「この質問を幹部に聞いたら、何も答えられなくなるよ!といった、オススメの質問教えてください」

ってことで(笑)、前のスレッドのコメントに創価大出身の現役活動家であるポン太さんからナイスな質問がありましたので、あらためてこちらで皆さんからの回答をお待ちします。

創価の幹部にしたら何も答えられなくなるような質問って、いくらでもあると思います。

「池田大仏先生は今どこで何をしているかを知っているのは、創価の組織ではどこまでですか?あなたはもちろん知りませんよね。例えば会社の幹部が社長の顔すら5年も6年も見ないで、どこで何をしているのかも知らないなんておかしいと思いませんか?あ、思いませんね。なるほど」

「創価の御本尊は日蓮正宗の御本尊を日蓮正宗に無断で改ざんしたカラーコピーなんですが、元になった日蓮正宗のオリジナルの御本尊を認めずに、それを改ざんしたカラーコピーにだけ力があると教義の変更をしたんですけど、それっておかしいと思いませんか?あ、思わないですね。なるほど」

「現在の創価学会では、日蓮正宗の改ざんカラーコピー御本尊であっても創価学会員が拝むと絶対に願いが叶う。絶対的幸福境涯になるだろうと言っていますが、あなたは今までにその絶対的幸福境涯になった学会員を見たことがありますか?見たことない?みんな人間革命の途中?でも人間革命の途中で死んでしまった学会員も何百万人もいますよね。生まれかわってから絶対的幸福境涯になるとでも言うんですか?それって創価学会が保証してくれますか?ってか、これまで絶対的幸福境涯になった人を見たこともないのに、なんで自分が絶対的幸福境涯になれると思ってるんですか?あ、思ってる。ああ、そうですか。誰も見たこともな絶対的鼓腹境涯に自分はなれると思ってるんですね。それも日蓮正宗の改ざんカラーコーピー御本尊にひたすらお題目を唱え続けていればなれるだろうと思ってるんですね。なるほど」

「幹部は会員に対して毎年財務を借金しても出せるだけ出しなさいと言っていますが、創価の職員はたとえ副会長レベルでも一律2万円と決まっているそうです。それっておかしいと思いませんか?あ、思わない。学会員がどんなに貧乏しても、ある金を出せるだけ出せば幸せになると指導しても、自分はちゃっかり2万円だけ出すの、普通ならおかしいと思いそうな気もするんですが、創価学会ではそれが常識なんですね。なるほど」

「創価学会は会員数も財務の収支も公表しませんが、その理由を答えられますか?っていうかその理由なんて知らないから答えられないですよね。創価は幹部だろうが肝心なことは知らないですよね。最高幹部以外は、ほとんど知っていることは同じです。だから会員は指導を受けてもみんな適当にはぐらかされるだけ。あなたがどんな質問をしても、ほほ100%答えきれないのが幹部の正直なところです。これは、あなただけのじゃない、全国の創価学会がこの調子です。会員は、肝心なことは何も知らないし、知ろうともしない。それが創価学会の組織ですよね」

今思いつくだけでもざっとこんな感じです。細かいことを言い出したらきりがありません。創価の幹部は創価について何も知らないということです。だからどんな質問だろうが、ポン太さんが知っていること以上のことは幹部は知りません。つまり、ポン太さんがどんな質問をしても幹部は何一つ答えることはできません。

ポン太さんが幹部に質問をする前に、私はその結果を予想してみましょう(笑)

これはどういうことかというと、創価が正しい宗教であるという前提自体に無理があるということです。もし創価が正しい宗教であるならやるはずのないことを、実際の創価はいくらでもやっているので、そのつじつまが合わないから説明のしようがないんですね。もし創価が詐欺団体だということを前提にすれば、何もかもがつじつまが合ってしまう。それに気付かせないようにするために、幹部は会員に何も考えさせないような「指導」をするわけです。創価の指導というのは「何も考えなくていいから言われた通りにしなさい」ということだけですよね。創価ではそれさえ言えれば立派な幹部です(笑)。それも幹部である自分も考えずに会員にそうした「指導」ができるのが幹部としての唯一の条件です。つまりバカになれれば幹部になれるということです。言ってみれば創価というのは言えばなんだってする危ない思考停止集団です。活動が辛かったり理不尽だったりしても創価に疑問を持たずに、みんな自分のせいにしてますます思考停止して活動に励むようになる。これが創価学会の幹部の見本です。そんな幹部に「答えられないような疑問」をぶつけても何の意味もありません。まず間違いなく質問には答えずにはぐらかすだけです。目に見えています。そしてそんな困るような質問をしてきたあなたに対して「信心が足りない」「魔が競ってる」「どうしたんだ、信心がおかしくなってないか?」「この信心を疑うと地獄に落ちるぞ」「何も考えなくていいから師匠の池田先生を信じて頑張ろうじゃないか」「もっと真剣にお題目をあげよう」というのが関の山です。唱題というのはつまりは思考停止メソッドでしかありません。お題目を必死であげているうちに、わけのわからない高揚感とともに、いろいろと思い悩んできた自分がアホらしくなって、一人ウルウルしながら「もう余計なことを考えるのはやめにしよう!これからは愚直に創価を信じ切って活動に専念していこう!」と、つまりは楽な道に流されるのです。「何も考えずに言われた通りにしていれば絶対的幸福境涯に自然となれるんだ。御書にもそう書いてあるじゃないか。よおしっ!先生第一、信心第一に明日から活動に励むぞ!」ということで創価脳のいっちょあがりです(笑)

ポン太さんは、活動の辛さや理不尽さがきっかけで、これまで養われてきた創価脳の一部が崩れて覚醒の芽がちょっとだけ出てきたんですよね。創価スイッチや創価シャッターがあたりまえだった自分にも、どうにもこうにもつじつまが合わなくなった。普通の人間ならとっくの昔に気づくようなことでも創価脳は気づきませんが、幸いポン太さんはそうした機会を得ることができ、さらに幸いにもこのブログに行き着くことができた。おめでとうございます(笑)一旦、創価に疑問を持ってしまったんですから、おそらくもう後戻りはできないと思います。今まで当たり前だった創価の日常が、ことごとく異常な世界にしか見えなくなります。いや、本来ならそれが本当の姿なんです。それを「何も考えずに創価を信じること」がポン太さんの中心に据えられていたから、創価の非常識が常識に見えていただけのことです。ポン太さんの気がすむように、こちらで提案された質問を幹部という幹部にぶつけてみてください。機会があれば副会長にでもぶつけてみてください。支部長だろうが副会長だろうが、きっと答えは同じです。っていうか、ポン太さんが納得のいく答えは絶対に返ってはこないでしょう。場合によっては「そんな質問をするのは裏切り者だ」と逆ギレされて罵倒されるかもしれません。あるいは「ポン太くんは信心がおかしくなっているようだから相手にしないように」といいふらかされるかもしれません。あるいは「ポン太くん、心が不安定になっているようだから、いい病院を紹介するよ」とまで言われるかもしれません。そして紹介された先は学会員がやっている精神病院です。実際にそうしたことがあるんです。組織内に悪影響を及ぼすような幹部は精神病院にかからせて「あいつは頭がおかしくなった」とまわりの学会員への影響をシャットアウトする。

ポン太さん、幹部が困るような質問もして欲しいんですが、その幹部やまわりの学会員がそのことでどのように変わるのかをよ〜く観察してくださいね。それでこのブログに全てを報告して欲しいんです。あくまで客観的な視点を見失わずに幹部へ質問し、その答えを記録し、その後の幹部やまわりの学会員の態度の変化にも注意して欲しいです。きっとポン太さんは背筋の寒くなる思いをすると思います。脅してるんじゃないです。自分は今までこんなに恐ろしい組織の中で活動していたのかと腰を抜かすかもしれません。このブログにコメントされている方々は、みんなそんな経験を経て覚醒に至った方たちです。このブログにはポン太さんと同じような創価学会員の実際の経験が記されているということをポン太さんが受け入れられたときに、ポン太さんが創価学会員として歩んできたこれまでの人生を客観的に見ることができるのだと思います。

ということで、皆さんまずは「この質問を幹部に聞いたら、何も答えられなくなるよ!といった、オススメの質問教えてください」というポン太さんの質問にお答えください。創価の真実の姿に一人でもたくさんの学会員が気付いてもらえるようになってほしいと思います。よろしくお願いします。

創価が詐欺だと知ること

私がこのブログで最初に書いておりますように「対話とは討論ではない」ということです。そしてこのブログでは特に相手を理解するための対話であり、自分の意見を押し通すための論陣を張るような場所ではないという意味を込めて「対話を求めて」というタイトルをつけました。人となりのわからない者どうしが書き言葉だけで互いを理解しようとするのですから、そこには面と向かって行う通常の対話とは比べ物にならないほどのまどろっこしさや行き違いがともなうと思います。そうしたことを理解した上で、つまり相手のことを思いやった上でしか対話は成り立たないと思っています。自分の体験や考えを語るのは大いに結構なことですが、これはこういうものだ、あれはこうあるべきだという考えは、あくまで個人の範疇のものであり、それが自分の考えと違うという理由で否定する、あるいは見下すといったことは、創価学会員が無意識のうちに植え付けられた思考回路でもあると思います。創価学会の経験者は、覚醒することによって、それまでの自分が知らないうちにそのような高慢な態度を他人や家族にとってしまっていたということに今も苦しんでいます。ですから、このブログでは、そうした方々の気持ちを理解した上で、相手の気持ちを思いやった上で、言葉を選びながら対話を深めていただければと思っています。自分が創価に洗脳されていたことによって、友人を失い、恋人を失い、伴侶を失い、社会性を失い、仕事場や隣近所の人たちから後ろ指さされながらも、自分こそが正しいのだと自分に言い聞かせながら、非常識な言動を繰り返してきたことに対する後悔の念は、年齢を重ねれば重ねるだけ強い遺恨を引きずるものだとつくづく思います。ここで冗談を言ったり、替え歌で忌まわしい過去を笑い飛ばそうとする皆さんの心のそこには、そうした消そうとしても簡単には消せないものがあるからだと思っています。そうした忌まわしい過去の自分を理解できる方が集まっているからこそ、このブログに貴重なお話が積み重なっているのだと思っています。
もっと言えば、この場で、何が正しいとか、何が正しくないとか、そんなことどうだっていいんです。そんなことを問題にしているのではありません。もっと言うなら、ここは宗教の話をするところではありません。創価が宗教を利用した詐欺で、その詐欺の実態を体験として知っている方の声を積み重ねる。それがこのブログの目的です。そしてこれを読んで創価が詐欺だと気づいてくれる人が一人でも増えてくれればそれで十分だと思っています。創価学会がいかに多くの人々を不幸にしてきたのかを、実際の自分の体験をお話ししてください。ここで一般論や学術的な話について議論しても何の意味もないと私は思います。実際に創価学会員が何をしてきたのか。結果、どうなったのか。そのことを当事者として語っていただく。それがこのブログの存在意義だと思っています。どうか、よろしくお願いします。

たとえば、この前のスレッドのテーマである「創価をやめてバチが当たりましたか?」というのも、創価をやめたらバチが当たるんじゃないかという恐怖心によって創価に逆らえないまま苦しい毎日を過ごさざるをえないでいる学会員がたくさんいらっしゃるんです。だから、実際に創価をやめてバチが当たるのか当たらないのかを多くの方に体験として語っていただけたら、バチという恐怖心によって不幸になっていた自分を解放できる方がいらっしゃるだろうという単純明快な考えで作ったものです。はたから見たらほんとうにばかみたいな話ですが、こんなばかみたいな話を真に受けて苦しんでいるのが創価学会員なんですよね。創価を知らない人が聞いたら呆れて話にも何もならないようなことなので、理解してほしくても無理なことなんです。でも一度は創価に騙されてバチの恐怖に囚われたことのある方にはとてもよく分かるし、だからこそそんな経験のある方に「バチなんかあるわけないよ」と語っていただけることは、とても大切なことだと思います。バチに限らず、創価のあらゆることが会員からお金を騙しとるための嘘っぱちであることを、膨大な量の体験として積み重ねること。これがこのブログの一番の存在意義のあるところです。創価が詐欺であることの事実関係を語ること以外に、思想、哲学、宗教、科学についての正しい正しくないといった議論は、少なくともここでやるようなことではないと思います。話の流れの中で「私はこの人の思想に共感します」とか「この哲学者の考えや生き方は素晴らしいと思う」ということは当然出てくると思います。それはそれでまったくかまいません。それを「いやそれは違うだろ。なぜならこれこれこういうことだから」などといった議論がここでは意味をなさないということです。たとえば創価問題を語れば当然公明党や政治の問題にもつながってきます。そんなとき、私も「共産党の方がよっぽど正論を貫いている」なとと言うこともあります。だからと言って私は共産主義者ではありません。トランプ大統領を頭から否定するものではありませんし「プーチンって意外といいやつかも」なんて言ったりします(笑)こんなことをいちいち議論しててもしょうがないのと同じように、ここにコメントされる方の個人的な思想信条に立ち入っての議論は意味がないと思います。
「おらぁとなり村の花子が好ぎだぁ」
「ゔぇ〜おめえも花子が好きだっぺか〜?」
「なにぃ?お前にはよし子っちゅうめんこい女房がおるが〜このゲス野郎が〜」
「そういうおめえこそ八百屋のおかみさんとできちまったでねえか〜」
結局はネット上の議論というのはこんなレベルに終わるんだろうと思いますよ(笑)。
だってどこの誰か知らない者同士の言葉だけの会話なんですから。
みなさん、ここであらためてこのブログの趣旨を確認させていただきます。
ここは各々の思想信条を議論する場所ではありません。
創価問題を具体的な体験として積み重ねていくところです。その体験をどのように受け取るのかは、読む人の自由です。どんな受け取り方をしようが自由なんです。そこに誰も異論を挟むことはできません。事実は事実。個人の考えは個人の考えです。良いも悪いもありません。
そしてもう一つ、対話とは相手を思いやる言葉でしか成り立ちません。自分が正しいなどと思っている人は誰からも相手にされなくなる。それは創価学会員としての経験で身にしみました。その心の傷がわかる人が、ここにはたくさん集まっていただいているのだと思っています。

ということで、今回のテーマは「創価が詐欺だと知ること」とさせていただきます。

ちょっと抽象的ですが、このブログの趣旨をしっかりとわかっていただいた上で、みなさんのここでの対話をより意義あるものにしていただきたいと思っています。

創価が詐欺だと気づいても「なんだそうだったのか」と明日からキレイさっぱり忘れて生きていくことができないからこそ、こうして多くの皆さんが悩み苦しみ、どうやって生きていこうかと日々模索しているわけです。もともと創価と関わりのない人には、この生きづらさは恐らくは理解できないだろうなとも思います。また、自分はそうでなくても親兄弟や伴侶や子どもが創価に洗脳されていたら、それも辛いですよね。そうした中で、どうすれば自分の大切な人に創価が詐欺だと気づいてもらえるのか。そこに対話は生まれるのか。私も身内では兄夫婦だけがガチガチの創価脳です。果たして創価に全てを捧げてきた70歳の兄夫婦が「創価が詐欺だ」と気づくことが幸せなのかどうかもわかりません。兄弟の縁を切るところまで覚悟してでも対話をすべきなのか。そして兄夫婦が創価が詐欺だと気づいたときに、果たして彼らに何が待ち受けているのか。自分の一生は騙され続けて、最後の最後でそのことに気づいて死んでいく。あの「おじいさんとおばあさんの薬の話」ではありませんが、高齢者にとっての創価からの覚醒が何を意味するのか、今も私はわかりません。

そこで皆さんにあえてお尋ねしたいのが、

一つは自分の大切な人を創価から覚醒させた方の実体験です。

もう一つは、高齢の創価脳の方に創価が詐欺だと気づかせることについてどう思われますか?ということです。

みなさん、それぞれの体験をどうかよろしくお願いします。

創価をやめてバチが当たりましたか?

009さん、ありがとうございます。
全くその通りで、いま年度末にかけての仕事でてんやわんやしておりまして、皆さんのコメントを読んで公開するので精一杯です。お気遣いありがとうございます。
もし、これだけ創価が詐欺だと言い続けて、少なからぬ影響のあるサイトを運営している私がやっていることが謗法であるならば、何らかの形でバチが当たっても良さそうなものですが、そんなの全くないどころか、仕事も順調、創作活動も思ってもみなかったほどの大きな飛躍が始まりました。この歳になって、これほど前向きに創作活動ができる機会に恵まれるとは思ってもみませんでした。まあ、創価は人を騙して会員からお金を巻き上げる単なる詐欺であって、決して宗教なんかじゃないのですから、私にバチが当たるなんてオカルト的なことがあるわけないんです。もちろんそれは誰にだってそうです。創価なんか関係なく、人は生きていればいいこともあれば悪いこともある。その起こったことにどんな意味を見出すのかはその人次第です。バチが当たるかもしれないなどと一生怯えながら生きていくのか、それとも悪いことがあった時に、現実をきちんと踏まえながらそれをどう捉え、どうやって乗り越えていくのかを説いたのが本来の釈迦の教えだったのではないかと私は思っています。釈迦や日蓮や曼荼羅やその他何でもいいんですけど、そういう対象物を拝んだら幸せになれるとかなれないとか、そんなのただのオカルトでしかないと私は思います。
ということで、今回のテーマは「創価をやめてバチが当たりましたか?」にさせていただきます。学会員さんは常に「創価に逆らったらバチがあたるぞ」と脅され続け、怯え続けて生きています。普通に考えたら、そんなバカなことがと思われますが、実際の話、創価の活動を真面目にやればやるだけ、その恐怖心というものが増殖していき、創価から離れられなくなっていき、なおかつ一般常識から離れたとんでもない価値観によって、物事の優先順位がめちゃくちゃになります。それはみなさんからのたくさんのコメントからも嫌という程伝わってきますよね。
「創価をやめてバチが当たりましたか?」という質問に対する皆さんの率直な感想を教えてください。よろしくお願いします。
なお、このスレッドからはいつものようなルールでいきます。つまり、初めてコメントされる方は、普通に挨拶と自己紹介から始めてください。内容がどうであれ、まず挨拶や自己紹介すらできないような人としての常識のない方のコメントは即削除させていただきますので、よろしくお願いします。

祝!500万アクセス達成!

みなさま、とうとう500万アクセスを達成することができました!

本当にありがとうございます!

このブログ「対話を求めて」を始めてから5年と2ヶ月。途中、2度の休止期間はありましたが、こうして第三ステージに突入し、日ごとのアクセス数も確実に伸びていく中で、この記念すべき500万というアクセス数へたどり着くことができたのも、創価学会が詐欺だと気がついた多くの創価学会経験者の真実の声があったればこそと、心から感謝しております。つきましては、この記念すべき機会に、より多くの方に「創価学会は詐欺だと気付いた」ということを、あらためてその具体的な期日とともに、このスレッドのコメント欄に宣言していただければと思っております。どうかよろしくお願いします。

これからも「対話を求めて」は、創価学会は宗教などではなく、たくさんの人々を欺き不幸に陥れながらお金をだまし取っていくだけの汚い詐欺団体であるという事実を、皆さんの実体験を通じて世に知らしめていきたいと思っております。一人でも多くの学会員がこのことを考え、気づき、人生の選択を自らしていくことができますように願ってやみません。

これから100万アクセスごとに、覚醒できた皆さんとともにお祝いしていきたいと思いますが、大きな目標としては、やはり1000万アクセス達成であると思います。この調子でいけば、再来年の4月に1000万アクセス達成の計算となりますが、これまでの増加率を加えますと、来年末に1000万アクセス達成も不可能ではありません。来年末には、創価学会から静かに去ることができた多くの皆さんとともにお祝いできる日を夢見て、これからも頑張ってこの「対話を求めて」を続けてまいりたいと思っております。

どうか、これからもよろしくお願いいたします!

では、皆さん、「私は創価が詐欺だと◯年◯月に気がつきました」もうこれだけでもいいですのでコメントください。このスレッドに限り、普段コメントしてない方も自己紹介なしで結構です。どれだけの数の人が「楚歌学会は詐欺だ」と気付いたのか、きっちり示しましょう!

まじか!500万アクセス!

おかげさまで、どうやら後2週間ほどで500万アクセス達成の模様です。

二月になるかならないかのところだと思われます。

みなさん、用意はいいですか〜〜!?(笑)

500万アクセス達成の時は、え〜〜と、何をやるんだったかな?

あ、まず、みなさんからのコメントは、初めての方でも面倒な自己紹介をしなくても、ちょっとした一言だけでもOKということにします。

え〜〜と、それからもう一つ500万アクセス達成特別ルールを決めたような気がするんですが忘れました(笑)

どなたか覚えていらっしゃる方、教えてください。

ということで、前スレのコメント数があっという間に100超えていたことに気づいてませんでした。宴たけなわでございますが、そろそろ次のスレッドにさせていただきます。

で、今回のテーマは500万アクセス達成間近!ということで「まじか!500万アクセス!」とさせていただきます。あと2週間ですから、そろそろお祝いムードを盛り上げていきたいなと(笑)

そこで、みなさんにお聞きしたいのは、このブログのこれまでのすべてのスレッドの中で、特に一番印象に残ったスレッド、あるいはどなたかのコメント、あるいはどなたかとの対話など、今でも忘れられない箇所というものがありましたら紹介してください。

いわば「対話を求めて総集編忘れられないあの人あの言葉」って感じです。

また、まだ創価が半信半疑の状態でこのブログを恐る恐る覗いたとき、創価の真実を読んで知ってあまりの衝撃に震えたときの箇所を教えてください。

例えば『創価は詐欺だ』という言葉に「そりゃいくらなんでも言い過ぎと違うんかい」って思った人も多いと思います。しかしその後を読んでいくうちに「創価が詐欺でなくてなんなんだ」となっている自分に驚いたはずです。

このように、このブログが始まってから加速度的に読者を増やし、たくさんのコメントが増えていく中で、創価が詐欺であることの証拠がこんなに集まりました。みなさんから寄せられる真実の体験は、すべて「創価は詐欺だ」という揺るぎない証拠となったのです。そしてその証拠を500万アクセスという形で多くの人が目にする結果となりました。

残念ながら、創価問題は多くの人の人生を取り返しのつかないものにしてきました。それはもうどうにも取り返すことなどできません。私たち創価被害者である反面、創価加害者でもあったということを念頭に入れながら、創価がもうこれ以上に人間を不幸に陥れることができないように、創価が詐欺であるという証拠を、これからももっともっと積み上げていきましょう。それが創価から覚醒できた私たちのせめてもの償いではないかと私は思います。一人では何もできません。創価のような国政をも動かすような巨大権力を持つ詐欺団体に、個人が太刀打ちできるわけがありません。しかし、幸いネット社会において、個人の情報発信が大きな力を持てるような時代になりました。

2011年12月6日。このブログの一番最初のスレッド「シニフィエブログのスタートです。」に、このように書きました。

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『対話を求めて』シニフィエのブログへようこそいらっしゃいました。

私は地方都市に住む普通の一般市民シニフィエと申します。自営業を営みながら、妻と子ども一人の三人暮らしをする中年男性です。

このブログは、対話の場としてつくりました。対話とは、闘いではありません。互いの考えをぶつけあって、どちらが正しいのかを競うようなことを対話とはいいません。私は対話とは「他者を認めること」だと思います。互いの存在を認めあうこと。たとえ考え方は違っていても、互いの考え方・生き方を尊重し認めあうところに対話が生まれ、対話の中に互いの相違点や共通点が明らかになり、信頼関係が築き上げられます。そしてそこに無益な闘いは生まれません。しかし今の日本にはその対局にある考え方をする大きな集団があります。

「世の中は一つの考えこそが正しくて、それ以外はみな間違いだ。そんな間違った考え方をしているから不幸になる。そして自分たちの考えることこそが正しい考えであり、それ以外はみんな間違っているから不幸になるのであって、自分たちと同じ考えをするようになれば世界中の人が幸せになれる。自分たちの考えを批判することはそれだけで不幸になり、逆に自分たちの考えに従うものだけが幸せになれるのだ。だから、自分たちは世界中の人々を幸せにするために、自分たち以外の考え方をする人を片っ端から否定することが正義であり、そもそも自分たちの考え通りの世の中にすることを使命としてこの世に生まれてきた。それは一人の偉大な師匠に従うことで実現できる。何も疑うことなく、この偉大な師匠についていくことが人類の世界平和の唯一の道なのだ。」

ふつう世間一般の人は、こうした極端な考えを信じて排他的な行動をする集団をカルトと呼びます。これはかつて日本を震撼させたオウム真理教のことを言っているのではありません。このような思想のもとに今の現実の日本の権力構造に深く入り込んでいる強大な権力組織。ふつうに考えれば、こんな幼稚でひとりよがりな思想に頷く人がいるはずはないと思いますが、しかし今の日本の何百万もの人が、こうした考えのもとに日々行動しているという驚くべき事実があるのです。それが創価学会です。

そして私は53年間、この創価学会の一員として活動をしてきました。今でもなぜこのような恐ろしい集団の中にいたのか不思議でなりません。おそらく私と同じように多くの人が、この恐るべきマインドコントロール下に、自分で物事を考えることを放棄して、池田大作というたった一人のカルトのカリスマに盲従しているのだと思います。

マインドコントロール下にある人に、自分の異常さをいくら言っても理解できません。特に創価学会のような徹底的な排他思想を植え付けられていては、外部から何を言っても聞く耳をもたないどころか、普通に対話を試みても自分たちを批判したとみなし、世界平和を妨げる魔と決めつけるような洗脳までされているので、もとより対話など成立しようがないのです。

先日、私はひとつの試みとして、典型的な組織の末端会員への対話を試みました。それがこのブログです。
http://sokanomori.exblog.jp/17098281/
ここをご覧いただければわかると思いますが、やはり対話どころか、私を罵倒した挙げ句にナリスマシと勝手に決めつけ、一方的にアクセス禁止にしました。
その後、この学会員ブログにもよく登場する別の会員のブログに行き、私の真意を書いたのですが、やはりそれでも対話など成り立つはずもありませんでした。
ある程度予想はしていたのですが、このあまりに非論理的なそして攻撃的な態度に、今まで自分もこのような組織に加わっていたのかと考えると、ほんとうに恐ろしくなりました。彼ら自身の暴力的な発言が、一般の人に対してどれだけ非常識さや反社会性や違和感を感じさせているのかさえわからないでいるのですから、これをカルトと呼ばずして何であろうと思いました。

この経験で、私ははっきりと創価学会の異常性についての確信が持てましたし、これまでの私の創価学会員としての経験を、やっとのことで客観視することができました。振り返ってみれば、どれもこれもおかしなことばかりです。この異常さに気づかせないことがマインドコントロールの恐ろしさであるし、創価学会の結束力の根拠でもあります。そういう意味ではこのお二人のブログ管理人に感謝しています。

現在、創価学会員の数は文化庁発表で推定約500万人(学会の発表ではその数倍の数)。いづれにせよこの数の人たちが建前とはいえ、上記のような排他的な思想を持たされて活動していることの異様さを、私はもう見逃すことができなくなりました。つまり創価学会とは多くのマインドコントロールされた被害者の集団だということです。こうした思いからまずこのブログを立ち上げることにしました。

池田大作名誉会長ひとりのカリスマ性に頼って運営してきた創価学会は、いま大きな転換期にさしかかっています。カリスマの健康状態が悪く、すでに1年半以上も人前に出ることができなくなり、指導体制がとたんに弱くなった組織から、脱会者や活動から離れる会員が続出し、また私のようにマインドコントロールから脱却する会員も増えています。逆に、あたかもカリスマが元気であるかのように粉飾し、疑うことを知らずに育った学会2世3世の多くを副会長に登用し、地方での活動拠点になる会館の建設ラッシュは、むしろ組織上部の悪あがきのようにも見えます。私はここで創価学会の行なってきた多くの矛盾を語りたいのは山々ですが、私一人が多くを語るよりも、さまざまな立場の方が対話を通じて創価学会の客観的な姿を浮き彫りにすることがより意義のあることだと考えました。創価学会の活動家、未活動家、脱会者、反学会を標榜する方、学会から被害を受けた方、学会とは関わりのない一般の方などなど、さまざまな立場の方に、今の創価学会をどう見るべきなのかを、冷静な対話によって浮かび上がらせることができればと思っています。

もちろん、きれいごとでは済まないことです。白バラ通信というブログを立ち上げられている大学教授の高倉良一氏は、まさに命がけで創価学会の異常さを世に問うていらっしゃいます。おそらくこのような動きはこれからあちこちで起こってくるでしょう。私のようにマインドコントロールから抜け出す人も加速度的に増えていくと思われます。しかし、ひとつ忘れていけないのは、創価学会員の多くの人が被害者でもあるということ。もちろん多くの人が加害者でもあるのですが、こうした精神的ねずみ講のような悪のスパイラルに組み込まれた人にとって、そこから抜け出すことのできる何かのきっかけをつくることは、意味のないことではないと考えます。そうした意味でも、ここで本当の意味での対話が交わされることを願ってやみません。みなさま、冷静で建設的な、なおかつ忌憚のないご意見をお聞かせくださればありがたいです。

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今からおよそ5年前。「創価学会は宗教ではなく詐欺だった」という衝撃的なことを受け入れるには、あまりに酷なことでした。しかしその現実を受け止めないかぎり、自分の人生はもはや一歩も進むことができないという崖っぷちに立たされた時でした。どうすればいいのか。私はまず今自分の身に起こっていることを整理して把握する必要があると思いました。ただただ狼狽しているでけでは済まされない。そこで言葉にしようと思いました。自分が考えてきたこと。そして自分の考えが根こそぎ間違っていたこと。どうして間違いだと気付いたのか。これからどうすればいいのか。他の人はどう思っているのか。とにかく言葉にして整理することでなんとかこの恐ろしい状況をどうにかしようと思いました。

そしてその結果、このブログは多くの「創価からの覚醒者」が集う場所となり、さらに創価に疑問を感じた人が、創価が詐欺であることの確信をつかむきっかけとなることができました。途中、いろんなトラブルこそありましたが、こうして500万アクセスという前代未聞のアンチ創価ブログへと成長することができました。「創価学会」をググると、トップに出てくる創価学会の公式ホームページのすぐ下に、この「対話を求めて」が表示されるまでになりました。このブログの存在によって、創価学会が詐欺であることに気がつく人が一人でも多く現れたら、このブログを立ち上げた甲斐があったと思います。

500万アクセス達成を目前にして、またこれから1000万アクセス達成を目指して羽ばたくためにも、皆さんから特に印象に残った箇所を紹介していただけたらと思います。

よろしくお願いします。

これを書いている途中で思い出しました!

約2週間後に予定している次のスレッドの「500万アクセス達成記念特別ルール第二弾」は

「私は創価学会が詐欺だと◯年◯月に気がつきました」ということを必ず書いてくださいということです。

どうかよろしくお願いします!

いまどきの学会員

やはり第3シーズンになって、皆さんのお話がパワーアップしてますよね。年が明けて、まだ9日しか経っていないのに、180件ものコメント。それもどれもが驚くほどの深さで語られています。管理人としても、もっとゆっくりと噛みしめて読んでいかないといけないし、お一人おひとりにお返事をしていきたいのは山々なんですが、もうそれだけで1日が過ぎてしまいます(笑)。なので私が管理人として最低限やらないといけないところだけでもしっかりとやっていきたいと思いますので、ここは温かく見守っていただいて、皆さん同士での対話を進めていかれてください。

前スレでは早くも5日で100件のコメントになりましたので、次のテーマに行きたいと思います。もちろんテーマに関係ないお話でも全然構いませんし、新聞やめました、非活宣言できました、仏壇と曼荼羅処分しました、脱会宣言できました、晴れて正式に脱会しました、家族が覚醒してくれました、などなどの嬉しいご報告もお待ちしています。

また、バリ活の家族と喧嘩してしまいました、地区幹部に苦しい胸の内を相談しましたが「題目が足りない」としか言われませんでした、断っても会合への誘いがあります、いくら断ってもしつこく家庭訪問にやってきます、個人情報が組織内でだだ漏れです、組織内であらぬ噂を立てられて困っています、活動したくないと言ったら「ど〜しちゃったの〜?」と、さも親身になっているようなつくり笑顔でやってくる幹部が気持ち悪いです、などなど、実際に身近な学会員の言動に困っていると言った話でも結構ですので、ぜ〜んぶ吐き出しちゃってください。

ということで、しばらく重いテーマが続きましたので、今回のテーマは「いまどきの学会員」とさせていただきまして、皆さんが直接接してきた学会員、あるいは今も何かにつけてやってくる学会員、あるいは自分が脱会したために、突然手のひらを返したように無視する学会員など、皆さんが実際に会って話をしたリアル学会員のお話と、そのありえないほどの非常識さ、反社会的行為の数々を、客観的にぶちまけちゃってください。感情的にならないで、実際にあったこと、あっていることを、冷静な視点というか、ごく一般的な人間の視点によって観察した結果を報告していただけるとありがたいです。

学会員は程度の差はあれど創価の都合おいいように洗脳されているので、物事の価値判断の物差しが壊れています。この壊れ具合がどの程度のものなのか、そしてなぜにこれほどまでに壊れてしまうのかを、実際の事例をあげながら確認していければと思います。どうか、よろしくお願いします。

今回は軽いノリでバンバン書き込んでくださいね〜

これからどうしますか?

おかげさまで、今年に入ってからのアクセス数が1日8000越えです。かなりの数の人が「創価は詐欺」ということを認識してきたのではないでしょうか。「創価学会」でググってみると、私のパソコン画面では、聖教新聞公式HPよりも先にこのブログが出てきます。「創価学会ってなんだろう?」とネットで調べようとした人のほとんどが閲覧するサイトになりました。

去年は3ヶ月の休止期間があったにもかかわらず、約200万アクセスがありました。今年はさらに上回るでしょう。何度も言いますが、このサイトは創価を知らない人が創価の悪口を言っているのではありません。創価学会員としてまじめに活動してきた方の、真実の声が集まっています。これまでどれくらいの数の人がコメントしていただいたかはわかりませんが、そのほとんどが「創価は詐欺だと気がついた」という結論です。10人や20人じゃありません。少なくとも数百人の方が「創価は詐欺だった」と断言されているんです。それもそれぞれに自分の実体験を通じて出した結論が「創価は詐欺だった」というものです。これを誰が否定できますか?どうやったら数百人の実体験から来ている結論を覆すことができるでしょう。できるわけがありませんよね。このブログに価値があるのは、これだけ多くの信頼に足るコメントが常に増え続けているということです。時間とともに創価が詐欺だったと気づいた方のコメントがどんどん増え続ける。そしてそのコメントを見る方もどんどん増え続ける。あと一月ほどで500万アクセスが達成します。今のペースでいけば1000万アクセスは2年半後。勢いを計算に入れると、2年後に1000万アクセスも夢ではありません。2019年の初めには1000万アクセス到達ということになったら、外国人記者クラブで記者会見しようかな(笑)
ま、それは冗談ですが、一月後に迫った500万アクセス達成記念の日には、やはり皆さんとお祝いしたいですね。先日も書きましたように、池田のXデーが来れば、そこから創価は一気に崩壊すると思われます。多分、その日は突然やってくるでしょう。その日まで、相変わらずメッセージだの小説の連載だのと平然と池田元気説を言っておきながら、突然「池田先生がお亡くなりになりました」と発表こそすれど、その死に顔などは葬儀でも公開されず、喪主になるであろうカネコ夫人も人前に出せるわけがないので、息子の博正が喪主かな。いずれにせよ密葬になるのではないでしょうか。全国の洗脳学会員はしばらく池ロス状態が続くでしょうね。で、それが収まってくると、次第に学会員は夢から覚めるのではないでしょうか。「これから何を支えにして生きていけばいいんでしょう。ダーハラ?まさか(笑)」「俺は今まで何をしてきたんだ?」「私、もう50年も信心してるのに幸せになってないんですけど」こんな声が内部でもポツリポツリと出るようになり、昨年末にここでもテーマにした「活動家時代の本音」が組織内でも出るようになったら、あとはガラガラと崩れていくことになるのでしょうね。「こんなダッせえパステルスーツ着れるかよ。おてもやんの化粧もだよ」「男子部長のどこが偉いんだよ、プー太郎のくせしやがって偉そうに」「仕事休んでまでタダで牙城会やらせるなんておかしくね?」全国の現役学会員のいろんな愚痴が止まらなくなるでしょうね。
どんなに長くても、この10年の間に池田Xデーはやってきます。池田大仏さんが姿を現さなくなって6年半。いくらなんでも100歳まで元気に生きていることにするのは無理がありすぎます。っていうか、今の時点ですでに無理がありすぎるんですが、まだまだ学会員が騙され続けている限りは、元気なことにするんでしょうね。でも本当に亡くなったら、さすがにごまかしはききません。死亡届を役所に出さなきゃいけないし、火葬するにも許可が要りますし、勝手にやったら犯罪ですからね。池田大仏のXデーはいくら創価でも隠すにはリスクが大きすぎる。でもそこから学会員はごっそりと減るでしょう。会員が減ればお金が集まらなくなります。お金が集まらない創価学会は、創価の最高幹部にとっては大赤字を抱えた会社みたいなものです。維持すればするだけ金がかかってしょうがない。だから最高幹部でさえ「やってらんねえ」ってことで、何かにかこつけて去っていくでしょう。それより会員を騙してきたことの責任を問われたらどうしようもなくなるので、そこは東電の社長や役員のように家族もろともドバイなどの外国に雲隠れするかもしれません。学会員さん。創価が斜めになった時の最高幹部の様子をしっかりと見ておいてください。創価学会が宗教ではなくただの詐欺だったことがはっきりとわかりますよ。
創価学会もあと10年の寿命と考えると、ちょっとワクワクしませんか。やっと「創価は詐欺だった」ということが社会的にも明らかになるんです。「創価学会被害者の会」とか「創価学会詐欺事件対策本部」「創価学会訴訟団」などの言葉がニュースを飾るでしょうね。役所には創価学会専用の相談窓口が必要になりますね。もちろん公明党は解散。当然、連立を組んでいる自民党は知らん顔。すっかりなかったことにするでしょう。ニュースはもちろんワイドショーもすごい勢いで特集を組むでしょう。学会員の芸能人が「私も騙されていたんです」みたいな涙ながらのインタビューが流れるでしょうね。聖教新聞を印刷している毎日新聞は大打撃。シナノ企画や創価専門仏壇店は軒並み倒産。他にもたくさんの創価関連企業は窮地に追い込まれます。日本全体が相当なパニックになると思います。反社会勢力とのつながりも相当なものですから、やはり最高幹部は雲隠れするしかないでしょうね。警察や法務省に入り込んでいる創価キャリアも肩身が狭くなるでしょうね。学会員はみんな嫌でも気づかざるをえなくなる。あの3人組も。白いブランコさんも。このブログに殴り込んできた創価スイッチ全開の学会員もです。10年以内にこのブログでずっと訴え続けていたことに間違いはなかったということがはっきりすると思うと、なんだか目標がはっきりしてきていいですね。その頃はこのブログのアクセス数も1億になっているでしょう。ちょうどいいタイミングかもしれません。みなさん、よろしくお願いします。

ということで、今回のテーマは「これからどうしますか?」とさせていただきます。

ちょっと抽象的なテーマですが、創価が詐欺だと気づいた方は、多かれ少なかれ精神的なショックは免れません。特にかなり年取ってしまうまで騙され続けてきた人にとっては切実な問題です。また、まだ創価に未練がある方も「創価をやめてどうなるんだろう?」というのが不安な方もいらっしゃるでしょう。そこで今回は、創価が詐欺だと気づいて、なんとか辞められた方が、その後どうやって人生を立て直すことができたか。人生とまで言わなくても、気持ちを立て直すことができたかを、具体的にお話ししていただけたらありがたいです。もちろんその途中である方が多いでしょうから、途中経過で構いません。要は、まだ創価をやめるか迷っている方へ「創価をやめても大丈夫ですよ」ということを実際の経験を通じてお話ししていただければということです。

時々いらっしゃるのは「創価がダメだったので正宗に行きました」とか「創価はもうこりごりなので、どこの宗教がいいでしょうか」「創価をやめて何を信じて生きていけばいいのでしょうか」などなど、とにかく何かにすがっていなければ生きていけないと言った方が意外といらっしゃるということです。まあ、「創価を信じてお金を貢げば幸せな間違いない」ということを信じ続けてきた人にとっては、突然ハシゴを外されるようなものですから、別のハシゴが見つからないことには不安なんでしょうね。「世の中には幸せになれる秘密の法則みたいなものがあって、限られた人間だけにその法則と巡り会える」みたいな事を本気で信じているような人です。新興宗教はおしなべてそんな絵空事をまことしやかに語って「奇跡」みたいなことを信じさせます。新興宗教に限らず伝統宗教の多くも似たようなもののようです。終末思想とか輪廻思想、選民思想もそんなところから発生してきました。学会員にとって、御本尊も日蓮もいわゆる「神様」なんですね。この世はなんでもできる全知全能の神様がいて、その神様に気に入られれば絶対的な幸せになれる。気に入られるようになるには、自分ではなにも考えず、神様を信じて、言われるだけお金を出すことだと信じてしまう。これが伝統・新興に関わりなく怪しい宗教に共通する詐欺行為です。キリスト教もローマ帝国を維持するために教義さえも変えながら維持されてきました。それに反発したプロテスタントも、その巨大化する組織を維持するために国家権力と結びついたり、国家権力に利用されたりして、戦争までも繰り返してきました。言ったい宗教って何だろうって思いますよね。イスラム教とキリスト教は同じ「神様」を信じているにもかかわらず、何千年にもわたって戦争しているんです。仏教も、それ以前のバラモン教やヒンズー教や土着信仰が合わさり、ブッダの教団によって、ある程度刷新されたにもかかわらず、結局のところは長い時間と伝播していく長い長い距離の中で変容していき、いつの間にやら最初の仏教とは似ても似つかないものになって日本に伝わってきました。さらに日蓮など、そんな変わり果てた仏教をさらに自分の都合のいいように解釈して、あろうことか自分が全知全能の神様だと言い始めたんです。ここは諸説あるところですが、特に極端な解釈をしてきたのが日蓮正宗であり、それを利用して詐欺の道具に使ったのが創価学会なんですね。いつも言いますが、何を信じても勝手ですが、よくまあそんなもんを大の大人が真顔で信じれますねって話です。

こういう私も5年前まで信じてたんですがね。信じていたからこそ、今でも信じている人のそのありえないほどの思考停止がわかるんです。「自分は世界で唯一の正しい信仰に巡り合って、絶対に幸せびなれる方法を知っている」と天狗になっている。しかし心の底では「いつどこでバチが当たって恐ろしい目にあうのかわからない」と震え上がっているんです。他人には上から目線のドヤ顔で威張り散らし、他人を哀れむような目でしか見れないですが、家に帰ればバチが強くて震え上がっているんです。それが創価学会員の本当の姿です。洗脳されているうちは決して認めませんがね。

さて、また話が長くなってしまいました。すみません。

「これからどうしますか?」という問いかけは、信じていた創価が詐欺だとわかったあなたはどうしますか?という意味です。ということは、気づいた方は、その後はどうされましたか?という質問に対して、自分はこうしました。こうしようとしています。実際にはこうだったです。と言ったことをお話ししていただけると嬉しいです。よろしくお願いします。

もう一つお願いですが、このブログに初めてコメントされる方は、一般常識レベルの自己紹介をお願いします。コメントの内容に関わらず、初めてなのに挨拶や自己紹介のできない方のコメントは承認しません。それから多少とも幾つかのスレッドを読んでからコメントしてください。コメントするにあたり、特に難しいことを要求しているわけではありません。人として当然の礼儀をわきまえていれば何の問題もなくコメントできます。それでもコメントが承認されないというのは、よほど一般常識がないのだと判断してくださって結構です。こんなこと書きたくはありませんが、たまにいらっしゃいますので、あしからずということで。

創価学会新年勤行会最新情報

みなさま、新年明けましておめでとうごさいます。

今年もよろしくお願いいたします。

晴れて創価から去ることができて、身も心も軽くスッキリと新年を迎えられた方。家族の覚醒がまだで、もうしばらくは大変だという方。覚醒したばかりで、まだ洗脳の残骸が頭のどこかにこびりついて、わけのわからない恐怖心に悩まされている方。いろいろだとは思いますが、今年もまた皆さんとともに、創価の詐欺被害から一人でも逃れることができるよに、対話を深めていきたいと思います。どうかよろしくお願いします。

さて、新年最初のテーマは、先日もお知らせしましたとおり「創価学会新年勤行会最新情報」です。

普段はほとんど活動をしていなくても、周りの人間関係のせいで、どうしても仕方なく新年勤行会に行かなくてはいけないという方がいらっしゃると思います。そんな方に、ぜひ最新の新年勤行会の様子を報告してほしいと思います。なんならスマホで会場の様子やスピーチを録音録画したものをアップしてくださっても結構です。参加者の顔ぶれや、人数、式次第、時間や幹部挨拶の内容などなど、具体的にお願いします。

もちろん新年勤行会に行ってない方も、昔の新年勤行会のことなどを遠慮なくコメントください。昔と今の創価学会の勢いの違いを浮き彫りにして、ことしの「世界広布新時代 青年拡大の年」がいかに名ばかりの空々しい洗脳の言葉なのか、ここではっきりさせましょう!よろしくお願いします。

 

創価脳の彼氏(彼女)のもたらすもの

先のスレッドでの、ゆんちゃんさんからの問いかけは、とても切実な問題だと思います。この問題はあらためて皆さんからのご意見を伺うべきものだと思いましたので、別のスレッドとして作りました。ゆんちゃんさんからのコメントは以下の通りです。

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こんばんわ。
ブログが再開したときに1度コメントさせていただきました彼が創価学会のゆんと申します。
脱会された方、おめでとうございます☆

今回のタイトルと主旨が違うことをわかっていてどうしても覚醒された方、脱会された方にご相談がありコメントさせていただきます。
signifieさま、もしダメでしたらコメント削除お願い致します。

現在、創価学会3世の彼と婚約破棄手前です。もちろん創価学会が大きな壁となっております。いろいろ自分の意見を言いましたが聞く耳持たず…。『ネットの情報は嘘ばっかりやから自分で見て、やっていいか悪いか判断してほしい。ネットを信じるか俺を信じるか…わからんことがあるんやったらネットぢゃなくて俺に聞いてくれたら答えるし、答えれやんことやったら一緒に会館とかに行って一緒に学ぶから』と言われています。私は彼を(創価学会のこと以外)信じています。なので私が彼にネットで見た疑問に思うことに答えてほしいって話をしました。
実際私は疑問に思うことばかりをネット上で探そうとは思っておらず100%創価悩の彼が創価学会ってもしかしたらなんか変?と1%でも0.01%でも思ってもらえるブログ記事を探しております。
創価学会ではない私がどのブログ記事、どのコメントを読んでも説得力があり納得できるのですが創価悩となれば創価シャッターが…
この”対話を求めて”を読まれてる方は創価学会って変?と思われた学会員の方が完全に覚醒できるきっかけとされるものだということはわかっているのですが、この”対話を求めて”で覚醒された方はどのブログタイトルの記事やコメントがきっかけだったか教えていただきたいです。

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30年前の私が、ちょうどゆんちゃんさんの彼氏さんのような立場でした。とても他人事とは思えません。創価の詐欺によって人の一生が変えられてしまうんです。本当に創価の洗脳とは恐ろしいものです。ここでは「創価脳の彼氏(彼女)のもたらすもの」というテーマで皆さんからのご意見やアドバイスをいただけたらと思います。

なお、先のスレッド「創価学会の本音」は引き続きコメントを募集します。

二つのスレッドを同時進行させていただきますので、よろしくお願いします。

活動家時代の本音

第3シーズンに入ってから、とくにテーマ設定についていろいろと考えました。それは第2シーズンとまるきり同じでは失速してしまうんじゃないかとか、このブログも6年目に入ったのだから、単にシーズンが更新するだけではなくて、内容的にも変化しなくては続かないんじゃないかとか。それで皆さんからテーマについてのアイデアをお尋ねしました。皆さんからのご意見を参考にさせていただきつつ、第3シーズンの方向性を模索してきたわけですが、その結果、おかげさまで第3シーズンのカラーが見えてきた気がします。これまでと大きな変化はありませんが、まずは創価が詐欺であることの揺るがない事実を積み重ねるというこのブログの本来の立ち位置をより強化する方向で進めていきたいと思います。そしてもっと具体的にそれぞれに創価時代を振り返って、それらのことがいかに理不尽であり、反社会的であり、人間の幸せとは程遠いものなのかを浮き彫りにできたらと思います。

で、とくにこれからの展開で気をつけたいのは、私たちも気づく前までは同じような思考で同じようなことを平気でやっていたのですから、創価とは関係のない人から見れば「目くそ鼻くそ」みたいなものかもしれないということです。でも実際に現役の学会員さんの気持ちがわかるのは、実際に学会員として活動経験のある人間だ思いますので、たまたま自分が先に創価が詐欺だとわかったからといって、まだ気づかない学会員さんをボロクソに批判したところで、何の問題解決にはならないとも思います。そうした意味も込めた上で、みなさんそれぞれが学会員だった頃の本音を積み上げていければと思います。そういう意味でも前のスレッドで話題になっている「池田の顔は気持ち悪い」というのは、言いたくても言えなかった、しかしそれが本音だった。その言いたくても言えないのが創価学会だったということです。池田の顔に限らず、活動の一つひとつが正直なところ辛くてたまらなかったけども、これも人間革命や一生成仏や世界平和のためなんだと、これが自分がこの世に生まれてきた理由なんだ、使命なんだと。一生懸命自分に言い聞かせていた。いつの間にか家族がバラバラになり、近所付き合いが希薄になり、一般常識が理解できなくなり、精神的な病に陥ってしまう学会員がどんどん増えてきたんです。

かといって「自分は気づいちゃったし、気づかないやつに何言っても一緒だということは誰よりもよくわかるから、もう創価のことなんて知りませ〜ん」とならないのが創価問題の根の深いところです。創価学会がただの詐欺であれば、詐欺だと気づいて「高い授業料だった」として終われるのでしょうけど、創価の場合は創価に残っている家族がいる人にとってはいつまでも終わりはありません。また、取り返しのつかない年齢まで騙されてしまうと、もういっそのこと騙されたまま死んだほうがマシなんじゃないかという状況も出てきます。それほど創価はほんとうに恐ろしい犯罪です。

このブログにたどり着いて創価が詐欺だと気づいた方もずいぶん増えました。ただ、このブログにたどり着いたという時点で、すでに気づいていたと言っていいのではないでしょうか。あとは皆さんの体験を読んで、自分の考えや感覚は間違いではなかったということが確認できたということだと思っています。

つまりこのブログは覚醒のためのブログではなく、覚醒を確認するためのブログだと思います。例えば今の創価は間違っていると確信している例の三人組がこのブログを読んでも、もとから創価が詐欺だなんて絶対に認めないでしょう。これだけの人たちの声を全部読んだとしても、彼らにとって池田大作は永遠の師匠だと言い張るはずです。サイレントアピールや各地での座談会の開催や、告発本の出版と外国人記者クラブでの会見などの積極的な行動をしても、彼らの中での創価学会は世界平和を目指す世界一の尊い宗教団体なのです。本部職員として働く中で、どんなに理不尽なことが目の前で繰り広げられても、自分が信じた池田大作が間違っているはずはないという思考から一歩も踏み出すことはありません。彼らの外国人記者クラブでの会見をネットで見ました。彼らのブログに書いてあること以上の話はしませんでしたので退屈なものでした。ただとても面白かったのは、後半の記者からの質問と、それに対する回答がしどろもどろだったことです。外国人記者はとても簡潔に問題の本質をつく質問をしてきました。それに対して三人組はほぼ何も答えることができていませんでした。私が感じたのは、彼らは自分たちが主張することの、つまり本来の創価学会は正しいのだということの理論的な考証を行っていないということです。彼らの頭の中にあるのは自分の考えではなく、小説『人間革命』に書かれていたことがそのままの状態であるだけです。つまり「小説『人間革命』に書かれていたことと、今の創価がやっていることが違うではないか」ということを言ってるだけのことです。だから日本の社会の中での創価学会の位置付けを問われても何も答えられません。自分たち以外に現在の創価に異を唱えるものはいないのかという質問にも「いない」としか答えきれない。正確には「知らない」というのが妥当な答えでしょう。考えようとしないから知らないんです。自分たちが理想としてきた小説『人間革命』に描かれていた池田大作創価学会と、目の前の現実である創価学会がまるで違うということしか頭にないようです。ではなぜ自分たち以外に今の創価に異を唱えるものがいないのか。なぜ自分たちが理想とする創価学会と今の創価学会がまるで違ってきたのか。そのことについて考えたこともないから、ただ単に話を聞いてくれない執行部を悪者扱いにして、自分たちの正当性をデモや集会や出版という形で主張する。これでは親から叱られて自分は間違っていないと泣きじゃくる駄々っ子でしかないと思います。

例え話が長くなってしまいました(笑)

要は、学会員はたとえ創価に疑問を抱いたとしても、必ずしも覚醒までたどり着くとは限らないということですね。ここを恐る恐る読んでいる学会員の皆さん。もうすでに創価への疑問はぬぐえない状況ではありませんか?でもまだ創価が宗教だと思い込んでいるので、疑ったら罰が当たって何かしら悪いことでも起きるんじゃないかと半信半疑という方もいるでしょう。べつに無理に気づいてくださいとは言いません。ただ自分の人生について自分で考えることを放棄しているという現実には、きちんと向き合ってはいかがですか?とまでは言いたいのです。それでどうするかは自分次第です。創価の罰が怖くて、やっぱり自分では今までと同じように何も考えずに組織の言う通りの人生を送りますというのであれば、それはそれであなたの人生です。いずれにせよ、答えは自分で出す以外にないということまでをも創価に委ねてしまうのは如何なものかと思いますけど、余計なお世話かな。

ということで、今回のテーマは「活動家時代の本音」ということで、活動家の時に言いたくても言えなかったこと。たとえば「池田の顔が気持ち悪かった」でもいいです。本当は何部も聖教新聞とりたくなかった。配達したくなかった。家庭訪問したくなかった。幹部に文句の一つも言いたかったけど罰が当たると思って言えなかった。などなど、とにかく自分の本音が一切出せなかった学会活動の現実を、かたっぱしから思い出して語ってください。そしてそんな創価の現実から抜け出すことができた今現在の心境を語ってください。もしかしたらこれを読んでいる学会員さんが「ああ、それ確かにあるよなあ。自分のことだよなあ」と思ってくれるかもしれません。また、脱会した人でも「なるほど自分では気づかなかったけど、そうとう我慢したり、自分の心を自分で押し殺してきたよなあ」と今になって気づくかもしれません。

創価がじつは一切本音の言えない組織であることに気づくこと。いや、一切本音を言わせないような組織であることに気づけば、組織がなぜ会員を罰の恐怖で縛りあげてきたかの理由にも気がつくのではないでしょうか。