私はこれで創価やめました 2

このごろ皆さんのコメント数が凄いです。もう承認するだけでアップアップ状態ですので、挨拶やお祝いの言葉がなくても怒らないでくださいね(笑)

やっとゴキブリ退治もできたので(笑)、ここからはまた気持ちを切り替えて、ガンガンやっていきたいと思います。

考えてみれば、アクセス数をを増やしたいということと、創価の矛盾をわかりやすく、なおかつ絶大な説得力をつくるには、活動家とのスッタモンダがいちばん手っ取り早いかもと思った私のスケベゴコロが災いしました。ほんとうに申し訳ありません。

これから心を入れ替えて「おかしな活動家は最初から相手にしないでシャットアウトする」ということを徹底したいと思います。これからは「オニのシニフィエ」と読んでください。魔ではありません(笑)。

ということで、引き続きテーマは「私はこれで創価やめました2」で行きます!

みなさんの覚醒になったきっかけのお話を、どしどしお願いします。

また、「新聞やめました」「脱会届出しました」「パートナーが脱会することになりました」などの嬉しい報告も常に募集しています。あなたのそんなひとことが、創価問題で悩んでいる全国の多くの方に、たいへんな希望と勇気を与えます。

また、「脱会したいのはやまやまなんだけど、これがあってどうしてもできないので、どうしたらいいでしょうか?」などの誰にも言えない創価の悩みも、どんどん出してください。みんなで考えて解決していきましょう!創価問題には限りませんが、一人で悩むのがいちばんいけないことです。とくに創価問題は、なかなか人に言えない。そんなこと思うだけでも罰が当たるんじゃないか、なにか悪いことが怒るんじゃないか、といい知れぬ恐怖感に悩まされます。みんなそうだったんです。でも悩む必要なんて、まったくありません。人生、いいこともあれば悪いことがあって当然です。コピー用紙にナンミョーしていいことづくめの学会員を見たことがありますか?ああ、あんな学会員さんになれたらいいなという人がどれだけいますか?私は一人もいませんでした。創価以外にはたくさんいます。やはり創価、とくに末端の活動家はどう考えても洗脳されたキ◯ガイ集団です。本人だけが気づいていないんです。気づいたあなたが正常なんです。安心してください。そして罰なんか絶対絶対ありません。そんな洗脳から一日もはやく抜け出すために、ここのみなさんとともに頑張りましょう。私も一日も早くうつの症状から抜け出して、何の疑問もない新たな生活を始めたいです。それまではこのブログをしっかりと維持して、みなさんの声を集め、日本中に発信していきたいと考えています。みなさま、今後ともよろしくお願いします!!

私はこれで創価やめました 2」への116件のフィードバック

  1. はじめまして。
    こちらの記事を読ませていただき、自分の気持ちのいくつかを整理することが出来ました。
    今もまだ整理中の段階ではありますが、私は私の知っている事実を伝えさせていただくことで、さらに整理が進むのではと思って投稿させていただきました。
    私は学会二世で両親ともに学会員です。特に母はものすごい熱心です。
    物心ついたころから勤行や会合参加を母親に強制されていました。
    母親は精神の病で、毎日のようにヒステリーを繰り返し、父はそんな家に安らぎもなく浮気を繰り返すという子供時代でした。
    母に対する婦人部の方のイジメを目の当たりにしたり、母の悪口を子供のときに耳にしたりもしていましたが、それを咎めると罰が当たるんじゃないかという恐怖心もあり、心の中にしまいこんだまま、未来部の活動に出たりしていました。
    女子部になると、地区リーダーになり後に副部長になり、教学も青年教学一級にも合格するほどの活動家になりました。
    でも、友達と遊ぶときも何をするときも、頭の中は選挙や折伏や新聞啓蒙のことばかり考えて、とても打算的な友人関係を何年も続けてきました。
    人のためにとか、幸せのためにと口では言うけれども、頭の中は次の選挙のためとかそんな感じでした。
    活動家の間は本当にいろんな泥沼を見ました。
    彼女を作っては入会させ、入会すると別れてまた別の彼女と付き合い入会させるということを繰り返す男子部員がいて、地区の部員の半数がそういうメンバーだったこともありました(二十数名中十数名がそういう折伏のメンバー)。
    明らかにおかしな折伏であるにも関わらず、組織では万歳、万歳です。
    その後、当然のように女子部のメンバーは未活動になりますが、女子部に入ったんだから女子部でちゃんと面倒見て。未活動なのは女子部の責任、と男子部から言われました。そういう折伏はずっと続けられました。
    メンバーからは「折伏のためだけやったんかなぁ」と泣く子もいて、「そうじゃないよ」と言うのが精一杯でした。すごくかわいそうでした。
    ちなみにその彼女を折伏しては別れてた男子部は、後に本当に好きになった子(折伏済み)にふられ、逆上してその子の家に押しかけ、包丁で脅すという暴挙に出ましたが、それを報告しても、誰も警察に言おうとは言いませんでした。
    その後、その男子部はそっとカードを自分の住所の場所に移されました。
    折伏されて一年間は紹介者のところで活動するという決まりがあったようですが、その男子部は一年を超えても、良く折伏をするのでカードを移されてなかったのです。
    それがその件があり、まるで厄介者払いのように移されました。
    婦人部の方は「カード移したったわ」と吐き捨てるように言いましたが、その男子部の人が折伏を決めるたびにその人は嬉々として万歳していたのです。
    それ以降、そういう変な折伏の数は減りましたが、ゼロにはなりませんでした。
    ある男子部はとても丁寧に友人を折伏していました。ある日、幹部が集まっていよいよ今日絶対決めるという状態のとき、その友人はやはり迷いがあるようでした。その時にその男子部は「お前がやりたくなったときでいいよ」と一言言いました。それでその友人は入会するのをやめました。
    翌日、婦人部の人が「昨日はあんなに遅くまでかかったのに、結局できひんかったわ!」と忌々しげに言っていました。それを見て私が思ったのは「こんなふうに自分は言われたくない」という恐怖でした。
    今考えると、その男子部の方の対応は本当に立派だったと思います。でも、恐怖と依存心だけで信心をしていた私は、ああ言われないようにがんばろうと思ってしまいました。
    そういう泥沼を見ても、女子部の先輩からは「組織も娑婆世界。学会員も皆凡夫で成長するために頑張っている」と諭され、そうなのかなと思いながら頑張っていました。
    でも、だんだん選挙のノルマとか新聞のノルマとかが辛くなってきました。
    友達と会うのも選挙のため……会話をしていても、いつどこで学会の話をしよう……そればかり考えていました。友人と一緒に食べたご飯の味だって覚えてない。罪悪感も大きくなり、だけどやらないと罰が怖い。やらなければ良いことも起こらない。
    これって一種の依存症だなと今になれば分かります。
    依存心と恐怖心だけで信仰を続けていましたが、とうとう心のバランスを崩して活動が出来なくなりました。それを機に活動から遠のいて数年になります。
    他にもいろんなことがありましたが、今は何のノルマに縛られることもなく、会いたい人に会い、会いたくない人には会わず、ようやく自分の意思で人生を生きるということが出来るようになりました。
    打算なしで友人と会うことが、こんなにも清清しいものだと、初めて知りました。
    ここに来るまで四十数年かかりました。
    入会していようがいまいが、いろんな問題は起こるし、解決するのはすべて自分自身です。
    これからは自分自身の責任でもってすべてを決め、自分自身の責任で自分の人生を歩んでいくつもりです。
    四十数年かかって、やっと自分の人生が始まったという気持ちです。
    聖教新聞と脱会に関しては、母が亡くなってから手続きをするつもりです。まだ精神を煩っている母にとって脱会は相当のショックになるだろうと予想がつきます。私なりのせめてもの親孝行のつもりです。

  2. signifieさん、レモンさん、ラザリスさん、二郎さん、サラマンダラさん、Kickeyさん、ラベンダーさん、カガテツさん、コメントありがとうございます。

    レモンさん
    >退会したくてもできずに人知れず悩んでいた部員さんがparoleさんに相談にくるかもしれませんね。

    そうなんです!
    仲良くしていた男子部員から電話がかかってきて「実は前から疑問に思ってたんだけど……」というようなことで、日をあらためて相談にくることになりました。

    反対に、
    元区幹部の壮年部の人は「話をしたい」ということで、夕食後、自宅で話をしました。
    私より少し年下で、ネットの情報など見たこともなく、告発本、暴露本など頭からウソと決めつけている典型的な人物だったので、
    「まずはこれをご覧ください」と
    ニコニコ動画の「痴呆との遭遇」を見てもらいました。
    また、YouTubeで見られる、名誉会長の「蝋人形」も見てもらうと、
    元区幹部は絶句してしまいました。
    忙しい人なので、結局私に何も反駁できないまま、
    「会合があるから」と帰って行きました。

    どんなにウソだ、ガセだ、デマだと声高にののしったとしても、
    メッキははがれ、正体は明らかになり、真実を隠し通せるものではありません。あの壮年部も、今頃自分自身と戦っていることでしょう。

  3. にゃんこ丸さん、はじめまして。ラザリスです。
    辛い立場、お察し申しあげます。
    幼い頃の家庭環境は、自分の嫁はんのものと酷似しています。義理父は、数年前に癌で他界しました。短気で、夫婦喧嘩が絶えなかったようです。
    義理母は、創価脳100%のばあ様で、二人の息子達に見棄てられたような状態で、汚宅と化した一軒家に一人ぼっちで暮らしています。財務は、年金や畑仕事の手伝いなどで稼いだ有り金を、すべて貢いでいるようです。まるで創価学会の財務の為に貧乏することを誇りにしているようです。残念ですが、いくら話しても洗脳が深く、救いようがありません。敬老会と化した、創価コミュニティーのなかで、イケダセンセイに騙されたまま命を落とすのでしょう。
    (*ToT)
    ともあれ、にゃんこ丸さんやうちの嫁はんのように、創価脳バリバリの親が亡くなった後に、静かに脱会する人間は日本中にたくさん存在すると推測できます。生きているうちに、創価学会のイカサマに気がついて欲しいとは思いますが、50年以上にわたり染み付いた創価の害毒を消し去ることは至難の技です。
    悲しいかな、これが現実です。
    自分に今できることと言えば、子供たちを創価学会の毒牙から守ることと、創価学会の呪縛に苦しむ方々のために、呪縛解放に向けたヒントになるコメントを書かせていただくことです。
    趣旨をご理解の上で、可能な限りコメントをくださると嬉しいです。
    よろしくお願いいたします。
    m(__)m

  4. 「蘇生への選択─敬愛した師をなぜ偽物と破折するのか」福島源次郎…①~P48迄

    P5 依法不依人を肝に銘ずべし(小見出し)
     そもそも学会員の不文律となっている前提「名誉会長の指導と指揮は絶対に間違いない。常に正しい」という考え自体が仏法に違背するのです。その明白なご指南を示します。
    「一切経を開きみるに涅槃経と申す経に云く『法に依って人に依らざれ』等云々依法と申すは一切経・不依人と申すは仏を除き奉りて外の普賢菩薩・文殊師利菩薩乃至上(かみ)にあぐるところの諸々の人師なり」
     有名な御文です。この人師の中に名誉会長も含まれるのはいうまでもありません。かりに名誉会長が文殊菩薩や普賢菩薩のようなすぐれた仏法指導者であっても、その人に依ってはならぬという仏の御金言ですから、当然名誉会長という人師に依ってはいけないのです。私達はこれまで名誉会長に関する限り例外として、この御金言に目をつぶっていたのではないでしょうか。でもそれは間違いです。仏の御金言に例外はなく、誰人であろうと厳密に適用されねばなりません。
     信心の正邪はあくまでも仏説即ち大聖人のご指南に基づいてなされるのであり、名誉会長に“依って”なされるのでは決してないのです。したがって「名誉会長の指導は絶対に正しい」「名誉会長の教え通りにやれば絶対に間違いない」とするのは、名誉会長を仏に置きかえることになり、そのこと自体がこの御金言に反することになってしまうのです。
    (中略)
    P6  師は仏法違背の人だった(小見出し)
    ……
    P7 「先生に対し疑問や不信を抱くことは謗法である。批判もしてはならぬ」という思想が組織内に定着し、その思想に立たなければ、学会組織での信心活動が困難になると、これはまぎれもない個人崇
    P8 拝の確立です。世上でいわれる「池田教」となり、大聖人の仏法とは異質の邪教という他はありません。
     いくら大聖人の仏法を掲げ、御本尊を信奉しても、「此の南無妙法蓮華経に余事を交へば、ゆゆしき僻事なり」(一五四六ページ)に違背する謗法になるのです。この厳格な認識と判断が、今の学会員には上から下まで全く欠けてしまっています。御書の拝し方がいいかげんすぎるのです。かっての私もそうでした。
     「先生に呼吸を合わせる信心」「先生の心に叶う信心」「先生に応える信心」等々は、本来、仏法にはありえません。それどころか摧尊入卑の謗法そのものです。もしも「先生に呼吸が合い、先生の心に叶えば、御本尊に叶うことになるのだ」と考えているとしたら、かっての「師への帰命」論と同型の堕地獄の謗法なのです。信心はあくまで大聖人のお心に叶うものでなくてはなりません。名誉会長の心に叶うかどうかは、一生成仏に全く無関係であることを、肝に銘じていただきたいのです。
    ……
    P10 このことは、私自身にとり、この師に信順して歩んだ二十余年の歴史を自ら断罪し、学会内で懸命に努力し積み重ねてきた成果の全てを、自ら否定し去ることを意味します。本当に勇気を要する仕事でした。悲しい作業でありました。一時の感情や怨念で為すべきことではありません。又できることでも決してありません。この判断に至る過程は到底一言で述べることはできません。万言を費やしても語り尽くせません。唱題に唱題を重ね、信心を奮い起こし、私の総力をあげて検討しぬいた結論であり、苦しみぬいて取り組んできた上での判断でした。私は、今御聖訓のままに、信心の大確信をもって、池田名誉会長は仏法指導者として偽物であると、はっきり申しあげます。

    P11 誤りを断じて繰り返してはならない(小見出し)
    ……
     広宣流布の名のもとに、強引な金集めや不毛の選挙活動に、純真な会員を狂奔させています。末端の組織は衰弱し、多くの会員に確信と歓喜と希望が薄れ、充実感が日ごとに失われている事態は、否定のしようもないでしょう。次々と明るみに出る不祥事に、疑念と不安はつのるばかりですが、本音で指導を受け、納得できる指導のできる幹部もいないという会員の悩みも、察するにあまりあります。……
    P12 私の誤りを心より謝罪する(小見出し)
    P13……
     青年部の部隊長以来、男子部長・青年部長その他副会長に到る幹部として犯した次の誤りを、全会員に心よりお詫び申し上げます。私の信心のいたらなさの故に心より申し訳なく、慙愧に堪えません。合わせて、御宗門の方々に対しても、同じく心より謝罪申しあげます。又、外部の関係者の方にも、この場を借りて心よりお詫び申し上げます。
    ……
    P14…今思えば、私の誤りの根本は、池田名誉会長を真実の仏法指導者と信じぬいたところにありました。即ちその人の教説を、仏の御金言に絶対に違背せぬ、正しい指導と信順した点にありました。「依法不依人」の御金言にそむいたのです。
     「源濁りぬれば流れ清からず、天くもれば地くらし」【種々物御消息一五四八ページ】
    中心者の信心の狂いは、そこに連なるすべての人を破仏法の徒となし、地獄の道へ導いてしまい…P15…ます。まことに恐ろしいことです。
     心より信頼したその「師」が、その誤りを急激に巨大化させたために、私は危いところでそれに気付くことができ、蘇生への求道を大発心し、改めて大聖人の仏法の深さ、偉大さをかみしめることができるようになりました。……

    P31   2  疑念の発端
    ……
     師の言動に疑問を生じることがあっても、それは我々の低い境涯では測り知れぬ、深い考えからすることだと受け止め、理不尽な叱責があっても、それは師の深い慈悲の行為と考え感謝してきました。こと「先生」に対しての批判と疑念と詮索は、一切抑制し・停止するという思考法が、私達
    P32 の大脳の中にできあがっていたのです。又そのような思考を体得できていない人は、絶対に首脳や側近に登用されることはありません(今に思えば、このような師弟論をたたき込んできた「先生」の意図がよく分るのですが……)。
    ……
    P33  宗門問題で醜い人格が露出(小見出し)
     人間は厳しい状況に立ち至るほど、その本性(今までかくされていた性分)が強く現れるといいますが、確かにその通りです。今まで気が付くことができずにいたことも、はっきりと強く現れるので気付くのです。その頃の「先生」の姿がまさしくそうでありました。
     それは言行不一致・責任転嫁・無反省・無責任の人間像でした。
     言論問題が発生する四十五年頃までは、総本山や御法主上人に対して、誠実を貫く姿がまだあったと思います。私も感銘を深くした場面が種々ありました。ところがこの危機を乗り越えて正本堂が完成に近づきつつある頃から、宗門への批判をしきりに口にし始めました。……
    P41 ……
     「先生」の個々の欠点を並べ立てるのは本意ではありませんので出来るだけ省略させてもらいます。ただ高潔な人物と仰いだ人の人格の一角が虚像だと気付いて、全体を見直してみると、虚像と実像のくい違いの多さに驚くものです。凡夫の愚かさとはそのようなものでしょうか。……
    P47
     今思えば、全てが狂っていました。当事者のほとんどが、異常感覚に陥っていました。それから三年過ぎた五十七年、その当事者の一人であった原田副会長が、「北條会長の生前のノートなどの資料を詳細に調べていくなかで、宗門問題を引き起こした元凶を福島さんだと考えていたのは明らかに間違いであることが判った。申訳ない」と私に陳謝しました(四月二十八日、文化会館一階の応接室で)。しかし当時の私に侮辱ともいえる暴言を吐いて詰問した他の数人の幹部は、謝罪どころか一言のあいさつさえすることなく、今日に至っています。
     克明に綴っていた当時の日記を今、読み返してみると、真剣な反省と自分への呵責がこっけいな
    P48 ほど的はずれであり、無用の煩悶を重ねていたことがうかがわれ、愚かに過ぎた“純真”さに自己嫌悪さえ感じます。そして特定の人間に泥をかぶせていく学会本部の問題処理の姿勢が、今も当時もいささかも変わらぬことに、改めて驚かされます。このことは渦中にあって切実に体験してみない人には、おそらく理解できないことかもしれません……以上①終り

    私が考える重要な部分を数回に分けてピックアップしてみます。将来は電子書籍にでもなれば善いですね。
    池田蝋神はトンでもなかったが、こうした“思想書(試行錯誤書)と呼べるレベル”の書物を生み出せたのは、これが所謂『怪我の功名』って奴か! ドンダケの犠牲の上にってか!
    日蓮系の本には説教系はあっても、思想系は空っ穴だったものね。日蓮の性格上?か。

  5. ラザリスさん、モニカさん、お返事ありがとうございます。
    そうですね……もう両親ともに70代ですし、二人とも精神科のお世話になっておりますので、与えるショックのことを考えると、自分がすでに創価学会に信仰心がなく脱会を考えていることや、創価学会の真実について語って説得するのは得策ではないなと思いました。
    理性的な話し合いが出来ればよいのですが、それはできそうにないですし……。
    私が生まれて四十数年……それでまだ当時から抱えている精神疾患が治らず、さらに酷くなるって、本当におかしい話ですよね。何のための信仰だって思います。
    父がかわいそうです。母が創価学会に貢ぐために使われれるお金を朝から晩まで年に一日程度しか休まずに働き続けて稼いで、現在はアルコール依存症で治療中です。
    アルコール依存症は数年程度で発症する病気じゃありません。二十年とか三十年かけて進行していく病気です。
    父は創価学会へのお布施のためにアルコール依存症になったといっても過言ではないと思います。
    でも、私が一年ほど前に「もう創価学会には頼らない」と決めてから、不思議と二人の精神疾患が急速に回復の方向に向かい始めました。
    以前は婦人部の人に相談たほうがいいか迷ったり、未活動になった罰だろうかともやもやしたり、話しやすい幹部の何人かに相談したりもしていたのですが、誰も彼もがすべてノルマのために動いていて、精神疾患に必要なデリケートな対応にまったく(本当にまったく、です)応じてくれませんでした。
    それによって両親の症状が悪化したことさえありました。
    個々の事情よりも、数が大事、ということがはっきりと分かり、聖教新聞の集金を断って振り込みにしてもらったり、電話にも一切出ないなど、距離を置きました。
    そのときになってやっと、自分がしっかりしないと、と思えたんです。二人を入院させる病院も自分で根気よく探して、実際に赴いて話を聞いたりして決めました。
    信仰をしている間は何かに頼る気持ちがあったので、勧められた病院とかに何の疑いもなく入院させていたかもしれません。
    両親のそれぞれの病気のことも必死に勉強しました。何もかも自分の責任だと決めると、必死にならざるを得ませんでした。
    現在、両親共に病院のスタッフの方々が驚くほどの回復を見せています。
    四十年以上も治らなかったものが、私が学会から離れると決めて初めて、回復の兆しを見せるって本当に皮肉なものだなと思います。
    また、家の借金も、実家にいる妹(未活動)が家のお金を管理するようになり、ほとんど返済することが出来ました。妹のお金の管理能力が素晴らしかったのもありますが、今まで母はいったいどんな管理の仕方をしていたのか……という話を妹といつもしています。
    私自身の借金も、学会活動をやめてから完済し、現在は貯金が出来るほどに回復しました。学会活動してたらたぶん財務やら何やらでもっていかれていただろうし、仕事にも今ほど時間を費やすことが出来なかったと思うので、まだ借金が残っていたと思います。
    ちなみに母は精神科の閉鎖病棟に入院していたのですが、そこには創価学会の人が多く入院しているそうです。時々他の病室から「南無妙法蓮華経!」という叫び声が聞こえていました。きっと信心強情な方だったんだろうと想像がつきますが、信心強情でここにきてしまうのって、どうなんだろう……と強く疑問に思ってしまいました。
    現在は両親ともに退院し、それぞれ病院のデイケアや施設のデイサービスに通いながら、療養しています。
    父はご本尊に向かってお題目をあげることだけをしています。でもそれでデイケアへの通所にいく気力を出しているみたいなので、それはそれでいいかなと思っています。
    母は体の自由が以前に比べてきかないので、無理のない範囲で活動しているみたいです。お金はすべて妹が管理しており、以前のように学会にお金を貢ぐようなことは出来ませんので、それはそれでいいのかなと思っています。
    私もまだ気持ちの整理の途中です。
    池田名誉会長についてはまだ正しい人であって欲しいという気持ちがありますが、そこは冷静に、このサイトに書かれてあること、他のサイトに書かれてあることを見たり、名誉会長の書籍をもう一度読み直すなどして、自分の中できっちり決着をつけていきたいと思います。
    それが間違いだったと理解したときには、またかなり自分もショックを受けると思います。
    今はこのサイトで書かれてあることにかなり納得する部分があり、いずれ自分は間違いを認めることになりそうだという予感がしています。
    でも、恐れずに目を背けずに、自分の気持ちにしっかりとけじめをつけていきたいと思います。
    ただのアンチサイトではなく、こうしたサイトがあってくれたことに、今はとても感謝しています。ありがとうございます!

  6. あ~~~!ラザリスさん!そうなんです!

    「創価学会の財務の為に、貧乏することを誇りにしている。」

    コレコレ!20年以上3桁の財務を続けてきた義両親そのものです!

  7. paroleさん、おめでとうございます!

    難しい話は苦手なんですが、paroleさんのお話はいつもとても理路整然としていて納得します。リンク貼っていただいた文章も初めて読みました。またいろいろお話聞かせて下さい。

  8. 福島さんのように、池田は信仰心がなくおかしい。
    「正しいのは日蓮大聖人なのに池田教になってしまってる」が、脱会理由という人はけっこういると思います。(そういう人は法華講に行ったんですかね?)
    私はそれ以前に日蓮の教えがおかしいと思ったので、池田のどうこうはもうどうでもよかったです。
    あとでよく考えて、池田はこの教えを利用したんだなと思った時、言ってることはおかしい以前に一切がビジネスの手法だったんだなと思いました。

    日蓮さんについて、創価では破門されるまで「日蓮の教えを唯一正当に継承しているのは日蓮正宗だ」と習いました。
    宗門は今も当然そう言っています。
    一方で今になって大石寺こそ偽教義で本来日蓮は排他的な教えなど説いてない、と言い出す人もいます。
    あらあら振出しに戻りますね。
    日蓮さんをめぐり、本当はこれなんだ、これが正しくてこれが間違いなんだというのは、私は意味をなさないと思います。
    何がどうあれ、自分が信じたものが自分の中では正しくなるのが宗教ですよ。

    また本来排他的ではないと言ったところで、それを主張すると結局は「自分が正しくて他が間違い」となり、信者同士は「論破」だの「破折」に夢中になります。
    どんな文証や理屈を並べようと、結局信者が同じ色になっていしまうのがこの教えのようです。
    いや、お坊さん同士は宗派同士で論破や破折に明け暮れてるとは思えませんから、こんなことに夢中になるのは創価気質が抜けないせいでしょうかね。
    「言論戦で勝て!」が池田の口癖でしたからね。
    これもなぜ勝たねばならないのかというと、会員を増やし金と権力を手にするためでしたよ。

    いずれにせよ文証に諸説あっても、日蓮という人は「皆が自分と同じ思想を信じないと国が亡ぶ」と国家に諫暁した独特なお坊さん。
    こんな教えで平和が築けると思えません。

  9. 「蘇生への選択─敬愛した師をなぜ偽物と破折するのか」福島源次郎…②P52~P100

    P52 五十年頃でしたか、「先生」の自宅で懇談した折り「生っ粋の池田派は中西・福島・原島の三人だな。他は北條派や秋谷派に属しているから生っ粋といえない」と「先生」が冗談まじりに口にしていたことも思い出されます。(おもしろいことに、それぞれ理由は異りますが、この三人とも「先生」から離れました)。……
    P53 彼の綴った告発文「池田先生への手紙」(週刊文春)を読めば、その内容は八割ないし九割までが事実で、否定のしようがありません。かねて私自身が問題視し、意見具申・諫言せねばならぬと考え、内々準備していたことが数多く含まれていました。
    ……
    P78  5  禄を食むべからず
      目にあまる偽善性に絶望(小見出し)
     昭和五十五年から五十七年にかけて、山崎正友裁判・月刊ペン裁判が行なわれていましたが、その進行にともなって幹部の口コミはもちろん、聖教新聞紙上での原島・山崎両人に対する攻撃も激しくなりました。その誹謗攻撃のしっこさと次元の低さに、彼等の行動を是認しない人々でも嫌悪感をいだくようになりました。私の周辺の良識ある会員からも「いつまで続けるのか、もううんざりだ」という声がしばしば聞かれました。
     とりわけ四者各部首脳の座談会記事が載せられましたが、その内容はあまりに露骨な個人中傷と「先生」礼賛であり、組織の中心リーダーに背いた者への憎悪がありありとうかがえて、気分が悪くなるようなものでした。これについて、「先生」自らがこの記事に手を入れ、語られていないことまで加筆したことを、ある本部職員から聞くに及び、ほとほと情けなくなりました。……
    P80 原島・山崎両人を重要ポストに登用し、枢要な仕事をやらせたのは、他の誰でもない「先生」であることは否定のしようもない事実です。とすれば、忘恩の徒・卑劣な人間と攻撃する前に、自分の誤りと失敗の責任を反省し全会員に潔く謝罪するのが、指導者の本来のあり方でありましょう。これは道理であります。人生の師と自らを任ずるなら尚更のことでしょう。でもその姿がまったく見られない「先生」の人間性に、私は深く失望しました。そして偽善者の疑いをよりいっそう抱くようになりました。
    ……
    P81 この逝去の際、大勢の幹部の前での「こんなに暑い時に死ぬのは皆が迷惑する云々」の暴言は周知のとおりです。たとえ冗談でも言うべきことではありません。これを聞いて怒りを覚えた人は私だけではありません。北條さんの姿をよく知る良識の人なら、とても許せない暴言です。北條さんの会長就任の時もそうでしたが、逝去の時も、北條さんの人柄と遺徳を偲ぶ追悼特集は、聖教紙上にとうとう見られませんでした。聞けばいずれも「先生」から「やる必要はない」という強い指示があったとのことです。……
     北條さんの死は、私に一つの決心を促しました。「師弟の道」がはたして正しいかどうかを、本格的に検討しなおさねばならぬということです。……

    P82  偽指導者の正体を最終確認(小見出し)
     昭和五十七年九月十九日、所沢市の西武球場で開催された第二回世界青年平和文化祭は、私にとりまことに重要な日となりました。
     前日まで晴れていた天気がくずれて急変し、その日は朝から土砂降りの雨でした。三千人の来賓を招待してあるので中止かと思いましたが、雨天決行ということです。
     球場に向かう道筋には、出演者の男女青年がずぶ濡れになり、寒さで震えながら題目を唱えていました。胸がしめつけられる光景でした。……
    P84……ハシゴを使っての演技中、一人の学生がハシゴの頂上から転落し、瀕死の重傷を負いました。多くの出演者がカゼを引いて発熱し、翌日休んだ人も大ぜいいました。しかしその師は暖房の部屋に居続け、激励のマイクさえ取ることもなく退場したのでした。
     後でメッセージを伝えても、何の価値がありましょうか。口先でいくら立派なことを語り、詩や歌を書き連ねて激励しても、何の意味がありましょうか。
     戸田先生は、昭和二十九年五月九日の五千五百人の青年部総登山の時、強雨の中の三門広場での式典中、さしかける傘を払い、ずぶ濡れになって青年と行動を共にしました。この時五十四歳。その時指揮をとった弟子の参謀室長は、今師の座にあって同じく五十四歳、弟子の青年達が雨に濡れる中、自分は雨を避けて暖室にあり、行動を別にしました。

    P85 「きょうのお山においての青年部の集いに対し、梵天・帝釈の加護することもなく、雨のなかで行なわれますことは、ひとえに一身私の謗法のいたすところと深くお詫び申し上げます」
     この戸田先生の一言は五千五百人の青年男女の肺腑をえぐったと、「人間革命」第八巻に書かれています。この戸田先生とその最高弟子だと自ら誇る「先生」とは、何と大きく違うことでしょう。私はいいようもない空しさとわびしさを感じ、憮然たる思いで帰宅しました。
     本物の師なら必ず為すことを、「先生」は為さなかったのです。これはどんな弁解も通用しません。自らの指示で雨天に強行させたからには、たとえ体調が悪かろうと、必ずやらねばならぬ最小限の行動を、一番大切な時にやらなかったのです。
     「先生」は、師としても仏法指導者としてもまぎれもない偽物の姿を私達の前にはっきりとさらけ出しました。この確認は私の最も怖れていたことです。最終的に私はこの日をもって、仏法指導者としての「先生」に見切りをつけることにしました。無念極まりない悲痛の決断でした。
    【以下の約10ページは「誠諫の書」とだぶりネットで見られますので、見出しのみ】
    P91  6 諫言そして折伏へ
       貧窮と辛酸の生活の連続
    P92 北條会長逝去後急速に腐敗
    P95 邪教と同然の学会財務
    P98 狂態はますます激しく露骨に

    P100 全国の多くの会員から私のもとへ、さまざまな問い合わせや指導を求める電話が頻繁にかかりました。街を歩いている時、駆け寄ってきて財務のおかしさを訴えられたことも、再三ありました。
     五十九年十月、「先生」の次男・城久君が急死しました。私が知る城久君は愛すべき好漢でした。私はその死を心より悼み、弔問にも駆けつけました。後で多くの筋から聞くところによると、現代医学では死に至ることあはりえない病気であること、あらゆる措置が後手に回り、まさしく諸天の加護が皆無という状況であったことが判明しました。明らかに罰の現証です(この現証を誰も功徳とはいいますまい)。最愛の子息の宿命転換をも導けず、自らも病魔に侵され、体調回復と適切な環境保全に学会から巨額の支出をさせている「先生」に。何を為すべきかと思案しました。
     明けて六十一年は私の入信三十年、辞任より七年、学会の禄を離れて三年に当たります。この年頭より、数年来の懸案であった「先生」への諫言を実行すべきではないかとの思いがつのりました。(以上②終了)

    次男死亡で、学会幹部は胸を撫で下ろしたと謂われています。
    「これで、自分たちの家族に、病気・死亡者が居ても、信心が足らん!とか、罰だ!とか池田から言われずに済む」と、安心したそうです。
    古くからの会員さんは御存じだと思います。……池田ってナサケナヤァ!!

    「池田大作先生への手紙―私の自己批判をこめて 」(1980年8月)
    原島 嵩 (著) : 196ページ 晩声社 (1980/08)
    Amazon 中古品の出品:1点  ¥ 10,000 という高値が付いています。吃驚
    皆さんも何もかんも捨てずに持ってたら、創価崩壊後高値が付くのがあるかも?

  10. >聖教新聞紙上での原島・山崎両人に対する攻撃も激しくなりました。
    >その誹謗攻撃のしっこさと次元の低さに、彼等の行動を是認しない人々でも嫌悪感をいだくようになりました。
    >私の周辺の良識ある会員からも「いつまで続けるのか、もううんざりだ」という声がしばしば聞かれました。
    >とりわけ四者各部首脳の座談会記事が載せられましたが、その内容はあまりに露骨な個人中傷と「先生」礼賛であり、組織の中心リーダーに背いた者への憎悪がありありとうかがえて、気分が悪くなるようなものでした。
    >これについて、「先生」自らがこの記事に手を入れ、語られていないことまで加筆したことを、ある本部職員から聞くに及び、ほとほと情けなくなりました。……

    私は月刊ペン事件はリアルではよく知らないんですが、宗門問題の時とソックリですね。
    全く同じことをこの時見ているので、この告発は事実でしょう。
    自分に忠告する人間に対する憎悪は隠せない人みたいですね。
    これが池田という人の正体であり、会員が抱いている池田は演出された作り物です。
    同じ要領で、発信している日蓮仏教も作り物です。
    創価は騙す方と、何も知らされず騙されてる側で成り立っています。
    末端が誠実だからといって、創価全体が誠実という根拠にはなりません。
    実際末端が必死でデマだと言っても、彼らは「そう信じている」というだけで、騙されていない証拠が出せるわけじゃありません。
    デマだというなら、デマである客観的な証拠を出してほしいと思います。

  11. 蘇生への選択、すごく読んでみたくなりAmazonでみたら6250円の値がついてますね!(@_@)
    近所のBOOKOFFにないかな~
    ニンゲンカクメイは、100円で投げ売り状態で売ってますね(≧▽≦)
    でも、マゼンダさんやピノコさんも書かれていたニンカクの勉強会、こちらでもやっていますが、その勉強会の為にわざわざ新しい本を買わせるんですよね。
    貸し借りはダメとか言ってましたよ。
    全国的にやっているんでしょうけど、ニンカク買わせてMCするための勉強会。
    何もかも銭・銭・銭だ~~

    創価を信じている人の改善策って、本当に呑気で絵に描いた餅だなぁとつくづく実感。
    創価を信じている人は真剣なんでしょうけど、笑えてきちゃうのは何でなんだろう。
    ありえね~っていう失笑です。
    ユル活だから夢を見ていられるのかな。
    妄想会議ってとこでしょうか。

  12. モニカさんの
    >そういう方は法華講に行ったんですかね?<
    私の場合その後法華講の方からおすすめが何度かありましたが
    私はその時、宗教にはもう、うんざりでかかわらないでおこうと思っていましたのではっきりお断りしました
    その場に来られていた他の方のその後は存じません
    一つ心に引っかかったことはベートーベンの第九をなぜ聞いてはいけないのか問いただしましたところ、
    音楽というものは人の心を揺さぶる力のあるものだからキリストを讃える音楽はだめだと!
    私はその時結局、法華講に行っても心の狭い世界で人生送るのかと嫌になりました
    でも福島さんは生涯かけて戦うとおっしゃってましたね
     学会員さんはこの 蘇生への選択 を読んでぜひ池田駄作の本性を見抜いてください人生変わりますよ
    罰など一切あたりません。 ありませんよ。御安心を!!!!
    追伸
    だからと言って私は法華講をおすすめしているのではありませんので
    かたがた思い違いをなさらないようにお願いします。あくまでも駄作先生の本性を知るためのものです

    カガテツさん引用ありがとうございます

  13. 宗教を純粋に盲信できる人って、どこか周りの誰かに現実を肩代わりさせて、
    平気でいられる、鈍感だから気づけないんじゃないか?と思いますね、
    本来持っている人間の感性を、MCで鈍くされていっているんじゃないでしょうか…

    若い方には、いまのうちに気づいてほしいですね、
    うちの親みたいに年老いてからでは、取り返しがつかないですよ

  14. 「蘇生への選択─敬愛した師をなぜ偽物と破折するのか」福島源次郎…③P101~P120

    P101  池田教学の重大な誤りに驚倒(小見出し)

     これと前後して、石田次男氏が「先生」の説く教学の誤りを厳しく指摘しているということを耳にしました。しかし石田氏は第三代会長を競った慢心の人、アルコール中毒で精神異常をきたし、今は廃人同様になっているということを、「先生」や何人かの先輩首脳から幾度も聞かされていただけに、石田氏と会うことはためらっていました。でも教学の誤りとは重大事です。……
     百聞は一見に如かずです。私の会った石田氏は極めて正常でした。それどころか血色もよく、柔和で親切でした。以前の聖教編集の大先輩(氏は初代編集長。私は四代編集長)として孤高というか、冷いというか、近寄りがたい存在であった石田氏とはまったく別の人物がそこにいました。
     冷遇、大病などの逆境にあっての氏の十数年間の並々ならぬ信心修行の取り組みを、実感として感じ、驚くとともに何よりも安心しました。仏道に真正面から取り組んでいる人間特有の雰囲気が強くただよっていたからです。伝え聞いていた石田氏に関する情報は完全に違っていたのです。改めて人間の評価は、人づての噂や情報だけで決して軽々に行ってはならぬことを痛感もしました。
    P102
     氏の教学に関する指摘は、私には驚天動地のことでした。“池田教学”は仏教と仏教外の外道義とを区別する最も基本おいて誤り、いくら仏法用語を使って仏法を説いても、その骨格が外道義と同じで、内外一致の謗法であるという指摘です。「師弟の道」の誤りはともかく、教学上の誤りなど夢にも考えたことがなかっただけに、私の頭は混乱しました。でも諄々と説明を聞くほどに、事の重大性が少しずつ理解できました。……
    P104… 
     三月十七日総本山に詣で、戒壇の大御本尊に諫言実行を誓い、「先生」及び学会の信心の正しき蘇生を祈願してまいりました。
     第一次草稿を書き終えたのが三月二十八日、更に推敲を加えて、四月六日に第二次草稿が終わりました。翌四月七日は私の入信記念日です。この日から清書を始めました。唱題して一念を調えてはペンを取というようにし、信心で書き綴ることに徹しました。途中で文が意を尽くさず、数日間思索し書き改めたこともあり、清書を完了したのは四月十五日でした。
     完成した諫言書を御本尊にお供えし、共に苦労してきた妻と心ゆくまで唱題し、広布に少しでも役に立つことを祈念して、書留にて「先生」の自宅宛に郵送しました。これが「誠諌の書」です。
    ……
    P105 予想していたとおり、「先生」からは返事も一言の伝言もありませんでした。文字どおり梨のつぶてです。のみならず会合での激しい攻撃がはじまりました。
    ………
    P109…内藤氏から他の週刊誌などのマスコミにも、諫言書は流れていきました。正信会の機関紙に掲載されたのも、このルートであることは間違いありますまい。勿論、一切が私に無断であります。このマスコミ流出事件により、私の構想と計画が根本からこわれ、大修正をせざるをえないことになってしまったのは極めて残念なことでした。

      仏法指導者の驚くべき捏造誹謗(小見出し)
     諫言書の提出以来、本部首脳や「先生」側近の間では、私を反逆と決め排除の方策を練っていることは、私にも情報が伝わり知っていました。でも表面はまだ私の名前を伏せていました。本部にとり、この「諸君」掲載事件は福島糾弾の絶好の口実になることを、私は覚悟しました。……
    P110 「先生」の“スピーチ”の中で、私としかとれない言い方で(福島と名指したという人もいます)、「学会本部に一千万円を要求してきた。私はそれをきっぱりと拒んだので、そのことを恨みマスコミに原稿を売った。金に困って反逆した卑しい人間である」という旨の発言をしたというのです。
    P111 私にその真偽をたずねてきた人は一人や二人ではありません。最初はいくら「先生」がひどい人でも、そんなバカなことを言うはずがない、聞き違いであろうと本気にしていなかったのですが、直接の参加者の他、参加者から伝え聞いたという多くの人からも問い合わせがあるに及んで、「先生」がまぎれもなく発言したという事実を確認せざるをえませんでした。かなりの作り事の中傷を覚悟していた私も、これにはさすがに驚きました。あまりにひどすぎる捏造です。人を落とし入れるのに、このような巨大な嘘を作りあげて誹謗する人間は、いったいどのような人格の持ち主なのでしょうか。
    ……
     私にこの捏造の誹謗を伝えてくれたまじめなある会員は、電話口で泣きながら言いました。「もう先生を尊敬できなくなった。人生は真っ暗だ。これから先生の指導をどう受け止めていけばよいのか」と。真偽を確めるために私に連絡してきた人は、事実を知り了解しました。でも大部分の会員は、まさかと思い、何故にといぶかりながらも、「先生」が嘘をつくはずがないと信じています……
    P112  仏法と無関係の退転反逆理由(小見出し)
     地元の組織では妻も子供も私と同罪ということで扱われました。私を破折し離婚・別居しないからというのがその理由とのことです。区長や事務長に登山の申請をしても、拒否され続けました。理由は説明しません。登山券は渡せないというばかりです。
     あちらこちらの組織では、でたらめな人身攻撃を加えた中傷が、とめどなく語られ伝えられていきました。「勤行もせず、しきみも枯れている」「一家は離散し東京にいない」「本人はめくらになった」「精神異常になり病院に入ってる」等々――。沈黙を続けることはそれらの虚偽を認めることになりますので、止むをえず秋谷会長に対し、内容証明付きの抗議と要望の書状を九月五日に送付しました。何故私が反逆であり、退転であるのか、仏法の上から明確に理由を説明してほしいことを要望しました。これにもとうとう返事がありませんでした。都合の悪いことはことごとく無視するという姿勢は、まったく変わりません。……
    P115
     さて石田次男氏のことです。氏と何回か会合を重ね、仏法の正しい理解をめざして基本から教学を学び直すべく、新たな決意で教学に取り組み始めていた矢先の、諫言書マスコミ流失事件です。この事件の直接の責任者が石田氏だけに、絶交して関係を断つべきか否かと私は本当に悩みました。
     氏は本来、マスコミ人であろうと反学会の人であろと、来る者は拒まずの生き方に徹しています(未入信者には折伏)。私はかかる氏の生き方を理解せずに、私の流儀を氏にあてはめて、諫言書のような特殊文書を他の人に示すはずがないと迂闊にも思い込んでいたのでした。コピーを渡す時、これに対する私の考え方と扱い方をきちんと氏に話しておかなかったのが、そもそもの失敗であったことに気付きました。
     あわせて、池田教学の誤りを明確にし、仏法の正しき理解に導いてくれる人は、石田氏以外に知りません。教学の正しい学びは、信心の正しい確立に不可欠です。
    「何に賤者なりとも少し我より勝れて智慧ある人には此の経のいはれを問い尋ね給うべし」
                              (松野殿御返事一三八二ページ)
    「下劣の者為りと雖も我より智勝れたる者をば仰いで師匠とす可き事」
                             (日興遺戒置文 一六一八ページ)
    P116……
      “会長を狙う野心家”の罪状(小見出し)
     昭和六十三年五月の本部幹部会において、後世に永遠に残すものとして、退転反逆者名簿なるものを発表しました。二十数名がそれにリストアップされ、中央会議のメンバーが署名捺印した大仰なもののようです。本幹の席上では秋谷会長より五人の名が読み上げられ、その中に私が含まれていたそうです。罪状は「会長の座を狙うも果たせず反逆退転」とのことです。何人かの幹部から報告されたことなので、恐らく間違いありますまい。例によってこれも具体的内容は口頭で会員組織に伝えられ、新聞活字には一切発表されません。
     何と愚かなレッテル貼りの所業でしょう。奇妙なことには、二年前に「一千万円強要云々」「マスコミと結託し学会誹謗」と、「先生」はじめ各首脳があれほど何度も糾弾した罪状が含まれていません。代りに「会長の座を狙う」という罪状を登場させました。本部はよほどこのようなデッチ上げが好きとみえます。
    ……
    118 会長の座云々を聞いた会員で私を知る人は一笑に付して、本部の愚劣さを嘆きましたが、本部の発表を全て真実と受け取る盲従の会員は、そのまま信じてしまいます。虚事が事実として定着していく現学会の恐しさは、底知れぬものがあります。

      かっての師への折伏こそ報恩の道(小見出し)
    P119 然しながらマスコミ各紙誌上で池田批判をしている内容には、現象面レベルがほとんどで「先生」の根本的誤り、根源的謗法の指摘が欠落しているのです。然も外部の出版物を通しての発言では、会員への情報告知にはなっても、本人直接の折伏とはなりません。
     「涅槃経に云く『若し善比丘あって法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せんは是れ我が弟子真の声聞なり』云々、此の文の中に見壊法者の見と置不呵責の置とを能く心腑に染む可きなり。法華経の敵
    P120 を見ながら置いて責めずんば師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし乃至謗法を責めずして成仏を願はば日の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべしはかなし、はかなし」(曽谷殿ご返事一〇五六ページ)
    ……
     これまでの二度の諫言書は、弟子としての姿勢を貫きました。今回はもはや仏法壊乱の邪師と判明した以上、師と遇するわけにはいきません。折伏は仏の側に立つべきものだからです。したがって「先生」という呼称を用いることも止めました。一対一の対等の人間として、謗法者に対する破折の文を全魂込めてしたためたものです。二度の諫言書の送り先は内々の意を込め自宅宛にしましたが、今回は敢えて公然と学会本部宛としました。この書状は「破邪強言之状」と題し、レポート紙四十枚です。いささかでも正道への覚醒に役立つことを祈りに込めて提出したのでした。(以上③終り)

    福本潤一氏だったと思うが、(確とは思い出せないが)“池田大作は百万年地獄で苦しむ”と云ってましたが、数百万人の人間を苦しめ抜いて来たことを考え合わせると“その通り”と、頷かざるを得ない。考えるだに身の毛も弥立つ。嗚呼

  15. 「蘇生への選択─敬愛した師をなぜ偽物と破折するのか」福島源次郎…④P126~P232

    2章は池田流師弟論の間違いを御書・戸田人間革命・機関紙誌等を使って検証してますが、煩瑣に過ぎるので、引用してある御書の目録をザーッと上げるだけにします。
    (1章で言って来たことを、学的・資料的根拠を示して、証拠固めしています。)

    開目抄・日女御前御返事・唱法華題目抄・念仏無間地獄抄・観心本尊抄・報恩抄・下山御消息・十法界明因果抄・善無畏三蔵抄・華果成就御書・寂日房御書・四菩薩造立抄・曽谷殿御返事・兵衛志殿御返事・頼朝陳状・教行証御書・生死一大事血脈抄・祈禱抄、及び
    戸田城聖人間革命・日淳上人の御講演・御義口伝講義、等々

    3章は御書を中心に、石田次男氏の「現代諸学と仏法」「六師義は正理なのでしょうか」も援用しながら展開してますが、二章・三章は、簡略に纏められないし、直接図書館なり(マズ無いと思いますが、【多分創価・公明の圧力で処分されたと思われます。ここまであらゆる図書館に置いてないところをみると】)(昔共産党が抗議しましたね)で、見られて下さい。

    読み易い一部分のみ引用します。
    P228 要するに、名誉会長は内外勝劣の根本義をまったく弁えぬままに仏法をとらえ、独特の鋭いカンとひらめきで自己流に解釈し。それを実践的教学、現代的展開と錯覚して私達に教え、更には外国の知識人にまでこの偽仏法を紹介していたのでした。本人は間違いとも知らず(謙虚に学び、誤りあれば正そうという姿勢がまったく欠如しているため、指摘されても受け入れられない)、今尚正しいと思い込み語り続けているわけです。
      求道の着実な研さんが苦手(小見出し)
     名誉会長の想像もできなかったほどの貧しい教学力に驚き、いろいろと取材してみたら、次のようなことが判りました。
    (中略)
    P230 
     名誉会長の名前で多くの講義録が発刊されていますが、自らの精進研さんの労作は唯一つもなく、全てが原島グループの作品でした。(御義口伝講義は例外で、実際に講義した部分が多少あります)。五大部講義は勿論、トインビー氏はじめ各著名人との対談や寄稿文などの全てが、執筆代行機関の作品であることは、本部の幹部職員の間では周知の事実でした。短文や随想文などは書けても、厳密な論理構成の論文・対談・講義は書く能力がないのです(時間がないのではなく)。
     現今のスピーチも、御書の中の修行や生活に関するところは得意ですが(退転反逆論は得意中の得意のようです)、少し複雑な法門の解説は原稿にあるものを読むだけです。もしこれを本人の実力で語れば、誤り多くずさんなものになっていきます。試みに、当体義抄・総勘文抄・十八円満抄等の御書を、原稿なしで名誉会長に講義させてみれば、その実力のほどが明らかになるはずです。
    ……
    P232 身延派は本迹一致で題目を唱え、名誉会長は内外一致で三大秘法を説いていたのでした。
     このような人物が、わが学会のトップリーダーとして三十年にわたり君臨してきたというのは、何という悲劇でありましょうか。そして今も尚、盲信盲従している会員が、謗法に気付くことなく正義の旗のもとに集っていると信じ込んでいるのですから、悲劇はますます深まりつつあるのです。(以上④終り)

    次回「先生」から「貴方」に呼び方も変わった三回目の諫言状、“破邪強言之状”で終わります。入手困難書のため、要約しました。何らかの役に立てたら嬉しいです。

    附録 「池田大作の品格」小多仁伯/2007年12月・日新報道
    P96   十二. 池田の「スピーチ」に翻弄される本部担当者
    「今月も間違い、たくさんあるのか?」
    「今回は八箇所の修正だよ。少なくて助かったな」
    この会話は、本部幹部会の池田大作スピーチをテープに編集作業する、録音担当者たちの話です。
     現在では、本部幹部会は衛星放送で全国中継され、それぞれの文化会館で、池田大作のスピーチを聞くことが通常となりました。
    P97 しかし、昭和三十年代から四十年代は、レコードなどが使用され、それ以後は、時代の推移とともに、映像やテープも頻繁に使われてきました。
     当時の録音担当者の悩みは、池田大作が、代作者によって用意された原稿を読み間違えたり、大衆受けを狙って低次元のジョークを言ったりすることで、当然、聖教で掲載される記事と違ってくるため、肉声を録音したテープの編集作業は大変に苦労するのです。
     何せ、池田大作の声を新しく作ってしまうのですから、まさに音のプロフェッショナル(声を作る魔術師)です。
    「池田センセーが絶対に間違いを起こすわけがない」との、マインドコントロールされた学会員の無智とは裏腹に、池田の話す仏法用語は間違いが非常に多かったのです。池田の教学力の程度がわかろうというものです。
     これらの編集作業は本部組織センターの広宣局が担当し、池田の読み間違えた文章や仏教用語を、巧みに造り直すのです。これはなかなか難しい作業でした。この作業は、後に有名になった、創価学会の写真偽造技術に匹敵し、どのような言葉でも、うまく造り直してしまうのです。
    (中略)
    P202  ○ケ 臨終・死後の生命
    「臨終」。どんな絶対君主であろうが、日本の最高権力者であろうが、“永遠の指導者”であっても、臨終を避けることはできません。徒に仏法をかじっているだけに、池田が一番恐れているのが自分の臨終の死に様です。地獄の恐しさを少し知っている池田大作は、学会員たちに盛んに「師が地獄に行ったら、一緒に地獄に行くのが弟子の道」などと、一人で地獄に行くのが怖いので、学会員のみんなを道連れにしようとしています。でも、池田大作の行く地獄は、特別な特等席で一人だけ地獄列車に乗って、閻魔大王から生前に犯した大謗法の数々や反社会的犯罪を教唆した一つひとつを厳しく総括されながら、長い間(何百万年も)乗り続けなければならないとされて
    P203 います。
     学会員を道連れにするとは言語道断であり、一緒に行くのは側近や学会最高幹部だけにしてもらいたいものです。(以上引用終り)

  16. 「蘇生への選択─敬愛した師をなぜ偽物と破折するのか」福島源次郎⑤完P367~P386

    P367  一 貴方の仏法教説の多くは、明らかに仏法に違背し、逸脱しています。

     特に仏教の基本については、全くといってよいくらい習い損ねて、途方もない外道義を仏法の中に持ち込んで論説していることを、いまだに貴方自身が気付かずにいるようです。そのうちの典型的二点のみを、ここでは指摘しておきます。
    ……
    P368 衆生に「我」ありとする考えこそ、見惑の第一たる「我見」そのものであり、奇妙なことに貴方が監修したとする「御書辞典」(一一九ページ)にも、そのようにはっきりと指摘しているではありませんか。右の御金言によれば、貴方はまさしく外道の弟子であります。本迹一致の天台や身延よりも尚程度のよくない、内外一致の外道見の人ということです。
     貴方は外道義の常楽我浄と、実大乗の常楽我浄の区別・違いさえ知らずに、「我」論を振り回しているもののようです。御義口伝等にある四徳の「我」は、外道義の「我」とは全く異るのです。即ち無我八大自在の中道我であり、これを「大我」ともいうのであります。
     貴方の説く「我」論は外道義そのものであり、それはギリシャ以来の西洋諸哲学で説く実体(サブスタンス)・本質(エッセンス)論と全く同構造であり、仏説とは似ても似つかぬ大僻見であることを指摘しておきます。尊い仏法をこのような六師外道の外道義に汚染させて語るとは、いかに無智とはいえ、何という謗法ではありませんか。
    ……
     貴方は「有」と「仮有」の根本的違いも弁えずに、「有」の世界に仏法をなぞらえて説き、それで仏法を語ったつもりでいるのです。これ又、全く仏法と違う邪説・邪見であることを知らねばなりません。だから「法界」を「宇宙」と同一視したり、「仮」を「仮諦」と同じに論じたりという愚かな誤りを、平然としてしまうのです。
     ほんの一例を次に引用してみましょう。
     「御本尊への唱題によって、我々の生命に具った仏界が内より薫発し、全宇宙にまします仏界・菩薩界並びに天界に厳然と連動波動なさしめ、宇宙の三世十方に実在する仏・菩薩ならびにあらゆる
    P370 諸天善神が、厳として私どもを守護してくださる意義とも思えるのであります」
                              (60年3月 町田圏代表幹部会)
     このような珍説を、仏法の名において貴方は指導しているのです。この類の指導は、挙げればキリがないくらいです。このような論法が、仏説のどこに説かれてあるのでしょうか。………日淳上人も、宇宙に遍満する妙法という如き考えを僻見として、厳しく斥けておられます。
     「妙法蓮華経と唱え持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず」
     「都て一代八万の聖教・三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとは・ゆめゆめ思ふべからず」
     有名なこの一生成仏抄の御金言の真義を、貴方は全く理解できていないようです。先きに引用した貴方の指導は、この御金言に全く反する「有論」であり、邪見であることを思い知るべきです。
     この一生成仏抄の御金言は、仏法を学ぶ上の規範中の規範とすべきご指南であり、戸田先生も常に強調されていたことではありませんか。
     以上の二点だけでも、仏法を学び損ねた仏法指導者としての貴方の虚像がはっきりと浮かび上がってきます。貴方は多くの純真なる会員に、かかる邪義邪見混入の仏法を説きつづけてきました。
    ……
    P371 誤りあるは愚かな人間の習い、素直に非を認め、厳しく反省し、仏法にもとずく変毒為薬の方策を真剣に講ずる他はありません。私も未熟極まりない凡夫です。貴方も長年の権威の座から潔く下りて、一会員に立ち戻り、今一度四十一年前の入信の頃の初心に帰って、滅罪求道の念をもって、仏法の正義(しょうぎ)・正理をともどもに学び直していくべきかと存念しますが、いかがでしょうか。

    P373 貴方が説く「師弟の道」は、戸田先生時代の師弟の道とは明らかに違うようです。戸田先生がこのような謗法行為を断じて許されるはずがありません。
     学会の師弟の道は、内容がどうであれ、在家間の師弟関係であり、善知識の関係であります。それは信心成長のための“縁”であり、よすがであって、それ以上では決してありません。主師親三徳具備の大聖人を師とする師弟相対とは厳然と一線を画すべきは、言うまでもありません。故に信心の中味とはなりえないのであります、してはならぬものです。(師弟間にそれなりの倫理と道徳規範があるのは当然で、これは信心自体とは別問題)
     そもそも大聖人は、創価学会の出現を前提にして仏法を説かれたのではありません。在家の師弟
    P374 関係とは全く無関係に、仏法を教え、成仏の道を示されました。御書全篇をみましても、在家間の師弟論は一文一句見当たらないのであります。……

    P376 昭和五十年頃の弟子分帳作成・記載の折り、「私が“この人背きおわんぬ”と朱書きしたら、その人間は生々世々地獄で、再び人間として生まれてこれない」と指導したことは、よもやお忘れではないでしょう(この類いの発言は、私のメモにも数えきれぬ程いっぱいあります)。この一言に、極限の増上慢の姿が浮かび上がっていることに、貴方は気が付かれませんか。
     一体、貴方はいかなる資格があって「師」という特権と絶対権威の座に座りつづけているのですか。いかなる仏法上の立場をもって、このような思い上がった発言をし、学会内で特別待遇をうけているのですか。
     改めて、経文と御書をもって追及すれば、貴方にはその座にある何の資格も、何の根拠もないのであります。
    ……
     戸田先生は「私にほめられようと思うな、大聖人にほめられる信心をしなさい」と常々語られていたことを、何人もの人から聞きました。
    P377
     釈尊がその弟子に「私を守れ」と言いましたでしょうか。大難数知れずの大聖人が、弟子たちにそう言われたのでしょうか。「私を守れ」と弟子に命じたり、要求したりした仏様は金輪際おられません。御本仏は敢えて凡夫の身を現じられて、死身弘法のお姿を私たちに教示されました。いやしくも仏弟子の一人として、不惜身命の広布実践に立つ学会の師なら、心の中で思ってもならぬことでしょう。
     まことに必要ならば、国会にも裁判にも自ら進んで堂々臨んでいくでしょう。仮に罵声を浴び、ののしられようと、厳然と仏法正義の正論を述べ、仏弟子の厳たる姿を示していくのが、仏法の最高指導者なのではありませんか。その不惜身命の姿に弟子たちは感激し、自発の意思で師を守ろう
    P378 と行動するでありましょう。それを、国会議員を使い、あるいは金銭を用い、策を弄して権力に媚び・妥協し・取引して回避策を講ずるとは、何と卑怯未練な人間でしょう。
     しかも俗流マスコミ等から少々非難され、あるいは一部の僧侶から批判された程度で、「難を受けた」「一身に迫害を受け、犠牲になって皆を守った」とは、何という破廉恥な妄言でありましょう。
    ……
     「私を守れ」というのは、専制国家の権力者やヤクザ・マフィアに類する独裁組織のボス等が、臣下や子分や部下に命令する言葉でしかないことを、肝に銘ずべきです。仏法や師弟の道をもって正当化し、命令・要求することでは決してありません。いわんや仏法指導者なら口が腐っても言ってはならぬ言葉です。
    P381
     貴方は、本物の仏法指導者なら決してしないことを、あまりに多く為してきました。
    P382 度が過ぎる自慢。自賛・自己宣揚・贅沢極まりない生活、自分と家族の異常な特別待遇、批判・諫言の激しい排斥、自己防衛の為の政治妥協・取引等々……
     なかんずく最大の謗法行為は、御本尊模刻でありました。御法主上人の誤慈悲によりひとまず救済されたものの、それに甘じて、猊下より決着済みのことと決め込んで、宗内をまかり通っている貴方の姿勢に、偽物の正体の断面がありありとうかがわれるのであります。この謗法事件の根っ子にあるのは、宗制に疎いとか、申請手続きの誤りなどという形式上の問題ではさらさらなく、貴方の教学の誤りからくる本尊観の狂い・信心の狂いであることを、よくよく理解できていないのでありましょう。
     慢心とは、まことに怖しいことであります。貴方は、もともと反省能力が欠如しているかと思うくらい、よくよく反省できない人間とみえます。反省自覚の修行である仏法には、もっとも不向きな人間といえましょう。
    ……
     学会が七百五十万世帯の折伏をしていないのは、貴方が最も存知のことではありませんか。御本
    P383 尊送りの機械的合算数字が七百五十万世帯であっても、その中の五百万世帯は、当時の折伏の過当競争による、いいかげんな折伏の結果の御本尊返却・放置・捨棄の退転であり、又虚偽の御本尊送り(ご安置先のない御本尊が、当時の地区部長・班長宅に何体もあるのが往々あった)の架空数字であったのを、貴方が知らないはずは断じてありません。
     それを承知で、このような嘘を平気で発言する貴方に、信心、否、人間としての良心があるのでしょうか。……
    P384
     貴方は、まぎれもなく偽物の仏法指導者でありました。
     その偽物に率いられた会員は哀れであります。そして彼らは今尚、貴方を偉大なる師として信頼し、一生成仏と広宣流布の仏道修行にほど遠い、不毛の学会活動に励んでいるのであります。……
    P385
     戸田先生時代に生き、戸田先生を知る先輩が「今の学会の惨状・醜態を先生がご覧になったら、どれ程悲しみ、どれ程お怒りになるだろうか。我々の非力のためにこれを阻止できず、こんな学会にしてしまい、申し訳ない限りだ」と語っていた姿に、私の心はうずきました。
     ここまで腐敗し堕落した学会の真実の蘇生は、容易ではないでしょう。偽物の独裁リーダーによる広布大空転の実験は、無残な結末を導き出しています。今や一刻も早く終止符を打たねばならぬのであります。
    ……
     貴方の謗法の罪は深く、その影響力の大きさからみて、罪障消滅がはたして今世で可能かどうかは、凡愚の私には分りません。貴方への十王の裁断、具生神の呵責は、これからの余生にまことに厳しいものと、御書・経文に照らし、又私自身のささやかな体験からも推察できます。
    P386
     この書状に異論があるのでしたら、くれぐれも陰で個人中傷や人身攻撃などの卑しい行為をなさることなく、堂々と直接に、信心の筋道を立て反論してください。再度念の為に申し添えます。
               昭和六十三年八月二十二日書了
    (以上⑤完終り)

    私が池田を見るに“100%嘘と分かっていることを、平然と素面で言う”完全なる○地○居にしか見えません。これで銭になると腹黒く計算して、最高幹部以下“ヒル(生き血を吸うと謂われてる)の如き生き様”に成り下がっているが、天知る地知る我が知るで、堕地獄間違いなし。
    安倍も真似すんじゃナイゾ!日本産食品(特に東北産)は、台湾・中国・米国以下世界中から輸入禁止されてるじゃないか。何処がアンダーコントロールじゃ。/……え? 立ち並ぶタンクのあちこちから汚染水が漏れてくる。地下水は山側から容赦なく流れ込み、それが汚染されて港湾に流れ出る事態も続く。汚染水はいま、「アウト・オブ・コントロール(制御不能)」じゃないですか。……ネット記事より引用しました。(著者不明)

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