白いブランコさんとの対話

白いブランコさん
あなたのスタンスがいまいちわからないでいます。というのも、これまでここに来られた学会員さんたちのいわゆる「殴り込み」とは違うのはわかります。ただ白いブランコさんが言われていることが、創価が上から末端会員に押し付けてきた都合のいいことばかりをそのまま鵜呑みにしてここで話しているという印象は、ここの皆さんが言ってる通りだと思います。いまさら創価の組織についての上っ面を私たちに説明する必要などありません。おそらく白いブランコさんよりは詳しく知っている方ばかりだと思いますよ。

それから、白いブランコさんは基本的にここの皆さんからのお話をスルーしたまま、単にモノ腰を柔らかくして上から教えられたことをそのまま言ってるような気がするんです。それは白いブランコさんの考えではなくて、上から言われたことをそのまま言ってるんですよね。もしくは上から言われたことを何も考えないまま、そのとおりのことが自分の考えであると思い込んでいる。つまりそういうのを思考停止と一般世間では言うのですが、少なくとも私には白いブランコさんの発言が思考停止に陥った方が言われたままを言っているだけのようにしか思えないのです。さっきも言いましたが、上から言われていることでしたら私たちのほうがもっと知っていると思います。ですからおそらくこのままでは対話にはならないと思いますので、私からひとつ提案させてください。

他の皆さんは白いブランコさんを批難しているわけではないということはわかりますよね。白いブランコさんが創価を宗教だと信じて活動していくことを引き止めるつもりもありません。私たちは私たちの考えを述べていて、具体的にこういうところが白いブランコさんとは違うのですが、どのように思われますか?という問いかけをすることで対話をさせていただきたいと考えています。

そういう意味で、私は先日いくつかの具体例をあげながら質問させていただきました。
要約すると

・池田氏が5年も姿を現さないで、そのことに上からは何の説明がないにもかかわらず、なぜ学会員さんはなんとも思わないのか?

・創価が日蓮正宗から破門されてから信仰の根幹であるご本尊が変わって、それがカラーコピーであるにもかかわらず、なぜ学会員さんはなんとも思わないのか?

・毎年数兆円と思われる財務のお金の使途がまったく知らされないにもかかわらず、なぜ学会員さんはなんとも思わないのか?

こうした一般常識では考えられないような創価の事態に対して、なぜ学会員さんはなんとも思わないのか?ということについて白いブランコさんはどのように思っているのかをお訊きしたいんです。創価の言い分(それはもう十分にわかっています)を聞きたいのではなくて、白いブランコさん自身が個人的にこの3つ疑問に対してどのように納得されているのかをお尋ねするものです。
よかったら、まずは他の方からの質問はとりあえず置いといて、それから創価の言い分も置いといて、白いブランコさんご自身の考えをお聞かせいただけるとありがたいです。

どうかよろしくお願いします。

ということで、このスレッドでは創価学会活動家である白いブランコさんと管理人である私シニフィエが対話を試みる場所とさせていただきます。

ほかのみなさんは、とりあえずこのなりゆきを見守っていてください。感想などは、この前の「覚醒の瞬間」のスレッドへお願いします。

このようなスレッドを立てたのは、これまでの経験上、活動家さんとの対話はなかなか困難であったのと、現役の活動家さんがどのような考えで活動を続けていらっしゃるのかを生の声で紹介できる機会になればと考えたからです。
「覚醒の瞬間」のスレッドでの白いブランコさんのコメントからもわかるように、白いブランコさんはまったく覚醒はされていません。ただ創価の現状が一部理想的ではないと感じていらっしゃることも確かです。さらにそのような部分を自分たちで改善していくことで、素晴らしい宗教団体になるということを信じてもいらっしゃるようです。
こうした実際の現役学会員の方の創価に対する考え方感じ方を対話によってはっきりすれば、創価問題がどこにあるのかを考えるうえで参考になるのではないかとも思っています。

何度も言いますが、私は創価を信じている人を批難して、無理にやめさせようとは思っていません。ここではっきりさせたい、というかもしかしたらはっきりすることができるかもしれない学会員さんの考え、および世間一般の常識やモラルとの隔たりを明らかにすることは、たいへん意味のあることではないかと思っています。またそうしたことをネットで公開することにより、創価に疑問を持ち始めている方にとっては、今後の生き方を決めるにあたってのよい判断材料にもなるのではないかと思います。

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白いブランコさんとの対話」への66件のフィードバック

  1. signifie様
    白いブランコです。ご丁寧に新しいスレッドを立てていただきありがとうございます。
    また、皆様からさまざまコメントをいただきありがとうございます。
    すべてに返事ができない状態ですみませんが、signifieさんよりご提案をいただきましたので、
    こちらのスレッドで対話をしていきたいと思います。

    改めて自己紹介ですが、学会2世で現在地区部長、青年教学1級、青い服を着てました。
    歳は40半ば、パートナーは婦人部で幹部です。
    何名かの方が怪しまれてますが、最近投稿を始めたばかりなので別人(どなたの事かも
    わかってません)です。パートナーへの配慮で言葉を選びました。

    私のスタンスですが、最近の創価学会の活動(特に選挙)に疑問を抱き、
    また、かつての活動家で現在未活動家の方達に対して、何が原因かを探し、
    改善して行こうとの思いでネットを検索しこちらのブログにたどり着きました。

    創価学会は本来的に素晴らしい宗教団体だと思ってます。
    ただ、創立80年以上たった現在、活動を見直していかなければならないところも
    多々あると感じ、改善策を検討・部分実施しているところです。

    それでは対話に入らせていただきます。ご質問ごとに返答をしていきます。

    ・池田氏が5年も姿を現さないで、そのことに上からは何の説明がないにもかかわらず、なぜ学会員さんはなんとも思わないのか?

     皆さんの中には心配している方もいますし、どうされているのか気にしている方もいらっしゃいます。
     聖教新聞紙上において、年に何度か写真が掲載されて喜ばれる方も大勢います。
     本幹等の席上、原田会長の”お元気な先生”との言葉で先生の状況を伝えてくれております。
     何の説明がないわけではなく、私たちも何とも思わないわけではありません。

    ・創価が日蓮正宗から破門されてから信仰の根幹であるご本尊が変わって、それがカラーコピーであるにもかかわらず、なぜ学会員さんはなんとも思わないのか?

     お取替えの時はさまざま質問や疑問がありました。「なぜ変えなくてはならないのか?」「そのままでもいいのでは」等々。
     日蓮大聖人の御書を学ぶと、御本尊は相貌(そうみょう)と信じるに足る事柄が必要であると解釈できます。
     破門した法主のご本尊からは信じるに足る事柄が失われます。
     もちろん学会が信じられず、日蓮正宗に行かれた方もいらっしゃいます。
     カラーコピーですが、複写の方法で多色刷り印刷ですね。
     単語の使い方で、安っぽく感じさせてるようでいやらしさを感じます。

    ・毎年数兆円と思われる財務のお金の使途がまったく知らされないにもかかわらず、なぜ学会員さんはなんとも思わないのか?

     財務の受領書には「広宣流布のため有意義に使わせていただきます」(前後略)とあります。
     会館建設・維持管理、世界広布のため等に使われています。
     使途を知らされてないわけでもなく、学会を信用して財務を行っています。

    ご質問の返答は以上です。

    「創価の言い分も置いといて」とありましたが、学会で学んで来ているので、私の考えと重なるところはあって当然になります。

  2. 白いブランコさん、さっそくのお返事ありがとうございます。
    それではしばらくは私との対話ということで進めさせていただきます。
    よろしくお願いします。

    できるだけ皆さんにもわかりやすく話を進めていければと思いますので、確認のために文章がしつこい部分もあるかと思いますが、そこは誤解を招きかねないテキストのみでの対話ですのでご了承ください。

    まず最初の質問についての白いブランコさんのお答えは次の通りでした。

    >皆さんの中には心配している方もいますし、どうされているのか気にしている方もいらっしゃいます。聖教新聞紙上において、年に何度か写真が掲載されて喜ばれる方も大勢います。本幹等の席上、原田会長の”お元気な先生”との言葉で先生の状況を伝えてくれております。何の説明がないわけではなく、私たちも何とも思わないわけではありません。

    学会員さんも池田氏が5年もまったく姿を見せないということについては心配されているのですね。知りませんでした。ここに来られる活動家さんからは、ひとりもそうしたお答えがなかったし、学会員さんのブログで私が質問しても「先生はお元気です」の一点張りだったものですから、おおむね学会員さんは池田氏は元気なんだと思っているとばかり思っていました。

    池田氏は学会員さんたちにとっては人生の師匠であり、世界平和の指導者なんですよね。そして学会員さんは池田氏の弟子だと。末法において世界を救済するために現れた地湧の菩薩だと信じているんですよね。そして創価学会の組織の中心には師弟不二という揺るがない絆があるんですよね(ちなみに仏典にも御書にも出てこない師弟不二という言葉が創価思想の中心にあるのも変な話なんですが)。なのに師匠は弟子になぜ5年も姿を現さない理由を教えないのか。そして弟子はなぜそれを知ろうとしないのか。それが師弟不二の絆なんですか?弟子とあろうものが、師匠が今どこで何をしているのかさえ知らされない組織。そのことに何ら疑問をもたない弟子。

    聖教新聞に載っている池田氏の長文の指導や連載記事や各会合へのメッセージなど、それこそ元気でなければ務まらないだろうと思える執筆活動はこなしていますよね(それが本物であればの話ですが、もちろん学会員さんはすべて池田氏が自分で書いているものと信じていますよね)。そんなことができるのであれば、ひとこと姿を現さない理由を自分で弟子に伝えたら、弟子もいらぬ心配をしないで済むのではないでしょうか。いいですか?5年ですよ。5年も弟子に対して一言も口をきかない師匠がどこの世界にいるんでしょう。池田氏は現在87歳。いつ逝ってもおかしくない年齢なのですから、なおのこと池田氏がどういう状態で、なぜ5年間も姿を現さないのかを、はっきりと会員に知らせるべきなのではないでしょうか。なにか間違ってますか?それとも「これにはきっと深い理由があるのです」と、いつものように末端会員が勝手に適当なわけのわからない屁理屈を言うだけの組織なんでしょうか。

    白いブランコさんのお話では、原田会長が”お元気な先生”と言ったことがあるというだけで、学会員さんは「ああ、先生はお元気なんだ」と思われているのですね。ではそのお元気な池田氏はなぜ会員さんの前に5年も姿を現さないんでしょう。心配されている学会員さんがいるのは当然ですと白いブランコさんがおっしゃるように、何百万人もいる学会員さんの中で心配されている学会員さんは5人や10人ではないでしょうに。創価学会員が800万人いるとすれば、少なくとも100万人ぐらいの人は「池田先生はどうしてるんだろう?」と思っていても不思議はありませんよね。ではその100万人の学会員さんの心配を5年ものあいだ幹部はほっぱらかしにして原田会長が”お元気な先生”と言ったということで済ませてしまっているということですよね。そして白いブランコさんはその原田会長の一言で「何の説明がないわけではなく」とおっしゃるのはなんとも説得力がないように思われるのですが、いかがでしょう。

    たとえば白いブランコさんが大企業の社員さんだったとします。それであなたの会社の社長が一ヶ月も姿を見せなかったら心配して上司に社長の様子を訊きますよね。あなただけではなく、ほとんどの社員が心配して「社長は大丈夫なんでしょうか?」と部長や専務に訊くと思うのです。だってもし体調を崩して入院していたりするならお見舞いに行ったりするだろうし、取引先の会社の方から「おたくの社長さんは近頃見ないけどどうかしたの?」って訊かれたりもするでしょうから、社員としては知らないでは済まされませんよね。社長がほんとうに健康を害して入院でもしていたり、今後回復の見込みがないような事態にでもなっていれば、会社の今後の運営にも大きく影響を及ぼしますし、一部上場の大企業であればあるだけ変な噂だけでも株価が変動します。会社の死活問題に直接関わることです。ヒラ社員が鬱になって会社を休んでるといったことと話が違います。

    創価の場合は公称837万世帯の大新興宗教団体の中心人物が5年も姿を見せていないんです。これって誰が見ても異常事態なんじゃないですか?なのにこれに関して具体的なことは一切明かさず、原田会長がなにかにまぎれて”お元気な先生”と口走ったことのみを末端会員が勝手に「先生はお元気なんだ」と解釈して済ませるというのは、どう考えても不自然ですよね。創価学会が組織の方針として池田氏を表に出さないというのであれば、それはそれでいいと思うし、部外者の私などはべつにどうだっていいんです。私は創価学会の今後を心配しているわけではありませんから(笑)。でも学会員さんがなぜ心配していないのか。あるいは心配していても表立って口にしないのか。そしてそれよりも何よりも、なぜ池田氏本人は自分が姿を現さないことの理由を会員に何一つ話をしないのかということです。この疑問は白いブランコさんへ訊いているのではありません。こんな疑問を持つほうが自然なのではないかと言いたいのです。

    聖教新聞にはことあるごとに池田氏の指導やメッセージが載っています。しかしそこで自分が会員の前に5年も姿を現さないことについては一切ふれたことはありませんよね。自らが人生の師匠だと豪語してきた池田氏が、弟子に対して何も理由を知らせることなく5年間も姿を現さないのであれば、弟子が心配しているだろうということは当然わかると思うんですよ。でも結局その弟子の心配に答えることなく、これだけ人生の偉大なる師匠と慕ってきている何百万人もの弟子たちに対して声のひとつも聞かせないというのは、どう考えても不自然なのではないでしょうか。

    また、師匠のことを本気で考えている弟子であるならば「池田先生はお元気なのに、どうして声のひとつも聞かせてくれないんだろう?もしかしたらほんとうはお元気ではないのでは。幹部なら知っているだろうから訊いてみよう」と心配するのが弟子として自然な姿でははないでしょうか?

    そこでもう一つ質問があります。
    1 白いブランコさんは池田氏が5年も姿を現さないことに関して幹部にその理由を尋ねたことはありますか?
    ・あるのであれば、どういった返事が返ってきましたか?
    ・ないのであれば、なぜ幹部に訊かないんですか?
    2 それから池田氏の現状を訊くのはいけないことだと思っていますか?
    3 池田氏はもしかしたら病気なんじゃないかと疑ったら自分の福運を消すことになると思いますか?

    以上、しばらくはこの池田氏が5年間姿を現さないことに関してに話をしぼって対話を深めていきましょう。よろしくお願いします。

  3. signifieさん
    こんばんわ。仕事や用事のため、返事が遅くなることもありますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。
    また文章の記入に関して、わかりやすくという点、了解しました。

    それでは続きに入りたいと思います。

    signifieさんは、池田氏が5年もまったく姿を見せないというようにおっしゃってますが、
    年に何度か聖教新聞に写真が掲載されたり、直近では昨年の11月頃にSGIのメンバーを激励しております。
    グラフSGIの本年2月号に写真が載っていますので、知人でグラフSGIを持っている方がいれば
    確認してみてください。

    >原田会長が”お元気な先生”と言ったことがあるというだけで、学会員さんは「ああ、先生はお元気なんだ」と思われているのですね。

    原田会長が先生と会われていることは、多くの学会員さんが知っていることです。
    だから先生に会われている原田会長の言葉を信用して「先生はお元気」と思っております。

    >なのに師匠は弟子になぜ5年も姿を現さない理由を教えないのか。そして弟子はなぜそれを知ろうとしないのか。
     それが師弟不二の絆なんですか?弟子とあろうものが、師匠が今どこで何をしているのかさえ知らされない組織。
     そのことに何ら疑問をもたない弟子。

    先生が出席された最後の本部幹部会が2010年の5月でした。そこで先生は「あとは君たち弟子でやっていきなさい」
    「私は見守っていくから」という主旨の話をされました。その次の本部幹部会から先生は出席されませんでした。
    正直驚きがありましたが原田会長からは「先生は生涯の願業である新・人間革命の執筆に取り組む」という内容の
    話がありました。
    姿を現さない理由ははっきり述べてますので、学会員さんは先生に見守られながら活動に取り組んでおります。

    >そこでもう一つ質問があります。
     1 白いブランコさんは池田氏が5年も姿を現さないことに関して幹部にその理由を尋ねたことはありますか?
     ・あるのであれば、どういった返事が返ってきましたか?
     ・ないのであれば、なぜ幹部に訊かないんですか?

    姿を現さないという件については上で述べた通りです。新聞やグラフSGI紙上で写真が掲載されることもありますし、
    実際に会われている方の話を聞くこともありますので、別段、幹部に尋ねる必要はないと思います。

    >2 それから池田氏の現状を訊くのはいけないことだと思っていますか?

    先日述べたとおり、先生もご高齢なので、何も心配がないわけはありません。ただ、先生の状況は随所で耳に
    入ってきますので、改めて訊くことはしておりません。いけないことではないと思いますが、もし訊かれたとしても
    「先生はお元気」との回答になると思います。

    >3 池田氏はもしかしたら病気なんじゃないかと疑ったら自分の福運を消すことになると思いますか?

    いろいろなことを心配するのは普通だと思います。先生に元気でいてほしいと思うのも学会員さんなら
    当然だと思います。そのために先生の健康・長寿を祈っている方も多いと思います。
    もしかして御病気かもと心配しているのであれば、ご健康を祈って行けばいいと思います。

    ご質問の回答は以上ですが、どれも通常、会合に出席したり新聞等を購読している場合のことです。
    活動されてない場合は、内容が断片的にしか伝わらないことがあるので、疑心暗鬼になることも
    あるかと思います。本当に心配されてるのであれば、会合等に参加してみたりして納得されればいいし、
    興味本位や悪意に満ちた思いで疑うのであれば、心が穢れていくように私は思います。

  4. 白いブランコさん、お返事ありがとうございます。

    しかしながら困りましたねえ。申し訳ないのですが、私はそんな建前だけの上っ面の話をしようとは思っていません。そんな話のやりとりでは時間の無駄です。もう少しこの場の状況と私の質問の意図を汲んでお話ししていただけませんか?

    池田氏が年に数回、聖教新聞やグラフに姿が載っているのは私も知っています。いつだったか創価学園の子どもたちがどこかにやってきたときに車越しに姿があったことなどもありました。もちろん子どもたちに声をかけたり歩み寄ったりはしていません。また、トップ数人だけの勤行会で導師をしている池田氏の後ろ姿が小さく新聞に載っているのも見ましたし、幹部だけの記念写真や夫人とのツーショットの写真もありましたよ。しかしそうした写真と原田会長が「お元気です」というのと「あとは君たちにまかせる」と言ったということだけで、5年も姿を見せないことが当然である理由にはならないのではないでしょうか。

    池田氏は元気だというのになぜ5年間も声を一言も出さないのでしょう。写真に写っている池田氏の表情は、焦点の定まらない痴呆老人のそれですよ。あの顔を見れば、普通は誰だって「大丈夫かな」と思います。あの顔で大量の執筆活動をこなして、人に会う暇もないほどの激務を5年も続けているとは普通では考えられないのではないですか。この5年の間にも、いろんな国の団体や学校の勲章やら名誉称号を貰っていますし、そのたびにわざわざ外国から使節団として称号を渡しに来ているのにも関わらず、池田氏はまったく会うことはないですよね。それっておかしいでしょ。失礼ですよね。それに池田氏の様子をうかがえるのは、年に数回の「◯月 新宿区にて」という日時も場所も曖昧なものばかりです。弟子は師匠がどこで何をしているのかわからないし、そのことを疑問に思わないのがおかしいでしょと言っているのです。

    >原田会長が先生と会われていることは、多くの学会員さんが知っていることです。
    >だから先生に会われている原田会長の言葉を信用して「先生はお元気」と思っております。

    そりゃそうでしょう。会長が池田氏と会わないのであれば一大事ですよ。それで白いブランコさんは「『先生はお元気』と思っております。」なんでしょ。いいですか?思っている思っていないということを問題にしているのではありません。池田氏は会員に対して5年も声を発していないし、実際に一般会員は池田氏の姿を見る機会がまったくないという事実があることを、何の問題もないと言い切る学会員の態度があまりに不自然すぎるのではないかと言っているのです。白いブランコさんはこのことを不自然に感じる私のほうがおかしいと本気で思いますか?

    東日本大震災で、多くの学会員さんも亡くなり、職を失い、住むところも追われました。しかしそれでも池田氏はまったく姿を見せませんでしたし、一言も声を発して激励することはありませんでした。天皇皇后さえ何度も現地に足を運び、被災地の人たちを激励して回られたのを白いブランコさんもご存知ですよね。とくに皇后は自分の体調が優れず、とても長旅のできる状態ではなかったにもかかわらずです。皇太子夫妻も同様です。そのとき池田氏は何をしていたのですか?弟子のあなたならご存知のはずでしょう。教えてください。小説人間革命の執筆に忙しかったのでしょうか?あの震災で創価学会員だけが信心のおかげで助かったのですか?ちがいますよね。なにか奇跡でもおきましたか?

    池田氏はネットと新聞紙上でメッセージを送っただけです。これもどう見ても代筆です。
    http://www.seikyoonline.jp/news/headline/2011/03/1195039_2463.html

    しかしあの震災直後5日目の大混乱のときに新聞やネットを見ることができる被災地の学会員がどれだけいたでしょうか。そんなときに啄木の詩を引用するなんて、ずいぶん能天気な名誉会長ですよね。まったく被災者の心に寄り添おうという気持ちがあのメッセージには感じられません。そして「『心の財』だけは絶対に壊されません。」などと、あの状況でこんな無神経なことしか言えない創価にはあきれかえりましたよ。石川啄木の詩を調べてメッセージを書く暇があるなら、肉親を失くし、生きる希望も何も失くし、変わり果てたふるさとに呆然と立ち尽くすしかない弟子に向かって、せめてひとこと生の声でも聞かせてあげたらいいではないですか。福島へ出かけて、一言激励してあげれば、どん底の会員さんはどんなに勇気づけられたでしょう。そんな人たちに対して石川啄木の詩をネット上にのせて何になるんですか?被災5日目の人たちがネットで創価のHPを見るとでも言うんですか?家族も家も仕事もすべてを失っている人に「『心の財』だけは絶対に壊されません。」などと、東京から一歩も動かず、ネットと新聞にたったこれだけのメッセージで済ませる神経が私には信じられません。それとも当時、福島に行けない事情でもあったのでしょうか?わかりませんよね。会員には何も知らされないですもんね。私はそのことを言ってるんです。池田氏が福島に行こうと行くまいと、外部の私がとやかく言う筋合いはありません。要は弟子である学会員がそれらの全てにおいて何にも聞かされていないということと、さらにそのことに対して何も不自然に感じない、もしくは感じていても決して口にはしない学会員さんばっかりだという事実を言ってるんです。

    白いブランコさんはこれに関してもなんとか正統な理由を探そうとするでしょう。実際これを読みながら、どんな言い訳ができるか必死で考えてはいませんか?私が言いたいのはそこです。私の話に対して、創価が正しいのだと言うことを言わないといけない立場だと思うその考え方が、すでに対話を成り立たなくしていると言っているのです。だから最初に「しかしながら困りましたねえ。申し訳ないのですが、私はそんな建前だけの上っ面の話をしようとは思っていません。そんな話のやりとりでは時間の無駄です。」と言いました。私の言ってることがわかりますか?

    それからこれも単純な疑問なんですが、聖教新聞には毎日のように池田氏の顔写真が載っていますが、どれも5年以上前。つまり池田氏が姿を現さなくなるよりも前のいかにも元気な表情の写真です。これもどう考えても不自然でしょう。どうして毎日毎日5年も6年も昔の写真しか載せないんですか?そして年に数回だけ、夫人もしくは最高幹部とだけの記念写真が載るだけですよね。そのときも棒立ちか、椅子に座って精気のない遠い目をした表情の写真のみです。この5年間、誰かと話をしていたり、笑っていたり、歩いていたりする姿の写真は1枚だってありません。5年間まったくそうした写真が載らないのを白いブランコさんは不自然だと思わないのですか?原田会長が「お元気です」というのであれば、そして執筆に忙しくて会員や海外からのお客さんにちらっとでも会う時間さえないというのであれば、なおのこと執筆している書斎での姿や、会長やトップ幹部と会議をしている姿などの写真くらい、聖教新聞に載せればいいのではないですか?しかし現実にはこの5年間一度だってありません。白いブランコさんはこの事実が何を意味していると思いますか?この5年間、最高幹部とだけしか会えないほど執筆活動に忙しいのか、人前で声を出せないほどの容態なのか。どっちが普通の考えだと思われますか?でももし後者だとしたら原田会長が会員に対して嘘をついているということになりますよね。だったら前者が本当だとしか白いブランコさんとしては考えられませんね。どうですか?白いブランコさんはほんとうにそう思いますか?心の底から池田氏は元気に執筆活動に大忙しで、何百万人と言う弟子には一度も会うことができない状態だと自身をもって言えますか?

    私は白いブランコさんを責めているのではありません。べつに池田氏が姿を見せないのが白いブランコさんのせいではありませんからね(笑)。普通に感じていることを言ってるだけです。そしてこの5年間の池田氏に関する情報を考えあわせると、池田氏は人前に出られるような健康状態ではないと考えるのが自然ではないかと思うのです。しかし白いブランコさんをはじめ、学会員さんは、べつに自分で見たわけでもないことなのに、「先生はお元気です。年に数回写真が載るではないですか。どこがおかしんですか?」としか言われません。正直、無理してませんか?私が話をしたいのはそこです。創価を詐欺団体だと言い切る私の言うことに納得できるわけがないと思って、必死で創価側に立ってとりつくろうとしていませんか?こと師匠である池田氏に関して疑いを持つなんてとんでもないと思っているのではありませんか?私にはそのように聞こえます。

    白いブランコさん。私も含め、ここにいらっしゃる方は創価のベテランですよ。ちなみ今日はじめてこのブログにコメントをくれた庫裡山(くりやま)さんは中学生のときから鳳雛池田会のメンバーとして、直接池田氏から指導されて、学生部では県幹部だった人です。それが今では池田氏を「金満ブタ野郎」とまで言うのですから、これはなぜかと考える意味はあるのではないでしょうか。もちろん創価では脱会すると「退転者」と見下し「反逆者」と罵り「ろくな死に方はしない」と脅し、会員には「あれは魔に負けたのだ」とか「何世にもわたって地獄の苦しみを味わう因をつくった」などと哀れみ、一般会員に脱会への恐怖心を徹底的に煽ることはよく知っています。これがとても宗教団体の行いとは思えないのですが、創価ではそれが当たり前のことなんですよね。でも庫裡山さんは、そんなことしっかりわかった上で、あえてこの場で「金満ブタ野郎」と言っているのです。これはたいへんなことなんですよ。創価はそれだけものすごい人権侵害を繰り返してきたという事実がここにあります。学会二世として生まれたときから一も二もなく徹底的に創価脳に仕立て上げられて、それまでの人生を完全に奪われ、騙されてきたことがわかった今でも、文化祭でともに苦労して声を枯らして学会歌を歌いながら活動してきた友とのことを思い出したときの慚愧が、白いブランコさんにはわからないでしょう。

    白いブランコさんは

    >興味本位や悪意に満ちた思いで疑うのであれば、心が穢れていくように私は思います。

    と言われていますが、このように学会員が脱会者を徹底的に貶めるほうが、よっぽど悪意に満ちて心が穢れているように私には思えます。

    池田氏が5年姿を現さない、正確に言えば、年に数回だけ無表情な写真が聖教新聞とグラフに載るだけの池田氏が、まったく動いている様子も見えなければ、一言も声を発する様子も見られないということは誰にも否定できませんよね。白いブランコさんとて見たわけではありませんからね。そうした事実に対して、学会員さんが受ける池田氏への印象と、私たち脱会者が受ける印象がここまで違うのだということをまず認めましょうよ。なにも悪意がどうのということを問題にしているのではありません。まず事実を事実として共通認識を持たなければ、これ以降対話ができませんよと言っているんです。わからないことはわからないでいいじゃないですか。見てもいないことを「思っています」などと言われても話にならないんです。創価の組織はこの5年間、池田氏の動いている姿や声を会員に公表しない。しかし毎日元気に執筆活動を続けていると原田会長は言ってる。そして聖教新聞をはじめとして会員に対して膨大な量の著作物が出回っている。これが現在私たちが知り得ることです。あとはこの事実について白いブランコさんはなんの不自然さも感じないし、私がこうして「先生はお元気です」と言われていることを疑っているのは、この事実を悪意でしか見ようとせずに心が穢れているのではないかと言われるのですよね。

    いつも言っていることですが、ここはどっちが正しいかを討論して勝敗を決める場ではありません。お互いが何をどのように考えているのかを対話によってはっきりさせることで、互いの違いを認めようじゃないかという場所です。白いブランコさんが、池田氏の行動をそのように考えることに対して否定はしません。あくまで考えは考えです。ただし、私も私なりの考えがありますから正直に話をしていますので、それを否定することに何の意味もないことをわかってください。そしてあなたと私の立場は基本的に180°違いますので、これをどちらかに収めること自体が無理があるし、おかしいと思います。それそれの考えがあっていいと言う前提でなければ対話はなりたちませんからね。

    ですから、白いブランコさんも創価について建前で弁解じみたことを話すのではなく、自分の言葉でもっと突っ込んだ話をしていただきたいのです。

    それでは私が池田氏の動向に関してこれだけ述べましたので、白いブランコさんも、ご自分が考える、または感じている組織から流れて来る池田氏の動向についての情報をどのように受けとめているのかを、率直にお話していただけるとうれしいです。対話がなりたつとすればそれからだと思います。よろしくお願いします。

  5. 白いブランコさん、白ユリさんは度重なるルール違反によりアクセスを拒否しましたので、このブログを通じて話しかけないでください。お願いします。
    白ゆりさんは自分のブログで今も私を名指しで罵倒し続けています。これからも私が対話をするまで徹底的に罵倒し続けると宣言されています。またそのブログによれば長年躁鬱病を患い、去年自殺未遂されているようです。幼少の頃から親からの虐待が続いて、ほかにも壮絶な人生を歩まれてきた方のようで、そこにいつからか創価が入り込んで、完全に依存しているようです。これは憶測ではなく彼女自身がブログに書いていることですので、もし私がアク禁を解除すれば、数日前までのように、また毎日朝から晩までおびただしい数の罵倒コメントが送られてくるでしょう。
    管理人としてはそのような方への関わりを持つ気はありませんのでご理解ください。

  6. signifieさん
    こんばんわ。お互い話がかみ合っていないと感じているようですね。
    signifieさんのご質問は先ず初めに
    ・池田氏が5年も姿を現さないで、そのことに上からは何の説明がないにもかかわらず、
     なぜ学会員さんはなんとも思わないのか?
    ということに対し、私の回答は、先生は姿を現しているし、説明もあるし、心配にも思っているという
    事を書きました。

    >建前だけの上っ面の話をしようとは思っていません。そんな話のやりとりでは時間の無駄です。
     もう少しこの場の状況と私の質問の意図を汲んでお話ししていただけませんか?
    これは私も同感です。ただ、今までのようなsignifieさんの質問に対しては、私が回答してきたような
    答えになってしまうと思います。
    >質問の意図を汲んで
    とありますが、ネットでの対話で表情も見えず、文面をストレートに読んでしまうし、不慣れもあり、
    signifieさんの欲しがる回答を探り当てるのは困難だと思います。

    そういってては対話が始まりませんので、例えば、お題にあった
    >私たちは私たちの考えを述べていて、具体的にこういうところが白いブランコさんとは違うのですが、
    >どのように思われますか?という問いかけをすることで対話をさせていただきたいと考えています。
    この具体的な部分を箇条書き、または要約していただけないでしょうか?
    signifieさんの文面の中でお考えを述べられている箇所は多く、キャッチボール式の対話なら、
    その都度、一問一答で進められますが、お考えを羅列された状態だと、どこに回答を割り込ませれば
    良いか迷ってしまいますし、解りずらいと思います。

    せっかくご用意していただいたスレッドなので、意味のある内容にしたいと思っております。
    PS白ユリさんの件、了解いたしました。

  7. signifieさん

    >それでは私が池田氏の動向に関してこれだけ述べましたので、白いブランコさんも、ご自分が考える、
    >または感じている組織から流れて来る池田氏の動向についての情報をどのように受けとめているのかを、
    >率直にお話していただけるとうれしいです。
    signifieさんのお考えでは、「先生はご病気で表に現れることができず、執筆も誰かの筆で、執行部が学会員に
    嘘を伝えている」ということでよろしいでしょうか?
    それに対して私が先生の動向に関する情報をどう感じているか、ということですね。
    大まかにいうと、先に述べた通りで、学会発表の情報を真実と受け止めております。

    なぜ真実と受け止めているかですが、本部職員の方にお伺いしたときがあり、率直に聞きました。
    詳細を語られ、ご安心ください。とも言われたのでその言葉を信じております。

    私が高等部の時(いまから20数年前です)
    「これからの先生の指導は、先生の遺言だと思って聞いていきなさい」と男子部の方に言われたことがあります。
    先生ご自身も身体が弱いことはわかっていたと思いますので、「後継」という言葉が随所で使われております。
    先生が学会員さん達の前で直接指導を行わなくなって5年近くたち、「後継の君たちでやっていきなさい」という
    言葉の意味を実感しはじめております。

    もしsignifieさんがお考えの通り、「先生はご病気で表に現れることができず、執筆も誰かの筆で、執行部が学会員に
    嘘を伝えている」としたら、そういうことはやめていただきたいし、真実を伝えてほしいと思ってます。

  8. 白いブランコさん
    お返事ありがとうございます。
    今回はとてもわかりやすかったです。
    こんな感じで進められると対話になるのではないかと思います。

    >なぜ真実と受け止めているかですが、本部職員の方にお伺いしたときがあり、率直に聞きました。詳細を語られ、ご安心ください。とも言われたのでその言葉を信じております。

    よかったらその詳細について話してもらえませんか?もしかしたら多くの方の誤解が解けるかもしれませんよ。県幹部でも「先生はお元気です」としか聞いたことがありませんので。この情報は画期的なものかもしれません。是非お願いします。
    それから、私が高等部時代に池田氏から直接指導されたときも「これからは君たちの時代なんだ、よろしく頼むよ、大丈夫だね。任せたよ」と、2mの距離で言われたのを覚えています。今からちょうど40年前です。まだ白いブランコさんが生まれる前から池田氏は同じことを言ってました。
    それから創価は宗門から破門され、大御本尊の否定、別のご本尊の無断コピー、教義の変更と続きましたが、それでも池田氏が会員にひと言も声をかけることはありませんでした。
    本部職員が一般会員に「じつはここだけの話なんですが、先生はボケちゃって話ができるどころじゃないんですよ」なんて言うわけないじゃないですか(笑)。
    まあ、お互いこんな憶測だけで話をしても意味がありませんが、とりあえず白いブランコさんが納得したという本部職員から聞いた詳細の話を聞かせてもらえませんか?

  9. signifieさん

    本部職員の方の詳細の話ですが、詳細を話すと身元が分かってしまう可能性があるため
    ネットでの開示は遠慮させてほしいと思います。

    また、詳細を話さないと多くの方の誤解が解けないかもしれませんが、
    活動や行動はすべて自己責任だと思ってますので、自己責任の範囲内での
    対応とさせてください。

    対話の仕方・方向性は徐々に成り立っていければと思います。

    いろいろな過去ログ拝見しました。
    創価学会の現実が如実に表されていると思います。
    現在、指導で「ネットは見ないでください」と言われているようですが、
    こういった現実を直視し、より良い組織にしていかなくてはならないのが
    幹部の役目だと思います。

  10. そうですか。とっても単純に不思議に思うんですが、池田氏が元気なのに5年も姿を見せず、ひと言も声を発しない正当な理由があるにもかかわらず、なぜそれを会員に説明しないのでしょうね。白いブランコさんがおっしゃるように、心配している学会員さんがたくさんいらっしゃるんですよね。それと白いブランコさんが納得された詳細が秘密にされなければならない理由はどこにあるのでしょうか?本部職員さんが白いブランコさんに詳細を話してくれるぐらいなら、最初から会員全員に伝えればいいんじゃないんでしょうか?そこが私にはまったく見当もつきません。世界中の学会員さんは池田氏の元気に話す姿を見たいんじゃないんでしょうか?会長が「元気です」と言うだけで満足なんですかね。私はそこが不自然なんじゃないかって話をしてるんです。理由を伝えない創価の方針を批難しているのではなく、学会員さんが偉大な人生の師匠と涙を流して感動しているわりには、5年も姿も声もないのに、関節的に「元気です」と言われただけで納得していることが、なんだか薄情な人たちだなあ〜って、単純に思うんですよ。そう思う私が変なんですかね。それで本部職員に個人的に尋ねれば納得できる答えが返ってくるんですよね。だったら世界中の会員さんにその詳細を教えてあげたらいいのにって普通思いますよね。
    天皇皇后はじめ皇室が大挙して激励にかけつけた東日本大震災の被災地にさえ一度も足を運ばないほどの納得できる理由があるのであれば、それはどんな会員さんだって納得するだろうし、いらね心配しないで済むし、外部から変な噂を立てられたりしないで済むと思うんですけど、どうなんでしょう?どうしてそこまで明確な回答ができるのにもかかわらず会員さんに秘密にしてるんでしょう?
    ここには現役の学会員さんもたくさんいらっしゃいますから、信濃町の近くにいらっしゃる方に、本部に行って訊いてもらいましょうか?そしたら白いブランコさんは関係ないし、身元がばれませんから心配ないですよね。
    「池田先生が5年も姿を見せない理由は本部職員さんに直接訊けば詳細を話してくれると聞いたので来ました。組織から何も説明がないのでみんな心配してたんです」と訪ねていけばいいですよね。
    地方でも副会長や総県長だったら教えてくれますかね?私の地元の総県長は従兄弟なので気軽に訊けるんですけどね。地方じゃ副会長も知らないですかね(笑)
    ーーーーーーーーーーーーー
    ではここで皆さんへお知らせです。
    ここをご覧の皆さん、特に本部職員に近い立場の現役会員さん。
    池田氏が5年も姿を見せないことの納得できる理由は、本部職員さんに訊けば詳細を教えてくれるそうですから、ぜひ尋ねてみて、こちらに報告してください。もし自分は知らないと言われたら、知ってる職員さんにとりついでもらってください。白いブランコさんはすでに納得できる答えを聞かれたそうですから、安心して尋ねていいですよ。そしてぜひその詳細をここで報告していただけませんか?偉大な師匠の池田先生を本気で心配している弟子ならば、訊いて当然のことだと思います。それをこのブログをはじめとして、ネット上に公開すれば、世界中の学会員さんが納得して、ますます活動に力が入るだろうし、いま真っ最中の選挙の戦いだって大勝利に結びつくのではないでしょうか。ぜひお願いします。
    また、この呼びかけをぜひ拡散して下さい!これはアンチだけではなく、学会員さんにとっても創価の疑いを解くよい機会です。ブログ、ツイッター、フェイスブック、ミクシィ、グーグルなどや、その他あらゆるSMSで拡散をお願いします!私もツイッターとフェイスブックで拡散してみます。なんなら本部職員さんがここに直接コメントしてもらうのがいちばんいいですが、創価はいまどきネット禁止だそうですから、無理ですよね(笑)
    ーーーーーーーーーーーーーーー
    ということで、白いブランコさんにはご迷惑はかけません。それこそ自己責任の範囲でやりましょう。私もその詳細は知りたいし、これで創価に対する大きな誤解が解けるいい機会かもしれません。
    白いブランコさんとの対話が始まって、このブログのアクセス数がいきなり毎日4500以上になりました。しはらくこの呼びかけを続けていれば、これだけのアクセス数があるんですから、1人や2人は本部職員さんに訊きに行かれる方がいるんじゃないでしょうか。本部としても誤解が解けて助かるんじゃないんでしょうかね。

  11. signifieさん

    >白いブランコさんにはご迷惑はかけません。それこそ自己責任の範囲でやりましょう。
    万が一に身元がわかった時に、余計なことをとか思われて、迷惑がかかるかもしれないので、
    私の言葉を元にみなさんに呼びかけされるのはいやだなと思いました。

    まぁそれでも透明化が求められている時代だし、創価学会の改善を希望しているのも
    事実なので、それでもいいかなと思います。
    別段、特別なことではないし、多くの皆さんもやられていることなので、
    このことによってsignifieさんが思っている「池田氏が5年も姿を現さないで、そのことに上からは
    何の説明がないにもかかわらず、なぜ学会員さんはなんとも思わないのか?」
    に対する真実が見えてくるのではないでしょうか。

    節度ある行動をお願いしたいところですが。

  12. >節度ある行動をお願いしたいところですが。

    つまり私の呼びかけは白いブランコさんとしては「節度ある行動ではない」ということですね。わかりました。白いブランコさんがそのように捉えているとのご自分の発言をよく憶えておいてください。おそらくあとからこの発言がいかに的外れであるかがわかるときが来ると思います。

    白いブランコさんは創価は改善すれば素晴らしい宗教団体になると言われていますが、実際に現在の創価学会は改善する以前に急速に衰退していますよね。どんどん会員数も少なくなっているし、残っている会員さんも高齢化が進み、新入信者にしても、事情が飲み込めない高齢者がなんとなく入っている状態です。それでなんとか末端組織は数のノルマをつなげている状況です。
    何度も言いますが、私も含めてここに来られる方のほとんどが創価のそうした内情をよく知っている人たちばかりなので、白いブランコさんが創価のことをどんなにとりつくろっても、私たちは実際の姿を十分すぎるほど知っているのです。何も知らない外部の人に向かって創価をセールスするような話し方はやめてもらえませんか。

    池田氏不在に対する学会員の反応の不気味さに関しては、私の呼びかけの結果が出るまで少し置いておきましょう。

    なので次の質問についての話題に移ります。

    >・創価が日蓮正宗から破門されてから信仰の根幹であるご本尊が変わって、それがカラーコピーであるにもかかわらず、なぜ学会員さんはなんとも思わないのか?

    創価のご本尊が時代によってその解釈もご本尊そのものも変わってきたわけですが、これも池田氏不在の会員の反応と同じで、普通に考えればありえないようなことを、何の疑問ももたずに言われた通り信じているという不気味さについてを論点としたいと思います。

    そこで白いブランコさんからの返事は次の通りでした。

    >お取替えの時はさまざま質問や疑問がありました。「なぜ変えなくてはならないのか?」「そのままでもいいのでは」等々。
     日蓮大聖人の御書を学ぶと、御本尊は相貌(そうみょう)と信じるに足る事柄が必要であると解釈できます。
     破門した法主のご本尊からは信じるに足る事柄が失われます。
     もちろん学会が信じられず、日蓮正宗に行かれた方もいらっしゃいます。
     カラーコピーですが、複写の方法で多色刷り印刷ですね。
     単語の使い方で、安っぽく感じさせてるようでいやらしさを感じます。

    とりあえず破門した法主の本尊がどうなのかは置いといて、創価は日蓮正宗の信徒団体だったわけですが、いろいろあって、結局のところ日蓮正宗から破門されました。信徒団体として発足した創価学会が、信徒団体として失格だと絶縁されたわけですから、この時点で創価学会は基本的な存在意義を失ったわけです。ですから今の創価学会は完全に伝統仏教とは関係のない、独自の教義をもった新興宗教団体なわけですので、宗門をあそこまでバッシングする理由はないのではないでしょうか。仏壇に打倒日顕!と書いて、拠点に集まっては日蓮正宗を呪う唱題会を全国で行っています。これが世界平和を目指す宗教団体の姿でしょうか?それも何に向かって呪っているかと言うと、日蓮正宗のご本尊を無断で複写して、修正したものを、表装もいっしょにスキャンしたデータを一枚の紙に印刷したペラッペラのご本尊です。こんなもの曼荼羅でもなんでもありません。ただのコピー紙です。

    私は印刷についても仕事にしているのでわかりますが、多色刷り印刷とカラーコピーは違います。多色刷り印刷とは、一般にオフセット印刷と言って、基本的にシアン、マゼンダ、イエロー、ブラックの4色のインクで印刷されるのがもっとも一般的なカラー印刷の方法です。要するに写真データを専門のソフトで4色に分解した版をそれぞれ出力して、1色ずつ印刷機械にかけて完成させます。新聞の折り込み広告も、駅に貼ってあるポスターもほとんどがこの印刷方法です。また美術品などの画集の印刷は、もっと精度を高めた5色以上の版を使った手の混んだものです。印刷機械も数千万円します。もちろん普通の4色の印刷機械も数千万円するんですけどね。ところが創価のご本尊は表装もいっしょにまるごとスキャンして、そのデータの都合の悪いところを編集ソフトで修正したものをカラーコピーしているだけです。カラーコピーの機械なんてせいぜい200万円くらいですよ。1枚80円でできるコンビニにある機械と同程度です。

    >>カラーコピーですが、複写の方法で多色刷り印刷ですね。
     単語の使い方で、安っぽく感じさせてるようでいやらしさを感じます。

    私はいやらしく表現しているのではありません。印刷の専門的な立場から事実を述べています。創価のご本尊は決して多色刷り印刷等ではなく、こんなお粗末なカラーコピーに買い替えさせて、それも仏敵と呪っている宗門のご本尊のコピーにお願いごとをやらせてるんです。どう考えてもおかしいでしょ。でもそれをおかしいとも思わないところが、いちばんおかしいのではないかと思います。
    たとえば有名な絵画があって、これを是非欲しいと思ったとします。しかしその絵画は当然1点ものですから高価過ぎで、とても自分で買えるようなものではない。ではせめて複製でもいいから欲しいとなったときに、あなたは額縁まで一緒に印刷されたペラペラの紙に満足しますか?せめて額縁ぐらいは本物に入れて飾りますよね。たとえば今の創価のご本尊はその額縁までいっしょにスキャンしたほんとうにお粗末なものです。私の仕事の専門に近い世界のことですからよくわかるのですが、表装の仕事をしている人から見れば、絶対にありえないものですよ。ちょうど高級レストランに行って出てきた料理が、みんな100円ショップの紙の皿に乗っていて、ワインを病院の尿検査のっときに使うような紙コップに注がれたようなものです。そんなものを出されて文句一つ言わずにありがたがって飲み食いしてるのが今の学会員です。これ大げさに言ってるんじゃないです。もし疑うんだったら、創価のご本尊を近所の額縁屋さんとか骨董屋さんとかに持っていって見てもらってください。大笑いされますよ。「なんですかこれ?」って呆れられますよ。これをなんとも疑問に思わない、思っていても口に出せない。それが創価学会員です。なぜそんなバカげたことが可能なのか。まさに洗脳の賜物としか言いようがありません。創価のご本尊を骨董屋にもっていって「これ世界一力のある曼荼羅なんですがいくらで買ってくれますか?」と言っても「ただの白紙の紙のほうが高いね」って言われますよ。

    ということで、創価のご本尊に関することで感じる素朴な疑問です。「創価学会のご本尊はカラーコピーでいい」と決まっているのであれば、それでいいんです。なにもお金をかけたからいいとか、安くついてるから功徳がないとか、そんな野暮なことを言うつもりはありません。私が疑問に感じているのは、学会員がそれに誰も疑問に思わない、もしくは思っても口に出せない組織のありかたです。これが世界平和を目指す宗教団体なのか?世界で唯一正しくて、これ以外を信じたら不幸になると断言する宗教団体のあるべき姿なのか?(これもどう考えてもおかしいんですけどね)という、これも最初の疑問と共通のものです。

  13. signifieさん

    「節度ある行動をお願いしたいところですが。」はsignifieさんに向かって言った言葉ではなく、
    学会本部に大勢で押しかけるとか、執拗に先生のことについて納得できるまで引き下がらないとか
    そういう行動の可能性に対して「節度ある行動をお願いしたいところですが。」といったまでです。
    ネット上だと真意が伝わらないこともあるので、極力言葉は省略しない方がいいですね。

    >なので次の質問についての話題に移ります。
    >・創価が日蓮正宗から破門されてから信仰の根幹であるご本尊が変わって、それがカラーコピーであるにもかかわらず、
      なぜ学会員さんはなんとも思わないのか?

    この質問に関しても誤解の無いように答えたいと思いますし、私の考え・自論も含まれてきますので、
    少々お待ちください。

  14. 白いブランコさん、そうでしたか、私のとりちがえでした。すみません。
    ではご本尊についてのご意見、お待ちしています。

  15. signifieさん

    まずこの対話の趣旨は、お互いの考えを表し、創価学会の実情や疑問点を明らかにし、公開することによって
    創価学会に興味がある方、学会と関係している方(直接・間接とわず)の考え方の参考になればというものと
    思ってます。
    また
    >そしてあなたと私の立場は基本的に180°違いますので、これをどちらかに収めること自体が無理があるし、
     おかしいと思います。それそれの考えがあっていいと言う前提でなければ対話はなりたちませんからね。
    この通りだと思いますので、私の回答にsignifieさんが納得いくとも限らないし、signifieさんの事実認識が正しいと思わないこともあります。
    お互いが違う前提で話をしますが、誤解が無いように、考えの根拠になる説明をすることもありますが、
    決して創価学会をセールスする気もありませんので、何か不都合があれば、承認せずにその旨お知らせいただければと思います。

    次の質問についての私の考え・回答です。

    >創価が日蓮正宗から破門されてから信仰の根幹であるご本尊が変わって、
    それがカラーコピーであるにもかかわらず、なぜ学会員さんはなんとも思わないのか?
    >私が疑問に感じているのは、学会員がそれに誰も疑問に思わない、
     もしくは思っても口に出せない組織のありかたです。
    >何の疑問ももたずに言われた通り信じているという不気味さについてを論点としたいと思います。

    signifieさんのお考えは「破門されて信仰の根本である御本尊が変わっても、学会員は誰も何も疑問に思ってない」というところでしょうか。

    まず、先の印刷手法についてはsignifieさんは専門家とのことなので、手法についての話は本筋とは外れるのでここではしませんが、
    カラーコピーというとコンビニや会社などにあるカラーコピー機を想像します。言葉の印象で感じ方が変わると思いますし、
    それが「単語の使い方で、安っぽく感じさせてるようでいやらしさを感じます。」という私の率直な感想でした。

    日蓮正宗からの破門については、日蓮正宗の信徒団体から出発した創価学会は、「日蓮正宗の教義」と{日蓮大聖人の本義}が違うことに気づき、{日蓮大聖人の本義}に基づいていく道を選びました。
    また現在に即した解釈に、独自に教義を整えようとしている最中だと思います。
    御書根本ですが、かといって日蓮原理主義みたいにはならず、「生命尊厳・世界平和・人類の幸福」を善とし、反対を悪とする教義になると思います。そこに先生の今までの指導が盛り込まれると思います。

    >仏壇に打倒日顕!
    これはやめた方がいいですね。祈りではなく呪いになります。
    自他問わず人の幸せを思うのが祈り、自他問わず人の不幸を思うのが呪いですから。
    このことについては学会員さんでも、「おかしい」という人は大勢います。
    良心の呵責に感じるところだし、
    >これが世界平和を目指す宗教団体の姿でしょうか?
    signifieさんのお考え通りだと思います。言ってることとやってることが違うのでやめた方がいいと思います。

    >ご本尊が変わって
    この件については先に述べた
    「日蓮大聖人の御書を学ぶと、御本尊は相貌(そうみょう)と信じるに足る事柄が必要であると解釈できます。
    破門した法主のご本尊からは信じるに足る事柄が失われます。」です。
    大石寺にある板曼荼羅(大御本尊)については、鑑定して否定する法主もいるみたいですし、実は私もその説には同感です。
    700年以上前の事柄を今更、言い争うよりも新しく定めたというところでしょう。

    >カラーコピーであるにもかかわらず
    ちなみに私が御本尊を変えたときに思ったのは、「何か中央の南無妙法蓮華経が曲がってるなぁ」という感じです。
    signifieさんのような専門家でもないし、まざまざと表装印刷部もみるわけでもなかったので、印刷品質については
    「なにも思わなかった」です。

    >学会員は誰も何も疑問に思ってない
    御存知だと思いますが、学会員は聖教新聞や新・人間革命という小説を読んでいます。その中でさまざまな角度から論じられて、
    また勉強会なども行われ、疑問や不思議に思ってたことも解決しているというのが実情だと思います。

    余計なことかもしれませんが、金額云々と内容云々でしたら、御守り御本尊の方が差異を感じやすいかと思います。

  16. はやくも数人の方が本部職員に尋ねた結果のお話があがっていますね。でももう少し待ちましょう。そこで、もう一度このことについての私の質問の意図を白いブランコさんが勘違いしないように解説しておきますね。これまで言ったこととかなり重複しますが、あえて書いておきます。

    たとえば総社員数800万人と言う巨大な会社があって、その会社の会長が社員の前に5年も姿を見せないで、年に数回だけボケ老人さながらの表情の写真だけが社内報に載って、動いている姿や話してる様子も一切見ることができないが、なぜか社内報には凄い量の執筆が載っていて、それを社員は社長が「会長はお元気です」という言葉を信じているか、信じていないにしても、社外の人から訊かれたら見てもいないのに「社長はお元気です」と言い切る。

    そして800万人の会員はこの5年間、動いている姿を画像でさえも見たことがない。東日本大震災で福島を中心として多くの支店が壊滅し、多くの社員が亡くなり、その家族も住むところさえ失くしているにもかかわらず、この会長は現地に行って社員や家族を激励することもせず、どこで何をしているのかさえ誰も知らないという会社。ところが5年経っても何の確証もないのにあいかわらず社員は口を揃えて「会長はお元気です。べつに何にもおかしなことはありません」と言って譲らない。 

    これが一般社会に通用すると思いますか?ってか、もうどう見ても会長が人前に出れないことを幹部が隠していることが見え見えですよね。社外の人にとってみれば、よその会長がいてもいなくてもどうだっていいし、多くの社員が亡くなるようなたいへんなことがあったときでさえ会長が社員の前に姿を現さなくても、そんな会社なんだなと思うだけで、痛くも痒くもないんですが、それでも上から言われたことを信じるしかない社員さんたちがかわいそうだなと思うわけです。

    で、それが会社ならそこで働いて給料をもらうんだから、それでも仕方ない部分もあるんでしょう。しかし創価の場合は会員が自分のお金を出して成り立っているんですから、言ってみれば会員は出資者であり株主であり経営に口出しができて当然の立場です。創価の場合は出資金がいくら集まっていて、どのように使われているかも知らされないという、もうそれはそれは常識では考えられないところです。そんなところに何の疑問も持たずに毎年毎年ほかで働いたお金を差し出している人が何百万人もいるのが創価学会です。

    また池田氏は5年前に姿を現さなくなってから、あれだけ対話対話と言っていた人物なのに、パッタリとただの一人とも会わなくなりました。勲章や名誉称号はあいかわらず貰い続けているようですが、わざわざ外国から渡しにきた人にさえ、まったくただの一度も会ったことはありません。これは何を意味しているのか、普通の感覚であればわかりますよね。どう考えても池田氏は人に会って話ができるような状況ではないというのが当然の判断です。なのに聖教新聞にはあれだけの著作物が載っている。連載まである。新聞だけ見れば、あたかも元気に執筆活動にいそしんでいるかのように見える。しかし誰一人として動いている池田氏を見たことのある会員はいない。5年間。小学生が高校生になってますよ。どんなお客さんが来ても一度も会ったことがない。そして東日本大震災で、会館も崩壊し、たくさんの会員やその家族が亡くなっても姿どころか声すら出さない。それでも会員さんはそんな池田氏の様子に対して「何か不自然なところでも?」と平気でいる。普通の人間の感覚であれば不自然どころの話じゃない。でも創価学会というのはそれが自然だと言い切るわけです。そうしたことも含めて「池田氏はどうして姿を見せないのですか?」という質問に対して「年に数回、聖教新聞やSGIグラフに姿が載っていますよ」というのが答えになると思っている。

    私が白いブランコさんに「もう少し質問の意図を汲んで答えてください」とお願いしたのは、「姿を現さない」という私の質問の字ヅラだけをとりあげて「年に数回写真が載っている」というのが返答として適切なのかどうかの判断もつかないのですか?と言ったわけです。そんな小学生の喧嘩じゃないんですから、大人の対話をしましょうよと申し上げました。そんな返答に対して私は何を言えばいいのでしょう。「じゃあ、年に数回だけ幹部や奥さんとの記念写真が載っていれば、池田氏が震災でなくなった多くの会員のところに激励に行ったり、たとえ行けないにしても声ぐらいかけるなどしなくてもいいというのが池田氏の正しい判断だったのですか?」といったことをわざわざ訊き直さなくちゃいけなくなるわけです。これではただの挙げ足取りの、ほんとにまどろっこしい対話になります。だからこんなことでは時間の無駄ですよと申し上げました。

    白いブランコさん。あなたは本気で池田氏が元気で執筆活動に専念して、5年ものあいだ誰とも会わずに、亡くなった多くの会員さんにも一言も声をかけないことに、なんの不自然さも感じていないのですか?私の質問はそういうことです。学会の方針がどうとか、原田会長はウソをついてるんじゃないかとか、そんなことを白いブランコさんに訊いているのではありません。「白いブランコさんは、心の底から「先生はお元気です」ということが真実だと信じているのでしょうか?」ということに「はい」か「いいえ」で答えていただいて、それがなぜなのかということについて、世間一般の常識的な感覚でも理解できるような説明をしていただけませんか?とお願いしているのです。べつに創価学会代表としての公式見解を述べなさいと言っているわけではありません。白いブランコさんから見て、池田氏のこの5年間の行動をどのように感じてらっしゃいますか?ってことです。よろしくお願いします。

  17. >カラーコピーというとコンビニや会社などにあるカラーコピー機を想像します。言葉の印象で感じ方が変わると思いますし、
    それが「単語の使い方で、安っぽく感じさせてるようでいやらしさを感じます。」という私の率直な感想でした。

    私が言ってるのはまさに創価のご本尊がコンビニにあるカラーコピーのレベルだということを言っています。ウソだと思ったら本部職員に訊いてみてください。だから布であるべき表装部分もまるごとスキャンしたものをパソコンから直接出力してます。1枚75円でできるキンコーズのレーザープリンタと同じレベルですよ。私が悪意でもって安っぽく表現しているのではなくて、実際に安あがりで量産してます。ってか枚数が増えればちゃんとしたオフセット印刷のほうが安いんですけどね(笑)。でもいっぺんに何万枚って刷るわけにもいかないんでレーザープリンタ(いわゆるカラーコピー)で済ませてるんでしょうね。1〜20円くらいのコストで3000円とれますからね。ボロい商売です。本来なら、紙質も変質しないコウゾやミツマタなどの高級手漉き和紙を裏打ちした紙に墨で直筆したものを、刺繍の施してある布で表装するのが本来の曼荼羅でしょう。もうすでに印刷ってとこでアウトなんですが、創価のご本尊は当然布であるべき表装のところもいっしょにスキャンしたデータを一枚の紙にレーザープリンタで出力してるんです。この事実を誰も否定はできませんし、私が悪意でわざと安っぽく表現しているわけではないということがおわかりでしょうか。

    これは創価の墓地についてもまったく同じことが言えるんです。二束三文で買いたたいた田舎の土地に、まったく同じ仕様の貧相な墓石をならべて、ひとつ100万円で会員に無理やり買わせる手法です。私の父の墓も母と兄夫婦が無理矢理移してしまいました。結局何百キロも遠い山中にあるその墓には、納骨に母と兄夫婦と私たち夫婦が行って、その後に私たち夫婦と子どもが一度行ったキリで、その後は誰一人墓参りに行きません。車がなければ絶対に行けるところではないからです。そこでは何万という同じ形をした小さな墓石が並んでいて、仮にひとつ100万円の墓が一万あったとして100億円です。これ完全にビジネスですよね。それも一家にひとつの墓ではなくて一人に一つずつ買わせようとしてる。どんだけ汚いんだって話です。

  18. signifieさん

    >1〜20円くらいのコストで3000円とれますからね。ボロい商売です。
    signifieさんのお考えの中心は、御本尊を変えたのは商売のため、つまり(御供養¥3000-想像原価¥20)x世帯数約8270000=
    ¥24644600000 246億4460万円を得るために行ったということでしょうか?
    御本尊の製造原価は考えたこともないですし、お取替えしたのは破門した法主の御本尊が中心だったと思います。
    それを考慮したとして約200億を得るためにやったというお考えでしょうか?

    ここはお互いの考えを否定する場所ではないので、私の考えを述べますと「破門した法主のご本尊は信じられないから、信じられる御本尊に替えた」ということになります。
    参考までに宗教とお金について書かれていた週刊誌がありましたので記載しておきます。
    週刊ダイヤモンド特大号 2010 11/13「宗教とカネ」です。
    創価学会のことや外郭企業のこと、他の新興宗教のことも書かれてます。(御存知でしたらすみません)

  19. >参考までに宗教とお金について書かれていた週刊誌がありましたので記載しておきます。週刊ダイヤモンド特大号 2010 11/13「宗教とカネ」です。創価学会のことや外郭企業のこと、他の新興宗教のことも書かれてます。(御存知でしたらすみません)

    すみませんが、意味がわかりません。そこにどんなことが書いてあるんですか?

  20. 「参考までに」と前置きがあるということは、白いブランコさんは、この週刊誌の記事が参考になるという意味で紹介してくださってると捉えていいのですね。その内容が示されていないので、なんとも答えようがありません。少し説明していただけるとありがたいです。

  21. >signifieさんのお考えの中心は、御本尊を変えたのは商売のため、つまり(御供養¥3000-想像原価¥20)x世帯数約8270000=¥24644600000 246億4460万円を得るために行ったということでしょうか?

    はい。それもあるし、会員に日蓮正宗を敵対視させる方法のひとつだと思います。聖教新聞紙上などでの醜悪なバッシングや、コーヒーカップ事件や写真捏造事件や日顕撲滅唱題会など、みんなそのためにやっていると考えるのが自然だと思います。
    白いブランコさんは、創価がコーヒーカップ事件や写真捏造事件を起こして裁判で負けたのはご存知ですよね。では創価は何のためにそんなことまでやって日蓮正宗を組織をあげて貶めようとしてきたと思いますか?そしてそうした行為が「世界平和を目指す唯一の正しい宗教団体(自称)」のやるべきことだとのお考えでしょうか?さらにそうしたことを平気でやるような団体を白いブランコさんはどうやって改革しようと思っているのでしょうか?これらすべては創価の中枢部が決めて会員にやらせていることです。創価は合議制の機関ではありません。会員の意向によって何かが動いたことがありますか?ちょっとでも口ごたえすれば、幹部による家庭訪問で「信心が足りない」「魔が競っている」「今こそお題目を上げきって、池田先生にお応えしよう」などと、提起している問題には見向きもしません。それでも会員が納得いかない場合は、まわりの学会員に「あの人は頭がおかしくなったから相手にしないように」と組織を通じて広めます。あるいは「精神的に問題があるようだから、学会員の精神科の病院を紹介するから連れて行きなさい」と言われます。そこで本当に精神病院に行こうものなら、すぐに「ほら、やっぱりあの人は不信を起こしてバチが当たって頭がおかしくなったんです。こわいですね〜」と触れ回ります。プライバシーもなにもあったものではありません。このように創価は組織ぐるみであり得ない人権侵害を平気でやってきましたよね。このブログにもKickeyさんをはじめ、たくさんの方が同じような被害にあっています。これは否定しようのない事実です。白いブランコさんはこのような実態をどのように捉えていますか?改革が必要だと思いますか?問題ないと思いますか?問題ありとすれば、末端会員に改革が可能でしょうか?「幹部は会員の言うことを聞かない」と会員が批判して、その批判を幹部が聞くのでしょうか?バラドクスですよね。これは是非白いブランコさんの意見を聞きたいです。よろしくお願いします。

  22. >ここはお互いの考えを否定する場所ではないので、私の考えを述べますと「破門した法主のご本尊は信じられないから、信じられる御本尊に替えた」ということになります。

    白いブランコさんの考えとしては、日蓮正宗の御本尊をスキャンしたデータをパソコンで改竄して表装ごとカラーコピーした一枚の紙が「信じられる御本尊」だというわけですね。そういうことですよね。

  23. signifieさん

    <参考までに宗教とお金について書かれていた週刊誌がありましたので記載しておきます。
    <週刊ダイヤモンド特大号 2010 11/13「宗教とカネ」です。

    この中に書いてある記事がすべて信憑性があるかは置いておきますが、参考として、
    ・聖教新聞の販売収入 ¥1880x公称発行部数550万部=約103億/月 1236億/年間
    ・20年前の財務で年間1500億~2000億
    とあります。
    それに対し御本尊お取替えによる御供養が約250億円とした場合、
    事の重大さに対して入ってくる金額が少ないと思います。
    わざわざその金額のためにやった事とは、私は思えません。

    私が最初に御本尊をいただいたのは日蓮正宗末寺でした。これから御本尊がいただけなくなるからということで、
    親元から独立するタイミングでもあったので、御受戒を受けました。その時の御供養は¥3000でした。
    その後、日寛上人の御本尊にお取替えしたとき、やはり御供養は¥3000でした。
    相場なのかどうかわかりませんが、御供養¥3000は特に気になりませんでした。

    破門した法主の御本尊よりも、実際の広宣流布を進めてきた
    創価学会下付の御本尊のほうが「信じられる御本尊」ということですね。

  24. 要するに、白いブランコさんとしては、聖教新聞や財務の額にくらべれば、ご本尊での利益は大したことないじゃないかと言いたいわけですね。ペラッペラの紙一枚のカラーコピーを渡して「これが新しい今度のご本尊ですよ〜、ご供養くださいね〜」といって会員から集める250億円が大したことないというわけですね。そのことを、いつも「週刊誌はデマだから信じるな」と言われ続けているにもかかわらず、あえてそんな週刊誌の記事をもちだしてまで言いたかったことがこれなんですね。

    >事の重大さに対して入ってくる金額が少ないと思います。わざわざその金額のためにやった事とは、私は思えません。

    この「事の重大さ」って何のことでしょうか?日顕法主が創価学会を破門したことでしょうか?ことが重大であれば会員から250億円集めてもたいした額ではないというのですね。じゃあ、大したことないんだったら、その250億円を東日本大震災の義援金として寄付ぐらいすればいいではないですか。しかし現実の創価は決してそんなことはしません。創価は破門されたことを逆手に取ってご本尊を自家製にして金儲けをしたんですよ。創価にとっては端金かもしれませんけどね。そもそもなぜ日蓮正宗は創価を破門したのかについて、白いブランコさんは創価側の言い分だけしか知りませんよね。そしてコーヒーカップ事件や写真ねつ造事件の裁判の結果についてはどう説明するんでしょう。白いブランコさんは、こんな汚いインチキをやって日蓮正宗がおかしいということを会員に印象づけようとした創価の言うことだけを信用しているわけです。自分で調べて、事実関係を確認した上で日蓮正宗が諸悪の根源だと主張しなければ、何の説得力もありあませんよ。

  25. signifieさん

    >この「事の重大さ」って何のことでしょうか?
    創価学会が、日顕法主の御本尊から日寛上人の御本尊にお取替えすることを指してます。

    >創価は破門されたことを逆手に取ってご本尊を自家製にして金儲けをしたんですよ。
    signifieさんはそのようにお考えということはわかりました。

    私は金もうけのために御本尊を変えたとは考えていません。
    当時、御本尊下付ができない状態で、学会側もいろいろ苦慮されていたと思います。
    そこに学会に理解を示したお寺さんが日寛上人の御本尊を下付されてはどうかと持ちかけられたと
    伺っています。

    >日蓮正宗がおかしいということを会員に印象づけようとした創価の言うことだけを信用しているわけです。
    >自分で調べて、事実関係を確認した上で日蓮正宗が諸悪の根源だと主張しなければ、何の説得力もありあませんよ。

    創価学会がやってきたことがすべて良いとは思ってません。それこそ創価学会の会員にとってはいい迷惑だったと思います。
    終戦後に折伏をされ、日蓮正宗に宗旨替えし、平成に入りその日蓮正宗と争い、ここにきて本門の本尊のとらえ方も変わり、
    おそらくこの後、いろいろ教義も変わるかと想像します。

    私が何度か申し上げた「創価学会は本来的に素晴らしい宗教だと思います」とは、末端の会員さんが純粋な気持ちで
    相手の幸せを祈って行動する姿のことです。教義も、お題目を唱えて一人一人の仏性を呼び起こすという本来、シンプルなものです。

    過去の都合の悪いことをあっさり消せるとは思いませんし、かといって、そのまま引き摺り続けても良いことはないと思います。
    反省の上に、より良くしていかない限り、創価学会の未来はないと思います。

  26. >反省の上に、より良くしていかない限り、創価学会の未来はないと思います。

    ちょっと驚きました。
    創価学会にどんな未来があるのでしょうか?これは具体的に聞かせて欲しいところです。
    つまり今の末端組織の実体を白いブランコさんはよくわかっていることと思います。
    どこをどうやれば創価の未来が見えて来ると思われますか?
    そのとき池田氏は会員さんにどのような態度をとるのが理想的だと考えますか?
    創価の建前ではなく、白いブランコさんが考える理想的な創価学会の未来像を教えてください。
    それと、反省すべきは誰なのでしょう?
    学会員さんは上から言われるままに、いろんなものを犠牲にしながら一心不乱にやってきたと思いますが。

  27. 白いブランコさん
    それでは引き続き対話を進めていきましょう。
    私としては、思ったより対話は進んでいると思います。これまで一度も対話になったことなどありませんでしたからね。お互いに感情的にならないように、そしてかなり譲歩したうえで話ができていると思います。これだけ考えが違うのですから、話がかみ合わないのは当然です。話がかみ合わない現実があるからこそ、こうしてたくさんの脱会者が続出し、創価の衰退があるのだと思います。それでもこうして現役活動家と脱会者が対話を目指す場に立っていて、その場所が毎日6000近いアクセスもあるということは画期的なことではないでしょうか。別のスレッドにも書きましたように、お互いにかみ合わないことは承知の上で、それでも言いたいことは率直に言っていく。そしてお互いが何をどう考えているのかをはっきりすることができれば、この試みは大変意味のあることだと思います。
    立場上と言いますか、白いブランコさんと私はまったく相反するところから話をしているので、頭にきたりとんでもないと思える発言もあるでしょう。しかしそれはお互い様だし、それだからこそ今まで対話が成り立たなかったのだと思います。
    そうした意味でも、昨夜のキキさんのような感情的な批判によって対話が中断されるのは私としても本意ではありませんし、彼女はこの対話の意味を理解する以前にいわゆる創価スイッチが入っての発言のように思います。
    あらためて言いますが、この場はどちらが正しくて、どちらが間違っているのかを争う決闘場ではありません。創価問題に関してお互いの立場を理解した上で、率直に自分の考えを出し合い、お互いに何をどのように考えているのかをはっきりさせることに意義があると思います。問題が大きいので、それだけ辛辣な意見になるのは当然です。それでもあえて対話を求める姿勢は大切だと思いますし、意味のあることだと考えています。私としては、この調子で対話を進めていければと考えています。よろしくお願いします。

  28. signifieさん

    >創価学会にどんな未来があるのでしょうか?これは具体的に聞かせて欲しいところです。
    signifieさんも感じられていると思いますが、末端の創価学会員さんは素直で純粋で人が良すぎるぐらい良い人が多く、
    その多くの人が
    >学会員さんは上から言われるままに、いろんなものを犠牲にしながら一心不乱にやってきたと思いますが。
    その通りのことをやってきていると思います。

    >どこをどうやれば創価の未来が見えて来ると思われますか?

    どこをどうやればという点でモニカさんが項目を挙げておりました。モニカさんはたしか初めのころからの常連さんと認識しております。また、ご指摘や洞察には共感してました。
    そして、創価学会の問題点の本質をご理解されてる方だと思うし、私の視点と同じ部分もありますので
    参考にさせていただき、改善すべき項目を順に以下に述べて行きます。

    ○選挙(私の覚醒?のおおきなきっかけです)
    創価学会という宗教団体が、公明党という政治団体を支援すること自体は別にいいと思います。明確に支持母体ですし。
    ただ、創価学会員のすべてが公明党支持者ではないし、今の支援の在り方は、信仰心を政治利用しているようなものです。
    支援活動は公明党員としての活動に切り替えるべきです。(実際、公明党員のほとんどは創価学会員ですが)

    また法律には触れてないですが、法律の趣旨に触れている活動が多すぎます。
    事前運動・・選挙期間が長引くと費用や労力がかかるので禁止されてますが、政治活動として数か月前から実施
    戸別訪問・・友人知人として候補とまわっている。
    投票干渉・・連れ出し等で投票所には入らないですが、限りなく法律の趣旨には触れています。
    公明政治を掲げるなら、他党もやってるからとかでなく、ごまかさないで正々堂々と政策で勝負してほしいです。

    選挙の数か月前になると、本来の活動が一切なくなり、選挙屋の戦いになります。
    支援活動をやるなら、せめて公示・告示後、迷惑が掛からない範囲で、やりたい人だけでやるようにすべきです。

    また、学会員さんに対してですが、政治に盲目的になったら危険です。先の選挙で自民が単独2/3を獲り、次の参院で自民が単独2/3を
    とったら憲法改正の準備は整います。9条変更を希望している安倍総理です。先生は9条は変更してはならないお考えのはずです。
    しっかり政治を監視し、自分の判断で政治参加するべきです。
    また支援活動でなにか違反して逮捕されても、自己責任になります。しっかり考えて行動した方がいいと思います。

    ○数字目標
    新聞啓蒙・本部幹部会・座談会参加・折伏弘教、すべて数字が先行して数字のための活動になってる点です。
    聖教新聞も、本当に喜んで読んでくれる方ならいいと思いますが、年間目標のために、義理で取ってもらうとか、
    数字のための啓蒙はすべきではないと思います。

    ○信教の自由について
    本来、信心しようがしまいが自由ですので、やめたければやめる手続きを速やかに取ってあげた方がいいと思います。
    いつまでもやる気がない人をとどめておくことはないと思います。それは身内・親族でも一緒です。
    ※未成年・子供についてモニカさんが書かれてましたが、これは親権も絡むことだと思います。
    親権の範囲で、親の教育方針として創価学会の仏法を教育に用いる場合は入会させると思いますし、
    また、子供は入会させないで、自分で決めさせてる家庭も実際増えています。家庭環境によって違いますが、
    いずれにしろ、強要はできないですし、子供が成人(20歳、もしかしたら18歳になるかも)を迎えたら
    やるやらないを判断してもらい、本人の意思を尊重するようにしたらいいと思います。
    親がこの信心で幸せそうに暮していれば、子供も自然と信心をするでしょう。

    ○財務について
    これは現在、「世帯主の了解を得てください。」というアナウンスがあるのと、自営業の方は、「税引き後の中から
    お願いします。」とアナウンスされてます。
    財務については、金額が多ければ多いほど福運が積めるとか、お金で福運を買うような、そういった風潮は絶対してはならないと思います。
    真心の財務と謳ってるので、金額云々ではないはずです。
    そして、注意事項として、財務はいかなる理由があっても返金されないこと、将来お金が必要になっても、創価学会は一切、
    金銭的支援はしないこと等説明して、自己責任でよく考えて財務を行うようにするべきです。
    財務の件は次のお題でまた話が出ると思います。

    >そのとき池田氏は会員さんにどのような態度をとるのが理想的だと考えますか?
    先生が表に出て指揮を執ることはないと思います。すべて弟子に任せたとの思いなので、見守っていていただければ
    と思います。

    >創価の建前ではなく、白いブランコさんが考える理想的な創価学会の未来像を教えてください。
    創価学会員さんが純粋に仏法を実践し、社会にも理解され、幸せになっていることです。

    >それと、反省すべきは誰なのでしょう?

    まず改善すべきは幹部の姿勢です。
    ”○○すれば功徳がある!”なんて扇動するような指導をされますが、根拠を示すべきです。
    逆に、やらなければ罰が当たるとした場合も根拠を示すべきです。

    結局、活動中に何かあったとしても末端の会員は自分たちで責任を負っていきます。
    責任を負っているのであれば活動内容を決める権限があるのも自分たちです。

    上意下達で降りてきた打ち出しをそのまま実行しなければならない理由もなく数字の目標も達成・未達成問わず、何か言われる筋合いはないと思います。
    ノルマのような地区で何名とか、押しつけがましいことはやめるべきです。組織のための個人ではなく、個人のための組織であるべきです。
    そして活動内容が自分の考えに合わず、理解・納得できなければボイコットすべきです。
    改善はできるところから手を付けて行けばいいと思います。そして、まず最初に出来ることはボイコットです。

  29. 白いブランコさん、詳しい説明をありがとうございました。
    とてもわかりやすかったです。
    白いブランコさんがここにあげられたことが、すべて実現できれば素晴らしいと思います。
    ぜひ、白いブランコさんの組織の幹部、または総県長や副会長に提案してください。
    そしてその返事がどんなものであったかを是非聞かせてください。
    ほんとうにお願いします。
    これらのことが実現できれば、創価は改革できると思います。
    ただし、そのときはもはや創価ではありません。
    普通の宗教団体だと思います。
    私やここに来られる方は、創価がそのような宗教団体ではなく詐欺団体だと言っているのはそう言う意味です。そして白いブランコさんが言われているようなことは、過去にたくさんの人がされていて、もれなく無視されるかキチガイ扱いされてきました。
    白いブランコさんも自分の信念を伝えた相手からキチガイ扱いされれば、少しは創価の真実に気がつかれるのかもしれません。そして創価に改革の可能性など1ミリもないのだということが身にしみると同時に、自分がどうしてこんなものを信じていたのかと地団駄を踏むことになると思います。ここに来られている方のほとんどが、そのような体験をされてきたからです。
    とにかく今の白いブランコさんに、そんなに説明したとしても理解できないと思います。しかしあなたがこのような考えを持てるのであれば、この考えを創価にぶつけたときに返って来る反応によって、創価の真実の姿に気がつくと思います。
    ぜひ一日も早く、直接幹部にあなたの考えを表明してください。そしてその答えをあますことなくこのブログに伝えてください。というか、伝えずにはおれなくなるほどの衝撃を受けるはずです。そんな体験を持つ人が過去にいくらでもいます。そしてそのような方の結論が「創価は宗教団体ではない」と思い知っているのです。
    また、創価の組織にいながらボイコットができるようなところであるかどうかも、実際に体験してみてください。百聞は一見にしかず。これではっきりとわかると思います。

  30. signifieさん

    >創価の組織にいながらボイコットができるようなところであるかどうかも
    これをすでに実践しているのが活動家から未活動家になられた方だと思います。
    通常、地区部長・地区婦人部長を卒業?すると、副支部長・支部副婦人部長になられますが、
    その役職の方で、未活になられる方が見受けられます。
    改善しようとして潰されたのかもしれませんね。

    あと、改革か改善かですが、wikipediaより
    改革・・ある対象を改め、変化させること。現時点での基本的な体制を保ちつつ、内部に変化を作ることをいう。
    改善・・誤りや欠陥を是正し、より良い状態にする事、行為。
    なので、私の場合は、誤りや欠陥を認めて、より良くしていきたいとの思いなので、改善です。

    昨年末より今日まで、副会長2名、本部幹部以上4名と話をしてきました。
    特にキチガイ扱いされることはなかったですし、「あなたのように考えていくことも大事なことだ」と言ってくれた方もいます。
    signifieさんの頃(3年前でしたっけ?)と今では、もしかしたら状況が違うのかもしれません。人材は不足してますからね。
    またバリ活のパートナーとは、創価学会の活動の間違ってるところの話をすると、スイッチオンで全く話にならず、
    一時、本当に離婚のことをお互いが考えるまでになりました。今は話し方を変えて少し落ち着きましたが。

    今までの対話を通して、少しずつですが、見えてきた部分もあります。
    迷惑行為、洗脳・MC(マインドコントロール)、思考停止、指導体制、
    この辺をしっかり考えて対話ができればと思います。

  31. >これをすでに実践しているのが活動家から未活動家になられた方だと思います。

    そうですね。ボイコットという批判の行動として未活になる人も中にはいるでしょうが、たいていは「もう関わりたくない」という気持ちで活動をしなくなる人がほとんどだと思います。未活になっても脱会までこぎ着けないのは、まわりの活動家や家族から何を言われるかわからないとか、まだMCが解けずに、やめたら悪いことが起きるのではないかといった恐怖心に襲われるからということも、このブログへの多くの方のコメントによってわかりました。そして未活になった人たちに対して「地獄に堕ちる」とか「ろくな死に方はしない」などの呪いの言葉を平気でかけるのも活動家のみなさんです。私も活動家の皆さんが悪気のないことはわかりますよ。でも逆に悪気がなく、もっと言えば自分たちは正しいことをしているという確信のもとに他人にそのような呪いの言葉を平気でかけていることの異常さに気づかないというのは恐ろしいと思います。日顕撲滅唱題会に何の疑問も感じない活動家によって続けられているというのも恐ろしいことですよね。まさに呪いのカルト集団です。そんなことひとつとっても「改善」とか「改革」の違いがどうとかで片付けられるようなことではないと思うのです。
    私がこのブログのサブタイトルに「静かに創価学会を去るために」とつけたのは、創価学会自体は改善や改革やボイコットが通じないところだという意味です。つまり「そんなことをやっても創価学会がいい意味での宗教団体になどなれるわけがないのだから、静かに去るしか道はないのだ」という意味です。もともと詐欺団体なのだから、改善も改革もボイコットも意味はないということです。はやいとこ一日もはやく創価学会とは縁を切りましょうよということです。

    私も白いブランコさんとの対話の中で、創価問題の論点がはっきりしてきた部分が出てきたような気がします。いままでここに来られた活動家さんは、まったく対話どころか会話にさえならない方たちばかりでしたから、これは画期的なことだとも思います。ただし、私たちから見れば白いブランコさんはまったく覚醒はしていません。それは基本的に創価学会が宗教団体だと信じているからです。ここに決定的な違いがあり、ここを議論しても対話にはならないでしょう。もし対話になるとすれば、白いブランコさんが「もしかしたら創価学会は宗教ではないのかもしれない」という、今の立場からいったん降りてからものごとを考えてみる必要があると思いういます。私たちは個人差はあっても、いったん降りてみたんです。そしたら今までどうにも理解できなかったことがスパーッと見えてしまったんですね。そうなるともう後にはもどれません。同時にいままでに自分の信念も人生も、家族や友人に語ってきたことも、みんな間違いだったということを認めなければならなくなるので、それはもう大変なショックと苦しみが押し寄せてきます。覚醒直後は「うそだろ!」「どうか何かの間違いであってくれ」と、それこそ祈るような気持ちでしたよ。でも現実が見えてしまったものはしかたがないんです。子どもにでもわかるような簡単な理屈が大の大人がわからないようにMCされてしまってきたんです。

  32. signifieさん

    >「もしかしたら創価学会は宗教ではないのかもしれない」
    今の私が感じるところでは、8割方、選挙活動だと思います。みんな本心からやっているかはわかりませんが、
    今の時期、選挙一色ですね。

    みなさんのコメントを読みましたが、それぞれに改善・改革をしたい方・しようとした方が、たくさんいらっしゃったのが解りました。
    そして皆さんの切実な状況も読んでてつらく感じました。

    例えば企業でも2パターンあって、指摘事項・不祥事に対し、謙虚に受け止めて改善できる企業と、指摘を顧みずユーザーが離れる企業。
    現実の上ではもっとたくさんの提案が創価学会に対してもあったと思います。
    これだけ未活動家が多くなったこと・提案して退会される方が多い状況をつくったのは今の幹部・執行部に責任があると思います。

    ちなみに私の意見を幹部の方達に話をしましたが、その幹部達に改善をやってもらおうというつもりはありません。
    現場から組織を改善していくというのが、先生が示されたやり方だと思います。
    そして今後は最前線の、現在の常識を備えた若い世代の意見を取り入れていかなければ、組織の衰退が加速していきます。
    現場ではそのような方々が潰されているというコメントもありましたね。

    創価学会は、元々教育界から出発し、世の中から貧困や悲惨を無くしたい、人類の幸福と世界の平和を願っている団体です。
    宗教自体の目的も人々が幸福になるためであり、人間のための宗教を標榜しているはずです。
    私が創価学会にこだわっているのは、そうした本来の宗教的部分-大聖人の仏法、三代会長の思想に共感しているためです。
    ただ、そうした宗教本来の活動が2割ぐらいで、掲げている理念と現実のギャップが大きすぎることを懸念してます。

    入会規定にも会則にものっていない選挙の支援活動が8割を占めている現状を変えないと、ますます会員の心が離れていくように
    思えてなりません。
    あらためておかしいと思ったことに友好期間という考えがあります。活動の休み期間まで決められています。

    とりあえず昨年の選挙から、支援活動と称する活動は、やり方・進め方に納得できないのでボイコットしています。
    地区部長を続けている間は、前回掲げた改善に取り組みたいと思います。

  33. 白いブランコさんは、今の創価が衰退しているのは幹部が池田氏の言うことも一般会員の言うことも聞かずに、本来の宗教団体の立場を見失って勝手に動かしているからと言う考えなのですね。
    (私もそう思います。たぶん池田氏は執筆どころかまともに話しができるかどうかもわからないですからね。幹部が一般会員を都合よく動かしているというのが現実だと思います)
    そして一般常識を踏まえている会員の意見を取り入れていかなければ改善はできないと。
    また、宗教団体なのに活動の8割が選挙活動というのもおかしいからボイコットすべきだと。
    白いブランコさん、是非このことを幹部に提言して、改善の足がかりを作ってください。もちろんできればの話ですが、私が思うに、それは幹部にとっては反逆者でしかありません。たぶん「ふんふん」と話を聞くだけ聞いて、そのまま聞き流されるでしょう。間違いなく100%スルーされますよ。たぶん体験しなければわからないのでしょうから、白いブランコさんは是非その改善への行動を実践して、結果を教えて下さい。
    また、白いブランコさんと同じ地区部長クラスの末端会員さんに、選挙活動はボイコットするべきだと訴えてみて下さい。そしてその結果も是非教えて下さい。お願いします。

  34. signifieさん

    新しいスレッドが建ちましたが、引き続きこちらでコメントします。
    またいろいろな方からのご意見で興味深いものも多々あるので、今回はその辺も交えてコメントさせていただけたらと思います。

    モニカさんがおっしゃってた
    >創価は今や完全な公明党の票取りマシーンとして存在しています。
    >だから何度も言ってるように、創価は「末端を使ってこれがやりたい」のです。

    創価学会の現在の活動をいろいろな角度からみると、確かに集票マシーンと化しているのは感じます。
    活動の8割は選挙だと思ってます。
    また財務についても角度を変えると、「金集め」と取れると思います。
    創価学会の目的が「票集めと金集め」と言われても、否定できない見方はあると思います。

    仮に、もしもそうであったとして、やはり疑問に思うのは「票集め」・「金集め」はそれ自体が目的ではなく、
    何かをやろうとする手段ではないでしょうか。
    票集め・いわゆる選挙については、大聖人の「立正安国」の精神で、日蓮仏法を持った同志を政治の世界に
    送り込み、大聖人の御遺命の一端を果たそうとしている。そう考えれば目的と手段は合致すると思います。
    (支援のやり方は非常に問題があると思ってます。)

    創価学会が政界に進出したのは、政治の次元でなければ解決できない不幸の原因があるから、それを
    正すためで、確かに以前の公明党はそのような素晴らしい政党だったと思ってます。
    ダイアナさんがおっしゃってた「国立戒壇」は顕正会だったと思います。

    >選挙の熱の入れ方は年々異常さをますばかり
    現場でも本当にそう感じます。異常です。
    まるで何かの目的を成し遂げようと、異常なまでに熱を入れています。
    その目的は「政治の次元でなければ解決できない不幸の原因」を取り除くためとは感じられません。
    かといって、公明党が政権を獲って日本を乗っ取るなんて数には及びません。

    signifieさんはじめ、皆さんはこの辺のことがわかっているということでしょうか?

    改善については、徒手空拳ではおそらく相手に伝わらないと思いますので、
    様々工夫してみます。可能な限り、状況はお伝えしたいと思います。

  35. 白いブランコさん、もちろん対話は引き続きこのスレッドでお願いします。

    >票集め・いわゆる選挙については、大聖人の「立正安国」の精神で、日蓮仏法を持った同志を政治の世界に送り込み、大聖人の御遺命の一端を果たそうとしている。そう考えれば目的と手段は合致すると思います。

    白いブランコさん、これ本気で言ってるんですか?
    正直言いますと、このコメントで私はうしろへひっくり返りそうになりました。これ冗談じゃないです。おそらく白いブランコさんは大真面目で言われているのでしょうけど、どうかここはひとつ冷静になって考えてください。

    まず日蓮が幕府に3度諌堯したとされる「立正安国論」とは、簡単に言うと「自分は末法の世を救うために現れた仏の化身であり、今の世の天変地妖の絶えない日本という国(当時の日本が一つの国家であると言う意識は今ほどはなかったようですが)が安泰を取り戻すには、自分の教えを国家の中心に据え、国が荒れているのは間違った信仰が原因なのだから、他のいかなる宗教をも認めないような施策をしなければ、日本は近いうちに他国から攻められて滅ぶであろう」ということですよね。755年前の鎌倉時代の話です。それで幕府は日蓮の言うことにはまったく聞かなかったわけですが、日本は日蓮の予言通り滅びましたか?あれから755年経ちましたが、日本は滅んでませんよね。この755年間に日本が戦争で負けたのは太平洋戦争だけですよね。日蓮の言うことを聞かなかったから、680年後に太平洋戦争で日本が負けたですか?それもどう考えても無理がありますよね。では日蓮はわざわざ幕府に3度も同じウソをついたのでしょうか。いえ、本人は死刑覚悟で真剣に言ったんですよね。

    「大聖人の『立正安国』の精神」を今の日本に適応させるということは、日本人から信教の自由を奪い、今の民主制度を廃止し、独裁国家にするということですよ。公明党はそのためにいるんですか?公明党は信教の自由を一切認めない一党独裁の国家を目指しているんでしょうか?750年前の日本は鎌倉時代という幕府の独裁国家でしたから、それもない話ではありません。民主主義が日本に入ってくるのは明治になってからですからね。民主主義の世の中を755年前の鎌倉時代の日本に生きていた日蓮が想像できたでしょうか?

    それで白いブランコさんの
    >大聖人の「立正安国」の精神で、日蓮仏法を持った同志を政治の世界に送り込み、大聖人の御遺命の一端を果たそうとしている。そう考えれば目的と手段は合致すると思います。

    とは

    「日本を信教の自由が許されない独裁国家にするために同志を政治の世界に送り込もうとしていると考えれば目的と手段は合致すると思います」

    ということですよね。
    白いブランコさん、創価学会は公明党の支援を通じて日本の民主主義を崩壊させようとしていると考えられますが、それでいいんでしょうか?
    今は21世紀の民主主義の日本です。いわゆる発展途上国にはいまだに独裁国家があります。北朝鮮やアフリカ諸国は、民主主義とはほど遠い惨状があります。日本は間借りなりにも信教の自由も、基本的人権も保障された民主国家ですよ。今の世の中に日蓮の「立正安国」を蘇らせるなんて人に言ったら危険人物扱いですよ。ネトウヨもビックリです。

    もしほんとうに公明党が「大聖人の御遺命の一端」を果たすためにつくられたのであれば、それをはっきり打ち出すべきではありませんか?「公明党が政権をとったあかつきには日本国民は創価学会の信仰以外は一切認めません。信教の自由などありえません」とマニフェストに記載すべきでしょう(笑)。これ笑い話ですが、こんなことを白いブランコさんは真面目な顔をして言ったのですよ。どう思いますか?

    というより、私は白いブランコさんが、創価が公明党を支援する理由について、上から言われている通りをそのまま信じきって、言われた通りをそのままここに書いているということに驚いているんです。自分で体験していることについてはいろいろ疑問に思うことはあっても、体験できない肝心なところが完全に言われるままがしみついていますよね。ですからなおのこと白いブランコさんが思うところの改善策を幹部にぶつけて、その幹部の反応を体験として受けとめればきっと気がつくのではないかと思います。
    また、公明党の支援活動についてはすでにかなり疑問を持っているようですので、今度は日蓮の思想がどんなものかを、つまり組織から言われていることではなくて、もっと客観的に見ることができる視点をもつことをお勧めします。さきほど言いましたように「立正安国論」がいかに時代錯誤か、というより750年前の異端の僧がいうことを現代の政治制度にしようということが、いかにバカげているかに気がついて欲しいと思います。

  36. signifieさん

    以前の対話の中で、私が以下のような話をしたと思います。
    <日蓮正宗からの破門については、日蓮正宗の信徒団体から出発した創価学会は、「日蓮正宗の教義」と{日蓮大聖人の本義}が違うことに
     気づき、{日蓮大聖人の本義}に基づいていく道を選びました。
     また現在に即した解釈に、独自に教義を整えようとしている最中だと思います。
     御書根本ですが、かといって日蓮原理主義みたいにはならず、「生命尊厳・世界平和・人類の幸福」を善とし、
     反対を悪とする教義になると思います。そこに先生の今までの指導が盛り込まれると思います。
    この中で日蓮原理主義と言っているところは、まさにsignifieさんが、今回話をされてる内容だと思います。

    私の考えているところは、そうではなく、そのあとの{「生命尊厳・世界平和・人類の幸福」を善とし、反対を悪とする}という
    「生命尊厳・世界平和・人類の幸福」を正法ととらえ、その思想を元に国を安定させることを「立正安国」の精神と言おうと思ったのですが、
    先に≪「大聖人の「立正安国」の精神で、」≫と書いてしまい、「現在に即した解釈」という言葉がなかったため、誤解を与えてしまいました。
    「大聖人の仏法を現在に即した解釈の上での「立正安国」の精神」と訂正させてください。すみませんでした。

    前回の話の意図するところは、別に公明支持を正当化させようとか思っているわけではありません。
    むしろ逆で、創価学会の公式ホームページを見ても、どこにも支援の戦いの記載はないし、年間行動や行事を見ても
    選挙関連は出てきません。それなのに実際の現場は8割方選挙運動を行ってます。

    そういった意味では信仰心を利用して、選挙活動をやらせるのは「詐欺」といえると思います。
    実際、多大な迷惑をかけているのも、この選挙の戦いだと思います。
    信仰者の善意を打ち砕くのも、家族の時間を奪うのもすべてこの選挙の戦いのせいだと思います。

    私が感じる創価学会の宗教的部分というのは、公式ホームページの内容のままです。
    (ネットは見ないでと指導されてますが、公式ホームページはネットです)
    この公式ホームページの内容・イメージのまま、進めているのであれば、良い宗教団体だと
    思えるのではないでしょうか。

    ダイアナさんへのコメントも言葉足らずでした。
    >「国立戒壇」は顕正会だったと思います。
    この部分ですが、言おうとしていたのは
    「国立戒壇」 をいまだに国会の決議で行おうとしているの は顕正会だったと思います。
    という言葉に訂正させてください。
    もちろん戸田先生の言葉も知っていますし、そのあと池田先生が訂正しているのも知っています。
    言葉足らずで誤解させてしまって済みませんでした。

  37. signifieさん

    みなさまから寄せられるご意見、たしかにそうかもしれないと思いはじめています。
    signifieさんのブログのサブタイトル「静かに創価学会を去るために」について説明されていた
    >創価学会自体は改善や改革やボイコットが通じないところだという意味です。
     つまり「そんなことをやっても創価学会がいい意味での宗教団体になどなれるわけがないのだから、静かに去るしか道はないのだ」という意味です。
    なるほどと思います。
    先ず聞く耳を持たない。改善提案や意見を排除する。そして意見を言う人まで排除する。
    中には聞いてくれる人もいますが、そうではない人が多いように感じます。
    こちらのブログの常連さんたちも、元バリ活の方達が多くいられると思いますが、いわゆる戦力になる方達を排除してきたツケは、必ずやってくると思います。
    大量退会時代か、大量未活時代かはわかりませんが、やはり、今のような官僚主義的なやりかたを続けていく限りは確実に衰退します。
    以上、本日活動してみた感想です。

  38. 白いブランコさん。
    このブログに初めてコメントをされてから16日になりますが、初めの頃とずいぶん論調が変わってきましたね。これは画期的なことだと思います。これまでここに殴り込んできた活動家さんのように、人の話をまったく聞き入れずに、上から降りてきた指導を繰り返すばかりでないからこそ、ここでこうして対話ができているんだと思いますし、私たちの言うことにも耳を傾けられているのだと思います。それは白いブランコさんの言う「半覚醒」ではないにしても、こうして対話が成り立っているということは、とても凄いことだと思います。3年以上もこのブログを続けてきて、こんなことは初めてです。
    またネット上での言葉の行き違いについても、自ら認めて謝罪修正される点も、これまでにはなかったことです。私もできるだけ行き違いがないように心がけて話しますので、よろしくお願いします。

    >いわゆる戦力になる方達を排除してきたツケは、必ずやってくると思います。

    白いブランコさんは、創価の信仰を「戦い」と捉えているから「戦力になる方達」という表現をされたのですよね。
    よ〜く考えてみてください。信仰は戦いなのですか?もしかして、自分でも気がつかないうちに「信仰は戦い」と思い込んではいませんか?それってちょっと変だなと思いませんか?創価学会に入ると、戦わなければならないのですよね。それでは白いブランコさんは何に対して戦っているのですか?正法を妨げる魔との戦いですか?そんな魔がどこにいるんでしょうね。創価学会に入らなければそんな得体の知れない魔なんて現れないし、普通の人は仕事が精神的な戦いの場であったりしても、選挙で公明票をお願いしたり、新聞をとってもらったりすること「戦い」なんて思いもしないし、それが自分の幸せになるなんて考えもしません。でも創価学会に入るともれなく魔がついてくるんですよね(笑)。そしてそれと戦わなくてはならない。日蓮正宗を呪ったり、選挙でいくつ公明票をとったかなんて魔とは関係ないし必要ないですよね。日蓮はお題目さえあげれば自然と自分の中にある仏界が顕われると御書に書いてます。選挙活動も新聞啓蒙も財務も御書には書いてありません。それは日蓮が言ったことであって、創価が言っていることは今の時代に即した正しい信仰の方法を示していると言うかもしれません。しかし白いブランコさんが指摘されているように、創価のHPは選挙活動のことは載っていません。ここで特に注目して欲しいのは創価の活動内容に選挙活動はおろか、新聞啓蒙も財務のことも一言も載っていません。いいですか創価学会の公式HPには、今現在学会員さんが必死でやっている選挙活動も新聞啓蒙も財務のことも一言も載っていないのです。でもやっていることのほとんどは選挙と新聞啓蒙と会員と財務を増やすための活動ですよね。そして会員さんがそんな活動に疑問を抱いて質問をしても、幹部は何一つ答えようとはせずに「信心が足りない」「お題目を上げなさい」「池田先生にお答えしましょう」としか言いません。
    ちなみに、今日の「聖教オンライン」には、このような本の紹介記事が載っています。
    _________________

    池田大作名誉会長の講義『勝利の経典「御書」に学ぶ』の第14巻(写真)が発刊された。
    「大白蓮華」の連載をまとめた本書は「上野殿御返事(刀杖難事)」「高橋入道殿御返事」「阿仏房尼御前御返事(畷堅固御書)」を収録。
    「自身の宿命転換を願い、広宣流布の実現を祈って、身命を惜しまず戦うところに、必ず幸福勝利の人生を開くことができる。生涯、素直に信心を貫き通した人が勝利の人です」と、名誉会長は綴る。
    _________________

    日蓮の御書は「勝利の経典」なのだそうです(笑)

    >生涯、素直に信心を貫き通した人が勝利の人です

    つまり創価学会を脱会しない人が「勝利の人」なのだそうです(笑)
    創価は会員さんを死ぬまで戦わせる気なのでしょうね。

    白いブランコさん、いつのまにか自分の人生を勝ち負けと捉えていませんか?「仏法は勝負だ」などと言われ続けてきましたもんね。私もそうでした。何かわからないけど、何かしら敵のようなものが設定されて、あるときは法戦だったり、己心の魔だったり、創価への中傷だったりして、そんなものに負けないぞ!と奮い立ったものです。でもよく考えると、そんなものと戦う理由なんてどこにもないことに気がつきます。まわりの人たちと仲良くおだやかに暮らすことのほうが信仰者としてふさわしい生き方ではないかと思いませんか?創価の活動をしていると、いつのまにか「戦闘モード」と「創価スイッチ」を植え付けられていることに気がついてください。

  39. >「大聖人の仏法を現在に即した解釈の上での「立正安国」の精神」

    申し訳ないですが、私にはこの言葉が何を意味するのかさえわかりません。「大聖人の仏法を現在に即した解釈」が正しいということは誰が証明してくれるのでしょう。仏教の教義をあまりに大雑把に言ってしまってませんか?2500年もの時間と6000kmもの地理的距離をもってとてつもなく変遷してきた仏教の中の、そのまた異端中の異端である日蓮宗の、そのまた異端である日蓮正宗の教義を現在に即して解釈するなんてことが、破門されてから何年かの間で「現在に即した解釈」ができると思いますか?そしてその正当性を誰がどうやって証明できるのでしょう。私には見当もつきません。
    まず日蓮の言う仏法は仏教全体から見ると、もうこれ以上ありえないほどの異端思想ですよね。白いブランコさんはそのあたりの認識はあるのでしょうか。

    去年の8月14日に、私は以下のようなコメントをしました。かなり長いですが、白いブランコさんに是非読んでいただきたいのでコピペします。
    _____________________

    今回のテーマ「はたして創価は仏教なのか?」は、けっこう難しいかもしれませんね。なにしろ「仏教とは何か?」という問いが裏側に隠れていますね。そこから話をしだすと、かえって焦点がボケてしまうかもしれませんので注意が必要です。ここでいう仏教とは、一般的な認識としての仏教と考えてください。哲学的に掘り下げていくと、何がなんだかわからなくなります。だいたい仏教というのが、およそ宗教らしからぬものだからです。もっとも、私が仏教に惹かれるのはその点なんですけどね。何と言いますか、すくなくとも釈迦が解いたとされる原始仏教(この言い方もどうかと思いますが)には、釈迦自身のカリスマ的な要素だとか、ましてや超能力のような呪術的な要素だとかはありませんよね。それが時間が経つにつれて「これをやったら病気も治れば金持ちにもなる」的な、おすがり信仰になってしまったんですね。もちろんそうでない部分も継承されたり、それらとはまた違った部分で新たな解釈が生まれたりと、この2500年の間にインドから中国、東南アジア、朝鮮半島を経て日本に伝わるまでに、ものすごい変化があったわけで、さらに日本国内においても、仏教伝来の飛鳥時代から、新興宗教としての各種の仏教派生を経て、江戸時代の檀家制度、明治政府以降の神仏習合の時代、太平洋戦争後の信教の自由化に至っては、もう宗教は何だってアリという時代になったわけですね。そんな中で、特に戦後は数えきれないほどの新興宗教が生まれては消えていった中で、その強引な折伏によって勢力を拡大してきたのが創価学会であり、統一教会であり、幸福の科学でした。ほかにも成長の家や天理教やPL教団などもありますが、今現在、社会的な問題としてあげられているのが前者の3つの宗教団体だと言えるでしょう。その三つはよく似ていますね。とにかく会員からお金を吸い上げる手法としては、どれがどれだか区別がつかないほどです。でもそれぞれに「自分たちは他とは違う」と自分とこの正当性を主張し合っているわけですが、世間的には同じような怪しい団体でしかありません。統一教会はキリスト教ということになっていますし、創価と幸福の科学は仏教ということになっています。でも統一教会は世界的なキリスト教会からは相手にされていませんし、創価や幸福の科学も日本の仏教会からは相手にされていません。逆にまともに相手にされては、金儲けができなくなって、かえって困るということになるでしょう(笑)。
    とりあえず統一教会と幸福の科学は置いといて、とにかく創価学会が仏教として通用しているのは学会員さんの中だけなんですね。こうしたとっても基本的で単純なところに気づいて欲しいなと思うのですが、やはり「創価だけが正しい」と思わないと不幸になると思い込んでいる学会員さんにとっては、客観的な評価などどうだっていいのだろうと思います。
    日本の新興宗教には、仏教の系譜とは関係ないということを知るべきですよね。みんな勝手に仏教やキリスト教の教義をパクって金儲けに利用していることを理解して欲しいと思います。
    私の知り合いの、そのまた友人が、ある新興宗教の教祖の息子でした。私は直接はあったことがないのですが、その知り合いからけっこうその新興宗教のことは聞いていたものですから、知らないうちに詳しくなっていました。もちろん外部からみれば、なんでこんなに怪しい教義を信じられるんだろうと思っていました。もう、見るからに怪しい。でもそこも会費や寄付や、特別な洗礼とかにお金を出させて、やっぱり会報や書籍を会員にたくさん買わせて、そのお金でびっくりするほど豪華な「神殿」を建てていました。教祖もその息子も、見るからに怪しげな人で、結局息子が不慮の事故で突然亡くなりました。でも亡くなったことはとくに会員に知らせるでもなく、何もなかったかのようにその宗教団体は存続しています。会報の体験談は、みんなその息子が書いていました。いろんな年代層と職業を演じながら「この信仰のおかげでこんなに幸せになることができました。教祖様になんとお礼を申し上げてよいやら…」といったほとんど同じ内容のことを毎月毎月書いては会員さんに買わせていたのです。
    村上春樹氏の小説「1Q84」に新興宗教が出てきます。いろんな方が「あれはきっと実在の団体だ」と指摘されていますが、まあ、それは噂であって日本の新興宗教はどのみち似たり寄ったりなものだと考えていいのではないでしょうか。要は伝統的な宗教とか関係はないということです。もちろん創価学会は日蓮正宗から破門された時点で、もはや仏教ではないでしょう。自分から「日蓮正宗ではない」と宣言しているのですら間違いない。そして昔から日蓮正宗以外は間違っていると言ってきたわけですから、創価学会は日本のどんな仏教も自ら否定しているわけです。ここはきちんと押さえとかないといけません。創価はすべての仏教を否定しているということです。そして自分たちの信仰こそが唯一無二の正しい仏教なのだと言ってるのですから、日本の仏教界が相手にしないもの当然ですよね。
    こうした理由で「はたして創価は仏教なのか?」という問いに対しては「創価は仏教ではない。仏教だと思っているのは学会員だけだ」ということがはっきりすると思います。「創価はどこかで間違ったのだから、組織改革をすればすばらしい宗教団体になる」などと、とんでもない勘違いです。創価は宗教ではない、ましてや世界中のどんな仏教とも相容れることのない宗教なんて、宗教であるかどうかという問いすら成り立たないのです。では創価とは何なのか。やはりここで最初から何百回も繰り返し訴えているように「創価は単なる詐欺団体」なのです。創価は会員しか騙しません。外面はいかにも平和を希求する文化的な宗教団体であるかのような顔をして、決して外側に向かってお金をとるようなことはしません。あくまで会員にして、自分からお金をよろこんで差し出すような仕組みにしています。これも新興宗教団体のおおかたのやり口ですね。外面はいいけど、いったん会員になったらじわじわと洗脳していき、知らないうちにお金も労働力の差し出すようになって、どんなに辛くても抜け出せないような精神構造に変えてしまう。そりゃあ恐ろしい団体ですよ。
    また「そもそも」が出てきますが(笑)、そもそも何か超自然的な力にすがるという時点で、それはもう仏教ではないということです。そして幸せの代償としてお金を要求される。これも新興宗教の特徴ではあっても、仏教の特徴ではない。「ご本尊さま、どうか私を幸せにしてください。そのかわり持っているお金は全部財務にします」これって仏教じゃないでしょ。宗教じゃないでしょ。どう考えても詐欺でしょ。それが学会員さんにはわからない。気づかない。この「気づかない」ようにするための「宗教的儀式」なんですよね。いいことは信心のおかげ、悪いことは自分の信心が足りないから、たくさん財務をすれば幸せになれる、たくさん公明票をとれば福運を積める、たくさん会員を増やせば幸せになれる、新聞をたくさん購入しても幸せになれる……学会員さん、あなたはいつからそんなことを心の底から信じてしまうようになったのか、考えたことがありますか?なかったら是非考えてみてください。自分ははたして仏教徒といえるのだろうか。いや仏教徒でなくてもかまわない。池田先生のお役に立てればそれでいいんだ…いつからそう考えるようになったか思い出せますか?池田先生は実際に何をしてくれましたか?あなたがたからもらったお金で好き放題やってきただけではありませんか?でも池田先生はもう4年以上もどこで何をやってるかさえ知らされないんですよ。池田先生はすべてを自分たちに託されたってですか?じゃあ池田先生がいるころと何か変わりましたか?変わったことと言えば、活動家の人数が激減したことでしょう。残っている人はみんなお年寄りになってしまいましたよね。もう若い人はついてこないです。正直これから学会員さんの数が増えると思いますか?それはなぜなんだろうと考えたことがありますか?それはね、創価が間違いだったということに気づいた人たちが、次々と辞めていってるからですよ。辞めてもバチなんか当たりませんよ。カラーコピーのご本尊を破いてもなんともありませんよ。単なるコピー用紙ですからね。それでも創価を信じるかどうかは自由です。でもどう考えても創価は宗教ではないと考えるのが普通の感覚なんですが、どうでしょう。
    _____________________

    >「大聖人の仏法を現在に即した解釈の上での「立正安国」の精神」

    鎌倉時代の「立正安国」は現代においては通用しないのは当然。だから「現在に即した解釈の上での『立正安国の精神』とすれば辻褄が合う」と思ったのですか?では現代に即した解釈での「立正安国の精神」というものも教えてください。

    >「生命尊厳・世界平和・人類の幸福」を正法ととらえ、その思想を元に国を安定させることを「立正安国」の精神

    白いブランコさん。これって上からの受け売りでしょ?
    >「生命尊厳・世界平和・人類の幸福」を正法ととらえ
    こんな国連憲章のようなきれいごとの言葉のどこが正法なんですか?その根拠はどこにあるのですか?
    仏教の教義というのはとても深遠な哲学です。ゴータマシッダールタという一人の人間を発端として、人類が長い年月と多くの知識と経験の積み重ねによってできあがった知の集大成です。創価はそうしたもののほとんどを否定し、60年以上も日蓮正宗だけが正しいと言い続けてきたあげくに、その日蓮正宗から破門されると、今度はその日蓮正宗さえ否定して、創価だけが日蓮の教義を正しく継承しているという始末。この根拠など仏教の教義に照らすまでもなく何もありません。でもなくたっていいんです。会員がそのように信じればOKだし、事実信じているのですから。
    >「生命尊厳・世界平和・人類の幸福」を正法ととらえ、その思想を元に国を安定させることを「立正安国」の精神
    上からこのように言われれば、何も考えずにその通りに信じてしまう。これが創価学会活動家の実態です。そして白いブランコさんも、これについては何の疑問もないんですよね。
    これっておかしいと思いませんか?何の根拠もないことを信じているという自覚を持って欲しいと思います。先に言いました「信仰は戦い」という固定概念も、何の根拠もありませんが、なぜか信じてしまっている自分がいることに気づいてほしいのです。

  40. 宗教の教義が正しいかどうかは誰も証明することはできません。証明することができないからこそ宗教であるとも言えます。かつて人類史上稀に見る天才的な頭脳をもつデカルトが、哲学的な思考によって「神の存在証明」を試みましたが、それとてできませんでした。人間の思考を超えたもの。というより人間はもとより、この世界を存在せしめる大いなる力そのものを、その被創造物である人間が把握できると言う発想そのものが破綻しているとも言えます。つまり宗教とは信じるか信じないかの問題であり、それが正しいか正しくないかの問題では最初からないということです。
    白いブランコさんが創価を正しい宗教だと思うのであれば、それは白いブランコさんにとってはまぎれもなく宗教です。それを正しいとか正しくないなどと他人から言われる筋合いはありません。同様に白いブランコさん以外の人が「創価は宗教ではない」と思うのであれば、当然宗教ではありませんし、そのことについてもそれが正しいの正しくないのと言われる筋合いもありません。日本は信教の自由が保障されていますからね。信教の自由とは信じる自由でもあり、信じない自由でもあります。創価のいうことがおかしいのは、創価が宗教ではないと思っている人に対して「それは間違っている」と断言するところです。それを日蓮の排他主義の教義を利用して、あたかもそれが真実であるかのように会員に信じ込ませています。日蓮の徹底した排他主義は、このようなMCにもってこいなんですよね。だから学会員さんは「こうして大聖人の御書にかいてあるんだから間違いない」と信じています。そのそも御書に書いてあるから間違いないということ自体が、何の根拠にもなっていないんですけどね。でも学会員さんは「創価の考えこそが正しい」と人に押し付けてきます。さらに「創価以外の間違った宗教を信じているから不幸になる」という、とんでもない屁理屈を人に押し付けて、創価の活動をやりなさいと脅して回ることです。世間一般からすれば、はっきり言って余計なお世話なんですよね。迷惑なんです。それを迷惑とも思わず、世の雨人のためだと信じているから始末が悪いんです。世間の人は、学会員自身が勝手に信じてやる分には何も言わないんです。言うことでもないし、ほとんどの人は学会員が何を信じようがどうだっていいんです。ただ信じてもいない人に「信じなさい」「これだけが正しい」「あとは間違っている」「これを信じなければ不幸になる」「これを信じれば幸せのレールに載ることができる」と押し付けることをやめてほしいと言っているんです。人に押し付ければつけるだけ自分が幸せになれると信じているところもおかしなことだし、そして大の大人に言うならまだしも、何も知らない子どもに、有無を言わさず教え込んで、それ以外の考え方ができないようにしてしまっていることに気がついていないから、気がついた私たちが自分の過去の具体的な経験を通して指摘しているわけです。

  41. signifieさん

    個人や大勢で何かをやるとき、「挑戦」という言葉を普通に使うことがあると思います。
    確かに創価学会での信仰において「戦い」という言葉は多く使われていますが、私は良いと思ってます。
    何かを変えたいと思う、心の原動力として必要なことで、これがなければ流されて終わってしまうのではないでしょうか。

    以前のテーマの「はたして創価は仏教なのか?」は今回初めて読みました。
    先に読んでいればコメントを投稿することはなかったかもしれませんね。
    私は学会2世のため、今までは創価学会の中から見た部分が認識の多くを占めていましたが、客観的に見ることの必要性も感じます。
    現在、創価学会は
    ”日蓮大聖人の仏法に基づく「平和・文化・教育」 活動を世界に展開している団体”
    と謳っています。”基づく”という言葉にあるように、大聖人の仏法を基本にしてますが、幅広い仏法思想の中で、特に”万人に備わる仏性”という
    点を基調としていると思います。
    時代に合わない部分もあるので、そのようなところはたとえ過去に行われていたとしても、これからはやらないようにする等、常に変化していく
    必要性も感じます。これが日蓮原理主義では無いということです。

    >>「生命尊厳・世界平和・人類の幸福」を正法ととらえ、その思想を元に国を安定させることを「立正安国」の精神、、、

    >白いブランコさん。これって上からの受け売りでしょ?

    なんで選挙をやるのか、過去に幹部含めいろいろな人に聞いてみましたが、明確な回答は帰ってきませんでした。
    今の支援のやり方には多々問題がありますが、支援する理由として、自分が納得できそうなこととして考えて書きました。

      途中ですが、一旦ここでコメント投稿します。

  42. 白いブランコさん、おはようございます。
    創価を宗教だと信じている現役活動家さんで、このように対話ができたのは、やはりはじめてのことです。ありがとうございます。
    昨日こびぺした過去の私の長い文章も、きちんと読んでいただいたようで嬉しく思います。
    もう一つ「ほんとうに創価は正しいのだろうか」というテーマで書いた文章がありますので、これも是非読んでいただいて、感想をお聞かせください。よろしくお願いします。
    _________________

    投稿日: 2014年7月31日
    また長くなりそうなので(笑)、冗談も交えながら、できるだけわかりやすく話しますね。冗談の部分は軽くスルーしてください。でも事実関係にウソはありませんので、安心して読んでみてください。

    皆さんご存知のように、鎌倉時代の日蓮さんは「自分の教えを日本の国教にしなければ滅ぶ。幕府は内部崩壊するうえに他国から責められ、他国の属国となってしまう」と幕府に忠告といいますか、とんでもない脅しをかけました。たまたま二度の元寇があり、さらに戦国時代へと突入するので、創価では日蓮さんの予言がさも当たったように言われていますが、元寇が嵐によって退陣を余儀なくされて、日本は秀吉によって統一されることまでは予言できなかったんですよね(笑)。べつに日蓮さんの「国家諌暁」を無視したから北条氏が滅んだわけではないと思うのですけどね。創価を信じていた頃は、御書講義の内容をまるごと信じていたので、こんな単純なこともわからなかったのですが、普通に考えてみれば、「我こそが末法万年にわたって人類を救う本当の仏なのだ」と豪語する自意識過剰なトンデモ坊さんが幕府にいいがかりをつけたというだけの話ではないでしょうか。で、結局それから750年経った今も、その末法ご本仏とやらは、少しも人々を幸せにはしていませんよね。

    それにも増して、その日蓮さんをご本仏とする日蓮正宗から破門されているにもかかわらず、(日蓮系の宗派といっても、日蓮を本仏とする派と釈尊を本仏とする派があります)創価はいまだに日蓮正宗のご本尊のカラーコピーを「これが本物のご本尊様です」と言って会員に売って拝ませています。そのことに学会員さんがだれも疑問を持たないのも不思議といいますか(洗脳されているから不思議ではないんですが)、現役活動家さんはこのカラーコピーのご本尊に対してどう思っているのか聞いてみたいですね。大石寺に安置してある板曼荼羅、もちろん以前は学会員のご供養(お金)によって建てられた正本堂に安置されていて、数えきれないほどの学会員さんたちが参拝に来たわけで、それを今になって「じつはあれは偽物だったぴょ〜ん。本物は創価が売ってるカラーコピーだぴょ〜ん」って言ってるのを、何百万人もいるという学会員さんたちが、ひとつも疑ったりしないというのは、どういうことでしょうね。

    前にも書いてきましたが、私は大学が芸術系で、その後の仕事も芸術に関わることが多かったので、いつも芸術と創価の教学の矛盾に疑問を感じていました。日蓮さんや創価が言うように他宗を否定すれば、人類の芸術文化のほとんどを否定しなければならなくなるわけです。仏教をはじめキリスト教やイスラム教などの制度宗教はもちろん、エスキモーやネイティブアメリカンやオーストラリアの民族文化まで、みんな間違った宗教によって人々は不幸になっているという理屈は、どう考えてもおかしくないか?ってずっと思っていました。このブログの表紙に載せているミケランジェロの「ピエタ」やガンダーラ仏も、創価に言わせれば「レベルの低い間違った思想を形にしたもの」という解釈になるわけです。で、私はその疑問に対してどうしたか。無視しました。なぜか考えないことにしました。怖いですね、恐ろしいですね。これが洗脳の最たる姿です。人類の芸術文化は素晴らしいと思う自分も偽れない。ただし、それを否定する創価も否定できない自分がいる。このままでは頭がおかしくなる。そこで私はなんと「考えないことにした」。文字通り「思考停止」です。これが創価学会員の頭の中です。都合の悪いことは考えないようにする。だからこのブログに来られた現役活動家さんに何を質問しても、最終的には「何を言っているのかわからない」というところにしか行き着かないのです。

    創価では教学のことを「仏法哲学」などと言ったりします。こんな思考停止の教義のどこに哲学があるのでしょう。哲学とは、疑問からはじまります。この世界は何なのか。自分とは何か。どこから来てどこに行くのか。釈迦はとても現実主義的な哲学者でした。合理的にものごとを理解しようとしました。周りの悩める人に対して、いつのまにか自分で考え、自分で気づき、気分で解決する方法を見つけるように促しました。似非宗教にあるような超自然的な能力があったわけではありません。超能力とか予言とか占いとか、すべて否定しました。そしてものごとには必ず原因と結果があり、人々が苦しむのは欲に執着する心から離れられないという因によって苦しみという果をもたらすのだということに気がつきます。目の前に見えるものは、すべて縁に触れて一時的に現れているものであって、永遠なものなどこの世にひとつもないのだと。そもそも実体のないものをあるものだと勘違いして欲しがるから苦しむのであって、この世に実体はないと悟ることが苦しみから脱することであると、自分の執着に苦しむ人に諭します。これって子ども向けの絵本にだって載っていることですが、創価ではこのような仏教の基本の教えをまったく無視するどころか、会員さんを「功徳」に執着させることによってお金をまきあげることを続けてきました。創価学会に哲学などありません。あるのは金と欲だけです。欲をエサに金を釣る。人として最低の団体です。

    さて、創価学会の目指す広宣流布がほんとうに実現したら、世界の芸術文化はどうなるのでしょう?現役学会員さん、どう思いますか?広宣流布達成の暁には、日本からお寺も教会も神社も消えてなくなりますか?茶道、華道は禅宗の思想が根底にあります。それも邪教のつくった低い文化でしょうか。では日蓮正宗から派生した文化がどれだけありますか?鎌倉時代から江戸時代まで、日本を支えてきた精神的支柱は武士道にあります。その武士道は禅宗と神道と儒教がもとになっています。それも否定しますか?つまり日蓮さんが「国家諌暁」までした邪宗の否定とは、日本だけではなく人類の精神文化をまるごと否定することになると思うのですが、そのあたりはどう考えていらっしゃるのか教えて欲しいです。創価の作り出した文化。久本雅美の劇団ですか?高橋ジョージのロードですか?おさるのお笑い芸ですか?

    こんなことを言っても幹部はだれも答えようとはしません。「君のその疑う心が福運を消している」「ご本尊根本に、もっとお題目をあげていきなさい」といったいつもの言葉ではぐらかされるだけです。「いやいや、その根本とするご本尊が、あんなペラペラのカラーコピーであることに疑問を持たないことどう思うのかと訊いてるんです」「私には君が何を言っているのかわからない」それはそうでしょう、実際に答えようがないですからね。今まで本門の本尊である大御本尊が突然偽物となり、表装すらしていないカラーコピーが本物のご本尊だなんて誰が信じますか?でも何百万人と言う学会員さんは信じているんですよ。これを拝めば幸せになれると。

    普通に考えれば、日蓮さんの言うこと以外はみんな間違いだという理屈はどう考えても通らないんです。すべては御書に書いてあるだなんて。じゃあ末法においては日蓮が魂を墨に染め流した曼荼羅ではなく、日蓮正宗第26世日寛上人が書いたものをパソコンで修正を加えたカラーコピーが本門の本尊であると御書に書いていますか?この根本的なところで創価の思想はすでに破綻していることに一般の学会員さんは気がつかないほど洗脳されているんですよね。言い換えれば「功徳がもらえるならイワシの頭でも信じます状態」になっているんですね。学会員さんにとって、功徳がもらえるんだったら拝むのがカラーコピーの紙切れだってかまわないんですよね。な〜んにも疑問に思わない。疑えば功徳がもらえないわけですからね。そりゃたいへんだ(笑)。信じるものは救われる…ですか。

    「自分は功徳欲しさに信仰しているわけではない。池田先生が思い描く仏法を基調とした平和な世界を実現するために頑張っている」と主張する立派な方もいらっしゃるでしょう。でもその基調とする仏法の中身が本来の仏教とはかけ離れていることに少しも疑問をもたないのはどういうわけですか?なにがかけ離れているかって、功徳に執着するその心がすでに不幸の因を積んでいるという仏教の基本に逆らっていませんか?仏教の戒律とは、部派仏教つまり出家者がどうやって得度するかを説いた小乗の教えのなかにあるものであって、在家である一般庶民を対象にした大乗仏教ではそのような戒律を設定せずに、出家しなくても成仏できるというのが基本です。ですから日蓮さんが五重の相対で小乗を否定した時点で、信仰の中での戒律は無意味なものであると言ってるわけです。実際、今の日本の仏教では在家の信者さんに戒律を強制することはありえません。あるとすれば「人としてやってはいけない(八正道)と思うことを日常生活の中で習慣化してくださいね」といったことです。キリスト教やイスラム教のような具体的な禁止事項はないのです。ところが日蓮さんの教えは、キリスト教やイスラム教のように、あれはダメこれもダメ、そんなものを信じたら地獄行きだというように、まるきり一神教的な教義ですよね。べつに一神教が悪いと言っているのではありません。そのような日蓮さんの排他的で禁止事項ばかりの部分だけをとりあげて、都合よく創価の教学をつくりあげ、学会員さんに折伏や新聞啓蒙や選挙活動を強制しているわけです。役職があがるごとにその強制の度合いが大きくなり、ますます創価から離れられなくなります。いくら辛くても理不尽でも、家庭を顧みる暇がないほど活動に専念しなければならなくなり、家庭も本人の心も壊れていくのです。でもそれも自分の信心が足りないからだと自分を責めてしまう。原因が創価の組織自体にあることに気づかないように仕組まれています。

    こうして見ると、創価が仏教の教義的に破綻しているのは明らかなのですが、それを感じさせない功徳と罰のトラップが、会員さんを思考停止にさせていることがはっきりわかりますね。 幹部は都合が悪いことがあると有無を言わさず唱題をさせます。この唱題こそが思考停止のリーサルウェポンなんですね。「ご本尊根本に、お題目根本に」が合い言葉です。お腹の底から声をはりあげて、同じことを繰り返す。同じリズムで繰り返していくうちに、トランス状態になります。ランナーズハイと同じように、脳内に快楽物質が分泌されます。おもいきり唱題したあとは、なんか知らないけどスッキリした気分になるのは、お題目に力があるとかなんとかではなく、単純に心身のメカニズムがそうなっているからです。スッキリしたのと同時に、それまでの疑問がどっかに吹っ飛んでいます(笑)。「やっぱりこの信心に間違いはない」と、わけのわからない確信のようなものがみなぎるのもそのためです。活動→辛い→疑問→指導→唱題→スッキリ→活動→辛い→疑問→指導→唱題→ このスパイラルの中で学会員さんはいつのまにか財務、折伏、新聞啓蒙、選挙活動を頑張るわけですね。学会員さんがこのスパイラルからはずれないように、幹部は功徳と罰で学会員さんの心を縛り上げているのです。

    当然、結果など出るわけがありません。たまたまいいことがあったら「みんな信心のおかげ」となり、よくないことが起っても「本当はもっとひどい目に遭うところをこれくらいで済んだ」ひどいときには、家族を事故や病気で失くしても「これにはきっと意味がある。あなたの信心が試されているんだから、今こそご本尊根本に頑張る時なんだ」などととんでもないことを平気で言います。いや、言ってる幹部も本気でそう思っているから手に負えないわけです。そのための創価の教学です。どんな理不尽なことが起きても徹底体に疑わせないがための創価の教学です。だから仏教からかけ離れた排他的で選民主義の一神教的な日蓮の教えがピッタリなんですね。

    さて、このブログでは、いろんなテーマを設定して、いろんな角度から創価学会の矛盾点を具体的な経験もとに展開してきました。創価の教義などの理論的なことを展開して矛盾を指摘するよりも、あくまで学会員としての経験にもとづいた創価の実態をあきらかにすることで、学会員さんにどうにか気がついてもらえればと思ってやってきたわけです。そしてこれまでかなりの数の体験に基づくコメントをいただきました。ここまで実態があきらかになれば、普通ならいいかげん創価が宗教ではなく会員からお金を巻き上げるためだけに存在する詐欺団体だということはわかりそうなものなのですが、そこがまたカルトのやっかいなところで、学会員さんは「ネットはデマばかり」とか「正法を妨げる魔の仕業だ」などと、またしても上から言われることを鵜呑みにして、自分で考えることを拒否してしまうが故に、こんな簡単なことさえ見えなくなっています。

    結局、このブログで言いたいことは「あなたたちは創価に騙されているだけなんですよ、はやく気づいてくださいね」ということなんですが、そんなことに耳を傾けるだけでも不幸になると脅されていますからどうしようもないですね。 このブログでこの二年以上ものあいだ、創価が宗教ではないということ、学会員さんはお金と労働力を徹底的に搾り取られているということも含めて、脱会者や未活動の方たちとともに創価の矛盾をあげてきましたが、やはり最大の問題は、このあきらかな「騙しの構造」にいちばんの被害者である学会員さんが気づかないということだと思います。そしてさらに自分が加害者であり続けていることに気がついていないことです。「学会員さんが創価の実態に気がつくこと」これがこのブログの唯一の目的です。ほかに何の意図もありません。

    このブログをやってもやらなくても、私自身は何の得も損もありません。ここにコメントされている方にとっても何の得も損もありません。間違いだとわかった時点でやめればいいわけです。それで一切創価との関わりを切ってしまえばいいわけです。このブログを読んで得なことと強いて言えば、自分の創価に対する疑問は間違っていなかったということが確認できることでしょうか。私も自分の考えをまとめるという意味では意義があったかもしれません。でもそれはなにもわざわざブログ運営というめんどくさいことをしなくてもいいわけです。創価の間違いに気づいた自分は、自分のこれからの人生について考え、生きていけばいいわけです。それはここにコメントをくださるたくさんの方にとっても同じです。気づいた方が、それぞれに創価と決別した新しい生き方を歩んでいけばいいわけです。でも私も他のみなさんも、こうして学会員のみなさんに声をかけ、対話を試みようとしているのはなぜなのかを考えてみて欲しいです。

    通りすがりのまったく面識のない赤の他人であっても、目の前で家族もろともボコボコにされ、それでもうれし涙を流しながらお金を差し出している人が目の前にいたら、「あなた騙されてるんですよ、お金なんか出しちゃダメですよ」って言うのが人の情ってもんですよね。私もちょっと前まであなたと同じように騙されてました。ボコボコにされながらも喜んでお金を貢いでいました。なぜかそれが幸せだと思っていたんです。今のあなたとまったく同じでした。でも今は本当のことに気がついたんです。あなたも冷静になって、はやく気がついてくださいね。せめてあなたの子どもには、あなたと同じ人生を強要しないでくださいね。自分で自分の人生をつかみとっていくチャンスを与えてくださいね」って言ってるだけなんです。私やここにコメントされるみなさんは魔ではありません(笑)。あなたたちと同じ創価の被害者であり加害者でもあるのです。

    いきなりこんなことを言っても信じられないかもしれません。それもよくわかります。ではせめて加害者であることはやめませんか。あなたが創価を信じることは自由です。考えてみてくださいとは言っても、やめろとは言いません。ただ、自分の子どもに自分の価値観を押し付けて、世の中の無数にある価値観をすべて蔑むような人間に育てる権利は親と言えどもないはずです。私はそうやって育てられて、53歳になって、やっと自分の価値観が間違っていたことに気づきました。そのときのショックが想像できますか。自分で学んで考えて決めた価値観ならまだしも、生まれた時から「これだけが正しい唯一の信仰であって、必ず幸せになれる。他はみんな間違っている、必ず不幸になる」と教えられてきた人生に対して、創価が責任をとってくれますか?あなたの価値観で育てた子どもの人生に責任をとれますか?

    先日、私は母親の住む実家に行ってきました。一生を創価に捧げた母も、すでに認知症が進み、実の子どもの私にさえ「誰でしたかね?」と訊いてきます。母がわかるのは普段世話をしている姉ひとりだけです。一緒に住んでいる孫のことも「ただ一緒に住んでいる知らない人」でしかありません。創価の話などしても無駄です。目の前にある大きな仏壇が何なのかさえわかりません。もうじき母はすべてを忘れてこの世を去るのだと思います。いったい母の一生は何だったのだろうと思います。若いときに結婚して、先に入信した夫を支えようと入信決意をし、懸命に子育てをしながら、家は地域の拠点となり、家庭訪問に飛び回り、ありったけのお金を財務に貢ぎ、何も残すことなく、何もかも忘れて人生を終える。両親がの入信当時は、まだ草創期だったので、支部といっても拠点は自宅から150kmもの遠いところにありました。ですから当然地域の拠点が自宅になったわけで、地域に会館ができたのは、入信から10年後のことでした。あの頃から、両親はまわりからボロクソに言われながらも組織を拡大し、多くの人を励ましながら地域の中心者となっていきました。そんななかで私が生まれ「福子」と言われてはうらやましがられました。「きっと前世で信心をしていた人の生まれかわりよ」とか「もうすでに前世で罪障消滅して福運だけを抱えて生まれてきた」などとチヤホヤされたものです。今考えればバカバカしいにもほどがあります。ほんとうに愚かな人生を歩まされてしまいました。ただ、両親には悪気など微塵もないことは百も承知しています。親の愛であればこそ、子どもに幸せになって欲しいとの願いで、この信心をさせたのだということもよくわかります。悪気がないことがわかるからこそ、よけいに悔しいのです。まさに「目の前で家族もろともボコボコにされ、それでもうれし涙を流しながらお金を差し出している人」でした。

    創価学会を正しいと信じている皆さん、創価学会には私の両親のように、何も知らずに一生を捧げ、子どもにも一生を捧げさせ、なにも知らないままで死んでいった学会員さんによって成り立っています。きっとあなたもその中のひとりになるはずです。このまま多くの学会員さんと同じように、何も知らないまま死にますか?一度だけ「ほんとうに創価は正しいのだろうか」と自分で考えることをしてみませんか?
    _______________

    以上です。

  43. >時代に合わない部分もあるので、そのようなところはたとえ過去に行われていたとしても、これからはやらないようにする等、常に変化していく必要性も感じます。

    創価が日蓮正宗から破門されてから、日蓮仏法の三大秘法のうち本尊と戒壇の二つを変えました。破門されたんだから変えざるを得なかったんでしょうけど、この調子だとある日突然お題目が変わっても不思議ではありませんよね。「創価では明日からお題目を『ちちんぷいぷい』にします」って言い出しても、学会員さんは何も考えずに「ちちんぷいぷいちちんぷいぷいちちんぷいぷい〜」って「ちちんぷいぷい三唱」するでしょう。だって三大秘法のうち二つが変わってもなんとも思わない人たちですからね。「こっちが功徳が大きいんですよ。南無妙法蓮華経は邪宗の題目だから地獄行きです」って指導されたら、そのまま信じるでしょう。創価では信仰の基本中の基本さえ時代によって常に変化するという教えなんですね。カトリックでいうと、バチカンから破門された一部の支援団体が別の場所に寺院を作って「こっちが本当のキリスト教だ。バチカンは悪の権化だから叩き潰せ!」と言い張ってるようなものですからね。こんなふうに外から見ればおめでたい話なんですよ。

  44. 白いブランコさん、ひとつ教えてください。

    午前中に書きましたが、創価学会は日蓮正宗から破門されたのを機に、大石寺の大御本尊も否定して、日寛上人の直筆のご本尊のスキャンデータを改ざんして、まわりの布の部分の表装と一緒にプリントした一枚の紙を「本当のご本尊」として会員に買い替えさせました。
    大石寺にあるいわゆる大御本尊も、創価は偽本尊だと言っているのでしょうか?
    ということは本門の本尊も本門の戒壇も教義から消去したと解釈していいのでしょうか?
    となると日蓮が御書の中で書いている三大秘法のすべてのくだりは、創価としては「時代とともに変わっていくもの」の中のひとつだと解釈していいということですよね。

    そこで現在の創価学会は、この「三大秘法」をどのように扱っているのかを公式HPから拾ってみました。

    まず創価学会の会則の一番最初にはこのようになっています。
    「釈尊に始まる仏教の慈悲と平和の精神は、大乗仏教の真髄である法華経に集約され、一切衆生を救う教えとして明示された。日蓮大聖人は、法華経の根本を三大秘法として顕され、未来永遠にわたる人類救済の道を確立された。」
    http://www.sokanet.jp/info/kaisoku01.html
    「日蓮は法華経の根本を三大秘法として顕わした」ということですね。

    現在の創価の勤行要点にあるご観念文の中にも
    「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊に南無し奉り、報恩感謝申し上げます。」
    とあります。
    http://www.sokanet.jp/shinkaiin/gongyo.html
    この「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」とはどのご本尊をさして感謝しなさいと言っているのでしょうか。

    また、創価による報恩抄の解説には
    「最後に三大秘法を流布し、一切衆生を救済することが師の大恩を報ずる道であることを明かされています。」
    とあります。
    http://www.sokanet.jp/kaiin/kisokyogaku/gosho/05.html

    撰時抄の解説には
    「仏の予言によれば、仏滅後二千年を過ぎると末法となり、白法隠没の時代となります。この時に、上行菩薩が世に出現して三大秘法を広宣流布し、末法の一切衆生を救うことを示され、大聖人の御出現は、仏滅後二千二百余年にあたり、当時の世相は仏の予言通りであることを述べられています。そして特に真言の邪法を徹底的に破折されながら、末法に寿量品文底秘沈の三大秘法が広宣流布することを明かされているのです。」
    とあります。
    http://www.sokanet.jp/kaiin/kisokyogaku/gosho/04.html

    観心本尊抄には
    「このように観心本尊抄には、五重三段、受持即観心、末法下種の法本尊の開顕など、日蓮大聖人御建立の三大秘法の御本尊が末法の独一本門であることが詳しく説かれているのです。」
    とあります。
    http://www.sokanet.jp/kaiin/kisokyogaku/gosho/03.html

    それからこれはまんま三大秘法についての御書「三大秘法禀承事」には
    「益あるまじき処に、叡山に座主始まつて第三・第四の慈覚・智証・存の外に本師伝教・義真に背きて理同事勝の狂言を本として我が山の戒法をあなづり戯論とわらいし故に、存の外に延暦寺の戒・清浄無染の中道の妙戒なりしが徒に土泥となりぬる事云うても余りあり歎きても何かはせん、彼の摩黎山の瓦礫の土となり栴檀林の〓棘となるにも過ぎたるなるべし、夫れ一代聖教の邪正偏円を弁えたらん学者の人をして今の延暦寺の戒壇を〓ましむべきや、此の法門は義理を案じて義をつまびらかにせよ、此の三大秘法は二千余年の当初・地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の禀承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり。
    問う一念三千の正しき証文如何、答う次に出し申す可し此に於て二種有り、方便品に云く「諸法実相・所謂諸法・如是相・乃至欲令衆生開仏知見」等云云、底下の凡夫・理性所具の一念三千か、寿量品に云く「然我実成仏已来・無量無辺」等云云、大覚世尊・久遠実成の当初証得の一念三千なり、今日蓮が時に感じて此の法門広宣流布するなり予年来己心に秘すと雖も此の法門を書き付て留め置ずんば門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加う可し、其の後は何と悔ゆとも叶うまじきと存ずる間貴辺に対し書き送り候、一見の後・秘して他見有る可からず口外も詮無し、法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり、秘す可し秘す可し。
    弘安五年卯月八日日 蓮 花 押
    大田金吾殿御返事」
    とあります。
    http://www.sokanet.jp/kaiin/gosho_search/page.php?n=1023

    こうしてみると、どうやら日蓮の三大秘法は日蓮仏法の中ではやはり基本中の基本なんだなということがわかりますよね。それを破門された途端に「時代の変化」という理由で変えたり無くしたりしているような気がします。
    それとも創価は日蓮正宗の三大秘法ははじめからインチキだったと言ってるのでしょうかね。創価学会創立以来60年間、会員にインチキ三大秘法を拝ませていたとなると大変ですよね。
    どっちにしても私には理解しがたいことなのですが、白いブランコさんやまわりの学会員さんは、それで納得されているのでしょうかね。

    ちなみに日蓮正宗としてのご本尊の解釈はこのように書かれています↓
    http://www.correct-religion.com/pages/souka05-03.html

    このように創価も日蓮正宗も、お互いに相手のご本尊を「偽本尊」と言っているようですが、創価が破門される前までは、ずっと日蓮正宗のご本尊が本物だったんだし、破門された途端にいきなり日寛上人のご本尊が本物だと言っても説得力がないような気がします。でも学会員さんは日寛上人のご本尊が本物で、それまで本物だとしていたものを破門されたことを機に「偽本尊」だと、言うことが180°変わったんですよね。
    私としてはどっちが本物だろうが偽物だろうがどうでもいいんですが、普通に考えれば創価の言い分がおかしいなと思います。

    何度も言いますが、私はそんなことどうでもいいんです。勝手に信じたい人が信じれば、それが宗教だと思っています。他人に迷惑さえかけなければの話ですがね。
    でも学会員さんは真剣に信じて拝んで、活動して、ありったけのお金を貢いで、選挙違反までして池田氏にお応えするんだと頑張って「これこそが正しい信仰だ」と広宣流布を目指して日夜頑張っているんですから、この三大秘法がいい加減であってはいけないと思うんですよ。

    ということで、白いブランコさん。

    創価学会にとって三大秘法とは、具体的に何を指しているのかを教えてくれませんか?

  45. signifieさん

    宗教の教義が正しいかどうかについては、おっしゃる通り正しいと信じるかどうかであると思います。
    思想の根本に位置するため、その教義に基づいた行動を必然的に取っていくと思います。
    例えばオウムのような行動も、オウムの教義に基づいていると思いますし、創価学会の行動も創価学会の教義に即していると思います。

    その信じて行ったことが殺人事件であれば、実行犯自身は正しいと思っていても、社会には受け入れられないでしょうし、
    創価学会の行動の中にも、おせっかいや迷惑だと思われていることがあれば、社会には受け入れられていないということでしょう。
    社会を離れては存在価値がないと判断すれば、社会に受け入れられる教義に変更するのもありだと思います。
    もちろん創価学会の信仰に出会って社会に貢献している人が多いのも事実だと思います。

    「ほんとうに創価は正しいのだろうか」を読んでみて、宗教そのものについて考えるヒントがあると思いました。
    以下はあくまでも私個人の考えるところです。

    御書根本とは言っても、大聖人の教えのなかで、現在に通用するものとしないものがあることを認め、
    「世界の平和と人類の幸福」に資する部分を、創価学会の教義に取り入れていくと思います。
    また「南無妙法蓮華経」の唱題行はもちろん維持していくでしょう。

    下種仏法ということも再認識し、入会者よりも理解者を増やしていく活動になると思います。
    実際、池田先生の今までの行動は、「化儀の広宣流布」と仰っていたように、大聖人の教えを現在に即した形で実行してきたと思ってます。

    宗教についても「人間のための宗教」であって「宗教のための人間」ではいけないという指針が示されているので、
    行動の判断基準になると思います。
    いわゆる「撲滅唱題」は「宗教のための人間」になっているので、やめるべきだと思ってます。
    (実際、私のまわりでやってるところは今は無いみたいです。個人の御祈念に関しては解りませんが)

    今回の教義変更で御本尊についても、創価学会独自の見解を示しました。
    日蓮正宗との間でここ数十年展開してきた教義論争に一つの区切りをつけたと思ってます。

    一つ違和感を感じたのは、他宗教となった日蓮正宗に対し、執拗に非難を続けていることです。
    もう別れたんだから、お互いが尊重すればいいのではないかと思います。
    (もしくは学会をやめた方が正宗にもどってほしくないからかもしれませんが)
    これは時間がたたないと、スムーズにはいかないかもしれません。

    信仰に対しては盲信ではいけないと思いますし、考える必要もあると認識しています。
    そのうえで信じるに足ると思えば信じて行けばいいし、信じられないことを信じる必要は無いと思います。

  46. signifieさん

    宗教の教義というのは、その宗教を信じる人、信じようとする人にとっては有用ですが、信じない人、信じようとしない人にとっては無用だと思います。
    三大秘法についてや大御本尊についてもご質問されておりますが、信じていない人にとってはどうでもいいことではないでしょうか。
    ましてや「創価学会が詐欺団体である」という認識のsignifieさんにとっては、あら捜しのためとしか思えません。

    御存知だと思いますが、聖教新聞2015/1/29、1/30日付および2015/2/23に解説および紹介が載っていますので、
    ご確認いただければと思います。

  47. 白いブランコさん、さっそくお返事ありがとうございます。

    お言葉ですが、創価の信仰の根幹にかかわることを質問しているのに「あら捜し」とは驚きました(笑)。

    >実際、池田先生の今までの行動は、「化儀の広宣流布」と仰っていたように、大聖人の教えを現在に即した形で実行してきたと思ってます。宗教についても「人間のための宗教」であって「宗教のための人間」ではいけないという指針が示されているので、行動の判断基準になると思います。

    口ではなんとでも言えますから「指針が示されています」というのは答えになっていないと思います。たとえば北朝鮮の国名は「朝鮮民主主義人民共和国」ですよね。北朝鮮が民主主義の共和国だと本気で思っている人は洗脳されたイッちゃってる国民だけですよね。政府に逆らう人間や怪しい人間は片っ端から捕まえて殺していく国でも国名は「民主主義人民共和国」と名乗れるわけです。創価とそっくりです。学会員が組織からの「功徳と罰による指導」を真に受けて疑うことをしない姿は、北朝鮮のテレビ放送で言ってることをそのまま信じている姿とうりふたつです。どんなにきれいごとを並べたところで、北朝鮮の人たちがどんな生活を強いられているかは白いブランコさんもご存知ですよね。それと同じように、実際に学会員が何を信じてどんな行動をしているのかという事実にもとづいてお話ししてください。指針や理想などどうとでも言えますからね。

    それから今日の私の質問である「創価学会にとって三大秘法とは、具体的に何を指しているのかを教えてくれませんか?」に対する具体的なお返事もお待ちしています。急ぎませんので、よくわからなければ、身近な幹部の方に訊いてもらえませんか。これは創価の教義の中でもいちばん根幹となるところですから、白いブランコさんとしても知っておかなくてはいけないと思います。
    会員に対して御書講義をする人間がこのことを知らないでできるわけがありません。白いブランコさんも、任用試験で勉強したでしょう。末法において法華経の寿量品文底秘沈の三大秘法が広宣流布することを明かしたことが、日蓮仏法の基本中の基本です。三大秘宝がなければ、広宣流布もありえないわけです。
    そこで今現在の創価学会にとっての三大秘宝とは
       1 本門の本尊 → 誰の書写で、どこにあるか
       2 本門の題目 → おそらく南無妙法蓮華経ですよね
       3 本門の戒壇 → どこにありますか?
    これが答えられなければ日蓮仏法とは言えませんよね。広宣流布ができません。
    だって創価学会は広宣流布によって世界平和を実現することが目的の宗教団体ですからね。
    これも時代によって変化するんでしょうか。広宣流布もなくなったんですか?

    もし白いブランコさんに答えにくい事情があるのであれば、質問を変えます。

    『破門前と後で、創価学会としての日蓮の三大秘法(本門の本尊、題目、戒壇)は変わったのですか?変わらないのですか?』

    変わるのか変わらないのか、どちらかしかありえませんよね。ここで中道なんて話じゃありませんからね(笑)。私としてはこれはいくら時代が変わったとしても、これだけは変わってはいけないものだと思います。これが変わるのであれば、創価学会自体がこれまで(破門前)とはまったく違った宗教ということになります。創価は破門されたら教義だけではなくて、信仰の対象まで変わってもかまわないという教えだと言うことです。創価がはっきりそう示しているのであれば、それはそれでいいと思います。創価はそういう教義の新しい宗教なんだと言うことです。しかしそれならそれでそのことを会員がしっかりと知る必要がありますよね。キリスト教でいえば、今まではナザレのキリストを信仰の対象にしていたのを「これからはキリストではなくユダに祈ることにします」とローマ法王が宣言するようなものです。イスラム教で偶像崇拝を認めるようなものです。日蓮正宗とまったく関係を絶った現在の創価が日蓮の三大秘宝の定義を変更するというのなら、それくらいのものすごいことなのですから「知らなかった」ですむ話ではありませんよね。決してあら捜しではありません。まずは最低限ここを抑えとかないと前には進めないドストライクな質問です。これをウヤムヤにしては一歩も先へ進めないと思いますが。創価学会が日蓮仏法に基づいた広宣流布を目指す団体かどうかの分かれ道ですからね。

    私は学会員ではありませんし、もちろん聖教新聞も購読していませんので、教義変更の内容については知りませんし、ご紹介いただいた聖教新聞2015/1/29、1/30日付および2015/2/23を見る機会がありません。白いブランコさんもおっしゃるように、これは私にとってはどうでもいいことです。でも白いブランコさんにとってはどうでもいいことではないはずです。ちがいますか?私が聞きたいのは、三大秘宝が変わったのか変わらないのかということより、そのことを一般の学会員さんが知っているのかということを白いブランコさんが知っているのかどうかということです。よかったら教えてもらえませんか?
        A 変わった
        B 変わらない
    そのことを学会員さんは
        C みんな知っている
        D 知らない人もいる
        E 知らない人が多い
        F ほとんど知らない
        G その他
    おおよそこの中のどれかだと思います。
    AかBか、それとCDEFGのどれか(Gの場合具合的に)これに答えていただくだけでいいです。
    よろしくお願いします。

  48. 白いブランコさん、おはようございます。私がこの質問によって何が言いたいのかおわかりですよね。
    私は白いブランコさんが、ここで真剣に対話ができる初めての方だからこそ、創価問題の核心に迫る質問を切り出したんです。もしかすると白いブランコさんにとっては、多少耳の痛い質問かもしれませんが、今までのような洗脳されまくって創価スイッチ全開の学会員さんには決してできない質問を、白いブランコさんだからこそ投げかけているのだということをわかっていただきたいと思います。
    この質問の私の意図はこうです。創価学会が日蓮仏法の根幹である三大秘法をないがしろにしているということがはっきりすれば、創価学会が宗教ではなく、詐欺集団であることの揺るぎない証拠になると思って質問しています。ですから、この質問に対して煙に巻くような返事はしないでください。これは重箱の隅をつつくようなチンケな問いではありません。日蓮はこの三大秘法を顕わすために、自らを末法の御本仏だと宣言したんです。この三大秘法を末法の世に顕すために久遠元初の自受用報身如来が凡夫の僧として生まれたのだと言っています。戦後の代表的なカルト教祖である麻原彰晃も大川隆法も文鮮明も似たようなことを言っていますが、とりあえずそれは置いといて、日蓮の日蓮たる由縁は、この三大秘法なしではありえないことは、白いブランコさんもわかっていますよね。ところが、破門後の創価の勤行要点のご観念文には、なぜか久遠元初の自受用報身如来というのが削除されているんです。つまり日蓮が人本尊であることを避けるようになりました。また、創価にとって大石寺の大御本尊がこれまでどおり法本尊としての本門の本尊であっては都合が悪いんですよね。私は聖教新聞をとってないので、そのあたりがどのように説明されているのか知りませんし興味もないですが、白いブランコさんをはじめ、全ての学会員さんにとってはたいへんな問題ではないのでしょうか。
    私が今まで三大秘法ほどの核心ついて話さなかったのは、まともに答えてくれるような学会員さんが現れなかったからです。
    昨日紹介したように、創価学会の会則のいちばんはじめに書いてあるほど、三大秘法は基本中の基本ですから、これが崩れたらもはや日蓮仏法ではありませんよね。
    白いブランコさんは、創価は時代にそぐわない悪い部分を改善できれば、池田氏の構想どおりの素晴らしい宗教団体となって、世の中から苦しみや悲しみをなくし、人類を救済できる唯一の団体になると思っているんですよね。だったらなおのこと三大秘法が人類にとって欠かせないことを訴えていくのが学会員の使命なのではないでしょうか。だからこそここで創価学会が三大秘宝をどう捉えているのかの共通認識を確認したうえで対話に望みたいと考えています。ですからそれほど重要なことを質問しているのに「粗さがし」はないと思いますけどねえ(笑)。私は三大秘法の詳細を尋ねているのではありません。創価にとっての三大秘法が破門されてから変わったのか変わらないのか、どっちなのかをお聞きしてるんです。そんなに難しい質問ですか?それとも答えられないことなのでしょうか。
    現在の創価問題は、会員が背負わされている選挙活動や法外な額の財務などに対する改善策よりも、まず創価が宗教であるのかどうかということをはっきりさせること。言い換えれば、創価は宗教ではなく詐欺団体だったと気づいて辞めていく会員がここまでたくさんいるという事実を認めた上で、対話に望むべきではないかと思うのです。宗教団体としての創価の正当性自体が問われているのであって、どのような改善策が有効かといた話ではありません。

  49. signifieさん

    特に耳の痛い質問でもなく、答えられないわけでもありませんが、当初の3つのお題からいろいろな方向に飛んでしまってる気がします。教義の内容については別の機会を設けてやればいいのにと思いました。
    また教義の話になると、誤解を避けるための説明で引用文が長くなったり、対話から外れる部分が多くなるので嫌でしたが、管理人のsignifieさんからの問いかけなので、以下回答します。

    まずは三大秘法についての創価学会の見解です。破門前と、教義変更後の今現在です。
    本門の本尊・・・弘安2年の御本尊(楠板曼荼羅)
    本門の題目・・・「本門の本尊」 に唱える南無妙法蓮華経が 「本門の題目」
    本門の戒壇・・・「本門の本尊」が安置されている場所

    本門の本尊・・・末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊が 「本門の本尊」
    本門の題目・・・「本門の本尊」 に唱える南無妙法蓮華経が 「本門の題目」
    本門の戒壇・・・「本門の題目」 を唱える場がそのまま 「本門の戒壇」

    以上の通りで、signifieさんの簡易的なご質問に対する答えは

        →A 変わった
          B変わらない

    そのことを学会員さんは
        C みんな知っている
        → D 知らない人もいる
          E 知らない人が多い
          F ほとんど知らない
         G その他

    Aの変わったと、Dの知らない人もいるです。

    変わったについては上記のとおり、とらえ方が大きく変わっております。
    理由については「末法の一切衆生の救済という日蓮大聖人の仏法の本義に基づいた解釈である。」とあります。

    Dの知らない人もいるについては、創価学会員さんは公称827万世帯、世帯人口比約1.5をかけると約1240万人います。先の新聞を読んでない人もいれば、会合に参加してない人もいます。
    なので、知らない人もいるでしょう。

    前後しますが、「創価学会にとって三大秘法とは、具体的に何を指しているのかを教えてくれませんか?」に対しては

       1 本門の本尊 → 誰の書写で、どこにあるか・・・創価学会員の受持している御本尊並びに創価学会の会館に御安置されている御本尊なので、日達上人、日寛上人がほとんどでしょう。会館には日昇上人もあります。  
       2 本門の題目 → おそらく南無妙法蓮華経ですよね・・・そうですね。
       3 本門の戒壇 → どこにありますか?・・・創価学会員宅・創価学会の会館等です。

    以上まずは初めの回答を投稿します。

  50. signifieさん

    もう一つご質問があったのでお答えします。

    >大石寺にあるいわゆる大御本尊も、創価は偽本尊だと言っているのでしょうか?
    創価学会としては大石寺の大御本尊-弘安2年の御本尊(楠板曼荼羅)-は偽本尊とは言っておりません。巷間「大御本尊を否定」とか言われていますが、
    これは認識が誤っていると思います。
    今回の教義変更で、、
    「本門の本尊」 としては、「弘安2年(1279年)の御本尊」 も含まれるが、それのみが 「本門の本尊」 だとするものではない
    ということになってます。
    また、「受持の対象にはしない」ということは、大石寺に行って弘安2年の御本尊を拝むことはないということです。

    一応、聖教新聞2015/1/29、1/30日付および2015/2/23の中の御本尊に関することを要約してコメントしました。

  51. 白いブランコさん、誠実なお返事ありがとうございます。
    白いブランコさんのように、普通に話のできる学会員さんは初めてです。はじめから承認もしませんが、先日からの白ユリさんのような、罵声を浴びせるだけの学会員さんのコメントは今でも続いています。白いブランコさん以外は全てそうです。みんな脱会者を蔑む罵声で埋め尽くされています。このような人たちは、創価と関わらなかったら、こんなみっともないことをしなかっただろうになと思います。人をここまで醜く変えてしまう。それが創価がやってきたことだと言われても仕方のないことだと私は思います。

    創価学会としての「本門の本尊」とは日寛上人書写の曼荼羅のデータを改ざんしたカラーコピーと、何人かの法主が書写した各会館にあるものということですね。
    では、白いブランコさんにも納得がいくように創価学会公式HPから引用しますが、「弘安2年(1279年)10月12日に一閻浮提総与の大御本尊を建立されたのです(一閻浮提総与とは全世界の人々に授与するとの意)。」とあるこの大御本尊は現在大石寺にある、かつては正本堂に安置されていた「大御本尊」ですよね。私も幼い頃から何度も登山しましたし、正本堂も何度も行きました。どれだけ創価学会員が参拝したでしょう。私も小学生のときに正本堂建設の為のご供養をしました。専用の貯金箱までありましたよね。私は絵が得意だったこともあって、大きな会合のたびに正本堂の巨大な絵を描かされました。あれは何だったんでしょう?正本堂は本門の戒壇として主に創価学会の寄進によって建てられようとしたところを宗門側が異議を唱えたんですよね。また、いわゆる宗門問題のときに当時の池田会長は謝罪の形として、全国の会員に謝罪登山をさせましたよね。謝罪登山、つまり莫大な参拝料を会員に払わせることによってお金で解決しました。結局正本堂は創価が破門されたあとに取り壊されました。解体費用だけで50億円かかったそうです。それから創価は正本堂建立のためにしたご供養を返せと裁判を起こしましたが、それが最終的にどうなったかは知りません。いずれにせよ、創価は大石寺の大御本尊が本門の本尊であるとして、本門の戒壇である正本堂を建てたのは事実です。でも今はそんなことはなかったかのように、それどころか、もともと日蓮正宗とは何の関わりもなかったかのようにしています。ただし、なぜか日顕撲滅唱題会は続いているようです。
    白いブランコさん。
    創価の教義がどのように変わったのかはわかりました。ありがとうございます。
    ぶっちゃけて言いますとね、なんか無理っぽくないですか?(笑)
    創価は破門されなかったら今回のように教義の変更はしなかったですよね。破門されて三大秘法の辻褄が合わなくなったから変更したと思いませんか?
    破門されたんで、法主から御本尊を下付されなくなったから、自分たちでつくるしかないが、それだと教義に反してしまう。だったら教義を変えてしまえ。ただ弘安2年の大御本尊を否定するのは無理がありすぎるから、そこはなんとなくぼやかしとけ。あとは洗脳してるからどうとでもなるだろう。私にはそんなふうに思えます。
    創価の見解はわかりましたので、この辺りに関する白いブランコさんの考えを教えてください。
    前にも言いましたけど、いくら時代の変化とはいえ、宗教の最も根幹たる御本尊の解釈が変わっちゃいかんだろうと思うんですが、白いブランコさんはそれに違和感を感じませんか?

  52. >「本門の本尊」 としては、「弘安2年(1279年)の御本尊」 も含まれるが、それのみが 「本門の本尊」 だとするものではないということになってます。また、「受持の対象にはしない」ということは、大石寺に行って弘安2年の御本尊を拝むことはないということです。

    それでは破門されてからの創価にとって、弘安2年の大御本尊よりも各家庭に買い替えさせた日寛上人書写の改ざんコピーご本尊のほうが格上だという定義なんでしょうか。破門される前までは各家庭のご本尊は大御本尊の出張所みたいな解釈だったと思っていました。そして家庭のご本尊を通じて大御本尊に祈りが通じるんだと言う指導をされてきたし、してきたように思いますが、破門されると格付けがくるりと逆転するということですか?よく理解できません。

    >大石寺に行って弘安2年の御本尊を拝むことはないということです。

    創価学会は破門されたんだから実際問題として「弘安2年の御本尊を拝むことはできない」んですよね。それを「大御本尊はわざわざ大石寺に行って拝むほどのものではない」みたいに言ってますよね。私にはこれを正当化するために無理やり格付けを逆転させたようにしか思えないのですが、考え過ぎでしょうか?宗祖日蓮の直筆である弘安2年の大御本尊よりも日寛上人のご本尊のコピーのほうが格上だってことですよね。これって無理があり過ぎじゃありませんか?どう思われますか?これがおかしいとなったら、末端の会員から改善して創価の教義を変更していかなければならないことなのでしょうか?そんなことができるんですか?
    創価の建前を訊いているのではなくて、白いブランコさんの考えをお訊きしてます。よろしくお願いします。

  53. signifieさん

    signifieさんとの今回の対話は、通常ではすぐに炎上してしまうようなテーマなので、読んでいる方もいろいろな感情が出てくると思います。
    ただ、感情先行では対話になりませんし、私の一番最初の投稿で書いたように、本来、学会の会合や協議会等で行われていても良いような内容だと思います。
    ブログのテーマ「対話を求めて」は私も望んでいたことかもしれません。引き続きよろしくお願いいたします。

    昨日投稿した改正内容ですが、従来の日蓮正宗に代表される日蓮原理主義的な発想だと、矛盾点だらけだと感じるし無理があるように感じられると思います。
    私自身も突然の教義改正の発表と、その内容を読んで、はじめは「じゃあ今までの教義は何だったの?」とか「つっこみどころ満載だな」と思いました。

    それを創価学会が掲げる人間主義的な発想で考えると、今回の改正内容は理解出来てくると思います。

    今まで日蓮正宗の教義に基づき、御書に仰せのとおりに活動してきたのが創価学会でした。
    創価学会としての想いで、正本堂は「本門の戒壇」として建立寄進されました。根拠にしたのは先日signifieさんが詳細を上げていただいた三大秘法抄等です。
    結局、解釈の違いであやふやな取り扱いになり、最後は取り壊されるという、寄進時にはとても想定できない結果となりました。
    折伏大行進のときも日蓮正宗の教義に基づき、他宗を破折し、多くの会員が誕生するとともに、いまだに根強く残る創価学会の悪いイメージも誕生しました。

    世界広宣流布を目指す創価学会にとっては、伝統的な日蓮原理主義的な日蓮正宗の教義では、成し遂げられないと判断したのだと思います。

    また日蓮正宗の教義どおりでいくと、正統(唯授一人の血脈相承)以外は邪宗となってしまいます。

    六老僧のなかで五老僧は邪宗扱い、日目上人と天奏にいって京都にのこった日尊上人、日目上人の遺骨を持ち帰ってきて、千葉にいった日郷上人、この二人も邪宗扱い
    このような教義ではとても広宣流布などできないと思います。

    法主にしか流れていない血脈とか、本来御書に載っていないようなことが一人歩きし、いつしか伝統的な教義として残ってしまったのだと思います。
    実際にたくさんのことを行った創価学会だからこそ、日蓮大聖人の本義を解かり得たのだと思います。
    創価学会は約80年前に誕生し、現代まで様々な実践をしてきて、最後に出した結論は日蓮正宗の教義は日蓮大聖人の本義とは違うということでしょう。

    大石寺にある板曼荼羅(大御本尊)についてもいろいろな話があるのは御存知だと思います。
    鑑定の結果、江戸時代のものという話もありますし、弘安2年10月12日に書かれた御書(伯耆殿等御返事)にも大御本尊のことは一言も書かれていません。

    戸田先生は御本尊のことを”幸福製造機”と例えられていましたが、その”幸福製造機”は各家庭にあるので、大石寺の御本尊がどのような扱いになろうが、あまり影響がない(あまり考えない)のかもしれません。
    ましてや突き詰めると”幸福製造機”は自身の胸中にあるので、各家庭のご本尊が変わってもあまり影響がない(あまり考えない)のかもしれませんね。

    日蓮正宗から破門されたという形になってますが、実際は日蓮正宗を見限っていたので、結果的にはいい形になったのではないでしょうか。
    もちろん、その渦中で多くの学会員さんを悩ましたのも事実です。そのような前例があるので、今回のような重要な件(教義改正)についてはもっと慎重に、丁寧に、わかりやすく周知させてほしかったです。

    先日の流出資料からも感じられるように、現場では他宗の方からいろいろなことを言われたり混乱が生じますが、その対応策は学会本部、教学部でも用意出来てないみたいですね。
    そうなると、自分で調べて、自分で考えて、自分で判断しなくてはなりません。今回の改正された教義を信じるも信じないも、いわゆる自己責任だと感じました。

    今回の御本尊の件でもはっきりしたように、すでに現在の日蓮正宗とは関係ない宗教団体となったので、捉え方によりますが、新しい宗教団体になったといっても良いと思います。
    このように述べても、信じてる人、信じようとしている人にとっては少しは有益かもしれませんが、信じてない人、信じようとしない人にとってはどうでもいい話になりますね。

    教義も変わったのだから、創価学会員さんの活動内容も、見直していただきたいところです。

  54. なるほど、白いブランコさんが考えるに、創価の悪いイメージは、日蓮正宗の教義を純粋に信じたばっかりにこうなってしまったんだということですね。悪いのは日蓮正宗なんだと。だから創価のほうから見切りをつけたんだと。
    はあ〜(笑)。白いブランコさん、そんなことが通用すると思ってるんですか?
    今回の白いブランコさんのコメントは、どれをとっても無理がありすぎますよ。

    一つひとつ指摘すると、とっても長くなるので、かいつまんで書きますね。

    >今まで日蓮正宗の教義に基づき、御書に仰せのとおりに活動してきたのが創価学会でした。
    >世界広宣流布を目指す創価学会にとっては、伝統的な日蓮原理主義的な日蓮正宗の教義では、成し遂げられないと判断したのだと思います。

    つまり「創価学会は日蓮正宗の言うとおりにやってきたけれども、これでは広宣流布はできないと判断したので縁を切った」というわけですね。なるほど。創価はそれに発足以来ずっと気がつかなかったんですね。つまり永遠の指導者とされる牧口、戸田、池田の3代会長は間違っていたと認めたということですよね。なるほど。

    >また日蓮正宗の教義どおりでいくと、正統(唯授一人の血脈相承)以外は邪宗となってしまいます。六老僧のなかで五老僧は邪宗扱い、日目上人と天奏にいって京都にのこった日尊上人、日目上人の遺骨を持ち帰ってきて、千葉にいった日郷上人、この二人も邪宗扱い このような教義ではとても広宣流布などできないと思います。

    ではどのような扱いだったらいつ広宣流布ができたと思いますか?みんな邪宗じゃなくて、仲良くいっしょに頑張りましょうね〜っていうことになったら、日蓮仏法が国教になって江戸時代には広宣流布ができたんでしょうか?広宣流布って世界中の人が創価の信心をするってことですよね。江戸時代にそんなことができたんでしょうか?

    >大石寺にある板曼荼羅(大御本尊)についてもいろいろな話があるのは御存知だと思います。
    鑑定の結果、江戸時代のものという話もありますし、弘安2年10月12日に書かれた御書(伯耆殿等御返事)にも大御本尊のことは一言も書かれていません。

    はい。大石寺のご本尊が弘安2年の日蓮のご本尊だなんて思っちゃいません。以上

    >戸田先生は御本尊のことを”幸福製造機”と例えられていましたが、その”幸福製造機”は各家庭にあるので、大石寺の御本尊がどのような扱いになろうが、あまり影響がない(あまり考えない)のかもしれません。ましてや突き詰めると”幸福製造機”は自身の胸中にあるので、各家庭のご本尊が変わってもあまり影響がない(あまり考えない)のかもしれませんね。

    牧口、戸田、池田会長は日蓮正宗の教義に基づいて創価学会を大きくしようとしてきたんでしょ。でもそれが間違いだったと今回の教義の変更で認めたんです。今さら戸田がどうしたなんて言われても意味ないんじゃないですか?それに各家庭のご本尊は大御本尊の分身でしょ。分身があるから本家はどうでもいいんじゃないですか?って屁理屈だと思いませんか?「うちの会社は支店があるから本店がつぶれてもどうってことないんです」っていう支店の社員と契約しますか?(笑)

    >日蓮正宗から破門されたという形になってますが、実際は日蓮正宗を見限っていたので、結果的にはいい形になったのではないでしょうか。

    それって幹部から言われるまんまを白いブランコさんが信じてるだけじゃないですか?

    >そうなると、自分で調べて、自分で考えて、自分で判断しなくてはなりません。今回の改正された教義を信じるも信じないも、いわゆる自己責任だと感じました。

    って言ってるんですから、ほんとうに創価のほうが見限ったのかどうか、自分で調べてくださいよ。

    >今回の御本尊の件でもはっきりしたように、すでに現在の日蓮正宗とは関係ない宗教団体となったので、捉え方によりますが、新しい宗教団体になったといっても良いと思います。

    「捉え方によりますが」って言われるとよくわからないのですが、もう一回おたずねします。創価学会は日蓮正宗とは関係ないと宣言したんですね。そしていままでの創価は日蓮正宗の言うことをきいていたばっかりに間違っていたんだと。つまり今回の「教義の変更」によって、牧口、戸田、池田の三人の会長が推進してきた創価学会は間違っていたことを認める発表をしたのだと解釈していいんですね。

    ではこれから新しい創価学会は、誰がどのようにすすめていくのでしょうか?全国の会員さんはそれを知っているのでしょうか?5年も姿を見せない池田氏がひっぱっていくのでしょうか?
    新しい創価学会の出発点なのですから、白いブランコさんも、今が改善策の提案をトップに提案する絶好のチャンスではないでしょうか。ぜひやってください。そしてその結果を教えてください。

    それから、別のスレッドでも書きましたが、創価学会の目指す広宣流布とは、世界がどのような状態になったら広宣流布が達成できたことになるのでしょうか?現在世界の人口は約72億4000万人で、それぞれの宗教に根ざした文化を形成しています。バチカン市国の広宣流布はどうやるんですか?サンピエトロ寺院やミケランジェロの最後の審判や天地創造の壁画が描かれているシスティナ修道院は取り壊しですか。ダ・ヴィンチの最後の晩餐が描かれているサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院も邪宗の烙印を押されるんでしょうか。グレゴリオ聖歌やバッハやビバルディの音楽は禁止になるんでしょうか。京都は邪宗の都なんだそうですが、広宣流布のあかつきにはどうなるんですかね。奈良や京都に数ある国宝級の仏像彫刻はどうなるんでしょう。今も爆発的に増えている世界の人口のどれくらいが創価学会員になったら広宣流布となるんでしょう。たとえばイスラム文化圏でどうやって折伏するんですか?中東とアフリカ大陸の北半分にいるムスリムの人たちは一日に何度も祈りを捧げますが、この人たちもコーランをやめてお題目をあげるんですかね。それから北朝鮮はどうなるんでしょう?あ、ここは意外とすんなりできるかもですね(笑)。CIAとかKGBは解散ですか?世界経済を牛耳っているユダヤ資本家も創価学会員になるんですかね。彼らは日本人も黒人も人間とすら思っちゃいませんよ。もし本当に創価が広宣流布をすすめ出したら、彼らに簡単に潰されちゃうでしょうけどね。マフィアにも折伏ですか?ネイティブアメリカンやアボリジニやエスキモーやマサイ族やチベットの少数民族にも勤行させるんですか?世界には文字をもたないで文化を伝承している少数民族がいくつかあるんですが、彼らにも勤行をさせるんですか?それって文化の押しつけじゃないんですか?彼らが信じている自然の神も否定しちゃうんですか?「そんなもの信じても幸せにはなれんよ。今日からこの紙に向かって南無妙法蓮華経と唱えなさい」って言うんですか?言えますか?広宣流布ってそういうことですよね。

    私が言いたいのは、学会員さんは「広宣流布を目指して!」とか決意発表してますけど、実際に広宣流布って考えたことあるのかなあって疑問なんです。誰がどう考えてもメチャクチャですよね。上に言ったことができるわけないでしょ。まず今の創価の勢いで、これから学会員が増えると思いますか?白いブランコさんが所属する地区の人たちがどれだけ創価学会員を増やしました?もし増えたとしたら、どれくらいの割合ですか?その割合で増えていったとして、白いブランコさんの住んでいる地域(都道府県)の半分ぐらいの人口が創価学会員になるには何年ぐらいかかる計算になりますか?それまで地球はあるでしょうか?(笑)

  55. signifieさん

    一昨日の投稿は、一創価学会員である私(白いブランコ)の見解です。池田先生の行動を過去から現在まで見ていくと、そのように見えてくるという一例です。

    それに対するsignifieさんのコメントも多岐にわたっていますので、部分的ですが補足説明させていただきます。

    >つまり「創価学会は日蓮正宗の言うとおりにやってきたけれども、これでは広宣流布はできないと判断したので縁を切った」というわけですね。
     なるほど。創価はそれに発足以来ずっと気がつかなかったんですね。つまり永遠の指導者とされる牧口、戸田、池田の3代会長は間違っていたと
     認めたということですよね。なるほど。
    >つまり今回の「教義の変更」によって、牧口、戸田、池田の三人の会長が推進してきた創価学会は間違っていたことを認める発表をしたのだと解釈していいんですね。

    そういう解釈ではありません。日蓮正宗は正統を謳いながらほとんど何も実践していない教団になってました。それを外護する団体として、創価学会も独自の宗教法人として
    広宣流布するために発足しました。そして広宣流布を進めていったのは創価学会です。
    ○創価学会の発足時の目的は、日蓮正宗の外護と広宣流布です。

    創価学会の言う「広宣流布」とは終着点ではなく、正法を広めていく実践行動のことですね。
    「今日蓮が時に感じて此の法門広宣流布するなり」(御書1023ページ)とある通りです。

    日蓮正宗はどうしたかというと、創価学会とともに御書の発刊や広宣流布大願成就のための御本尊の授与等、共に認め合う仲でした。
    時が流れて、正統を謳う日蓮正宗も、66世から67世になるときに法主の血脈も途絶え、終焉してしまいまいた。(名前は残っているけれども、日蓮正宗の教義に、
    日蓮正宗の実態を照らし合わせたときに、それは日蓮正宗ではないということです)

    創価学会はずっと外護してきたけれども、外護する本体が無くなったので、目的は広宣流布だけになりました。
    そして現在、創価学会は日蓮正宗の教義ではなく、日蓮大聖人の本義に基づき、広宣流布を進めております。

    ○3代会長が間違えたのではなく、時や状況に応じて、広宣流布の進め方を変えたのです。

  56. signifieさん

    対話を始めて、signifieさんはじめいろいろな方のコメントを読んで、興味がある言葉に「思考停止」というのがあったので、対話の一環として、それについてコメントします。

    思考停止というと、なにも考えてなくて、悪い状態に捉えられがちですが、もちろん悪い面もあると思いますが、良い面もあると思います。
    思考停止に陥る状況として、解からないから何も考えない時と、答えが見つかってそれ以上考えない状態があると思います。

    宗教における良い状態としての思考停止は、イコール悟りということだと思います。
    釈尊が生老病死についての悩みを解決するために説いたのが仏法ですが、その悟りの状態というのは思考停止の状態と等しいと思います。

    人はなぜ生まれて、なぜ病気になって、なぜ老いて、なぜ死ぬのか。また、死んだらどうなるのか、何のために生きるのか等々、あらゆる”なぜ・何”に答えたのが仏法だと思います。
    仏法以外の宗教も、どうやって生きていったら悩みが無く、幸せに生きられるかをそれぞれの地域の特徴に合わせて説いていったものだと思います。

    平たく言えば、思考停止の落とし所がそれぞれの宗教の教義だということです。

    答えが出ないことをずっと悩んで考えていると、ノイローゼになってしまいます。
    また将来のわからないことに対する不安も、ずっと抱えていると、精神的に不安定になってしまいます。

    そこで、それぞれの宗教が悩まなくていいように「答え=教え」を説いていって、その「答え=教え」を信じれば「思考停止=悟り」ということになっています。
    または占いやスピリチュアル、迷信等々も、考え方によっては、不安や悩みを取り除く思考停止法と考えられます。

    釈尊から日蓮大聖人、創価学会の教えは、そんな悩みや迷いや不安を消し去り、勇気と希望を与える、受け入れられやすい思想だと思います。
    法華経は円経というだけあって、あらゆる事柄に対応できる思想・「思考停止=悟り」の法だと思います。
    多くの創価学会員さんが何も考えずに信じていたとしても、それはみんなが「悟っている状態=仏の境涯」と捉えることも出来るのではないでしょうか。

  57. 白いブランコさん、失礼ですが、言ってることが日に日に妙なことになっているような気がするのですが、言葉の行き違いで無意味な議論をしなくてすむように、お互い心がけましょうね。
    さきほど書かれていた思考停止についての白いブランコさんの意見は、どうにも意味がわかりませんでした。
    つまりぶっちゃけて言うと、創価学会員さんの思考停止は成仏の姿だというわけですか???日顕撲滅唱題会で一心不乱に唱題している学会員さんも成仏の姿なんでしょうか?政治のことはよくわからないといいながら、公明党の投票依頼に走り回る学会員さんも成仏しているんですか?このブログに罵倒するだけのためにコメントしてくる学会員さんも成仏していればこそなんですね?と解釈できるのですが、場合によって成仏の思考停止と、一般的な思考停止が現れるってことでしょうか?
    不治の病気で苦しんでいたり、自分の子どもが家庭内暴力で包丁をふりまわしていても、仏壇に向かって唱題している人は成仏してるということでしょうか?
    私だったらそんな成仏ならまっぴらゴメンですけど、創価学会が目指している成仏とは、世界中の人たちをそうした思考停止状態にすることなんですね。

  58. >そんな悩みや迷いや不安を消し去り、勇気と希望を与える、受け入れられやすい思想だと思います。

    思考停止もここまでくると怖いものを感じます。会員は功徳が欲しいばかりに、不安や恐怖心と戦いながら、走ることだけを強いられてるのに、そんな状況が勇気と希望ですか?逆に創価の活動は、やればやるほど悩みや不安を増しているだけだと思います。バリ活会員の心の中は悩み、迷い、不安だらけが本音だと思います。ただ表立ってそれを出せない為に、本心と逆の顔をしなければならないことで、精神を病んで行くのではないですか?白いブランコさんも、今本当に勇気と希望にあふれて幸せなんでしょうか?改善の余地などない組織の弁明をして理想を語っていても、本当は、どこかで疑って不安な気持があるのではないですか?信じたい気持と、信じなくてはならない気持と、信じるしかない気持ちが揺らいで、よくわからなくなっているのではないですか?その根底に疑うことの恐怖心があるのではないですか?恐怖心を持ちながら、幸せですと言わなければならないから、言ってる事が白々しく聞こえて、ちっとも幸せそうに思えないのだと思います。不安を感じて自分の本心と向かい合えないことも思考停止です。
    不安になるから考えない。そんな状況が、人を幸せにしているとは思えません。それはまるで、本当は頭痛の原因を取り除いていないのに、鎮痛薬で痛みを感じないように誤魔化してるようなものです。本当に健康な状態とは違います。

  59. >そんな悩みや迷いや不安を消し去り、勇気と希望を与える、受け入れられやすい思想だと思います。

    補足しますと、私が言いたかったことは、日蓮仏法・創価学会の宗教的なことです。創価学会のホームページにあるように
    {「創価」とは価値創造を意味しています。その価値の中心である「生命の尊厳」の確立に基づく「万人の幸福」と「世界の平和」の実現が、創価学会の根本の目標です。}
    これは良いと思ってます。しかし、現実の活動にギャップがありすぎるので改善する必要があるとも思ってます。

    >逆に創価の活動は、やればやるほど悩みや不安を増しているだけだと思います。バリ活会員の心の中は悩み、迷い、不安だらけが本音だと思います。
    今の活動のままだと、satouさんが仰られるとおりで、まじめな方も多いので精神を病む方もいると思います。
    だからこそ、活動を見直さないと行けないと思っています。選挙も新聞も折伏も上から言われたことをやるのではなく、自分で考える必要があるということです。
    そういった意味では、活動方法に関しては疑問だらけでおかしいと思っています。

    >その根底に疑うことの恐怖心があるのではないですか?・・・・・・不安を感じて自分の本心と向かい合えないことも思考停止です。
    最初に自分の考えを幹部に伝えたときはドキドキしました。でも言わないで本心を偽っての活動なんて私には出来ないので、
    模索しながら出来るところから改善の行動をしております。

  60. どうも論点が散漫になってきたので、もう一度論点をしぼって話をしましょう。

    私もかなりいろんなことをいっぺんに言い過ぎて、論点をぼやかしてしまったような気がします。話題をそらしたり、スルーするのではなくて、対話が成立する前提のあるところから話をしていきましょう。思考停止については、あまりに基本的な認識に差がありすぎて、おそらく話にならないと思います。正直に言いますと、白いブランコさんの「思考停止」についての意見は、一般の方が聞いても、まったくスジの通らないヨタ話にしか聞こえないと思いますよ。学会員さんが何時間も唱題を続けてトランス状態になっている姿と、オウム真理教の信者が何時間もマントラを唱えながら空中浮揚に励んでいる姿とどこが違うんでしょう。学会員さんのトランス状態が成仏の姿であるならば、オウムの信者の修行しているのも成仏の姿だとなりますよ。そもそも思考停止と成仏を結びつける発想がとんでもないんではないでしょうか?そんなことどこかの教団が言ってるんですか?成仏というくらいですから仏教系なんでしょうけど、少なくとも日蓮は言ってませんよね。だいいち成仏を目指しての進行形の姿が究極の悟りである成仏の姿だというのは、完全に矛盾してますよね。

    ということで、話を少し前に戻します。三大秘法の意味が今回の「教義の変更」によって、劇的に変わってしまったということはお互いに認めていると解釈していいですね。その教義の変更の内容、とくに三大秘法の解釈の変化を会員さんがさほど気にもしていないのは問題なんじゃないかという私の意見に対して、おそらく白いブランコさんが「思考停止は成仏の姿なんだから何の問題も無い」という発言につながったのではないかと思います。ですからこの思考停止の解釈にしても、私としてはまったく理解できないことなので、ここに言及すると、三大秘法の問題が宙ぶらりんのままになってしまいますので、ここはひとつペンディングしときましょう。

    そこで、あらためて三大秘法です。また論点を絞るためにその究極と捉える表現であろう一大秘法であるところの「本門の本尊」が、まず日蓮仏法においてどのような位置を占めているのかについての認識を確認しましょう。これができなければ話が先に進みませんよね。

    私としては、常日頃言ってますように、このような教義に関する具体的な話は、このブログでやりたくはありません。なぜかというと、創価問題の根幹は教義の是非とは関係のないところにあるからだと考えているからです。それに日蓮仏法はひとつの伝統宗教ではあるかもしれませんが、個人的にはとても特殊なカルト宗教であるとの認識ですから、創価の教義が日蓮仏法に沿っていても反していても、どのみち正しい宗教ではないと考えているからです。

    ただ、ここでなぜあえて日蓮仏法と創価の教義を比較して確認するのかと言うと、創価にとっての教義が詐欺のための道具であったことの証明になりうるからです。ですからここで日蓮仏法が正しいとか間違いとかを議論するつもりはありません。白いブランコさんの話を聞きますと、私も白いブランコさんも日蓮仏法は間違いだという共通認識のようですからね。

    ではここで何が議論されるべきなのかというと、今回の創価の教義の変更にあたって、白いブランコさんは、日蓮正宗の教義は間違いだったということを創価学会は創立80周年を前にやっと気がついたんだと仰っています。ではこの80年近くも教義を間違っていたことに対することの重大さを学会員さんが認識していないのは問題なのではないかと指摘したわけです。

    白いブランコさん、まずはこのことから、あらためて話をしていきましょう。
    なのでもっと論点を絞ります。

    日蓮正宗としての「本門の本尊」とは、弘安2年の日蓮が顕わしたといわれる「大御本尊」であって、それが富士大石寺にあるということになっていますよね。創価学会員も破門される前まではその大御本尊に祈っていたわけです。しかし今回の教義の変更で、創価にとっての「本門の本尊」は日蓮正宗のこれではないということになったわけです。
    では創価学会にとって「本門の本尊」とは何でしょうか。どこにある何をさして言っているのでしょうか?

    あるいは本門の本尊とは南無妙法蓮華経を唱える人の胸中にあるなどというのでしょうか?人の胸中にあるのだから大石寺の大御本尊を拝む必要はないというりくつになりますかね?では創価学会は破門後に会員さんに日蓮正宗の法主である日寛上人の改ざんコピーご本尊に買い替えさせたのは何故でしょう?会員さんの胸中に本門の本尊があるのであれば、わざわざまったく関係がないと宣言した日蓮正宗の法主(それも江戸時代の)のご本尊のコピーを買わせて、それを仏壇に安置して祈らせる理由が見当たらないのですが。
    このように「本門の本尊」ひとつについて考えても、どんどん疑問が出てくるんです。この調子で本門の題目、本門の戒壇についても、どうにも理屈に合わないことがいくらでも出てきます。
    でもそれはあとにして、まずはこの

    創価学会にとって「本門の本尊」とは何でしょうか。どこにある何をさして言っているのでしょうか?

    このことにお答えいただけると話が先に進められます。よろしくお願いします。

  61. signifieさん

    前回お答えした内容と同じになってしまいますが、以下回答します。

    本門の本尊・・・末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊が 「本門の本尊」。弘安2年の御本尊も含まれるとなってます。

    2015/1/29付け聖教新聞より

    前回もご案内しましたが、signifieさんの御身内の方やお知り合いの方から、聖教新聞2015/1/29、1/30、2/23および2014/11/8付け聖教新聞の入手は不可能なんでしょうか?
    今回の教義変更について、まずお調べいただいた方が話が早いと思います。

  62. 白いブランコさん、ありがとうございます。

    そこでひとつ軽い質問です。

    今回の教義の変更は、創価学会80年の歴史の中で、最大の教義の変更ですよね。なにしろご本仏日蓮大聖人の出世の本壊である本門の本尊の解釈がガラリと変わったんですから、キリスト教で言うと「これからはキリストに祈らなくてもいいよ〜、今までのは間違ってたよ〜」ってことですよ。そんな重要なことをローマ教会が身内の会報に一度だけ載せたっきりでは済ませられないですよね。そんなとんでもなく重要なことが、創価の場合どうして2日分の聖教新聞に載っただけで、その後いっさい報じられないんですか?公式HPにもまったく載っていません。

    だから私はあえて白いブランコさんに聞いたんです。なんであの新聞を見ないとわからないんですか?って。あれを見逃せば見ることのできない教義の変更内容の中に、じつは信仰のいちばん要とするものが変わっていたなんて、ふつうありえないですよね。「創価発足以来80年続いてきた信仰の対象が変わります」ってことが、会員にとってそれほど大したことではないという解釈なんでしょうか?そしてこれから会員になる人はまったく知らなくていいことなんでしょうか?
    2015/1/29、1/30、2/23および2014/11/8付け聖教新聞を見ることのできる人しか創価学会最大の教義の変更内容を知ることができないっておかしいと思いませんか?

    >本門の本尊・・・末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊が 「本門の本尊」。弘安2年の御本尊も含まれるとなってます。

    はい。前にも聞きましたので、これで間違いないと確認できました。ありがとうございます。
    「弘安2年の御本尊も含まれる」ってことは大御本尊と一般家庭のご本尊との関係が並列ってことですよね。私が子どもの頃は、大石寺に登山する度に「だいごほんぞんさま」と言うように教えられたものです。そのへんにあるご本尊とは違うんだよ。本家本元の「だいごほんぞんさまだよ〜」って、それはそれは仰々しかったですよ。それが今回の変更でご本尊はみんな完全に並列になったんだ。

    ちなみに日蓮宗での本門の本尊は釈迦ということになっています。ついでに言うと、お釈迦さんに向かってお題目をあげれば、それがどこであろうと本門の戒壇なんだそうです。あ、これはよけいな話だったですね。もうひとつついでに言うと、日蓮宗では弘安二年の大御本尊は存在しないみたいですね。

    もちろん日蓮正宗では教義の変更はなく、大御本尊がまさに三大秘法の「本門の本尊」であって、その他のご本尊は大御本尊に祈るための仮のものという解釈でしょう。目に前に何も無いと祈りにくいから、日蓮が生きている時も信徒に書いて渡したものと同じ解釈ですよね。

    それが今回の創価の教義の変更では、あれもこれもみんな日蓮正宗の法主が書いた曼荼羅はみんな本門の本尊という解釈になったんですね。弘安二年の大御本尊も3000円で買ったコピーご本尊も同じだよ〜、だからわざわざ大御本尊を祈らなくていいんだよ〜っという言い訳をするための解釈に聞こえます。でもこうなるとまたいろいろと矛盾が吹き出してくるんです。白いブランコさんも思いませんか?なんでもう関係ないですよ〜って言ってる日蓮正宗のご本尊のすべてを本門の本尊だと定義しているのか。ということは、日顕法主書写のご本尊も同じ本門の本尊ですよってことなんでしょうけど、あれだけは祈ると地獄に堕ちるなんて指導してましたよね。これってどういうことですか?今さらあれだけは違うなんて理屈は通りませんよ。このあたり何重にも矛盾してませんか?

    で、論点がわかりやすいように、あらためて質問なんですが、創価学会はこの教義の変更によって会員さんに「もう日蓮正宗とは何の関係もありません」と宣言したのに、なんで創価の本門の本尊は日蓮正宗法主書写の曼荼羅であると再定義までして、創価のご本尊は日寛上人書写のコピーご本尊なんですか?これも矛盾のスパイラルではありませんか?矛盾が重なってますので、よく考えないとわけがわからなくなってきますから、どうかわかりやすい回答をお願いします。

    で、私ちょっと想像したんですが、創価は会員さんのご本尊を替えるのを、ちょっと早まったんじゃないかって(笑)。この教義の変更の内容で言うなら、日蓮正宗は間違いだと宣言しているんだから、創価独自で日蓮正宗とはまったく関係のない曼荼羅をコピーして買わせるんだった〜って後悔してるんじゃないかと思うんです。だって理屈に合わないですもんね。破門されてすぐは、とにかくご本尊が貰えなくなった、会員が増やせない、財務も増やせない、新聞も増やせない、はやくご本尊を何とかしなきゃ〜どうしよ〜って慌てちゃって、とりあえず手に入る日寛上人の曼荼羅をコピーして売るようにした。そのころはまだ今回のような教義の変更までは考えていなかったんでしょうね。いっそ池田氏のあの極端に右上がりな文字のご本尊だと会員さんは泣いて喜んだんじゃないでしょうか(笑)。でも今さら売ってしまったものはしょうがない。もう関係なくても日蓮正宗のご本尊をいやでも本門の本尊と認めなくちゃいけなくなった…ってことじゃないのかなあって想像してます(笑)。まあ、どっちにしろどんな矛盾があっても学会員さんは何の疑問ももたないんですからやりたい放題ですよ。疑問を持つと「地獄に堕ちるで〜ええのんか〜」って心の底からささやかれますからね(笑)。

  63. 白いブランコさん。
    ちょっと話題から逸れますが、このニュースについての感想を聞かせてください。
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150320-00000047-asahi-pol.view-000
    自公政権によって、とうとう自衛隊がここまでやるようになりました。
    あなたがたが必死で集めた公明票によって、自衛隊員が外国の戦地に向かうことになったのです。これは創価学会の望むところなのでしょうか?これも教義の変更で変わってしまったんですかね?これも公明党がいたからこれくらいで済んだって言い張るんですかね。公明党が反対すれば、集団的自衛権についても、今回の安保法制についても成立しなかったんではないでしょうか?公明党がいなかったらもっとひどい事態になっているのですか?公明党の公式見解ではなく、白いブランコさんご自身の意見を聞かせてください。

  64. 白いブランコさん。
    このスレッドもずいぶん長くなって、スマホで最新のコメントにたどり着くまでが大変になってきたので、新しいスレッド「白いブランコさんとの対話 2」を立てることにします。よろしくお願いします。

  65. こんにちは、外部のぽっけです。
    シニフィエさんと白いブランコさんの対話を、大変興味深く読ませていただいています。
    シニフィエさんや他のみなさんのお立場や経験談は、外部の私から見ても相当な説得力を持ったものと感じていますが、それがなぜ白いブランコさんに響かないのか・・・

    白いブランコさんは、学会の無茶苦茶なやり方には納得していませんが、教義そのものは気に入っておられるようです。
    信仰はそもそも個人的なものであり、どれをどの程度信じるかは個人の自由というのなら、選挙や折伏などやりたくない部分はやらずに、自分が信じたいと思う上澄みの好きな部分だけでいいと思っておられるのかなと。
    選挙、折伏その他の具体的な活動の縛りが納得できないから、動きたくない。信じてはいるけど。みたいな。
    単純にそれだけなんだろうなと思いました。
    なので、怠けているとか単なる非活と言われても、頭の中はどっぷり創価の信者であることに変わりはないので「学会員として落第点」みたいに言われても、「え?いやちゃんと信じてるし!」という感じで、なぜ落第点なのかもわからないのではないでしょうか。。

    コロコロ変わる教義も、自分の好きなイメージで理解すれば自分自身の中ではそれでいいのであって、それに対して何か具体的な行動する訳じゃないし大きな弊害はないということでしょうか。
    創価の為に、自分が好きじゃない活動はしないけど、脱会したわけじゃないから罰論の不安もない・・・「自分だけ」一番居心地のいい状態ですよね。
    ただ、創価はそれが許される団体じゃありませんよね。お気楽すぎます。

    それが許されるくらいなら、白いブランコさんはこっそり自分だけボイコットせずに、周りに堂々と「嫌いな活動は一切しません!好きなことだけやります!」と宣言できるはずですもんね。
    そしてボイコットが創価の改善になると確信できるなら、自分だけぬけがけなんてことしないで他の人にもどんどん勧めたらいいと思います。
    「良い宗教」を信仰する人って、仲間を出し抜いて自分だけ助かるような、ずるいことしてちゃダメなんじゃないのかな?(外部の素朴な疑問w)

    創価学会が何で成り立っているかを、こんなに繰り返し根気強く教えてくれるサイトは他に知りません。
    白いブランコさんとの対話がサラマンダラさんがおっしゃる様に「糠に釘」であっても(私もそう感じます)、それを読んでいる他の誰かの疑問に答えるものになっていると思います。

    前にも書きましたが、外部の人たちは、一度学会に取り込まれても自力でみなさんが「戻ってくる」のを待っています。
    損得勘定なし、F無し、罰無しの、本当の心からの付き合いをしたいんです。
    (私は、30年ぶりに再会した友情をF目的の道具にされたことがとても悔しかった。でも元の友人に戻ってくれるなら大歓迎です!)
    本当に、本当に、一人でも多く覚醒されることを切に願っています。

  66. わわ、ごめんなさい、スレ間違えちゃった!
    失礼しました!

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