「誰が儲かるのか」という視点

憲法9条がノーベル平和賞の候補として委員会が受理したニュースがありました。こうした報道がなされると、決まって「これは左側の人間が一方的にやったことだ。日本国民全員が望んでいることじゃないぞ」などと批判する人が騒いだりします。いまだに右だ左だとこだわって文句を言う人が絶えないのにはうんざりしますね。世論に限らず、いろんなことを二極化することで自分たちが利用されていることに気づかない人たちが、昭和な頭で文句を言ってるんですよね。「自分たちは由緒正しい右側の人間であって、左側のやつらは日本人じゃない」とか、「外国人が日本を乗っ取ろうとしている」などと騒ぐのです。しかしそれは与えられた情報に踊らされているだけであって、自分たちの「敵」をはっきりさせることで、実際には利用されていることに気づいていないんですね。体制の二極化や国どうしの二極化をつくることでお金が儲かる人たちがいる。そんな人たちにうまい具合に利用されていることを知るべきです。

近代以降の戦争も、途上国の独立運動も、あえてそうした二極化をつくりあげることで武器弾薬を売って儲かるという商売人に利用されていることに気づいていない。

戦後の日本が原発を推進することを余儀なくされたときに、マスコミを利用してそれに反対する人たちは左側だというレッテルを貼り、反原発を世論から引き離したのが当時の政府と電力会社です。これは直接的にはアメリカ政府の意向ですが、結局はそれでお金が儲かるウラン採掘権をもっている財団の仕業です。

いまだに右だ左だと騒いでいる人は、自分たちが利用されていることをいい加減知って欲しいと思います。

創価もよく似た構造を持っています。外に「敵」をつくることで団結を図る。自分たちの正しい信仰とそれ以外の間違った信仰という二極化を会員の頭に刷り込むことで、組織への服従心を強化しているんですね。座談会も御書学習会も本幹も、会員の思考停止を強化するための策略でしかありません。聖教新聞を学会員がどれだけ読んでいるのかは知りませんが、あれも思考停止アイテムのひとつですよね。たとえ読もうと読むまいと、それを他人に勧めることが仏道修行だと思い込ませている。そして販売数が増えれば組織としては会員の思考停止と金儲けの一石二鳥。創価班、牙城会、守る会なども体のいい経費削減策です。

こんな簡単なことにも気がつかないで毎年ありがねはたいて財務をする会員さん。たくさんお金を寄付すればするほど福運がつくと本気で思うというのは、普通では考えられないことですが、日頃から思考停止が徹底されていると、そんなことにも何の疑問も抱かないんですね。恐ろしいことです。

創価の組織というのは、いかにたくさんのお金を上層部に吸い取るかというだけのものだと考えると、すべての会員の活動のつじつまがピタリと合います。

戦争も原発も途上国の独立紛争も、そして創価学会も「誰が儲かるのか」を考えるとその構造が見えてきます。自分たちは正義であり、それ以外は闘うべき敵であるという刷り込みによって人間は意外と簡単に利用されてしまうんですね。それはきっと自分の存在意義がはっきりするからなのだと思います。自分は敵と戦うことによってこの世界に必要な人材なのだと思い込んでしまう。思えば思うほど自分が利用されていることに気がつかなくなる。創価の幹部の「指導」ってみんなその類いでしょう。「みなさんの幸せはこの正法を持ったときから約束されています。みなさん一人ひとりが大切な人材です。どこまでも先生の弟子として正法を広げさせまいとする魔のはたらきを打ち破り、師匠をお守りしていきましょう」などと言うでしょ(笑)」ほんとうは「みなさんは大切な金蔓です。学会に入った時から、有り金全部をはたきなさい。何があっても何も考えず疑うことなくお金をさしだしなさい。それがあなたの存在意義なのです」ということです。

創価の活動家の皆さんは、そんなわけはないと思うでしょう。「自分はもしかしたら組織に利用されているだけなのかもしれない」という疑問を持つことなど考えられないでしょう。その考えられないということ自体が、組織によって「思考停止」を余儀なくされているというまぎれもない証拠だとは思いませんか。折伏、新聞啓蒙、各種グループの活動、座談会の運営、選挙運動、そして使途のまったく明かされない莫大な財務。それらの一つひとつについて「誰が儲かるのか」という視点でもって一度でいいから考えてみてください。もしかしたら思ってもみなかった創価の真実が見えてくるかもしれませんよ。

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「誰が儲かるのか」という視点」への25件のフィードバック

  1. >自分たちは正義であり、それ以外は闘うべき敵であるという刷り込みによって人間は意外と簡単に利用されてしまうんですね。それはきっと自分の存在意義がはっきりするからなのだと思います。自分は敵と戦うことによってこの世界に必要な人材なのだと思い込んでしまう。

    これ公明党の、ワクチン奨励と同じですよね。
    志は否定しませんし純粋な正義感かもしれないけど、問題は内容なんですよ。
    創価で苦しんでる人が現実にいっぱいいる…
    なら止めましょうよ。

    それだけのことなんです。

  2. 私の義妹の支部婦人部長は、今住んでいる家のローン返済が厳しくなり売却して借家に移り住もうかと言う状況になっても五月の学会の慶祝を祝うための新聞啓蒙の組織目標達成ために脱会している私どもに一か月だけの購読料添付の上での贈呈を懇願してきます。

    そんな厳しい状況だからこそ新聞贈呈してでも宿命転換、生活革命を!と盲信を深化させているのでしょうか。

    活動家の人は、この姿を信心熱きりっぱな支部婦人部長と思われるのでしょうか?お聞きしたいですね。

    私には役職の手前、模範の数値目標を掲げ、贈呈、贈呈の戦いをしているだけに思えてしまいます。

    それは熱き信仰心の発露や創価正義の理解への熱望からの新聞贈呈ではなく、ただただ組織上の数合わせのご都合、幹部としての見栄だけと映ってしまいます。

    活動家の人は私のこの考えをどう感じられますでしょうか?

    家のローンを返せそうになくなる状況でも学会活動にかかる新聞代、書籍代、財務、広布基金代、民音などなど組織からの打ち出しにかかる出費は学会員でいる為の、そして率先垂範を指導された役職者としての必要経費なのでしょうか?

    私はそんな組織は信者を大事にする組織ではなく組織に信者を盲従させるカルトだと思うのですが活動家の人はどう思われますでしょうか?

    事の大小はありますが、こんな似たような事で創価的義務感に押されて息苦しい思いをしている人は多いと思います。

  3. 三枝さんおはようございます
    このようなお話をお聞きするたびに本当に心底心が痛みます
    苦境に陥っているときにこそ全てを差し出して宿命を転換をなんて苦しみに追い打ちをかけるような酷い話
    鬼、悪魔としか言いようがありませんね
    自分もこんな組織に人生かけて頑張っていたんだと思うとゾッとするとともに早く気が付いて脱会して本当によかったとつくづく思いますね

    活動家の皆さん今のこのタイトルどおり、いったい誰が一番得して儲け、儲け、儲け(そこには信仰、宗教はありません)儲けているのか、巨額に集められたお金は一体どこに行くのか不信感を持ってよ~く考えてください
    誰かが多儲けして陰で、ほくそ笑んでいるのですよ
    まぁ、誰かでなくはっきりしていることですがね
    心の底から怒りがこみ上げてきます

  4. おはようございます。

    私が脱会届けを出す前に、ネットでも読めるし(実際には、読んでなかったけど)節約の為に、新聞をやめさせて欲しいと申し出たんです。
    でも、そんなんあかんわ〜と言われましたよ。

    節約するのは当たり前、ネットで読む事で紙の節約にもなるのに、
    それが駄目だという。新聞をどれだけ推進するか? お金が苦しくても、取らせる。
    アホか!って思います。 人としての当たり前の感覚って、あるんでしょうかね?

  5. 三枝さん、よくわかります。
    そのまま婦人部の日常です。

    頭の中は、ノルマをこなして体面を保つこと、差し迫った自分の悩みを解決することでいっぱいです。
    それを露骨に出す人と、そうでないかの違いで、みんな同じです。
    熱き信仰心の発露?そんな人見たことありません。
    ふつうの、いえふつうより強欲なおばちゃんの巣窟です。

    自分の願いが叶うためなら、相手がどう受け取ろうと構わないんです。
    嫌がってるのはわかっていても、相手にも福運がいくから…この一辺倒で他の発想はありません。
    福運を逃したくない執念がありますからね。
    とにかく、自分にお金が入ってきて生活に困らない方を優先したいんです。

    そうじゃないと否定するなら、ではなぜ創価が嫌われてるか正面から問わないんでしょうか。
    不快に思う人の理由を、深く汲まないのでしょうか。
    教学の根拠を、冷静に探究したことがあるでしょうか。
    社会的な影響への実態、裁判の行方など追ったことがあるでしょうか。

    おそらく
    「あらそうかしら」
    「私のまわりではいないわよ」
    「そんな人ばっかりじゃないわよ~」
    この程度でしょうね。
    私もそうでしたから。

    これは活動家の方たちが思っているより、ずっと大切なことなんですよ。
    新聞のポイントより、民音のチケットをさばくより、はるかに大切なことだと思いますがね。

  6. 追加するとおばちゃんたちは、創価に出す(活動に使う交通費なども含め)お金は「使ってる」という感覚はありません。
    「戻ってくる」ものなので、惜しいなんて思ってません。
    消費税アップには敏感なのに、毎回気前よくお菓子を持ってくるし、いつも送迎をかって出てガソリン代も自前です。

    強欲なのに気前がいい…この矛盾はここにあるのです。

    いつか何不自由ない暮らしをするための投資、と考えてるんです。
    怖いくらい欲深いですよね…

    一度手にしたお宝をギュッと握って離さない人いるでしょう。
    まわりが、
    「それ違うよ。騙されてるよ。持ってると危ないよ」
    と言ったって
    「ウソ言うんじゃない!騙されないわよ!離すもんか!」
    っていう、漫画に出てくるようなゴーツク婆さんいますよね。
    冗談ではなく、本当にそういう感じなんです。

    こんな人、この目でいっぱい見てきました。

  7. 「私はね、あなたのためを思って言ってるのよ」というのは、○○ウェイや○○ースキンなどのネットワークビジネスにはまった人の常套句です。報酬に目が眩んで、自分の強引なセールスを正当化して、粗悪なものでも平気で売りつける人たち。創価とほとんど同じです。ネットワークビジネスはお金に目が眩んだ人が騙されるパターンですが、創価では福運というありもしないエサにつられた人が騙されます。どちらも結局組織の最上層部だけにお金が集まる構造になっています。創価の場合「自分は他人の幸せを思ってやっている」と自分に言聞かせながら、実際には家族や友人を不幸にしてしまっていることにすら気がつかないんですね。そして何より自分が騙されていることに気がつかない。それにさえ気がつけば、あとは早いんですけどね。残念です。

  8. こんにちは

    あなたの為を思って とかを口にする人は、
    大体自分の気持ちをわかってよ!って、感覚の人が多いと思います。
    それで受け取ってもらえなかったりしたら、なんでなのよ〜!って
    被害者意識に苛まれる感じがしてます。
    挙句の果てには、受け取らない相手を憎んじゃったり。
    結局のところ、自分の為なんですよね 自分の満足の為。

    本当に相手の為を思っての行動ならば、憎しみなんて持たないはずです。

  9. そうですね。だいたい「あなたの為」って言う時点で相手の気持ちを察していないですもんね。いいかえれば「私が正しいんだから言うことを聞きなさい」って言ってるようなものですよね。本人はともかく、言われているほうはそんなふうに聞こえることがわからないんでしょうね。福運という欲に目が眩んでる証拠ですね。
     

    福運というと、自分だけが特別にもらえる賞品みたいに思えるんでしょうね。そんなものに追いすがる自分をどう思っているんでしょう。それって少なくとも仏教じゃないですよね。

  10. しかしまあ、日蓮さんも蒙古襲来は予言できても、700年後に詐欺に利用されるなんて予想できなかったんですね(笑)こんなインチキ宗教に利用されるとは、どんな気持ちでしょうね。

  11. こんにちは。

    自分を振り返ってみて、創価の人は今何をするべきなのか?
    が、欠落してるのかな〜と思います。例えば、子供がお腹すかしてるのにほっぽりだして、活動。活動する事で、将来福運とやらに包まれる。
    いやいや、今やることはご飯を作る事でしょ。
    話しを聞いて欲しいと家族が思っても、活動。
    家族が病気でも、活動。するべきは看病でしょう。
    経験上、腸が捻れてのたうち回った時でも、母は活動とやらやってましたね。
    思うに、家族より活動が大切なんてありえませんよ。

    今やるべき事は何なのか? これをちゃんと考えたいですね。
    親に放ったらかしにされてるであろう子供ちゃん達は、見えなくても心は傷ついてますよ。

  12. 創価の誠意は、「見返りを求めて」が大前提ですからね。
    会合も新聞配達も家庭訪問も、あれもこれもそれも、一切が自分の見返りのため。

    無償、奉仕なんてバカにしますよね。
    「え?功徳ないの?精神論ね。気休めね。力ないのね。この信心は必ず結果がでるのよ。無駄がないのよ」
    そんなことばっかり考えてるから、日常の地味でも大切なことがどうでもよくなってしまうんでしょうね。

    それで楽しみにしていた「見返り」来ましたか?
    うまくいかないと、なんでなのよ~になりますよね。
    報われなかった人には腹たちますよね~。

    見返りを求めた誠意なんてそんなもんですよ。

  13. 初めまして、現役の学会員です。以前他のブログで53歳創価学会員さんと間違えられて、ナリスマシにされた者です。あの方もそうですが、バリバリの活動家はノルマや成果に追われ忙しいせいか視野が狭い人が多いと思います。私も今の組織
    は活動が目的となり、本来の目的である一人一人に心を寄せ、励ましあいながらという創価の良さが無くなっていると思います。地区の改革を目指して努力しましたが、これだけ巨大化、官僚化、硬直した組織を変えることは出来ませんでした。
    新聞、選挙、財務、折伏は手段であり、目的は境涯革命だと思っています。
    53歳さんとは年も近くブログの内容も納得出来、学ぶ事も多いのでメールしました
    今後とも宜しくお願いします。

  14. はじめまして、ポラリスさん三枝と申します。

    関心があってアンチブログを訪れてもROMだけと言うのが普通だと思うのですがわざわざ書き込んでいただいてありがたいと思います。

    アンチの私でも普通はROMだけで書き込むと言うのはそれなりの思い入れと書き込む内容の整理とめんどくさい壁があるのですがここは、バトルをしないと言うブログ主さんのお考えに共感できるので訪れてはたまに書き込んでいます。

    私が在籍時によく思っていたのは、組織の打ち出しや結集率、反応で良いのは四者で言えばダントツで婦人部、次が男女青年部(学生部)で壮年部は一番動き、結集率など悪いのであんな壮年部にはならないように・・・と思っていました。

    しかし、脱会して長年、身近な創価や学会員を外から観たり、今まで知らなかった外部の人の創価評(当の会員には本当の評価は教えてくれませんよね)を聞いたり、ネットで一般人の視点で創価を評価出来るようになった私は、壮年部の動きが悪かったのは一般社会の価値観で評価される現実に多く触れる状況下では「視野狭窄」だけでは生き抜いてこられない環境がもともとあり、50歳を境に自分の人生を見つめ残りの生き方を再点検、修正し少しでも満足したものにしたいと言う思い(私は気づきの年代に入って来たと考えています)がだんだん深くなっていき組織の打ち出しそのままに組織活動にのめり込んでは行きにくいなあと言う壮年部の特色があるからなのか?と思うようになりました。

  15. ポラリスさん、コメントありがとうございます。そうですか、私と同じようにナリスマシの濡れ衣をかけられたんですね。大変でしたね。あのブログは、結果的に私を創価から救い出してくれたブログとなりましたので、私にとってはよかったと思っています。
    それでポラリスさんはまだ学会活動をされているのですか?

    >私も今の組織は活動が目的となり、本来の目的である一人一人に心を寄せ、励ましあいながらという創価の良さが無くなっていると思います。

    と書かれてところを見ると、まだ創価に未練があるのではと思われます。問題は目的がずれてきているとか、そんな生易しいものではありません。もともとが詐欺の加害者と被害者の集団です。

    >地区の改革を目指して努力しましたが、これだけ巨大化、官僚化、硬直した組織を変えることは出来ませんでした。

    創価学会に改革の余地などはじめからありはしません。創価学会の本来の目的は中枢幹部が会員からお金を巻き上げることです。それ以外なにもありません。そこに気がつかなければ、いつまでも騙され続けることになると思います。それに気づいたときには本当にショックでした。ショックのあまり心が壊れまして、脳内のセロトニンを使い果たしてしまいました。でもそれでも気がついてよかったと思います。騙され続けて一生を終わるよりも、病気になっても真実に気がつき、本当の意味で自分に向き合うことができたと思っています。つらいですけどね。

    >新聞、選挙、財務、折伏は手段であり、目的は境涯革命だと思っています。

    ポラリスさん、自分の境涯革命に新聞、選挙、財務、折伏という手段がなぜ必要なのか、深く考えてみてください。そのどこが信仰なのか、どこが仏教なのか。境涯革命という言葉を使われているところを見ると、ポラリスさんは、まだ創価学会を宗教団体だと思われているのではありませんか。ポラリスさんは、他の宗教の方と人生について深く対話をしたことがありますか。その方たちは創価の幹部と比べて劣っていますか。創価以外の仏教についての本を読まれたことはありますか。その本に書かれていることに感銘を受けませんか。私は学会活動をしているときは生理的に他宗教を受け付けませんでした。二世三世にはよくあることです。神社の鳥居も気持ちが悪くてくぐれませんでした。でも気がついたあとは、それがまったくのお門違いだったということに愕然としました。それと同時に、他宗の芸術文化を受け入れることができて、自分の中の宗教に対する矛盾が消えました。近頃はとくにキリスト教関係の仕事が多く、キリスト教史の大学教授や博物館の学芸員、教会や修道院の神父さんシスターや修道士さんへ直接お話を聞く機会がたくさんあり、キリスト教についてずいぶん見方が変わりました。昔は教会に入るのも気味が悪かったくらいでしたけどね。
    仏教に関しても、日本の仏像彫刻が世界的にもトップレベルであることは知っていましたが、昔はどうしても邪宗という偏見があって、自分のなかでどう解釈していいのかわからなかったです。今はもうスッキリしています。仏教に関する本を読んでも、とてもよくわかります。昔はこうはいきませんでした。創価以外はまちがいだというとんでもない偏見でしか宗教を見ることができなかったからです。
    いずれにせよ、創価学会は宗教ではないということに気がつかなければ何も解決しないと思います。ポラリスさん、無理にとは言いませんが、少なくとも私のように生まれたときから創価にどっぷりはまっていても、自分でものごとを考えることによって創価に対する考え方が180°変わった人間がいると、それも一人や二人ではないということを念頭に、自分と信仰についてもう一度考えてみてはいかがでしょう。

  16. 皆さんより、少しだけ若い中年主婦の宝星といいます、
    結婚を機に学会から離れることができましたが、
    実家の状態を案じて、皆さんのコメントを参考にしています。
    ああ、やっぱり男の方の意見は頼もしいなあ、と感心しました。
    男の方の人生の方が、社会に直面せざるおえないですから。
    また、理論的な展望から、ぜひ現実を見据えてのコメントお願いします。
    ゴールデンウィークを迎え、家族に振り回されっぱなしなのですが…
    創価学会家族よりは気楽に過ごせてます。

  17. 三枝さん、53歳さん、宝星さんこれからも宜しくお願いします。53歳さんの思考に私も近いような気がします。私も二世で少年部、中等部、高等部、学生部、男子部
    、壮年部と今に至っています。学生部のころ組織に違和感があり、自分が未熟だと思っていましたが、今から思うと組織のあり方が間違っていたと思います。私も53歳さんもご本尊と先生にはどこまでも純粋で来たと思います。それが間違いと
    思われた大きな出来事は何だったのでしょうか、私は今の組織はこのまま放置
    すると無くなると思います。何故なら人は楽しい所に集まり、自分の居心地の良い場所を求めているからです。果たして今の組織がそれに答えているか疑問です。
    そうでなければ、そこから去るのは当然でしょう。学会の組織から人間主義が無くなったのか、それとも元々無かったのか、しかし昔病人と貧乏人の受け皿となり、
    蘇生させたのは事実だと思います。時代は大きく変わっているのに組織は相変わらずではその組織が淘汰されるのは当然だと思います。私は地区には行きませんがブロックで心ある人々と悩める方々に励ましをおくっています。

  18. ポラリスさん、はじめまして。
    二世の元婦人部です。

    創価は昔は人間主義だったとか、病人と貧乏人を蘇生させたとかは、ただ一言
    「騙し事が通用した」それだけなのではと思います。

    今より圧倒的に情報が少なく、また情報を操れるのはマスコミのみの時代。
    創価は膨大な書籍や新聞や、会合やビデオ、レコードなどを使い、一方的に会員に都合のいい情報のみを、これでもかと流し続けた。
    反論や疑問に声を上げる手だてなど、一般の会員には何ひとつなかった。
    だから外部のパッシング以外、何も聞こえてこなかった。
    まして退転者は見せしめのように吊るし上げられたので、アンチは静かに非活になるしかなかった。
    昔だって、疑問に思っていた人はたくさん居たと思うのです。
    が、一切は封じ込まれていた…そう思います。

    昔はこんな組織じゃなかった…という人がいますが、折伏経典などいい例で、昔の方がとんでもない言葉が飛び交っていたし、布教の仕方も強引。
    指導も軍隊のようだったし、幹部は威張っていたし、何から何まで非常識だった。
    それでも騙し事が通じる時代だったんですよね。

    民主主義が成熟して、近代仏教学の研究も進んだ今、ベールがはぎとられ、ひたすら隠していた秘密が暴かれた…
    それだけの話じゃないかと思います。

  19. ポラリスさん、組織に違和感を感じ….
    組織の在り方が間違っていたと気付かれた方が、悩める方々にどういった励ましができるのでしょうか、今の私には不思議な気がします
    組織はおかしいけれども先生と御本尊様は絶対なんだから、とでも?
    (実際私は違和感を感じながらそのような話を自分の部員には話してましたがね)
    徐々に違和感と不信感がつもりつもって学会幹部では話の埒が明かないので意を決して脱会幹部に(それも側近大幹部)真実を確認するために会いに行きましたね。体が硬直するくらいの勇気がいりましたよ
    脱会者(告発者)と学会と、どちらが真実を言ってるのか自分で確かめたかったからです
    勇気を出して会いに行ってよかった、知らない真実を多く知りあきれ返り
    即刻、決断をしたものです
    一つだけ挙げれば、あの正本堂の御供養で公称355億の御供養が集められた(実際はもっと多くあったと聞きました)あれ以来
    先生はまったく人が変わってしまったといわれてましたね
    先生も結局はただのあくどい欲ボケ人間だったのですね
    これは凄いと思ったのでしょうか、みなさま方からは一切お金はいただきません、と言ってたのがそれ以来金集めに拍車がかかって今日に至っていますね
    ポラリスさん本当の勇気とは何でしょうね

  20. 以前地区の婦人部で先生、先生と先生を尊敬されていたのに、宗門問題で、あの池田野郎に変わり脱会して宗門に行かれた方がいました。私も師弟がなくなれば脱会するかもしれません。100%の組織はありませんが、今の地区はノルマと成果主義で居心地の悪いつまらない所になっています。協議会にしても上からの打ち出しを鵜呑みにして意見はありません。人革に学会は老若男女いろんな階層の方々の集まりだからいろんな意見があると言われてますが、私が意見を言うと反発されました。このブログのコメントをしている方々の意見を組織が耳をかたむければ組織はもっと活性化され衰退する事はなかったと思います。私と同調するブロック方々と悩める人を励ましていきたいと思います。私は元々ドグマではないので、友人に天理教、エホバ、幸福の科学等と仲がいいです。ですから学会員でも、脱会した方に対しても差異はありません。あるとすればその方の心、振る舞いを見て判断しています。組織に関しては脱会された方の意見に近いと思います。
    本当の勇気とは自分に正直でもし自分が間違っていれば素直に認める事だと思います。サラマンダラさんの質問の意図にあえばいいのですが、宜しくお願いします。

  21. ポラリスさん、お返事ありがとうございます。

    ポラリスさんがおっしゃってること、本当に私が活動していた頃の気持ちと一緒なのであの頃の自分の思いを見ている気がします。

    「私も二世で少年部、中等部、高等部、学生部、男子部 、壮年部と今に至っています。学生部のころ組織に違和感があり、自分が未熟だと思っていましたが、今から思うと組織のあり方が間違っていたと思います。」

    私は少年部、高等部とちょこっと会合に担当者に促されて数回出席したくらいで活動と言う活動は学生部からでした。
    発心して活動し始めた学生部では真面目に活動したので学業よりは学生部での思い出の方が多かったですね。でも、その学生部の活動も何かちゃらちゃらしたところのあった雰囲気に違和感を持っていました。

    「私も53歳さんもご本尊と先生にはどこまでも純粋で来たと思います。それが間違いと思われた大きな出来事は何だったのでしょうか、」

    私は男子部に入って警備、当直、駐車場整理、諸会合の整理、勤行の導師、本山警備など育成グループの任務を通し真の池田門下生を目指し活動していました。

    私もポラリスさんと同じような気持ちで池田の会員への熱い思い、創価のすばらしさを知らないで功徳を受けられず活動に参加できていない部員さんが学会本部直結の信心に目覚められるように・・・と会員さんが楽しめるよう諸会合の企画はもちろんですが仕事場から部員指導そして部員指導と活動をしていました。

    そんな地道な現場重視の会員側からの活動や考えの提案は当時の上級幹部には耳の痛い話で結果は幹部から疎まれ結局、組織から干される状況になり私の今までの活動は全て否定されました。

    そうなると私自身想像もしなかったのですが、しらけてしまいました。

    いろいろ組織にある矛盾も乗り越えて信仰の組織なんだと思い直しながら活動していたのに結局、信仰の価値観で評価されず、担当幹部のご都合で私に白黒が付けられたので興ざめしたのです。

    これを組織では教え込んだ「怨嫉」と言う表現をしたいのでしょうがそんな怨念や嫉妬と言うものではなくただ、あほらしくなったと言うのが本音ですね。

    興ざめしてからネットなどで他人事になった創価学会のいろいろな情報を自分の経験と比較して見て行くと創価の大ウソに気づくようになりました。

    「私は今の組織はこのまま放置すると無くなると思います。何故なら人は楽しい所に集まり、自分の居心地の良い場所を求めているからです。果たして今の組織がそれに答えているか疑問です。そうでなければ、そこから去るのは当然でしょう。学会の組織から人間主義が無くなったのか、それとも元々無かったのか、」

    そうなんですよ。そんな人間主義の心温かい、血の通った組織など初めからなかったんです。私達は、見たことや世間一般にも聞いたことのない「仏法中道」、「人間主義」、「麗しい僧俗和合」もっと言えば「創価教育」「池田大作」・・・これら全て学会出版の書物や御書学習会、会長指導で教え込まれ、学習した学会用語の概念を学び、知っている存在している物として認識して自分の思考過程でそれが或る物としていただけなのですよ。

    池田大作は私も一緒に勤行もし、署名入りの本も貰ったりもしましたが、既に「カリスマ大作」をインプットされた私の脳はあの薄い櫛の通った整髪料の効いた髪の毛にも特別のオーラを感じ取るように脳が認識していたんでしょう。(単に、会合の前にひとっ風呂浴びてすっきり顔で髪を整えていただけなんですが)
    このように今まで知らなかった形而上の物を学会用語でインプットされる事によってご自身の思考回路に学会組織、池田大作とはこう言うものだ、公明党が目指している物は「仏法中道」だとして認識していただけのトリックなんですよ。

    ポラリスさん!どうしょう?今までも学会の「麗し学会家族」って見たことありますか?「一家和楽の信心」ってどうなんでしょう?私は学会員の家庭不和、子供、未来部が一般の家庭より頻繁に乱れている実態を知っていました。ポラリスさんはご存知ですか?
    これらの学会用語は希望的指針であって願望・・・妄想ではのないですか?

    「しかし昔病人と貧乏人の受け皿となり、蘇生させたのは事実だと思います。」

    これも、どうでしょう?この慣用句の言い回しも学会の中でいろんな機会に学習してきましたよね。何一つご自分の目でそして、体を使ってデータを取って調べ上げた物ではないですよね。全て、学会の中の聖教新聞や出版物で学んだ言い回しですよね。それを、鵜呑みにして信じているだけだったのではないか?とは思われませんか?

    どなたかおっしゃってましたが時代は高度成長期だったんです。壮年部ですからご存知ですよね。当時の政策の所得倍増計画で日本のほとんどの労働者の収入も右肩上がり、今のように失業の心配もない暮らしが豊かになり、オールウィズ三丁目の夕日に象徴されるように国全体が将来に明るい希望を持っている時代でしたよね。医療など社会保障も一時期は老人は無料になるほど充実されて来ていましたね。年寄りはドル箱と言って整形医院の大得意さんでした。功徳、学会のお陰でもないかもね?とお思いになりませんか?

    「時代は大きく変わっているのに組織は相変わらずではその組織が淘汰されるのは当然だと思います。私は地区には行きませんがブロックで心ある人々と悩める方々に励ましをおくっています。」

    今の現実の組織はどうでしょう?信仰の組織でありながらその指揮を執るようになる幹部は現場でのたたき上げの人材ですか?私が在籍していた20年前くらいから急に現場で地道に活動してきたような人材ではない創価大卒や団体職員、党事務職など管理能力のたけた現場で信心の話が通じない幹部が多用されるようになりました。

    かれらは、確かにソツなく業務をこなしますが彼らと腹を割って信心の話をしても返ってくる言葉が軽い軽い・・・ああ~戦ってないなあ~と思う事がだんだん増えてきました。いわゆる官僚的職業幹部ですよね。

    そんな幹部が重用されるようになった組織には信心の物差しは必要なく、疑う事を知らない羊を作り、それらを上手に管理する能力が大事になっているのかも知れませんよね。

  22. 三枝さん、ポラリスさんへの素晴らしいコメントありがとうございます。私が書こうとしたことは、みんな三枝さんが書いてくださいました。

    創価の実態を客観的に見ることができれば、創価の活動はアホらしくてやってられないというのが、ここにコメントしてくださる多くの方の実体験だと思います。その点、ポラリスさんはまだ創価を宗教団体だと思っていらっしゃるし、やりかたによっては創価は人を幸せにできると思っていらっしゃるのではないかと思います。

    そこが決定的に大きな違いですね。創価人を幸せにしようとする意志は微塵もありません。人が不幸になろうがどうしようが、金さえ集まれば何だってする団体です。ですからかつての三枝さんのように人を幸せにしようというような行動を本気でやろうと思った会員は逆につぶされるわけです。そんな人は創価では邪魔者です。上の言うことを何も考えずに、言われた通りにやって、お金を出して、選挙活動もして、会員も増やす。そんなロボトミーのような羊をたくさん飼いならすのが創価のやりかたです。宗教でも信仰でもありません。ただの巨大な詐欺団体です。ポラリスさんはそうした視点で学会をとらえてはいませんから、会員同士、とくに座談会でふれあうことのできる人間同士の心の交流のようなものに魅力を感じているのだと思います。その魅力は創価とは関係ありませんとはっきり言えます。

    ではこの組織がもともと人を騙してお金をまきあげるためのもので、自分がその一翼をになって頑張っているということを知ったら、ポラリスさんはどのように思われますか。まさかそんなことはないだろうと私もはじめは信じられませんでした。しかし一度「客観的な視点」をもつことができた瞬間から、学会のほんとうの姿が見えてしまいます。そう言う意味では、ポラリスさんはまだ宗教団体だという前提で学会を見ているのだと思いますし、悪事に加担しているなどとは思っていないでしょう。それもよくわかります。

    もし私や三枝さんやモニカさんや、ほかにもここにコメントしてくださるたくさんの方が言っているように、創価学会は宗教ではない。宗教ではないだけでなくて、幹部が会員を騙して莫大なお金と権力を我がものにするだけの詐欺団体だということが、決定的に明らかになったとしたら、たとえ座談会でどんなにすばらしい人間関係が気づけたとしても、学会活動を続けることはできないのではないでしょうか。

    ポラリスさんが学会活動の中で自分のやりたいことだけを選んでやるというのは、単に組織人としての責任までとりたくない。それでも共通の価値観をもった人とふれあう機会を逃したくない。そんな気持ちなのでしょうか。ならばべつにこんな組織でなくとも魅力的なコミュニティはいくらでもありますし、その魅力の影でたいへんな思いをして人生を棒に振っている多くの人がいるという事実にも目を向けていただければと思います。

    たとえばわかりやすいように極端な例えをしてみます。たまたま知り合った人がとても気の合う人で、なんでも心を開いて話せる人と出会ったとします。自分が困った時は親身に相談に乗ってくれて、相手が困っているときは自分にできることは何でもしてあげようと思えるような人です。ところがある日、ふとしたことからその人がじつは暴力団員だったことがわかったとします。麻薬の密売や人身売買、土地ころがしや歓楽街の飲食店での金銭強要などで生計を立てている人だった。

    さて、ポラリスさんは、その気の合う暴力団員と今まで通りの付き合いをしますか。私だったらしません。もし「お前も組に入れよ」などと言われても入りませんし、できることなら「足を洗えよ」と言うでしょう。何もなかったように、悩み事をきいてもらったり、彼の相談に真剣に応える気持ちはなくなると思います。「じつはちょっと仕事でトラブって、どうしても明日までに100万円要るんだ。ちょっと貸してくれないか」と言われて暴力団に貸せますか。

    かつて創価学会の活動をしていて、あるとき創価の真実を知った者が見る創価学会とは、この暴力団のようなものです。たとえどんな理由があったとしても、暴力団の資金源の金蔓にされることは自分の生き方としては私は耐えられません。そして暴力団とは知らずにお金を喜んで差し出したり、知らずに暴力団の犯罪行為に利用されている人に対しては、じつはあれは暴力団なんだよ、早く気づいたほうがいいよと言いたくなります。

    ポラリスさん、気を悪くしないでくださいね。ポラリスさんのお話は、私から見ると「あいつ暴力団員で、主婦や子どもに麻薬売ったお金で生活してるんだけど根はいいやつだから、あいつがお金に困ってる時は出してやってるんだ。オレには麻薬は売らないし、何の害もない。あいつと一緒にいると楽しいんだよね。オレはあいつが暴力団員だろうが、そんなことは関係ない。これからもあいつのいいところだけでつきあっていこうと思ってる」そんなふうに聞こえるんです。

    創価を暴力団に例えるなんておかしいと思いますか?私はこの例えに無理はないと思います。昔は渡世人と呼ばれた人の世界には仁義がありました。良い悪いは別にしても、社会の底辺でしか生きていけない人のギリギリの受け皿として機能してきたともいえます。しかし創価の実体は仁義も情けもない詐欺集団です。暴力団とちがうのは、被害者がその自覚ができないように宗教的な言葉によってMCされているところです。人間革命だ、宿命転換だ、正義だ、正法だ、世界平和だと、自分たちの活動がいかにも人のために役立っているかのように思わせています。

    創価に対して会員が客観的な視点を持てないのは、宗教を利用しているからです。心を操られている。しかし一度客観的な視点によってその操り糸が見えてしまうと、創価がものの見事に詐欺団体であることがはっきりと見えてしまうのです。

    ポラリスさんは、創価のおかしなところも見えている。でも基本的に創価は宗教団体だと思っている。やりかたによっては良い宗教団体になることができると信じていらっしゃる。私は創価はもともと宗教団体ではないということがはっきりとわかった。だから創価をどのように改革しても宗教団体にはならない。そう思っています。こうしている間にも、多くの会員が騙されお金をまきあげられ、不当な労働をを強いられ、ノルマに悩み、心を病んでいるのです。そんな創価学会でも、自分にいいところだけをつまみ食いすれば、けっこう楽しいよなんて言えるでしょうか。

    ポラリスさん、私はポラリスさんを批判しているのではありません。創価を批判しています。同じような創価の経験をしてきた同世代の人間として、今のポラリスさんと私のどこが違うのだろうと考えてみたことを書きました。「創価に対する客観的な視点」私はこれが必要だと考えます。これがないかぎりは、いつまでも創価に利用されるだけの人生になってしまうのではないかと思います。きついことを言っているように聞こえるかもしれませんが、正直なところそう思いました。失礼があったらお許しください。

  23. 三枝さん、シニフェイさん、何か身内を讃えているようで嫌なんですがお二人のコメントに断片的なことしか書けない私は全く感服しました
    ポラリスさん
    まさにあなたの仰っておられる通り勇気とは自分に正直で過ちがあれば認める。私もそのように思います
    でも、騙されていることに気付かない自分に正直であってもそれは結果として取り返しのつかないものになるのではありませんか。ましてやある程度の役職のある方なら多くの人を指導し牽引していかなければなりませんしその方たちに対する責任もあります、ポラリスさんのコメントからは学会の人に対する愛おしさが伝わってきますが、それゆえに覚醒した時の皆さんに対する自責の念はとてつもなく大きいですよ、今組織に対する不信感をお持ちなのですからそこをはじめとして、何が真実かを確認するおおいなる勇気をもってください、私たちは思考停止されあまりにも何も知らなさ過ぎたのですから。シニフェイさんが言われているように私も超側近と言われる方から直接聞きました先生を取り囲む周りの組織はそれはもう親分、子分の関係で信仰心などサラサラ無く全くやくざと変わらなかったといわれてましたね
    このことを聞いた時はほんとに衝撃的でした
    何も解らずとはいえ役職のある方は知らず罪作りになっているように思います。一日も早く一分でも早く覚醒されることを祈りますよ

  24. シニフェイさんがさほど心配する事もなく組織は衰退しています。地区の活動家の割合も二割もないと思います。私はそこに危機感を覚え何とかしようと覚醒させようと頑張ってみたのですが、幹部が来たくない人は来なくて良いと言われたので、私も二度と地区には行かないと思います。ノルマと成果主義だけの組織には人は集まりません。せいぜいノルマ達成が信心で功徳などと、のたまう輩だけが残ると思います。シニフェイさんが言われるように最初から詐欺集団だからその結果つまらない組織になったのでしょうか、地区には行きませんが、ブロックにおいて人間主義を根本に新しい取組に挑戦してみます。その過程において、シニフェイさん達との意見交換で学ばせてもらいたいと思います。私にとって脱会とは死に値すると思っていますので、シニフェイさんの御意見は真摯に承りたいと思います。これからも宜しくお願いします。

  25. ポラリスさんおはようございます
    ポラリスさんのお人柄、思いががよくわかるコメントですが
    今、シニフェイさんが紹介されている
      http://shukyo-kataru.com/
    の創価学会の研究をぜひ読まれて後、良ければコメントお聞きしたいですね

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