創価の言うことがこんなに変わっていいのかしら?

先のスレッドも5日目でコメントが100件を超えてしまいました。みなさんありがとうございます!

続々と新しい方がコメントしてくださり、「覚醒しました」「新聞やめました」「脱会できました」と嬉しい声があがっていますね。原田会長のスピーチではないですが、これがほんとうの世界公布新時代の幕開けですよ(笑)。活動家さんがどんなに「創価は正しい」と訴えても、学会員はどんどん減っているのが現実です。学会員さんが創価の実態に気がつき、自分の意志で脱会している。これが現実だということが、みなさんのコメントからリアルに伝わってきます。この現実を活動家の方はどのように説明するのでしょう。教学的にいえば、これが現証ですよね。創価だけが知っている日蓮仏法こそが、この世の法則ではなかったのでしょうか?でもその正しい妙法の宇宙のリズムに合わせた結果がこのありさまなんですよね。もうすっかり答えは出ているではないですか。この期に及んで何をいまさら言うのでしょう。創価の実態がすべてを表している。いったい何をもって創価が正しい宗教だと言うのでしょう。

一日も早く、一人でも多く、創価の実態に気がついて、創価をやめる人が増えるように、このブログにみなさんの声を記してください。

今日の聖教新聞の1面を見ると(私もネットで1面しか見れませんが)、「イタリアの国宝を日本初公開」と銘打って、ダヴィンチとミケランジェロの作品を富士美術館で展示をするという記事がドカンと載っています。ちなみにこのブログのいちばん上の画像はミケランジェロが25歳のときに彫った「ピエタ」です。十字架から下ろされたキリストの遺体をマリアが抱く姿が大理石に彫られています。カトリックの総本山であるバチカンのサン・ピエトロ寺院にある不朽の名作です。あまりに貴重な作品なので、サン・ピエトロ寺院でもレプリカしか見ることができません。また寺院内にあるシスティナ礼拝堂の壁画が、同じくミケランジェロが生涯をかけて描いた聖書の物語「天地創造」「創世記」です。私も20代のときに訪れて、ここに来た時は感動のあまり動けなくなりました。絵を見てこれほどの深い感動はいまだにありません。また「モナリザ」であまりにも有名なダヴィンチですが、彼の代表作である「受胎告知」「最後の晩餐」など聖書のテーマでの絵画は、まさに人類最高の貴重な遺産となっています。私がミケランジェロを見た当時の創価は、まだ他宗のことを邪宗とよび、なかでもキリスト教は生命の輪廻を説いていないまったく話にならないほどの低い教えである「外道」と呼んで完全に見下していました。五重の相対の「内外相対」でいちばん最初にはじかれる最低の宗教のことですね。ただ日蓮がキリスト教を知っているはずもないと思うのですが、なぜか創価は仏教以外の宗教をまとめて「外道」という解釈をしていました。そして日蓮すら知らなかったであろうキリスト教徒のこともみな裏表のある二重人格者だと罵っていましたし、聖書などただのくだらない絵空事の夢物語だとめちゃくちゃなことを言ってました。それがどうでしょう、いまでは聖教新聞の一面に、これみよがしに東京富士美術館「レオナルドとミケランジェロ—二大巨匠の競演が実現」などとドヤ顔で宣伝しています。えっ?創価にとってはとるにたりない外道の物語を描いていた卑しい絵描きだったんじゃないんですか?(笑)創価はダビンチだろうがミケランジェロだろうがラファエロだろうが「取るに足りない外道の画家」なんです。なのに言ってることをここまで平気で変えるのが創価です。なぜか。そんなことどうだっていいからです。会員を騙せればどんなことだって言います。日蓮正宗に対する態度を見てもわかりますよね。破門されて弘安二年の大御本尊の存在が都合悪くなったとたんに本門の本尊の解釈まで簡単に変えるんですから、さんざんケチョンケチョンに罵倒していた邪宗の解釈をひっくりかえすなんて朝飯前ですよ。きっと今日の聖教新聞を読んだ学会員さんは「すごいなあ、池田先生はあのモナリザで有名なダビンチの絵の展覧会をやってくださるのか。さすが創価は平和と文化の素晴らしい団体だ。やはり池田先生は世界的に認められている偉大な師匠なんだ」などと勘違いするんでしょう。でも実態は違います。お金と展示施設があれば持って来れるんです。それだけです。

創価の対外的な謳い文句「恒久平和、豊かな文化、人間性あふれる教育の創造」とありますが、かつてはキリスト教もイスラム教も否定してたんですよ。本来、宗教と文化は切っても切り離せません。なのに他国の宗教も文化も否定する宗教がどうやって平和を実現できるんでしょう。何を教育するつもりだったのでしょうね。あのころはそれでも会員を騙せたんです。でもさすがに今の時代には反発がありすぎるから、邪宗と呼ぶのを他宗に変え、他の宗教との共存できる社会をなどと言うようになりました。ちょちょちょっとまって池田さん!(笑)この期に及んで他の宗教もありなんですか?人々の不幸はまちがった宗教にあるんじゃなかったんですか?折伏ってそういうことですよね。それが日蓮仏法の基本ですよね。それも時代に応じて変わって当たり前なんですか?なるほど、だから本尊の解釈も変わって当然なんですね?まるで安倍政権の憲法解釈と同じですね(笑)。これからもまたどんどん変わっていくんでしょうね。きっと広宣流布の解釈も変わるし、会員さんがのどから手が出るほど欲しがっている功徳の解釈だって変わるでしょうね。すでに「蔵の財より心の財」から「お金を出せば出すほど功徳がある」と変わってますからね。「妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」から「選挙活動がいちばん功徳があるのよ」に変わってますからね(笑)。もう創価の教義なんて日蓮仏法と比較してでさえデタラメもいいところですが、それでも学会員さんは何の疑問ももたない。持たないようにコントロールされている。こんなにわかりやすい矛盾がてんこ盛りなのに「ピンとこない」んです。学会員さん、少しは自分の頭で考えてみてはいかがですか?自分で考えたりすると罰が当たるって思ってるんですか?疑えって言ってるんじゃないんです。自分で考えてみたら?って言ってるんです。でも、自分で考えてるつもりでいるんですよね。だからこんなこと言ってもピンとこないんでしょうね。

ということで、今回のテーマは「創価の言うことがこんなに変わっていいのかしら?」にします。みなさんが体験してきた創価は今と昔じゃこんなに違っているってことをお話ししていただければと思います。「ここまで変わっていいの?」ってことが山ほどありますよね。「えっ?これのどこが宗教なの?」ってことも。なかでも大きく変わったのは、去年の教義の変更での本尊の解釈なんですが、創価の言うことが変わるのは今に始まったことではありません。とにかくその場その場の都合でどうにでも変わるのが創価です。それは「時代に即して」などといったきれいごとでは済まされません。なんせ本尊の解釈が変わるんです。創価の教義の中で大御本尊が消滅したんです。「どこのご本尊も同じですよ〜」って。鼻から牛乳ですよ(笑)今までのことは何だったの?って聞いても、誰も答えられません。その理由はどう考えても破門されたからしょうがなしに変えてるだけですよね。邪宗を他宗に変えて、日蓮正宗を邪宗と呼ぶようにした。完全に180°変わりましたよね。750年間、大御本尊だった弘安二年の大御本尊が、自分とこのカラーコピーご本尊となんら変わりませんよ〜って平気で言い出したんです。普通なら「おいおい、いい加減にせえよ!」って突っ込むところなんですが、学会員さんは何の疑問も持たずに「あ〜そうなんだ〜」としか思わないんです。もはや廃人ですね。

創価の言うことがこんなに変わっていいのかしら?」への56件のフィードバック

  1. 「創価の言うことがこんなに変わっていいのかしら?」
    いいんです。
    変えないと今の時代持ちませんからね。
    「カルト」なんて言葉のなかった終戦後~昭和はもう終わったんです。
    このままだとツッコまれて大変なことになります。
    民主主義も多様性も、思いの他早く成熟してしまいました。
    昔と同じことしてれたら「北朝鮮のコピー」と言われてしまいます。
    あーあ、昔はそんなツッコミなかったのにね。
    大変、大変!
    慌ててものわかりのいい教団に変貌しましたが、残念ながら失敗しましたね。
    創価を支えていたのは、日蓮の教えは永遠不滅と思ってた昭和の活動家だったんですよ。
    習ったことが今の時代通用しない。
    他宗は邪宗なのよ!と声高に言おうと思ったら、あれれ言っちゃいけないの?

    創価は絶対に正しいと思っていた。
    だからこそ「折伏経典」を片手に得意になって走った。
    それが実は嘘っぱちだったの?
    宇宙の法則がたかが数十年の時代の変化で変わってしまうの?

    はい、ここで気づいて下さいよ。
    最初からウソをついてたんですよ。
    或いは途中からデタラメと気づいて知らんふりしてたんですよ。
    絶対なんて、そんなものなかったんです。
    夢をぶち壊すようで残念ですけど。

    絶対と思ってたものは、巷に溢れていた宗教ビジネスの一つに過ぎなかったんです。
    悔しくても悲しくても、これが現実です。

  2. テーマについてはまたあとで書き込みします。
    とりあえず、
    皆様、報告があります。
    本日、無事に脱会できました。
    脱会届とご本尊の返納申請書を添えて、
    ご本尊とお守りご本尊を返却してきました。
    意外とあっさり受け付けてくれました。

    母と一番近い婦人部、昔からの知り合いで、
    私を異端児扱いして、着信拒否をしていた中のひとり、
    その婦人部に母の携帯からメールしました。

    「本日晴れて脱会できました。Sさん(その人のこと)の無慈悲でいい加減で無視を続けるような対応は、私の脱会への道の後押しをしてくださいました。ありがとうございます。いままで言ってきた諸々を発言するたびに、またぐだぐだ言ってるわ、と、思っていたでしょう?だから無視していたんですよね。そんな甘いもんとちゃうんや!私は真剣にいろいろと悩んでいたんです!あんたにはわかんないでしょうが。ということで、バイバーイ。誰か仏壇いりませんかね?」

    これで誰も連絡もしてこないでしょう。
    母が寂しそうでしたので、心が痛みました。
    あとは私の心の整理です「地獄落ち?」などトラウマや、もろもろと向き合っていかないといけません。長い間無駄な時間をすごしたこともトラウマです。
    活動している時間を勉強やおけいこ事などに使いたかった。
    心が折れたときはここに来ますので。
    またよろしくお願いします。いつもここに来る皆様には感謝していますので。

  3. 以前は折伏するときは「創価学会って新興宗教って思われてるかもしれないけれど、違うんだよね。釈迦が説いてきた教えはいろいろとあるけれど、その中で法華経が一番素晴らしいと悟った日蓮の教えを、最も正しく伝えている日蓮正宗を広める為の信徒団体として作られたのが創価学会なんだよね。」なんて言って、新興宗教だということを否定して折伏してましたが、今は何て言って折伏してるのでしょうか?新興宗教になった今、折伏の仕方も変ったと思いますが。ところで、以前は盛んに〇〇文化祭などやってましたけど、今もやっているのでしょうか?(私も参加してイケダDを間近にみる機会がありました。まったく感動しませんでしたが。)今は若い人がどんどん減っているようですから、もう出来ないかもしれませんね。会員だったときに婦人部年配のおばちゃんが嘆いてました。昔は学会家族といって、病気で顔見せられなくなると、地区のお母さんである地区婦人部長さんが必ず様子伺いに来てくれた。今はまったく知らん顔だと。人手不足で、出てこない人にまで気を使ってられなくなっているのでしょうか?どんどん人が減っている今はもっとかまってられない状態になってるんでしょうね。私が入会した頃は、座談会に参加してても、あったかい雰囲気の中で体験談語り合ったり、和気藹々とした雰囲気がありましたが(それに騙されてた?)、やめるころは、選挙選挙で選挙の為に地区総会が無くなったりで、何より選挙重視になってました。それって、私が気がつかなかっただけで、昔からそうだったのでしょうか?こんなに選挙選挙って言ってましたっけ?年金100年安心くらいまでは、まだ公明党を支援してましたが、その後選挙中心の活動にも嫌気がさすようになりました。今から会員になろうと思う人って、活動にこれだけ選挙活動が入っている状況についていけるのでしょうか?選挙で功徳だの宿命転換だの福運だのって、理解できるのでしょうか?いきなり選挙頼むんじゃなくて、マイ総会と称して、選挙の前に普段あまりつきあっていない友人たちとも会うようにして、いかにもそれが目的ではなく、ついでに選挙頼んだごとくに持ってゆくみたいな指導がありましたが、以前ならそれは選挙頼む為じゃなくて、折伏につなげる為ということだったと思います。いつの間にか、友人作るのも、連絡とるのも、人に親切にするのもすべて選挙頼む為(人によっては、買い物するのも髪切るのも食事するのも、そこのお店に選挙頼むためって人もいた。)いつの間にか創価学会にとって一番大事なのが選挙になってしまったように思います。世界公布時代とか大きな事を言いながら、創価学会はいったいどこに向かっているんでしょうか?もうなんでもありの権力と金集めが一番目的の組織に成り下がった今、それをなんとしても維持することだけが進む道なんでしょうけどね。

  4. 私は覚醒してから、つまり創価の教学はインチキだったんだということに気がついてから、それでは仏教ってほんとはどういうものなの?と、多少は入門書を読んでみました。そこでわかったのが、仏教は釈迦の教えってことになってますが、今の日本に伝わっている仏教は、釈迦の教えからはほど遠いものだったんだということがわかりました。これは「わかりました」って言うほどのことですらなくて、知らないほうがどうかしてるってくらいのもので、とくに日蓮に関しては「おまえどこのバッタもんだよ」っていうくらい仏教とはかけ離れたことを言い出した坊さんだったんですね。比叡山での修行中も、言うことをきかないとんでもないならず者で、まわりの坊さんたちもそうとう手を焼いていて、破門こそしなかったけども、途中で下山してくれてホッとしたんだそうです。

    まあ、それはともかく、釈迦は2500年前のインドで、突然とんでもない教えを言い出したのかと言うとそうではなくて、それまでインドで広まっていたバラモン教や、古代からのウパニシャッド哲学にたいへん影響を受けながら修行していました。だから釈迦の言うことは、バラモン教やウパニシャッド哲学の考え方が基本になっていて、そこまで突拍子もないことを言ってたわけではないようです。たとえば釈迦以前のインドで一世を風靡していた哲学であるウパニシャッドですが、その中に特に有名な哲学者がいました。その名をヤージュニャバルキヤ。なかなか発音しづらい名前ですが、皆さんも知っているように「梵我一如」という概念を完成させた人です。バラモン教の教えでは、この世界とは大きく分けると、自分とそれ以外の世界ということになる。この世界を成り立たせている原理がブラフマン(梵)であり、個人を成り立たせている原理であるアートマン(我)であって、じつはこのブラフマンもアートマンも同じものだ(一如)というのが、古代インドの伝統的なものの考え方でした。おわかりのようにこれって依正不二とか色心不二のもとになった考えです。そしてこの「梵我一如」を悟ることができれば、人間はすべての苦悩から解放されるのだというのが古代インドの一般的な考え方で、当時の坊さんたちがいろんな修行をするようになります。

    しかしそのうちとんでもない苦行をすれば「梵我一如」の境地になれると考えた坊さんが出てきて、それが流行った時期もありました。また、坊さんが苦行に励むのは、当時からあった輪廻転生の考え方によって、今のうちに苦行を積んで苦しんでいれば、来世で苦しまなくても済むという、悟りを得ようとしてるわりには、かなり打算的な考えもあったようです(笑)。釈迦もそうやって徹底して苦行を試してはみますが、途中でこんなことで悟りを得ることはできないということがわかり、苦行でひん死の状態から逃れたあと、菩提樹の下で瞑想した結果、悟りを得ることができたというのが一般的な伝承です。こうしてみると、釈迦は特別な人というわけではないし、なにか超人的な不思議な能力をもった人というわけでもなかったんですね。なにしろ食あたりで死んじゃうんですから(笑)。しかも釈迦以前のスーパースター的哲学者だったヤージュニャバルキヤがまとめた「梵我一如」という概念は、今考えても完璧に通用するすごい理論だったんですね。

    たとえば20世紀最大の哲学者の一人とされるサルトルの代表作『存在と無』には無限遡行というどこまでいっても結論の出ない不毛な思考形態のことを指摘しているのですが、これもすでに紀元前800年頃のインドで確立していたんですね。またサルトルは「私とは何か」という問いには「私とは◯◯であるという答えは出せない」ということを理論的に証明し「私とは◯◯ではない」としか表せないものだと言っています。でもこれもそのまんまのことをヤージュニャバルキヤが残しています。それは仏典の中にも出てきます。般若心経に書かれていることのほとんどがこのことです。また達磨さんで有名な禅宗もこの考え方が基本となっています。「この世の全ての実体は無いのだ」というために、ありとあらゆるものを「無い」と言っています。「だからそもそも無いものを有るかのように勘違いするから不幸を感じるのだよ」と、釈迦以前の哲学者がはっきりと言ってるんですね。なにも釈迦が突然言い出したことじゃない。でも釈迦もその考えを踏襲して弟子たちに教えています。まだギリシャで最初の西洋哲学者といわれるタレスが「万物は水からできている」とたわごとを言っていた頃に、インドでは現代の西洋哲学がやっとたどりついたことが当たり前になっていたんですね。

    このように、釈迦の教えひとつとってみても、私は知らないことだらけだったんだと痛感しましたし、なおかつ創価の教学がいかにめちゃくちゃなご都合主義に変えられてきたものか、覚醒して初めてわかりました。これは釈迦の教えが後に大乗仏教として勝手に枝葉がついてふくらみ、いつのまにか釈迦がとんでもない超能力者となって、いやそれ以上のこの世の創造主みたいに崇め奉られてしまった。だから釈迦の像を拝んだだけでご利益があるんだみたいなことになってしまってるんですね。神様とか仏様とか、人間の及びもつかない力を設定して、その像や曼荼羅を拝んだら幸せになれるというのは、釈迦以前のヒンズー教の考えであって、釈迦自身はそれを厳しく否定しています。そういう神憑ったことこそが真実を見誤らせて不幸の原因をつくることになるんだと。ちゃんんと目の前にある真実を見なさいと釈迦は言ってるんです。今考えれば当たり前のことですよね。たとえばヒンズー教のシヴァ神は、に大黒天という神様として仏典に登場します。これは本来は釈迦の教えとは真逆の考え方なんです。そんな釈迦が厳しく否定したことが、後の世で堂々と横行してしまってるんです。もうこれだけでもおかしな話です。いつのまにか超リアリストだった釈迦の考えが、この何か超越的な力におすがりすることが仏教であるかのように変化してしまったんですね。それは権力者の都合でしかなかったと思います。権力者が民衆を治めるために、都合よく宗教を利用して、その都合に合わせて変えていったんだと考えると、いろんなことの辻褄が合ってきます。

    中学生にでもわかるような仏教についての入門書を読めば、こんなこと誰だってわかるように書いてあるんです。そして創価が創立以来70年も外護団体としてきた日蓮正宗の教義が、ほんとうに極僅かなひとたちが伝承してきただけの、特殊な解釈だったということもわかります。そもそも日蓮正宗の教義の根幹である日蓮本仏論など、日本の仏教界では異端中の異端で、そんなものはほとんどどこからも相手にされていません。なおかつそこから破門された創価のカルト教義が、宗教と呼べるようなものであるはずがないんです。

    創価はは何をしてきたか。学会員さんは上からあたかも世界の宗教界をリードしてきた平和と文化と教育をリードする素晴らしい団体だと教えられてきたことを鵜呑みにしているかもしれませんが、実際のところ、単なる怪しいカルト宗教の一つという位置づけでしかありません。完全に騙されています。そのことに気づいてくださいねって、何度も何度も言ってるんです。創価の教学なんて、完全に破綻してます。それがわからないのはMCされているからです。だからわかりようがないんです。自分で少しでも気づけば、たちまち創価が詐欺団体であることの全てが見えてきます。

    学会員さんは、創価が打ち出される教義以外を知りません。徹底的に情報を制限されています。世の中がどうなっているのか、本来の仏教とは何なのか。まったく知らされないような仕組みになっているために、あのような独善的で、ご都合主義で、非常識で、スジの通らないことを平気で言ったり行動してしまうのです。

    創価の矛盾をちょっとでも感じることができれば、そこから何が真実なのかはわかってきます。少なくとも創価がまともな宗教団体ではないことぐらいは即座に理解できるんです。それがわからないとか、ピンとこないのであれば、明らかにMC下にあるということです。

    どうか、いま一度、自分の生き方がこれでいいものかどうかを、自分で考える時間を作ってみてください。そしてどう考えても創価は正しい宗教団体だという結論が出たのであれば、それでいいではないですか。確信がよりいっそう深まるというものです。しかしどうしてみ納得できない部分があるとなったときに、「もしかしたら創価は正しい宗教団体ではないという可能性もあるかもしれない」という仮定で、創価の現実を見てみてください。きっとすべての疑問があきらかになるはずです。

  5. kickeyさん、おめでとうございます!
    よかったですね〜!
    なんだか他人事とは思えないような嬉しい気持ちです。
    言いたいことをズバズバ言えるようなkickeyさんのように見えますが、
    そこは人一倍センシティブな方だからこそのカモフラージュだったと思ってました。
    お母さんとはきっと少しずつわかりあえると思います。だって親子なんですからね(^^)
    脱会できなくて悩んでいる方にとっても、すごく勇気を与えてくれたと思います。
    ほんとうにありがとうございます。
    創価がなくならないかぎりは、創価問題は続きますが、こうやって、一人ひとりが気づいて創価から去っていくことが、確実な歩みだと思います。これからもよろしくお願いしますね。

  6. kickeyさん、おめでとうございます。
    ( ^-^)ノ∠※。.:*:・’°☆
    創価学会を踏み台にして、これからは自分らしく拓かれた人生を歩んでいって下さい。
    同じアラフィフとして、ワシも頑張っていきます。

    それから signifieさん、仏教についての話、大変勉強になります。いつもありがとうございます。

    それでは今日も仕事頑張っていきます。
    皆さん、連休最後の一日、有意義にお過ごし下さい。
    (^_^)/~~

  7. 学会の主張はころころ変わります。
    今回の教義変更は激変でした。
    だけど学会員はあまり気にしていないようですよ。
    今日は夕方に高齢の親戚と会いました。
    ちゃんと活動しろ 正宗の信心は絶対だと言ってました。
    もう破門されてるからと突っ込みいれたかったけどやめておきました…
    太陽会で頑張ってるらしいけどあの人達は
    教義変更とか一切気にしないしきずきません。
    いまだに思考は祈伏教典そのままです。

    うちの親戚では非活はたくさんいますが
    脱会は一人もいません。
    非活の親戚とは学会の話はしません。
    お互い下手なこといってバリカツの親戚に
    ばれるのが嫌だから…
    だからたくさんいる非活の親戚が学会をどう
    おもっているかわならない。

  8. スマイルです
    御報告です。

    今日(昨日)は父の遺品整理へ実家へ行ってきました。まあ、いろいろ出てきました。

    「広布誓願」と書かれた写真集があり、おそらく特別に配布されたものでしょう。
    中身は池田さんと日顕さんの仲睦まじい2ショット写真が沢山ありました。
    「プレミアやん」
    池田さんは笑顔で語らっていましたが、このころから日顕さんにたいして「この遊蕩坊主め!」とか「てめえは信用ならない!」とか思っていたのでしょうか。裏表のない生き方をしてくださいね。

    私からすれば、「どうでもいいこと」ですが。

    あと、「月」と書かれた写真集。世界各国の月の写真を20-30枚ほど束ねたもの。
    池田さんの写真の撮り方は、独特なものがあるようです。御承知の通りファインダーをのぞかない。
    「池田さん。正直に答えてください。本当にあなたが撮影したものですか?」

    あと、池田さんの生写真がありました。裏には「年月日と Daisaku Ikeda」の直筆文字がorz
    「あの・・・ 自分の写真の裏に直筆サイン書いて送るなんて、一体どこまでナルシスト?」

    本尊の処分をどうしようか考えています。

    私のは今の「ニセ本尊」ですが、父のはキンキラの大きなニセ本尊なので、ちょっとプレミアつくかな?

    最近、中国人の観光客がおおいですが、売れないかな?骨董品のお土産として。

    それこそ
    売人「旦那~、「願いが叶う呪文」と「掛け軸」を旦那だけに売りまっせ!こっちの小さいのは100万円でこちらの大きなのは1000万円!それとも こっちの小さなペンダント型のやつはどうでしょうか? こっちは10万でいいですよ。首から下げてるだけで願いが叶うらしいですよ」

    ・・・・・

    完全に怪しい!

    でもそれを平然とやっているのが、創価ですよね。
    「この御本尊に南無妙法蓮華経と唱えれば何でも願いが叶う!」
    「御本尊は幸福製造機!」
    「打ち出の小づちです!」

    昔、海外に行ったとき、たまたまそこのメンバーと知り合いました。自宅にあげていただきましたが、 「ニセ本尊」がおいてありました。

    カラーコピーで大量生産するのは、海外展開にどうしても必要ですよね。

    製造元(宗門)に供給調整されて隷属するより、

    「こんなもの自分たちで作ってしまえ!」

    どこぞの大きなスーパー のプライベートブランドとおなじ。オリジナルより質が落ちる。添加物混ぜて安く仕上げる。

    同じようなお菓子(本尊)でも、自分たちで作ってしまえば安くつく(宗門への献金がすべて自分たちの取り分になる!)し、大きさも自由に作れる(お守り本尊)。しかも自分たちの判断で売りさばくことができる!

    すんごくよくできた商売です。

    「カレンダー型本尊3000円」「ペンダント型お守りなら5000円」
    「毎月の新聞購読料約1800円。莫大な広告収入。配達員はほぼボランティア。目標ノルマに達しなかったら、一人で多部とる」
    「その他もろもろの機関紙 大白蓮華 毎月200円」(サイドメニュー 「ポテトはいかがですか?」)
    「毎年の財務 最低一口10000円。生活保護の方は、直接会館へ」
    「本尊の方には「お守り5000円」を販売」
    「お守りの方には「本尊3000円」をいずれ持たせる」
    「様々な書籍の販売。広告宣伝は組織内が主。事前予約制度あり。」
    「願いがかなわないのは、「信心が足りない」「きっと意味がある」とすりかえること」
    「願いが叶ったら「信心のおかげ」」
    「信心している同志、幹部はどんなおかしな奴でも「批判するな」「批判したら地獄に落ちるぞ」」
    「創価を途中でやめたら地獄におちるぞ。はじめは何もなくてもいずれ地獄に落ちるぞ!」
    「功徳がほしければ、折伏(営業)するんだ!」
    「信じる者には 福がどんどん寄ってくる! 途中の良くない出来事は、すべて宿命転換のための難、魔 である!」
    「誹謗するものは 頭が7つに割れるぞ!」

    功徳のエサにつられて、幸せになりたい一心で信心したのに、気が付けば罰論で恐怖の洗脳をされ、毎月の支払いに加えて、公明票と財務、聖教新聞の推進をやらされ、ボロボロになったら使い捨て、反論しようものなら「魔に負けた姿」「反逆者」

    脱会しようと思っても、地域の会員とのしがらみ、今まで苦楽をともにしてきた同志の絆・・・情で思いとどまらせる。。。
    でも、本当の真実の人間のつながりなら、相手が退転してもお互いを認め合いながらつきあいますよね。。。

    書いてて怖くなりました。この辺にしときます。

  9. kickeyさん本当におめでとうございます
    シニフィエさんが仰ってるようにkickeyさんのコメントは全ての方に凄い、力強い勇気を与えています。
    私も皆今更ながらに勇気をもらっています、これからもバンバン胸のすくようなコメントよろしくお願いします
    母さんのことも気がかりでしょうがkickeyさんなら乗り越えていかれると確信します
    ホンマ他人事とは思えんうれしい。よかった,よかった (^_^)/~

    やっぱりシニフィエさんって博識ですばらしい方なんだなと、いつもコメント読むたびに思います。希望さんが仰っておられるように珠玉の方なんだなと。こんな方が元学会員だったなんて。
    このブログにであえてよかったと感謝してます覚醒して何十年にもなろうかというのにますます
    やめてよかったんだと確信が深まっていきます
    ロム専のあなたこのブログにコメントしましょ。きっと目の前が人生が開けますよ

  10. signifieさんがおっしゃるように、結局、日蓮正宗って何だったの?釈迦の教えって?と辿ってゆくと、そもそもの原点からおかしなことになってたとわかりますよね。会員は、そこまでつきつめて考えることもなく、教わるままに信じ、あとは、こうすれば功徳があると言うことのみに関心が移って活動していたように思います。そもそもの原点がおかしいのですから、その功徳があったように感じたことも、自分の脳内変換によるこじつけですね。導かれるような偶然の出来事だって、日常経験している人など世の中には沢山いますから。功徳がこじつけなら罰もこじつけ。自分が信じなければ存在しないものです。
    にしても、集団的自衛権など、創価は一番に反対しなくてはいけないことを、容認しちゃってるわけですよね。世界平和を一番に考えているなら、真っ先に食いついて大々的に反対するはずなのですが、平和を守る為という大義名分のもとの戦争参加ならいいのですか?それも戦争絶対反対と言ってた以前と違ってきましたよね。本当に今の創価学会って、まだ会員でいるかたたちが、本当に人生かけて守るべき組織なんでしょうか?夢物語の世界公布にどれだけお金出したって、意味無いのではないですか?人を蘇生させる力がある?長い目でみると本当にそうでしょうか?一時、奮起するきっかけになることがあったとしても、それがいつまで続くでしょうか?結局振り返ったときに失ったもののほうが大きかったことに気づくのではないかと思います。そのときに後悔するか、今勇気を出して自分の力で自分の人生を歩む決意をするかではないでしょうか?
    kickeyさんおめでとうございます!
    自分が脱会したくても、家族が学会員であるためになかなか脱会できないというしがらみがあるなかでの脱会報告は、多くのみなさんに勇気を与えたことと思います。お母様との関係があるので、なかなか難しいかもしれませんが、これからは学会員に煩わされること無く、心穏やかに暮らせるようになるといいですね。

  11. kickyさん、脱会、本当に本当におめでとうございます!
    江戸っ子のような(?)べらんめいな口調、楽しく拝見させていただいていました。
    なんだか、胸がいっぱいになったので、投稿させていただきました。
    私にも祝福させてください(*^^*)

  12. kickey さん
    脱会 本当におめでとうございます!
    これからの人生、kickey さんらしく心豊かにお過ごしくださいね。
    お母様のこと心配でしょうけれど、娘のkickey さんが今後イキイキと幸せに生きている姿を見る事のほうが母の本音としては嬉しいのではと思います。
    きっといつかわかってくださると信じています。
    200円財務の衝撃の初登場から、今日までkickey さんのコメントには勇気と笑いを頂きました。
    おめでとうございます!

    スマイルさんのコメント
    >脱会しようと思っても、地域の会員とのしがらみ、今まで苦楽をともにしてきた同志の絆・・・情で思いとどまらせる。。。
    でも、本当の真実の人間のつながりなら、相手が退転してもお互いを認め合いながらつきあいますよね。。。

    本当にそうですね。
    この言葉は、心に響きました。
    盲信パートナーとの事もですが、地区の方達の事(特に年配の方)のことを思うたびに、退会する際に、この方達に何て言ったらいいのだろうと、常に心の葛藤がありました。
    これだけ長い年月、地区を担当していますと年配の方たちは、自分の事を娘のように頼りきっています。
    何かの度にすぐに電話がありますし、私も飛んでいきます。
    元々は創価が縁での繋がりの関係でしたが、長い年月で築き上げてきた人と人との関係ですので、創価を抜きにしても情があります。
    それを絶っていいのか・・という葛藤。
    でも、スマイルさんのコメントを読んでこの「情」と「創価との決別」とは別問題なんだと、思えるようになりました。

    皆さまのコメントは、自分の心を整理していくのに本当に助けられます。
    改めてありがとうございます。

  13. kickeyさん、よかったですねえ♪
    脱会したものどうこう言ってもしょうがない。
    大丈夫、人って環境適応能力があります。
    いつしかそれが当たり前のことになります。
    お母様もそのうち笑って受け入れますよ。

    学会員さんは(これは日蓮に憑りつかれて思考も気性も日蓮になってしまった人の共通に思えますが)、都合の悪いことは聞き入れませんよね。
    これは創価独特のものだと思います。
    教義がどう変わろうと頭の中は「折伏経典」のまま、まさにそうです。
    一切を自分の都合のいいようにいいように解釈する。
    自分の信じる意見はテコでも曲げない。
    方々からどんなに噛み砕いて説明されてもです。
    それこそ島流しされてもってね(笑)
    何でしょう?
    プライド?
    そうでないと自分がどうにかなってしまうんでしょうかね?
    なんで、「ふうん、そうだったんだ」と素直に思うことができないんだろう?
    私にはそれが不思議でなりません。

  14. おそらく盲信者は未だに創価を「新興宗教」とは思ってないでしょう。
    我見により新興宗教に成り下がったのは日蓮正宗の方で、我々こそ釈迦の本義をくみ取った末法の御本仏であられる日蓮大聖人様の正当な血脈で云々…はあ~、一生言ってろ。

    アンタたちの主張する教義など何ひとつ興味ありません。
    変えようと戻そうと何しようと、日蓮そのものにさっぱり興味がないのです。
    本尊にも題目にもなーんにも興味が持てないんです。
    この教えを使って騙す人たち、そうではなく純粋に信仰してる人たち、どっちにしてもどんな人間になるか、よくよく見させて頂きました。
    関わるとロクなことがないです。

    創価の教義のデタラメも、マインドコントロールの仕組みも白日の下に晒されました。
    聞こうとすれば、いつでも聞くことができます。
    ドアは開いていますよ。
    今創価に活動家として残っているのは
    「いくら言っても聞こうとしない人たち」
    「何を言われても耳を塞ぎ、気味の悪い笑顔を向ける人たち」
    だけです。
    残りの自分の人生このまま多くの人の意見や忠告を無視して、この人たちについていきますか?

  15. 外部のあかりです。

    kickeyさん、
    脱会おめでとうございます(^o^)

    お母さまとのこと、お辛いお気持ちを抱えながらも、よく決断されたと思います。

    ご自分にたくさんご褒美あげて、まずはお気持ちを楽にしてくださいね。

    何があっても、きっとここのお仲間が頼りになります。

    私もいつも助けられています。
    ありがとうございます(^o^)

  16. kickeyさん、無事脱会おめでとうございます!本尊返納申請書なんていうのがあるんですね。初めて聞きました。
    私も早くスッキリさっぱりしたいです。勇気をもらえました♪

    『時代に即して』…と都合のいいように色々と教義は変更しても、
    大迷惑なアポなし家庭訪問はやめないという…これこそ時代に即さない事なのです!直ちにやめるべき事です。訪問を遠慮したい事情を説明しても理解してもらえないとは、人として不信を持たれても仕方のない事だと思います。
    また、会合で学会歌やへんてこりんな歌を歌わせられたりetc…冷静に考えるとアホらしい事が多かった。MCされてたんだなと思います。
    でもこのままいくと、若年層の方々は必ず覚醒すると思います。だって時代に即してない学会だから…会合で軍歌みたいな歌、歌いたくないんです。
    首脳部は、頭の固い・考えの古い人達しかいないんでしょうかね。未来を担うメンバーは、その感覚にはついて行かないでしょう。それとも次の手を考えている所なのでしょうか。

  17. Kickeyさん、おめでとうございます~\(^o^)/
    どうなることかと ハラハラしてましたが、良かった、良かった(涙)
    トラウマと向き合うの、きついですよね・・・
    私もこのブログがなければ、精神崩壊してたとおもいます。

    スレのテーマに関することになるかな?
    昔は「願いが必ず叶う信心」と言われてたはずが、いつのまにか「叶わないことにも意味がある」とトーンダウンしてきてるというか・・・それ、言っちゃていいんですか?
    「願いが必ず叶う信心」じゃないって解釈で宜しいですか?、創価さん!
    私がバリ活女子部になったきっかけの悩み、結局この信心で解決しませんでした。
    自分の信心が足りないからだと 自分を責めちゃってましたね。(暗くなってました)
    なぜ、願いが叶わないの?  その答えを 幹部ではなく、ネットに求めたのがきっかけで こちらを知ったわけで・・・
    シニフィエさんの博識のおかげで 創価も日蓮もバッタモンだったんだと知り やっと自分を 解放させることができました。
    このスレでのシニフィエさんの仏教に関する話、勉強になります。(長文についてくの大変ですが)
    「叶わないことにも意味がある」、はい、意味ありました、そのおかげで退会できたのですから。

     

  18. kickeyさん脱会おめでとうございます。まだお母様のことなどあると思いますが、創価から解放、自由をこれから楽しみましょう。地獄なんて落ちませんよ。幸せが待ってますよー。お守りごほんぞん、ごみ箱にポイしちゃいましたが、なんにもおこりませんでしたよ。
    わたしは、両親に内緒、いい大人だし報告なしに勝手にやめちゃいましたが、わたしも、今後、両親との関わりが、悩みどころです。

    脱会して一年、創価のマインドコントロールの後遺症?が時々ありますがそんなときは、シニフィエさんはじめ、皆さんのコメントにほんとに励まされています。
    ありがとうございます。

  19. signifieさんの仏教のお話しよくわかりました。創価がおかしい事はわかっても果たして日蓮正宗が正しいのか私の中でモヤモヤしていた部分がありましたがスカッとしました。もし日蓮正宗が正しいのであれば私はとんでもない謗法を積んでしまったと思い苦しんでいました。signifieさん、本当にありがとうございます。私は母と同じ地域に住んでいるため、母には脱会の気持ちを話して理解してもらっているため母が亡くなってから脱会する予定です。
    テーマからズレた内容になってしまいました。すみません。
    宗教の選択は自由とは言え、考えれば考えるほど創価は悪質な団体ですね。
    昨年の会則変更を見て開き直りすら感じます。これからも残り少ない会員からお金を搾り取って何をするつもりなんですかね。
    30年近く前ですが、原田が副会長だった時に女性問題で地方に飛ばされた事があったんだけど、いつの間にか東京に戻りその後会長になったんですよ!発表を聞いた時はホントにビックリしたのを覚えています。なぜそんな事を知っているかを書いてしまうと私が誰かわかってしまうので書けませんが確実ですよ。あと、原田はデー作の事を影では池田さんと呼んでいたんですよ。デー作がボケボケになって上層部で何かを企んでるのは確実です。質素に暮らす人生の大先輩や未来のある子供達まで無理やり巻き込んでホント大悪人ですよね。

  20. こんばんは。
    久しぶりにコメントさせて下さい。
    学会はコロコロと言うことややることも変わりますが、変わっても誰も責任をとろうとは
    しません。活動もまたしかりです。
    自分が男子部時代に、北海道男子部で「マイグラフSGI運動」という活動がありました。
    マイ聖教ならぬグラフSGIを家族分どころか、多部数購入して知人や取引先に配布する
    というものです。
    自分はそのころにはある程度冷めてきていたので、バカバカしかったのですが、一応
    部幹部だったので、3部購読していました(もちろん新聞袋に積み放しでしたが)。
    男子部活動者会や男子部幹部会ではヤング男子部や幹部が「自分はグラフSGI50部
    取っています!」とか「僕はグラフを80部取って、会社や取引先などに配りまくっていま
    す!!」などと壇上で絶叫していました(笑)中には月100部取っている圏幹部もいた
    と記憶しています。
    半年近くそんな馬鹿騒ぎが続いて、名誉会長が会議でその活動を褒め称えたなんてい
    う、どこまで本当かわからないエピソードまで届きましたが、半年を過ぎたあたりから選挙
    とか折伏とかに活動が移行して、全く打ち出しなど話題にも上らなくなりました。
    あれだけ部員さんを煽って煽って若い部員さんに何十部も何ヶ月も定期購読させ続けて
    おいてです…
    自分が後日県幹部に「グラフの戦いはどうなったんです?」と問い詰めると、「すべてには
    「時」がある。いまの時に叶った戦いは法戦だ」などと言われて憮然とした思い出があり
    ます。自分が部長だった支部は部員さんに「自分の経済力にかなった部数でいいよ。
    無理して何十部もとるな」と常に話していたので、微々たる部数しかとっていませんでした
    が。
    何か都合が悪いことがあると、「いまは時代が違う」「時に叶った教義がある」「そんな昔
    のことにこだわっていると先生の戦いについていけない、先生は千年先をみて手を打って
    いらっしゃる」などとはぐらかすのが創価学会です。多くの会員はそのことにさえ気づきま
    せん。

  21. こんばんは、外部のぽっけです。
    Kickeyさん、脱会おめでとうございます! 嬉しい報告です!
    私もお祝いしたくてコメントさせていただきます。
    気持ちの上では脱会しているのと同じでも、実際に手続きすると改めてさっぱりするんじゃないかな。
    お母様とのことはこれから時間をかけて少しずつ心が近づいていけますように。

  22. kickeyさん、脱会.*・おめでとうございます ♪+° ・*.
    脱会届けに書かれていた内容があまりにも女性とは知りつつも男前で、私にはツボでした(笑)
    今迄、人間関係、お母様の事、ご自身の事、数え切れない程創価でいるが故の悩みや不安、ご苦労があったと思われます。そして、これから先も、悩む事、立ち止まる事、不安になる事はあると思いますが、こんなに祝福してもらえるkickeyさんがいて、同じ痛みを分かち合える仲間がここにはいらっしゃいます。
    支えて支え合いながら、ゆっくりでも、理不尽な縛りのない、広い世界を実感される事を切に願います(*^^*)
    …………………………………………………………
    モニカさんへ
    前スレッドで私の意見に同意頂いた事、先程読み返していて気付きました(;_;)大変失礼致しました。
    外部の私が創価について、当初実は良いモノがあると信じていました。
    800万世帯の会員数もですが、何より属している方の人柄が私をそう感じさていました。
    そう信じて知りもせず偏見視していた事を恥、反省した上でネットだけではなく、私の身近にいる学会員さんや、学会員さんとの交流経験を持たれる方の経験談を伺いました。
    しかし、調べれば調べる程良いモノとは真逆に私は感じました。
    ネットの情報は点と点が繋がる形で私を不信に導き、関わりを持つ方のお話はよりリアルに不気味さを感じました。(私の経験談ではないので控えさせて頂きます。)
    そして何より、学会員さんと話をする事で私の中での疑問や不信や恐怖を確信へと導きました。
    なので、知ることで良いモノがあると外部の人間に思っているのであればお門違いと申しました。
    むしろ、良いモノがあると仰っていた学会員さんの方が知らなすぎて驚きました。昨年の教義変更すら知らなかったみたいなので、御説明させて頂きましたが、その事ですらガセだと思われたようで…心外でした↓↓
    良い事だけではなく、例え都合上でも、悪い事があるのであれば、無いに等しい表現ではなく、きちんと会員さんには把握出来る様に御説明して頂きたいものです。

  23. signifieさん、ラザリスさん、サラマンダラさん、satouさん、ひっかき傷さん、レモンさん、モニカさん、あかりさん、Heartさん、ケセラセラさん、ぽんきちさん、(今コメント入れる時点では以上の人たちのコメントでお祝いの言葉が・・・。言い忘れはないでしょうか。)皆様、脱会お祝いメッセージをありがとうございます。

    これからなんというか、エセ宗教に惑わされることなく、自分の人生を生きていきたいです。そう、自分の人生じゃなかったって言ってもいいほど。
    だってFだって財務だって、新聞推進だって、つねに「やらされてる」感がありましたから。そう、地獄に落ちるのが怖くてしぶしぶやっていただけです。
    しかしやっても何もよくならない。余計ひどくなる私の人生。

    とんでも宗教だとうすうす感じていたけど、想像以上だった。悪い意味で。
    この信心を捨てると殺人よりひどい大罪になるってごしょにもあり、
    地獄行き確定の人には現証が出ないって、なんというか「とんでもごしょ」がありましたね。それ、昔々に勉強してやけに納得したものです。「信心やめても幸せな人いっぱいいるやん!」という質問に関しての回答がこのごしょだったのです。確か佐渡ごしょでしたね。

    そういう脅しで、やめていませんでした。
    そういう教え方もドンドン変わっていってるのでしょうかね~。

    とんでも教学、とんでも仏法、なんて知って以来、もう何にも思わないですけど。時々出てくるトラウマ以外は・・・。
    組織で仲良しの(女子部時代のともだち、その子はゆる活)子に、昨日連絡したら、びっくりして言葉が出ないってラインが来ました。
    けど、これからも普通にご飯とか行くという感じのお返事でした。

    ま、その子ぐらいでしょうか。あとのバリ活は、私と縁を切る感じです。(すでに脱会前から私は異端児扱いだったので、順次離れて行くバリ活たちは多数いましたが。)

    確かに、スマイルさんのコメントにあった、
    「真実の仲なら、相手が退転してもお互いを認めながら付き合う」ってその通りだと思います。結局離れていく人は組織という流れに沿って私と接していただけ。そこには心も何も通ってません。義務だけです。

    けど、あ~。せいせいした、トラウマだけです。
    またこれからもどんどんお世話になると思いますが。
    皆様よろしくお願いします。そしていつもありがとうございます♪

  24. ぽっけさん、ありがとうございます。
    コメント投稿との時差で気が付きませんでしたごめんなさい~。
    そう、気持ちはすでに脱会していたんですけど、正式に手続きしてすっとしました。
    またこれからもよろしくお願いしますね。

  25. Janneさん、ありがとうございます!
    そして退会の際の書類に書いた私のコメントに賛同していただき嬉しいです。
    そうです、あれは本当に自分でも「よっしゃ!書いてやった!」と思ったものです。
    バ幹部の読んでびっくりこいた顔を見てみたいです。わはは。
    これからもよろしくお願いしますね。

  26. カガテツさんの引用いつもすごいですね。
    お祝いの言葉ありがとうございます。
    いろんなカガテツさんのコメント楽しみにしています。これからも♪

  27. ゴールデンウィーク中は主人がいたので、なかなかこちらのブログもゆっくり読む事が出来ず、出遅れてしまいましたが、ケセラセラさん、kickeyさん、脱会おめでとうございます(^O^)
    また脱会に向かわれていらっしゃる方もおられ、喜ばしい限りです。
    signifieさんもkickeyさんも言われていたのですが、今は割とあっさり脱会できるようですよ。
    私の場合は脱会後、支部婦人部長と区幹部の婦人部長が家庭訪問したいと言ってたのですが、きっぱりと断りました。
    この区幹部のNさんは私の入会当時からお世話になった方です。
    今、同中の時に副会長が各会館を順に回っているらしく、たまたまこの後近くの会館に来たようで、Nさんは「ピュアな奥様にどう指導していいか分からないから、私も(副会長の)指導を受けたい」と言って主人と二人で指導を受けたそうです。全然ピュアじゃないですけどね(笑)
    副会長には「家族を大切にして下さい。池田先生もそう言われています」と言われたそうです。
    まぁ、それしか言いようがないですよね(笑)
    たぶんその時に奥様の分まで題目を上げて下さいとでも言われたのでしょうね、暇さえあれば仏壇に向かっています。
    100万遍唱題表にチェック入れてますよ(苦笑)
    なので、連休中はなるべく主人を外に連れ出していました。
    今日から仕事に行ったので、やっと一人の時間が持てます(^_^)

  28. ケセラセラさん、kickeyさん、脱会おめでとうございます。また近況教えてくださいね!楽しいコメントお待ちしてま~す。

  29. 創価はおかしいけど、本尊や題目は絶対だから信仰がやりたいという人。
    ならさっさと脱会して一人で信仰すればいいじゃないですか?
    そしたら選挙も新聞のノルマともおさらばでき、それに対して「非活」だの「ボイコット」だの「改革」だのいちいち言い訳する必要もなく、思う存分信心できるじゃないですか?
    誰とも無駄に戦わず、揉めず、そんな暇があったら題目でも上げていられますよ。
    組織にいたらそりゃ組織維持のために雑用も寄付も要求されるし、方針にも従うべきだし、リーダーにも合わせなきゃいけませんよ。
    当然、協調性が必要です。
    そんなもの会社でもどこでも同じですよ。

    創価とはそういう組織であり、「金と票集めこそが信心であり、それが成仏の直道である」という教団なんです。

    ※白いブランコさんやキキさんが思いつくずっとずっと前から、改革の構想なんて練られていたんです。
    ※それこそボイコットして読書なんて生易しいものじゃなく、死闘のような戦いをしました。
    ※悪魔に魂も売りました。犯罪もそのもみ消しも、恨まれることも、人に言えない汚いこともやりました。
    ※散々改革してやっと満足できる今の形に仕上げたんです。
    ※こんなに教えが七変化したのは、待ちに待ったこのような今日のためなんです。
    ※創価はトップの構想通り、見事に改革を成し得たんです。(パチパチ!)
    ※何が楽しくて、今さら元の狂信者団体に戻らなきゃならないの?

    ここを理解してないから迷うんですよ。
    「人間には誰しも仏性がある」が創価の根本の教えだなんて寝言はやめましょう。
    さあ、「その誰にでもある仏性をフルに生かして金と票を集めてね!」という教えなんですよ。

    それに従えないなら辞めればいいじゃないですか?
    題目は創価じゃないと唱えられないの?
    南無妙法蓮華経は創価だけのものなの?

    通ってる大学の方針が嫌になった。
    でも勉強したいなら他でもできますよね?
    勤めてる会社の方針が嫌になった。
    他でも稼げますよ。

    その方が迷惑千万な打出しに従って人に迷惑をかけることもないし、自分のストレスもなくなります。
    ただし「これが正しい」「自分こそが正義だ」という独善気質はそのまま持っていくことになるでしょうけど。
    日蓮の題目や本尊を拝むと、これもセットで引き受けることになるみたいですからね。
    選挙や新聞の押し売りは辞めても、形を変えて押し付けがましいことをしないではいられなくなる…
    むしろ脱会して尚、信心を捨てないような強信者はこれが強い。
    ともかく人に迷惑をかけず嫌われず、静かに信仰してほしいと願うばかりです。
    日蓮信仰に限り、難しいと思いますけどね。

  30. 続きです。
    もし創価が、金や選挙を二の次にして「純粋な日蓮正宗の信徒団体」として今も折伏に邁進してたらどうなりましたか?
    一神教のような教えでイスラム国みたいに、自分とこの思想だけが正しいと独善につき進んでいたら。
    それはそれで危険極まりなく、それに限界がありますよ。
    仏教学も科学も医学も民主主義も進化し、成熟します。
    いよいよ騙し通せないし、多様性なしでは存続できませんよね。
    そんな中でも「この教えしかない。狂ってるのは皆の方だ」なんて盲信し続けていたらもっと痛い目に遭ったんじゃないかと思うのです。

    そんなことより多様性をもって民衆に理解を得て、政治を後ろ盾につけて経済を安定させた方が組織は安定します。
    カルト教団として危険な思想をふりまくより、その辺の訓話にもあるたわいない指導を流してビジネスとして成功させる方が教団のためと思ったのかもしれません。
    選挙中心になって金と票をむしりとられるのは困りますが、排他的な思想しか持てない人間になるのも問題です。

    私は脱会して使ったお金をどうこうより、この排他的、独善的思考から覚醒できたことが何より重要と思いました。
    同時に長らくこんな思想に支配されていたことに悔やみきれない思いはありますが、いずれにせよ思想はお金で買えません。

    創価を改革して純粋な宗教団体に戻す?
    これはこのまま進むより危険なのでは?と思います。
    ビジネスなんて現金なもので嫌になったら人は簡単に離れます。
    ですが宗教の狂信者を覚醒させる方が難しい。

    ともかこのままいっても弱体化し、宗教的にもカルトでしかない創価に未来はないことに気づいてほしいです。

  31. Kickeyさん>いろんなカガテツさんのコメント楽しみにしています 
    ❆贐 P218
    過去の否定は未来のそれよりも、はるかに断定的であるとわれわれにはみえる。
    後者は甚だ曖昧であって、それがなんとか否定であるのは、ただ
    未来が過去からその性質を借りている度合いに応じてであるに過ぎぬかのように思われる。
    実際、過去に対しては、われわれは、躊躇も強制もなしに、「もはやそれはない」ということを語りうるのであるが、未来に対してはそのようなことは決してない。
    すでに一度ならず言ったことであるが、未来についてわれわれは、思い出に類するどんな現象も有つことはないのである。
     われわれは決して預言者ではないし。決してそうありたいとも望まない。
     そして未来はもともと「あるであろうが未だないもの」ではまったくなく、
    *「ありうるであろうもの、特に、あらねばならぬであろうもの」である。
    かかるものとして、それは全面的に現在から湧出する。
    *それの発する生命の光線でこれを生気づけながら。

    「生きられる時間Ⅰ/E.ミンコフスキー」1972年3月・みすず書房
    (読み易いように改行、*印を編集しました)
    最初ミンコフスキーさんを見た時、私が一時嵌っていた“アル中アナキストで思想家名文家の辻潤”に顔がそっくりだったので、ビックリしました。
    若いころ読んでた
    「哲学的世界定位Ⅰ」「実存解明Ⅱ」「形而上学Ⅲ」のヤスパース哲学三部作
    「哲学探究」ウィトゲンシュタイン 「不安の書」フェルナンド。ペソア
    「希望の原理1」エルンスト・ブロッホ 「死」V.ジャンケレヴィッチ、等哲学書
    暁烏敏・清沢満之・金子大榮・澤木興道・内山興正・市川白弦、等仏教書
    木村大賢・中村元・吉川幸次郎・諸橋徹次・桐生悠々、等学問評論……その時のテーマに沿って引用させて貰う積りですので、アテにしないで待ってて下さい。

  32. 創価の改革について。
    池田さんが戸田さんに「今の創価学会は嫌いです」と伝えたところ、戸田さんは「それじゃ君の好きなように改革しなさい」と言われたと折りあるごとに語っておられました。

    今の創価で、「創価は選挙ばかりだからこれを改革したい」と言えば、それはもうフルボッコでしょう。「信心が曲がっている、弱い」「異端児」「怨嫉者」「魔にやられている」「悪鬼入其身」などなど、様々なレッテルを張られるだけでしょう。

    現在の執行部の方々も教義の改正なんて会員を苦しめる事なんてしないで、「新聞の多部数購読禁止」などなど会員が楽になるまともな改革をするべきですね。

    いっても無駄なのでこの辺にしときます。

  33. 皆さんのコメントやご近所の創価の雰囲気から確かに創価は衰退してるんだと思います。
    が、なぜ中枢にいる人達は放っておくんでしょうねぇ??? 最近、私の中での最大の謎です。
    だって莫大な資金を使えばいいじゃないですか。イメージ戦略だろうがネット対策だろうがいくらでも湯水のごとくつぎ込めばいいじゃないですか。「ウチに任せて下さい!!」的な取巻きの会社なんかいくらでも寄ってくるでしょうに?? キ◯ガ◯幹部の恫喝よりよっぽどマシでしょ? 末端だって胸を張って活動できるかも知れないじゃないですか? 誤解を承知で言いますがもっと上手に騙してほしいと思ってる人だっているんですよ。

    それとも、あえて何もしないで海外逃亡の準備にいそしんでいるのかな??

  34. comaさん、庫裡山さん、お祝いのことばありがとうございます。
    創価から完全に切れて本当に魂の独立。
    これからもどんどんコメント書いていきます。
    しかしいちいち「ここの誰かが嘘つきだ」って完全にいちゃもんつけてるだけのような気がするのは私だけでしょうか。テーマにそぐわなくてすみません。

  35. ラベンダーさん、comaさん、祝福のお言葉ありがとうございます。
    案ずるより産むが易し・・・で、とりあえず 退会! 実家に内緒でバレたらヤバいなど、その他諸々の面倒な事は 後から考えることにしました。
    こちらの皆様の コメントに後押ししていただいた感じで 感謝するばかりです。

  36. いくらこちらが「当たり前のこと」「正当なこと」「人として大切なこと」を伝えても、ソーカの人には伝わりませんよね。私もバリ活だったので、思考回路がよく分かります。
    マザー・テレサも「邪宗だが一部的な良い行いをした。創価の哲学こそ、全てを含んでおり、最高最善!」的な考え方でとらえてしまいます。不思議なことに自然とそのように捉えてしまうようになっているんです。
    キリスト教から改宗した外国の方か「教会に行っても何も解決にならず、ソーカの会合で生きる希望を見いだした」と言えば、「それみろキリスト教は低級な教えや、ソーカの方が立派だ!」となります。
    昔、学生部の頃、幹部に質問をしました。
    「アフリカで、飢餓に苦しむ難民とかいますが、仏法的にどのように考えたらいいでしょうか?」幹部は「宿命だよ。あの人たちは過去に法華経を誹謗するなど悪いことをしたのであのような境遇に生まれたんだ。罪業だよ。」と、もう少しましな答えを言えばいいのに。どことなく蔑むような目線でした。「悲惨やな。仏法誹謗の罪障や」と考えていたのでしょう。テレビを見るたびに。創価の哲学を鵜呑みにすると「人として大切なことが知らず知らずに抜けていく」ように思います。
    また、創価の中で「おかしなこと」が起こっても「たまたま」とか理由をつけてでも「私の信じている日蓮大聖人の仏法・創価学会は100%正しい」との思考があるかぎり何を言っても無駄なんです。
    「聖教新聞の啓蒙が苦痛です」→「信心が弱いから確信がないから苦しくなるんだ」→「聖教新聞の啓蒙ができるように確信を深めさせてください!」とか「熟読して確信を深めよう!」orz
    そして友人知人に嫌われながらも我慢して推進していく・・・
    理解しない人は「機根が整ってない」とか「無知で愚かな奴だから最高の教えがわからない」
    国土が乱れるのは法華経を誹謗するためである!と宗祖がいっておられます。立正安国論には「まず邪宗を駆除せよ!」

    人間主義を掲げながら、そのような人間になれないのが日蓮仏法です。

  37. スマイルさん、その通りですね。
    創価がおかしいのは組織や打出し以前に、教えがおかしいんです。
    教えがおかしいから、おかしい人間が排出されるんです。
    根本の日蓮の教えだけは正しい?
    本尊や題目は間違ってない?
    いいえ、信じて実践すると間違いなくおかしくなります。
    論より証拠。
    だってバリ活でひたすら題目上げて熱心に活動してる人って、皆ソックリじゃないですか?

    独善が大好きで自分こそが正論だ。
    あの笑顔、あのしゃべり方。
    言うことも一緒。
    決めつけが大好き。
    思い込みが激しい。
    人の言うことを聞かない。
    聞いてる顔をして意見は曲げない。
    人と比べて自分はこの信仰を理解していることに異常な優越感を感じていて、そうでない人を見下す人間になる。
    選挙にしろ他人様への指南にしろ、言動は明らかに浮いていておかしいのに、当人は「それは慈悲の発すること」と本気で思っている。
    自分はどう思ってても、傍から見るとこのようにしか見えないんですよ。
    何が怖いって皆にはこのようにしか見えないのに、自分だけはそうは思わない間になることです。

    私は脱会する間際、今まではふつうに見えていた彼らの表情が突如全然違う人種に見えてゾッとしたことがありました。
    自分にふつうの感覚が戻った瞬間だったと思います。
    明らかに選民意識がないと言えない言葉を、笑みを湛えてこちらを凝視して言うのです。
    その何とも言えない笑み、笑い、表情…皆申し合わせたように同じなんです。
    本人はもちろん気づいていません。
    心底ゾクッとしました。

    今でもスーパーやいろんなとこで同じ笑みでこちらを見て挨拶されます。
    努めて平静を装いますが正直、気味わるい。(ユル活だった子は全然そんなことないです。盲信者特有です)
    金儲けの露骨な打出しはまだいいのです。
    あのような表情にしてしまう思想の方が厄介なのです。

  38. 昔を思い出した。
    あるおばさん(80代後半)が50-60代の男女に付き添われてスマイルのお店にきました。
    目がキラキラしていたので「学会の人かな?」と思っていた。
    あとからわかったことだが、「エ○バの証人」のグループでしたorz

    キツネを拝むとキツネと同じような生命が感応し、キツネのようになる。
    同じように、日蓮を拝むと日蓮のようになる でしょう。

    創価の活動家の方は、みんな似ていますよね・・・なんとなく似ていますよね。。。

    言うことは皆同じ。自分で考えているようで、「受け売り」ばかり。

    でも、同じ日蓮でも、創価の日蓮と、お山の日蓮 は同じように拝んでも、出来上がる人間は違うように感じます。

    この差ってなんだろう?

    南無妙法蓮華経を唱える宗教は沢山沢山あるけど、みんな同じようになるわけではなさそう。
    本尊の違い? それとも教え(洗脳)のちがい?

    だれか教えてください(*^_^*)

  39. これまで活動家の人と対話をしたり、その様子を見たりしてきましたが、びっくりしたのは皆さん頑ななところです。
    「この教えは絶対」といいますが、教えって宗教ですよ?
    まるで「地球は丸いんです」と同じように言い切りますが、絶対というなら同じように証明できますか?
    「自分はそう信じる」というだけのことですよね。
    教えが絶対なのではなく、「そう信じてる自分の思い込み」を「絶対」と錯覚しているということです。

    実際「貧しい国の子どもたちは過去に法華経を誹謗したからだ」なんて教団に都合のいいだけの話、どこがどう「絶対」なんでしょう?
    言い出した当人がなかったことにしてるようなことを、信じてる時は得意になって「絶対」にしていた。
    「絶対」なのは「教え」じゃなくて「そう信じた自分」だったってことです。

    私は何十年も疑いなく組織にいましたが、アンチブログを三日も読んだら退会を決めましたよ(笑)
    自分の概念など絶対でも何でもなく、他人から新たに教えられれば壊れ、納得しまた構築されていくもの。
    私はそう思いますが違いますか?
    これを頑なにし、強情にするのが日蓮仏法だとしたらそんなもの要りませんよ。

  40. そもそも仏教の基本は「この世に絶対に変化しないものはない」という仏陀の洞察からはじまります。前に話しましたが、これは仏陀よりもはるか以前からあった古代インド哲学の一般的な世界観でもありました。日蓮の教義は、この仏教の基本中の基本を無視して、インド仏教を武力で壊滅させた一神教であるイスラム教の教義によく似たものです。つまり日蓮が自分自身を末法の本仏だと宣言したのは、イスラム教でいえば「我こそはアッラーの化身である」と宣言するようなものです。今で言うと「我こそはこの宇宙の創造主エル・カンターレである。釈迦もキリストもマホメットもみんな私が教化した弟子である」と真顔で言っている大川隆法のようなものです。いつも言うように、それでも信じると言うなら信じればいいんです。イワシの頭にちちんぷいぷいでも、カラーコピーにナンミョーでも自由です。それが正しいと信じて有り金はたくのも自由です。ただそれを家族や他人を脅してまでやらせないでほしいんです。創価の教義がどんなに変わろうが知ったことではありません。しかしそれを信じたばっかりに不幸になった人がいっぱいいるんだから、他人に勧めないでください。昔と違って創価も信教の自由は保障されるべきだと言うのであれば、折伏はやってはいけないことだということぐらい分かりそうなものですよね。
    創価が正しい宗教に生まれ変わるためには
    1 折伏はしない
    2 聖教新聞は会報なのですべて無料配布
    3 財務は希望者のみが最高1万円までで収支を完璧に透明化する
    4 組織として政治活動はしない
    5 未成年者は入会できない
    こうでもしなければ改善などできないでしょうね(^◇^)
    こう考えると、創価が実際にやってることが金目当ての詐欺だってわかりますよね。

  41. スマイルの顧客には、創価の方が多いです。口コミで。

    みなさん素直でいい人なんです。「創価スイッチ」はもっておられるようですが。。。

    「よりよく生きよう」「より良い社会を作ろう」との純粋な思いが、うまく巧妙にわからないように利用されていますね。

    私もそうでした。「学会員なら信頼できる」「学会員の店なら信頼できる」そう思って生きてきました。

    男子部時代、圏男子部長の散髪屋に通っていました。「へたくそ」でした。でも何回もかよいました 。あまりにも「へたくそ」なのに。

    そんなある日、予約の電話を入れたらことわられました。

    「今から、○○文化会館(方面の中心会館)の創価班警備があるので」と平気で言ってました。
    それ以来、行くのをやめました。
    1回3000円として、1年で36000円、10年で36万円の顧客を逃しましたね。
    「アホや!」

    学会員に限らず「信頼」を得られる仕事をしたいものです。

    かくいう私も大きな会合のため、1人架空の親類に死んでいただきました。
    「お葬式」との名目で早退しました。

    みな嘘をついています。文化祭があったときなんて、どれだけ「ズル休み」があったのかな?
    最近、文化祭が開催されないのは「男女問題が多いから」と昔先輩が言ってました。
    男性で妻子のあるダンスのインストラクターが、女子部の女の子と・・・・・とインストラクター経験者の先輩から直接聞きました。
    もちろん、それだけではないでしょうが。

    スマイルの学生時代の同級生は、ほぼ幽霊部員です。社会人になって、バリ活時代に「なぜ活動しないのか?」と問い詰めたことがあります。そしたらいろいろ語ってくれました。「ある府会議員が、支部婦人部長となかよくなって、その婦人の家庭が崩壊した。それを皆知っていて、だれも問い詰めないので圏長に相談したら、もみ消された」と。
    やはり自浄作用のない組織ですね。

    話がそれましたが、倫理観がないのも創価の衰退の一因だと思います。
    あらゆる方面で「迷惑なやつ」ですね。

  42. なんか、連投になってしまいます。

    いろいろな思いが「堰を切ったように」流れ出してきます。

    この日本国について、日蓮の御書に「日本の国民は、メッチャ悪い極悪人が産み広げた子孫の集まり」という記述がありました。

    法華経誹謗の面からのべたのかも知れませんが、受け手としては「日本の国民は、極悪人の子孫」という感覚が残ります。

    「日本人はどうしようもない、救いようのない、ごっつう悪い、人間としてカス」と、創価の信者はその言葉を真に受けます。
    そりゃ「他を見下し、自分達は偉い」という選民思想になりますよね。

    あと、たしか良寛にたいしてだったかな?他人を「ウジ虫野郎めが!」と汚く罵りますよね。新聞でも下品な言葉のオンパレードでした。「悪人には境涯と同じ下品な言葉しか入らないので、慈悲でわざと汚い言葉を使っているんだ」という池田さんの指導を聞いたことがありますが、本当でしょうか?

    【日本人は極悪人の末裔】【他人を批判するときは「ウジ虫野郎!」】

    これってメッチャ下品ですやん。。。

    日蓮さん、あなたは本当に「末法の御本仏」ですか?
    法華経や仏典の解釈なんて何とでもできますよね。

    シニフィエさんが言われるようにどこぞの「エル・カンターレ(カンテレだったかな?関西テレビ?)」と同じようにしか見えてこなくなりました。

    「スマイルこそ過去に池田さんもガンジーもキング博士も、釈迦もマホメットもキリストも日蓮みんなみんな教化してきた「元祖末法の御本仏」である!」宣言と同じようなもの。

    大阪の「元祖タコヤキ」「本家タコヤキ」「総本家タコヤキ」と変わりませんやん(^^)

    タコヤキはお腹一杯になって幸せになりますが、宗教は人に迷惑をかけ自分も不幸になるので大問題です。

    シニフィエさん、皆様、とりとめのない話にお付き合いいただきありがとうございます。
    脳みそに染み込んだ汚れがドンドン出てきています。

    私事ですが、実は父の死に伴い、深い悲しみの最中に、スマイルの会社にコンサルタントが入ってきました。危うく乗っ取られるところでした。その人のやり方はまさに「マインドコントロール」。私の人格を否定して、「あなたは経営に向いてない。人格形成に問題があるから。だから私が指揮を執る」。かなりかき回されました。しかし、創価に対する覚醒が進むにつれて、マインドコントロールを学ぶ中、気づくことができました。ホントに助けられました。ありがとうございました!

  43. スマイルさんの話で思い出しました。
    文化祭を最近行われなくなった理由は、「時代に即して」不景気時代に
    浮かれてお祭りをしている場合ではないっていうのが創価の建前の理由でした。
    私はそう聞かされていました。
    しかしおっしゃるように、文化祭や音楽祭という行事をするたびに、
    男女の仲がおかしい噂や現実に知っている人がなにやらおかしいことをしている
    ことなど、目撃していたことを考えると・・・。やっぱりそうだったんですね。

    それと、男子部などが任務のために誰かのお葬式に行くことにすることなど、
    よく耳にしました。女子部でさえそうでした。
    しかし、文化祭で池田デー作に会いたいといういっしんで、
    どうしても休みたい(文化祭当日がどうしても仕事という状況)と、祈っていたら、
    その人の職場が集団食中毒(ホテルか何かのレストラン、その人は料理長)で、
    10日間の営業停止になった。そのおかげで文化祭に参加できてデー作に会えた!というトンでも体験を堂々と語っていたのにはびっくりしました。
    集団食中毒になったことを功徳という感覚、危うくは職を失う状況にある、文化祭どころではない、普通なら嘆き悲しむことを、集団食中毒になったので職場を休むことができ、デー作にお会いすることができました!なんて体験談、笑ってしまいました。
    絶対感覚がおかしいです。創価の感覚。
    その人こそ、私の地域の現在の地区部長です。ご本尊を返して受け取ってくれた相手です。
    あのころの職場は退職したか崩壊したみたいですが、現在生活できているのでどこかに復職したのでしょうね。

  44. >>しかし、バーチャルとリアルが逆転してしまっている人が増えているのが、現代の抱える大きな問題です。
    >……バーチャルとリアルが逆転して仕舞ってる人は、精神病院に入院している人位しかいないと思いますよ。

    カガテツさんの返しに吹き出しました^^;
    本当に。
    誰ですか?そんな人いるんですか(笑)

    情報を鵜呑みにするしないなんて、リアルだろうが週刊誌だろうがネットだろうが無関係ですよ。
    なんでネットだけ槍玉に挙げるんです???
    ウソつきは、どこの誰か知れ渡ってる間柄で平然と作り話をしますよ。
    そりゃ見事なもんです。
    私そういう人よく知ってますよ。
    創価ご自慢の新聞や書籍にウソはありませんでしたか?
    出版元が書いてあったからって、どこの誰が書いたと表記があるからってウソがないことになりますか?
    創価なんて〇〇著者と明記してあって、それがそもそも大嘘だったりするじゃないですか?

    バーチャルねえ。
    私、怪しげな宗教の方がずっとバーチャルに思えるんだけど。
    自分の習ったうけうりが全てじゃないんですよ。
    心配されてるのはキキさんの方だということにも、気づいてくださいね。

  45. 文化祭いろいろ問題あったんですね…
    私は北朝鮮統率のリハーサルとしても過去にやったのかなと思っていました。
    あとは、
    経費がかかる、所有者が施設を貸したがらない、といったような経緯かなと。

    私は創価学会のCMあまり見たことなくって…関東のローカルでは多いのですか?
    テレビはデマではないのかしら?
    大口スポンサーを過信して大丈夫なの?
    イマドキのいろんな情報に接していたら、みんな見抜いてると思いますけど

  46. バーチャルとリアルが逆転してる人って、まさに創価信者じゃないですかね?
    実際見ても触ってもいない作り物の情報にふんふんと頷き、世間の迷惑顔に気づいてもいない。
    違いますか?
    例えば選挙を頼まれるたびに心底「不愉快」と思われてるリアルに気づいていますか?
    全然ピンときてないでしょう?
    ピンとこないから、何年たっても会館で「エイエイオー!」と雄叫びを上げ、恥ずかしげもなく戸別訪問できるわけでしょ?
    こんな現実問題がピンとこないのに、750年前の千葉県出身の一お坊さんが人智を超えた仏様ということにはドンピシャリと納得できて、広宣流布とやらのロマンに酔いしれることができる。
    「この人たち、どっかの仮想空間で生きてんじゃね?」
    「マジか?どっかの精神病院入れよ?」
    言われるのはどちらでしょうね。

    あの、リアルでは脱会者が続出して、実質活動家なんて何十万しかいないんですよ。
    それも皆中年以上でそれを担う若者なんていないんですよ。
    バーチャルでは永遠に827万世帯かもしれませんが(笑)

  47. お久しぶりです、外部のAkiraと申します
    あちらのスレッドは大変なことになっていますね
    毎度のことながら活動家さんや信仰心の厚い方がお見えになると会話さえ通じなくなってしまいますね、本当にお疲れ様です(←妥当な表現では無いでしょうが)

    私は外部の人間ですのでピントの合わない事を言うかも知れませんが
    どうにも気になる事があり書き込ませていただきました。

    インターネットはバーチャルの世界であるとよく言われます
    まさにその通りでしょう、バーチャルこそ人間だから出来る文化であり文明なのです

    しかしながら、よく間違った解釈をされる方が多いのは実に残念なことです
    バーチャルとは非現実的な仮想空間であり実態の無い空想の世界であると言われる方がいます、そしてリアル世界の対極がバーチャルの世界であるようなトンチンカンな事を堂々と言われると日本の教育は根本から間違っているのではないかと思わざるを得ません。

    バーチャルとは何か?

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3

    「仮想現実」という訳語について
    バーチャル・リアリティは元々シュルレアリスムの詩人アントナン・アルトーが造語した芸術用語であった。現在のような意味では「バーチャル・リアリティの父と呼ばれるジャロン・ラニアーらが普及させた。
    本来Virtualとは「実質的な」という意味であり、通俗科学用語となってからはバーチャルリアリティという語には「現実世界の実質的で本質的な部分をユーザに提示する技術」という意味がこめられている。

    たとえば、人間が行けない場所でのロボット操作などの応用や、コンピュータ上であれば、コンピュータ上の作り出す仮想の空間を、現実であるかのように知覚させることなども使用される。
    現実の光景に様々なデジタル情報を重ね合わせて表示する技術の拡張現実(Augmented Reality)ARとは異なる。
    そのような意味から、「仮想」現実という訳は本来不適切である。

    例えば “Virtual Money” とは電子マネーのことであり、決して偽金のことを指すわけではない。
    仮想→Virtualではない、よく引合に出される例として仮想敵国という言葉がある。
    仮想敵国は、決してVirtual Enemyではない。

    歴史的には、バーチャルメモリ(Virtual Memory)の訳として仮想記憶がやはり同様に不適切だと言われながらも定訳となっているなどしているため、他の語でもVirtualの語から即ち “仮想” と訳されてしまっている。

    「バーチャル」の語は、「仮想」(または、擬似)という意味で和製英語的に使われ、さらなる混乱をもたらしている。

    国立国語研究所「外来語」委員会の言い換え提案でも、英語virtualは「表面上は違うが実質そのものである様子で、実質上と訳される」のに対し、外来語「バーチャル」は、「現実そっくりだが仮想の世界である様子」として用いられ、英語と意味が大きくずれていることが認められている。

    以上wikipediaより引用

    いかがですか、考えれば考えるほどこのバーチャルという言葉は、大変奥の深い重要な概念です。
    バーチャルはバーチュー(virtue)の形容詞で、バーチューは、その物をその物として在らしめる本来的な力という意味からきています。

    つまり、それぞれの物には本質的な部分があって、その本質を備えている物がバーチャルな物なのです。

    言いかえればインターネットには本質的な部分があって、その本質を備えているのがシニフィエさんの「対話を求めて」と言うブログなのです。

    デマや嘘に溢れているのがバーチャルの世界などと誰が言ったのか知りませんがそれは全くの認識違いですよ。

  48. Akiraさん、詳しい解説ありがとうございます。
    そうなんですね。
    また概念が再構築されました(笑)

    今回はキキさんが言わんとされる意味に合わせて使いましたが、それで伝わればよいと思いました。

  49. Akiraさん、お久しぶりです。
    わかりやすいコメントありがとうございます。
    私もどこから書いていいのか迷っていたので、ほんとうに助かりました。
    バーチャルを実体のない絵空事という解釈は、完全に取り違えてますよね。何のためにバーチャルという言葉が成立したのかを考えればすぐにわかることです。

    すこしだけ専門的な話になりますが、たとえば純粋芸術とはまさにバーチャルです。さっき絵空事という言葉を出してしまいましたが、絵に対して失礼な表現でした(笑)。たとえばの話ですが、絵画と言うのはキャンバスの上に塗られた絵の具自体に価値があるのではありませんし、一枚の絵画は「所詮絵に描いた餅」などと揶揄されるようなものではありません。優れた絵画と言うのはキャンバスと絵の具という媒体を使って、ふだんは見ることのできないものごとの本質が表現されているからこそ価値があるんです。20世紀初頭の深層心理学の出現が背景となって、シュールレアズム(超現実主義)の芸術運動は、目に見えないところにこそものごとの本質があるという洞察によって成り立っています。一般的にも有名なダリやマグリットなどのシュールレアリズムの芸術家は今でも変人扱いされますが、私は20世紀の芸術運動のなかでも最も重要なものだと思っています。ほかにバーチャルをわかりやすく表現したものとして映画『2001年宇宙の旅』や『ブレードランナー』や『マトリックス』のようなSF映画がありますね。これらの映画はSF娯楽として有名になりましたが、とても深い世界観が根底にあります。最近ではクリストファー・ノーラン監督が『インセプション』『トランセンデンス』『イインターステラー』といった凄い映画を通じてバーチャルの重要性をものの見事に映像化していることにたいへん感動しました。あんなバカでもわかるような映画しかつくれないハリウッド映画界の中にあって、ここまで奥深い映画をつくれるこの監督はまさに天才だと思っています。
    そしてここからは勝手な私見なのですが、このバーチャルの概念こそ、古代インド哲学から仏陀を経て仏教として中国に伝えられ、禅宗として昇華されたあと日本に伝わった仏教なのではないかと思っています。つまりもともとこの世界自体がバーチャルで実体のないものだという解釈です。それを先人は「無」だとか「空」という言葉で伝え残して来たんだろうと思うようになりました。仏教に限らず老子の思想もこの世界をバーチャルとして捉えることが基本になっています。先に紹介した映画『インターステラー』は最先端の宇宙物理学が、世界をバーチャルなものとして捉え、驚くほど仏教の世界観に近づいていることがわかります。小難しい哲学書を読んでしたり顔になってるより、この映画で涙するほうがよっぽど価値があると思いますね(笑)。私はそれほどこの映画を評価してます。興味のある方は是非おすすめです。スクリーンで見たほうが絶対いいです。
    さて、バーチャルと宗教の関係についてはブログのコメント欄に書けるような内容ではないのでやめておきますが、バーチャルリアリティという言葉があるように、少なくともバーチャルとリアルは対立概念ではないということは言えますね。リアルと言う言葉を実体とか本質だと捉えるのがそもそも間違いでしょうし、ましてやバーチャルが実体のないものと解釈するのは、とんでもない間違いだと思います。
    前にも言いましたけど、イワシの頭にチチンプイプイと唱えると、イワシの頭の大魔王が出て来てなんでも願いを叶えてくれると信じることと、カラーコピー用紙に向かってナンミョーと唱えると絶対的幸福がつかめると信じて、持ってるお金をみんな貢ぐこととは、基本的に同じようなものだと思うんですけどね。これこそバーチャルではなく「絵空事」に騙されて、まんまとお金をふんだくられている人の姿ですよ(笑)。

  50. 昔アメリカのドラマにVR5というドラマがありました。
    もちろんVRとはバーチャルリアリティ。現実に近い段階に分けて、一番近い段階が5番目(それでVR5)だったと思う。仮想現実でしたが、現実において実現するものの中でのバーチャルって説明でした。仮想ですけど現実なんです。まさにakiraさんおっしゃるように、

    >それぞれの物には本質的な部分があって、その本質を備えている物がバーチャルな物なのです。
    言いかえればインターネットには本質的な部分があって、その本質を備えているのがシニフィエさんの「対話を求めて」と言うブログなのです。

    この説明がすべてですね。
    私の見たドラマの現すバーチャルリアリティーと合致します。akiraさんありがとうございます。

    なのでバーチャル=嘘、非現実的と表現すぎるのはあまりにも短絡的ではないかと思います。

    コメントするならもっと勉強しましょうね。ぷぷぷ。

  51. 連投すみません。
    ネットはデマばかり、ですか~。
    じゃあ週刊誌や様々な脱会者の著書は真実なんですね???
    おかしいな~。私がバリ活時代は「週刊誌はうそばかり!脱会者の言ってることもデマだ!」って言ってましたけど、その時その時でデマだ!という対象が変わってるだけのような気がしますけどね~。
    都合悪いところで、それぞれの場所で◯◯はデマばかり!とか言ってるんでしょ。
    バリ活だったから知ってますって。そんなこと。

  52. シニフィエさん、何度もお手数おかけしました(p-ω-;)

    外部のJanneです。Akiraさん初めまして。
    バーチャルについて、あと、学会員さんについて、共通認識しています。
    初心者でもバーチャルについて少し調べれば分かる事ですし、私が見てきた学会員さんは慎重さに欠けるというか、足元をすくわれるような発言を多く感じています。きっと、感覚的に捉え、そう思い込む人が多いのでしょう。自分で疑問に思い、調べる事が習慣にない。又は、周りの情報を感覚的に捉える。
    だとすれば、この様な方々は、情報の自己処理能力が一般的な方々より低く、ネットの情報を(調べもせずに)鵜呑みにされると感じるのでしょう。いらぬ心配ですよ。皆さんもっと賢くて、用心深いですから。

    色々と私の中で繋がりました(笑)
    Akiraさん、情報提供ありがとうございました。
    これからも、よろしくお願い致します^^

  53. ともかく、このブログに訪れる現役活動家は一般常識な欠け、自己中心的だと感じます。
    キキさんとやら、スマイルさんをウソつき呼ばわりしておいて、その理由について説明するのは自分の用事を優先させて、その後にしますとは何事ですか!?
    一般常識からすれば、また日本人として道徳感からすれば、自分の用事など後回しにして、睡眠時間を削ってでも、そのような結論に至った理由を述べるのが普通です。
    でないと、スマイルさんも反論の余地がないではないですか!?
    あなたは何かにつけて、仕事が忙しいだの、家族サービスをする予定があるだの、お風呂に入るだの、まるで子供の言い訳みたいです。
    他人の気持ちを踏みにじっておきながら…。
    たしか、「仏法者は、誰よりも常識的であるべきだ」みたいなことを、戸田二代会長が言ってたような覚えがあります。
    そうした部分を大切にしていかないと、益々おかしな組織になっていくと思いますがね。
    創価学会、大大大嫌いです。
    (`へ´*)ノ

  54. >>スマイルさんへ
    >キツネを拝むとキツネと同じような生命が感応し、キツネのようになる。
    同じように、日蓮を拝むと日蓮のようになる でしょう。
    創価の活動家の方は、みんな似ていますよね・・・なんとなく似ていますよね。。。
    言うことは皆同じ。自分で考えているようで、「受け売り」ばかり。
    でも、同じ日蓮でも、創価の日蓮と、お山の日蓮 は同じように拝んでも、出来上がる人間は違うように感じます。
    この差ってなんだろう?
    南無妙法蓮華経を唱える宗教は沢山沢山あるけど、みんな同じようになるわけではなさそう。
    本尊の違い? それとも教え(洗脳)のちがい?
    だれか教えてください(*^_^*)

    私の考え……南無とは帰命ですので、将にスマイルさんが、ご自身で書いている通り、南無している対象。白蛇ならヘビ・狐ならキツネに、という風になります。池田が配ったカラーコピー本尊なら池田にという風に、成って行きます。
     但し、伝統のある、例えば日蓮正宗の場合、日蓮・日興・代々の猊下及び、今現在の猊下の混合したものになると思います。
     及び、本人がこう在って欲しいと希求するイメージも投影されるようですね。

    「今のお寺に仏教はない」遠藤誠/1995年3月・現代書館
    の 十、創価学会を弾劾する の 結び

    P233……およそ仏教である限り、カネと財産と地位と名誉と権力と異性と、そして自分自身にたいする執着によってふりまわされている自分から、逆にそのような諸々の欲望を自由にコントロールできる自分につくりかえること、すなわち悟りをえることがその本質でなければならない。……
     ところが、創価学会は、「南無妙法蓮華経」にしがみつき、学会員の数の増大と公明党の議員数の増加に、ひたすら執着し、題目を上げる回数と商売繁盛・身体堅固・金もうけとの相関関係にだけ、執着している。
     こんなものは、もはや仏教と言えたしろものではない。
    P234 もちろん「信仰は自由である」から、彼らが、いかなる「信仰」を持とうが。それは自由である。しかし、真の仏教と、法華経と日蓮聖人の教えに反する徒党・集団に、仏教の名を用いることは詐欺である。したがって、彼らが。「日蓮正宗信者団体・創価学会」なる名称をやめて、今日から「池田会」という名前にするのであれば、私は、いっさい批判をしない。……
    正常な人間の脳細胞を破壊し、目かくしされた馬車馬の如き人間ロボットに改造してしまう団体の存在は、真の仏教の名において、断じて許すわけには行かないのである。
    (以上引用終り)

    「弘法大師の法華経Ⅰ」大倉隆浄/2000年1月・星雲社
    “各宗祖師の法華経”の項がよく纏まっているので簡単に引いてみます。
      日本思想体系全67巻(1970~82年)も一部参照します。

    P12 法華経は真理を教え、その真理を衆生に実践しなさいと説いているが、宗教団体の利益のために、幹部の得点のために自宗に引き入れろとは説いていない。(中略)

    P32~●聖徳太子の法華経
    日本大乗仏教の先駆者・三身即位一・開三顕一の理・利他の思想
    P34~●伝教大師=最澄の法華経(天台)
     すべての人々は成仏できるという一乗思想である。
    法華秀句三巻(三一権実論争)vs徳一…日思/最澄P492 当時の最新知識を誇る最澄を相手に、五年間にわたる大論争を戦いぬいた逞しい闘魂はまことに賞賛にあたいするであろう。同書P500……「仏性抄」によって「法華を権と判じた」徳一の論難に始まり、「法華秀句」によって一切皆成を論難した最澄の論によって終末をつげていることは、……
    P40~●道元の法華経
    『正法眼蔵』は法華経の注釈書とも思われるぐらい法華経について述べられている。『正法眼蔵』に「法華転法華」という巻がある。しかし「法華転法華」は『正法眼蔵』の正篇七十五巻にあるのではない。
     道元の法華経観を「法華転法華」から考えてみる。「法華転法華」は『法宝壇経』にある、六祖慧能が法達に説いた言葉、「心迷えば法華に転ぜられ、心悟れば法華を転ず」を本にして道元が説いたものである。「法華転法華」は「法華転」と「転法華」を合わせたものである。
     禅的に訳すれば法華転、転法華も人間の心の相である。その迷悟そのものが心の相である。釈迦、諸仏の法華ではなく、法華は法華、真理は真理そのものである、という意味に私は解釈している。
    P54~●浄土教と法華経
     日本の平安時代の人々の日常生活では、朝には南無妙法蓮華経、夕には南無阿弥陀佛と、二種の題目を唱えるのが普通であった。このことを「朝題目」の「夕念仏」という。法然、日蓮の唱題は平安より後の鎌倉時代に単立化したのであった。(中略)
    …法華経を信じなければ無間地獄に堕ちる、という日蓮の主張とは逆に、ほかならぬ法華経が、「安楽世界の阿弥陀仏」の信仰を説いているのである。(薬王品)……
    法華経の正義を守ると称して念仏無間論を公式的教条的に推し進めてゆくと、こういう自己撞着に出会うことを今日の日蓮門下は心得ておく必要がある」(中略)
     浄土教の人にも弘法大師、と似た考えを持った人がいたのである。一遍である。各宗の祖師を嫌っても遊行聖人一遍を嫌う人はほとんどいない。ほんとうの捨聖人であった。人々は善い欲でも、悪い欲でも警戒するものである。捨て切った者には溶け込めるのである。一遍は捨てきって宇宙と一体となったため、口だけで神通力の無い日蓮と違って祈祷の神通力は驚くべきものがあった。……長くなるので以下次回、

    と書いて投稿しようとしたら、何やらブログがざわざわしてますが、取りあえずアップします。トッチャン小僧なら可愛げも有りますが、小僧とっちゃんでは、泣けてくる。

  55. >スマイルさんの疑問、本尊による違いの続きです。

    創価は破門になった時点で、元・日蓮正宗の“信徒だった人達の集まり”でしかないので、26世日寛のコピー本尊は、コピー(一万円)札でしかなく、偽札造りの張本人(責任者)である池田太作の魂が込められている理屈になります。偽札団が逮捕されたとき、責任者が一番の罪になると云う事です。
    樋田昌志さんが謂っているように「幹部連中は日達師の御本尊を拝んでいる卑怯者」だそうです。末端の人たちは日達本尊を拝んでいる幹部へ「早くコピー本尊へ変えろ」と声を上げたが良いでしょう。(激烈樋田№161脱会婦人部⑦参照)

     僧侶の集まりの正信会の場合は、分派になる理屈なんです(分派と謂うには小さ過ぎるようですが)。思想的対立じゃなく跡目争いみたいな点が情けないですが。
    日蓮正宗の場合、8割方位は日蓮の魂でしょうね。……以上前回の補足でした

    日思/日蓮P498……ではどうして没後教団にこのような貴族階級への接近が生じたのか。その要因はほかでもない開祖日蓮が、ちょうど国師の願望を達成しようとしていたことの…P499うちに見いだされる。旃陀羅の子が国師の栄光などに目もくれず、生涯、民衆の導師であることに満足できなかったのは、今から顧みて、彼のために遺憾とする点である。民衆だけをいくら相手としていても、政治は善くならない、という絶望感が、現実の民衆生活を不幸におとし入れている権力政治に対する諫暁行動となったまではよいが、国師を夢見る間に、彼は折角到達し得た民の子の自覚を貫徹しないで終ってしまった。私見によれば、日蓮における民の子の自覚を貫徹しえなかったのにはしばらくつぎの原因が指摘できる。
      第一に、仏教思想一般が階級の論理を欠落していたこと。
      第二に、下級武士との接触から生じた中間的な社会意識。
      第三に、重なる受難の証によって体得したエリートかたぎ。
     そしてここに列挙した三つの原因は、日蓮において、天台沙門の自覚から派生していた。王朝仏教の余光を担う天台仏教の沙門の自覚と、旃陀羅の子の平民的自覚とは両立しない。
    (戸頃重基氏解説。引用終り)※前回思想大系が体系になってました。

    前回●浄土教と法華経 の続き
    P64~……日本において法華経が盛んになれば、かならず国や家が乱れるといわれているが、その原因は法華経が悪いのではない。日蓮の法華経の教理、曼荼羅にたいへんな欠陥があるのである。この欠陥に多くの国民が念を持つから国や家が乱れるのである。カルマの法則により、悪業は悪行の報いがあり、正業は正業の報いがあるのである。いくら法華経を唱えても、悪業を以て唱えれば利益はないのである。日蓮系の新興宗教団体が金儲けに走っている。この行動が法華経の説く心理の行動なのか、もうこうなれば宗教ではないのである。(中略)
     日蓮は法華経の阿弥陀のことを「名同体異也」、名は同じでも体は異なると答えただけでその理由を述べられなかった。いや逃げたと言ってもよい。しかし一遍は法華経を色とし、阿弥陀如来を心とし体を述べた。
     浄土教の浄土念仏の論書は最初に著した良源から浄土教の集大成者一遍といってよい。一遍は浄土思想の果の人でもある。
    P68~●真言と法華経
     真言宗は真言陀羅尼とも呼ばれた。陀羅尼は総持ともいう真言と陀羅尼は同一の意味でもある。法華経の中に陀羅尼品(真言)があり、普賢菩薩観発品第二十八にも陀羅尼がある。
    (中略)
    …法華経が説かれる以前の諸経典類を爾前経といい、日蓮は法華経は集大成された完成されたものとしていたが、密教経典は法華経より後に説かれたものであるから密教経典の立場から見ると法華経も爾前経になり密教こそ集大成されたものとしてもおかしくはないのである。(中略)
    …弘法大師は私に「真言は現世利益と現世の成仏に強く、あの世の人々の成仏は法華経である」と述べた。
    P114 日蓮の矛盾
    その主な原因は他宗を批判したため、法華経に含まれている他宗の経典の同類のところを素直に認めなかったのである。(中略)
     日蓮は豪語する癖がある。(中略)
     折伏という意味は真実の法華経を広め、正義を顕正しようとする化導法である。それなのにこの言葉を利用し、無知な法華信者を洗脳する手段に折伏という言葉を使用しているのは、もう法華経者でもなく宗教でもない。(以上引用終り)

    附録「法華経が好き!」露の団姫/2014年9月・春秋社
    P154 数年前、よく見える方からいわれました。「ははー……アンタ、仏祖の加護、受けまくりやね!」。仏祖の加護、受けまくり!?日常生活の中でたくさんの神仏に助けられながら守られていること、応援していただいていることは薄々は感じていましたが、やっぱりそうやったんか!!と心の底から嬉しくなった瞬間でした。
     私は常々仏教徒としてまっすぐに生きて行きたいと思っています。そして法華経が人生指針の私には仏祖の加護を受けているという大きな喜び、それが明日への力強い希望、そして自信となっているのです。
    P169 もし法華経の教えがなければ、悔しくてわんわん泣いていたかもしれません。でも、私には法華経があります。「いいたいモンには好きなだけいわせといたらエエわ!」というハラを与えてもらったのです。
     踏まれれば踏まれるほど強くなる、そしてそれをどんどんバネにする。私の軟弱な根性を雑草根性に変えてくれた法華経。おかげであと二十ねんもしたら、立派な大阪のオバちゃんになれそうです。(以上引用終り)

  56. 二代会長戸田城聖氏の講演(これでも永遠の指導者ですから…とほほ)

    「初めて聞く人もあると思うが、御本山には、御肉牙という秘宝がある。これは前代未聞の秘宝です。身延がどんなことを言おうと、立正佼成会がホラをふこうとも、この御肉牙だけは、どこを捜そうともない。身延の連中は、どこかに御肉牙があると言っているが、あったとしても、この本物の御肉牙は、お山だけにしかない。私のうかがっているところでは、年々肉が太ってふえていく。これは医学上説明できないことだと思う。見ない者はウソだと言う。」

    「私が最初に拝んだ時は六百五十年遠忌の時であります。その時には、このくらい、マッチの棒の先ぐらい、お歯が出ていたが、他の部分はほとんど包んでいた。次の機会には私は行かれず、先代の牧口先生が行かれたが『まだ包まっていないが、上のほうにイボのようなものが出ていたよ』と言われた。ところが、七百年祭の時、拝んだが、歯はすっかり包まっていたのです。ただ、裏のほうの歯が見えていた。裏はまだ包まれていなかった。今度はどうなったかわかりませんが、これですね、ガラスの中に入れてあり、それを金で作った宝塔の中に入れ、それをまた箱の中に入れ、それをもう一つの箱の中に入れ、長びつのなかに入れてある。なにも御飯などあげるわけではないのですが……。たしかに生きている。まことに不思議である。」
    音源『創価学会々長 戸田城聖先生の教え』(ビクター)PRD10023 講演の部 No3

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