創価学会の歴史1

みなさま、あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

年があらたまりましたので、このブログも新たな気持ちで更新していきたいと思います。

基本的にこのブログで言いたいことが「学会員さん、創価学会は詐欺ですから早く気づいてください」であるということに変わりません。しかし学会員さんにそんなことを言ったところで見向きもしないでしょうから、何をもって創価学会を詐欺だと断じるのかを、あらためて誰が読んでも分かりやすく述べていきたいと思っています。そして全ての学会員さんに向けてではなく、学会員さんの中でも、少しでも「創価学会はおかしいんじゃないか?」と自分で疑問に思っている方や、自分は信じてないし辞めたいのはやまやまだが、家族に強信者がいて辞めるに辞められないでいる創価2世・3世の方にとっても、創価が詐欺であることの確証が掴めるならば、思い切って辞めるという行動に出られるのではないかと思います。したがって、何がなんでも「創価学会は世界で唯一の正しい宗教であり、創価学会以外の宗教を信じるものは一人残らず不幸になる」と信じている信心強情な学会員さんには声がけしませんし、対話をするつもりはありません。

とはいえ、もう創価学会はかつての勢いは全くありません。日蓮正宗から破門されてからのここ30数年間は衰退する一方で、活動家が激減を続けるとともに、残っている活動家も高齢化が進み、かつてのように4者別に会合を開けるような組織の規模ではありませんし、活動家の多くが60歳以上の、ある意味社会をリタイアした方が中心でやるしかなくなってしまいましたので、これから先に創価学会がいくら世界平和などと言ったとしても、社会に及ぼす影響はほとんどなくなるものと思われます。創価学会の座談会が老人会のようだと言われても何も言い返すことができないほど創価学会は衰退と高齢化が顕著です。どんな言い訳をしようがそれが創価学会の現実です。この現実すら認めようとしない人との対話が成り立つわけがないということを、このブログを10年間続けてみて、はっきりと検証できたものと思っています。

そこで今年最初のテーマは「創価学会の歴史」ということにします。あらためて創価学会がどのような経緯でつくられ、どのように大きくなり、そしてどのように衰退してしまったのかということを大まかに確認することで「何を持って創価学会を詐欺だと断ずるのか」に対する答えの一つとしたいと思います。

みなさんご存知の通り、創価学会は当初「創価教育学会」という名称で、1930年に当時小学校の校長職であった牧口常三郎氏が戸田城聖氏と共につくったということになっている団体です。その名が示すように教職員ばかりの団体でした。日蓮正宗の信仰を中心にした教育者の育成を目的とした団体でした。この1930年に設立とありますが、この年に牧口常三郎氏が自書『創価教育学体系』の第1巻を刊行した年を創価教育学会発足の日にしようと後から決めたものであって、この年に発足したというわけではありません。その後、創価教育学会は1937年に日蓮正宗の信徒集団である法華講の一つとして認められたので、ここではじめて宗教的な色合いがはっきりしたと考えられ、実質的にはこれが創価学会の前身である創価教育学会が発足したといえると思われます。今でも創価学会は1930年創立としていますが、実際と異なることははっきりした事実です。

牧口常三郎氏は1927年に日蓮正宗に入信し、その3年後から『創価教育学体系』の書籍化を開始し、7年後に創価教育学会を設立します。その時、創価教育学会は日蓮正宗の信徒団体ではなく、牧口の価値論を実践する団体として、宗教団体という位置付けではないようです。それまで牧口常三郎は八紘一宇(国会で三原じゅん子参義院議員がドヤ顔で右翼思想の発言をしたことで話題になりましたね)で有名な田中智學に出会い、彼の右翼思想と日蓮の立正安国論の融合する考えに傾倒していたようです。牧口の日蓮正宗への傾倒は、それ以前の田中智學の影響が大きく、その後も軍人会館(現九段会館)で総会を開くなど右翼的な思想に日蓮正宗の教義を合体させたような思想集団であったことが伺われます。つまり、この創価教育学会時代は、詐欺集団ではなく、あくまで思想集団であったと思われます。

その後、日本が真珠湾攻撃を機に太平洋戦争を始め、日本国内でも軍部による思想統制が激しくなる中で、創価教育学会、特に牧口と戸田は独自の思想を曲げなかったことにより投獄されます。彼らの根底には右翼思想がありましたが、日蓮に傾倒していたために、神道を中心とした思想統制を進める軍の方針を受け入れることができませんでした。ここで勘違いしていけないのは、牧口や戸田を中心とした創価教育学会は、平和思想などではなかったということです。日蓮と右翼思想の合体を目指していた彼らにとって、日本が戦争に勝つためには神道ではなく日蓮正宗を国教としなければならないと言い張ったために、治安維持法違反と不敬罪で投獄されたのです。こうした事実を歪曲して、牧口や戸田があたかも平和主義を命をかけて貫いたかのように今の会員に広めている今の創価学会は本当にあざといですよね。

牧口は獄中で栄養失調と老衰で亡くなり、戸田は1945年に出獄してから翌年、創価教育学会を創価学会に名称を変えます。戦前に日本正学館という出版会社を立ち上げ、当時ベストセラーとなる算術の本を出版していましたが、戦後の教育指導要領にそぐわない内容だったこともあり経営が急激に悪化し倒産します。ちなみに日本正学館は学習参考書ばかりではなく、少年雑誌や、『ルビー』というタイトルのカストリ雑誌(エロ本)なども出版し、そのほか金融や証券業においても一定の実績を上げるようになり、創価教育学会の財政面も支援していたようです。

戦争が終結し、戸田が出獄してから出版事業を再開するもうまくいかず、さらに東京建設信用組合を立ち上げるも多額の負債を抱えたまま破綻します。戸田は経済的にかなり厳しい状況に陥ったようです。その時に戸田は創価教育学会を創価学会と改名し、5年後の1951年には創価学会2代会長に就任し、翌年の1952年に創価学会を宗教法人化します。つまり右翼思想と日蓮思想を合体させようとした思想集団である創価教育学会は、経済的に困窮した戸田の手によって宗教団体となったのです。

これはとても重要なところです。牧口は創価教育学会を宗教法人にするつもりはなかったのではないかと思います。戸田は牧口亡きあと、創価教育学会を創価学会と改名し、一般の人たちを日蓮正宗に入信させることで、大白蓮華や聖教新聞を購入させるという事業を展開します。聖教新聞や各種出版物を半ば強制的に会員に買わせる手法は、この時から今に至ります。また同時に大蔵商事といういわゆるサラ金の事業も展開し、そこに現れたのが若き池田大作であり、池田はサングラスに黒いコートという暴力団まがいの格好で高利貸しの冷徹な取り立て屋として頭角を現していきます。

まずは創価教育学会から創価学会に変わり、池田が登場するところまでの簡単な経緯を述べました。

ここでのポイントは、牧口は田中智學の右翼思想と日蓮の立正安国論の融合を目指す思想団体を目指していたのに対し、戸田は経済的な困窮の打開策として思想集団である創価教育学会を創価学会という宗教団体に衣替えをしたというところです。そして持ち前の出版事業のノウハウによって、創価学会の会員を増やすことが出版事業でも安定した莫大な収益を上げられると踏んだのだと思います。また戸田は創価学会2代会長として振る舞う中で、一般受けのする世界平和思想を取り込みました。もちろん戦前の牧口の思想とは全く異なりますし、日蓮の思想とも違います。それはいかに会員を増やして事業収益を上げていくかという戸田独特の手腕であったと思われます。

今回は以上です。学会員さんは小説人間革命に書かれていることが創価学会の真実の歴史だと信じているようですが、実際はそんなことはありません。今でも知ることのできる資料をもとに事実関係を確認すれば誰にでもわかることです。これだけを見ても、創価学会がいかに会員を都合よく誘導しているかが伺えますよね。

宗教2世として生まれて

私はこの10年続けてきたブログの中で、言いたいことのほとんどを書いてきたつもりです。それも何度も何度も同じことを繰り返し書いてきたので、これ以上に言いたいことや考えていることはありません。どんな質問をされても、たいていはこれまで書いた中に答えがあると思います。そして結論は「創価学会は詐欺ですから、騙されている学会員さんは早く自分で気づいてください」ということに尽きます。このようにこれ以上に言いたいことはありませんし、この結論に反対意見を出されても、私には議論する気もありません。「議論する気がないというのは卑怯だ」という方もいるかもしれません。しかしこの10年間のブログ運営の中で、どれだけ真摯に議論をしようとしても、まったく話にならなかったという経験があるので、議論する気になれなくなったのです。まず議論以前に、挨拶や自己紹介すらできない人間と議論ができるわけがありません。そういうことです。議論以前に人としてどうなの?ってことです(笑)。現実社会で通りすがりの人が突然挨拶もなく文句を言ってきたとしたら「あなた誰?」となるのは当然です。このこともこれまで何度も何度もブログの中で話をしてきましたが、結局は批判する人のほとんどがこうした人ばっかりだったので、今回ブログを再開する時には「ルール無視の方はこちらも無視させていただきます」ということにしました。

さて、このブログは以前と比べてとても穏やかになりました。ブログを再開したことを知らない方が多いからだと思いますし、おかげさまで変なコメントはほとんどありません。今回のように本当にたまにありはします。昔は一日に10も20もコメントをいただいて、それなりに賑やかでした。創価を批判されて怒り心頭の現役学会員さんから殴り込まれたときは、それこそアクセス数も1日に8,000とか多い時は1万超えたりしていましたが、今は300とか400程度です。私はそれでいいと思っています。たまに学会員であることに疲れたり疑問を持ったりした方がここにたどり着いて、その疲れや疑問の原因が何なのかに気づいてくれればいいと思っています。

私はこの10年間、このブログを通じて「創価学会は詐欺です」と言い続けてきました。なにも「創価学会員は詐欺師です」とは言っていません。「創価学会員は創価学会に騙されている被害者です」と言ってきました。しかし学会員さんはその違いを理解しようとはしません。というより「自分を詐欺師呼ばわりしている」と勘違いしたまま怒鳴り込んでくる学会員さんばかりでした。「創価学会は詐欺だ」という言葉を、自分が詐欺呼ばわりされていると勘違いして、異様に感情的になってこのブログに文句を言ってきた方が多かったです。それを私は「創価スイッチ」と名づけました。ちょっと言い方を変えてみます。「創価学会は統一教会と同じ詐欺だ」と、「統一教会と同じ」を付け足すと、もしかしたら理解できる学会員さんがいるかもしれないですね。いないか(笑)。学会員さんでも統一教会が詐欺だということは理解できるでしょう。ただ創価学会も統一教会もやっていることは基本的に変わりません。変わらないのに統一教会は間違っていて創価学会は正しいと信じているのが学会員さんです。私の友人に幸福の科学の信者がいるのですが、彼も幸福の科学は正しくて、創価学会は間違っていると信じています。創価学会のことはボロクソに言います。統一教会の友人はいませんが、おそらく統一教会の信者も統一教会は正しくて創価学会は間違ってると信じていて、創価学会のことをボロクソに言っていることでしょう。いわゆる目くそ鼻くそってやつですが「自分は正しくて他は間違い」というのは見事に同じです。なぜ同じなのか。同じ方法で騙されているからです。いわゆる新興宗教の全てとは言いませんが、私が知る限りの新興宗教は詐欺だと言っていいと思います。人の将来の不安につけ込んで、つまりは「お金を出せば幸せになれる。疑うと地獄に堕ちる。」と騙すやり口です。創価学会員は創価学会から言われたことをそのまま信じています。統一教会の信者は統一教会から言われたことをそのまま信じています。そのどちらも「お金を出せば幸せになれる。疑うと地獄に堕ちる。」と言われ、それをそのまま信じているのが創価学会の会員であり、統一教会の信者です。違いますか?なのに創価学会員は「創価学会だけが正しく統一教会なんてインチキだ」と創価学会から言われるままを信じていますし、統一教会の信者は「統一教会だけが正しくて、創価学会なんてインチキだ」と統一教会から言われるままを信じています。見事なくらい同じですよね。幸福の科学やその他のたいていの新興宗教はこれと同じように信者が騙され、お金を搾取され、教団はどこも莫大なお金をほしいままにしています。しかも税金がかかりません。税金がかからないというのは、それだけではなく、信者からどれだけお金を搾取しているのか教団側以外に誰も知る術がないということです。創価学会も毎年の財務がどれだけ集まったのかを発表したことはありません。通常、寄付を募ったら、どれだけの寄付が集まったのか、それを何に使ったのかを寄付をしてくれた人に報告するのは当然です。なのに毎年数百億円と予測される財務であるにもかかわらず、創価学会はただの一度も発表したことはありませんし、何に使ったのかの報告もありません、そして学会員もそのことをなんとも思わない。思ったりすると地獄に堕ちると脅されているからでしょう。だから創価学会はその莫大なお金を何に使おうが構わないし、どこに送ろうが何の規制もないということです。教団側にとって、これほどおいしい話はないのです。騙すだけ騙したお金は何にでも使えるし、国は手を出せない。全く恐ろしい話です。だから今だにたくさんの新興宗教がこれほど蔓延っているわけです。

そもそも「お金を出せば出すほど幸せになれる」と本気で信じること自体が狂っています。例えばこんなことを自分の子どもに真顔で言える親も狂っていると思います。しかし創価学会員も統一教会の信者もその他の新興宗教の信者も、そこを疑わないんです。今回の統一教会にまつわる報道でも、取り憑かれたようにお金を差し出す信者の様子がありました。そしてそんな狂った親を持つ不幸な子どもたちのことを「宗教2世」という名前で取り沙汰されるようになりました。ここまで世間を騒がせているにもかかわらず、それでも「お金を出せば幸せになれる」と信じて疑わない統一教会の信者と、毎年3桁だ4桁だと取り憑かれたようにお金を出す創価学会員の頭の中は同じでしょう。取り憑かれたようにではなく取り憑かれているんだと思います。何が幸せなのかわからなくなっているんですね。ちょっと冷静になって考えれば分かりそうなものですが、それができない精神状態になっている。そのことを取り憑かれていると表現しています。

安倍元首相銃殺事件を機に、宗教2世の問題がクローズアップされました。新興宗教による詐欺被害は、騙された被害者の問題とはまた別の宗教2世の問題があります。生まれた時から親によって洗脳されたり、自分の人生を著しく制限されたりしていることが、やっと社会問題として取り上げられるようになりました。私もその宗教2世の一人です。50歳になるまで創価の洗脳下に置かれてきました。創価2世、3世、4世もいます。さすがに4世ともなると創価学会自体が衰退しているので少ないようですが、人生を思うように生きられない2世3世がまだまだたくさんいます。宗教詐欺は直接騙される信者の問題とは別に、生まれた時から間違った価値観を強要される宗教2世の問題がもっときちんとクローズアップされるべきだと思います。

今回のテーマは「宗教2世として生まれて」とします。

統一教会の件で宗教2世の問題がクローズアップされるようにはなりましたが、その認識はほんのごく一部です。統一教会の問題も大変大きいとは思いますが、創価学会には桁違いの数の宗教2世という被害者がいるのが現実です。生まれた時から狂った考え方を頭に叩き込まれたがゆえに辛い人生を送らなければならなかった宗教2世の声を、もっと発信すべきだと私は思います。しかし子どもとして親を悪く言えないという問題も根深いと思います。親は子どもに良かれと思ってやったことも子どもとしてはよくわかるからです。悪いのは教団側であり、基本的には会員や信者は被害者だと思います。ただその被害者が加害者となって被害者を増やしている。これが宗教詐欺の現実です。

宗教2世の現実について、皆さんのお考えをお聞きしたいと思います。よろしくお願いします。

このブログのこれからについて

統一教会がいよいよ窮地に迫られているようですね。創価学会は火の粉が飛んできやしないかヒヤヒヤしているのではないでしょうか。報道を見て、統一教会の信者の家族や二世信者の苦悩が創価学会の会員さんとよく似ているのにあらめて驚きます。統一教会の場合は霊感商法によって信者以外にも被害を及ぼしたところが創価学会とは違うところなので、創価の場合はあくまで学会員を騙しぬくところが特徴だと言えるようです。統一教会の霊感商法のようにまともな精神状態の人を騙そうとするにはリスクがありすぎるのに対し、あらかじめ洗脳を仕掛けていきながら、学会員のあるレベルの思考停止を確認した上で騙しにかかるというところは、ある意味統一教会よりも姑息で用意周到な詐欺だなと思います。私が幼い頃の創価学会はとにかく何がなんでも折伏が第一で、折伏こそが揺るぎない幸せを掴む唯一の方法だなどと会員を煽っていました。あの頃の創価学会の異様な行動を統一教会は今でも続けていたんですね。統一教会は自民党に取り入った。創価学会も公明党を通じて自民党に取り入ったこともよく似ていると思います。

さて、創価脳さんたちは、創価学会と統一教会が同じような宗教詐欺だとは思えないようです。同じようなことをやっていながら、学会員さんは「統一教会なんかと一緒にするな」と憤るでしょう。でも現実に創価学会と統一教会がやっていることは信者を騙してお金を搾り取る。信者がどんなに不幸になろうとも知ったことではないというところです。要はどうやって信者からお金を搾り取るかが創価学会と統一教会の共通の目的だということです。それにはもちろん信者(会員)に気づかれないようにしなくてはいけない。だから信者(会員)が思考停止すよようなことを常に畳み掛けているんですね。創価の場合だと、日頃の勤行唱題に始まりいわゆる学会活動が洗脳活動ということです。しかしそれが通用しない時代になりました。それは一つはネットの普及が大きな原因の一つだと言えるでしょう。だからこそ創価は必死に「ネットは嘘ばかりだから見てはいけない」と会員に刷り込んできました。驚くことに統一教会でも全く同じことを信者に言ってきたんだそうです。真面目に騙されている学会員さんにとってネットは禁断の地でした。このブログにやってきて創価が詐欺だと気づいた学会員さんもたくさんおられますが、そんな方も最初は本当にビクビクしながらこのブログに辿り着き、そして信じられないような創価についての真実を知ることになり、やがてその衝撃を乗り越えて脱会された方がたくさんおられます。そうした方は「なんでこんな簡単な詐欺に気づかなかったんだろう」と口を揃えておっしゃいます。その答えは他でもない「騙されていたから」以外の何ものでもありません。そもそも創価に限らず詐欺ってそういうものですからね。

前スレでは「創価学会の現場」というテーマで、皆さんに色々と教えていただきました。ありがとうございました。東京でも聖教新聞の配達を一般企業が請け負うようになったということがわかりました。女子部が組織として機能しなくなり、婦人部に吸収されて女性部となったり、やはりもう聖教新聞を配るような学会員すらいなくなっているということなんですね。現役の学会員さんはこの事実をどのように受け止めているんでしょうね。いつか創価学会は世界中に広まる、つまり広宣流布という創価学会の目的を果たすことができると思っているのでしょうか。逆に言えば、そう思えないままに創価学会を信じる理由ってあるのでしょうか。座談会に行っても昔からの会員である老人しかいない。いちばん若いメンバーでも50代。女子部がいたのはもう10年以上も昔の話。未来部を面倒見る男女青年部の姿はない。白蓮も創価班も人がいなくて機能しない。幸いコロナで会合も少なくなったのでさほど困ってもいない。しかしこれから新来者(懐かしい笑)がやってくるなどもはやあり得ない。現役の学会員さんたちはそんな創価学会にどんな未来を見ているのか想像がつきません。

私は何度もこのブログで話をしてきたのですが、創価脳のままの兄が死んだことによって、創価学会に対する考えが随分と変わりました。それまでは何とか兄に気づいてもらいたいと思っていましたが、突然のステージ4のガンの宣告と、それから半年もしないでの他界に、私はある種の「見切り」をつけざるを得ない状況になりました。その「見切り」とは、「創価脳は身内であっても救えない」ということです。だからこのブログもゴタゴタを機に休止しました。休止した後は、もうブログを再開する気力はありませんでした。というか実を言うと、もうほとんどこのブログのことを忘れていたんです。頭の中から創価学会が見事に消え去っていました。ときどきこのブログのことを思い出したりもしましたが、また再開することなど考えられませんでした。それくらいプライベートなことが充実していたし、むしろきれいさっぱり忘れることができている自分が清々しく思えていました。この清々しさは今も同じです。

以前のように創価問題で苦しんでいる人の力になりたい!という情熱や使命感は、はっきり言ってありません。それは兄の死によって「それは他人がどうこうできないことなんだ」と思い知ったからだと思います。ネット上では、創価学会員と元創価学会で今は日蓮正宗の信徒であろう人たちが不毛な言い争いをしたり、そほど活動もしていないような学会員が脱会者と言い争いをしていたりするサイトがあったりしますが、そんなのほんとにどうでもいいと思えるようになりました。ほんとにどうでもいいんです。そんなところで言い争って何になるんでしょう。創価学会はもういよいよ衰退の足を早めるしかないのが現実だし、誰がどう足掻いても創価学会はそう遠くないうちに消滅します。もうすでにその兆候が明らかではないですか?年老いた学会員さんはもうそのまま創価学会を世界で唯一正しい宗教だと信じて、そして自分はその正しい信仰を貫き通したと信じたまま死んでいった方が幸せだと思います。下手に死ぬ前に覚醒したのでは悲しすぎるでしょう。「ああ、オレは創価の信心を一生貫き通すことができた。なんて幸せな人生だったんだ」と思いながら死んだ方がいいのではないでしょうか。

このブログでも結構な数の創価脳の方と対話を試みながらも、ほぼ全員と物別れに終わりました。今考えればそれは当然のことだったと思います。所詮、対話が成り立たない関係なんです。このブログで学んだことはこれです。創価脳とはどうあっても対話が成り立たない。今でも思い出すのは白いブランコさんです。創価に疑問を抱き、真っ当な気持ちで創価学会の改革を自分の組織からやっていこうと努力された現役支部長の白いブランコさん。その純粋な気持ちは悲しいほど伝わっていました。しかし肝心の組織の会員さんから見向きもされずに非活になられた。その後どうなったかはわかりませんが、それは今でも気になります。もう創価がおかしいということは気づいておられて、おかしいところは自分達で正していこうという、実に純粋かつ真面目で心優しい方だっただけに気になります。はたして白いブランコさんは創価学会が最初から詐欺集団だったという辛い現実を受け入れることができたのでしょうか。

もう一つこのブログをやってきた中で学んだことは、創価について自ら疑問に思えた人は覚醒できるということです。自ら疑問に思えたということは、創価について自分の頭で考えることができた人が覚醒できる。つまり目の前の自分の現実をありのままに受け入れることができた方は覚醒できるということを学ばせていただきました。これは創価に関することだけではなく、いろんなことにつけてのとても大切なことだと実感しています。たとえどんなに悲しいことや辛いことがあっても、まずその現実を受け止めようとすることはとても大切なのだと思います。もちろんそれが全てだとは言いません。ことによっては必ずしも真正面から受け入れずにやり過ごした方がいい場合もあるでしょう。人間、いつ死ぬかは誰にもわからないのですから、つまらないことにわざわざ関わっている理由も暇もないとも思います。とくに60歳を過ぎてからは強く思います。関わりたくない人とわざわざ関わって嫌な思いをする必要など人生において微塵もないと思うようになりました。「物事には全部理由がある」とか、「これはなるべくしてなったのだ」とか、ましては「これは自分の宿命なのだ」などといったことは、単に自分勝手な思い込みでしかないと思うようになりました。ひどく冷めた言い方なのかもしれませんが、言い換えればお花畑で浮かれた一生を過ごして終わることだけは避けたいと思うようになったのです。

私は個人的には「死んだら終わり」だと思っています。前世とか来世とか、その存在を証明できるものがないようなことを信じる気にはなりません。もし百歩、いや千歩譲って自分が死んでもこの生命が何らかの形で存在したりすることが証明できたとしても、今のこの自分の記憶はないのですから、今の自分にとっては「死んだら終わり」と同じことです。約10万年前に人間がこの地球に誕生して、死んだらどうなるかが証明されたことがないことを、たかだか100年も生きられない人間が前世だの来世だの永遠の生命だなどというのは勝手ですが、それはどう考えてもただの都合のいい思い込みでしかないと私は思っています。

無駄だとは思いますが、学会員さんに言いたいのは「現実を見たらどうでしょうか?」ということです。昔なら「何をもって創価学会が世界で唯一正しい宗教だと信じているのですか?」と問いかけていたところですが、今はもうそんな問いかけすらする気にはなりません。もっと言えば「勝手にやってください」といったところです。ただ、自分で気づけそうな人なら、そこをしっかりと自分で考えて突き詰めていってはいかがでしょうか?ということです。そこが一番大事なところだと私は思っています。ただ学会員さんは自分で考えている「つもり」でいますから、つまりは考えていないんです。そのことを私は自分の実体験から痛感させられました。人間、洗脳された状態では、自分が思考停止していることに気づけないんです。なぜなら思考停止しているからです(笑)。人間は思考停止から抜け出せて初めてそれまで思考停止していた自分に気づくことができます。だから学会員さんは余程のことがないと「自分は正しい」としか思えないで、そんな自分を客観的に捉えたり考え直したりすることができないんですね。そんな人に他人が何を言おうが話を受け入れ切れるはずがないことは当然といえば当然です。だから私は創価脳さんとの対話の試みは無駄だと判断したのでやめることにしました。

ちょっと考えただけでも、「私は法華経を信じます、と昔の中国語で書かれたカラーコピーに向かって、その通りに口に出して唱えたら、どんな願いも叶う」と頑なに信じている見ず知らずの人とどんな話をしろと言うのでしょう。

「あ〜なんかシニフィエも変わったなあ」と思ってる方もいらっしゃるかもしれません。確かに変わったと言えば変わったと思います。このブログを始めた頃の熱い思いは確かにないです。逆にすごく冷静になれたと思います。いわば、無駄に熱かったと思います。まだ50代初めでしたし(笑)

このブログにたどり着いて、脱会へと背中を押してくれたという方はたくさんいらっしゃいます。それは別に私のお陰なんかじゃないです。すでに創価に疑問を感じてこのブログに辿り着けたあなた自身が自分でやり遂げたことに他なりません。創価に疑問を感じた時点で脱会への道を自分で歩いて行かれたんです。その道の途中にたまたまこのブログに立ち寄ることがあったというだけだと思います。

これからもこのブログは続けるつもりです。ただ以前のような感じにはなりません。創価脳とのバトルがないのはもちろんです。これまでよりもブログの進行はゆっくりになると思います。

ただ、創価について疑問を感じていたり、創価が原因で苦しい立場にあり、自分ではどうしていいかわからないといった方の悩みに対しては、みなさんとその解決法を探っていけるようなコミュニティになれば嬉しいです。つまり、少しでも創価に疑問を感じることができる学会員さんに対しては全面的に相談に乗れるような場所になればと思っています。逆に完全創価脳さんたちは完全にシャットアウトしていきますので、みなさん、これからもよろしくお願いします。

創価学会の現場

おかげさまで、1年ぶりの突然の再開にも関わらず、ブログに来てくれる方がこんなにいらっしゃるとは思いませんでした。本当にありがとうございます。

連日、統一教会がメディアを騒がしています。ひとつ思うのは、テレビでの一部ワイドショーに出演している芸能人コメンテーターが統一教会について語る内容がとても稚拙なもので、こんなものを垂れ流すメディアもいかがなものかと思います。宗教2世がどのような被害を被ってきたかなど知りもしないで「信教の自由があるから何もできない」とか「もう統一教会のことは(問題にしなくて)いいんじゃないか」など、まったくの他人事の好き勝手な発言には呆れます。対して日本のカルト宗教問題に正面から挑んできた被害者救済弁護団やジャーナリストには頭が下がります。なのに芸能人の無責任なお喋りと同じステージで語らなければならない弁護士やジャーナリストは、それだけでも忸怩たる思いだろうと思います。

ちゃんと向き合ってきた弁護士やジャーナリストはこの問題を悪質な金銭詐欺事件と捉えているのに対し、内容をろくに知らない芸能人は宗教の問題だとしか考えきれないところに、こうしたおかしなワイドショーの状況がうまれているのだと思います。私もたまにテレビを見たりしますが、芸能人だけでなくタレント化した弁護士や俳優までもが的外れな発言をしているのを見て、テレビ業界がなんとも情けなく思います。

何度も言うように統一教会問題も創価問題もそうですが、これは宗教の問題ではなく金銭詐欺を行なっている犯罪者とその被害者の問題だということです。そして被害者である信者たちは同時に加害者になってしまうというところに、こうした宗教詐欺の特徴があります。何が問題なのかということが全く食い違っているのに同じステージで議論ができるわけがないんです。それはこのブログでも展開してきた創価脳との対話の試みがことごとく破綻してきたのも同じ要因だと思われます。創価擁護者は創価の実態を見る客観的な視点を持てないまま、創価の批判者を感情的に批判する。実態を把握することもなくテレビ番組で勝手なことを言うタレントとよく似ています。

さて、このブログを再開してからちょうどひと月が経ちましたので更新します。以前のように一つのテーマを出しますが、テーマに沿わないコメントも大歓迎です。テーマを設定するのは、みなさんがコメントしやすくするための一つの方法だとお考えください。

それでは、今回のテーマは「創価学会の現場」です。

私は脱会して10年経ちますので、今の実際の創価の現場がどんな状況なのか知りません。以前もこのブログで多くの方に教えていただきましたが、今回、あらためて座談会をはじめ、男子部、女性部、壮年部などの会合がどんな感じなのか。また創価班、牙城会などの人材グループの実情を知っておられる方がいらっしゃいましたら教えていただきたいと思います。一部の県では聖教新聞の配達や集金などの業務を一般の業者が請け負うようになったそうですが、まだ聖教新聞を配達員さんが配っている地域での配達部数がどれくらい減っているのかなども教えていただければと思います。コロナ禍で座談会や各種会合などがどうなっているのかも教えていただけるとありがたいですし、先の参院選での学会員による選挙活動もどんな感じだったのでしょう。私が住んでいる地域のいくつかの会館の前を通っても、少なくともこの2年間、ほとんど会合が行われている気配を見たことがありません。それから、池田氏はあいかわらず会員の前に姿を見せることはないんですよね。創価はいつまで「先生はお元気です」という明らかな嘘を会員につきとおすのでしょうね。

ということで、今回のテーマは「創価学会の現場」ということで、できればコロナ後の創価の実態を実際に知っておられる方に話していただければと思います。よろしくお願いします。

再開します。

みなさま、ご無沙汰しております。

みなさまと言っても、去年の9月から閉鎖しているこのブログを見ている方がどれだけおられるのかわかりませんが、とりあえずお久しぶりです。

去年の9月に何の説明もなく閉じたので、何かあったんじゃないかと心配してくださった方も少なからずおられたことは、ある筋から聞き及んでおりました。ご心配をおかけした方に対しては、大変申し訳なく思っております。結論から言うと、ブログ閉鎖の理由は、単にやる気がなくなったということです。特に何かがあったということでは全くありませんのでご安心ください。

なのになぜ再び公開したのかと言いますと、統一教会の事件がきっかけです。閉鎖する前にも少しだけ書きましたが、創価脳だった私の兄が創価脳のまま癌で亡くなったことで、このブログを続けていく気が急速になくなってしまったことがいちばん大きいです。またこのブログの文章が明らかな悪意をもって無断使用されたことも、ブログ閉鎖のきっかけの一つとなりましたが、その件に関しては相手にするのもあまりにバカバカしく時間の無駄だと感じましたので、この際閉鎖することに決めました。閉鎖後は自分でも驚いたのですが、このブログの存在すら忘れてしまうほど、創価問題そのものに興味を持てなくなっていました。そしてそれはそれでいいかなと思っておりました。これまでこのブログでもさんざん述べてきたように、創価学会は誰が見ても衰退の一途を辿るしかない状況だし、私も創価学会の崩壊はここ10年で決定的なものになると感じています。もうこのブログがあろうとなかろうと、創価学会の崩壊は時間の問題であると思っていますので、これ以上ブログ更新に自分の時間を割く理由も無くなったと思いました。

ところが、6月の安倍元首相銃殺事件に端を発した統一教会問題が世間を騒がせるようになり、これは統一教会に限った問題ではなく、あるいは統一教会以上の被害者を出している創価学会にも及んでくることではないかと思った次第です。つまり、統一教会の問題をそれだけで終わらせるにはもったいないと思いました。統一教会の問題が連日報道されている中で、創価学会の上層部は飛び火してこないか気が気ではないでしょうし、実際にメディアも多少は注目しているようです。公明党の山口代表が統一教会の問題に関しては明言を避けていることも取り上げられていますね。自民党も公明党も、どうにかしてこの問題がうやむやになっていくことを静かに願っているのが目に見えるようです。

メディアが取り上げる統一教会の論点が、政治と宗教から二世問題にシフトしてきたようにも思います。統一教会の場合の2世問題とは、合同結婚式で強制的に結婚させられた結果生まれたいわゆる「祝福2世」と呼ばれる子どもたちの生きづらさや、信教の自由という基本的人権がないという実態です。創価学会の場合は「福子(ふくし)」問題ですね。宗教学者の島田裕巳氏の著作『親が創価学会』にもあるように、親が子供の意志を無視して洗脳してしまうという人権無視の恐ろしい実態は、このブログを見てくださった方はよくご存知のことと思います。私も創価2世で50歳になるまで創価学会が詐欺であることに気づかなかったのですが、今、苦しんでいるのが3世、あるいは4世にまで及んでいるということです。

そこで、こうしてこのブログを再開した大きな理由としては、創価学会も統一教会以上に2世3世の人権問題が存在することを、少しでも多くの人に知っていただける機会になればと思った次第です。ネット社会の到来により、もはや昔から騙され続けている老人ばかりの集まりとなった創価学会は遅かれ早かれ崩壊することは明らかです。問題はまだ若い3世4世の学会員が存在するという事実です。統一教会のあきれた実態がここまで明らかになった今が、そのまま創価学会の闇の部分を照らしだす光明になってくれればと切に願っています。

ということで、私としてはガチガチの創価脳のお年寄りにどうこう言う気はもうありませんし、言っても無駄なことも体験的によくわかります。残念ですがこれはもう仕方のないことだと思います。私としては創価脳のまま死んでいった兄のことがあって諦めました。創価学会は世界で唯一正しい宗教だと信じて身も心もお金も捧げてしまった人に「じつはあなたの人生は間違っていたんですよ」と面と向かって言うほど残酷なことはできませんでした。もちろん知ってて言わなかったことに対する無念さを私は死ぬまで背負っていかなくてはならないと覚悟しています。しかしまだ若い人はこれからいくらでも人生を取り戻すことができると思います。このブログでは、これからも自分の体験や事実に基づいた意見を、かつては同じように創価を信じてきた者同士の対話を通じて確認することで、生まれてすぐから創価を信じるしかない人生を歩まされた3世4世の方たちへ向けて、人生を再出発させるきっかけとなる情報を発信していければと思っています。

そこで、これまでとは違ったルールとして、

・創価学会の正しい間違いを議論する場ではない

・あくまで自分の体験や事実をもとにした発言であること

・ルール違反のコメントは最初からシャットアウトする

この3点を基本にコメントを受け付けるようにします。

ネット上のコミュニケーションとしてSNSが主流になった今、ブログという形式にどれだけのアクセスがあるのかわかりませんが、特に創価学会3世4世の方で、創価学会に少しでもモヤモヤしている方。どうぞ遠慮なくそのモヤモヤをコメント欄に書き込んでみてください。また「え?創価学会って衰退してるんですか?とてもそうは思えないんですけど」といった素朴な疑問に対しても納得のできる回答を差し上げられると思います。

ゼロさんと曽根さんのブログ休止について

とてもお世話になったゼロさんのブログ『創価崩壊の鐘』が突然クローズし、曽根俊矢さんのブログも休止されました。どういう経緯があったのかはわかりません。ゼロさんにはこのブログで起こったゴタゴタを解決するために大変なご尽力をいただきました。本当に感謝しています。また曽根俊矢さんも、ご自分では常に謙遜されてはいましたが、創価問題に対する鋭い視点と素晴らしい語彙力で創価の矛盾をズバリ突いておられましたので、今回の突然のブログ休止には驚きました。特にゼロさんのブログの内容の客観性や説得力の素晴らしさについて書こうとしていたところだけに、突然の閉鎖という事態に一体何があったのだろうと考えずにはおれません。また曽根さんもご自分の仕事についての一途な思いや、ほのぼのとした家族愛を秀逸な文章で綴られていたので、やはり突然の休止の理由が全くわからないままでいます。同じ時期にお二人の周辺に何があったのか、創価関連のブログから離れていた私にとっては知る由もありません。そこで思い当たる場所をいくつか訪れたところ、はっきりとはわかりませんが、どうもこのブログで起こったゴタゴタが別の場所でくすぶり炎上しているのではないかと思えるところがありました。詳しいことはわかりませんが、どうやらそういうことかもしれないと思った次第です。このブログを休止にした直接の原因となった文章パクリ事件は、ゼロさんのご尽力によって収まったと思っていたので、それ以上私から蒸し返すことはしないでいましたし、前スレでも書いたように、創価問題自体に関しても興味が薄れてしまったこともあり、自分の中では過去のことになっていました。ですから創価関連についてはときどきゼロさんと曽根さんのブログを読むくらいで、それ以外の場所には全く立ち寄ることがなくなっていただけに、お二人のブログの休止は思いもかけないことでした。それにしてもこのお二人の事ですから、よほどのことがあってのことなんだろうと心配しています。私のブログで起こったことが原因で、私の知らないところでお二人がブログを閉じなければならないほどのトラブルが続いていたとしたら、本当に申し訳なく思います。

いわゆる創価脳の思考回路というのは、はっきり言ってしまえば異常です。狂っています。特に創価批判に関しての思考回路はとてもまともだとは言えません。それはかつての自分もそうだったからこそ、そして創価脳から脱却できた今だからこそ、こうしてはっきりと「異常だ」と言えます。これは学会員さんを罵倒しているのではなく、学会員さんはそうなるまで精神を支配されてしまった被害者だということを述べています。しかし残念ながらいわゆる創価脳と私が呼んでいる学会員さんは、私のこうした指摘を単なる人格否定だとしか受け止めることができなくて、血相を変えて批判されます。「いやいや、そうじゃなくて」とどんなに説明しても、そんなことが理解できるようなメンタルではないのが創価脳さんです。だからこそあえて「異常だ」ときつい言い方をします。それでも、創価脳といえどもこのブログに来られた方には、できるだけ話が通じるように、微に入り細に入り、自分でも嫌になるくらい詳細に言葉を選びながら説明しているつもりなのですが、どうにもこうにも理解を得られることはありませんでした。そしてそれは想像を絶するほどのストレスが襲いかかることは、私もこのブログを運営してきた経験があるがゆえにわかる気がします。私もきっと同じような経験をしてきたのではないかと思います。私も何度かこのブログを休止しました。それは決まって絶望的なディスコミュニケーションに襲われたときです。「なんで普通に話してる簡単な日本語がわからないんだろう?」とか「なんで素朴な質問に答えてくれないんだろう?」という忸怩たる思いが積み重なったときに、ある時点で限界に到達するんです。

先に述べたお二人の突然のブログ休止も、もしかしたらこの絶望的なディスコミュニケーションによるものなのではないかと勝手に想像しています。

このように、創価脳との対話は成立しないというのが、この10年間実際に創価脳との対話を試みた私の結論です。いつも言ってきた「自分で気づかなければわからない」というのもそうした気づきの一つです。そもそも創価脳は対話のステージに立てないということです。つまり人の話を聞く気がないというのが一番の原因です。それはもともとその人の素養ではなく、創価を信じる過程で植えつけられる排他的思考が「創価以外の人の話を聞かなくなる」というものだからでしょう。そしてもう一つ気づいたのは、創価批判ブログに執拗に批判をしてくる創価脳の人たちは、熱心な学会員というわけではなく、学会員ではあってもそれほど真面目な活動家ではない場合がほとんどだということです。またすでに創価に疑問を感じて脱会した人であっても、極端な思い込みはそのままに見ず知らずの人を批判するような人がネットという場を手に入れて、あたりかまわず自己主張をする人もいるということがわかりました。私がブログを休止して今もコメント欄を閉じている理由の一つは、このようなわけのわからない人と関わりたくないという気持ちもあったからです。今はもう、こうした話の通じない、なおかつさほど創価を信じてもいない人と議論しても意味はないと思うようになりました。私がブログ上で繰り返してきた「創価は宗教ではなく詐欺だ」という言葉を目にした中途半端な学会員、あるいは脱会者が、自分のこれまでの人生を否定されたかのように思い込んだ結果の怒りなのだと思います。

近況報告

このブログを休止して7ヶ月が経ちました。ご覧のように記事の更新もときどきしかしなくなったのですが、アクセスは少ない日は400台、多い日は600台を推移しています。とはいえある一定の方々は見てくださっているようでありがたいです。今回も前回更新した8月24日以来でこのブログを開けてみたくらいですから、私の中の創価学会という存在がどんどん希薄になっているんだなと思います。私の周りにはもう創価学会員がほとんどいません。身内にはもちろんいません。いるとしたらもう何年も会っていない数人の友人が学会員だったということぐらいで、その友人にしても今も学会員なのかすら知らないし興味もありません。今の自分からすれば、7ヶ月前までの自分さえ遠い昔の人間であるかのように思えてしまいます。創価学会について考える時間が極端に少なくなりました。というか本気で忘れている時間が圧倒的に多いです。以前は一日たりとも忘れたことはありませんし、このブログに寄せられるコメントに対しての対応を常に考える日々でした。それとは対照的に最近の数少ない更新の内容も、淡々と創価に関する事実を述べるにとどまっています。昔の読者からすれば、単にこれまでの繰り返しのような内容なので落胆されている方もいらっしゃるのではないかと思います。かと言って、無理に昔のような形に戻す気もありません。今後このブログをどうするのか自分でもわかりませんが、ともかく今はこのブログを存続させて、過去の皆さんからの貴重なコメントを読んでいただく機会だけは失くさないようにするために、こうしてときどき更新していこうと思います。それから私ごととしては仕事もプライベートもすこぶる快調すぎて怖いくらいです(笑)うつ病の症状も自分でも忘れているくらいで、生活に支障はほぼなくなりました。ここまで立ち直るのに10年という年月がかかりはしましたが、結果としては思いもよらないほどの幸運に恵まれた現在があると言えます。創価脳さんからすれば、私などさっさと地獄に堕ちなければならないようなことをしてきたのでしょうが、現実は違います。50歳過ぎてはいましたが、それでも創価が詐欺だと気づけて、創価から完全に縁が切れただけでも本当に幸運だったと思います。そりゃあもっと若いときに気づけていればもっとよかったのでしょうが、それを言ってもしょうがないですからね。

そしてこうなった今だからこそ言えるのは、とても冷静に創価学会を見れるようになったということです。これまでは創価脳だった兄のことがあったので、どうしても完全に客観視することができなくて、創価に関して感情的になってしまった部分がありました。言い換えれば、その部分がこのブログを続ける原動力にもなったのだということです。しかし、その兄が創価脳のままあっさりと亡くなったことで、私の創価に対する感情がとても希薄になり、そして宗教全般についての客観的な視点を持てるようになったような気がします。もちろん、創価学会は宗教ではありません。宗教ではない創価学会がなぜ宗教であるかのように自分も含めた多くの人々が騙されてきたのかを考察する中で、宗教そのものについてもあらためて考える機会となったからだと思います。

先日、シモーヌ・ド・ボーヴォワール作『老い』について上野千鶴子氏が語るEテレの番組を見ました。とても共感できました。まるで上野氏がボーヴォワールであるかのような錯覚さえしかねないほどの「潔さ」あるいは「身もふたもない話」に感動しました。厳しい現実であったとしても、それを真正面から受け止めること。それこそ身もふたもないほどに冷徹で客観的な視点こそが真実を見極め、これからの時代に必要なものは何かをはっきりとさせることができるし、その結果としての女性解放運動と、高齢社会に必要なものが何かという先見性だったのだと思います。その「潔さ」「身もふたもない話」は原始仏典に残されている釈迦の思想にとても通じるものがあるなと思いました。

この上野氏のボーヴォワール『老い』(NHK100分de名著)の紹介文には

老いは不意にあなたを捉える

見たくない、聞きたくない、考えたくない――。そんな「老い」の実態をあらゆる観点から論じ、従来のステレオタイプを次々と打ち砕いたボーヴォワールの主著。なぜ老いを自覚することは難しいのか。老人が社会から疎外される根本理由とは。キレイゴト抜きに「老い」の実態を暴き、「文明のスキャンダル」と捉え直した著作の真価を、現代日本の状況にも引きつけながらやさしく解説する。

とあります。「老い」とはその先の「死に向きあうこと」と言い換えてもいいのかもしれません。

創価に騙されたまま亡くなった兄は、もうこの世にいません。もちろんあの世とか来世などがあるわけもないです。もう兄は存在しないのです。もちろん私もいずれは死んでしまうし、それは誰であろうと例外はありません。死んだら生まれ変わるなんて釈迦の教えにはありません。なのに仏教の教えの中に死んだら生まれ変わるといった考えが存在するのは、釈迦の死後に厳格な仏教が廃れたことの解決策として、インドで一般的だったバラモン教の受け入れられやすい考えを取り入れた結果のことでした。釈迦滅後の仏教教団は、その存続のための手段として、釈迦が否定していたバラモン教の教義を取り入れることによって、新たな信者を獲得するようになりました。それでもインドでの仏教教団は壊滅し、その代わり東南アジアや中国に伝わったのがバラモン教を取り入れた仏教であり、それに中国の儒教などが色濃く混ざったものが日本に伝わったので、日本では生まれ変わりや魂の存在がまるで仏教の教えであるかのように定着したんですね。もちろん日蓮もそうしたバラモン的仏教しか知るすべがありませんでしたから、本来の仏教とはかけ離れた仏教観しか持つことしかできなかたわけです。「死んだら終わり」。それこそこの身もふたもない現実を直視することこそが釈迦の哲学であったと思いますし、ひいてはボーヴォワールの徹底したリアリズムだったのではないかと感じました。

「死んだら終わり」を受け入れることは、特に科学的な考え方のなかった時代には難しかったと思います。誰も経験したことのない、かつ絶対に避けることのできない死に対しての恐怖から逃れ、どうにかして何かしらの救いを求めたのでしょう。そこに「死んだら生まれ変わる」とか「魂は永遠に存続する」などといった「何の根拠のない気休め」が人々の間に広まり、そのうちに自然の脅威や生命の不思議さを説明するための神の概念が生まれ、それがやがて宗教となっていくんですね。そうした宗教がいつしか人々を差別化し、人々の心を支配するための道具となってしまいます。人類の歴史とは、こうした死の恐怖から逃れるための神の概念をもとに支配層と被支配層に分かれる中で戦いが繰り返されてきたわけです。創価が教義としている独特な日蓮仏法はもちろんですが、日本の一般的な仏教観も最初から本来の釈迦の考えとは真逆のものだったということは、学問としては一般的な史実ではあるのですが、こと仏教界ではそこはスルーされているのが現実です。つまり「死んだら終わり」を認めたら宗教が宗教として成り立たなくなるから、そこは何が何でもスルーするしかないんですね。宗教は理屈の通用しない世界です。理屈が通用しないから信じるしかないんですね。というより宗教とは理屈が通用しないことを信じ込むことよ言ったほうがいいかもしれません。一般的な宗教ですらそうなんですから、会員を騙してお金を巻き上げるために作られ、創価学会だけが唯一の正しい仏教だというめちゃくちゃな屁理屈を信じさせることで大きくなってきたのが創価学会という詐欺集団です。だからこそ仏教とは言いながらも釈迦の哲学を完全にスルーするしかないのも当然といえば当然のことだと言えます。

創価学会は世界に広まっているという思い込み

ご無沙汰してます。

創価学会に疑問を持っている学会員さんに対して、考えるヒントとなればいいなと思うことをときどき書いていきます。

コロナ感染によって会合などもできなくなった学会員さんは、この機会にぜひ自分が信じている創価学会について考える機会にして欲しいと思います。

創価学会公式HPの中に創価学会インターナショナルを紹介しているページがあります。

かつて創価学会インターナショナルは、創価学会とは独立した組織だったようですが、今は創価学会の下部組織になっているようです。

この創価学会インターナショナルという組織の存在によって、日本の学会員さんは「創価は世界中に広まっている」と思い込んでいるというか、そう言い聞かされてきたので、具体的な人数や実態を知らないまま「創価学会は世界中に学会員がいて、どんどん数が増えている」と思い込んでいます。かつての私もそうでした笑。

ではSGIメンバーは何人ぐらいいるのかというと、実際のところはわかりません。ただ、創価学会公式HPには、「海外メンバー数 220万人」との記載があります。日本の創価学会員を相変わらず827万世帯、つまりこれは日本の6人に一人が創価学会員だと記載しているくらいですから、この220万人という数字も全く信用できません。それでも実際に220万人が本当の数字だとしても、世界人口78億7500万人から日本の人口を差し引いた77億5500万人の中の220万人ですから、これで世界に創価学会が広まっていると言えるかどうかということです。

各地域のメンバー数の内訳も載っているので、それぞれに全人口を併記してみます。

地 域       メンバー数   人 口

北米        35.2万人   3億6806万人

中南米       25.8万人   6億3581万人

アジア・オセアニア 142万人   41億2554万人(日本除く)

欧州        13万人    7億4640万人

中近東・アフリカ   4万人    16億7568万人

合計        220万人   75億5149万人 

これを見ればわかるように、SGIメンバーというのは75億5149万人の中での220万人です。

ピンとこないかもしれませんが、例えば日本で約35,000人が学会員だということです。日本で信者数が35,000人の宗教団体など掃いて捨てるほどあります。でも学会員さんは「創価学会は世界に広まっている」と思い込んでいるんですね。

日本の学会員がここ数十年ずっと827万世帯(現在の世帯人口から割り出すと1870万人以上)と発表している創価学会の言う220万人ですから、どこまで信用できるかはおおよそ想像できますね。

それに、SGIの人数は発表するのに、日本国内の学会員の数は決して発表しないんです。決して人数は言わない。827万世帯としか言わないんです。

私が思うに、実際の人数を発表すると、創価学会の衰退が数としてはっきりするからだと思います。827万世帯はおそらく創価学会が発足してから会員に下付したご本尊の数だと思われます。いつも言うことですが、今の日本に本当に827万世帯もの学会員がいるとしたら、1870万人以上の学会員がいなくてはなりません。それが事実なら公明党はとっくの昔に政権を掌握しているでしょう。なのに公明党の得票数は自民党と選挙協力しても600万票台しかとれません。しかもその数は選挙のたびにどんどん減っています。

このような事実があってもなお、創価学会は会員数を827万世帯としか言えないのは、今さら会員数が減っていると言うわけにはいかないからでしょう。会員数が減っていることを認めたら、創価学会が日蓮仏法を広めるために出現した地涌の菩薩の集団であることにならないからです。創価学会の衰退の実態は、熱心な活動家であればあるほどその現実を目の当たりにしているはずです。

「創価学会は衰退しているのではないですか?会員は確実に減っているし、残っている会員も老人がほとんどですよね」という質問には「確かに減っていることは間違いない。しかし減っているから衰退とは言えない」とわけのわからないことしか言えないのが創価脳です。でも彼らは本気でそう思ってるのかもしれません。そう思わなければ自分の人生を自分で否定しなければならなくなるかもしれないと思うからではないかと思います。だから何が何でも「創価学会は正しい。そうかを信じてきた自分の人生に間違いはない」と思うしかないのでしょう。だから827万世帯というおかしな数字を言われても、それ以上のことは考えないようになるんです。これが創価脳特有の、いや、創価に限らず、カルト宗教にはまってしまう人間特有の思考停止なのです。

話は変わりますが、このところ東京地検特捜部がいい動きをしているようですね。

管政権が弱体化して、強気で動いているのでしょうか。遠山議員が銀座通いで直ちに議員辞職した理由も合点がいくし、小池都知事の入院のタイミングや二階幹事長との密談も、相当追い込まれている結果のように思います。小池都知事はコロナ対策よりもそっちの方で頭がいっぱいなんじゃないでしょうか。いずれにせよ創価学会もかなり追い込まれててんやわんやになっているのは間違いないようです。東京地検特捜部がどこまで手を伸ばすことができるのか、今後の動きに期待したいです。

学会員さんもこのような目の前の現実をよく見て、創価学会が何をしてきたのかを自分の頭で考えて欲しいと思います。

女子部が消滅した次は当然男子部消滅

非活になって20年、脱会して10年も経つと、今の創価学会がどうなっているのか知るすべがありません。ただこのブログを続けてきたおかげで、現役の学会員さんや、ついこの間まで活動家だった学会員さんから今の創価学会の現状を聞くことができたので、とてもありがたかったです。ただ今年2月のはじめからコメント欄を閉じていますので、今の創価の様子を知る機会がなくなりました。それで最近知ったのが、5月3日に婦人部が女性部になったということ。そして11月8日には女子部が消滅して女性部に吸収されるんだそうですね。もうずいぶん前から女子部の活動家が激減して、女子部の活動家が一人もいない地区ばかりになったということは皆さんからお聞きしていたのですが、いよいよ全国的に女子部の組織活動が不可能になったのですから、女子部の消滅は自然な流れだと思います。次は男子部が壮年部に吸収されて「男性部」になる日もそう遠くないのではないでしょうか。女子部ほどではないにしろ、男子部も活動家は激減しているようで、創価班と牙城会が男子部で機能しなくなって昔の男子部がやってるそうですし(笑)、「牙城会大学校」と「創価班大学校」をひとつにまとめて「男子部大学校」になったんですね。どう考えても「活動家がいなくなった」ことの証拠でしかありません。でも学会員さんは女子部が消滅したり牙城会や創価班が消滅したことも「新たな出発」などとごまかされているようですが、いくら学会員さんでもほとんどはそこまでバカではありませんから「創価は衰退してるんだなあ」と実感していることでしょう。前スレでも触れましたが、聖教新聞の配達集金を一般の新聞社に委託したり、公明党の得票数が減り続けている事実を見ても「創価学会は躍進している!」と言うような学会員さんがいるとしたら、ごく一部の頭のイカれた創価脳だけだと思います。

では、聖教新聞を配る無冠の友がいなくなり、女子部がいなくなり、牙城会、創価班をやる男子部がいなくなり、公明党の得票数も減り続けている創価学会に未来があるのかというと、あるわけないと思っている学会員さんが多いと思います。創価学会に未来があるなんて心の底から信じている学会員さんは、このブログに殴り込んできたいわゆるコッテコテの創価脳さんたちだけだと思います。

私は今どきの創価の会合を実際に見る機会がないので、なんとも言えませんが、きっと昔男子部や女子部だった活動家が同じ顔ぶれで続けているんだろうなと想像します。私が中学高校時代に一緒に活動していた同級生2人は、今も地元の副会長をしているようです。もし私がこんなブログを続けていることを知ったら腰を抜かすでしょうか(笑)。いや、そんなことはないでしょう。「やっぱりお前もか」って言うと思います。副会長は騙される側ではなく騙す側ですからね。現実の創価学会がどういうものかはわかっているでしょう。わかっていないのは騙され続けている末端の学会員さんたちです。前スレでも書いたように、単純に「日本人の8人に1人は創価学会員だ」という大ウソを聞いても疑問に思わないように飼いならされている末端の学会員さんたちが創価の被害者であるということを、被害者自身に気がついて欲しいと思います。本当に日本の創価学会員が827万世帯あるとしたら、どうして女子部が消滅したり、牙城会や創価班をやる男子部がいなくなったり、聖教新聞が自力で配れなくなったり、公明党の得票数が700万票も取れなくなるんだろう?っってことすら考えきれなくなっているという自分の「無思考、完全服従」という現実に気がついて欲しいと思います。

創価学会の人ってどれくらいいるの?

日蓮が末法の本仏だとする宗教は日蓮正宗と、そこから派生したいくつかの新興宗教団体だけです。創価学会の教義は日蓮正宗のそれとほぼ同じですが、創価学会が日蓮正宗から破門されてからの30年間は互いに罵り合うだけの関係でしかありません。日蓮正宗から派生したいくつかの新興宗教団体も、同じように口汚く罵り合いを続けています。つまり、日蓮本仏論を信じている宗教団体は、みんな互いに何十年も罵り合っているわけです。

創価学会は会員数すら発表しないので、当の学会員でさえ自分が信じている団体が何人いるのかすら知りません。知らないというのも不思議なんですが、学会員さん自身が学会員数を知らないことに何の疑問も感じないことがもっと不思議ですよね。創価学会が発表している数は、日蓮正宗から破門された30年前から「日本では827万世帯、世界では192カ国200万人以上のメンバーがいる」と言い続けているだけです。なぜか世帯数は言えても会員数は決して言いません。下の創価学会公式動画でもはっきり言い切ってますよね。このように創価学会は「創価学会は世界中に広がっているんだよ〜」って平気で嘘を言う団体です。

なぜ嘘かというと、総務省自治行政局住民制度課発表の2020年1月1日現在の日本の世帯数は5,907万1,519世帯なので、この827万世帯という数字が本当だとしたら、日本の7軒に1軒は創価学会の家だということです。また、これまでに何度も書きましたが日本で827万世帯ということは人口にすると1,600万人以上の日本人が創価学会員であるということを意味しています。つまり日本人の8人に1人が創価学会員だという計算になります。そんなことを誰が信じるでしょうか。でも学会員さんはこれを否定することができません。否定したら「創価学会は嘘つきで、その嘘つく宗教を自分は信じている」と認めることになるからです。

今となっては2世、3世といった生まれながらに強制的に会員にさせられて実際の活動は何もしない名簿上だけの学会員の割合が増え続けてきたので、実際に創価学会員として活動しているのは、多く見積もったにしてもせいぜい100万人程度だと言われています。でも実際はそんなにいないと思います。私が活動していた20年前は、まだ男女青年部の活動家はいましたが、今はもうほとんどいないような報告をこのブログにもしてもらいました。創価班や牙城会が男子部だけではできなくなったし、女子部に至っては婦人部に統合されてしまったそうです。聖教新聞の配達集金もやる学会員さんがいなくなって読売新聞社などに委託を始めました。これからこの動きは全国に広がるでしょう。こんな現実がありながらも、創価学会は日本人の8人に1人が創価学会員で、さらに世界にどんどん広まっていると正式に発表しているのです。

活動しいている学会員さん自身が創価学会員が激減している現実を一番よくわかっているにも関わらず、創価学会の衰退の現実を認めようとはしません。認めてしまうと創価の何もかもが嘘だと認めてしまうことになるからでしょう。それだけでなく、自分の人生も嘘だったと認めてしまうことになるから、現実に向き合うこと自体が恐ろしくて仕方がないのだと思います。だから創価学会に関するどんな現実を突きつけられても、とんでもない屁理屈を言い出したり、それでもダメな時は聞こえないふりをしてスルーするんですね。だって「日本人の7軒に1軒は創価学会員です」って平気であからさまな嘘をつく新興宗教団体を信じるしかないんですから、そんなおかしなことにまともに向き合っては生きていけませんよね。

そこで、あらためて学会員さんに考えてほしんです。「創価学会は公式に日本で7軒に1軒は創価学会員です」と発表していますが、信じられますか?創価学会はなんでこんなあからさまな嘘をわざわざ公式発表する必要があるのでしょう?例えば「現在の学会員は200万人で、中でも活動家は50万人程度です」と発表したらダメだったのでしょうか?しかしこうなったら創価学会は嘘をつき続けるしかないんですよね。いまさら「あれは嘘でした」とは言えませんよね。でも日本の7軒に1軒が創価学会というのはあまりに現実離れしているにも関わらず、その矛盾に対して考えようとはしない。現実に素直に向き合っていない自分についても考えようとはしない。つまり創価学会についても、自分についても考えようとはしていない現実から逃げ回っていることを一度でいいから考えて欲しいと思います。

例えば、ある日、親しい友人から

「自分は今度日蓮正宗に入ったんだ。日本人の10人に1人は日蓮正宗の信者なんだぜ。すごいだろ。日蓮正宗は世界に広まってるんだ。こんなにたくさんの人が信じてるってことは、日蓮正宗が本当に正しい宗教だっていう証拠じゃん」

と言われたとして、学会員のあなたは

「そりゃお前が騙されてるんだ。考えてもみろ、日本人の10人に1人が日蓮正宗なわけないじゃんか。でもな、創価学会では日本人の8人に1人は創価学会員なんだぜ。創価学会の公式HPや公式動画でもはっきり言ってるからな。創価学会こそ正しい宗教だという証拠だろ」

と堂々と言えますか?って話です。

「いやいや、騙されてるのはお前のほうだろ」

って普通なら言われますが、他の宗教のおかしなところは理解できても、創価の嘘を考えきれないのが創価学会活動家の方々です。だからそんな人の話をまともに聞かないような活動家さんには何もいうことはありません。言っても無駄ですからね。

ただ、学会員さんの中でも、自分で考えて「どうも創価学会の言うことはおかしいんじゃないか」と思える人は、このブログのどこからでもいいですから読んで欲しいです。まずは気になるタイトルを見つけて読んでみてください。それからコメント欄もぜひ読んで欲しいのです。どれだけたくさんの創価経験者が「創価は詐欺だ」と気づいたかをその目で確かめて、自分の疑問に思う気持ちは間違いなかったんだと気がついて欲しいと思います。