脱創価学会への道

現役活動家のショウさんとの対話がはじまりました。これまでにない注目が集まっています。しかし、このことにばかり特化してしまうと、これもまた論点を見失ったり、覚醒はしたものの、脱会できない複雑な状況や、恐怖心に苛まれて悩んでいる方の行き場がなくなってしまいます。そこでこのページは、ショウさんとの対話とは直接関係のないところでの話をする場所としてコメントをいたたければと思います。創価の間違いに気がつきました。非活宣言できました。新聞やめました。脱会宣言できました。御本尊処分しました。などなど、近ごろ嬉しい報告もけっこうあります。それだけでも、悩んでおられる多くの創価被害者の方にとっての大きな希望の光となり、生きる勇気の源になっています。ちょっとした気持ちの変化や、まわりの人の様子の変化でもかまいません。脱創価へ向けて、こんなふうに変化があったという具体的なお話をぜひ聞かせてください。よろしくお願いします。

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脱創価学会への道」への56件のフィードバック

  1. 25日付けで、脱会届けを提出し、配達記録には本部に『配達済み』となってましたが・・・

    「脱会しました」ことで、皆さんからこんなにも喜んでもらえるとは、本当に心強いし、感謝でいっぱいです。
    こちらを見ている創価学会の監視は「また、一人脱会者が出てしまったか」と苦笑していることでしょう。
    私がこんなにも早く脱会を決意した理由は、モニカさんのいう通り
    >揉め事は、むしろ曖昧にしてる方が起きるです。
    地区婦に「うつがひどく、活動休みます」と伝えてましたが、
    活動予定の連絡はきますし、事情を知らないG長や新聞長やら、担当幹部やらは、連絡なしで、家庭訪問にきます。
    その度に、うまく理由をつけてごまかしていく。静かにフェードアウトは難しいし、何より拒否反応があるから、耐えられないのです。
    今のところ仕事をする予定もない、一時は引っ越しか?とまで悩みました。
    そんな必要ない!ただ脱会するだけ、毅然とした態度を示す必要がある。
    「私の人生に創価学会は必要なし」と心は決まっていたからです。
    本当に『心から信じていた』のか、と自問自答したところ、『信じてなんかいなかった』ただMCによって『信じていたようにみえた』と気づきました。祖母からの信心で三世でもあるから、なおさらです。

    地区婦より、ブロックの皆さんの送迎したり、感謝されてきたよね、善を尽くしてきたのに、辛かったの?只只、貴女の苦悩がとれ、幸せを祈ります。
    とメールが。
    本部長にも伝えたのに、反応なし。
    辞めていく人はもういらない~って諦めたんですかね。
    普通は、早急に連絡きてもおかしくないのですが、結局そんなものと証明できますね。

    両親との問題、組織は別な地域ですが、連絡いきますでしょうか。
    今日は、ママ友さんでもある支部婦が話かけて来なかったので、地区婦より連絡済みかな?は、これも悩みましたが、
    あなたの人生は貴女のもの、私の人生は私のもの、ごく普通のママ友さんでいられればいいのですがね。と思っています。

  2. すみません。
    テーマに沿うかわかりませんが、ちょっとグチらせてください。

    地区婦が党員費を集めにきたんですよ。
    私は元々党員ではないのですが、バリの旦那の分を毎年党員費を払ってます。
    ですが、別に何があるというわけでもないので、
    「会合とかあっても参加できてないんですけど…」
    と言ってみました。

    そしたら
    「辞めるには次の人を見つけないといけないんだけど」と言われました。
    えぇー、ナニソレ??

    つまり党員も各地区何名とかってノルマがあるって事ですよね?
    一人年間3,000円の党費をとり、一体何人が党員で、どのくらいのお金が集まってるんでしょう?

    いざ選挙になれば、陣中見舞いと言ってまたお金を集めます。
    ホントにウンザリです!

  3. 昔むかし、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。二人とも歳はとっていましたが、飲むだけで元気になるという噂の薬を毎日飲んでいました。おじいさんはそれを薬だと思っている。もちろんおばあさんも同じようにずっと薬だと思って飲んでいたのだけども、なかなかこれといった効き目がないものだから、なんかおかしいなと思い始めました。そして同じようにその薬を飲んでいた近所の人に訊いてみたら「あれは薬じゃない。何にも効かないよ。まだ飲んでたの」と言われました。

    おばあさんはビックリして、他の多くの人にも訊いて回ったのですが、みんな「あれは薬なんかじゃないよ。みんなそれがわかったから、あの薬屋には行かないようになった。行ってるのは何も知らずに薬だと信じている年寄りだけだよ」と言っていました。それでおばあさんはよくよく考えてみることにしました。自分のこれまでの体験にも照らし合わせてみたところ、それが薬じゃないと仮定したら、みんなつじつまが合うのでした。そこでおばあさんはおじいさんのことを思って「それはじつは薬じゃななかったんだよ」と言いました。

    おじいさんは思ってもみないことを言われたのでビックリすると同時に、おばあさんは頭がどうかしたんじゃないかと心配になりました。ついこのあいだまで一緒にこの薬を飲んでいたのに、なんで今さらそんなことを言うのかわかりませんでした。おじいさんは薬屋から「これは絶対よく効く薬です。でも元気になると信じて飲まなければ効きません。効き目を疑ったりしてはいけませんよ」とくりかえし言われてきたことを思い出して、薬をやめようとはしませんでした。おばあさんはそんなおじいさんの姿を見て、なんとか薬をやめさせなければと思い、客観的な証拠をたくさん集めておじいさんを説得しようとしました。しかしその薬を疑うことで効き目がなくなることを恐れたおじいさんは、おばあさんの話を聞こうとはしません。かえってそこまで言うおばあさんは自分のことを嫌ってるんじゃないかなどと疑心暗鬼に陥ってしまいました。

    そんな態度のおじいさんを見て、おばあさんはとても悲しくなりました。「おじいさんはどうして私の言うことを信じてくれないんだろう」とさらに考えました。そしておばあさんはこう思ったのです。「おじいさんは薬を信じているのではなくて、薬をくれている薬屋のことを信じているんだわ。だから薬が効いてなくても効いているような気になってるのよ」。おばあさんはその薬局のことを調べました。するとその薬局では、お客さんに「これはよく効きます。でも信じなかったら効きません。それに効かないと文句を言ったりしたら、今まで飲んだ薬の効き目もなくなってしまいますよ。そして薬を飲むのをやめたりでもしたら、病気になってしまいます。初めから飲まない人よりも悪くなるんです。ですから絶対この薬はやめないでくださいね。はい、今月のお薬代1万円」。

    おばあさんはビックリしました。「薬を飲まない人よりも具合が悪くなるだなんてどういうことでしょう」おばあさんはますますこの薬局は怪しいと思って、さらにいろいろと調べてみました。するとこの薬局はときどき薬の内容を変えていたのです。つまり仕入れ先ともめて、いままでの薬が仕入れられなくなったものだから、その薬の成分表を仕入れ先から盗んで、自分たちで勝手に薬をつくって売るようになりました。お客さんには「こんどお薬の中身が変わりました。今度の薬はもっと効きますよ。じつは今までの薬にはちょっと問題があったので、私たちでもっといい薬を開発したんです。今までよりちょっと高いんですけど、安心して飲んでくださいね。私たちがいい薬を作ったものだから、いままで作っていた仕入れ先が私たちのことを妬んで、あることないこと言ってますけど気にしないでくださいね。それから、飲んだことのない人にも紹介してくれたら、この薬はもっと効きますよ。これはそんなとってもありがたい薬なんです。でも効き目を疑ったりしたら毒になってとっても苦しみますから注意してくださいね。はい2万円」。

    もうおばあさんはビックリ仰天です。ただの薬屋が、勝手に薬までつくって売ってるのですから、それは驚きます。これでその薬屋が完全に怪しいことがわかりました。「やっぱりこの薬屋は効きもしない薬を客に騙して売りさばいて金儲けをしているんだ」おばあさんはやっと気がつきましたが、おじいさんにそのことをいくら話しても聞こうとはしません。おじいさんはそんな話を聞いたら、今まで飲んできた薬が効かなくなるどころか、病気になると思って怖がっているからです。そしておじいさんは、あろうことかおばあさんが自分を病気にしようとしていると思い始めました。「こんなばあさんの話なんか聞いてられるか」と、あんなに仲の良かったおじいさんはおばあさんを憎むようになってしまいました。おばあさんは途方に暮れます。「おじいさんのためを思ってここまで言ってあげているのに、どうしてわからないんだろう。いままで何十年もいっしょに暮らしてきた私をさしおいて、あんな薬屋の言うことを信じるなんてあんまりだわ」おばあさんも、いいかげんおじいさんを嫌いになり始めました。

    おばあさんは、その薬を何十年も飲んできました。その薬を飲んで来たからこそ、たいした病気もせずに、おじいさんと仲良く暮らして来れたと、その薬に感謝もしていました。でもよく考えてみると、この薬のおかげで元気だった証拠なんてどこにもありません。それにこの薬をやめてずいぶんとたちますが、体調の変化もありません。ただおじいさんのことが心配で、不眠症になったぐらいです。そこでおじいさんが飲んでいる薬の成分が何なのか調べてみました。そしたらなんとただの小麦粉だったではありませんか。おばあさんは愕然としました。「私とおじいさんは何十年も何千万円も出して小麦粉を飲んでいたんだ」おばあさんは気が遠くなりそうでした。

    そこでおばあさんは気を取り直して、もう一度よく考えてみました。「おじいさんはどうしたら気がついてくれるだろう?」「もし自分がおじいさんの立場だったら?」「みんなどうしてあんな薬屋の言うことを信じてしまうんだろう?」いろんな疑問が次々に湧いてきました。そしてこう思いました。「みんな何かを信じている。何かを信じるには、それなりの理由があるのだけど、それは科学的な根拠だとか、目の前の事実だとか、そんなものは理由にならないんだ。どんなことであっても、いったんその人がそれが正しいと信じれば、その人にとっての真実になってしまう。たまたまこの薬を飲んだときと、病気が治ったことが重なって、この薬のおかげだと信じきってしまうのも当然だわ。だってそう信じたいんだから。信じるって、信じたい気持ちが、ものごとをそんなふうに見せるのね。でも、この世の中に何があっても動かない絶対的な真実なんてありはしないとお釈迦さまも言ってた。あるのはその人にとって都合のいいことを真実だと思い込んでしまうこと。それこそが人間の不幸の原因であり、不幸の始まりなんだと、2500年も前に教えてくれてる。だからまわりからどんなにあからさまな間違いを指摘されても、それが何を意味するものかがわからなくなるんだわ。おじいさんの都合では、あの薬屋の言うことが真実だから、それと違うこととなると、私がどんなに間違いである事実を言っても聞かない、聞こうともしないのは当然なのよ」おばあさんはそう納得してはみたものの、それではおじいさんを救えない。原因がわかったところで、このままじゃおじいさんはただの小麦粉に大金を払い続けることになる。それよりも何よりも、このままでは私とおじいさんの仲が壊れてしまう。私は優しかったおじいさんと一緒にいつまでも暮らしたい。なんとかしておじいさんの優しい心を取り戻さなければ…」。

    おばあさんはおじいさんを説得する材料がないか、さらに調べました。その薬局のことも。そしたら、その薬局の社長がどうもそうとうな悪人らしいのです。その社長は自分のところの薬が効くことを客に信用させるために、ただの小麦粉を薬だと騙して売ったお金を使って世界中の著名人と会ったりしているところを写真に撮らせて、それらを載せた会報を有料でお客さんに売っていました。ただの小麦粉に高い値段をつけて売っているというのに、さらにそのお客さんの家族や友人知人にもその会報を購入させているのです。お客さんを自社の商品の販売員としてタダ働きさせているのでした。お客さんは、自分が飲んでいる薬が効くようにと、その薬を売ってまわります。どこまで欲深い社長でしょう。ところがなぜ会報を売ったら薬が効くのか、なぜかお客さんは何の疑問も持ちません。それはそういうものだと信じているからです。お客さんは薬が効きさえすれば何だってする気持ちになってしまっています。お客さんにとってはもはや理屈などどうでもよくなっていることに、おばあさんは恐ろしいものを感じました。

    それからその薬を飲んでいる人同士を集めて、その薬や会報をたくさん購入するにはどうしたらいいかを相談する会合を開くようになりました。たくさん薬を売ったお客さんが体験発表をして、まだあまり売れてない人を激励するようになりました。そのうち、あちこちにそんな集まりができて、お互いに競争するようになり、それがだんだんエスカレートしていくと、あろうことか売れなかった会報をひとりで何冊も買う人が出てきました。もうおばあさんは開いた口が塞がりません。薬が効くようにと会報を何冊も買う人の気持ちは普通の人には理解できません。でも、そんなことを言っても、お客さんたちは何の疑問も持ちません。それで自分が飲んでいる薬がいっそう効くのだと本気で信じているからです。おばあさんは思いました。「人間、信じるものを間違えると大変なことになる。もしかしたらおじいさんも一生このまま小麦粉を飲み続けて死んでしまうかもしれない」。おばあさんは寒気がしました。

    さらにその薬局の社長が今何をしているのか気になりました。なにしろ自分の大切なおじいさんに、バカ高いただの小麦粉を飲ませ続けているのですから。すると、どうもその社長は近頃人前に姿を見せないのだそうです。もうかれこれ4年半も。おばあさんはおかしいと思いました。「会社の社長が4年半も社員の前にすら顔を出さないなんてあるかしら。でも病気じゃないと言うし、あいかわらず会報には大量の執筆をしているし。でももっとおかしいのは、そんな社長のことを社員もお客さんも誰一人として心配していないことよ」おばあさんは、何かあると思いました。「社長がいなくても、この薬屋はどんどん小麦粉を売りさばいているし、社員も何一つ文句も言わずに働いている。会報には薬を飲んで幸せになったお客さんたちの満面の笑顔がびっしり載っているし、社長の文字だけのメッセージには、なぜか大昔の社長の写真が載っている」おばあさんは思いました「あまりにも不自然だわ」。

    ある日のこと、おばあさんは結論を出しました。「おじいさんに正気に戻ってもらうには、この私を信じてもらうしかない。はじめから理屈なんかじゃどうにもならなかったのよ。私はおじいさんに元気になってもらいたい。以前の優しかったおじいさんに戻って欲しい。おじいさんは自分が信じているものを私が否定したから私を嫌って、ますます私のことを信じられなくなっているんだわ。だから私は何があってもおじいさんを信じなくちゃいけないの。私までその小麦粉にふりまわされてなんかいられない。私が大事なおじいさんを信じていけば、きっといつかおじいさんもわかってくれる日が来る」

    それからおばあさんは、その薬の話はいっさいしなくなりました。おじいさんの言うことにいちいち反論したり、冷たくしなくなりました。そしたら次第に優しいおじいさんに戻ってきました。おじいさんは優しくなったおばあさんの変化に少し気がつきましたが、薬をやめようとはしません。おじいさんにとって、おばあさんと薬はなんの関係もないからです。

    おばあさんは何事もなかったように、優しくおじいさんに接しました。おじいさんも何事もなかったように、仲良く暮らしました。それからさらに20年の月日が流れ、いよいよおじいさんの寿命が尽きようとしています。もう動けなくなったおじいさんに、いつもかいがいしく面倒を見てきたおばあさんも、別れの覚悟を決めるときが来ました。

    「ばあさんや、わしもいよいよお迎えが来たようじゃよ。いままで本当にありがとう。いろいろ世話になったな。贅沢はさせてあげられなかったけど、こうして今までたいした病気もせずに、事故にもあわずに生きてこれたのは、ばあさんのおかげだよ。感謝してるよ。ありがとう」

    「いいえ、おじいさん。私こそ、いままでほんとうにありがとうね。私はおじいさんと生きてこれて幸せでしたよ。途中でいろんなことはありましたけど、おじいさんを信じて生きてこれた私は幸せでした。ほんとうにありがとう」

    「それとわしがこうして元気で来れたのも、若い時からずっと飲み続けてきたこの薬のおかげじゃよ。この薬にも感謝しないとな。まあ、ずいぶん高い薬ではあったが、命には換えられんものな」

    「そうね、感謝しなくちゃね。ほんとにいい人生だった。私もすぐあとから追いつきますからね。また一緒にくらしましょう」

    そうやって、ふたりは最後まで心を重ねたまま幸せに生涯を全うしたのでした。

    ただひとつ、おばあさんはおじいさんに言わなかったことがありました。それはおばあさんが薬の正体に気がついた20年前から、あの薬を別の小麦粉にすり替えてきたことでした。

    チャンチャン(^^)

  4. シルバニアさん

    党員の件ですが、ノルマというよりも前年度より減らさないようにとは言われています。
    なので、シルバニアさんの地区婦さんは、そのように言われたんでしょうね。

    それにしても、次の人を見つけないと辞められないって言い方は、あんまりな言い方ですね。

    だいたい前年度より減らないわけないですよね。
    非活も増えていますし、何よりこれだけ衰退しているのですから。

    「今年は無理です」で断って全然大丈夫ですよ。

    党員費も、財務のように一世帯で活動家の人数分払っている人も多いので、家計に大きな負担になりますね。

    組織のほうは、青年男女もいなくなりましたが、いわゆるヤングミセスと呼ばれる人達も消えています。
    統監上にはいますが、ヤングの活動家はいなくなり組織では見かけなくなりました。

    私がヤングの頃は(20代から30代前半)ヤングミセス時代に代配や白ゆり長を経験していましたが、今は白ゆり長が60,70代という所が多いです。

    代配も初老の人ばかりです。

    壮年は、さらに深刻です。
    地区部長以外の活動家は、殆どどこの支部も居ないのが現状でしょう。
    B長不在とか返り咲きでフリーの人が入ったり・・・

    私と組んでいる地区部長は、今年の初め地区部長になったばかりの人です。

    男子部から壮年にあがった後に数か月だけB長をやってすぐに地区部長になりました。
    最初は勢いがあったのですが、男子部だけの戦いをこなしていた時と、4者全体を見ていくのとでは、全然違います。

    創価の現実を目の当たりにして、だんだんと元気が無くなってきたように感じています。
    男子部から壮年部にあがってきてすぐに感じるギャップでしょうね。
    思い通りにならない老人部員さんたちばかりを相手にしていて、エネルギーを吸い取られているようです。

    そして、新聞の多部数、財務、民音、党員、陣中見舞い、これ等の全てに地区ノルマがあることを最初は知らなかったのです。

    純粋で人の良さそうなショウさんの文面を見ていて、私と組んでいる地区部長とが少し重なってみえました。

    男子部時代は、年の近い男子部と活動したり広宣流布を語り合ったりして、遣り甲斐もあり、創価を疑う余地はないのかもしれません。

    いつか、ショウさんが壮年部へ移行してきたとき、その時に「あれ?これって本当に宗教なのか??」と思ったときに、創価についてもう1度調べてみてもいいかもしれませんね。

  5. 凛々子さん
    脱会おめでとうございます。

    私はここ1ヶ月くらいで、覚醒しました。新聞も財務も断りました。

    離れて暮らしている姉に電話をして、話をすると何年も前に、姉夫婦もとっくに学会活動をやめているとのことで、びっくりでした。
    義理兄が、学会に不信を持って、いろいろ調べたようです。
    ただ、うちの母や義理の母のことがあり、まだ脱会はしないとのこと。
    私は今すぐにでも脱会したいですが、
    もう少し待ってみたら?と言われています。

    いい人もいますが、たまに非常識な婦人部の方がいますね。
    何年か前ですが、私が睡眠障害になったとき、体調が悪いのでアポなし訪問はやめてください。配布物はポストに入れておいてください。と
    お願いしたのに、1週間くらいでピンポン、ドンドン、さくらちゃーん、とドアを叩かれて、しかたなく開けると
    たいした用事ではなく、座談会のお知らせなどでした。

    たまたま、タイミングの悪い人だったんで、
    昼間やっとうとうとして眠れそうな時に、ピンポンされていました。一度、イライラするとまったく眠れなくなり、辛かったです。
    「夜まったく眠れなくて体調が悪いんで」というと、「お題目おくるね♪」と、軽いノリでした。

    先日も親戚のおばさんと玄関先で立ち話をしていると
    通りかかったその婦人部の方が、つかつかと割って入ってきて、
    ごめんね、これ渡すだけだから。と、学会の小冊子とカードをわざわざ広げて
    渡してきました。
    親戚は、あの人学会の人?ずうずうしいおばさんみたいね。と言っていました。

    アポなしで来るし、空気読まないから
    友達のいるときでなくて良かった。と、ホッとしました。ママ友には学会宣言してないので。

    一生懸命なのはいいですが、
    配慮のない人はほんとうに、嫌ですね。
    愚痴になってしまいすみません。

  6. このお話を読んで思ったんですが、夜こっそり御本尊を取り換えてみてはどうでしょう。
    どこかの書道家にそっくりに書かせたものとか、或いは日顕さんのものに取り換えるとか。
    きっと「やっぱり創価の御本尊はスゴイな!祈ると清々しくなる」と変わらず体験発表を続けると思います。

    ところがこっそりじゃなく、堂々と日顕さんのに取り換えると反応は違います。
    「そんなものに祈っても不幸になるだけだ!」

    また、カラーコピーしたものでも「大丈夫なんですよ」と安心させると、皆信じます。(実際信じました)

    カラーコピーを、「そんなことはやっちゃいけない!」とトップが指導すれば、皆そうだ、とんでもないことだ!と思います。

    違いますか?
    信じるってそういうことですよね。

  7. さくらさん、それは愚痴ではありません。正統な批判です。(笑)

    レモンさん、いつも貴重な情報ありがとうございます!
    創価の現場の実態は、現場の学会員しか知らないですが、創価の上の実態は現場の学会員も知りません。単純にこれが理想的な宗教団体の姿だと言える神経が理解できません。また、そう言うと、中にはそんないけない学会員もいると必ず判で押したような言い訳をしますが、そんな理想的な宗教が750年も昔からあるというのに、どうしてそんな心ない学会員さんがこれだけたくさんいるのかという答えにはならないと思います。
    「事件は現場で起きてるんだ!」ってドラマがありましたが、学会員さんが闘っているのは、平和な世界の実現ではなくて、単に創価の組織を存続させるために無数にでてくる歪みを取り繕っている姿にしか見えません。レモンさんがおっしゃるように、男子部はまだ男子部の組織の中で生き甲斐に思えるような場面もあったりしますが、あのしょぼくれた壮年部の顔ぶれを見れば、創価がどんな団体かがよくわかりますよね。

    私が非活になった頃、よくアポ無しで家にやってきていた壮年部の地区部長がいました。家だろうが仕事場だろうが、時間もまったくお構いなしでした。家の前に1時間ぐらいは平気で待っている人です。待っている間、何かをするわけではなく、じっと突っ立っているだけなので、ほんとに気味が悪かったです。ここではいろいろ言いませんが、完全に洗脳されていましたね。創価のためには人殺しでもする勢いでしたよ。気味が悪かった。目がイってました。その人を数日前に街中で見かけました。もうかれこれ10年ぶりでしょうか。ほんとにしょぼくれて、すぐに本人とはわかりませんでした。ホームレスのように汚れて、背中を丸めてうつむいてトボトボ歩いていました。創価の強信者の結末だなと思いました。もちろん、たまたまその人がそうなってしまったのかもしれません。それは創価であってもなくても、そうなったのかもしれません。でも、彼はことのほか真面目に熱心に活動をしてきたということも事実だし、今現在そんな姿であることも事実です。彼は趣味で絵を描いていました。ある公募団体展に出品していました。私が芸術関係の仕事をしていると知って、妙に「同じ芸術畑の人間だ」みたいななれなれしさと「お互い、芸術を通して池田先生にお応えできる人材になろうじゃないか」などと先輩風をふかせていました。自慢するわけでは毛頭ないですが、彼の趣味と私の仕事を同じレベルで考えないでほしかったです。言いはしませんでしたけどね。世の中のことをまったくわかっていないのに「自分は学会員だからなんでもわかっている」みたいな態度は我慢がなりませんでしたね。選挙となると「あなたのお父さんも私たちがこうして頑張ってなることができたのだから、今回はその恩返しだと思って、Fとり頑張ってよ」って、私の父は議員になりたくてなったわけではないし、おかげで私の家庭はいつも親がいませんでした。学会員さんは空気の読めない人が多すぎです。なのにこの信心さえしていれば、すべてのことはわかると思っている。「いろんなことを知らなくても山の頂上からはすべてが見える」みたいな、上から聞いてきただけのことを、さも自分の考えであるかのように言います。

    さくらさん、愚痴ってこういうのを言うんですよ(笑)

  8. signifieさん、昔ばなし お見事です。子供を寝かし付けながら
    大爆笑しました。 (^w^)
    作家の才能も 垣間見ました!?

    さて、「脱創価への道」ということで コメント致します。
    自分の場合、読書がきっかけとなり 覚醒出来ました。
    創価に入会して、10年余り経ったころから 創価学会の教学に違和感を覚え始め、「真理を教えてください」と 御本尊に真剣に祈りながら、ニューサイエンス、スピリチュアル系の本を 300冊位読みあさりました。牙城会任務中も、会合が少ない日は、電話番をしながら サンダーシング(クリスチャン)や、イスラム教のスーフィー関連の本などを読む 危険人物でした。
    残念ながら、signifieさんのように 優秀な頭脳を持ち合わせておりませんので、デカルトなどの哲学書にもチャレンジしましたが、全く意味がわかりませんでした。
    旧帝国大学の大学院を目指すべきでした。(苦笑)

    そうこう努力するうち、祈りが叶い(!?)、すばらしい本に出会うこととなりました。
    ニール ドナルド ウォルシュの 「神との対話」それと、
    マイケル J ローズの 「魂の絆」という本です。
    それまで疑問に思っていた全てのことが、まるで ジグソーパズルのピースがひとつずつ 埋まるように、頭の中で繋がっていきました。
    老子の 「弟子の準備が整ったところに、師匠が現れる」ということが 事実であると理解出来ました。

    創価の呪縛に苦しむ皆さん、上記の本は ものすごく深い内容について、非常に分かりやすく書かれております。
    一度は読まれてみて下さい。人生観が変わります。

  9. 凛々子さん、脱会おめでとうございます。もと学会二世で婦人部のぽんきちです。わたしも脱会して数ヶ月ですが、脱会届けを、本部に送ったあと、夫の了解も得て聖教新聞も辞めました。届けを送り辞めてからぴたりと家庭訪問も連絡のメールも一切こなくなりました。
    辞めた確認にさえ誰もきませんでした。
    正直、連絡が来なくなり、もう嫌で嫌でたまらないのに、無理に会合にいったり、報告しなくてもいいし、
    休みの日も自由に子供たちとでかけたり、楽しんでもいいんだと心底ほっとしました。
    それまでうつ病で体調不良で活動を休んでいるとき「しんどいので元気になればこちらから連絡をしますから、それまでそっとしておいてくださいお願いします」と 地区婦人部長に連絡しているのにも関わらず、白百合長が座談会のれんらくに家庭訪問、形式的にメールで日程だけ流してきたり、5時間唱題の報告下さいとか、同時中継に参加したかどうかの確認だったり、信頼関係もなにも結べていないのに、報告だけしてくれと、、。ほんとに精神疾患の会員に配慮のない組織だなぁと、つくづく思いました。そりゃ治るもの治らんわと、、今なら思えます。
    話しはかわりますが、この時期、財務の申し込みの期間なのですね、夫はまだ非活ですが学会に在籍しているので、家庭訪問も来なくて、メールで
    申し込みの確認だけ地区部長からきたそうです。それを聞いて、ほんとに活動してなくても、お金だけもらえればオッケイなんだなと確信しました。
    両親の地域は、活動家が高齢で減少しているらしく3ブロックあった地区が2ブロックに減少すると実家に帰ったときに母から聞きました。
    ジワジワと縮小していってるんですね。
    もう、選挙など利害関係なしにお付き合いできることが、嬉しいです。もともと、私はそんなこと大嫌いな性格なので嫌なことばかりを無理に納得させてばかりいたら、心のバランスおかしくなりますよね、、。

  10. モニカさん、ナイス!
    創価のカラーコピーの御本尊をファミマに持っていって、10枚くらいカラーコピーして、もとの御本尊と混ぜてもわからないと思います。さて、本物はどれだ?わかるわけないです。もともとみんなカラーコピーなんですから。ファミマで80円。創価では3000円という違いだけです。

    不思議ですね、信じているころは、失礼のないようにと息がかかるのも最新の注意をはらって、恐る恐る仏壇の開け閉めや、お水をかえたりしていましたが、覚醒してみると、ほんとにバカバカしくなります。ファミマでコピーだなんて、信じている人にとっては卒倒ものでしょうね(笑)。

    うちの実家の日達猊下書写の常住御本尊は、破門後も学会の御本尊として功徳があるのか学会員さんに訊いてみたいのですが、あいにくその機会がないんです。たしかに見た目は立派ですよ。ずいぶん線香の煙でいぶされてはいますけどね。ペラペラのカラーコピーとは違って、きちんと刺繍入りの布で表装されています。あ、そうか、今度ばり活の兄夫婦に訊いてみようかな?あ、そんなことを言うと、私が誰だかバレますね(笑)

    さっきのおとぎ話で書いたように、信じるってそういうことなんですよね。理屈じゃない。その人にとって真実だと思えればそれで成立するんです。イワシの頭もなんとやらって、昔の人はよく言ったものです。新興宗教でお金儲けをしている団体は、みんな同じように、同じことを言ったりやったりしていますよね。私の友人で幸福の科学にはまってしまった男がいて、ふだんはいいやつなんですが、信仰の話となると顔つきがかわります。そして創価のことをボロクソにけなします。私はヘラヘラと笑って聞いているだけですが、彼も学会員さんと同じようにこの信仰で必ず幸せになれるんだと力説します。でも二十年やっている彼は2度離婚し、今は年老いた母親と二人暮らしで、日々の生活するだけで精一杯の状況です。信じてしまえば現実も見えなくなるんですよね。

    別の友人に、私と同じ歳の学会員がいて、彼は非活の会員だったのですが、子どもが生まれるときに大変な難産で、母子ともに命が危ないと言われて、覚悟してくれと言われたそうです。そのときにまさに藁にもすがる思いで、それこそ死にもの狂いで御本尊に祈り、唱題を続け、結局は奥さんも子どもも無事だったのですが、その経験によって、かれは揺るぎない信心の確証をつかんだそうです。この信心があったから奥さんと子どもは助かった。逆に奥さんと子どもは命がけで彼を信心につかせたんだと。彼はそのように信じて疑いません。そのような経験によって、どんなに創価の不条理なことを聞かされても完全にスルーです。それまでは、私のほうが彼に「今度の選挙、頑張ろうぜ!」と言っていて、彼は「いや、僕はそこまで熱心じゃないから」って言ってたぐらいです。不思議なものです。彼の奥さんは難産だったが助かった。ここまでが事実です。それをどのように捉えるかで、人の一生が決まってします。彼がもし学会員でなかったとしたら、たとえば幸福の科学の信者であったら、幸福の科学の揺るぎない信者になっていたはずです。統一教会でも、キリスト教徒でも、イスラム教徒でも、きっとそのとき「どうか、妻と子どもを助けてください。助けてくれるなら何だってします」と真剣に祈ったでしょう。彼がどんな信仰を持っていたとしてもです。そして実際に助かったら、その信仰の敬虔な信者となったでしょう。それは彼の鮮烈な信仰体験として一生このことが原点となり、そして他の信仰を見る目を捨ててしまう瞬間でもあります。

    信じること。これは人間のもつすばらしい精神作用です。もちろん他の動物も、ある程度の知能があれば、この先に何が起るかを察知して、つまり未来を信じて行動します。しかし何かしら自然を凌駕する、絶対に抗えない力を信じるのは人間だけです。というか、今のところ人間がそのように思っているだけだと思いますが。その大いなる力を何と呼ぶかは、その思想、信仰によって異なります。ただ釈迦だけはそんなことは言わなかった。釈迦はどうやら筋金入りのリアリストだったようです。逆にそんなわかりもしない神の存在を信じるところに不幸の原因があるのだと。でも、日蓮は自分こそが神だと宣言した。その時点で日蓮は仏教ではないし、仏教以外の宗教に追随していることはあきらかです。妻と子が救われた経験をした私の友人が、たまたまそのとき信仰していたものに祈った。それは基本的に仏教の信仰ではないということです。何かに救ってもらう。そのかわり無条件に信じる。辛いことも頑張る。そうしたギブアンドテイクの契約をする。これをしたからこれをくれ。これをしなかったらこうなる。人の弱みにつけこんで、そんな交換条件的な思考を植え付けられるんです。創価だけではありませんが、信仰体験とはおおかたそうしたものですよね。宗教は奇蹟が大好きです。何があってもこの信心をしていけば自分だけは助かる。そんな奇蹟が起る。そんなふうに考えたくなる。もしかしたらこの信仰で奇蹟が起きるかもしれない。この信仰に出会えた時点で自分は選ばれた人間なんだ。そうやって、新興宗教には必ず終末思想がついてきます。近いうちに地球が滅びる。大三次世界大戦が勃発する。未曽有の大災害が起る。しかしこの信心さえしていれば救われる。オウム真理教もそうでした。世界のカルト宗教はたいていそうです。そうやって世界には集団自殺へと信者を導く教祖が驚くほどいます。
    何かを信じると言うことは、素晴らしいことでもある反面、恐ろしいことでもあるのですね。

    さて、先に書いたおとぎ話で、何も知らずに逝ったおじいさんは幸せだったのでしょうか。何も知らせずに送ったおばあさんは幸せだったのでしょうか。信じるって何でしょう。おばあさんはおじいさんの幸せについて考えに考えた結果、一生ウソをつきとおす決心をした。おばあさんはおじいさんが真実を知ることで、必ずしも幸せにはなれないと思った。おじいさんにとってはただの小麦粉でも、それを幸せになる薬だと信じることが幸せだった。おばあさんは、真実はどうあれ、おじいさんの幸せを願いました。でもおじいさんには騙されっぱなしになってほしくなかった。だから小麦粉の薬をこっそり違う小麦粉にすり替えることにした。それがおばあさんのおじいさんに対する尊厳であり愛情でした。そしてそれがおばあさんにとっての幸せでした。私、じつはこれを書きながらも、このラストは考えていませんでした。とりあえず書いていれば出てくるだろうと思いながら書いていました。なんとなく最後はおじいさんも真実がわかるという予感の中で書き進めていくうちに、信じるって何だろう、幸せって何だろうって、あらためて考えました。そしてこのラストになりました。

    では、創価学会の信心はどうなんでしょう。御本尊がカラーコピーでも、教義がコロコロ変わっても、師匠が顔を見せなくても、同じ新聞を何部買わなければいけなくても、毎年持ってるお金を搾り取られても、選挙でよくわからない候補を支援しなくてはならなくても、幸せな気持ちで過ごせれば、それはどうでもいいことなのでしょうか。それを正しいと思えるのであれば、中身がどんなものでもかまわないのでしょうか。

    では、学会員さんはほんとうに自分は幸せだと心の底から感じているのでしょうか。あの話の中のおじいさんもおばあさんも、お互いを信じあって生きてこれたから幸せだったわけです。なにも薬を信じたから幸せになったわけじゃない。つまり幸せは人を信じるところにあるのではないかと思いました。このブログでも、活動家さんが口を揃えて言うのは、学会員同士の人間関係に魅力を感じたからだと。そこだけは譲れないと。そこが信仰のモチベーションになっています。自分のことはどうでも、信仰している家族や仲間のことを悪く言うのは許さないと。一方、教義の真偽に関しては多くを語りません。でもいつのまにか、この信仰だからこそ、この人との絆があるんだと思い込んでしまっています。逆にこんな絆があるのだから、この宗教はまちがいないという考え方です。そんなの理屈になっていません。だからそんな自分の信仰の原点である絆を批判されるから頭に来るのです。そんな人との絆とこの信仰は関係ないですよと言っても、絶対聞く耳はもちません。それは創価に限ったことではなく、他の宗教や新興宗教だって同じことです。宗教だけではありません。公民館の文化サークルでも、公園に集まるママ友さんたちのおしゃべり仲間であっても、それを「くだらない」と批判されれば、誰だって頭にも来るでしょう。

    ただ創価の場合は、あきらかに不幸な人をつくっている。このことにさえ盲目になってしまっているところが問題だと言っているのです。赤の他人がコピーだろうがイワシの頭だろうが信じるのは勝手です。でもそのことを他人に強要し、嫌になってやめようとした人間を恐怖心でしばりあげて、精神を病んでしまうほど責め立てる。そんなことをする団体が、なぜ許されるのかを考えていただきたいのです。

    このブログにも、やめたくてもやめられなくて悩んでいる人がこんなにたくさんいることがわかります。新聞ひとつやめるのに、どれだけ神経をすり減らしているか、活動家の人にその苦悩はわからないでしょう。やりたくもない選挙運動をやらされる側の気持ちをまったく考えない人間が、はたして宗教団体の指導者と言えるでしょうか。それが「たまたまそんな人もいる」といったことで済まされるようなことでしょうか。

    先日どなたかが言った「やせがまん」。まさに的確な表現です。学会員さんは、自分の信仰の正しさを自分で認めたいが故に、たいへんなやせがまんを自分に強いています。「御書にはこうある」「池田先生はこう指導していらっしゃる」では自分はどうか。ほんとうに幸せなのかという問いかけをすることすら怖くてできないでいる。修行と言う名のやせがまんで、自分をごまかしている。

    学会員さんは、自分自身に問いかけていただきたい。自分はこれで本当に幸せなのか。あの手この手でそれを極力させないようにしているのが創価の組織であることに気がついて欲しい。人間はそんなやせがまんなんかしなくていいんです。少なくとも日本はそれが権利として保障されている。基本的人権の尊重(個人の尊厳)。平和主義(戦争放棄)。国民主権(民主主義)。信教の自由を脅かし、戦争につながるような法案を通し、選挙で特定の候補者を応援しなければならないような団体が、この日本でまかりとおっていること自体、おかしなことなんです。

  11. シニフィエさんのおばあさんとおじいさんのお話し、絶妙です。。
    最後は何故かもの悲しささえ感じてしまいました。。
    ぜひ、しなの企画で子ども向けの童話としてでも出して欲しいわ。。(爆笑)☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

    凛々子さん
    思い切りましたね。。
    いままで相当我慢が重なっていたのですね。。
    ほんとうに組織のために無償で頑張って来られたのですものね。。

    周りの学会員は、凛々子さんの善行を当たり前のように利用してきたのですものね。。
    よく頑張って来られたと思います。。

    そんな自分をおおいに認めて褒めていいと思います。
    あなたは、よくやってきた。
    もう思い残すことはない。。

    THE ENDです。。
    卒業です。。

    よく頑張ってきた自分にサヨナラです。。
    速やかに手放しましょうね。。

    脱会、ほんとうにおめでとうございます。。

  12. 皆さん、本当にありがとうございます。

    さくらさん、そうですよね、こちらの心情考えて欲しいですよね。
    私なんて公園で遊んでいる時、家庭訪問に来られて、ママ友さんもいるのに長々と話、「お友達たくさんいるね、Fたくさんとれるんじゃない?」と言って帰ってったことも。ママ友さんにどなた?と聞かれ、「生命保険の人だよ」ととっさに言ったこともあります(笑)

    私も内部の家庭訪問は、女子部時代からやってましたが、
    アポなしで行くのが、当たり前になっていました。
    それって、外部の人には、突然の訪問は迷惑な話だったのですよね。
    よく選挙の県外交流での報告でも「 何十年ぶりにいったら留守で、夕方もう一度いったらいてね、ようこそ、遠方からきたね
    と歓迎され、選挙もわかりました。と家族の分もF取れました」と聞きます。
    私思うに、一般常識のある方は、遠方からきてくれ、追い返す訳にもいかないし、夕方でも、仕方なくあがってもらって、Fもいいですよ!っていって、また来てくださいね。と帰す。内心は何で急に連絡くらいくれたら!と 思いませんか?
    こんな人も、「今日は、予定があったのだけど、わざわざきてもらったからとキャンセルしてくれてね、美味しいお店に連れってて頂き、おもてなしをうけました。選挙もいいですよ!とF取れました」と。
    そういうの聞いてて、私がその人なら、えらい迷惑だな、、、、、と思うけど。
    また、選挙ではないですが、実父が連絡しないで義実家を訪ねた時、
    「義父がたまたまいて、どうしたらいいかわからないから、仕事中の義母に連絡、早退して茶菓子かったり、義姉もいたんだけど幼稚園のお迎えとピアノ教室と忙しくて対応できなかったの、事前に連絡くれたらよかった」と、
    私は言われて恥ずかしい思いして、父には、必ず都合を聞いてよね、と激怒しました。創価の常識は世間の非常識が出てしまった、、、、、と。
    内部でも、アポなし訪問って迷惑ですよね。思い返すと反省ですわ。

    ぽんきちさん、本部長にもメールしておいたのに、飛んでくるかと思っていたのに、何もこないです。期待してた訳ではありません(笑)
    これが男子部なら、速攻、引き止めにきたかも知れませんね。
    そういう現場を見たことがあるので(汗)

    流れ星さん、地区婦のメールには???でした。
    送迎するのが当たり前だったかのような内容にとれました。
    私が反対の立場なら「小さいお子さん連れで、送迎大変だったよね、配慮すればよかったね」とか、私だったらそういうと思いました。
    いろいろなことが爆発したのかもしれません(笑)
    ほんと創価人生にさよならできる日が来るとは。卒業です。

    脱会していうのもなんですが、私のうそかほんとか信仰体験。
    面白い話として読んでくれたら嬉しいです。感想はいりません。

    私の実家の本尊も日達倪下の見た目立派なものです。
    父はお気に入りで取り替えの話は断ったそうです。
    私は、人間関係の悩みが絶えません。女子部時代、友人や職場の人のことでよく悩んでいました。真剣に題目を上げ、集中していると、お告げのように「それは、あなたが壁を作っているからよ」
    仕事でミスしたときも「大丈夫、心配しなくても解決しています」とか、
    呼びかけられるような体験がたくさんありました。
    有難いお言葉と泣いたこともあります(笑)
    そのことで、ご本尊は凄いと思っていました。ー
    分世帯で頂いた本尊をみて、びっくりでした、薄っぺらいと(笑)
    それでも信じて題目上げていると、文字もぐちゃぐちゃ、ただのコピーに見える、???と疑問を抱いたことがありました。信じてなお、真剣に題目上げ終わった時、なぜかいつもイライラするのです。
    全然、スッキリしない。不思議でした。
    カラーコピーと偽物と知り、破り捨ててやりたい気持ちでした。

  13. 信じる

    そう、もう一度、信じるということの意味を深く、深く考えてみようではありませんか、いろんな角度から

    信じるということは、信じるという意味以外にはない、で終わらずに!

    とても大切なことだと思いますよ学会員さん。 

  14. レモンさんの活動の実態を見てつくづく思いました。
    私がかつて活動家だったのは、まさにその男子部と同じように、数字の調整だの集計だのは全く知らず関知せず、ひたすら思想のロマンに酔っていたからです。

    ショウさんの家庭訪問や3級試験の勉強会なども、ロマンでできる活動です。
    だから楽しいんですよ。

    もし婦人部の幹部のように専業主婦になり、思いっきり組織に殉じてみてください。
    活動とは、明けても暮れても数字の管理ということに気づくでしょう。
    次から次と打出される連絡事項に明け暮れ、配布物の管理と整理、集計して上に報告。
    これがすべてなんです。

    かつての私のように、「そんなノルマなんて知りません、好きな人でやったら?」と涼しい顔してロマンを語ってる人と、温度差を嫌ほど感じるでしょう。
    民音、新聞、財務、選挙、党員、陣中見舞、人事調整…すべてノルマと報告があり、金の話ばっかり部員さんにしなければばなりません。

    私は自分ではなく、他人がそれを引き受けてる実態を知っただけで覚醒してしまいました。
    そりゃ組織運営に雑用やお金は必要です。
    が、それをやることに功徳がある、というのは明らかにインチキです。
    ただの使い走りを仏教の崇高の教えのように言って聞かせ、それが信仰そのもののようにいう指導は明らかにおかしい。
    本当に創価が宗教団体なら、そういうことは給与をもらっている職員が一手に受け、会員には純粋に信仰に専念させるはずです。

    会館には無料の送迎バスをを出し、IDカードでも作って出席率も自動で管理すればいいのです。
    交通整理も会館の掃除も受付も新聞配達も、民音やその他一切のノルマ達成や集計も職員がやります。
    その見返りは「功徳」ではなく、「給与」ということを明確に示すのです。
    組織運営を、仏教といっしょくたにするようなことをしないということです。

    実際はどうでしょう。
    あれだけ金を持ってるのに、絶対にこんなことしません。
    一切が仏道修行なんです…アホくさ。

    新聞を多部数購読することに功徳があるといい、実際そんなことをしている人がいる。それが放置されている…私はこの話を聞いた時、創価が宗教団体じゃないことに気づいてしまいました。

  15. 来年は統一地方選で、まさにどぶ板選挙。
    国政よりも身近になるので、学会員にとって最も過酷で大変になりますね。

    F闘争といわれる期間に突入すると、毎日のように昼夜拠点に集合して唱題をしてF報告をとりあい、非活の家の00さんの家には、誰が訪問するとか、Fを何票とるとかとれたかとか、過激で過酷な選挙態勢になりますね。

    はがきや電話を駆使して、まさになりふり構わず状態になり、そんな人こそが「信心強情な人」と褒めたたえられています。

    時には踊ったり替え歌を歌ったり、あの手この手で会員を奮起させる会合が合間合間に盛り込まれています。

    地区では、連日のように候補を案内して連れ歩き、会員や外部に会わせ、候補の講演会には友人を連れ出し、友人に候補を合せるという事に追われます。

    みんな疲労困憊状態です。

    これのどこが正しき宗教なんでしょうか??

    覚醒していない会員さんでさえ絶対にそう思っているはずです。
    そう思っているから、足が遠ざかり、出てくる数少ない初老の活動家の肩に負担がドカンと圧し掛かっているのです。

    エフ取りをすると功徳がある。
    選挙を戦うと功徳がある。

    インチキ詐欺団体はこんな言葉で、善良な人々を騙しつづけています。

    上層部のみなさん、ご自宅に候補のポスター貼っていますか?
    候補を連れて、自分の住む近所界隈を公明党議員を連れ歩いていますか?
    毎日朝に晩にFを取っていますか?

    現場の初老の活動家たちは、健気にも自身の健康顧みず、手弁当で必死で動き回っていますよ。
    それもこれも、みんな正しい宗教だと思わされているからです。

  16. 秘密保護法と集団的自衛権関連の公明党の動向で「やっぱり公明党っておかしいんじゃないか」と気づいた学会員さんがかなり出たみたいですね。活動家の方は表向きは「あれは公明党としても苦渋の決断だった。公明党がいたからあの程度で済んだ」と、これも判で押したように言ってますが、もうそれも自分で苦し紛れだと言うことはわかって言ってるのではないでしょうか。集団的自衛権の行使容認にかかる閣議決定に反対する官邸前のデモにも、かなりの創価学会員が参加していたことが話題にもなりましたもんね。公明党は自民党の太鼓持ち。これは連立した時点からわかっていたことです。安倍首相が創価学会以上に親しくおつきあいしているのが統一教会ですよね。でもその一方で在特会ともとっても仲良し。創価学会男子部の皆さん。あなたがたは韓国のキリスト教系新興宗教である統一教会の総会で来賓の挨拶をする安倍首相を支援しているんです。また、在特会といえば山谷えり子大臣が幹部と笑顔で写真に写っていたことが話題になっていますが、もちろん安倍首相も満面の笑顔で幹部と写真に写っています。

    創価学会青年部の皆さん、公明党を支援するのは自由ですが、その公明党が自民党と実際に何をやっているのかぐらいのことは知ってからにしてください。何も疑わず、何も考えず、創価が支援している公明党だから間違いないという理屈が通るとでも思っているのでしょうか。原発再稼働を心から支持しますか?今の日本にそこまでして原発が必要でしょうか?原発事故によって福島の地を追われた方々に、まったく収束の目処がついていない原発の再稼働を目指している公明党に投票してくださいとよく言えますよね。では日本に原発が導入されることになったいきさつを知っていますか?原発の燃料はウランですよね。世界のウラン採掘権のほとんどを誰が持っているか知っていますか?原発がなくなると、その莫大な採掘権の意味がなくなりますよね。安倍首相が日本の原発を同じ地震大国のトルコをはじめとして、いろんなところに売りまくっていますよね。それは単に日本の原発産業を活性化させるためだけだと思いますか?日本でウランは採れませんよね。じゃあ、安倍さんは誰のために原発を推進していると思いますか?日本経済の活性化ですか?「ウラン買ってもらわなくちゃ困るんだよね〜」って誰かから言われてもおかしくないですよね。

    学会員さんは「ネットはデマばかりだから見ないように」と指導されてきたみたいですが、学会に関すること以外でもデマだと思っているのでしょうか?真実は創価学会公式ホームページだけだと?そんなデマばかりのネットになんで公式ホームページを出すんでしょう?いまどきネット情報の真偽を自分で判断できないような人は、昔で言ったら新聞の文字が読めないような人と同じですよ。ネットは権力におもねることのない画期的なメディアです。だれも完全には管理できないという性格上、玉石混合は免れませんが、この20年ほどで、メディアとしてのネットの位置は、従来のメディアとは比べものにならないほどの影響力を持つようになりました。逆に、新聞やテレビに対する権力による制圧は露骨に肥大化しています。いまやテレビとネットの信頼度は完全に逆転していると言っていいでしょう。学会青年部の皆さん。「ネットはデマ」ということ自体、どれだけ陳腐な言葉なのかわかっていますか?

    レイ・ブラッドベリの有名な近未来SF小説『華氏451』をご存知でしょうか?知らない方はぜひネットで調べて下さい(笑)。
    創価は会員に対して、この小説のような情報封殺をしています。それは見事に成功していますよね。だって学会員はほんとうにものごとを知らない。目の前で起っていることがどういうことかがわからない。わからないまま、公明党の票取りを必死でやっている。創価学会の世間的な評価がどういうものかも知らないし、気にもしない。ただひたすら池田先生のため。ではその池田先生が何をしましたか?著名人との対談ですか?平和写真展ですか?あなたがた青年部の活躍の場を切り拓いた…ですか?どこにそんなものがありますか?

    この小説『華氏451』では、「本になる人々」という人たちが出てきます。都合の悪い書物をすべて燃やしてしまおうとする権力に対して、その本の内容を一人一冊ずつ記憶して後世に残そうとする、いわゆるレジスタンスのことです。ちょうど言論封殺をする創価学会はこの小説にでてくる「世界を支配するもの」です。そして創価の実態を知り覚醒した私たちは、いわば「本になる人々」です。幸い、ネットと言う強力なメディアの登場で、頭に記憶しなくてもよくなりました。小説の中では本が支配者にとっては邪魔者だったわけですが、今の創価にとっての邪魔者は真実を告げるネットこそが邪魔者です。だから「ネットはデマ」というそれこそ本当のデマを会員にインプットしているのです。

    皆さんからの創価の実態報告をみてもわかるように、創価の末端組織はあきらかに高齢化がすすみ、衰退の一途をたどっています。聖教新聞には、そんな実態とは真逆の、完全につくられた、空々しい記事だけが載せられています。ほんとに安っぽいSF映画さながらです。青年部のみなさん、あなたがたがどんなに頑張ったところで、創価はこのまま衰退していくのは目に見えていますし、あなたがたがやらなければならないのは、なぜ今、創価学会が衰退しているのかということを、自分の頭で考えることではないでしょうか?どうして聖教新聞と実際の創価の現場がこれほどの隔たりがあるのか、説明できますか?脱会者の声が聞こえますか?このブログにコメントしてくださっている元活動家さんたちが、なぜ脱会したのか、また脱会しようとしているのか、その声を聞いてみようと思ったことがありますか?そんなこともしないで創価を再建しようなんて、所詮無理な話ではないですか?

    今の世の中、知ろうと思えば、たいていのことはわかるようになってきました。それをわからないようにしないといけない創価の都合って何なんでしょうね。

  17. モニカさんのおっしゃるように、青年部時代は、ロマンでできる活動でした。

    こちらにいらっしゃるみなさまのなかには、私自身も含め、女子部時代は張り切って活動したものの、婦人部になって、ドロドロとした人間関係や、ノルマと数会わせに必死な地区・支部幹部の姿に愕然とされた方が多いと思います。

    あと、子供を犠牲にすることが多いということも、私は覚醒のきっかけでした。子供がいないうちは、夜の会合だってセッセと参加してましたが、子供が眠い、お腹すいた、などと言うなか、冬場は寒い北風のなか、子供を連れて夜、出歩くことなんて、本当に非常識だと思いました。近所の人には、こんな夜にどこ行くの?!とビックリされました。

    後継の未来部、1人1人を大切に!なんていいつつ、夜の会合につれ回され、夜の9時近くまで会館の眩しすぎる光に照らされ、本当にかわいそうです。

    子供の脳の発達には、夜はなるべく早く寝かせ、刺激となる明かりは避けたほうがいいはずなのに。

    夜の会合は出ないと決めた方にも、折に触れ幹部が「まだ出れないかしら?子供のためにも福運をつけないと」なんて言われていました。

    会合に来てる幼児、小学生は、たいていDSを持たされ、静かにさせられてます。会合の間に我慢ができずず寝てしまう子もいます。

    拠点をされてる方は、会合のある日は夜ごはんを菓子パンで済ますことも多いと言ってました。台所も見えるところだから、きれいにしておくためだそうです。
    あとは、少し大きいお子さんだと、お金を置いて会合を渡り歩いていた大幹部もいました。
    でも、その子高校生になったとき家庭内暴力が始まったそうです。

    子供にとっては、一番ホッとできる夜ごはんの時間、お母さんの手作りの温かいごはんと笑顔が一番に決まってます。

    週に一回だとしても、やはりそれを奪う権利は誰にもないと思います。

  18. 創価学会で何十年も活動をしてきた多くの人たちが、まったく利害抜きで、ここまで創価は間違ってると訴えていることを「魔に負けた」とオカルトまがいの理由で考えもしない。これだけ客観的な動かぬ証拠が揃っているのに、自分が騙されていることの可能性すら認めようとしない。これって、自分の思考になんらかのバイアスがかかっていることを一度は疑ってみるのが普通なんじゃないかと思うんですが、創価はここを集中的に思考停止させていますよね。なんだかんだ言っても、彼らの言い訳の根拠はオカルトレベルです。前にも言いましたが、まず御書や池田氏の言葉が絶対間違いないという前提で話をする。こっちはその前提が間違ってるという話をしているのに「御書にはこう書いてある」とか「先生はこうおっしゃってる」としか言わない。例えば、神父さんに「神様はどこにおられますか」と訊いて「神はあなたの心のなかにいつでもおられま〜す」と返されるようなものです。「…じゃなくって〜」って感じが理解してもらえない(笑)
    そこまで思考停止な自分に気づかない。そう、私もそうでした。思考停止の自分に気づくには、思考停止から抜け出さない限りは無理なんです。ベロンベロンの酔っぱらいに、あなた酔ってますよと言っても、フラフラしながら「俺は酔ってなんかいない!」とロレツの回らない口で繰り返すようなものです。翌朝、つまり覚醒してはじめてわが身の醜態に気がつきます。中にはまったく記憶がない人もいますけどね(笑)

  19. 気がついたら、もう10月…これから慌ただしくなる年末に向けてスッキリと脱会への道を選んでみてはどうでしょうか?来年はいい年になることを願って…。

    子供の行事が続いて、だんだんと終わっていくんだなあとしみじみ思いました。これからの将来がどの子にも希望へとつながるものであってほしいと思いました。ふだん会わない子供のお母さんと涙したり、いい人々に恵まれてよかったと感謝し、これからも独りでもつながりをもてる勇気を持ち、出会えたことを感謝して過ごしていけるようと思いました。
    一期一会だと思います、創価学会の組織の中の人だけにとらわれず、人として真心のこもったつながりを大事にできる社会に、これからの将来、子供達につなげていけたらと思います。

  20. 私も女子部時代は、華やかなものでした。白蓮グループ、選挙のウグイス嬢、田舎の地方から東京へ各部代表で戸田記念講堂や創価女子会館へ代表で参加できたり、池田先生は多忙でメッセージのみでしたが、会ったような気分で地元に帰った記憶があります。
    女子部は、折伏や新聞啓蒙に挑戦しよう!と打ち出しはあるけど、婦人部ほどハードではなかったような気がします。選挙は別でしたが。
    訓練を受ける場として、婦人部になると、いざ実践です。
    当時、婦女一体の戦いがあり、私も折伏しましたが、実りませんでした。
    友人を大幹部に合わせ、創価の素晴らしを語ってもらいましたが、
    大幹部に向かって「あなたに私の何がわかるって言うの(激怒)」といい放ち、私にも「二度と勧誘しないで、今度は縁切るから」と言い残し出ていかれました。二度と勧誘しない約束で仲直りしましたが。
    彼女の幸せを祈ってきたのに・・・と泣きました。
    それがきっかけで、勧誘って人に嫌われる行為と認識し、ホントに正しいのかな?と疑問を持つ一つのきっかけでもありました。
    公明党を頼めば=創価と知られる、そこでも嫌がられるよね、思うと、弱い自分と責めていましたが、それが当たり前、一般人には迷惑の何者でもなかったこと。ホントに思想のロマンに酔っていた女子部時代でした。
    女子部本部長時代は、仕事と活動の両立に悩まされ、体調を崩すことも多く、四者一体の活動も増えたので、そこで壮婦の実態がわかった時は、かなり引きました((苦笑))多部数購読や分世帯流布とか。
    こんな厳しいの?私婦人部になったらやっていけないかも。と思った気がします。結婚したら、幹部にならないで平社員でいたいと思っていました(笑)
    早く結婚したかったけど、若い部長クラスの子たちが、続々と結婚して、
    人材不足になり、長い本部長時代が一番辛かったです。
    あと、職場の友人に公明党を頼んだことから、私が創価と知り、ご飯食べにファミレス行ったら、なんと友人は顕正会でした。突然、先輩も一緒にいいかな?と知らない人がきて、創価vs顕正会バトルやったりもしました。
    男子部に報告したら、「その友人を抹消させますか?」と言われて、
    どういう意味ですか?と聞くと、この町から追い出すのです。近所に顕正会の実態のビラをまき、この町にいられないようにするのだそうです。
    私は、驚いて男子部の人、頭大丈夫?と思いました。
    「そんなことしなくて結構です。友人も入会したばかりのようで、何もわからないだけなので」と断ったけど。
    ここで覚醒のチャンスは会ったのに、悪は許さない!とMCされていたので、状況によってはこういうのもあるのかな?と見過ごしてしまいました。
    職場の友人は転職しましたが、連絡はしなくなりました。新しい仕事をして地元にはいると聞きました。
    覚醒に至らなかったけど、不振のきっかけでもあり、男子部とは絶対に結婚したくないと思いました。今の旦那と出会い結婚したけど、結局、白ゆり長になったし、どんどん人材育成させられようとしてるし、女子部時代に思ったように婦人部についていけない、でも、踏ん張っていた自分。覚醒できてよかったです。

    私の元創価人生です。身元ばれたりして(笑)

  21. 嘘を平然とつかれても疑問も感じないで信じてしまうなんって、ほんとアホやわあ。。

    福島原発からの放射性物質による内部被曝のことも、未だに事実を受け入れられずに気休めを信じようとしているひとが大半ですよね。。

    結局、自らを救うものは動物的な嗅覚、なのかも。。?

    誰もが一度は感じたことがある、何か腑に落ちない。。「違和感」
    これ、大事です。。

    嗅覚、侮る事なかれ。。
    そう、思います。。

    わたくしは、騙されません。。

  22. 愛したひとは学会員(号泣)、のぱこです。

    色々体験談に触れて思うのですが、「病苦が克服できた」「家族の急死を乗り越えいまはしあわせ」とか……何年も何十年も親子代々とか熱心に信心してるのに、そもそも確率的に低い難病とか障害とか急死とかに遭遇させられるなんて、切ないです。乗り越える以前の問題として、「こんなに信心してきたのにー」ってならないことも不思議。神が与えた試練ってニュアンスに変換されるのでしょうか。

    知人の二世ちゃんは、神経症のような状態(身体的にはどこも悪くないのに、痛みや倦怠感が強い等)で仕事はもちろん、外出も困難にり、はや一年。た出会った医師も悪かったのか、「この病気になったのには意味がある」「この具合の悪さは治っている証拠」などと聞くに耐えないことをいって、同僚など心から心する人の意見はまったくききません。
    でかい仏壇、積み上げられた新聞と本、会長三代の写真。風のとおらない日のあたらない暗い部屋で、コンビニ弁当で食いつなぐ、家族もパートナーもいないそのひとのことを、ついつい「独身壮年部さん」のイメージにしてしまいます。
    学会員ってそうなるのよ、ではもちろんなくて、そんなに信心してきたのに……社会生活もままならないなんて、ご本尊?日蓮さん?センセイ?もつれないなー、と。そして、地区のひとが指導だか助けだかにきていて、祈れば治る!とかやってたらかなしいなー、と。
    みなで色々サポートはしているのですが、やはり「自分が何かに気づかないと」というところでしょうか。

    ショウさんの来訪、私もうれしいです。
    ありがとうございます。

  23. 私も記憶から薄れつつある女子部時代のお話を少し。
    人材不足の地域なせいか私みたいな結果の出せない女子部でも圏女までやってしまいました。
    本部が二つで本部長一人。各本部に支部が4つで部長は二人。地区リーダーが二人くらいいたでしょうか。
    あとは全部不在で、不在の地域は全部私一人で家庭訪問してました。
    自ら家庭訪問してた部長は一人くらいであとの地域は私がリーダーさんと一緒に家庭訪問してました。
    会合の受け付けもほとんど私がついて他に都合がついた人がついてくれる、という状況です。
    圏で会合を持っても集まるのは多くて5,6人。でも、人が多いより少ない方が和気藹々と出来るので良かったですが。
    毎日忙しかったですが辛かったのはその事ではなく、選挙や新聞啓蒙や折伏の戦いの時に県から幹部が来て目標をたてさせられる事です。
    普通目標って活動家が各自たてたものを集計してそれにいくらか上乗せして出すものだと思うのですが、順番が違うんです。
    長の一念でとか言ってまず私が圏の目標を決めなければならないと言われるのです。しかも、活動家の人数から出すんじゃなくて活動家不在であっても支部単位での目標値を決めさせられます。活動家がいないのにその支部で〇部!とか。どうやって目標達成させるのかといえば、祈って活動家を育ててその人にやらせるのだというのです。そんな無茶な。
    でも、出来ないというとやる前から放棄するのではなくまず祈りなさい!です。それもそうだ、出来ないと思えば出来ないままなんだからと自分を鼓舞して頑張るんですが現実は厳しい。結局はゼロで報告せざるをえないのですが、せめて自分の分は頑張って結果を出さなくてはならないわけです。とにかくトータルで結果が出せればいいんだから!って言っても現実は厳しい。
    何とか泣きながらでも新聞を一部出来た!と喜んではみても圏の目標には到底届かず。いつもため息をつきながら報告のファックスを送る日々。
    こんなことを続けてると喜びも何も感じません。現場はアットホームで温かいけど、中央に近づくほどシビアで孤独な世界です。
    女子部ですらこんなですから婦人部はもっとシビアに数字に追われるだろうことはわかりきってました。婦人部は活動家は多いから孤独は感じないだろうけど目標!結果!と追われる人生はもう嫌だ!と強く思いました。

  24. テーマから 少し外れますが、お許し下さい。
    「退転」とは、仏道修行をあきらめて、それまで得た悟りの境地や地位が もとの状態に戻ることだそうです。

    創価学会が、日蓮正宗から 破門されて 二十数年、彼等の立場からすれば、創価学会は仏道修行をあきらめさせられたことになります。
    さらに、我々アンチが 創価学会を離れて 数年から数十年。
    日蓮さんのメソッドの仏道修行をあきらめました。

    たしか、「退転」したら、地獄に堕ちると教わった記憶があります。
    地獄に堕ちるとは、例えば 事故や病気などで、身体が不自由になり 苦しむこととか、借金取りに 年がら年中追いかけまわされたりすることでしょうか?

    自分が知る限り、退転する しないにかかわらず、そのような「地獄」は、誰にも同じような確率で起こっているような気がします。
    日々、真剣に生きることにより、そうした「地獄」は、かなり遠ざけられる気がします。
    たとえ 創価学会の「撲滅唱題会」で、呪いの対象にされようともです。

    ゆえに、信仰は本来的に自由なものであり、自発的に始めようが、嫌になってやめようが、他人に迷惑さえかけなければ
    本人の意志で決める権利が最優先されるべきだと思います。

    自分の考えでは、死ぬまでに どれだけ 他人の為に尽くせたかで、その人生の価値が決まるのだと思います。
    それは、宗教とは関係なく、むしろ その人の人間としての振る舞いによって決まってくる気がします。

    脱創価学会の道を、堂々と あゆみましょう!!

  25. ラザリスさん

    >信仰は本来的に自由なものであり、自発的に始めようが、嫌になってやめようが、他人に迷惑さえかけなければ
    本人の意志で決める権利が最優先されるべきだと思います

    本当に常々そう思います。
    こんな単純で簡単な事が、創価では簡単ではない。
    創価がカルトといわれる所以だと思います。

    皆さんの女子部時代の胸がつまるようなお話を読んでから、ショウさんのコメント8・9を読むと、男子部活動家としては、かなり自由な活動家なんだろうなという印象が、最初に感じた時よりさらに強くなりました。

  26. レモンさん、自由な活動家…そうなんです。
    私もおそらくそうでした。
    役職に縁がなく、女子部時代は地区リーダー止まり。
    最後の3年は主人と出会って恋愛に没頭したので、8割方活動はあっさり止めました。
    婦人部でも、最初の10年は完全非活。
    復活した後半にグループ長、名ばかりの副白ゆり長を少しやっただけ。
    ただ個人折伏を7人したんです。そして題目は誰よりも上げました。

    そうすると好きなことだけして、言いたいことを言っても許されるんです。何でも通るんですよね。
    だからストレスも全然なかったし、こういう人は創価の実態なんて全然わかっていません。

    選挙も財務もその他も確かに強制はしてません。
    自由な活動家は、好きなように活動しますからストレスになるようなことはしません。
    でも自分がそうだからといって、皆が同じではないんですよね。

    自分はこんな体験をした。だから創価はすばらしい。
    この意見に、自分がそうだからといって他人も同じ体験をするかというとそうじゃない、という声がありましたが、全くその通りなんです。
    すばらしいなら、自分でも他人でもすばらしいはずなんです。

    何ごとも賛否両論はあるでしょうが、圧倒的に批判と問題が多すぎます。
    この部分は何より問題視すべきと思います。

  27. 私が女子部のころは10数年前でしたが、もうすでに地区に人材はいませんでした。本部にも幹部が派遣で入っていました。
    女子部の幹部だけあって、優しそうできれいというか、雰囲気があって、
    お姉さん的存在で、当時は憧れていました。

    ちょうど白蓮の任務を終えて、結婚が決まった時に、女子部の先輩から
    「さくらちゃん、まだ早い、人生は何が起こるか分からないから、女子部のときにしっかりと、福運をつけないと」。と引き止められました。

    そして、「白蓮で訓練を受けて、やっとこれから組織に恩返しできるのよ。」
    と、言われてましたね。

    ただ、その当時、折伏の闘いが婦女一体で行われているときで、
    かなり宗教嫌いの家に育った主人が、私のために会合やセミナーに参加してくれていました。私は友達に言うのが苦手で、誘う人があまりいなかったため、今の主人が会合につきあってくれたのです。

    その時地区の壮婦に囲まれて、あんなに宗教嫌いだった主人が
    入会しました。(とりあえず1年契約というこうとで)

    そのおかげ?で、女子部を卒業できて結婚することができました。
    主人は2世ではないので、入会してもいたって冷静ですね。

    新聞をもう一部いれさせてと、頼まれても
    何部もとるのに、何の意味があるのですか?とか、普通に質問します。
    地区の人も、当たり前に質問されると強くは押してきません。

    私がここ一ヶ月で覚醒して学会の実態を話すると
    「そんなことは昔からみんな言ってたよ」と。
    「宗教なんてそんなもんでしょ」「たかが宗教でしょ」

    私にとって、学会は清浄な世界と思っていたし
    池田先生は、よく分からないけど、毎日会員のために命を削って
    執筆活動や、平和のために世界中に飛び回っている、睡眠時間も3時間くらいしか取ってない(あくまで私の勝手なイメージです)
    と、思っていました。

    主人いわく
    「あの体系みたら、相当いいもの食べてるでしょ。3時間しか寝てないならやせてるよね」

    やはり2世、3世しかこの気持ちを分かってもらえないのかも・・・。
    本当に覚醒できてよかったです。

  28. 僕も男子部で本部長してましたが、自分が活動する分にはやりたくないことはやらないでも済んでいましたが”組織を強くするため、部員さんを強くするために”と思って当時は自分ももちろん部員さんにも激励(笑)や対話をしながら闘い(笑)を進めていました。
    いかに盛り上げるかが役目みたいなもんでしたから(笑)
    でも、真剣にやりきったからこそすべて幻想だって覚醒できたのでよかったんだと思います

  29.  こんにちは、非活白百合長のひかるです。

    凛々子さんの、「男子部に報告したら、「その友人を抹消させますか?」と言われて、どういう意味ですか?と聞くと、この町から追い出すのです。近所に顕正会の実態のビラをまき、この町にいられないようにするのだそうです。
    私は、驚いて男子部の人、頭大丈夫?と思いました。」

    この部分が恐ろしくて、すごく反応してしまいます。

    私の体験から、この人本当に恐ろしい創価学会員としての裏の顔があると思えてならない人がゾーン幹部でいます。

    今まで創価学会ストーカー事件とか、またまた~まさかと思っていましたが、今はありえるかもに変わっています。

  30. 御嶽山の噴火で大変なことになっています。
    地震や噴火に国は莫大な研究費用を費やしてもなお、いつおこるかなどはいまの現代においてもわからないのです。結局犠牲者がでるのです。こんな時代に何百年もまえの仏法を唯一無二の教えだと活動に財務に駆り立てる心理は犯罪にも値すると思います。やっと脱会できたと思い、お世話になった婦人部の方に知らせました。ほかの宗教をするのか、言われました、そんな考えはないと伝えたところ、宗教は自由だからね・・とおっしゃいました。
    新聞啓蒙も数が足りず電話で一人誰かいないか良く頼んできましたね、そんなあなたから宗教は自由だと今更どの口が言っているのでしょうか
    笑えます・・

  31. さくらさん

    私もバリ活のころ、池田大作は1日3時間しか寝ていないと聞いたことがあります。
    今となってはもちろん嘘とわかりますけど。

    実際の池田大作は、毎日午前10時ごろに起床していたのです。
    その根拠は何かといいますと、
    月刊ペン事件の裁判で学会側が提出してきた「池田大作の1日の行動記録」に
    記載されていたのです。
    第三書館から2001年に出版された「法廷に立った池田大作」という
    山崎正友氏が著者の本のP166~172に、学会側が提出した前述の池田大作の1日の行動記録(実物のコピー)があります。山崎正友氏もこの裁判に学会と敵対する側の証人として直接関わっていますから、極めて信憑性の高い資料だと思います。
    ちなみにこんな感じの資料です↓(これは他の本からのコピーですが)

    http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1055872175

    >主人いわく
    「あの体型みたら、相当いいもの食べてるでしょ。3時間しか寝てないならやせてるよね」

    この件ですが、私が仏法対話した友人も同じ事を言っていました(笑)。
    ちなみに、2011年に講談社から出版された矢野さん著者の「乱脈経理」P292には、池田大作が車で移動するときは、美食家の池田のために、高級食材を運ぶ保冷車まで同伴するとの事です。こりゃ、ぶくぶく太りますよね。

  32. 女子部時代も婦人部時代も、共通すること。
    プライベートの時間も充実し、都合のいい日や時間がある時だけ参加し、
    勤行も唱題もそれなりにきちんとやっている。=疑いもなく盲信自由な活動家さん。公明党の応援となると積極的にしてる人多い気がします。
    普段から友人とたくさん交流してるからでしょうか。

    女子部時代に、F1000取りました!と言う子がいました。それはウソではありません。
    「私には、部下が何人もいまして、その人たちに「お願い、公明党の応援を5人の人に頼んでくれないかな、と頼みます。私のいうことは聞いてくれる部下たちなので、やってくれます」と真顔で言っていました。
    部下たちに報告も取って、最終的に1000のFをとれました。
    と活動報告していました。
    女子部みんな、凄い!と拍手。職場の信頼厚いのね。と褒め称えていました。友人の家族(成人している人)にも伝えて、と「いいわよ」と言われたら、じいさん、ばあさん、兄弟同居なら、1件で5のFをとれたことになるので(皆さんの地域も同じですか?) 職場の部下もありなのかもしれませんが。
    でも、Fの集計も変ですよね。
    そのおかげで、一人にしか頼んでないのに、家族にも伝えてと言って、
    報告でF5とれました。と言ってたので(笑)
    でも、これじゃ、自分一人で1000人に語ったわけではありません。
    部下に頼んで楽して成果は自分のもの、それで膨大な功徳もらえますか?
    地道に一人一人に語って10人がいいわよと応援してくれました。F10しか頼めませんでした。という方が、膨大な功徳あるんじゃないですか。
    私が仏様なら、F10の人に功徳あげます(笑)

    妹の旦那の実家には、長男が未活動で、いい年だけど結婚もまだで家にいるそうです。
    同じ家の中にいるのに、分世帯流布として、一人一体のご本尊を持っていると。各部屋にあるそうです。
    妹のところの義母のいいわけが、「長男がもし題目あげたくなったとき、仏間に来るより、部屋で題目あげた方が、集中できるから」だそう。
    妹はこれは流石に変だと思ってますが、覚醒していません。
    つまり、地区でなんとか本流の成果が出さなくては!と、苦しまみれの
    知恵を振り絞って成果を出したわけですね。
    数字にとらわれ、本当の意味を完全に失っていますね。

  33. 離々子さん、こんばんは。
    脱会の喜びが画面から伝わってきます(笑)ほんとうによかったですね。

    さきほど離々子さんがコメントされた男子部の話を、活動家のショウさんに確認のコメントをしました。事後承諾で申し訳ないですが、そのためにコメントの一部をコピペさせていただきました。すみません。

    とれたFの数がそのまま功徳の数っていう発想を真面目にしている学会員さん(特に女子部婦人部)にも驚きます。やっぱり貯金とかお店のポイントカードの感覚ですよね。宗教をなんだと思っているんだろうと思いますが、そのように思わせて、ありもしない功徳を餌にお金を吸い上げ、選挙の票集めをさせてきたのが創価の現実ですよね。

    今日の新しいページ「創価を仏教だと勘違いしている方へ」にも書きましたが、「お金や労働の代償として大きな力(神様や御本尊)にお願いして功徳を貰う」という発想は仏教じゃないということです。一神教です。仏教は「そんな考えをするから苦しむんだ」という考えです。実際に功徳に徹底的に執着するあまり、そうやって騙されて苦しんでいるのが学会員さんです。私はもう何らかの信仰を持つ気はありませんが、この仏教の考え方はすごいと思います。まさにそのとおりの現実ですよね。創価の実態はある意味、仏教の考えが正しいことを証明してくれているんですよ(笑)

  34. 凛々子さん
    その1000のFで実際に公明党に投票した人って、1人か2人じゃないでしょうかね。Fの数ほどあてにならないものはないですよね。
    国政選挙での日本全国のFの総数は2億になりますし。

  35. 凛々子さん

    私がまだ活動し始めたころ、先輩のF報告が1日だけで100とか超えてたんです。
    何故か聞いたら、大手の電機系の職場で、たまたま選挙対策の仕事を任されて、
    会社として取引先などに、公明を電話でお願いするという事をやったそうです。
    仕事で頼んだのもFに入れてました。

    その時に感じたのは「すげえなあ」ではなく、えっ、企業にまでやらせてんの
    えげつないな~と。(学会関連の仕事受注するために応援してるのかしら)
    その時、「金=権力」なんだと思いました。

    昔の自民党と変わらねえじゃん!

  36. Fの数は全くあてにならないという事は、上はよくわかっていますよね。
    それなのに何故報告をとるのか?
    Fの報告を取ることで、友人知人に頼まなければという圧力をかける為なんでしょうね。

    そのため確実なF票を読むために、創価はもう何年も前から期日前投票に物凄く力を入れています。
    活動家は、期日前に投票を済ませるように言われています。

    それも1人で行くのではなく、誰か連れていける友人と一緒に行くという圧力をかけられています。

    上から共通の期日前に行った人が書き込める一覧表がおりてきて、期日前投票が始まった日から拠点に張り出されます。

    何日に誰が誰と行ったかまで名前を書き込んでいきます。
    その報告もとります。

    誰がまだ行っていないのかも一目瞭然です。
    選挙当日も、早朝から投票が終わる8時過ぎまで確認作業に追われます。
    誰がまだ行ってない、どこか確認できる所はないのかと相当な慌ただしさです。

    これを組織あげてやっているのが現場の実態です。

    ショウさんが「投票は自由は創価の公式見解」と言い切るのなら、何故組織が、数か月も前から選挙態勢と打ち出して、様々なF活動を強いるのでしょうか。

    選挙のたびに候補者のハガキを出すノルマを会員に課し、議員は何故組織に全て選挙運動を頼り切っているのでしょうか。

    報告用紙も何もかも全て組織からおりてきます。
    私たちが自主的にFの報告をしているわけではないですよね。

    そして何より、公式見解なら、何故聖教新聞や公明新聞に一面全て使ってでも、投票が自由と載せないのでしょうか。

    これ等の現場の実態をショウさんが、本当に知らないのだとしたら、選挙期間はお休みしている活動家なのでしょうかね。

  37. 二郎さん
    資料読ませていただきました。ありがとうございました。
    美食家だったんですね~、さらに勤行嫌いだったとは・・・(^_^.)
    よく、スピーチのあとで、みなさまのためにお題目を送っています、みたいなことを
    話していたような気がします。うそだったんですね、きっと(^_^;)

    選挙といえば
    私が10代の頃、アルバイトでレジに立っている時でした。
    忙しい時間ではなく、レジ周りには私しかいませんでした。
    すると、様子を伺いながら、あやしい男性がいきなり近寄ってきました。
    「ちょっとお願いがあるんです」頭がボサボサ、よれよれのTシャツ、目が充血していて、必死な形相、
    怖い、と思って固まってしまいました。

    「共産党がどうのこうの、自民党はだめだ、なんちゃらかんちゃら」
    (与党に入る前だっと思います)
    勝手にまくし立てた後、いきなり
    突然、声をはりあげて、がばっと、お辞儀をして
    「公明党をよろしくお願いします!!」←語尾だけ張り上げる男子部風

    大声だったので何事かと店長が飛んできました。
    お店のお客さんも、なんだ、なんだ、と集まってきました。

    するとさらに大声で
    「公明党をよろしくお願いします!!」
    そうして、急いで帰っていきました。
    周りは、なにあれ~、公明党は頭おかしい、とざわざわ。。。

    残された私はポカーンと・・・
    アルバイト先で学会宣言してたので、恥ずかしい思いをしました。

    きっと男子部で、誰でもいいからF取って来い、とか言われてたのかもしれないですね。それか罰ゲームか・・・
    かなり追い詰められていた様子でした。

    (若い頃だったので)学会員の私ですら怖いと思ったんで、
    外部の女性だったら、相当怖いと思います。

    逆効果じゃないですか?と先輩にこのことを話すると
    「男子部さんは勇気があるね~」と、言っていました(^_^;)

    凛々子さんの言われたとおり、地道に一人一人に
    話して納得していただいた方がいいと思います。
    F100とか嬉々として話す方もいますが、
    無理にやるほど逆効果だと思います。

  38. 「○○さんの地区はいくつFがとれましたか?」
    「さぁ、よくわかりませんが、100ぐらいじゃないですかねぇ」
    「えっ?○○さん、地区部長なのに掌握してないんですか?」
    「ええ、投票は自由ですからねぇ、そんな根堀り葉堀り聞けませんよ」
    「○○さんのFは?」
    「今回は自民党から友人が出るんで、そっちの応援してるんでFは0です」
    「あなた…0って、それじゃ部員さんにFなんか頼めないじゃない」
    「はい、だから今回は誰にも頼んでないです」
    「そんなこと許されると思ってるの?」
    「えっ?許すも許さないも、学会の投票は自由なんでしょ?Fとりって強制なんですか?」
    「強制じゃないけど学会は公明党の支援団体なんだから当然よね」
    「それはわかりますけど、学会員の僕は友人の応援しちゃいけないんですか?」
    「……学会の選挙は法戦なの。そのへんの労働組合が目先の利害でやってるのとわけが違うのよ。信心の戦いなんだから、福運を積む修行なのよ。部員さんにFをとってもらうのは、その部員さんに福運を積んでもらうという利他行をしてるのよ。」
    「じゃ、みなさん福運欲しさに選挙活動してるんですか?」
    「当たり前じゃない。じゃああなたは何のために選挙活動してるのよ」
    「僕は政治にも創価の仏法のヒューマニズムを反映させるためだと思ってますけど、違いますか?創価学会が目指すのは総体革命ですよね。選挙は民主主義の要ですから、個人の意思や判断を尊重するのは当然だと思うんですけど」
    「あなた何夢みたいなこと言ってるの。これだから夢みる男子部は困っちゃうのよねぇ。ひとりでも多くのFをとって上に報告をあげる。これが私たちの使命なの、わかった?あなた自分の使命もわからないなんて、信心おかしくなってるんじゃない?お題目あがってるの?」
    「選挙にお題目ですか?」
    「はぁ〜?あなたアタマおかしくなったんじゃない?こうして毎日集まって題目闘争やってるの、何のためだと思ってるの?みんなで福運積んで、池田先生に実証を示すためでしょう。選挙活動も新聞啓蒙も折伏も財務も、全部やった分だけ自分の福運になって、何倍にもなって返ってくるんだから、あなたも友人の応援なんかしてる場合じゃないの。これは神聖な広宣流布の戦いなんだから、もっと真剣になりなさいよ。いいわよね、男子部はきれいごと並べて、投票は自由だから…だって、笑わせないでよ、毎日毎日Fの数をまとめて報告しなきゃいけない私の身にもなってよ。毎日が戦争よ。男の生ぬるいロマンは男子部同士でやっててちょうだい」

  39. ご無沙汰しています、未活5か月、地区副のガーデンです。
    いつも、拝見させていただいています。ありがとうございます。
    本当に勉強になると同時に深く頷いております。

    レモンさんの書かれた選挙の実態のほか、数年前からですが、うちの地域では告示になると「確約を取ってこい」と言われるようになりました。

    Fでさえ、取るのが大変なのに、どの口が言うんだ、
    幹部たちは本当に活動しているのか?と プチっと張りつめたものが切れました。

    更年期でどんなにつらくても、点滴しながら選挙やってきました。
    昨年の夏、選挙の後、「死ぬときに、ああ、これで選挙しなくていいんだな~って、ホッとするんだろうな~」と人生を諦めていました。やせ我慢です。

    そんなに嫌なのに、なぜ、創価にいたか。
    それは「恐怖」だとわかりました。

    私は、ご本尊を一神教の神ととらえていました。
    日蓮だってそうです。そして、創価から離れると、不幸になると言われてきたからです。

    最近、思うのは、あの、ご本仏日蓮でさえ、下痢を止められず、しかも
    治癒唱題会どころか、常陸に湯治に出かけたのです。

    なんだ、私らと変わらないじゃないか。
    鎌倉の世、だって、結局変えられずに山に籠ったし。

    宗祖でさえ、変えられなかったのに、なんで我々が出来るんだろう・・・
    うまーく、のせられちゃったんだな。

    戦後69年、焼け野原のスタートラインに立った他の宗教団体、
    無くならないじゃないの。みんなそれなりにいいと思って何かあるから
    辞めないわけで、創価が特に優位性があるわけじゃないんじゃないの。
    (もっと詳しく、違う観点で創価大宮田幸一先生のHPの載っていました。スミマセン、上手く書けないのでご紹介のみです。)

    呪縛が一つ、一つ解けていきます。

    去年の夏の自分、よもや未活になるなんて思いもよりませんでした。
    今は脱会へとフェードアウト中です。

    学会のDVDは燃えないゴミ、書籍は売ろうと思ったけど恥ずかしいし
    また買う人がいたらいけない、と思って資源ごみで出しました。

    ご本尊は、全く拝んでなくても、不安とかありません。
    なんだ、私って信心強情じゃなかったのね(笑) 
    そうです、怖くて、やらなきゃっていう強迫観念でしかなかったのです。

    叔母が、美濃周人さんの本を読ませたのですが、職場の人の関係もあり
    宗門に行くそうです。先日、何故脱会するのかと、壮年婦人のゾーン幹部に囲まれました。もともと、未活だった叔母でさえ大騒ぎです。
    サークルと変わらないのに、何様?なんでしょうかね?

  40. さくらさん、レジの店員に頼む活動家、知り合いの婦人部でもいます。
    何でもやりますよ。
    数人でレストランに行ってウエイトレスに頼む、旅行に行って旅館の仲居さんに頼む、うちに出入りする薬売り、ダスキン、ヤクルト、畳や網戸の修繕…片っぱしです。
    金払うんだからタダで済ますか、って感じです。
    いろんなエピソード満載ですよ。

    一人に頼むと頭の中でファンファーレが鳴ります。
    「殻を破った!」
    「境涯革命できた!」
    「業がひとつとれた!」
    「福運貯金ができた!」
    「功徳は何かしら?」
    まさにポイントカードのようにポイントがグルグル頭の中を駆け巡ります。(実際そう習うんですよ)
    時には
    「ああ、これで報告ができる」
    「座談会で話すネタができた」
    「怒られずに済む」
    なんて脅迫観念に迫られてもあります。

    完全にネジが数本飛んでるんですが、実際正気ではないし、だいたい正気でこんなことできませんよ。

    私はそもそも他人の選挙権に干渉するのが納得できず、長い創価時代に支援活動を真面目にやったのは、一度きりしかありませんでした。
    その一度で充分です。思い出したくもありません。
    その当時、すごく悩んでいたことがあって、それこそ藁をもすがりたい思いだったのです。
    支援を頑張ったら悩みが解決するよと真顔で言われ、ただそれだけしか考えず活動しました。
    正直、政策なんて知ったことではないんです。悩みさえ解決すれば、何をしようと誰と組もうといいんです。
    実際、その時の政策なんて何ひとつ思い出せません。
    こういう切羽詰まった時、人って何でもできるもんなんですねえ。

    しかしこういうネジの飛んだ動機で票取りに奔走する実態を、上は完全に掌握しながら注意もしません。
    自分の組織が頭のおかしい団体、と見られているのにどうでもいいんですよね。
    それどころか、皆様すばらしいですね!と煽ります。
    この正気じゃない面々が、実質の票を取るからです。
    まともな思考の活動家は、まとも故にクソの役にも立ちませんからね。

    完全に駒と見られている実態が見えますね。

  41. みなさんのコメント、なんで住む所も環境も違うのに、創価のことだけはこんなにバチっと当てはまるんでしょう?

    私は覚醒して数ヵ月ですが、自分の性格、人格が本来どういうものなのかわからなくなってます。

    創価の中で生まれ育ち、「いい人」を演じ続けてきました。いい人じゃないと選挙も頼めないし、セミナーにもきてもらえないからです。

    でも、私は結局折伏も実らず(今となっては、よかったです)、本当の友人がいなかったような気がします。
    私の選挙活動をとがめてくれた友人も、本当に私のことを思ってくれてたのに、私から距離をおき。というか、また時期が来たら選挙頼もうと年賀状だけでキープしてる状態で。

    今、ママ友さんと話していても、いい人癖が抜けなくて、話を合わすばかりで疲れてしまうというか。

    創価と離れたみなさまは、本来の自分をどのように見つけられたのでしょうか?
    私は、今までの反動で内に内にと籠りたい衝動にかられています。

  42. かすみ草さん、大丈夫ですよ〜。
    このブログにはかすみ草さんと同じような悩みを経験した方がいっぱいいます。みなさん「うんうん」って頷きながら読んでくれています。どこに住んでいても、みなさん創価から同じような目にあわされていると言うことですよね。でも、もうだれもかすみ草さんを創価に引き戻しに来たりしませんから。

    今はまだ辛いかもしれませんが、時間が解決してくれます。時薬(ときぐすり)がいちばんです。ぜんぜん無理することないです。私は覚醒してもうすぐ3年になろうとしていますが、うつの症状が完全になくなったわけではありません。ときどきどうしようもない無力感に襲われたり、ちょっとした物音でも飛び上がるぐらい敏感になったり、何のきっかけもないのに涙が止まらない時もありました。「ああ、まだ意識の底で引きずってるんだなあ」と思いやられることもあります。

    ひとつは心を開いて何でも話せる人に、思いっきり話をきいてもらうといいと思います。これまでの人生を否定されて、内に内に籠ってしまう気持ちはよくわかります。ありのままの自分をさらけだすことのできる友人関係ができれば、無意識にいい人を演じる自分もいなくなるのではないでしょうか。

    仏教では成仏することが最終目的とされています。さて成仏とは何でしょうか。死んで天国に行くことじゃないですよね(笑)。この仏のことを「如来」とも言います。如来って「かくのごとく来る」って読みますが、これは大乗仏教の都合のいい解釈だそうで、実際は来ると言うのは今で言うと在るということなんだそうです。つまり、人間の最終的な理想とは「ありのままの自分でいる」ということなんだそうです。創価では絶対的幸福だとか、なにもかも思い通りにできる境涯だとか言いますが、そんなスピ系の自己啓発本のような怪しい言葉に騙されちゃいけません。アナ雪じゃないですが「ありの〜ままの〜」でいられることが人間の本当の幸せなんじゃないかと超リアリストであった釈迦が「如来」(サンスクリット語でタターガタ)とつけたのは仏の本質をついた言葉だと思いました。かすみ草さん、気持ちを楽にして、ゆっくりと、ありのままの自分をとりもどしましょう!

    余談ですが、この釈迦が説いたとされる如来や菩薩のような心のありかたのことを、日蓮はほんとに現実に人間の姿形をした薬師如来とか大日如来がいて、じつは自分は上行菩薩の化身だなどと、まじに言ってるんです。つまり自分こそが本仏だと言いたいがためのトンデモ話をでっちあげたんですね。「おいおい、妄想もいい加減にせえよ」と突っ込みどころ満載なんですが、普段から疑うと地獄に堕ちると脅されている学会員さんは、どんなたわごとでも信じてしまうんですね。学会員さんが脱会しても悩んでいるのは、この心の底に焼き付けられた脅しによる恐怖感が簡単には拭いきれないからだと思います。やっぱり、そんな心の底のもやもやを、全部吐き出して受け止めてくれる人に会うのがいちばんだと思います。

  43. シニフィエさん、了解いたしました。
    補足として、その男子部の一人がおかしな人と言うわけではないこと。
    当時、男子部の教宣部グループが顕正会の動きを監視し、情報を集めて、顕正会の人をどこの誰と把握したり、被害があった時は、担当の男子部に報告願います、と言われてました。組織でやっていたことです。

    女子部でも、しっかりと顕正会の実態の勉強もさせられてましたし、
    仏敵だとMCされてましたので、私も一歩も引かず、ファミレスで三時間も こっちの言い分、あっちの言い分とバトルでした。先輩という人も若いし、少し弱々しい場面もあり、私は全然怖くなかったのですが、こちらは一人です。たまたま、会館の近くのファミレスだったこともあり、男子部呼んでもいいかな?というと、えっつ!それは・・・・・と相手は引いたし、お互いまたの機会でもうやめましょうと、終わったのですが・・・・・・

    そう言えば、私の地域には、日蓮正宗の末寺があったのですが、
    日顕撲滅、末寺の○○(坊さんの名前)撲滅、と祈っていました。
    やはり、男子部が張り込みして、坊さんを監視して、
    会合で、「○○は、朝からパチンコ屋に出入りし、遊び呆けている」
    など報告を聞いたりしました。
    どの地域もやっていたと思います。

    振り替えってみると、これはストーカー行為ですよね。迷惑行為。
    被害にあった報告をしたり、撲滅を祈ったり、私たちは、知らず知らず
    共犯しているのと同じではないですか?
    覚醒してから、私は一番悩み、恐怖を覚えたのはこれです。
    私は加担していたんだ!と。
    クリニックの先生にも言われましたが、いい教えだけ学んで、自由な活動家になり、コミュニティとして参加していく。という考えもありました。
    この経験を思うと、もう戻りたくない!と強く思いました。
    自分が自分を許せないというか。
    逃げた!と言われればそれまでですが。

  44. かすみ草さんはじめまして。元2世のマイマイと申します。
    本当にそうですね、創価のことになるとなぜかぴったりと(笑)当てはまる。怖いですね~。私もいい子を演じていました。小さい時は両親の仲の悪さに、必死でいい子でお題目をあげていました。父が変わりますように・・・って。教学の勉強会も小学生から大好きでした。だって、絶対に幸せになれる日蓮上人の御書を学ぶんですからね、日蓮が魂を~っていうくだりが好きでした、朝晩の勤行の後に我並びに我が弟子~を毎回読み上げ、もちろん、暗記してましたよ(笑)母親が早くに40代であっけなく死んだときは、学会っ子はこういう時に泣かずにしっかりしているものだというのを、真に受けて涙は出さずむしろ、毅然とした自分を作っていましたね。鼓笛隊にも入っていたので、笑顔でいい子は当たり前ですもんね。仕事をしている時も出かける前は1時間の唱題をして元気はつらつのふりというか無理をしていましたね。ふと、周りを見たときに自分に無理せず生きている人のほうがずっと幸せな生活をしているというのを発見したんです(遅いですけど)
    それからは、罰におびえることもなくすぱっと脱会できました。いい人を演じてしまう癖が抜けるのは少し時間がかかりますが、もう選挙も新聞も何も頼まなくていいんだってなると、本当に自分が関わりたい人を選べるようになれましたよ。籠ってしまう時期もあるかと思いますが(私も籠ってました)、必ず転機は訪れます。つらい時期は人にも会わなかったですし、嫌だなと思う人とは適当に付き合ってました。それでやっと8割抜けてきました。創価の実態を調べて知ること、間違っていた自分を認めたら次に進んで行けると思います。こちらで貴重な皆さんの意見を見て、ゆっくり進んで生きましょう^^

  45. モニカさん、教えてくださってありがとうございます。

    私も活動家の時に
    選挙の闘いは結果が早い、と聞きました。(宿命転換できる)
    私も、政策、まったく覚えていません。
    ただ、学会員さんだから、公明党だから、いろいろなしがらみがなく
    政策に打ち込んでくれる、庶民のために働いてくれると、当時は信じていました。

    そういえば先日の話ですが
    婦人部の方にご本尊について聞きました。

    実家が日達上人のご本尊だけど、取替えしなくていいんですか?

    「うちの実家も日達上人のご本尊だよ。破れたり古くなってたら取替えできるけど、気に入ってるなら取替えしなくても大丈夫。
    ちなみに創価学会は日寛上人猊下様のご本尊になってるよ」

    お取替えした場合、お寺にお返しするんですか?

    「学会に返してもらって大丈夫よ。」

    ご本尊に違いはありますか?

    「ご本尊に違いはないよ~。以前は日顕のご本尊はいやだといって
    取替えしたいとたくさん要望があったけど。
    でも日顕のでも、ご本尊には違いはないし、功徳は変わらないんだけどね」

    と言っていました。
    え~(゜o゜)なんだかよくわからないけど、悪いのは日顕だけ、と言いたいようでした。でもご本尊の功徳は変わらないと・・・(日顕さんは終始、呼び捨てでした。)

    それじゃあ、有名な書道の先生とかに書いてもらってもいいのかな?
    芸術的な文字のほうが、毎日拝むのにはいいような・・・
    書いた人の心が反映されそうだし・・・

    こちらのブログに行き着く前に
    日蓮正宗のサイト?に、創価のご本尊には魔が入っている、と書いてあるのを見ました。カラーコピーして改ざんしているから。

    だから、悩みを祈ってもまったく叶わなかったのか・・・^^;比較的、叶いそうな願いだったのに・・・^^;

    と、思いましたがどうやら自分の捉え方かなと、今は思っています。

    非活ながら、毎日勤行・唱題はしていましたが
    私のような神経質、心配性の性格なら、題目をあげて集中して考え込むことで、余計に気にするようになり、心配になり、お題目をあげてもスッキリしないのです。
    イライラも余計にするし・・・
    なんだか常に不安でした。罪悪感から自分を余計に追い込んでいたのかも・・・

    いっさい、お題目をやめた今のほうが、落ち着いています。

    昔の話ですが、白蓮の任務の時は、1時間唱題しなくてはならず
    朝寝坊して、30分しかお題目があがってない時は、私のせいで
    事故が起きたらどうしよう・・・とか、まじめに考えていました(^_^;)

    本来の自分は、私もまったく分かりません。
    これから、少しずつ手探りで歩いていくのかな、と感じていますが、
    もう創価よりこわいものは他にないんじゃないかな、と
    何故か、少しだけ強気になっています(^_^;)

  46. シニフィエさん

    お忙しいなかお返事を頂き、ありがとうございます。
    本当にホッとして、涙がでました。
    「如来」の意味を教えて頂き、なんて優しい考え方なんだろう!って思いました。
    今まで「絶対的幸福境涯」なんてありもしない幻想を、目の前にぶら下げられて走らされていました。
    でも、いつまでたっても「凡ぷ」のまま。いつもいつも、自分はダメだまだダメだ…って卑下してました。

    でも「ありの~ままの~」私でいいんですね。そう思うと、すごく気持ちが軽くなりました。

    私も、中村先生の本を読んで釈尊のことを知っていきたいと思いました。
    温かいコメント、本当にありがとうございました。

    マイマイさん
    コメントありがとうございます。
    マイマイさんも、生粋のいい子ちゃんでしたね(笑)
    お母様が亡くなられたときまで、泣かないで頑張ったなんて胸が詰まります。

    「いい人を演じてしまう癖が抜けるのは少し時間がかかりますが、もう選挙も新聞も何も頼まなくていいんだってなると、本当に自分が関わりたい人を選べるようになれましたよ」
    はい、私にはもう少し時間がかかりそうですが、きっと必ずこうなれるんだ!って思ったら、楽しみになりました。

    みなさんのコメントを噛みしめながら、ゆっくり生きていきます。
    ありがとうございました。

  47. はじめまして、loga と申します。
    私はもう40年も前に退会した60過ぎの者です。

    このサイトはすばらしいですね、
    これから脱会しようとする方たちにとっても
    又既に退会された方たちにとっても、
    思い悩んでいる全ての人にとって道しるべとなるすばらしいサイトに思えます。
    ブッダの時代のサンガってこんな風じゃなかったのかなぁ、、、、
    なんて想像したりしてしまいます。
    もっとも当時は修行僧達が主体だったのでしょうが。
    何でも相談出来るサイトはいいですね、多くの皆がどんどん高みを目指しで
    生きていけるように励ましあえるから。

    多くの先輩方と同じく私も50歳を過ぎたころからさまざまな生活変化が現れ
    それに呼応するかのように苦痛を感じる毎日が続きました。
    長年寄り添った妻の病、別れ、経済苦、人間関係、自らの精神的な病の発症、色々ありました。
    私もそんななか、中村元先生の本に出会いシニフィエさん同様ぼうだの涙を
    流した者のひとりです。
    私も同じように中村先生がブッダとだぶって見えました。
    先生の本を通して時を越えてブッダが説いて聴かしてくれているようでした。
    近くの川べりで将来を思い現状を克服したくて目を閉じて瞑想して
    自分のこころを一生懸命覗こうとしたり、
    何度も何度も先生の本を繰り返し読み希望をつないだものでした。

    仏教とは何をおいても、まずは慈愛あふれるもののはずですね、
    私はそう感じました。
    創価のそれとは大きな違いです。
    創価はつかみどころのない集団です、慈愛は全く感じません。
    会員や社会に見せている顔とは別物のえたいの知れぬ恐ろしい存在に
    さえ思えます。

    不思議な逆縁を感じています。
    脱会して本尊を破り捨ててもう40年も経つのに自分の身の回りの親しい人
    の中には今でも創価でバリバリ活動している人が多くいます。

         いつも不自由な発想しか出来ずかわいそうだな、
         余裕もないのに新聞や本等お金を使わされてかわいそうだな、
         自由な時間を束縛されて可愛そうだな、
         美術的にも歴史的にもすばらしい神社仏閣や彫刻を観ることが
         出来なくてかわいそうだな、
         子供たちの生きる人生の指針が創価一本でかわいそうだな、
         子供たちが社会にとけ込めず長い間精神科に通っててかわいそうだな、
         世間からみればみょうちくりんな功徳とやらばかりを追い求めて
         かわいそうだな、
         
    このような人たちにいっこくでも早く普通の生活が出来るように
    支援しているこのサイトを応援しています。

    今も脱会すべきと思いつつもなかなかきっかけがつかめない方に是非
    お勧めです;
    中村先生が数十年前に解説された NHKのこころの時代、、、だったかな、
    の録画をyoububeで見つて繰り返し事ある時に観ています。
    今思い悩んでおられる方に是非一度観て頂きたい思いました。
    サイト管理人のシニフィエさんのご了解が得られるようであれば
    是非お願い致します。 全部で1から5まであります、下記は1です。

  48. logaさん、ほんとうにありがとうございます。私は難しいことはよくわかりませんが、恐ろしい洗脳に満たされた年老いた両親、母が本来の人間性を取り戻してくれれば、それでいいです。そして若い人達の将来に希望の光が失われることがないようと思っています。
    管理人さん、みなさん、どうぞよろしくお願い致します。
    私ももう少し勉強してみます。

  49. 質問があります。「脱会」の定義なのですが、どういうものなのでしょうか?よく「内容証明を本部に郵送する」とありますが、郵便局での内容証明の保存期間は5年で、原本は自身で紛失しないよう保存する必要があります。顕正会員や法華講員になる場合は除名でも、志茂田景樹氏などの無宗教(?)や浄土真宗やキリスト教になる場合は、やはり内容証明で行ったのでしょうか?logaさんの場合も大変興味があります。実は、1世の未活状態で脱会を考えていますが、寝た子を起こす場合があり困っています。また、内容証明の保存期間の5年目以降のことや、そもそも除籍してくれるのか、引っ越ししても除籍してくれていなければ、また一からやり直し・・・と不安になっています。とりあえず聖教新聞を断ろうと思いますが、脱会届と同時に行ったほうがいいのでしょうか?脱会届を出していない場合でも、脱会と言えるのでしょうか?さまざまな「脱会」があるので脱会届以外での「脱会」を、ぜひお教え願います!本当に困っています。お願いします。

  50. 1世さん はじめまして

    脱会に関して質問されていたので、私の経験で書きます。
    脱会届の書き方は、「創価学会 脱会届」などで検索すると探せます。
    内容証明で送る場合は、横一列に書ける文字数が決まってますので住所等書くときに長くなり過ぎないように注意です。「内容証明郵便 書き方」で検索してみてください。また、同じものが3通必要だったと思います。学会に送るもの、郵便局控え、自分の控え。そして、現会長名を書くだけでなく、その上に学会本部の住所も必要でした。

    保管期間は決まっていたとしても、そのときに送ったという証明さえ残れば問題ないのではないかと思います。というのは、その保管期間が過ぎたからと、また声を掛けてくるという事は一切無いからです。

    脱会届を出した後、地区部長とか上の人に、脱会届けを本部に送ったことを一筆しておくといいです。で、今後一切連絡はしないでください。など書いておいたほうがいいです。でも、最後に話がしたいとかしつこく電話で言ってくるかもしれませんが、もう脱会しましたので。と手短に話して強引に切るといいです。留めの脅しをかけられるかもしれませんので、聞かないほうがいいです。

    1世さんは、未活だったとのことですから、脱会届を出したらそれで終わりだと思います。今の学会は、去るもの追わずなところがあります。活動家で無かった人は特に、学会にとってはもともと使えなかった人と認定されている為に、追っては来ません。

    心配せずに、脱会したほうがいいです。

    聖教新聞は脱会前でも、来月からやめたいのでいれないでください。と言えばいいだけです。もし、あれこれしつこく言われても、全然読んでいないのでやめます。ガチャ。でいいのではないかと思います。

  51. 馬鹿な一世さん初めまして
    端的に言って信教の自由が保障されているのですから、何も難しいことを考えなくても もう学会や~めたといえばそれでいいのじゃないですか
    あとは本尊を送り返すなり、お寺のものであればお寺に返せばよいだけの話ですよ、それもできないならほかすなり捨てるなりすればよいだけのお話ですよ。新聞も皆さんのお話の通りすぐやめれます
    あとは自分の気持ちをしっかり持って誰が来ても、もうやめましたから、一切来ないでくれ、それでいいのではないですか。何度もひつこく来るようでしたらもう強く言う一度、それでも来たら警察に言いますよと、これで決まりです。経験から警察に言うといえばてきめんですよ。来なくなります
    脱会届なんて関係ないですよ。信教は自由です
    勇気を出して一歩前に罰など断じて当たりません。頑張ってください

  52. 聖教新聞は明日から入れないでください。でもいいかもしれませんね。11月もまだ1日しかたってませんし、一か月分とられるかもしれませんが、もしかして日割りにしてくれるかもしれないので。どちらにしろ、いらないものは、いらないと思った時点でいらないと意思表示したほうが良いと思います。あれこれ言われるかな?とビクビクするのが一番良くないです。その弱さにつけこまれます。やめるときは堂々とやめていいのです。脱会はあくまで本人の自由なんですから、あれこれ言わせないぞという強さを持つことです。

  53. 本部に脱会届を出したほうがいいという理由に、所属する組織の人に脱会すると言っただけの場合に、それを本部に伝えると自分達のところで脱会者を出したという評価になるのを隠す為、本部に伝えないでそこで止めてしまうということもあると聞きました。また組織の中では、脱会者が出たことを一部の人にしか言わずに隠すということもあるようです。脱会者が出た場合、座談会などで、〇〇さんは脱会しました。と言ってくれればいいものを、まずそういう話を聞いたことなかったです。なので、中途半端(幽霊会員)にならないように、私はあえて脱会届を本部に出しました。でも、脱会届を出すことも義務ではないので、御本尊を手放して、自分がやめたと思っていれば、それでいいかもしれません。

  54. ありがとうございます。入会して1年未満です。紹介者は、義理の伯母で婦人部長(本当かどうかよくわからない)でした。未入会時代より、学会のことはなんとなく知っていました。当時、自身、仕事で悩みがあり、また精神的にもしんどく、義理の伯母に相談をすると「題目を上げよう」となりました。そして、「お守りご本尊」の話から、とんとん拍子に面談まで行ってしまいました。当初は、学会には外から眺めていたので抵抗がなかったのです。しかし、新聞啓蒙、財務といったことは一切教えてもらってなく、後でネットで調べて愕然としました。勉強不足の自分と、この制度の説明をしなかった伯母に、怒りを覚えました。本尊は叔母に渡してあります。金銭的なノルマがネックになることが怖くなりました。また、ビジネスに見え、拒絶反応が起きています。学会員が嫌ではなく、システムが嫌なのですが、一番怖いのは、とりあえず聖教新聞を辞めた後の日常生活です。こんな「馬鹿な1世」です。いろいろな意見を参考にしたいので、大変助かります。

  55. 馬鹿な1世さん、はじめまして。管理人のsignifieです。
    結論から言うと、何も心配ありません。何も知らされずにどこかのクレジットカードをつくらされた。カードで買い物する気はないので解約した。それだけです。何も心配する必要はありません。あるとすれば自分勝手に余計な心配をすることぐらいです。入会も脱会も本人の自由です。まわりはあなたが信仰を続ければ自分に功徳がまわってくると信じているからから引き止めます。それはクレジットカードを友人に勧めて契約が成立したらバックマージンが貰えるのと同じです。創価では目に見えない功徳とか福運がバックマージンなんですよ。馬鹿な1世さんは、まわりの学会員のバックマージンのためだけに入会しているようなものです。ほんとうに功徳や福運があるならまだしも、そんなものはありません。周りの人にしてもありません。あるのはあなたがこれから出すようになるいろんな名目のお金だけです。それと活動のための時間を奪われます。創価はニコニコしながら、あなたの一番大事なものを奪っていくだけです。それによってあなたに何のバックもありません。あるのは新聞紙ぐらいのものですよ(笑)。
    毅然としてやめる意志を伝えないと、まわりはどうにかしてバックマージンをもらおうと、ちょっとした心のスキにつけいってきます。それがいちばんヤバいです。やめるに際していちばんの問題はあなた自身の心のスキ、あるいは周りの人に対して「悪いなあ」といった同情心です。創価学会員は功徳や福運に目が眩んだロボットだと思ってください。それが身内の人間であっても、マインドコントロールnよって心を失っている人間だと自分に言い聞かせて、毅然とした態度で脱会を貫くことが大事だと思います。
    どうか目先のやさしさにひるまず、自分を大切にして決断してください。

  56. signifie様、ご返信ありがとうございます。入会手続き関しては、諸条件を設け、入会書や儀式的なことをするのに、退会に関しては、それがなく、学会HPでも「会則12条・・・」で「退会したものは会員でない」と謳うものの、肝心要の退会手続き方法が明記されていないという点でも大きな不信です。仮に、学会員に聞いても、ばらばらの答えが返ってくるとも思います。宗教団体は、大概がこんな感じでしょうが…。今のところ、「信教の自由ですので・・・」と叔母に伝えて以降、座談会の誘いはありませんし、一切行っていません。教学試験も受けていません。
     しかし、「退会方法は以下のようにする」と固定されても、困難な条件を設定されても困りますし、日本国憲法第20条「信教の自由」や宗教法人法でも、退会方法を明記されても、退会の自由度が無くなるかもしれません。 
     satou様のご意見ように、仮に本部に脱会届を出したり、その他方法で脱会者を出しても、うやむやにされることもありうるし、つまり、周知されずにそのまま除籍もなく会員とされる場合は大いにあり得るということでしょう。
     signifie様、脱会方法はどうでしたか?いずれにせよ、脱会届を出しても、聖教新聞を断っても、再び誘われた時に断り続ける自分が必要ということなのですね。名簿に自分の名が残ってしまうことが情けないです…。またよろしくお願いします。
     

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