大掲示板の言いたい放題の場ではなく、趣旨を理解して書き込むのは当然のことと思います。
    その趣旨についても、あくまで個人の判断ですから、それは正しいだの間違ってるだの、他の規範を持ってくるのも違う。その家のルールなんです。

    なんて私がエラそうに言う立場ではないんですが、要は決して一方的な場ではないと言いたいのです。
    マナーさえ守って対話すれば反対意見でも承認されるし、歓迎されますよ。
    私も多くの声に救われました。

  13. signifie様、皆さま。はじめまして。
    2013年1月に学会を退会しました。「たいく」と申します。
    2~3カ月まえから時折こちらの書き込みを読ませていただいておりました。
    私自身は、退会してからは後腐れなく元気にすごしていますが、
    両親や、幼馴染はいまだに健気な学会員です。

    それ以外の学会員さんにも、
    学会に「疑問」を感じることを躊躇しないでほしいなと思い、
    色んなブログでコメントさせてもらっています。
    「退会しても大丈夫だよ」そんなメッセージが伝えたくて地道にやってます。

    別のブログで、あるバリバリの学会員さんとやり取りしています。
    正直、「大河さん」には、なかなか話が通じなくて困惑していますが…
    こちらの皆さまにも客観的に見ていただければ幸いです。

    「はるさん」という方が管理人されているブログ「冬は必ず春となる」です。
    http://blog.livedoor.jp/tetuun1/

    こちらの管理人さんは学会員さんですが、割と冷静かつ客観的な視点で学会を見ているようです。(ただ、根っこにある信仰や、池田大作さんへの思いは深いようです)
    このなかで「冬は必ず春となる3」というタイトルで僕が書き込みしています。
    (他にも「たいく」の名でで好き勝手に書いてます)

    僕と「大河さん」のやり取りを見た学会員さんが、組織への疑問や矛盾に「気づく」きっかけにつながるかなあと期待して書き込みしています。

    signifie様。陰ながら応援しております。
    学会に振り回されたり、学会で苦しむ方が少しでも減ってほしいね。

  14. たいくさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

    私はバリ活さんとやりあってまで自分の考えを主張しようとは思わなくなりました。自分も気がつくまでは、あちら側の人間だったし、学会員の行いに疑問を持つことはあっても、信仰自体に間違いはないと思っていました。それは個人的な人間としての資質の問題だと思っていました。でも、いざ気がついてみれば、すべては組織の操り人形だったし、教義だって組織の都合のいいように利用されていただけだということもわかり、結局これは信仰なんかじゃなくて、大掛かりな詐欺だということに気がつきました。

    だから、学会員さんと御書について議論しても何も得るものはないし、お互いに譲り合うことなどないと思います。学会員さんにしてみれば、自分は正しい信仰をしているという前提だし、御書にしても最高の哲学だと思い込んでいます。話のステージがまるで違いますから、文字通り話になりません。
     
    たとえばオレオレ詐欺にひっかかって、かわいい孫の一大事だと思い込んで、急いで銀行にお金を下ろしにいくおばあちゃんに、「おばあちゃん、それはねおばあちゃんが騙されているんだよ」と教えてあげても「いや、可愛い孫を助けるためなら、いくらだって出すよ。それが家族ってもんだよ」となおも騙され続けるようなものです。自分で気がつかなければ誰が何を言っても無駄だと思います。それより、自分でなんとなくでも組織や自分がやっていることに疑問をもつことがあるような方と対話をすることによって、その方に自分で真剣に考える機会をつくってもらえる機会になればと思ってブログをやっています。どっちの言うことが正しいかなんて、孫を助けたいということで頭がいっぱいのおばあちゃんと議論するようなもので、どうひっくりかえっても議論は不毛に終わるだけだと私は思っています。
     
    もちろん、いろんなやり方があっていいと思います。「白バラ通信」の高倉先生は、創価の巨悪に対して真正面からその不正を糾弾し、社会的なコンセンサスへ向けて、ものすごく闘っておられます。いつも頭が下がる思いです。私はそんな力も何もありませんから、せめて自分が歩んできてしまった間違った創価のことを正直にお伝えする中で、また同じように創価のまちがいに気づいた方とともに、まだ気がついていない、もしくはもう少しで気がつきそうだと言った方との対話が広がればいいなと思っています。
    たいくさん、これからもよろしくお願いします。

  15. たいくさん はじめまして。

    私のハンネとたいくさんのご紹介下さった方のお名前が以前の私のハンネと同じでしたので、改名しました。

    はるぽんで、これからよろしくお願いします。

  16. はるぽんさん。

    本当ですね(^_^;)
    偶然でしょうが、改名までさせてしまい恐縮です。

    今後ともよろしくお願いいたします。

  17. つくづく思うのは、自分が辞められたらいいと思うだけでなく、
    気持ちに寄り添えたら、ありがたいなと思います。
    創価学会の家庭に生まれ育った異常な体験は、
    なかなか思い切れないものがあります。
    蓋をしても溢れ出てくるやりきれない思い…
    私は墓場まで持っていくしかないかなとあきらめて、
    現実と折り合いを付けて過ごしていたので、
    こうした場を作り出して下さり、皆さんのコメントに触れ、
    どうにもこうにも本当に感謝しています。

    日本の現実は、本当の意味で終わっていない戦後の
    問題にいよいよ直面するときにきていると思います。
    創価学会が衰退していくことで、健全に向かう
    現実的な社会問題はたくさんあります。
    小さな面から見直し、気づけたら……

  18. signifie様

    お返事ありがとうございます。
    >オレオレ詐欺にひっかかって、かわいい孫の一大事だと思い込んで、急いで銀行にお金を下ろしにいくおばあちゃん・・・
    この例えは妙に納得しました。
    確かに学会員さんは騙されてるなんて思いようがないですからね。

    ただ、僕の書き込みはあくまで「気づき」のきっかけを模索してるだけです。

    ここだから書きますが・・・

    池田大作さんは病気なの?元気なの?
    震災後の東北に一度も行かないのは何故?映像くらい出せるだろ?
    現状も知らないくせに、自称弟子が「師弟不二」と叫ぶ・・・
    だったら現状確認しろよ!大事な師匠だろ!

    聖教新聞が何で家に3部も4部もあるんだよ!

    公明党の元委員長の
    矢野さん、竹入さんを聖教新聞で叩きまくってたくせに
    裁判が取り下げになったことも学会員には内緒。
    (会合でも聖教新聞でも紹介された記憶はありません)

    僕も、こんなことを学会員に言っても通用しないのは、もとより承知しています。
    あの方たちは都合の悪いことは見えない聞こえないみたいですから。

    だけそ、僕はこんなことを知った時から「気づき」が始まりました。
    「何にも知らなかった」・・・それを感じさせたいだけです。

    でも無理なく、適当にやってます。「使命だ!」なんて思ってません。
    ゆるやかに、じんわりと。むしろそれが効果的です。
    僕が退会したのも、ゆっくりと自分なりに色んな情報を手に入れたからです。

    学会は戦時中の日本と同じ雰囲気です。
    裁判で負けても、和解になっても「勝った!」しか言わない。
    学会員は聖教新聞の記事が絶対なので、それしか知らない。
    可哀そうです。

    さて話が変わりますが、
    つい最近、ローマ法王が、聖職者による児童らへの性的虐待問題で謝罪してましたね。
    http://www.cnn.co.jp/world/35046485.html
    間違いを認めるのはすごい勇気だとおもいます。責任感があればこそです。

    でも、2005年に創価学会の元全国男子部長Yさんが女性問題を起こした時に
    池田大作さん謝罪してないですよね。
    まあ池田さんもあれですしね。人のこと言えないか・・・

  19. たいくさん、はじめまして。

    バリ活さんと話しても平行線でしょうね。
    それは私たちが、もう創価になびかないのと全く同じだと思います。
    活動家も思ってるでしょうね。なんとか退転者の「気づき」になるよう、地道に家庭訪問しよう!でないと可哀想だ!
    同じように強く思ってるでしょう。
    だからバリ活さんとやりあっても無駄…ってこともないと思いますよ!

    そのやりとりを、悩んだり疑問を持った人が見ているからです。
    私などはそれも一応やってみたけど、今はアホくさ!と思う方が正直強い(笑)
    それよりも、創価でストレスを抱えることを軽減する方に目がいきます。

    放といても創価は衰退していくと思いますが、でも声を上げていくのはやはり大事ですよね。

    >聖教新聞が何で家に3部も4部もあるんだよ!
    こういう素直な気持ちを発信するのが、私はいちばん心に響きますね。

  20. たいくさん、はじめまして、流れ星と申します。
    ご紹介のサイトをちょこっとだけ覗きました。

    創価学会の、それもかなりな信奉者たちが集う場のように見受けられました。
    シニフィエさんの言われることも納得ですが、たいくさんのように疑問や意見を投じることも大切なような気がします。

    バリバリの学会員さんでも、真実の言葉の投げかけは、時が経ち、その方の心の奥に染み込み育っていくと、わたしは想うからです。。

    ただ、もしかしたら?反対に相手に染まっていくこともあるかもしれませんね。。

    シニフィエさんの言われるように、この場は、創価学会に疑問や違和感を抱き始めた人たちが集う場なのかもしれません。。

    ですので、たいくさんもバリバリの学会員相手が疲れたら、いつでもここに本音を語りに寄ってくださいね。。

    そうそう、創価学会員って池田大作がどうなっているのか、ちっとも関心がないようで驚かされますよね。
    元気で執筆活動をされていると本気で思っているのでしょうかね〜。。
    池田大作の提言やら、なんやらも全てゴーストライターが書いたのかもしれないのに、それを未だに信じているなんて。。昭和の脳みそですよね。。^_−☆

  21. たいくさん、こんばんは。

    はるさんのブログで「いちおう3世」で、書き込ませていただいてました。
    こちらでもお会いできてなんかうれしいです。
    たいくさん、対話頑張ってますね。おつかれさまです。
    僕は、活動が本当に苦しくて、意味を見いだせないでいるとき、こちらのブログに出会いまして、3か月ほど前に学会から距離をおきました。

    たいくさんが、はるさんのブログで書かれていた。
    >・・・本当に苦しかった。自分に嘘をついて、大事な部員さんに「池田先生」を語ることに限界がありました。
    僕も、まったく同じ気持ちでした。それが一番くるしかったです、活動の激務や、成果のプレッシャーも、きつかったですが、やっぱり一番くるしかったのは、部員さんに対するうしろめたさが、ありました。この先、このまま活動を頑張れば、絶対に幸せになれるんだ!とは、無責任に言えなかったです。

    あと、まるさん、りこさん、その節はコメントありがとうございました。
    学会から距離をおいて、お題目も上げなくなりましたが、いたって元気でやっております。

    sighife様、いつも勝手に書き込んで申し訳ありません。
    興味深く、拝見させていただいてます。

  22. おはようございます。

    匿名さん コメントされてましたね。管理人さんの記事や皆さんのコメントも、
    ちゃんと読んでらしたみたいで。

    対話って確かに会って話すのが、本来の対話かもしれない。
    でも、なんつーか これしかダメなんだとかこうするべきってのは、
    価値観を狭める事になる様に思いますよ。 そこから外れたら許せないって気持ちも
    出てくるし、○か×だけじゃなくて△もあっていいんじゃないかな?
    こうするべき思考は、他人をコントロールするって事で、許せなくないですか?

    こういう形があっても、いいじゃないですか〜。
    柔軟にいきましょうよ。

  23. 対話ってツールじゃなくてコミュニケーションだと思いますよ。

    匿名さんはこのブログは一方的ですね、と「一方的じゃないブログ」をご存知らしいけど、ならばその一方的じゃないブログ、ネットで、対話が成立するのをわかってるはずです。
    また本当に「ネットで対話なんて無理」と思ってるなら、ブログに書き込みなんてしてこないでしょう。

    対話はネットでは成立しない、ではなくて、コミュニケーションをとろうという姿勢がないだけですよ。
    人と直接会って話しても、そんな人は対話など成立しませんよ。

  24. 匿名さんは、ご自分がやってることを自分で批判していることの矛盾に気がついていないことにビックリです。モニカさんや他の方もおっしゃるように、これではネットだろうが実際に対面しての会話だろうが対話が成り立つわけがないと思います。匿名さんのどこまでも一方的な態度からだと、創価の方なのかなと推測します。でもそれもご自分からは明かさずに一方的に言いたいことだけを言って去られるんですね。ごくろうさまです。

  25. 匿名さんへ

    もしまだここをご覧になってるなら、
    学会員さんで非かつの方ですが、オススメブロクがありますよ。
    http://sougakudanrin.blog.shinobi.jp/

    一度目を通されると、いいと思います。

    ガチガチの頭を、柔らかくして下さいね。

  26. 皆さまコメントありがとうございます。
    学会員さんとのやり取りは、ミイラ取りがミイラにならないよう気をつけます。
    適当に、緩やかにがモットーなので大丈夫だと思いますが。

    楽観主義さん。こちらでも書き込みされてたんですね。
    僕も再会できて嬉しいです。

    はるぽんさん。
    御紹介されている「運ちゃんさん」のブログは僕もよく拝見しています。
    すごく参考になりますよね。
    Twitterもされてて面白いです。

  27. 対話が直接会って話す事だとしたら、人生の師匠が海外の著名人と往復書簡をしていること(本人自身が本当にやってるかは別として)は対話にならないってことですかね?
    こんなんで出版された本のタイトルに「対話」の文字が入ってたりしますけど。
    書面とネットでの文章と何が違うんだろうか?

  28. 今回の匿名さんに関してのコメントは、もうこれくらいで終わりにしましょう。本来なら承認すべき内容ではないものを、今後のためにご紹介したまでですし、ご本人もコメントはあれで最後と言われていますので、これ以上の意味はないものと判断します。よろしくお願いします。
    しかしながら、おかげさまでと言いますか、このように意見の分かれるような議論となると、新しい方や、普段はあまりコメントされない方までがコメントしてくださるので、これはこれでありがたかったです。単にアクセス数を増やそうと思って対立意見を煽り、きわどい討論にしてしまうのは簡単なことですが、ここでの本来の対話の意味がなくなってしまいます。ですから、対立意見は決して排除はしませんが、対話の意志の伺えないコメントは基本的に未承認とさせていただきます。
    ここでも自分の素性を明かさずに自由に意見を述べることができるのはネットならではのメリットととらえます。しかしどのような方であっても、創価とご自分の関係などははっきりさせた上でのコメントをお願いします。

  29. 退会する前、「広宣部」という組織を知り、地区婦人部長に知ってる?
    と尋ねたことがあります。
    そしたら何それ?と不思議そうな顔をして興味を示したのに、情報がネットからと聞くや否や、
    「そんなの知らない!今まで一回も聞いたこともないわ!」
    と途端に機嫌が悪くなり(穏やかな人なのですが)、こういう部隊みたいですよ、とちょっと口にしたら、手がつけられないほど怒りだしました。
    「あのね、知らないものをそうなの?とは言えないでしょ。そんなの無責任でしょ。そうでしょ!」

    創価に不都合な情報、その出所がネットとなるとそれこそ未承認です。
    対話など無理なんです。内容も限られてしまう。
    対話が人と人との間だけで成立したら、誰も書き込みなどしないでしょう。

    ところでその会話をすぐ横で聞いていた白百合長の御主人が、後で元広宣部とわかりました。
    その白百合長が素直に
    「ねえあなた、広宣部って何してたところ?」
    と尋ねたところ、温厚で有名なそのご主人が真っ赤になって
    「そんなこと聞くな!」
    と激怒したそうです。
    夫婦でも話せない正義の活動って何なんでしょう?

  30. おはようございます。

    記事の内容とはずれるんですが、最近宗教ってなんの為にあるんだと
    考える様になりました。創価も日蓮正宗も、この信仰すれば病気が治るとかいいますけど、そもそも宗教ってそうじゃないよなって思うんです。

    病気になる時はなるし…。現にずっと強迫障害も抜毛症も治らないし、ただ題目あげてれば治るってのは、オカルトじゃないのかしらと思うんです。病気を治すのは医者の仕事であって、病気と向き合う勇気をつける為にあるものが、信仰じゃないのかな?

    そう思えたら、どっちが正しくてどっちが間違ってるなんて、思わなくならないのかなあ? 私は正宗の方でしたけど、脱会後に正しいものがわからない可哀想な人だな!と、
    いわれました(笑)

  31. はるぽんさん、こんにちは。
    私もそう思います。釈迦も日蓮も病気で亡くなりましたからね(笑)
    信仰によって病気が治ったり、金持ちになったりすることを望むところから、それはすでに信仰ではないと思います。病気だろうが事故だろうが死ぬ時は死ぬ。金持ちだから幸せとはかぎらないし、貧乏だから不幸なのかというとそうでもない。
    「昔は創価と言えば病人と貧乏人の集まりだったのが、この信心によって宿命転換できた結果、今の輝かしい創価学会の姿がある」などと言っていましたが、決してそんなことはありません。当時は時代が高度経済成長のまっただ中だったから、国民の生活全体が物質的に豊かになっただけであって、創価の信仰によって豊かになったわけではありません。
    「この信仰をすれば病気が治る。貧乏から抜け出せる」そんな甘い餌をぶらさげて信者を増やしていった。つまりは中枢部が善良な人の信仰心や物欲を利用して金蔓を増やしていっただけのことです。
    とにかく創価学会は信仰とは無縁の詐欺集団だということに気づかなければ、いつまでも騙され続けるということですよね。
    学会員の方は、一度騙されたと思って(笑)創価が宗教ではないという前提に立って客観的に見てみるといいのになと思います。まあ、それができてれば、すぐに気がつくのでしょうけどね。
    一度気がつけば、創価の本当の姿がぱっと見えてきます。それまでの創価に関するすべての?が見事にわかります。ただ、今まで騙されてきた自分というものもわかるわけですから、かなりきついですけどね。でも一生騙され続けて、搾取され続けて人生を終えるというのも悲しいですよね。

  32. 学会は言い切りました。
    「病気も貧乏もこの信心で完全に治る」
    「方法を探してるうちは願いは叶わない」
    が、それは高度成長期まで。

    それが終わってからは、断固こう教えました。
    「ただ題目を上げれば願いが叶うなんて言ってませんよ」
    「信心プラス努力ですよ」

    平成。
    次はこれを常套句にしました。
    「悩みがあるから不幸とは言い切れませんよ」
    「悩みがあるから成長できるんですよ」
    「悩みは自分で願ったことなんですよ」

    次はなんて言うんでしょうね。
    次に続く人がいたらの話ですけど…

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