創価学会のみなさんへ

このブログは、とくに反対意見を言う人がいない場合は、一日に1000前後のアクセスになり、反対意見が出るとすぐに2000にまではねあがります。過去におかしな人まで相手にしていたときには一日に4000アクセスにまでなりました。これからもし学会の活動家さんがここに対話をするようになれば、アクセス数がかなり増えると思います。多くの方が創価の問題について考える機会になると思います。何度も言いますが、私は創価の方と言い争いをするつもりはありません。対話をしたいと思います。これまでに何人かの創価の方がコメントしてくれましたが、結果として多くの方からの質問攻めみたいなかたちになってしまって、対話が成り立ちませんでした。ですから、もし創価側の方がコメントをされても、感情的になったり、質問攻めになるようなことは避けたいと思っています。

創価学会の活動家のみなさん。お互いにフラットな同じステージに立って、信仰について、人の生き方について、そしてお互いのこれまでの人生について語ってみませんか。私もかつては活動家の方と同じような考え方で、創価学会員として活動をしていました。ですから、あなた方がどのような信念のもとで、どのようなことをしてきたのかはよく知っているつもりです。私もほぼ同じようなことをやってきたわけです。しかし、その後の私の変化について、つまりそれまで気づかなかった創価学会の側面については、まだあなたがたは気がついていないと思います。その違いを、建設的な対話によって埋めていくことができれば素晴らしいと思うのです。もし私の気づきがなにかの勘違いで、創価学会があなた方が信じているように、人々を絶対的幸福へと導く素晴らしい宗教団体であるとすれば、ここに訪れる多くの方もそのように創価の見方が翻るかもしれません。またその逆もありえます。対話とは、お互いの理解のために歩み寄る勇気ある行動だと考えます。

私は結果はどうあれ、その対話を何らかのかたちで実現させることは、けっして無意味なことではないと思います。それどころか、それはもしかしたら素晴らしいステップへの第一歩になるかもしれません。私はそうした可能性を信じてこのブログを続けています。活動家の方に悪気のないことはよく理解しているつもりです。でも悪気がないことと、それが正しいかどうかということは全く別の問題だということはおわかりですよね。あなた方は創価の正義を信じていらっしゃる。それは私も体験的によくわかります。しかし今の私は、そしてここにコメントをくださる多くの方は、創価学会は正しくないということに気がつかれた方たちです。いったいどこでどうしたらこの違いが出てくるのかを、おたがいに心を開いて話をしてみることは、ひいてはあなた方の正義を多くの方に伝える機会にもなり得ると思うのです。もちろんその逆もありえます。そのことをふまえながら、ここでの対話を試みてみませんか。

創価学会は聖教新聞や創価新報などで、自分たちを破門した宗門にたいして、あいも変わらず罵倒を続けています。また宗門のほうも同じように学会を罵倒し続けています。誰がどうみても何の生産性もないことを続けています。それらを見ている人たちはうんざりしています。宗門のことはほとんど知らないので言及はしませんが、学会は自分たちの機関誌にそうした宗門を罵倒する記事を載せることで、会員に宗門のイメージを植え付けているわけで、つまり宗門を攻撃することよりも、会員の洗脳を強化するためにやっていることだと思われます。だいいち学会の機関誌ですから、それを読むのは学会員がほとんどですからね。宗門に言いたいことがあるなら、会長名で直接宗門に言えばいいことだし、それこそ宗門への対話を申し出るほうが、どれだけ信仰者としての態度ではないかと思うのですが、決してそんなことはしません。それは逆に、そのような対立の構造をつくっておいたほうが、会員へのプロパガンダになるからなのだと思います。

昔は、週刊誌に載る創価のバッシングはみんなデマだ、正法流布を妨げる魔の働きだ、などと指導がありました。今頃はネット上のことはみんなデマだから見ないようにと言われます。ネット内の情報の何が正しくて何がデマなのかを見抜けないような人間は、いまどき生きていけないでしょう(笑)。それなら創価学会のホームページなどつくる必要もないでしょうからね。

私が創価はおかしいと気がついたのは、アンチ創価のサイトを見たからではなく、活動家のブログを読んだことがきっかけでした。そのあまりにも常識はずれな言動によって、創価のおかしさが浮き彫りにされてきました。そのことはこのブログの一番最初に書いています。活動家が真面目に書けば書くほど、世の中の常識やモラルからかけ離れていく姿が、私に気づかせてくれました。もちろん突然ではなく、それまでに潜在的に多くの疑問が心のなかに積み重なっていたこともあります。しかし決定的にその疑問が表にあらわれたのが、活動家の狂信的ともいえるブログを読んだことがきっかけでした。これはあきらかに狂っていると思いました。そしてこの人たちは完全に騙されていると。ああ、この人たちも被害者なんだなと。決して悪気のないまま、上から言われるがままに宗門を罵倒し、創価学会が最高の宗教だと信じ込まされているんだと。そしてこれまでの自分も同じように騙されてきたんだということに気がつきました。

創価学会のみなさん。私は自分の考えをみなさんに押し付ける気持ちはさらさらありません。私は人に押し付けることができるほどの人生観も思想も持ち合わせていません。おそらく一生そうしたものを持ち得ることはないでしょう。しかし持てるような努力は続けたいと思っています。ですから安心してここでの対話に加わっていただきたいと思っています。かつて同じ志を持っていたもの同士、なぜあなたがたは創価を信じ続けることができるのか、そしてなぜ私が創価を信じることができなくなったのかを、ここでの対話によって少しでもいいから明らかになれば、とても意義のあるものになるのではないかと考えます。

何度も言いますが、対話とはお互いの理解のために歩み寄る勇気ある行動だと考えます。あなたがたにしてみれば、創価の正義を多くの人に知ってもらういい機会だととらえて、ここでの対話をはじめてみませんか。私はいつでも歓迎します。

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創価学会のみなさんへ」への24件のフィードバック

  1. signifieさんがおっしゃっています中に「プロパガンダ」と言う語句がありますが
    これを今一度、ウィキペディアで検索してみてください。

    私は、今までプロパガンダと言うのは最初の列にある「最特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った、宣伝行為」くらいだと思っていました。

    でも、この解説を一通り全部読むと、ものの見事に池田、学会最高指導部の会員への指導内容が選挙、財務、新聞啓蒙と本来の「信仰」とはかけ離れた「活動家」を生み動かす運動力学的な手法そのものなのに気づきました。

    考えてみれば本来、信者の団体なのに信者と言う語句をあえて使わず、「活動家」「活動者会」と言う名称にしているのもおかしな話です。

    この「プロパガンダ」の解説の中でも特に私がバリ活の頃の事を省みてツボにはまるのは

    「アドルフ・ヒトラーは宣伝手法について「宣伝効果のほとんどは人々の感情に訴えかけるべきであり、いわゆる知性に対して訴えかける部分は最小にしなければならない」「宣伝を効果的にするには、要点を絞り、大衆の最後の一人がスローガンの意味するところを理解できるまで、そのスローガンを繰り返し続けることが必要である。」と、感情に訴えることの重要性をあげている

    と言う箇所でした。

    池田の構想、広宣流布の為に捨石になっても本望・・・と言うかつての私の感情は、池田と共に、池田の為に、池田にお応えできる戦いを!と常に理屈ではない「感情」をインプットされ池田の仇を討て!とばかりに創価で言うところの「大感情」をそれらの手法で焚き付けられていたからでした。

    学会員は学会、池田に批判的な事を言われると俗に言われる「創価スイッチ」が
    入りますがそれは将に、「感情」を植え付けれているから反射的に「感情」が反応するのだと思います。

    創価の幻想から目覚めれば、新聞啓蒙の数、折伏数、F数、困った時の唱題数、組織への連絡報告の為の嘘、ねつ造などの必要もなく、今日の天気のように晴れやかで清々しく普通の生活を送れるのです。

  2. こんばんは。

    始めて訪問いたします。

    とても興味深いサイトだったものでよろしくお願いします。

    自分の名前は国常立尊です。普通に人間です。

    先ず、物事には正しい、悪いと言う事(判断、考え方)は間違えです。
    創価学会が悪くてそうで無いことが正しい事では無いのです。

    世間を見渡せばそんな事はいくらでもあることです。

    自分は、学会二世として生まれました。1960年代の生まれです。

    副支部長までやり、思う事があり会合、活動は一切やめてしまいました。

    妻はまだバリバリの婦人部の幹部で新聞配達まで張り切ってやっております。婦人部の拠点として週一回、我が家もお貸ししております。

    自分のところへは壮年部の方々が良く訪問して頂き、外で話すのも嫌なので家に上がって話されてかえります。

    どちらかと言えば、私の話を喜んで聞いて帰っていきます。
    県の幹部や役職のある方は、皆大変勉強になりました。言って帰られます。多分、自分の話を命で感じ取っているのでしょうね。

    自分の話すことですが、先ず、創価学会は傲慢ですよ。
    神様、仏様には祈念しちゃだめですよ。
    主に、信仰のあり方をお話しております。

    最近は学会の幹部の方々がこられないので、少し寂しいです。

    自分話は尽きないので、またゆっくりお話して行きますね。

    よろしくお願いします。

    国常立尊

  3. おはようございます。

    地球で生を受けた私達は、多かれ少なかれ囚われの魂です。

    自分は自由を手に入れたと思っていてもたかがしれてます。

    私達は地球へ修行をしに来ているのですから。

    だから早く気付いたかたは、大きな目でまだ気付いていない人々を

    見守って行くことです。

    洗脳を解くのは(気付かせること)時間がかかります。

    自分は学会の方々が見えたら喜んで迎えます。

    最近、自分が喜んで迎えるので学会の幹部の方々余りこなくなりましたが、自分は彼らを毛嫌いしていません。一切。

    人が他人を批判するのは自分の目の中に丸太があることがわからないからです。

    真理に近いことをお話すればよいのです。

    ただそれだけです、この話をできるひとは、ほとんどいません。

    私は南無妙法蓮華経を正しく唱えています。

    南無妙法蓮華経を本当に理解している方はあまりいないようです。

    話が長くなるので、また次回で。

    国常立尊

  4. 国常立尊さん、はじめまして。コメントありがとうございます。
    国常立尊さんは、学会のおかしさに気がついた上で、学会の信仰を続けていらっしゃるのですね。それで学会員の方を国常立尊さんが気づかせてあげようとされていると理解していいでしょうか。
    国常立尊さんにとって学会の信仰、また南無妙法蓮華経とは何でしょうか、さしつかえなければ教えてください。
    ちなみに私は学会に信仰そのものはないと思っています。学会にとっての信仰は名ばかりのもので、実際には会員に対する洗脳の道具だと思います。また宗教法人にすることで税金を逃れ、毎年入ってくる莫大な財務のお金の使途を明かさなくてもいい理由にしているのだと思います。
    国常立尊さんは南無妙法蓮華経を理解することで創価学会に信仰が生まれるとお考えですか。

  5. 国常立尊さん

    物事には正しい、悪いなんてない。
    創価が悪くて、そうでないと正しい事はない。
    と言いながら、
    >私は南無妙法蓮華経を正しく唱えています。
    という意味がわかりません。

    申し訳ないのですが、私は創価に疑問があり、活動を辞めたり脱会しながら、
    「私は喜んで創価の人を歓迎します」
    「毛嫌いはしてれません、一切」
    「人を批判するのは、自分に何か足りないんです」
    というようなことを、わざわざ言う人を信用していないんです^^;
    本当にそう思ってる人は、自分からは言わないと思うのです。

    まずはその、真理に近いというお話、できる人(理解できる人という意味でしょうか?)がなかなかいないというお話を、をきちんと聞きたいと思いますが。

  6. こんばんは。

    始めまして。

    お答えいたします。

    Q、学会のおかしさに気がついた上で、学会の信仰を続けていらっしゃるのですね。

    A、創価学会のおかしさに決定的に気が付いたのは、私が地区部長をしている時です。選挙活動がどうしても出来ませんでした。その時から信仰のあり方を私なりに考えて参りました。

    学会の信仰とはどこまでのことを言われているのか分かりませんが、
    学会活動(座談会、選挙運動、会合等の参加、新聞啓蒙など)は一切やっておりません。南無妙法蓮華経の真言は唱えております。

    インドの宗教、仏陀の法華経や、日蓮上人の信仰については自分なりに研鑽して参りました。本来信仰とはどういうことなのか考えて参りました。

    Q、南無妙法蓮華経とはなんでしょうか。

    A、南無妙法蓮華経は真言(マントラ)なのです。
    まして、南無妙法蓮華経は日蓮上人が初めに唱えたことではありません。
    仏陀の説いたとされる法華経をもとに日蓮はその仏意を生命で感じ取られ、一心欲見仏即ち是れ南無妙法蓮華経なりと仰せられました。。南無妙法蓮華経とは神に帰依することなのです。南無妙法蓮華経唱える=創価学会ではありません。

    Q、南無妙法蓮華経を理解することで創価学会に信仰が生まれるとお考えですか?

    A、残念ながら創価学会が行ってる信仰のあり方では幸せになりません。 信仰とは本来各自の問題であり、自分対神様のあり方なのです。 仏陀も日蓮上人も、私が師と仰いでるインドの聖者も皆、神への渇仰心が一番大切であると言われています。南無妙法蓮華経を本当に理解したら今の学会活動は出来ません。余りにも矛盾しているので。

    簡単ですが総てを言い表せません。質問いただければ時間の許す限りおこたえします。

  7. なるほど。
    そんな有難い真言を理解してない教団、ということですね。

    それはそれとして、多くの人を騙してお金を巻き上げた教団に厳しくもの申すことは必要と思います。それを知らずといえ、支えている人たちにもです。
    それは相手を憎むという感情とは別問題と考えます。

    確固たる信仰を持ち、心穏やかに感謝して生きていけるなら、それは結構なことと思いますが、悪い人に悪いと言えない、言わない人になりたいとは思わないなあ。

    私は理論がどうあれ、創価問題で文句や悪口や、笑い話を聞く方が楽しいし、心が救われる経験をしました。
    ただのおしゃべりが、真言より救われることもあるんですよね。

    こんな意見もありということで。

  8. おはようございます。

    ちょっと主旨と違うかもしれませんが

    神よお救いくださいではなく、もう救われているのです。
    神よお与えくださいではなく、もうすべて与えられているのです。

    神はあなたを試すために、この現実世界をマーヤーでお造りになったのです。すべては人々の霊格を上げるためなのです。

    創価学会の問題も一つですが、
    人々の問題は千差万別です。人間関係の問題、お金の問題、病気の問題、精神的な問題、宿業故の問題、執着、我欲の問題、地球レベルでは戦争や
    自然災害、環境破壊など、神はこれらの問題を通してあなた達に真のことを気づかせているのです。

    斬り役、斬られ役、
    支配するものと、支配されるもの
    天使と悪魔、
    全ては創造主の従者なのです。創造主の仕組みなのです。

    人は子供と同じでたくさんのオモチャで遊んだ後でなくては
    お母さんを本当に探そうとしないのです。

    神はあらゆることを通して人々を創造主の意識に向けさせようとしているのです。

    創造主の意識は自己のアートマン(真我)と向き合うことでわかるのです。

  9. もっと言いますと、自分は創価の理解しない正しい題目を唱えてます、それはわかりました。
    でもそう自負しながら、週一回、社会悪の団体とされる組織のために家を貸し、資金源とされる聖教新聞の配達に協力してるんですよね。

    創価が国常立尊さんのおっしゃる教義よりずれただけの、同じく宗教団体ならそれもありだと思います。
    でも犯罪組織、迷惑組織、と暴かれ声をあげられているただの悪質企業ですよ。
    批判より見守りましょう、とわざわざ言う意味がわかりません。

  10. 学会に籍を置くことで、組織力につながらないように、
    いろいろな情報を通して、思考できたらと思います。
    戦後の日本には存在意義があったと認めないわけでは
    ないのですが、池田会長以降からの組織の暴走は
    社会全体に不穏な影を落としてばかりいるような…
    いま教育が十分ゆきわたっている若い人の時代に、
    時代遅れの組織は衰退していくべきでしょう。

    感覚的なコメントですみません

  11. おはようございます。

    タイトルが創価の皆さんへだったので、コメントするか迷ってましたが
    書かせて下さいまし。

    物事の善悪の判断は、人によって違うものだと思うのです。
    良い方でも合わないな〜と感じれば、自分にとってその方とお付き合いするのは、正しい行為ではないかもしれない。価値観はみんな違うって事でしょうかね。

  12. 国常立尊さん、コメントをいただいて恐縮ですが、国常立尊さんがおっしゃるとおり、ここの主旨とは違うコメントはひかえていただければと思います。よろしくお願いします。
    昨日「国常立尊さん、お答えいただきありがとうございました。」とお返事させていただいたのは、「このようなコメントはこれきりにしてください」という意味だったのですが、残念ながら伝わらなかったようですのではっきりお伝えします。
    国常立尊さんはご自分のコメントがどれだけ場違いなことなのかを理解されていないのか、もしくはわかっていてあえてコメントされているのかわかりませんが、いずれにせよこの場にはふさわしくありません。このようなコメントを続けられるのであれば承認することができなくなります。よくお考えの上でお願いします。
    国常立尊さんが神やアートマンや南無妙法蓮華経についての考えをどのように持とうと自由ですが、そのことを断定的に他人のブログに書くことは場違いだとは思いませんか?それでは基本的に創価といっしょではないですか。国常立尊さんのコメントの中にはたくさんの矛盾がありますが、問題はそれ以前のことだと思います。つまり自分の思想を他人のブログで展開しないでいただきたい。たとえば国常立尊さんがご自分のブログをつくったとして、私が「この世はアッラーの神によって支配されているのです。創価学会の会員も全員アッラーの神を信じるべきなのです。ムハマンドの声に耳を傾けなさい」などと書いたらどのように思われますか。国常立尊さんはそれと同じようなことをここにコメントされていることを知るべきだと思います。他人の気持ちを察することができない点において、国常立尊さんは創価の方と同じことをやっていると思うのです。

  13. 国常立尊さん、はじめまして三枝と申します。

    私はここのブログの前段の「誰が儲かるのかという視点」の中で義妹の話をしましたが国常立尊さんのスタンスではこんな婦人部長はどう評価されますでしょうか?

    私は国常立尊さんのおっしゃる通り、信仰と言う側面?いや本筋から言えば

    「南無妙法蓮華経を本当に理解したら今の学会活動は出来ません。余りにも矛盾しているので。」

    だと思います。

    私は国常立尊さんが創価組織に在籍しながら信仰と言う本質を求め創価以外の文献などで探され追及しようとされる事は変だなあ?と思いながらも本物の「信仰」を探そうとされる求道者の姿勢は共感もしますし、そのお人柄はすばらしいと思います。私にはできません。

    私は、信仰とは名ばかりの宗教団体にあいそをつかし脱会しましたので、そこまで南無妙法蓮華経を極めようと言う気持ちは起こりませんでした。そんな、組織に居る事自体がばかばかしくなったからです。

    国常立尊さんは「地区部長の時に選挙活動がどうしても出来ませんでした」と言う事ですが男子部当時はどうでしたか?
    また、政治組織になっている創価でそれを表明することはかなり勇気の言った事だったのではないでしょうか?

    表明しなくとも地区部長で選挙の戦いが出来なければ政治組織になっている創価にとっては困った存在です。一度、任命したからには更迭するわけにもいかず、穏便に組織的に決定権のない支部の副役職に棚上げ任命して支部長の補佐と言う組織運営には影響が出ない位置に・・・と言うことにされたわけですが、そこまでされても尚且つ、国常立尊さんが創価組織に在籍されているのは学会活動(座談会、選挙運動、会合等の参加、新聞啓蒙など)それら以外に創価組織でこれは良いのだ!と思われている事がたくさんあるからなのでしょうか?

    お話しくださればありがたいです。

  14. 創価から離れた人の大半は、この団体はとんでもない社会悪だったと気づいて嫌になる。
    私もそうでした。
    でも中には創価の教義に不満を感じて、更に宗教にのめりこんでいく人がいるんですね。

    そんな人たちはみんな言う。
    「創価の教義は間違ってる。正しくはこうだ!」
    相当勉強したらしく、それが坊さんか学者みたいな知識なんですよ。
    宗教オタクか?ってくらい。
    創価を辞めても宗教にはスゴイ執着があるんですよ。
    なんでそこまで?
    じゃあ、その正しい理解をして実践したらどうなるの?
    もと功徳が貰えるの?

    なんだか宗教にとてつもない幻想を期待してる気がします。

    創価の教義がおかしいのはわかります。
    もともと集金用に作られたんだから。

    だけど、信仰ってそこまで一生懸命にムキになってやるものなんだろうか?
    ブログまで作ってアピールするもんなんだろうか?
    それは、功徳欲しさで必死になる創価のやり方では?

    私は創価を辞めたと同時に、宗教への変な幻想もきれいに消えました。

  15. 今回はもうしばらくこのページをトップに置いておきたいと思います。ひとりでいいから現役活動家さんが名乗りを挙げてくれないものかと、淡い期待をしています。もちろん今まで通りみなさんのコメントもお待ちしています。ぜひ活動家さんに励ましの言葉をかけてあげてください。

    私もモニカさんと同じく、創価を辞めると同時に、宗教に対する変な幻想はきれいに消えました。といいますか、それまで宗教らしきものに依存していた自分が恥ずかしくなりました。それは宗教そのものを否定するというのではなく、創価が宗教と勘違いしていて、自信たっぷりに創価が…というより創価が宣伝してきた日蓮仏法が世界でいちばん正しいんだと思い込んでいた自分の浅はかさに気がついたといったらいいでしょうか。創価は否定しても、それが宗教全般を否定することではないということです。多かれ少なかれ宗教には信者の思い込みが大きくなっておかしなことになっている部分もあると思います。それをうまく利用したのが中東戦争だったり、途上国の独立紛争だと思います。宗教とは別に、それを利用してお金や権力を我がものにする輩が産業革命以降の世界をつくっていることに、今も変わりはありません。そんななかで創価の悪はそれほど大きなものではないのかもしれませんが、それでも多くの人の人生を食いものにして大きくなった創価学会に、同情の余地はないと思います。

    国としての歴史の浅い、いわば植民地支配からはじまった国である無法地帯のアメリカにっとって、キリスト教は一種の救いにもなっていると思います。しかし人種差別は根強くありますし、またその差別により貧富の差や劣等感を利用して金儲けをする富裕層もあいかわらずです。

    経済的な発展が著しい東南アジアやインドにおいても、経済的な支配層と被支配層の構図はますます深刻になっていると思います。そこに宗教がどのように関わることができるのか皆目見当がつきませんが、それでも人々の心にそれぞれの土地の文化に根ざした宗教は必要ではないかと私は思います。

    ひとつの宗教が世界を席巻するなどという発想は、単なる独裁でしかありません。ましてや「広宣流布」など他国の文化を愚弄するひとりよがりそのものだと思います。
    このブログのトップに貼付けている2点の写真にしても、キリスト教がなければミケランジェロの名作「ピエタ」は生まれなかった。仏教とキリスト教の交流がなければガンダーラ美術は存在しなかったわけです。歴史的世界遺産と言われるもののほとんどが、なんらかの宗教の関わりなくしては存在しないわけです。
    ユダヤ教、イスラム教、ギリシャ正教、キリスト教、仏教、儒教、道教をはじめ、その他にも西洋社会が植民地支配によって潰してきた多くの少数民族の宗教や文化を創価学会のみなさんはどのように考えているのでしょう。といいますか、おそらく考えてもいないでしょう。なにしろ頭ごなしに自分たちが一番だとしかインプットされていないし、その根拠など知ろうともしませんからね。
    私は創価学会の活動家さんがこのブログに参加されたら、こうした宗教と文化について、今の創価学会がどのような見識をもっているのかをお聞きしたいと思っています。単純に創価学会では仏教以外を「外道」として劣った宗教だと切り捨てるのか。もしそうでなければ日蓮仏法と創価の思想の関係はどうやってつじつまを合わせているのか…などなど、創価学会の思想に関する疑問はいくらでも出てきます。ただそれをネタにバッシングしようとは思いません。おたがいにフラットな同じステージにあがって本音で対話をしようではありませんか。そのような気骨のある学会員はひとりもいないのでしょうか。創価の正義をみずから主張しようという人はひとりも現れないのでしょうか。ぜひ学会伝統の一人立つ精神をみせていただきたい。

  16. 私が国常立尊さんに御質問してから2日経ちますがお答えをいただけません。残念ですね。

    私の書き込みで気に入らない事が御有りだったのでしょうか。私としては在籍していたバリ活時の組織運営の幹部登用の力学も立場上知っていたので普通に書き込んだだけなのですが・・・。

    それとも、国常立尊さんの「南無妙法蓮華経」の御説を展開されようとする意図をsignifieさんに規制されたからでしょうか・・・。

    以前、こちらにいらしていたyさん同様私が在籍していた頃では考えられないくらいいろんな学会員が現在はいらっしゃるようで知りたいと思ったのですが・・・。

  17. 三枝さん、国常立尊さんは私が「場違いな発言は慎んでください」といったことで返事されないのだと思いますよ。あれから国常立尊さんからのコメントはありません。私は国常立尊さんの発言にとても精神的な不安定さを感じたので、あのようなことを申し上げました。自分の考えを言うことで頭がいっぱいで、その考えにしてもあちこちから集めてきているから話のつじつまが合っていないと思いました。

  18. >そのような気骨のある学会員はひとりもいないのでしょうか。
    いないでしょうね。

    私が最後に徹底的に話した相当な幹部さんも、一人では絶対来ない。金魚のフンみたいに手下を必ず連れてきました。
    何十人、何百人の前でも堂々と話すのは、それが全員拍手喝采してくれるシンパだから。
    たった一人のアンチの前では別人のようでした。
    福運に結びつくこと以外しない、という以前に自分に自信がないんですね。
    長年、自分の意思も感性も教団に預けていると、知らないうちに一人では何も考えらえない、判断できない人になってしまうんですね。

    「ちょっと待って。上の人連れてくるから」
    「指導受けましょう」
    「よくお題目あげてからまた考えましょう」

    よく言われましたよ。

    最もその上の悪玉は、そんなことに気骨なんか持つ必要ないと思ってますけどね。
    だってアンチの言うことは当然だと知ってるから。
    万が一議論をふっかけられてもニコニコして、そうですね、仰る通りですねと菩薩のような顔しますよ。(某県幹部の壮年がそうでした)
    そういう人は、ハナからアンチの相手などしません。ターゲットはあくまで信者ですから。

    だから、活動家、悪玉両方とも対話など成立しないのは承知してます。
    だからと言って、こういう呼びかけは無駄ではないと思います。
    少なくとも、学会活動より無駄ではないですよ~。

  19. 創価は教義以前に、宗教は人生の根本を成すもので、信仰を持たないのは人間として欠陥がある…ということを洗脳したと思います。
    確かに祈るということは尊いことでしょうが、
    「特定の宗教を持つことが必須」で、
    「教学を学び、矛盾を廃し、正邪を見極めて実践しなさい」
    これから解放されない人が多いんですよね。

    アンチになり、創価を批判しながらこのMCは頑なに守っている人がいる。

    よろずの神を大切にしながら、でもカルト教も宗教論争もなかった日本の伝統は、今思うとよくできていた。
    なんでこんな平和な文化をぶち壊したのか…

    仮に浅い教え、深い教えというものが実際あるとして、それを指摘して得意になってる人がいます。
    だからといって、ではその人が幸福で誰からも慕われているかというとそれはまた別で、むしろ不快に思われる。
    だとしたら、宗教にランクをつけることに何の意味があるんだろう。

    創価は明確に「金儲けに使える」という意味を持たせましたが、それ以外に意味なんてあるんでしょうか。
    争いが起きて断絶が起こるだけだから、誰もそんなこと言わなかったのではないでしょうか。

  20. ポラリスさんはじめまして
    改革なんて所詮無理な話なんですよ
    集金組織に余計な改革などされるとむしろ迷惑なんですよ
    学会員は真面目な方が多いこれは組織に居た方ならよくわかることですが、
    私も若いころ男子部の会合で若気の至り、ありったけの心の内をぶつけたことがありました。しかし結果は会合終了後同じ男子部に取り囲まれ散々詰問されとても嫌な思いをしました。 正論であっても学会にとって都合の悪い話はつぶされてしまうのが常ですよ。真面目な方ほど悩み苦しむのが学会なんです、宗教組織なんていつまでも思っているから苦しむ訳なのですから早く組織の実態に気付くことこそ抱えている悩み苦しみから解放されるのではは!  広宣流布のため、先生のため、なんて馬鹿げたお考えはきれいさっぱり捨て去ることですね、離れてみればなんのことはない、すべてが見えてきますよ、まずは距離を置いてみることをおすすめします

  21. こんにちは

    創価は思考停止といいますが、とあるブログで思考停止にも種類があって、『○○さんがこういったから』というのを、神様的症候群と名ずけていました。創価の場合は、センセーがこうおっしゃっているから〜といいますものね。 そこから、目覚めるには本当に大変だと思います。

    それと、同志誹謗は絶対してはいけないと私は言われてましたが、何でかな?と、今更ながら調べてみました。
    日蓮の教えの中に、十四誹謗ってありますよね? その中に、正法を信受する人を恨んだらいけないとありました。
    創価が、正法かどうかは知りませんけど(笑)
    だから、納得出来ない事を言われても、不快やなと思う事を言われても、『そんな風に思ったらあかん』と、感情を否定してたんです。それが、ずっと続くんですよ 不健全ですよね。

    感情否定は自分否定やと、思うんです。感情否定が日常になって、思考停止になっていくのかな?と。
    うまく言えないけど、創価どっぷりの人にとって、創価否定=自分否定 だから、創価スイッチなるものが入り切れる。 私が思う事なのであれですが、創価の事に触れずに 物事に対して、どう感じてるかを認識してもらう 感情否定をしないようにする事で、道が開けるといいなと思います。

  22. サラマンダラさんこれからも宜しくお願いします。私は地区の座談会推進長として
    毎月地区の皆が楽しく集え、来月も是非行きたいと思え、友人もお誘い出来る座談会を目指して開催してきました。座談会こそが創価の生命線だと確信していたからです。毎月30名以上の参加がありました。それが協議会などで語られるのは
    地区の数の報告連絡のみで、座談会がだんだん軽視されてきました。要は今の
    組織の目的は会員一人一人の幸せではなく、組織維持が目的になっているのです。人を大事にしない組織が衰退するはすべての組織に言える事だと思います
    人を数におきかえてはいけないと思います。

  23. ポラリスさん今晩は
    頑張ってこられたんですね、でもいまのポラリスさんの学会に対するお気持ちはどうなんでしょう。座談会こそが学会の生命線だというのは理解できますが、願いはすべてかなうとか、飽きられてしまった一口体験、化けの皮はがれた先生の賛美をいまだにやっていたのではみんなの心は離れてしまってますよね。そして究極の話は財務や公布基金、新聞多部数購読、民音、書籍購入等お金の話、座談会推進長悪く言えば客寄せの責任を任されているのと同じですよ(いまの私にははっきりと言えます。なぜかならば覚醒した今もそれらのことに深い自責の念に駆られているからです)申し訳なかったと。
    中途半端な考えでいるときっと大きな後悔をされると思いますよ
    そしてそう座談会の目的は会員一人一人の幸せでなく(悪く言えばお金を出してくださるお客様が何人来られたかなんですよ
    一人を大切に、私は皆さんに題目を送っていますなんて言いながら先生はほとんど勤行などしてなかったんですよ、信じられますかポラリスさん
    究極のペテン師なのでした。チャン、チャン終わり

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