なぜ池田氏が姿を現さないことを学会員はスルーするのか

ひきつづき、テーマは「なぜ池田氏が姿を現さないことを学会員はスルーするのか」についてお話しましょう。現在このブログにはお二人の現役学会員さんがコメントされています。カメレオンさんは最初は学会員ということでしたが、途中でじつは脱会していましたとカミングアウトされました。その理由は不明ですが、言ってる内容もあいかわらず不明なので、これ以上深追いしないことにしました。

このテーマについて、みなさんからかなりの数のコメントをいただきましたが、このテーマは創価の矛盾をはっきりさせるわかりやすいテーマだと思いますので、あらたに現役学会員さんのコメントも期待しつつ、もう少しこのまま続けてみたいと思います。よろしくお願いします。

池田氏がまる4年も人前に姿を現していないというのは事実です。そしてその理由など組織からはひとこともありません。にもかかわらず、会員からそのことを疑問に思う声すらあがらない。いわゆるタブーとして捉えているのか、それともほんとうに何とも思わないのか。そのどっちにしても脱会者から見れば会員の態度はミステリーです。外部の方は関心がないのでどうでもいいのはわかります。学会員さんが池田氏を人生の師匠と豪語するならば、なぜ弟子が師匠の健康を気にもとめないのか。これに誰もが納得のできる答えをしてくれる学会員がなぜいないのかを問いたいと思います。このテーマは話がシンプルですから誰にもわかると思います。

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震災後、天皇夫妻は積極的に福島を訪れました。被災された住民の方々にの一人ひとりに一生懸命声をかけられていました。

さて、昨日の聖教新聞の1面にはさまざまな花が咲き乱れる写真が大きく載っていました。

http://www.seikyoonline.jp/news/top/1212857_2118.html

その下の文を読むと

「レンギョウの黄色、シダレザクラの桃色、春もみじの赤—。先月5日、創価大学(東京・八王子市)を訪れた後、池田名誉会長は牧口記念庭園へ。柔らかい光の中に踊る“春”を、カメラに収めた。」

とあります。あれあれ?池田氏は創価大学に行ったんですね。入学式に出席したんでしょうか。知りませんでした。新入生に挨拶したんでしょうか。新聞見てないので知りませんでした。で、ネットで聖教新聞のバックナンバーを調べたら、創価大学の入学式は4月3日でした。池田氏は自分が創設した大学の入学式には顔を出さずに、なぜその2日後に大学を訪問したのでしょうか。2日後にしか来れないほど大切な用事でもあったのでしょうか。そのころの新聞のバックナンバーを見ても、4月3日の池田氏の動向は知らされていません。創価大学の入学式の時、池田氏は何をしていたのでしょうか。そしてなぜ4月5日の池田氏のことを書いた記事にそのときの写真が載っていないのでしょうか。

そして、その日は牧口記念庭園に行って花の写真を撮ったと書いていますが、その大きく載せた写真がそのとき撮った写真だとはどこにも書いていません。いつも垂直水平がでたらめな写真はたしかにファインダーを覗かずに撮る池田氏特有の写真であることに間違いはないと思いますが、いかにもそのとき池田氏が撮ったものであるかのような書き方には、ある種の操作の意図を感じないわけにはいきませんね。そして、その横には、何の関係もない1996年のコスタリカでの池田氏夫妻の写真が載っています。下のキャプションを読まなければ、いかにも今でも池田氏が元気で世界の友を激励しているかのようです。これです↓

ikeda昨日の聖教新聞になぜか18年前の写真が

どうしてここに18年も昔の写真が載る必要があるのでしょうか。普通に考えたら、4月5日に訪問した創価大学や牧口記念庭園での様子を載せるでしょう。そう思いませんか、現役学会員さん。これもミステリーですよね。これにどんな意図があるのか、どなたか説明していただきたい。

福島で被災された学会員さんは、池田氏がちらっと顔も出さないことを何とも思っていないのでしょうか。それとも「池田先生はご高齢だから」と本気で思っているのでしょうか。天皇さんも手術をしたりして、皇后さんもずっと公務ができないほど体調が悪かったはずです。でもおふたりは被災地に足を運び、多くの被災者の方たちを激励されていました。天皇皇后は東北に限らず、常に被災地には進んで出向き、被災者の方を激励されています。この事実を学会員さんはどう思っているのでしょうか。現役学会員さんのコメントお待ちしています。

なぜ池田氏が姿を現さないことを学会員はスルーするのか」への37件のフィードバック

  1. ご無沙汰しています。二世の、アラフォー婦人部、現在 非活のぽんきちです。何故、池田氏が姿を現さないことについてスルーするのか、ですが、私が去年、会合を出ていましたが、先生が体調悪いのではないかとか、疑問出いっぱいでしたが、それをいうことはタブーの雰囲気ですね。

    男子部のほぼ、今は非活の夫がいうには、「先生が亡き後を想定して、 残された弟子の僕らがどう、戦っていくのか、試されているんだ。だから先生は皆のまえに姿を出さなくなったんだよ」といってました。夫の勝手な解釈だろうと思いますが、

    去年、夫が仕事で東京にいく機会があり、その折に学会本部まで立ち寄り、夫の学生部のときの後輩が本部職員だったので、会ってきたそうです。そのとき、「先生はお元気ですよ」と言ってたと、、。その頃覚醒していた私が聞いてきてといったんですけど、後輩もそう答えるしかなかったのかもしれません。

    何でそんなに隠さないといけないのかなぁとおもうんですけど、
    病気なら病気と公表したらいいのに、なにか後ろめたいことがあるから、隠すのでしょうね、、、。

  2. 現役学会員ではありませんが、活動家の頃を振り返って一言。

    私は創大生の頃、寮のイベントで池田氏へのご招待状を出す部門のキャップになりました。
    単に仰々しい毛筆のご招待状を作ればいいというわけではなく、自分たちがどう決意した上でそのイベントを迎えるか、部門の仲間と夜な夜な語り合いました。
    唱題にも励み、新聞啓蒙や仏法対話にも挑み、自分なりの結果を出した上でご招待状を作成し、お届けしました。
    当日、もちろん池田氏は来られませんでした。そうですよね、こんな些末なイベントにわざわざご多忙の創立者がおいでになるわけはありません。メッセージはありましたが。
    でも私たちはどのように当日は対応するか、お席やスリッパはどうするか等々、色々知恵を出しながら本気で考えていたんですよね。
    で、来られなくて、キャップだった私はすごく責任を感じて、先輩に胸の内を話しました。
    こんなの形式じゃないか、来られないとわかっている創立者になぜわざわざご招待状を出し、座りもしない席を用意し、花まで飾って、当日はいつ来られてもいいように胸の中で唱題しながら迎えていたというのに、この努力は無駄だったのかと、詰め寄りました。青かったです(笑)

    そうしたら先輩が言うには、このご招待状部門の件を通して、まるさんは結果を出そうと戦い、お題目もあげた。そのことが大事なんだよ、先生が来られるとか来られないとかは表面上のことに過ぎない、そんなことに拘っていては師匠の深いお心がわからないよ…と諭されました。

    …意味分かりますか?

    そこで「意味わかんねーよ!」と引き返せば今の私は無かったのでしょう。ですがこんな、煙に巻いたような話を私は受け入れてしまいました。このショックな出来事をなんとか良いように受け入れたいという心の作用があったのだと思います。

    学会で長く活動していると、そういう思考になりやすいんだと思います。

    あのメッセージだって、仮に区単位の会合以上に限定したとしても膨大な量です。池田氏がお元気でも、お一人で書ける代物ではありません。事務処理の一環でしょう。

    池田氏へのお手紙にしても、私は毎月書いていたんですが、常識的に考えて毎日何千何万と届くご報告のすべてに目を通すことは不可能でしょう。あれは第一庶務がセレクトしてると聞いて私は衝撃を受けました。
    苦手だったんです、お手紙。こんな私の手紙ごときで先生の貴重なお時間をさくわけにはいかないから、なんとか結果出さねばと必死で動いて、毎月書いていたんです。だから読んでないというのは本当にショックでした。
    でも、大事なのは先生が本当に読んでいるかどうかではなく、このお手紙を書くという行為を通して自分がどう成長するかなんだ!という指導を、私はまたしても受け入れました。
    ただ、仕組みがわかってしまうとどうにもこのルーティンワークに意味を見いだせず、自分を鼓舞するきっかけになるどころか苦痛でたまらなかったので、活動をやめることになったのですが。

    今回のテーマに戻りますが、池田氏が病気だとか健在だとかは表面的なことであって、要は師匠が姿を見せない現状にあって自分はどうするのか、どう決意して行動して結果を出すのか、それが大事なんじゃないのか!…とバリ活さんなら答えるかな、と思いますね。

    現状をありのままで受け入れられず、その一方でなんとか現状を意味のあるものにしたい。だから池田氏の動向や新聞の不自然さなどはスルーして、こういう答えになるのかなと思います。端から見れば滑稽なことですが、当人は真剣そのものですよね。悩ましいです。

  3. まるさんのコメントはまるで自分の体験のようでした。
    男子部の部長以上の役職につくと毎月池田大作さん宛の決意文を書かされました。
    抱いた感情はまるさんと全く同じ。自分が信じてきたものを崩すまいと、現実をゆがめて見ているだけだったのです。
    あの組織は「弟子が先生を求める」という構造にこだわってただけです。
    今思えば、手紙も、決意も、招待状も、個人的な範囲を越えた時点で強制でしかありません。号令かけなきゃ誰も池田さんなんか求めないのでしょう。

    さて現役学会員さんに問いたいです。

    もし日蓮正宗の日顕さんや日如さんが
    4年も姿を現さないのに、「御法主上人はお元気です!」と言っている状況をどう思われますか?
    写真やメッセージだけで動く姿を全く見せずないのに、健気な信者は御法主上人の指導・説法を求め続けるんですよ。
    (’日蓮正宗の方すいません。たとえ話です)

    もし貴方の会社で、社長・会長が4年間も姿が見えないとすれば
    一体その組織は何を基に動いてるか不思議じゃないですか?

  4. まるさん、こんにちわ、ぽんきちといいます。よろしくお願いします。まるさんのおしゃってることなんとなく分かります。

    女子部時代、活動が苦痛でしんどいんですと、当時の先輩に言うと、「もっと池田先生の近い、女子部の先輩にあたろう、すきっりした気持ちで活動指しないとと」、言われたことがありました。すっきりって!なんやねん! 当時、私、勤労学生で、+女子部の部長、白蓮やってました。今なら、そりゃ、活動が嫌になって当たり前だろう、プライベートもないし、病みもするわ、、。すいません、私事ばかり書いてしまいました。

    「 池田先生は、 深いお考えがあって、あえて表に出てこられないのだと思う。私達、本門の弟子の後継の弟子がどう指揮をとり戦っていくのか、きっと、みてらっしゃると思うよ。だから頑張ってともに先生に、おこたえして行ける弟子に成長していこうよ。」と、女子部バリ活先輩なら、言いそうです。

    女子部時代、池田氏の、スピーチ、人革、など、部の日で読み合わせ感想発表をよくしました。そうやって、刷り込み洗脳されていったのかもしれません。

  5. たいくさん、ぽんきちさん

    共感していただけて、自分だけじゃなかったんだなぁと私もほっとしました(^^;)

    深いお考えとか、あえてそうされているんだとか、そんな都合のいい解釈は山ほど聞いてきましたよね。
    姿の見えない師匠の心配はしないのか!といくらアンチが言ったところで、上記のように解釈しているからなかなか響かないんだと思います。
    逆に「どうしてそんなに先生の状態にこだわるんだ」と不審がられますよね。アンチからすれば(゜Д゜)エッという感じなのですが…

  6. 二世未活動の婦人部三千代です
    本当にたいくさん、まるさんやぽんきちさんの言うとおり、バリ活動してると疑問ってわかないんですかねえ?一歩離れてみるとなんて異常な世界にいたのだろうと思います。私もよく書きましたよ。未来部の頃から決意表明とか、、、読むわけないのにね笑
    あれは洗脳の一種なんでしょうねきっと

    池田さんが姿を見せないことを疑問に思うことも謗法なんでしょうね。
    学会員にとっては。
    聖教新聞のコマーシャルですが
    言葉と生きていくって、、、どんだけの言葉で学会員を洗脳して騙してきたのに。宗門問題の時のひどい罵倒の活字は忘れません

  7. まるさんのお話、私も共感しました。
    (それにしても創大生だったんですか。ちょっとびっくり。私は滝・・・あ、個人情報暴露はもう止めとこうかな)

    前にも書いたように、私は学生時代には池田先生に対するみんなの気持ちがわからなかったんだけど、その後1998年に「大聖人直結の信心」に気持ちが動いて学会活動に一時復帰した時、実は一度だけ池田マジック?に魅了されたことがありました。優秀な学会スタッフによって演出された素晴らしいマジックショー・・・

    私は当時日記を書いてました(^^ゞ

    「3・16、広布記念の日。40周年の節目となる大切な会合。40年前の1958年、余命幾ばくも残されていなかった戸田城聖が青年部員を前にして後事を託し、『この中に次期会長となる者がいる』と語った・・・
    今回の会合で池田御大はこう言った『この学会を40年、50年かけて作ってきたのは私だ!』少しも傲慢には聞こえなかった。本来は誰でもがこのように言えてしかるべきだし、言えなければならないはずだ、という意味を込めて、敢えて誤解を恐れずに言い放ったのだと思う。
    そしてまたこうも言った『戸田会長はこの中に次期会長となる者がいると言ったが、私は敢えてこう言おう、今ここにいる者全員が会長なのだ!と』・・・
    池田御大は組織のことについて語らなかった。学会のあり方についても、本山のことについても。会長とか法主とかいう組織の頂点についても。仏教の方が偉いとかいう宗教上の頂点についても。ただ宗教のエッセンス、人間のエッセンスについてだけ語った・・・」

    この時私はマジで泣きそうになったもんです(^^ゞ

    その後の「大聖人直結の信心」の行方は・・・???

  8. 当時もらった3・16「広宣流布記念の日」40周年記念の絵葉書を改めてよく見てみたら、こんな短歌が書いてありました。

    殉教の決意で恩師を護らむと血潮は燃えたる偉大なこの日よ

    護るべきは「恩師」だったんだ。しかも「殉教の決意」で。今まで気付かなかったよ・・・(;´Д`)

  9. おはようございます。

    まるさんのお話は、私もおんなじだったなあ〜と
    読んでました。沢山の方が、同じ感じだったのですよね…。
    私も一所懸命書きましたし、財務とは別に夏冬のボーナス全額
    わざわざ本部まで、持って行ってました。

    『センセは全てわかっておられるし、その行動に福運があるねんよ』
    わかってるって、『こいつからはカモれるな』って事が、わかってたんでしょう(笑)
    アホやったなと、思います。

    追伸 モニカさんお帰りなさい。

  10. みなさん、コメントありがとうございます。いろんな方がどんどんコメントくださるので、お一人ずつのお返事ができない状態です。見逃してください(笑)。こうして立場や考え方は違っても、みなさんの忌憚のないお話がひとつのステージにあがることは、とても意味のあることだと思います。すぐにはわかり合えなくても、そうした場があることから何かが変化してくると思います。少なくともバトルではありえない、対話だからこそなし得ることがあると信じています。

    それから三枝さん、なるほど!と腑に落ちました。とてもわかりやすいお話をありがとうございます。(あえてここで)

  11.  非活数年、 白百合長のひかるです。
    よその地区の地区婦人部長から聞きました。

     先生は何年か前の同時放送の時に「歯がうまくかみ合わなくてしゃべりにくい・・・」と言った時があったそうで、その頃、実は脳梗塞で倒れられたのだと言っていました。

    それを公にしてしまうと、これだけ大きな組織だといろんな風に捉える人がいるから公にしないのだそうです。

    脳梗塞で倒れられたという事実をどんな風に捉えるというのだろう?
    「知る人ぞ知る先生の御病気」の方がよっぽどおかしな風に捉えられると思うけど・・・。
    ほんと、おかしい。

  12. 元学会員さんのコメントを見ていると、現役の頃は一級の活動家のような気がします。その過程でだんだん組織の矛盾を感じ結果として脱会されたり、未活動家になったのでしょう。私は自分に正直で最初から組織の矛盾を感じ、15年間地区の改革に挑戦してきましたが、MCされた地区の人達を覚醒させる事はできませんでした。そればかりか、役職は解任となり副役職となりました。幹部の役職は会員の為にあるのではなく、組織の目標を達成する為だと言う事がよく分かりました。
    私はブロックを心ある人達と、胸襟を開いて何でも話し合え、励まし合いが出来、多くの友人が参加しやすい場所にしたいと思っています。
    師弟に関して厳しく言えば、師匠の境涯と弟子の境涯は違うと思います。師匠は変わっていないのに、弟子が変わっているのです。この信心は師弟が根本なのです。私と元学会員さんの根本的な違いはそこだと思います。宜しくお願いします。

  13. 本当に元気ならたまには顔出せよって思います。
    元気じゃないなら、本当のことを言うべきだよなー

    それにしても日顕の方が元気って皮肉ですね。

  14. ポラリスさん、そうですね。ポラリスさんとほとんどの脱会者の違いは、池田氏が師匠たる資格はないと気づいたところです。ポラリスさんにとって、そのことに気がついていないという仮定はありえないでしょう。可能性はあるにしても、おそらくちらっとも考えない。そこが根本的な違いではないでしょうか。このページのテーマである「なぜ池田氏が姿を現さないことを学会員はスルーするのか」という問いの私の答えはそこにあります。なんと言われようが、どんな事実(池田氏が4年間姿を現さない事実、ところが執筆活動だけはさかんにやっていることになっている事実、池田氏の健康状態について会員が何も触れない事実)を見せられようが、池田氏が人生の師ではないと考える余地が全くないというところではないでしょうか。

  15. シニフィエさんを始めとする元学会員さん達の師匠たる資格とは何なんでしょうか、4年間姿を現せない事、誰かに執筆させている事、健康状態を伏せている事、
    これを持って人生の師匠ではないと言われているのでしょう。私とは全然師匠観
    が違います。師弟は厳粛です。以前、原島某教学部長が師匠が間違って地獄へ行くならば、その間違いを正すのが、弟子だと言われてましたが、これも大きな
    間違いだと思います。師匠が地獄へ行くならば当然弟子も行くべきであり、その地獄を寂光土に共に変えゆく事が師弟不二だと思います。宜しくお願いします。

  16. ポラリスさん、人生に師匠ありきでしか考えられないところが、脱会者との決定的な違いなのだと思いますよ。少なくとも私は人生に師匠は必要ないと思っています。もっとも覚醒前まではポラリスさんと同様に必要だと思わされていました。今のポラリスさんには脱会者がなぜ人生に師匠がいなくても生きていけるということは理解できないと思いますが、脱会者としては、なぜ池田氏が人生の師匠となりうるのかが理解できないのです。そこが大きな違いなのだと思います。そもそもいまさら仏教とは何の関係もない師弟不二と言われても、私やおそらくは多くの脱会者には何の意味もありません。
    ポラリスさんが地獄へ行くことも辞さないのであれば、それはそれで自由だと思います。誰も止めたりしません。しかし自分の意志ではなく、そう思わされて地獄へ道連れにされる人がいることには私は賛成できません。そしてそのように一方的に思わされていたことに気づいた多くの人が脱会している事実が厳然としてあるということも学会員はスルーしてしまいますからね。

  17. ポラリスさん

    おはようございます。

    私は上で書いたように、活動に意味をみいだせなくなったことが非活の始まりですが、それでも当初は池田氏を疑うことはなかったんですよ。
    あくまでも組織の問題だと思っていました。

    でもそれって、どう考えてもおかしいですよね。
    この創価学会を作り上げたのは他ならぬ池田氏です。ご自分でずっとそう言ってるじゃないですか、「私がひとりでやってきた!」って。
    選挙も財務も、すべて池田氏は誉め称えてきました。よくやった、勝った、功徳は計り知れないと。
    池田氏の存在抜きにして創価学会は語れません。
    だから組織の矛盾、活動のおかしさを考えるのに、師匠は正しいという前提を取っ払うことが必要なんです。

    師匠が正しいと信じ抜くなら、この理不尽な活動を率先してやらなければ、弟子を名乗れないんじゃないですか?
    ポラリスさんが副役職にとどめられたのは、そういう組織の矛盾を飲み込み打ち出し通りに動くことのできない方だから、ですよね。
    組織が正役職に求めるのはそれができる人です。当然、トップの池田氏もそういう人こそが人材だと望んでいます。
    師弟不二を訴えながら組織の改革に挑むというのは無理があるんですよ。改革とは師匠に逆らうことですから。組織的には獅子身中の虫と思われているのではないでしょうか。

    原島氏の言葉は至極まともに聞こえます。
    師匠がなにゆえ地獄に行かれるのか、もう少しお考えになったほうがいいと思いますよ。
    まさか、師匠が折伏精神で勇んで業火の中に飛び込んでいくことだとお思いではありませんよね?
    地獄に行くのはそれなりのことをやってきたからでしょうし、そういう意味で原島氏は地獄行きと仰ったんじゃないでしょうか。

  18. 三世未活会員のcallと申します。

    まるさんの仰る通り、池田先生は新聞選挙財務の組織の実態を何も知らないのではなく、
    池田先生こそいまの矛盾だらけの組織を作り出している最高責任者だという側面から一度学会を見てみるということが必要ですね。
    池田氏の著作は本気で言っているのではなく、会員を惹きつけつなぎとめるだけの撒き餌でありおとりです。
    そうやって集めた人のよい純粋な会員、あるいは子供の頃から洗脳して親も先生も裏切れない二世三世会員を、
    新聞選挙財務地獄で釣り上げるのが本来の目的だという視点を一度持てるかどうかです。

    ポラリスさんも一度そういう視点から学会と池田先生を眺めてみてはいかがですか?
    一度は考えてみてもいいと思います。
    あくまで一つの視点であり、見方なのですから、それは違うな、やはり先生は素晴らしい先生だと思うなら、元の視点に戻ればいいだけです。

  19. ポラリスさん、私思うんですが、今の創価の体制をつくってきたのは、他ならぬ池田氏であることは間違いないですよね。創価学会は池田氏が自分の意のままにつくってきた。そう本人も言ってますから間違いないです。ですからその池田氏の意にそぐわないものは、会長だろうが副会長だろうが理事長だろうが教学部長だろうが公明党の委員長だろうが、みんな切り捨てていったのも池田氏本人です。そして日蓮正宗の檀家である創価学会の名誉会長が宗門の法主まで切り捨てた。池田氏が先頭に立って、あることないこと会員に流して日蓮正宗をけちょんけちょんに罵倒し続けてきましたよね。宗門から訴えられて数々の裁判に負けていても、会員には一切教えませんよね。そして宗門バッシングはいまだに続いています。日顕さんを呪い殺さんばかりに。でも日顕さんは元気な様子で、池田氏の健康状態は誰も知らない。ポラリスさん、ここでよく考えてみてくださいね。そんな創価の組織に不満がある今のポラリスさんも池田氏にとっては不穏分子なのではないでしょうか。だから15年も池田氏一筋に頑張っているポラリスさんなのに、その活動を評価するどころか役職を降格させられたんですよね。本来なら15年も頑張ってたら今頃は支部長ぐらいにはなってるんじゃないでしょうか。池田氏がポラリスさんにとっての人生の師であるにもかかわらず、ポラリスさんは池田氏から見ても反逆しているとしか映らないと思いますが、どうでしょう。もし今のポラリスさんの考えを池田氏(そんな判断力と元気があればの話ですが)に伝えられたとしたら、池田氏は何と答えてくれるでしょう。「ポラリスさん、よく言った。私が間違いだった。私の組織を動かす考えが間違いで、ポラリスさんの言うことが正しい。これからは組織のありかたを一新して、ポラリスさんの言う通り全国のブロック員さんたちの意思で動くことのできる開かれた組織をつくっていこう」と言ってくれるでしょうか。でも池田氏を師とあおぎ、地獄までついていく覚悟のポラリスさんが池田氏のつくった組織のていたらくを箴言するというのも矛盾していますね。もし池田氏から「私のつくった組織のどこがおかしいのですか?」と聞かれたら、ポラリスさんは何と答えますか?ここで言われたように「あなたのつくった組織は間違っている。システムに問題がある」と言いますか?それとも「あなたは私の師匠で、私は弟子なのですから地獄の底までついていきます」と答えますか?どちらもあなたの発言ですよ。言ってることが矛盾していると思いませんか?
    ポラリスさんが信じているのは創価学会でも日蓮さんでもなくて、4年も会員の前に姿を現さない池田大作ひとりですよね。だったらポラリスさんが池田大作教の会長になって、ブロックの人たちをひきつれて理想とする教団をつくればいいのではないでしょうか。私からみれば今のポラリスさんが創価学会員である理由はどこにも見当たりませんし、池田氏から見ても組織から見ても疎ましい存在ですよね。そんな疑問だらけの組織から離れても、池田氏を師と仰ぐことはいくらでもできるのではないでしょうか。そしたら組織の横暴にも悩まされずにすむと思いますが。

    >問題なのは人ではなく組織のシステムに問題があると思います。また、一部か全部か分かりませんが、幹部が会員をバカにしているところがあると思います。組織が都合の悪い情報を流さないのは会員を信頼してない証拠だと思います。

    ポラリスさん、あなたは「組織が都合の悪い情報を流さないのは会員を信頼してない証拠だと思います」と言っていますが、都合の悪い情報を流さないような組織を作ったのは池田氏ではないのですか?それとも組織は池田氏の言うことを無視して勝手に動いているのでしょうか? そんな勝手に動いているような組織を池田氏はほったらかしているのでしょうか?そしてそんな組織と池田氏の行動を、組織の一員であるポラリスさんはどう思っていますか?

  20. ポラリスさん。

    そもそものここのテーマ、「なぜ池田氏が姿を現さないことを学会員はスルーするのか」について明確なことを述べてないですよ。

    >師弟に関して厳しく言えば、師匠の境涯と弟子の境涯は違うと思います。師匠は変わっていないのに、弟子が変わっているのです。この信心は師弟が根本なのです。私と元学会員さんの根本的な違いはそこだと思います。

    それはわかりました。
    で、池田さんは姿見せませんね?ってことですが・・・
    どうお考えですか?

    良かったら僕が先に書いた次の質問にお答えください。
    もし日蓮正宗の日顕さんや日如さんが
    4年も姿を現さないのに、「御法主上人はお元気です!」と言っている状況をどう思われますか?
    写真やメッセージだけで動く姿を全く見せないのに、健気な信者は御法主上人の指導・説法を求め続けるんですよ。
    (’日蓮正宗の方すいません。たとえ話です)
    もし貴方の会社で、社長・会長が4年間も姿が見えないとすれば
    一体その組織は何を基に動いてるか不思議じゃないですか?

    ポラリスさんの師弟感は別にどうでもいいです。
    姿を見せない事実についてお答えください。

  21. 外部のAkiraと申します、よろしくおねがいします。

    学会の人達が池田氏の姿を見なくても平気なわけ

    それは「師弟不二」がヒントです

    師匠=池田大作
    弟子=それ以外の学会員

    私はそう認識しています。

    しかし、弟子達はなぜか池田氏を師匠と言いません
    学会員が100人いれば100人とも「先生が・・」「先生は・・」と言う現実

    では、なぜ池田師匠と呼ばないのか凄く不思議に思い考えてみました。

    先生と呼ばれる方々には大変失礼ですが、教員、代議士、地元の名士等
    日本中に「先生」と呼ばれる人は何万人も何十万人もいます。

    弟子が敬愛してやまない師匠を先生呼ばわりすることは大変御無礼なことでは無いのでしょうか。

    つまり私が思うに学会員達は現存する池田氏を心から「師匠」とは思っていない
    上から「師弟不二」だと言われ、自分で選んだ師匠じゃないけどそう思わなきゃ功徳も福運が無くなると困るからどこか納得しないままに脳内で「師匠」をつくりあげてしまった。

    現実味がないから池田氏はいつまでたっても先生止まり、師匠とは思っていても誰も師匠と呼ばない。彼らの脳内には別の(作られた虚像の)池田師匠ができてしまった。

    これが「師弟不二」の実態でしょう。

    で、勝手に脳内で師匠を作り上げてしまったので、会員たちは脳内師匠に重きをおくようになってしまいました。
    今日、今現在どこかで苦しんでいるかもしれない「師匠」を心配するより
    脳内師匠にお題目を送れば良いのです、全てが良い方向に行くのです。
    たとえ池田氏が死んでも彼らは悲しまない、永遠の脳内師匠がいますから。

    生きているであろう「師匠」は既にお役目が終わったということですね。
    誰にも師匠とも呼んでもらえず・・・

    外部の人間の思ったことですのでトンチンカンな事を言っているかもしれませんが実に不思議な現象だなと思い私なりに考えてみました。

  22.  表題の答えははっきりしています。

    活動家のだれもが納得いく説明ができないからスルーするんですよ。

    聖教の生気のないお顔と、4年間会員の前に姿をあらわさないという現実に、相当お体の具合がよくないと思っている方がほとんどです。

     そのことを会員に説明するか否かは意見の分かれるところと思います。一般の組織のように相談役のような役にして、後継にまかせ健康状態はあえて説明しない。

     ここまでなら、納得いく説明は可能かと、、、。

     問題は中枢が、メッセージ、詩などを通して元気を装う猿芝居のような演出をするから、話がややこしくなっている訳ですよ。

     先生は元気ですって言えば、元気なら何で出てこないて言われるし、先生もお年で具合も良くないからって言えば、何であんな勢力的にメッセージなどの執筆活動ができるのよと突っ込まれるし、もうこれじゃスルーするしかないじゃないですか?

     なんでこんな愚かな判断をしたのかはわかりませんが、文春の記事にでた看護師の思いが一番活動家がしっくりいくなと思います。いずれ復権できると思ってしたのがボタンのかけ違いでここまで来たのかも知れません。

     亡くなった後、実態が明らかになった時の幹部不信の反動で組織が崩壊するという見立てをする幹部もいます。

     今からでも正直に説明して、役員の首総入れ替えで謝罪した方が傷が浅いという人もいます。これが私の希望ですがクーデターでもないかぎりありえないでしょう。

     本音をいえる関係ならこの程度の会話はしますし、このまま静観するしかないので、スルーせざるを得ないということです。まあこの件はいずれ時間がたてばはっきりわかることだと思いますから、その時に各々の活動家がそれぞれの判断をされることでしょう。 

     

     

      

  23. Akiraさん。はじめまして。

    「脳内師匠」という話に、スッキリした感覚を得ました。
    なかなか鋭い洞察だと思います。

    現実の池田さんなんて見てなかったんですね。
    熱心な活動家ほど、その傾向があると思います。
    そう言えば、まだ姿が見えてた時でもそうでした。

    現実の「池田大作」=人間革命の「山本伸一」
    あの本はフィクションなのに。

  24. yさん。

    >問題は中枢が、メッセージ、詩などを通して元気を装う猿芝居のような演出をするから、話がややこしくなっている訳ですよ。

    本当にその通りですね。
    いっそ何も出てこない方が、
    「お身体が良くないのかな」と想像させることでつじつまが合うのに。

    変に写真載せたり、メッセージ出すから、
    元気なんだか病気なんだか分からなくなるんですね。

    Akiraさんのおっしゃる「脳内師匠」がどんどん肥大化しそうです。

  25. Akiraさん、はじめまして。非活で学会三世のまると申します。外部の方の貴重なご意見が聞けてありがたいです。

    脳内師匠、ああなるほどなーと思いました。
    理想の師匠像みたいなものを、それぞれ描いていたのでしょうね。
    口々に師匠、師匠というわりには、現実の池田氏は見ていない。確かにそんな感じです。
    もっとも、そう演出してきたのは池田氏サイドですが。

    池田氏も創価上層部もやり過ぎたし、会員も呼応し過ぎてしまったと思います。このまま、真の永遠の指導者としてあと百年くらい生きることにするのもアリかもしれません。

  26. yさん、こういっては失礼かもしれませんが、はじめて100%意見が一致しました(笑)まったくそのとおりだと思います。
    聖教新聞に池田氏の10年も20年も前の写真が毎日のようにが載るのが返って痛々しいですね。でも今さら池田先生は病気になりましたとも言えないから、どうしようもない。純粋なポラリスさんのように先生命の人も多い。先生がもういないも同然だと真実を公表したら、いままでウソをついていたことになる。じゃあ、あの短歌やメッセージは誰が書いてたんだ、新・人間革命は誰が書いてたんだってことを明らかにしなきゃいけなくなる。いまでこそ会員も知らないフリをしてるけど、公表すれば学会がウソをついていたことが一般にもわかってしまう。会員も知らないフリすらできなくなる。なんだ学会ってのはウソつきなんだということが社会的にも広まる。そしたらもう外国のどこかの大学の名誉教授も、外国のどこかの名誉市民の称号も聞いたこともない勲章ももらえなくなるし、場合によっては返上ということにもなる。これは学会にとって大きな危機となるでしょう。大量に脱会者続出もあり得ます。そしたらお金が集まらない。集まらなければ幹部でいる意味がない。意味がないどころか、今度は自分たちが責任を取らされるかもしれなくなる。そりゃ大変だ。今のうちにこっそり辞めちゃう幹部だって出てくるかもしれない。まあ、いろんなところで歪みがきて、ヒビが入って壊れていくのでしょうね。池田というカリスマがいない創価学会とは単なる烏合の衆です。4代目以降の会長なんてただのおかざりだし、何の指導力、求心力もありません。みんな池田氏のイエスマンだったのですからね。バリバリのやり手ワンマン社長の会社が、二代目のボンボンに引き継いだ途端につぶれるのと同じです。さてさて、今後創価はどのような変化を見せるのでしょう。はたして創価はいつまで先生不在のミステリーをほったらかしているつもりでしょう。そしてXデーのときにどんな発表をするつもりでしょう。まったく見当もつきません。次のSGI会長は誰がなるんでしょう。もしかして息子さんですか(笑)。まさかね、北の将軍様じゃないんだから。

    Akiraさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
    「脳内師匠」どんぴしゃりですね。

  27. 実際、センセイなんてどうでもいんですよ。
    恋人や家族じゃあるまいし、毎日の実生活に関係ないですからね。
    恋人や家族が4年も姿を見せなかったり、病気になったら大変ですけどね。
    もうすっかり頭から抜け落ちてる学会員、いっぱいいるんじゃないでしょうか(笑)

    婦人部の選挙と一緒ですね。
    実は政治なんか興味ないのに、狂気のさたで選挙運動するのと同じ。
    仮に4年も5年も選挙がないことになったとしたら、全く気にもせずスルーしますよ。

    センセイが好きなわけじゃなくて
    「センセイを師とすることで、自分の信心の方向が間違ってないとされ、自分の人生が幸福の軌道から外れないとされる安心感」
    が好きなんですよね。

  28. 初めまして 道 と申します。
    約10年間会員でしたが、折伏の親が幹部の方と結婚しました。
    それを機に脱会しました。
    活動していた時期もありましたが、誰かを入会させた経験はありません。
    納得できない集団に、入会を勧誘すること私にはできませんでした。
    今でも、その10年の意味が私には、わかりません。
    一人になっても、強く断る勇気が当時の自分にあれば良かったのかと思います。
    何を信仰していようと、誰が師匠であろうと、人生に師があろうとなかろうと、
    人は宿命の前で、たった一人だと感じます。
    このサイトを見つけたので、書き込んでみようと思いました。
    未だ当時と何ら変わらないらしい学会を、残念に思います。

  29. 道さん、はじめまして。コメントありがとうございます。
    多かれ少なかれ、創価の信仰を経験した人はなんらかの虚無感を抱くことになります。信じて活動してきた時間が長ければ、それだけ襲ってくる虚無感も大きいですよね。創価の現実に気がついてはじめて自分のやってきた「とりかえしのつかなさ」に気づきますから、気づかない間は自分が創価であることを、さまざまな理由をつけて正当化したくなるものです。たとえそれが理屈に合っていようがいまいが、そんなことはおかまいなしに創価に依存してしまう組織の構造になっていることがわかりますよね。私も長年疑問を抱きながらも、自分でそれをかき消しながらやってきましたが、外に情報を求める決心ができたときに、完全に真実が見えてきました。つまりそれこそここで何度も言っている「創価は宗教ではなく詐欺団体だ」ということです。もちろん自分でも知りたくなかったことですが、現実を現実としてうけとめるしか、自分の人生を立て直すことはできないと自分に言い聞かせました。ただ単に居心地がいいからという理由で現実から逃げ回るような人生を少なくとも自分は送りたくない。どんなに過酷な現実を知らされても、私の両親や長男夫婦のように、何も知らずに騙され続けて一生を終えることなど、とても耐えられないと思いました。もし学会員さんで、創価の現実に気がつけば、そんなことなら最初から信じたりしなかったという方がほとんどだと思います。中には、それでも自分は先生の弟子として先生とともに地獄の底までついていくという方もいらっしゃるようですが、そんな方はごく一部だと思います。また現世利益とか目先の功徳ほしさに創価の現実を見ようとしない学会員さんも多くいらっしゃるようですが、そんな中でも、このブログに寄せられる対話が、学会員さんが自分で現実を見つめ直し、自分の人生について自分の頭で考え、素直に疑問をもち、覚醒へと向かうためのひとつの材料になればと考えています。
    これからもよろしくお願いします。

  30. 実は本気で師弟だとか、センセイ!って思ってる人、すごく少ないですよ。
    集団で会合に出て、歌をうたったり叫んだりしてると、全員が何かに取りつかれているような信者に見えますが、一人一人話しをしてみると、実は全然ちがう。
    ただの集団心理です。
    誰も見てなくて一人になっても仏壇に向かう人はいるけど、一人でいても「センセイ!」なんて涙している人、ほんとに極々一部です。
    100人いたら3人いるだろうか?

    「自分は師弟なんてピンとこない」
    と吹聴したり、逆におそるおそる言うこともでもなく、大半の人がふつうにそうです。
    わざわざ言うと、幹部からに長い説教が始まるのがめんどくさいのと、そんなこと考えると、自分が信心がないと否定される気がして追及してないんです。

    ふつうに考えて、会って直接話したこともない人にそこまで傾倒できますか。
    誰よりも大切な師匠なんて思ってないけど、悪くは思ってない。立派な方と思う。その程度ですよ。

    同志の絆とか御本尊の方が、もっと思いが強いと思いますけどね。
    師弟は、退転しないように何重にも張り巡らせたトラップの一つかもしれませんね。
    御本尊、教えの魅力、温かいコミュニティ、師弟のある人生…いろんな要素を束にして、どれか一つでも虜になったら離れないようにする…

    ひとつ、ひとつを冷静に考えられればいいんですけどね。

  31. じつは今だからカミングアウトしますが(笑)、私は池田氏を会長とか名誉会長と思ってはいても、師匠と思ったことは一度もありませんでした。まわりで「池田先生のために」て体験発表やら決意発表をしている学会員を見て、なんか気味悪いなと思っていました。もちろん誰かにそのことを言いはしませんけどね。やっぱりそんな人多かったんですね。ああ、よかった(笑)。
    ずっと前に書いたと思いますが、私は中等部のころ、大石寺で開かれた夏期講習会に参加して、そのとき塔の原グラウンドで全国中等部総会があったときに池田氏が来ました。池田氏が見えると、まわりのみんなが「センセー!センセー!」って涙をボロボロ流しながら叫ぶんですよね。私一人がぽつんと取り残されたような気がしましたが、最後まで先生のセの字も口から出ませんでした。っていうか気味悪かったのを今でもよく憶えています。
    私はそのころから仏教としての日蓮正宗は信じていても、池田氏をそれほど評価していなかったのかもしれません。
    それから、学生部のときに「人間革命の歌」というのができて、会合のたびにこの歌を直立不動で歌わされるのが嫌で嫌で仕方なかったです。これってどう見ても軍国主義だよなって思ってました。なんか予科練が特攻の前日に肩組んで「同期の桜」を歌っているようにしか見えませんでしたから。
    なんで美大生の自分が夜な夜なこんな右翼まがいの活動をしなくちゃいけないんだろうと思っていました。そんなふうに思ってはいても、この信仰が間違いだと思うには至りませんでした。不思議ですね。今考えれば、あのときもっと自分に正直になれていたら、こんな思いをしなくてすんだのにと後悔しきりです。

  32. そうそう、そんなシニフィエさんを横で見ていた人は、
    「あの人、心からセンセイに心酔しててスゴいなあ!」
    と思っていたかも(笑)
    ホント、実はお互いそう思いながら口には出さずうまくやってた人が殆どだと思いますよ。
    それが傍から見たら、全員が師弟感に燃える集団に見える。
    その中にいると、自分もそんな気がしてくるというか、そうしてる方はスムーズにいくので考えず、逆らわず。
    一つのトリックですよね。

    違う意味でスルーできないのが、悪玉幹部たちですよね。
    「池田大作」って創価商品の最高ブランドですからね。
    ゴーストライターを信じず、新刊本をほいほい購入してくれる人たちにも、まさか亡くなった後まで、センセイの名前で売りつけるわけにいかないし…

    センセイ亡き後、何を売りにするのかなあ。
    宗教のインチキぶりは見破られたし、犯罪は露呈されたしで、商売成り立たないですよ。

  33. 学会員さんが創価学会や池田先生のおかしさを自分の言葉で説明できない時に決まっていう言葉があります。
    「先生にはなにか深い考えがあるに違いない」というのがそれです。
    ポラリスさんも、師匠の心は我々弟子では推し量れないというような、似たようなことをおっしゃっておられましたね。

    ですが、震災で被災された東北の同志の元に駆けつけ激励するかどうかを決めるのに、深い考えなどいるでしょうか。
    池田先生が山本伸一なら、行こうかな、どうしようかな、やっぱりやめておこうなどと悩むまでもなく、
    電光石火で被災地に向かい、会員の激励に駆けつけたはずです。
    それが師弟不二の師匠の姿というものです。
    池田先生は会合に出席しなくなり海外出張もなくなり、時間にも余裕が有るはずなのですから、東北激励に向かわないのはますます変です。
    執筆活動がどんなに忙しくても、激励中の会館でも滞在先の東北のホテルでもどこでもできます。

    池田先生は師弟不二を常々指導してきました。
    師弟不二は弟子が師匠の恩にお応えするだけの話ではないはずです。弟子が苦しんでいれば、
    自ら率先して会員の苦しみに寄り添ってくれるのが師匠というものなのではないですか?
    メッセージで激励してるからわざわざ現地に行かなくてもいいじゃないかと思うかもしれませんが、そんな訳がありません。
    先生は常々、人間と人間との直接の対話が大切だと指導しているではないですか。100年に一度とも言われる大災害です。
    言ってることとやってることがぜんぜん違うのではないですか。

    これは師弟不二の師匠による裏切りです。
    学会員からはよく師匠は裏切れない、師匠は裏切れないと口々に言いますが、師弟不二とは弟子の努めだけで成り立つものではありません。
    それではただの奴隷であり金づるです。
    師弟不二には師匠としての努めもあるはずです。4年も会合に出ない状態が続き、師匠がすでに弟子の期待を裏切っているのですから、
    師弟不二など師匠の側から崩壊しています。師弟不二を先に裏切ったのは師匠の方です。
    師弟不二の師匠として、今の池田先生はふさわしくありません。師弟不二の師匠とは、死の直前まで、会員の激励に駆けまわり、
    人々の悩みに寄り添い会員を直接指導する、そういう存在でなければなりません。
    いまの池田先生の状態はただの後期高齢者です。自分は永遠の指導者と主張するなら、永遠の指導者にふさわしい行動で示さなければなりません。
    学会の役職は責任職です。それができないなら永遠の指導者の地位も降りるべきでしょう。

    でも本当のところは、痴呆なのか脳の損傷なのかはわかりませんが、
    池田先生は他人とコミュニケーションを取れる状態ではないのでしょう。当然、執筆活動などできるわけがありません。
    聖教に掲載される池田先生のうつろな表情を見れば容易に推測ができます。
    ではいまだに池田大作名義で出版される書籍はなんなのだという問題が出てきます。
    ゴーストライターが書き、そうとは知らずに読者が本人の著作だと信じて購入した場合、法律の専門家によれば、
    刑法246条の詐欺罪にあたる可能性もあるそうです。

    公明党が政権与党に入り、マスコミを広告費で手なづけていることから、世間で騒がれることは絶対にないでしょうが、
    佐村河内氏の事件とは比較にならないほどの期間と数百万の被害者数を持つ巨大事件として歴史に名を残してもおかしくないケースだと思います。

  34. モニカさんとシニフィエさんの下のコメントみて、思わずうれしくなりました。

      ~ 実は本気で師弟だとか、センセイ!って思ってる人、すごく少ないですよ。

     誰も見てなくて一人になっても仏壇に向かう人はいるけど、一人でいても「センセイ!」なんて涙している人、ほんとに極々一部です。
    100人いたら3人いるだろうか?

    「自分は師弟なんてピンとこない」
    と吹聴したり、逆におそるおそる言うこともでもなく、大半の人がふつうにそうです。
    わざわざ言うと、幹部からに長い説教が始まるのがめんどくさいのと、そんなこと考えると、自分が信心がないと否定される気がして追及してないんです。

    ふつうに考えて、会って直接話したこともない人にそこまで傾倒できますか。
    誰よりも大切な師匠なんて思ってないけど、悪くは思ってない。立派な方と思う。その程度ですよ。

     じつは今だからカミングアウトしますが(笑)、私は池田氏を会長とか名誉会長と思ってはいても、師匠と思ったことは一度もありませんでした。まわりで「池田先生のために」て体験発表やら決意発表をしている学会員を見て、なんか気味悪いなと思っていました。もちろん誰かにそのことを言いはしませんけどね。やっぱりそんな人多かったんですね。ああ、よかった(笑)。 ~

     
     そう正にこの感覚が、私も含め多くの現活動家の本音なんですよ。この感覚から、創価イコール池田大作、池田ファンクラブ、師弟がわからない活動家など異端児なんて発想出てこないでしょう。池田氏にMCされた羊には見えないでしょう。

     私がお二方のようなことを言えば、アウトロー、完全な部外者、変わりもの、不要な学会員、普通な学会員と会話がしたいとか、このブログでさんざん言われ続けた私からすると、アンチの方が思っていた師匠観とそんな違いないじゃない、やっと同じ土俵で対話ができそうだなと、喜んだわけです。

     口や態度に出す図太さが私にはあっただけの違いで、ポラリスさんのような方は数少ない超優等生なんですよ。師匠利用の成果を誇示したい中間幹部の名聞名利で左遷させられただけの話で、信仰者として誇りに思っていいことですよ。池田氏もポラリスさんのような方を守り激励する方だと師弟がない私でもおもっていますよ。

     ブロックで一人立ての精神は尊敬致します。、そこから地区、支部、全国に波動を広げることが広布の本義ですから、人間主義の構築私もやりますよ。

     なんだかんだ言っても、一代で全世界に妙法を唱える組織を構築した業績は誰も否定できないでしょう。歴史の評価に委ねればいいことと思います。

     ここからの話は劣等生の話なので、ポラリスさんはスルーして構いませんよ。

     私は、和泉、辻、小泉さんと個人指導を何回となく受けた貴重な経験から、池田氏以上に魅力を感じたわけです。

     小泉さんが会館にいらしたとき、役員でスリッパを出そうとしたら、「バカもん、こんなことするから、幹部が偉そうになるんだ」とやさしく諭されたこともありました。数か月後の先生を迎えた会合では、本部幹部以上でカンパを出しあい豪勢なお出迎えに喜んで帰る姿に、小泉さんに私は惚れ直しました。

     信仰の確信が弱っているときには、辻さんの指導で歓喜の唱題で苦難を乗り越えたこともありました。行列ができるほどの個人指導を中止させたのも池田氏とあとになって聞きました。

     「指導の泉」の個人指導の達人の和泉さん。もんで、もんでの本果妙、だからこその本因妙、こんなこといってもピンとくる人はもう少ないかもしれません。

     親が悪いもんで、夫の性格が悪いもんで、幹部が悪いもんで、、、、なもんで、、、なもんでというのは、結果の原因を外に求めるだけでは、解決しないよ。だからこそ自分が変わろう、だからこそ自分を見つめなおそう、人や環境のせいにしないで、自分を変革して人生の様々な課題に挑戦してごらん、、、。そんな方に向かって、おいタコ坊主なんていう池田氏を師匠とは思えませんでしたよ。

     まあこの御三方から妙法、本尊の確信を何度も触発されましたが、師弟不二など聞いたことがありません。破門後の脱会者が落ち着いてからのことで、組織の前面に強調されてきたのもまだ10年くらいのことでしょう。破門後の活動家は私なんかからみると底が浅いなあと感じるわけですよ。

     師弟不二なんて踊らされたような人ほど妙法の世界を体感せず、その反動で去ってしまったのかなと感じてしまうんです。創価学会というところは決して一枚岩の組織じゃないんですよ。先生が好きでも嫌いでもOK,勤行する人サボる人もOK,活動きらいな人は休んでもOK,結構なんでもありな軟体動物のような組織ですよ。

     ですからXデイ後の私の見立ては、多少の混乱はあるかと思いますがほとんど影響がないと思っています。むしろほっとされる方が多いのでは、、、。疑問や矛盾を感じながら先生にお応えするということで、不満を抱え込んでやっていることから、解放されるわけですから、、、。

     ポラリスさんが真面目にお応えしているので、申し訳なくずっと言えませんでしたが、多くの活動家にとっては、本音ではもう過去の方になりつつあり、裸の王様に近いのかもしれません。誰も幹部の話なんていうこと聞かないでしょうし、会員を納得させられない悪い幹部は自然に淘汰され風通しのいい組織に徐々に変化すると思います。

      

  35. yさんコメントありがとうございます。

    いくら素直な学会員でも、心に入らないものは入らないですよね。
    よく聞いてると、師弟不二だのセンセイ!と叫んでるのは
    「登壇している時の幹部の原稿上」
    だけじゃないですか。(あと人間革命の都合のよい筋書き上)
    それに、いちいちノー!と声高に否定しない限り、満場一致とみなされているだけです。

    創価が最初から「師弟不二」なんて理論を言っていたら、こんな巨大組織にはならなかったでしょう。
    盤石になってから付け加えたことだから、しょうがないなと渋々聞いてるだけです。

    あくまで、日蓮さんの教えに魅力を感じて入会している。
    あとはyさんの言われるコミュニティ、魅力的な先輩がいるから、のような理由で居続けるんでしょうね。

    今、脱会している人は、私もそうなんですが、
    〇教学が、完全に商売用に捻じ曲げられたインチキと知ったこと。
    〇執行部がそれを知ってながらすっとぼけで、未だ秘法です!と年寄りを騙してい るところ。
    〇騙した上で、大金を吸い上げているところ。
    〇そもそも日蓮さん自身がとんでもないカルトで、酷いお坊さんと知ったこと。
    〇犯罪に加担していたところ。
    〇そんな組織の中でどんなアウトローでいようと、善人でいようと、脱会しない限り 犯罪に賛同、加担していることになること。

    師弟不二など論外にしても、居続ける理由なしです。

  36. yさんへ

    師弟不二など本気で信じているひとは少ないとのことなのですが、未活の私のところにいまだに新人間革命の切り抜きや、池田名誉会長の指導を引用した手紙などが届きます。
    もう10年も前になりますが、池田先生の著作などゴーストライターの著作でしょうと指摘したところ、池田先生は自分の親と同じくらいに大切な存在だ、池田先生のことを悪く言うなと急にスイッチでも入ったかのように豹変し激昂する方や、自分の親からは、悪いところしか見ようとしないお前の命が汚れていると、ありがたい言葉も頂いたりしています。

    池田名誉会長不在のこの4年で、こういう方々もやっと詐欺に気づき、目覚めてきたのでしょうか。
    であるとすれば、そういう方々にももう一度コンタクトを取り、創価学会からの覚醒を試みて見ようと思いますがいかがでしょうか。

  37.  モニカさん

     私との認識の違う部分を述べたいと思います。

    ・商売という一面は否定しませんが、会員をいかに勇気ずけるための生活に即した応用展開と捉えてます。

    ・秘法、絶対という確信ある言葉に大衆は惹かれるし、そうやって実践したほうが、効果があるからです。化城などもある意味激励のための騙しですから。

    ・お金に関していえば、すべて出す出さないは大人の会員の判断です。同調圧力があることは否定しませんが、出さない自由も認められています。

    ・日蓮のカルト的な要素を、時代に即して変えていけばよいことで、当時の権実雑乱の時代背景からすれば、五時八教からの法華宣揚は自然なことと思われます。

    ・創価学会という宗教法人が組織ぐるみの犯罪で司法に断罪されたことがない限り、それは誇張としか映りません。(法の華やオウムのようなことならわかります)

    ・上記のことで断罪されれば、賛同、加担ということは認めますし、それ以前に解散させらるでしょう。

     CALLさん

     狂信的な方は別ですが、この猿芝居の件で上層部に対しての不信感は拭えないと思います。書物を通しての池田氏は今の私でも活用するわけですから、不思議なことではないと思います。

     男ならわかると思いますが、下半身と仕事は別、くまら什、ユゴー、後世の思想に影響をあたえた方でも、私生活は決して誉められたものじゃないのが現実でしょう。

     依法不依人の考えからしても人法共に尊いことは理想ですが、過ちを犯すのが人の常との戒めと私は捉えています。逆にお聞きしたいのですが、宇宙の森羅万象、己心の生命を貫くとされる妙法なる存在のようなものまでも、今は否定される立場なのでしょうか?

     私は信じるに値するものと考えているので、信仰は続けるという立場です。題目(法)がインチキだってやめるかたはあまり聞きませんよね。人が絡むことでやめてしまうのがほとんどでしょう。
     
     私が信心はじめたころからすれば、組織も随分常識的になったとおもいます。みなさんのような方が様々情報発信することで、第一線の組織も中枢も今のままではもたないという危機意識がどんどん芽生え、変化せざるを得ないんです。

     罵倒座談会も今はおとなしいですよね。これも会員のクレームの嵐があったからです。庶民は愚にして賢なり。みてないようで、しっかりみているんです。

     みなさんの創価に対する厳しいご意見もわかっているつもりです。ただやめた方以上の多くの方が、信仰に誇りをもって課題に取り組んでいる現実も認めていただきい、、、。

     

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