白いブランコさんとの対話 2

このスレッドは白いブランコさんとシニフィエとの対話の続きです。すみませんが、他の方はこのスレッドにはコメントしないでください。よろしくお願いします。

では創価学会が今回発表した「教義の変更」に関して「本門の本尊」の解釈にいろいろと矛盾があるのではないか?ということに論点をしぼって対話をしていきたいと思っています。

そこで私から単純な質問をさせてもらったのが

今回の教義の変更において、発足以来80年にわたる日蓮正宗との関係を完全に断ったと宣言した創価学会なのに、創価学会の信仰の対象である本門の本尊であるとする御本尊が、なぜ日蓮正宗法主日寛上人書写の御本尊の修正コピーなのか?ということです。

ほかにも多くの矛盾がありますが、なにより信仰の対象の解釈が変わるという、一般的な宗教の概念としてはおよそ考えられないことを、2度の聖教新聞での掲載のみで済ませてしまっていて、その後は公式HPにさえ掲載していないことも不思議に思います。

まずは創価学会の信仰の対象がなぜ今も日蓮正宗のコピーなのかという理由を教えてください。よろしくお願いします。

付け加えますと、創価学会の本門の本尊が日蓮正宗の御本尊なのに、創価学会公式HPには、日蓮正宗の記載がまったくないというのも理解しがたいことです。

白いブランコさんとの対話 2」への40件のフィードバック

  1. signifieさん

    こんばんわ。年度末の所用で2日ほど、コメント出来ず失礼しました。
    その間に新しいスレッドになった件も了解しました。

    また、学会員活動家のyさんからのコメントも拝見しました。こちらのsignifieさんのブログは対話が基本だと思いますので、
    いわゆる野次や罵詈雑言でなければ、いろいろなご意見を述べられてもよろしいのではと思います。承認作業もすべてのコメントに目を通されているようですし、
    スレッド違い等も丁寧に処置されていると思います。

    引き続き、創価学会員の末端として、現在の創価学会が良いとは言い切れない状態で、問題点・改善点・疑問点等々、私個人の思いを含めて
    対話していきたいと思います。よろしくお願いいたします。

  2. 白いブランコさん。
    お仕事おつかれさまです!
    私も年度末の仕事で思うようにお返事できないかもしれません。
    それと統一地方選挙にも仕事で関わっていますので、不規則な生活です。
    あ、学会員さんのような票集めではありませんよ(笑)公的なお仕事です。
    白いブランコさんも、あまり無理はされないでください。
    じっくりゆっくりと確実に話を積み上げていきましょう。
    こちらこそよろしくお願いします。

  3. signifieさん

    こんばんわ。早速対話の続きに入りたいと思います。

    >今回の教義の変更において、発足以来80年にわたる日蓮正宗との関係を完全に断ったと宣言した創価学会なのに、創価学会の信仰の対象である本門の本尊であるとする御本尊が、なぜ日蓮正宗法主日寛上人書写の御本尊の修正コピーなのか?ということです。

    前回の続きということで、改めて、現在の創価学会の「本門の本尊」の認識です。
    本門の本尊・・・末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊が 「本門の本尊」。弘安2年の御本尊も含まれるとなってます。

    今までの創価学会は、日蓮正宗の教義に基づいていたので、「本門の本尊」は弘安2年の御本尊(板曼荼羅)としていました。
    今回の改正で、その弘安2年の御本尊(板曼荼羅)も含む、大聖人の御真筆本尊、それを書写した本尊がすべて「本門の本尊」になりました。

    「本門の本尊」は、特定の御本尊ではなく、根本の法である南無妙法蓮華経を具体的に表したものということです。

    依文は以前にも出ました「日女御前御返事」です。建治三年八月で弘安2年の前に著された御書です。

    「さて滅後には正法・像法・末法の中には正像二千年には・いまだ{本門の本尊}と申す名だにもなし、何に況や顕れ給はんをや又顕すべき人なし、天台妙楽伝教等は内には鑒み給へども故こそあるらめ言には出だし給はず、彼の顔淵が聞きし事・意にはさとるといへども言に顕していはざるが如し、然るに仏滅後二千年過ぎて末法の始の五百年に出現せさせ給ふべき由経文赫赫たり明明たり・天台妙楽等の解釈分明なり。
    爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等・天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を・末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり」

    正像二千年には顕わされていなかったが、末法200余年の初めに大聖人が顕わしたということです。

    「されば首題の五字は中央にかかり・四大天王は宝塔の四方に坐し・釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ普賢・文殊等・舎利弗・目連等坐を屈し・日天・月天・第六天の魔王・竜王・阿修羅・其の外不動・愛染は南北の二方に陣を取り・悪逆の達多・愚癡の竜女一座をはり・三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等・加之日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神神・総じて大小の神祇等・体の神つらなる・其の余の用の神豈もるべきや、宝塔品に云く「諸の大衆を接して皆虚空に在り」云云、此等の仏菩薩・大聖等・総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり。」

    ここで御本尊の相貌(そうみょう)を説明されています。そしてその後、

    「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」

    と述べられています。

    この御書では弘安2年の御本尊だけが本門の本尊とはしておらず、相貌(そうみょう)と、それが胸中にあるということを説かれております。
    なので、創価学会としても、大聖人の仰せのとおり、大聖人の御真筆本尊、それを書写した本尊がすべて「本門の本尊」としたのだと思います。

    signifieさんは、創価学会員が今回の教義変更について、「知らないのでは」とか「何も思ってないのはおかしい」とか思われていますが、
    今までは「本門の本尊」は弘安2年の御本尊としていたものが、教義解釈の変更により、自宅の御本尊も「本門の本尊」になったということは、
    「本門の本尊」の範囲が広がり、創価学会員にとってはプラスになったということです。
    また、何も思っていないのではなく、特に問題にならないのは、大勢の会員さんが「胸中の肉団におはしますなり」を覚知している証拠ではないでしょうか。

    これとて、日蓮正宗側の人からすればおかしいとか矛盾とか言うでしょう。
    しかし、創価学会として、今回のように教義を変更して、創価学会員が受け入れているというのも事実です。
    「信じている」人は信じられるし、「信じてない」人は信じることができないということではないでしょうか。

  4. 白いブランコさん、お忙しいのに詳しい解説をありがとうございます。
    おたがいに平常心でこうしてお話ができることをうれしく思っています。
    この調子でいけば、ちゃんとした対話ができるのではないかと期待しています。
    どうかよろしくお願いします。

    あの、これから本門の本尊について話をするにあたってひとつ確認しておきたいのは、今回の教義の変更によって、本門の本尊が弘安二年の大御本尊も含めたこれまでの歴代日蓮正宗法主が書いたご本尊とその複製のすべてが本門の本尊になったというのではなくて、もともと日蓮正宗のご本尊のすべてが本門の本尊であったことが判明したのだということなんですね。そこ間違うとへんなことになりますので、確認しておきます。まさか創価がこの教義の変更によってそのように変えたということじゃないですよね。もともと本門の本尊とはすべてのご本尊のことだったのを、日蓮正宗が勝手に弘安二年のご本尊だけが本門の本尊であり、それが安置されている場所だけが本門の戒壇なのだと、創価学会をだましてきたことにやっと気がついたんで、このたび教義を正しく変えますねってことなんですよね。「今まで日蓮正宗が750年間言ってきたこと(弘安二年の一閻浮提総与の大御本尊だけが本門の本尊である)が、じつは御書のどこにも書いていなかったことを創価学会が見つけちゃったんだよ〜、だから創価としてはその日蓮正宗の言ってることはヨタ話だとして、これからは日蓮正宗とはいっさい関係なく、創価の教義を変更しますね」ってことを宣言したと考えていいんですよね。すみません、なにしろそれが書いてあるとする聖教新聞を見る機会がないもので、こうしていちいち確認しなきゃいけないんです。勘弁してください。

    私は前から思っていたのですが、よく教学の中で文証、理証、現証といって、あることが真実かどうかを判断する基準みたいなものとして説明が出てきます。私も中学校一年生のときに受けた任用試験で勉強しましたよ。御書のここのところにこんなふうに書いてあるから、まず文証として成立しているということになっています。中学生だった私は言われるがままに「なるほど〜!そうなんだ〜!」と感心していました。でもいつの頃からか、この文証って何の意味があるんだろうと思うようになりました。御書に書いてあるから真実だという理論は、理論になっていないじゃないかと。たとえば聖書に書いてあることはまちがいで、御書ならOKというのはどこから来るんだって。そうすると学会員さんは我が意を得たりと言った風情で五重の相対を説明し始めます。三証と五重の相対はセットみたいなもんですからね(笑)。しかし五重の相対だって、べつに普遍的な物差しである証明なんかどこにもないわけですよ。日蓮正宗が伝えてきた教義の中にそういう基準もあるってだけの話しです。

    なんでこんな話しをするのかというと、白いブランコさんが本門の本尊がどういうものかを説明するときに「依文は以前にも出ました『日女御前御返事』です。」と当然のように書かれているところが、私にはどうも理解できないんですね。つまり「御書にこれこれこういう風に書いてあるから、こう言う解釈のほうが正しいのです」っていう、「御書にあるから」というのは何の証明にもならないんじゃないかと思うんです。そりゃ「日蓮正宗が言ってる弘安二年の大御本尊が本門の本尊だと日蓮自身はどこにも書いてませんよ」と言いたいのはわかりますよ。私が言いたいのは、その御書は真実しか書いていないという前提で話しをしている知りブランコさんのコメントが、「ちょとまってちょとまって」ってラッスンゴレライな気がするんですよね(笑)。

    言っときますが、日蓮正宗というのは世界の宗教界からすれば、超異端のあるかどうかわからないぐらいの弱小教団ですよ。そして創価学会はその超異端な弱小教団の信徒集団として発足し、前代未聞の大折伏戦によって、日本では考えられないほどの信徒数にふくれあがりました。しかし世界全体からみれば、アジアの片隅の小さなカルト集団です。世界に羽ばたくなんてちゃんちゃらおかしいんですが、学会員さんだけはいよいよ世界制覇も間もない世界宗教だとインプットされてるだけの話しです。そんな日蓮正宗の教義や御書を当然のように正邪の基準にするのも変な話しだと思うんですけどね。

    ついこのまえもこのブログに書きましたが、程度の差はあっても22億5000万人が聖書が正しいと信じているんです。15億人がコーランを信じてるんです。日蓮以外の仏教徒も3億5000万人もいるんです。日蓮正宗の御書が正しいと信じているのはどんなに頑張っても一千万もいませんよね。創価学会は公称850万世帯とか言ってますが、実質は数百万ですよね。これは統監数と座談会の現実を知っている白いブランコさんならわかるでしょう。これのどこが世界宗教なんでしょう?でも学会員さんは、もう半分世界制覇したみたいな気分になってます(笑)。

    それはさておき、三証も五重の相対も、法華経の解釈も、日蓮本仏論も、みんなその小さな小さな弱小教団である日蓮正宗の特別変わった教義なわけですよ。そしてその教学というのはみんな日蓮正宗が正しいということを言わんがためのものであり、学会員さんも信心の基本である信・行・学の学として学んできたわけです。すべては日蓮正宗の教学が正しいということの理論付けを教学として学んできました。同時に日蓮正宗以外の宗教が間違っていますよ、劣っていますよ、だからこの日蓮正宗の信仰をする以外に幸せになる方法はないのですということを信じさせるためのものだったんですよね、破門前までは。

    だとしたら、創価が破門されたのであれば、そして本門の本尊についての解釈が「御書にそう書いてないことがわかりました〜いままでの本門の本尊は違いでした〜」っていうんなら、本門の本尊に関する解釈だけではなくて、日蓮正宗の教義すべてから離れるのがスジなんじゃないかと思うのです。創価は日蓮正宗のことを大謗法の輩とまで揶揄して、法主がラスベガスでギャンブルやって酒飲んで女買ってどんちゃん騒ぎをしたとか、とんでもないデマを会員に信じ込ませてましたよね(結局それは創価のねつ造だとバレて裁判で負けました)。だったらなんで本門の本尊の解釈以外は日蓮正宗の教義をそのまま踏襲するんでしょう?そして今も創価のご本尊は日蓮正宗法主日寛上人のご本尊のコピーですよね。日蓮正宗を大謗法の輩と言っておきながら、なんでご本尊は日蓮正宗なんですか?って訊いてるんです。白いブランコさんのお話は「学会員さんの家にあるものも本門の本尊だということが御書を通じてわかったのだから、今回の教義の変更を学会員さんが疑問に思うことは何もないでしょ。かえって安心してお家のご本尊が拝めるようになったんですから」っていうのは答えになってないんですよ。あそこまで日蓮正宗のことを数々の醜聞をでっちあげるまでしてケチョンケチョンに貶めておきながら、どうして創価のご本尊はいまだに日蓮正宗のコピーなのですかという質問意対しての答えを待っています。

    そう言うと創価が日蓮正宗を口汚く貶めたのは日顕が創価を破門したからであって、日蓮正宗そのものが間違いだと言っているわけではないという答えが来そうな気もするんですが、創価は日蓮正宗が日興上人以来言い伝えてきたとされる弘安二年の大御本尊だけが本門の本尊であるということを否定したんですよね。つまり日顕ひとりを否定したんではなくて、日蓮正宗そのものを全否定したと見ていいのではないでしょうか。だからこそ、もういっさい関係はないと言い切ったはずの日蓮正宗のコピーご本尊をなんで今も拝まなくちゃいけないんだろうと、なんで学会員さんは疑問に思わなないのかなあ〜?と訊いているのです。

    ぶっちゃけて言いますとね、これ普通に考えれば(普通にっていうのは何の利害関係もない外部の人の感覚からすればってことです)創価は破門されたんで大御本尊を拝めなくなったから、会員に対して「大御本尊ってべつに拝まなくたってこっちのコピーご本尊を拝めば功徳があるんだよ〜」って言えるようにするためだけの「教義の変更」だと見られても仕方ないんじゃないでしょうか。仕方ないというより、そっちが自然ですよね。

    なぜ破門されてから24年も経ってから「本門の本尊の解釈自体が間違いでした。日蓮正宗のご本尊もみなさんのうちにあるご本尊も変わりません」って言うんでしょう。うっかり気づかなかったんですかね?(笑)それに創価は日蓮正宗のご本尊を拝むのは謗法だとまで言ってましたよね。なんかコロッコロ変わりますよね。結局のところ、今回の教義の変更をまとめると「大謗法の日蓮正宗の本門の本尊ははじめから何の功徳もない偽物でした。つまり創価学会80年の歴史ははすべて間違いでした。日蓮正宗と言う750年も続いてきた大謗法の輩にまんまと騙されていたことに80年たってやっと気づいたんです。でもこれからは創価学会がほんとうに功徳のある本物のご本尊を発行します。それは日蓮正宗御法主日寛上人書写のご本尊を創価が独自に加筆修正してつくった創価学会版ご本尊です。でも日蓮正宗とはいっさい何の関係もありません。」ってことですよね。私にはスジの通らぬことばかりに聞こえるのですが、学会員さんは気にならないんですかねえ。というあぶったまげて当然のことのように思うんですけどね。創価は日蓮正宗を否定すると同時に、創価学会80年のすべても間違いだったと言ってるんですよ。だって本門の本尊を安置する本門の戒壇としての正本堂まで建てたんですからね。これもみんな日蓮正宗のヨタ話だったってことなんですよね。じつは正本堂も日蓮正宗からだまされて建てさせられたって言うんでしょうか?わからないことばかりです。

  5. 白いブランコさん
    私は白いブランコさんをいじめたり喧嘩しようとしてるわけではないことはおわかりですよね。
    別の方が私のやり方はアンフェアだからまわりの野次をやめさせろとか、
    創価側にも援護させろとか言ってくる人がおられたんですが、
    私は白いブランコさんを孤立させて有利な立場で言いくるめようなんて思ってはいません。
    白いブランコさんがそう思うのであれば、いつでもこの対話は中止してもいいんです。
    でも私としてはこの対話はとても貴重な千載一遇の出来事だと思っています。
    このブログを開始して3年以上経って、
    やっとこさまともに話のできる活動家さんが来られたということにたいへん感謝していますし、
    私自身も創価問題を具体的に深く考え直すいいきっかけになっていると思っています。
    いま私が白いブランコさんとの対話の中で考えているのは、自分が活動家だった頃のことです。なるほどちょっと前まではこんな感じで、こんなふうに考えてたよなあって、
    ある意味での共感をおぼえるからこそ対話ができるのだと思っています。
    白いブランコさんには私の問いかけはきつかったり意地悪に聞こえるかもしれませんが、
    論点をできるだけぼやかしたくないとの思いですので、どうかご理解ください。

  6. signifieさん

    こちらでの対話は別にいじめとも喧嘩とも思っておりませんし、元々お互いが違う立場なので、意見も違うことが多いと思います。それが分かち合えることもないだろうし、どちらかの意見に落とし込むという場でもないと理解しています。

    また、yさんのように気にかけていただいている方がいらっしゃることは嬉しく思います。

    気にかかる事といえば、多分に時間が取れないので、返信が遅くなってしまうことや、急いで書き込むこともあるので、文章が解かりにくかったりすることです。
    この辺は出来るだけ改善していきたいとは思っております。
    コメントをいただいている方に対しては、個別でのご返答はいたしませんが、話の中で随時触れて行きたいと思っておりますのでご了承ください。

    では続きです。
    昨日のコメントは日蓮仏法において、御本尊とはどんなものを指すのかという大聖人の考え方の説明です。
    御書に基づいて説明しましたが、
    >そんな日蓮正宗の教義や御書を当然のように正邪の基準にするのも変な話しだと思うんですけどね。
    と仰られているコメントは、見当違いかと思われます。

    日蓮正宗との教義の違いを説明しているので、その大元の大聖人の御書を引用するのは自然ではないでしょうか。
    また、創価学会が御本尊の件に関して、大聖人の御書に基づくのは当然だと思います。

    ご質問の回答のほうですが、
    御本尊の条件が示されましたので、その条件に合致しているものは大聖人の御真筆御本尊が120体ぐらいあり、また書写御本尊もその数倍あると思います。
    そのなかで、創価学会に理解のある栃木のお寺から申し出いただいたのが日寛上人書写の御本尊だったということです。ここまでは経緯の説明ですね。

    では日寛上人がどんな人だったかというと、二祖日興上人の系列で、大石寺の26世で、中興の祖といわれている方です。(日寛上人のころは日蓮正宗はなかったので、正式には大石寺26世法主になると思います)

    教学的にも優れた功績を残され、自ら広宣流布の実践をされた方なので、創価学会の御本尊とするにふさわしい方だったのでしょう。また、戦前にも日寛上人の御本尊が下付されていたこともあったので、
    そういった判断から日寛上人の御本尊を下付しているのだと思います。

    御本尊として信授する条件は、先の相貌(そうみょう)と信じるに足る事柄だと以前にも申し上げました。
    広宣流布を進めてきた創価学会が下付する御本尊なので、自ら広宣流布の実践をされた日寛上人の御本尊は、信じるに足る事柄も備わっているということです。

    破門されたのに、破門した教団の御本尊を下付するのはおかしいのではという趣旨の質問だったと思いますが、
    破門した当事者は日顕氏で、創価学会は日顕氏を相承を受けた法主として認めておりません。大石寺の歴代の法主に対しては、広宣流布の実践をされた方はもちろん認めておりますので、
    その認めている法主の御本尊を下付するのは至極当然だと思います。
    破門されたからといって、その教団を全否定していると捉えているところが、考え違いをされていると思います。

    また、その御本尊がコピーとかなんとか、しきりに仰ってますが、相手が信仰の対象としているものなので、尊重されてもいいのではないでしょうか。
    失礼とは思いますが、コピーとか何とか繰り返し述べられている姿は、幼いというか幼稚な子供が囃し立てている姿に思えてなりません。
    (これは創価学会が詐欺団体だと言わんとしようとしているためと思われますが、)

    第266代ローマ教皇(就任2013年3月)の話で、「他の人の信仰を侮辱してはならない」とそのうえで、フランシスコ法王は、「自分の母親が侮辱されたら反応したくなるものだ」とたとえ話を示しながら、
    「人の信仰を挑発したり、侮辱したり、笑いものにするべきでもない」と仰ってます。
    また宮崎駿監督も「異質の文明に対して、崇拝しているものをカリカチュア(風刺画)の対象にするのは間違いだ」 風刺画について「まずもって自国の政治家にやるべきであって、他国の政治家にやるのはうさんくさくなるだけ」と指摘。
    その上で、他の文明が崇拝しているものを対象にすることは「やめた方がいい」ということを仰ってます。
    もちろんこれは過日のイスラムの一件についてです。

    創価学会も以前では、他者の本尊に対して、自説に照らし合わせて優劣を決めておりました。納得して替えられた方もいれば、そんなことは納得できずにいた方もいると思います。
    謗法払いと称して他宗の本尊やお守りなども処分したり、処分させていたと思います。その際にトラブルも多く発生したと思います。

    マヨイさんのコメントに
    >学会員自らが多様性を認めるべきと思います。
    とありました。本当にその通りだと思います。

  7. signifieさん

    もう一つ感想を求められているお題がありました。
    安保法制の件です。

    何度か話をしましたが、私がこちらのブログにたどり着く要因となったものに、創価学会の公明党支援についての大きな疑問がありました。

    「政治を監視せよ」という戸田第二代会長の言葉は創価学会員の中では有名であるはずです。
    現実はどうかというと、何でもかんでも公明党という、とても政治を監視しているとは思えない状況です。

    先日、たまたま国会答弁を見ていましたが、民主党の議員に対して、首相はまっとうな答えをせず、まさにその場をはぐらかしている風に見えました。
    大義名分は「国民を守るため」と謳っていますが、過去にもそのような大義名分で戦争に突入した例は少なからずあったと思います。

    公明党はストッパー役云々と、いろいろなところで、論客の言葉を借りながらアピールしておりますが、実質は容認・容認・容認と、歯止めは効いていないように
    感じられます。

    いつごろから変わったのかなと考えますと、政権に参画し始めたころ、つまり自民党と手を組んだころからでしょうか。
    お互いにメリットがあったのかもしれませんが、創価学会員を票田として見始めたためだと思ってます。これは自民も公明も両方です。

    政治の世界は政策や主張がコロコロ変わります。妥協の世界といわれるとおりですが、そんな妥協の世界のために信仰心を利用されるのは
    まっぴらごめんです。
    もちろん、今までは生命尊厳とか弱者のための政策とかを主張され、実現してきたので、それは大いに評価します。
    しかし、現在の公明党は、やり方含めて私的には支援できません。

    集団的自衛権については、選挙の時に一言も触れていなかったと思います。
    それが自民が大勝利した途端、急に話が浮上し、国民の意向はお構いなく、暴走し始めた感があります。

    そのことについて、創価学会員が自民・公明を支持したからこうなったとは言えないと思います。
    投票率の低さ、政治に無関心、対抗政党の無力化等々原因はたくさんありますが、選挙の結果、現状があるという認識はしておいた方がいいと思います。

  8. これから創価学会はずっと日寛上人のご本尊の改ざんコピー(表現に悪意を感じると言われるなら複写でも印刷でもかまわないのですが、それでももともと日蓮正宗の法主の書写したご本尊を日蓮正宗の許可もなく形をいじったり、勝手に複製して会員に買わせるという行為は、正しい宗教団体の姿とは思えないのです)を会員に購入させるということですね。それから曼荼羅の文字の内容が同じであれば、パソコン内のフォントでもかまわないんでしょうか。

    これ意地悪でいってるのではなくて、ご本尊の解釈についての確認です。要は日蓮が出世の本壊として本門の本尊を顕わしたのはモノではなく、考えそのものという解釈でしょうか。そしてその考えそのものが存在する空間を本門の戒壇であるという解釈なんでしょうか。このあたりがはっきりしないと、本門の戒壇の解釈もはっきりしないんです。今までは弘安二年の大御本尊が安置された場所だったのでわかりやすかったし(日蓮正宗は何も変わらないんですけどね)、誰も間違いようもなかったのですが、創価としては教義の変更によって本門の本尊の解釈がかなり抽象的な表現に変わった(創価としては本当の解釈に気がついたということなのでしょう)ので、本門の戒壇もいまいちつかみどころがないような気がするんです。

    創価学会の解釈としては日顕以外の日蓮正宗のご本尊とそのコピーはすべて本門の本尊であるということですよね。ではコピーではなくて文字の内容が同じパソコンのフォント版や、あるいは書道の達人が和紙に筆で書き上げた一点もののご本尊をつくったとしたら、それは本門の本尊といえるのかいえないのか?やっぱり創価が発行する日寛上人バージョンのコピーでなければ本門の本尊とは認められないのでしょうか。それと日蓮宗も日蓮直筆のご本尊をたくさん持ってますし、日蓮宗のご本尊も数えきれないほど存在します。それから博物館なんかにも保管してあるものもあります。こういったものも本門の本尊といえるのかいえないのか、謎は深まるばかりなんです(笑)。ではもし言えるとしたら、べつに創価学会でなくて、日蓮宗の信者であっても創価学会と同様に功徳があったり罰があたったりという不思議な宗教的現象があるのかなあと素朴に考えたりするんです。

    いや、白いブランコさんが何もかも知ってるとは思いませんし、知らないからといって責める気もありません。ただこれは私の素朴な疑問なんです。創価としては「創価が発行する日寛上人以外のコピーご本尊は功徳はない」という根拠がほしいところですよね。だって創価以外の宗教は今でこそ邪宗と言う表現はしなくなったのせよ、創価のものより劣っていたり謗法だったりするという解釈でしたからね。そこの教義は変わっていないのでしょうか。これだけご本尊の解釈が劇的に変わったのだから、こんな素朴な疑問ぐらいは学会員さんがもってもおかしくはないと思うんです。だから白いブランコさんは聞いてないかもしれませんが、教義の変更を発表した創価学会本部としては、そのあたりの整合性はとってあると思うんですよ。長くなったのでもう一回言いますね。「創価以外のご本尊には日蓮直筆のご本尊であっても力があるのかないのか。ないのであればそれはなぜか」という疑問です。よろしくお願いします。

    次に

    >第266代ローマ教皇(就任2013年3月)の話で、「他の人の信仰を侮辱してはならない」とそのうえで、フランシスコ法王は、「自分の母親が侮辱されたら反応したくなるものだ」とたとえ話を示しながら、「人の信仰を挑発したり、侮辱したり、笑いものにするべきでもない」と仰ってます。

    ↑このところで白いブランコさんは、創価が破門される前までの「日蓮正宗以外の宗教はすべて謗法」という考えによる他宗への徹底したバッシングや謗法払いをさかんにやってきたことと、破門されたあとに日蓮正宗に対する創価のあの吐き気がするほどのバッシングや醜聞ねつ造行為も、かつて創価が謗法と見下していたキリスト教のトップであるローマ教皇の考えをもとに批判しているんですが、いつからそのような考えになりましたか?
    かつては五重の相対によって仏教以外は外道といって宗教ですらないと見下していたキリスト教やイスラム教は、創価にとっては目くそ鼻くそだったはずですが、その目くそあつかいだったキリスト教の教皇のことばによって私の発言した「コピーご本尊」という表現を批判するのも変な話だなあと思いました。

    創価がある時期から邪宗という表現をとりさげて「すべての宗教は尊重されなければならない。世界中のありとあらゆる宗教はその旬教の自由を保障されなければいけない」といった内容を池田氏自らがスピーチしたことは、同時に日蓮仏法の正当性を証明する法華経の位置づけをあきらかにする五重の相対を否定することになるんじゃなかろうかと勝手に思ったのですが、創価の教学での五重の相対はどうなっているのでしょう。日蓮仏法の中でも創価の教学は折伏行が中心となります。つまり他宗を派酌して日蓮門下にすることがその人を幸せに導く最高に徳の高い行いであるというのが基本のはずです。でも創価は途中でその日蓮仏法の基本をものの見事に覆しました…と、ちょっと本門の本尊解釈から脱線しますが、ローマ教皇の話で関係のないことではありませんので、よかったらこれについても白いブランコさんの意見をお聞かせ下さい。

    それから創価の公明党の扱いについての批判は、白いブランコさんと私の考えはほぼ一致しますね。ただ違うのは、白いブランコさんはこの点も改善すればよくなると思っているのに対して、私はもともと創価を利するためにつくられた政党なんだから改善の余地はないとするのが私の考えです。でもそのあたりの考えの共通点と相違点がはっきりしたことだけでも意味がありましたね。

    それから

    >破門されたからといって、その教団を全否定していると捉えているところが、考え違いをされていると思います。

    そうなんですか?私の勘違いなんでしょうか?そして学会員さんもそうした考えなんでしょうか?悪いのは日顕で、正宗は正しいってことですか?
    でも本門の本尊の解釈が日蓮正宗のものと真逆ぐらい変わりましたよね。もういっさい関係ないとも言ってますよね。もう一度確認しますが、

    日蓮正宗……本門の本尊は弘安二年の大御本尊であり本門の戒壇は富士大石寺
    創価学会……日顕書写以外のすべてのご本尊であり、本門の戒壇はそれがあるところすべて

    このような解釈のようだったので、私が上のような素朴な疑問が生まれたんです。
    では「本門の本尊が弘安二年のご本尊だけであり、本門の戒壇は富士大石寺以外にはありえない」という日蓮正宗の考えを創価は否定していないということでしょうか?それともそこと日顕にかかわることだけは否定するってことでしょうか?でも日蓮正宗と創価学会の食い違いはそれだけではないように思えるんです。いっぱい裁判もしてますしね。それから創価がこのように教義を変更したのは日蓮正宗から破門されてご本尊をもらえなくなったからではないのですか?このままでは会員にご本尊を渡せない。でも勝手につくると会員が「今までのは何だったんだ?」と疑念が広がりかねない。なんとか辻褄を合わせなければということで、日寛上人なら納得するだろうということではなかったのでしょうか?

    破門がなければ本門の本尊の解釈を変えることなどしなかったと私は思いますけどね。では創価は破門されなくても解釈を変えたでしょうか?そんなことしたら逆に破門されるのではないでしょうか?(笑)破門されていない状態で「弘安二年の大御本尊も日寛上人のコピーご本尊も同じ本門の本尊だ」なんて創価が主張することを日蓮正宗が黙っているでしょうか?やはり破門ありきの教義の変更と考えるのが自然ではないでしょうかね?

  9. signifieさん

    >「創価以外のご本尊には日蓮直筆のご本尊であっても力があるのかないのか。ないのであればそれはなぜか」

    そのようなご質問がでてくることでしょう。

    端的に申し上げますと、相貌が同じであれば本門の本尊の条件は備えています。
    あとはそれを信じるか信じないかになります。

    創価学会員としては、創価学会が下付した御本尊を信授すると決めております。
    そのほかの御本尊については、他宗・他人様の御本尊なので、それぞれが決めればいいことで、
    わざわざ他人様の御本尊を拝みに行く必要はないでしょう。

    「 仏法は摂受・折伏時によるべし」の御文から、仏法が広まっていない国・所は摂受、仏法が広まっているところは折伏ということを言っていたことがありました。

    また「聞法下種」とあるように、相手が信授しようがしまいが、仏法の話をすることが折伏になります。

    「発心下種」にこだわるから問題が起こるのであって、その「発心下種」も、数字のための「発心下種」になっていることがあると思います。
    そういうところを改善していかなくてはならないと思います。

    他宗に対して寛容になったのは、日蓮原理主義的な発想から、人間主義に基づく発想に変わってからだと思います。
    人間のための宗教であって、宗教のための人間ではいけないということです。

  10. >端的に申し上げますと、相貌が同じであれば本門の本尊の条件は備えています。
    >あとはそれを信じるか信じないかになります。

    確認ですが、これは白いブランコさんの考えですか?創価としての見解ですか?
    もし創価の見解とするならば、創価もずいぶん変わったなと思うのです。

    >わざわざ他人様の御本尊を拝みに行く必要はないでしょう。

    つまり創価学会としては、日蓮宗所有の日蓮真筆ご本尊も、日蓮正宗の弘安二年の大御本尊も、創価学会のご本尊も、みな同じ本門の本尊であり「宗教的な力」はみな同じだけども、創価学会員がわざわざ他宗のご本尊を拝むこともないだろうということですね。意地悪な言い方をすれば「創価学会としては日蓮正宗でも日蓮宗でも同じ功徳がありますよ」と教義を変更したということですよね。ほんとですかあ〜?(笑)
    もちろん信じる信じないは個人の問題ですから、そこをどうこう言うつもりもありませんが、創価がそこまで寛容な教義に変わっているとは信じられないんです。今までの「仏敵」「大謗法」に向かって「自分たちのご本尊と同じだよ」と言うなんて、考えられません。だって信者を逃す隙間を自分でつくるようなものでしょ。どんな苦しい屁理屈を信じ込ませてでも、会員を増やそうとしてきたのが創価学会です。この期に及んでそんな懐柔策に方向転換したとはとても思えないのです。
    破門前までの創価の教学は当然のことながら日蓮正宗の教学でしたよね。破門されることによって、日蓮正宗ばかりか日蓮宗のご本尊までもみな同じように力がある。つまり広宣流布を達成するための力があるということを教義とするようになったということでしょうか???
    例えば日蓮宗としては創価の日寛上人の修正入り複製(ちょっと丁重な表現にしました)のご本尊が、日蓮直筆のご本尊と同じ力があると思っているのでしょうか。そんなことないと思うんですけどね。また日蓮正宗は破門した創価学会が勝手につくった修正入り複製ご本尊を弘安二年の大御本尊と同じ力があるとは考えていませんよね。ニセ本尊とはっきり批難してますからね。日蓮正宗は創価のご本尊をニセものとするが、創価は日蓮正宗のご本尊も本物だということを認めるわけですね。
    ???
    ということは創価は日蓮正宗や日蓮宗よりもそうとう寛容な、これまでにどこにもなかった日蓮仏法に変わったということですね。日蓮仏法の特徴は他宗を認めず日蓮の教えだけが正しいと言う理論で改宗を迫る折伏行にあると中学校の歴史の教科書にも載っているように、日蓮仏法にとっての他宗はあくまで邪宗でした。それが白いブランコさんにとっては日蓮原理主義と呼んでいるほど改善が必要なところだと思っているんですよね。たしかに白いブランコさんがそのように考えるのはよくわかります。しかし創価学会が今回の教義の変更によって、そこまでの改革をしているとはとても考えられません。そこははっきりさせましょう。どなたか学会の方で明確に答えられる方はいませんでしょうか。日蓮の教義は他宗を邪教だと定義するための根拠としての三諦だし五重の相対だし、天台の法華経解釈をさらに先鋭化させたものでしたよね。なのに今回の創価の教義の変更は、あれもこれもみんなOK!邪宗もなければ他宗も尊重しますっていうことなんですかね?そしてそれが一般の会員さんにも伝わっているのでしょうか?創価は会員さんに「どこのご本尊も功徳はいっしょだけど、創価の会員さんは今持ってる創価のご本尊を拝んでね、よろしく〜」って感じなんでしょうか。それってすでに日蓮仏法とは言えないんじゃないですかね。
    いやそれが創価学会の広宣流布を目指すあたらしい宗教としての考えだとするなら、私はいっこうにかまわないんですけどね。よそ様の話ですからね。私にとっては創価の教義もイスラムの教義もどのように変わっても、どうでもいいことなんです。でも余計なお世話ですが、どこも同じご本尊であればたとえば日蓮宗の信徒のほうが、新聞を何部も買ったり毎朝配ったり、選挙活動のノルマで苦しめられたり、毎年何十万何百万円もの財務を出さなくていいんですから、私が学会員で、同じ功徳があると言われたら日蓮宗に改宗して、ときどきお寺でお坊さんの説教聞くぐらいにしときますけどね。

    白いブランコさん、創価の教義はほんとにそこまで変わったのでしょうか??

  11. signifieさん

    日蓮大聖人からみれば、自分の説いた法華経・日蓮仏法の信徒同士が争うのはおかしいと感じられると思います。
    日本の中で「南無妙法蓮華経」を唱える教団は、創価学会・日蓮宗・日蓮正宗・顕正会・立正佼成会、霊友会etcもっとあるかもしれませんが、
    その教団同士で、教義の解釈の違いにより争いを繰り広げています。傍から見たらおかしいと感じるでしょう。
    中に居たらいたで、お互いが自分たちの教義解釈を主張しています。
    ひとことで言わせていただければ醜い争いです。

    かといって、各教団のトップ同士が集まって日蓮大聖人の元、一致団結しようという動きは見られませんし、
    一信徒からすれば、何のための宗教かと思うこともあります。

    そのような状態にもかかわらず私が創価学会にこだわっているのは、恩を感じているからです。
    学会2世なので、物心ついたころから学会の会合に参加していて、未来部の時は、それこそ、yさんのような熱心な担当者の方には大変お世話になりました。
    大石寺も年に1回は行っていたでしょうか。正本堂の噴水やお土産屋の通りの勢いあふれる水の流れ等々、思い出はたくさんあります。
    仕事を決める際も、牧口先生の価値論の美・利・善をもとに決めてきましたし、戸田先生の生命論、獄中の悟達、絶対的幸福境涯という考え方も私の人生に良い影響を与えております。
    人生で大きく悩んだときも この仏法、そして池田先生の著作にどれだけ励まされ助けられたかわかりません。
    なので、私は創価学会のそういった人のためになる活動の部分は大きく評価していますし、だからこそ、創価学会を信じている部分があります。

    翻って、そうではない部分も目に付くようになりましたし、特に最近そういう感が強くなったので、改善しなくてはならないと思い始めたのです。

    教学の話に戻りますが、創価学会が用いていた日蓮正宗の教義は、大部分が日寛上人の解釈をベースとした教学です。その日寛上人の教学も、大聖人の教義の解釈の部分と、自宗の正統性を証明するための教学に分けられるとのことです。
    このうち、創価学会としては大聖人の教義の解釈の部分は引き続き用いますが、宗門の正統性の部分は用いないことにしたようです。この辺も1/30の新聞に発表されてました。

    御本尊が本物かニセモノかという議論ですが、立場が変われば見方が変わるので、たとえば創価学会の御本尊も、日蓮正宗の教義に当て嵌めれば、御本尊と認められないということであれば
    日蓮正宗の信徒は創価学会の御本尊に祈らなければ良いだけの話です。

    よく引かれる日達上人の話で、「日蓮正宗以外の教義が広まっても広宣流布とは言わない」というのがあって、そうであれば、日蓮正宗はそうやればいいし、創価学会の広宣流布とは日蓮仏法を基調とした平和・文化・教育の推進なので、創価学会はそれを広めればいいと思います。
    教義の解釈が違うので袂を分かれたのだから、広宣流布の解釈も当然違ってきます。

    創価学会か日蓮正宗かの二者択一であれば、そのどちらかの信じられるほうの教団にいればいいと思いますし、
    現在は選択肢が広がっているので、その他で自分が信じられるものがあれば、そちらを信じればいいと思います。

    宗教信条を選ぶ自由は保障されるべきだし、たとえ創価学会員であっても、その自由は妨げてはならないところです。
    それを無理に留めようとするから問題になるのです。
    特に学会2世・3世の方とか、自分の意思でやられていない方は、他に信じる道があるとおもうのであればそちらの道を選ばれてもいいと思っております。
    多様性の時代だし、ひとりひとり考え方もしあわせの感じ方もちがうので、いままでのような、これが絶対正しいというのは通用しない時代だと思います。

    やめる人(退会する人)が多ければ、組織としてもおかしいところがあると気づくかもしれませんが、そうでなく、籍だけ残させている状態では、問題点が隠れてしまいます。
    やめた人を攻めるのではなく、やめる人を生み出している状況を攻めるべきです。(あまり攻めるとかいう言葉を使うと、戦闘モード云々いわれそうですが、、)

    創価学会が今回の教義の改正に踏み切ったのは、世界に通用する宗教になるためということですので、創価学会独自の日蓮仏法を基調とした世界平和・文化・教育のための教義には自信があるのでしょう。
    その一番最初として、一番の根本である御本尊の解釈を変えたのだと思います。このあとも随時、新たな創価学会教学が打ち出されると思います。

    700年以上前のことにこだわって反感を買うよりも、現在の現実に即した形に改めるのは良いことだと思いますし、受け入れられると思います。

    >ということは創価は日蓮正宗や日蓮宗よりもそうとう寛容な、これまでにどこにもなかった日蓮仏法に変わったということですね。
    そのように捉えられてよろしいかと思います。

    印刷技術の発達のおかげで、マルチンルターの宗教改革が広まったのと同じように、情報技術の発達=インターネットの普及により、信教の自由が加速してもいいと思います。
    一人ひとりが 宗教=幸せになる教え を考えて、選んで(選ばないという選択も含めて)、そして、お互いがその考えや宗教を尊重していく世の中になってほしいと思います。

    いままでの考え方や捉え方が変わるので、すごく時間がかかることかもしれませんが。

  12. 白いブランコさんのお話を何度か読ませていただいて、私なりにわかりやすく要約(抜粋してつなぎました)してみました。

    「創価の言ってることやってることは最近特におかしなところが目立ってきているけれども、私としては子どもの頃から創価の人には個人的にお世話になっているので創価に留まっているのです。要は本人が信じたいものを信じればいいのであって、元来、他人の信仰や、他宗の教義に口を出すのはおかしい。多様性の時代だし、ひとりひとり考え方もしあわせの感じ方もちがうので、いままでのような、これが絶対正しいというのは通用しない時代だと思います。御本尊が本物かニセモノかという議論も、それを本物だと信じる人が拝めばいいだけの話です。信じない人は拝まなければいいじゃないですか。日蓮正宗では日蓮正宗の教えでなければ広宣流布はできないと言ってきました。創価学会は今回そうではないという立場をとったということです。教義の解釈が違うので袂を分かれたのだから、広宣流布の解釈も当然違ってきます。どっちが正しいのかをその人が判断して決めればいいだけの話です。宗教信条を選ぶ自由は保障されるべきだし、たとえ創価学会員であっても、その自由は妨げてはならないところです。ただ、これまでの創価学会は自分たちの考えに無理に留めようとするから問題があるのです。やめた人を攻めるのではなく、やめる人を生み出している状況を攻めるべきです。

    >ということは創価は日蓮正宗や日蓮宗よりもそうとう寛容な、これまでにどこにもなかった日蓮仏法に変わったということですね。

    そのように捉えられてよろしいかと思います。」

    そうですか、創価学会はそこまで変わったのですね。
    でもこのブログに殴り込みに来られている活動家さんの言動からは、とてもそのような創価学会の劇的とも言える変化は見受けられませんが、これはどうしたことでしょう。きっとまだ知らないんでしょうね。新聞読んでないのかあ。「創価に唾するやつは、誰であろうと容赦なく攻め抜いて叩き潰せ!それがご本仏の慈悲なのだ」みたいな感じですけど。
    白いブランコさん、ぜひこの白いブランコさんの考えを幹部に死ぬ気で訴えてください。そしてその結果をこのブログで報告してください。
    こう言っては申し訳ないですが、その幹部の態度が創価の本当の姿だと、私は自信をもって言い切れます。白いブランコさんの創価学会に対する思いを、その幹部がいとも簡単に握りつぶすのが目に見えます。ここに来られた方の多くが言ってるではないですか。白いブランコさんとまさに同じようなことを幹部に訴えてきた結果、最後にはキチガイ扱いされたって。白いブランコさんも、本気で幹部に訴えて、キチガイ扱いされれば、創価学会が改善できるようなところかどうかわかると思いますよ。

    まず、聖教新聞に掲載された「教義の変更」ですが、そもそも聖教新聞というのは会員さんを組織に留めておくためのプロパガンダの道具ですから、会員さんが組織に疑いを持たないようにするための内容を書いてあるものです。名前こそ新聞ですが、本来の新聞とはまったく違うものです。いくら売っても税金のかからない宗教法人の会報です。その会報を会員さんに読ませることによって、日蓮正宗から破門された創価が会員を宗門のほうにとられないようにしてきました。大謗法とかエロ坊主などと徹底的に日蓮正宗の悪口を掲載し続けていました。今回の「教義の変更」は、そんな創価学会がいまだに日蓮正宗のご本尊を拝んでいることの矛盾を突かれないための対策でもあると思います。しかしそれにしてはあまりに話の辻褄が合わない。正宗が指摘しているように、創価が自分たちの正当性を述べれば述べるほど、矛盾のスパイラルにはまりこんでしまっているというのが実際のところでしょう。そして学会員さんは、この明らかな矛盾にも目を向けようとはしません。はじめから「創価は正しい」つまり「自分は間違っていない」というのが大前提にあるからです。ちょっといいことがあれば功徳、悪いことがあればますます盲信する。ひたすら功徳を求めて自分の都合のいいようにものごとを捉えるようになります。白いブランコさんが指摘するように、学会員さんは功徳を求めれば求めるだけ創価学会の悪い部分がまったく見えなっているのが現実です。それはなし崩し的にそうなったのでしょうか。いいえ、それはすべて学会中枢部が仕組んできたことです。当然、今回の「教義の変更」もその仕組まれた操作の一環であることはまちがいありません。他にどんな理由がありますか?

    要は、「これから創価学会は日蓮正宗とはまったく関係のない、したがって日蓮正宗の教義とは関係なく、独自の考えによって組織を発展させていきます。創価のご本尊を祈っていくことによって広宣流布が前へと進んでいき、皆さんの絶対的幸福境涯は、この創価の信仰によって約束されているのです。ですからこの信仰を絶対に手放してはいけません。最後の最後までこの信心を貫くことが、人類全体の幸せへとつながっていくのです」みたいなことを言って、学会員の思考をその矛盾から離れさせることが目的ではないでしょうか。

    たとえばただの安い印鑑(壷)を「先祖代々からの悪業を断ち切る印鑑(壷)だ、これを買えば末代まで幸せになれる」と騙して商売をする新興宗教団体がいますよね。その団体を正しい宗教団体に改革するために「この木でできた印鑑を大理石に変えたらいいんじゃないか」「この壷を信楽焼にすればほんとに力が出るんじゃないか」なんて議論してもしょうがないでしょ。だから「このご本尊は日寛上人の書写であって、創価は日寛上人の教義を基本にしているから今でも創価がご本尊として拝むのはおかしくない」なんていうのは、まったくお門違いなんですよ。創価がこのご本尊を拝むことによって幸せになれる、これを広めれば功徳があるというなどというのが、お金をだまし取る金蔓を増やすための道具なんだということに気づいてほしいから、自分たちが体験したことをここで確認しあっている。できればこうした実態を創価で悶々としているたくさんの学会員さんに知ってもらって、自分が騙されてきたことにも気がついて欲しいということです。創価がどのご本尊も本門の本尊だと変更したとか「いままでは邪宗って言ってきたけどそれは日蓮正宗が言ってきたことであって、創価は日蓮正宗とは関係なくなったから、もう他宗の悪口は言いませんよ〜」だなんて、ただの会員を脱会させないようにするための享け狙いの言い訳じゃないですか?

    ここまではっきり言っては申し訳ない気もしますが、この際ですからストレートに言いますとね、何十年も創価学会員として活動してきた人でも、いったん創価が詐欺だと気づけば、創価の改ざんコピーご本尊なんて、さっき言った安い印鑑や壷とまったく同じなんですよ。そりゃそれでも信じるというなら止めやしませんが、それをまた別の人にすすめて買わせないで欲しいと言ってるんです。とくに何も知らない子どもに「この壷は人の運命を変えるほどのものすごい力をもっているんだ」などと教え込まないで欲しいと言ってるんです。暴力団はどこをどう改善しても暴力団でしょって言ってのと同じように、詐欺団体はどこをどう改善しても詐欺団体に変わりはない。そんな詐欺団体でも部分的に改善したらボランティア団体になりますか?ってことです。

    前回もいいましたが、日蓮の思想をいちばん端的に現しているのが「折伏」です。折伏のない日蓮仏法は、もはや日蓮仏法ではありません。創価がなぜ日蓮仏法を採用したか。それは「人にそれまでの思想を捨てさせ、日蓮の教えでなければ人は幸せになれないのだ」という極端な選民思想だからこそ採用したんです。日蓮に「人の信仰にとやかくいうのは間違っています」なんていったら「バカモノー!」と殴り飛ばされたでしょう(笑)。白いブランコさんは、創価がそれほど変わったんだと言っているわけですが、やはりそれはどうしても信じられません。では今回の教義の変更後は、創価学会は折伏をしないのですか?だったら信じましょう。でも「さあ、法戦も終わって、いろんな人とのつながりもできたのだから、これを機会にこれまでにない大折伏戦を戦いきって、先生にお応えしようではありませんか〜〜っ!!(パチパチパチパチ〜大拍手)ってことになりませんかね。私が会長だったらそうしますよ(笑)。折伏をしない創価学会。日蓮正宗へは「ともに日蓮仏法の信徒として広宣流布を目指してがんばりましょう」なんて言うんですかね。

    ではあらためてお訊きします。

    これから折伏をしない創価がどうやって広宣流布を目指すんですか?

    これだけ大きな犠牲を払って、人権侵害をものともせず、自民党の太鼓持ちの公明党を必死で支援し、あらゆる宗教を愚弄して頑張って折伏をしてきた結果、創立80周年でなんとか推定250万人の実質学会員がいるんです。では残りの何億人の人たちをどうやって創価学会の信心につかせるというのでしょう。イスラムや北朝鮮の人に、創価学会の信心をしてみませんか?ってFACEBOOKで呼びかけるんですか?(笑)

    白いブランコさん ↓ ここ読んでみてください。
    http://www.sokanet.jp/info/nenkan_theme.html

    創価学会公式HPの中の 2015年のテーマ「世界広布新時代 躍進の年」として、

    1.「弘教・拡大」へ躍進!

    とあります。その具体的な行動として

    「学会活動の根本である「折伏・弘教」「聖教新聞の拡大」に、全員が勇んで挑戦しよう。」

    とあるのは何でしょうか?

    2015年の活動のトップにあがっているのが 「折伏」 なんですよね。
    それも『学会活動の根本である「折伏・弘教」「聖教新聞の拡大」』だそうですよ。
    学会活動の根本が折伏。
    つまり、なによりもまずは「折伏によって会員を増やし、新聞購読者も増やしていきましょう!と掲げているんですよね。
    これを見ただけでも創価がお金目的だって、普通わかるんですけどね。
    折伏ってご存知ですよね。他人の信仰にとやかく口を出して否定し、創価の会員にしてしまうことですよ。

    >ということは創価は日蓮正宗や日蓮宗よりもそうとう寛容な、これまでにどこにもなかった日蓮仏法に変わったということですね。

    という私の質問に、白いブランコさんは

    >そのように捉えられてよろしいかと思います。

    と答えられました。

    でも創価の公式HPには「弘教・拡大」へ躍進!として「「学会活動の根本である「折伏・弘教」「聖教新聞の拡大」に、全員が勇んで挑戦しよう。」と謳っています。

    これ食い違っていませんか?

    それとも白いブランコさんがだけが考える創価の理想の話をしているんですか?

    私がこのあいだから盛んに

    >確認ですが、これは白いブランコさんの考えですか?創価としての見解ですか?
     もし創価の見解とするならば、創価もずいぶん変わったなと思うのです。

    とお訊きしているのは、こういうことがあるからです。

    さっきも言いましたが、日蓮仏法=折伏といってもいいんではないでしょうか。そこを否定したら浄土真宗と何も変わりはありませんよ。すがる対象が阿弥陀さんか法華経かの違いです。

    白いブランコさんの考える理想の創価が、折伏もしなければ新聞啓蒙もしなければ選挙活動もしない組織になったら、誰も文句は言わないと思いますよ。創価の何が迷惑かって、折伏と新聞啓蒙と選挙活動でしょ。それをやらなくて、自分たちだけで「なんみょ〜」ってやる分には何もいいませんよ〜ってはじめから言ってます。

    さあ、今回はそこをはっきりさせましょう。

    創価は折伏をやめたのか?

    これは幹部に訊けば一発でわかりますね。ぜひ訊いてください。でもHPにはしっかり書いてますから
    「ばかなこと言っちゃいかんよ君、創価が折伏をしなかったら、いったい誰が世界を救うと言うんだ。オレも君も地湧の菩薩として使命をもって生まれてきたんだろ。いまさら何を言い出すんだ。頭おかしくなったんじゃないか?それとも魔にやられたか?」
    きっと言いますね。言わないにしても、あとから家庭訪問うけますよ。そしてまわりの学会員に、近頃の白いブランコさんの様子をこそこそかぎまわるんじゃないですか。そこで一発言ってあげたらいいですよ。
    「宗教信条を選ぶ自由は保障されるべきだし、たとえ創価学会員であっても、その自由は妨げてはならないところです」
    是非ビシ〜ッ!って言ってあげてください?
    そしたらきっとキチガイ扱いですよ(笑)
    「白いブランコくん、君ちょっと疲れてるんだね。選挙戦大変だったもんね。しばらくゆっくり休んだらどうかな。家で落ちついてお題目あげてさ、またやる気が出てきたら活動に参加してよ。待ってるよ、じゃあね」
    といってあとはほったらかし。
    そしてまわりの会員さんには「白いブランコさんは、ちょっと頭がおかしくなったようなので、彼の言うことは聞かないようにしてください」って言って回られますよ。そしたらまわりの学会員さんはみんなニコニコして白いブランコさんの話を聞いて聞かぬふり。いなくなったら影でものすごい悪口大会。「あの人とうとう魔にやられちゃったらしいよ」「どうりでこのごろ言うことが変だったもんな」「そうそう信教の自由とか言って、日蓮正宗も宗教なんだって言ってた。あんな生臭坊主たちに何言ってんだろな。頭おかしいよな」こんな陰口大会が始まります。
    幹部にしてみればこんな異端分子が組織で何を言い出すかわかったもんじゃないって、封印するでしょうね。
    これ作り話じゃないですからね。
    白いブランコさん、そんなことはないと思うんだったら、創価がこれから折伏をすすめていく姿をその目でしっかりと確かめてください。そして自分の考えてきた理想の創価学会の姿にほんとに改善できるのかを、よ〜く考えてみてください。

  13. 白いブランコさん
    私は白いブランコに申し訳なかったなぁと反省してます。すみませんでしたm(_ _)m
    と、いきなり何謝ってんの?ってビックリされるでしょう。説明しますね。
    白いブランコさんが本当に自分の気持ちに正直に誠実に対話に望まれているんだなとあらためて感じたからです。私の質問はかなりきつかったと思います。返答にも困ったのではないでしょうか。それでも白いブランコさんは誤魔化すことなく穏やかに正直に答えてくださいました。白いブランコさんは人並みはずれた人格者なのだと敬服します。私だったらここまで言われたら感情的に反論してしまったかもしれません。白いブランコさんはここでは圧倒的にアウェイなのですから、それでもこうして対話が成り立っているのは、白いブランコさんの生来からの誠実さと強さのなせることなんだと思います。なので私も襟を正して、白いブランコさんの誠実さに答えられるようにしたいとあらためて思う次第です。よろしくお願いします。
    それで、わかっていただきたいのは、私が白いブランコさんへ投げかけている質問は、創価に関するあきらかな矛盾についてだということです。白いブランコさんを責めているのでは決してないということはわかっていただきたいと思います。
    白いブランコさんは私と同じような創価の環境で育ったのだろうなと思います。にもかかわらず、創価に毒されることなく、創価の問題点をきちんと把握し、一般的な宗教のあり方についての良識も見失うことがありません。だからこそこうしてここでの対話ができているのだと思います。
    創価の選挙活動には賛同できない。宗教は本来強制されるものではない。ノルマに追われる創価の活動は改善すべきだ。私も本当にそう思います。それが良識ある人の当たり前の感覚だろうと思います。
    しかし、実際の創価は功徳と罰論という日蓮仏法の教義を都合よく利用して、会員から良識を奪い去り、お金も時間も人生そのものまでも奪い去っています。
    白いブランコさんがここまで創価の実態を客観視できるのにもかかわらず、なぜ創価に留まるのかということも正直に話してくださいました。白いブランコさんが創価スイッチを持ち合わせていないのは、基本的に創価に洗脳されていないからだと思います。ただ子どものころから周りの創価の方たちから受けた恩義に応えようとする白いブランコさんのもつ生来の誠実さゆえのことなんだということがわかって腑に落ちました。
    そこで私が思うのは創価の人たちに感じている恩義と創価の問題点は別にして考えるべきではないかということです。そこをつなげてしまうのは白いブランコさんの人並みはずれた優しさなのだとは思いますが、逆にそこが白いブランコさんが創価を見誤っている最大の要因だと思うのです。
    これまで白いブランコさんがのべられた創価の理想像は、まるで創価ではなくなります。白いブランコさんは実質的に創価を否定しているのですが、その恩義という一点によってかろうじてつなぎとめているように思いました。いちど考えてみてください。

  14. またまた連投になってスミマセン。気にしないでくださいね。

    ここでは極力白いブランコさんの気持ちに立ったうえで創価問題について考えてみますね。

    そこで、白いブランコさんがおっしゃるように、創価のいけないところを末端からの声を上にあげることによって改善しようとしたとしましょう。たとえば上から降りてきたノルマを達成するために、自腹を切って聖教新聞を購入するなど、やはりどう考えてもおかしな話だと思います。また「お金はこっちで出すから、購読したことにして」と定期的に親しい友人にお願いするのも、その友人からも不信を買いますし、そうやってまでして自分のお金をドブにすてるのが正しい信仰の姿だとはとても思えません。実際に全国でこうしたことが常態化してますよね。そもそも聖教新聞は会員向けの会報です。宗教法人の会報だから税金がかからないんですよね。配達も集金も会員さんがタダ同然でしてくれますし、そうやって読みもしない会報を何部も会員さんが頑張って買ってくれるんですから、組織としては笑いが止まりません。それに外部の人が読んでもチンプンカンプンですよ。

    でも学会員さんはこれを外部の人に買われたら功徳があると信じてますよね。っていうか外部の人が読む読まないなんてどうでもいいと思ってます。要はノルマをいかにクリアして功徳をもらうか。これに一生懸命なのが現実の姿です。白いブランコさんも、きっと本来の信仰とは関係のないところで会員さんが苦労したり経済的な負担を強いられていることには疑問を感じているということだと思います。まったくそのとおりだと思います。問題はたしかにそのようなシステムだからということも言えるでしょう。「新聞購読は一人一部。あるいは1世帯に1部までとし、外部に対して購読部数を増やすための無理な勧誘をしてはいけない」といった打ち出しをするように学会本部に提言して、改革を促すといったことも考えられます。

    しかしほんとうの問題はそこではなく、聖教新聞をたくさん購読させると功徳があると信じている学会員さんの頭の中ではないでしょうか?改革すべきはここだと思いますけどね。新聞啓蒙にかんしては一つの例です。ほかの学会活動に関しても同じようなことが言えます。選挙活動もそうです。票をとればとるだけ福運がつく。学会員さんはそう信じてますよ。だから政治のことを聞いてもチンプンカンプンですよね。「とにかく公明党よ!」って言うだけです。公明党が強力に推し進めてきた子宮頸癌ワクチンがどのような結果になっているかなんて知りもしません。集団的自衛権の行使容認についての憲法解釈がどんだけめちゃくちゃなことだったのか、まったく興味ありませんよね。他のスレッドでも書きましたけど、ほとんどの会員さんは「いいじゃないの功徳があれば」っていう頭しかありません。

    財務にしてもそうです。一般家庭が信仰している教団に、毎年100万円とか、ときには1000万円出すなんて異常でしょ。でも会員さんは「功徳があるから。何倍にもなって戻って来るから」と言われて。それを愚直に信じているんです。これを、「創価学会が公明党を支援しているのは広宣流布には政治の面からの改革が必要だという考えのもとに行っています。公明党の候補者を支援するのはあくまで民主主義の政治理念に則ったかたちでのものなので、そこに功徳とか福運などといった宗教的信条を介入させることは、国が定めた政教分離の原則に違反してしまいます。なので創価学会としては、選挙活動と信仰によるご利益(功徳・福運)の関係はまったくないと断言します。よって、政治支援活動をしたからといって宗教的な何かがあるということはありえません」といったことを、いま功徳欲しさの選挙活動で血眼になっている学会員さんにきちんと教えてあげることも大事でしょう。

    また「財務は組織運営のために必要な経費を会員さんにお願いしていただくものであって、財務をすることと信仰によるご利益(功徳・福運)の関係はまったくないと断言します。たくさんお金を出したからと言って功徳や福運が増すというのは、大聖人のお気持ちにも反することです。『蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財つませ給うべし』(崇峻天皇御書)とあるように、蔵の財の多少によって福運が違ってくるという考えを戒めておられます。今後は、功徳や福運とはいっさい関係のない、単なる組織運営上に必要な経費を協力していただけるものとして財務をお願いします」といったことをはっきりと打ち出すべきでしょう。

    これも確かに改革のためのひとつの方法かもしれません。でも問題は、学会員さんが自分の功徳欲しさのために、なんにも考えないで突進していることではないでしょうか?改革すべきは学会員さんのそうした思考停止のまま組織の言いなりになってしまうことだと思うんです。

    だから私は「自分で気がつくしかない」とたびたび言っています。創価の組織運営のシステムを改善しても、学会員さんの「功徳欲しさのために何でもする」という行動原理は変わりません。言い換えれば、この行動原理に従わせることで創価が会と言う組織は成り立っているんです。
    仮に上に言った改革案が成功したとします。つまり新聞を無駄に買わせない、選挙と功徳は関係ない、財務と功徳とは関係ないことをはっきりさせることができたとします。創価学会が組織として運営できますか?というより、創価の中枢部がそのような組織を運営すると思いますか?財務の内訳なんか死んでも公表しませんよ。したら最後ですもん(笑)。創価の中枢部が実際に何をやっているかを一般会員が知ったら、その時点で創価学会はアウトです。内部的にも外部的にもです。だから絶対やらない。「財務の内訳を公表してください」などと言おうものなら「先生を信じられないのかっ!地獄に堕ちるぞっ!きさまそれでも学会員か〜っ!」って恫喝されますよ(笑)

    ではなぜ学会員さんは学会活動はなんでもかんでも功徳があると思っているのでしょう。勝手に勘違いしているのでしょうか?いいえ、組織をあげて「功徳がある!」とさんざん植え付けているからですよね。これが詐欺でなくて何なんでしょう。新聞の購読数を増やせば、増やした人間の福運がつく。選挙で公明票をとれば、とった数だけ福運がつく。財務でたくさんお金を出せば出すほど福運がつく。そして何倍にもなって必ず還って来る。これ単純な偽装株の詐欺ですよね。ありもしない株の話を、ありもしない功徳の話に置き換えただけの犯罪ですよ。これが世界で唯一の絶対的な真理である日蓮仏法をもとにして広宣流布を目指す平和の団体がすることでしょうか?単なる詐欺とは違うんですか?ってことを、何十年も活動をしてやっと気づいた多くの人間のメッセージとして「一度で言いから考えてみてください」と言ってるのです。

    改善すべきは創価のシステムではなく、学会員さんの思考回路だと思います。

  15. signifieさん

    こんばんわ。ここ数日のsignifieさんのコメントで、signifieさんはじめ、常連さんたちの考え方がよくわかりました。ストレートにコメントしていただいて解かりやすかったです。

    結局、信仰心を利用してお金を騙し取っているということと、信仰心を利用して、票を集めているということですね。

    いろいろな側面から、しっかり考えていきたいと思います。

    折伏についてご意見を述べられてますが、今一度、考えをまとめておきます。
    私は創価学会が折伏をしないとは言っておりません。折伏について申したのは、
    <また「聞法下種」とあるように、相手が信授しようがしまいが、仏法の話をすることが折伏になります。
    <「発心下種」にこだわるから問題が起こるのであって、その「発心下種」も、数字のための「発心下種」になっていることがあると思います。
    <そういうところを改善していかなくてはならないと思います。
    ということです。

    まず折伏・弘教が金儲けのためとおっしゃてますが、はたしてそうでしょうか。
    創価学会の入会条件は、
    1.勤行・唱題を実践している
    2.聖教新聞を3ヶ月以上購読している
    3.定例の座談会に2回以上参加している
    となってます。

    折伏・弘教をやられたことがあればお解かりだと思いますが、決して簡単なことではないです。
    もし金儲けが折伏の目的だったら、勤行して数珠・教本を渡して本人の同意も無く入会とかにしたほうが全然簡単だと思います。

    もうひとつ、折伏に対するイメージですが、signifieさんの仰る折伏は、昔ながらの相手の思想信条を全否定して、日蓮原理主義仏法を信じ込ませようとしているのを折伏とイメージしているように思えます。

    創価学会がおこなう折伏は、日蓮正宗と同じころはそういった面がありましたが、いまは「聞法下種」とあるように、仏法対話を基調としています。
    相手を尊重し、こういった考え(仏法)もあるよと、相手が信じようと信じまいと、話をするのも立派な折伏です。
    そして、話を聞いた人が納得したとして、家族の了解を得てやっと入会になります。

    返答に間が開いてしまって、話は飛びますが、
    signifieさんもKickeyさんも、従来の日蓮原理主義的な発想から考えられていると思います。
    >思想を変えようと思ったら、時には戦争も伴い、場合によればテロのように意思表示として実力行使で反発してきます。
     
    そのとおりの事を行ったのが、旧陸軍の参謀、石原 莞爾です。またテロを行ったのは2.26事件の指導者、北 一輝です。二人とも日蓮原理主義的な発想の人です。
    この辺のことについては、本宮ひろしさんの「国が燃える」という漫画に描写されています。
    田中智學の話が出たついでにいうと、国立戒壇を言いだしたのは田中智學で、その系統が顕正会に息づいていると思ってます。

    日蓮原理主義的な発想では、広宣流布にもならないし、仰られるとおり、侵略になってしまいます。
    創価学会としては、というか池田先生は明確に否定しております。

    signifieさんは随所で、私の考えを幹部に言ってみてくださいと仰ってますが、そのようなやり方で改善できるとは思っておりません。
    また、幹部に改善を期待するよう様なことはありません。
    yさんがコメントしてくださったようにブログを立ち上げるとかは未定ですが、一つだけ確実なのは、「対話」を通して改善に取り組みたいと思っております。

    2015年3月27日 16:50 のsignifieさんのコメントを読んで、対話の重要性をあらためて認識したのと、signifieさんのお気持ちをしっかりと受け止めたいと思います。

  16. signifieさん

    >学会員さんが自分の功徳欲しさのために、なんにも考えないで突進していることではないでしょうか?改革すべきは学会員さんのそうした思考停止のまま組織の言いなりになってしまうことだと思うんです。

    >改善すべきは創価のシステムではなく、学会員さんの思考回路だと思います。

    たしかに仰せのとおり、創価学会員自身の問題もありますね。
    最近、バリ活の人に「なんでそんなに一生懸命やっているのですか?」とそれとなく聞いてみたのですが、
    「先生のために」とか「活動が生きがいになっている」「活動が趣味だ」等々ありました。
    その人の生き方なので、否定はしませんが、組織の創価学会員もすべてそのような活動家にしようとしているところに問題があります。
    そもそも宗教は人生をよりよく生きるための手段であって、それが目的ではないはずです。
    御書根本と言っているのであれば「南無妙法蓮華経」の題目を御本尊に向かって唱えることと、
    「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」なので、力があれば仏法対話していきましょうと、
    基本的にはその自行化他だけでいいはずなのに、余計な活動が多すぎる気がします。

    >ではなぜ学会員さんは学会活動はなんでもかんでも功徳があると思っているのでしょう。勝手に勘違いしているのでしょうか?
    >いいえ、組織をあげて「功徳がある!」とさんざん植え付けているからですよね。
    ここが考えどころですが、いったい、誰が言いだしているのでしょうか。
    学会の組織は原則として分県 ─区・ 圏 ─ 本部 ─ 支部 ─ 地区 ─ ブロックとなっていています。
    おそらく学会本部からの打ち出しが分県に降りてきて、そこから順に地区・ブロックまで流れてくるのですが、
    数字目標を達成させるために、随所髄所の幹部が「功徳がある!」といっているのかは不明です。

    実例として思い当たるのが、「先生に喜んでいただくために」ということで、新聞啓蒙の部数目標を大幅にあげたり、
    財務の金額目標を設定したりした過去があったということを聞いたことがあります。(3ケタを何人とか)

    そういった名残が続いているのか、何故か金額が多い方が福運を積めると考える会員が多いのも現実だと思います。
    私のパートナーもそのような考えでしたが、「あなたは福運をお金で買うのですか?だったらこの家も財産もすべて売ってすべて財務にしましょう」と問いかけたところ、少しは考え方が変わりましたが。

  17. >結局、信仰心を利用してお金を騙し取っているということと、信仰心を利用して、票を集めているということですね。

    はい、私も含めてここのみなさんのほとんどが、最初からそのことだけを言ってきているつもりです。

    白いブランコさん、「折伏も新聞啓蒙も財務もお金儲けのための手段だ」という私の指摘に対して、創価が掲げている大義名分を持って来られても困るんです。つまりその大義名分がインチキだと言っているのに「だって創価はこう言っているじゃないですか」って持って来られても困るんですよ(笑)。

    創価の入会条件があのようになっているのは、変な人が簡単に入って来ると創価としてのリスクが大きすぎるので、最低限の条件を儲けいているだけですよ。Tカードの申込みとは違いますからね。それでも宅間守や林真須美のような犯罪史に残る凶悪犯が学会員になれるのですから。
    私は結婚を機に妻が入信しました。入信にあたっての注意事項を婦人部の方が説明してくれました。そのとき「創価学会では会員同士や、片方が会員であっても不倫したら除名になります。不倫だけはしないようにしてください」って真顔で結婚したばかりの私の妻に私の目の前で言うんです。おそらくそのころ創価の大幹部があちこちで不倫騒動が続いてたいへんなスキャンダルとして騒がれた時期だったこともあって、そんな言い方をしたんでしょうけど、とにかくリスクのある人は入れないようにとの通達があったのだと思います。私も妻もあきれかえってました。新婚夫婦に向かっていう言葉じゃないですよね。

    >創価学会がおこなう折伏は、日蓮正宗と同じころはそういった面がありましたが、いまは「聞法下種」とあるように、仏法対話を基調としています。

    白いブランコさん、破門前の創価が何をやってても、謝罪一つせずになかったことにできるんでしょうか?今回の教義の変更でご本尊の定義が変わったんですよ。変えるのは勝手ですが、じゃあ今までのことは間違いだったということなら、はっきり言わなければいけないんじゃないかと言ってるんです。でもご本尊が間違っていたので功徳もなにも嘘っぱちでしたってことを認めるしかないですよね。創価はそんなこともせずに「今回こんなふうに変わりました。大御本尊はじつは大石寺のだけではなくて、どれもこれもみんな本門の本尊でした。でも大石寺のご本尊を拝んでも功徳はありません。破門前ならあったんですがね、テヘペロ」ってわけですか?

    >相手を尊重し、こういった考え(仏法)もあるよと、相手が信じようと信じまいと、話をするのも立派な折伏です。

    意地悪な言い方かもしれませんが、それでは街角にいる占いのオバさんに手相を見てもらって「これからしばらくあなたの運気は下がり気味です。転職とか新しい事業に手を出すのは控えておいたほうがいいですよ。信じる信じないは勝手ですが」っていうのも折伏なんですか?ユタ州から来たモルモン教の外人の信者さんが、家に来て「これ神様について書いてありま〜す。パンフレット読んでくださ〜い」て配るのも折伏なんですか?じゃあ、新興宗教のみなさんはほとんど折伏やってるみたいなものでしょう。一般の布教活動と創価も含めた日蓮系の折伏は違います。折伏とは文字通り「折り伏せる」です。相手の信条をポッキリ追って、その場にねじ伏せるのが折伏です。今はそんなことしないと言いますが、今しなかったらこれまで創価がしてきたことは「なかったこと」になるんですか?相手の信仰心も価値観も叩きのめして、日蓮仏法だけが正しいんだと信じ込ませることを折伏というんです。そして実際に創価はそれをやってきたんです。日蓮が言い出した時から折伏は折伏なんです。原理主義も穏健派もなにもなく、それが折伏です。そして今現在、破門後の創価はそんな折伏をほんとうにしなくなったのかどうかをお尋ねしているんです。学会員さんの信仰心の中に折伏こそが自分の功徳になると考えて相手のことを考えもせずにズケズケとプライベートに入り込んで来る。これって折伏じゃないんですか?「私はね、あなたの幸せを思えばこそ、こうして一生懸命すすめてるの」違います。自分の功徳ポイントがほしいばっかりに、他人の迷惑を考えきれないだけなんです。そんな人間を大量生産してきたのが創価学会なんです。そしてそれをすっかり真に受けて頑張って頑張って活動を続けた結果が、さきほど別スレッドにコメントされた「打ちのめされた人ですさん」のご両親ですよ。この事実を白いブランコさんはどのように受けとめますか。これが詐欺でなくて何なんですか?今はもうしてないから関係ないですって「打ちのめされた人ですさん」に面と向かって言えますか?ご両親がすべてを捧げた結果を目に前にして「今はちがうんですよ」って言えるんですか?このような人が1人や2人じゃないんです。白いブランコさんの考えている創価の改善とはこのような実態を上に箴言するのではなくて、自分たちでできることからやっていこうっていうことのようですが、自分の地区だけこっそり新聞啓蒙数を減らしていこうとか、F活動はほどほどにしとこうとかで、創価学会の改善ができると思いますか?打ちのめされた人ですさんに「いろいろ辛いこともあったこもしれませんが、うちの地区ではF活動はそんなにしないようにしました。新聞も無理にすすめないようにしてます。だから創価は生まれ変わるんです。ご両親もきっと喜んでいることでしょう」って言えるんですか?
    申し訳ないですけど、この件に関してはなんだかお花畑にいる人と話をしているみたいです。

  18. >>ではなぜ学会員さんは学会活動はなんでもかんでも功徳があると思っているのでしょう。勝手に勘違いしているのでしょうか?
    >>いいえ、組織をあげて「功徳がある!」とさんざん植え付けているからですよね。
    >ここが考えどころですが、いったい、誰が言いだしているのでしょうか。

    へ?どこの誰が言ったか知らないことを全国の創価学会員さんが信じてやっているんですか?
    創価の活動が上からの一方的な打ち出しであることは白いブランコさんは知らないんですか?
    新聞啓蒙も選挙活動も財務も功徳とは関係ないと中枢部が言ってますか?もし言ってるにもかかわらず、全国の活動家が「新聞啓蒙も財務も選挙活動も功徳があるのよ」って言ってるとしたら、たいへんな問題だとして中枢部がしっかりと釘をさしますよね。創価は風評で人を動かしてるんですか?そんなでたらめな組織があるわけないじゃないですか。

    白いブランコさん、私せっかく白いブランコさんは偉いなあ、見習わなくてはと本気で思った矢先に、こんなすっとぼけたコメントをされてはがっかりです(笑)。

    創価の功徳はなんとなく会員のだれかが言い出したヨタ話っだということになっていて「組織としてはそんなことを言った覚えはない」ということなんですね。よかったらそれだけでも組織の上の人に確かめてもらえませんか?
    そして選挙活動と功徳は無関係ということが創価の公式見解であるとすれば、誤解している全国の学会員さんに一日もはやく伝えなくてはいけないと思います。もうすでに選挙戦まっただなかですからね。「創価の選挙活動をいくらやっても功徳があるわけがない」って当然のことなんですが、どうやら多くの学会員さんは完全に功徳があると思って頑張ってらっしゃるようですから。
    ちなみに↓

    公明党としては創価学会の支援活動と功徳の関係に関してはコメントする立場にないと言っていますが、これは当然としても、創価学会員が功徳を積むために政治支援活動をしていることが前提となっての話ですよね。これも誰がいいだしたかわからないヨタ話なんでしょうか?

    それとよけいなことかもしれませんが

    >学会の組織は原則として分県 ─区・ 圏 ─ 本部 ─ 支部 ─ 地区 ─ ブロックとなっていています。

    とわざわざ創価の組織について解説してもらわなくても、ここにいらっしゃる方はけっこうな元幹部のかたが多いです。さきほどの「打ちのめされた人ですさん」も男子部の本部長だそうですし、元支部婦人部長さんの常連さんが多いようですし、先日からコメントされている庫裡山さんはたしか元県学生部長さんですよ。
    それで県単位の大きな会合でも「選挙活動でこんなに功徳をいただきました!」って体験発表していて、みんなが大拍手をしているのはなぜですか?選挙戦での会合ではみんな選挙戦での功徳の話ばっかりではないのですか?
    それともFをとると功徳があるというのは全国の県幹部がなぜかいっせいに言い出したヨタ話なんでしょうか?

  19. signifieさん

    学会の組織について書いたのは、どこが「功徳がある!」という発言の出元かを確認したくて書きました。
    モニカさんが私のわかりずらい話の意図を汲んで、端的に書いていただきました。毎回ありがたく思います。

    >創価は詐欺に当たらないようなことだけを公式に発表して、掲載します。
    >それ以外のトンデモ教は大・小会合で幹部に口頭で喋らせます。
    >大確信をこめて。
    >しかしそれらは公式には載ってないので、追及されても個人のヨタ話とされます。
    >どの段階で誰が言ったの?と煙に巻く手法です。

    聖教新聞を読んでいて、昨今の記事は大体、選挙の大変なところに幹部が行って激励したという内容ですが、
    直接支援した話は出てきません。
    また、この時期、組織から降りてくる資料も略字(TK=地区、SB=支部etc)が多く、なんかコソコソやっている感が否めません。

    創価学会が、創価学会員の信仰心を利用して選挙活動を行うことに問題がなければ、堂々とやるべきではないかと思います。
    なにか問題があるから、堂々とできないのであれば、やめるか、違う方法にするかしたほうがいいと思います。

    私の疑問は率直な疑問なのです。いままで特に問題とも感じていなかった部分ですが、改めて考え始めたとき、なにか変だなと思ったことを話し始めております。signifieさんはじめ常連の皆様にとっては当たり前と思っていることが、こちらとしてはわからない状態なのです。
    そのように認識していただければあまり不快感を持たれなくて済むかと思います。

  20. 白いブランコさん、おはようございます。

    >いままで特に問題とも感じていなかった部分ですが、改めて考え始めたとき、なにか変だなと思ったことを話し始めております。

    これは白いブランコさんにとって大きな変化ですよね。白いブランコさんにとっては創価の選挙活動は以前から問題視されててきたようですのでわかりやすかったのだろうと思います。

    今まさに、沖縄普天間基地移設工事が、沖縄県民の意思を無視した形で強行されています。沖縄県知事が沖縄防衛局に出した辺野古沖の作業一時停止指示を無視しての暴挙です。これも、国民の圧倒的な反対意見を無視した集団的自衛権の行使容認や原発再稼働を強行している自公政権がやっていることです。公明党が自民と組まなければ、ここまでのやりたい放題はできなかったはずなんですが、いま、日本はこのようにアメリカの言いなりでしか動いていません。すでに世界で類を見ない平和憲法である9条がなし崩し的に空洞化させられています。公明党は世界平和を目指す創価学会の政治分野を広宣流布のためにつくられたのではなかったでしょうか。それが今やアメリカに尻尾をふるだけのポチに成り下がっています。民衆の平和と幸せを守るために権力に対して敢然と立ち向かうのが学会精神だったのではないでしょうか。いつから民衆の敵になったのでしょう?
    私から言わせれば、いつからといった問題ではありません。世界平和も民衆の幸福も、はじめからどうでもよかったんです。広宣流布は会員を操るためのただのお飾りなんですよ。そう考えればすべての辻褄があうでしょ。

    白いブランコさんには、いま現在創価が行っている政治活動と創価が掲げてきたビジョンといかに乖離しているかを、ちょっとでも客観的な目で見ることができれば、そこから創価の本当の姿が少しずつ見えてくるのではないかと思います。

    どうかその問題から逃げ出さずに、真っ正面から考えてみてください。白いブランコさんの優れた思考力と洞察力、そして強い意志と良識をもってすれば、必ず創価のこのデタラメな実態に気がつくはずです。冷静に、客観的に、そして普通の感覚を取り戻してください。私たちから見れば、白いブランコさんは元来は非常に優れた人格がありながら、現実をまっすぐに見ることができない状態にさせられているとしか思えないんです。よろしくお願いします。

  21. signifieさん

    私が創価学会にいて、改善を行ないたいとしている理由は、平和主義とか、人間のための宗教とか、一人ひとりが幸せになって、みんなが幸せになっていくという考え方に共感しているのと、大聖人の仏法を信じているためです。
    そして、もうひとつは、子供たち(未来部員)のためです。 
    創価学会のイメージの悪い部分は、折伏や選挙支援の際の、不躾な振舞が原因だと思ってます。教義の内容云々より、土足でプライベートな部分に踏み込んでいった振舞の悪さがそのまま悪いイメージになっています。
    ようするに自分勝手なんですね。実践していた教義もたしかに「折って伏せる」折伏なので、そうなってしまったのでしょうし、また、戦後のいまでは考えられない状況のなか、みんな必死でやっていたので、平和ボケしている現在とは比べられないとも思います。

    このような過去も知らない世代が、親の良き振る舞いを見たり、入会した親の、良い方向に変わった姿を見て、自ら入会を希望しているのも事実です。
    そんな子供たちに、いわれなき中傷を受けさせない為にも、現役世代の私(達)は創価学会を良くしていかなくてはならないと思っているのです。

    signifieさんや常連の皆さんも、創価学会の悪い所やおかしい所に気づいて、治療不可と見限ったり、もともと詐欺だったと認識されたり様々でしょうが、私としては、創価学会の宗教的に良い部分は時代に合わせて変えてもいいと思っていますし、
    悪い部分は徹底的に排除していかなければならないと思います。
    今現在、先生も表舞台には立たなくなりましたし、教義の変更とか執行部も今後の体制作りに苦慮していると思います。多くの創価学会員は素直で純真な人達です。ただ、純真ゆえに、行動が行き過ぎる場合も多々あるので、その辺を自制できるような
    指導や指導者が必要だと思います。
    ちょうど選挙をあちこちでやってますが、これだけ選挙が過熱しているのはなぜか。おそらく執行部や幹部連中また創価学会員さん自身が、先生に喜んでもらいたいとの一心でやっているように思います。
    ほかに考え方があればストレートに教えていいただきたいところです。

  22. 白いブランコさん、こんばんは。

    ネットの世界はお互いにどこの誰だかわからないもの同士の会話なので、どこまでが本気で言っているのか確かめようがないという最大のリスクがあります。このブログを立ち上げるにあたって、そのリスクと言いますか、つまりは「信頼性」というものをどこまで担保できるのかということが大きなポイントだと考えました。もとよりネットの世界とは遠かった私ですから、ネット上での対話がどこまで意味があるのかさえ疑っていました。しかしこのブログを立ち上げてみてわかったのは、きちんと話をすれば、きちんと答えてくれる人がたくさんいるということです。それから、創価の信仰をしていた人たちが、その信仰の内容に疑問を持ち、本当にこれでいいのか、これが本当に正しい信仰のあり方なのかと言う問いかけができるようなった途端、創価は宗教なんかじゃない、会員を騙してお金を巻き上げるだけの巨大な詐欺団体だったということに気がついたという人が、こんなにたくさんいるのだという事実は、誰にも否定はできないことだと思うのです。逆に、いったん疑問を持ったけれども、よくよく考えてみたら、やっぱり創価は正しい宗教団体だった、この信心に間違いはなかったと、あらためて創価に戻る人がどれだけいるでしょう。私はそんな話は聞いたことがありません。いったん気づけば二度と戻るような人はほとんどといっていいほどいないという事実。この事実にもきちんと目を向けていただければと思います。

    >私が創価学会にいて、改善を行ないたいとしている理由は、平和主義とか、人間のための宗教とか、一人ひとりが幸せになって、みんなが幸せになっていくという考え方に共感しているのと、大聖人の仏法を信じているためです。そして、もうひとつは、子供たち(未来部員)のためです。 

    いったん創価の現実に気がつけば、二度と創価の正当性を裏付けられるような事実を見つけられない。覚醒できた人の気持ちはそうだと思います。白いブランコさんと覚醒した人の最大の違いとは「もしかしたら創価は間違っているのかもしれない」という視点を持つことができるかできないかだと思います。だからこそ、創価を運営している中枢幹部は、学会員さんにこの視点をどうやって持たせないようにするかということを講じているのだと考えると、彼らがやっていることの辻褄が見事に合ってきます。これまで創価がやっていることと、日蓮仏法や日蓮正宗の考え方との矛盾をたくさんあげてきましたが、これらの事実ををどんなにあげて指摘したとしても、「もしかしたら創価は間違っているのかもしれない」という視点を持つことができない限りは、白いブランコさんと私の話はどこまでいっても平行線だと思うのです。私はなにも白いブランコさんに「大聖人の仏法を信じているためです」というのをやめろと言っているのではありません。これだけ創価が問題視されているのであれば、いったん「もしかしたら創価は間違っているのかもしれない」という視点をもつことは、逆に「やっぱり創価は間違っていないんだ」というゆるぎない確信を持つことのひとつの方法であると思うのです。

    >ちょうど選挙をあちこちでやってますが、これだけ選挙が過熱しているのはなぜか。おそらく執行部や幹部連中また創価学会員さん自身が、先生に喜んでもらいたいとの一心でやっているように思います。ほかに考え方があればストレートに教えていいただきたいところです。

    ではストレートに言いますと「選挙で公明票をとればとるだけ功徳があると信じ込まされているから」と前回いろいろ例をあげて説明させていただいたつもりですが、白いブランコさんは「学会員さんが選挙活動をするのは、自分が功徳をほしいからではなく、先生に喜んでもらいたいとの一心」からなんだということですね。

    では、たとえば「先生に喜んでもらいたいとの一心」で公明党に投票をお願いするという行為は、民主主義の国の選挙において許されるんでしょうか?白いブランコさんはそうした学会員さんの言動に問題はないと思いますか?公明党が何をしているのかを知らないまま、それ以前に知ろうともせずに、ただただ「先生に喜んでもらいたいとの一心」で投票し、他人にも投票をお願いして回る。これ基本的にアウトでしょう。白いブランコさんとしてはそれはOKなんですか?

    また、たとえば普段はあまりつきあいのない友人が白いブランコさんを訪ねて来て「幸福実現党がどのような政策なのはよく知りませんが、私が幸福実現党に投票をお願いしているのは、とにかく大川隆法総裁のためにという一心で言っているのです。幸福の科学はすばらしい宗教団体で世界を救おうと頑張っています。だから幸福の科学の教えを世界に広めるためにも幸福実現党に投票してください」とお願いされたら、その友人にどのような話をしますか?「いやいや世界を救おうとしているの池田先生です。ですから池田先生がおつくりになった公明党に投票するべきです。それはなにより池田先生のためです。池田先生のために公明党に投票して下さい」と言って話が通るでしょうか?

    このような質問を白いブランコさんにしたとしても、白いブランコさんが「もしかしたら創価は間違っているのかもしれない」という視点を持たない限りは答えにならない答えしか返せないのだと思います。おそらく白いブランコさんは「そもそも創価と幸福の科学を同様に考えるなんて間違っている」と思われるでしょう。しかし間違いである根拠を示せるものは何もありません。世間一般からみればなんら変わりはありませんし、どちらも仏法を基調とした宗教団体です。私の質問に対して「先生はこのように仰っています」「大聖人は御書でこのように仰っています」「法華経にはこのように書かれています」といった答えは私にとっては何の意味もありません。先生の指導も日蓮の手紙も法華経の経文も、すべては創価学会員が創価を正しいと思わせるツールとして使っているにしか過ぎないということに気づいたからです。ちょうど「大川総裁はこのように仰られています」と日曜の朝のFMラジオで言ってますが、そんなものとひとつも変わりません。それは創価は絶対に正しいとしか思えない人の答えでしかありません。ですから白いブランコさんと私の対話も平行線のままなのだと思います。なぜ日蓮の言うことが正しいと言えるのですか?という問いに対して「日蓮が正しいと言っているからです」と返事をされても困るでしょ。「池田先生はこのように指導されています」と言われて「その池田先生の言うことをなぜ信じられるのですか?」と訊いて「それは池田先生が仰ることだからです」と言われて納得する人がいるでしょうか?

    私が創価の組織と幸福の科学が似たようなものだという指摘に対しては、おそらく白いブランコさんは聞く耳を持たないでしょう。それは何の客観的な根拠もなく「創価と幸福の科学は違う」という思考回路が作られてしまっているからです。創価は正しくて幸福の科学は間違い。それが基本的な正しい情報としてインプットされているから、幸福の科学に限らず、創価の思想は世界のどんな宗教よりも優れているんだと信じているでしょう。では聞きますが、創価が世界のどんな宗教よりも優れているということが、世界の人々がその宗教を信じれば幸せになれるという理由になると思いますか?もしなるというのではれば、それは何を根拠に信じているのですか?
    世界のすべての民族が、世界中の宗教、つまり伝統的な文化も慣習も捨て去って(人類が築き上げて来た芸術文化のほとんどを「間違いだった」として捨て去り)、毎日本門の本尊と日蓮が言ったというだけのコピー曼荼羅に向かって南無妙法蓮華経と唱えることが、人類の理想的な姿だと本気で信じている自分に少しも疑問を持たないのでしょうか?そこに「もしかしたら創価は間違っているのかもしれない」という疑問は微塵もないのでしょうか?

    世界中の人が信じなければいけないというような宗教を信じている人が、はたして今の選挙活動のようなことをやっていていいのでしょうか?言い換えると、今の選挙活動のようなことしかできないような集団が、世界中の人の信仰を統一していいものでしょうか?

    白いブランコさん。何度も言っていますが、創価が表向きこのようなことを言っていますとか、池田先生はこのように指導されていますなどといったことは、ここにいらっしゃる人はいやというほど知っていますので、今さらそのようなことを言われても、まったく何の意味もありません。そのようなことは、会員を騙すためのただの手口だったことがわかった人たちなんです。ですから、創価の正当性を示すのであれば、創価の表向きの大義名分を述べれば述べるほど、白いブランコさんの言葉から説得力がなくなってしまいます。どうかそのことはよく考えてお話ししてください。私たちは創価のことを何も知らない部外者ではありません。ついこの前まで白いブランコさんと同じ考えだった者たちばかりなんです。そこで白いブランコさんと私たちの何が違うのかということをよく考えていただいて、私の質問に答えていただけると、この対話の平行線がもしかしたらどちらかに傾くのかもしれません。よろしくお願いします。

  23. 白いブランコさん。
    さきの白いブランコさんからのお返事に対しての具体的な感想を述べてみます。
    まずその前に、白いブランコさんは創価に疑問を感じる部分を持っていながらも、基本的に日蓮仏法を信じ、創価学会は正しい宗教団体なのだという考えですよね。その疑問の部分には私も共感できるのですが、創価が正しいとする発言の内容は、きわめて創価が表向きに言ってきたことをなぞっているだけで、まったく説得力を持っていません。このギャップは何だろうなということを考えながら、白いブランコさんの言葉を追ってみました。

    >平和主義とか、人間のための宗教とか、一人ひとりが幸せになって、みんなが幸せになっていくという考え方に共感している

    創価の平和主義とは何でしょう?創価が世界の紛争を止めたことがありますか?キリスト教もイスラム教もヒンズー教も創価以外の仏教もみな平和主義ではないでしょうか。平和主義と謳いながら殺人を正当化しているのはごく一部の極端なカルト教団か原理主義の過激な政治集団だけです。また、人間のための宗教って、具体的にどういうことでしょうか?この世界に人間のための宗教ではない宗教がどれだけあるのでしょう。「一人ひとりが幸せになって、みんなが幸せになっていく」ということのどこが宗教なんでしょうか?宗教というより民主国家の政治理念ではないでしょうか。白いブランコさんが共感しているというこのような創価の「主義」とは、世界のまともな宗教が当然のこととして示していることです。とくに創価に特化したことではありません。こんな口当たりのいいだけの大義名分を掲げていることで、創価を正しい宗教であると理由にはまったくならないと思います。

    >大聖人の仏法を信じているためです。

    誰が何を信じようと、他人に迷惑をかけないのであれば特に否定はしませんが、「大聖人の仏法」とは他の宗教を認めないということが最大の特徴です。しかし白いブランコさんは「創価学会の宗教的に良い部分は時代に合わせて変えてもいい」との考えなので、この時点ですでに日蓮仏法を否定しているんです。すなわち白いブランコさんは日蓮仏法を信じていることにはならないのではないでしょうか?

    >もうひとつは、子供たち(未来部員)のためです。

    ものごとの判断がつかないうちに創価の思想が正しいのだと教え込むことが子どもたちのためになるという考えなのでしょうか?私はそうは思いませんし、これは日本の憲法で全国民に等しく保障されている思想信条の自由を根こそぎ奪いとる重大な基本的人権の侵害だと思います。

    >このような過去も知らない世代が、親の良き振る舞いを見たり、入会した親の、良い方向に変わった姿を見て、自ら入会を希望しているのも事実です。そんな子供たちに、いわれなき中傷を受けさせない為にも、現役世代の私(達)は創価学会を良くしていかなくてはならないと思っているのです。

    創価の信仰に傾倒するあまり崩壊した家庭がたくさんあるのも事実ですよね。このブログに寄せられる多くの体験談を読んだだけでも、むしろそっちのほうが圧倒的に多いように思われます。だからこそ創価は衰退しているのではないでしょうか。これらのどこが「いわれなき中傷」なのですか?創価はいわれなき中傷をうけるような不当な扱いを受けているという根拠がどこにあるというのでしょう。逆に他宗をいわれなき中傷によって批判してきたのが創価学会ではないでしょうか。

    >私としては、創価学会の宗教的に良い部分は時代に合わせて変えてもいいと思っていますし、

    何度も言いますが、「良い部分は時代に合わせて変えてもいい」というのは日蓮仏法の考え方にはありません。そのような考え方が創価の考えだとするならば、創価はこれまでの教義を全否定しているということになります。これは「部分的に改善」することとは意味が違います。まったく違う教義の宗教団体になるということを意味しています。創価は日蓮仏法ではないと宣言したことになります。

    >悪い部分は徹底的に排除していかなければならないと思います。

    これのどこが平和主義なのですか?

    白いブランコさんはとんでもないことを、さも当たり前のようにサラリと仰ったことに気がついてませんよね。白いブランコさんは、日蓮仏法にも創価の信仰にも悪い部分があるのだから、そこは「徹底的に排除しなければならないという考え」ですね。しかし白いブランコさんの「徹底的に排除するという考え」こそが日蓮仏法の特色であり、同時にそれはファシズムではないでしょうか。白いブランコさんの考える「悪い部分」は、もしかしたら別の人にとっては「よい考え」かもしれません。それこそ時代によって変わっていきます。思慮深く賢いと言われてきたドイツ国民が、ヒトラーの演説に心酔し、自国の独裁と他国侵略とユダヤ人抹殺を熱狂的に支持するようになった歴史は白いブランコさんもよくご存知ですよね。第二次大戦中の多くのドイツ国民にとって侵略と殺戮が「良いこと」になってしまったのです。自分の考えが正しいと主張し、互いを否定して排除しようとすることが正当化されたときに暴力が生まれ、戦争が起るのではないでしょうか。白いブランコさんの「悪い部分は徹底的に排除していかなければならないと思います」という考えは他者を認めない、つまり相手の存在を否定し、自分の価値判断を優先することを認めているということではないでしょうか。

    もう一度言います。これはとくに重要なポイントだと思います。ほかのことは置いておくことにしても、これに関してはしっかりと議論していきましょう。白いブランコさんは「良い部分は時代に合わせて変えてもいいが、悪い部分は徹底的に排除しなくてはならない」と言っています。ではその良い部分と判断するのは誰が何をもって判断するのでしょう。これは良い部分だから残す。これは悪い部分だから排除。いったいこの判断をだれがすればいいというのですか?

    日蓮仏法が正しいとしているのは日蓮系の宗派だけです。世界の宗教人口からすればほとんど無いに等しいものです。そんなごく一部の宗派の価値判断によって「徹底的に排除されるべき悪い部分」が何かを決めてよいのでしょうか。たとえば宗教対立によって何百年にもわたって戦闘を繰り返しているパレスチナとイスラエルは誰が善し悪しを決めるのでしょう。誰かがイスラエルは悪いから徹底して排除するべきだという考えを通したからあのような悲劇が繰り返されているのではないでしょうか。同様に悪いのはパレスチナなんだから徹底的に排除すべきだという誰かの考えが通ったから、罪もない子どもたちまで戦闘にまきこまれているのが現実ではないでしょうか。もちろんそこには経済的な利害だけで作為的に両国を動かしている権力があるにしても、そうした「他者を認めずに排除する」という思想が利用されているわけです。

    このように自分の理論の正当性を主張し、他者を排除することを正当化する。これが日蓮仏法の本質です。同時にこのような一神教的選民思想が根底となれば、かならず暴力が正当化されます。白いブランコさんの「悪い部分は徹底的に排除していかなければならないと思います」という考え方は、まさにこの日蓮仏法の考えそのものだと言えます。そして同時に白いブランコさんの「良い部分は時代に合わせて変えてもいい」という考え方は日蓮仏法には存在しません。もうここで白いブランコさんの考えは矛盾しているんです。

    では創価はもはや日蓮仏法ではないというのでしょうか?少なくとも創価学会の公式HPにいちばん最初には「創価学会は、大乗仏教の真髄である日蓮大聖人(1222~1282)の仏法を信奉する団体です」とあります。つまり白いブランコさんの言う「悪い部分は徹底的に排除していかなければならないと思います」という中の「悪い部分」というのは、この日蓮仏法に照らしての悪い部分ということを意味しているんですよね。白いブランコさん自身が「大聖人の仏法を信じているためです」と言われていますからね。つまり日蓮仏法にとっての悪い部分は徹底的に排除しなければならないという考え方を世界で唯一正しい信仰として世界に広めていくというのが創価学会の基本理念であり白いブランコさんの考えでもあるというわけですよね。はっきり言いますと、私はこれはとんでもない危険思想だと思います。だから白いブランコさんが「悪い部分は徹底的に排除していかなければならないと思います」と平然と書いているのを見てほんとうに驚きました。『ああ、この人の「改善」とは、自分にとっての「悪い部分」は「徹底的に排除しなければならない」という考え方なんだな』と思いました。これ怖くないですか?ヒトラーが唱えた「ドイツ国民にとってのユダヤ人抹殺の根拠」と一緒ですよ。こうした創価の信仰のどこが寛容なんでしょう?もし「日蓮仏法はそうかもしれないが、創価は他宗の存在を認めている寛容な教義に変わったのだ」というのであれば、「創価学会は、大乗仏教の真髄である日蓮大聖人(1222~1282)の仏法を信奉する団体です」とは言えないはずです。矛盾してますよね。

    ではたとえばこのような「悪い部分は徹底的に排除していかなければならない」という考え方が日本中、世界中に広まったらどうなると思いますか?レイ・ブラッドベリの小説『華氏451度』そのままの世界です。完全に思想信条の自由が奪われ単一の価値観で生きることを強制され、そこからはみ出したものは徹底的に排除される世界。といいますか、創価学会は創立以来、広宣流布という謳い文句をもとに、自分たちの信仰を唯一正しいものだといいながら他宗を否定し排除し続けてきたんです。これらの独善的な行為をする団体を批判することが、はたして白いブランコさんが言うような「いわれなき中傷」なのでしょうか。私にはとても理解できません。

    こういうと「自分が言っている『徹底的に排除されるべき悪い部分』とは創価の内部的な活動内容のことについて言っているだけであって、なにも世界の宗教を指して言っているわけではない。創価の活動の中の時代にそぐわない部分が「悪いこと」であり、そこを改善していけばいいという考えだ」と言うかもしれません。しかしよく考えてみてください。簡単に言うと日蓮仏法を信じるということは他者を認めないということであり、他者を認めるということはもはや日蓮仏法ではないということです。白いブランコさんは正反対のことを同時に言ってるんですよ。「他者を認めない部分を改善する」ということは、当然「他者を認める」ということですよね。他者を認めるということは五重の相対を否定することであり、つまり日蓮仏法の正当性の根拠までも否定するということです。白いブランコさんは日蓮仏法を信じていると言っていると同時に、日蓮仏法を否定しているんです。だから私は矛盾していると言っているのです。

    日蓮はその生涯の中で数々の法難と言われるものに遭いました。法難と言えば聞こえはいいですが、つまり何かにつけて暴力沙汰を引き起こしてきた張本人だったわけです。それは常に自分の正当性を主張し、他者を全否定していく日蓮の基本的な言動に根ざしたものだと考えられます。ですから日蓮が正しいという立場に立てば、日蓮の遭った法難は正法を広める行為であるがための魔の仕業だと捉えられるでしょうが、幕府からすれば幕府の安寧を乱す不届きものを抑える治安行為だったわけです。これだけでも「良い部分」と「悪い部分」が立場によって真逆になるということはおわかりですよね。なぜ日蓮がここまで法難なるものに遭ったのか。それは魔の仕業ではなく、自分の思想に基づいて自分以外のすべての思想を否定したからに過ぎません。

    何が良くて何が悪いのか。そしてその善し悪しを何によって誰が決めるのか。さらに悪いと決めたことを徹底的に排除していいと言う考え方がなぜ正しいと言えるのでしょう。日本は法治国家ですから、こうした問題に対処できるように法律があります。少なくとも日本人はこの法律によって平等なのです。日蓮はこうした法律を日蓮仏法を基準にすることが正しい国のあり方だと言いました。それが立正安国論ですよね。そこに民主国家としての理念など微塵もありません。「オレが法律だ」ってことです。あるひとつの宗教の価値観によって善悪が決められ、いったん悪と決められたら徹底的に排除されていいとする世界。逆らえば罰が当たると会員を脅してきた創価学会らしい世界の誕生です。これが創価学会の目指す広宣流布。ちがいますか?

  24. signifieさん

    「半覚醒者と盲信者」、自分は盲信とは思っていませんが、なるほど今の自分の状況に近いと思います。
    また、この対話は暇つぶしでやっているわけでもなく、signifieさんのブログのアクセス数を稼ぐためでもありませんので、ご理解願います。

    ブログでの対話については、匿名だからこそ本音が話せる場であるとも思っております。その意味では貴重な場だと思っております。
    創価学会にいる人、創価学会を辞められた人、その人たちがどんな考え方か、なにを信じているのか、どんな性格なのか等々、読む人によって受け方は異なると思いますが、
    参考になる方もいると思います。また自分自身の考え方を見直したり整理したりするいい機会だとも思います。

    ただ、難しいと感じるのはどうしても対面ではないので、こちらの思いや考えが正確には伝わらず、取り違えられて受け止められることです。
    わたしの文章力の無さももちろんありますが、それだけではないような気がします。

    例えばモニカさんでさえ、
    >いわれなき中傷?
    >このブログに創価へのいわれなき中傷はありませんよ。
    とコメントされていますが、こちらのブログがいわれなき中傷だなんて思ってもいません。
    子供たちがやったことではないのに、過去の創価学会の悪い振る舞いについて言われることを述べたつもりです。

    「悪い部分は徹底的に排除」についても、創価学会の組織内でのことをいったつもりです。
    signifieさんがそのことについて、かなり広範囲な解釈をされて様々述べられていますが、その広範囲の解釈について一つ一つ説明する気にはなれません。
    また
    「悪い部分は・・・」
    kickeyさんのような方のことではありません。
    そのように受け止められるのはとても悲しく思います。

    ブログでの対話の難しさを痛感しているのと同時に、虚しさも感じております。

  25. signifieさん

    日蓮仏法について私が考えているところは、御書根本ではありますが、鎌倉時代に書かれたものなので、現代に合わないところは多々あります。
    鎌倉時代の発想のままに行うことを日蓮原理主義と表現しています。

    それを現代に合わせた解釈で実践しているのが創価学会だと思っております。

  26. signifieさん

    創価学会についてはすべてが良いとは思っておりません。その辺は改善したい項目で述べたとおりで、特に選挙支援のやり方はおかしいと思っております。
    そして、ここからがみなさんと違うと思うのですが、では「創価学会が金と票を集めるだけの詐欺集団」となるとそうは思えないのです。
    確かに聖教新聞とか財務とかでお金を得ていることは事実です。また、その財務の収支報告も行っていないのも事実です。
    だからといってそれだけで詐欺集団というのは理解できないのです。
    たとえば池田先生が隠し財産を持っていたとか、原田会長はじめ副会長とか中枢部の側近幹部が実は財務から相当な額の給料をもらっていたとか、そのへんが明るみに出ればもっと疑問も生じるでしょう。
    池田先生については、著作が多数あるので、その印税も相当有ると思います。そういった意味では先生に資産があるのは不思議ではないと思います。
    金を集めている=詐欺団体というのはやはり理解できません。

  27. >日蓮仏法について私が考えているところは、御書根本ではありますが、鎌倉時代に書かれたものなので、現代に合わないところは多々あります。

    私が日蓮仏法や創価の教義について問題としているところは、時代が変わったからといって変わっていいものではない宗教としての根幹の部分について話をしています。つまり本尊の解釈が時代によって変わっていいものなのかということです。釈迦は2500年も前の人だし、法華経も2000年前の経典です。それを1600年ほど前の鳩摩羅什や玄奘が中国語に訳したものがまわりまわって日本に運ばれ、飛鳥、奈良、平安時代を経て750年前の鎌倉時代の日蓮の目に触れたわけです。法華経をはじめとしたいわゆる仏典の多くは、紀元前後に行われた大乗仏教の僧侶たちがまとめたものであって、もうすでにこの時点ではブッダの教えとはとても言えないものになっています。この大乗仏教が出てきたところで、仏教の教義が大転換しています。それまでは釈迦は悟りを得た人間という解釈でしたが、大乗仏教に至っては信仰の対象となる超越的な力をもった唯一神のような解釈になってるんです。ここで仏教の内容が決定的に釈迦の思想とかけはなれたものとなったというのが、現代の一般的な仏教学の見解です。その後に仏典を再解釈し編纂し、独自の哲学大系としてまとめあげた龍樹がいました。それらを天台・伝教の教えが日本に輸入され、最澄・空海らが日本向けの仏教の基礎を築きますが、鎌倉新仏教においては、それぞれがそれまでにない独自の解釈によって新しい宗教を打ち立てていきます。そのひとつが日蓮でした。そこで日蓮はとくに誰もしたことがないあっと驚く独特の解釈をしました。それから日蓮亡き後、その教義の解釈について意見がわかれ、たくさんの宗派に分裂しました。そのなかのひとつが日蓮正宗として、ほかの日蓮宗派とはまったく違った独特の解釈をして、途中で日蓮正宗の法主による教義の修正や追加補足が加えられながら今に至っています。それをさらに創価学会が驚くほどの独自の解釈をしたわけです。
    白いブランコさん。この創価の教義の変更というのは、現代に会わない部分を修正したなどといった生易しいものではないから問題にしているんです。ご本尊の解釈が変わるということは、お題目が違った文字になるくらいたいへんな変更ではないでしょうか?それを「時代が合わないから変えま〜す」って、そんな話が通るわけないでしょう。時代に合わなくなったのではなく、創価がご本尊を出せなくなったから、出せるような解釈にしたというだけの話ではないんですか?目的はそうでも、ご本尊の解釈を変えるのは、やはりどう考えても無理があった。だからこの教義の変更についても聖教新聞で一度だけさらりと流して突っ込まれないようにした。そういうことではないのですか?

  28. 参考までに
    創価の最高幹部年収は創価に集まるお金の額からすれば微々たるものでしょうが、これら最高幹部の収入は会社の利益ではなく、会員さんの財務から支払われていることを考えると、これでいいのかどうかと思います。ちなみに総理大臣の推定年収は5141.1万円だそうです。

    四ッ谷税務署公示の長者番付より

    秋谷 栄之助会長
    平成5年度の所得 5770万円 (納税額 1886万円)
    平成6年度の所得 5500万円 (納税額 1810万円)
    平成7年度の所得 6213万円 (納税額 2050万円)

    森田 一哉理事長
    平成5年度の所得 5424万円 (納税額 1758万円)
    平成6年度の所得 4850万円 (納税額 1550万円)
    平成7年度の所得 4889万円 (納税額 1560万円)

    八尋 頼雄副会長
    平成5年度の所得 5070万円 (納税額 1627万円)
    平成6年度の所得 3748万円 (納税額 1138万円)
    平成7年度の所得 3810万円 (納税額 1161万円)

    上田 雅一副会長

    平成5年度の所得 3889万円 (納税額 1190万円)
    平成6年度の所得 3587万円 (納税額 1045万円)

    青木 亨副会長
    平成6年度の所得 3635万円 (納税額 1024万円)

    そして
    池田大作氏の四谷税務署管内納税額 順位は管内順位
    平成7年  2億4109万円  4位
    平成8年  2億1206万円  4位
    平成9年  2億3751万円  4位
    平成10年 1億7200万円  5位
    平成11年 1億5396万円  5位
    平成12年 1億1883万円  1位
    平成13年 1億3616万円  2位
    平成14年 1億1537万円  7位
    平成15年 1億2774万円  4位
    平成16年 1億2895万円  5位

            ↑年収ではありません、納税額です。

    たとえばブラック企業と言われるユニクロの社長も、東日本大震災の時は会社からとは別に、ポケットマネーで10億円を寄付しました。売名と節税対策という批難もありますが、寄付どころか池田氏は顔すら見せませんでしたよね。

    こう言った数字を見てどう思うかは個人の自由ですが、今は一切顔すら見せない池田氏の税収から推定される年収が
    平成5年度の所得 4億円 (納税額 1億3551万円)
    平成6年度の所得 7億円 (納税額 2億4109万円)
    だそうです。

  29. signifieさん

    納税額の一覧ありがとうございます。出所も信頼出来るところだと思いますので、このような事実を明らかにすることは創価学会員に対しても良いことだと思います。
    給与の額については人それぞれの主観がありますので、高い低いは述べませんが、パートの収入や年金から財務をされている方もいると思いますので、参考にされてもいいと思います。
    池田先生の収入および納税額については、出版物の量と、購入者の数から考えると自然だと思います。
    副会長クラスすべてがその水準かというと、一概には言えないと思いますが、側近中の側近・中枢幹部の実態が少しわかりました。
    透明性が求められている時代なので、真実を明らかにすることは大いに結構なことだと思います。

    モニカさんがご指摘されていますが、今の活動家の8割が婦人部で、その婦人部に対しては「怒ってはいけない」という指導がありました。
    男子部を卒業して、すぐに壮年部で地区幹部になった人で、気骨のあった人ほどつぶれているのも、その影響があることは否定できません。
    現在、自分と同じ地区部長さんを見ていると、大体の方が優しそうで、おとなしそうで、婦人部に従順な方のように感じられます。
    また、活動家の方で、世間の常識を弁えていない方が多くいるように感じられます。「迷惑」というキーワードが該当するのはそのような方たちの行動だと思います。
    数字を追いかけたり、上からの打ち出しをこなしていたときの自分もそのうちの一人でしたが、地区部長になって、一通りやってみておかしいところが多々あることに気付きました。
    おかしいことをおかしいと言える組織でないと、組織は衰退しますので、引き続き改善していこうと思っております。
    私と同じようにおかしいと感じている創価学会員さんが、若いしらゆり長さん世代に多くいることも実感しております。
    仕事をしていて、世間とつながっている方は世間の常識がありますが、そうでない方は非常識になっている感じがします。
    地区婦人部長も以前は仕事をしていない人がほとんどだったと思いますが、今は半数ぐらいが仕事をされているんではないでしょうか。
    また、役職についても、以前は「創価の役職の話は断ってはいけない」風潮がありましたが、今は平気で断る(選ぶ権利があるので当たり前ですが)ようになっています。
    幹部の姿を身近に見ていて、あこがれの対象かそうでないか、冷静に見れる世代が増えている証拠ではないでしょうか。

    創価学会は明らかに転換点を迎えています。池田先生のカリスマ的指導体制からの転換なので、舵取りは相当難しいと思いますが、現場の末端会員の意見に耳を傾けることができればそれほど難しくはないと思います。

  30. signifieさん

    御本尊の解釈についてもう一度説明させていただきます。日蓮仏法の中での話なので、その他の宗教の話ではありません。
    日蓮大聖人が御本尊を顕わした理由は、すべての人々に仏の境涯になってほしいからとのことです。
    信仰心のある方に御本尊を与え、お題目を唱える。そして仏の境涯になってもらう。これが日蓮大聖人の希望されていたことです。

    今回の教義の変更、御本尊の解釈については、時代に合わないから変えたのではなく、大聖人の意向に合わせて変えたということで納得しています。
    「大聖人の本義に基づいての変更」という言葉で説明されています。

    >だからこの教義の変更についても聖教新聞で一度だけさらりと流して突っ込まれないようにした。そういうことではないのですか?
    一応、今月の大白蓮華「大白蓮華 2015年 4月号」の巻末に掲載されています。ご参考までに。

  31. 白いブランコさん

    大白蓮華2015年 4月号がまだ手に入りませんので、そこにどのように書かれているのか今のところわかりませんが、どうにかして読んでみたいと思います。お知らせくださってありがとうございます。

    >日蓮仏法について私が考えているところは、御書根本ではありますが、鎌倉時代に書かれたものなので、現代に合わないところは多々あります。鎌倉時代の発想のままに行うことを日蓮原理主義と表現しています。それを現代に合わせた解釈で実践しているのが創価学会だと思っております。

    >今回の教義の変更、御本尊の解釈については、時代に合わないから変えたのではなく、大聖人の意向に合わせて変えたということで納得しています。「大聖人の本義に基づいての変更」という言葉で説明されています。

    すみません、なんだかよくわからなくなってきました。
    つまりこういうことでしょうか?

    750年近く弘安二年の大御本尊こそが本門の本尊であるとしてきた日蓮正宗の教義は、じつは日蓮の本義ではなかった。そうした日蓮正宗の教義がもともとから間違いだったということに創価学会は破門された今になって気がついたので、新たに教義の変更をしたということですね。そしてその変更は時代に対応しきれなくなったからではなく、もともとからそれが大聖人の本義だったのだと。そこはわかります。賛同はしませんが意味は通るという意味です。
    どの宗派のご本尊でも祈りが叶う力のある本門の本尊なのだから、わざわざ学会員が別の宗派のご本尊を拝む必要はないとおっしゃってましたよね。

    すると学会員ではない人がわざわざ学会員になることもないということでしょうか?

    これは大変な教義の変更ですよね。学会員だからってべつに折伏しなくてもいいよってことですよね。それも「大聖人の本義」なんですか?このあたりがどうも意味不明なんです。

    これまでは
    ・折伏しなさい、それが大聖人の大願である広宣流布だ。
    今回は
    ・よその本尊も同じように功徳がある本門の本尊である。

    なんか理屈が通ってなくないですか(笑)。これって創価学会がこれだけ強引に展開してきた大折伏運動は必要なかったって意味ですもんね。そして創価学会があれだけバッシングしてきた日蓮正宗のご本尊も、さらにご本仏は仏陀だとするほとんどの日蓮系宗派のご本尊も、みんな同じ本門の本尊だというのが「大聖人の本義」だったんですよという内容に創価学会は教義を変更したということでしょうか?
    え〜〜???

    短くまとめると
    創価以外の日蓮系宗派の教義は間違っていて「大聖人の本義」ではないのだけれども、そんな間違った教義のお寺のご本尊もみな同じく功徳があるんですよ〜。

    う〜ん……なんかしっくりきませんよね。

    ここまで変えちゃっていいんですか(笑)

    ますますよくわからなくなってきました。
    ぶっちゃけていえば「これからは折伏もしなくてもいいよ〜」と変更したということになりますが?

    そうそう、このあいだから気になっていたのはそこなんです。
    創価が他宗のご本尊も自分とこのご本尊も同じだというのが「大聖人の本義」だというのであれば、功徳があると言って会員にやらせてきた折伏、新聞啓蒙、財務に選挙活動はいったいなんだったんですか?ってことになりませんかね?

    つまりこの本尊の解釈によって、これまで創価がやってきたことの意味があるのかないのかまで左右される重大なことなんです。ここはっきりしましょうよ。

  32. >創価学会は明らかに転換点を迎えています。池田先生のカリスマ的指導体制からの転換なので、舵取りは相当難しいと思いますが、現場の末端会員の意見に耳を傾けることができればそれほど難しくはないと思います。

    そうですか、広宣流布はそれほど難しくないんですね。
    現場の末端会員の意見に耳を傾けることができないから実際にはこれだけ難しいことなんですよね。

    白いブランコさんは幹部に改善を訴えるような方法はしないと言われていましたよね。それは創価の幹部が末端会員に耳を傾けるような組織ではないと思っているからですよね。それでは具体的にどうやって改善しようと思っているのですか?幹部が何と言おうが末端会員が自分で判断して無理のない範囲で活動するということでしょうか?選挙活動もそれで功徳があるわけでもないのだから、やりたい人だけ無理のない範囲でやればいいということでしょうか?それって末端会員が幹部に耳を傾けないようにするということではないですか?幹部も末端もお互いに言うことを聞かない組織。そんな組織をどうやって舵取りをしていくんでしょう。それって師弟不二を頭から否定してますよね。師弟不二って、何が何でも池田氏の言うことを聞くってことですよね。それが先生にお応えすることだと、私もさんざん男子部時代にたたきこまれました。なるほどこれからは師弟不二を無視することが改善策であり「池田先生のカリスマ的指導体制からの転換」なんですね。

    創価学会会則 
    「三代会長」に貫かれる師弟不二の精神と広宣流布実現への死身弘法の実践こそ「学会精神」であり、永遠の規範である。
    創価学会は、仏法の慈悲の哲理を根本に、世界の平和と人類の幸福の実現を目指すものである。
    第一章 第3条
    牧口常三郎初代会長、戸田城聖第二代会長、池田大作第三代会長の「三代会長」は、
    広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である。

    創価レジームからの脱却。上の会則にある「永遠の規範」も変更しなければなりませんね。みんな勝手にやりたいことだけをやる自由な組織。それなら納得です。ぜひやってみてください。なんかその辺の仲良し文化サークルみたいですが楽しそうですね。それなら会員も増えるかもしれません。

    創価学会は転換期というより、あきらかに衰退期ではないでしょうか。すくなくともここ10年会員数は減り続けてますし、高齢化も進んでます。これから増える見込みもありません。このあいだから私が別のスレッドでも言ってるように、広宣流布なんて絶対にできないし、それ以前に本部幹部はやろうとも思っていないし、もともと広宣流布と言う言葉で会員を動かしてお金を出させていると考えると、なぜできもしない広宣流布を掲げているのかがよくわかります。

  33. >創価学会は明らかに転換点を迎えています。池田先生のカリスマ的指導体制からの転換なので、舵取りは相当難しいと思いますが、現場の末端会員の意見に耳を傾けることができればそれほど難しくはないと思います。

    今の創価は「池田先生のカリスマ的指導体制からの転換」を目指していると誰か言っているのでしょうか?もし創価が公式に発表しているとすれば、池田氏が人前に現れないことに、勝手に都合のいい理由をつけて会員を納得させていると思いますし、公式な発表でないのであれば、会員の勝手な解釈ですよね。
    白いブランコさんが言う「現場の末端会員の意見に耳を傾けることができれば」と言う仮定は、現実に創価はそんな組織ではないと認めているわけです。そして現場の末端会員の意見に耳を傾けない組織に対しての改善策として、末端も組織の言うことに耳を傾けない方法をとるつもりだと言っているんですよね。それって組織からしたら改善ではなくて、今でもたくさんいるただの非活の会員さんではないですか?創価の非活さんは、白いブランコさんが言う改善策をさんざん実行されていますよ(笑)。統監上の会員数のなかで非活さんの割合ってかなりのものですよね。白いブランコさんの地区にも非活動家という改善部隊がたくさんいらっしゃるでしょう。白いブランコさんが言う改善とは、実質的に非活さんになるってこととどこが違うんでしょう。むしろ活動家のフリして組織の言うことを聞かない自称活動家のほうが、組織にとってはタチが悪いのではないですか?
    白いブランコさん
    組織の悪いところを直接言う気もなければ、組織の言うことを聞く気もない。どう考えてもただの非活動家です。自分を正当化して上に愛想だけふりまく似非活動家ではないですか?

  34. 白いブランコさん
    連投で質問を続けて申し訳ないのですが、もうひとつ素朴な質問をさせてください。
    いよいよ選挙も本番となって活動もさぞ忙しいと思います。白いブランコさんは2世で男子部時代は創価班で、今は40代半ばの地区部長で、奥様も幹部だそうですので、今の時期に公明党のやってることには賛成できないから自分は選挙活動はしないということが地区内でまかり通るものなのでしょうか?白いブランコさんの地区では選挙活動はしていないのですか?それとも会員さんには選挙頑張れ、先生にお応えするんだ、広宣流布の使命を全うしよう!と激励しているのでしょうか?白いブランコさんが公明党には賛成できない考えであることはお聞きしましたし、自分のできることから行動することで改善しようと言われてました。今現在、白いブランコさんは地区部長として、地区の会員さんとどのような選挙の戦いをされているのでしょう?また、幹部である奥様は白いブランコさんの公明党に対する考えをご存知なのでしょうか?奥様はF取りに必死なのではないですか?
    白いブランコさんと奥様が、創価学会員として今の選挙の戦いをどのようにされているのかまったく見当もつきません。よかったら教えてください。考え方ではなく、実際に地区の会員さんに対してどういう行動をとられているかということです。よろしくお願いします。

  35. signifieさん

    またコメントに間が空いてしまってすみません、理由は後々のコメントにて。

    今回の協議変更で、「本門の本尊」は、書かれている内容が大聖人が述べているのと同じであれば「本門の本尊」の相貌の条件は備わっているということになります。
    たしかにsignifieさんが仰られるように、相貌が同じであればどこの御本尊でも「本門の本尊」という解釈になります。
    そうであれば、創価学会が下付する御本尊でなくても、題目を唱える功徳は備わっているということになります。
    つまり、創価学会でなくても、「南無妙法蓮華経」の題目を「本門の本尊」に向かって唱えれば、仏界の命が湧現する=成仏するということです。

    今回の教義の改正により、別に創価学会でなくても良いということを認めたというのは、今までの日蓮関連宗教にない寛容性の現れだと思います。
    創価学会本部首脳陣においては、それだけ創価学会の独自の教学に自信があるということでもありますね。
    今後、どのような独自性のある教学を打ち出すかは、末端の私にはわかりませんが、大聖人の思想・三代会長の思想も取り入れた「生命の尊厳」の確立に基づく「万人の幸福」と「世界の平和」のための教学になると期待しております。

    そうかといって、折伏しなくていいという教義の変更ではないと思います。大聖人の思想・三代会長の思想を含む、創価学会の新しい教義を人に話すということは折伏になると思います。

    >功徳があると言って会員にやらせてきた折伏、新聞啓蒙、財務に選挙活動はいったいなんだったんですか?
    選挙活動については後程、話しをしますが、「折伏、新聞啓蒙、財務」はそれぞれ、仏法を広げるためとか、教団を支えるためなので、功徳はあるというのは間違っていないと思います。
    ただ、「財務の額が多ければ多いほど功徳がある」とか、「新聞も多部数取れば功徳が増える」とかいう指導は明らかに仏法に相違していますね。
    satouさんが具体的に掲載していただきましたが(satouさんありがとうございます)、このような指導は詐欺というか、下手したら犯罪に近いですね。実際に聞いたことがある内容なので、真実でしょうし、新聞のバックナンバーがあれば
    調べられることなので、信憑性の高い情報でありがたいです。

    選挙については、以前(2015年3月29日 21:53 )あまにぃさんが掲載していただいた毎日新聞の記事に
    「私たちは、公明党を支援するために信仰しているのではない。宗教は人間と人間との心の連帯です。
    もはや党派性の時代ではない。それでは必ず行き詰まる。あくまでも人間です。人間のための、人間による宗教活動を、私たちは進めていきます。」
    とあるように信仰と政治活動を結びつけるのは間違いです。なので、「F取って功徳、公明に投票して功徳、選挙は宿命転換の早道」との指導は
    信仰心を政治利用した詐欺とも取れます。間違ったことは素直に認め、本来なら謝罪し、改めるべきだと思います。

  36. signifieさん

    <池田先生のカリスマ的指導体制からの転換
    これは私が現場で感じていることなので、一壮年部員の勝手な解釈です。先生が5年前から表舞台に立たなくなってからの本部幹部会では、過去の先生の映像を流したり、
    広宣流布大誓堂での唱題会では、先生の声を録音したものと一緒に唱題をします。
    先生のカリスマ的な部分は残しつつ、新たな教学体系を用いた合法的指導体制に移っていくのではという勝手な思いです。
    この辺は、マックスウェーバーの支配の三類型、「合法的支配」「伝統的支配」「カリスマ的支配」を参考に、指導体制に当て嵌めて考えてみました。

    >白いブランコさんが言う「現場の末端会員の意見に耳を傾けることができれば」と言う仮定は、現実に創価はそんな組織ではないと認めているわけです。
    そのように捉えられてよろしいと思います。実際は耳を傾けはするけれど、すぐに変わるかといえば変わらない。そんな組織になってしまっていると思います。

    >今でもたくさんいるただの非活の会員さんではないですか?創価の非活さんは、白いブランコさんが言う改善策をさんざん実行されていますよ(笑)。
    これは以前私がボイコットの話をしたときに言った通りだと思います<これをすでに実践しているのが活動家から未活動家になられた方だと思います。
    それだけ問題を多く抱えている組織だということですね。

    >組織の悪いところを直接言う気もなければ、組織の言うことを聞く気もない。どう考えてもただの非活動家です。自分を正当化して上に愛想だけふりまく似非活動家ではないですか?
    何名かの幹部には直接言ってみましたし、組織の言うことでおかしいと思うところはボイコットしています。説明されて納得がいけば活動するでしょう。しかし幹部の話で納得いく話は頂けなかったのは事実です。
    自分を正当化しているところも、もちろんありますね。自分が正しいと思うことは正しいと信じて行動していますし、自分が、正しくない・間違っていると思えば、それを偽っての行動はできない性分なのです。

  37. 白いブランコさん、お答えいただきありがとうございます。
    私がたくさん質問してしまったので、困られたかもしれません。すみません。

    それで、とりあえず私が最後にした質問。
    「白いブランコさんと奥様が、創価学会員として今の選挙の戦いをどのようにされているのかまったく見当もつきません。よかったら教えてください。考え方ではなく、実際に地区の会員さんに対してどういう行動をとられているかということです。よろしくお願いします。」
    に対してのお返事をお願いしたいのですが。
    そのお返事をいただいてから、上のお答えも含めてのこちらの考えを述べさせていただきます。よろしくお願いします。

    といいますのも、ここでの白いブランコさんとの対話に対して、みなさん興味をなくされているようです。気を悪くされるのも本意ではないのですが、はっきり申しますと「いままでの盲信者と変わらないじゃないか」といった落胆のようなものです。「創価の悪い部分は認める。それでも創価は正しい」その理由はと聞くと「創価がそう言ってるから」としか答えられていないんです。たとえばの話に置き換えてみましょう。「オウムの悪いところは認める。でもオウムは正しい。その理由は麻原が正しいと言っているから」。こんな話が通るわけないですよね。「地下鉄サリン事件は間違いだ。凶悪犯罪だ。許せない。でもオウムの信仰は正しいと思う。なぜなら麻原を信じているから」こんな話なんです。答えになっていないんです。「Aは悪い。でもAは正しい。なぜならAが正しいと言っているから」。白いブランコさんは、誰かがそう言っていることに対して「なるほどAは正しいんだね、わかった」って納得しますか?

    だから白いブランコさんは、実際に行動として創価の活動をどこまでボイコットされているのかを知りたくなったんです。地区部長という立場ですから、部員さんには黙って自分だけボイコットしているのか、部員さんとともに地区ごと選挙活動をボイコットしてFはゼロと上に報告しているのか。そして幹部の奥様はそれをどこまでご存知なのか。また、それが組織のなかでまかり通っているのか。そのことをお聞きしたかったんです。

    もっと言いますとね、創価の選挙活動は納得できないからボイコットする。つまり創価のいいとこだけを自分はやる。これ改善にもなんにもなりませんよ、ただの非活の部員さんと同じですよねって言ってるんですよ。白いブランコさんが地区部長として、地区をあげて選挙活動をボイコットしているというのであればまだ理解もできます。いわばプチクーデターですもんね。でも自分1人がボイコットしているだけならば、改善なんてできるわけがないではないですか。白いブランコさんも、過去に何度か組織へ苦言をあげたことがあるんですよね。でも体よくあしらわれたんでしょ。そりゃそうです。もともと末端会員の声を聞くような組織ではないですからね。それがわかったから直接意見することをやめて、納得できない部分をボイコットすることにしたんですよね。それって小学校の不登校児みたいなもんでしょ。いや、不登校児はほかに複雑な問題を抱えている場合が多いですから、学校がおもしろくないから行かないって家でサボってる子どもと一緒じゃないですか?もしその面白くない原因が学校側の指導体制にあるのだと思うのであれば、学校なり教育委員会なりに直訴するのが改善策を講ずるということでしょう。「でも先生に言ってもわかってくれないもん」といって家に籠る。学校に問題があるからと言って、クラス全員によびかけて授業をボイコットするのならまだわかりますが「自分だけやりたくないからなやらな〜い」って、ただのサボりと同じだと思います。そんな態度を見たクラスメイトから「あいつただのサボリじゃん」って言われても何も言い返せないですよね。「みんなでFとりをこんなに必死で頑張っているというのに、うちの地区部長はいったい何を考えているのよ、まったく」って婦人部から思われてませんか?そういわれたときに、白いブランコさんは創価の選挙活動はこれこれこういうことだからやるべきではないと婦人部の方を説得する気持ちがあるのですか?なければただの部分的非活動地区部長ですよね。
    学会活動には賛成できないところもある。それは組織体制に問題がある。そのことを上に言っても聞く耳を持たないから、自分は自分なりの考えで改善しようと思う。その改善策とは、いやなことはしないこと。これですこしは創価も良くなると信じている。
    私は100%良くはならないと思います。それは改善策ではなく、たんに我がままなだけです。会社で考えてみてください。たんなる出来の悪い社員です。白いブランコさんが係長で……もう言わんとすることわかりますよね。上に言っても無駄。だから自分だけサボる。部下には会社の言う通り働けと言う。そんなこと部下に通りますか?それのどこが会社にとっての改善策ですか?ってことです。

  38. signifieさん

    支援の戦いのボイコットの件で以下御返答します。
    >今の時期に公明党のやってることには賛成できないから自分は選挙活動はしないということが地区内でまかり通るものなのでしょうか?
    公明党のやっていることについては良し悪しあるので、政策如何で選挙活動をやる・やらないということではなくなりました。
    (今までは公明党も良くやられていたと思っていたので、あまり疑問を持たず、支援の戦いをしていました)
    信仰心を利用して政治活動を行うことに賛成できないので、ボイコットしています。
    再度載せますが、
    「私たちは、公明党を支援するために信仰しているのではない。宗教は人間と人間との心の連帯です。
    もはや党派性の時代ではない。それでは必ず行き詰まる。あくまでも人間です。人間のための、人間による宗教活動を、私たちは進めていきます。」
    と先生の言葉にもあるように信仰と政治活動を結びつけるのは間違いです。

    何も問題なくまかり通っているかは現時点ではわかりません。明らかにおかしいと感じている部員さんもいると思います。

    >白いブランコさんの地区では選挙活動はしていないのですか?それとも会員さんには選挙頑張れ、先生にお応えするんだ、広宣流布の使命を全うしよう!と激励しているのでしょうか?
    活動家の方は相変わらず支援の戦いはしています。私は前回の衆院選からですが、創価学会員の立場としては選挙活動はしない(出来ない)ということを地区婦人部長、副支部長等、数名には伝えております。

    >今現在、白いブランコさんは地区部長として、地区の会員さんとどのような選挙の戦いをされているのでしょう?
    上述した通り、私個人としては選挙の戦いはしておりません。

    >また、幹部である奥様は白いブランコさんの公明党に対する考えをご存知なのでしょうか?
    パートナーにはすべて話をしております。公明党というよりは選挙の戦いについてを多く話しております。

    >奥様はF取りに必死なのではないですか?
    やめてほしいのに必死にF取りに行っております。うちは小さい子供がいて、その間は自分が見ていなくてはなりませんので、コメントする時間もありませんでした。

    satouさんのコメントに「家庭内の改善をしてみてください。」とあったように、昨日も自分の考えや気持ちをバリ活のパートナーに伝えました。
    モニカさんのコメントにあったように「何を言われようと学会は正しい」「私には確信がある」との内容で会話になりませんでした。信心のことでなんで喧嘩しなければならないのか、普通で考えればおかしなことですが、このまま喧嘩し続けるのは
    子供のために良くないと、真剣に離婚を考える状態になってしまいました。

  39. では、白いブランコさんは、地区の部員さんにも「自分は納得できないから選挙の支援活動はしない」と明言して、自分は支援活動はしないが、地区の学会員さんがする分には何も言わないようにしていると言うことですね。さらに奥様とはそうした意見の違いで離婚も考えていると。
    そうですか。

    >子供のために良くないと、真剣に離婚を考える状態になってしまいました。

    私 思いますのは、これって男の勝手な言い訳だと。これ女性が聞いたら怒りますよ(笑)。子どもをダシに使うなと。じゃあ、子どもがいなかったら離婚しないってことなの?って。

    それで、立ち入ったことを聞くようで申し訳ないのですが、もし白いブランコさんが離婚されたとして、小さなお子さんはおそらく奥様が育てられると思います。そうなるとお子さんもお母様から「何を言われようと正しい」「私には確信がある」といった子どもさんになる可能性が大きいと思います。おそらく白いブランコさんがそのような環境だったのでしょうし、私自身そうでしたし、2世3世の学会員はたいていそんな環境で育ちました。まず創価ありきという家庭環境をどう考えますか?

    「お父さんとお母さんはどうして離婚したの?」
    「お父さんはね、魔に負けてお前を捨てたのよ」
    「魔って何?」
    「ご本尊様を信じようとすると魔が出てくるの。お父さんはその魔に負けてしまったのよ」
    「魔って怖いね。魔に負けたら離婚するんだ」
    「そうね、魔に負けたら幸せにはなれないの。だからあなたも絶対魔に負けたらだめよ」
    「うん、わかった。ご本尊様を信じればいいんだね」
    「そうよ、ご本尊様を少しでも疑ったりしたらすぐに魔がやってくるのよ」
    「わかった、ご本尊さまは絶対に正しいんだね」
    「そう、絶対に正しいのよ。疑ったりしたらお父さんみたいになるんだからね」

    なんだかそんな母子の会話を想像してしまいました。
    白いブランコさん、創価学会はあなたの奥様のような方が全国にいて支えているんです。モニカさんも言っているように、創価は何の疑いもなく盲信している婦人部と、婦人部の予備軍である女子部で成り立っています。白いブランコさんが言っている改善策など、創価にとっては痛くも痒くもありません。それであなたが離婚しようが創価にとってはどうだっていいんです。すでにたくさんいる非活がひとり増えるだけのことです。あなたひとりが離婚までしてボイコットしても改善策にはならないことがわかりませんか?自分ひとりボイコットして、自分の中ではスジを通したつもりでしょうけど、それによって創価がどう変わるというのでしょう。絶対に1ミリも変わりませんよ。単にまわりの学会員から裏切り者とか魔に負けたなどと思われるだけです。ちがいますか?

  40. 白いブランコさん
    新しいスレッドをつくりましたので、この続きはそちらのほうでお願いします。

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