創価学会を仏教だと勘違いしている方へ

学会員さんは、自分たちの信仰こそが唯一の正しい仏教であって、この信仰でなければ人間は幸せになれないのだから、これ以外の信仰を捨てて創価学会に入りなさいと、いわゆる「折伏」をしてきました。この折伏という組織拡大運動をやることで、最大の功徳があるとの教えの通り、その手段を選ばない強引な勧誘方法によって、社会的に危険視される団体となりました。しかしこの信仰の勧誘方法が絶対に正しいと信じている会員さんたちは、そのような社会的批難をもまた、正しい信仰であるが故の迫害であるとの組織の指導を信じて、その反社会的で非常識な勧誘の姿勢をあらためることはしませんでした。また会員さんは生まれた自分の子どもをすぐに会員に登録し、その子どもがものごごろのつく前から創価学会の考え方だけが正しいのだということを一方的に教え込むと同時に、他の宗教が間違っていて、人々が不幸になる原因がその間違った宗教にあるということを教えてきました。それによって、その子どもたちは日本人の基本的人権のひとつである信教の自由を奪われ、本来の一般的な宗教観や道徳観を受け入れることができなくなり、社会人になっても一般の人たちとの価値観の違いをどうすることもできないで悩むことになります。しかし時が流れ、インターネットの普及により、それまで思想的に隔離されてきた状況から、より簡単に情報を入手できるようになった現在、その創価学会の思想が一般常識からかけ離れ、社会に多大な迷惑をかけているという事実を知った人たちが、急速に創価学会から離れるようになり、創価学会組織の衰退ぶりはもはや隠しようのないものとなりました。

創価で学会員さんが教えられている教学と、一般的な仏教の常識がかけ離れていて、それ以前に日蓮仏法がそもそも本来の仏教の考え方とは真逆に位置するということを、このブログでも断片的に書いてきました。また、創価の間違いに気づいた多くの学会員さんたちが、このブログにたどり着き、創価に騙されてきた自分の体験をあからさまに話してくれることもあり、おかげさまで、このブログのアクセス数も増え、活動家の方や外部の方も見る機会が増えているようです。

なのでここであらためて本来の仏教と日蓮仏法と創価の信仰の位置関係についておさらいをしてみようと思います。学術的なことを述べるつもりも、またその能力もない私ですので、創価の問題を考える上で必要と思われる一般的な知識を思いつくまま書いていこうと思います。なにぶん私も数年前まで創価の教学が正しいと思い込んでいたので、一般的な仏教に関する知識が極めて欠落しています。いろいろとおかしなところがあるかもしれませんので、そのときは遠慮なくご指摘ください。

創価学会で会員向けに教える仏教の教義のことを教学と呼んでいます。この教学でいちばんの特徴は「日蓮本仏論」が基本になっているところだと思います。ではこの日蓮本仏論とはどこからでてきたのかということを確認するには、日蓮本仏論が仏教全体の中でどのような位置を占めているのかをはっきりさせる必要があると思います。そういう意味で、仏教の成り立ちの時点からのかんたんなおさらいをしてみますね。

最初に書きましたように、創価学会の会員さんは、自分たちの信仰が本来の正しい仏教なのだと思い込んでいます。そもそもその認識がまちがいであることは、仏教の基本的な歴史をたどれば誰にでもすぐにわかることですが、学会員さんは創価の言うこと以外は間違いだと教え込まれているので、一般的な知識を学ぶ機会を拒否してしまいます。また、創価以外の宗教関連の施設に入ることや書物を読むことも、福運をなくし不幸の因を積むと脅されていて、創価以外の思想を知る機会も奪われたままになっています。したがって、創価以外の方がそのような反社会的な創価の体質を批判しようとすると、感情的に相手を敵対視し、攻撃的な態度をあからさまに見せるようになります。そしてそのような姿勢さえ正しい行いであると信じて疑いません。これもまた彼らが信奉する日蓮の独善的な教義に依るものであることもあきらかです。

では、仏教がどのようにしてこの世に現れたのかから見ていきましょう。

仏教はもともと紀元前5世紀頃のインドに出現した釈迦の悟りによって開かれた宗教です…と言うと、創価学会では釈迦を「迹仏」つまり「本仏」が現れる前の前座として位置づけていますので、すでにこの時点で釈迦の存在を軽んじています。なので釈迦がどういう人であったか、どのような生き方をして「悟り」に至ったのかをそれほど知らないし、それ以前に興味を持つことさえありません。自分たちの信仰が仏教であると言いながら、その宗教の教祖を軽んじる。それが創価学会の信仰に対するスタンスです。それは先ほど話したように創価学会の思想の基本が「日蓮本仏論」にあるからにほかなりません。

話がいきなり逸れましたので、もとに戻します。

何でしたかね?そう、今から2500年前に、シャーキャ族の王・シュッドーダナの子どもとして現在のネパール・ルンビニ(世界遺産)あたりで生まれた…本名ゴータマ・シッダールタが壮絶な修行の末にたどり着いた「悟り」がもとになったのが仏教です。これ以外に仏教はありません。彼は一国の王子として、なに不自由のない暮らしをしていましたが、いつしか実存的問題についての思考が彼を王家を捨て出家へと向かわせます。しかしゴータマの思想は彼が亡くなってから100年以上も文字として残されることはありませんでした。その後もインドでは仏教が一神教であるイスラム教によって滅ぼされ、さらに仏教に関する様々な遺跡も記録もことごとく破壊されてしまいました。

では現在の仏教に伝わる経典はどこから来たのかと言うと、紀元前383年頃にインドで第一回仏典結集が行われます。その後第二回目の結集が紀元前283年頃に行われ、第三回目の結集が紀元前244年頃に行われました。仏典結集というのは、それまでは直接ゴータマの教えを聞いた弟子たちが、その記憶をもとに弟子に口伝していくという方法をとっていたために、文字にされることはありませんでした。またゴータマは弟子の理解度によって、その弟子に合った様々な例えで教化していたため、弟子によって様々に内容が異なり、それをまた聞きで伝承していくために、伝える者や聞き取る者の能力によって、かなり内容の変化があったようです。よくある伝言ゲームで、たとえば5人がちょっとした言葉を口伝するだけでも様々に変わってしまうように、この仏典結集においてもいろんなエピソードや伝説が付け加えられたことは容易に想像できます。したがってどこまでがゴータマ自身の考えであるかとか、史実であるかの検証は不可能ですが、ゴータマの出生に関してはこのあたりまでは客観的な事実であるとされています。

ゴータマは当時のインド地方にあった一般的な出家者として修行を重ね、いろんなことがありながらも、ついに菩提樹の下で悟りを得ます。ゴータマが「ブッダ」つまり「目覚めたもの」と呼ばれるのは、この世の真理に気がついた者という意味です。ここが他のキリスト教やイスラム教などの宗教とはまったく違うところです。仏教以外の宗教では「神」の存在が前提となります。キリストは神ではなく「神の子」ですが、キリストをこの世に送った神様がいるという前提です。イスラム教もアッラーの神の存在が前提となります。このようにいわゆる一神教と呼ばれる宗教は、この世を創造した神の存在があり、私たち人間も神に作られたものとして、神への絶対服従が信仰の基本となります。聖書もコーランも神の言葉として絶対に正しいというのが大前提です。キリスト教もイスラム教も神に対して祈りますが、仏教では神と言う概念は祈りの対象ではありません。

「あれ?」って思いました?「仏教もお経があるじゃん。仏像や曼荼羅を拝んでるじゃん」って思ったでしょ。そう、ここは大きなポイントですね。もともとゴータマが発見したのは「この世の真の姿」といいますか「この世に確かなものなどひとつもない」という認識です。つまり「神様なんているわけないだろうが、おまいら目を覚ませよ」ということなんですね。こんなに口は悪くなかったでしょうが(笑)、要はそういうことです。「いねえってば、神様いねえし。神様とかがいるなんて妄想ふくらましちゃってるから、そんなに苦しむんだぜ」ってことです。仏教が日本に伝わってくるまでに、とてつもない時間と距離と、とてつもない数の人間の伝言ゲームと、その土地土地の風習や道徳観や土着信仰や政治的策略などがいっぱいいっぱいごちゃまぜになって、日本に来る頃には、もともとゴータマが言っていたことからは似ても似つかない、びっくり仰天の内容に変化してしまっていたわけです。たとえば日本に仏教が伝わってきたのが西暦552年ですよね。つまりゴータマさんが亡くなってから1000年経ってからですよ。その途中までは耳できいたものを話言葉で伝えていたんですからね。

日本の仏教といえば東大寺ですよね、そこにある奈良の大仏って有名ですよね。世界遺産だし。で、みんなあそこにいって大仏を拝んでます。「それが何か?」って思うでしょ。でも考えてみてください。大仏ってもとはといえばゴータマさんの像ですよね。私、大学でとってた東洋美術史の担当教授がインドの仏像が専門だったんで、仏像に関してはふつうの人よりは詳しいんです。あの頭のモッコリは髪の毛じゃなくてなぜか肉なんです。とにかく仏像って言うのは釈迦を超人、ていうか神様のように見せたかったんですね。「神様、仏様」って言うでしょう。ほんとは神様と仏様は全然違うんです。神様は神様だけど、仏様って人間なんですよね。ゴータマさんも晩年はお腹こわして死んじゃうんです。人間的な、あまりにも人間的な仏さんです(笑)。で、ゴータマさん何て言ってました?そう「神様なんていねえし」でしょ。きっとゴータマさん、あの世で口からご飯吹き飛ばしてますよ(笑)「なんでバカでかいオイラの像つくって拝んでんの?神様いねえし、オイラ神様でもねえし」って。ゴータマさんは偶像崇拝を禁じていました。それはそうでしょう。神様いないって言ってるんだから、それまでにあった土着信仰の偶像崇拝を否定したし、世の中そんなもんじゃないっていうのが彼の悟りなんですから。仏教史において釈迦の像が現れたのはゴータマが亡くなってから400年もあとになってからです。つまり400年も伝言ゲームをしてきたんだから、ゴータマの言ってたことなんかシッチャカメッチャカになってしまって、信者にわかりやすいように仏像を勝手につくりはじめたんですね。それからさらに600年も絶った後に日本にやってきて、めぐりめぐって奈良の大仏さんの登場となりました。

ね、もう日本に伝わった時点でこれだけ仏教が違うものになってしまってるんですよ。いいですか、ゴータマが亡くなってから1000年後に、やっと日本に仏教がたどり着いたんです。ちょっと想像してみてください。自分が口走ったことを、今から1000年後の世の中に、そのまま正確に残っている可能性について想像してみてください。ぜ〜ったいありえないですよね。その間にインドの仏教はイスラム教に跡形もなく破壊されるし、最初の400間は文字にしない伝言ゲームだし、中国では儒教や道教なんかと混ざってしまうし、サンスクリット語の経典が、大勢の中国の坊さんによって漢字に書き直されるし、それがさらに朝鮮半島に渡り、海を越えてやっとのことで日本にたどり着きます。当時海を越えるなんて命がけですからね。とくに中国での変化は劇的です。中国では「中華思想」というのがあって、わかりやすく言えば「世界の中心は中国だと叫ぶ」です(笑)。これが基本ですので、よそから入ってきた仏教がまともに伝わるわけがないのです。またそのときに経典の漢訳をした鳩摩羅什という天才坊さんや、天台宗の天才坊さん智顗がいました。ことの善し悪しは別にして、天才だけに独自の解釈が加わるのも当然でしょう。

話がすぐに逸れて申し訳ない。つまり何でしたっけ?あ、そうそう、仏教って何かに何かをしてもらうために祈るようなものじゃないってことです。ましてや創価学会のように御本尊に向かってお題目をあげて「幸せになりますように」ってお願いするようなのは、仏教じゃないってことですよ。完全にキリスト教やイスラム教と同じ一神教の考え方です。なのに創価学会では、自分たちのやってることが本当の仏教なんだと言い張ってるわけですね。もう最初の最初の基本的なところから完全に間違っているんです。まず少なくとも仏教じゃない。じゃあ、キリスト教やイスラム教なのかというともちろん違います。キリスト教もイスラム教も同じ神様を崇拝しています。このふたつはもともとはひとつだったんです。「え?」って思った人、ちょっとは勉強してくださいね(笑)。ついでにユダヤ教ももちろん同じ神様ですよ。この三つの宗教は、ひとつ(ひとつって呼んでいいのかわかりませんが)の神様を崇拝しています。だからこの三つの宗教の聖地はエルサレムでしょ。

世界の宗教でいちばん信者が多いのはキリスト教です。その次がイスラム教。ユダヤ教がどれくらいかはわかりません。ちなみに1位のキリスト教は世界人口の33.4%。2位はイスラム教の22.2%。3位はヒンズー教の13.5%。4位が仏教で、なんとヒンズー教の半分以下の5.7%です。この仏教徒の内訳は、日本・中国・韓国・ベトナム・タイ・カンボジア・ラオス・スリランカ・ミャンマー・チベットです。(百科事典「ブリタニカ」年鑑2009年版)なので、日本では圧倒的に仏教徒が多いですが、世界的に見ればかなり少ないんですね。いずれにせよ世界の宗教の半分がひとつの神様を信じているんですよ。おまけにイスラム教がインドの仏教を滅ぼしてしまいましたから、結局、今の仏教ってインドから東南アジア、中国、朝鮮、そして日本に伝わっていった部分しか残っていないんですね。おおもとが滅ばされちゃったんで、残ったのは2000年もかけた壮大な伝言ゲームで変わり果てたものしか残ってないんですよ。わかります?世界の中の仏教の立ち位置。創価学会が言ってるように、創価の思想が世界に広まっているなんて、まったくのデタラメです。会員にそう思わせて、頑張って活動させるためのまやかしです。事実を見ていけば簡単にわかることなんですが、学会員さんは組織からの情報しか信用しないようにセッティングされていますから、まわりが何を言ってもわからないんですね。もうずいぶん昔にフランスでカルト認定されたことは誰でも知ってますよね。創価学会はフランスでは国が認定した気味の悪いカルト集団なんです。

さあ、そうやって日本に入ってきた仏教ですが、それがそのまま今に伝わっているわけがありません。でもその前に、日本に伝わった時点で、どんだけ仏教の中身が変わり果てたものであったかも容易に想像できますね。さきほど言った紀元前244年頃に行われた第三回目の仏典結集後に、仏教は考え方が大きく対立する二つの流派に別れます。それがいわゆる大乗仏教と小乗仏教と言われるものです。この名称は、大乗側から他者を見下す蔑称で、小乗といっても器の狭い教えと言うわけではないし、大乗といっても高度な内容かというわけでもありません。そして日本に伝わったのがたまたまこの大乗仏教でした。インドから中国、朝鮮半島を経て飛鳥時代の日本に伝わった時点ですでに変わり果てた大乗仏教は、当時日本を統治していた朝廷の思惑によって、さらに変貌を遂げていきます。自民党が公明党と組んで都合良く法律を変えたり、憲法解釈を勝手に変えたりするのと同じです(笑)。当時はもちろん民主主義なんかないですから、もう勝手に変え放題です。当時はなんといってもおとなりの中国が何にせよ先進国ですから、何でもかんでも中国をお手本に政治をやっていました。まだ日本という国としてのアイデンティティのない時代です。法律やいろんな制度も中国のモノマネだったし、通貨も中国のものを使っていました。(余談ですが、日本が本当の意味での国としてのアイデンティティを主張するのは秀吉が朝鮮出兵をする頃だったのかもしれません。)

そんな日本に外からやってきた大乗仏教は、朝廷や貴族といった為政者のための宗教であって、広く仏教が広まるのは奈良時代になってからでした。それもそのまま広まるのではなくて日本古来から伝わる神道の思想と混ぜた形で広められます。もちろん、これも為政者が国を治めるための道具ですね。この神仏習合の考え方で、以後1000年もの間、日本の基本的な仏教が伝承されていきます。つまり奈良時代以降の日本の宗教は変わり果てた大乗仏教と神道のメガミックスだったということです。つまり、もうこの奈良時代の時点で仏教は半分が神道の混ざり物になっちゃってるんです。

話の途中ですが、これまで私が話してきたことは勝手に書いているのではなくて、ちゃんとした文献や資料に基づいています。間違っても怪しげなサイトの受け売りではありませんし、これは史実として否定しようのないことだけを書いていますのであしからず。

では、続きを。

その神道と混ぜまぜされた仏教ですが、ここで認識しておかなければならないのは、日本人にとって仏教は先進国からいろんな高度な文化とともに伝えられた外国の宗教だったということです。それは朝廷や貴族といえど簡単に理解できるようなものではありませんでした。すでに日本では太古からの自然信仰である神道が浸透しており、中国の仏教がそのまま日本に浸透することはあり得なかったのです。ましてや庶民の識字率などほんの僅かであったし、この世の理について思いを馳せるような環境であるはずもありません。ですから一般の人々は神道のような、ものごとすべてには八百万の神々が宿っていて、何事も大切に敬う気持ちを大切にしていけば、神々が自分たちを守ってくれるという信仰心がありました。そこで朝廷は、先進的な仏教を庶民に定着させるために、神道の神々の存在と仏教の教えを混ぜこぜにしてしまったのです。詳しく言えば蘇我氏(崇仏派)と物部氏(廃仏派)の勢力争いに宗教が利用された経緯があるのですが、ここまで説明するときりがないので、「まあ、いろいろあって」ということにしておきます。その日本人の宗教観はその後も連綿と受け継がれ、明治になって天皇中心の国家体制をつくるにあたって、神道を国教にする試みはついにできませんでした。それほど当時の神仏習合の信仰は日本人に浸透することになったのです。ここで何を言いたいかはおわかりですよね。日本の仏教は日本古来からの宗教とこの時点で混ざってしまっていたということです。

それから貴族が政治を動かし安定していた平安時代を経て、政情が大きく変化し、武士が国政を司るようになります。(あ、その間に天才僧最澄と空海が日本仏教に及ぼした功績は特筆すべきですが、ここでは割愛させていただきます)しかしこの時期は洪水や飢饉、大地震など、天変地異が頻繁に起り、人々は常に命の危険にさらされる不安な時代でした。そこで大流行したのが末法思想です。これなら学会員さんもよく知っていますよね。でもこれはゴータマさんが言ったことではありません。さきほども長々と説明しましたように、仏教が日本に伝わるあいだに、いろんな枝葉がついた中のひとつがこの末法思想です。釈迦滅後の1000年(正法時代)はまだ釈迦の教えが有効な時代で、そのあとの1000年(像法時代)は形骸化がすすみ、その後は釈迦の教えが通用しない混迷の世になってしまうという予言ですね。その時間的な定義はいろいろあって、何が本当なのかはもちろん、一体誰がそんなことを言い出したのかさえ、はっきりとはわかっていません。ただ言えるのは、度重なる天変地異に震え上がる人々が、これはいよいよこの世の終わりではないかと思ってしまったことと、この末法という終末論が見事にリンクして、おそろしく説得力のある教義であるかのように浸透していったということです。そこで鎌倉時代に、そんな終末論をふりかざして信者を獲得する新興宗教がワラワラと出てきました。それがいわゆる鎌倉新仏教と呼ばれるものです。栄西、道元、法然、親鸞、そして日蓮と次々に末法があたかも現実の今であるかのようにして、もはや釈迦の教えは何の役にも立たない。これから未来永劫に渡って人類を救っていけるのは私の教えに従うしかないのだと、人々の不安を逆手に取って丸め込んでいきます。さて、ここではっきりします。もうすっかりゴータマさんはお払い箱なんですね。それまでの仏教は、なんだかんだ言っても、そして内容がシッチャカメッチャカになって、神道と混ぜまぜされてもなお、釈迦の教えだと言う点においては変わらなかったのですが。もう鎌倉新仏教は、完全に仏教を否定した単なる独善的な新興宗教として出てきたと言うことです。

何度も言いますが、これは歴史的な史実を述べているのであって、勝手な解釈を並べているのではありません。

さ、この混乱した世相に現れた新興宗教が、それぞれに信者獲得に奔走する様は、まるで戦後の新興宗教の信者獲得競争にそっくりですよね。そしてその中でも特に異彩を放っていたのが、学会員さんが「末法のご本仏」として信じている日蓮なのです。なんで異彩を放っているのかと言うと、わかりやすく言えばこの人だけが「じつはこのオレが神様なんだぜ」って宣言したんですね。これが「日蓮本仏論」です。ふう、やっとここまで来ました(笑)。もうおわかりのように、この日蓮本仏論は仏教もへったくれもありません。まず仏と神様を混同してます。釈迦は神様はいないと言った。しかし日蓮は自分が神様だと言う。「この私を拝みなさい。私が死んでも、かわりにこの曼荼羅を拝むとよい。わざわざオレ様が墨に染め流してやったぞ」と、そりゃもうあんた何様?って感じですが「あたしが神様だよ」って言うんでしょうね(笑)。しかもこの日蓮の教えは日蓮宗として継承されたと言うのですが、その後も何かあるごとにいろいろと坊さんの解釈がわかれて、そのたびにお寺は分裂して、それこそシッチャカメッチャカになります。日蓮宗と一口に言ってもその教義はいろいろあって、「日蓮本人はああいっても、やっぱりお釈迦さんが仏さんだよね〜」とか、お坊さんの中でも大人の事情と言いますか、派閥争いが絶えなかったようで、日蓮宗としての統一的な教義は現在でもありません。なかでも異彩を放つのが日蓮正宗でした。日蓮系の宗派の中でも最右翼とでも言いましょうか、同じ日蓮のお寺だと言うのに、嫌われてでもとにかく日蓮本仏論を貫いてきた宗派だと言えます。つまり「オレが末法の民を救う本当の仏なんだから、オレの言うことを聞かないと後悔するぜ。他の坊主の言うことなんか聞いたら頭が七つに割れちまうんだぜ、怖いだろ」というまるで反社会勢力の皆さんのようなことを、熱血感動劇画タッチで手紙や論文に書いたものを集めたものが、学会員さんが持っている「御書」なんですね。

さて、勢いにまかせて一気に書いたので、説明不足のところや誤字脱字も多々あると思いますが、今日はひとまずここまでにしておきます。この続きは後日のお楽しみということで。でも日蓮さんの教えが、釈迦の仏教とはまったく違うんだと言うことは、歴史の変遷からも明白だと言うことはわかっていただけたかと思います。でもね、そんなことを学会員さんに言っても何とも思わないんです。誰が本仏だろうがさほど気にしてないみたいです。日蓮は誰もが仏である自分のことを拝めるように曼荼羅を残してくれたそうなんで、学会員さんもその曼荼羅に向かって毎日拝んでいるそうなんですが、その曼荼羅も最初は日蓮正宗の曼荼羅を拝んでいたんですが、創価学会が日蓮正宗にいろいろと難癖をつけるもんだから、とうとう日蓮正宗も堪忍袋の緒が切れて創価学会を破門しました。ところが創価学会側は逆ギレして、それまでさんざんお世話になったことを棚に上げて、あることないこと新聞に書き立て、あるときは写真をねつ造して宗門の堕落ぶりを吹聴したりしましたが、裁判で負けています。そしてあろうことか日蓮正宗の御本尊を勝手にカラーコピーしたものを会員に売りつけて拝ましているんですね。それでも学会員さんは拝んで功徳があって、救われた気持ちになるのであれば、そんなめんどくさい話はどうだっていいそうです。なんか見返りがあるのなら何だっていいし、新聞をたくさん買って、言われるままに選挙運動もやって、毎年ありったけのお金も出して、会合だなんだと子どもをほっぱらかししてでも、会員さんの家にアポ無し訪問を続けています。で、ほんとうになんか見返りがあったのかときくと、どうもやってもやらなくても変わらないような生活を送っているようなんですね。でも「そんなはずはない!」と言います。そりゃそうでしょう、ここまで学会のためにタダ働きして、おまけにお金まで出しているのに、それが何にもならないなら、これほどショックなことはありません。でもそれに気づいた人が近頃たくさん出てきたんです。このブログにもそんな方がたくさんコメントを寄せてくださっています。みなさんショックから立ち直るのが精一杯です。私もそうです。また創価を辞めると不幸になるとさんざん脅かされてきましたので、その恐怖心で辞められないと言う人もかなりいます。実際に私もそうでした。マインドコントロールの恐ろしさですね。それでもここまで会員を不幸に陥れてお金をまきあげている団体を、まだ擁護している人たちがいます。創価を批判されると条件反射的に敵意をむき出しにして攻撃してくる人たちです。かつてはそんな人たちでいっぱいでしたが、最近では会員数も激減し、会員の高齢化も進み、組織の体制を保つのでいっぱいいっぱいの状態のようです。この現実を目の当たりにしても、創価の矛盾に何の疑問も持たないのですから、創価が仏教であろうとなかろうと、そんなことが気になるような人たちではありませんよね。なので、私はそんな方にぜひ気がついてくださいなどとは言わないようにしました。ちょっとでもおかしいなと思っている人には、一生懸命説明したいと思います。また辞めたいけれども辞められないで悩んでいる方の相談にものりたいと思います。私がではなくて、ここに来られるたくさんの経験者の方が、力強い味方になってくれると思います。だまって見ているだけのそこのあなた、ちょっとしたことでもいいですので、創価への疑問や悩みがありましたら、ここのコメント欄に書いてみてください。それだけでも気持ちがずいぶん楽になりますよ。いつでもお待ちしています。

創価学会を仏教だと勘違いしている方へ」への21件のフィードバック

  1. テーマについてですが、創価学会が仏教ではないと 自分が感じる第一のポイントは、「師弟不二」という概念です。
    創価学会の活動のなかで、ことさら強調されるのが この
    「師弟不二」です。
    イケダセンセイを お守りするため、イケダセンセイにお応えするため、イケダセンセイの正義を証明するため、イケダセンセイと呼吸を合わせるため etc.
    なぜ、日蓮大聖人ではないのですか?
    日蓮大聖人の顕された、御本尊が根本ではないのですか?

    日蓮正宗から破門された時点で、その教義を逸脱し、さらに無許可で 御本尊のカラーコピーを改ざんしてまで バージョンアップするぐらいなら、いっそのこと イケダセンセイが あの横に跳ねたような癖字で、御本尊を書写して 会員に売ったほうが、一貫性があって納得出来たのではないですか!?

    戸田二代会長は、日蓮正宗を最期まで 外護する立場を崩しませんでした。イケダセンセイが、「師弟不二」と声高らかに仰るのは、いったい誰と誰のことでしょうか???

    そもそも、この「師弟不二」という言葉は、仏教とはなんの関係もありません。ただの 精神論です。
    念のため。

  2. 今は全く知りませんが、私のころの教学試験でも師弟不二が出題されていました。それもあたかも仏教用語のように依正不二や色心不二と並べてあって……………やることがセコ〜い!(笑)

    創価の教学には仏教を学ぶ上でなくてはならない大事な基礎用語が欠けていたり、こんなの誰も知らないぞといったマイナーな言葉があたかも重要な概念であるかのように出てきたりして、覚醒してから創価のホームページに載っている教学の解説を読んでみると、そうとうな偏りがあることがわかります。そして都合の悪いことは完全スルーしていますね。まあ、もともと日蓮正宗が異端中の異端ですから、これを信奉していた創価学会の教義がそうなるのも当然ですけどね。外部から突っ込まれることはないし、会員さんは何を書いても信じますからこれでいいんでしょうね。疑ったら福運消えますからね(笑)。学会員さんは目の敵にしている日蓮正宗と同じ教義を学んでいることを忘れてはいけません。同じなんです。お互いが世界で唯一正しい信仰だという、同じ思想哲学をもっている同志なんですが、金と権力の折り合いがつかずにいがみ合っているだけなんですけどね。不思議ですね。

    それと創価学会公式ホームページを見ていたら、池田氏の国連からの受賞歴の中に「国連平和賞」っていうのが今でも載ってるのに驚きました。
    これ国際連合とは何の関係もない、どこで誰が何をしているかも、連絡先も事務局がどこにあるかもわからない、超あやしい自称NGOがやってる賞なんですね。そこのFACEBOOKページには
    「国連平和賞は国際平和に貢献した名も無き市民に光を当て、国際平和に貢献しています。
    ※国連平和賞は国際連合とは関係がありません。」
    とあります。池田センセーは名もなき市民なのだそうですよ(笑)
    で、そのFACEBOOKページ自体の基本データの受賞歴に
    「2012年、国連平和賞は、国連平和賞授与委員会により、国連平和賞を授与されました。
    数多の国際平和に貢献した名も無き市民に光を当て、長年に渡り国際平和に貢献したことが受賞理由とされています。」
    とあります。???自分たちが作った賞なのに自分たちに賞を授与しているんです………ますます怪しい(笑)
    どっちみち公式ホームページの「国連からの受賞歴」に入ってるのはまずいでしょう(笑)
    学会員さん、誰か創価のHP担当に教えてあげてはどうでしょうか。

    そういえば新興宗教の教祖になって信者から870億円を騙しとると言う詐欺で逮捕され懲役12年の実刑判決を受けた「最高ですか〜!」で有名な法の華三法行の福永法源ももらったという「ガンジー賞」を池田センセーももらったそうなんですが、さすがにこれは表示してませんでした。ちなみに「この賞は金で買える」と福永氏が言っていたそうです(笑)

  3. はじめまして。今年の2月位に覚醒して、非活になったばかりの婦人部地区幹部のジュナと申します。40代前半です。
    私の今の悩みは、ご本尊を持たせてしまった父に創価の実態のことを話せずにいることです。父は高齢で、精神疾患も抱えており、施設に入居しています。その部屋にはご本尊を安置しています。精神的な病のない私でも、創価の実態を受け止めることはかなり苦しいことでした。精神的に病のある父にはとても話せません。
    我が家の家族は元々非活で、私だけが活動家だった為、同居家族は創価の実態を理解してくれました。私達家族が脱会するタイミングは、父が亡くなってからかもしれないな、とまで思っています。
    それはいいんですが、問題は父が亡くなった時の葬儀です。
    学会の友人葬は嫌なんです。仏教でもなんでもないイカサマで父を送りたくはありません。ニセ本尊を掲げて父を地獄へ案内されそうです(恐怖)
    でも、他の宗教に入る気も起きず、まして日蓮正宗で葬儀などしたら、仏敵扱いされて、組織をあげて危険人物扱いされそうです。ま、他の宗派でやっても裏切り者扱いでしょうが。
    父と共に脱会できれば、そんなに悩まないんですが、父が生きているうちは脱会は無理かなと思いますし、亡くなった時に創価がからんでくるかもと思うと憂鬱です。
    ちなみに父は高齢になってからの入会で、施設に入る前に座談会や会合に参加する程度でしたので、MCはされていず、先祖供養的にご本尊に朝晩手を合わすだけです。題目も長時間はあげてません。私の要望を聞いて入会してくれた感じです。
    それでも父は長男だったので、先祖代々続いたある宗派を全て捨てて創価に入ってくれました。とても立派な仏壇も全部捨ててしまっているので、今更創価が間違いだったなんて父にはとても言えません。それこそ精神疾患が悪化してしまいます。

    今は、密葬や無宗教の葬儀もあるそうですが、どうしたらよいのか、わかりません。
    創価の上層幹部の葬儀は、密葬が多いらしいですね。
    家族だけで、こっそり密葬って周りにはあまりいないので…。

    父の容体が悪いわけではないので、急いではいませんが、きちんと考えておかねばならない大事な問題なので、よきアドバイスがありましたら、お願い致しますm(__)m

  4. こんばんは。外部のぽっけです。
    そういえば、元地区部長で退転した同級生に、脱会前に質問したことがあります。

    「要するに、池田センセーとあなたの関係ってなんなの?あの人べつに神様じゃないよね?」と。
    その答えとして「師弟不二。師匠と弟子だ」と言ってました。
    会ったこともないのに師弟不二と言えるのは、なぜなのでしょうか。
    「センセーがお喜びになる」「センセーをお守りするために」とひたすら尽くす。
    一方的な片想いって感じ?センセーは末端の一人一人が何をしてるかなんていちいち知りもしないのに・・・。

    師弟不二の精神とやらでそこまで思い込む友人に対し、催眠術にかかってるみたいで可哀そうと思っていましたが、あちらはあちらで「一般人にはこの崇高な世界がわからない。バカだなあ」と思っていたのでしょうね(笑)

    確かに、教義の中には良いことも含まれているのかもしれません、だからこそ会員も増えたと思います(せめてそう思いたい)が、その教義の内容よりも「池田センセー」という人間を異常に崇拝しているように見えます。

    会ったこともない師匠、直接言葉を交わしてなくても、人生すべてを捧げてしまうほど盲信できるものなのでしょうか。
    二世、三世の刷り込みは仕方ないとしても、ある日、折伏を受けて入会した人(同級生はこれに該当します)は、なぜいきなり師匠だの弟子だのと思えるのでしょうか・・・。

    創価学会における「師弟不二」という関係は、そんなに特別なものなのですか?
    たまたま友人がそうだっただけで、それ以外にも何か象徴するような関係ってあるのでしょうか。
    すいません、外部の素朴な疑問です。

  5. ジュナさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
    たいへんな問題ですね。私の場合は父はすでに亡くなり、母も認知症が進んで、たとえ話をしたとしても何もわからない状態なので、このまま黙っているしかないと思っています。葬儀はバリ活の長男夫婦がいますから、創価の友人葬になるでしょうけど、それも仕方ありません。母自身も草創期からの幹部でしたので、ここで私が何かを言える立場ではありません。残念ですけどね。
    でもジュナさんの場合は、フクザツですね。これは家族の方に正直な気持ちを言って、よく話してみてはいかがでしょう。たしかにお父さんに創価の実態を告げるのは酷な話かも知れませんので、それは最後まで言わなくてもいいんじゃないでしょうか。このあいだお墓のことについての質問があったので、ここでお答えしたのは、私の友人の僧侶に相談したところ、自分の墓を自分で心配しなくてもいいと言われて、なるほどと思いました。ジュナさんのお父さんは、創価の実態を知らずに、純粋に仏教の信仰だと信じているわけですが、葬儀を出すのは喪主ですから、喪主の裁量で創価の友人葬にするか、他の仏葬にするか、それとも無宗教の葬儀(最近けっこう多いですね)にするかを決められてはいかがでしょうか。喪主として毅然としていれば、まわりの学会員さんは口出しはできません。それでも「お父さんもせっかくこの信心してきたんだから悲しむでしょ」とかなんとか言ってきたら「あなたが喪主をしてくれますか?」って言えば、自分が何を言ってるのか気づくかもしれません。他人の葬式に口出しするほうがどうかしていますし、ジュナさんがそんなことで悩む必要はないと思います。学会員さんも悪気で言ってるわけではないことはわかりますが、自分の父親の葬儀なのに、そこまで学会員さんの顔色をうかがったり、ましてや大切なお父様の最後の見送りをやりたくない形でしてしまっては、ずっと後悔すると思います。学会員さんが何か言ってきたら余計なお世話だとはっきり態度で示すのが一番だと私は思います。そのほうがジュナさんの気持ちもすっきりするのではないでしょうか。詳しい状況がわからないまま、勝手なことを言ってしまいましたが、お話を伺った範囲での私の考えです。言い過ぎたらごめんなさい。

  6. signifieさん、早速のお返事ありがとうございますm(_ _)m
    丁寧にお応え頂き、感謝致します。
    そうですね、喪主になるのは私ですから、私が毅然としていれば、いいんですよね。
    父が亡くなるのはいつかわかりませんが、私も非活になって間もないので、なまじっか長期間活動家として、学会員の方と関わってきたので、気にし過ぎてしまうのかもしれません。今は、会合にも一切出てませんので、この状態が長く続けば、周りは私に信心が無くなったと思うでしょうし、友人葬をしないことを不思議には思わないでしょうね。
    壮年部も、父のところには全く訪問にも来ませんし。
    signifieさんのお言葉で、なんだかすごく気持ちが楽になりました。
    ありがとうございますm(_ _)m

  7. 国連平和賞…私も気になって調べてみましたが、確かに国際連合とは何の関係もありません。
    贈呈・授与者は「国連平和賞授与委員会」となっていますが、自称NGOという以外、その詳細は一切不明です。
    顕彰記録によると1999年まで授与された人がいるのに不明って?
    英訳はなく日本生まれのようだという以外わかりません。

    またFACEBOOKに国連平和賞という個人がいて、その人によると「国連平和賞授与委員会」の構成員は「世界市民」なんだそうです。
    ……???
    また池田氏の授与は、SOKAネットとウィキペディアによると受賞したのは並橋友也という正体不明の人と共に1983年に授与されたことになってますが、2012年とは何のことでしょう?
    わけがわかりません。

    SOKAネットに誇らしげに載っていたら、国連から顕彰されたんだと勘違いする学会員さんもいるでしょうにね。勘違いも何も

    >どっちみち公式ホームページの「国連からの受賞歴」に入ってるのはまずいでしょう(笑)

    確かに~。
    ネットってデマよね(笑)

  8. 先日のコメントで、人生の価値は 他人の為に どれだけ尽くせたかで決まるのではないかと書きました。
    創価学会の中にも、純粋に 部員さんの為に 活動しているという、例えば ショウさんのような方々がおられると思います。
    自分の悩み事や、願い事を叶える為に 真剣に題目をあげて、学会活動もしているという、いわゆる おすがり信仰とは違った 純粋な信仰者のことです。

    そうした方々は、自分が思うに、 創価学会員でなくとも、クリスチャンやイスラム教徒であったとしても、宇宙を味方に付けて 人生を好転させて、生きていけるのだと思います。
    いわば、人間性の問題なのだと考えます。

    自分が創価学会を許せない理由も、そこにあります。
    純粋に 人助けをしたいと考えている、善良な人びとを 言葉巧みに 金集めのパシリに仕立てあげている事実があるからです。
    首脳部や、最高幹部達は おそらく、良心の呵責にさいなまれながらも、自らの生活や保身のために こうした事実を情報操作しながら、今日もどこかの会合で 会員のマインドコントロールに励んでいるのです。
    飯の種でしかない「裸の王さま」を、偉大なる師匠に仕立てあげつつ 叫ぶ言葉は、
    「今こそ イケダセンセイに喜んでいただける闘いを始めましょう!!」

    これのどこが仏教なのか、全く意味不明です。

    追伸
    signifieさん、中村元先生の本の紹介 ありがとうございます。
    近々、購入して 読んでみます。

  9. 初めて任用試験を受けた時の事を思い出します。
    五重の相対とか五時八教とか初めて聞く言葉で、他の宗教より自分たちの信じてる信仰がなぜ優れているのかという事を体系立てて教えてもらって感動したのを覚えてます。あと、大聖人が久遠元初の自受有報身如来だという下りも今思えばトンデモ話なんですがとても感動して目をキラキラさせながら講師のお話を聞いていました。
    それまで生きてきた中でこういう話を聞いたことがありませんでしたから、自分の家でやってた宗教がこんな素晴らしいものだったのか!なんて素直に信じてしまいました。
    仏教って身近なようでいて実は何にも知らなかったところにああいう話を聞かされると簡単に信じてしまいますね。
    私はもともとそういうトンデモ話が大好物な人間なので余計にドツボに嵌ってしまいました。
    池田氏の話も聞いてるとパァ~っと気分が高揚するような内容なんですよね。内容というより話し方かな?
    覚醒してから読んでみると突っ込みどころがたくさんあるんですが。
    例えば『宇宙のリズム』とか。
    宇宙にリズムなんてあるの?って何で思わなかったんだろう・・・。

  10. めがねさん、自分も任用試験を受けた時は そのように感じました。自分は、世界で唯一無二の正しい宗教を実践している、「選ばれし者」であると、上から目線で世の中を観ていましたよね!!
    覚醒した今、振り返ってみれば ただの自意識過剰で、アホな若者でした。
    当時、創価学会の正義(?)を振りかざし、自分が迷惑をかけてしまった方々に、土下座をして謝りたいです。

    「宇宙のリズム」
    あ~ 何て懐かしき言葉!!
    南無妙法蓮華経を唱えれば、「宇宙のリズム」と合致できると、 かの大センセイは仰っていましたね。
    なるほど、「宇宙のリズム」に合致しすぎて、普通に死ぬことさえ許されないとは…… 御察し致します。

    不老長寿のお薬を探しなはれ!!

  11. 宇宙のリズム……ロックバンドのサンタナを思い出しました…って言っても若い方は知らないかなあ。でも創価がハービーハンコックとウェインショーターとサンタナを呼んで日本で何カ所かだけのコンサートやったんですよね。私見に行きました。このときばかりは友だちの分まで民音のチケット買いあさりましたよ(笑)
    それにしても、前から思ってたんですが、めがねさん鋭いですね!人並みはずれた嗅覚をお持ちですね。創価を見破れなかったのはちょっと残念ですが(笑)、感覚が鋭いとか、かすかな空気を読むとか、そんなことを言われたことはありませんか?なんかめがねさんはそんな方のような気がします。それがなぜなのか、もうすぐわかりますよ(^^)。

    ジュナさん、少しはお役に立てたでしょうか。ちょっときつく言い過ぎちゃったかなと反省してました。創価についてなんでも書いてくださいね。よろしくお願いします。

  12. いや、全然鋭いなんて言われたことないです。
    初めて言われました。なんか嬉しいです(*^^*)←すぐ調子に乗る・・・

  13. 南無妙法蓮華経が宇宙のリズムだというのを聞いた私はその当時思いました。『つまり、もしどこか別の惑星に人間みたいな知的生命体がいて宗教があったらそこでも同じ発音で南無妙法蓮華経が唱えられてるってこと?』と。マジでその当時そんな想像を膨らませてました。宇宙空間にお題目の声が鳴り響いているところも。最終的に行き着く真理が南無妙法蓮華経なら必然的にそうなりますよね?
    体験がなかった私はこの観念的なとらえ方だけで10年も疑わず走り続けてきたわけです。改めて考えるとすごい~~!!

  14. 宇宙のリズムって覚醒する頃に良く考えたことがあります。TVで宇宙の事をやっているのが好きで見ることも良くあります。結局人間も宇宙の星たちと同じで、生まれて死んでいくという自然のリズムが宇宙のリズムなのかな・・と思ったことがあって、なので宇宙のリズムに合うっていうことはどんな人にも生きている人には言えることではないのでしょうか?リズムに合うということは特別なことではなく、また超常現象が起きるわけでもなく自然にそのままにっていうか・・言いにくいのですが題目をあげたからリズムに合うのではないということなんじゃないかと・・やっぱりうまい言葉に騙されたんですね~。わからないことのほうが多い宇宙の事を池田さんがわかるはずないんですよね(笑)

  15. signifieさん、コメントありがとうございます。きついなんて感じませんでしたよ。ごもっともな意見と思い、少し自分が恥ずかしくなりました。夫とも話していたんですが、葬儀自体が宗教儀式なので、どこか何かの宗教に属していないと葬儀が受けられないっていうのってなんだかなーって思うよね、と。故人を供養したい気持ちはあるけど、無宗教だと供養になるんだろうか?とか、一般的に仏式で四十九日とか一周忌とかありますが、無宗教だと全くないというのも、故人をないがしろにしているような気がしますし。難しいですね。供養したいと思う気持ちだけで本当に供養になるのなら、いいんですけど。
    葬儀は家族だけで密葬でもいいよねと話してました。儀礼的な葬儀よりも、故人を本当に偲んで家族だけでおくってあげたほうが。創価も絡むスキもないでしょうし。
    signifieさんがご紹介くださった、中村先生の本をネットで注文してみました。少し、本来の仏教というものはどういうものなのかを勉強してみたいと思います。

    私が覚醒したきっかけは、長年まじめに活動してきたけれど、結局願いが全く叶わないということと、立ち止まって振り返って考えた時に、不幸な出来事の方が圧倒的に多かったということです。それまでは、考えるスキを与えないほどの打ち出しとノルマに追われていましたので、振り返る余裕がなく、目の前の課題をこなすので精一杯でした。それが創価のやり口だった訳ですが。ネットや造反者の本も興味はあったけれど、あえて触れずに来ましたが、思い切ってそれらに触れてみたら、答えがわかりました。覚醒してからも会合に出ていましたが、全て異常な世界に感じて辛くなり、友好期間あけから一切の会合に出るのを止めました。
    全てが分かった時、私が心の中で薄々感じていた事が全部的中した感じでした。
    signifieさんのブログに出会い、共感しながら読んでいました。私だけじゃない!と嬉しく思いました。今後ともよろしくお願い致します。

  16. 仏教が 「ありのままでいることの大切さ」を説いているのなら、かの偉大な ビートルズの名曲 「Let It Be」も 直訳すると、「在るがままに」となりますので、彼等も 人生の極意について、達観していたのでしょうか!?
    何だか 嬉しくなりますね。

  17. インドでこの世についての有り様を発見した釈迦の思想が飛鳥時代の日本に伝わるまでのおよそ1000年という時間と、インドから日本という距離、そしてその土地土地の宗教との融合やいくつかの言語の翻訳に加えて、発祥した土地でのイスラム教徒による仏教の破壊ということもかさなって、釈迦の教えは本来のものからどんどん変質していったというお話をさせていただきました。さらに日本においても政治的な都合で神道と混ぜ合わされ、さらに鎌倉時代になると、これまでの仏教的な要素がまったく無視された教えを日蓮が唱えた。そしてその中でもいちばん異端で過激な解釈が日蓮正宗となり細々と伝承されてきたのが、戦後になって創価学会の折伏によって、その仏教でも何でもない過激なカルト思想が金儲けの道具として利用され、多くの人が犠牲となりました。ざっとまとめるとこういうことです。仏教は本来、何かを拝むと功徳があるとか、間違ったものを拝むと恐ろしい目にあうなどといったおすがり信仰ではありません。釈迦が真理を発見したといわれる禅定によって自らもこの世の真理に近づこうとする考えは、禅宗のほうがまだ本来の仏教に近いのではないでしょうか。ただ、鎌倉時代のような天変地異が続き、ちょうど芥川龍之介の「羅生門」のような悲惨な世相にあっては、念仏や題目を唱えるだけで幸せになれるという教えは、藁にもすがりたい当時の人々にとっては、唯一の生きるための光、つまりこれも芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のようなものではなかったでしょうか。そういう意味では絶望に打ち拉がれる人に生きる希望を与えたという意味での鎌倉仏教は存在の意味があったのかもしれません。それはキリスト教やイスラム教の存在意義とも共通するものがありますね。でも、でもです。本来の仏教はそんなものではなかったんだということを現代の私たちは知るべきだと思うのです。少なくとも仏教は先に述べた「おすがり信仰」ではないという大前提を見失ってはいけないと。そうした認識を徹底した学術研究の成果をもとに、やさしい言葉で語ってくださっているのが先に紹介した中村元先生です。当然、創価の教学とは真逆の立場です。

  18. 何十年ぶりでしょうか、教学二級試験以来かな?
    法華経の現代版を読み、法華経の意味を学びました。(創価のではありません)
    日蓮宗身延派、法華経○○会、日蓮関係の宗派、いろいろなところの教義を
    読みました。どこも『法華経』の教えを基本としているので、言っていることが全部同じです。あれ?教学試験で習ったな?学会だけじゃないんだ。
    日蓮仏法や法華経を正しく実践しているのは、創価学会だけのはず?
    創価学会よりも、規模の大きさは違えども、皆、実践してるんだ~。
    はい、本当に知りませんでした。驚きです!

    ここからは、ショウさんがいう、学会のいう通りに実践していれば、願いは叶う!を対話式で破折したいと思います。
    世の中、一般人「凛々子さん、知らなかったの?法華経の教えや日蓮の教えを唱えている宗派、たくさんあるよ」
    凛々子「日蓮正宗、創価学会以外は邪宗、間違った教えと言われてたから、見たことも、聞いたこともなかったの、幹部の人が、他宗派は拝む対象物が違うから邪宗と言ってました、教えも間違っていると」
    「あっ、そう言えば、池田先生も、本尊は物に過ぎない!拝むものが目の前に何かあった方がいいから、みたいなこといっていたような?」
    「仏は私たちの生命の中にある、運転しながら、家事をしながら、いつでもどこでも題目をあげてよい」

    信仰の要は、信、行、学
    南無妙法蓮華経=信
    法華経の教えを広め実践=行
    法華経を学ぶ=学
    これを主体として、いう通りにやっていれば願いが叶う。

    じゃぁ、お金払ってまでカラーコピー本尊もいらないし、自分の好みの宗派に所属して、信仰しても叶うんじゃない!
    創価学会だけっておかしいじゃん。となりませんかね。

    「子育て特集、美味しいレシピ、健康講座、テレビ欄、企業広告も載っていてすごーくためになる新聞でしょ?とって~」
    一般の人、「学会内部の話を読んでもわけわかん、ためになることは、テレビや雑誌でもよく書いてあるしいらない」
    「○日に、介護専門の先生がきて、高齢化社会を生きるってテーマで講演あるの、きて~」
    実はこれは、創価学会が主催なの、世の中のためになることをやってる凄い団体でしょ、入ろうよ~」
    どこが、法華経や日蓮仏法を実践し、広め唱えている法華経の行者ですか?
    一般の人「えっ、学会が主催なんて知らなかった~、わかってたら来なかったのに、勧誘はお断りします。
    凛々子さん、それって、勧誘っていうのよ、迷惑よ、やめましょう」
    凛々子「私は、法華経を広めているんです、学会のいう通りに実践すれば、必ず願いが叶うんですよ、信じて~」
    作り話ですが、実際にあることでしょうね。

    活動家の皆さん、他宗派もどんなことやってるのかな、と
    ぜひ見てみてください。

  19. シニフェエさん、また先走りなコメントしてしまい、すみません。
    けして、ショウさんへの質問ではないので、ショウさんもここはスルーでお願いします。「ショウさんがいう」という書き方は誤解を招くと思うので、訂正して、ただ、法華経を読んだり、他宗派の教えを読んで、あれれ?
    と思ったので、ショウさんとの対話のテーマと別なところに書いた訳です。

    もし、私が三世ではなく、一般の人で、何か教えを求めて、日蓮宗や法華宗などに出会ったら、素直に信じていただろう、と言いたいだけです。

  20. 離々子さん、いえいえ、そんな気を遣われなくていいですよ。離々子さんの言いたいことはよくわかりますので、ぜんぜんOKです!(^^)

    それより、今夜のショウさんの顛末に驚いて腰をぬかさないでくださいね(笑)

  21. 始めまして、グーグル検索から、こちらのブログにたどり着きました。
    これは、創価学会から遠い、自分たちのようなものにとって、大変わかりやすいまとめで、感謝します。

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