創価学会の未来 2

年明けから大変なことが立て続けに起きていますが、自民党の派閥解散もそのひとつですね。安倍さんが亡くなり、細田さんまでが亡くなるなかで、急に動きが活発になった東京地検特捜部。こうなると二階派も解散せざるを得なくなった感じですね。かろうじて本丸の安倍派の7人の国会議員は逮捕を免れるというところで手打ちとなったわけですが、それでも東京地検は近年にない活躍を見せた感はあると思います。

この調子で東京地検が創価学会にもメスを入れて、世間の注目を浴びることになれば、創価がおかしいことに気づいてくれる現役学会員さんも一気に増えると思うのですが、創価は昔からその首根っこをしっかり抑えてきましたから、そう簡単に東京地検が動くことはないでしょう。しかし池田大作が亡くなったいま、ちょうど自民党に安倍、細田がいなくなったように、創価学会を切り崩すまたとないチャンスなのかもしれません。

もうそうしたことをしなくても、すでに創価学会は自滅の一途をたどっているのですから、もう大きな騒ぎがなくてもいいと思えるようになりました。このブログをはじめた10年前ごろは、私のほうにそんな余裕がありませんでしたので、何かにつけては創価学会を批判してきましたが、今はもう創価は何をしなくても消えていくしかないところまで来ました。

これからはこのブログのサブタイトルである『静かに創価学会を去るために』のように、創価がおかしいと気づいた学会員さんが、創価から静かに去っていけばいいのだと思いますし、もはやそうとしか思えなくなりました。

かつては現役の学会員さんとの対話を試みたものですが、私の力不足もあり、ついぞ対話が成り立つようなことはありませんでした。やってみてわかったことですが、創価に都合よく洗脳されてしまった人との対話が成り立つわけがないんです。

ネット上では現役の学会員さんと創価から日蓮正宗に行った元学会員さんが相変わらず不毛な罵り合いを続けていたりもします。いったい何のためにやっているのだろうと思いますが、かつては私も似たような不毛な言い争いをしていたひとりだったのかもしれません。

新興宗教に騙されて振り回されるだけの人生。自分の人生がそんなものではないと信じたい一心で、創価を批判するものに我慢がならない学会員。そんな人たちがこのブログにもたくさん食ってかかっていました。今はもうそんな人もいなくなりました。もし今そんな人が現れても「創価学会の現実をきちんとうけとめてはいかがですか?」としか言わないでしょう。すでに老人しか集まらない座談会しかできない創価学会に何ができるのか?広宣流布?世界平和?そんなものははじめから会員を騙してお金を巻き上げるためのウソ八百でしかないことに、もういい加減気づいてほしいものですね。

このスレッドでは引き続き創価学会の現場、つまり座談会や協議会、聖教新聞の配達状況、各種会合のリアルな様子などを教えていただけるとありがたいです。

よろしくお願いします。

創価学会の未来

新年あけましておめでとうございます、と言いたいところですが、元旦に能登半島地震があり、昨日は日航機の事故。3日目の今日は何があるんだろうと、おめでとうとは言えない年始となりました。世の中、今も昔も何が起こるかわからない不安がつきまとうものです。そんな人々の不安な気持ちを利用してお金を騙しとる。それが創価学会をはじめとした新興宗教の実態です。しかし騙されるのは何も不安な気持ちの人ばかりではありません。例えば「自分だけ特別に幸せになれる方法に出会えた」とか「これさえやれば必ず幸せになれる」といったうまい話に簡単に騙される人もいます。そんな人に限って「自分だけは絶対に騙されない」と思い込んでたりするものです。特殊詐欺に騙されるのは人を疑うことを知らない善良なお年寄りばかりではなく、自分が騙されるわけがないと思い込みの激しい人がかえって騙されやすいとも言います。

学会員さんは創価を正しいと信じています。かつての私もそうでしたので、その気持ちはよくわかります。しかし、ちょっと考えれば、自分はなぜ創価が正しいと信じているのか、確かな理由があるわけではないということに気づきますが、子どもの頃からずっと「創価学会は正しい」と教えられていれば自分で疑うようなことができなくなります。これも自分で体験してきたことですからよくわかります。だから現実には「創価学会は正しい」とは思えないことが起こったとしても、自分の都合のいい理由をつけて創価を正当化してしまいます。これは創価のことに限らず、人は何かにつけて自分を正当化してしまうものです。そして創価が正しいと信じることが、同時に自分の人生も間違っていないと信じ込めるのですから、他人から何を言われようと、簡単に「創価=正しい=自分」という方程式を疑うことができなくなってしまいます。だから創価を批判されると、それがそのまま自分の人生を否定されたかのように感じてしまい激昂してしまう学会員さんが多いのもそのような理由からだと私は思います。このブログでも、過去にいろんな学会員さんと対話を試みましたが、そのほとんどが創価の矛盾を指摘されたときに冷静さを失って感情的になったり論点をずらしたりで、結局は対話が成立することはありませんでした。

創価学会は日蓮正宗を信奉する教職員の集まりだった創価教育学会が戦時中に一度消滅しましたが、戦後になって戸田城聖が一般人相手に創価学会として再開しました。その経緯は小説人間革命に書かれているような感動的なものではなく、事業に息詰まり、大変な借金を抱えて困ったあげくの戸田が始めた金儲けを目的としたものでした。持ち前の口達者が功を奏して、戸田は戦後日本の貧乏人と病人をターゲットにして、一大勢力を築きあげます。もちろん戸田にとって日蓮正宗の排他的な教義は会員を騙すための恰好の道具で、日蓮正宗もかつてない信者獲得と寺の拡大にともなう莫大な利益を前にして創価の言いなりになるしかありませんでした。そこに若い池田大作が登場し、創価学会はますます勢いを増し、日本で最大の信者を擁する宗教法人と成り上がっていきました。会員たちは「創価=正しい=自分」の方程式を叩き込まれ、その方程式だけが絶対に正しいという考えに支配されてしまいます。高齢の学会員さんは今もその方程式から抜け出すことができずに、ちょっとでも創価を批判されたらすぐに頭に血が上るような性格のままなんですね。そこには自分で考えるという選択肢はありません。自分で考えて創価を疑うようなことでもすれば地獄に堕ちると脅され続けてもきたので、自分で考えたり創価を疑うことなど恐ろしくてできないんですね。

池田大作が小説人間革命をゴーストライターに書かせていた理由は、会員に創価学会の本当の成り立ちを知られないようにするためでした。創価学会の成り立ちを感動的な物語として会員に刷り込むことで、会員に創価を疑う余地を与えないようにするためのものです。同時に小説として出版し、会員にもれなく買わせれば、これだけでも莫大な利益になります。出版で儲かるノウハウは戸田の時代からあり、会報を聖教新聞という新聞形式にして会員に配達・販売・集金までをもさせるという、徹底した拝金主義はお見事です。

さて、そんな創価学会も、日蓮正宗から破門され、それまでの教義とは正反対の教義を打ち出すことで、なんとか組織は維持してきましたが、会員数は頭打ちから次第に下降の一途をたどり、ついには女子部が廃止され、婦人部と合わせて女性部という形になりました。男子部もかつては創価班や牙城会などの組織で会合の運営にあたっていましたが、今や男子部にそうした組織運営ができなくなり、今の創価学会はかつて青年部だった学会員が高齢者となり、がかろうじて維持しているというのが実態です。さらにコロナ禍によって会合を開いたり、組織活動が思うようにできない月日が続いたことや、10数年も姿を現さなかった池田大作の突然の死去を知らされた会員は、いよいよ創価学会の終焉を肌で感じているかもしれません。それでも中には「創価学会は必ず世界に認められる宗教になる」と今も夢見ている高齢の学会員さんもいるかもしれません。そんな学会員さんには何も言うことはありません。最後までそうした夢を見ていた方がその人にとっては幸せなのだと思うようになりました。長年創価に騙されてきた学会員さんは、それだけお金も騙し取られたでしょうし、家庭崩壊も経験してきたことでしょう。職場や近所づきあいも、あたりさわりのない上っ面だけだったかもしれません。でもいまさらそれを取り返すことができるほどの時間はありません。悲しく残酷なことですが、これはもうどうしようもない現実です。私は創価脳の兄が4年前に癌が見つかって半年で亡くなったことを機に、創価に対する考えも態度も変わりました。それまではどうにして兄を正気に戻してあげたいと思い悩んでいましたが、兄の思わぬ急死によって私と創価の距離が限りなく遠いものになりました。それ以来、私は創価のこともたまにしか思い出さなくなり、私の心の中から完全に創価学会を排除することができたように思います。どうにかして兄を救ってあげたいと思って悩んでいた私を、逆に兄が死をもって救ってくれたように思います。

このところ、繰り返し言っているように、創価学会は今の高齢の会員がいなくなることで、このまま自滅するでしょう。もう目くじらを立てて批判するほどのこともないように思います。池田大作のカリスマ性によって支えられてきた創価学会が、その池田大作なきあと、誰が精神的リーダーとなれるでしょう。原田会長でしょうか?あの方も82歳というご高齢です。長谷川理事長も82歳です。池田大作の長男の池田博正氏ですか?彼にこの巨大組織の精神的支柱となれる素養があると思いますか?あるわけないのは現役会員でも認めるところでしょう。ではいったい誰が創価学会を率いていくというのでしょう。しかし今の学会員さんは立場上、原田会長の陣頭指揮のもと活動しなければならないのが現実です。ちょっと想像してみましょう。会員と言っても活動家といえる会員の半分以上が高齢者です。その高齢者たちが82歳のあの会長の指導をもとに活動する組織。どうですか?創価学会にどんな未来があると思いますか?学会員さんはそんなこと考えるのも嫌でしょうね。そう、考えない学会員さんだけが活動している。これが創価学会の現実の姿です。創価学会のこれからのことを自分で考えようとしない学会員さんだけが活動しているのですから、創価に未来があるわけがありません。「創価=正しい=自分」という方程式。創価学会とはこれを手放すことができない高齢の人たちの集まりです。違いますか?

ところで今年は新年勤行会は開催されたのでしょうか。池田大作が2カ月前に亡くなったので自粛なんでしょうか。もしご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。

創価学会の現実

世間では数々の閣僚の不祥事や経済対策の失敗に加えて、前代未聞の裏金問題の発覚によって岸田内閣の歴史的な低迷ぶりが取り沙汰されていますね。それでも連立を組んでいる公明党は我関せずのようです。というか、自分のところに火の粉が飛んでこないかと、内心ドキドキしながらじっとしているのかもしれません。最新のテレビ朝日の世論調査によると、公明党の支持率は3.9%だそうです。ちなみに内閣支持率が20%を割ってしまった自民党でも41.5%。次いで日本維新の会が8.7%。立憲民主党が8.0%。日本共産党が4.8%で、その次が公明党の3.9%です。そう、公明党は5番目の党です。5番目の党であっても存在感を示しているのは自民党と組んでるからですよね。ちなみに公明党の次がれいわ新撰組の1.6%。そして国民民主党の1.5%、参政党の1.1%となります。さて、公明党の支持率3.9%という数字が何を意味しているのかということです。公明党を支持している日本の有権者の割合ということですが、例えば総務省によると今の日本の有権者は101,236,029人だそうですから、×3.9%=3,948,205人となります。と言うことはおよそ400万人の有権者が公明党を支持しているという計算になります。創価学会の活動家が100万人だとすれば、400万人という公明党支持者数はかなり多いと言えます。もちろん活動家が100万人いるという前提です。しかし学会員さんは創価学会員が実際に何人いるのかすら知らされませんし、創価学会が公式に発表しているのはもう何十年も日本827万世帯という数字です。少なくともこの30年間、827万世帯という数字は減りもしなければふえもしません。このブログでも何回も言ってきたことですが、827万世帯って、日本の人口は総務省の発表によれば令和5年1月1日現在で125,416,877人で、一世帯の平均構成人員は2.08人ですから今でも創価学会は会員が17,201,600人いると公式に発表していることになります。これは日本の総人口の学会員が本当に27.4%にあたります。つまり日本人の4人に一人以上が創価学会員ですと言ってるわけです。日本人の4人に一人以上が創価学会員なのに、なぜ公明党の支持率が3.9%なのか、誰にも納得できる回答ができる学会員さんがいるでしょうか?いるわけないですよね。一つは、この827万世帯という数字は、日蓮正宗のご本尊をもらった(買った)学会員の世帯数だという話もあります。そしてこの827万世帯という数字は創価学会が日蓮正宗から破門された1990年からずっと変わらず827万世帯なんです。なるほど、それならまだうなづけるところもありますが、創価学会は日蓮正宗から破門されてから「日蓮正宗のご本尊は何の力もない」と言って替りに創価学会独自のご本尊を作って会員に買わせています。だったらその買い替えさせたご本尊の数を世帯数として発表するのがスジというものですが、相変わらず827万世帯という、現実にはあり得ない数字を発表しています。それ以前にきちんと会員数を発表するのが当然でしょうし、30年以上も世帯数が変わらないというのもおかしな話です。本当にいい加減だと思いませんか?日本人の4人に一人以上が創価学会員だという数字を発表しておきながら、女子部や創価班や牙城会は廃止。当然、未来部も活動できず、聖教新聞を配達できる学会員もいなくなって一般の新聞社に委託するしかないのが現実です。でも日本人の4人に一人以上が創価学会員だと相変わらず公式HPに載せているんです。学会員さんは自分が所属している団体に何人の会員がいるのかすら知らないし、そのトップである池田大作がどこで何をしているのかを10数年知らされることなく「先生はお元気です」と言う幹部の言葉を信じるしかなかったんです。そして公明党が何をしているのかも知らないのに選挙にたびに知り合いに投票をお願いしてきたんです。そしてその公明党の支持率は3.9%という現実をどう考えているんでしょう。というか、考えていないからこそ創価学会はすごい!と信じてしまうのだと私は思います。ちょっと考えれば何もかもおかしいのが創価学会ですが、何も考えないからそのおかしさに気付けないのだと思います。おかしな新興宗教を信じるのは自由ですが、それで幸せなのかどうかが問題です。創価学会の活動家は口を揃えて「創価学会員であることが幸せです」と言います。本当にそう思っているのでしょう。でも現実はといえば、とても幸せだとは思えない生活をしている学会員さんが圧倒的に多いのです。ここは統一教会や幸福の科学とよく似ています。学会員さん自身は自分で考えないから、そうした現実に気づくことができないでいます。逆に、自分の頭で考えて、自分の現実を客観的に見ることができれば、すぐに気づくことができます。ただ、多少気づきかけたとしても、創価を疑ったら不幸になると洗脳されているので、それが恐ろしくて創価学会を信じている自分の現実を認めることができないでいます。
何度でも言います。統一教会や幸福の科学と同じように創価学会は詐欺です。戦後すぐから貧困や病気に悩む人々の弱みにつけこんで、お金を騙し取ってきた多くの新興宗教の中の日本で一番大きな詐欺集団です。創価学会をやめてもバチなど当たるわけがありません。学会員さんは創価学会こそが本当の仏教だと信じているようですが、そもそも仏教にバチの概念などないのです。ついでに言うならば、本来の仏教に死後の世界の存在しないし、輪廻転生の概念もありません。これらは仏教がインドから中国を通じて日本に伝わっていく途中で後付けされた、土着信仰に基づいた考えです。その方が受け入れられたからです。信者を増やすために土着信仰の考えを取り入れてきた結果です。このあたりのことも、これまでこのブログでは何度も何度も説明してきました。本屋さんに売ってある仏教の基本中の基本の解説本を読めば、どれにも書いてあることです。創価学会の教学はそんなことは完全に無視した中で創価学会に都合がいいように作られていますし、とても仏教と呼べるようなものではありません。ちょっと調べれば誰にでもわかることですが、学会員さんはそんなことをしたらバチが当たると教えられていますから恐ろしくてできないのです。
これから創価学会はどんどん衰退していくのは目に見えていますが、それでも騙され続ける学会員さんは存在します。学会員さんにはそんな現実に一人でも気付いてもらいたいです。このブログでは、創価学会が詐欺だと気づいて脱会したり、家族との関係で脱会はできなくても活動しなくなった多くの学会員さんの声が集まっています。そしてこうした声がきっかけで創価が詐欺だと気づくことができた方がたくさんいらっしゃいます。なので、私はこれからも「いつまで創価学会に騙されて不幸なままの人生を続けるのですか?」と皆さんと一緒に問いかけていきたいと思います。皆さん、これからも一人でも多くのが会員さんが創価学会の現実に気づくことができるように、ご自分の体験に基づいたコメントをよろしくお願いいたします。

創価学会のこれから

池田大作の死亡報道があったせいなのかわかりませんが、このブログのアクセス数やみなさんからのコメントも増えてきました。また初めてコメントしてくださる方もいらっしゃって、私としてもお一人お一人にお返事をしたいところなのですが、なかなかできないでいます。申し訳ありません。この場でお礼を述べさせていただきます。本当にありがとうございます。

学会員さんにとって、池田大作の死はそんなに悲しいことなのでしょうか?すでに13年以上も「先生はお元気です」と言われ続けながら、会員の前についぞその姿を現すことなく死亡が報じられた池田大作。彼が人前に出なくなったときに生まれた子どもは、もう中学生です(笑)。

先日、私の姉のところにときどき訪ねてくる婦人部長、今は女性部長というのでしょうか。彼女は私が男子部時代から婦人部長でしたから、もう相当な歳だと思われます。で、若いときに脱会している姉にいまだに選挙のお願いに来たり、もう何年も前に認知症で施設にいる母に財務をさせるように話をしに来るそうです。姉はそのたびに呆れ返ったと私に話をするのですが、先日は「池田先生からこのようなメッセージをいただいたので読み上げますね」と言って玄関先で読み始めたところを、姉は呆れて「読まなくていいです」とキッパリ断ったそうです。そうしたら一緒についてきた婦人部(女性部)と顔を見合わせて苦笑いしてたそうです。もうこの時点で学会員がいかに非常識かというには十分なのですが、私も姉も彼女らを責めたりする気はありません。というより彼女らは創価によって自分の非常識さもわからなくなった被害者だからです。もうとっくの昔に学会員ですらない姉に、13年以上も姿も声もない90歳超えた老人のメッセージだと言われている文章を、わざわざ家に押しかけてまで声に出して読んで聞かせようとする人を、普通の人がどう思うのかが想像できなくなってしまっている彼ら彼女らは、やはりかわいそうとしか思えません。しかも彼ら彼女らは、そんな精神状態にさせられているだけではなく、何かにつけてお金を搾取され続けているのです。その結果、家庭が崩壊したり、近所付き合いができなくなったり、職場を追われたりしています。決して幸せになんかなっていないし、幸せになれないのは創価のせいじゃなくて自分の信心がたりないからと言いくるめられて、ますます不幸になっています。このあたりは統一教会や幸福の科学の信者とよく似ていますね。

池田大作のメッセージを一方的に読んで聞かされそうになった姉は、さすがにあまりの非常識さにムッとして「その池田先生って何年も姿を見せませんよね?生きてるんですか?」と聞いたそうです。そしたらまた2人の婦人部は顔を見合わせて半笑いで「もちろん池田先生はお元気で執筆活動をバリバリされていますよ」と答えたそうです。

学会員さんはどこまで「先生はお元気です」を信じきれていたのでしょう。そして92歳で老衰で亡くなったとどこまで信じているのでしょう。ただ、学会員さんにしてみれば、創価を信じなければ自分の人生を自分で否定することになりますから、どんなにおかしなことでも信じないわけにはいかないということなんだと思います。私も創価が詐欺だと気づく前まではそうでした。おかしいなと思うことはたくさんあっても、もうそれ以上は考えないようにしようとしていました。考えないようにと必死で唱題したりしてたんですね。そうすると物理的に脳内にアドレナリンとかドーパミンのような脳内物質が分泌されて、何かしら高揚感や達成感が出てくる。そんな一時的な快感が疑問や不安をかきけして自ら思考停止してしまっていたんです。

このブログに寄せられる体験談として必ずと言っていいほど出てくるのが「罰への恐怖」です。創価はおかしいと気づいても、心の底に「バチが当たったらどうしよう」というわけのわからない恐怖心に悩まされた方がたくさんいらっしゃいます。私も最初はそうでした。これはもう理屈ではなく、長年、子どもの頃から言い聞かされ植えつけられてきた問答無用の恐怖心のなせる技なんですね。これは時間が解決するしかないと思います。おかげさまで私はもうまったくそんな恐怖心はありません。心に植えつけられた「バチがあたる」「地獄に堕ちる」といった恐怖心は理屈抜きに襲いかかってくるんですよね。今思えば本当にバカバカしい限りなんですが、当時の本人にしてみれば、それが世界の真実なんですね。これはちょうどハードディスクに刻まれた電気信号のようなものですから、上書きするしかないようです。忘れるというより上書きといった感覚が近いと思います。

ではどうやって上書きをすればいいのかという話になります。それは疑うということに尽きると私は考えます。疑うというと、何かしら後ろめたいイメージを持つ方もいると思いますが、人間はこの疑うという高度な知的作業によって真実を見極め、科学を発展させ、文明をつくりあげてきたのです。逆に信じるというのは、パッと見は素晴らしく尊い精神性のように思えますし、もちろんそのような側面もあるにはありますが、それ以上に恐ろしい面があることを認識しなくてはいけません。特に信じることを利用してどれだけの人間が騙されてきたことかを、しっかりと認識すべきだと思います。いつの時代のどの国にも蔓延り続けるいろんな詐欺行為は、この人間の「つい信じてしまう」という性質を悪用した犯罪ですし、新興宗教はもちろん、一般的な宗教もこうした人間の弱みにつけこむような欲望と恐怖心を煽ることで巨大な集金組織を作ってきたのが人間ですし、そんな中で起こるイデオロギーの対立による戦争の歴史が、いわば人間の歴史そのものだと言えます。信じることが尊くて疑うことは悪だと思っているとすれば、それは何の根拠もない思い込みというものです。いまどきの言葉を使うならバイアスです。人間はものすごい種類のバイアスの中で生きています。まずはそんな自分が知らないうちに囚われているバイアスを避けることが大切だと思います。じゃあどうやったらバイアスを回避することができるのか。それこそこの「疑う」ことが大切になってくるわけです。先ほど言ったように、人間は疑うことで文明を作り上げてきました。哲学は疑うことから始まりました。科学も疑うことから始まりました。「はたしてこれは本当か?」人間の人間たる所以は、この疑うという高度な精神であると言ってもいいと私は思っています。

疑うこととは考えることです。信じることとは考えないことです。人を騙そうとするなら、相手に考えさせないことです。つまり信じさせること。これが詐欺の極意です。創価学会は会員さんたちをどうしてきましたか?ひたすら「自分で考えるな。このご本尊を信じなさい。創価を信じて創価の言うことを聞けば必ず幸せになれるが、もし創価やご本尊を疑ったりしたら永遠に地獄で苦しむことになる」こればっかりですよね。子どもの頃からずっとこう言い聞かされてきた人間が今の学会員さんたちです。創価がおかしいと感じても、ちっとも幸せになれないと思っても、それは自分がご本尊や創価を信じきれていない自分のせいにしてしまっているんです。そう思わされているんです。だから堂々と疑っていいんです。疑わなくちゃダメなんです。疑えないなら人間じゃなくなるんです。そう、創価は会員を人間ではなくしているんです。とんでもない人権侵害が会員のお金と幸せを奪い続けてきたんです。

まだ創価学会を信じたいと思っている学会員さん。よく考えてみてはいかがでしょう。もし創価学会が正しい宗教なら、なぜ自分のまわりの学会員さんたちは幸せそうに見えないんだろう?なぜ学会員ではない人のほうが幸せそうな人が圧倒的に多いんだろう。なぜ学会員は減り続けているんだろう?なぜ創価学会に若い人がいないんだろう?と、この目の前にある疑いようのない創価学会の現実について、自分の頭で考えてみてほしいんです。目の前の現実を現実として受け止めることができれば、今までありもしないバチや地獄を怖い怖いと闇雲に怖がっていた自分が滑稽に思えてくると思います。

今回のテーマ「創価学会のこれから」は、池田大作亡きあとの創価学会がどうなるのか、学会員さんに冷静になって考えてほしいという思いであげました。これまで創価は会員に対してずっと池田大作の存在で心を縛りあげてきました。裏を返せば池田大作の存在なくしては組織を維持することができないということです。だからこそ13年以上もどこで何をしているのかすら知らされないまま「老衰で亡くなりました」で終わるしかなかったのです。会員にとっての精神的支柱を失った創価学会に、いよいよ未来はないと言っていいでしょう。

これまでこのブログでもずっと指摘してきたように、創価学会はすでにその組織活動ができなくなるほど会員の高齢化が進んでいます。女子部が婦人部に統合され女性部となり、聖教新聞の配達を会員にさせられなくなったこともそのひとつの現実です。もはや創価学会は老人会の様相で、これから若い人たちが増えることなど考えられないでしょう。これまで創価学会の組織活動の中心は、いわゆる団塊の世代でした。そしてその団塊の世代がこれから急速に減っていくのですから、もう何がどうなろうと創価学会衰退の勢いは止まらないでしょうし、この現実を現実として受け止めきれない会員だけが最後まで創価の餌食になるしかないのだと思います。

このブログにコメントをくださるみなさんのほとんどが、自分の頭で考えることができたからこそ創価のおかしさに気づいた方です。このブログはその考えるきっかけにはなりますが、あくまでも自分で考えることができたからこそだと思います。何の根拠もないことを信じていた自分を客観的に見ることができたからこそだと思います。信じること。疑うこと。何を信じて、何を疑うべきなのか。それは疑いようのない現実をもとに自分の頭で考えてこそのものだと思います。

これからの創価学会。それはこのまま、あるいはこれまで以上に衰退の一途を辿るしかないでしょう。現在の創価がすべてを物語っていますし、そこに池田大作という唯一の求心力を失ったのですから、創価学会消滅は時間の問題でしかないのです。

そんな現実の創価学会をどこまで信じていくのか、はたして信じていいものなのかどうか。学会員さんには今一度自分で考えてほしいと思います。そしてその考えるきっかけになっていただけるように、このブログはこれからも地道に続けていきたいと思います。

創価学会に疑問を抱いている現役学会員さんへ

前回の投稿から4ヶ月以上も経ちました。週に一度は更新して、毎日何十件ものコメントをいただいていた頃と比べると、隔世の感があります。私自身が創価学会に対する感情がとても希薄になったからだと思っています。とはいえ、創価学会のことがもうどうでもよくなったというわけではありません。旧統一教会に対する解散命令が今月にも実施されるといったニュースを聞くと、創価学会も早くそうなるといいなと思います。

そこで、創価学会になんとなく疑問を持っている現役の学会員さんに、自分で創価学会について考えていただくための一つのきっかけとして、いくつかの事実を紹介します。

世間を騒がせた旧統一教会のおかげで、創価学会もずいぶんやりにくくなったろうなと思います。おまけにコロナも合わせてダブルパンチと言ったところでしょうか。ただそうした大きな事件があってもなくても、創価学会が昔のような勢いを取り戻すことはあり得ません。これまで何度もこのブログで取り上げているように、創価学会は1991年11月28日に日蓮正宗から破門されて以降は、会員数が減り続けているという事実が全てを物語っています。すでに創価学会は30年以上も衰退を続けているんです。

「え?創価学会は30年以上も衰退しているの?」と思われた学会員さんは、自分がどのような宗教団体に加入しているのかを知らないという事実に気づいて欲しいと思います。これは自分が体験してきたことを少し思い返してみればすぐにわかることだと思います。例えば、あなたが30年以上創価学会員だったら、30年前の頃の座談会や各種会合の顔ぶれと、今の座談会や各種会合に集まる学会員さんの顔ぶれを比較してみてください。どうですか?30年前の頃より、今の座談会の方が若い学会員さんが元気に頑張っていると思えますか?というより、今の座談会に若い学会員さんがどれくらいいますか?あなたの地区や支部に若い新入会のメンバーが入ってきたのはいつだったでしょうか?具体的にいつ頃だったか思い出してみてください。よく思い出せないのであれば、ここ10年以内に話をした支部の新入会のメンバーは何人いますか?もしそれが5人だったとししたら、10年で支部に5人しか増えていないということになります。おそらく5人もいるなら多い方だと思います。また、ここ10年で顔が見えなくなった支部のメンバーは何人いるでしょうか?それは活動しなくなったり、もう高齢で活動できなくなったり、すでにお亡くなりになったりしたメンバーの数ということです。おそらく10年間で5人とは言わないでしょう。その数はもっと多いのではないでしょうか?だったら少なくともここ10年間で、学会員さんは確実に減少しているという事実があるということですよね。ではここ10年ではなく30年を振り返ってみてください。創価学会は30年間衰退し続けているということが現実だということが自分の頭で考えてはっきりわかることだということに気がついてもらえると思います。

さて、学会員さんの数がここ30年間ずっと減り続けていることがわかる事実は他にもたくさんあります。

まず会員数を把握する上で思い浮かぶのは統監カードですが、私が現役会員だった頃ですら、統監カードに記された人数と、実際の学会員さんの数には大きな隔たりがありました。どこに住んでいるのかもわからない人のカードは一定数あったのは全国どこも同じでしょう。ましてや活動家の数となると統監数の何分の一でしかないのは当たり前です。しかし創価学会はいちばん多かった頃の累計世帯数である827万世帯をいまだに発表しているのみで、現在の学会員数が何人なのか、当の学会員さんですら知りません。活動家と呼ばれる人は、自分が入会している団体の人数が何人なのかも知らないで活動しているというのが現実ですし、驚くべきはそのことに何の疑問も抱かないという学会員さんのメンタルです。日本の新宗教に詳しい宗教学者の島田裕巳氏によれば、実際の創価学会員は200万人台前半だと言われています。私もおおよそそれくらいかと思います。ただしいわゆる現役活動家は少なくともその半分以下だと思われます。つまり、公称827万世帯の創価学会の活動家は100万人に満たないだろうということです。それでも旧統一教会の推定活動家数が約6万人、幸福の科学の推定活動家数が約1万5千人だということですから、創価学会は圧倒的に大きな教団だと言えます。言い換えれば、それだけ圧倒的に多くの被害者を出している犯罪集団だということです。誤解してほしくないのは、私は学会員が犯罪者だと言っているのではありません。創価学会が犯罪組織であり、学会員さんはその被害者だということです。学会員さんは知らずして創価学会の犯罪に加担させられている被害者であるということです。

創価学会の衰退を示している事実としては、聖教新聞の発行部数がわかれば一目瞭然です。一目瞭然だからこそ、創価学会は聖教新聞の発行部数を公開していません。聖教新聞は30年前のいちばん部数が多かった時に550万部と発表していましたが、それ以降は明らかに会員数が減っているにも関わらず、ずっと550万部という数字を変えませんでした。しかし数年前から550万部という数字すら公表しなくなったのです。さすがに無理があると判断したのかもしれません。聖教新聞の配達は、地元の学会員さんがほんとにわずかな手数料で配達させられていました。「先生からのお手紙」とか「無冠の友」といった言葉で実質的にタダ働きを強いられてきました。しかしそれでも配達してくれるような会員さんもいなくなったので、数年前から毎日新聞社などの業務委託をせざるを得なくなったのです。この事実だけでも創価学会が相当衰退していることが伺えます。聖教新聞については、この二つ前のページに書いてますので読んでいただければと思います。

また、もうかなり前の話ですが、女子部が消滅して婦人部に統合されて女性部という名称になりましたよね。もう女子部だけでの組織活動が困難になったからです。では男子部はどうかというと、それまで会合運営や会館警備としてタダ働きをさせられていたのが男子部ですが、もうそんなことをしてくれるような男子部がいなくなったので、そうしたタダ働きを壮年部にさせるために「王城会」なるものを立ち上げて、かろうじて組織運営にあたっています。創価学会の高齢化は、単に世間一般の高齢化が原因でないことがわかりますよね。

もう一つ創価学会の衰退を示す事実としては公明党の得票数の減少があります。公明党は2005年までは得票数を上げていました。ちなみに2005年の公明党の得票数は898万票。そこからぐんと得票数を減らし、去年7月の参院選では618万票にまで落ちてしまいました。前年の衆院選からしても93万票も減ったのですが、創価は学会員さんに対しては「全員当選の大勝利!」としか言わず、公明党の得票数が93万票も減った事実には決して触れません。なので選挙活動を必死に頑張った学会員さんは「やはり公明党はすごい!創価学会は素晴らしい!大躍進している!」と思い込んでいるのです。公明党の衰退に関しては、この前のページに詳しく書いていますので、読まれていない方は読んで欲しいです。

創価学会が30年以上も衰退を続けているという事実がはっきりわかることは他にもありますが、どんなに克明に事実関係を並べたとしても、学会員さん自身がこうした事実にきちんと向き合わなければ、いつまでも創価学会は会員を犠牲者にし続けて存在していくでしょう。逆に、学会員さんがこうした現実に向き合うことができれば、創価学会はたちまち消滅するしかなくなります。創価学会の目的は会員からお金を巻き上げることだからです。学会員が創価学会の現実に気づいて創価学会から離れることができれば問題はとりあえずなくなります。とりあえずというのは、これまでに創価学会から搾取された学会員さんの被害は消えないからです。学会員さんの被害というのはお金だけではありません。学会員さんの本来あるべきだった人生をも奪い取ってきたからです。むしろお金よりもその方が圧倒的に大きな被害だと私は思います。創価学会は会員のお金を奪い取ることが目的であっても、奪い取られた学会員さんは、お金とともに自らの人生をも奪われ、その子や孫にまで被害を与える結果となっているからです。創価学会はそんなことは知ったことではないのです。それが創価学会の現実だという事実を、現役の学会員さんにぜひ考えていただきたいです。その考えるための事実関係を、このブログでずっと発信してきました。「創価学会こそが世界を平和にすることができる唯一の人間集団だ」とか「創価学会のために捧げてきたこれまでの自分の人生が間違いであるはずがない」と今も信じている団塊世代の学会員さんはまだたくさんおられます。おそらく亡くなるまでそうした信念を否定することはないでしょう。たとえそれが間違いだったことに気づいても、これまでの自分の人生を否定するしかないわけですから、それこそ人生の最後の最後で絶望の谷底に落ちるようなことは認めたくはないでしょう。だから私としては創価を信じて、いろんなものを犠牲にしながら精一杯頑張ってきた団塊世代の学会員さんには何も言うことはありません。それはあまりといえばあまりに残酷なことだからです。私は一昨年亡くなった団塊世代の兄に対しても何も言えませんでした。だから兄が亡くなってから、私はこのブログの更新も極端に少なくなりました。他人はもちろん、実の親や兄弟であっても、創価に洗脳された人に自分で考えることを伝えることは無理なんだと痛感しました。もしかしたら実の親や兄弟だからこそ無理だったのかもしれないとも思います。いずれにせよ、ここで何度も言うように、目の前の現実にしっかりと向き合いながら、その現実が何を意味しているのかを自分の頭で考えて判断できるようにならなければ、創価学会から騙される人生であり続けること、つまり決して幸せになることがない人生を送るしかないということ、いやというほど感じました。

創価学会が30年以上も衰退しているという疑う余地のない事実は何を意味しているのか。それすら考えようとしなかった自分は何だったのか。このことを考えることが大事なのかもしれないと思える学会員さんなら、ぜひとも自分で考えて欲しいです。それでも創価学会と人生を共にするという結論に達したのであれば、それはそれで仕方ないのかなと思います。そうした人がこのブログをいくら読んでも意味はないです。創価学会に疑問を持てない学会員さんに対して私から伝えることはありません。ちょっとでも疑問を抱いてしまう学会員さんなら、ぜひこのブログや、このブログに寄せられるコメントを読んでみていただきたいと思います。また、疑問に思うことはあるけど、それがそこまで深刻に考えなければならないことなのかよくわからないという学会員さんもおられると思います。私はそうした質問にもこの場でできるだけわかりやすく答えて行きたいと思っていますので、遠慮なく質問されてください。コメントされる場合は、このブログの冒頭に書いておりますルールに従っていただければと思います。よろしくお願いします。

公明党がかなり危なくなっています

久しぶりに更新します。

コロナも収まり、世の中に少し違った流れが出てきているように思います。最近の創価学会はどうなのでしょうね。前回も書きましたが、私は以前ほど創価学会に興味がなくなりましたので、最近の創価学会がどうなっているのかということもさほど気にならなくなりました。聞くところによれば、コロナ禍での学会員さんの活動もかなり自粛していたようですが、選挙活動だけは相変わらずのようだったみたいですね。自民党と公明党が都議選での候補者擁立についてかなり揉めているようで、これをきっかけに自民党と公明党の連立が解消するのではないかとの憶測さえ出てきたようです。

ご存知のように、先日の統一地方選挙で公明党は過去最大の敗北を喫しました。議席数はそれほど減ったわけではありませんが、当選して当然の候補者が軒並み落選するという事態に、公明党も創価学会もかなり危機感を持っているようです。昔は公明党は細かな票読みと創価学会員さんの献身的かつ法律違反ギリギリの活動によって、確実に政界に議員を送り出してきました。しかし池田大作が人前に姿を見せなくなったあたりから、公明党の得票数が確実に減少してきており、今回の選挙ではもう学会員の票読みすらできなくなってしまったことに、相当な危機感を感じているようです。そうしたこともあり、衆院小選挙区の「10増10減」に伴う選挙区調整においては、公明党も新設の東京28区(練馬区東部)にも候補者を擁立すると言い出したのです。つまり公明党は自民党との選挙協力をやってる場合ではないと判断したのでしょう。これに対して自民党が怒りをあらわにしています。そして自民党としては「そっちがそういう態度ならば、いっそ維新の会と組んだほうがマシだ」と息まいているらしいのです。お尻に火がついた公明党がとった策によって自民党と決別すれば、いよいよ連立与党として国交大臣の椅子を確保してきた公明党の立場が揺らぐことになります。それ以上に与党でいることができなくなるかもしれません。

結局、公明党は東京28区に候補者を擁立しない代わりに自民党の候補者の推薦もしないと決めたそうです。公明党としては強気に出たつもりでしょうが、結果としては自民党との連立を解消される大きな要因を作った上に、東京28区に公明党議員を出すこともできなくなりました。

では公明党が野党になったときに、他の野党が同じ野党として受け入れるはずもありません。公明党は国会の中で孤立するでしょう。もっと重大なことは、自民党と連立を組むことで宗教法人法が改正されることでしょう。旧統一教会との癒着問題で頭を悩ましている自民党にとっては、新興宗教に対する過剰なまでの保護対策をする理由がなくなり、公明党との関係を断ち切ることにそれほど抵抗感がなくなるだろうとも思われます。そういう意味では公明党創価学会にとってはかなりの危機感を持っていることでしょう。かといって、創価学会にはこれから得票数を増やせる力はありません。おそらく今の減少傾向は加速すると思われます。これまで選挙活動を熱心に行なっていた創価学会員が高齢化し、人数も現象していっているからです。そして現役の若い学会員さんが今まで以上に選挙活動をするようになるなどとはとても考えられませんよね。創価学会はもはや外から見てもはっきりとその衰退ぶりが見て取れるようになりました。

当然と言えば当然なのですが、それでも創価の組織の中で生きがいを感じてきた団塊の世代の学会員さんたちにとっては、いまさら自分の創価に捧げてきた人生を振り返ったり考えてみたりすることは、なかなかできないのだろうと思います。もうそれは仕方がないのだと思います。人生のゴールが見えてきた頃に「自分の人生は間違っていたのかもしれない。創価学会という詐欺集団に騙され続けてきただけの人生だった」なんてそれはもう残酷な話だと思います。若い人ならまだしも、もう頑張っても10年もないかもしれない自分の人生を、それまでの60年70年生きてきたことが騙され搾取されてきただけのことだったなどと、そう簡単に認めることなどできるわけがないと思います。私の場合は50歳でそいう気づきがあったので、かなりの精神的なダメージではありましたが、それでも何とか現実に向き合うことができたのは、このブログを通じて皆さんと対話ができたからだと感謝しています。

だから、今も創価が正しいと信じて疑わない学会員さんに対しては、特に私よりも年齢を重ねた方たちに関しては、何を言っても受け入れられないだろうし、それを無理強いするのは残酷なことだろうし、しても怒りを買うだけなんだろうと思うようになりました。

先日、旧統一教会の合同結婚式が開催されたニュースを見ました。あれほど異様な実態によって世間を騒がし、自民党との関わりが暴露されてもなお、統一教会に人生を捧げることが最大の幸せだと信じて疑わない日本人がこれほどいるのかと、みなさんも驚いたことでしょう。それと同じで、今の学会員さんも何があろうと、どんな現実が暴露されようとも、「創価は正しい」という立ち位置から離れることはないのだと思います。旧統一教会と同じ騙され方をしているなどと少しも思わないのでしょう。だからもうそれはそれで本人が自分で気づかない限りはどうしようもないのだと思います。

ただ、もっと厳しい現実が迫っているのかもしれません。それは創価学会が実質的に消滅するときが来たときに、創価を一途に信じてきた高齢の学会員さんたちはどうするのかということです。もう誰もが感じているように、創価学会の衰退の勢いはもう止まりません。止まらないどころか、これからますます加速するでしょう。私の個人的な考えでは10年保たないんじゃないかとこのブログでも言い続けてきました。オウム真理教のようにある程度形だけは残っても、公明党が政権与党であり続けたり、選挙のたびに学会員が総動員されるような時代は過去のものになっているのではないかと思います。つまり、創価学会が旧統一教会のような見られ方が一般的になる時代がすぐ目の前に来ているような気がします。学会員さんもそうした現実を前にして、否が応でも自分の人生を顧みなくてはならない事態になってしまうと思うのです。これは学会員さんにとっては本当に恐ろしいことだと思います。今でこそまだ「創価は正しい。創価は発展し続けてこんなにも世界に広まっているじゃないか」などとお花畑のようなことを言う学会員さんであっても、ある日突然「創価学会は解散します」と宣言されたときにどうなるんだろうと、他人事ながら心配になります。私もこのブログを始めた10年前は、創価学会が解散するのは何十年も先の話だろうと思っていましたが、特に池田大作が姿を見せなくなってからの創価学会を見ると、それほど遠くない時期に突然解散ということが現実的になってきている気がします。そのときに、まだかなりの学会員さんがいるはずです。特に高齢の学会員さんにとっては辛いことだと思います。そういう意味では、私の父も兄もそういう辛い現実に突き当たる前に亡くなったのは、今思えば良かったのかもしれません。

財務をたくさんすればするだけ功徳がある。公明票を取れば取るだけ功徳がある。学会員さんはこんな子供騙しで騙されてきたんです。というか、本当の子どもでも信じるわけがないような言葉で全財産を貢いだり、死に物狂いで選挙活動に走り回ってきた学会員さんも、創価学会は誰も幸せにしていないという現実に向き合って欲しいものです。幸せだと思い込まされているだけだということに気づいて欲しいものです。しかし自分で気づかない限り、他人が何を言ってあげても聞く耳を持たないのも学会員さんです。それは旧統一教会の合同結婚式に参加している信者たちと同じであることにも気づけないんですよね。残念です。

自分で考えるということ

みなさん、貴重なコメントありがとうございます。
私は10年以上前に創価学会が他の新興宗教とひとつも変わらない詐欺だと気づいてから、このブログを立ち上げて、たくさんの創価に関わる人たちとの対話をしていく中で、創価学会が詐欺だということに気づいてもらうきっかけになればと続けてきました。おかげさまで数え切れないほどたくさんの方のお話を通じて、創価学会という詐欺団体が、どれだけの学会員やそのご家族の方たちを不幸にしてきたかという具体的な事実を明らかにできたと思っています。

そしてこのブログに辿り着いて「やっぱり創価学会はおかしかったんだ。正しい宗教なんかじゃなかったんだ」ということに自分で気がつくことができた結果、創価とキッパリと関係を切ることができた方もたくさんおられますし、家族との人間関係の中で、なかなか簡単には脱会できないで悩んでいらっしゃる方も相当数いらっしゃることもわかりました。


私のブログに対する基本的な考えは今も変わりませんが、兄が創価脳のままで亡くなった一昨年を境にして、創価学会に対する考えがかなり変わりました。考えと言っていいのかわかりませんが、これまでの10年間のような創価に対する危機感というか、興味と言えばいいのかわかりませんが、そうしたものが消えて、ある種の諦めのような気持ちが先行するようになり、以前ほど「創価は詐欺ですよ〜早く自分で気づいてくださ〜い!」といった必死さがなくなりました。それは創価をずっと信じて生きてきた人が、人から何か言われて考えを変えるくらいなら、とっくの昔に気づいてるだろうと思うようになりました。とうとう創価の現実を実の兄に気づかせることができないまま兄が亡くなってしまったことは、私にとってかなり大きなことだったのだろうと思います。

私がこのブログでたくさんの現役学会員さんとの対話を試みてきましたが、今はもうそんな気はありません。対話を呼びかけたところで、創価は詐欺だと言われて逆上するばかりで話にならない方がほとんどでした。10年続けたのに、まともな対話ができた現役学会員さんは一人だけでしたし、その方は結局は創価に疑問をもったがために組織から相手にされなくなって活動をやめてしまわれましたし、私との対話もしなくなりました。


今、私が思うことは、今この時点で創価に疑問を感じることができないのであれば、これからも一生創価を信じて生きていくしかない人たちなのではないかということであり、多くの一般の人たちがそうであるように、学会員さんはそっとしておいてあげたほうがいいのではないかということです。この私の学会員さんに対する心境の変化は大きいです。「シニフィエはあんなに熱く語ってきながら、自分の兄貴が創価のまま死んだからって諦めたのか」と思われる方もいらっしゃるでしょう。そうかもしれません。事実、10年以上も創価のことは1日も忘れたことがなかった私が、たまにしか思い出さなくなったのです。そういう意味では私はようやく創価から卒業できたのだろうと思います。

去年、安倍首相殺害を機に統一教会の問題が一気に話題になりました。私にとって切実だった創価学会の問題が、統一教会の問題と同じような距離感に感じるようになりました。悪く言えば他人事。別の言い方をするならば、身内に創価関係者がいなくなったことで、創価のことを考えなくて済むようになったということです。もちろん創価のことで悩んでおられる方には、全力でアドバイスする気はありますが、創価を信じている人に対して、わざわざ何かを言う気はなくなりました。どうぞ思う存分、死ぬまで創価に騙されて続けていかれればいいではないですか、といった心境です。それが本人にとっての最高の幸せなのでしょうから、他人の私がとやかく言うようなことではありませからね。冷たく突き放したような言い方ですが、とはいえそれが現実なのだと思います。家族に創価脳がいらっしゃる方にとっては残酷なのかもしれません。しかしそれほど現実は厳しいのだということも事実だと思います。

これだけ多くの創価経験者が創価学会の現実をこれだけあからさまに述べても、創価脳にはひとつも入っていかないどころか、中には創価スイッチが入って殴り込みをかけてくる愚かな学会員が一部にいらっしゃるくらいです。でもほとんどの学会員さんは人を疑うことを知らない純粋な人たちだということもよくわかっています。すぐに信じてしまう人のよさに創価は目をつけてお金を騙しとり、多くの人生を崩壊させてきました。私の両親や兄もそうやって騙されて一生を終わりました。私も50歳まで騙されましたが、やっと自分で気づくことができて今に至ります。創価が詐欺だと気づくのは、誰かに言われてからではなく、自分で現実を見て、自分で考えることでしかありえないと今でははっきり言えます。だからこそ、両親も兄も気づかせることができなかったのだし、私が何を言ったところでどうなるものでもなかったのだと思います。それが今の正直な気持ちだし、諦めとも言えます。


このブログには、創価に疑問を持つ学会員さんが創価が詐欺だと気づける創価の現実の記述が山ほどあります。そういう意味ではとても貴重な記録になっていると思います。昔ほど頻繁な更新はないだろうし、昔ほど多くの方のコメントもありませんが、学会員さんが創価のことを考えるための貴重で確かな記述であると思われます。少しでも創価に疑問を持っている現役の学会員さんならば、このブログはその後の自分の人生が変わってしまうほどの内容になると思います。どこから読まれてもかまいません。自分が少しでも興味のあるタイトルがあれば、そこから読んでみることをおすすめします。ここには少なくとも数百人以上の創価経験者が語る現実の創価学会の姿があります。決して恐れることはありません。人間の幸せは目の前の現実に真摯に向き合うところから始まると私は信じています。そして創価学会は人に現実と向き合わせないようにして騙す手口で学会員さんを騙し続けてきたのです。自分で考えるという当たり前のように思えることが、じつは意外にもできずにいたという自分の現実に気づくという瞬間があると思います。

聖教新聞について思うこと

ちょっと驚いたのが、私が住んでいる地域もすでに聖教新聞の配達が一般の新聞社に委託されていたことがわかりました。聖教新聞配達の外部委託が始まったのが2020年5月で、茨城県、兵庫県、愛媛県、東京都(23区以外)に始まり、たしか北海道や神奈川県、和歌山県あたりも外部委託になった話までは聞いた気がしますが、私が住んでいる地域もすでに始まっているのであれば、この3年足らずの間にもう全国かなりの都道府県で創価学会は聖教新聞を配達する人さえいなくなっているんだと考えられます。皆さんの地元はいかがでしょうか?もしわかる方がいらっしゃいましたら教えてください。

聖教新聞の公式サイトからは、いつの間にか550万部という発行部数の数字が消えています。確かに数年前までは550万部という数字が掲載されていたのを覚えていますが、さすがに550万部は無理がありすぎだと思ったのでしょうか。ちなみに去年の10月時点で朝日新聞は約430万部、毎日新聞は約193万部、読売新聞は約686万部、産経新聞は約102万部、日本経済新聞は約175万部だそうですから、聖教新聞は朝日新聞よりも120万部も多い日本で2番目に多い新聞(実際は新聞ではなく会報)ということになりますからね。さて、聖教新聞の本当の発行部数はどれくらいなのしょう。創価学会員さんは知りません。一般の人ももちろん知りません。なのに発行部数が何部なのかも知らされないで聖教新聞には広告が掲載され、1日で数千万円の広告掲載料が創価学会に入ってきているのです。毎日数千万円ですよ。聖教新聞は新聞ではなく新興宗教の会報なので非課税ですから、創価学会は聖教新聞の売り上げがいくらだろうと税金を払わなくていいのと同時に、財務と同様にどれだけのお金が創価に入っているのかを知ることはできません。財務も聖教新聞もその他の出版物も創価にとっては金の成る木です。

しかしその金の成る木も痩せ細り、配達できる学会員すらいなくなったというのが現実です。それはそのまま学会員の数自体が減ってしまったということです。特に若い新入会員がほとんどいなくなったのも事実です。女子部が消滅したのも当然です。次は男子部が消滅するのも時間の問題です。

そういえば私の若い頃は指導部というのがあって、私の母は県レベルの指導長という役職でした。うろ覚えですが、たしか60歳を超えると指導部になったような気がしますから、今もあるとしたら、学会員の大半は指導部行きになるでしょうね。それはともかく、創価は会員数の激減をどうすることもできないでいるのが今の現実です。残された昔からの学会員は歳をとっていなくなります。もうどうあがいても創価学会員の数が増えることなど考えられません。550万部もウソなら、827万世帯もウソ。創価はなぜこんな見え透いたウソをつき続けなければならなかったのかというと、創価学会の目的が広宣流布だからです。創価学会は日蓮の教えを世界中に広めることが使命とされた法華経に記された地涌の菩薩の集まりだとしてきた以上、学会員が減ったり、聖教新聞の部数が減ったりしては、創価学会が地涌の菩薩の集まりではないことになってしまうからです。しかし現実に創価学会は1990年に日蓮正宗から破門されてから以降、目に見えて衰退しています。歳を重ねるごとにその衰退ぶりは加速度を増すばかりで、女子部の消滅も、聖教新聞配達の外部委託もその結果です。学会員流に言うなら原因結果です。ちなみに聖教新聞の発行部数が増えていたのは日蓮正宗から破門された1990年までで、その後は30年近く550万部と発表し続けてきましたが、数年前にいつのまにかその数字が公式サイトから消えていて、今は発行部数がわからないまま掲載広告を募集しています。

こうした創価学会の現実を学会員さんには是非向き合ってほしいと思います。死ぬまで創価に騙されて人生を終えるのか、辛い現実に向き合うことでまともな人生をとりもどすのか、すべては本人次第だと思います。

「なぜ自分は創価学会が正しいと信じてきたのだろう?」

ネット上で必死に創価を擁護している現役活動家さんたちが言っていることは「創価は正しい」ということを前提に主張していますが、そもそもその根拠のない「創価は正しい」が前提にできるわけがないことに対して何一つ言えていないことに気づいて欲しいものです。そして今の創価学会が何十年も衰退の一途を辿っているという紛れもない現実についても、何の説明もできないという現実に気づいて欲しいものですが、私はこのブログで何度もそうしたことについての質問をしてきましたが、誰一人まともな答えを返してくれた現役学会員さんはいませんでした。「創価学会は正しい」ということの理論も結果もない現実を前にしてでも、あるのは「ただ信じている」というこれだけです。これって統一教会やその他の新興宗教の信者さんとまるきり同じです。
折伏の話題が出ていますが、折伏って早い話が「強引に会員数を増やす学会活動」でした。私も学生部時代から男子部時代まで、どうにかして本流を決めなければと、半ば強迫観念に襲われながらの生活をしてきた時代もあります。何も知らない人を拠点に呼び出して、ぐるりと取り囲んで、入決カードを書くまで家に帰さないような、今なら一発で訴えられるようなことを平気でやっていました。今思えば、単にカモを増殖させられていただけの話ですが、まるで創価を広めることが自分が生まれてきた理由であり使命であるかのように思い込まされていました。そんな恐ろしい考えを物心つく前から、親や周りの人間から教え込まれ、未来部で研究発表とか大石寺での夏期講習会とかに参加させられて、完全に洗脳させられていた子供たちがたくさんいたんですよね。当時はまだ人権意識が緩かったですし、創価学会が社会問題になるにしても、それ以上の勢いで創価学会は会員を増やしていってました。しかし日蓮正宗から破門されたのを機に、創価はいろんなところから崩れてきました。まず創価学会は仏教とは何の関係もない新興宗教団体になった。しかし教義は日蓮正宗のまま。しかし日蓮正宗からは完全に破門されている。信仰の対象である本門の本尊の解釈が破綻してしまった。創価は日蓮正宗から破門されて、独自の本門の本尊の解釈を変更するのに24年もかかりました。その間、池田大作は全く姿を現さなくなり、会員は池田大作がどこで何をしているのかも知らされないまま今年で14年が経とうとしています。

このページでは「創価学会の歴史3」として、主に池田大作を中心に書こうとしましたが、池田大作があまりに酷いことをしてきたことを書かなければならないことに、あらためて呆れ返って、気分が悪くなって書く気がしなくなりました。もう池田大作は人前に姿も見せられない過去の人でしかないとも思います。いまさら池田大作についてあれこれ書いたところで何がどうなるものでもないとも思います。

そうです。もう創価学会は過去の黒歴史でしかないということに気がつきました。もちろん、今でも創価によってたくさんの現役学会員が騙され苦しんでいます。騙されていることもわからずに、現実には不幸になっています。でもそうした人たちは、いくら他人が言っても気づかないし、自分で気づく他はないということだと思います。要するに、騙されたまま残りの人生を生きるしかないという厳しい現実しかないし、そこから抜け出すには、自分で気づくしか手はないのだと思います。

先ほど言ったように、日蓮正宗から破門されたことによって、創価にとっての本門の本尊の解釈が成り立たなくなって24年経ってから、あろうことか日蓮正宗以外の本尊ならどれも功徳があるなどと言い出しました。それまで完全に否定していた日蓮系の本尊も創価と同じ力があるということにしたんです。じゃあ、それまでの24年間はどういう解釈をしていたのかは不明です。世界で唯一の本物の本尊が日蓮正宗の本尊であると言っていた創価が、その24年間のどの時点で日蓮正宗以外の本尊は本物に変わったのでしょう?こんなことひとつとっても、創価はまともなことが言えないまま、会員を騙し続けてきたんです。それはひたすら「創価学会は正しい」と会員に無条件に信じ込ませることで、なんとか昔からの学会員をキープすることでやってきました。だから今の創価学会は、そうした昔からの自分で何も考えない学会員だけが活動する組織となり、そして今はその学会員もみんな年老いていなくなっているというのが現実です。

本門の本尊がどうたらこうたらなんてどうでもいいんです。今、この時点で創価学会の現実がどうなのか?そしてこれから創価学会がどうなるのかを、客観的に判断することができれば、「創価学会は正しい」だなんて言えるわけがないんです。言えるということは創価の現実を見ることができない人間にさせられているという証拠でしかありません。

ほんのちょっとでもいいですから、「創価学会ってもうダメかもしれない」と思うようになったそこの学会員さん。今こそ自分の頭で考えて「創価学会は本当に正しいの?」「このまま創価学会を信じて活動したり、お金を出したりしていいの?」って不安になったのであれば、ぜひそのまましっかりと自分の頭で考え続けてください。考えるのが怖くなったら、このブログのコメント欄にその不安な思いを書いてみてください。あなたと同じような考えで、不安な気持ちになった人たちが、このブログには驚くほどたくさんいらっしゃいます。そして多くの学会員さんが今までの自分が何だったのかに気づかれてきました。「なぜ自分は創価学会が正しいと信じてきたのだろう?」こうした基本的な問いを自分に投げかけてみる。今のあなたにはそれが一番大事な時期であると、多くの創価経験者が言っておられますよ。ちょっとでも思うところがあれば、ぜひ、勇気を出してコメントしてみてください。いつでも待ってます。

創価学会の歴史 2

昔、創価は「どんな病気でも治る」という宣伝文句で会員を増やしていました。考えてみれば、この時点で立派な詐欺ですね(笑)。 もちろんその確かな根拠などありませんし、強いて言えば「題目を唱えると生命力がついて、どんな病気でも治る」という訳のわからないことを「根拠」にしていました。私の両親は草創期の幹部でしたので、私の実家には草創期の幹部たちが普通に出入りしていました。その幹部たちのほとんどが癌で亡くなりました。それも相当な苦しみ方でした。あれは何だったのかなと学会員は考えません。「これにはきっと何か意味がある」と自分に言い聞かせるだけで、それ以上は考えないようにしているのです。
例えば、病気になって、医者が処方した薬を飲んでもちっとも治らなかったら、その薬が自分には合わなかったんだとか、もしかしたらその医者が判断を誤ったのかもなどと考えるでしょう。でも学会員さんの場合、学会員さんが癌になって亡くなったとしても「これには何か深い訳がある」とか「今世で大聖人の信心に出会って罪障消滅をすることで使命を全うして、今頃は学会員さんの家に健康な体で生まれ変わっている」などと何の根拠もない適当なことを信じてしまいます。信じているというよりも思考停止しているんですよね。自分で考えようとしないから、どんなトンデモ話だろうが信じてしまえるんだと思います。
私の実家には戸田城聖の講演が録音されたレコードがありました。子どもの頃、何度か聞いたことがあります。今はYouTubeにも一部動画がアップされていますから、誰でも見ることができます。その内容は「この信心で病気と貧困は必ず解決する」というものでした。戸田は持ち前のユーモアを交えた話術で、病気と貧困に苦しんでいる一般市民を巧みに思考停止に引き込んでいました。戦後すぐから高度経済成長期にかけての多くの日本人が望んでいたものは、この病気と貧困の解決だったのではないでしょうか。戸田はこれに目をつけたのです。戸田だけではなく、当時は雨後の筍の如く怪しい新興宗教ができては消えていきました。その多くはお金目的のものでしたし、それは今も変わりません。戸田が当時の多くの新興宗教の教祖と違ったのは、創価学会は日蓮正宗の外護団体であるとしたことでした。つまり創価学会は新興宗教ではなく、仏教の本流を真に伝承し実践する団体だというふれ込みで信者を獲得していったところです。ご存知のように仏教の中でも日蓮正宗というのは異端中の異端の宗派です。なにしろ仏教の教祖であるはずの釈迦を否定するんですから、その時点で仏教ではありません。同じ日蓮系でも教祖の釈迦を否定しているのは日蓮正宗だけですから驚きです。だったら初めから仏教などとしない方がまだスジが通ります。今でこそ創価学会は日蓮正宗から破門されて、ただの新興宗教になっていますが、創価学会は日蓮正宗の外護団体としてスタートしたんですから、日蓮正宗から破門された時点で解散するのが当然でした。話が長くなるのでこの辺でやめておきますが(笑)、なにしろ戸田は信者(会員)獲得のために、当時の人々がいちばん食いつくであろう「病気と貧困の解決」というおいしい餌をばら撒くことで、爆発的に信者を増やしていきました。

さて、戸田城聖は牧口亡き後、創価教育学会を創価学会と改名し、宗教法人の認可を受け、信者からの寄付に税金がかからないようにし、収支を報告することもしないで良くなりました。出版、建設、投資、金融など事業にことごとく失敗し、莫大な借金を抱え込んでいた戸田にとって、収支報告も納税も免除される宗教法人の経営は、夢のような金儲けだったでしょう。同時に大蔵商事といった高利の貸金業も経営していた戸田の元に現れたのが若き池田大作でした。池田はその高利貸しの厳しい取り立て屋として大蔵商事の中でも頭角を現していきます。今思えば、戸田が小説人間革命を執筆して会員に読ませることで、こうした創価の黒歴史を隠し、捏造された美談を会員に信じ込ませるという手法を池田も踏襲していきました。同時に会員にそうした洗脳出版物を購入させることで金儲けができるという一石二鳥の宗教詐欺が池田へと受け継がれたのです。