創価の選挙はこういうものです

財務で盛り上がっていた創価のみなさんですが、衆議院の急な解散の話が持ち上がった途端に選挙体制へと切り替わる変わり身の早さはすごいですね。いったい何の集団なのかわからなくなりそうです(笑)。

まあ短期決戦でどこの陣営もちゃぶ台ひっくりかえしたような騒ぎですが、ここで創価も公明党の議席を減らすわけにはいかないでしょうから、またまた「法戦モード」が炸裂するんでしょうね。法戦。またの名をジハード(笑)。末端の会員さんは、いつものようにうまいこと言いくるめられて、公明票を何票とると功徳があるとか、福運を積むことになるなどと、わけのわからないことを徹底的に吹き込まれて、きのうまでの金蔓マシーンから明日の集票マシーンへと変えられていくんでしょうね。

ほんといいように使われっぱなしの学会員さんですが、政治に関しては秘密保護法案や集団的自衛権や原発再稼働の問題で、さすがに疑問を感じた学会員さんも増えたみたいで、これを気に覚醒に至った方もずいぶんいらっしゃるようです。今回もそう言う意味では多くの学会員さんの覚醒の機会になればと期待しています。

信仰と政治が直接結びつく社会が民衆の文化をどれだけ破壊したかはローマ帝国の歴史を見るまでもなく、また現在の中東の悲惨な戦闘状態を見るまでもなく、誰の目にもあきらかですよね。「それは信仰が間違っているからだ」と言うかもしれません。ではキリスト教もイスラム教もまちがっているというのでしょうか。それを言うなら仏教も歴史の中で戦いをくりかえしてきました。まあ、何をもって仏教というのかというのもいろいろだし、そもそも日蓮仏法が仏教なのかということから問題がありそうです。こんな理屈をいくらこねまわしても何の結論も出てきませんが、今現在、創価学会の会員さんは公明党の集票マシーンとして、有無を言わさず誰彼かまわず投票依頼をさせられています。これ自体も重大な人権侵害であるにもかかわらず、「法戦」というわけのわからない理屈でまるめこまれています。お金を出すのも功徳。票を集めるのも功徳。「やれば極楽やらねば地獄」と徹底して脅してきます。これが間借りなりにも民主国家日本における人権侵害でなくてなんでしょう。

誰がどの議員に投票するのかを決めるのはその人個人であるというのが民主主義の根幹です。私たちは投票行為でしか国政に参加できません。それを宗教(表向き)によって作為的に制限されるのは、どう考えてもおかしなことなのです。

学会員さん、あなたが誰に投票するかはあなた自身が決めるべきことは当然だし、誰かに投票を依頼するということは、あなた自身の考えで行われるべきことです。創価のように組織として「この地区はこの議員の投票を」という指示のもとに動いていくというのは、完全に民主主義に反していると思いませんか?それも所属している労働組合とか大企業からではなく、ひとつの新興宗教団体がです。こんなおかしな話はないんです。

「功徳をもらうために知り合いに片っ端から投票を依頼する」これのどこが信仰なんですか?

自分のやっていることにどこまで責任が持てますか?

公明党が何をやっているのか知っていますか?

この問いに明確に答えることができるのであれば、頑張ってFとりでも、唱題会でもやってください。でもそこにちょっとでも疑問を感じるところがあれば、きちんと自分で納得するまで考えてください。ここの皆さんの様々な経験を見ながら、今の自分は選挙に対してどういう判断をし、どういう行動をするべきなのかを考えて欲しいと思います。

ということで、今回のテーマは「創価の選挙はこういうものです」と題して、みなさんがやってきた創価学会員としての選挙活動がどのようなものであったのか。そして今ふりかえって、どう思うのかをお話ししてください。何も考えずに功徳欲しさに選挙活動へと動かされている方に対して、ぜひとも一石を投じていただきたいと思います。よろしくお願いします。

創価の選挙はこういうものです」への303件のフィードバック

  1. 投票に行くのを断ったら、創価脳の母にボロクソ言われました。
    創価三世…四世?の私。
    (母が)金曜ぐらいから色んな所に投票のお願いの電話を掛けまくってましたが、「あ、もしもし~、○○高校に行ってた○○(弟の名前)の母ですけど~」というセリフが聞こえてきて、思わずぎょっとしました。ちなみに弟が高校を卒業したのは8年も前。名簿ですか?恐ろしいことに、弟の高校時代の同級生宅に次々掛けてました。子供がどう思われるとか考えないんですね。
    三年前、創価大嫌いな私に一生のお願いだから投票して!!とキ○ガイかと思うほどヒステリックに喚き散らかされ、今後二度と投票に関して口を出さない事を約束して公明党に入れました。…が、同じ事を繰り返した去年。来年こそ無いからな!と言いつつ、破られるだろうが約束だけを取り付けて投票しませんでした。
    母が先に約束を破ったんだから知りませんよ。
    案の定、今日も七時位からお願い攻撃が始まりました。
    一昨日別件で喧嘩してから(機嫌が悪いと母は関係のない人にも八つ当たりでキレる為、私に一切非は無い。)ひたすら無言で無視し続ける私の横でしゃべり倒す母。
    刻一刻と時間が経つほど焦りからかテンション上げて一人盛り上がってました。
    「一生のお願いやけど、母は一度死んだからもう一回お願いしとんのや」←これが一番意味が分からなかった。
    「お母さん無理なお願いしとるわけじゃない、これくらい協力してくれてもいいはず」
    「あんたも嫁に行ったら一緒に過ごす時間少なくなるんやから、少しくらい言うこと聞いて」
    「なんぼお母さんのこと嫌いでも、これだけはお願いや。~~…そんなにお母さんのこと否定するんか!そんな否定ばっかりやったら親の立場ないやろ!」
    最終手段は大学で多額のお金使ったんやで攻撃。これを言えば言うこと聞くと思ってる母。
    創価関係でヒスを起こすと多用してきます。
    今回もつらつらと攻められました。
    すぐに金金言うけど、高校の時に見つけた創価への寄付金の領収書はなぜか私と姉名義で、各百万ずつ。…どこから出たお金ですかね?
    私たちを育てるのに命削ったらしいですが、家族以外に使われた二百万はなんだろう。
    たぶんもっと多額のお金が創価に行ったんだろうな、と思うと有り難みも薄れます。
    親の立場って言われても…子供にお金たくさん使ったら愛情ですか?母子家庭でも貧乏だけは知らずに育ちましたが、家族で食卓を囲むことなく、休みの日でも学会活動へ出かける後ろ姿を見て、家族旅行も遠くの知り合い宅へ選挙の頼みに行くついで。朝昼夜時間問わずで行われる全力投球の音声で始まる勤行で娘の睡眠を妨害する。たまにテンション上がって抱き締められても、安心感もなく違和感しかない程ハグされた記憶も無し。
    子供<創価だったのに親の立場と言われても…むしろその口で娘の持つ人間としての権利を色々否定してくれて、嫌悪感しか抱けませんよね。宗教の自由ってなんでしょ?
    ほんと創価MC怖い。

  2. コッコさん、コメントありがとうございます。
    コッコさんのお名前で過去にコメントが見つかりませんでした。
    もしこのブログで初めてのコメントでしたら自己紹介をお願いします。

  3. ニュースでは人質問題が連日のように取り上げられていますが、創価では全くと言っていいほど関係ないです。
    すでに4月にひかえた統一選に向けてまっしぐら。支部からは明日までに地区の得目を出すよう言われています。この土日は区内の「とるとるデー」(笑)だそうで、区内のFを取りまくるよう打ち出しがでています。

    先日の支部の地区婦人部長会で聞いた話。
    12月の選挙で、東北の比例区で議席を伸ばした公明党。「東日本大震災では、連日のように池田先生に激励をいただいた。今こそ先生に御恩返しを!報恩感謝で戦おう!」となった結果だそうです。
    この話をした担当に入った60代のおばちゃん区幹部は、途中涙声に。

    都道府県クラスくらいまでの婦人部の幹部は、ほとんどの方がこのおばちゃんのように人がいい方ばかりだと思います。壮年はどうかわかりません。壮年の都道府県幹部は、ほとんどが副会長をやっているので、もしかしたら中央からお手当をもらている可能性も。

    私の周りにいる方たちは、皆さんいい方ばかりです。ある意味とても純粋に信仰活動をされています。
    だからこそ、余計にそういった方と活動を共にするのが心苦しいですし、自身が一線を退いた後を思うと・・・
    自らは役職を辞退できそうにないので、引っ越しの計画もあるので、できればそれを機にフェイドアウトできたらと思っています。

    それにしても、4月12日まで長いなぁ~(・_・;)
    これからまた、部員さんへの裏切りの日々が始まります・・・

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