祝!!800万アクセス!♪( ´▽`)

皆さま!とうとう800万アクセス達成できました!

創価学会が宗教ではなく、会員からお金と時間と幸せな家庭を奪う悪質な詐欺であることを、訴え続ける創価経験者の声が集まるブログが800万アクセスを達成したということは、たいへん重要な意味があると考えます。

6年半前にスタートした『対話を求めて  静かに創価学会を去るために』は、たくさんの創価経験者の実体験によって、創価が詐欺であることの確かな証拠を積み重ねて来ました。スレッド数430。コメント数30,000。アクセス数800万。半年で100万アクセスあるこのブログの存在は、すでに多くの創価経験者の心を捉え、ここに寄せられる創価学会の実態に気がついて、脱会へとたどり着いた方は数えきれません。日本における戦後最大の宗教詐欺犯罪事件。それが創価学会です。

おそらく来年の今頃は1000万アクセスを達成すると思われます。もしかしたらイケダXデーもそれまでにやってくるかもです。新人間革命も終わったし、教義の変更もしたし、会憲もきめて、イケダが教祖様になる布石も整った。いくらなんでもこれ以上「先生はお元気です」も写真捏造も限界がきた。そろそろXデーを発表しないとヤバい。ということで、Xデーも近いと思われます。かといってイケダに代われるカリスマ性のある指導者などいるわけもない。Xデー後は確実に会員離れが起こります。創価もバカじゃないので計算済みでの今の動きです。ただ自分たちだけではどうにもできなくて、莫大な費用をつぎ込んでコンサル会社に広報を依頼しているようですが、それもことごとく失敗しているようですね。

そう言う意味では、これからの1年間の創価の動きはかなり激しくなるかもしれません。選挙もあるし、これ以上得票数を減らせば自民党からも利用価値がなくなるので、公明党は与党からも野党からも相手にされなくなるでしょう。聖教新聞の収益も減る一方ですから、財務も今より露骨に集めると思われ、ますます会員が減るのは間違いないです。今よりもっともっと衰退が加速すると思います。地区の統合が進み、支部単位でしか座談会もできなくなるんじゃないでしょうか。それでも男女青年部は少なく、暇な老人の集まりになるのは時間の問題です。そうした現場をいちばん知っているのが地区部長と支部長、婦人部長なのですが、彼らは間違っても創価が、衰退しているなんて口に出せません。でも彼らは肌で感じているはずです。そうした葛藤を抱えているはずですですが、それは誰にも言えないので、考えないようにしているのだと思います。なんともかわいそうな気もします。素直に目の前の現実を見ることもできない人生なんですよね。そんな生活の何が幸せなんでしょう。

ということで、このスレッドは800万アクセス達成おめでとうをみんなでお祝いする場所です。

このスレッドに限って初めての方でも自己紹介は必要ありません。何かしらひとことでもコメントください。もちろん長いコメントでもいいですよ(笑)そしてできれば、創価が詐欺だと気づけてよかった。活動がやめられてよかった。家族との時間ができてよかった。無駄なお金を使わなくなってよかった。友人と心を通じ合えてよかった。などなど、創価を去ってよかったと感じたことを話していただけるとうれしいです。そして創価をやめてもバチなんか当たらないことを学会員さんに向けて話していただけたら、多くの悩める学会員さんを救うことになると思います。どうかよろしくお願いします!

活動家は時間をどれくらい奪われたのか

みなさんいつもたくさんの有意義なコメントありがとうございます。

おかげさまで来週の前半に800万アクセス達成しそうです。

今回も、みなさんと一緒にお祝いできればと思います。

今回のテーマは「動家は時間をどれくらい奪われたのか」とさせていただきます。

創価の活動を真面目にすればするほど自分の時間が奪われるというのは、これまでもほとんどの方が実体験として感じてきたことです。そしてその結果どうなったのかも、このブログに多くの方が証言してくださいました。結論から言いますと、創価の活動家がお金も時間も自分で考えることも奪われた奴隷でしかありません。しかも一般に言われる奴隷は理不尽な労働を強制されているという自覚はありますが、創価の活動家は自分の時間も思考も奪われていることの自覚がありません。いわゆるマインドコントロールによって、自分が被害者であるという意識を持てない精神状態になってしまっていますので、単なる奴隷よりも悲惨な状態だと言えます。奴隷が解放されtれば素直に自由の喜びを感じることができますが、創価の精神的呪縛から逃れることができても、マインドコントロールの恐ろしい後遺症によって、すぐには正常な社会生活ができない場合もあります。すでに家族や友人との人言関係が破綻してしまっていたり、家族の中で自分一人が創価から抜けたりすると、新たな問題を抱えてしまう場合もあります。創価が詐欺だと気付いたから脱会した。それで万々歳だというわけにはいかない場合も多いです。そしてそうした問題も、活動家にとっては創価が正しいという動かしがたい前提があるので、問題の全ては脱会者にあるとしか思えないのが創価脳です。

今回は特に活動家が実際にどれだけの時間を創価に費やし、その結果、家庭を顧みなかったり、子どもに留守番ばかりをさせてネグレクト状態になっている学会員の家庭は今でも多いのではないでしょうか。前スレの「創価をやめてよかったこと」でも、ほとんどの方が「自由になった」「自分の時間ができた」「やりたいことがやれて嬉しい」「子どもと触れ合う時間ができた」など、時間の面だけとっても嬉しいことばかりが報告されています。逆に活動すればするほど、自分の思いを押し殺して、嫌なことでもやるしかないんだと無理を重ねて、体調を崩したり、精神的にも破綻したりする学会員がとても多いのが現実です。

そこで今回のテーマは特に活動家時代の時間に絞って「動家は時間をどれくらい奪われたのか」ということを、みなさんの経験したことをできるだけ具体的にお話しいただければと思います。例えば1日のうちに勤行、唱題、各会合(座談会、協議会、唱題会、同中、幹部会など)、創価班・牙城会・白蓮などの各種奉仕活動、会館の清掃や植え込みの手入れなど、連絡報告事務、統監、家庭訪問、新聞配達・集金業務、家庭訪問、選挙活動。ざっとあげただけもこのようなことを学会員は自腹を切ってやっているわけです。入会するとこんなにやることが多いなんて、入会を勧めるときには絶対に言いませんよね。入ったら最後、どんどんやることが増えて、自分の時間などなくなるのは当たり前です。しかも持っているお金は全て創価に捧げるように言われます。いうことを聞かなければ「バチが当たる」と脅されます。知らないうちにバチの恐怖に絡め取られているので、もう後へは引けなくなっています。そうなるとあとはお金も時間も全て創価に捧げるだけの奴隷になってしまいます。そんな創価奴隷が今でも日本には少なくとも100万人はいるようです。もしかしたら200万人ぐらいいるのかもしれません。そうした創価奴隷がどんどん減ってきているのはせめてもの救いではありますが、それでも百万人単位で創価に騙されて人生をもうに振らされている人がいると思うと恐ろしいです。

また長くなってすみません(笑)

それではみなさんが活動家時代に、どのようなことをどれくらいの時間を費やして創価のために働いていたのかを書いていただけると嬉しいです。以前、財務二ついての具体的な金額を書いてもらいましたが、少ない人でも10年20年やっているうちに1000万円は出していることがはっきりしましたし、多い人は億単位で出していることもはっきりしました。今回はどれくらい時間を奪われているかをはっきりさせたいと思います。

よろしくお願いします。

創価の活動をやめてよかったこと

これまでみなさんから動かしがたい自分の体験と、貴重な資料を提供していただいた『創価脳にもわかる創価の疑問シリーズ』は、とても説得力のあるものになりました。本当にありがとうございます。
1. 学会員は創価にどれだけお金を出したのか?
2. 学会員は幸せになったのか?
3. なぜ選挙活動が功徳になるのか?
4. なぜ創価脳(思考停止)になるのか?
5. 池田大作とは何か?
この5つの観点から、みなさんの実体験にもとずくたくさんの事実と、たくさんの関連する資料が揃いました。
創価に少しでも疑問を持ってこのブログにたどり着いた学会員のみなさん。ぜひこの基本的な疑問について自分の頭で考えてみてください。創価の活動をしていると、知らないうちに自分でものことを考えることが悪いことのように思えてきます。さらに自分で考えると悪いことが起こるような恐怖心がつきまとうようになります。これも創価が日蓮の教義を功徳と罰の部分を特化して会員に刷り込んだ結果のことです。そうなってしまうと、目の前の現実から自然と目を背けて、創価から言われるままに行動することが何よりも幸せなことなのだと思いこんでしまうんです。そうなると創価以外のどんな考えでも、どんな現実であっても、それを受け入れることができなくなってしまいます。要するに創価の言うことだけが正しく、それ以外はすべて間違いであり、そんな間違ったことを信じてしまうから不幸になるんだという考えに縛られてしまいます。日蓮宗派の中でも異端である日蓮正宗の日蓮本仏論を詐欺の道具として採用したのは、会員を思考停止に陥らせ、創価に逆らうと地獄に落ちるといった脅迫を徹底できるからです。その結果、会員は創価から言われるがままにお金を差し出し、何部も新聞を購入し、家庭をおろそかにしながら、選挙活動にあけくれます。さらに隣近所や職場からは疎まれ、まともな人間関係さえ保つことができなくなり、地域や職場から自然と孤立してしまいます。
ここに寄せられたコメントは、かつて真面目に学会活動をしてきた学会員さんが語っている、すべて客観性のある事実です。もはや誰にも否定することはできないものです。個人的な考え方とか、感想などではなく、実際に創価学会の中で何が起きてきたのかということの事実が述べられています。こうした事実を前にすれば、もはや創価学会がまともな宗教だなどと言うことが、どれだけおかしなことかは誰の目にも明らかです。この期に及んでもなお創価は正しい宗教団体だと思える人がいたとしたら、それは完全にマインドコントロールされているという証拠であると言えます。
みなさんから寄せられた資料によってマインドコントロールとは何かということもわかりましたし、それが創価が会員にやってきたことだということも今回よくわかりました。創価学会は宗教ではなく、会員をマインドコントロールしてお金を巻き上げるために作られた極悪詐欺集団だったということは、もはや言い逃れることはできないのです。それはこのブログに寄せられた30,000件もの創価経験者の声が証明しています。まずこうした事実を認めない者が、創価が正しいなどと言っても、何の説得力もありません。
現実に創価学会はあからさまに衰退しています。脱会者が日増しに増えているのも数字として明確に出ていますし、実際に座談会や本部幹部会の同時中継などの会合の様子からも明らかです。しかしマインドコントロールされている学会員は、こうした事実が目の前にありながらも、決してその事実を認めようとはしません。わかっていて認めないのではなく、創価があからさまに衰退しているという事実が何を意味しているのかを理解できないのです。学会員はマインドコントロールされているので、相変わらず創価が打ち出している世界公布新時代という言葉を信じています。創価は世界中に広まって、やがて世界中の人々が創価が発行するカラーコピーの曼荼羅に南無妙法蓮華経と唱える時代が来ると本気で信じているのです。一般の人から見れば狂人としか映らないようなことですが、残念ながらこれが創価学会員の現実です。こうした姿は創価学会に限らず、典型的なカルト宗教を利用した詐欺団体の手法なのですが、そのいちばんの被害者である創価学会員はマインドコントロールされているために、自分が被害者であることに気づくことができません。しかし今まさに現実に起ころうとしているのは、創価学会が戦後日本最大のカルト宗教詐欺団による恐るべき犯罪であることが、もうすぐ社会的にも明らかになろうとしていることです。

さて、こうして創価の疑問に対する答えが事実関係とともに出揃いましたので、今回のテーマはそのまとめにしたいと思います。

このブログの目的は、大きく2つにまとめられます。

一つは、創価に疑問を持っている現役の学会員さんが、その疑問をどのように理解すればいいのかを整理し、膨大な体験談と資料を知ることによって「創価は宗教ではなく詐欺だ」ということに気づいてもらうこと。

もう一つは、創価が詐欺だと気づいても、人によってはすぐに脱会することができない環境の方も多くいらっしゃいます。そうした方にとっては特に毎日が辛い日々となり、精神的に参ってしまわれる方もいらっしゃいます。ここではそうしたどうしようもできない悩み、他人に言っても理解してもらえない創価に関する悩みを、ここで吐き出したり、情報を共有したりすることで、家族揃っての脱会に向けていける力を出してもらえるように、お互いに励ましあっていけるような場所になることを目指しています。また、この世で一番正しい信仰だと信じていた創価が実はとんでもない詐欺集団であったことがわかり、それまでの自分の人生の大切な部分が間違いであったということを受け入れることは、それほど簡単なことではありません。脱会できてもなお、創価後遺症と言われるような精神的不安や焦燥感に襲われて、これからどうやって生きていけばいいおかわからな位という悩みを抱えてしまわれる方もいらっしゃると思います。そうした方の悩みを理解できるのも、同じような経験をしたこちらの方々だからこそできるアドバイスもあります。またそうした悩みが自分だけではなかったんだということがわかるだけでも、とても大きな心の支えにもなるでしょう。このブログはそうしたみなさんの対話によって成り立っています。

このブログのタイトルである『対話を求めて』の対話とはこうした意味をさしています。マインドコントロールされて、物事の判断力を奪われている人との対話は成り立ちません。それはこのブログでも何度となく試み、その都度断念してきました。創価脳とは日々のマインドコントロールによって思考停止させられ、闘争心を煽られ、常に敵と戦うことによって偽りのアイデンティティを確立させて満足感を与えられている人たちのことをさします。

創価脳の中身は差別意識による優越感と好戦的で独善的な価値観で成り立っています。創価以外の人の話を聞こうとする思考回路はありません。特にこのブログのように創価を完全否定しているようなものに対しては闘争心をむき出しにして感情のままに罵詈雑言を浴びせます。そして自分たちの矛盾を突かれても完全にスルーしてしまいます。そのような創価脳との対話は初めから成り立たないということが今回も立証されました。

創価に少しでも疑問を持つことができた学会員さんであれば、マインドコントロールを自分で解ける可能性はあります。事実、このブログにはそうやって覚醒に至った方がたくさんいらっしゃいますし、そのような方が自分の経験を告白することで、少しでも多くの学会員が覚醒して、創価地獄から静かに去ってもらえるようにとコメントしてくれています。とてもありがたいことです。

ということで、今回のテーマは800万アクセス直前ということで、

『創価の活動をやめてよかったこと』にします。

と言っても、まだ正式には脱会までいけてない方も大勢いらっしゃると思いますので、あえて「創価の活動をやめてよかったこと」としました。創価の活動をやめたら地獄に落ちるなどと脅されます。そんなことがあるわけありませんし、もしあるならここに訪れる脱会者の方は今頃みんな地獄に落ちてなくてはなりません(笑)。以前、創価をやめてバチが当たりましたか?といった質問に対して、全員が「罰などありませんでした」という回答をいただきました。こんなこと当たり前なんですが、マインドコントロールされていると、本当に罰が恐ろしくてたまらないんです。真面目に活動している学会員でも、ちょっと悪いことがあったら「罰が当たったのかしら?」と不安になっているのが現実です。そうやって創価は会員の心に恐怖心を植え付けることで脱会させないようにしています。

そこで、今回はみなさんから『創価の活動をやめてよかったこと』というテーマで、創価の活動をやめて、具体的にどのような生活になったのかを教えてください。

また、800万アクセス達成のスレッドがあと2週間ほどで立ち上がると思いますので、そこでは「創価の活動をやめて罰があたりましたか?」という質問に対してお答えいただきたいと思います。創価をやめたいけど罰が強くてやめられないという方が意外と多いようなのです。そのためにも、「創価の活動をやめても罰は当たりませんでしたよ」と一言行っていただきたいのです。その一言だけで、悩まれている学会員さんにとってはどれだけの救いになるか計り知れないと思います。あと2週間後には800万アクセス達成します。その時は初めての方も面倒な自己紹介はなしでもOKです。誰でも一言だけでもコメントできます。できるだけたくさんの方が「創価の活動をやめても罰は当たりませんでした」と全ての学会員さんに向けて言ってあげてください。よろしくお願いしますね( ´ ▽ ` )ノ

 

 

創価脳でもわかる創価の疑問その5   池田大作って何?

さて、これまでシリーズ「創価脳でもわかる創価の疑問」もその5となりました。今回は学会員の永遠の師匠池田大作先生に対する疑問をテーマにみなさんのお話を伺いたいと思います。

いまどきの創価では「永遠の師匠池田大作先生」と言うように決まっているそうです。なんか「世界の山根明」を彷彿とさせますが(笑)いったい池田大作先生は8年以上もどこで何をされているのか、会員が誰一人知らないというのも凄いと思いますが、もっとすごいのは、このことに誰も疑問を持ったり、幹部に質問したりしないことがもっと凄いなと思います。脱会した私たちにとっては池田がどこで何をしていようが関係ないし、どうでもいいんですが、普段からあれだけ先生先生と森昌子さんのように慕っている学会員さんが、ひとことも疑問を口にしないことが、なにか空恐ろしささえ感じます。言いたいけど言えないのか、本気で何とも思っていないのか、どっちにしても怖いですよね。「池田先生にお応えするんだ!」「とにかく先生と呼吸を合わせるのよ!」と寝ても覚めても池田先生命!の創価脳なのに、8年以上も顔を見せない、声も聞こえない、しかし毎日執筆活動が忙しく、あるいは全国の会員の激励に飛び回っていると言う割には、誰もその姿を見た人はいないという事実。「先生はお元気です」と繰り返す原田会長。でも聖教新聞に毎日載ってくる池田の写真は10年も20年も前のものだけです。この8年間に聖教新聞に載った池田の写真は3回か4回だけで、そのどれもが視線の定まらない虚ろな目をして小さくしぼんだ姿でした。もちろん創価以外の人とは一人も会った記録はありません。この状況で、池田が元気で全国を飛び回っているという副会長のテレビインタビューはどう考えてもウソをついているとしか考えられないですが、創価脳はそれも何とも思っていないか、言えないかのどちらかだと思われます。

長い前置きはこれくらいにして(笑)本題に入ります。

「池田大作って何?」

学会員さんにとっていったい池田大作って何なんでしょう?永遠の師匠と言うのは創価が会員に一方的に刷り込んでいることです。会員さんは8年以上も姿を見せない永遠の師匠をどう思っているのでしょうか?最近まで活動していた方には教えてほしいです。末端組織の現場では池田大作についてどんな話をしていたのか?実際のところどう思っていたのかをお話ししていただけるとありがたいです。

また、本幹でのマハローキンマンコ事件や、杉田かおるメロンお下がり事件や、オーストラリアのカジノで億単位のお金をスった事件など、有名な事実を学会員さんはどう感じているのでしょう。また、創価の利権に群がる企業の社長を集めて毎月高級料亭で開いていた社長会での記録が残っていますが、あのような事実を知っても、創価脳にとっては池田大作は永遠の師匠なんですよね。日本の広域暴力団はもとより、麻薬王ノリエガや独裁者チャウシェスク元大統領、ローマクラブ代表アウレリオ・ペッチェイとの交流の事実も、創価学会が単なる詐欺団体では済まされない恐ろしい犯罪集団であることは容易に想像できます。そしてこれらの誰もが知り得る事実もさることながら、池田がとんでもない犯罪者である事実も、このブログに寄せられています。これを公表すればこのブログが本気で潰されますのでしませんが、問題はこうした事実があるにもかかわらず、創価脳は全部スルーしてしまうことだと考えます。

今回はこうした事実を踏まえた上で、みなさんが覚醒前に抱いていた池田大作と、覚醒後に気づいた池田大作がどう変化したのかを語っていただけるとありがたいです。

どうかよろしくお願いします。

創価脳でもわかる創価の疑問その4 なぜ創価脳(思考停止)になるのか?

創価脳でもわかる創価への疑問シリーズ第4弾は「なぜ創価脳(思考停止)になるのか?」です。

おそらくこのブログで初めて「創価脳」という言葉が生まれました。みなさんとの対話の中で自然と生まれた言葉です。創価学会に入ったばっかりに「創価脳」になってしまった。これは自然となるのではなく、明らかに創価学会という組織が意図して会員をそのような思考しかできないようにしているものと考えられます。

これは創価がおかしいと感じて、自分の頭で考え出してから、創価が実は詐欺だったんだと気づいた方ならよくわかることだと思います。おそらく催眠術にかかって、わけのわからないことを平気でやっていた人が、催眠が解かれて「今まで自分はなんでこんなものを信じていたのだろう?」と驚くようなこととよく似ている気がします。

だから、創価学会に入会し、言われた通りに毎日勤行唱題し、会合に参加し、各種グループの活動にも積極的に参加し、一人で何部も聖教新聞という名の会報を購入し、ノルマとして回ってきた書籍や民音のチケットをしぶしぶ購入し、毎年「お金を出せば出すほど功徳がある」という言葉を信じて、持てる限りのお金を差し出したり、「公明党の票をとればとるほど功徳がある」と言われて、友人を失ったり、勤め先での信頼を失ってでも公明党の票をとることに熱中する。

こうした世間一般の常識からは考えられないようなことを、創価脳になるとなんの疑問も持つことなくやってしまいます。そして友人や職場の人からドン引きされても「正しいことをやっているから嫌われる」などとわけのわからない理屈で自分を納得させています。

よく創価学会の会員の間で交わされる言葉に「信心で捉える」というものがあります。普通に考えて理屈の通らないことが活動していく中で起こったとしても「それは信心で捉えましょう」との言葉で、それがなかったことのようになってしまいます。平和を基本理念とする公明党がイラク派遣や安保法案を強行採決したことに疑問を持って幹部に質問したら「確かにそうかもしれないが、そこは信心で捉えましょう」との指導?で、問題をうやむやにされてしまいます。公明党のことに限らず、創価にはいくらでも理屈に合わないことが溢れているのですが、会員がどんなに疑問を持ったとしても「そこは信心で捉えて、お題目を上げきって、池田先生にお応えできる人材になりましょう。それがあなたの使命であり、あなたが創価学会員として生きることの意味がここにあるのです」などと煙にまきます。それでも納得できない会員には恐ろしい罰論で脅しまくります。そうやってたいていの創価脳は再度洗脳されて、どんなおかしなことがあっても自分で考えたりしなくなります。どんなにおかしなことでも「信心で捉える」の一言で、思考停止になるわけです。それは創価の信仰が世界で唯一の正しい信仰であると思いたいからです。もし自分の信仰が間違っているといった可能性がちょっとでも感じられたら、不安で不安で仕方ないでしょう。夜も眠れなくなるでしょう。自分の人生を自分で否定することになるんですからね。だから創価が正しい宗教であることは、創価脳にとっては何がどうあっても譲れないんです。譲ってしまったら自分の人生はただ単に詐欺に騙されてきただけのものだったという恐ろしいことになるんですからね。

このブログで「創価脳でもわかる創価の疑問」というのは、ちょっと矛盾しているんです。創価の疑問を疑問として捉えることができれば、それはもう創価脳ではないんですよね。だから創価脳にでもわかる創価の疑問なんて存在しません。疑問に思ったその瞬間に創価脳ではなくなります。その意味を込めて、あえて矛盾したタイトルをつけています。つまり「創価脳のみなさん!どうか創価に創価に疑問を持ってください!」という願いを込めたタイトルです。

その第1弾として、誰にも確認できる「創価学会員は実際にどれくらいお金を出しているのか」という事実をみなさんに教えていただきました。普通の家庭でも10年、20年で1000万円は出している。多いところでは億単位で出しているところも少なくないということがはっきりしました。その金額は創価の職員の給料や会館の建設維持費や運営費などを考慮しても、桁外れな多額の金額であることがわかります。ではその国家予算なみのお金を何にどれくらい使っているのか?そのことを創価学会はただの一度も公表しません。公表できるわけがありません。公表したら創価学会は一発で消えて無くなるからです。これだけは何があっても知られたくない。だから公明党を作ったんです。そして国会や警察や裁判所にたくさんの創価学会員を送り込み、集めたお金の一部を暴力団に渡して、創価のお金が何に使われているのかバレないようにしてきました。それには政府自民党に楯つくわけにはいきません。宗教法人に課税できれば、国の借金は簡単に解決します。それがされれば創価学会は莫大な額の税金を取られるだけではなく、収支も公表しなければならなくなります。これを何としてもくい止めたいがために、自民党のいうことには逆らえません。これは統一教会などの朝鮮系組織にしても同じだし、ただこの辺りの支配、被支配の構造はわかりません。誰が支配者で誰が被支配者なのか。これはこのブログではこれ以上は関わらないことにしています。取り上げたとしても意図的に怪しいい陰謀論で片付けられてしまうし、みなさんからの貴重な証言の信憑性にも関わってきますので、ここでは創価学会の詐欺の部分だけに特化して、創価学会を潰すことではなく、一人でも創価の被害者を減らしていくきっかけになるブログとして続けていきたいと思います。

第2弾として「会員は幸せになったのか?」というテーマで、創価経験者のみなさんが実際に経験してきた、その目で見てきた創価学会員の現実を語ってもらいました。創価で幸せになった人はいません。自分は創価で幸せだと思っている学会員はたくさんいます。それは思っているだけであって、実際の生活は悲惨である場合が多いということも、みなさんの報告ではっきりしました。

第3弾は「なぜ選挙活動が功徳になるのか?」というテーマでした。これはもうその通り。学会員さんは「公明党の票をとればとるだけ功徳がある」と本気で信じて、家庭のことなどないがしろにして、自分がとったFの数に執着します。そのFの数が功徳の数であると思い込まされているんですね。これのどこが信仰なのか、普通に考えればわかりそうなものなのですが、「ここは信心で捉えましょう」という魔法の言葉で疑うことがなくなります。そしてみなさんからは、創価学会員がどれだけおかしな選挙活動をしているかという現実を報告してくださいました。

そこで今回の第4弾は「なぜ創価脳になるのか?」です。第一弾でわかったように、創価脳は上から言われるがままにお金を創価に貢ぎます。それは功徳という代償があることを信じているからです。これが単に組織運営のための寄付であれば、3桁4桁出す人はいないでしょう。ここまで多くのお金を差し出すのは「お金を出せば出すほど功徳がある」ということを信じ込まされているからです。で、実際にそれだけお金を出した分だけの功徳があったと感じている学会員がいるのかというと、現実にはいません。学会員がお金をいくら出そうと出すまいと、何の違いもありません。学会員の中だけではなく、創価とは何の関係もない一般の人と、どれだけの違いがあるのかというと、創価にお金を貢いだ分だけ貧乏に苦しんでいるという現実しかありません。創価では「財務をたくさんすればするだけ功徳があるし、しかも出したお金は後で何倍にもなって返ってくる」といった何の根拠もないことを会員に信じ込ませてお金を出させます。これは一部の幹部が勝手に言っているのではなくて、組織的に全国でこうした指導がされていることもわかりました。組織ぐるみで嘘をついて会員からお金をだまし取っているという事実があります。これが詐欺でなくて何なのでしょう。しかし創価脳はこんな簡単なことがわかりません。創価脳は創価学会が宗教だと信じているし、創価学会の言うことに間違いはないと信じきっています。被害者意識が全くありません。どんなにおかしなことを言われても自分で考えることができなくなっているからです。

こうしてみると、創価にお金を貢ぐ(第1弾)のも、創価で幸せになったと勘違いする(第2弾)のも、公明党を血眼になって応援する(第3弾)のも、全てはこの創価脳(思考停止)のなせる技だということが言えます。

そこで今回のテーマ「なぜ創価脳(思考停止)になるのか?」ですが、これまでのテーマと違って、すこし難しいかもしれません。しかしここはひとつよく考えていただきたいのです。自分はどの時点で創価脳になってしまっていたのか。何をどうしたら創価脳になってしまうのか。それぞれ自分が創価脳になってやっていたときことを思い出してお話をしていただけるとありがたいです。特に「信心で捉えましょう」と指導された時、自分の心にどのような動きがあったのか?少しは葛藤がありはしなかったか。それでもそれ以上のことは考えないようにして活動に専念してしまわなかったか。日顕撲滅唱題会に参加している時に「こんなことしていいんだろうか?」と自分の心のどこかに疑問がわかなかったか?安保法案が閣議決定されるときの国会前でのものすごいデモを見て、公明党はこんなことして大丈夫なのか?などなど、自分の本当の心と創価脳との間でのせめぎ合いを経験したことはありませんでしたでしょうか。そうしたリアルな心の葛藤の体験と、のちにあれが創価脳であることがわかったときの衝撃を語っていただけたらと思います。

よろしくお願いします。

創価脳でもわかる創価の疑問その3 なぜ選挙活動が功徳になるのか?

いろいろゴタゴタが続いたので、ここで気持ちをリセットしまして、『創価脳でもわかる創価の疑問その3 なぜ選挙活動が功徳になるのか?』へといきたいと思います(笑)

今回は、すでに創価では始まっている来年の選挙のための公明党支援活動、いわゆる法戦についてがテーマとなります。公明党がやっていることが、創価の平和主義に反していると言ったことで、相当な数の学会員さんが活動を離れているようです。自衛隊のイラク派遣、特定機密保護法、安保法制、そして安倍政権がこの秋に何としても成立させようとしています。このブログでもそうしたことを話題にした時期もありましたが、今回はそれではないです。政治議論をするような場所ではないし、創価が詐欺であることとは、関係があるとはいえ論点がぼやけてしまいますから、あえてそこにはいかないようにしたいと思います。

公明党がやっている政治活動の批判を始めれば、とめどなくあります。それ一つとってもどう考えてもおかしいことばかりですが、今回はそこはぐっとこらえてください(笑)

では何を語るのか。みなさんが創価学会員時代に実際に行ってきた公明党支援と称してやってきた具体的な活動内容と、それをやることで実際にどうなったか?創価学会員による政治活動がどういうものであったのかを、自分が体験してきたこと、自分がこの目で見てきたこと、そしてそれをやることによって人間関係や家庭環境がどうなったのかまで含めて、できるだけ具体的にお話をしていただければと思います。

選挙活動が始まると、創価脳でも本当に鬱陶しいと思うようです。でもおかしいとかやりたくないなどと言えるような雰囲気ではないですよね。私の父は公明党の議員だったので、子供の頃から直にその雰囲気は染み込んでいます。選挙が始まると、朝の5時から集まって1時間唱題会をします。どう考えても近所迷惑です。周りの住民からすれば異様ですよね。選挙なのに朝の暗いうちから集まって一心不乱に題目を大声で大合唱する選挙運動員。選挙の終盤になると男子部が夜中に相手候補のネガティブチラシを住宅のポストに入れて回る。みんな興奮状態です。とりつかれたようにやります。もちろん友人知人への投票依頼も常軌を逸しています。頼まれる方はいつものことなので口だけハイハイと言ってやり過ごしますが、学会員はそんなこと構いません。とにかくFの数が取れた分だけ功徳になると思っていますから、頼んだ相手が投票しようがしまいが関係なんですね。特に婦人部の方たちは顕著です。政策について聞いてもほとんど知りません。「そんな難しいことわからないわよ。とにかく公明党に入れれば功徳があるんだからやってるの。それの何がいけないの?」と逆ギレします。

まあ、私もいろいろ言い出したらキリがないので(笑)これくらいにしますが、今回はみなさんが体験してきた驚愕の選挙活動の実態を昭隆にできればと思います。

その1 お金と功徳

その2 学会員は幸せになったのか?

そしてその3はなぜ選挙活動が功徳になるのか?

その「功徳」というのも学会員は本来の仏教でいう功徳とは違うものとして刷り込まれていますから、「なぜ選挙活動が功徳になるのか?」と言うタイトルは、いまいち相応しくないのですが、ここでいう「功徳」とは学会員が思い込んでいる「ラッキーなこと」という意味で捉えてください。

それではよろしくお願いします。

とくのさんへ

鯛焼きさんのブログで私の対話記録を元にして戦ってくれたとくのさん、私が水を差すようなことをしたみたいですみません。ガッカリさせてごめんなさいね。でもこれもシニフィエです。そしてシニフィエもブラックシニフィエも世界の山根も私のほんの一部でしかありません。そして私はとち狂ってあのような行動に出たわけではないことを、とくのさんだけには知ってほしいと思いまして、急遽目立つようにこのようなスレッドを立てました。どうか最後まで読んでください。
とくのさんは鯛焼きさんと私との対話の言葉を検証しながら、どっちが正しいことを言っているのかをはっきりさせたいと思ってやってくれていたと思います。私の言いたいことをよく理解してくれたからこそ、思い切って鯛焼きさんのブログに挑戦状を突きつけたのだと思います。その思いはありがたいのですが、結論から言うとやり方がまずかったと思います。

最初はスレッドの中でのやりとりだったのでまだ大丈夫だろうと思っていたのですが、鯛焼きさんが専用のスレッドを立ち上げて「とくのさんvs鯛焼きさんの一騎打ち」みたいな形になりましたよね。私はこりゃまずいと思いました。なぜかというと、このままではとくのさんを総大将とした対話軍と鯛焼きさんを総大将とした鯛焼き軍の合戦になってしまうからです。とくのさんにはそのつもりはなくとも、もはや両大将とも対話ではなく戦闘状態です。そこで論戦が始まると、二人の総大将の後ろには対話ブログの兵士たちが槍を構えていて、鯛焼きさんの後ろにも過激な創価脳が槍を構えて戦闘態勢で構え始めました。さあ、これで戦闘開始になると、ネット上の兵士たちがわらわらと集まってきます。あっという間に二人の戦いなんかじゃなくて、創価大軍vsアンチ大軍の大合戦絵巻になってしまいます。

6年半前に、私はこのブログを立ち上げました。最初は言葉を尽くして創価の犯罪を暴き、被害者である学会員を一人でも覚醒させよう、またできるだろうと意気盛んでした。でもやっていくうちに創価に犯された学会員の病巣の深さに何度も打ちのめされました。そもそも言葉でわかるような相手ではないと。たいして洗脳されていなかった私でも50歳過ぎまで覚醒できなかったのですから、完全に創価にはまっている人間が、おいそれと覚醒できるわけがありません。また、それに加えネットの恐ろしさも痛感しました。創価とは関係のない気ちがいどもがうようよしてるんです。それでなくても覚醒時のショックでうつ病になり、ちょっとしたことでも気が沈んでいた私に、ネットに徘徊している魑魅魍魎が次から次に面白半分に荒らしに来るんです。頭がおかしくなりそうでした。何度かブログを休止しました。でもその度に数ヶ月でなんとか復帰しました。その度に思い知らされたのは、戦ってはダメだということです。そりゃ悔しいです。今のとくのさんの気持ちがわかります。でもね、戦っても何も得るものはありません。あくまでも『対話を求めて』じゃないと、創価脳はいつも戦闘態勢でやってくる。私たちの考えなんか聞く気はないんです。私たちの考えを打ち負かして勝利したいんです。勝利こそが創価脳の目指すところですから。そんなのに乗せられたら、そこですでに負けなんです。というか勝ち負けになっちゃいけないんです。

今でこそ対話ブログはスムーズに流れていますが、これからもいつどこでぶち壊されるかわからないという不安が常に付きまといます。そうした緊張感の中で対話ブログの運営をしてきました。そして6年半。いちばん新しい創価脳との対話の試みが鯛焼きさんでした。私のスタンスはあくまでも対話を成立させることです。たとえ鯛焼きさんが創価脳から出ることはなくても、それを見ている半覚醒の創価脳が見れば何かしら気づいて自分で考えるきっかけになるかもしれないからです、しかしそれが対話ではなく戦いだとしたら、それを見ていた半覚醒の創価脳もまた完全創価脳に逆戻りしてしまうでしょう。鯛焼きさんはとても冷静な風を装いながらも、実は戦闘態勢の強い方でした。のらりくらりと大人のふりをして質問をかわしていくが、肝心なことには絶対に答えない。私も煽ったりなだめたりと様子を見ていましたが、彼の底意地の悪さはウンコたれ(創価とは直接関係のない荒らしが目的の愉快犯)かもしれないと思うほどでした。ちなみに鯛焼きさんは『世界の山根』の最後の二つのコメントは載せていません。品がないから載せられないなどと言ってますが、それは創価にとってかなり辛辣なことを書いていると読み取ったからだと思います。
とくのさんも論戦の勝ち負けで言えば完全に私の方が勝ってることはわかってましたよね。だからあえて私の対話の文章をベースにして「これはいけるぞ」とその気になっていたんだと思います。そこになんで事もあろうに、よりによって私が茶々を入れたのか、なぜぶち壊すようなことをしたのか。これだけ賢いとくのさんならきっとわかってくれると信じています。

創価問題が向かう先は「創価vsアンチ」じゃないと思います。創価の活動をすることでものすごい数の学会員が不幸になっている現実があるということです。だから創価に騙されているのに気づかない学会員に気づいてもらう。このために創価の現実をネットを通じて発信しているんです。なのにその発信が原因で「創価vsアンチ」のバトルがおこり、学会員がますます頑なに創価にしがみつくようなことになっては元も子もないのではないでしょうか。

だからこそこのブログは対話をキーワードにしています。いつも勝ち負けを競う討論ではダメだと言っているのは、討論して勝ったところで相手は敗北感を抱くだけだからです。特に常日頃から勝利勝利と人生の究極の目的が勝利であると信じている創価脳ですから、普通の人以上に恨みつらみも大きくなるでしょう。覚醒どころの話ではなくなります。いわゆる負の連鎖です。とくのさんと鯛焼きさんのバトルが始まれば、鯛焼きさんの取り巻きと、私を応援してくれている方々との関係もどんどん悪くなるでしょう。醜い罵詈雑言の掛け合いとなります。私のブログから鯛焼きさんのブログに行く方も増えていったようだし、創価脳応援団も増えてきていました。おまけに白ユリというネット上では有名な極端な創価原理主義の精神疾患の婦人部もセコンドにつきました。だんだん暴力団抗争みたいに膨らんできたからです。何度も言いますが、たとえとくのさんが言葉で打ち負かしたところで、事態はよくなるどころか返って悪くなります。悪くなるくらいなら負けた方がマシです。もちろん鯛焼きさんが言ってましたように『世界の山根』によってますます俺は創価からは離れないぞ!って叫んでました。もうそれはどうしようもないです。それはとくのさんが鯛焼きさんを言い負かしたところで同じことです。

とくのさんは鯛焼きさんとの討論に勝とうとしてたんですよね。勝てると確信してた。私が余計なことをしなかったら勝てたのにみたいなことを書かれてましたが、勝ってどうするんですか?って、私なんかは思います。そして「もう少し私を信じてくれていれば良かったのに」っておっしゃていました。とくのさんは何でこのタイミングで、よりによって私がナリスマシみたいなことまでしたのか、裏切られた気持ちで怒り心頭なことは、鯛焼きさんのブログに書いたコメントでも伝わってきます。しかしとくのさん、私はあえてこのタイミングだからこそ、そして私だからこそ、こうしてとくのさんと鯛焼きさんのバトルを『世界の山根』という着ぐるみを着てぶち壊しに行ったんですよ。植木等のギャグみたいに「こりゃまった失礼いたしましたっ!ちゃんちゃん」ってなるように。

私が鯛焼きさんとの対話を早々に切り上げたのも、似たようなことからでした。鯛焼きさんの受け答えははなっから対話なんかじゃないんです。創価脳特有の上から目線で仏敵を叩きのめす。それこそが正義だと思い込んでいる。あるいはアンチに対する慈悲だと思っているかもしれません。しかし対話ブログという相手の経歴が経歴だから、ここはひとつものわかりの良さそうなキャラでいこうという、なんとも底意地の悪さがにじみ出ていました。鯛焼きというHNは少し前にアンチブログ『白バラ通信』という希望さんのブログのコメントにあったのを思い出しました。それが鯛焼きさんなのかどうか確認はできませんが、そのコメントの内容が異様な創価脳丸出しの雰囲気だったのを思えています。だから私は早い段階でこりゃ対話は無理だと判断したんです。ただ本当に自分でブログを立ち上げて大騒ぎするとまでは思ってませんでした。かといって私が鯛焼きさんのブログに乗り込んでいっては、さらに事態を悪化させて、ネット上の魑魅魍魎が大喜びするだけのみっともないバトルになることは目に見えていたから何もしないでいました。その特設リングに颯爽と現れたのが正義の騎士とくのさんだったんです。さっきもいったように、普通のスレッドのコメント欄に埋もれるぐらいならまだ良かったのでしょうが、特設リングでのメインイベントが始まりそうになっていましたからね。こりゃぶち壊さなくては、私のブログが原因で大変なことになると思ったんです。

たぶん、とくのさんは私を信頼してくれていただけに、ナリスマシみたいなことをして、とくのさんのやろうとしていたことをぶち壊してしまった私に大変な不信感を抱いているかもしれません。そのまっすぐな正義感には敬服します。拍手も送りたいです。でもそうやって得られるものが何なのかを考えてもらいたいんです。なぜ私がこんなことをしたのか、とくのさんがわかる日がくるかもしれないし、こないかもしれません。それは私にもわかりませんが、とくのさんの私に対する信用など失ってもいいから、私の対話の記録が元になって、覚醒できる学会員までもが覚醒できなくなるのは阻止しなければと思った次第です。そうした理由で『世界の山根』が登場したのです。

 

それでは鯛焼きさんが承認しなかった『世界の山根』の最後の演説を載せておきます。言葉遣いはデタラメですが、言ってることは真面目なことを書いています。鯛焼きさんは下品の一言で掲載しませんでした。そしてこの一つ前もかなりいいことを書いていたのですが、すでに削除されています。それならそれで構いません。彼のブログなんですから。『世界の山根』が何を言いたかったのか、わかる人にわかってもらえればいいと思っています。

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2018年8月10日

鯛焼き屋はん、ワシ呼んだか?笑
おぉ、ワシが世界の山根や笑
鯛焼きは〜ん、あんたやっぱりとことんだっさいな〜笑
バラすの早すぎや笑
この山根風高度なシャレがわからんのかいな〜ほんまに〜笑
なんで途中で標準語話した思てんねん。
なんでワシがIPアドレスですぐにわかるようなことしたんか考えんかったんかいな?
せめてもうちっとウィットとユーモアっちゅうもんを見せて欲しかったわ〜笑
鬼ごっこで勝ったのが嬉しくてはしゃぎすぎて過呼吸になった小学生みたいにみっともないで〜笑
ワシわな、28歳下の韓国人の奥さんから「もう楽になってください」言われて辞任する決めたんや。
いやいや、ワシは教祖様でも聖人君子でもないてずっと言うてきたで。
対話ブログはそんな薄っぺらいもんとチャイまんがな(方言めちゃくちゃですまん)笑
鯛焼きはんがシニフィエ教だの教祖様だの勝手に言うとるだけやがな笑
その点、たえちゃんはんはよう分かっとるなあ。ありがと。
判定はたえちゃんはんの奈良判定勝ちやな笑
そりゃワシも黙っとったから対話ブログの人たちもビックリしたかもしらん。
昔はブラックシニフィエと自分で言っとったわ笑
しらんやろうけど笑
しかしワシは世界の山根であっても教祖さまとはちゃうんやから、
そこでガッカリして離れてもろうてもいっこうにかまわん思てるで。
ワシ正義のヒーローやないし笑
そんなヒーローになりたくてやっとるわけでもないし。
ワシそんなペラペラなプライド持ち合わせとらんし笑
ネットでチヤホヤされて喜ぶようなアホちゃうで笑
人間そこまで単純なわけでもない。
創価の闇なんぞそんな生易しいもんとちゃう。
ほんまは創価は詐欺ぐらいで済む話やないんやけど
せめて詐欺のところぐらいは気づいたらどやって話や。
それがいちばん分かっとらんのが当事者である創価脳の皆さんなわけや。
鯛焼き屋はんがヒステリックに言う感情的とか、脳内変換とか、そんなもんど〜〜うでもええねん。
そんなん1万回言われても痛くも痒くもないで。
本門の本尊も三世の生命もど〜〜〜うでもええねんで。
対話ブログはそんなくだらん話をするようなとこやない。
それがいつまでたっても鯛焼きはんにはわからんのや。
要は!
ええか?鯛焼きはん。
要は最低限創価が詐欺だという事実をどこまでわかるかが問題なんや。
最低限の話をしとるんやで。
対話ブログでそれ以外のことなんか話する意味ないで。
だからバカバカしくなってスレッドごと削除したんや。
それが感情的だと非難するならしたらええがな。
また表示したとおちょくったらええがな。
んなもんど〜〜〜でもええことや。
会則の変更とか池田が8年も出てこんとかどうでもええんよ。
会則がどうなろうと池田がどこぞで100年元気だろうと、
脱会した者にとっては本門のポンポンでも池田が200年生きていようと何だってかまわんわけや。
しかし創価脳にもわかりやすく話そうして、会則やら池田の話を例にしてわざわざ話をしとるわけ。
そこのどうでもいい細かいとこをいつまでもうだうだ話すから頭にきたんや笑
頭に来て何が悪い!笑(ほんとは呆れただけや笑)
しかし学会員が創価に騙されて不幸なままに死んでいってることに変わりはない言うてんねん。
問題の中心はそこ以外にないっちゅうねん。
あんたら騙されとるで〜っちゅう話をしとるのに、俺が正しいの、御書に書いてあるだの、創価にも間違いはあるだの、中国にSGIがどうたらだの、
たらたらたらたら愚にもつかんことしかぬかさんやろ。
はっきり言うけどな、創価で不幸になってる学会員があんだけおるっちゅう事実を徹底的に無視するあんたらに、
創価を語る資格なんかあらへんがな。
わかるか?
たくさんの人の命がかかっとんのや。
見たか?対話ブログの最新スレッド。
創価で一生懸命に頑張ってきた学会員がどんだけ不幸になったかという事実が、
対話ブログに何百人もの自分の体験として書いとることを完全に無視するやろ。
なんでや思う?
いちばん肝心なことを無視しとる自分がいることを考えもせんやろ。
だから思考停止言うとんねん。
これこれこういう事実があることをどう思うか?って訊いてもな、
これはこうだから、あれはそうだからと、
その場しのぎの苦しい屁理屈でかわしとる気になっとるんやろうけどな、
なんでいちいち屁理屈を考えんと答えられんのか考えてみ。
恐ろしくて考えられへんやろ。
創価が正義やないと自分も正義じゃなくなるしな。
創価脳は自分は正しい生き方をしとると思いこまんとやっとられんもんな。
創価脳のモチベーションはそこにつきるわな。
もしほんとに創価が詐欺だったら自分の人生全否定やもんな。
なんとか屁理屈言うてでも自分に言い聞かせなあかんもんなあ。
しかしどんなに屁理屈こねまくっても、
創価でここまでたくさんの不幸な学会員がいると言う事実はごまかしようがないから、
ここは無視するしかないわけや。
創価脳は「創価で不幸な人もいれば幸せという人もいる」とか平気で言うわな。
創価で幸せな人がおるなら不幸な人がおってもかめへんのか?
その不幸な人が自分の子どもであっても同じことが言えるのかって話や。
自分でも気づかんうちにそこは真っ白になっとるよな。
なんでかちゅうと、自分で考えへんからや。
世界の山根も昔はそうやったからようわかる笑
で、もうこりゃいい加減に対話にならんと匙なげたら、
今度は無断で他人のブログのデータを盗んで勝手にブログを立ち上げて、ネチネチネチネチ愚痴るわ、愚痴るわ、
ほんまみっともないがな。
まあ、これが創価に騙されきっとる創価脳なんやから仕方のないことかもしらんがな、
このとことん問題意識のない思考停止のみっともないブログを他人のブログのテキストを盗んでまでやらんで欲しいけど、
まあ、そんなもんどうでもええがな。
男の中の男、世界の山根が許したるわ笑
そこでこの軽薄盗用ブログにふさわしい世界の山根の出番が来たわけやな笑
口と頭は悪いが女には甘い世界の山根がいっちょ出たろか思ただけや。
意外とおもろかったやろ?笑
だから鯛焼きはんには世界の山根が誰か分かっても、
しばらくはそのまま対話をしてくれとったら少しは人気ブログになったかもしらんのに、惜しいことしたなあ笑
残念ながら鯛焼きはんはあいかわらずやることが理事たちとおんなじでえげつないわ〜ほんまに笑
ま、そゆこっちゃ笑
鯛焼きはんは筋金入りのロボトミーやから無理やろうけど、
これを見にきた覚醒しかけの学会員なら少しは創価脳の意味がわかるかもしらん思たわけや。
それと世界の山根ならカッとなってもええし笑
気楽におもろい話もできたのになあ笑
鯛焼きは〜ん、もう返事はいらんし、世界の山根もこれで引退や。
大阪ブロックの会長は続けるけどな笑
これ以上はもうけえへんで。
いつまでもこの盗用ブログで愚痴っとったらええねん。
じゃあみなさんお元気で笑
男の中の男、世界の山根がお送りしました笑笑
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以上です。

創価脳でもわかる創価の疑問その2 学会員は幸せになったのか?

そろそろ次の創価への疑問に移りたいと思います。

Ka-Thiiさんにまとめていただいたリストで、2番目に多かった創価への疑問は、

2.宗教としての創価学会への疑問(本尊、教義や指導、活動、入会や退会について、一家和楽、やってた時の方が不幸等)

でした。

「これでも創価は宗教なのか?」という基本的なことに関する疑問ですね。内容としては特に実際に創価学会員に幸せになった人が見あたらないというか、これだけ頑張って言われたとおりに活動しているのに普通の人よりも明らかに不幸になってる人が多いというのが大きな疑問点としてあげられると思います。そこで今回はやはりテーマをグッと絞って、皆さんの実体験をもとにした検証をしてみたいと思います。

皆さんの身近な人たちで長いこと創価の活動をしていて幸せになった、つまり創価が言うところの絶対的幸福境涯を得たという学会員がいるのかどうか?また、身近な学会員が実際にどのような生活をしているのかをお話ししていただけるとわかりやすいと思います。前スレでハッキリしたように、活動を真面目にすればするほど自分や家族との時間はなくなり、お金もみんな創価に貢いでしまうのですから、それだけでも一般の人より幸せなわけがないことははっきりしているわけですが、実際にそれがどのような生活ぶりなのかを具体的に教えていただけると「これでも創価は宗教なのか?」という疑問の答えは出るのではないかと思います。

私の身近な学会員としてはやはり両親ですね。それこそ昭和30年ごろから死ぬまで信心を愚直に貫いてきました。いわゆる草創期からの学会員です。たしかひとつの支部(支部と言っていたかはわかりません。部隊とか言ってたような気もします。名前も組織の実態も軍隊そのものでした)が3つの県をまたいでいたぐらいの頃です。

もちろん私は生まれていません。そのころ両親は自営業を営んでいました。高度経済的成長期の始まりの頃でしたから、私が生まれた頃は商売も順風満帆で、病気もすることはなく、とくに悩みもなかったそうです。あるとき父の知り合いが創価に入らないかと勧誘してきたそうです。(その知り合いの子どもが中学校のときの私の同級生だったのですが、親子ともどもとても悲惨な死に方をしました)当時の父は特に悩みなどなかったそうですが、信じられないくらい人のよかった父はあっさり入会してのめり込んでいったようです。

当時はまだ学会員と言ってもひとつの県に何百人もいない頃で、住んでいる市内でも学会員は100人ぐらいだったと聞いています。もちろん会館などあるわけもなく、私の自宅が会館がわりになっていました。私が小学校に入る前くらいにやっと木造平屋建ての中古の一軒家を買って会館になりました。父は母に対して入会を迫ることはしなかったそうです。それも父らしいと思いました。

それでも毎日一生懸命に勤行唱題や活動している夫の姿を見ているうちに入会することにしたのだそうです。このような話を聞けば、仲睦まじい夫婦の幸せそうな話に聞こえます。確かに両親はほんとに仲が良かったです。これは創価に入る前からそうでしたから創価とは関係ありません。夫婦で仕事も頑張りながら、学会活動にもはげみ、ふたりともあっという間にその地域の最高幹部になります。なので夜はほとんど家にいません。私は夜に親がいないのが当たり前だと思ってました。それでもときどき強烈な孤独感に襲われるときがありました。そのころのトラウマが後に芸術系の興味を持つようになる素地を作ったのかもしれないとあとで思うようになりました。

さて、その両親ですが、父は公明党の議員として出馬させられることになり、順風満帆だった商売をたたまなければならなくなります。議員としての給料はありますが、貯金することなく、あるお金はみんな財務に貢いでいましたので、わが家は商売している頃より明らかに貧しい生活を強いられました。それでも学会員は影で「誰のおかげで議員がやれてると思ってるんだ」みたいなことはあったようです。

前にも言いましたが、2人の姉が結婚するとき両親は1円も出さなかったそうです。いや、出せなかったんです。そして父は何期か議員をやりますが私が高校生のとき落選します。このいきさつを話すと身バレしますので話せませんが、とにかくわが家はそこで一文無しになります。私は芸術系の私立大学を諦めて奨学金の出る国立大学に進まざるをえなくなりました。それから父は高齢者雇用の受付業務の仕事をはじめます。当然それでは家族を養ってはいけませんので、母は生まれて初めて食品製造のパートで働きはじめました。一般的には定年間近になった一家が突然ほっぽり出され食うにも困るような事態になります。結局、父は70歳で突然原因不明の呼吸困難に陥りひとり自宅にいて苦しみながらこの世を去ります。そのとき母は会合に行っていたので夫の死に目に立ち会うこともできませんでした。もちろん子どもたちの誰も立ち会うことができないまま父は逝ってしまいました。その後、母は気丈に生きてきましたが、今は認知症が進み、わが子の顔も忘れて自分が誰なのかもわからないまま施設で暮らしています。

いったい両親の人生は何だったのでしょう。これが創価の言う絶対的幸福境涯なのでしょうか?私の両親はとくに悩みなどなかったのに、人がよすぎたために創価に騙されて、創価にすべてを捧げたまま、貧しい暮らしのままで人生を終えてしまいました。

また、私の兄夫婦がそれと同じ人生を辿りつつあります。創価脳の兄夫婦は両親が創価のせいであんな悲惨な人生になったことを理解できません。そして自分たちが両親と同じような人生を辿っていることもわからないでいます。両親と同じように持てるお金はすべて創価に貢いでいます。もう70を越えています。何十年も一心不乱に活動に専念してきましたが、夫婦そろって事故と病気で障害者になりました。子どももできませんでした。今さら創価は詐欺だなんて残酷すぎて私からは言えません。これが私の身近な創価学会員の現実です。

学会員にとって創価は宗教なのでしょうが、客観的に見れば詐欺でしかありません。それは何よりも現実がすべてを表しています。創価でも三証と言って、宗教の浅深高低を判断する基準の考え方を教えますが、この文証、理証、現証に照らしても、創価がもはや宗教ではないことはあきらかなはす。文証としては法華経ですが、法華経は釈迦の教えではないことは学術的にハッキリしています。御書もかなりの部分が偽書であることもわかっています。理証としての日蓮正宗の教義も創価は全否定しました。そして三証の中でも最も重要だとする現証。つまり現実はどうなのかを見れば、私の両親や兄夫婦の人生を振り返っただけでもはっきりわかるというものです。

ということで、今回のテーマは

『創価脳でもわかる創価の疑問その2  学会員は幸せになったのか?』とさせていただきます。

皆さんの身近な学会員、あるいはご自分の活動家時代の話でもけっこうです。とにかく自分のこの目で見てきた学会員が実際に幸せになったのかどうかについてのお話を聞かせてください。

よろしくお願いします。

創価脳でもわかる創価の疑問その1 お金と功徳

それではこれから「創価脳でもわかる創価の疑問」をテーマに、みなさんからのご意見や創価時代の体験をお話しいただければと思います。

まずはいちばん疑問の多かった創価のお金の問題からいきます。

創価はなんと言っても会員からお金をまきあげることが目的の詐欺集団です。このことに気がつけば、今まで創価がやってきたすべてのことがきれいに説明がつきます。それを「創価は正しい宗教だ」ということを前提にするから、たくさんの疑問があふれてくるのです。

先日から私がしつこく聖教新聞の売り上げがどれくらいになるか試算して見せているのは、聖教新聞ひとつとっても、会員さんは一年に何千億円というお金を創価に貢いでいます。財務に至ってはその比ではないことは創価脳にもわかりますよね(笑)。創価が会員から受け取っているお金は財務と聖教新聞だけではありません。あの巨大な墓もそうです。ひとつ100万円以上します。私の父の骨が半分入っている創価の墓は、人里離れた山奥の森林を二足三文で買いたたき、一家にひとつにとどまらず、一人にひとつづつ買わせようとしてました。しかもペット霊園かと思うようなお粗末さ。山奥にあるので墓参りするのも大変です。ちなみに私の父の骨は半分を、二つ県を越えた創価の霊園に移しました。車で高速飛ばしても3時間以上かかります。家族で行ってる者はいません。少なくともこの10年以上誰も墓参りに行っていないんです。だって車で15分の日蓮正宗の墓に骨を半分残しているから、みんなそっちに墓参りに行きます。あの墓園事業でもそはかなりぼろ儲けしてます。たくさんの書籍や民音や美術展も、みんな組織にノルマが与えられているから、創価は確実に儲かってます。学会員さんがタダ同然で配達や集金しなくたって人を雇えるだけの利益はいくらでも出てるんです。だって聖教新聞は印刷を依頼している毎日新聞より発行部数が多いんです。部数で言えば朝日、読売についで日本で3番目に多いんですよ。毎日新聞はタダで配達したり集金したりしてくれる人はいませんが、ちゃんと会社として成り立っています。しかも聖教新聞みたいに広告ばっかりの新聞ではなく、全国にたくさんの記者や編集局をかかえてやっています。聖教新聞は新聞ではないし、本社以外は会館が社屋がわりで、記者も創価の職員が片手間にやってます。経費なんて全然かからないんです。ものすごい利益率です。毎日新聞なんかの利益の比じゃないことは明らかですよね。そして財務。経費なんてぼぼゼロに近い。何百万円出そうが三色マーク入りの便箋やら見られたら恥ずかしい創価のクリアファイルとかですよ。あとは振込手数料ぐらいでしょうか。とにかく創価はいっさい収支を公表しません。朝鮮半島にかなり流れているという話もあります。パナマ文書にもSOKAの文字が並んでましたよね。役所がある時期まで創価の最高幹部の納税額を公表してましたが、とんでもない額でした。でも集めた額にくらべればなんてことはない額です。創価はいまでもあの手のこの手で会員からお金を巻き上げています。

学会員さん、いい加減気づきましょうよ。そもそもお金を出せば出すほど功徳があるなんて、どう考えてもおかしな話なんですよ。日蓮の御書にそんなこと書いてますか?法華経に書いてありましたっけ?今はわからないでしょうけど、まともな思考能力を取り戻せたなら簡単にわかることなんですよ。創価の信心で幸せになった人がどこにいるんですか?逆に不幸になった人がこれだけいる事実をどう考えているんですか?と聞きたいですが、学会員さんは自分で考えるとバチがあたると教えこまれているから、恐ろしくて考えることもできないんですよね。いろいろ考えなくていいですから、今まで自分がどれくらいのお金を創価に差し出したかざっとでも計算してみてください。今まで払った財務、新聞、書籍、民音、美術展、選挙のときの交通費、ほかにももっとありますよね。で、そのお金に見合うほどの今の生活なのかどうか。学会員ではない人よりどれくらい幸せになっているのかだけでもいいから考えてみてほしいものです。要するに目の前の現実を見てくださいということです。

ということで、今回は創価に関するお金の闇は底知れないので学会員さんに言ったところで頭から否定するだけでしょうから、ここではテーマをグッと絞って、学会員さんが実際に創価に貢いできたお金がどれくらいあるのかということと、そうしたお金の多い少ないで人間の不幸が左右されるという創価の指導を信じきっていることの非常識な感覚について、みなさんの創価時代の実体験を中心にしたお話とご意見を聞かせていただければと思います。

よろしくお願いしますm(_ _)m

創価に対する疑問リスト

以前お話が出ていました「創価に対する疑問リスト」

これからしばらくはこれでやっていきたいと思います。

創価に対する疑問はいくらでもあります。ありすぎて頭の中で整理できないですね。なので、ここでひとずつ「創価に対する疑問と根拠」つまりどういった具体的な事実が疑問になっているのかということが簡潔にはっきりとわかるようなリストをみなさんで作っていければと思います。まずは基本的なところの疑問をみなさんに出していただいて、それをジャンル別に整理してナンバリングしてから根拠の部分を簡単な文章にまとめていくとわかりやすいのではないかと思います。

本当は鯛焼きさんとの対話を進める中で作れたらいいなと思っていたんですが、すぐに論点をずらされてきたので無理だと思いました。

・なぜ創価は会員数を公表しないか?

・なぜ創価は収支を公表しないか?

・なぜ莫大な収益をあげている聖教新聞の配達集金を会員にタダ同然でやらせるのか?

・なぜ創価は御本尊を平気で替えるのか?

・なぜ公明党は戦争しやすくする法案を強行に通すのか?

などなどいろいろあると思います。

ということで、まずはみなさんからは思いつく「創価に対する疑問」をあげていってください。

よろしくお願いします。