思考停止という病

以前も紹介した苫米地英人氏の『思考停止という病』から引用します。

>これまでの著書でも何度も書いていることですが、この世の中にアプリオリなものはありません。アプリオリとは、唯一絶対的な不変の真理のこと。それがないと言っているのです。これは釈迦が約2500年前に言ったことです。つまり、「当たり前なこと」も、「正しいこと」や「常識」も間違っている可能性があるということです。この、「当たり前」「正解」と思っていることを、「本当に正しいのだろうか」「別の方法はないだろうか」「この通説や論理は、何を前提に正しいと言っているのだろう」と疑うことから、思考は動き始めます。

とあるように、もともと釈迦は「この世に絶対不変の真理などといったものはない」と言っています。これが釈迦仏法の基本です。では創価学会や日蓮正宗は「日蓮こそが末法の御本仏であり、南無妙法蓮華経こそ宇宙根源の法則である」と言うことを基本にしていますよね。ちなみに日蓮は自身を末法の本仏だと明言してはいないし、日蓮正宗とそこから派生した新興宗教団体以外は、日蓮を末法の御本仏だなどと言ってる宗教団体はありません。そのような教義を仏教の本義だ信じるのは自由ですが、これが間違いだということは小学生にでもわかることです。なぜ小学生でもわかるような間違いを信じて疑わないのかというと、思考停止しているからです。つまり自分で考えないからです。考えないから自分が間違った考えで行動していることにも気がつかないし、創価にお金を出せば出すほど幸せになれると信じ続けて、いつまでたっても幸せになれないどころか、生活に必要なお金がなくて困っている現実を受け入れることができなくなっている学会員さんが多いですよね。「この信心を貫けばいつか必ず幸せになれる」と創価から言われたことを、自分で考えることなく鵜呑みにして財務を出し続けた結果、現実は生活に困ってしまう。現実に困っているのに、その原因がどこにあるのかを考えようとしない。創価から「まだあなたの信心が足りないから」と言われて、ますますお金を創価につぎ込んで家庭崩壊してしまうんです。幸せになるために学会活動を頑張ってきた学会員さんが、幸せになるどころか、日々の活動や財務をすることが原因で生活が立ち行かなくなったり、職場やご近所との人間関係が険悪になったりした学会員さんが本当に多いです。厳しい現実によって、否が応でも自分で考えなくてはいけなくなった学会員さんが、創価がまともな宗教ではない事に気がついて、活動をやめたり脱会したりしてきたんです。そしてそれでも気づかない学会員さんが今も残っているので、今の学会員さんは自分で考えない高齢者ばかりになったんですね。まさに原因とその結果が歴然と現れていると言っていいのではないでしょうか。

学会員さんは物事には必ず原因があり、その結果があると教えられます。それが仏教の基本だと。だったらなぜ創価学会は30年間も衰退し続けているのかの原因が何かを考えようとしないのでしょう。創価学会が発足して90年も経つというのに、創価学会が社会から認められないのは、どこに原因があるのだろうか?ということを自分で考えないのはなぜか?ということを考えて欲しいです。「日本人は創価に怨嫉している」とか「海外では広まっている」とか何の確証もないことを言われるがままに信じて、それ以上のことを自分で考えようとはしません。だから創価が衰退している現実も、自分がちっとも幸せになっていない現実についても「なぜか?」なんて考えることがないんですね。

考えるということは現実を見るということでもあります。考えれば現実を見ないわけにはいかないし、現実を見れば考えないわけにはいきません。

創価が詐欺でなくて何ですか?

今の創価学会活動家の半分以上が65歳以上の高齢者ですよね。この方たちの10年後は会員の半分以上が75歳か亡くなっているかです。男女青年部の活動家が地区や支部にどれくらいいるでしょう。一人もいない地区も珍しくなくなりました。では10年後の彼らは壮年婦人部です。その時、男女青年部活動家が今より増えると思えるでしょうか?増えるわけないですよね。今の男女青年部が10年後に組織活動の中心になるしかない。あとは65歳以上の高齢者しかいない組織。創価学会に未来はあるでしょうか?あと何年先に広宣流布が可能になる時代がくるでしょうか?来るわけないですよね。なのに、今の活動家さんたちは、毎年毎年広宣流布のために役立ててくださいと財務を出し続けているんです。どう考えてもできないことを、あたかもできるかのように信じ込ませてお金を集める。これって詐欺じゃなくて何でしょう?学会員さんは有り余ったお金を出してるんじゃないんです。「創価にお金を出せば出すほど幸せになれる」と言われ流ママに信じているから、なけなしのお金を出すんです。生活に必要なお金でさえ出してしまいます。「あとから何倍にもなって必ず返ってくるんだから、出し惜しみしたりしちゃダメよ」などと、無責任な婦人部長が真面目な学会員さんを煽ってお金を出してしまうんです。これって詐欺でなくて何ですか?創価から言われることを自分で考えずに信じてしまう前に、自分の頭で考えて欲しいんです。どう考えてもできないことにお金を出させている創価学会。どう考えてもできもしないことにお金を出し続けている自分。それが真面目な学会員さん現実ですよ。私の両親も兄夫婦も真面目な創価学会活動家でした。そして父も兄も少しも幸せになんかならずに一生を終えました。これが現実です。創価が詐欺でなくて何ですか?

高齢者しかいなくなった創価学会に広宣流布ができるような現実がありますか?

前々回のスレッドに書いたように、現実を見ることができない人に何を話しても無駄だということは、これまでの創価脳さんとの対話の試みでよくわかりました。「いろいろ言ってますけど、現実はどうなんですか?」という質問に、創価脳さんは何も答えることができません。つまり創価脳さんは、創価学会から教えられることそのままに、創価学会だけが人々を幸せにできる唯一の正しい宗教だと信じています。しかし「現実に創価学会員だけが幸せになっているという現実がありますか?」という質問に「はい」と言える学会員はいません。現実を無視しないと「創価は正しい」とは言えないのが現実です。一般的な感覚では「この世で創価学会を信じて活動をする人だけが幸せになれる」と信じることができること自体が異常だと思うのですが、創価脳さんは創価だけが正しいとしか思えないという自分の異常な現実に向き合うことができないんですね。目の前の現実を見事にスルーしてしまうのが創価脳さんです。

このブログでもいろいろありましたが、結局のところ「じゃあ、現実はどうなんですか?」というところに尽きるんだと思います。仮に百歩譲って創価学会が正しい宗教だとしても、現実の創価学会は日蓮正宗から破門されてから今までの30年間、ずっと衰退し続けていて、残っている会員は昔からいる高齢者だけになっていますよね。これから先、どう見ても創価学会は消えてなくなるしかないことは目に見えています。この現実をあなたはどう説明するのですか?創価学会は日蓮の教えを世界中に広めることで世界中の人を幸せにしようという、いわゆる広宣流布を目的として活動しているのに、創価学会はこの30年間ずっとそうであったように、このまま衰退を続けて消えてなくなるしかないという現実。つまりどう考えても広宣流布は不可能という現実とどう向き合うのでしょうか?今いる学会員さんが、どんなに頑張って広宣流布に邁進しようとも、広宣流布は不可能だという現実が目に前にあるんです。どっちの本尊が本物か偽物かとか、日蓮が末法の本仏かどうかとか、理屈や能書きはともかく、実際に創価学会に広宣流布ができるような現実がありますか?ということです。答えは「ありません」です。これははっきりしている現実です。

今まで真面目に活動してきたけれども、最近は特に活動自体に納得できないことが多すぎて悩んでいるという学会員さんも多いのではないでしょうか。しかし「創価を疑ったりするとバチが当たる気がして、恐ろしくて自分のそんな疑問に向き合うことができないことも大きな悩みだ」という学会員さんも少なくないようです。その悩みはあって当然です。幸せになりたくて真面目にやってはきたけれども、周りの学会員さんがどうしても幸せそうには見えないと口に出して言えないで悩んでいる学会員さんも多いと思います。学会員さんと、学会員さんじゃない人たち。幸せそうな人はどっちが多いでしょう。もちろん創価学会じゃない人たちに決まっています。世の中には創価学会じゃない人たちが圧倒的に多いのだから当然です。創価学会員の数はいまでも公称827万世帯などと言っていますが、実際に活動しているのは100万人程度のようです。もしかしたらそこまでないのかもしれません。とにかく創価学会ははっきりとした会員数さえ公表しません。活動家は統監の1割程度のようですので、名前だけの学会員を含めても1,000万人いるわけがないのです。ましてや本当に827世帯が本当だとしたら、1億3,000万人の日本人のうち、2,000万人が学会員だということになってしまいます。日本人の6人に一人が創価学会員だなんて、どう考えても嘘です。そんな誰が見てもわかる嘘を創価学会は公式HPに堂々と載せているんです。創価学会はもともと平気で嘘をつくようなインチキ宗教団体だという現実に、いちばん向き合わなければならないのが現役の創価学会員の皆さんだと私は思っています。このブログを続けている理由はそこにあります。

「広宣流布のために少しでもお役に立ちたい」学会員さんの中には本気でそう思って頑張っていらっしゃる方も少なからずいらっしゃることも知っています。そんな純粋な学会員さんの気持ちを利用して金儲けをしてるのが創価学会なんです。そんな真面目な学会員さんにこそ考えて欲しいんです。広宣流布のお役に立てればとの思い出出してる財務だと思います。しかし現実的に広宣流布なんかできるわけがないのが現実です。ではあなたが出している真心の財務のお金が何に使われていると思いますか?知りませんよね。学会員さんは毎年の財務がどれだけ集まっていて、実際に何にどれだけ使われているのかも知りません。知らされません。「きっと広宣流布のために大切に使われているんだ」と信じていると思います。しかしです。目の前にあるのは「広宣流布は不可能だ」という現実なんです。だったら今まで出した財務は無駄なお金であるばかりか、何に使われているのかも永遠にわからないんです。それが学会員さんの現実であることに気づいて欲しいです。

近況です

9年続けてきたブログを2月9日から休止しています。正確に言うと、皆さんからのコメントを休止しています。それまでは毎日数回はこのブログを覗いて、みなさんからのコメントを読み、できる範囲で自分の考えを書いたりしてきました。そうした毎日のルーティーンを休止することで、私の生活や意識がある程度変わりました。休止したすぐは、どうしてもブログのことが気になっていましたが、一ヶ月以上経つと、それも不思議と気にならなくなるものなんですね。

これからまたこのブログを以前のような形で続けることは、できないことではないし、それなりの意味があるとも思います。ただ、せっかくこのようにこのブログそのもののあり方を考察する機会ができたのだから、これまでとは違った形の可能性を考えてもいいのではないかとボンヤリと考えています。

じつはステージ4の癌が見つかった兄はすでに亡くなりました。亡くなったことをリアルタイムに報告すると身バレする可能性があるので言わずにいました。

兄の葬儀の時に、久々に学会員と対面しました。みんな兄を慕って来られました。もちろんいい人がほとんどです。ただちょっとしたことで場をわきまえない非常識さが見受けられるので、相変わらずだなと思いました。私が少年部の時にお世話になった男子部の方が導師となって、参列者のほとんど全員による読経が始まった時には、ほんとうに異様に感じました。まさに気味の悪い新興宗教団体の葬式だと思いました。昔の私もこんな異様な集団の一人だったのかと思い知りました。読経のあと、80歳ほどになったであろう導師が昔から変わらない創価自慢の挨拶文を棒読みし、さらに「池田大作先生から弔意文をいただきました」と、これまた紋切り型の定型文を読み上げました。それも個人に対する弔いの言葉ではなく、創価が世界平和を目指す尊い団体であるといった自慢話でした。私は悔しかったです。実の兄をこのような形で弔わなければならなかったことが本当に悔しかったし、兄がかわいそうでなりませんでした。しかし創価脳の兄嫁と争ってもどうしようもないので、一旦は創価の墓園に遺骨を納めても、いつか必ずそこから救い出して、まともな場所に埋葬してあげるからねと、棺に横たわる兄に伝えました。

兄が亡くなったので、私の身内に学会員はいなくなりました。母はまだ生きてはいますが、認知症で創価のその字もわからなくなりました。母が亡くなったら創価とは全く関係のない普通の葬儀と納骨を私が仕切ってするつもりで、ほかの兄弟ともその話はしています。父の遺骨は正宗の墓にありましたが、創価が破門されてから兄夫婦が強引に父の遺骨を半分にして創価の墓園に移しました。なので母の納骨の時に、父の遺骨も一緒に創価とも日蓮正宗とも関係のない場所に埋葬するつもりです。その時に、私は完全に創価学会との関係を断ち切ることができたと言えるのだと思っています。兄が思いがけずこんなに早く亡くなってしまいましたが、そのことで両親や兄の墓をどうするのかということも見えてきました。そしてもちろん、自分もその墓に入るのだということが見えてきて、少しホッとしています。私自身は自分の遺骨がどうなろうがどうでもいいのですが、妻や子どもや孫たちの気持ちを思うと、ここはしっかりとけじめをつけておくべきだと思う次第です。

目の前の創価学会の現実を見ましょう

前回紹介した年表を見てもわかるように、この地球上に私たちの祖先であるホモ・サピエンスが登場して25万年から30万年経ちます。チンパンジーから人が進化し始めたのがおよそ670万年前なんだそうです。670万年という年月を想像してみてください。それからいくつかの人類に進化し、最後まで生き残った人類がホモ・サピエンスだけだったんですね。そのホモ・サピエンスも、何度か絶滅の危機があったのだそうです。私が作った年表の中で、7万年前あたりで人口がちょっとだけ減っているところがありますが、そこのところが人類が滅亡寸前にまで追いやられた時期を示しています。一説によれば大規模な気候変動によって人類は2,000人くらいしかいなくなったとのことです。しかし人間はそこから何とか生き延びることができて、およそ7500年前ぐらいに狩猟生活から安定した農耕生活に移行し、その生活集団が次第に大きくなる過程で都市が形成され、やがて文明が生み出されます。シュメール人による世界最古とされるメソポタミア文明ですね。農業、暦、文字、経済そして多神教の宗教が整います。王朝という絶大な権力を維持するために必要なものが揃ったわけです。その権力の維持に必要だったのが神の物語でした。こうして世界中で様々な神の物語が作られました。3,000年前から2,000年前に人類は今も残る宗教体系を作り上げます。インダス、エジプト、ギリシャ、黄河に生まれた文明が、それぞれに神の物語を作り出します。25万年の人類史上で、この時期が宗教爆発とも言える時期だったと思います。

先ほど「670万年という年月を想像してみてください。」と言いました。チンパンジーから進化し始めた人間が、神々の物語を作り出すまでに要した時間が670万年ということです。その時間の感覚からすれば、人間が初めて宗教を作り出してから今までのおよそ3,000年という時間は、1/2,233でしかありません。

西暦元年の頃の世界人口は約3億人だったんだそうです。それから1800年後の産業革命の頃までに人類は約9億人に増えました。1800年間で3倍に増えたんですね。ところがそれから200年間で人類は78億人に増えました。200年間で約8.67倍に増えたんですね。そして今も急激に人口は増え続けています。その原因は医療も含めた科学の発達と産業革命でした。

今の時代を生きる私たちは、こうした人類が歩んできた歴史を知ることができます。私たちがサルから進化したことは小学生でも知っています。ただし、人間が進化について考え出したのは19世紀になってからであり、私たちの祖先がホモ・サピエンスであるという事実を知るには20世紀を待たなければなりませんでした。それまでキリスト教やイスラム教やユダヤ教の信者は、この世も人間も神様が創ったということを本気で信じていたし、今もそう信じている人間も少なくありません。

宗教に出てくる神々や宇宙創生の物語が人間が社会生活をする上で必要に駆られて作られたフィクションであることは小学生でも知っています。つまり神(宗教)は人間が自分たちの都合で作った物語でしかないということを、いまの人間はすでに知ってしまったといことです。知ってしまった以上、もう人間にとって宗教が通用するような世の中ではなくなったということです。いつも言うように、19世紀にニーチェが言った「神は死んだ」という言葉が、端的にそのことを表現しています。

人間は農耕生活によって暦や文字や経済や宗教を作り出しました。これが人類史上の一つの大きな転換点だったと思われます。もう一つは科学の発達と産業革命による人口爆発と人間生活の大きな変化の時期でした。その時に神々の物語は終わりを告げたのです。

宗教とは人間の力ではどうしようもない力の存在を信じることです。というか、自分たちには抗うことのできない絶対的な力の存在を信じさせることで集団を従わせるために作られたものでした。この世界はどうやってできたのか。自分もふくめた人間はどこからやってきてどこに行くのか。死んだらどうなるのかといった、どうやっても知り得ないことを、あたかも真実であるかのような物語にして信じさせることで、人心を掌握する道具にしたのが宗教でした。ところが、科学の発達は、そうした物語がフィクションであることを証明してしまったんですね。宗教がフィクションでしかないことを科学が証明してしまったんですね。この世は神様が一週間で作ったものではないし、アダムとイブが最初の人間ではないどころか、670万年前にチンパンジーから進化したこともはっきりしたんです。この宇宙も無始無終なんかじゃなくて、138億年前に始まったこともはっきりしました。ただ宇宙の終わりはまだよくわかっていないようです。50億年という学者もいれば、1,400億年は大丈夫という説もあります。何れにせよ人類はそのはるか以前に消滅していることは確かです。人類の存続に関していえば、あと100年保つのかどうかというレベルの危機的状況ですらありますから、宇宙の終わりがいつかなんて考えている場合ではないのかもしれません。

さて、こうしたことを踏まえて、あらためて学会員さんは何を信じているのかというと「創価学会の曼荼羅に南無妙法蓮華経と唱えればどんな願いも叶えられて幸せになれる。創価学会員として真面目に活動(勤行唱題、折伏、財務、聖教新聞拡大、公明党支援活動)をすることでしか人間は幸せになれない」ということです。そう信じるのは個人の自由なので他人からとやかく言われる筋合いはないのですが、今の小学生でも知っている科学の知識を踏まえたうえで、創価学会の言うことを信じて曼荼羅に南無妙法蓮華経と唱えるしか人間が幸せになれる方法はないと信じている自分について、一度は考えてもいいのではないかと思います。

この宇宙が生まれて138億年。この地球ができて46億年。この地球に生命が誕生して38億年。脊椎動物が誕生して4億年。チンパンジーが人類に進化し始めたのが670万年。私たちの祖先であるホモ・サピエンスが誕生して25万年。釈迦が仏教を開いたのが2500年。キリストは2,000年。鎌倉仏教が流行ったのが800年。産業革命が200年。創価学会が90年。

創価学会は創立90年と言っていますが、実質的には戦後に極度のアル中で女癖が最悪だった戸田が始めた金儲けのためのいろんな方法の一つでしかなかったものを池田が乗っ取った日蓮正宗の外護団体でした。そして日蓮正宗から破門されて単なる新興宗教団体となった創価学会は、それから30年間ずっと衰退し続けていて、もう10年以上も池田のいない創価学会は、今となっては昔からやっている高齢者しかいない弱小組織に落ちぶれてしまいました。もうこれから若い会員は入ってきません。今後、創価学会が会員を増やすことなど万に一つの可能性もないことは明らかです。今いる高齢者の会員がいなくなれば、創価学会は消えるしかないのです。それは少なくとも2030年にははっきりするでしょう。

そんな創価学会がやっていることといえば、騙され続けている高齢の会員からお金を騙し取ることだけです。会員は決して幸せになどなってきたわけはないし、これからもなるわけがありません。創価学会はもともと宗教ではないからです。というよりも、宗教とは本来そうしたものではないからです。

宗教とは何か?といことを考えればわかります。何か特別な言い伝えのことをすれば奇跡のように幸せになるものがこの世に存在すると信じていること自体、宗教というものを勘違いしているといことです。人間が作り出したフィクションによって幸せになれるという幻想を持てるような時代は100年以上も前に終わっています。宗教で人間が幸せになれるというセオリーが通用しなくなった時代に突入して100年以上が経過していることを、創価学会の会員さんも知ってほしいと思います。それを知った上で「いや、それでも私は創価学会を信じて学会活動に励むことで幸せになれる」と思うのは勝手です。しかし現実にそう信じている学会員の数も急激に減っているという事実にも向き合うべきだと思います。これまで私が学会員さんに向かって「目の前の現実を見ましょう」とずっと言ってきたことです。

宗教とは何か

約138億年前この宇宙が誕生し、約46億年前に地球が誕生し、約41億年前に地球で初めての原始生命体が生まれたことが科学の発達によって明らかになりました。この地球に誕生した原始生命体が私たち人類に進化するまでに41億年かかったということです。ちなみにこの宇宙が誕生してから現在までを1mの長さの年表にしたとすると、人類誕生は最後の2mmのところになります。日蓮が南無妙法蓮華経は宇宙根源の法則だと言ったとする鎌倉時代は0.0058mmなんですね。

下の図は以前私が作った宇宙誕生から今に至るまでを年表にしたものですが、①を1mだとすると②は2mm、③が0.018mmになります。①②③を一つの年表にすると、②③があまりにも小さくなりすぎて表示ができないので、3つに分けたわけです。長さが1メートルの一つの年表にすると日蓮が現れたのが0.0058mmにしかならないので、もちろん人間の目には見えないので想像し難いですよね。だから全体を100mの年表にしたと考えましょう。すると宇宙全体の歴史から見れば、日蓮が登場してからの800年間というのが0.58mmなのはなんとか想像できると思います。100mの年表の最後の最後の0.58mmのところで日蓮が登場して「私が末法の御本仏だ」と言ったということが絶対に正しいと創価学会の教義がなっているんですね。

下の動画は45億6700万年前に起こった太陽系誕生から、80億年後の地球消滅に至るまでの様子をわかりやすく解説してあります。もちろん地球は消滅しても、この宇宙自体はまだ存在しているようです。ただ宇宙自体もいつかは消滅する可能性は大いにありますが、それ以前に80億年後という時間が私たちにとってそれほど意味のあるものとは思えません。というか宇宙規模での時間を人間は把握できないと思うからです。そしてすでに人類はそのはるか以前に消滅しているからです。それどころか、人類は自分たちが犯した環境破壊が原因で2050年をピークに減少し続けると予測されています。これが今現在の科学が解明した地球と人類の歴史です。

もし創価学会が言うように、日蓮が本当に末法の御本仏であるとしたら、この宇宙が138億年前のビッグバンによって発生したことも、46億年前に地球が誕生し、25万年前にアフリカで人類が誕生して世界中に移動したことも知っていたということでなければ、末法の御本仏であるとは言えませんよね。実際に日蓮が知っていた世界とは、比叡山で修行中に学んだ中国とインドについての情報だけでした。本人は北は佐渡島、南は比叡山までしか行ったことはなく、北海道はもちろん、四国や九州すらどういう土地かも知らなかったし、ましてや外国にどのような国や文明があるかなど知ることもなかったんです。「キリスト教?なんすかそれ?ヨーロッパ?はあ?」ってなもんです。今は小学生ですらビッグバンは常識です。小学生程度の知識もない日蓮が末法の御本仏だという創価学会の言うことを、なぜ学会員さんが信じているのかというと、自分で考えないからだと私は思います。医者でも弁護士でも学者でも、なぜか創価学会員は日蓮がこの世の全てを知り尽くしている末法の御本仏であると信じているんですね。日蓮が末法の御本仏であることが、単に自分にとって都合がいいからだと私は思います。また、もともと宗教とはそんな科学的根拠とは関係のないものだと思いたいのかもしれません。人は見たいものしか見えない。思いたいことしか思えない。それが自分を維持していくための本能的なホメオスタシスだからです。

もちろん、科学が存在しなかった昔の時代に人々の生活や考え方に大きな影響を及ぼしていた宗教は、それなりの意味があったのかもしれませんし、場合によっては生きる糧としての存在価値があったと思いますし、その宗教によって様々な文化が花開いたのも事実です。しかし科学という揺るぎようのない視点を確立した現代人にとって、宗教の役割は終わったと思います。それはニーチェの「神は死んだ」という有名な言葉を持ち出すまでもありません。ニーチェのこの象徴的な言葉は人類にとっての宗教の終わりの始まりだと思います。なにもニーチェひとりがそんなことを考えたのではありません。ニーチェ以降の哲学は「宗教はフィクションである」という前提に展開されています。「宗教はフィクションである」ということに気づいた人類は、もはや後には戻れません。哲学に限らず社会学や人類学も、宗教とは人間が集団生活を維持するために考え出した規範を納得させるために作り上げた物語であるということを前提にしています。少なくとも20世紀のはじめに人類はすでにそうしたフェーズに入ったんですね。これは人類史上における大きな転換点だと言えます。人間が言葉を持った。人間が宗教を考え出した。といったことと同じくらいの大きな出来事なんですね。しかしまだまだ宗教が人間の考え方を支配する時代はそう簡単にはなくならないでしょう。人類史の中で19世紀を境にして科学がフェードインする代わりに、宗教がフェードアウトしていく時代の真っ只中で私たちは生きていると言えます。宗教は場合によっては人に生きる希望を与えたり、素晴らしい文化を創造する精神的な支柱ともなりました。一方で権力者が民衆を従わせるための道具となり、戦争などの大量殺戮の口実にもなってきました。宗教は負の部分の道具にもされてきたんですね。そこには「この宗教は正しい」という思い込みからもたらされてきたものでした。創価学会をはじめとした新興宗教は、宗教が権力や金儲けの道具に使われた典型的な例だと言えます。私は宗教自体を全否定するつもりはありません。ただ宗教で語られる物語は真実ではなく、あくまで人間が作り出した物語であるということを知った上で宗教がもたらす功罪にきちんと向き合うべきだと思います。そして実際に20世紀以降の学問はそうした前提で成り立っているのです。人類の叡智はすでに100年以上も前に宗教の本質を明らかにした上で今があります。

学会員さんは「南無妙法蓮華経と創価の御本尊に唱えるとどんな願いも叶う」と信じているわけですが、現代という時代になぜそんなことを信じることができるのかを、学会員さん自身が自分の頭で考えてほしいと思います。考えるにはファクトを知るというか、ファクトがファクトであることを受け入れる自分になることが必要だと思います。だから私はこのブログを通じて学会員さんに対していつも「目の前の現実を見ましょう」と言ってきました。現実とは世の中の現実もそうですし、創価学会の現実を指していることは言うまでもありません。つまり具体的に言うとすれば「南無妙法蓮華経と創価の御本尊に唱えるとどんな願いも叶っている現実があるのかどうか」を自分の頭で考えてみましょうということです。自分はもとより、創価の活動を何十年も頑張っている自分の家族や同じ地域の学会員さんが実際に本当にどんな願いも叶えているのかどうかを検証してみればいいのではないですかということです。もっと簡単に言えば「自分は創価で幸せになったか否か」ということです。こんな簡単なことを考えることができない自分になっていることに気づいて欲しいと言い続けてきました。このブログにコメントしていただいた方のほとんどが、自分にそう問いかけることによって創価学会の現実に気づいて脱会したか脱会しようとしている方です。そう考えた結果が「創価学会は宗教ではなく詐欺だ」と自分で気づくことができた方たちです。私が一人で言っているのではなくて、これだけたくさんの創価経験者が出した結論が「創価学会は宗教ではなく詐欺だった」というものです。

『アテナイの学堂』ラファエロ

冒頭の画像を変えました。これまでの画像は、ミラノのサンタマリアデッレグラツィエ修道院の食堂に描かれたダヴィンチの『最後の晩餐』を見に行ったときに撮影したときの写真です。今回はバチカンのサン・ピエトロ大聖堂のラファエロの間にある『アテナイの学堂』です。どちらも現地に行ってiPhoneで撮影したものです。

創価によれば、日蓮以外の宗教を劣ったものという前提で自分の教えだけが正しいことを主張したということを前提に、その日蓮の思想を正しく伝承し実践しているのは創価学会だけだと主張しています。鎌倉時代の日蓮にとっての宗教の中にキリスト教もイスラム教も存在しません。キリスト教やイスラム教を知らなかったのはもちろん、ギリシャ哲学も知りませんでした。というより、ヨーロッパやエジプトの文明や文化の存在すら知らなかったし、それ以前にヨーロッパ大陸やアフリカ大陸があることすら知らなかったんですね。日蓮が知っている「世界」というのは中国から伝えられた仏教の教えだけでした。その仏教も本来の釈迦の教えではなく、釈迦が死んでから何百年も経ってから編集されたものでした。カトリックの総本山であるサン・ピエトロ大聖堂に描かれた『アテナイの学堂』に表現されているような、古代ギリシャを代表するソクラテス、プラトン、アリストテレスの哲学や民主主義についても全く知るよしもありませんでした。フィレンツェの大富豪メディチ家によって古代ギリシャが生み出した文学、彫刻、演劇などの芸術が見直された結果、ルネサンスが花開きます。そこからダビンチ、ミケランジェロ、ラファエロといった天才芸術家が人類の至宝を生み出すことになったわけです。古代ギリシャやカトリックといった生命の輪廻を説かないいわゆる外道は話にならないほど劣ったものだと切り捨てるのが日蓮の教えです。ですが、その外道にはギリシャ哲学やキリスト教は入っていません。単にそんなものがあることすら日蓮は知らなかったのです。

このブログの画像は初めはミケランジェロの『ピエタ』とガンダーラ仏の写真でした。ガンダーラ仏はシルクロードによって仏教美術とギリシャ彫刻が融合したできたものです。しかし日蓮はそんなことも知らなかったし、偶像崇拝を頭から否定する日蓮にとっては、たとえ日蓮がガンダーラ仏を見たとしても、そこに芸術的な価値など見いだすことはなかったでしょう。

次に掲げたのはダヴィンチの『最後の晩餐』でした。最後の晩餐は聖書の物語の中でも特に重要なシーンです。そしてそのシーンが描かれたダヴィンチのこの作品は、人類が作り出した芸術作品の中でも最高峰のものだと思います。しかし日蓮にしてみれば取り上げる価値のないくだらないガラクタなんですね。今回はラファエロの『アテナイの学堂』を掲げたのは、人類が作り出してきた文明や文化に、日蓮は全く関係していないにもかかわらず、日蓮がこうした人類の文明や文化や芸術を否定する日蓮の考えだけが正しいとする創価学会の考えが、果たして本当に正しいのか?ということを学会員さんに自分で考えてほしいという思いを込めています。日蓮の教えは800年も経つというのに何一つ芸術文化を創り出していません。この現実が何を意味しているのかを、学会員さんに自分で考えて欲しいと思っています。

自己チューな人ほど深く傷つく

ただいまこのブログは休止中ですので、皆さんからのコメントは受け付けておりません。ご了承ください。

休止とは言っても、ときどき自分の考えを整理するために、備忘録として思ったことを思ったときに書いてみたいと思います。

ブログを休止して1週間になります。これまでずっとブログのことが頭から離れないで生活していたんだということが良くわかりました。もうこのブログのコメントを確認することが癖になっていて、何度も「あ、そうか、ブログは休んでたんだ」と苦笑いしたものです。そしてやっぱりブログのことを考えなくていい生活というのは、どこかホッとしています。

そして、何気に覗いたKindleの画面のこんな文章が目にとまりました。目にとまったというのは、そうしたことを考えていたからだろうと思います。

以前も苫米地英人氏の本からの一部を紹介しましたが、今回は同じ苫米地氏の『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!』という本から、目にとまった部分を紹介します。

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自己チューな人ほど深く傷つく

先ほどの「すべての感情を娯楽にする」という話については、もう少し説明する必要があるでしょう。大人になると心はたくさんの傷でいっぱいです。心の傷から生じる感情に振り回されている大人が多いのはそのためです。私たちは生きている限り心に傷を負います。他人から心無いことを言われ、ショックな出来事に遭遇し、年を重ねるほど心の傷は増えていくでしょう。

PTSD(心的外傷後ストレス障害)を引き起こすような衝撃的な心の傷は、トラウマ(心的外傷)と呼ばれます。人間は誰でも心に傷を負っていますが、それがトラウマとなって心の病を引き起こすこともあれば、病とならずに癒えていくこともあります。では、その違いはどこにあるのでしょうか?これは意外と理解されていないことなのですが、心の傷がトラウマになるか否か、うつなどの病気を引き起こすか否かは、出来事そのものの大きさとは関係がありません。ものすごく衝撃的な出来事でも、トラウマになる人もいれば、ならない人もいます。

例えば、キレやすい職場の先輩が「この仕事、急ぎで頼むよ!」とこちらの都合を考えずに仕事を丸投げしてきたとします。あなたは自分の仕事で手いっぱいで、先輩の頼みを引き受けると土日をつぶさなくてはいけなくなる。しかし、その先輩はキレやすくて、これまであなたは何度も先輩の怒りを買った恐怖体験がある。なので、あなたはこんなふうに丁重に断ります。「今、僕も忙しくて……。すみませんが、ほかの人に頼んでもらえませんか」すると、先輩は急に怒りだし、「オレだっていつもお前の仕事を手伝ってやってるじゃないか!オレに向かって何様のつもりだ?!」とキレてしまう。そのキレ方があまりに激しいので、あなたはトラウマになりそうなほどのショックを受ける……。

このような場合、あなたには二つの反応の仕方があります。「こっちの状況を考えずに無茶振りしてくるあんたが悪いんだろ!」

と心に傷を受けつつ、「自分には責任がない」ことを前提に相手を責めるパターン。もう一つは、相手を責めたい気持ちをぐっとこらえ、「先輩も忙しくてイライラしてるんだな。確かに、オレの方も先輩に手伝ってもらってることもあるし、お互い様だよな」と、客観的に状況を見ようと努め、自分の責任も認めるパターン。前者のように「自分には責任がない」と考える場合、先輩との関係がギクシャクするのは必至です。一方、後者のように「自分にも責任がある」と考える場合、先輩にキレられたショックを引きずる可能性はかなり低くなります。理不尽な出来事に遭遇したときに、「なんの責任もないのに自分だけひどい目に遭った」と相手を責めるだけの人は「自分中心な人」、いわゆる「自己チューな人」です。自分中心な人は、同じ出来事を前にしても、自分中心ではない人よりも心の傷が深くなります。そして、その心の傷に長くとらわれてしまうことになります。ここでいう「自分にも責任がある」とは、例えば夜道を一人で歩いていて暴漢に襲われた女性に対し、不用心な彼女にも責任がある、などと責めることとは違います。そうではなく、私たちは生きていく以上、さまざまな理不尽を引き受けていかねばなりません。それが生きていくということだからです。さまざまな理不尽を引き受け、この世界の理を踏まえて生きていく心構えのことを「責任」と言っているのです。

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こういった文章を読むと、自分の考えや行動を、一回り外側から見ることができたり、自分に関わった人の言動の理由が理解できたような気になります。

この文章は、なるほどと納得させる説得力があります。当たり前といえばごく当たり前のことを書いているだけのような気がしますが、裏を返せば、私たちはこんな当たり前と思えることすら、まともに考えたり行動したりすることができない日常を生きているんだと思いました。

しばらく休止します。

このブログを休止するにあたって、皆さんに聞いておいてほしいことを書いておきます。かなり長いのですみません(笑)
ブログ休止をお伝えした昨日から今日にかけて、26人の方からコメントをいただきました。
曽根俊矢さん、サンホセさん、ケイ2さん、トニーさん、あさがおさん、ポンジンさん、ミカツさん、COCOROさん、たらこ唇の天使さん、鐵人29号さん、ギルークさん、ルフランさん、ハルキさん、パステルカラーさん、MMさん、paroleさん、太陽さんさんさん、スマイルさん、水色さん、インフェルノさん、カガテツさん、希望さん、自由自在さん、はるさめさん、さくらさん、流水さん(非公開)、そして獅子風蓮さん。
もちろん、このブログを休止しますとお伝えしたので、普段はコメントしない方もしてくださったのだと思います。それにしても27人とは言わなくても毎日少なくとも10人ぐらいはコメントをいただいていて、特に今回は初めてのサンホセさんから深刻な相談が寄せられたので、私としてもできるだけのアドバイスをさせていただきました。また今週はこのような問題が起きましたので、ブログ以外でもやらなければならないことがたくさん増えましたので、お一人おひとりに返事ができるような時間がありませんでした。普通に仕事をやりながら、一日10人以上のコメントが365日9年間続く中で、少なくともいただいたコメントには一通り目を通し、可能な限り返事をさせていただくということを続けてきました。特にブログを始めてからの数年間は、とんでもない荒らしが次から次へと来るし、中には完全に病んでしまっているらしい人が、何人もの人格を装って恐ろしい、そして巧妙なコメントを大量に送ってくる日も結構ありました。それから、コメントしてくださる方同士のちょっとした言葉の履き違いから、どんどん感情的な衝突となって、結局は休止に追い込まれることも何度かありました。「俺、一体何やってんだろう?」って自己嫌悪に陥ることも結構ありました。
想像してみてください。毎日毎日顔も本名も年齢も知らない人から10人以上の手紙がくる。中には言ってることが本当のことなのかもわからない。だから最低限、挨拶と自己紹介をしてくださいと冒頭に書いても、そんな言われるまでもない最低限のモラルと言えるようなルールさえ無視したまま、自分の言いたいことだけを言い放ち、こっちが何が問題なのかを説明しても従うこともせずに、突然いなくなる。そんなコメントにも半分バカのふりをして素直に信じて返事を書かないといけない日々。もちろん大多数は真面目な方の真面目なコメントではありますが、それでも対応の仕方を誤ると大変なことになったり、コメンター同士のトラブルが起きてしまうのがネットの世界です。それを一円にもならないことを仕事の合間に休みなく9年間続けている日々。
そうしたことをほとんどの方にはわかってもらえていて、「いつもご苦労様です」「お疲れ様です」「たまには休んでくださいね」「無理しないでくださいね」と労いの言葉をいただきます。

「このブログに出会って人生を取り戻すことができました。」「このブログに出会わなかったら今も悲惨な人生を送っていたでしょう」と言ってくださることで、落ち込んでも毎回元気を出すことができました。
そんな言葉からものすごいパワーをいただいて9年間続けてこれたと思っています。昨日からのコメントもゆっくり休んでからまたお願いしますといった内容がほとんどでした。本当に感謝しています。

この9年間、ブログを運営してきて思うのは、創価のことで悩んで、心がボロボロになっている方などは、自分のことで頭がいっぱいで、それでもドキドキしながらも思い切ってコメントしたのに、タイミングによっては何も言ってもらえなかったり、ブログ自体がゴタゴタして見過ごされたりすると「もう二度とコメントなんかするか」とさらに傷ついてしまわれたりしている方の事でした。実は今だから言いますが、皆さんは1月10日に初めてコメントされたHELLさんという方を覚えておられると思います。創価の家庭に生まれて、とんでもなく悲惨な体験を話してくれたHELLさんです。あまりの不幸な境遇の話をみなさんが親身に聞いてくださって、HELLさんも話すたびに心が軽くなったと喜んでおられました。次第に心を開いていき、HNもHELLからHOPEと前向きに変わられておられました。
そんなHOPEさんの1月17日のコメントを紹介します。
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signifieさん
心優しいお返事を本当にどうもありがとうございました( ; ; )

お返事を読みながら、また勝手に涙が出てきて止まりませんでした。
だけど、泣いたらまた少しだけ気持ちが軽くなりました。

signifieさんにも私の話をしっかりと聞いて頂いていて、
そして、ここまで気を使って頂いていたと言う事を知り、色々と落ち込んでいた気持ちも少し楽になりました。

それなのに、少しでも私は「やっぱりここでも良い事は言っていても学会員と同じなのかな…」とか、勝手に悪く思い込んでしまい少しでも疑ってしまった事、本当にごめなさい。

ここは、今までの学会員達と違って私を責めたり無視したりするような人は居ないと信じてはいたいのですが、
私は本当に今まで何処に居ても受け入れてもらえなかったので、
創価そのものだけではなく、人に対してもかなり疑い深くなっているところがあります。
この辺りはどうか時間はかかるとは思いますがどうか悪く思わないでください。
自分でもどうしようもなくて…

それから、
signifieさんも辛い鬱の症状を経験されているのですね。
それも私と同じ、創価と言う枷をかけられていたせいで。
今回、signifieさんのお話を聞かせて頂けて、
物凄くよく分かりました。
悪いのは自分自身なんかじゃ無くて組織なんですよね。親達なんですよね。
だって、どう考えてもこっちは自分の親や境遇や環境なんて選んで生まれてこれないですもんね。

そして、
トニーさん
K2さん
曽根さん
SGKMKさん
こんな私の話を何度も親身になって聞いてくださってコメントまで、本当にどうもありがとうございます( ; ; )

今はこうして、まだまだ少しずつではありますが、世の中にはこんな私の話でもちゃんと聞いてくださる方がまだ居るんだ…と思えるようになり、
こちらのsignifieさんのサイトに思い切って訪問をさせて頂いて、実際に話をしてからは、
今までのネガティブな気持ちのままで、このまま死んだ方がもう楽…と思って苦しんでいた気持ちがお陰様で少し薄くなって来ました。

真剣にもう死にたいと思っていた気持ちにストップをかけて頂いた事、
気にかけて頂いたsignifieさん皆さん本当にどうもありがとうございました。

トニーさん
トニーさんも家族との辛い確執があったんですね。
私の場合はもう完全に家族にも身内にも全ての血縁には見捨てられている確実な天涯孤独の身なのでちょっと分からないのですが、
親近者が身近に居て仲が悪いままと言うのも本当に辛いですよね。
そして学会員はやっぱり何処の学会員でも、何の心の支えにもならないし、役に立たないみたいですね。
それは痛いほど物凄くよく分かります。泣

そして、
K2さんの親御さんも、健在でも天邪鬼な事を言われて今だに嫌な気分にされてるのですね。
だけど、
それでも身近にいてくれる、一緒にいられると言うのは、見捨てられて一切連絡も何も無い天涯孤独の私から見たら血縁の方とのつながりがあるだけでなんだか幸せだと思います。
しかも、なんだかツンデレみたいでちょっとお茶目な親御さんに感じます^ ^;

(私は最後に何十年ぶりかに母親から連絡あったのは、何回か前のコメントに書きましたように、祖母の痴呆が酷くなってホームに入れて御本尊を創価に返した…と言う連絡が最後でしたから)

それまでももちろん、
親もですが、散々私が子供の頃に創価魂を叩き込んで来た痴呆た祖母や、親戚、身内は誰一人として何の音沙汰も無かったですしね。(まあ、こちらからも一切連絡なんてしてませんでしたけど。笑)

今はもう、こちらの連絡先も変わってますし、これからはもう一生誰からも音沙汰なく終わると思います。
でも、もうそれで良いんです。

あれだけ散々バリバリ創価でやって来た人達が、今はもう誰一人として退転して脱会して、そして最後まで結局は今だに創価に籍を置いているのは、いつまでも一番苦労の絶えないこの私1人だけですしね。笑

しょうもない物(創価学会)だけ、散々植え付けて残していってくれた私の血縁達、本当の地獄に落ちてほしい!

K2さんは親御さんをどうか最後まで大事にしてあげていってくださいね。

それから曽根さん
いつもとても心優しいお言葉を、本当にどうもありがとうございます( ; ; )
曽根さんとsignifieさんは、一番私の心の中を鋭く読まれているような気がします。

自分の話を第三者の方達に話して、
こんな事を言って頂いたのは、前からも言っていますが本当に生まれて初めてなんです。

だから、
本当に嬉しくて、これだけでも今は私の生きて行く希望が持てます。

HNも、こうやって皆さんの心優しいお言葉のお陰で、これからは少しづつでも生きて行く希望がちょっとは持てるかな…との思いで、地獄のHELLから希望のHOPEに変えさせて頂きました。

(…と言っても、心優しい皆さんにHELLと言う気持ちのHNを心配して頂いていたからと言うのが一番の理由ですが…^ ^;)

これからもどうぞ宜しくお願いします

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私も皆さんも本当に喜びました。喜んだというより、ホッとしたというのが正直なところです。HOPEさんが完全に気持ちを振り切ることができるまでには、まだまだ時間がかかるとは思いましたが、それでもHOPEさん自身の生きるベクトルが、とても前向きになることができたことだけでもとても嬉しかったです。
こう話すと、皆さんは「そういえばあれからHOPEさんのコメントがなくなったなあ」と思われる方も多いのではないかと思います。

ところが1月24日にHELL of HOPEという名前で非公開の衝撃的なコメントがありました。
私は「先ほど非公開でコメントしていただいたHELL of HOPEさん。コメント読ませていただきました。ありがとうございます。非公開なので、こちらからお返事することができませんが、それでよかったでしょうか。」と声をかけましたが、それから一切音沙汰がなくなりました。本人が非公開希望ですので、その衝撃的なコメントは載せられませんが、その内容は簡単に言うと「獅子風蓮さんのコメントを読んでものすごく腹が立った。谷底に突き落とされたような気持ちになった。所詮自分のような人間は幸せにななれないと思うようになった」といった絶望の内容でした。最後の砦に飛び込んだところ、やっと自分を肯定できるところにきたと思ったら、完膚なきまでに自分を否定されたということだと思います。おそらくHOPEさんは自分には理解できない哲学の話を長々とされても、それが返ってバカにされているようにしか思えなかったのだと思います。特にうつ状態では、一旦そのように思ったら最後、自死まで考えてしまうのがうつ病です。私も経験があるのでわかる気がしました。返す言葉もなかったです。それから私はかなり悩みました。自分ではいいことをしているつもりが、このブログのせいでうつ状態の人をさらに谷底に突き落としてしまったことを後悔しました。そんなときにも依然として獅子風蓮さんから毎日送られてくる非常識で膨大な量のコメントに呆れかえっていて、それでもHOPEさんの為にもきちんと対応して、獅子風蓮さんが言うことの矛盾をはっきりとしなければという思いで、しつこくても誰にでもわかるような言葉を選びながら返事を書いていました。例えば創価や日蓮を語るのにレヴィ=ストロースやヴィトゲンシュタインの哲学を引き合いに出すと、返って話の焦点がボケてしまうのでやめたほうがいいんじゃないですかと言ったことも、私がわざと話の焦点をぼかしていると言っていると思い込んでしまったりして、とにかく何を言っても受け取り方がトンチンカンで矛盾だらけな獅子風蓮さんの話にはうんざりしていました。日蓮正宗を正しいと信じている獅子風蓮さんが、宗教自体をフィクションだというところからスタートした近代西洋哲学の考え方に当てはめて考えること自体がナンセンスなのに、獅子風蓮さんは「難しかったですか。説明がへたですみません。ながながと失礼しました。」などといった言葉が、 HOPEさんにとってはたまらなく屈辱的な言葉としてしか映らなかったのだと思います。「お前のようなバカは生きている価値などない。早く死んでしまえ」と言われている気がしたのだと思います。うつ病にかかると、何気ない他人の言葉がそこまでの人格否定に聞こえてしまうんです。うつの時には私もそうでした。HOPEさんは前向きに生きていく最後の砦としてこのブログに飛び込んで来られたのですが、その最後の希望が獅子風蓮さんのわけのわからない膨大なコメントによって粉々に打ち砕かれてしまったと思いました。
そういうこともあって、私は獅子風蓮さんが支離滅裂なことを毎日長々と書いてくることに我慢ができなくなっていて、周りから見たらやりすぎだと思われても、そのおかしなところを徹底して指摘していたのだと思います。HOPEさんが生きる希望を無くしたことを獅子風蓮さんのせいだとは言いませんが、獅子風蓮さんがもう少し常識を踏まえた投稿をしてくれていれば、ここまでのことにはならなかったのではないかという思いは今でもあります。だから私からの質問を無視した形で黙り込んでいた獅子風蓮さんが、今日突然現れて、自分とは何の関係もない今回の騒動のことをあれこれ言いだして、私やここの人たちを「取り巻き連中」と揶揄するようなコメントを投稿し、さらに先ほども自分の過去のものすごい量の投稿をアップしてきました。とにかく常識のなさに呆れてしまっています。
それと花子さんのブログの無断掲載の騒動も想像以上に大きくこじれてしまっています。ここしばらくこうしたことが続いたので、さすがに私も考え込むようになりました。
このブログを休止するに当たり、そんなことに全く無頓着で、自分の正当性をがなりたてるだけの獅子風蓮さんには、もう何かをわかってもらおうという思いは消えて無くなりました。実際に来週からは私はもちろん誰もコメントできなくなりますから、獅子風蓮さんとの対話も終了です。自分の言葉が人を絶望に突き落とすことだってあるんだということも知っていただきたいと思うのですが無理でしょうね。

私がブログを休止にするのは、今回の花子さんのブログのパクリ事件のせいだけではないことを知ってもらわないといけないと思って書きました。また獅子風蓮さんに対してなぜあそこまで相手にするんだという声もありましたので、その理由を書ける範囲であえて書きました。

花子さん、SGKMKさん、そして巻き込まれてしまったゼロさんと曽根俊也さんとは、直接メールのやり取りをしているところですので安心してください。

先日書きましたように、2月9日(火)で休止します。それまではこれまで通りですので、コメントされても大丈夫です。よろしくお願いします。

あなたが知っている最新の統監数と地区座の参加人数の内訳を教えてください

このスレッドでは、もう一度皆さんが知っている地区座に参加している学会員さんの人数と内訳を教えていただくようにしたいと思います。みなさんがそれぞれに知っている最新の地区座に参加している学会員さんの人数と内訳です。10年前までしか知らない方はそれでもいいんです。20年前しか知らない方も、全然構いません。もちろんついこの間、つまりコロナ前の去年のはじめごろの座談会が最新になるかとは思いますが、それぞれの年代の地区座の人数の変化が具体的にわかれば、創価は間違いなく衰退しているという事実がデータとしてはっきりします。

創価脳さんに「創価学会は衰退している」と言っても決して認めようとはしません。「確かに活動家は減っているし、高齢化しているのも事実だ。しかしそれが衰退だとは言えない」などと訳のわからないことしか言いません。あるいは「日本では減っているが世界中で爆発的に学会員が増えている」などと見てきたような嘘を平気でつきます。本人は嘘をついている意識はないんです。本気でそう思い込んでいるんですね。そういう創価脳さんはもう相手にしません。少しでも創価に疑問を抱いて「自分の人生はこのままでいいのかな?」と不安になっていても誰にも話せないで悩んでいる学会員さんに、自分で考えるきっかけになればと思います。だからこそ、確実に疑いようない創価の現実を教えてあげたいと思います。

前スレのコメントで自由自在さんが

>>確か1年前の地区座談会は、壮3婦8男0(まれに支部の部長が1)女0(過去10年見たことない)。還暦の私が、若くみえますから、婦人部は大半は70代以上。50代は若手で40代もひとりいたかなあ。ここは、結構大都市の郊外の市ですからアクセスもいい一戸建てばかりの住宅街です。あ、そうそう、20代の男子(たぶん地区幹部の息子さん?)が1年に1回でたことがありました。

と教えてくださいました。ありがとうございます。皆さんもこんな感じで自分が覚えているそれぞれの地区座の現実を教えてください。統監数までわからない方は、覚えている地区座の参加人数だけでも結構です。よろしくお願いします。