功徳という名のギブアンドテイク

こうして創価のまちがいに気づいたみなさんと、客観的な事実に基づいて、創価の実態を明らかにし、問題点を明確にしてきたわけですが、こうした過程の中で、いちばん問題だなと思うのは、やはり学会員さんにまったく罪の意識がないところではないかと思います。これだけ非常識なことをやっていても、相手に迷惑だなとか、嫌な思いをさせてるかもだとか、まったく思わないところ。また選挙違反を何のためらいもなくやれる神経。犯罪ですよ。信仰のためなら犯罪でもよしとする価値観。犯罪者としての自覚がないどころか、自分たちは正しいことをやっていると思い込んでいる点だと思います。いくら創価に部分的にでも「よいところ」があったにせよ、選挙違反だけでも創価がおかしいと批判されて十分な実態なんですが、学会員さんたちはそのことを指摘すると逆ギレしてしまいます。たまに「やっぱりおかしいよね」と感じることがあっても、幹部から「それはあなたの信心が足りないから」「お題目で乗り切って」と簡単に言いくるめられる。幹部の指導は何の回答にもなっていないし、どう考えてもおかしいですけど、それはそれで納得してしまう学会員さんなのです。そして「それは正法を貫くときに必ず競う魔の仕業だ。これこそこの信心が正しいという証だ」などととんでもない屁理屈を言い出します。もちろん、それもみんな上から言われたことを鵜呑みにしているだけなんですけどね。上から言われたとおりのことしか言えない自分にさえ気がつかない。言われたことを自分の考えだと思い込んでいる。つまり自分では何も考えずに、ただただ組織から言われたことだけを、ひたすら信じてやっていれば幸せになれるんだと思い込んでいるわけです。

 

前に紹介した「いきなりはじめる仏教入門」内田樹・釈徹宗(角川文庫)の中にこう言ったくだりがあります。

 

『宗教とは「思い通りいかない=苦」であるこの世界を、自分自身を目覚めさせていくことによって受け止めていく体系ではないでしょうか。つまり、「不条理な苦を引き受けていく」システム、といった一面があると思います。ところが、思い通りいかない世界を、傲慢にも「なんとか自分の都合通りにしてくれ!」と超越的存在におねだりしてしまう。「おねだり」が根底にあるからこそ、ただひたすら宗教体系に従順な態度をとる。これは一見、宗教的受動性に富んでいるような態度ですが、「苦を引き受ける」態度とはまったく逆ベクトル。ゆえに、「おねだり」をエサにする制度宗教は。宗教性を成熟させません。つまり、入信したら「こうなる」、この教団に協力すれば「こんなに幸せになる」、という体系をもつ制度宗教はすべて信用できない、という結論に達します。』

 

まさに創価学会はこの「おねだり宗教」ですよね。私が前々から言ってるのもこのことです。本来、仏教は超越的存在におねだりして願いを叶えるようなものではない。むしろ、そうした価値観を完全に否定するところから仏教が始まると言ってもいいと思います。「執着を捨てる」ということが仏教の基本的な考え方にあるとおり、「おねだり」をする時点ですでにアウトなんですが、学会員さんはそんなこと考えもしません。

 

そしてこのような「おねだり」の制度宗教には、当然、おねだりする対象が必要です。創価の場合はご本尊ですね。このごろは池田氏が現人神のようになってますが(笑)、創価ではこれはこの世界を司っている法そのものであったり、日蓮さん本人であったりする(人法一箇って任用試験にも出てくるでしょ(笑))んですが、この考え方がそもそも一神教であって、仏教ではない。日蓮は仏教の教義をねじまげて、なんと自分を一神教の神だと言い出したんです。そしてその全知全能の神(本人は自称ご本仏と言ってますけど)である日蓮さんは何もわからない凡夫がおねだりしやすいように、仏の慈悲によってご本尊をつくってやったのだと。

 

ちなみに「仏法を基調とする」幸福の科学の大川隆法総裁も同じように釈迦もキリストも私の弟子だと言ってるんですが、話がごちゃごちゃになるのでそれはさておき(笑)、つまり学会員さんたちはこうした「ご本尊におねだりすれば何でも願いが叶う教」を信じているということをもっと自覚しなければいけないと思います。自分が信じている信仰は、自分の願いを叶えてもらうために、何も考えることなくひたすらおねだりするというものだという自覚をもってほしい。そしてその自分のおねだりを叶えてもらう対価として、毎年なけなしのお金を貢ぎ、会員を増やせと言われてはご近所から嫌われ、お情けで新聞を購入してもらい、平気で選挙違反をやりまくるんです。仏教の因果律とギブアンドテイクを混同している。これをやったから見返りとして功徳がもらえる。財務をすれば二倍三倍と帰ってくる。「この株を買うと必ず配当が3倍になって帰ってくる」という詐欺となんら変わらないと思います。普通の人なら「これは騙そうとしている」と思います。それ以前にそんな都合のいい話には裏があると思って当然ですが、学会員さんの場合そう思わないところが普通じゃないことの証ですよね。学会員さんは、そうした普通の感覚とか、人としての一般的な価値判断が出来なくなっている状態だということを自覚すべきだと思います。オレオレ詐欺にひっかからない日本一ストイックな大阪のおばちゃんも、創価の詐欺にはひっかかるんですよね。

 

学会員さんは、浄土真宗のことを「現世の成仏をあきらめて、来世で成仏させてもらうためにひたすら念仏を唱える」といった厭世主義の他力本願だと批判します。「念仏を唱えさえすれば死んだ後に極楽浄土にいける」という考えを他力本願だと批判しますが、学会員さんの言う「このお題目を唱えれば何でも願いが叶う」などと考え方にさほど変わりがないし、「だからありったけのお金を貢いで、折伏や、新聞啓蒙や、選挙運動という仏道修行(?)に励んで、功徳をもらうんだ」というように、浄土真宗とは比べものにならないほど現世の欲に執着して、本来は心の問題である信仰を、ギブアンドテイクの契約であるかのように思っています。では学会員さんが信じている「おねだり信仰」のどこが自力本願なのでしょうか?浄土真宗とは違って現世利益だといいますが、それは単に、死んだ後ではなく、生きている今、目の前の功徳欲しさに目が眩んだ「おねだりをエサに釣られている愚かな魚」に過ぎないのではないでしょうか?学会員さんの一般世間の常識を無視した行動は、こうした現世の功徳欲しさが故の、なんともあさましい姿であると思います。

 

自分のことが客観的に見れないというのは、なにも創価に限ったことではないですが、それにしても世の中のことが見えなさすぎというのが学会員さんの共通するところではないでしょうか。仏教の基本から完全にかけ離れた信仰をしていることの自覚のなさからはじまり、自分たちが批判している一神教と変わらない教義を信じていながら、なおかつ自分たちだけが正しいと言い切る。そして排他的な選民思想を世界で唯一人々を幸せにできる宗教だと信じて、世間から疎まれていることにも気がつかず、外からの批判はすべて信心が正しいことを証明する魔のせいにして、最終的にはお金と労働力を組織に貢いでいるだけの自分の姿に気がつかない。自分たちは特別に選ばれた存在であり、この信仰に出会えただけでも幸せだと思わせられ、結果的にはお金を巻き上げられるだけ。それでも幸せだと思い続けている学会員さんに、私たちは自分の過去の経験をふまえてアドバイスをしているつもりです。なにも学会員さんがうらやましいとか、憎たらしいなんて思っていないんですよ。創価の実態に気がついた今となっては、べつにこれ以上相手にしなければそれで済むことなのですが、人生を食いものにされ続けている学会員さんたちがあまりに悲惨なので、こうしてなんとか真実に気がついてくれるようなことを、いろんな角度からお話ししているわけです。すぐに気がつくのは無理としても、少しぐらい信心何十年という私たちの真実の声に耳を傾けてもいいんじゃないかなと思います。

 

長くなりましたが、そこで今回のテーマですが(笑)

 

「功徳という名のギブアンドテイク」

 

にしたいと思います。

 

学会員さんがしきりに訴える「功徳」というものが、本来の仏教でいう功徳というものと違って、かけ離れた即物的な欲を満たそうとする執着であるかをはっきりさせたいと思います。

 

前回のような体験とはちがって、仏教の教義の話になってきますが、創価の教義が、日蓮の教義も含めて、いかに仏教ではないかをはっきりさせたいと思います。かつて皆さんが創価に教え込まれた功徳とは何だったか、はたしてその功徳なるものをお題目を唱えることによってもらえるというシステムに何の根拠があるのかを検証してみたいと思います。

 

多少、話が難しくなる気がすると思いますが、皆さんは素朴に「創価が教えてくれた功徳とは、具体的にこんなことでしたよ」といった話をしていただけると嬉しでいす。ここで仏教や日蓮仏法や池田教の教義をひもとくつもりはありません。学会員さんが目をくらませている功徳の正体をみんなではっきりさせることができればいいなと思っています。よろしくお願いします。

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功徳という名のギブアンドテイク」への55件のフィードバック

  1. 御書(祈祷抄)に以下の有名な一説がありますよね。
    「いかに申す事は・をそきやらん、大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」
     
    全くこのとおりにならないのですがそれを指摘すると、祈りが弱いだとか、広宣流布に関係のない祈りは叶わないだとか、適当なことを言われましたね。

    いつも思うのが、何で学会の男子部はフリーター・無職・ニートが多くて、さらにおたくっぽい人物が多いのか。そして、いい年して冴えない独身者ばかり。これが功徳の結果ですか?と言いたいですね。祈りも叶わないし、功徳もありませんから。

  2. 私が対話を試みた活動家は、功徳というより「魔」にこだわってましたね。
    功徳、功徳というわりに、他人にほらこれが功徳よ、とはっきり言えるものがない。
    学会員と脱会者、どっちが功徳があるのか?と問われれば、もちろん学会員だと客観的には証明できない。
    そうなると
    「私は、魔に負けてない」
    これをやたらアピールしていました。

    とにかく負けず嫌いなんですよ。
    どんなに理論に無理があっても、退転者なんかに言われたくない。
    何しろ今までこの信仰をしている故に偉い!偉大だと言われ続け、逆に退転者はその対極にあるもっとも軽蔑すべき者、と教えられていたんですから。

    いちばん軽蔑すべき退転者に言い返せるのは
    「あなたは魔に負けたけど、私は負けてない」
    これなんですよね。
    だからこの「魔」という理屈は絶対に手放しません。
    この魔について功徳同様、意見がほしいところです。

  3. 私の場合、金銭的なものとか目に見える功徳というものが得られるなんてことはあまり信じてませんでした。宝くじと同じで運が良い人には当たる、みたいな。
    私の活動の原動力となったのは、自分自身を変えたいということでした。
    自己嫌悪のどん底にいた時にやさしい先輩に話をいろいろ聞いてもらえて、自分をよりよく変えていくことが出来るよと言われて素直に活動に励むようになりました。自分の姿で学会を理解してもらう、というやり方がちょうど自分の変わりたいという願望とマッチしたんですね。
    緊張感を持って仕事などに励みましたから、そういう意味ではとてもプラスになりました。普通に就職してそれなりに仕事していたら得られない充実感を得られたことは確かです。
    ですがそういう充実感を感じられたのは最初の数年間で、学会での役職が上がるにつれて心の余裕がなくなりました。それに現場で感じた和気藹々の雰囲気とは全く違った中央からの事務的な打ち出し。実現不可能と思えるような目標をたてさせられて長の一念でこの状況を打ち破っていくんだという精神論。結局は目標など達成することが出来ず、長として自分は全然力が足りない。自己嫌悪のループにまたしてもはまっていきました。
    変わりたい、という強い思いで頑張ってきたのに自分はますます自己嫌悪を感じるようになってしまったのです。でも、そのころにはすっかり創価脳になってましたからこの悪循環を断ち切るにはやはりもっと頑張らないといけない、と思いました。でも、頑張るにも限度があります。心身ともに疲れ果ててしまって休みたいな、と思った頃に縁あって結婚しました。
    結婚してからの空白期間にいろんなきっかけがあって覚醒することが出来ました。
    で、振り返ってみると。
    学会の活動で確かに精神的に図太くなれたという事はありますが、自分が本当に変えたいと思っていた性格などはあまり変わった気がしません。
    基本的に人の性格ってそうそう変わるものではないのだ、という事は最近になってわかりました。それよりも活動から離れてから『こんな自分でもいいんだ』と自然に受け入れられるようになった気がします。歳をとっていろんな経験を積んできたからかもしれません。
    功徳を求めてる、と言われるとそれはちょっと違う!と言いたい気持ちでしたがある意味自分が変わりたいという欲求もおねだりと言えばおねだりだったのかな、と今では思います。

  4. 財務の功徳をよく聞かされました。お金が必要な時に箪笥の引き出しから出てきた。子供が小遣いをくれた。スーパーのくじ引きで自転車が当たった。書いてたら思い出しました。テレビのクイズ番組で優勝して海外旅行が当たったお話。聞いた方いませんか?何かの会合で幹部の方が、それはそれは面白おかしくお話してくれました。私自身は、あまり題目をあげれなかったので功徳を貰ったって思う事は少なかったですね。また、家族から何かあれば功徳やね〜って言われたことも無かったので。家族でバリ活の方が一人でもいれば会話の中で功徳だね〜って出てくるんでしょう。バリ活の方と話をするとやはり功徳だねって言われます。頑張ってない私は功徳?いや福運やでっと思いました。私は個人的に功徳より福運が好きでした(笑)

  5. ご無沙汰しております、パンダです。
    財務の功徳で思い出しましたが…財務の時期になると、それに関する体験発表があると思うんですけど、「主人が病気になってその医療費が入って、財務のための資金が貯まりました」とか、「旦那が事故にあって大金が入って…功徳です」とか、そんな話をするのがひとりじゃないんですよね。すごく違和感を感じたことを覚えています。

  6. 功徳として話が出るのは、金銭と病気絡みの事が殆どです。大体、収入が増えた、病気が治ったという事です。
    仕事の無い人、病気が治らなかった人の話は当然出ません。
    祈りが叶うのではなく、叶わなかった事がスルーされているだけです。
    祈りが凄いのではなく、その人の努力が凄いのです。
    そう言うことだと思ってます。

  7. パンダさん、私もよく聞きました。私が聞いた話はリストラにあって退職金やら何やら全部財務したらいいところに勤められ、給料も倍になったとか?
    お金にシビアだった私はそんな詐欺みたいな話、信じられないと思いましたし先のことなんて誰にもわからないのに大事なお金を財務するなんて狂ってるし財務すれば倍になって返って来るって。。。しかもどの体験もその前に不幸がきてからの大金が入っても何も嬉しくないですよね。普通は何事もないのが幸せなのに、、、第一、普通の人は財務なんかしなくてコツコツ貯める方がよっぽどお金たまりますよね。学会に貯金ばかりして老後の面倒を学会は見てくれるんでしょうか?

    財務の体験は⚪︎⚪︎商法とかみたいで私も違和感覚えました。しかも三桁三桁ってよく言ってましたよね。今でもそうなんでしょうかね?
    本当に外部の人からすればこんなやり方詐欺以外考えられないですよね。ありがたがって三桁の財務する人の気がしれません。三桁やっても功徳がない人もその陰にたくさんいますよ。
    それに大金よこせと言うなら確実に戻ってくるデータを出してほしいですよね。

  8. 題目を信じ切ることによって前向きな気持ちになれるなら、NK細胞が活性化されてよくなる病気には、一時的に効果があるかもしれません。
    そうなると免疫力が過剰反応するアレルギーなどには関係ないですよね。
    無理やり前向きな気持ちになってはいけない鬱病にも、用いてはいけないことになります。
    生まれつきの疾患も治りません。
    願いとして叶わないことはない、万能なんて違います。

    更にそれで貧乏が治るなど、無茶苦茶な理屈です。
    本人の努力と道理というなら、基本中の基本の貯金を財務にはたいて、それで何故貧乏が治るのか聞いてみたいところです。
    仏様に供養すると功徳が絶大?
    あれあれ?だから他力本願じゃないんでしょう?
    あくまで自分が前向きな気持ちになって、困難を切り開いていくという気持ちになる、という教えなんでしょう?
    なんで集金の時だけ、突然そんなカルトみたいな教えに変わるんですか?矛盾してますよね。

    信じ切ることで自分の潜在的な力が出る、とうのはわかるけど、それで運がつくというのはカルトですよ。
    潜在的な力が発揮されて人間関係が円滑になり、そのネットワークから情報がもらえたり、助けてくれる人が現れるというなら、それは物事の道理です。世法ってやつですよ。
    信仰を持ってなくても普通にあることです。

    創価学会にお金を振り込むと福運がつく…幸福のペンダントを身に着けると開運する、という理屈がどう違うのか教えてください。

    副本部長さん、いつかすっぱり脱会できるとよいですね。
    またそういう役職を持っていて見えた現状を教えてください。

  9. みなさん、説得力のあるコメントありがとうございます。普通の思考回路であれば、とても説得力があるんですが、都合の悪いことになると、突然スルー回路が働いてしまう学会員さんには、あきらめずに繰り返し訴えるしかないですね。
    明日から、しばらくネット環境から離れるので、みなさんのコメントを承認するのが精一杯になると思います。承認も遅れがちになると思いますが、心配しないで下さいね。
    よろしくお願いしますm(_ _)m

  10. 知り合いの学会員の話しですが
    台風のときに飼い猫が行方不明になりました…
    近くの用水路に落ちたのをたまたま近所の方が
    見かけていました。
    用水路の下流にある堰で数日後に死体が見つかりました。
    その学会員は題目のお陰で死体がみつかったと自慢して
    いましたよ。
    流されて死んでるのに…
    カルトだと実感しました。

  11. 選挙中ある白ゆりさんが、同じマンションですれ違ったら挨拶くらいはする、という間柄の人を待ち伏せし、公明党のチラシを渡したところ、思い切り引かれて去っていかれたそうです。
    本人は、そこまでするのに相当勇気がいったそうです。(そうでしょうね)
    相手の反応は冷たかったけど、その話を座談会でしたら、偉い偉いと拍手され、地区婦がみじみと
    「彼女は今回見事、殻を破ったわね!」
    それが戦ったということだそうです。
    これで宿命が一つ打開できるそうです。

    彼女はそこまでして世の中を変えたかったのでしょうか?
    いえいえ、お子さんの受験で悩んでいたんですよ。だから一歩も引けないと。

    この人たちの思考回路がわかりやすい創価です。
    何も言えませんね。
    言い分は活動家にお任せします。

  12. 知り合いに、10年前に入信したというバリ活学会員さんがいます。
    この10年間に、100万遍唱題も数回達成したという熱心な方です。

    なぜ一生懸命信心に励めるのか聞いたことがあります。
    「活動は自己鍛練になる。功徳をいっぱいもらえる」等と言っていました。

    話しの中で「法戦は、功徳をいっぱいもらえる」とか、
    「○○××して活動頑張って、功徳をもらえた」とか、
    「功徳」というフレーズはやたらでてきます。
    功徳が大好物なのだなーとよくわかりましたよ。

    最近は「功徳があるよ」と言って入信を勧めるのかしら。。

    ところで、
    私が活動していた20年前は、頑張ってラッキーなことがあると
    「功徳だね!」と言いましたが、
    「功徳がもらえる」という言い方はあまり見聞きしなかった気がします。

    その方の口癖?どうでもいいことですね笑。
    ちょっと気になりました。

  13. 三千代さん、三桁財務の功徳、今でも話聞きますよ!「三桁すると、一生生活に困らない」って…でも、その効果が無い人が多いからか?昨年の財務の時期には、「三桁すると病気しない」というのが追加?変更?されたらしく、新たに言われていました。もう、意味がわかりません…

  14.  非活、白ゆり長のひかるです。

    功徳の話が一番難しいと思いました。

    私がまだ学会から、すっぱりと離れられない理由はこれです。

    功徳というより、私にとっては体験です。

     選挙活動のおかしさ、公明党の怪しさ、広宣部とかの公にならない話、財務をすれど透明でない経理等々、おかしすぎて二度と活動したいとは思いません。

    純粋に友人の幸せを祈って折伏しても、こんな組織に入れたらびっくりしてしまうでしょう。
    現に二人、財務を催促され退いてしまいました。

    20年ほど前、私が入信した頃は違いました。
    もっと魅力的な話がいっぱい聞けたし、座談会も楽しかった。
    いろんな人の人生話が聞けて、自分も頑張って生きようと思えました。

    そして私もバリ活になり、功徳をたくさんいただきました。
    私の功徳とは人間革命、宿命転換の体験です。

    それは生きる希望、苦労を乗り越える力です。
    それには先生のスピーチは、私には生きる力になりました。

    それが例えばゴーストライターが書いたものだとしても、いい事書いてるんだからいいんじゃないと思っていました。

    ノブさんのお話に私の考えを言わせてください。

    『台風のときに飼い猫が行方不明になりました…
    近くの用水路に落ちたのをたまたま近所の方が見かけていました。
    用水路の下流にある堰で数日後に死体が見つかりました。
    その学会員は題目のお陰で死体がみつかったと自慢していましたよ。』

    この話は、私にも功徳と考えられます。
    愛猫がいなくなり、死体も見つからなかったら、ずっと心は苦しいままです。

    でも死んだ事がわかったなら、あきらめられます。しかもどういう死に方をしたかわかったことは功徳と捉える事が出来ます。

    猫が可愛く、愛しければ愛おしいほど、どういう風に亡くなったのか知りたいと思うからです。

    そういう風に私は、功徳というのは考え方とも言えると思います。

    私自身は、メガネさんのコメントに一番近いと思いました。

    ただ、最近知ったのですが「変わりたいというのは」心理学的に今の自分が良しと思えない、周りの人も良しと思えないという事らしいです。

    私も、学会活動中は変わりたい、変わらなきゃと強く思っていました。

    そして皆も変わるべきと。

  15. hikaruさんこんにちは。仰る通り私も功徳はとらえ方だと思います
    信じるからこそ正しいのだとこのブログで何度も言われてますが、それと同じで、功徳と思うから功徳なのであって、信心していない人はただよいことがあったとしか思わないと思います罰も功徳も信心して教えられた、洗脳された結果だと思います
    唯、ずるがしこい奴がいてそれをうまく利用しているのでしょう
    人生良いことも、悪いことも当然あります。信仰心のない人は自然にそれを罰や功徳と考えず、世の中いいことも悪いこともあるわ、と受け入れているのではないでしょうか
    こんな言葉に振り回され騙されている自分から解放されましょうよ。みなさん
    自分の次男の若死にさえ救うことができなかった先生は、罰と功徳をどう会員に説明されるのでしょうか
    本尊に力がなかった? 自分の信心が足りなかった それとも(*_*)とでも?

  16. どうってことない事が出来事であっても、創価の会員にとっては常に「功徳だね」と言われ続けているので、そのような思考回路になるのかなと思います。

    入会前の独身時代、色んな事がありましたが、そんな1つ1つの出来事は生きていれば当たり前にあることですよね。

    それが創価会員の身におこると「それぐらいで済んで功徳だね」

    反対に非活や脱会者に同じような事があると「創価を批判するからだね」というように、「功徳」とは都合のよい解釈をする時に非常に便利に使える言葉だなと思います。

    モニカさんの書かれているエピソード、選挙や署名運動になるとよく聞きますよね。
    「自己の壁を打ち破れ!」的な指導+現状の悩みで、常識の壁を打ち破ってしまった人のエピソードをよく聞きます。

    悩みにつけこんだ創価の指導がよくあらわれていますよね。

    財務の功徳体験大会は、今でも納金時期になるとあります。
    本部職員や販売店の人の財務体験は1度も聞いた事がありません。
    当然といえば当然でしょうけど。

    今、大聖堂をはじめ次々と大きな箱物が建てられていますが、これだけ衰退した創価の現状でこれらの箱物を維持していくにはムリがありますよね。

    今後ますます狂気じみた財務に拍車がかかるのではないでしょうか。

  17. 「生も歓喜、死も歓喜」ハーバード大での講演でしたでしょうか。信仰を貫けばこんな境涯になれるんだと(☆∀☆)こんな目で信じてました。ただ都合の良い捉え方ですよね。財務前の財務懇談。婦人部だけですかね。財務への尻叩き。財務の功徳あるでしょーと誘導尋問。無理にひねり出し、今年は病気しなかったと言えば、凄い功徳じゃないと賞賛され(-_-)

  18. hikaruさんはじめまして。

    昔はよかった、20年ほど前はよかった、学会は変わってしまった…よく聞きますがはたしてそうでしょうか?
    それって実態が隠し通せた、悪い情報は洩れなかったということではないでしょうか。
    教えが近代仏教学から破たんしていることも浸透してなかったから、自信満々に唯一の正しい法だとか、願いは何でも叶うとか、夢物語を流し続けた。
    それで酔えたんだと思います。
    当時から側近は、有りあえない莫大な報酬を手にしていたし、黒い交際も当然のようにあった。公明党はせっせと創価の悪事をもみ消していた。

    恋人の本心は全く別のところにあったのに尻尾を出さなかったので、当時は心から信じて幸せだった、ということと同じかと思います。

    功徳って確かに受け取り方、考え方ですよね。
    これは確かに功徳だ、いやただの偶然だ、思い込みだと論争するより、感謝できて、生きる希望になり、生きる力になるならそれでいいとも思います。
    ただそういう感謝を、創価は強要し、利用するんですよ。
    功徳を頂いたんだから、感謝を戦いで返しましょう。

    ここが所詮商売。ギブアンドテイクなんですよ。

  19. 功徳と言えば、文化祭でしょうか…
    忙しい練習の合間を縫って、勉強に励むことで
    学年の成績が、特に英語の成績が伸びたのです。
    いちいち体験発表していましたような

    その後、進路を決めるにあたって、英語方面の学校は
    受験してみたいところがあったのですが、キリスト系という
    ことで断念、家の家計状況もふまえて無理なく通える大学に
    しました、英語も自信がなくなりあきらめてしまいました。

    いま結婚して子供に恵まれ、上の子がキリスト系の
    英語に強い高校からさらに大学へと進学できました。
    キリスト系の学校に対しては抵抗があったのですが、
    折に触れて子供を通して接することがらは感慨深く、
    外部であろうといたわりに満ちたものでした。

    なんとなく自分があきらめてしまった目標に
    娘が道を開くことができ、感謝しています。
    あのまま創価学会のMCのまま人生を送っていたら
    とても限定的なものになっていたでしょう。
    創価学会の中ではかなわなかったと思います。

    うちではよく顔を覆っていた実家の母…
    その母を明るくしたいと必死で振る舞っていた自分、
    功徳ほしさに無理のある矛盾に満ちた家庭生活でした。

  20. 原田会長の功徳ってなんなんすかね
    いなくなった弓谷さんは、不祥事起こしても
    職員でいられるってのが功徳なんでしょうかねぇ

    本部職員の功徳ってなんなんだろ

  21. これまで、創価の思想が本来の仏教からかけ離れているという話は何度もしましたが、ここでもう一度確認しておいたほうがいいと思います。

    もっとも、創価は仏教ではないと創価自身が宣言するのであれば、こんなことは不要なんですが、なんせ創価学会の活動は、根底には仏教の思想に基づいていると思っている人がいると、そこですでに話にならないからです。そこはとても重要なことだと思いますので。

    で、創価が目指しているのは世界平和だそうですが、それも個々の人間の「宿命転換」による「人間革命」なくしてはできないという考え方ですね。それはそれでわかります。社会制度や経済システムを変えたところで、人間の幸せが保障されることはありません。それは歴史が証明していますよね。

    では、学会員さんが目指している「人間革命」とは、仏教とどういう関係があるのか考えたことがあるでしょうか。そしてその「人間革命」を実現するための「宿命転換」の方法として、学会員さんたちは学会活動という名の「仏道修行」をして頑張るんだと教えられてきました。もちろん真面目な学会員さんなら、そのとおりに信じているでしょう。つまり勤行・唱題を根本に、折伏、財務、新聞啓蒙、書籍等の購入、各種会合や家庭訪問、会館警備やメンテナンス、そして選挙(違反)活動などなど、すべてが自分の宿業を転換し、転重軽受の法門のとおり、この信心を貫けば、過去に積み上げてきた悪業を軽く受けることが出来るという御本仏(日蓮、曼荼羅)の慈悲によって成仏できる。つまり今受けているこの生命のときに、自分の抱えてきたすべての罪障を消滅させ、最高の人生を送ることができ、また今世に限らず未来永劫にわたる永遠の幸せを得ることができるとの、それはそれは有り難い教えですよね。

    さて、ご覧のように、この「世界平和」も「人間革命」も、個人の「宿命転換」によってなされるというのが創価の教えであることは納得できますよね。でもこの「宿命転換」の「宿命」って何でしょう?この質問の意味がピンと来た人は、もうおわかりですね。「なんか問題でも?」と思った方は、よく考えてくださいね。

    そもそも、仏教では「宿命」を否定しています。わかりますか?そこのあなた、驚くようなことではないのですよ。これは仏教の基本です。仏教は「この世に宿命など存在しない」という釈迦の卓見から始まっていることを忘れてはいけません。つまり「人間革命」「宿命転換」と叫んだ瞬間に「オレは仏教なんか信じない」と宣言しているようなものなんですよ。「そんなばかな」と驚いているあなたはこの先も読んでくださいね。

    仏教の教祖はゴータマ・シッダールタというインドの小さな国の王子様だということは誰でも知っていますよね。日本では中国名で釈迦と呼ばれているわけですが、その釈迦はそれまでのインドの思想界に蔓延していた超越的存在を否定し、現実世界をあくまで理論的に見つめ直し、この世界のすべてが因果律という法則の元に一時的な縁に触れて成立しては壊れていく実体のないものだということを悟りました。釈迦のこの悟りが仏教思想の根幹をなしています。このやがては必ず消え去っていく実体のないものに執着する人間自身の心が「苦」を生み出すのだということに気がつきます。釈迦は徹底したリアリストの思想家でした。このあたりのことを話し出せばきりがないので、すっ飛ばしますが(笑)、この釈迦の思想が、日本に伝わるまでに様々に解釈が変えられ、それこそ数えきれないほどの考え方と宗派が現れては消えていきました。いわゆる部派仏教と大乗仏教の対立はその中でも大きな位置を占めますが、言葉の印象から、何かしら大乗仏教のほうが部派仏教(後の小乗あるいは密教系)よりも優れた考えであるかのようにも思われていますが、実際はそうではありません。これも話し始めるときりがないんですっ飛ばします。

    思い切りすっ飛ばしたところで結論から言いますと(笑)、そもそもありもしない「宿命」を「転換」するなど、おおよそ仏教の考え方ではないということです。学会員さんにとっては実も蓋もない話ですが、これって仏教の基本ですよ。宿命を転換するために、何かにすがりつく。そのすがりつく心こそが「苦」を生み出しているというのが本来の仏教の考え方なんですね。

    奈良時代に仏教が日本に伝えられ、南都六宗という形で国家が仏教を管理していました。寺は国立でしたし、僧侶は国家公務員のようなものです。中国では天台や伝教が中国仏教の集大成を行い、それを学んだ最長や空海というスパースターがその後の日本の仏教を決定づけました。それからいくつかの政変を経て、世の中が乱れ、人々の暮らしが悲惨でままならない状況に至った鎌倉時代に仏教のニューウェイブ運動が起り、それまでの仏教とは全く違う、新仏教が生まれました。それが臨済宗や曹洞宗の禅宗、浄土宗や浄土真宗や時宗などのいわゆる念仏宗、そして最初からかなり異端で過激な日蓮宗。日蓮宗はニューウェーブ系でもことさらハードコアなぶっ飛び野郎だったんですね。

    こうした鎌倉時代の新仏教が、今日の日本のいわゆる制度仏教のベースになっているわけですが、そんな中、日蓮宗のなかでもさらに特異な考え方と動きをしてきたのが日蓮正宗でした。とにかくこれだけ変容し、分裂し、多様化してきた仏教の教義をすべて否定して、自分のところだけが唯一正しい仏教だという創価の考えもここからきてます。もうすでにここで創価の仏教が本来の仏教徒は全く違うものだということがわかりますよね。

    で、話をもとに戻しますと、最初に釈迦が「宿命なんてないんだよ、そんなもんに囚われちゃ不幸になっちゃうんだよ」って言ってきたことと、いつのまにか、まったく逆の教義にしてしまっているのが創価学会だということを、きちんとわかっておく必要があると思うのです。「それでもかまわない、自分が信じているのは釈迦でも仏教でも日蓮正宗でもなく、創価学会だ。池田先生なんだよ。それに何か問題でも?」というのなら別に何も言いません。ただその池田先生が掲げてきた「宿命転換」を信仰の目的にする考え方というのは、イスラム教やキリスト教などの一神教の基本であることも知っておいて欲しいですね。

    「えっ、そうなの?」って思った方は、もう少し読んでくださいね。この世は超越的存在である神がつくった。すべては神の思し召し。私たちは神の慈悲によって存在し救われる。神の御心によって汚れた私たちを救ってくださる。という考え方がなければ「宿命転換」は成り立たないんですよ。「宿命転換」という考えは、自分の力ではどうしようもない宿命が前提になっていることはわかりますよね。すると当然、それを救ってくださる神の存在を信じることが不可欠になってきます。「いや、宿命とは自分が過去に犯してしまった罪業という原因にある。自分がつくった原因を自分で解決する。それが日蓮仏法だ。誰にもすがったりはしないし、何の矛盾もない」と、あなたはきっと反論するでしょ。

    じゃあ、その解決法を作ってくれたのは誰なんですか?誰があなたに宿命転換の方法を教えてくれたんですか?地区部長ですか?(笑)伝え聞くところによると日蓮さんでしょ。日蓮さんは、自分が魂を墨に染め流してつくったらしい曼荼羅に、この世の法則の名前である妙法蓮華経に南無しますと繰り返し誓うことによって、過去世の悪業をチャラにしてくれると言ったんでしょ。どこが自分の力で解決する方法なんですか?釈迦滅後、後の五百歳に現れた末法の御本仏であると自称する日蓮さん(ちょっと計算が合わないのですがそれは置いていて(笑))が「みんな僕の書いた曼荼羅にお題目を唱えるだけで、何でも願いが叶っちゃうよ〜」って言ったことを、700年後に生まれてきたあなたが信じてやってることは、どう考えても日蓮さんを「神」として崇める一神教であり、その形式にも理論にも仏教のぶの字もありませんが、どうしてなんでしょう。

    この世は全知全能の神ブラフマンがつくった。釈迦はそのような当時のインドの土着信仰に疑問を持った。人々がなぜ苦しんでいるのか。この世を神がつくったというのなら、なぜ神は人をこんなに苦しめるのか。人間が生老病死という根本的な苦しみから逃れられないのはなぜなのか。釈迦はインドに伝わる様々な思想を学び、悟りのための伝統的な苦行を徹底的に実行し、そして心身ともに極限状態になるまで自分を追いつめ考えに考え抜いた結果、そんな修行など何の意味もないことを悟り、この世に神など存在しないということに到達します。この世のすべてには原因があって結果がある。この世はその因果律という法則によって成り立っているのであって、なにがしかの神の意志によって人の運命が左右されているのではないという「悟り」に到達します。あるのは原因と結果。それも縁に触れて生じる一時的な現象であり、それは一瞬たりとも定まることのない幻のようなものだ。そんな幻に囚われている自分を客観的に見つめ、何が大切なのかを見極めることが苦から脱すること、幸せになること、つまり成仏することなのだという。ちなみにこのすべては幻だということを見極めるには、それ相当の心身の鍛錬がなければできない。その方法として瞑想という具体的な身体論を展開したのが禅宗ですね。

    学会員さん、もともと仏教は何かにすがるようなものではなかったのです。それが天変地異や度重なる大飢饉などで世情がとても不安定になり、何かにすがらなくては生きる希望さえ持てない鎌倉時代の必然的な要請のもとに出てきたのが念仏宗と日蓮宗でした。ご存知のように念仏宗では阿弥陀仏、日蓮宗では曼荼羅。念仏やお題目を唱えることで前者は来世に、後者は今世に幸せになるという希望をもたせることができたわけです。

    こうして見ると、鎌倉時代のニューウェイブ仏教の中で、本来の仏教の教えを踏襲しているのは、かろうじて禅宗だということがわかります。そしてご存知のように、禅宗からは、侘び寂びといった精神性とともに、茶道、華道、能・狂言といった日本を代表する高度な文化が花開きます。ですから創価のように他宗を否定するということは、日本をはじめ、世界中の文化を否定することでもあるということも知っておくべきでしょうね。

    さて、ここで問題です。

    「功徳」とは何でしょうか?

    思いがけずラッキーなことに出くわすことが功徳でしょうか?思い切ってたくさん財務をしたら、上司に認められてボーナスをたくさんもらえたことが功徳でしょうか?医者から治らないと言われた病気が治ることが功徳でしょうか?ほんとはもっとひどいことになっていたかもしれないことが、意外にそれほどでもなかったと思えることが功徳なのでしょうか?愛する家族が思わぬ事故で亡くなっても、まじめにこの信心をしていたからきっと成仏したんだと思えて悲しまずに済むことが功徳でしょうか?愛する人の突然の死に涙一つ流さない人間になることが功徳なのでしょうか?2500年前に釈迦はそんなことのために一生をかけて何度も死ぬ思いをして悟りを得たと思いますか?

    もし今、釈迦が生きていて、学会員さんが「功徳だねえ。よかったねえ」って喜んでる姿をみたら、きっと呆れ返るでしょうね。「君たち、僕の言ったこと全然わかってないじゃん。ってか、真逆やってんですけど〜。僕はね、そんなもんに執着してるから不幸になるんだって言ってるんですけど〜」って言うんじゃないでしょうか。

    学会員さんは、自分たちが本当の仏教徒であると自慢しながら、教祖である釈迦を見下してます。日蓮がほんとの御本仏であって、釈迦はプレ御本仏だと教えられているからです。五重の相対とかで、釈迦の位置づけを天台以下のとても低いものだと教え込まれているんですね。ではその五重の相対って誰が言い出したんですか?自分が一番偉いんだっていうことを日蓮さん本人が言ったまでのことでしょ。それぞれの比較の設定(内外とか種脱とか)が正しいことの根拠がないことに気がついてました?これって「オレがこの世の法理だぜ。だからオレの言うことを信じなさい」って屁理屈並べてるんじゃないですか?また言いますけど、大川総裁と同じことを言ってるんですよ(笑)。

    まずは、創価の信心は少なくとも仏教ではない。実際の中身は一神教とよく似ている。かといってキリスト教やイスラム教のような一神教は永遠の生命論を説かない外道だと切り捨てる。じゃあ創価は仏教でもキリスト教でもイスラム教でもなくて、いったい何なの?ってことになりはしませんか?でも創価のご本尊は日蓮正宗の曼荼羅の修正カラーコピーだし。

    幸福の科学とどこが違うんですか?って訊いても「あんなのと一緒にするな」というでしょう(笑)。でもあんまり違いはないですよ。まあ、大きな違いがあるとすれば大川総裁は自分自身が自分こそが神(実際にはエル・カンターレ)だと言ってるとこですかね。そんな全知全能の神が、自分の美人秘書との浮気が奥さんにバレて、一億円の損害賠償と離婚訴訟を起こされて、それに対して奥さんが家庭を顧みないで教団のお金で放蕩三昧したことで一億円の損害賠償訴訟で訴え返すといった、すごく人間的なことをするのが可愛いですが(笑)、これって美人秘書との浮気ひとつとっても池田氏とそっくりなんですけどね。
    カルト宗教の教祖って驚くほど似たようなことをやりますよね。

    またまた長くなってしまって申し訳ないです。もうちょっとで終わります(笑)

    学会員さんにとっての「功徳」とは、自分が信じるための都合のいい「物語」なんだと思います。現実と、自分の信心が正しいんだということを結びつけるためにつくりあげる「物語」ですね。物語だから、どんなに荒唐無稽であってもいいわけです。原因と結果を信仰の物語によって結びつけて納得したい。そうやって自分で自分に言い聞かせてる。だから自分にどんなことが起っても、それがいいことであれ悪いことであれ、みんな自分にとってのラッキー。学会員の功徳って、自分を洗脳するラッキー物語何だと思います。そして自分のラッキー物語が語れるのは、すべてが信心のおかげ。まわりが何を言おうが、自分にとってはすべてが池田先生のおかげなんですね。逆にそうでも思っていなければやってられませんからね。だから会合に集まっては「功徳だねえ、良かったねえ、頑張ろうねえ」って言い合いながら、疑問を吹き飛ばしてるんですよね。

    本来の仏教で言う功徳とは、そんな安直なラッキーアイテムであろうはずがありません。強いて言えば、この世の無常を見抜き、強欲に執着する自分の姿を真正面から見据え、その執着から逃れることで、自らが生み出す苦しみから逃れられた様を功徳と呼ぶのではないでしょうか。そんなもの徒然草にだって書いてあります。もう遥か昔から日本人はそういう制度宗教に依らない悟りのようなものを身につけていたと思います。「ありがたい」とか「かたじけない」とか「もったいない」とか「おかげさまで」などなど、これと言った信仰の対象はなくても、日本人の生活習慣に自然にしみ込んできた宗教観こそが、日本人の仏教であり、外国人が驚くほどの日本人の「おくゆかしさ」の由来ではないでしょうか。学会員さんには、功徳欲しさに見失ってしまった日本人のもつこの「おくゆかしさ」を取り戻してほしいと思います。

  22. 創価の教えだと
    「日本人は島国根性で嫉妬深い」
    「だから誰も素直に入会しないし、偉大なセンセイも評価されない」
    だそうですよ。
    またものすごく勝手な理論ですこと。

    そんなに日本に誇りが持てないなら出ていけば?と言いたくなりますね。

    私はこの言葉を未来部から幾度となく聞かされましたが、子どもに平気でこんなことを吹聴する神経に今さらながらゾッとします。

  23. シニフィエさんの時々の仏教に関するお話改めて勉強してます
    宿命転換に関しても私自身昔から思ってたことは、宿命転換なんて、まず自分の人生の先が死ぬまで見えていたらそりゃぁ、宿命転換できたと、その時々に思うかもしれませんが、毎日がリアルな現実しかわからないのになぜ宿命転換できたとか確信もって言えるのか不思議で仕方なかったですね
    いわゆるマインドコントロールによる思い込み、学会指導のまやかしなんですよねぇ
    それが証拠に自分の身内の不幸さえ、粛々と受け入れなければならなかった先生じゃないですか。総帥としてどこに宿命転換された姿を示されたのでしょうか
    功徳や宿命転換なんて甘い言葉に騙されてはいけませんね
    所詮は人間が考え出した言葉を、人間が信じているだけではないのですか
    題目唱えて何事も解決するなら、憎みあうこともない、争うこともない、病人も居ないもっと平和な世界になってるはずですよ
    いつか飛行機の窓から下界を見下ろしほんとに小さくなった街や山をみたとき、ふと頭をよぎりましたね

     人間ってほんの一瞬地球上に間借りしているだけなんだと

    大事な一生、短い一生を馬鹿げた団体にささげるのは取り返しのつかない悔いの残る人生間違いなしですよ皆さん

    それと話飛びますが、宗教批判の原理というのは誰が考えたんですか
    そもそもこれがおかしい。誰が何を基準に考えたんですか

  24. いろんな方面からのアンケートの結果によると、日本人が「自分は無宗教だ」という回答は、およそ70%だそうです。単純に人口で計算すると、ざっと8400万人の人がとりたてて宗教をもたないと答えているということになります。でも、日本人は無宗教とはいっても、クリスマス、バレンタインデー、お彼岸、お盆、初宮、七五三、結婚式、葬式、法事、祭り、地鎮祭、還暦、節分などのイベントや儀式。また、神棚、仏壇、地蔵、慰霊碑、厄よけ、家内安全、交通安全、合格祈願、お守り、ジンクス、占いなどの文化様式に関わっているわけで、これは日本人が制度宗教とは関わっていなくても、生活の基本に宗教が深くしみ込んでいるという、これもひとつの宗教のあり方であると言えます。

    以上は、前から何度も紹介している『いきなりはじめる仏教入門』の一部を要約したものです。

    このように、日本人の宗教観というものは、けっして廃れたのではなく、○○宗とか○○教といった既存の制度宗教にはよらなくても、なにかしら超越的な力に対しての畏敬の念と言いますか「自分が他者によって生かされていることのありがたさ」というものを感じながら生きているというのがおおかたの日本人の宗教観ではないでしょうか。

    以前、創価では、こうした宗教的な関わりを節操のないレベルの低い宗教観だとして批判してきました。日蓮正宗以外の宗教は、人を不幸にする邪宗だということで、地域のお祭りに参加することも許されないし、神社の鳥居をくぐっただけで罰が当たるなどと言われてきました。強引に折伏した他人の家に勝手に上がり込んで、神棚や他宗の仏壇を焼き払う「謗法払い」をやっていましたね。近頃は、さすがにそうしたことが人間関係を悪くすると考えたのか、ずいぶんと緩和され、強引な謗法払いはしないようにとの打ち出しがあったり、地域のお祭りに参加することを止めなくなりました。昔はクリスマスのパーティもダメだったし、子どもが修学旅行のお土産に買うような観光地のお守りさえ御法度でした。「忍耐」とか書いてある達磨の置物なんかとんでもないといった感じでしたね(笑)。でも、これが昔の話とはいえ、年配の学会員さんにとってはいまだにこのような「邪宗アレルギー」はしっかりあります。私にもありましたので、近頃は意識的にお寺や神社や教会にも足を運んで、伝統的な宗教に対してのアレルギーを払拭するように心がけています。幸いなことに、仕事でも、そうした機会が多いので、教会の神父さんやお寺の住職さんにお話を伺ったりするのが、以前は考えられないほど楽しみになってきました。

    学生の頃に、日本でも有名な神社の息子が同級生にいたのですが、創価脳の私は平気で「国家神道ってさ、結局戦争に利用されちゃったんでしょ。日本は神の国だなんて国民を洗脳する道具にされちゃったんだよ。そんな宗教を信じてどうすんの?」なんて、若気の至りとはいえ、それはそれは生意気なことを炸裂させていましたね(笑)。いま思い返しても恥ずかしいかぎりですが、年配の学会員さんは、今でもそのレベルで真顔で話をされますよね。他宗のお寺に関しても気味が悪いだとか、念仏は地獄行きだとか、おそらく死ぬまで生理的に受け付けないでしょう。

    そんな極端に偏った宗教観を信者におしつけてきた創価ですが、結局その目的はと言えば、信者からお金を巻き上げるためだったわけです。創価は学会以外の人に対しては、できるだけ人畜無害のいい顔をして、あたかも世界平和に努力をしている真面目な団体を装っていますが、いったん入会した信者を創価脳に仕立て上げたら最後、徹底してお金を搾り取ります。他宗批判は、ほんとに他宗を批判しているのではなくて、学会員を創価脳に仕上げるための手段にすぎないわけです。そのために日蓮の排他的な選民思想はまさにうってつけだったわけで、こういうことを考えても、いかに創価が人の信仰心を利用し、多くの人の人生を食いものにして私腹を肥やしてきたかがわかりますね。

    創価と関わりのない人から「そんなものに引っかかるほうが悪い」と言われれば実も蓋もない話です。しかし現実の被害が明らかになれば、そんなことを言ってられないほどの社会問題だということがわかるはずです。今や公明党は日本の政治を左右するだけのポジションになってしまいましたし、数は激減しているとはいえ、何も知らずに創価にあり金を貢いでいる人は、まだまだたくさんいます。これはあきらかに日本全体の深刻な社会問題だということを知ってもらわなければならないと思っています。しかし、創価の悪が明らかになっても、被害者自身に被害者としての意識がなければ何も解決しません。オウム真理教もそうですが、カルト宗教の問題はそこがやっかいですね。

    創価の目的はお金です。ですから会員がお金を出さなくなったら、その存在理由がなくなってしまうので解散するでしょう。

    財務ひとつとっても、会員から一円でも多く貢がせようと、あの手この手を使います。要は「たくさんお金を出せば出すほど功徳がある」ということをしきりに「指導」します。いろんな奇跡的な体験談を聞かせたり、財務をしてこれだけお金が儲かったとか、病気が治っただとか、とにかく特別利回りのいい定期預金みたいに思わせます。そもそも仏教のご供養はそんなものじゃないのですが、とにかく高額になればなるほど、その見返りは大きいということを信じ込ませるんですね。普通ならその時点で騙しだとわかるんですが、学会員さんは決してわからない。
    これも先に紹介した『いきなりはじめる仏教入門』に出てくるのですが、
    _______________________

    「ほかにも「無財(むざい)の七施(しちせ)」といった財産などまったくなくてもできる布施がありますよ。無財の七施として有名なのは、〈和顔愛語(わげんあいご)〉です。浄土真宗が所依の経典としている『仏説無量寿経』に出てくる言葉です。やさしい顔つき、親しみと愛情と思いやりのある言葉遣い、立派なお布施です。日蓮も、「親によき物を与へんと思ひて、せめてする事なくば、一日に二三度笑みて向へ」(『上野殿御消息』)と書いていますね。
    _______________________

    ほらほら、学会員さんが絶対正しいと言い切る御書にも、お金じゃないよ心だよって書いてあるじゃないですか。それを「とにかくたくさんお金出せよ」「出した分だけ返ってくるぞ」って言ってるのは誰ですか?(笑)

    「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財つませ給うべし」(『崇峻天皇御書』)

    これ、財務の頃に決まって座談会の教材に出てきますよね。ほらほら、日蓮さんも大切なのは心の豊かさであって、お金で福運は買えないって、お金なんかどうだっていいって言ってるじゃないですか。創価は日蓮さんの言う事も聞かないで学会員さんからお金を集めてるんですよ〜。

    学会員さん、学会活動は宿命転換のための仏道修行なのか、それとも学会員からお金をまきあげるための手段なのか。創価がどうしてそこまで「額」にこだわるのか、幹部の方に訊いてみてください。

  25. hikaru(ひかる)です。

    モニカさんはじめまして、先回の投稿は粗方打って、見直してから投稿しようと思っていたら、何かのはずみでぴゃ~と投稿してしまいました。
    まぁ、いいかと・・・。乱雑な文章で申し訳ありません。

    モニカさんの言われる事、最もで、解りやすいです。
    本当にそうですね。

    私は家族の中で一人入信しました。
    その頃の私は鬱状態で、とても弱っていた時でした。

    友人に勧められ、題目の力など全く信じず形だけ唱えたにもかかわらず、自分の中からどんどん生命力が湧いて来たんです。
    それが嬉しくてこの仏法には力があるんだ、南無妙法蓮華経ってすごい!!

    入信してからは数々の創価学会のおかしな事に疑問を持ちながらも、創価の中でできた友人に寄り添われ、

    「あなたの言ってる事本当ね。私たちはそうならないように気をつけて、宿命転換、人間革命していきましょう。」と20年以上前からそう話しながらやってきました。

    何一つ変わるどころか悪化しています。
    それに友人も信頼する人も、創価にいてこその人たちでした。

    通じないのです話が、私がどうしてそう思うようになったのかとか、理解する能力がまるで無いみたいに。  

    悲しいですね、でもそれが創価人なんだなと・・・。

    常に、私がこの人を救わなければという目線なので、愚人の話は聞いても仕方ないと思っているのでしょうか?

    話を聞いているようで、自分がこの人に何を言おうかしか考えてないのがわかりました。

    創価にいていい事もたくさんあって(体験)、それで最後の踏ん切りがつけれずにいます。

    でも、私はこれほど明らかに矛盾に満ちた創価思想、創価学会にはもう戻れません。

    脱会すると思います。

    どこで決断するかだけです。

    フゥ、これだけ投稿するにも、大変なのに、

    管理人様、皆様本当にいつもありがとうございます。

  26. 財務は組織に必要な経費なので、心ある方は協力してください。
    素直にそう言えばいいんですよね。
    それを「御供養です」だの「宿命転換できる方法」だのあくまで信仰心に訴えますよね。
    なぜならば
    「その方が破格にお金が集まるから」

    ただこれ、選挙に功徳があります同様、聖教新聞やSOKAネットや公式なものには載ってないのでは?
    池田センセイ自身の口からも然り。
    会合で盛り上がった時、登壇幹部が口頭で言う。
    それが伝言ゲームのようにあっという間に蔓延し、公式見解のように成立する。
    責任は誰も取らず、自己責任にできる。

    一切が巧くできてますよ。
    活動家の皆さん、どうか冷静に見てくださいね。

  27. >人は過ちを犯すし、自分は正しいと思っている。そういうものだ。自分は間違っているかもしれないと、行動を止め、考える勇気のある者によって歴史は変わる。歯止めとなる人間が少ないと、破滅に向う。歴史はそれを物語っている。

    作家の友人がツイッターでこうつぶやいていました。この友人はオウム真理教の信者だった若者をひきとり、根気づよくカルトによる洗脳を解いたり、死刑囚との徹底した対話によって、人間のもつ闇の部分をつきつめている方です。また彼の妻は学会二世で、結婚のとき自分と子どもは学会とは無縁だということを確約した上で結婚したので、創価の被害からはかろうじて逃れているそうです。しかし鳥居を決してくぐろうとしない妻の価値観は異常だと言っていました。そして生まれた時から、それが正しいと植え付けられ育った人間は、周りが何を言ってもどうしようもないと。

    歴史を学ぶということは、過去の事実関係を知るということではなくて、自分たちがどんな未来を作っていくのかということを模索するために学ぶのだと、あらためて思います。歴史を学ぶことによって、「もしかしたら自分は間違っているのかもしれない」ということに気がつくかもしれません。20世紀がそろそろ過去の歴史になってきて、私たちが生まれ育った時代に客観的な視点ができあがろうとしています。二つの世界大戦が、日本にとって何だったのか。そのとき日本人はどのような価値観を与えられ、どのような生き方をさせられてきたのか。そのとき「自分は間違っているかもしれない」という考えをしていれば、もしかしたら歴史は変わっていたのかもしれない。それは政治家だけの問題ではなく、私たち一人ひとりの切実な問題なのだと思います。

    学会員の皆さん、自分が絶対に正しいと信じている創価学会が、ほんとうに間違っていないのかを考える事は、決していけない事ではありません。許されないことではなく、むしろそうやって常に「自分は間違っているかもしれない」と考える勇気をもつことのほうが、自分にとっても、まわりの人にとっても、そして未来を背負う子どもたちにとっても、なくてはならないことなのではないでしょうか。

    創価を疑うと罰が当たる、不幸になる。なんの根拠もない、ただその一点の恐怖心が、あなた自身を思考停止に追いやり、真実に目を向ける事を拒んでいるのかもしれません。自分の価値観やこれまでの人生が間違っていたということを認めるには、ほんとうに勇気のいる事です。しかし、間違ったままで、騙されたままで一生を終えるのと、辛いかもしれないけれども、過ちは過ちと認めて、真実にしっかりと目を見開いて、これからを生きていこうとすれば、きっと本当の自分を取り戻せるかもしれません。

    「自分は間違っているかもしれない」と考えることは、人として正しい事なのです。勇気のある立派な事なのです。そう考えることができなくなったとき、自らを破滅に追いやってしまいます。自分はなぜこの道が正しいと思っているのか、なぜ他の道が間違っていると思っているのか、自分で考えたことがありますか?それは誰か他の人から言われたことを、たいした理由もなく、いつのまにかそのまま信じているだけではないですか?絶対的に正しくて確実に幸せになれる方法があると信じている自分に何の疑問も感じないですか?それはそう信じたい自分がいるからではないですか?そう信じたほうが楽だからではないですか?

    一度だけでも「自分は間違っているかもしれない」と真剣に考えることは、真の意味で自分の幸せについて考えることなのではないでしょうか。

    創価学会の指導を思い出してみてください。結局組織の言う事は、常に「何も考えるな」「疑ってはいけない」「信じて突き進みなさい」ということの繰り返しではありませんか。そこに何の疑問も感じませんか?なにか疑問があったり、不安な表情を見せると「信心が足りない」「お題目をあげよう」「とにかく信じて」をしきりに繰り返す幹部しか出てきませんよね。「自分でよく考えて」「自分を信じて」という言葉は出てきません。常にあなた自身が否定され、何も考えずに組織の言うことを信じて行動すれば幸せになるんだ、功徳がもらえるんだということしか言いませんよね。それでいいんでしょうか?人から言われたことに従うだけの人生。自分で考えることをやめてしまう人生。功徳という実体のない幸せだけを求める人生。そうやって一生を終えることに何も疑問を感じない自分の価値観であることに、一度でいいから「自分は間違っているかもしれない」と考えることがあってもいいのではないでしょうか。

  28. 非活一年になる婦人部です。
    ようやくしらゆり長交代になりそうで、これから幹部の方が家庭訪問に来ます。
    夏休みで、子供がいるっつーのに。

    役職には降格はないので、地区副になるようで
    面接を兼ねた訪問になるのでしょうか?

    夫は(結婚の時に入信済み)、活動もしていないのに
    役職あがるなんておかしいね、と言ってくれてます。
    ホント、役職なんていらないです。

    でも、そういったやりとりにエネルギーを消耗したくありません。
    気力もありません。

    とりあえず、引き受けるしかないのかな。
    (何もする気はありませんが)
    様子を見ながら、支援活動、新聞、財務から手を引いていきたいです。

    ああ、心臓がバクバクして、過呼吸になりそう・・・。

  29. hikaruさん、焦らずピンとくる時に静かに辞めればよいですね。
    家族がらみじゃないところが救いだと思います。

    先のコメントを書いて、そういえば創価ってヤバいことは一切公式見解、発表はしてないなあと改めて思いましたね。
    私たちがいくら、ああ言ったじゃないか、こう教わったと糾弾したところで、当の創価は公式にはそんな実態は残していない。

    「財務をすれば二倍、三倍に戻ってくる」
    「法戦の功徳は絶大」
    「会館の掃除をしたら豪邸に住める」
    「宿命転換したかったら新聞配達」
    そんな公式なものは、一切出してません。
    すべて盲信幹部に言わせてるんですよね。
    責任はすべて末端幹部。
    彼らが勝手に言ったこと、というわけです。

    他宗は邪宗だとか、御本尊の定義だとか、トップはまずいことは次々と絶版にし、完全になかったことにしています。
    証拠も責任も、とっくに手離しています。
    逆にいつまでも大切にし、叫び続けているのはあくまで末端。
    こどれもこれも、いつの間にか末端の単独指導にされていますよ。
    故に責任は創価に非ず、すべて自己責任というわけですね。

    創価が過去の発言あれこれを、撤回しても謝罪しない、なかったことにするのは当然です。
    ワルが筋書通りやってることなんですから。
    最初から確信的にやってることを、なぜ謝罪しない、説明責任はどうしたと言われても…。

    今もおそらく、急速に崩壊しつつある先を見越して、資金の確保、自分たちの身の安全を万全にし、証拠を握らず責任を末端に押し付けるべく、準備着々ですよ。

    気がついたら、首脳部はすっとぼけていなくなり、トップの悪行まで懸命にフォローして回っていたお人よしの末端が、犯罪者のような目で見られるかもしれませんよ。
    太刀打ちできる相手ではありません。
    脱会して、資金と無償労働の提供を止めること。これが唯一の方法ですね。

  30. 私は娘がキリスト系の学校に進学して、
    キリスト教の片鱗に触れられたことで、
    思考的にとても自由になりました。
    創価学会を離れてもやっぱりリアルな問題は
    避けて通れません、生活、子供のこと、将来……。

    でもいろんな物の考え方に触れることで、試行錯誤を自由に
    進め、自分なりのことの当たり方に向かえると思うのです。
    目に見えた功徳を追求するあまり、制約にとらわれ、
    自分とはかけ離れた生活行動をすることに問題があり、
    結果的に心身を病んでしまうことは当然の結果だと思います。
    うまくいかない人生でも、様々な物の見方で社会を見渡せたら、
    それで気持ちが広がるなら、人から言われようといいのでは。

  31. はじめまして。
    学会二世。東京の学舎出身、白ゆり長をしています、虹と申します。

    4月あたりから、ずっと読ませて頂いてました。時に大きくうなづき、時に涙しながら、熟読してきました。

    管理人さんはじめ、お忙しいなか投稿してくださる皆様、本当にありがとうございます。

    私は、婦人部になり10年になります。女子部でもそれなりの役職だったため、婦人部になってすぐ、役職がきました。
    新聞の戦いが始まるとき、自己目標を発表しなければならず、絞り出すように、6ポイントと言ったら、地区婦が吹き出しました。(少ないって意味です)
    新聞〆日に拠点に行ったら、目標に何十ポイント足りない、という流れから、贈呈の名目で幹部が多部数自分で取ったり、来てない副役職の人の批判は始まるわ、まさに地獄の様相でした。
    選挙の際には、私の住むマンションを一緒に回らせて、と地区婦から言われ、固まりました。まだ私は住みはじめて何年も経ってないんですよ。

    そして、女子部時代からたまっていたものが吹き出して、活動をストップしました。そのとき、とあるアンチサイトと出会い、悩み苦しみ怯える私を温かく励ましていただきました。今でも、そのサイトの管理人さんには感謝の気持ちで一杯です。

    でも、その後非活生活は長く続きませんでした。二年でした。
    子供が病気を持って生まれたのです。私は、自分のせいだと、自分が活動をやめたからだと、自分を責めました。
    そして、偶然道で出会った地区婦に声をかけられ、幹部に指導を受けましょうと言われ、言われるがままにしました。
    そのときは、子供のためにできることは何でもしようと思ったのです。

    ○○ちゃん(子供の名前)は、あなたに信心を教えるために、あえて病気の体で生まれてきたのよ、本当に使命のある子なのよ。あなたが今立ち上がらなくてどうするの。と言われました。
    そして、私はまた組織に戻ってしまいました。

    長年、非活の主人は、そんな私を温かく見守ってくれています。
    バリの母には、私が非活になったことは一切打ち明けてません。必死に話題を合わせてきました。

    組織に戻って、やるべきことは新聞、選挙、婦人部総会に友人を誘う、財務…という抵抗あることばかりです。
    やりたくない気持ちを勇気を出して伝えたら、「戦える自分にさせてください、とまず祈っていこうよ」と言われました。

    集団的自衛権の件で、疑問が沸々と湧き、とりあえず静かに非活の道を歩もうとしています。

    こちらには、レモンさんはじめ、現役で役職を持っていらっしゃるかたも多く、本当に心強いです。

    これから、宜しくお願いします。

  32. 虹さん
    はじめまして。二郎と申します。この話↓、よく聞きますよね。

    >○○ちゃん(子供の名前)は、あなたに信心を教えるために、あえて病気の体で生まれてきたのよ、本当に使命のある子なのよ。あなたが今立ち上がらなくてどうするの。

    うちの近所にも同じような人がいます。2人の子供が、両方とも障害を
    持って生まれ、それから頑張って活動するようになりました。
    創価なんて、活動してもしなくても何も起きませんからご心配なく。

    創価の本尊を燃やした人がHPにそのことを載せています。
    8年たった今もぴんぴんしているとの事です。罰も功徳も宿業も一切ありません。
    http://s.maho.jp/homepage/f57f9ac0183295be/

  33. 虹さん、はじめまして。コメントありがとうございます。
    二郎さんの仰るとおりです。創価学会は宗教ではありません。ただの詐欺団体です。私もそのことに気がついてから、ご本尊こそもらったお寺に返しはしましたが、仏壇はハンマーとノコギリでバラして、燃えるゴミに出しました。あたりまえなんですが罰なんてありませんよ。第一、ボロクソに批判している日蓮正宗のご本尊を無断で外側の表装もまるごとスキャンして、パソコンで修正したデータを出力したものをカラーコピーで大量に印刷したものに、何かしらの力があるなんて、普通は思うわけないんですが、学会員さんは、それを拝んだら幸せになれると、本気で信じているんです。
    問題は、ご本尊に力があるかどうかではなく、こんなものでも信じて疑わない学会員さんの思考停止状態にあります。どんな不条理なことにも、全く疑うこともなく組織の言われるがままに、お金を差し出してしまうことです。

  34. エレナさん、はじめまして。

    私も非活になる時、地区婦から言われました。
    「白ゆり長は正職だし、負担なら地区副に上がれば楽になるわよ」
    冗談じゃない、活動に疑問を抱いたから降りたいのに
    なんで役職を上げるんだー!

    降格はないんですね(泣)
    副白ゆりに戻してくれって言ったけど
    あれは無駄だったんだ・・・

    一つの区切りとして、地区副への話を持ってきたら
    「降ろしてもらえないなら辞めるしかないですね」って
    退会手続きに踏み切ろうと決めてます。

    心臓バクバク、わかります!もうあんな不安感は味わいたくない。
    なんとか落ち着いた生活を確保したいですよね。

    虹さん、はじめまして。

    マンションのローラー作戦、ヤング時代に支部責と本責のママさんに
    命令が出ていました。
    自分が住んでいるマンションでそんな事できないと嘆いていました。
    その後どうなったか聞いてみたら
    結局一軒も開けてもくれなかったと。
    (当たり前ですよね、非常識過ぎ!!)

    お子様の話を読んで、腹立たしさで一杯です。
    せっかく非活になっても、悩みが出てきた時に
    その隙に付け込むように入り込んでくる!

    先日、主人に話していたところなんです。
    自分がどうなっても大丈夫と言えるけど
    いざ、我が子に何か起きたら
    私は創価に引き戻されるかもしれないと・・・
    主人に「バカ言うな!」と一喝されました。

    でも母親にとって我が子に何かあるのは一番耐え難い事です。
    そこに使命のある子だの立ち上がるだの
    無責任な事言うんじゃない!と言いたい。

    虹さんが一度組織の異常なノルマ活動の内容に疑問を抱かれたのなら
    それが正解なんです。
    また戻ってしまっても、心が苦しいならその場所は居場所じゃない。
    今はありがたい事にこちらのようなブログもあります。
    病気に関しても、専門のサイトもあるし
    治療法を探す事もできる。
    同じ病をもつ家族の会などもたくさんあります。

    私自身、持病を抱えています。
    思春期に信心を寝ていた時に悪化し
    それがきっかけになってしまいバリ活になりました。
    しかし思い返してみれば、そこに功徳なんてなかったです。
    ただ活動にのめり込むことで、前向きにはなれました。
    病にとってそれは良い作用があったのでしょうね。

    私はネットを通じて同じ病を持つ仲間と交流して
    実際にも会い、情報交換や親交を深めました。
    その人間関係の方がずっと自分には大切な働きをしました。

    どうぞ優しい旦那様・お子様との大切な時間を最優先で
    お子様にママの温もりをたくさんあげてください。
    お子様にとってママの愛情が一番です。
    私は病気で悩んでいる時、母に傍に居て欲しかった。
    私の為と言って選挙活動や家庭訪問でいつも留守だった母でした。
    活動なんて家族との大切な時間を奪うだけです。

    偉そうにゴメンなさい(^_^;)
    病気と活動をつなげる指導に腹がたってしまって・・・

  35. わたくしの過去友人だったひともそうでした。。
    自分の子どもが鬱になり創価学会により病を克服してから、それまで熱心でなかった学会活動に積極的になりました。。

    母は子どもの悩みに弱いです。。
    多分、いま非活の人も子どもに何かあったら揺らぐかもしれません。。

    でも、創価学会の活動をすることが、その解決方法とは思えません。
    却って子どもの障害や病いに依りより有意義に子どもとの人生を歩まれている方もたくさんいます、創価学会のまやかしの活動に頼らなくても。。

    負けないで。。。
    としか言えませんが。。

    エレナさん、その後如何でしたか。。?
    わたくしのときも役職を一切ゼロにしたかったのに、できずはがゆく感じました。
    きっと、そのことも非活に拍車をかけたことのひとつです。まったくのまやかし、ですものね。。
    焦ることなく、一歩一歩でいいと思います。
    自分の気持ちに正直に従っていけば、意外とすんなりいくものです。

    それから体験があり創価学会をすべて否定できないとの旨を書かれたかたもいましたが。。
    わたくしも、創価学会により良い体験はありますね。
    それを何もかも否定する必要はないと思います。
    わたくしは、それは感謝の気持ちで終わらせました。。
    あれはあれで良かったのだ。あの時の自分があるからいまがある。
    だからこそ、いま気がつくことができた。。
    ありがとうございます。。
    THE END

    それで、いいと思います。。

    ちいさな体験に縛られ、これ以上創価学会という偏狭ななかに居続けるなんて人生が勿体無いです。
    創価学会に矛盾を感じつつ鬱々と居続ける人生でいいのでしょうか?
    自分を否定し続けていたら身体も壊しますよ。。

    そこから脱出することは逃げることではないと思います。
    自分の人生を取り戻すことであり自分が自分である、ということです。

  36. 二郎さん、signifieさん、ありがとうございます!

    二郎さんの紹介してくださった本尊破壊の画像は、正直今はまだ怖くて見れませんでした。

    でも、思考停止状態から、少しずつ動き出そうと思います。
    自分の頭で考える、自分の感覚を大事にする、という当たり前のことを意識的にやっていきたいと思います。

  37. 虹さんはじめまして。
    虹さんのお話を見ていると私の家族の話とダブります。
    家族の病気、甥や姪の病気や障害などのたび、幹部に同じことを言われ指導されました。
    信心してる人で病気や障害を克服した人って「治そう」という気持ちが強いから、治療の効果や自然治癒力が出てるだけなんです。
    子どもにとってみれば親が大きな存在で、親が「必ず治る」と強い気持ちでいれば、おのずと子どもも気の持ちようが変わります。
    私がそうでした。
    私の場合は病気ではなく事故でしたが、親が「あなたのことをみんなが祈っているのよ」よりも「あなたなら乗り越えられる」の一言の方が力になりました。
    「信心のおかげね」とか「功徳ね」とか言われますが、心のなかで「そんなことなら私は事故になんかあってないし、生活に制限がでるような状態にならないだろ」と突っ込んでます。
    信心で病気が治るなら医者も病院もいらないのに。
    今はバリ活の家族の病気が「信心のおかげ」や「功徳」で治るのか静観しています。

    学会員の方は良いことがあれば「信心のおかげ」、悪いことがあれば「信心がおろそかだから」という決まり文句しか返ってきません。
    そんな決まり文句より、努力を見てくれる外部の友人の方が私にとっては大切です。

  38. 虹さん、はじめまして。

    人の弱みに付け込む。いつもの得意とする手口です。
    子どもが生まれる前から
    「ちゃんとやらないと障害を持った子が生まれる」
    「そうなってからでは遅い」
    という脅し方もあります。

    生まれてきたら尚更、よってたかって言います。
    どんな子が生まれても、性格、何かのトラブル、受験…一生何でもかんでも信仰の結果にされ続けます。
    会合中に寝る、寝ないまで母親の信心のせいにされます。
    何ひとつ、まーーーーーったく関係ないのに。
    ただの手口です。

    そして例によってそう言うのは、心からそう思っている盲信幹部です。
    心から信じてるので、その人たちにとっては「手口」なんて意識はありません。
    本心からの誠意から言うわけです。

    ただ創価の公式見解に
    「子どもが病気で生まれてきたのは母親に信仰を教えるためです」
    なんてありません。
    幹部が勝手に言ったことになります。(言わせてるんですけどね)
    トップは責任など一切取りません。

    この一連の手口をどうか冷静に理解してください。

  39. 戸田城聖全集に子供の小児麻痺に関して次のような文章があります。
    「また小児マヒの子供をもっているとするのです。このなかにもいるかもしれませんが、これは原則論としていつもいっていることで、なおるか死ぬかのどちらかです。
    親が子に悩む宿命をもってきたのだから子供に罪はない。ところで折伏すれば小児マヒの子をもつ必要がないという宿習に変わる。子供はそこにおれないでしょう。
    するとどうなります。ちょうどシラミをもっていたとする、からだをきれいにしてシャツをきれいにすれば、シラミはどこかへ行かなければならなくなる。
    理屈はこれと同じことです。小児マヒにしても一つの魔ですから、その親のそばにいなくなる以外にない。ここが、いつも教えるところなのです。
    これ一つがわかれば、小児マヒの話は聞く必要はないでしょう。それを何べんでも同じことを聞く、ここらで小児マヒの話が出るとあっちでもこっちでもと…..。
    まるで小児マヒの病院へきたみたいなものです。本山だか小児マヒの病院だかわけがわからなくなってしまう。」

    これが創価の指導の原点です。こんなの宗教でしょうか?

  40. エレナさん 虹さん 
    はじめまして。

    エレナさん

    白ゆり長交代から地区副にということでしたが、役職が上にあがるというより、白ゆり長兼任の地区副でなければ、フリーになれますので、今までよりフェードアウトしやすくなると思います。

    なので、あまりその役職が云々・・・は気にしなくてもいいのではと思いますよ。

    でも、そもそも学会の役職なんてイラナイですよね。

    虹さん 

    お子さんのこと、母にとって、子供の事を言われると本当につらいですよね。

    子供が大事で大切な存在なのは、創価学会の信仰を信じている、信じていないとかは一切関係なく、世の中の親なら誰しも一緒です。

    でも、創価の婦人部は、MCされて信じ切っているから そこに創価の独特の指導をしてくるんですよね。

    良かれと思って「お子さんの悩みを解決するためにも、今回の新聞啓蒙ので戦いましょう!」とか「今こそ宿命転換しましょう」とか。。。

    私も信じていた時は、子供が幸せになれるようにと祈り、目の前の課題に挑戦しながら活動してきました。

    でも、それらのすべてが意味のない事だとわかった今は、あれほど唱題していたのに、勤行も題目も一切止めました。

    なので、虹さんが非活になった事とお子さんの事は一切関係ないですので、このまま意味のない活動を続ける事はないと思います。

    優しく見守ってくれるご主人とお子さんとの時間を大切にしてくださいね。

    組織で活動していない事を見守り受け入れてくれるご主人の存在。
    それだけで、心が休まると思います。
    そんな存在は、とても大切ですよね。

    私の場合は、周りがみーーんなバリ活だらけなので、創価とは無縁の私の実の姉妹と時々会って、他愛もない話をするだけで心がホッとします。

    組織の中にいると、常に新聞、祈伏、セミナー、選挙と戦い、戦いの戦闘モード。

    更年期と戦うだけで精一杯なのに、組織の戦いに挑む気力体力は残ってません。

  41. 虹さんへ

    私も、東京の学び舎出身です。
    きっと同じように悩んでいる同窓生は多いのでしょうが
    相談なんてできやしませんよね。

    覚醒しつつある今は、あのような環境にいたことを悔やむこともありますが
    それでも、やっぱり懐かしく大切な思い出もたくさんあります。
    だからといって、娘は絶対入れませんが(笑)

    マンションのローラーですか・・。
    私は、支部婦と社宅をやってしまいました~(泣)
    階段には会社で推薦してる他候補のポスター貼ってあるのに。
    で、そのことをトークで喋らされるというおまけ付き。
    ホント、夫には申し訳ないことをしてしまいました。

    私はずっとずっと
    「活動を喜んでできる自分になれますように」
    と祈ってきましたが叶いませんでした。
    創価風に言うと、まさに「意味がある」ということですね。

    学園の指針?だったかな
    「自分の信条を堂々と述べ、正義のためには勇気をもって行動する」

    私は、これを実行するのは、まさにこれからだなと思っています。

    しゅうえいさん、流れ星さん、ありがとうございます。

    昨日の家庭訪問では学会への不信感などは一切言わず
    「活動もしていないのに、役職があがるのはどう考えてもおかしい」
    「できれば、役職は全てお返ししたい」
    「薬も飲んでいるし、カウンセリングも受けている」
    ことを伝えました。

    「地区副になるのは、書類上のことでも苦しいか?」と聞かれ
    「はい」と答えたら
    「あなたの気持ちは良くわかりました。希望に添えるか分かりませんが
    上に伝えてみます」
    と言ってその場は終わりました。

    ただ、「あなたが純粋な信心を持っていることは分かっている。
    いつか戻ってきてくれると信じている」
    とまっすぐな目で見つめられたときは、心が揺らぎました(笑)

    「下ろしてもらえないなら、退会します!」
    そう啖呵が切れたら、ホントすっきりするでしょうね。(憧れます)
    それを言うには、しがらみが多すぎて覚悟ができましぇん・・。
    いえ、ただのヘタレなんですが。

  42. レモンさん、コメントありがとうございました。

    >白ゆり長兼任の地区副でなければ、フリーになれますので、今までよりフェードアウトしやすくなると思います。

    そうですね。幹部の方も、「フリーになった方が、気持ちが楽になるかなと思って」
    という話しぶりでした。
    レモンさんのお立場に比べたら、こんなことでピーピー言ってるのが恥ずかしいくらいですが・・・・。

    でも、そういうことやってるから、「圏副総合婦人部長?」とか、「県副総合婦人部長?」とか・・副のほかに、総合ってなんじゃらほい。

    一体何者なんじゃ?っていう上の方たちが余ってしまう(笑)結果になるんじゃないかと考えると、ホント気分悪いです・・・。

  43. まりこさん が書かれていたその指導ですが、息子が自殺した婦人部長から実際に聞きました。
    (4つ前にコメントした男子部員の話です)
    その婦人部長は、「病気の子を持つという宿業が切れて、戸田先生の御指導とおり息子が亡くなりました」と晴れ晴れとしていました。
    自殺したのは選挙期間中だったので、「法戦の陣列から離れることなく闘えます」とやっていました。
    自殺した男子部員は精神病だったのですが、本当に異常なのはこの婦人部長だと思いました。有名な指導みたいですが、恐ろしいですね。

  44. まりこさん本当にすごいですね

    えげつない話、指導ですね宗教者どころか人間と思えんな!!!!!

    こんな者が学会の原点でっか、あきれてものが言えんな、あほらしい!

  45. 人生のやり直しさん、コメントありがとうございます。申し訳ありませんが、初めてコメントする方は、入信歴や脱会のきっかけなど、自己紹介をされてからではないと、承認できないようになっています。よろしくお願いします。

  46. 親子になれるのは深いご縁があるから、だと想うのに。。障害、小児麻痺で生まれて来たからって、その子に罪はないのに、ほんと、その指導は心底ゾッとしますね。。

    それに秋生さんのお話し、あんまりです。。
    その男子部の苦悩がいかほどだったか、その息子と向き合うことなく自分に気休めを与えてくれる幹部指導だけ鵜呑みにして。。

    わたくしからしたら、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の世界です。。
    子どもをここまで苦しめておいて自分だけが救われようとしてる、その親の心のありよう、そもものが地獄の相、だと思ってしまう。。

    子どもを真剣に愛したことがあるのでしょうか?!

    創価学会には、そんな親が(親の顔したバケモノですよ)がごろごろ居るようですよね。
    正直、許せません。。
    腹立たしい、です。。

    ほんっとうに。。

  47. しゅうえいさん、流れ星さん、まりこさん、シャナナさん、モニカさん、エレナさん、レモンさん、みなさま、

    温かいコメント、ありがとうございます!
    本当の意味で、勇気が沸いてきます。

    エレナさん
    東京学舎出身とは!なんか嬉しいです。
    私は小学校からではなく、途中から入り、
    また出たんですが、「ここは幹部養成所か!」って
    思うほどミニ幹部が一杯でした。
    でも、周りの純粋さが羨ましくもあり、すっかり染まりました。
    外部受験のクラスにいましたが、部活も一切せず、先生の正義を証明するため、有名大学に合格することを我が使命としてました。
    そして、大学に受かったら、燃え尽きましたね。
    そして、また学生部の活動に没頭です。
    一年生の始めに、「本当の友人を作るために、学会宣言をしましょう!」と言われ、馬鹿みたいにやってましたもん。

    みなさん仰ってくださるように、主人・子供を大事にして、
    学会に、友人を巻き込まない、子供を巻き込まない、お金を
    落とさない、まずはここからやっていきます。

    そういえば、会合を休むときに「子供を理由にしてはいけない」 とも指導されました。はい、子供を理由になんかしません、嫌だからです!

    これからまた宜しくお願いします。

  48. 学会には文証にない、中間幹部が作った神話が残ってて
    それが指導になってたりするから、一層たちが悪い

    私も妻も変な指導されたこと多々あります

  49. シニフィエさん、せっかくのお題とは離れてしまう話になってしまっていたらごめんなさい。

    去年の7月、選挙が終わって2週間後。
    義父母が、大事故をおこしまして、生死をさまよいました。

    学会員ではありませんが、本当に理解のある義父母で
    新聞でも選挙でも何でも協力してくれたんです。
    「若いのに、信仰もってるのは感心や。一生懸命やりなさいよ」って。
    そんな、ほぼ内部みたいな二人が、再起不能の状態…(>_<)

    選挙戦を戦いきって、でた結果なんだから、必ず意味がある!変毒為薬だよ!宿命転換できるよ!
    みんな、同じことを言いました。

    母なんて、折伏してあげたいね!って。
    いや、事後処理やら手術やらなんやらで、それどころじゃないんすけど。
    車も、知らないうちに、任意保険を解約しちゃってて、単独事故じゃなかったら破滅でした。

    もしかして、これが功徳だったの?
    転重きょうじゅだったとか?

    娘に「私と選挙どっちが大事なの?」と言われながら大切な家族との時間をgiveしてtakeしたものが(ルー大柴みたい)これだなんて…。

    ブチッと何かの線が切れました。
    そんな中で、たどり着いたこちらのブログ。
    「私だけじゃなかったんだ」
    読んですぐに、非活の道を踏み出すことができました。

    こっちの方が、功徳かもです。

  50. 願いが叶えば『功徳』
    叶わなければ、『折伏が足りない』

    僕の一番好きな言葉・・等価交換、ギブアンドテイク。
    これだけの事を費やしたから、これだけの事が返ってくる。

    『それどころか、何倍もテイクが返ってくるよ!』
    これが創価の常套文句。

    『例え何もなくても、活動を積み重ねていけば、将来何かあった時の
    貯金ができるよ!』

    その言葉を信じて、年単位で活動を重ねていく・・その間も、新聞代は
    着実に徴収されていく。

    行き詰まる。
    あれだけ貯金しておいたはずが、なぜか口座が凍結されていて
    下りない。

    費やしてきた、お金、労働、時間が無駄だったと思いたくないから・・
    自分を納得させたいから、ワラをも掴む思いで指導を求める。

    そして、最高指導者である頂点のおじいさんは、こう言うのです。

    『そこには必ず意味がある』

    考えてみよう・・考えてみてくれ。。

  51. やまとだましいさんそれは池田にしても同じですよ
    よく先生は(戸田)は仰っていたとか、恩師は仰ったとか、ほんとかどうかわからないことをよく指導でいってますよね
    私など懐疑的にまた言ってるなと思ってましたね、文章に残っていないのにと?。誰も知らないと思ったらいい加減なものですよ
    そんな、こんなで組織もおかしくなっていくのですよ
    もともとおかしいんだけれどもね

  52. やまとだましいさん、そうなんです。
    実質ほとんどがそうです。
    先の戸田さんの指導のような文証は、とっくに絶版になってたり。

    公式にはおかしい指導なんて載せず、すましています。
    皆、創価を信じてるようで、会員が伝聞した都市伝説のようなものを信仰してるんですよね。
    文証となると、もはや通用しない折伏経典のようなものを未だ抱きしめてる人もいるし。
    そう思うと内容なんて適当でいいんですよね。
    信じてしまえば何でもキラキラに輝いて見える。

    正しいから信じるんじゃなくて、信じると正しく思える。
    これは何度も何度も思います。

  53. 最近は活動家と言われる人達でも、何かおかしいと気がつきはじめていますよね。
    でも、組織の運営がおかしいのであって、この信仰は間違いないという点は揺るぎないので、覚醒しようにも、覚醒のしようがないと思うのです。
    リアルではMC指導に会合漬け。
    退会者に対しては、誹謗中傷。

    真実はネットからしか伝わってきません。
    それならば、疑問を抱いたら、ネットで検索すればいい、ネットから情報をいくらでも引き出せる・・・と思うのですが、これがなかなか簡単なようで簡単ではないようです。

    疑いを持たない人は、知ろうとする努力をしません。

    私自身の反省もふまえてですが、ネットは15年ほど前から趣味のHPを作ったりして親しんでいたのですが、創価学会を疑うような言葉を検索すらしたことがなかったのです。

    たまにSOKAネットで創価の歴史を読むぐらい(;´Д`)

    指先一つで、本当の真実を知る機会がいくらでもあったのに・・・・

    活動に疑問を持つ瞬間が度々あっても、自分が心の底から信じてきた全てが、根底から覆ってしまうのが怖かったのかもしれません。

    でも、色々な出来事が重なり、昨年あたりから徐々に覚醒していき、同時にありとあらゆるブログを貪るように読みまくるようになりました。

    シニフィエさんのブログも、そんな時に出会ったブログです。
    静かに創価の事実を語り続けておられるブログ姿勢に、心が救われた思いでした。

    創価学会は間違いなのだ!という事実がわかった時は、数か月は頭が混乱し、今でもスッキリ鮮明に覚醒!という訳にはいきませんが、長い年月MCされていたのだから、それも仕方ない、当然だと割り切るようにしています。

    変な例えですが、マラソンランナーが全力で走り終えゴールした後に、急に止まれないように、徐々に減速しながら創価とは決別して終わらせていきたい。
    今は、減速しながら終了に向かって歩いているんだと思うようにしました。

    今まで創価と共に歩んできた人生を全否定するのではなく、それはそれで仕方なかったのだと受け入れながら、今後は創価に利用される事なく静かに決別していこう。
    そうするためには、どうしたらいいのか。
    そんな事を日々考えながら、頭を整理している最中です。

  54. 子供の悩みを抱える親に対してつけこむような言動、
    生活苦の悩みに対して施しを与えることで組織票をえようという、
    およそ公明正大とはかけ離れた政治活動を行う政党と
    それに対して見返りを功徳とすり替えて支持する宗教団体

    戦後に恵まれた教育環境の中で育った若い人たちは、
    必ず自由に広がる視野に立って言動をすすめることが
    可能なはずです、私ももっと思考の翼を広げます。
    本当の民主主義はこれから…創価学会の思考には限界がきてる。

  55. レモンさんのおっしゃる
    >組織の運営がおかしいのであって、この信仰は間違いないという点は揺るぎないので、覚醒しようにも、覚醒のしようがないと思うのです。

    こういう人は多いかと思うんですが、これも
    「揺るぎないのは、この信仰」
    ではなく、実は
    「そうなんだと決めてる本人の思い込みが、揺るぎない」
    だけなんですよね。

    「御本尊様は絶対」
    じゃななく
    「絶対と信じている自分の思いこみが絶対」
    なんですよね。
    これに気づいてほしいです。

    心理学を利用しているだけだと思います。
    信じていた時は曼荼羅を見ただけで涙が出たり、センセイの姿を見ただけで感動に包まれた、とかありましたよね。
    ただの紙切れやおじさんが、ですよ。

    信じようと信じまいと力があるなら、まーったく信じてなくても祈りは叶うはず。
    そんなことありません。
    センセイの書かれた和歌や詩やスピーチは、誰に聞かせても感動するはず。
    そんなことありません。
    祈りが叶うのも、スピーチ原稿や和歌で心を動かされるのも、あくまでMCされた人限定です。

    大切なのは、まず催眠にかかることですよね。
    強情な思いこみです。
    そうすると、あら不思議。
    紙切れが絶対になり、ただのおじさんが特別な人になります。
    信ずることなくして信仰はできませんものね。

    宗教ってみんなそんなものかもしれませんが。

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