自分で考えることができなかった

このブログは、創価学会員自体を非難したりするものではありません。一人でも多くの学会員さんに、自分が騙されていることに気づいてほしいんです。でも、学会員さんがこのブログを読んでもその真意は伝わりません。なぜなら創価を批判するものは魔だと思うように教え込まれているからです。そこに本人の考えや判断はありません。完全に創価から教えられた通りの発想でしかありません。自分で考えていません。自分で考えることは悪だと、さらに不幸になると信じ込まされているからです。今の自分がどんなに不幸でも、創価の言うとおりにしていれば、いつか絶対的幸福境涯になれるんだと教えられていて、そのことを信じる以外に自分の生きる道はないと思っています。
学会員さん。創価学会に入会して、活動やって、聖教新聞を購読して、その他の出版物や民音のコンサートチケットやDVDを買って、毎年毎年財務のお金を貢いで、選挙のたびに嫌われるの覚悟で公明党の票をかき集めても、絶対に幸せになんかなりませんよ。それがなぜだかわかりませんか?それは創価学会が宗教ではなく詐欺だからなんですが、ここで100歩も1000歩も譲って、創価学会が宗教だと仮定しましょう。もしそうだとしても、活動やって、聖教新聞を購読して、その他の出版物や民音のコンサートチケットやDVDを買って、毎年毎年財務のお金を貢いで、選挙のたびに嫌われるの覚悟で公明党の票をかき集めても、絶対に幸せになんかなれるわけないんです。なぜか?そんな活動や寄付は幸せになるための宗教行為じゃないからです。どこの世界に組織にお金を貢げば貢いだだけ幸せになれるなどという宗教がありますか?あるとすればそれは詐欺です。だから創価学会は詐欺でしかないんです。創価にお金を出して幸せになれるんだったら、創価学会員はとっくの昔に幸せになっていないとおかしいですよね。あなたの周りで創価にお金を貢いで幸せになっている学会員がいますか?このブログには散々創価にお金も時間も貢いだあげく、家族を失い、財産を失い、社会的な信用さえも失ったという実体験がたくさん寄せられています。この事実をどう説明できますか?それでも創価にお金も時間も貢げば貢ぐだけ幸せになれるという根拠と実例を示してみてください。そう思っているだけではないですか?なんとなくそうであってほしいから、いつの間にかそう思い込んでしまっている。そしてこれまで相当なお金と時間を創価に貢いでいるものだから、自分がやってきたことをそう簡単には否定できないからなのではないでしょうか。だってバカみたいですもんね。良かれと思ってやってきた。家族にも友人にも、良かれと思って勧めてきた。自分の子供に至っては、生まれた途端に入会させ、無理やりでも勤行唱題をさせ、しなかったら不幸になると脅し、まともな価値観を持てなくしてしまっているんですから、自分の人生がそんな恐ろしいものだったなんて考えたくもないですよね。でもね、これが真実なんです。創価学会は宗教ではなく、人を疑うことを知らない善良な人をまんまと騙してお金と時間を徹底的に貢がせる凶悪な詐欺集団なんです。そして会員はそレとは知らずに騙される側から騙す側に回ってしまい、さらに被害の輪が大きく広がってきたのが創価学会の現実なんですよ。信じられないでしょうけど、現実を直視すれば、創価が詐欺だということは小学生にだってわかることなんです。
もう一度、最初の質問をします。
創価学会に入会して、活動やって、聖教新聞を購読して、その他の出版物や民音のコンサートチケットやDVDを買って、毎年毎年財務のお金を貢いで、選挙のたびに嫌われるの覚悟で公明党の票をかき集めても、、絶対に幸せになんかなりません。学会員さん、それがなぜだかわかりませんか?
こんな質問について考えたこともないでしょ。そうです。考えないようにさせられているから考えたことないんです。学会員さんはこんなこと考えずに、活動やって、聖教新聞を購読して、その他の出版物や民音のコンサートチケットやDVDを買って、毎年毎年財務のお金を貢いで、選挙のたびに嫌われるの覚悟で公明党の票をかき集めているんです。
学会員さん、一度でいいですから自分でこのことについて考えてみませんか?
つまり、創価学会の活動を真面目にやっているのに、いつまでも幸せにならないのはなぜだろう?そして今までどうしてそんなことを考えたりしてこなかったんだろう?
大切なのは、自分の人生について自分で考えることをしてこなかったことに、少しも疑問を感じていないという事実です。そこに気づきましょう。そして創価学会は会員に対して考えることをさせないようなシステムだということに気づいてほしいんです。日々の活動や会合で、自分の人生について考えているようで何も考えていないということに気づいてほしんです。学会員さん、日々の活動や会合では、何を考えていますか?自分はいかに創価の言うとおりにできているか?でしょ?創価の言うとおりにしていれば絶対に幸せになれるという前提で、自分で考えたりしちゃいけないんだと、自分で考えることを自分で否定する日々ではないですか?昔の私もそうでしたからよくわかるんです。それでもときどき自分で考えて、創価に矛盾を感じたりすることもありました。でもすぐに自分の考えが間違いなんだと自分に言い聞かせていました。余計なことを考えずに、御本尊の力を信じてやっていこう!と自分を思考停止に持って行っていました。自分で考えさせない。人の心をコントロールする最強の方法だと思います。そして創価学会は見事にその方法によって、ものすごい数の善良な人々からお金と時間を奪い取り、不幸にしてきました。不幸の連鎖を繰り返させてきたんです。
ということで、今回のテーマは「自分で考えることができなかった」とさせていただきます。つまり創価が宗教ではなく詐欺だと気づかなかったのは、自分で考えることができないように仕向けられていたんだと言うことですよね。だから、みなさんの活動家時代に、いかに自分で何も考えていなかったのかという体験。さらに自分で考えようとした時に襲ってくる恐怖について、そのまま語っていただけたらと思います。もしかしたらこれを読んでいる学会員さんの心に「そういえばそうだよね」という共感が生まれれば、そこから「自分で考える」ことが始まるかもしれません。というか「自分で考えることをしていない自分」に気づくことが、覚醒への第一歩ではないかと思うんです。なので、みなさんの過去の「考えなかった時代」や「考えようとして襲ってきた恐怖心」についてリアルに語っていただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。

創価の幸せ

創価学会が宗教ではなく、多くの会員からお金をだまし取り、不幸にしていくだけの卑劣な詐欺団体であることは、もはや疑う余地などありません。それはこのブログに寄せられている多くの創価学会経験者の真実の声だけでも明らかです。このブログに寄せられた2万件以上のコメントの全てを読まなくても、普通の人であればすぐに理解できることです。しかし創価に洗脳された学会員は、これらの事実を前にしても認めようとしないばかりか、人によっては激怒して感情的なだけの言葉をぶつけてきたりします。詐欺であることの証明は、このブログにいくらでもなされています。そして創価学会が正しい宗教であることの客観的な説明は不可能です。なのに創価学会が正しいと信じ込んでいる活動家は、何の根拠もないままに信じきっています。その結果どうなるか。会員はただただお金を差し出し、労働力を提供し、近隣住民には嫌われ、家庭は崩壊します。学会員同士だけのコミュニティでメンタルを保っています。ひとたびそのコミュニティから抜け出す者が現れたら、反逆者扱いで罵倒し、陰口を広げます。創価のコミュニティの多くが所詮そのような人間関係です。このように創価学会員が極端な選民主義の考えに陥ってしまうのも、日々の活動の中で意図的に洗脳されてしまったことが原因であり、もともとからそのような人間の集まりではないこともよくわかります。創価学会が宗教ではなく詐欺団体だということに気づき、脱会し、通常の生活を取り戻すことができた人は、おしなべて何の問題もない社会生活を営むことができているからです。もちろん、創価を脱会できたからといって幸せになれるかどうかは別の話です。創価によって不幸になるということから逃れられたということではあっても、それ以外に関しては一般の人と同じような問題があったり、人間関係で悩んだり、病気や仕事のことで悩んだりするのは当然のことです。
創価を信じていると、そうした人間の幸不幸の全てが信仰によって決まるのだという価値観で物事を見てしまうという特徴があると思います。「なにごとも信心で受け止める」と常日頃言いくるめられていては無理もないことなのかもしれません。いいことがあったら信心のおかげ。悪いことがあったら魔が競った、あるいは信心が足りないから。病気になったら信心を試されている。治ったら功徳。治らなかったら信心が足りない。夫の給料が上がったら信心した功徳。上がらないのは信心が足りないから。子どもが大学に入ったら功徳。落ちたら信心が足りないから。いづれにせよ、全てはこの信仰をしているから幸せになっていて、不幸なことは全て信心が足りないことにしてしまう。問題は、それで全てに納得してしまって、それ以上のことを考えずに、ひたすら組織のいいなりになろうとすることだと思います。財務をすればするほど幸せになれる。何が幸せなのかを考えようとはしません。とにかくお金を出せば幸せになれるそうだから、何が何でもお金を出そう。疑ったら功徳がなくなるそうだから疑ったりしないようにしよう。功徳がなくなるどころか不幸になってしまうから恐ろしい。こうやって思考停止だけではなく、創価に貢がなければ不幸んあるという強迫観念に縛られて生きていくことになります。そんな恐怖の毎日が不幸だとも思えないでいます。むしろ無心に創価を信じること自体に幸せを感じているのです。
いわゆる創価脳がこれにあたるわけですが、創価脳は自覚症状がありません。創価が世界で唯一人間が幸せになれる宗教だと信じています。世の中にはどれだけの人がいて、世の中の人のどれくらいが創価の信仰をしているのかなんて考えもしません。と言うより、今は創価学会員が世界に増えていて、近い将来、創価の信仰によって世界が平和になると信じています。世界の宗教分布を知ろうともしませんし、創価学会の世帯数が何十年も827万世帯であるとの発表に何ら疑問も感じません。創価学会が世界に広がっていると言われながらも、自分の地元の組織が増えていないことにも何の疑問も感じていません。都合の悪い事実には徹底的に蓋をします。いわゆる創価シャッターです。そして創価の批判をされたと思うと、普段は温厚な人でも、人間が変わったように激昂するのが創価スイッチです。もちろん冷静な対話などできるわけがありません。思考停止の創価脳、コミュニケーション不全の創価シャッター、人格崩壊の創価スイッチ。この創価三大特徴を持っているのが創価学会員です。やっかいですよね。こんな人が一人でも自分の家族にいたら、そりゃ幸せな家庭など築けるわけがありません。

今回のテーマは「創価の幸せ」とさせていただきます。
いったい創価学会員にとっての幸せとは何か。みなさんが創価学会員として活動してきた中で感じていた「幸せ」について思い出して語っていただきたいです。何も考えずに創価の活動を一生懸命にしていけば必ず幸せになれると言われてきて、その通りに信じてやってきた方ばかりだと思います。「あのとき何が幸せだと思っていたのか」あるいは「幸せだったのか」あるいは「きっと幸せになれる」と信じていたのか。いろいろな観点があるとは思いますが、幸せになれると信じて頑張っていた学会活動が、何かのきっかけによって「あれ?これって幸せのためなの?本当に幸せになれるの?」と自ら考え始めた瞬間から覚醒が始まったのではないかと思うんです。つまり、幸せについて自分で考え始めたところから、覚醒が始まり、創価に対する疑問を隠しきれなくなり、さらに自分で考える機会が増えた結果、人として当たり前の価値判断が次第にできるようになり「創価はおかしい」が「創価は詐欺だ」ということの結論にたどり着いたのだと思います。
「幸せってなんだっけ?」と考えるのは人として当然なのですが、創価ではその答えをはじめから用意しています。「何も疑わずに創価にお金を出せば出すだけ幸せになれる。これを疑ったら不幸になるだけ」こんなこと普通の人間が信じるわけがないのですが、これを宗教を利用して巧妙に信じさせてきたのが創価学会のやり口なんですね。ちょっと冷静になって考えれば創価が詐欺だと誰でもわかることなのに、それがわからなくなる。あるいは生まれたときから親にそう言い聞かされ続けてきたら無理もありません。
ということで、今回はあらためて皆さんが創価時代に考えていた『幸せ』について聞かせてください。
よろしくお願いします。

本部職員に告ぐ 2

ちょっと重いテーマが続きましたので、今回は少し軽やかに行ってみましょう。

去年の1月に「本部職員に告ぐ」というテーマでみなさんにお話をいただきました。

今回はその続編となります。

ちなみに去年は

「詐欺団体創価学会の本部職員というのは、会員を騙すのが仕事なわけですが、騙そうと思ってやってる職員と、自分もまんまと騙されてやってる職員がいるみたいですね。騙す職員と騙される職員。どのあたりで別れてるんでしょうね。少なくとも騙している自覚のある職員というのは、ものすごく人生割り切ってますよね。きっと「騙されるほうが悪い」と自分に言い聞かせているんでしょう。それにしてもそんな人生で良しとしている本部職員の気が知れません。自分の子どもにもそんな人生を歩ませて平気なんでしょうか。それとも自分の子どもだけは創価に関わらせないようにしてるんでしょうかね。その点、騙されているとは知らずにせっせと働いている職員というのが、あの3人組みたいな人たちなんでしょうね。自分が人を騙していることさえわからないで、というか人のために頑張ってると思っているんだから救いようがないです。」

といった内容です。

どうやらこのブログは創価の職員もチェックしてそうです(笑)

なので、今回はこのブログをチェックしている創価の職員さんに向けてピンポイントでみなさんからのメッセージをお願いします。創価を批判しているブログなどをチェックする仕事ですから、創価にとって何が都合が悪いのかを知っていなければ仕事になりません。そして創価の何がおかしいかもわかっていなければ仕事にならない。つまり一般の会員のような創価脳では仕事稲荷様がないんですよね。もし創価が正しい宗教で、何一つやましいところなどないのであれば、そもそもアンチブログのチェックなど必要ないわけです。アンチが何を言おうが、どんなデマだろうがほっとけばいいんです。でも実際にはある。創価にダメージを与えるかもしれないようなアンチブログがないかチェックしている。つまり創価は知られるとまずいことがあるってことですよね(笑)

毎日毎日アンチ創価ブログをチェックする仕事をしているそこの創価職員さん。このスレッドでは、元創価学会員が特別にあなたに向けてメッセージを差し上げます。普段から見てるでしょうけど、今回はあなたについて直接語りかけますので特によ〜く読んでくださいね(笑)そして言いたいことがありましたら返事のコメントもお待ちしてます。ただし、本当に創価の職員であるかどうかを証明してもらわないと載せられませんので、それなりに工夫して書いてくださいね(笑)

それから、もう一つ、元創価の職員をしていたけど、創価が詐欺だと気づいてやめた方がいらっしゃいましたら、ぜひコメントをしていただきたいです。これも元職員だと判断できるような記述をしてください。身バレが怖い人は、前スレのBARONさんのように、いったん非公開で私にだけわかるようなコメントをしていただいてからでもいいです。

ということで、今回は創価の本部職員、とりわけ普段からここのようなアンチブログを読むことを仕事にしているような、創価が詐欺だと知っていながらも創価から給料をもらって詐欺の仕事を続けている職員さんに対して、みなさんから言いたいことを募集します。どうかよろしくお願いします。

 

話したいことは話してください 2

ということで、今回も引き続き「話したいことは話してください 2」というテーマで、自分が体験した創価学会を言いたいだけ言ってください。ただし、基本的に自分の体験に基づいた話に限ります。聞いた噂だとか、感情的な人格否定はご遠慮ください。あ、でも「アホんだ〜ら」とかの可愛いやつならOKですよ(笑)

前スレで、ルフランさんがものすごい体験談を書いてくださいました。これはちょっとやそっとの覚悟では書けない内容です。まだ読まれていない方は、前スレのコメント欄を是非読まれてください。

このブログを始めて5年半。ちゃんと数えてはいませんが、このブログにたどり着いて、創価が宗教ではなく、ただの悪質な詐欺だったことに気がついて脱会した方が、本当にたくさんおられます。まだ脱会まではいかなくても、折を見て脱会しようとしている方もたくさんおられるようです。創価学会員はどう考えても確実に減っています。公明党の得票数の現象を見ても明らかですし、新年勤行会の参加状況を見ても明らかですし、各地の座談会会場の顔ぶれを見ても、これで「創価学会が世界に広がっている」なんて真顔で言える人はいないでしょう。いないはずなんですが、創価脳の人たちは何がなんでも「創価学会が世界に広がっている」と言い張ります。それは「創価学会員でも幸せになってないじゃないか」と問い詰めても「それはみんな人間革命の途中だ。過去世において背負うことになった宿命を、この信心によって転換しようと頑張っているんだ」と苦し紛れの返答しかしません。では創価学会ができて80年以上も経つのに、その宿命転換できた人がどこにいるのかと聞いても答える学会員はいません。きっと死ぬまで宿命転換のための戦いをして、死んだ途端に宿命が転換されて来世では健康な体で幸せな家庭に生まれているんだなどと、またまた証明のしようのない、誰も見たこともない苦し紛れの言い訳しかできません。創価の信仰で功徳があるなんて、誰にも証明できないし、誰も見たこともないんです。一方、創価学会員になって活動したために、全財産をなくし、病児になってもまともな医療も受けずに、苦しむだけ苦しんで死んだ多くの学会員がいることは、紛れもない事実です。ではこの事実を学会員はどう説明するのか。できるわけがありません。またもや「人間革命の途中」ですか?(笑)
池田大作はよく「生きている間に幸せにならなくちゃこの仏法の意味はない」と言っていました。そりゃそうですね。でもその池田が生きている間に幸せになったでしょうか?一体創価学会で誰が幸せになったのか教えてほしいものですよね、学会員さん。

ということで、このスレッドでは、創価学会の活動をして、こんなに不幸になりましたという体験もどんどん書いてください。もちろん、創価学会でこんなに幸せになりましたと言いたい創価学会員さんも書いていいですよ。書くことがあればの話ですけどね。

話したいことは話してください

このブログは、創価の実態を実際に創価学会員として活動してきた方の体験として話していただくという方法で、創価学会が宗教団体ではなくただの詐欺集団であって、会員は宗教にありがちな「特別な力」を信じ込まされて、お金や労働力を奪い取られるという現実に気づいていただくための場所です。
創価学会が会員に対してやってきたことが、あまりに卑劣であるがゆえに、創価に騙され、自分の人生のほとんどを台無しにしてしまい、さらには家族や友人をも失ったり傷つけてきたことに対する罪悪感をどうすることもできずに悩んでいらっしゃる学会員と元学会員が驚くほどたくさんいらっしゃるということが、このブログに寄せられるコメントによってわかります。
また、客観的に創価の実態を知るにつけ、創価へのそうした批判が、まるで自分を否定されているかのように感じてしまう方もたくさんいらっしゃるようです。逆にそうした方に配慮しすぎて、創価の実態についての話ができなくなっては、このブログの存在理由もなくなってしまうように思います。問題が問題ですから、創価の批判が自分の人生の否定としか捉えられない方にとっては辛すぎる話かもしれません。しかし、辛いからといって現実から目をそらしても、これまでと同じだと思います。創価を体験し、覚醒した方は、それぞれに超えなければならない精神的な重荷を背負っていらっしゃると思います。私も含め、ここに話をされている多くの方が、そうした辛さを受け止め、乗り越え、さらにこうした卑劣な詐欺が生き延びていかないように、声を発し続けてくださっている方に深く感謝申し上げます。
知らなかったこと、騙されていたこととはいえ、創価学会員として活動していた方は、大なり小なり社会悪の片棒を担いできたという現実は、きちんと受け止めなければいけないと私は思います。このブログを見て、辛くて耐えられない方は、無理に読んでくださいとは言いません。しかし覚醒した方が現実に向き合うにはショックが大きすぎるからといって、創価がやってきた卑劣な行為をオブラートに包むことは断じてあってはならないとも思っています。
ここで語られているのは創価学会の現実に対する批判であり、現実的な被害の内容です。学会員の人格を否定するものではないし、コメントを書く中でそうした表現になってしまうことに対しては注意をしてくださいということをブログのトップに書き加えました。創価を批判すると覚醒した人が傷つくからほどほどにということではなく、何が良くて何が悪いのかを明確にした上で、しっかりと創価の批判をしてくださということです。それでも自分が批判されているようにしかとれなくて辛くて読めないという方は、逆に読まないでいただきたいです。もちろん読む読まないはこのブログに限らず個人の自由です。このブログを読むことが自分にとって何になるのかを明確にしていないと、内容が内容なだけに、人によってはただただ自分を否定されているだけのものでしかない場合もあると思います。それはあくまで自分の判断で、自己責任でお願いします。
また、ここで創価批判をするにあたって、思いのほか傷ついてしまう人がいるいるかもしれないという理由で、言いたいことが言えないということになってはいけないと思います。ここはとても難しいところだと思いますが、創価に関わってきた自分が体験したこと、そして覚醒してからの心の変化については、できる限りそのままを話していただきたいと思っています。
このブログの中で再三述べていますが、私はこのブログにコメントをくださる多くの方と同じように創価に騙された人間の一人でしかありません。何か特別なことができたり、軽やかに創価から脱出するための方法を知っているわけでもありません。比較的短期間で創価から去ることができましたが、創価が詐欺であって、騙された自分の人生の取り返しのつかなさに精神のバランスを崩してしまい、未だにうつ病の症状に悩まされている状態です。うつの症状とはもう一生付き合っていかなければならないだろうなと思っています。それが自分の現実を受け止めることでもあるんだろうなとも思っています。せめてもの救いは、このブログの存在によって、創価が詐欺であることに気がついてくれる学会員さんが確実に増えているということです。これはある意味、自分がやらかしてきたことに対する贖罪のようなものだという気もしています。自分にできるせめてものことだと思っています。
そこで今回のテーマは、「話したいことは話してください」です。それが創価の被害者を一人でも減らす方法だと思うからです。そりゃそんなひどい創価に自分もいたのであれば、辛くなるのは当然です。でもそれを乗り越えなければ何も解決しないと思っています。だからそのことで大なり小なり創価だった自分の現実に傷ついたりするのは覚悟しないといけないと思うんです。それは仕方のないことだし、ここで避けたからといって、それは問題を先延ばしにするだけのことなのだろうと私なら思います。もちろん今は先延ばしにしないとまずい人もいらっしゃると思います。それは自分で判断してください。読んで辛い思いをしてしまっている方へはそう思います。
ここにコメントをされている方、あるいはこれからしてみようと思っている方は、どうぞ「話したいことは話してください」ということです。現実を話してください。実際に思ったことを話してください。それは何一つ遠慮しないでいただきたいのです。ただ言葉に注意してください。感情的になる場合もあると思います。しかしこの場にいらっしゃる方への個人攻撃や感情的な批判の言葉は何も生み出さないばかりか、この場をぶち壊しにしてしまうからです。そのことに注意をしていただければ、特別に気を使う必要もないと思います。
以上、長くなりましたが、このブログにコメントを書いていただく際に注意していただきたいことを述べました。要は言いたいことはどんどん言ってください。ただここにいらっしゃる方への個人攻撃につながるような言葉は慎んでいただきたいということです。どうかご理解とご協力のほど、よろしくお願いします。

で、この今回のテーマ「話したいことは話してください」ですが、今回はそれぞれに自分が特に創価についてこれだけは言いたい!ということを話していただければと思います。そりゃもちろん言いたいことはいくらでもあると思います。それは私も同様です。そこであえて創価に物申すとすれば、自分は何を言いたいのだろう?ということをあらためて考えていただいて話していただければと思います。そのことによって創価の何が問題なのかが見えてくるかもしれません。それは創価の誰に対して言いたいのかということで言いたいことの内容も変わるでしょう。池田大仏本人に言いたいことなのか、会長とその周りの最高幹部に言いたいことなのか、本部職員なのか、地元の学会員なのか、創価から甘い汁を吸わせてもらっている関係企業なのか、人によっていろいろだと思います。もちろんいろいろでかまいません。いろいろあるけどこの人にこれだけは言いたいということを書いてみてください。よろしくお願いします。

創価後遺症について

このブログは6年目の途中になります。昔ほどではないですが、今もときどき何年も前のスレッドにわけのわからないコメントが来たりします。本当にときどきですけどね。内容はこのブログに対する現役学会員からの批判です。もちろん挨拶も自己紹介もないし、言葉遣いもめちゃくちゃです。ほぼ100%が現役学会員からのコメントです。昔は全く関係ない人からの面白半分のコメントもありましたが、今ではほぼありません。ウンコタレも来ないようです(笑)それだけこのブログがどんなものなのかが認知されてきたのだと思っています。しかし現役学会員だけは話は別です(笑)。相変わらず「かわいそう」とか「地獄に落ちる」とか「本当の信仰を手放すなんて愚かな人たちだ」とか「もう一度大聖人の仏法を学んではいががですか」とか、ほとんど似たり寄ったりの言葉だけが並んでいます。多分、たまたまネット上でここの過去のページに行き着いて、創価批判を目にした途端スイッチが入って書かずにおれなくなるんだろうと思います(笑)。判で押したようなと言いますか、ステレオタイプと言いますか、紋切り型と言いますか(みんな同じですが笑)、あらためて思うのは、創価脳になってしまうと、思考が止まるせいか、みんな同じことしか言えなくなるんですよね。それも上から言われたことをそのまま繰り返すだけの人間になってしまいます。それがいいことか悪いことかの判断すらできないまま、そして創価だけが幸せになる道であって、そうでない人はいずれ不幸になると思い込んでます。現実に不幸になってないことを指摘しても「いずれは不幸になる」としか言いません。創価で幸せになった人がいるのかと指摘しても「今は人間革命の途中だと口を揃えて言います(笑)つまりみんな途中だからまだ幸せにななっていないけど、最後は必ず幸せになるんだと言い張ります。こんなことをいい大人が真顔で言うんですから、一般の人たちから頭おかしいだろって思われても仕方ないんですけど、そこはなんとも思わないのも創価脳の特徴ですね。言う口は持っていても聞く耳を持たないのが創価脳です。つまりそんな人間に仕立て上げられていて、その自覚すらないということですよね。で、私たちが創価が詐欺だと気づいて脱会できた今でも心に深く傷を負ったままでいるのは、かつて自分もこのような思考停止人間であり、なおかつ自分たちだけが何でもわかっていて、自分たち以外の人間はカスだと見下しながら生きてきてしまったことです。もちろんおもて立って他人を見下すような発言をしてきたつもりはないのですが、ときとしてそのような思考が態度や言葉尻に漏れ出てしまってきたんだろうなと思い返しただけでも自己嫌悪に陥ってしまいます。たとえ騙されてきた被害者なんだと自分に言い聞かせたところで、失った人生を取り戻すことはできないと思うと、さらに凹んでしまいます。
なんでこんな暗い話をするのかと言いますと、こうしてみなさんとの対話を通じて、なんとかこれから生きていける希望を見出せたということも大きいですし、人それぞれに事態の深刻さもそれぞれだということを思いやりながらコメントしてほしいなと思っています。創価脳を同居する家族にもつ方の毎日は、それこそそれだけで大変な心労だと思います。普段の生活は普通でも、何かあったときの価値観や選択肢がまるで違ったりすると、これは単なる価値観の違いではなく、自分の大切な人が明らかに騙されているということを目の当たりしてしまうので、その出口のない迷路に閉じ込められたような閉塞感もたいへんなものだろうと思います。覚醒したからといっても、すぐには辞められない方のなんと多いことか。そしてそんな方の悩みのなんと深いことか。
「嫌だったらやめればいいじゃん。なんでそれができないの?ははあ、本気じゃないんだ。もしかしてやめたらバチが当たるとか思ってんじゃないの?」こんなことは人から言われたくはないでしょう。
もう何十年も前に覚醒して、脱会も完了した人でさえ、このブログでの対話をされている方も多いです。コメントしないまでも、脱会して創価と関わることもないのに、ここの皆さんの言葉が気になってしょうがなくて、しょっちゅう覗いていらっしゃる方も多いと思います。覚醒し、脱会してもなお、創価であったことに対する傷というものは、そう簡単には癒えないと言うことの証拠だと思います。覚醒し脱会できた人でさえそうなのですから、まだ創価が宗教なのかもしれないと少しでも思っている人にとっては、ものすごい葛藤があるのだろうと思います。もし創価が詐欺だとしたら、自分のこれまでの人生は何だったんだ。必ずここを通らずにはおれないと思います。通らずにうまいことやっていこうとすると、ポン太さんや紅さんのような、創価はおかしいと思うがそれに関わってきた自分の人生までも否定できないというジレンマに陥ってしまうのだろうなと思います。
創価学会は詐欺であり、それに騙されてきたのが自分の今までの人生だったのだと受け入れること。確かに辛いのかもしれませんが、これを受け入れない限りは本当の覚醒はないだろうし、そこから一歩も前へは進めないのだろうと思います。覚醒したから、脱会できたから、これでめでたしめでたしではありません。どなたか数人の方が創価への復讐は脱会後の自分が幸せになることだと言われていましたが、それも一つの生き方であると思います。創価時代に創価に引き入れてしまった友人に会って、全てを話して謝罪することも、これからの脱創価の人生を始めるにあたってのくぐらなければならない門なのかもしれません。覚醒後のショックをどうやって克服し、創価後遺症から抜け出すにはどうしたらいいのかわからないまま何年も悩んでいる方もたくさんおられると思います。
今回のテーマは「創価後遺症について」とさせていただきます。決して後遺症の解決法を教えてくださいということではありません。そんな簡単なことではないこともよくわかります。これまでの皆さんのお話と随分とかぶるとは思いますが、あらためて自分が感じてきた創価後遺症がどんなものなのかを具体的に教えてくださるだけでいいんです。きっと同じ思いで悩まれている方がたくさんおられると思います。その思いを共有できるだけでもいいと思うんです。具体的な解決策を箇条書きにするなんて野暮なことはしません。皆さんが実際に感じてきた覚醒後の辛い体験をいまいちどこの場でお話ししていただければと思います。その辛かった過去、あるいは現在の思いが誰かと共有できたと感じるだけでも意味はあると思っています。よろしくお願いします。

「この質問を幹部に聞いたら、何も答えられなくなるよ!といった、オススメの質問教えてください」

ってことで(笑)、前のスレッドのコメントに創価大出身の現役活動家であるポン太さんからナイスな質問がありましたので、あらためてこちらで皆さんからの回答をお待ちします。

創価の幹部にしたら何も答えられなくなるような質問って、いくらでもあると思います。

「池田大仏先生は今どこで何をしているかを知っているのは、創価の組織ではどこまでですか?あなたはもちろん知りませんよね。例えば会社の幹部が社長の顔すら5年も6年も見ないで、どこで何をしているのかも知らないなんておかしいと思いませんか?あ、思いませんね。なるほど」

「創価の御本尊は日蓮正宗の御本尊を日蓮正宗に無断で改ざんしたカラーコピーなんですが、元になった日蓮正宗のオリジナルの御本尊を認めずに、それを改ざんしたカラーコピーにだけ力があると教義の変更をしたんですけど、それっておかしいと思いませんか?あ、思わないですね。なるほど」

「現在の創価学会では、日蓮正宗の改ざんカラーコピー御本尊であっても創価学会員が拝むと絶対に願いが叶う。絶対的幸福境涯になるだろうと言っていますが、あなたは今までにその絶対的幸福境涯になった学会員を見たことがありますか?見たことない?みんな人間革命の途中?でも人間革命の途中で死んでしまった学会員も何百万人もいますよね。生まれかわってから絶対的幸福境涯になるとでも言うんですか?それって創価学会が保証してくれますか?ってか、これまで絶対的幸福境涯になった人を見たこともないのに、なんで自分が絶対的幸福境涯になれると思ってるんですか?あ、思ってる。ああ、そうですか。誰も見たこともな絶対的鼓腹境涯に自分はなれると思ってるんですね。それも日蓮正宗の改ざんカラーコーピー御本尊にひたすらお題目を唱え続けていればなれるだろうと思ってるんですね。なるほど」

「幹部は会員に対して毎年財務を借金しても出せるだけ出しなさいと言っていますが、創価の職員はたとえ副会長レベルでも一律2万円と決まっているそうです。それっておかしいと思いませんか?あ、思わない。学会員がどんなに貧乏しても、ある金を出せるだけ出せば幸せになると指導しても、自分はちゃっかり2万円だけ出すの、普通ならおかしいと思いそうな気もするんですが、創価学会ではそれが常識なんですね。なるほど」

「創価学会は会員数も財務の収支も公表しませんが、その理由を答えられますか?っていうかその理由なんて知らないから答えられないですよね。創価は幹部だろうが肝心なことは知らないですよね。最高幹部以外は、ほとんど知っていることは同じです。だから会員は指導を受けてもみんな適当にはぐらかされるだけ。あなたがどんな質問をしても、ほほ100%答えきれないのが幹部の正直なところです。これは、あなただけのじゃない、全国の創価学会がこの調子です。会員は、肝心なことは何も知らないし、知ろうともしない。それが創価学会の組織ですよね」

今思いつくだけでもざっとこんな感じです。細かいことを言い出したらきりがありません。創価の幹部は創価について何も知らないということです。だからどんな質問だろうが、ポン太さんが知っていること以上のことは幹部は知りません。つまり、ポン太さんがどんな質問をしても幹部は何一つ答えることはできません。

ポン太さんが幹部に質問をする前に、私はその結果を予想してみましょう(笑)

これはどういうことかというと、創価が正しい宗教であるという前提自体に無理があるということです。もし創価が正しい宗教であるならやるはずのないことを、実際の創価はいくらでもやっているので、そのつじつまが合わないから説明のしようがないんですね。もし創価が詐欺団体だということを前提にすれば、何もかもがつじつまが合ってしまう。それに気付かせないようにするために、幹部は会員に何も考えさせないような「指導」をするわけです。創価の指導というのは「何も考えなくていいから言われた通りにしなさい」ということだけですよね。創価ではそれさえ言えれば立派な幹部です(笑)。それも幹部である自分も考えずに会員にそうした「指導」ができるのが幹部としての唯一の条件です。つまりバカになれれば幹部になれるということです。言ってみれば創価というのは言えばなんだってする危ない思考停止集団です。活動が辛かったり理不尽だったりしても創価に疑問を持たずに、みんな自分のせいにしてますます思考停止して活動に励むようになる。これが創価学会の幹部の見本です。そんな幹部に「答えられないような疑問」をぶつけても何の意味もありません。まず間違いなく質問には答えずにはぐらかすだけです。目に見えています。そしてそんな困るような質問をしてきたあなたに対して「信心が足りない」「魔が競ってる」「どうしたんだ、信心がおかしくなってないか?」「この信心を疑うと地獄に落ちるぞ」「何も考えなくていいから師匠の池田先生を信じて頑張ろうじゃないか」「もっと真剣にお題目をあげよう」というのが関の山です。唱題というのはつまりは思考停止メソッドでしかありません。お題目を必死であげているうちに、わけのわからない高揚感とともに、いろいろと思い悩んできた自分がアホらしくなって、一人ウルウルしながら「もう余計なことを考えるのはやめにしよう!これからは愚直に創価を信じ切って活動に専念していこう!」と、つまりは楽な道に流されるのです。「何も考えずに言われた通りにしていれば絶対的幸福境涯に自然となれるんだ。御書にもそう書いてあるじゃないか。よおしっ!先生第一、信心第一に明日から活動に励むぞ!」ということで創価脳のいっちょあがりです(笑)

ポン太さんは、活動の辛さや理不尽さがきっかけで、これまで養われてきた創価脳の一部が崩れて覚醒の芽がちょっとだけ出てきたんですよね。創価スイッチや創価シャッターがあたりまえだった自分にも、どうにもこうにもつじつまが合わなくなった。普通の人間ならとっくの昔に気づくようなことでも創価脳は気づきませんが、幸いポン太さんはそうした機会を得ることができ、さらに幸いにもこのブログに行き着くことができた。おめでとうございます(笑)一旦、創価に疑問を持ってしまったんですから、おそらくもう後戻りはできないと思います。今まで当たり前だった創価の日常が、ことごとく異常な世界にしか見えなくなります。いや、本来ならそれが本当の姿なんです。それを「何も考えずに創価を信じること」がポン太さんの中心に据えられていたから、創価の非常識が常識に見えていただけのことです。ポン太さんの気がすむように、こちらで提案された質問を幹部という幹部にぶつけてみてください。機会があれば副会長にでもぶつけてみてください。支部長だろうが副会長だろうが、きっと答えは同じです。っていうか、ポン太さんが納得のいく答えは絶対に返ってはこないでしょう。場合によっては「そんな質問をするのは裏切り者だ」と逆ギレされて罵倒されるかもしれません。あるいは「ポン太くんは信心がおかしくなっているようだから相手にしないように」といいふらかされるかもしれません。あるいは「ポン太くん、心が不安定になっているようだから、いい病院を紹介するよ」とまで言われるかもしれません。そして紹介された先は学会員がやっている精神病院です。実際にそうしたことがあるんです。組織内に悪影響を及ぼすような幹部は精神病院にかからせて「あいつは頭がおかしくなった」とまわりの学会員への影響をシャットアウトする。

ポン太さん、幹部が困るような質問もして欲しいんですが、その幹部やまわりの学会員がそのことでどのように変わるのかをよ〜く観察してくださいね。それでこのブログに全てを報告して欲しいんです。あくまで客観的な視点を見失わずに幹部へ質問し、その答えを記録し、その後の幹部やまわりの学会員の態度の変化にも注意して欲しいです。きっとポン太さんは背筋の寒くなる思いをすると思います。脅してるんじゃないです。自分は今までこんなに恐ろしい組織の中で活動していたのかと腰を抜かすかもしれません。このブログにコメントされている方々は、みんなそんな経験を経て覚醒に至った方たちです。このブログにはポン太さんと同じような創価学会員の実際の経験が記されているということをポン太さんが受け入れられたときに、ポン太さんが創価学会員として歩んできたこれまでの人生を客観的に見ることができるのだと思います。

ということで、皆さんまずは「この質問を幹部に聞いたら、何も答えられなくなるよ!といった、オススメの質問教えてください」というポン太さんの質問にお答えください。創価の真実の姿に一人でもたくさんの学会員が気付いてもらえるようになってほしいと思います。よろしくお願いします。

創価が詐欺だと知ること

私がこのブログで最初に書いておりますように「対話とは討論ではない」ということです。そしてこのブログでは特に相手を理解するための対話であり、自分の意見を押し通すための論陣を張るような場所ではないという意味を込めて「対話を求めて」というタイトルをつけました。人となりのわからない者どうしが書き言葉だけで互いを理解しようとするのですから、そこには面と向かって行う通常の対話とは比べ物にならないほどのまどろっこしさや行き違いがともなうと思います。そうしたことを理解した上で、つまり相手のことを思いやった上でしか対話は成り立たないと思っています。自分の体験や考えを語るのは大いに結構なことですが、これはこういうものだ、あれはこうあるべきだという考えは、あくまで個人の範疇のものであり、それが自分の考えと違うという理由で否定する、あるいは見下すといったことは、創価学会員が無意識のうちに植え付けられた思考回路でもあると思います。創価学会の経験者は、覚醒することによって、それまでの自分が知らないうちにそのような高慢な態度を他人や家族にとってしまっていたということに今も苦しんでいます。ですから、このブログでは、そうした方々の気持ちを理解した上で、相手の気持ちを思いやった上で、言葉を選びながら対話を深めていただければと思っています。自分が創価に洗脳されていたことによって、友人を失い、恋人を失い、伴侶を失い、社会性を失い、仕事場や隣近所の人たちから後ろ指さされながらも、自分こそが正しいのだと自分に言い聞かせながら、非常識な言動を繰り返してきたことに対する後悔の念は、年齢を重ねれば重ねるだけ強い遺恨を引きずるものだとつくづく思います。ここで冗談を言ったり、替え歌で忌まわしい過去を笑い飛ばそうとする皆さんの心のそこには、そうした消そうとしても簡単には消せないものがあるからだと思っています。そうした忌まわしい過去の自分を理解できる方が集まっているからこそ、このブログに貴重なお話が積み重なっているのだと思っています。
もっと言えば、この場で、何が正しいとか、何が正しくないとか、そんなことどうだっていいんです。そんなことを問題にしているのではありません。もっと言うなら、ここは宗教の話をするところではありません。創価が宗教を利用した詐欺で、その詐欺の実態を体験として知っている方の声を積み重ねる。それがこのブログの目的です。そしてこれを読んで創価が詐欺だと気づいてくれる人が一人でも増えてくれればそれで十分だと思っています。創価学会がいかに多くの人々を不幸にしてきたのかを、実際の自分の体験をお話ししてください。ここで一般論や学術的な話について議論しても何の意味もないと私は思います。実際に創価学会員が何をしてきたのか。結果、どうなったのか。そのことを当事者として語っていただく。それがこのブログの存在意義だと思っています。どうか、よろしくお願いします。

たとえば、この前のスレッドのテーマである「創価をやめてバチが当たりましたか?」というのも、創価をやめたらバチが当たるんじゃないかという恐怖心によって創価に逆らえないまま苦しい毎日を過ごさざるをえないでいる学会員がたくさんいらっしゃるんです。だから、実際に創価をやめてバチが当たるのか当たらないのかを多くの方に体験として語っていただけたら、バチという恐怖心によって不幸になっていた自分を解放できる方がいらっしゃるだろうという単純明快な考えで作ったものです。はたから見たらほんとうにばかみたいな話ですが、こんなばかみたいな話を真に受けて苦しんでいるのが創価学会員なんですよね。創価を知らない人が聞いたら呆れて話にも何もならないようなことなので、理解してほしくても無理なことなんです。でも一度は創価に騙されてバチの恐怖に囚われたことのある方にはとてもよく分かるし、だからこそそんな経験のある方に「バチなんかあるわけないよ」と語っていただけることは、とても大切なことだと思います。バチに限らず、創価のあらゆることが会員からお金を騙しとるための嘘っぱちであることを、膨大な量の体験として積み重ねること。これがこのブログの一番の存在意義のあるところです。創価が詐欺であることの事実関係を語ること以外に、思想、哲学、宗教、科学についての正しい正しくないといった議論は、少なくともここでやるようなことではないと思います。話の流れの中で「私はこの人の思想に共感します」とか「この哲学者の考えや生き方は素晴らしいと思う」ということは当然出てくると思います。それはそれでまったくかまいません。それを「いやそれは違うだろ。なぜならこれこれこういうことだから」などといった議論がここでは意味をなさないということです。たとえば創価問題を語れば当然公明党や政治の問題にもつながってきます。そんなとき、私も「共産党の方がよっぽど正論を貫いている」なとと言うこともあります。だからと言って私は共産主義者ではありません。トランプ大統領を頭から否定するものではありませんし「プーチンって意外といいやつかも」なんて言ったりします(笑)こんなことをいちいち議論しててもしょうがないのと同じように、ここにコメントされる方の個人的な思想信条に立ち入っての議論は意味がないと思います。
「おらぁとなり村の花子が好ぎだぁ」
「ゔぇ〜おめえも花子が好きだっぺか〜?」
「なにぃ?お前にはよし子っちゅうめんこい女房がおるが〜このゲス野郎が〜」
「そういうおめえこそ八百屋のおかみさんとできちまったでねえか〜」
結局はネット上の議論というのはこんなレベルに終わるんだろうと思いますよ(笑)。
だってどこの誰か知らない者同士の言葉だけの会話なんですから。
みなさん、ここであらためてこのブログの趣旨を確認させていただきます。
ここは各々の思想信条を議論する場所ではありません。
創価問題を具体的な体験として積み重ねていくところです。その体験をどのように受け取るのかは、読む人の自由です。どんな受け取り方をしようが自由なんです。そこに誰も異論を挟むことはできません。事実は事実。個人の考えは個人の考えです。良いも悪いもありません。
そしてもう一つ、対話とは相手を思いやる言葉でしか成り立ちません。自分が正しいなどと思っている人は誰からも相手にされなくなる。それは創価学会員としての経験で身にしみました。その心の傷がわかる人が、ここにはたくさん集まっていただいているのだと思っています。

ということで、今回のテーマは「創価が詐欺だと知ること」とさせていただきます。

ちょっと抽象的ですが、このブログの趣旨をしっかりとわかっていただいた上で、みなさんのここでの対話をより意義あるものにしていただきたいと思っています。

創価が詐欺だと気づいても「なんだそうだったのか」と明日からキレイさっぱり忘れて生きていくことができないからこそ、こうして多くの皆さんが悩み苦しみ、どうやって生きていこうかと日々模索しているわけです。もともと創価と関わりのない人には、この生きづらさは恐らくは理解できないだろうなとも思います。また、自分はそうでなくても親兄弟や伴侶や子どもが創価に洗脳されていたら、それも辛いですよね。そうした中で、どうすれば自分の大切な人に創価が詐欺だと気づいてもらえるのか。そこに対話は生まれるのか。私も身内では兄夫婦だけがガチガチの創価脳です。果たして創価に全てを捧げてきた70歳の兄夫婦が「創価が詐欺だ」と気づくことが幸せなのかどうかもわかりません。兄弟の縁を切るところまで覚悟してでも対話をすべきなのか。そして兄夫婦が創価が詐欺だと気づいたときに、果たして彼らに何が待ち受けているのか。自分の一生は騙され続けて、最後の最後でそのことに気づいて死んでいく。あの「おじいさんとおばあさんの薬の話」ではありませんが、高齢者にとっての創価からの覚醒が何を意味するのか、今も私はわかりません。

そこで皆さんにあえてお尋ねしたいのが、

一つは自分の大切な人を創価から覚醒させた方の実体験です。

もう一つは、高齢の創価脳の方に創価が詐欺だと気づかせることについてどう思われますか?ということです。

みなさん、それぞれの体験をどうかよろしくお願いします。

創価をやめてバチが当たりましたか?

009さん、ありがとうございます。
全くその通りで、いま年度末にかけての仕事でてんやわんやしておりまして、皆さんのコメントを読んで公開するので精一杯です。お気遣いありがとうございます。
もし、これだけ創価が詐欺だと言い続けて、少なからぬ影響のあるサイトを運営している私がやっていることが謗法であるならば、何らかの形でバチが当たっても良さそうなものですが、そんなの全くないどころか、仕事も順調、創作活動も思ってもみなかったほどの大きな飛躍が始まりました。この歳になって、これほど前向きに創作活動ができる機会に恵まれるとは思ってもみませんでした。まあ、創価は人を騙して会員からお金を巻き上げる単なる詐欺であって、決して宗教なんかじゃないのですから、私にバチが当たるなんてオカルト的なことがあるわけないんです。もちろんそれは誰にだってそうです。創価なんか関係なく、人は生きていればいいこともあれば悪いこともある。その起こったことにどんな意味を見出すのかはその人次第です。バチが当たるかもしれないなどと一生怯えながら生きていくのか、それとも悪いことがあった時に、現実をきちんと踏まえながらそれをどう捉え、どうやって乗り越えていくのかを説いたのが本来の釈迦の教えだったのではないかと私は思っています。釈迦や日蓮や曼荼羅やその他何でもいいんですけど、そういう対象物を拝んだら幸せになれるとかなれないとか、そんなのただのオカルトでしかないと私は思います。
ということで、今回のテーマは「創価をやめてバチが当たりましたか?」にさせていただきます。学会員さんは常に「創価に逆らったらバチがあたるぞ」と脅され続け、怯え続けて生きています。普通に考えたら、そんなバカなことがと思われますが、実際の話、創価の活動を真面目にやればやるだけ、その恐怖心というものが増殖していき、創価から離れられなくなっていき、なおかつ一般常識から離れたとんでもない価値観によって、物事の優先順位がめちゃくちゃになります。それはみなさんからのたくさんのコメントからも嫌という程伝わってきますよね。
「創価をやめてバチが当たりましたか?」という質問に対する皆さんの率直な感想を教えてください。よろしくお願いします。
なお、このスレッドからはいつものようなルールでいきます。つまり、初めてコメントされる方は、普通に挨拶と自己紹介から始めてください。内容がどうであれ、まず挨拶や自己紹介すらできないような人としての常識のない方のコメントは即削除させていただきますので、よろしくお願いします。

祝!500万アクセス達成!

みなさま、とうとう500万アクセスを達成することができました!

本当にありがとうございます!

このブログ「対話を求めて」を始めてから5年と2ヶ月。途中、2度の休止期間はありましたが、こうして第三ステージに突入し、日ごとのアクセス数も確実に伸びていく中で、この記念すべき500万というアクセス数へたどり着くことができたのも、創価学会が詐欺だと気がついた多くの創価学会経験者の真実の声があったればこそと、心から感謝しております。つきましては、この記念すべき機会に、より多くの方に「創価学会は詐欺だと気付いた」ということを、あらためてその具体的な期日とともに、このスレッドのコメント欄に宣言していただければと思っております。どうかよろしくお願いします。

これからも「対話を求めて」は、創価学会は宗教などではなく、たくさんの人々を欺き不幸に陥れながらお金をだまし取っていくだけの汚い詐欺団体であるという事実を、皆さんの実体験を通じて世に知らしめていきたいと思っております。一人でも多くの学会員がこのことを考え、気づき、人生の選択を自らしていくことができますように願ってやみません。

これから100万アクセスごとに、覚醒できた皆さんとともにお祝いしていきたいと思いますが、大きな目標としては、やはり1000万アクセス達成であると思います。この調子でいけば、再来年の4月に1000万アクセス達成の計算となりますが、これまでの増加率を加えますと、来年末に1000万アクセス達成も不可能ではありません。来年末には、創価学会から静かに去ることができた多くの皆さんとともにお祝いできる日を夢見て、これからも頑張ってこの「対話を求めて」を続けてまいりたいと思っております。

どうか、これからもよろしくお願いいたします!

では、皆さん、「私は創価が詐欺だと◯年◯月に気がつきました」もうこれだけでもいいですのでコメントください。このスレッドに限り、普段コメントしてない方も自己紹介なしで結構です。どれだけの数の人が「楚歌学会は詐欺だ」と気付いたのか、きっちり示しましょう!