話したいことは話してください 2

ということで、今回も引き続き「話したいことは話してください 2」というテーマで、自分が体験した創価学会を言いたいだけ言ってください。ただし、基本的に自分の体験に基づいた話に限ります。聞いた噂だとか、感情的な人格否定はご遠慮ください。あ、でも「アホんだ〜ら」とかの可愛いやつならOKですよ(笑)

前スレで、ルフランさんがものすごい体験談を書いてくださいました。これはちょっとやそっとの覚悟では書けない内容です。まだ読まれていない方は、前スレのコメント欄を是非読まれてください。

このブログを始めて5年半。ちゃんと数えてはいませんが、このブログにたどり着いて、創価が宗教ではなく、ただの悪質な詐欺だったことに気がついて脱会した方が、本当にたくさんおられます。まだ脱会まではいかなくても、折を見て脱会しようとしている方もたくさんおられるようです。創価学会員はどう考えても確実に減っています。公明党の得票数の現象を見ても明らかですし、新年勤行会の参加状況を見ても明らかですし、各地の座談会会場の顔ぶれを見ても、これで「創価学会が世界に広がっている」なんて真顔で言える人はいないでしょう。いないはずなんですが、創価脳の人たちは何がなんでも「創価学会が世界に広がっている」と言い張ります。それは「創価学会員でも幸せになってないじゃないか」と問い詰めても「それはみんな人間革命の途中だ。過去世において背負うことになった宿命を、この信心によって転換しようと頑張っているんだ」と苦し紛れの返答しかしません。では創価学会ができて80年以上も経つのに、その宿命転換できた人がどこにいるのかと聞いても答える学会員はいません。きっと死ぬまで宿命転換のための戦いをして、死んだ途端に宿命が転換されて来世では健康な体で幸せな家庭に生まれているんだなどと、またまた証明のしようのない、誰も見たこともない苦し紛れの言い訳しかできません。創価の信仰で功徳があるなんて、誰にも証明できないし、誰も見たこともないんです。一方、創価学会員になって活動したために、全財産をなくし、病児になってもまともな医療も受けずに、苦しむだけ苦しんで死んだ多くの学会員がいることは、紛れもない事実です。ではこの事実を学会員はどう説明するのか。できるわけがありません。またもや「人間革命の途中」ですか?(笑)
池田大作はよく「生きている間に幸せにならなくちゃこの仏法の意味はない」と言っていました。そりゃそうですね。でもその池田が生きている間に幸せになったでしょうか?一体創価学会で誰が幸せになったのか教えてほしいものですよね、学会員さん。

ということで、このスレッドでは、創価学会の活動をして、こんなに不幸になりましたという体験もどんどん書いてください。もちろん、創価学会でこんなに幸せになりましたと言いたい創価学会員さんも書いていいですよ。書くことがあればの話ですけどね。

話したいことは話してください

このブログは、創価の実態を実際に創価学会員として活動してきた方の体験として話していただくという方法で、創価学会が宗教団体ではなくただの詐欺集団であって、会員は宗教にありがちな「特別な力」を信じ込まされて、お金や労働力を奪い取られるという現実に気づいていただくための場所です。
創価学会が会員に対してやってきたことが、あまりに卑劣であるがゆえに、創価に騙され、自分の人生のほとんどを台無しにしてしまい、さらには家族や友人をも失ったり傷つけてきたことに対する罪悪感をどうすることもできずに悩んでいらっしゃる学会員と元学会員が驚くほどたくさんいらっしゃるということが、このブログに寄せられるコメントによってわかります。
また、客観的に創価の実態を知るにつけ、創価へのそうした批判が、まるで自分を否定されているかのように感じてしまう方もたくさんいらっしゃるようです。逆にそうした方に配慮しすぎて、創価の実態についての話ができなくなっては、このブログの存在理由もなくなってしまうように思います。問題が問題ですから、創価の批判が自分の人生の否定としか捉えられない方にとっては辛すぎる話かもしれません。しかし、辛いからといって現実から目をそらしても、これまでと同じだと思います。創価を体験し、覚醒した方は、それぞれに超えなければならない精神的な重荷を背負っていらっしゃると思います。私も含め、ここに話をされている多くの方が、そうした辛さを受け止め、乗り越え、さらにこうした卑劣な詐欺が生き延びていかないように、声を発し続けてくださっている方に深く感謝申し上げます。
知らなかったこと、騙されていたこととはいえ、創価学会員として活動していた方は、大なり小なり社会悪の片棒を担いできたという現実は、きちんと受け止めなければいけないと私は思います。このブログを見て、辛くて耐えられない方は、無理に読んでくださいとは言いません。しかし覚醒した方が現実に向き合うにはショックが大きすぎるからといって、創価がやってきた卑劣な行為をオブラートに包むことは断じてあってはならないとも思っています。
ここで語られているのは創価学会の現実に対する批判であり、現実的な被害の内容です。学会員の人格を否定するものではないし、コメントを書く中でそうした表現になってしまうことに対しては注意をしてくださいということをブログのトップに書き加えました。創価を批判すると覚醒した人が傷つくからほどほどにということではなく、何が良くて何が悪いのかを明確にした上で、しっかりと創価の批判をしてくださということです。それでも自分が批判されているようにしかとれなくて辛くて読めないという方は、逆に読まないでいただきたいです。もちろん読む読まないはこのブログに限らず個人の自由です。このブログを読むことが自分にとって何になるのかを明確にしていないと、内容が内容なだけに、人によってはただただ自分を否定されているだけのものでしかない場合もあると思います。それはあくまで自分の判断で、自己責任でお願いします。
また、ここで創価批判をするにあたって、思いのほか傷ついてしまう人がいるいるかもしれないという理由で、言いたいことが言えないということになってはいけないと思います。ここはとても難しいところだと思いますが、創価に関わってきた自分が体験したこと、そして覚醒してからの心の変化については、できる限りそのままを話していただきたいと思っています。
このブログの中で再三述べていますが、私はこのブログにコメントをくださる多くの方と同じように創価に騙された人間の一人でしかありません。何か特別なことができたり、軽やかに創価から脱出するための方法を知っているわけでもありません。比較的短期間で創価から去ることができましたが、創価が詐欺であって、騙された自分の人生の取り返しのつかなさに精神のバランスを崩してしまい、未だにうつ病の症状に悩まされている状態です。うつの症状とはもう一生付き合っていかなければならないだろうなと思っています。それが自分の現実を受け止めることでもあるんだろうなとも思っています。せめてもの救いは、このブログの存在によって、創価が詐欺であることに気がついてくれる学会員さんが確実に増えているということです。これはある意味、自分がやらかしてきたことに対する贖罪のようなものだという気もしています。自分にできるせめてものことだと思っています。
そこで今回のテーマは、「話したいことは話してください」です。それが創価の被害者を一人でも減らす方法だと思うからです。そりゃそんなひどい創価に自分もいたのであれば、辛くなるのは当然です。でもそれを乗り越えなければ何も解決しないと思っています。だからそのことで大なり小なり創価だった自分の現実に傷ついたりするのは覚悟しないといけないと思うんです。それは仕方のないことだし、ここで避けたからといって、それは問題を先延ばしにするだけのことなのだろうと私なら思います。もちろん今は先延ばしにしないとまずい人もいらっしゃると思います。それは自分で判断してください。読んで辛い思いをしてしまっている方へはそう思います。
ここにコメントをされている方、あるいはこれからしてみようと思っている方は、どうぞ「話したいことは話してください」ということです。現実を話してください。実際に思ったことを話してください。それは何一つ遠慮しないでいただきたいのです。ただ言葉に注意してください。感情的になる場合もあると思います。しかしこの場にいらっしゃる方への個人攻撃や感情的な批判の言葉は何も生み出さないばかりか、この場をぶち壊しにしてしまうからです。そのことに注意をしていただければ、特別に気を使う必要もないと思います。
以上、長くなりましたが、このブログにコメントを書いていただく際に注意していただきたいことを述べました。要は言いたいことはどんどん言ってください。ただここにいらっしゃる方への個人攻撃につながるような言葉は慎んでいただきたいということです。どうかご理解とご協力のほど、よろしくお願いします。

で、この今回のテーマ「話したいことは話してください」ですが、今回はそれぞれに自分が特に創価についてこれだけは言いたい!ということを話していただければと思います。そりゃもちろん言いたいことはいくらでもあると思います。それは私も同様です。そこであえて創価に物申すとすれば、自分は何を言いたいのだろう?ということをあらためて考えていただいて話していただければと思います。そのことによって創価の何が問題なのかが見えてくるかもしれません。それは創価の誰に対して言いたいのかということで言いたいことの内容も変わるでしょう。池田大仏本人に言いたいことなのか、会長とその周りの最高幹部に言いたいことなのか、本部職員なのか、地元の学会員なのか、創価から甘い汁を吸わせてもらっている関係企業なのか、人によっていろいろだと思います。もちろんいろいろでかまいません。いろいろあるけどこの人にこれだけは言いたいということを書いてみてください。よろしくお願いします。

創価後遺症について

このブログは6年目の途中になります。昔ほどではないですが、今もときどき何年も前のスレッドにわけのわからないコメントが来たりします。本当にときどきですけどね。内容はこのブログに対する現役学会員からの批判です。もちろん挨拶も自己紹介もないし、言葉遣いもめちゃくちゃです。ほぼ100%が現役学会員からのコメントです。昔は全く関係ない人からの面白半分のコメントもありましたが、今ではほぼありません。ウンコタレも来ないようです(笑)それだけこのブログがどんなものなのかが認知されてきたのだと思っています。しかし現役学会員だけは話は別です(笑)。相変わらず「かわいそう」とか「地獄に落ちる」とか「本当の信仰を手放すなんて愚かな人たちだ」とか「もう一度大聖人の仏法を学んではいががですか」とか、ほとんど似たり寄ったりの言葉だけが並んでいます。多分、たまたまネット上でここの過去のページに行き着いて、創価批判を目にした途端スイッチが入って書かずにおれなくなるんだろうと思います(笑)。判で押したようなと言いますか、ステレオタイプと言いますか、紋切り型と言いますか(みんな同じですが笑)、あらためて思うのは、創価脳になってしまうと、思考が止まるせいか、みんな同じことしか言えなくなるんですよね。それも上から言われたことをそのまま繰り返すだけの人間になってしまいます。それがいいことか悪いことかの判断すらできないまま、そして創価だけが幸せになる道であって、そうでない人はいずれ不幸になると思い込んでます。現実に不幸になってないことを指摘しても「いずれは不幸になる」としか言いません。創価で幸せになった人がいるのかと指摘しても「今は人間革命の途中だと口を揃えて言います(笑)つまりみんな途中だからまだ幸せにななっていないけど、最後は必ず幸せになるんだと言い張ります。こんなことをいい大人が真顔で言うんですから、一般の人たちから頭おかしいだろって思われても仕方ないんですけど、そこはなんとも思わないのも創価脳の特徴ですね。言う口は持っていても聞く耳を持たないのが創価脳です。つまりそんな人間に仕立て上げられていて、その自覚すらないということですよね。で、私たちが創価が詐欺だと気づいて脱会できた今でも心に深く傷を負ったままでいるのは、かつて自分もこのような思考停止人間であり、なおかつ自分たちだけが何でもわかっていて、自分たち以外の人間はカスだと見下しながら生きてきてしまったことです。もちろんおもて立って他人を見下すような発言をしてきたつもりはないのですが、ときとしてそのような思考が態度や言葉尻に漏れ出てしまってきたんだろうなと思い返しただけでも自己嫌悪に陥ってしまいます。たとえ騙されてきた被害者なんだと自分に言い聞かせたところで、失った人生を取り戻すことはできないと思うと、さらに凹んでしまいます。
なんでこんな暗い話をするのかと言いますと、こうしてみなさんとの対話を通じて、なんとかこれから生きていける希望を見出せたということも大きいですし、人それぞれに事態の深刻さもそれぞれだということを思いやりながらコメントしてほしいなと思っています。創価脳を同居する家族にもつ方の毎日は、それこそそれだけで大変な心労だと思います。普段の生活は普通でも、何かあったときの価値観や選択肢がまるで違ったりすると、これは単なる価値観の違いではなく、自分の大切な人が明らかに騙されているということを目の当たりしてしまうので、その出口のない迷路に閉じ込められたような閉塞感もたいへんなものだろうと思います。覚醒したからといっても、すぐには辞められない方のなんと多いことか。そしてそんな方の悩みのなんと深いことか。
「嫌だったらやめればいいじゃん。なんでそれができないの?ははあ、本気じゃないんだ。もしかしてやめたらバチが当たるとか思ってんじゃないの?」こんなことは人から言われたくはないでしょう。
もう何十年も前に覚醒して、脱会も完了した人でさえ、このブログでの対話をされている方も多いです。コメントしないまでも、脱会して創価と関わることもないのに、ここの皆さんの言葉が気になってしょうがなくて、しょっちゅう覗いていらっしゃる方も多いと思います。覚醒し、脱会してもなお、創価であったことに対する傷というものは、そう簡単には癒えないと言うことの証拠だと思います。覚醒し脱会できた人でさえそうなのですから、まだ創価が宗教なのかもしれないと少しでも思っている人にとっては、ものすごい葛藤があるのだろうと思います。もし創価が詐欺だとしたら、自分のこれまでの人生は何だったんだ。必ずここを通らずにはおれないと思います。通らずにうまいことやっていこうとすると、ポン太さんや紅さんのような、創価はおかしいと思うがそれに関わってきた自分の人生までも否定できないというジレンマに陥ってしまうのだろうなと思います。
創価学会は詐欺であり、それに騙されてきたのが自分の今までの人生だったのだと受け入れること。確かに辛いのかもしれませんが、これを受け入れない限りは本当の覚醒はないだろうし、そこから一歩も前へは進めないのだろうと思います。覚醒したから、脱会できたから、これでめでたしめでたしではありません。どなたか数人の方が創価への復讐は脱会後の自分が幸せになることだと言われていましたが、それも一つの生き方であると思います。創価時代に創価に引き入れてしまった友人に会って、全てを話して謝罪することも、これからの脱創価の人生を始めるにあたってのくぐらなければならない門なのかもしれません。覚醒後のショックをどうやって克服し、創価後遺症から抜け出すにはどうしたらいいのかわからないまま何年も悩んでいる方もたくさんおられると思います。
今回のテーマは「創価後遺症について」とさせていただきます。決して後遺症の解決法を教えてくださいということではありません。そんな簡単なことではないこともよくわかります。これまでの皆さんのお話と随分とかぶるとは思いますが、あらためて自分が感じてきた創価後遺症がどんなものなのかを具体的に教えてくださるだけでいいんです。きっと同じ思いで悩まれている方がたくさんおられると思います。その思いを共有できるだけでもいいと思うんです。具体的な解決策を箇条書きにするなんて野暮なことはしません。皆さんが実際に感じてきた覚醒後の辛い体験をいまいちどこの場でお話ししていただければと思います。その辛かった過去、あるいは現在の思いが誰かと共有できたと感じるだけでも意味はあると思っています。よろしくお願いします。

「この質問を幹部に聞いたら、何も答えられなくなるよ!といった、オススメの質問教えてください」

ってことで(笑)、前のスレッドのコメントに創価大出身の現役活動家であるポン太さんからナイスな質問がありましたので、あらためてこちらで皆さんからの回答をお待ちします。

創価の幹部にしたら何も答えられなくなるような質問って、いくらでもあると思います。

「池田大仏先生は今どこで何をしているかを知っているのは、創価の組織ではどこまでですか?あなたはもちろん知りませんよね。例えば会社の幹部が社長の顔すら5年も6年も見ないで、どこで何をしているのかも知らないなんておかしいと思いませんか?あ、思いませんね。なるほど」

「創価の御本尊は日蓮正宗の御本尊を日蓮正宗に無断で改ざんしたカラーコピーなんですが、元になった日蓮正宗のオリジナルの御本尊を認めずに、それを改ざんしたカラーコピーにだけ力があると教義の変更をしたんですけど、それっておかしいと思いませんか?あ、思わないですね。なるほど」

「現在の創価学会では、日蓮正宗の改ざんカラーコピー御本尊であっても創価学会員が拝むと絶対に願いが叶う。絶対的幸福境涯になるだろうと言っていますが、あなたは今までにその絶対的幸福境涯になった学会員を見たことがありますか?見たことない?みんな人間革命の途中?でも人間革命の途中で死んでしまった学会員も何百万人もいますよね。生まれかわってから絶対的幸福境涯になるとでも言うんですか?それって創価学会が保証してくれますか?ってか、これまで絶対的幸福境涯になった人を見たこともないのに、なんで自分が絶対的幸福境涯になれると思ってるんですか?あ、思ってる。ああ、そうですか。誰も見たこともな絶対的鼓腹境涯に自分はなれると思ってるんですね。それも日蓮正宗の改ざんカラーコーピー御本尊にひたすらお題目を唱え続けていればなれるだろうと思ってるんですね。なるほど」

「幹部は会員に対して毎年財務を借金しても出せるだけ出しなさいと言っていますが、創価の職員はたとえ副会長レベルでも一律2万円と決まっているそうです。それっておかしいと思いませんか?あ、思わない。学会員がどんなに貧乏しても、ある金を出せるだけ出せば幸せになると指導しても、自分はちゃっかり2万円だけ出すの、普通ならおかしいと思いそうな気もするんですが、創価学会ではそれが常識なんですね。なるほど」

「創価学会は会員数も財務の収支も公表しませんが、その理由を答えられますか?っていうかその理由なんて知らないから答えられないですよね。創価は幹部だろうが肝心なことは知らないですよね。最高幹部以外は、ほとんど知っていることは同じです。だから会員は指導を受けてもみんな適当にはぐらかされるだけ。あなたがどんな質問をしても、ほほ100%答えきれないのが幹部の正直なところです。これは、あなただけのじゃない、全国の創価学会がこの調子です。会員は、肝心なことは何も知らないし、知ろうともしない。それが創価学会の組織ですよね」

今思いつくだけでもざっとこんな感じです。細かいことを言い出したらきりがありません。創価の幹部は創価について何も知らないということです。だからどんな質問だろうが、ポン太さんが知っていること以上のことは幹部は知りません。つまり、ポン太さんがどんな質問をしても幹部は何一つ答えることはできません。

ポン太さんが幹部に質問をする前に、私はその結果を予想してみましょう(笑)

これはどういうことかというと、創価が正しい宗教であるという前提自体に無理があるということです。もし創価が正しい宗教であるならやるはずのないことを、実際の創価はいくらでもやっているので、そのつじつまが合わないから説明のしようがないんですね。もし創価が詐欺団体だということを前提にすれば、何もかもがつじつまが合ってしまう。それに気付かせないようにするために、幹部は会員に何も考えさせないような「指導」をするわけです。創価の指導というのは「何も考えなくていいから言われた通りにしなさい」ということだけですよね。創価ではそれさえ言えれば立派な幹部です(笑)。それも幹部である自分も考えずに会員にそうした「指導」ができるのが幹部としての唯一の条件です。つまりバカになれれば幹部になれるということです。言ってみれば創価というのは言えばなんだってする危ない思考停止集団です。活動が辛かったり理不尽だったりしても創価に疑問を持たずに、みんな自分のせいにしてますます思考停止して活動に励むようになる。これが創価学会の幹部の見本です。そんな幹部に「答えられないような疑問」をぶつけても何の意味もありません。まず間違いなく質問には答えずにはぐらかすだけです。目に見えています。そしてそんな困るような質問をしてきたあなたに対して「信心が足りない」「魔が競ってる」「どうしたんだ、信心がおかしくなってないか?」「この信心を疑うと地獄に落ちるぞ」「何も考えなくていいから師匠の池田先生を信じて頑張ろうじゃないか」「もっと真剣にお題目をあげよう」というのが関の山です。唱題というのはつまりは思考停止メソッドでしかありません。お題目を必死であげているうちに、わけのわからない高揚感とともに、いろいろと思い悩んできた自分がアホらしくなって、一人ウルウルしながら「もう余計なことを考えるのはやめにしよう!これからは愚直に創価を信じ切って活動に専念していこう!」と、つまりは楽な道に流されるのです。「何も考えずに言われた通りにしていれば絶対的幸福境涯に自然となれるんだ。御書にもそう書いてあるじゃないか。よおしっ!先生第一、信心第一に明日から活動に励むぞ!」ということで創価脳のいっちょあがりです(笑)

ポン太さんは、活動の辛さや理不尽さがきっかけで、これまで養われてきた創価脳の一部が崩れて覚醒の芽がちょっとだけ出てきたんですよね。創価スイッチや創価シャッターがあたりまえだった自分にも、どうにもこうにもつじつまが合わなくなった。普通の人間ならとっくの昔に気づくようなことでも創価脳は気づきませんが、幸いポン太さんはそうした機会を得ることができ、さらに幸いにもこのブログに行き着くことができた。おめでとうございます(笑)一旦、創価に疑問を持ってしまったんですから、おそらくもう後戻りはできないと思います。今まで当たり前だった創価の日常が、ことごとく異常な世界にしか見えなくなります。いや、本来ならそれが本当の姿なんです。それを「何も考えずに創価を信じること」がポン太さんの中心に据えられていたから、創価の非常識が常識に見えていただけのことです。ポン太さんの気がすむように、こちらで提案された質問を幹部という幹部にぶつけてみてください。機会があれば副会長にでもぶつけてみてください。支部長だろうが副会長だろうが、きっと答えは同じです。っていうか、ポン太さんが納得のいく答えは絶対に返ってはこないでしょう。場合によっては「そんな質問をするのは裏切り者だ」と逆ギレされて罵倒されるかもしれません。あるいは「ポン太くんは信心がおかしくなっているようだから相手にしないように」といいふらかされるかもしれません。あるいは「ポン太くん、心が不安定になっているようだから、いい病院を紹介するよ」とまで言われるかもしれません。そして紹介された先は学会員がやっている精神病院です。実際にそうしたことがあるんです。組織内に悪影響を及ぼすような幹部は精神病院にかからせて「あいつは頭がおかしくなった」とまわりの学会員への影響をシャットアウトする。

ポン太さん、幹部が困るような質問もして欲しいんですが、その幹部やまわりの学会員がそのことでどのように変わるのかをよ〜く観察してくださいね。それでこのブログに全てを報告して欲しいんです。あくまで客観的な視点を見失わずに幹部へ質問し、その答えを記録し、その後の幹部やまわりの学会員の態度の変化にも注意して欲しいです。きっとポン太さんは背筋の寒くなる思いをすると思います。脅してるんじゃないです。自分は今までこんなに恐ろしい組織の中で活動していたのかと腰を抜かすかもしれません。このブログにコメントされている方々は、みんなそんな経験を経て覚醒に至った方たちです。このブログにはポン太さんと同じような創価学会員の実際の経験が記されているということをポン太さんが受け入れられたときに、ポン太さんが創価学会員として歩んできたこれまでの人生を客観的に見ることができるのだと思います。

ということで、皆さんまずは「この質問を幹部に聞いたら、何も答えられなくなるよ!といった、オススメの質問教えてください」というポン太さんの質問にお答えください。創価の真実の姿に一人でもたくさんの学会員が気付いてもらえるようになってほしいと思います。よろしくお願いします。

創価が詐欺だと知ること

私がこのブログで最初に書いておりますように「対話とは討論ではない」ということです。そしてこのブログでは特に相手を理解するための対話であり、自分の意見を押し通すための論陣を張るような場所ではないという意味を込めて「対話を求めて」というタイトルをつけました。人となりのわからない者どうしが書き言葉だけで互いを理解しようとするのですから、そこには面と向かって行う通常の対話とは比べ物にならないほどのまどろっこしさや行き違いがともなうと思います。そうしたことを理解した上で、つまり相手のことを思いやった上でしか対話は成り立たないと思っています。自分の体験や考えを語るのは大いに結構なことですが、これはこういうものだ、あれはこうあるべきだという考えは、あくまで個人の範疇のものであり、それが自分の考えと違うという理由で否定する、あるいは見下すといったことは、創価学会員が無意識のうちに植え付けられた思考回路でもあると思います。創価学会の経験者は、覚醒することによって、それまでの自分が知らないうちにそのような高慢な態度を他人や家族にとってしまっていたということに今も苦しんでいます。ですから、このブログでは、そうした方々の気持ちを理解した上で、相手の気持ちを思いやった上で、言葉を選びながら対話を深めていただければと思っています。自分が創価に洗脳されていたことによって、友人を失い、恋人を失い、伴侶を失い、社会性を失い、仕事場や隣近所の人たちから後ろ指さされながらも、自分こそが正しいのだと自分に言い聞かせながら、非常識な言動を繰り返してきたことに対する後悔の念は、年齢を重ねれば重ねるだけ強い遺恨を引きずるものだとつくづく思います。ここで冗談を言ったり、替え歌で忌まわしい過去を笑い飛ばそうとする皆さんの心のそこには、そうした消そうとしても簡単には消せないものがあるからだと思っています。そうした忌まわしい過去の自分を理解できる方が集まっているからこそ、このブログに貴重なお話が積み重なっているのだと思っています。
もっと言えば、この場で、何が正しいとか、何が正しくないとか、そんなことどうだっていいんです。そんなことを問題にしているのではありません。もっと言うなら、ここは宗教の話をするところではありません。創価が宗教を利用した詐欺で、その詐欺の実態を体験として知っている方の声を積み重ねる。それがこのブログの目的です。そしてこれを読んで創価が詐欺だと気づいてくれる人が一人でも増えてくれればそれで十分だと思っています。創価学会がいかに多くの人々を不幸にしてきたのかを、実際の自分の体験をお話ししてください。ここで一般論や学術的な話について議論しても何の意味もないと私は思います。実際に創価学会員が何をしてきたのか。結果、どうなったのか。そのことを当事者として語っていただく。それがこのブログの存在意義だと思っています。どうか、よろしくお願いします。

たとえば、この前のスレッドのテーマである「創価をやめてバチが当たりましたか?」というのも、創価をやめたらバチが当たるんじゃないかという恐怖心によって創価に逆らえないまま苦しい毎日を過ごさざるをえないでいる学会員がたくさんいらっしゃるんです。だから、実際に創価をやめてバチが当たるのか当たらないのかを多くの方に体験として語っていただけたら、バチという恐怖心によって不幸になっていた自分を解放できる方がいらっしゃるだろうという単純明快な考えで作ったものです。はたから見たらほんとうにばかみたいな話ですが、こんなばかみたいな話を真に受けて苦しんでいるのが創価学会員なんですよね。創価を知らない人が聞いたら呆れて話にも何もならないようなことなので、理解してほしくても無理なことなんです。でも一度は創価に騙されてバチの恐怖に囚われたことのある方にはとてもよく分かるし、だからこそそんな経験のある方に「バチなんかあるわけないよ」と語っていただけることは、とても大切なことだと思います。バチに限らず、創価のあらゆることが会員からお金を騙しとるための嘘っぱちであることを、膨大な量の体験として積み重ねること。これがこのブログの一番の存在意義のあるところです。創価が詐欺であることの事実関係を語ること以外に、思想、哲学、宗教、科学についての正しい正しくないといった議論は、少なくともここでやるようなことではないと思います。話の流れの中で「私はこの人の思想に共感します」とか「この哲学者の考えや生き方は素晴らしいと思う」ということは当然出てくると思います。それはそれでまったくかまいません。それを「いやそれは違うだろ。なぜならこれこれこういうことだから」などといった議論がここでは意味をなさないということです。たとえば創価問題を語れば当然公明党や政治の問題にもつながってきます。そんなとき、私も「共産党の方がよっぽど正論を貫いている」なとと言うこともあります。だからと言って私は共産主義者ではありません。トランプ大統領を頭から否定するものではありませんし「プーチンって意外といいやつかも」なんて言ったりします(笑)こんなことをいちいち議論しててもしょうがないのと同じように、ここにコメントされる方の個人的な思想信条に立ち入っての議論は意味がないと思います。
「おらぁとなり村の花子が好ぎだぁ」
「ゔぇ〜おめえも花子が好きだっぺか〜?」
「なにぃ?お前にはよし子っちゅうめんこい女房がおるが〜このゲス野郎が〜」
「そういうおめえこそ八百屋のおかみさんとできちまったでねえか〜」
結局はネット上の議論というのはこんなレベルに終わるんだろうと思いますよ(笑)。
だってどこの誰か知らない者同士の言葉だけの会話なんですから。
みなさん、ここであらためてこのブログの趣旨を確認させていただきます。
ここは各々の思想信条を議論する場所ではありません。
創価問題を具体的な体験として積み重ねていくところです。その体験をどのように受け取るのかは、読む人の自由です。どんな受け取り方をしようが自由なんです。そこに誰も異論を挟むことはできません。事実は事実。個人の考えは個人の考えです。良いも悪いもありません。
そしてもう一つ、対話とは相手を思いやる言葉でしか成り立ちません。自分が正しいなどと思っている人は誰からも相手にされなくなる。それは創価学会員としての経験で身にしみました。その心の傷がわかる人が、ここにはたくさん集まっていただいているのだと思っています。

ということで、今回のテーマは「創価が詐欺だと知ること」とさせていただきます。

ちょっと抽象的ですが、このブログの趣旨をしっかりとわかっていただいた上で、みなさんのここでの対話をより意義あるものにしていただきたいと思っています。

創価が詐欺だと気づいても「なんだそうだったのか」と明日からキレイさっぱり忘れて生きていくことができないからこそ、こうして多くの皆さんが悩み苦しみ、どうやって生きていこうかと日々模索しているわけです。もともと創価と関わりのない人には、この生きづらさは恐らくは理解できないだろうなとも思います。また、自分はそうでなくても親兄弟や伴侶や子どもが創価に洗脳されていたら、それも辛いですよね。そうした中で、どうすれば自分の大切な人に創価が詐欺だと気づいてもらえるのか。そこに対話は生まれるのか。私も身内では兄夫婦だけがガチガチの創価脳です。果たして創価に全てを捧げてきた70歳の兄夫婦が「創価が詐欺だ」と気づくことが幸せなのかどうかもわかりません。兄弟の縁を切るところまで覚悟してでも対話をすべきなのか。そして兄夫婦が創価が詐欺だと気づいたときに、果たして彼らに何が待ち受けているのか。自分の一生は騙され続けて、最後の最後でそのことに気づいて死んでいく。あの「おじいさんとおばあさんの薬の話」ではありませんが、高齢者にとっての創価からの覚醒が何を意味するのか、今も私はわかりません。

そこで皆さんにあえてお尋ねしたいのが、

一つは自分の大切な人を創価から覚醒させた方の実体験です。

もう一つは、高齢の創価脳の方に創価が詐欺だと気づかせることについてどう思われますか?ということです。

みなさん、それぞれの体験をどうかよろしくお願いします。

創価をやめてバチが当たりましたか?

009さん、ありがとうございます。
全くその通りで、いま年度末にかけての仕事でてんやわんやしておりまして、皆さんのコメントを読んで公開するので精一杯です。お気遣いありがとうございます。
もし、これだけ創価が詐欺だと言い続けて、少なからぬ影響のあるサイトを運営している私がやっていることが謗法であるならば、何らかの形でバチが当たっても良さそうなものですが、そんなの全くないどころか、仕事も順調、創作活動も思ってもみなかったほどの大きな飛躍が始まりました。この歳になって、これほど前向きに創作活動ができる機会に恵まれるとは思ってもみませんでした。まあ、創価は人を騙して会員からお金を巻き上げる単なる詐欺であって、決して宗教なんかじゃないのですから、私にバチが当たるなんてオカルト的なことがあるわけないんです。もちろんそれは誰にだってそうです。創価なんか関係なく、人は生きていればいいこともあれば悪いこともある。その起こったことにどんな意味を見出すのかはその人次第です。バチが当たるかもしれないなどと一生怯えながら生きていくのか、それとも悪いことがあった時に、現実をきちんと踏まえながらそれをどう捉え、どうやって乗り越えていくのかを説いたのが本来の釈迦の教えだったのではないかと私は思っています。釈迦や日蓮や曼荼羅やその他何でもいいんですけど、そういう対象物を拝んだら幸せになれるとかなれないとか、そんなのただのオカルトでしかないと私は思います。
ということで、今回のテーマは「創価をやめてバチが当たりましたか?」にさせていただきます。学会員さんは常に「創価に逆らったらバチがあたるぞ」と脅され続け、怯え続けて生きています。普通に考えたら、そんなバカなことがと思われますが、実際の話、創価の活動を真面目にやればやるだけ、その恐怖心というものが増殖していき、創価から離れられなくなっていき、なおかつ一般常識から離れたとんでもない価値観によって、物事の優先順位がめちゃくちゃになります。それはみなさんからのたくさんのコメントからも嫌という程伝わってきますよね。
「創価をやめてバチが当たりましたか?」という質問に対する皆さんの率直な感想を教えてください。よろしくお願いします。
なお、このスレッドからはいつものようなルールでいきます。つまり、初めてコメントされる方は、普通に挨拶と自己紹介から始めてください。内容がどうであれ、まず挨拶や自己紹介すらできないような人としての常識のない方のコメントは即削除させていただきますので、よろしくお願いします。

祝!500万アクセス達成!

みなさま、とうとう500万アクセスを達成することができました!

本当にありがとうございます!

このブログ「対話を求めて」を始めてから5年と2ヶ月。途中、2度の休止期間はありましたが、こうして第三ステージに突入し、日ごとのアクセス数も確実に伸びていく中で、この記念すべき500万というアクセス数へたどり着くことができたのも、創価学会が詐欺だと気がついた多くの創価学会経験者の真実の声があったればこそと、心から感謝しております。つきましては、この記念すべき機会に、より多くの方に「創価学会は詐欺だと気付いた」ということを、あらためてその具体的な期日とともに、このスレッドのコメント欄に宣言していただければと思っております。どうかよろしくお願いします。

これからも「対話を求めて」は、創価学会は宗教などではなく、たくさんの人々を欺き不幸に陥れながらお金をだまし取っていくだけの汚い詐欺団体であるという事実を、皆さんの実体験を通じて世に知らしめていきたいと思っております。一人でも多くの学会員がこのことを考え、気づき、人生の選択を自らしていくことができますように願ってやみません。

これから100万アクセスごとに、覚醒できた皆さんとともにお祝いしていきたいと思いますが、大きな目標としては、やはり1000万アクセス達成であると思います。この調子でいけば、再来年の4月に1000万アクセス達成の計算となりますが、これまでの増加率を加えますと、来年末に1000万アクセス達成も不可能ではありません。来年末には、創価学会から静かに去ることができた多くの皆さんとともにお祝いできる日を夢見て、これからも頑張ってこの「対話を求めて」を続けてまいりたいと思っております。

どうか、これからもよろしくお願いいたします!

では、皆さん、「私は創価が詐欺だと◯年◯月に気がつきました」もうこれだけでもいいですのでコメントください。このスレッドに限り、普段コメントしてない方も自己紹介なしで結構です。どれだけの数の人が「楚歌学会は詐欺だ」と気付いたのか、きっちり示しましょう!

まじか!500万アクセス!

おかげさまで、どうやら後2週間ほどで500万アクセス達成の模様です。

二月になるかならないかのところだと思われます。

みなさん、用意はいいですか〜〜!?(笑)

500万アクセス達成の時は、え〜〜と、何をやるんだったかな?

あ、まず、みなさんからのコメントは、初めての方でも面倒な自己紹介をしなくても、ちょっとした一言だけでもOKということにします。

え〜〜と、それからもう一つ500万アクセス達成特別ルールを決めたような気がするんですが忘れました(笑)

どなたか覚えていらっしゃる方、教えてください。

ということで、前スレのコメント数があっという間に100超えていたことに気づいてませんでした。宴たけなわでございますが、そろそろ次のスレッドにさせていただきます。

で、今回のテーマは500万アクセス達成間近!ということで「まじか!500万アクセス!」とさせていただきます。あと2週間ですから、そろそろお祝いムードを盛り上げていきたいなと(笑)

そこで、みなさんにお聞きしたいのは、このブログのこれまでのすべてのスレッドの中で、特に一番印象に残ったスレッド、あるいはどなたかのコメント、あるいはどなたかとの対話など、今でも忘れられない箇所というものがありましたら紹介してください。

いわば「対話を求めて総集編忘れられないあの人あの言葉」って感じです。

また、まだ創価が半信半疑の状態でこのブログを恐る恐る覗いたとき、創価の真実を読んで知ってあまりの衝撃に震えたときの箇所を教えてください。

例えば『創価は詐欺だ』という言葉に「そりゃいくらなんでも言い過ぎと違うんかい」って思った人も多いと思います。しかしその後を読んでいくうちに「創価が詐欺でなくてなんなんだ」となっている自分に驚いたはずです。

このように、このブログが始まってから加速度的に読者を増やし、たくさんのコメントが増えていく中で、創価が詐欺であることの証拠がこんなに集まりました。みなさんから寄せられる真実の体験は、すべて「創価は詐欺だ」という揺るぎない証拠となったのです。そしてその証拠を500万アクセスという形で多くの人が目にする結果となりました。

残念ながら、創価問題は多くの人の人生を取り返しのつかないものにしてきました。それはもうどうにも取り返すことなどできません。私たち創価被害者である反面、創価加害者でもあったということを念頭に入れながら、創価がもうこれ以上に人間を不幸に陥れることができないように、創価が詐欺であるという証拠を、これからももっともっと積み上げていきましょう。それが創価から覚醒できた私たちのせめてもの償いではないかと私は思います。一人では何もできません。創価のような国政をも動かすような巨大権力を持つ詐欺団体に、個人が太刀打ちできるわけがありません。しかし、幸いネット社会において、個人の情報発信が大きな力を持てるような時代になりました。

2011年12月6日。このブログの一番最初のスレッド「シニフィエブログのスタートです。」に、このように書きました。

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『対話を求めて』シニフィエのブログへようこそいらっしゃいました。

私は地方都市に住む普通の一般市民シニフィエと申します。自営業を営みながら、妻と子ども一人の三人暮らしをする中年男性です。

このブログは、対話の場としてつくりました。対話とは、闘いではありません。互いの考えをぶつけあって、どちらが正しいのかを競うようなことを対話とはいいません。私は対話とは「他者を認めること」だと思います。互いの存在を認めあうこと。たとえ考え方は違っていても、互いの考え方・生き方を尊重し認めあうところに対話が生まれ、対話の中に互いの相違点や共通点が明らかになり、信頼関係が築き上げられます。そしてそこに無益な闘いは生まれません。しかし今の日本にはその対局にある考え方をする大きな集団があります。

「世の中は一つの考えこそが正しくて、それ以外はみな間違いだ。そんな間違った考え方をしているから不幸になる。そして自分たちの考えることこそが正しい考えであり、それ以外はみんな間違っているから不幸になるのであって、自分たちと同じ考えをするようになれば世界中の人が幸せになれる。自分たちの考えを批判することはそれだけで不幸になり、逆に自分たちの考えに従うものだけが幸せになれるのだ。だから、自分たちは世界中の人々を幸せにするために、自分たち以外の考え方をする人を片っ端から否定することが正義であり、そもそも自分たちの考え通りの世の中にすることを使命としてこの世に生まれてきた。それは一人の偉大な師匠に従うことで実現できる。何も疑うことなく、この偉大な師匠についていくことが人類の世界平和の唯一の道なのだ。」

ふつう世間一般の人は、こうした極端な考えを信じて排他的な行動をする集団をカルトと呼びます。これはかつて日本を震撼させたオウム真理教のことを言っているのではありません。このような思想のもとに今の現実の日本の権力構造に深く入り込んでいる強大な権力組織。ふつうに考えれば、こんな幼稚でひとりよがりな思想に頷く人がいるはずはないと思いますが、しかし今の日本の何百万もの人が、こうした考えのもとに日々行動しているという驚くべき事実があるのです。それが創価学会です。

そして私は53年間、この創価学会の一員として活動をしてきました。今でもなぜこのような恐ろしい集団の中にいたのか不思議でなりません。おそらく私と同じように多くの人が、この恐るべきマインドコントロール下に、自分で物事を考えることを放棄して、池田大作というたった一人のカルトのカリスマに盲従しているのだと思います。

マインドコントロール下にある人に、自分の異常さをいくら言っても理解できません。特に創価学会のような徹底的な排他思想を植え付けられていては、外部から何を言っても聞く耳をもたないどころか、普通に対話を試みても自分たちを批判したとみなし、世界平和を妨げる魔と決めつけるような洗脳までされているので、もとより対話など成立しようがないのです。

先日、私はひとつの試みとして、典型的な組織の末端会員への対話を試みました。それがこのブログです。
http://sokanomori.exblog.jp/17098281/
ここをご覧いただければわかると思いますが、やはり対話どころか、私を罵倒した挙げ句にナリスマシと勝手に決めつけ、一方的にアクセス禁止にしました。
その後、この学会員ブログにもよく登場する別の会員のブログに行き、私の真意を書いたのですが、やはりそれでも対話など成り立つはずもありませんでした。
ある程度予想はしていたのですが、このあまりに非論理的なそして攻撃的な態度に、今まで自分もこのような組織に加わっていたのかと考えると、ほんとうに恐ろしくなりました。彼ら自身の暴力的な発言が、一般の人に対してどれだけ非常識さや反社会性や違和感を感じさせているのかさえわからないでいるのですから、これをカルトと呼ばずして何であろうと思いました。

この経験で、私ははっきりと創価学会の異常性についての確信が持てましたし、これまでの私の創価学会員としての経験を、やっとのことで客観視することができました。振り返ってみれば、どれもこれもおかしなことばかりです。この異常さに気づかせないことがマインドコントロールの恐ろしさであるし、創価学会の結束力の根拠でもあります。そういう意味ではこのお二人のブログ管理人に感謝しています。

現在、創価学会員の数は文化庁発表で推定約500万人(学会の発表ではその数倍の数)。いづれにせよこの数の人たちが建前とはいえ、上記のような排他的な思想を持たされて活動していることの異様さを、私はもう見逃すことができなくなりました。つまり創価学会とは多くのマインドコントロールされた被害者の集団だということです。こうした思いからまずこのブログを立ち上げることにしました。

池田大作名誉会長ひとりのカリスマ性に頼って運営してきた創価学会は、いま大きな転換期にさしかかっています。カリスマの健康状態が悪く、すでに1年半以上も人前に出ることができなくなり、指導体制がとたんに弱くなった組織から、脱会者や活動から離れる会員が続出し、また私のようにマインドコントロールから脱却する会員も増えています。逆に、あたかもカリスマが元気であるかのように粉飾し、疑うことを知らずに育った学会2世3世の多くを副会長に登用し、地方での活動拠点になる会館の建設ラッシュは、むしろ組織上部の悪あがきのようにも見えます。私はここで創価学会の行なってきた多くの矛盾を語りたいのは山々ですが、私一人が多くを語るよりも、さまざまな立場の方が対話を通じて創価学会の客観的な姿を浮き彫りにすることがより意義のあることだと考えました。創価学会の活動家、未活動家、脱会者、反学会を標榜する方、学会から被害を受けた方、学会とは関わりのない一般の方などなど、さまざまな立場の方に、今の創価学会をどう見るべきなのかを、冷静な対話によって浮かび上がらせることができればと思っています。

もちろん、きれいごとでは済まないことです。白バラ通信というブログを立ち上げられている大学教授の高倉良一氏は、まさに命がけで創価学会の異常さを世に問うていらっしゃいます。おそらくこのような動きはこれからあちこちで起こってくるでしょう。私のようにマインドコントロールから抜け出す人も加速度的に増えていくと思われます。しかし、ひとつ忘れていけないのは、創価学会員の多くの人が被害者でもあるということ。もちろん多くの人が加害者でもあるのですが、こうした精神的ねずみ講のような悪のスパイラルに組み込まれた人にとって、そこから抜け出すことのできる何かのきっかけをつくることは、意味のないことではないと考えます。そうした意味でも、ここで本当の意味での対話が交わされることを願ってやみません。みなさま、冷静で建設的な、なおかつ忌憚のないご意見をお聞かせくださればありがたいです。

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今からおよそ5年前。「創価学会は宗教ではなく詐欺だった」という衝撃的なことを受け入れるには、あまりに酷なことでした。しかしその現実を受け止めないかぎり、自分の人生はもはや一歩も進むことができないという崖っぷちに立たされた時でした。どうすればいいのか。私はまず今自分の身に起こっていることを整理して把握する必要があると思いました。ただただ狼狽しているでけでは済まされない。そこで言葉にしようと思いました。自分が考えてきたこと。そして自分の考えが根こそぎ間違っていたこと。どうして間違いだと気付いたのか。これからどうすればいいのか。他の人はどう思っているのか。とにかく言葉にして整理することでなんとかこの恐ろしい状況をどうにかしようと思いました。

そしてその結果、このブログは多くの「創価からの覚醒者」が集う場所となり、さらに創価に疑問を感じた人が、創価が詐欺であることの確信をつかむきっかけとなることができました。途中、いろんなトラブルこそありましたが、こうして500万アクセスという前代未聞のアンチ創価ブログへと成長することができました。「創価学会」をググると、トップに出てくる創価学会の公式ホームページのすぐ下に、この「対話を求めて」が表示されるまでになりました。このブログの存在によって、創価学会が詐欺であることに気がつく人が一人でも多く現れたら、このブログを立ち上げた甲斐があったと思います。

500万アクセス達成を目前にして、またこれから1000万アクセス達成を目指して羽ばたくためにも、皆さんから特に印象に残った箇所を紹介していただけたらと思います。

よろしくお願いします。

これを書いている途中で思い出しました!

約2週間後に予定している次のスレッドの「500万アクセス達成記念特別ルール第二弾」は

「私は創価学会が詐欺だと◯年◯月に気がつきました」ということを必ず書いてくださいということです。

どうかよろしくお願いします!

いまどきの学会員

やはり第3シーズンになって、皆さんのお話がパワーアップしてますよね。年が明けて、まだ9日しか経っていないのに、180件ものコメント。それもどれもが驚くほどの深さで語られています。管理人としても、もっとゆっくりと噛みしめて読んでいかないといけないし、お一人おひとりにお返事をしていきたいのは山々なんですが、もうそれだけで1日が過ぎてしまいます(笑)。なので私が管理人として最低限やらないといけないところだけでもしっかりとやっていきたいと思いますので、ここは温かく見守っていただいて、皆さん同士での対話を進めていかれてください。

前スレでは早くも5日で100件のコメントになりましたので、次のテーマに行きたいと思います。もちろんテーマに関係ないお話でも全然構いませんし、新聞やめました、非活宣言できました、仏壇と曼荼羅処分しました、脱会宣言できました、晴れて正式に脱会しました、家族が覚醒してくれました、などなどの嬉しいご報告もお待ちしています。

また、バリ活の家族と喧嘩してしまいました、地区幹部に苦しい胸の内を相談しましたが「題目が足りない」としか言われませんでした、断っても会合への誘いがあります、いくら断ってもしつこく家庭訪問にやってきます、個人情報が組織内でだだ漏れです、組織内であらぬ噂を立てられて困っています、活動したくないと言ったら「ど〜しちゃったの〜?」と、さも親身になっているようなつくり笑顔でやってくる幹部が気持ち悪いです、などなど、実際に身近な学会員の言動に困っていると言った話でも結構ですので、ぜ〜んぶ吐き出しちゃってください。

ということで、しばらく重いテーマが続きましたので、今回のテーマは「いまどきの学会員」とさせていただきまして、皆さんが直接接してきた学会員、あるいは今も何かにつけてやってくる学会員、あるいは自分が脱会したために、突然手のひらを返したように無視する学会員など、皆さんが実際に会って話をしたリアル学会員のお話と、そのありえないほどの非常識さ、反社会的行為の数々を、客観的にぶちまけちゃってください。感情的にならないで、実際にあったこと、あっていることを、冷静な視点というか、ごく一般的な人間の視点によって観察した結果を報告していただけるとありがたいです。

学会員は程度の差はあれど創価の都合おいいように洗脳されているので、物事の価値判断の物差しが壊れています。この壊れ具合がどの程度のものなのか、そしてなぜにこれほどまでに壊れてしまうのかを、実際の事例をあげながら確認していければと思います。どうか、よろしくお願いします。

今回は軽いノリでバンバン書き込んでくださいね〜

これからどうしますか?

おかげさまで、今年に入ってからのアクセス数が1日8000越えです。かなりの数の人が「創価は詐欺」ということを認識してきたのではないでしょうか。「創価学会」でググってみると、私のパソコン画面では、聖教新聞公式HPよりも先にこのブログが出てきます。「創価学会ってなんだろう?」とネットで調べようとした人のほとんどが閲覧するサイトになりました。

去年は3ヶ月の休止期間があったにもかかわらず、約200万アクセスがありました。今年はさらに上回るでしょう。何度も言いますが、このサイトは創価を知らない人が創価の悪口を言っているのではありません。創価学会員としてまじめに活動してきた方の、真実の声が集まっています。これまでどれくらいの数の人がコメントしていただいたかはわかりませんが、そのほとんどが「創価は詐欺だと気がついた」という結論です。10人や20人じゃありません。少なくとも数百人の方が「創価は詐欺だった」と断言されているんです。それもそれぞれに自分の実体験を通じて出した結論が「創価は詐欺だった」というものです。これを誰が否定できますか?どうやったら数百人の実体験から来ている結論を覆すことができるでしょう。できるわけがありませんよね。このブログに価値があるのは、これだけ多くの信頼に足るコメントが常に増え続けているということです。時間とともに創価が詐欺だったと気づいた方のコメントがどんどん増え続ける。そしてそのコメントを見る方もどんどん増え続ける。あと一月ほどで500万アクセスが達成します。今のペースでいけば1000万アクセスは2年半後。勢いを計算に入れると、2年後に1000万アクセスも夢ではありません。2019年の初めには1000万アクセス到達ということになったら、外国人記者クラブで記者会見しようかな(笑)
ま、それは冗談ですが、一月後に迫った500万アクセス達成記念の日には、やはり皆さんとお祝いしたいですね。先日も書きましたように、池田のXデーが来れば、そこから創価は一気に崩壊すると思われます。多分、その日は突然やってくるでしょう。その日まで、相変わらずメッセージだの小説の連載だのと平然と池田元気説を言っておきながら、突然「池田先生がお亡くなりになりました」と発表こそすれど、その死に顔などは葬儀でも公開されず、喪主になるであろうカネコ夫人も人前に出せるわけがないので、息子の博正が喪主かな。いずれにせよ密葬になるのではないでしょうか。全国の洗脳学会員はしばらく池ロス状態が続くでしょうね。で、それが収まってくると、次第に学会員は夢から覚めるのではないでしょうか。「これから何を支えにして生きていけばいいんでしょう。ダーハラ?まさか(笑)」「俺は今まで何をしてきたんだ?」「私、もう50年も信心してるのに幸せになってないんですけど」こんな声が内部でもポツリポツリと出るようになり、昨年末にここでもテーマにした「活動家時代の本音」が組織内でも出るようになったら、あとはガラガラと崩れていくことになるのでしょうね。「こんなダッせえパステルスーツ着れるかよ。おてもやんの化粧もだよ」「男子部長のどこが偉いんだよ、プー太郎のくせしやがって偉そうに」「仕事休んでまでタダで牙城会やらせるなんておかしくね?」全国の現役学会員のいろんな愚痴が止まらなくなるでしょうね。
どんなに長くても、この10年の間に池田Xデーはやってきます。池田大仏さんが姿を現さなくなって6年半。いくらなんでも100歳まで元気に生きていることにするのは無理がありすぎます。っていうか、今の時点ですでに無理がありすぎるんですが、まだまだ学会員が騙され続けている限りは、元気なことにするんでしょうね。でも本当に亡くなったら、さすがにごまかしはききません。死亡届を役所に出さなきゃいけないし、火葬するにも許可が要りますし、勝手にやったら犯罪ですからね。池田大仏のXデーはいくら創価でも隠すにはリスクが大きすぎる。でもそこから学会員はごっそりと減るでしょう。会員が減ればお金が集まらなくなります。お金が集まらない創価学会は、創価の最高幹部にとっては大赤字を抱えた会社みたいなものです。維持すればするだけ金がかかってしょうがない。だから最高幹部でさえ「やってらんねえ」ってことで、何かにかこつけて去っていくでしょう。それより会員を騙してきたことの責任を問われたらどうしようもなくなるので、そこは東電の社長や役員のように家族もろともドバイなどの外国に雲隠れするかもしれません。学会員さん。創価が斜めになった時の最高幹部の様子をしっかりと見ておいてください。創価学会が宗教ではなくただの詐欺だったことがはっきりとわかりますよ。
創価学会もあと10年の寿命と考えると、ちょっとワクワクしませんか。やっと「創価は詐欺だった」ということが社会的にも明らかになるんです。「創価学会被害者の会」とか「創価学会詐欺事件対策本部」「創価学会訴訟団」などの言葉がニュースを飾るでしょうね。役所には創価学会専用の相談窓口が必要になりますね。もちろん公明党は解散。当然、連立を組んでいる自民党は知らん顔。すっかりなかったことにするでしょう。ニュースはもちろんワイドショーもすごい勢いで特集を組むでしょう。学会員の芸能人が「私も騙されていたんです」みたいな涙ながらのインタビューが流れるでしょうね。聖教新聞を印刷している毎日新聞は大打撃。シナノ企画や創価専門仏壇店は軒並み倒産。他にもたくさんの創価関連企業は窮地に追い込まれます。日本全体が相当なパニックになると思います。反社会勢力とのつながりも相当なものですから、やはり最高幹部は雲隠れするしかないでしょうね。警察や法務省に入り込んでいる創価キャリアも肩身が狭くなるでしょうね。学会員はみんな嫌でも気づかざるをえなくなる。あの3人組も。白いブランコさんも。このブログに殴り込んできた創価スイッチ全開の学会員もです。10年以内にこのブログでずっと訴え続けていたことに間違いはなかったということがはっきりすると思うと、なんだか目標がはっきりしてきていいですね。その頃はこのブログのアクセス数も1億になっているでしょう。ちょうどいいタイミングかもしれません。みなさん、よろしくお願いします。

ということで、今回のテーマは「これからどうしますか?」とさせていただきます。

ちょっと抽象的なテーマですが、創価が詐欺だと気づいた方は、多かれ少なかれ精神的なショックは免れません。特にかなり年取ってしまうまで騙され続けてきた人にとっては切実な問題です。また、まだ創価に未練がある方も「創価をやめてどうなるんだろう?」というのが不安な方もいらっしゃるでしょう。そこで今回は、創価が詐欺だと気づいて、なんとか辞められた方が、その後どうやって人生を立て直すことができたか。人生とまで言わなくても、気持ちを立て直すことができたかを、具体的にお話ししていただけたらありがたいです。もちろんその途中である方が多いでしょうから、途中経過で構いません。要は、まだ創価をやめるか迷っている方へ「創価をやめても大丈夫ですよ」ということを実際の経験を通じてお話ししていただければということです。

時々いらっしゃるのは「創価がダメだったので正宗に行きました」とか「創価はもうこりごりなので、どこの宗教がいいでしょうか」「創価をやめて何を信じて生きていけばいいのでしょうか」などなど、とにかく何かにすがっていなければ生きていけないと言った方が意外といらっしゃるということです。まあ、「創価を信じてお金を貢げば幸せな間違いない」ということを信じ続けてきた人にとっては、突然ハシゴを外されるようなものですから、別のハシゴが見つからないことには不安なんでしょうね。「世の中には幸せになれる秘密の法則みたいなものがあって、限られた人間だけにその法則と巡り会える」みたいな事を本気で信じているような人です。新興宗教はおしなべてそんな絵空事をまことしやかに語って「奇跡」みたいなことを信じさせます。新興宗教に限らず伝統宗教の多くも似たようなもののようです。終末思想とか輪廻思想、選民思想もそんなところから発生してきました。学会員にとって、御本尊も日蓮もいわゆる「神様」なんですね。この世はなんでもできる全知全能の神様がいて、その神様に気に入られれば絶対的な幸せになれる。気に入られるようになるには、自分ではなにも考えず、神様を信じて、言われるだけお金を出すことだと信じてしまう。これが伝統・新興に関わりなく怪しい宗教に共通する詐欺行為です。キリスト教もローマ帝国を維持するために教義さえも変えながら維持されてきました。それに反発したプロテスタントも、その巨大化する組織を維持するために国家権力と結びついたり、国家権力に利用されたりして、戦争までも繰り返してきました。言ったい宗教って何だろうって思いますよね。イスラム教とキリスト教は同じ「神様」を信じているにもかかわらず、何千年にもわたって戦争しているんです。仏教も、それ以前のバラモン教やヒンズー教や土着信仰が合わさり、ブッダの教団によって、ある程度刷新されたにもかかわらず、結局のところは長い時間と伝播していく長い長い距離の中で変容していき、いつの間にやら最初の仏教とは似ても似つかないものになって日本に伝わってきました。さらに日蓮など、そんな変わり果てた仏教をさらに自分の都合のいいように解釈して、あろうことか自分が全知全能の神様だと言い始めたんです。ここは諸説あるところですが、特に極端な解釈をしてきたのが日蓮正宗であり、それを利用して詐欺の道具に使ったのが創価学会なんですね。いつも言いますが、何を信じても勝手ですが、よくまあそんなもんを大の大人が真顔で信じれますねって話です。

こういう私も5年前まで信じてたんですがね。信じていたからこそ、今でも信じている人のそのありえないほどの思考停止がわかるんです。「自分は世界で唯一の正しい信仰に巡り合って、絶対に幸せびなれる方法を知っている」と天狗になっている。しかし心の底では「いつどこでバチが当たって恐ろしい目にあうのかわからない」と震え上がっているんです。他人には上から目線のドヤ顔で威張り散らし、他人を哀れむような目でしか見れないですが、家に帰ればバチが強くて震え上がっているんです。それが創価学会員の本当の姿です。洗脳されているうちは決して認めませんがね。

さて、また話が長くなってしまいました。すみません。

「これからどうしますか?」という問いかけは、信じていた創価が詐欺だとわかったあなたはどうしますか?という意味です。ということは、気づいた方は、その後はどうされましたか?という質問に対して、自分はこうしました。こうしようとしています。実際にはこうだったです。と言ったことをお話ししていただけると嬉しいです。よろしくお願いします。

もう一つお願いですが、このブログに初めてコメントされる方は、一般常識レベルの自己紹介をお願いします。コメントの内容に関わらず、初めてなのに挨拶や自己紹介のできない方のコメントは承認しません。それから多少とも幾つかのスレッドを読んでからコメントしてください。コメントするにあたり、特に難しいことを要求しているわけではありません。人として当然の礼儀をわきまえていれば何の問題もなくコメントできます。それでもコメントが承認されないというのは、よほど一般常識がないのだと判断してくださって結構です。こんなこと書きたくはありませんが、たまにいらっしゃいますので、あしからずということで。