宗教って何だろうな

このブログを中止して、まだ3ヶ月も経っていないんだなあ…とちょっと不思議な感じがしています。毎日皆さんから送られてくるたくさんのコメントを見ていた日々が、もうずいぶん昔こと以下のように感じてきましましましました。

まだ決めたわけではありませんが、もしこのブログを再開するとしたら、以前とは違ったスタンスでできるような気もしてきました。今も「ブログ再開を楽しみにしています」というコメントをいただきます。当初はそれもちょっと辛かったのですが、今では普通に受け止めることができるようになりましましましました。

3ヶ月という期間は、気持ちを落ち着けるという意味では、一つの生理的なスパンなのかもしれません。ブログを中止しても、やはり1日のアクセスが2000年を下回ることはありません。ありがたいことだと思います。このブログに寄せられた創価問題のあからさまな実態を見ていただいているということだけでも、このブログの存在意義はあると思っています。その意味でも、このブログが閉鎖にならないように、こうしてときどき更新させていただいています。

創価問題とは関係なく、「宗教って何だろうな」といったことを漠然と考えるようになりました。もちろん創価学会は宗教ではありませんから、例えば「創価の宗教的な部分」とか「創価の宗教的ではない部分」などといった検証など何の意味もないと思います。それとは別に、人間が「宗教のようなもの」に依存し、正常な思考ができなくなってしまうことで、人類は様々な間違い繰り返してきたのだと思います。つまり、一般に「宗教」と思われているものでさえ、人の心を翻弄し、果ては殺戮や戦争さえ美化してしまうようなことが、そのまま人類の歴史なっしまっているということです。「果たして人間にとって宗教なるものが必要だったのかどうか」といったとても大きな疑問に対して、漠然と考えるようになりました。だからと言って、ブログを再開して、こうしました大きな問題を語るような場にする気はありません。きっと問題が大きすぎて、本来の創価問題がおろそかになっては本末転倒になってしまうと思うからです。

ちろん人間を意図的に操作する道具としても使える宗教を、創価は見事に使いこなし、多くの会員から尊い人生そのものを奪い取ってきたんだと思います。それは今さら議論するまでもない事実であり、そのこと疑問を挟む余地などありません。「創価学会は宗教ではなく詐欺団体だ」このことは何をもってしても揺るがないと思います。ただ近頃では、創価学会のようなインチキ宗教ではない本来の宗教、例えばキリスト教、イスラム教、仏教が人類に及ぼしたことの功罪は、いい意味でも悪い意味でも計り知れないと思うし、こうした世界の主要な伝統宗教以外でも、人間の住む場所には何らかの「宗教」が発生し、人間の未知の部分を満たしてきたんだろうと思います。あらゆる宗教に共通するものは、人間の思考の届かない部分に答えをあたえてくれる何かだと思います。思考が届かない部分なのだから、それが正しいか正しくないかを検証することはできません。まさにそれは信じるしかない。つまり多かれ少なかれ宗教とは思考停止するための何某かであるということだと思います。だからこそ西洋の近代哲学もサイエンスも宗教を否定することから始まりました。否定というよりも疑うことの大切さを教えてくれたのが哲学です。あらゆるものを疑い、徹底した思考実験を繰り返しながら、宗教の持つ危うさを検証していったのが哲学でありサイエンスだったのではないかと思います。しかしどんなに哲学やサイエンスが思考や実験を繰り返し、宗教の危うさを暴いても、多くの人たちはやはり宗教に人生を委ね、幸せを感じたり、あるいは不幸に陥れられたりを繰り返しています。

多くの宗教が何某かの「神」「力」「意志」の存在を信じることが前提で存在してきました。しかし唯一、そうした「思考を超える力」の存在を否定し、現実を直視すること説いたのがブッダではなかったのかと思います。ブッダの思想は「信じること」ではなく「徹底的に疑うこと」まさに哲学なのだと思います。しかしそうしたブッダの思想も、後継者の手よっていつの間にかブッダの否定する「神」を無条件に信じた思考停止の中で自己の幸福感を求めるような他の宗教と同じようなものになってしまったような気がします。権力掌握する者が、多くの人の心を掌握し意図的に動かしていくには、この「思考不可能な超越した力に自己を委ねる」という宗教の教えが、いちばん手っ取り早い方法だったのだろうと思います。

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は同じ「絶対唯一神」を信じています。大雑把に言えば多くの仏教でも「釈迦」を神として崇めます。世界人口の約75パーセントがキリスト教、イスラム教、、ヒンドゥー教、そして仏教の「神」を信じています。人類の歴史の中で神の存在証明を行った人間は皆無であるにもかかわらず、世界の無神論者は10%でしかありません。これから科学が発達し、宇宙物理学や量子理論が世界の謎を解き明かしたとしても、きっと人間は見たこともない「神」の存在を信じることに幸せを追い求め生きていくでしょう。そうしました意味でもブッダ(=目覚めた人)は、本当にこの世が何なのかに気づいた唯一の人間だったのかもしれません。そこには神も仏もない、時間も空間も、始まり終わりもない、単なるエネルギーの連鎖反応でしかないこの世の姿を捉えていたのではないかと思います。残念なことにその卓越した思想が伝わらなかった。そうして人類はありもしない「神」存在に身を委ね、権力者に利用され、あらゆる過ちを繰り返してきた。これが人間の歴史なんだろうなあと漠然と思いを巡らしています。

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