創価を知るための参考本を紹介してください

このスレッドもちょっとイレギュラーです(笑)

私はいわゆる創価の告発本というのを読んだことがありません。書店でちらっと立ち読みしたことはありますが、わざわざ買ってまで読もうと思ったことがないです。それよりももっと読むべき本があるだろうという考えでした。ですから矢野氏の本などで覚醒した方もおられるようですが、なにぶん自分が読んでないだけにこのブログで紹介するのもどうなんだろうと思っていました。それより皆さんの実体験のほうがよほどリアルで、たくさんの方に共感してもらえるだろうと思っています。

そういうことでこのブログがみなさんからのリアルな体験がここまで積み重なり、それに共感していただいた方がさらに体験を綴ってもらう。そうやって10000を超えるコメント数になりました。もちろんこれからもこの形は続けていきたいと思います。

みなさんの実体験とは別に、ときどき創価の実体がわかる貴重な資料を教えてくれる方もいらっしゃって、それはそれでとてもありがたいです。ただそれらの中には出処不明の、いわば意図的に混乱させるようなガセネタが、紹介してくれた人の意に反して混ざっていることもあるので、そればかりになると、みなさんからの実体験の信憑性にまで傷がつきかねないこともあり、とくに資料や書籍については積極的には紹介しませんでしたし、そう言った事情をご理解していただいてきました。

しかしもうみなさんのおかげで、このブログの信頼性はある程度確保することができたのかなと思います。あきらかに悪意のある荒しとか、わけのわからないコメントもほぼありません。先日ひとつあったのですがすぐブロックしました(笑)。

そこで、今回は『創価を知るための参考本を紹介してください』ということで、実際に皆さんが読まれて目から鱗だったといった創価の告発本の紹介をしていただくというのも、もうやっていいのではないかと思いました。これはまだ書籍に関してということです。まだネット上の資料についてはあやういところもあるのでやめときます。あくまで書店やネットで購入できる書籍の中で、創価の実態を知るためにはこれがおススメですよといった本です。私も読んだことがないので、みなさんが紹介された本の中から少し勉強しようかなと思っています。もう覚醒された方はことさら読まなくてもいいと思います。まだ創価に在籍していながら、なんとなく創価はおかしいんじゃないか?どうしてこんなに無理して活動しなきゃならないんだろう?幹部が幸せそうには見えないんだけど?おかしいと思っているのは自分だけなんだろうか?などなど、活動しながらも疑問でいっぱいの方が、ほんとは全国にたくさんいるんですよね。おそらくこのブログにたどり着いた方のかなりの方が、そんな疑問を抱えていらっしゃると思います。皆さんの中でそんな方におススメの本がありましたら、読んでの感想とともに紹介していただけませんか。

告発本だけとは限りません。たとえば島田裕巳氏の『創価学会』や『新宗教儲けのカラクリ』などは外部から見た詳細な分析ですので、こうしたものも会員さんにとっては衝撃的な内容でしょう。こうした創価の内部にいた人たちからのものだけではなく、実際に世間一般から見た創価はどのようなものなのかを知るためのよい機会になると思います。私も少しずつ読んでみようかなと思っています。

それで本の紹介に関しては、このスレッドだけに限らせていただきます。次のスレッドからは、今までどおり、皆さんからの実体験をもとにしたお話をお願いします。

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皆さんから紹介いただいた本のリンクを右下に貼りました。
参考にされてください。
アマゾンでヒットしなかったものは入っていません。

創価を知るための参考本を紹介してください」への82件のフィードバック

  1. 私の基本はフリーなんですが、月一ぐらいで病院通いが、今の処縛りです。後10年チョイで、”後期高齢者“となった刻が怖いです。うちの近所の婆ちゃん達も、一番の用事は病院通いの様子です。
    三分の一位アップ出来たので、今日はコーヒーブレイクということで、図書館で借りてきた本をコピーしてたのを書き出してみます。“買う程もないか、手に入らない本”は図書館のお世話になっています。

    ① 「ホワイト調査班の創価学会レポート」宗教社会学研究会訳/1971年・雄渾社

    170 創価学会の新聞と刊行物(1966年)/参照=「打倒創価学会」由比宏道17頁より
    聖教新聞300万/聖教グラフ110万/大白蓮華150万/灯台5万・希望の友35万
    潮43万/週刊言論50万/公明新聞130万/第三文明ほか20万
    184 学会は、利益と目標、そして権力すらも競い合う根源に発展しそうな中間的な組織レベルの集団の発生を、未然に防ぐために、学会、公明党とも、ヨコ線の同じレベルの幹部の会合を開かせない。さらに学会には上層の学会主催によらない、あるいは、幹部の統制外にある会合を認めない意識的な方針があるように思われる。この方針は、中間的な集団が上からの公式目標に共謀してそむく可能性を阻止し、幹部と動員される大衆との間に障害が少しでもうまれるのを阻止している。派閥の可能性を阻止するのは、学会の中では、会長がはたしている役目である。……
    384 ─学会が俗界を非難し、功徳は信心如何によるとする主張は、信者を、俗界の社会経済体制から疎外させ、職業上の努力と御利益の関連をすべて否定させるように仕向けているという説──は直感的に受容し得るものと感じられる。この説では次のように述べている。「言いかえると、彼らの本仏が救済神である御蔭で、この世で生きのびることが出来ると信じている……本仏の御恵みの御蔭で、金もうけが出来、家族も養えると信じている。学会員は、使用主から自分達が受けとる給料は、自分の労働の報酬とは考えていない」。脱会者の証言はこの推測を裏づけている。学会を去った、幾人かの下級指導者は、どんな問題でも、信者は「ただもっとお題目をとなえなさい」と言われるだけであると報告している。俗世間的な不幸の原因は関係なしということで、あらゆる問題の解決策は、お題目と学会活動をすることにあった。(以上引用終了)

    ② 「創価学会を折伏する」世界仏教教会/昭和37年7月・実業の世界社

    346   創価学会の実体
     創価学会とは、会員信者の勧誘と獲得(彼らはこれを折伏という)のために、執拗な強制、威嚇、脅迫等の犯罪的または犯罪すれすれの行為を公々然と行なって、膨大な会員数に膨れあがった団体であり、その内容は精神病的患者である変質者、狂信者と愚民と、それを食い物にして金もうけをしている幹部とで構成された、いわゆる“去勢された大集団”である。
     しこうして創価学会の会員の大部分は“ごりやくがある”という言葉につられて会員となり。窮乏のうちから金をみついでいるのであるが。ごりやくがあるとか罰が当たるとかいうことは絶対にないことは幹部はよくしっているのである。ただそのような“馬鹿げた”ことをいって頭脳の弱い無知な(日本にはこのような愚民がまだ二、三千万人は存在する)ものをだまして“金もうけ”をしているというのが創価学会の実態である。換言すれば、創価学会のインチキなることは、創価学会の幹部が一番よく知っているのだ。(引用終了)
    (*丁度私が小学生頃の、一人で折伏に行って無理だったら、次は二、三人で、それでも駄目なら五、六人で押しかける!と云った、戸田城聖時代のやり方が残ってた頃の話のようです。あの頃の座談会の活気・盛り上がりは、体験した者しか分からないでしょうね)
    *しかし、当時から観切れる人は創価の本質を分ってたんですね。

    ③ 「変質した創価学会~現創価学会大幹部の告発」蓮悟空/昭和47年7月・六蓺書房

    211 現在でも貧しい学会員が聖教新聞その他色々なことでお金を供養し、池田会長を太らせている。貧乏人が金持ちを助けているのは、世界広しといえども、創価学会だけだあろう。
     日蓮大聖人ではなく池田会長に本従をたがえているから仕方がないのであろうか。
    229 このように、二つの話には相違がありすぎる。正本堂は事実上の事の戒壇と言っていたのに、「現時における事の戒壇」と変わってしまった。また広宣流布の暁に建つのを事の戒壇と言ってきたのに、「未だ謗法の徒多き故に、安置の大御本尊はこれを公開せず」と、話の内容がまるで違っている。ここで注目したいことは、池田会長や学会本部はこのことに一言もふれず、伝統の五月三日を前にして一カ月も海外へ逃げてしまったことである。そして会員の姿は以前と変らず、取られるものだけ取られて何ひとつ得てはいない。
    231 一説によると、供養で集めた金額は四百二十億円に達し、公表額と七〇億の差がある。更に実際に正本堂にかかった費用は百億程度というから、さきの七〇億の差額と、工事費の残金のゆくえはどうなっているのだろうか。日達猊下は、学会よりその残金を返してもらいたい旨をもらしているらしいが、一度集めて手にした金は、絶対に手放さないのが学会の主義(?)らしいから、無理なことと思う。正本堂の落慶が終ったら、大石寺と学会が金銭問題でもめるだろうことは容易に想像できる。(以上引用終了)
    (*本読み進めたら、蓮悟空さんは創価からも正宗からも離れていると思います。
    結構組織宗教に嫌気がさし、“一人仏教”へ行かれた方もいますね。私もですが)

    ④ 「私はこうして創価学会をヤメた~入信から脱退までの軌跡」創価学会脱会者の会/s62年11月・日新報道

    91 病名もハッキリせず、一進一退、入院、退院をくり返していました。そんなある時、学会の大幹部が二人、訪ねてきたのです。うちでは主人が外出していました。訪ねてきたのは、病気見舞いではありません。
    『あなたは学会組織を批判したから罰が出て、ハラワタが腐ったんだ』
     これだけいうと、引きあげていきました。この時、私の驚きと学会不信は爆発したのです。そして、病床の私の夢うつつの中に池田会長が出てきて語りました。
    『バカがいるから詐欺師がいると、二代目会長の時からいってきたろう。お前たち欲深で、トクをしようとオレについてきたものだろう。そんな餓鬼どもの幸せを考えてやるほど、オレはヒマじゃない。バカにつけるクスリが、だましの他にあるか』
     夢から醒めて、私はハッとしました。(以下省略)
    (*まさに正夢でしょう。)

    ⑤ 「誰も知らない 創価学会の選挙~となりの学会員の汗と涙の物語」北川洋と五月会/1995年11月・はまの出版
    Amazonレビュー
    独り善がりな自己弁護  投稿者 カスタマー 投稿日 2004/4/19
    題名・章題と中身が釣り合っていません。批判本に見せかけられた自己弁護本。
    それでもこの団体が選挙の時に、どのようなメンタリティであれほどまでの活動を行うのかは、とてもよく理解できる著書だと思います。

    105 「赤いスポーツカー」を乗りまわすことが許されないのは坊主だけではないのだ。ゴルフにうつつを抜かすことが許されないのは坊主だけではないのだ、夜ごとスナックで飲み歩くことが許されないのは坊主だけではないのだ。本部職員の中に、みずからの立場(組織役職)を利用して会員にたかり同然のことをしたり、創価学会の取引先(職員個人の取引先ではない!)から利権を得たり、求めたりする者が今もいるようだが、そういうことが許されるとでも思っているのだろうか、こういう一見些細なことが、いざというとき、裏切者を生んだり、学会を破壊しようとする仕掛けに乗せられたりする遠因となるのである。……
    106 また、本部職員の女房が毛皮のコートを着ていたり、高級ブランドのバッグや靴、時計を身につけていたり、自宅の玄関先に(創価学会の取引先からの)お歳暮やお中元をうず高く積み上げていたりするのを見たとき、一般の会員は何と思いますかね。一般会員が知らなかったり、気づいていても黙っているのをいいことに、宗門の坊主や寺族まがいの行動をしている者は即刻、辞めていただきたいですね」
     (以上引用終了)
    (*ちょっと気弱な常識派?)

    ⑥ 「5パーセントの集団暴力~巨大宗教団体の野望」中島光民/1998年11月・サンウィング
    11 ◉─信濃町を散歩すればわかる異常さ
     宗教団体がなぜこれほどまでに警戒網を敷かなければならないのか、不思議な気持ちにさせる状態が、東京信濃町駅の周辺を散歩しますと、ここが日本かと目を疑い、かっての東ヨーロッパや現在の北朝鮮と同様の社会主義国の地に、足を踏み入れてしまったかのような錯覚すら覚える事態に陥ります。
     この周辺の土地は、膨大な資金力をバックに強力なH組系不動産会社が、創価学会の地上げのための土地買占めを行ない、一説には信濃町の五割を越す買収が終り、一大創価学会の拠点整備が行なわれたとのことです。そのことからこの町は自分達の物という錯覚を抱いているようです。
     日本は民主国家であり、天下の公道を通るのに、誰にもとがめられたり質問されたりする事態が起きてはならないはずです。(以上引用終了)

    ネットで確認取ったら、2000年にも続き見たいな本を出版されてますね(読んでませんが)
    参考「釈尊への裏切り: 巨大教団の政界ジャック」中島光民/サンウイング, 2000/04/10 –
    【解説】カルトの世界は、正常な神経を破壊し、異常なまでの神経の構築に迫り、まるで麻薬常習的な作用を引き起こすものです。フランスでは、創価学会はカルト教団であると認定されています。そのカルト教団が日本では国会議員を有し、与党となって国政を動かしています。世界からみれば笑い者以外のなにものでもありません。早くこの悪しき状態から、この国を救い出さなければ国民が国民の首を自分で絞めることと同じ状態となります。

    あと、タイトルのみ
    「創価学会亡国論」幸福の科学1995年2月
    「創価学会信じる者は救われない」佐高信・テリー伊東/2000年7月・光文社
    「自民党。創価学会亡国論」屋山太郎/2001年8月・三笠書房

  2. >関西の学会3世 さん 2015年7月17日 05:07
    僕が信心の根本においているのは大御本尊です。
    残念ながら学会はその大御本尊を捨てるという暴挙に出てしまいましたが、男子部の会合に出ては、同席した方にそのおかしさと、もう少し自分の頭で考えないと、そのうちエライことになるよ、ということをお話ししています。……
    教義逸脱が問題となった昭和52年(僕が生まれる前ですが)には、学会は本来の進むべき道から大きく外れていったのだと思っています。(以上コピペ終了)

    と、書かれていますが、そう思われた方々が、戸田時代の頃へ回帰して、日蓮正宗へ戻って、活動されているのでしょう。内部に居てそれが出来たら、樋田さんじゃないけど“たいしたもんだ”、と言いたい。オカシサをどんどん教えて下さい。推移を見守りたい。

    今回は、学会3世さんの投稿も有りましたし、ソッチ方面を…

    ① 「牧口常三郎箴言集」辻武寿編/1979年6月・第三文明社
     はじめに    辻武寿   ※口絵写真2点あり
    第一章 生活・人間・人生
    第二章 郷土・社会
    第三章 地理・自然
    第四章 教育
    第五章 価値
    第六章 宗教
     資料 著書・論文
    (*牧口氏は、初代ではあるが実際は戸田氏出獄後からが、創価は実態を伴って来たので、牧口氏の著作は(歴史上の)資料的に参考程度で十分だと思います)

    ② 「戸田城聖とその時代」佐伯雄太郎/2000年11月・鹿砦社

    プロローグ 戸田城聖論への視座
    第一章 彷徨
    第二章 入信
    51 また、日蓮は政治権力に妥協することを断固として拒んだ。彼は誤った政策をとる鎌倉幕府を厳しく批判し続けた。
    (*ここら辺りも、新版が出たら削るか、改竄するしかなかろうね、まさに今、権力ベッタリですから。それとも廃版か?)
    57……日蓮は、仏法の正邪を判断する尺度として、文証・理証・現証という三つの基準を提示した。これが三証といわれるものである。……
     牧口の目にはこの日蓮の判定基準が、極めて厳密で科学的なものに見えた。
    第三章 暗転
    第四章 悟達
    第五章 回心
    117 戸田の脳裏にはかっての忌まわしい記憶が強くこびり付いていた。戦前に、学会は牧口を会長として三千の会員を抱えるまでになっていた。幹部たちはみな牧口を尊敬し、おりにつけ広布のために師と運命をともにすると明言していた。
     だが現実はどうか。ひとたび国家権力の弾圧が加えられたとき、学会の組織は瞬時のうちに壊滅してしまった。……
    120 昭和二十四年(一九四九)六月には『価値創造』に代わって、新たな機関紙『大白蓮華』が創刊された。……
    s26年5月3日、戸田第二代会長就任式が、向島の日蓮正宗常泉寺で行われた。
    124 このとき戸田は会長就任の決意として、集まった千五百名の会員を前に、次のような衝撃的な言葉を述べた。
     「私が生きている間に七十五万世帯の折伏は私の手でする。もし私のこの願いが、生きている間に達成できなかったならば、私の葬式は出してくださるな。遺骸は品川の沖に捨てていただきたい」
     幹部を含め、いあわせた会員のほとんどは、はじめこの戸田の言葉にとまどったようである。この当時学会の勢力はせいぜい五千名程度だった。実際の活動家は会長推戴に署名した三千名ほどであろう。そうした組織の現状からすれば、七十五万という数字はほとんど想像を超えるものだったに違いない。→6年7か月後達成(s32年12月頃)
    (*ちなみに戸田三回忌時点で既に140万世帯になろうとしていた(168頁)。約1か月後、池田が三代会長へ就任したが、就任後もそれ迄の戸田時代の余勢で以て200万世帯位まで行ったと謂われている。実際の池田の力は“口だけ男”にしか私には見えません)

    第六章 継承
    167 戸田の学会葬は(s33年)四月二十日に行なわれた。会場となった青山葬儀所には二十五万人にも及ぶ会葬者が訪れた。その列は四キロメートルにも及んだという。
    (*100万世帯も無いぐらいで25万人なら、池田の学会葬には一体何十万人が訪れるのだろう?、まさかとは思うが、家族だけでの密葬を死後2週間もして発表とか!は、無いだろうな?有りそうだから念の為聞いている。)
    第七章 遺志
    175 宗教団体が教勢拡大を目指す動機はさまざまである。残念ながら、その多くは金が絡んでいる。おりしも法の「華三法行」が社会的な事件になっている。足裏判断やセミナーで法外な料金を取る方法は、まさしく宗教の皮を被った詐欺以外のなにものでもない。
     戸田の場合はそうではなかった、創価学会は入会にあたって、入会金や寄付金を徴収することがなかった、会費という制度すら存在しなかった。戸田は昭和二十九年の二月度本部幹部会において、次のように述べている。
     「学会の方針は、たとえば、四月に総会を開く、五月になにを開くといったふうに、必要な場合に応じて目的をはっきりいって、希望者よりその費用を集めている。ふだんは学会には金がない。これが学会の精神である」
    (*これが学会の精神だってよ、センセー聞こえてるのか!。何処が、“戸田精神”を受け継いでるだって?!)
    エピローグ 学会の風景
    (*かなり、池田ヨイショで書かれているのだが、戸田に焦点を当てた為か、わずか15年で矛盾点も多々出てきてる。此の書も都合の悪い部分は書き換えるか絶版か?)

    ③ 「池田大作の事」千葉 隆/飛鳥新社 (2009/1/28)
    帯 本書は学会員に衝撃と感動を与えました!
      学会員歴47年の著者が批判的な世間の質問に全て答えた、画期的な一冊。
      誰も知らない池田大作[名誉会長]の実像に迫る!
    折帯 「良質の池田大作・学会信者論」
       本書は、そこらへんの暴露本と一線を画する。学会に対し批判的な立場の質問者が、
       学会への疑問を容赦なくぶつけていく。その疑問に真摯に答える千葉氏の回答の中
    から、学会員が抱く池田大作像や学会の教義が具体的な形となって鮮明に浮きあが
    てくる。創価学会を問うものでは、近来まれな、重厚な良書といってよい。
                   坂口修治(熊本県・会社員)
    (*坂口って誰?。出版もされてないのに、何で帯にレビュー???)
    裏帯 「息子と共に読む」帯文長いので省略  脇坂利成(熊本県・学会員歴45年)
    (*新刊半額セールでワゴンに載ってたので買いましたが“将にソーカ本”馬鹿馬鹿しいので目次は省略しますが、何カ所かは参考になるところもあります)
    292 実際、先生が移動するときには、警備その他でけっこうな人数をかけることは確かです。麻原の事件もありましたから、油断するわけにはいかないんです。そういう人数を言うなら、一〇〇人単位の警備はありうるとおもいます。
     ただ、一〇〇人も連れて歩かなきゃいけないほど悪いことをしたのかと言いますが、アメリカの大統領もジョン・レノンも撃たれちゃう、ということが現実にあるわけです。悪いことをしていないなら安全なはずだとは言えませんよ。存在が大きければ、リスクも大きくなるということです。(以下省略)
    (*キング牧師《の運動の特徴は「非暴力主義」。インド独立の父》、ガンジー《に啓蒙され、一切抵抗しない非暴力を貫いた》とは、大違いのようですが)…*ここ手抜きです。
    参照 「ガンジー・キング・イケダ―非暴力と対話の系譜」 単行本 – 2002/3
    N. ラダクリシュナン (著), N. Radhakrishnan (原著), 栗原 淑江 (翻訳)
    (*1円から、がずらり並ぶのが、さすがセンセー本。代作とはいえせめて10円は付けて)

    大作の事Amazonレビュー 5つ星のうち 2.0 如蓮華在水 “大鵬”
    “創価学会の立場から池田大作を弁明した創価の主張そのもの” 2009/2/5
     題名で「池田大作の事」とあるので、池田氏の事を批判的に描いた本かと思ったが創価学会が日蓮正宗から破門され、池田大作氏が日蓮正宗から除名された後も、創価についていった千葉隆の口述を筆記してまとめたものらしく、創価学会の立場からの代弁をまとめたものと言える。
      そういう意味では小多仁伯氏の「池田大作の品格」や福本潤一氏の「創価学会公明党のカネと品位」とは、対極に位置する。純然たる創価学会擁護、創価学会の公式見解の代弁書と言える。聖教新聞や創価の活動での指導を素直に学んでいると他の書物、世間のものの見方を複眼的に見ることができなくなり、池田チルドレンになる典型例。近年の創価大学OBやバリ創価に見られる典型的なパターン。
      特に日蓮正宗信者や批判者への認識は創価内部の口コミが、このようにされて教団維持の指導を続けていることがわかり、創価の謀略体質が読み取れる。 ただ池田大作氏による御本尊模刻や1993年の創価特製の変造本尊の言い訳は説得力がない。むしろ、学会は宗教団体として独立運営をまだ躊躇しているし、種々の弁明も確立できていないので、池田教という政治団体にとどまっているようにも見える。
      創価学会・公明党を批判する人にはバリ会員から、この本と同様な反論が返ってくるだろう。説得力はないし、金太郎あめ的な反論だからである。
    (*私は、このレビューに五つ星です)

    他にも、参考にはならないでしょうが?
    「謀略―山崎弁護士の黒い手口」野崎勲/現代史出版会 (1981/01)
    「暁闇―二枚舌・山崎正友と宗門問題」北林芳典/報恩社 発行(2002/12)平安出版発売
    「さらば日顕、さらば大石寺―正宗僧侶の内部告発」仲路中道/ (1992/3/1)
    オフィスタクマ発行・彩流社発売……等が有ります。

    私は、参考本紹介を終えるまでは、このスレでいきます。シニフェさんご了承ください。たまに他の感想も、始めか終りにチョイ書いてます。

  3. 「ジャーナリスト同盟」通信 2015年07月17日 本澤二郎の「北京の街角から」(59)
    <創価学会の罪と罰・中日友好は大嘘>……から抜粋コピペ
     中国人にとって安倍は、日本を代表する「日本鬼子」である。
     友人は「それまでは、靖国参拝を繰り返す小泉純一郎が一番悪い日本人と考えてきた。しかし、今では安倍はその何倍も悪い」と言下に切り捨てた。
     その安倍を選挙で支える創価学会である。さしずめ縁の下の力持ちなのだ。学会の応援がなければ、安倍の天下はなかった。学会が付いていなければ、安倍は選挙を勝つことが出来なかった。
     安倍独裁・安倍ファシズムも、すべからく創価学会のお陰・功徳なのである。
    (コピペ終了)*中国も創価が安倍を支えてると知って、怒りだして来てるようだ。

    「創価学会財務部の内幕~一兆円預金で銀行をどう動かしているのか」学会マネー研究会
    /2000年7月・小学館、書き下ろし文庫

    22 いずれの大手銀行もまなじりを決して、対創価学会戦略を展開する。まさにこの時期、東京・大手町は創価学会の浄財一色に染まるのである。
    67……就任して二年目の池田大作氏が、「聖教新聞」(s37/7/6)で、会員に向かってこう講演をしている
    68「邪教などは、みんなうまい事を言って、金を巻き上げ、教祖のために、教団の勢力のために、それも本当に人々を救えるならば許せるけれども、全部が地獄に落ち、民衆が教祖にだまされ、そして教祖は立派な家ばかりつくり、民衆は最後には乞食みたいになってしまう。これが、邪宗教の姿です。創価学会としては、永久に皆さん方から、ただの一銭も寄付を願ったり、供養を願うようなことはいたしません」
     要するに、信者から金を集めるような宗教は、邪教であると、宣言したのだ。
    (*まさに、永遠さんが“永久に”と謂われる通り「今の創価は邪宗そのもの」となる)
    75~「財務納金」制度がスタートしたs50年代は、200億、300億。s50年代後半に入ると1000億を突破し、1500億円を記録するようになった。……
    78~「平成二年度財務の戦いについて」と、財務納金こと金集めがもはや“戦い”と位置づけられている……年度によっては集金額が三〇〇〇億円を超えたといわれる……
    86 一万円持っている人が一万円の財務を出せば功徳をもらえます。三万円を持っている人が一万円を出せば罰をうけます。……
     浄財を出して罰を受けるくらいなら、初めから出さない方がよろしいかと思われる。が、そこは信仰である。
    (*余りの馬鹿馬鹿しさに絶句する、次の
    103 池田大作・名誉会長の「墓を多く持つほど偉い人。明治天皇などいくつも墓をもっている」といった墓地購入の奨励指導など…*も、天皇と比べてドウスルの)
    107 池田氏の外遊については、これは贅沢三昧。専用のコック同伴とか、宿泊先もホテルは一流のスイートルームで、一フロアをまるごと借りることもある。いつも莫大な費用で、元幹部の証言によると、
    「池田氏に随行して海外に行ったとき、日本から出国する際に、なぜか現金を分散して持たされた」と言う。
    (*なぜかって?、一人が持ち出せる上限額が決まっているからでしょう!)

    161 「100億円でも大口預金者。その点、創価学会は1000億円単位の超大口預金者だ。仮にこの預金が出ていくということにでもなれば、銀行の資金繰りに大きな影響を及ぼすことになる。言い方は悪いが、創価学会にタテをつくことはできない。今後、ますます発言力は増してくるはずだ」…
    162 巨大な創価学会マネーが創価学会自身に特別金利や創価大学生の就職など、数々のメリットをもたらしていることは、すでに述べた。
    (*そのメリットの一つに、選挙のときは公さんへと。そういうこと)
    196 日章は創価学会や会員と損害保険契約を結び、それを東京海上火災に流す。日章には保険契約手数料がころがり込む。かたや東京海上火災には創価学会(会員)の契約料が流入するという仕組みである。……日章にとって、会員はまさに打ち出の小槌なのである。
    210 ◇おわりに
     大まかではあるが、創価学会と大手都市銀行の口座別預金残高を検証してきた。うち、最大の預金は創価学会インターナショナル名義であることもわかった。同口座に次いで預金残高の多い口座は、宗教法人・創価学会や会長、理事長口座に集中していることも推測できた。そしてゼロ金利に近い流動性預金を避け、少しでも金利の高い定期預金に集中運用している実態も、明らかになった。(以上引用終了)
    (*この頃、食材をはじめ日用品があきらかに高騰しています。聖教だ・選挙活動だ・財務だと…お金をドブに捨てるような使い方をしていると、老齢になって泣きを見ますよ)

    以前に引用した☆を含む、美濃周人さんの資料
    ☆「家庭内宗教戦争」山手書房新社 (1992/12) 次も同一書か?
    「謎の日蓮正宗・謎の創価学会―日本最大の宗教ミステリー (家庭内宗教戦争) 1993/4
    「日蓮正宗・創価学会50の謎」三一書房 (1994/02)(下記と似た内容と思い見送る)

    「日蓮正宗・創価学会 謎の大暗黒史」三一書房 (1994/09)
    223p 付録資料に、「本尊」データ集17点載せています。
    237 あとがき
    ……しかし私が本当に追及したかったことは、日蓮正宗や創価学会の謎ではありません。ある意味で、日蓮正宗や創価学会がもつ謎というのは、小さなものかもしれません。私が感じたもっと大きな謎は、なぜこれほどまでに謎だらけの宗教が、戦後最大の宗教団体にまで成長してしまったかという謎です。もっと言えば、人の心の奥に潜む謎です。特に日本人は戦前、戦時中、天皇を「神」と信じ、あの大東亜戦争を引き起こしてしまいました。アメリカ軍が攻めてきた時、どれほど多くの日本人が、神風を信じたことでしょう。しかしその結果、内外で六〇〇万人もの人々が死にました。そんな苦い経験がまだ覚めやらぬころ、日本はまた再び、創価学会という戦闘的な宗教団体を生み出してしまいました。私はここに、人が本来的にもつ悲しさ、弱さを感じました。今の私にとっては、そちらのほうが、もっと大きな謎です。 
    どんなにあがいたところで、創価学会は衰退します。池田大作が死亡すれば、創価学会は四分
    238 五裂するという人もいます。一新興宗教団体として残ることはあるでしょうが、それまでです。創価学会は日蓮正宗という既存の宗派を利用して、自分の野望を達成したかのように見えますが、所詮はやどり木。根本を切られてしまった今、今後どうやって生き残っていくというのでしょうか。
     この状態は日蓮正宗も同じです。大石寺も戦前までのような小さな山寺であれば、ここまで謎を暴露されることもなかったのでしょうが、創価学会とくっついたことにより、はからずもその矛盾を世の中にさらけ出してしまいました。私も含めて多くの研究家が、命がけで謎を追及したのだからたまりません。あるいはこれからも、容赦ない追及が続くでしょう。残念ながら、日蓮正宗にはそれに耐えるだけの底力はありません。やがて七〇〇年の潮流に戻り、再び山寺として、ひっそりとその余生を過ごすことになるはずです。
    (以上引用終了)
    (*20年以上前に書かれてますが、どちらもシブトイよ!)

    書籍買わなくても、キモの部分が分ればお金と時間の無駄を省けると思い、引用箇所書いてます。興味の湧いた方は全体読んでみて下さい。とはいっても読み慣れない人にとって、読書は結構疲れるとは思いますが。

    リベラリスト、白川勝彦さんの“友へ、友よ”…が連日安倍ソーリ退陣を呼びかけています。参考までに。
    07月16日 この戦いは、まだまだ続くのだ。
    07月14日 牙を剥いた 安倍右翼反動内閣
    07月11日 “錦の御旗”は国民にある。
    07月04日 本性を剥き出した安倍右翼反動内閣
    07月03日 8888888 ヒットに寄せて
    07月01日 “Japan is not under control.”
    06月28日 戦争を売ってきたのは安倍首相

  4. カガテツさん、すっっごいレアな情報をありがとうございます。
    とくに後半に紹介していただいた書籍のほとんどがアマゾンでヒットしませんでしたので、カガテツさんの情報はすごいんだなと改めて思いました。もちろん私は全く知らないものばかりでビックリしました。

  5. Signifieさん、本なんぞ読まなくても、過去言ってきた事と、実際にやって来ている行動と、時系列的に(歴史的に)検討・分析すれば、どれほど矛盾しているかが、分ると思います。
    「対話を求めて」へ投稿するためには、そういったモロモロを考える為、覚醒に繋がるのだということでしょう。
    読書は、より確実に、確信を持つための大きな手助けになると思います。

    >モニカ さん 2015年7月18日 18:47
    慢性の肩こりが悪化して今整体に通っています。 頸肩腕症候群ってやつです。

    と云われたので、調べましたら、キーパンチャー等に多いとのこと、無理をなさらずにスポーツ・リクレーション・温泉等で回復されて下さい。

    今回は、“玉井禮一郎(編)著”さんです。
    昭和62年、日禮と名乗り妙法蓮華宗を開創、大和市に光寺を開く。と、略歴にあるように教学力は凄いです。

    ① 「大石寺の『罪と罰』1997年11月・たまいらぼ

    189 日興も師の日蓮にならって本六老僧を定めたが、その本六人の上首の日目を第三祖とする一派(大石寺派)が明治三十三年「日蓮宗富士派」の名称で独立し、ついでに明治四十五年、宗名として「日蓮正宗」を称した。ところがこの「日蓮正宗」は創価教育学会を創設した牧口常三郎が信徒になるまでは、日興門流(興門派)の中でも少数派だった。しかし「富士の清流」を自認する大石寺は、それゆえに教義の展開に力を入れ、広義の日蓮の中でも最も思想的に洗練された教学体系をつくりだしてきた。いうなれば、小さな組織が自己の存在をアピールし大きな組織に対抗するためには、そうした場しか残されていなかったからである。日蓮正宗の「正」にみられる自負は、自己の正当性を純粋に培養していく中で生じてきたものである。
     当然、その一方で、異端を排除していく気風も生じた、というよりも、正当意識の純粋培養の中で、自らが異端派を創り出してしまうのだ。すなわち三鳥派とか堅樹派…等々の異端が興門派(とくに大石寺系)の中から生じてくる。……
    205 しかし、ひとを教化し安らぎを与えるはずの宗教が、それとは正反対に、ひとびとを悩ませ不安に陥れ、他者を憎悪し攻撃することを奨励したならば、それは負の宗教であるというほかに形容のしようがないであろう。
     また、自らが他者を憎悪し攻撃する宗教者は、信仰を持たない善良なひとびとにさえ劣る。そのような者どもがたとえどのような理屈をならべようが、けっして相手にしないことである。……
    208 仏教の目的とするところは、個人の信仰レベルでいえば「生・老・病・死」の迷妄や苦悩からの「解脱」「悟達」「成仏」というものであり、それが「慈悲」「救済」という他者に対する能動性を教義の中枢に据えた段階で社会性を有したといえる。 
     これはある意味で仏教の宗教的成熟を意味するものと理解するべきであろう。かって戦時下にあって多くの伝統教団は護国仏教的傾向一色になり軍部の顔色をうかがいながら教団の維持運営につとめた。
     しかし、そこには仏教本来の信仰とか信心といったものはほとんど見受けられず、せいぜいあったとしても釈尊の「覚悟」の教えとはまったく無縁な「敵国調伏」の呪詛をする「祈禱仏教」であった。……
    209 絶えず外敵を作り、集団を閉鎖し独善的に組織を維持しているという点では、わが国においては、日蓮正宗の右にでるものはないかもしれない。
     なにしろ法主が全知全能の神のごとく君臨し、他のいっさいの信仰とか宗教をことごとく「邪宗・邪教」として否定するだけで教団を維持してきたわけなのだから。……
    214 日蓮正宗という宗派はほんの三、四十年前までは、とるにたらない弱小宗派だった。
     それでも、ほそぼそと小さいながらも開山日興上人いらいの謗法厳戒の精神を七百年にわたって守り続けてきた宗派であり、好き嫌いは別にして、そういう点だけは評価されていた。
     しかし、それも汚辱にまみれた実態は、創価学会に関するさまざまなスキャンダル報道の陰に隠れてきたからこそ、そのように信じられてきただけで、じっさいには金環食教団いがいのなにものでもなかったということが、ようやくわかってきたようだ。……
    215 わが国の仏教宗派で、日蓮正宗くらい奇妙奇天烈な教団は、あまりないだろう。
    (以上引用終了)
    (*要法寺から、百年に渡り貫主を迎えたの、日有の時代留守居の僧が大石寺を売り払う不祥事とか……余りにも歴史論争みたいな部分は載せていません)

    ② 「創価学会の悲劇」平成四年四月・たまいらぼ

    18 ところで全国には、会館、研修所などの施設が数百箇所あるが、その主要な施設内には例外なく「池田(名誉会長)専用施設」(以下「専用施設」という。)が設けられている。東京・信濃町の聖教新聞社の最上階にある専用施設を例にあげると、四~五年前に、実に九億円を投じて改装されたと報じられた。地方の会館内にある専用施設も豪華そのものとの噂が高い。また、専用施設は、名誉会長がその役員でもない「学校法人創価大学」や「学校法人創価学園」内にも設けられている。
     昨年、東伊豆の温泉地に設けられた研修所は、高級別荘地におよそ一万坪を有するもので、門構えと建物の作り等からみて、専用施設ではないかとの報道もある。
     このような専用施設は、学会員はもとより学会幹部といえども容易に入室は許されず、完全に名誉会長の個人的使用に供されているものである。
    67  M・K氏より玉井禮一郎様への書簡の一部
     この資料によれば、日興跡条条事、並びに二箇相承は、日興門流内の抗争中に生れた、怪文書ということになります。
     創価学会が「大石寺は、法灯連綿・唯授一人」等と主張する根拠はこの資料によって、失われるものと考えるが、如何でせうか。
     このように、これは大石寺に限りませんが、「自己のみ正しい」と主張して、多くの怪文書を乱発する坊主の存在が、如何に多くの後輩をまどわしているか、心から怒りの念が起きて、押えることができません。
     このような僧侶は、日蓮門下を名乗っているが、その本質は、魔であり怪物であります。老子の言である「天網恢々疎にして漏らさず」との名言は、今もなお、生きております。ウソで固めた日蓮正宗は大きな曲がり角に立っています。当然のことであります。
     大衆は「愚にして賢」と申しますが、迷わした僧侶や宗教団体はいつかは亡び、大衆は生きつづけ、正しい宗教のみ存在する日が必ず来ると確信します。
    ……
    108 …その本質は、下司下郎である池田大作にこれ又執着してはばからず一大錯覚おこして血道をあげてこれを師匠と仰いだが為に何百万の会員はもはや最後の血の一滴迄吸い上げられても理性と分別の涌現の源を失ってしまっているが故にこの頭破七分の集団には誠に誰も手のほどこしようがないのである。……
     莫大な時間と労力と財を第六天の魔王にたぶらかされて創価学会に入れ上げた取り返しのつかない人生は、念仏者以上に自己にあきらめを強要する以外はないからである。
    112…池田大作は「金こそ力」の哲学を持った人物であり、又ジキルとハイドの二面の顔を昼と夜とで上手に使い分ける見事なアクターでもあったから板本尊が偽であろうと本物であろうと歯牙にかけるような男ではない。」(以上引用終了)
    (*酔いが回ってきたから。もう一冊は次回と云うことで、顕正会のタイトル紹介します)

    「創価学会が最も恐れる《55万の若き集団》富士大石寺顕正会~正本堂解体で激しく争う宗門vs学会抗争は顕正会の諫めから起きた!!」下山正恕/1998年7月・日新報道

    「迷走する顕正会を斬る~浅井昭衛会長の足跡と変節」櫻川忠/2009年6月・日新報道
    帯 池田創価学会とどこが違うのか
      会員をマインドコントロールし、私兵化している
      浅井会長はこの日本をどうしようとするのか
      元幹部がその正体を明かす!!

    >ボレロさん2015年7月19日 15:21
    ラベンダーさん うちには、»エホバの証人がよく来ます。

    >ラベンダーさん 2015年7月19日 17:02
    ただ折伏のやり方が創価より強引ってだけで…。

    とありますが、顕正会はざっくり云うと戸田時代のやりかたです。
    エホバの証人は、私んちにもよく来ますので、私はいつも逆説教で、「阿保みたいな只働きで人生を無駄にしないで、一日も早く脱会して有意義な人生を過ごしたがいい」と、教えています。急がしい時は「私に言っても時間の無駄だから、他廻って」と言ってます。

  6. “リュウマの独り言”より、タイトルコピペ
    SEALDsを 陰に陽に攻撃する 「ネトウヨ」の力も すでに限界。 広がっていく 『戦争法案反対の動き』、 それには 「無名のものにも 何かできることを教えた」SEALDsのデモの果たした役割が大きい。(07/20)

    「創価学会の攻防(第一部)~隠し留められていた本門大本尊」玉井禮一郎/平成元年4月・たまいらぼ
    はしがき
    12 つまり、真の日蓮教徒たらんとする私自身の三十余年におよぶ信仰遍歴をタテ糸とし、いまや「日蓮」に名をかりて、「日蓮」をおとしめているとしか言いようのない「創価学会現象」や今日の宗教状況をヨコ糸とした、大マンダラを織りなし、人類の未来を考える糧とするものである。
     いまや「興」から「亡」の過程に入った創価学会なる現象は、所詮は真実の日蓮教が流布する前の露払いでしかない。しかしながら似て非なるものほど厄介なものはなく、うかうかしていると、このニセ日蓮教によって真実がおおいに隠されるおそれもなくはない。
    ……
    14 この作品は、かってある出版社より『小説創価学会』(全二巻)第一部として上梓されたことのあるものに手を加え、今日的な問題意義を導入したものであるが、創価学会の人には、知られざる日蓮仏教の真髄を教え、外部の人には、日本の運命を左右する日蓮の宗教を、仏教用語をあまり使わないで伝えるはじめての本格的な著述となることを、僭越ながら目標としている。
    (*小説創価学会〈第1部〉凡夫流転 (1976年) 流動/陶郷 栄一著
    小説創価学会〈第2部〉鶴と歯車 (1978年) 流動出版/陶郷 栄一著)
    (*玉井禮一郎(=陶郷 栄一)S29日蓮正宗、S36ブラジルにて創価学会入会、
      s60「石原莞爾選集(全10巻)」編・発行、S62妙法蓮華宗開創)

    221 玉木の順番がきたとき、池田大作は焦点の定まらない視線をあらぬ方角へ向け、玉木もとっさに、なぜか池田大作の顔を正視できない感情に襲われて、視線を彼の頭から逸らしていた。そのとき、玉木は、なぜか、<ああ、自分はこの男の眷属ではない!>と直感した。それどころか、<いつか自分がこの男を倒すことになる>とさえ思った。
     それは玉木の生命の奥深いところから伝わってくる気がした。……
    238 最初は、カネのかからない宗教というふれこみだったが、入ってみるとこれほどカネのかかる宗教も珍しいのではないかと玉木は思った。聖教新聞、大白蓮華、池田会長講演集などとひととお
    239 り創価学会の出版物を揃えようとすれば、意外に出費がかさむのである。地区部長ともなれば、聖教新聞、大白蓮華などの基礎教学紙誌は部数が一方的に割当てられるので、あまった部数は自分で背負いこまなければならない、そのほかに、財務部員という寄付制度もあったが、何といっても大きかったのは、学会活動のためにさかねばならない時間だった。そして、時間こそ生命の供養にほかならずもっともすぐれた供養だとされていた。中堅幹部ともなれば、学会活動に費やす時間はおおむね彼の勤労時間に匹敵するのがふつうだった。そのくらい打ち込まなければ、その責務をはたせないのである。……
     そんなさなかの一九六六年三月、池田大作が、七人の最高幹部とともにブラジルへやってきた。……
    240 当時のブラジルは一九六四年のクーデターで軍事政権が誕生して日浅く、多少でも
    反体制的な匂いのある動きは、政治警察によってきびしく取締られていた。日本における創価学会の動きは、ブラジルでも知られており、ブラジルにおける創価学会の活動も、危険視されていたのだろう。DOPSとよばれるブラジルの政治警察は、池田大作一行のブラジルにおける行動を監視しているという噂がささやかれていた。定刻より一時間も早く話を始め、早々に切り上げるとそそくさと姿を消した池田大作一行の奇矯な行動は、その間の事情を裏書きしているように見えた。……
     ところが、池田大作一行がブラジルを離れてからしばらくして、海外における布教路線に、一大転換がなされたのである。
    241 抵抗の多い折伏から摂受への転換であり、創価学会という名称から抵抗の少ない日蓮正宗という名称への転換がそれである。……
     それまで遮二無二、折伏だ、世界の広宣流布だと尻を叩かれ続けてきた幹部のなかには、「なんだ、それならそうとなぜ最初からそうしなかったのだ!」と不満を洩らすものもいた。まさにコペルニクス的転向であった。ブラジルでは多くの中堅幹部が、この路線変更を契機に転向し、脱落していった。
    (*変わり身の早さは、サスガと云うか、呆れたと云うべきか?)
    ─*─*─
    【妙観講HP】宣伝とは裏腹!凋落したSGI “数十万人がSGIを離れて宗門に ”
      「私達は、創価学会を信仰していたのではありません。日蓮大聖人の仏法を信仰してきたのです。」  
      創価学会が日蓮正宗に反逆した平成三年以降、そう言って、大勢のSGI会員(海外の学会員)が、学会を離れ、日蓮正宗につきました。  
      かつてSGI(創価学会インターナショナル)は、「世界の指導者」として君臨(くんりん)することを夢見ていた池田大作にとって、自己の支配欲・征服欲を満足させる上で、重要な存在でした。  
      それゆえ、海外における布教・育成に関しては、完全に創価学会が主導権を握り、国情の問題などを口実に挙げて、言葉巧みに宗門の干渉を排斥(はいせき)してきたのです。  
     ところが、〝創価学会〟というフィルターが取れてみれば、海外には、日蓮正宗の純粋な信仰と総本山大石寺を恋慕渇仰(れんぼかつごう)している人達が大勢いました。 その人達は、なだれを打ったようにSGIを抜け、日蓮正宗についたのです。
     中には、スペインのように、理事長を筆頭に活動メンバーのほとんどが日蓮正宗についたという国や、インドネシアやガーナのように、組織ごと日蓮正宗に帰属したという国もあります。
    その他にも、アメリカ・ブラジル・アルゼンチン・フランス・台湾・韓国・シンガポール・タイ・マレーシア等々、四十数ヵ国にも及ぶ国々の大勢の人達が、SGIを脱会し、日蓮正宗につきました。  
     現在、日蓮正宗海外部が掌握(しょうあく)している海外の日蓮正宗の信徒数は、ずいぶん整理してきて、六十数万人(※ただし、インドネシアに関しては、二十万世帯と数えていますが、実際の世帯数はそれをはるかに上回ると思われます)――。
      そして、どの国の信徒も寺院の建立を熱望し、異体同心の信心で学会からの妨害を跳(は)ねのけながら、現在までに、十二ヵ国に二十の寺院および布教所を作ってきました。
    ─*─*─
    320   ●流転の大御本尊の現状
     しかしこの救護大本尊は、日興上人が付嘱した日代上人(西山本門寺の祖)に渡すはずのものが盗難にあい、なぜか大石寺三世日目上人の手に入り、日目の弟子日郷によって保田妙本寺に持ち去られるという複雑な経過をたどって今日に至っているもので、その経緯は、大石寺が発行した『富士宗学要集』(全十巻)や拙著『創価学会の悲劇』にも述べられております。

    317~338 *長くなるのでまとめると、保田妙本寺の紙幅の大本尊が日蓮究極の本尊なのは明白だが、紙の為持っても千年が限度。…
     領玄寺の大石塔が、妙本寺の紙幅と寸分たがわぬもののようなので、拓本に採ってそれを“本尊”にしている。そうです。(以上引用終了)*連休で疲れましたので一冊のみです

    (*私に謂わせると、「これが本物の本尊だとか、違う」とか、宝探しのようなことはどうでもよい。真っ当な教義と、それを下敷き・参考に、常識的な行動を各人がそれぞれ行なえば、それで済む事であり、組織もいらぬし、お金も不要です。/ソモソモ(仏様を)拝んで(仏様へ)何かオクレ、と願うという事が、根本的間違いです、思想ってのはそんな物じゃない。己の生き方の基礎的思考法ですかね、試行錯誤が死ぬまで必要でしょう。)

    (*私も、以前から、「対話を求めて」はチョイチョイ覗いてはいましたが…、春から投稿させて貰ってますが、此処にきて、“初めまして”の方が次々来られて、嬉しい悲鳴なのでしょうが、もう誰が何をオッシャテルやらこんがらがって来ました。管理人様の忙しさが察せられます。ル-ルも守らぬ人は相手しないで!、疲れるだけです。)

  7. カガテツさん、スレが違うのでコメント気付かなくてすいませんm(_ _)m
    戸田時代はとても強引な折伏をしていたのですね。今の時代には通用しないですよね。
    まぁ、創価のようにソフト路線になってもやってる事は一緒ですが…。
    物知りなカガテツさんに質問したいのですが、創価でいう「参議」とはどんな役職ですか?
    参議院議員なのかと思って調べたのですが、どうも違うようです。
    signifieさんや他の方で御存知の方いらっしゃいますか?

  8. 連投、訂正です。
    (飲んだ後)一眠りして、今、投稿読み直しましたら肝心のタイトルが違っていました。
    やはり歳なんですかね。暑さでボーとなってますね。正しくは「創価学会の興亡」です。残念ながら、どうしても第二部は手に入りませんでした(期待されてた方はいないとは思いますが念の為)。

    訂正だけでは能がないので、
    「まずこの一冊 日蓮宗小事典」小松邦彰・冠賢一編/S62年8月・法蔵館

    136 【二箇相承】にこそうじょう
    日興門流において、日蓮が入滅にあたり日興に一切を付嘱したと主張する身延相承と池上相承のこと。身延相承は弘安五年(一二八二)九月、日蓮一期の弘法を日興一人に授与することを、池上相承は同年十月十三日、日興に身延久遠寺を付嘱したことをのべる。しかし、二箇相承は日蓮の直筆が存在せず、日蓮滅後百五十年ころ、日興門流の関係者が自分の門流の正当性を強調するために作成した偽書。二箇相承の最古の文献は延徳二年(一四九〇)の左京阿闍梨日教著『六人立義破立抄私記』所載のものであり、かつ本書所載の二箇相承の内容は現在日蓮正宗でいう身延相承と池上相承が反対になっている。また字句の相違もはなはだしく文献的にも信を置きがたい。さらに弘安五年十月八日、日蓮入滅(*十月十三日)の直前に制定した本弟子六人(六老僧)の「定(さだめ)」に、本弟子六人は序列なく「不次第」とする内容とも相異するなど、多くの矛盾点を露呈し後世の偽書であることが明らかとなる。

    (*150年もたって出てきた遺言状は、仮に本物でも、時効で効力は無いでしょう。
    私の考えでは、潰れそうになった(現)日蓮正宗が、何とかして生き延びる為に、二箇相承という偽書を作り、日蓮本仏なんぞという独自色を出して、かろうじて生き延びたのだと思います。日蓮が、「日興一人に授与」したなら、皆の前で言うでしょう、アノ性格だもの。何で百五十年も過ぎてヒョッコリ出て来る?)

    (*私の中では“正本堂解体の日”を以て、日蓮正宗は終わっているし、創価は狂乱財務を始めた頃から“詐欺団体”の認識です)

    この急激な暑さでさすがに投稿も減るでしょう。「老人は具合が悪くなってバタバタ倒れて病院へ運ばれてきてる」と、東京の知り合いの看護師から電話ありました。

  9. カガテツさん、ごめんなさい。
    確か個別な質問はいけないんでしたよね。
    突っ走ってしまいました。この暑さで頭がやられてしまったようです。
    実はある考えがありまして、今はここでは言えないのですが…。
    でも、なんとなく答えはぼんやり分かっています。うまくやります。
    皆様失礼しましたm(_ _)m

  10. 創価を知る一番の資料は?と聞かれたら?
    何が一番かは見る人に依りけりという側面もあろうが

    「わが池田大作バッシング」野田峯雄
    106 山崎氏の対象をみるまなざしは鋭い。すすり泣きとか少女懺悔とか媚びとか傲慢のたぐいとは無縁だ。冷厳に事実にこだわっている。その語りは、自身の体験を自己批判的にとらえて下敷きにした分析や、実証的な叙述ゆえ、きわめて説得力に富んだものになっている。彼の語り(検証作業)の対象(焦点)は「池田大作」である。
     山崎氏は、一九七〇年前後の池田大作さんの所業を徹底的に追及し、その作業過程でしだいに今日の池田大作さん(本性)を浮き彫りにする。池田大作さんが歴史の闇に埋もれさせたがっている真実を丁寧に掘り起こし、事実に即して分析解説し、池田大作さんの言う「竹馬乗り」の実態を鮮烈な形で露にしつつある。

    いま「池田大作」は一宗派を超えた社会的、道義的、政治的な問題である。すぐさま解かなければならない、いわば、わが国の二十世紀最後の桎梏の一つである。
     山崎正友氏が進めているのはそのための基礎整理だといえなくもない。彼はこれまでの成果を前掲書四巻に盛り込んでいる。
    〈ふりかえって見れば、一九六六年から六九年にかけて、創価学会の組織は頂点に達していたといえる〉(以上引用終了)
    *野田氏の解説にあるように、創価の裏の帝王こと、山崎正友氏の「日本経済……」と「水滸会……」が、池田大作の実態を知る一級資料であるのは、間違いない。

    「池田大作 日本経済乗っ取りの野望(一)社長会記録の解読より<金権体質の骨格形成と経済支配構想>」平成10年2月 信教の自由を考える集い
              目     次
    (序)金と権力を生む“宗教”の本音
    草創期、創価学会再建当時の教団と事業
    宗教を権力奪取の手段視した戸田城聖
    池田大作入信の真相
    戸田城聖の破たんと池田大作
    戸田の金銭哲学─葉っぱ(信仰)をお札に!
    大倉商事と池田大作
    大倉商事のしりぬぐいに正本堂御供養金
    池田営業部長、色と欲の二筋道
    高利貸池田大作“取り立て”のすご腕
    担保品売りさばく“東洋精光(物産)”

    草創期の創価学会
    創価学会の独立性と戸田構想
    幸福製造機=御本尊で折伏大行進
    宗教法人設立と日蓮正宗制圧─暴力宗教のルーツ─
    “金をとらぬ宗教”という詐術
    暴力折伏で教勢拡張─参議院に進出─
    選挙で頭角、池田大作のリーダーシップ
    大阪事件の真相─池田大作のつまずき─
    疑惑にみちた無罪判決……67 有罪間違いなしとされた裁判を、何とか無罪にしようと、裁判所が弁護人以上の弁護活動をしたという、まことに稀有の裁判であった。“空前絶後”ととって良いかも知れない。

    池田大作時代の幕開け
    戸田城聖二代会長の死と謎
    岸信介氏のドタキャンに逢って
    池田大作、会長への権謀術数 選挙でつかんだ主導権
    戸田家からの収奪……79 池田大作みずから、戸田城聖の遺宅にトラックで乗りつけ、その遺品のすべてを
    「自分が譲り受けたものだ」
    と言って運び出してしまった。
    ……
    池田大作は、会長就任後、戸田家から取り上げた遺品を、自分が戸田城聖から後継指名を受けた証拠として利用する。更に池田大作は、会内に号令をかけて、戸田城聖の遺品回収を大々的に行っている、自分のように悪知恵の働く人間が、戸田城聖の遺品をたねに“天一坊”を決め込み、分派活動などを起こさないように、との用心からであろう。
     戸田城聖から明確な指名などなく、死後の権力闘争の末、会長の座についたにもかかわらず、“生前に後継に指名されていた”という作り話をデッチ上げたものだから万が一それをくずすような証拠、或いは、まねるやからが出ては困ると考えるのは当然である。

    池田大作、青年部クーデターで全権掌握
    三代会長就任の茶番劇
    創価学会の財政基盤─出版王国の構築─
    徹底したリストラと収奪
    並はずれた独占欲─金と女は一人占め─
    豪華専用施設と乱淫
    他宗攻撃のエゲツなさ─今ではすべて創価学会にあてはまる─
    正本堂御供養のカラクリ
    御供養金にむらがる銀行とゼネコンの狂態
    池田黄金時代の「天下盗り」と「経済戦略」
    創価学会の外郭または関連会社一覧
    創価学会外郭企業の実態─本部の直接管理下におかれる─
    社長会の構成と目的─日本経済支配構想─
    池田大作の本音を語る“社長会記録”─かけがえのない証拠価値─
    社長会記録出版の経緯

    創価経済戦略の原点、社長会の発足
    第一回社長会「於小富士」/二回「春日」/三回「ホテル・ニューオータニ」
    四回「松野茶屋」六回「小富士」七回「吉兆」

    絶頂期の池田大作、浅はかなおごりの記録
    九回「築地・小富美」十回「赤坂プリンスホテル」十一「南伊東・井清寿」
    十二回「初波奈」十三回「ばん居」十四回(臨時)「三崎会館」十五回「日本図書・椿山荘」
    十六回「光亭」十七回「三菱関東閣」十八回「箱根・松の茶屋」十九回「吉兆」

    2 政治面だけでなく、経済面でも日本を支配しようとするその背景には、「権力の基盤は金」という戸田城聖から徹底してたたきこまれた哲学が存在する。宗教でマインドコントロールできない国民は、経済で支配し、権力を奪取する。この野望のもと、池田大作の経済戦略は組み立てられた。
     その手法は、学会及び学会員の有志で千、二千とたくさんの小さな事業を全国に展開し、“時が来たら、これらを糾合して大会社、大商社をつくり、財界を支配する”“世間が気がついた時にはもうおそい、あっとおどろく”という、池田大作一流の隠密作戦である。今、その作戦どおり、何千何万もの池田大作子飼いの企業が全国に展開しており、“寿司屋”“レストラン”“書店”“喫茶店”“美容室”“葬儀会社”等々、その業種も多彩である。
     公明議員の政治力を金にかえる“公共事業”“清掃”“産業廃棄処理”といった事業も、創価学会
    3 の得意とするところで、その進出はめざましい。
     学会員はこれら学会系の店や、“選挙の時に公明に票を入れてくれる”商店や企業しか利用しない。既に、“学会経済圏”といったものが出来つつあり、それは、他の一般企業に対するハンディキャップに他ならない。
     尤も、これら学会企業及び学会系企業は、“広布基金”その他創価学会の収奪、上納金吸い上げというマイナスハンデを背負っているから、良いことばかりではない。
     しかし、中心にいる池田大作がうるおう構造には変わりない。

    (三)巻の序より
    2 このシリーズの“第一巻”が出版されたとき、創価学会は“古いことをむしかえす”と言ったが、歴史上の真実をゆがめてみずからを正当化する創価学会の“デマ宣伝”の手口をあばき、その本質をあきらかにするためには、この団体の出現して以来の行跡を、ありのままにさらけ出し、検証することがもっとも大切な作業である。
     その意味で、本シリーズと、“自由の砦”に連載中の“水滸快記録の解読”は、創価学会を正しく理解しようとする人達にとって極めて重要な資料になるものと確信している。
    (以上引用終了)
    signifie さん 2015年5月24日 08:45 に紹介されていた
    「社長会全記録―人間・池田大作の野望」継命新聞社 (1983/06)。
    を第一回~第六十一回まで、全部載せているのが(所々欠けた回もありますが)山友さんです。乗っ取りの野望(一)~(三)。なかなか手に入らないと思います。創価が一番見せたくない書物でしょう。

    >ラベンダー さん2015年7月20日 20:39
    会則(3)第6章 参議会
    (地 位) 第35条 この会に、会長の諮問機関として、参議からなる参議会を置く。
    (参 議) 第36条 参議は、信仰経験、社会的経験、人格、識見などを考慮し、会長がこれを任命する。
    2. 参議の任期は、会長の在任中とする。
    (参議会議長および参議会副議長)
    第37条 参議会に、参議会議長を置く。
    2. 参議会に、参議会副議長を置くことができる。
    3. 参議会議長および参議会副議長は、参議の中から会長がこれを任命する。
    4. 参議会議長および参議会副議長については、第32条第2項、第3項および第5項を準用する
    と、SOKAnetには有りますが、創価は歴史(記述)も会則もコロコロ変わるので、今はどうなっているのか分かりません。“創価学会の会則を読もう!”を見ると、2000年にはあったみたいですね。学会員の人は誰が参議やら、参議会議長やらも知らないと思います。

  11. カガテツさん、ありがとうございますm(_ _)m
    なるほど、SOKAnetにあったのですね。
    SOKAnetも見たのに、どうして気が付かなかったんでしょう(>_活動方針など重要な会務に関する会長の諮問機関。
    会長選出委員会、会長を選出する。
    とありますね。重要なポストである事は確かですね。

    いつもたくさんの書籍のご紹介、ありがとうございます。アマゾンにもヒットしない希少本など、凄い情報量ですね。

  12. カガテツさん
    いつもすごい情報ありがとうございます
    初めに紹介されていました  池田大作先生へのお手紙 私当時に購入して持っております
    時間があるときに内容の紹介させていただきたいと思います
    考えてみれば1980 年の出版すでに35年も経っていたのですね
    何とか真実を知ろうと、周りの目を気にしながら買った時のことが思い出されます

  13. >宗教でマインドコントロールできない国民は、経済で支配し、権力を奪取する。この野望のもと、池田大作の経済戦略は組み立てられた。

    カガテツさん、なるほどですね。
    大手銀行、ゼネコン、これでがっちり押さえてますもんね。
    MCか金で黙らせる。
    貧乏人と病人と揶揄された会員には、圧倒的な経済力でねじ伏せるその手腕がむしろ誇らしかった…
    からくりが見えてくると、日蓮がどうした御書がなんだなんてチンケなことに思えてきますよね。
    ただの騙しのツールですよ。

    信者は目の前にあてがわれた書物だけ、それだけを穴のあくほど読んでそれで頭をいっぱいにする。
    一方的なたったそれだけの情報だけで、世の中を人生を宇宙を生命を悟った気になり、語ろうとする。
    それがどれほど滑稽かわかりなさいというものです。
    それで人生や宇宙まで解るなら、チンケな教団の手口くらい見えるでしょうが。

  14. 「社長会全記録―人間・池田大作の野望」継命新聞社
    の方も、全記録と書いてあるので、全部載せているのでしょう。
    「対話を求めて」には、一部転載でしたね。
    継命の方は原島嵩さんルートだったと思います。微妙な処で部分的に違ってる、と何かで読んだ事があります。

    「池田大作 日本経済乗っ取りの野望(二)─続社長会記録の解読より─
    <言論問題の真相と狡猾化した戦術> 平成10年6月

          目     次
    1 序
     出版も、「自由の砦」の方の好意によって実現した。部数も限定し、出版作業も、ボランティアの方の協力で行なった。そのため、当初から一般マスコミへの広告も出さず、関係者の方々を通じての領布に限った。
     にもかかわらず、創価学会は、第一冊をいち早く入手し、創価新報等で大々的に悪罵をあびせた。
     いわく、
    “金もうけのための出版だ”
    “間違いだらけの粗悪出版”(*素人校正者の為か、確かに誤字脱字等は多い)
    “経済支配などと、ありもしないことを書く”
    等々。
     創価学会がいつもやるように、内容の何もない本を何十万冊と印刷し、会員に押しつけて売りさばくような出版をさして“金もうけ目的の出版”というのであって、本シリーズのように、数千冊を、限られた人達を対象に出版する行為を“金もうけ”などとののしるのは、全くおかど違いである。……
    2 私は、昭和四十年代と、昭和五十年代前半は、創価学会の中枢にあり、他の総務・副会長等も知らされぬ機密に関与していた。表向きに装飾された創価学会ではなく、舞台裏から、むき出しの“本音”をみつめ、関わってきたのである。
     その私が書いた事実を、きのうきょう池田大作に取り立てられたお調子者の青年部幹部が、あれこれあげつらうのは、笑止千万という他ない。……
    3 池田大作と創価学会の実態をありのままに知る人達で、すでに池田大作の元を去っている者は、竹入義勝、矢野絢哉也、中西治雄、福島源次郎、原島嵩の各氏、そして私である。他に何人か、元聖教新聞記者、元第一庶務職員等がいるが、いずれにしろ、それらの人達は、あるいは現在の生活や地位をこわされたくないために、あるいは病気や人間不信などから、口を開こうとしない。
     地位も名誉も人生も捨てて、戦いを挑んだ私だけが、“自由な発言権”を得ていることは、まことに皮肉なことである。
     これらの人々も、いずれ口を開いて真相を語る日がくるかも知れない。それまでは、私が“語り部”としてがんばるしかない。
     この二十余年、私ほど創価学会から迫害され、ののしられた民間人は他にない。そのおかげで、私は、過去遠々劫からの罪障が消滅していくと確信している。
    4 創価学会が、私のことを、かくも盛大に中傷し、攻撃しつづけるということは、彼らがいかに、私の正義の言論におそれおののいているか、ということを示す証拠に他ならない。
     また、彼らの論調は、最近“極悪人山崎と共に行動したらとんでもないことになるぞ”という恫喝が中心となっているから、いかに多くの人々が私の発言に影響を受けているかに恐れをなしていることがわかる。
     彼らが恐れ、おびえるのは、ひとえに私が書いたり発言したりすることが真実であり、そして、それによって自分達の真実の姿をさらけ出されることが、自分達の破滅につながるからである。
     これはオウム真理教が、坂本弁護士を殺してまで自分達の内情暴露を阻止しようとしたのと同じである。
     どんなに悪あがきしようと、真実は真実である。池田大作が、金銭欲と性欲におぼれ、もっともみにくい人間性のかぎりをつくして生きながら、それを“聖者”の仮面でおおい隠しつづけるというようなことが、いつまでもつづくわけがない。いかに大金を投じ、会員をマインドコントロールしつづけようと、この国の人々のすべてをだましおおせるわけがない。
     不退転の決意をもって、私は、第二冊以下の執筆をすすめる。

    創価学会の絶頂期の“光と影”
    昭和四十一~四十四年から言論妨害事件(四十五年)へ
    7 昭和四十五年以後は消長をくりかえしながら、創価学会の勢力そのものは、低落傾向が続いており、特に平成二年、日蓮正宗から破門されて以後は、常時減少傾向にある。……
    9 主・師・親の三徳とは、“仏”がそなえている“徳”のことで、日蓮正宗では、日蓮大聖人以外に三徳兼備ということはあり得ない。……
    10 今考えると恥ずかしいかぎりだが、洗脳され“この道一筋”“池田先生は絶対”と思い込んでいた点では、私もこの女性も変わりない。
     私が、“マインドコントロール”から解放されるには、その後十数年の月日を要したし、完全にその影響をぬぐい去ることができたと思えたのは、二年間の刑務所生活を体験した後である。
    (*仏敵と謂われてる山崎氏でさえ、マイコンを解くのに十年以上掛かるのなら……)
    (*私の場合、母親が元々、戸田城聖派であり、池田は最初から“気に喰わん”と云う事で、戸田の死とともに、創価の金集めが始まりだしたs47,48年頃からは日蓮本尊(日達)への勤行のみになったので、池田マイコンには関係なかった)

    池田大作の絶頂期は昭和四十年代前半
    矛盾の萌芽(一)─日蓮正宗との関係
    金の不安─正本堂募金をつかい終わったら?
    12 工事とそのための資材をめぐる業者のアピローチも、これにまさるとも劣らなかった。
     今日、選挙のたびに公明党に協力させられる企業と創価学会の関係は、ほとんど、この頃できたといってよい。
     池田大作は、三百五十五億円という金の威力をいやというほど味わった。自分の足下にひれ伏す大企業や大銀行の首脳を見下して、深い陶酔を味わった。……
    13 「金がなくなったら、世間の金の亡者どもは、手のひらをかえして、俺や創価学会を見向きもしないだろう」
     そして、でき上がった正本堂は大石寺のもの。記念事業として建立した三百の寺院も同じである。
     学会員は、正本堂に参詣し、そして新たに増えた三百の寺院の維持のため、どれだけの負担が増えるのか。
     池田大作は、自分が徹底して学会員をしぼるくせに、他に学会員の金を得る者が出ることに我慢ができなかった。

    矛盾の萌芽(二)─社会との摩擦
    起こるべくして起こった“言論妨害事件”
    15 この聖教新聞で、一面では、池田大作が三流の勲章をもらったり有名人と対談した記事を巨大な見出しのもとに掲載し、会館建設や学会行事、人事や表彰などを、“天下の一大事”のごとく掲載する。美辞麗句のかぎりをつくして創価学会を自画自賛し、一方で、批判者や他宗に対する攻撃を“こんな汚い日本語があったのか”と思われるような書き方で展開する。
     学会員の頭の中には、いつしか創価学会のことがこの世の中心で、世界や国家のできごとや政治はそれ以下のこと、といった“聖教的宇宙観”が次第に植えつけられていく。
     この聖教新聞的編集方針は、「潮」「第三文明」「創価新報」といった学会メディアに共通するものである。
    (*これがカルト的閉鎖空間、てやつだね。“他は見るな聞くな、他の悪口は言え”の妙な三猿といったところか!)

    第20回社長会(於留園)21(プチモンド)22(つくし)23(柳光亭)24(松野茶屋)
    臨時社長会(満月 開店記念)25(伊豆長岡・三養荘)26(三崎会館)27(省略)
    28(ホテル・オークラ)29(松野茶屋)30(芝・松山)

    言論出版妨害事件

    31(芝・いろは)32(箱根研修所)33(箱根研修所)34(箱根研修所)
    35(箱根・松野茶屋)36(三崎会館)37(いろは)38(松野茶屋)39(箱根研修所)
    40(ホテルニューオータニ)41(天満宮)42(小島宅)

    (*何とかこの書籍の再刊が出ないかな!と、願っています。自由の砦さん!)

  15. 「池田大作 日本経済乗っ取りの野望(三)─続社長会記録の解読より─
    <正本堂御供養金を喰いものにした手口> 平成10年12月

       目     次
    1 序
    前巻において、昭和四十五年の言論問題とその前後の池田大作の言動を明らかにした。
     それから間もない九月に、元公明党委員長の回想録が、朝日新聞に掲載された。
     その中で、竹入氏は、言論問題について、
     「事実無根というコメントは、創価学会の指示で行った」
     「放っておけといったが、是非何とかしろということなので、田中角栄氏にたのんだ」
     「佐藤栄作首相、田中角栄氏に国会で守ってもらい恩を受けた」
    等と述べている。
     言論出版妨害は、正に池田大作の直々の指示で引きおこされたものであり、その収拾に当たって、自民党の権力にすがったという事実は、これで動かしがたいものとなった。
     従来、創価学会は、
     「権力による弾圧だ」
     「いじめられた仇を打つ」
    などと言っていたが、まっ赤なウソであることがはっきりした。

    言論問題後遺症時代(昭和四十六年~四十九年)
    学会組織と戦略の点検と練り直し
    5 それは、しかし、これまでの行き方そのものを真剣い反省するという正常な観点からではなくて、
     「いかにして、従前の路線、従前の池田支配体制を維持しながら、世間から見ると、開かれた、民主的で社会順応的な団体にみせるか、カムフラージュできるか」
    という方向で行われたところに、大きな特色があり、限界があった。……
    8 又、マスコミ等の批判に打たれ強い組織の構築も大きな課題となり、聖教新聞を中心とする全学会メディアの連携と戦略性の強化“口コミ”による洗脳方法の更新がはかられた。
     批判を逆手にとり、すりかえたり開きなおったりする、“へ理屈”の専門家ともいうべき理論家やアジテーターが育成された。

    マスコミ対策の強化
    情報師団の構築
    軌道修正による矛盾発生、その一、日蓮正宗とのあつれき
    国立戒壇論の放棄と妙信講問題
    軌道修正による矛盾の二、内部造反の発生諸問題や造反への対処などのため、創価学会は湯水の如く金をつかった、つかわざるを得なかった、というべきだろう。
    情報師団の活躍
    正本堂御供養金をめぐる疑惑の数々
    21 池田大作は、正本堂事業を利用して、外郭会社にもうけさせることにも熱心だった。(後述社長会記録参照)正本堂の工事や備品、正本堂のグッズなどによる金もうけに、池田大作がいかに熱中していたかは、社長会記録に歴然とのこっている。
     正本堂建設委員長として、一切の運営をまかせられていた池田大作が、自らの事実上のオーナーである東洋物産などに仕事をうけおわせ、不当な利益を得させたことは、刑法上の背任罪にあたる。
     一方で、聖教新聞の多部数購読、書籍や民音のチケットの押し売りが、ジワジワと復活していった。
    それは、あくまで、“会員の自主的な申し入れ”という体裁をととのえながら、実際は、“イヤとは言えない”雰囲気の中での勧誘が巧妙に進められた。露骨な押しつけではなく、“いやとは言えない雰囲気づくり”という、独特の集団マインドコントロールの中で金集めをするという創価学会のノウハウは、やはりこの時期に開発され、つみ重ねられていったのである。

    第43回(於松野茶屋)44(羽吹宅)45(北海道・いく代)46(東海研修所)
    47(東海研修所)48(篠原宅)49(文化七階和室)50(八矢宅)51(松野茶屋)
    52(松野茶屋)53(松野茶屋)54(松野茶屋)55(東海研修所)56(八矢宅)
    57(松野茶屋)58(アジア民族協会)59(松山支店)60(松山支店)61(松山支店)
    (*「社長会」自体からの記述も幾らか引用します)

    第43回 35p
     今日、「平和」とか「人権」と言っているのも、これまた同じこと、創価学会のイメージ向上をはかり、布教の便をはかるための、只の“方便”にすぎないのである。
     こんな策術にはまって、創価学会にオベンチャラをくりかえす学者や文化人、そして、下らない勲章や名誉称号を与える国や大学は、よほど馬鹿な連中か、さもなくば、“何でもいいから創価学会と池田大作をおだてて金を引き出そう”という、更にずる賢い連中かのいずれかである。
    36p 学者、文化人、有力者といわれる人達が、一皮むけば、人並み以上に欲の皮の突っぱった浅ましい連中であることがよくわかる。
     今、創価学会の金や票にむらがる企業や政党、マスコミも、只、自分達の利害のために創価学会を利用しようとしているにすぎないが、その助平心を逆に創価学会に見すかされ、あやつられ、そして破滅させられるのである。

    第46回 70p
     かって、小原保という学会幹部が、吉展ちゃんという子供を誘拐して惨殺し、両親から脅しとった身代金を、仏壇にそなえて“功徳だ”と題目をあげたという事件があった。
     又、千葉市では、やはり保険金目当てに殺人を犯し、創価学会の座談会で「金がもうかった。功徳だクドクダ」(*長い“く”の文字打てないのでカタカナで打ちました)と体験発表をしていた幹部がいた。
     彼らのエゴイズムと、池田大作のエゴイズムといったいどこが違っているといえようか。
     私は、“創価学会犯罪白書”によって、創価学会そのもの及び公明党関係者の犯罪、そして創価学会員の犯罪と創価学会の因果関係を解明することを企画している。
    (*「創価学会・公明党の犯罪白書」山崎正友/2001年8月・第三書館・500円+税
    何十件もの実例が載っています。今アマゾン見たら3点在庫有りとなってました)

    第47回 
    80 こうした“やらせのつき上げ”は、池田大作のもっとも得意とする手法の一つで、創価学会内では“婦人部”が常にその役割を果たす。
     池田大作が言いたいことを、婦人部が代弁し、総務会や公明党をつきあげ、総括するのである。
    87 この、池田大作豪華専用別荘が、池田自身が「社会の敗残兵」と呼ぶ貧しい学会員から収奪した浄財でつくられ、そして宗教法人ということで“無税”だということを、奇異に思わぬ人がいたら、その人はよほどどうかしている。
     そうして、こうした豪華別荘を、池田大作は、全国に百以上もつくっているのである。

    (*次回、創価財政のすべてで、完結です。人物写真・建物写真・書類のコピー・その他。
    資料・写真も多いのでぜひ、再刊を!“信教の自由を考える集い”さん)

  16. “真実を探すブログ” 2015.07.19 21:00 (*参考に)
    【驚き】アメリカ政府が日本の集団的自衛権を前提に2016年度予算を組んでいることが判明!日本の肩代わりで米兵4万人削減へ!

    「池田大作 日本経済乗っ取りの野望(四)─創価学会の財政のすべて─
    <会員からしぼりとった金の力で、日本の全面支配へと乗り出す池田大作>
    平成11年11月 信教の自由を考える集い・自由の砦

    全八章に小見出しがザット見たら、300近くありそうなので、うち興味の有るものを…
          目      次

     池田大作が主宰する「社長会」の集まりそのものは、昭和四十七年六月で終っている。
     だが、それは、形を変え、名称を変えて、密かに存続しつづけて今日に至っている。
     もちろん、メンバーも、会社も時とともに変遷しているが、“池田大作がオーナーの企業群”という点では何らかわりない。

    第一章 創価学会の“独自・永久路線”推進と、日蓮正宗との摩擦
    昭和四十八年から同五十五年まで
    昭和五十一年に勢力回復
    金集め開始と、日蓮正宗攻撃
    日達上人の“手切れ宣言”にあわてる池田大作
    昭和五十二年元旦から、宗門総攻撃の火ぶた切る
    日達上人、反撃を御決意
    通じなくなった池田大作の手練手管
    ゆとりの日達上人、追いつめられていく創価学会
    日達上人御遷化と創価学会の巻き返し
    のど元過ぎて、日蓮正宗を再びないがしろにした池田大作
    ついに、日蓮正宗から破門

    第二章
    昭和五十年から五十五年の財政状況
    特別財務六百五十億円に二百億円の穴をあけた“池田豪華専用施設”
    銀行預金は、政界、財界への押さえ、生命線
    学会員会計士をつかい“特別財務”のボロかくし工作
    昭和五十一年がピーク 聖教部数(四百二十八万部)

    第三章 特別財務をめぐる騒動─民社党質問趣意書事件
    池田大作直接指示で始められた“特別財務”
    創価独立路線と金集めは車の両輪、スタートで、六百五十億円を集める
    山友は闇の帝王、俺は太陽の帝王だ!!
    “俺の好きにやらせろ。しくじったらあと始末しろ”
    “建てたりこわしたり”は日常茶飯事
    国の法律より池田大作の命令が優先される創価学会
    池田大作金集めの道具“記念碑”“記念撮影”“会食”

    第四章 富士宮市地元対策と“名誉市民称号”
    “寄付と引きかえに池田大作を名誉市民に”と要求
    市長選で秘かに対立候補を支援

    第五章 富士桜墓園について
    墓園は、日蓮正宗対策の焦点の一つ
    味を占めた創価学会-
    全国に大規模墓園を計画
    墓園の上べだけをみて“創価学会は民主的”と感心した東京地検検事のあさはかさ

    第六章 社長会中止後の外郭団体、会社の展開
    公明党も“外郭”として完全管理
    池田大作、創価大学を私物化している実態
    創価学会のしり押しで大企業への就職が売りものに
    228 取引先の三菱銀行をはじめとする大手銀行、大手生保、ゼネコン、商社、そして放送局や出版社に、卒業生を二人、三人と割り当て押し込んだ。
     創価学会と関係が深いところほど、また取引が大きい会社ほど、たくさん採用するのは当然のなりゆきである。これら大企業の幹部は、口をそろえて、「創価学会については、公明党への票の提供と、創価大学卒業生の採用をすれば、仕事は間違いなくもらえる」と語っている。
     まさに、持ちつ持たれつのクサレ縁であるが、学会員家庭は、貧困層が多いだけに、「大企業に就職できる!!」ということで、我も我もと子弟を創価大学受験へかり立てた。

    “勲章あさり”の有力武器
    229 池田大作にとって、最も価値ある創価大学利用法は、“創立者”という肩書きで、世界各国の大学を訪問できることだった。
     日本の、あやしげなカルト教団創価学会の会長としては、まるで相手にしてくれないアメリカやヨーロッパの大学が、“創価大学創立者”という肩書きがつくと簡単に門を開いてくれた。……
     おかげで、著名な大学や学者と交流ができ、その後、多額の寄付や贈り物攻勢をかけて、“名誉博士称号”をもらったり、“記念講演”を行なって、大いにハクをつけることができた。……
    230 そして、こうした“ハク付”のための金が、「池田先生の世界広布のための金だ。出せ!!出せ!!」と会員から絞り取られた金である。

    池田に私物化された創価大学に“免税”と“年間十三億の助成金
    “民音職員”松本勝彌氏の内部告発と御供養金返還訴訟
    【*ヤフー知恵袋に(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994:p48-9)より引用あり】
    反対運動の市議は怪死(*「怪死―東村山女性市議転落死事件」乙骨 正生1996/5、「東村山の闇~女性市議転落死事件、8年目の真実」矢野穂積・朝木直子/第三書館 (2003/11))
    日蓮正宗から横領したに等しい“富士美術館”
    書店や取次店に圧力
    新しい言論妨害のテクニック
    しかし“導師をすれば死ぬ”と不安な幹部達
    高い原稿料で文化人対策
    公明党をつかって利権あさり

    第七章 昭和五十七年以後の創価学会本体の財政
    本格的な“金集め教団”へ踏み出す
    教義上の制約を無視し“財務は御供養”といいはじめる
    狂気の金集めの実態示す証拠資料の数々
    幹部は年中金集めに狂奔、破門後は“たよれるのは金ばかり”
    会員に金を出させる“殺し文句”のサワリ集
    池田大作、湯水の如き金の使い方
    勲章あさりを批判した新聞コラムに怒り心頭、喰いつく池田創価学会
    竹入氏に先をこされた勲一等にしっとする池田大作
    十数年で十倍になった幹部の年収
    会員からしぼり上げ、総理大臣クラスの収入を得る創価学会首脳
    (*高額納税者公表制度を廃止させたのも、上記が明るみになるため手を打ったと謂われている)
    頭取、社長のおじぎの角度で預金高、契約高が決まる
    創価学会肥やした!?地域振興券(*地域振興券分が財務へ上乗せ?)

    第八章 池田大作個人の懐具合、いくらあるかわからない個人資産
    ぜいたく三昧、池田大作の日常生活
    すべて創価学会の経費で支払われる
    贈り物もチャッカリ換金“バーゲン”
    外郭会社にツケ回し経費で処理

    あとがき

    天台宗の尼僧である瀬戸内 寂聴(93歳)さん、“2015年6月18日国会前で抗議の 座り込み。”センセーどうでもいい執筆やメッセージに打ち込んでる刻じゃないヨ。弟子の一部もデモに起ちあがっているのに、(それとも、絶対平和は大嘘だったのか??)

  17. 参考本紹介も折り返しに入ります。
    実はこの参考本も、何処までを参考の範疇に入れるかで微妙な処もあるのです。今、図書館から借りてきている最新刊「仏教思想のゼロポイント~悟りとは何か」、や「アップデートする仏教」も、創価を“日蓮本仏宗”と思っている人から見たら、思想的覚醒という視点から参考にはなる訳なのですが、…限がない。で今回は、創価に係わる人々に絞って書いています。シニフェさんがよく引き合いに出される中村元先生(ちなみに池田センセと真逆に見える。私には)の「ブッダの真理のことば・感興のことば」は紹介したいですけどね。最後にでも。

    「『月刊ペン事件』埋もれていた真実」第三書館 (2001/04)、はタイトルだけとしまして

    「続『月刊ペン』事件~法廷に立った池田大作」第三書館 (2001/07)(*ついに池田出廷)
       目次
    第一章 開戦前夜
    第二章 第一回公判
    第三章 証人山崎正友の証言  
    第四章 〃 小沢ヨネ
    第五章 〃 飯野なみ
    第六章 〃 原島嵩
    99 早稲田大学卒業後、本部職員となった原島嵩は、まもなく“特別書籍部”の長となった。表向きのいかなる役職よりも、この“特別書籍” の仕事が、原島嵩の最重要任務だった。
     当初は、原島嵩のもとに。のちに原島嵩のあとを受けて教学部長に就任した桐村泰治、そし 
    100 て副会長となった上田雅一が、特別書籍部のメンバーだった。のちにこの組織は強化され、井上光央、川田洋一、石黒東洋、野崎勲、野崎亮、松本一夫らが加わっている。
     特別書籍とは、一言でいえば、池田大作のための“代作者集団”であり、池田大作の名前で出版される書籍のすべてを代作することがその仕事である。
     池田大作は、満足に本が書けない。それにもかかわらず、常人ではとうてい不可能なおびただしい数の著作物を次々と発刊できるのは、この代作者集団が、資料集め、企画、執筆のすべてを行うからである。原島嵩らは、池田大作に自分達の“頭脳”をささげたのである。
     それもどこまでも池田大作の自作に見せかけるために池田大作の思考方法や性格に合わせなくてはならなかった。彼らは、そのために、いつのまにか“小池田”になっていった。
    ……
    101 証言台に立った原島嵩は、まず自分達の仕事だった池田大作の“代作”の実態をありのまま述べた。
     『小説人間革命』は、篠原善太郎(河田清の名で小説を書いていたこともある、東大文学部卒。外郭会社、東西哲学書院社長。死去)の全面的な代作であることを暴露した。
    102 篠原善太郎の死後、その役を松本和夫がついでいる。
    『若き日の日記』は、実は現存せず創作である。
    『トインビーとの対話』は、桐村泰治がつくったものである。
    その他の出版物、教義に関する著作は、ほとんど原島嵩が手がけた。
     創価学会の出版物にのった論文には、岩波新書などからの盗作がある……。
    163 原島嵩は、一切の干渉を断つため、証人出廷前の数日は、ホテルに隠れた。
     そして、原島嵩が、あらゆる妨害をふり切って証人出廷すると、その証言を弾劾するために、手段を選ばなかった。
     彼らは、池田大作の日記と称する文書や、第一庶務幹部が作成したとする池田大作の行動記録を提出し、それと原島嵩の証言の“日時、出席者名などの違い”をたてに、検事はしっこく反対尋問を行った。
     池田大作の行動記録について、検察側は、はじめ第一庶務室長の鈴木琢郎作成にかかるもの
    164だとして、証拠として提出したが、原島嵩に、
     「字体が鈴木のものとは違うし、鈴木はそのころ第一庶務の役職にいなかった」
     と指摘され、あわてて、持永利之第一庶務次長が作成したものだ、と訂正した。
     原島嵩は、
     「創価学会では、内部文書や記録をしばしば偽造し、改竄するのが通常である。これらの文書もはなはだ疑わしい」
     と、その成立に疑問を示した。
    165 原島嵩に対する創価学会側の反証工作は、法廷以外に思わぬ波紋を呼びおこした。
     証拠として提出された“池田大作の行動記録”なるものが公表されると、池田大作が夜も早くに就寝しながら、朝は十時過ぎに起床し風呂に入ってから食事をとるといった、怠惰極まりない日常生活の一端が公表されるという結果を呼んだ。
     また、公明党議員や検事と会談をもっていたことも、知れわたってしまった。
     その結果、朝早くから夜遅くまで折伏や選挙活動に追いまわされる学会員と対照的に、池田大作は専用施設で、ぜいたくでゆったりとした毎日を送っていることを知り、不審の念をいだいて創価学会をやめる人たちも出た。

    第七章 〃 内藤国夫
    第八章 〃 稲垣和雄
    第九章 〃 渡部通子
    194 この日の渡部通子の証言は、しかしながらその後今日に至るまでの諸々の経過や造反した肉親たちの証言で、ことごとく“大うそ”であったことが判明していったという点で特筆されるべきものである。
     「その場をしのぐために、何でも言え。先のことなど何とでもなる。そのときには、すでに事件は遠い過去のことになっているから、だれもが忘れている」
     というのが、池田大作流の、忘れっぽい日本人の時代感覚を利用した“時間差攻撃”の手口なのだ。
     その偽証のカラクリを明白にするために、渡部通子の証言を、それ自体の矛盾だけでなく、その後、今日に至る間に明らかになった事実と対比照合しながら検証してみよう。
    206 しかし今は、聖教新聞はまさに“人身攻撃”のオンパレードである。日蓮正宗管長はじめ、山崎正友、原島嵩の人格攻撃や女性スキャンダル攻撃のデッチ上げ記事で、毎回のようにほとんど全紙面を埋めつくし、その表現も言葉づかいも、まことに下劣で下品きわまりない。
     読む人たちからもひんしゅくを買っている。
     さらに、怪文書やブラックジャーナリストを動員して行う非難、中傷は、トイレの落書き以下の低劣さ、愚劣さである。
     「月刊ペン」の文章のほうが、どれほど穏健で上品に見えることか。
     渡部通子は女子部員に“聖教新聞を読みなさい”と指導しているくせに、自分はまったく読んでいなかったのではなかろうか……。
     傍聴席にいた学会員はマジマジと渡部通子の顔を見つめる。
     それにしても、現在の聖教新聞を見た上での渡部通子の感想を聞きたいものだ。

    第十章 池田大作ついに証人出廷
    252 やらせておいて、あとでそれを理由に相手をおとしめるというのも、池田大作の得意とするところである。
     それにしても、だいたい子供ではあるまいし、「生活態度を注意されてグレた……」などというのは、あまりにも幼稚な言いがかりである。自ら信奉する宗教に人生をかけ、死にもの狂いになって働いてきた人たちに対して、愚劣極まりない仕打ちである。
     ちなみに、その在任中には、池田大作がさんざん賞賛し、
     「あの男を抜擢したのは私だ」
     と、得意げに語っていた竹入義勝元公明党委員長も、造反したとみるや、金と女のスキャンダル攻撃をあびせた。竜年光しかり、藤原行正しかり、
     最近では、創価学会を破門した日蓮正宗管長を、金と女のスキャンダルをデッチ上げて攻め抜いている。
     要するに、池田大作に服従する者はほめ、反逆した者はミソクソにやっつけるのが、池田流なのだ。自分は、ちょっと言われたことにたいしても目の色変えて反応するくせに、他人の名誉はいくら毀損しても平気なのだ。
     なにしろ、
     「弟子は煮て食おうと焼いて食おうと、師匠の勝手だ」
     とうそぶく御仁なのである。
    254 「それにしても、あんな人物にすべてを捧げていた自分が恥ずかしくなりますよ」
     原島嵩は、自己嫌悪の表情を浮かべた。
     「そう言えば、大作さんが、君らの悪口をとうとうと述べたときの目つきはすごかったぞ!!
     『俺をこんな目にあわせやがって、殺してもあき足りない奴らだ。今に見ておれ』
     といわんばかりの怨念が顔ににじみ出ていたな。君らは、一生池田大作に怨まれ、ねらわれつづける宿命だな。覚悟はしているだろうが、しかし、充分注意しろよ、私も似たようなものだが……。それより、はるかにすごいぞ。ことに山友さんにはな」
     内藤国夫が言った。
     「望むところですよ」
     山崎正友は言った。
     「どんな犠牲を払っても、自由な、人間らしい生き方を取りもどせたことはありがたいですよ。それに、向こうがむきになって攻撃すればするほど、世間での向こうの評判は下がるでしょう。逆に、私の言うことへの関心は高まるでしょう。手遅れにならないうちに、世論が、池田大作と創価学会のインチキ性、危険性に気づいてくれたら、それでいいのです」
     「証人に出たおかげで、私は、創価学会に多少残っていた未練もきれいに消えましたよ」
     原島嵩も、せいせいしたように言った。
     「公明党が天下をとるようなことが起こったら、われわれはこの国で生きていられないだろうな。外国に亡命するか、さもなくば死ぬか……」
    255 内藤国夫が言った。
     「そんなことはあり得ないし、私たちが絶対にさせないよ」
     山崎正友と原島嵩は口をそろえて言った。
     その夜、三人は、乃木坂のスナックで、思いきり発散した。

    第十一章  差し戻し裁判一審判決
    エピローグ

    (*白いブランコさん内得信仰おおいに結構。このさい、創価出版物は一切断って、選挙は勿論、財務も一切断つことが肝心です。幹部が何か云ってきたら「何時でも喜んで脱会しますので、今日にでも脱会届を持ってきて下さい、目の前で署名・捺印してお渡しします」と、断言することです。(白さん苦手みたいですが、ここは一歩も引いたら駄目です)
    そうすると、多分黙って帰って行って当分梨の礫になるでしょう。その幽霊会員の期間に、日蓮本仏ナンゾという噴飯ものの異端教じゃなく、基礎から、先ず比較思想史の(全世界の思想哲学宗教を対象にしてます)中村元全集か選集辺りから、3年~5年掛けるくらいの感じで学んで行ったら良いと思います。どんだけ自分が井の中の蛙状態だったか、理解できるでしょう。それでは私からのアドバイスでした、お元気で。追記、対話を求めての参考資料レスも為になりますよ)

  18. カガテツさん、いつも精力的に資料のアップありがとうございます。
    私は覚醒から退会まで順調(?)にいったほうですが、何十年も信じていたものが詐欺だったとの怒りその他の感情のもっていき場のなさから まだまだこちらのサイトのお世話になってます・・・。
    自分から 他のアンチサイトや暴露本を読めないというか、多分 読むと脳天噴火状態になりそうで、カガテツさんの資料で 徐々に自分の怒りを慣らしていってます。いずれ 創価崩壊時に すべての悪事が公となった時に 自分がひっくりかえらないように。
    こんなにも いろんな記事の紹介、大変かとおもわれますが、有難いですm(__)m

  19. カガテツさん、折り返しなんて仰らずに、いましばらくご紹介お願いしたく思います。
    ふらりと立ち寄って、ふう〜んとゆったりするには丁度くつろぎやすく為になる場というか…
    様々な視点から創価学会問題にアプローチするのは、クールダウンに役立っています。

  20. >キタコさん 2015年7月24日 18:48
    こちらのブログを読ませていただいて、信じられるものに出会えたのではなくて、自分で考えなくて良くなったから、楽になれたと思っていただけなんじゃないか?と思いました。考えなくていいのは楽です。
    (*まさに、考えない期間が長くなるほど、“考える力が失くなっていきます”。そうゆう風に仕向けて<引っ切り無しの活動+題目>金を巻き上げて行ってます)。但し、
    (*考え過ぎて病気になることもあるのが微妙な処ですが……考えなくて良くなる場合も確かにあります。昔の精神科の治療の一つに、ひたすら眠る。と云うのが、まさにソレ)

    >ケセラセラさん2015年7月24日 15:12
    こんなにも いろんな記事の紹介、大変かとおもわれますが、有難いです
    (*そうですね。買った当時は一回読んでますが、(近頃は積ん読も増えてきました)どの部分をアップしようかと迷うので、頭からザーとですが読み直すのに時間を取られますね。余りにもエゲツナイ記述は載せたくないですし、見る方もイヤになりますしね。
     私も人生の先が見えて来たので、チョトでも為になったとか、助かった!とか思ってもらえたらと云う事で、アップしてます。参考にされて下さい。)

    「増補新版・平成獄中見聞録」山崎 正友/第三書館(2001/02)
    内容(「BOOK」データベースより)=帯
    元「池田大作の右腕」弁護士が体験させられた極限状態のなかの“人生劇場”レポート。

    刑務所と私─少し神妙な話
    193 昭和五十年から五十四年にかけて、日蓮正宗と創価学会のトラブルの渦中にあった私は故六十六世御法主日達上人の側につき、池田大作の日蓮正宗乗っ取りの野望と、自分を本仏として崇拝させようとの思い上がりをただす方にまわった。もともと池田大作の弟子であり、創価学会の中枢幹部でありながら、日達上人の側につくに至った経過には、いろいろな理由があるが、今、ここでふれるのはさしひかえる。
     日達上人が昭和五十四年七月急逝されたあと日蓮正宗は、池田大作の謀略に乗せられてしまった。勢いを盛り返した池田大作の仕かけたワナによって、私は恐喝犯とされた。権力も、池田大作の術中にはまったのだ。
     以来十一年間、裁判を戦って来たが、金と組織と権力をあげての集団偽証によって、押しつぶされてしまった。
     しかし、平成二年頃から、日蓮正宗と創価学会の亀裂が、再び表面化しはじめた。作為的な連帯がいつまでも続くはずがない。
     池田大作破門によって、私が言いつづけてきたことの正しさが明らかになった。宗教上は、こちらが勝ったのだ。

    蛇足
    230 それからしばらくは、尾行も見張りも止まった。
     しかし、それは、ほんの数カ月だった。
     今度は、プロの調査員や隠しカメラをつかって見張りや尾行を行うようになった。
     私が、赤坂から厚木に引っこすと、自宅の近くに“見張りのアジト”をつくり、家を出た瞬間から帰宅するまでマークする。
     あるとき、昼すぎに出かけて夕方帰宅すると、飼っていた子猫が、入り口にいた。
     “おかしい。家の中においてカギをかけておいたのに”
     調べてみたが、猫が勝手に出入りできるところはない。
     誰かが留守の間にあけたすきに外に出たとしか考えられない。
     他に、私が帰宅する際、少し手前に差しかかると、アパートから人がかけ出して闇に消えたことがあった。
     帰宅してみると、自分と違う人間の臭いがただよっていた。
     カギをこわされたことが数度。
     怪電話や、“殺すぞ”という脅迫電話は毎夜数件から数十件。
     見張りや尾行は今もつづいている。……
    230 こうした目にあえばあうほど、私の気持ちは“戦わなくてはならぬ”という方向へ固まっていくばかりだ。
     私の他にも、大なり小なり、こうした経験を持つジャーナリスト達がいる。
     このようなことをする団体が、権力をにぎったら、一体この国はどうなるのだろうか。

    おわりに
    235 今後、やむにやまれず、私のような行動に起ち、そして迫害を受ける人もあるだろう。
    そういう人には「恐れるな!腹をすえてかかれば、刑務所だって結構楽しい所なのだ」と教えてあげたい。二十数年、牢にいて節を曲げず、ついに大統領になったマンデラ氏のような人だっているのだから。
     男が、筋を貫き通す生き方をするには、権力を恐れてはならない。
    (以上引用終了。*お寺の人も、「(再折伏で)創価から妨害が入りだしたら“一人前の折伏闘士”と認められたと思っていい」と、妙な処でバロメーターにされてどうするノ。)

    今回で、山友さんは終わりまして、

    白いブランコさんが、トコトン行ったら“こうなるか”と思われる、大城さんです。

    「(宗教批判シリーズ (1)真理なき教団沖縄創価学会―学会幹部に宿る組織崩壊の病理)
    大城浩/閣文社 (2002/11)
    帯 沖縄に芽生えた巨大組織の崩壊図
      今の沖縄創価学会は教学力がないのか、臆病のためか、もしくは「詐り親しむ心」ゆえか、悪を見て、見ぬ振りする魂の奴隷と化してしまったようである。

    まえがき
    4 所詮いかに巨大な組織権力も「御書」の通りに信仰に励む一会員には敵わない。それを満天下に知らしめ、学会では会長と会員の間に上下の差がないという仏法理念を認識せしめる。そして仏法哲学の浸透を以って真実の幸福と平和を実現するという、未聞の広宣流布の組織を未来万年にわたって、「獅子身中の虫」(*引用者注、学会大幹部連中の事)に侵食させない、というのが本書を出版する目的である。……
    8 将来、万が一、会長が己義(自分勝手な教義)を構えたら、ひとたまりもないからだ。
     従って「限りなく無名に近い会員」が自らの手で権力を悪用する大幹部を追放することが一番理想的な結論との答えが導き出せる。しかも後継の若い弟子でなければならない。
    ……
    10 池田大作先生がいかに偉大な指導者であっても、この条件に見合う無名の青年が出現しなければ、学会といえども邪宗化の危機を回避することは難しい。……
    11 世界に散在する真の池田門下生に、敬意を以って「時は来た。立ち上がれ!」と獅子吼するものである。

    目  次
    第一章 迫害の経緯と構図
    第二章 創価学会を永遠ならしめるために
    117 座間味島に行った折、折伏するうちにある壮年部の方と出会った。いろいろ立ち話をする中で、その壮年部が話してくれた。
     「いつも同じ顔ぶれです、なんら新鮮な情報も入ってこないので、マンネリ化しやすいんです。幹部の激励はほとんどありません。『来るのは財務のとき』くらいのもんです。」
     我々は愕然とさせられた、これでは邪宗となんら変わらないではないか。普段からの激励はせずとも、財務の時期にはしっかりやって来るというのである。これでは「激励」なのか「取立て」なのかわからない。…
    128 最近の幹部を見て思うのは、第一に、指導する際に「御書」を拝して指導する人が非常に減ってしまった点である。この姿は厳しく指摘するならば我見の指導と指摘されても反論できない。
    「文証無き者は悉くこれ邪偽、彼の外道に同じ」
    「文無く義無きは信受すべからず」
    「我等が如き名字の凡夫は仏説に依りてこそ成仏を期すべく候へ、人師の言語は無用なり」
    129 「論師、訳者、人師等にはよるべからず専ら経文を詮とせん」
    「御書」の至るところに文証の重要性をうたった箇所がある。
     幹部のそのような姿の奥底には陰での研鑽不足が感じられてならない。
    (*本来なら上記“御書引用箇所”が頭の中に入ってなければならない)

    第三章 組織衰亡の本質と世界広布への道筋
    第四章 今後の広宣流布を展望して
    187  内部の「悪」との戦いについて(小見出し)
    188 簡単な目安を示しておくのは有意義であろう。
     それは「御書」に照らして明らかに「己義」を構えたときである。
     この場合には、たとえ自分一人で組織を相手にすることになろうと戦わねばならない。
     そうなると恐らく迫害に遭うのは避けられない。しかし、間違いなくこの人こそが成仏するのだ。……
     「御書」において「法に依って人に依らざれ」と明確に説かれている。にも関わらず、未だに多くの会員が「幹部がこう言ったから」と、自ら「御書」に照らす作業をせずに盲従しているのが現状である。……
    189 口では「御書」根本を唱えながら、肝心なときには「幹部がこう言ったから」と悪の片棒を担ぐようでは何の意味もない。これでは「御書」根本にはならない。
    ……
    206 たとえ自分の身がどのように処されようとも「日蓮仏法を万年ならしめるため」に言うべきことを言いきっていく。
     このような青年が現在の学会に何人いるかが問題なのである。
     他宗に対してはこれができても、「内部の大幹部に対しては何も言えない」と言う人がほとんどではあるまいか。
     現に沖縄がそうである。
     恐らく全国もそうではないかと察している。……
    230 今、獄卒と化した大幹部が増えている現実に、多くの会員は気づいている。しかし、「臆病」ゆえにそれをただせないでいる。
     結局は悪に加担しているがゆえに、「功徳も成仏もない」のを知るべきであろう。
    (*この書が出版されて、既に13年も過ぎている。が、……何時になったら正せる?)

    あとがきにかえて たとえ正道が死に絶えても─
    256 私が『創価学会本門の時代』の口火を切る。
    これまで数年間学会のためにと、沈黙をまもりつづけてきたが、これ以上沈黙するのは、悪に加担するだけに過ぎないと判断した。
    (*今でも信念で頑張っておられるのは立派だが、……何といっていいやら?)
    (*参考に)
    “日本がアブナイ!”【江川紹子/ジャーナリスト Business Journal 7月24日(金) 】
    安保反対は“刹那的な世論”か?~江川紹子が民意を分析+簡単に忘れさせないぞ
    の…“安倍首相の側近たちは「大丈夫。日本の国民は、どうせすぐに忘れますから」と、首相が弱気にならないように励ましているらしい”…(*センセのやり方と、瓜二つ。)

  21. コージさんじゃないけど、暑さでくたばっています。私の場合、クーラーが駄目なので(腹の調子が悪くなり、肩こりになる。)為、基本は扇風機(しかも、直接風が当たらない位置に置いて)か団扇という、なんともはや。…参考書アップの頻度も下がりますね。

    「たった一人の大石寺」北山 淳一/平成四年(1992)/11月・東京経済
    内容(「MARC」データベースより)≒帯(どういう訳か、チョト違う)
    創価学会元幹部が憤りをこめて描く、宗門対学会の醜悪愚劣な抗争。金と権力にものをいわせ謗法のかぎりを尽くしている池田王国の闇をあぶりだす。(*この下に)
    ─宗教という概念さえあてはまらない世界──それが“本因(ほんにん)の故里”

    自 序
    10 私たち当初純粋な信仰の創価学会員を裏切り、夢にまで見た“創価学会”という“本因(ほんにん)の故里”に“反乱”を起こしたのは、むしろ池田大作一派ではなかったのか。……あの頃、七年もやれば貧乏や病気の宿命は打破されるぞ。どんな願いも叶うスゴイ御本尊なんだぞ。……会費はとらないし金など全然かからないのが創価学会というものだ……と言われ、ところがそんなことは絵に描いたモチであり、そのうえ不可解な金、金の供出である。そして、今なお二十年、三十年と献身的に信心活動をしていて貧困のうえ不幸つづきの個人的歴史の無数に埋っている創価学会というものをそういう人たちは考えてみたことがあるだろうか?
     私たちが夢に見たかっての美しい、素晴らしい創価学会を、裏切った者こそ、むしろ池田一派ではなかったのか。……そう思わないか……そうであろうが……。
    11 振り返れば“謗法厳戒”という無垢に、ひたすら歩きつづけてきた凡愚の私は、今夢のごとく入信三十五年を迎えた。当時私も若かった、あの辺境の涙の町で、妙法の一粒種としてたたかった。当初二十数世帯であったのを数年かけて三百数十世帯の創価学会組織にまでもっていった。……

     各章建は詩的過ぎるので省略します。{「澄山三房等談聞書」+「遠い日の太鼓」}

    54 そして同じ日蓮門下で信者の取り合いがさかんに行われているが、それが広宣流布のため、という美名に隠れての所業とあっては実に言語道断であります。だがそれが、悲しいかな現実の姿なのであります。
     しかもその広宣流布というも、今や改めて像法の広宣流布に乗り出してしまったようであります。あまつさえ、お互い自分の方こそ正法正義と、聞いたふうな語を利用しているのです。……
    55 今、大石寺だけについていえば十四世主師の室町期までは、まだ仏法的雰囲気での考え方が強かったようですが、それ以後、そういう清らかなものは失われていったようです。
     そう、仏法といい法門というものは御利益とは関係ないものであるからどうしても貧と同座するようになるが、これが一旦仏教に出ると極端に貧を斥い貪りに住するようになるのです。……
    58 あの国家主義的愛国者に仕立てて右腕をまくし立てた威勢のいい日蓮像を求めているのは大石寺の師弟のみのようであります。一人身延山中に身を隠した日蓮像のところにこそ真実があるのだと思うのです。大石寺を現世の寂光土というのは魂魄の世界を指していうのです。ところが今の宗門は迹仏世界なのです。その証拠に塔婆供養が盛んなのが何よりの証拠ではないでしょうか。大石寺を現世の寂光土というようなことは遠い昔がたりになってしまったようです。……
    79…なぜか特に日蓮正宗僧侶に人間性の欠落した増上慢人が多いのも不思議である。反対に蓮祖の付嘱を受けず、ただ御遺文に因って立宗したる“顕本法華宗”をはじめ。他の“日蓮宗”“法華宗”の中に人間的魅力のある人が多いのも不思議である。……

    (*私もお寺に(法華講に)3,4年居ましたが、まさに人間性がナイ。だから創価員がちょっとしか破門時戻らなかったのでしょう。しかし、余りにも池田による“地獄絵図に堪え切れなくなって”、戻らざるを得なかったのでしょう。そおいう“反省がまるで無いのが日蓮正宗の致命傷”。「池田が!池田が!」じゃなくて、猊下が一番のトップだから、最終責任は猊下に有ったのは、理の当然だろう。そこの反省がないと、又、大きくなった法華講を破門せざるを得ないことになりますよ!。創価・正信・顕正とドンダケ破門した。こういうのを“能無し”と云うのだよ!。/創価のやり方を取り入れて「登山達成率何%とか、」下らんことをヤルんじゃない。
    創価と比べたら(詐欺組織と比べるな)、ほとんど全ての伝統教団が良いのは当たり前だろう “そうかニセ連将衆(*これ、もちょっと捻りたい)”だもの)

    132 池田ドンは何でも自分の自由になると思っているが、しかしある日突然、ドンは自分が時間というものに所属しているのに気がつく。そしてドンは恐怖におそわれて時間こそ自分の最大の敵だと気づくのであります。そのとき初めて自分が“地獄”を抱いていることに気がつくの
    133 です。そして自分が孤独であることも。

     空ゆく鳥には寺も教会も池田会館もありはしない。仏教もキリスト教も創価学会もありはしない。鳥はただ鳥として、ただそれだけのみじか世である。宗祖は“日蓮をこいしくをはしせば朝に出づる日ゆうべにいづる月ををがませ給え、いつとなく日月に影を浮かぶる身なり”と、佐渡の尼にお手紙をおくられています。今宵もおおぞらに高くかなしく月がわったっていきます。
    それは全世界の人たちにながめさせるためにゆっくり素晴らしく美しく大空を泳いでいくのです。そう、日蓮正宗や日蓮宗の人々だけでない、そんな枠などどこにもないのです。悠々と、そして月はひとり、一人も洩れることなく全世界の人々に光を与えていく、これ、広宣流布ではないですか。“一人ももるれば恨みありぬべし”とは『佐渡御書』の一文であります。月の出たことを喜ばない人は一人もいないでしょう。法門の上ではこれを“己心の一念三千の法門”ともいうべきものであります。この佐渡の尼抄には仏教というものなどどこにも見当たりません。捉えどころのない、枠のはめようもない。宗教という概念さえあてはまらない世界がここにあるのです。私はそれを“本因の故里”と呼ぶことにしているのです。……
    152 毎年百万円という大金を<財務>として出していた彼の近所の老婆がすぐに思い浮かんだ。
     言葉たくみに大幹部にもち上げられ。
     ──おばあさん、老後は御本尊と池田先生がちゃんと守ってくれますよ。
     と繰り返し口説かれて、ついつい出してしまう。そのあと独りになったとき、夕ぐれ野を駆ける薊の花よりもわが身の不安と、それに二十年も昔に死んだ父ちゃんに、なんだかすまない気がするという。そうさね、あの大金は港内で三十年働いて珪肺で苦しんで死んでいった父ちゃんの涙の労災年金だものな……そうさね、“御供養”と同じだとか、“みかえり”があるとか、幹部の人は言っていたけどねぇ……。
     要するに普通、人を騙すという場合には人を幸福にするという意味が含まれているようだが、……何のことはない、毎年百万円出して、“みかえり”というのは、
    ──玉手箱。
     なんだということに気がつかないだけなのである。……
    153 誰でも自分の眼を通してしか人生を見やしない。自分を一ぺんも疑ったり侮蔑したりしたことのない人たちに、どうして池田を疑ったり侮蔑したりすることができよう。それが創価学会員の姿というものなのであろう。
     そう、孜々と貯めた金も老後の生活資金もすべてはきださせる<財務>という名。それをドッグレースのように各支部各本部と競争させる仕組み。江戸期の悪代官もハダシで逃げだすほどの苛斂誅求!
    154 ところでこういう金で王侯貴族のような贅を尽くし、時には事もあろうにノーベル賞受賞をねらいキッシンジャー博士その他関係者に働きかけるに、莫大な金を流用しているとか、そんなことで世界の指導者気取りでいるなんてあいた口がふさがらない。
     ちなみにノーベル賞を二度まで受賞したキュリー夫人は巨万の富を手にできるチャンスがあったにも拘らず(発見したラジウムはガンの治療に欠かせない。特許をとれば世界中から金が入ることもわかっていたが)、彼女はこう言ったという。“金儲け?そんなことをしたら科学精神に反する!病気治療に使用するのに病人の足もとにつけこむことはできない!”
     と。その後もキュリー夫妻は相変わらず貧乏だった。だが世界中の誰よりも尊敬されただろう。まるで仏法者のようなこの科学者のたとえようもない尊く美しい境涯ではないか。
     池田など足元にも及ばない。そう誰でも思うだろう。百万分の一もノーベル賞云々の資格などあろうはずがないではないか。そうであろうが。……
    155 即ち池田を悪師とも知らず、あるいは知っても捨てぬ人々は己れ自身に仏罰をこうむるという。現に大罰をこうむっている大勢の学会大幹部を彼は知っていた。即ち真実とはにがい薬、人はこれを飲もうと決心するよりも、むしろ病気のままでいいという。あるいは病気のふりをしていた方がましだという。……
    (*詐欺で稼いだ金よりも、奪われていった人達の、怨みの呪いがドンダケ怖いか?。私は恐ろしくて、道に落ちてるお金さえネコババ出来ない。誰かさんも云ってましたね)

    181 …この法門がこういう貴族権力者を最も嫌うくせがあるのを両者はご存じないのであろうか。法を保ちたければ身を低下におくことです。そこに必ず救いがあるということを阿部、池田両者は気がつかないのであろうか。広宣流布とは一人の権力者もいない世界のことですよ。如説修行抄で仰せの“義農の世となりて”とは一人の権力者もいない世界を指していて、そこに広宣流布があることを了知すべきなのです。……
    191 …これほどの大謗法、邪義を、本当に知らないのであろうか?そう、知らないから、阿部今日蓮はイバルのか。
     ──わたしの意に従う事が大聖人の意に従う事になるのです、と。そして同じく、池田今日蓮もイバルのだ。
     ──わたしの振舞は大聖人の振舞と同じだぞ、と。
     何をねぼけたことを言っているのかと泣きたくなる。この両者は自分の言っている言葉の意味さえもわからないのではないか。
    (*以前もちょこっと引用した書籍の気がしますが、全体的に読み直しました)
    (*出家とは、お金は元より、命すら投げ出しても法を正しく伝え、弘めるという覚悟の元で剃髪すべきで、1000日回峰行までの修行は求めませんが、襟を正して貰いたい)

    >せーやさん  2015年7月26日 09:48
    ずっとアナログ人間で機械オンチの私だったので、まだ操作に慣れず書き込み奮闘中です(x_x)
    一生懸命コメントを書き込んだのに、ちょっと画面を触っただけで一気にコメントが消えてしまうことがあるので、パニクります(T-T)
    (*私も最初の頃、何回も消えて大体のところを思い返しながら打ち直していましたね。あれは疲れますね、精神的に。今はこまめに、ワードの上書き保存を使っています。最初はいきなり送信用枠に書き込んでいたから大変でしたヨ)

  22. カガテツさん、ありがとうございます!
    本離れの私ですので、いつも大変参考にさせてもらっております。
    私は、タブレットなのでスマホの大きいのを操作してる感じです。
    なので右手中指の指紋がなくなりそうです(笑)
    エアコン苦手なのですね。
    私も寝る時は、扇風機で頑張っています!
    さすがに昨夜は、サウナの中で寝ているようでした(暑っ)
    お身体にお気をつけて、これからもよろしくお願いいたします。

  23. ★阿修羅♪ > 政治・選挙  投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 7 月 24 日 13:25:05
    制服向上委員会「自民党は器が小さいですよ」〈週刊朝日〉(*参考コピペ)
    【コメント4】増税反対 2015年7月24日 14:51:36 : ehcoR2LmdzYII : lP51oLFskQ
    この子達に比べたら創価学会の方々のなんと情けないことか。
    会員の多くの人たちに不満や異論が渦巻いているはずなのに、
    なんの動きも見られやしない。
     結局、自分の頭で物事を考えられる力があるのか、それとも
    上から言われたことを妄信して従ってしまうのか、その違いではないでしょうか。
     脅迫まがいの事をされても信念をまげない制服向上委員会に、
    世の大人達は大いに学ぶべきだと思う・・・  (*向上さんの拡散でした)

    前回「たった一人の大石寺」の訂正です。152pの港内×→坑内○です。粉塵で珪肺です

    「寒や汝(なれ)」北山 淳一/星雲社発売・創栄出版 発行(1999/01)
    自  序
     さて私も既に七十二の坂を越えている。自分の背中に多くの死者の重さを感じながら、
     「今の俺から無駄を殺ぎおとしたら最後に何が残っているか……」
    と考えたら、『たった一人の大石寺』と『寒や汝』の、このたった二冊の本だけだとわかった。

    170 あの御開扉を歓喜の涙で受けて功徳を受けた一千万の学会員よ、その後いかがあそばしていらるるや……お伺いしたいものである……。
     「疾うの昔に忘れたよ」
    などと言わないで下さい。
     「あれ(大御本尊)は板だからいつか腐ってなくなるさ」などと腐った人間が言ってるとか……皆さん!それで「ああ、そうですか」ですむのですか。どうなんです!?

     宗教という枠を一番嫌ったのは三祖目師ではなかったろうか。濃州垂井の吹雪の中に死んでいくその目には宗教という枠を超えた共存の地平が静かにうかび、映っていたにちがいないと私は思っている。
     そこが、“本因の故里”なのであると……。
     一閻浮提御座主ともあろうお方が何故、大石寺をあとに出奔されたのか?
     その真の理由を説明したものは誰もいなかったようである。それは宗教と名のつく所謂迹門、本果ではなく、未来は本因の仏法を求めることの自然さを人々が気付く時が来ることを日目上人は訴えたかったに違いない。……

    192   打 出 の 小 槌(小見出し)
     「バカを標準とするのがデモクラシーであり、みんながバカになればバカはいなくなる」
    と、今は亡き小林秀雄は言った。それと似たような言葉に「赤信号みんなで渡れば怖くない」というのがあるがなんとなく昔の自分が言われているようである。一人一人を見ればみんな普通の人なのだが、一たんグループをつくり集団化すると途端に人間が変わったように白痴化する(フローベール)。そうなんだ、学会の世界ではバカな者なんぞ一人もいない。何故ならみんながバカになっているからバカでなくなっているのだ。……

    204  遠 い 太 鼓(小見出し)
     『日興跡条々事への復帰』の著者伊芸師はこう述懐している。……
    205 さて話は法門の上の事になるが、師は著書の中で、「日蓮、日興、日目の御三尊遷化の後は日蓮の仏法を正しく広めたためしがない。ただ九世有師の頃に僅かばかり痕跡が残っているだけです」と言い切っている。
     さらには、「特に二十六世寛師は本宗中興の祖といわれているが、とんでもない。同師の主観的独断論が原因で今の日蓮正宗は超大謗法と悪化してしまったのである」。と。
    (*次回『日興跡条々事への復帰』の予定です)

    208 又、学会の中にあって三十五年間、一日片時も御書を身から離さなかった私(筆者)が川澄勲氏の『阡陌陟記(せんびゃくしょうき)』という著書に出会ってはじめて御書の読み方、解釈に天と地ほどの差のあることや偽書謀書のあることも知った。
     “己心の法門”から見たとき、学会教学、宗門哲学といったものが、いかにいい加減なもので
    209 あったかいやというほど思い知らされたのである。但しこの著者は無信仰の学者で、短絡的、不透明な説もあって反論の余地も十分あり得るところである。……
    238…さてここで更に前に戻って私は川澄勲氏について若干しるし置きたいと思います。
     未見の人とはいえ私にとって人生の一大転機を与えてくれた人の中の第一であり私の手記に最も深い影響力を持った老学者だからです。

     彼は現在岡山の地で自力をもって世俗を避け、そして貧に耐えながら仏法を学す八十を過ぎた人で、しかも殆ど視力を失っている昨今である。曾て大石寺富士学林の教授をしていたが追放されたのである。その追放したのは相手の男よりもその女房の方が陰険で追放を企んだというのだから実に湿々(じめじめ)した話です。
     その後、追放された彼は生まれ故郷に帰ったがそこでも二重、三重に辛い経験をしたという。とことん悪口雑言を浴びてはとことんやられたのです。それは大石寺の仕事をしS学会にも入っていたがどちらも辞めたということにあるらしい。この点私と全く同じです。
    また部落が総動員して意地悪してきたのである。そして最後には部落も追い出されて了った。さらにそれでも飽き足らずとみえてか今居る所まで追い出しにかかってきた。何という人間たちであろう。ここを出ていけばまた追いかけてくるであろうからと、今度は彼の方から思い切って一撃を食らわしたところ何と相手は急死しその他多くの病人が出て大騒ぎになったというのです。挙句に相手の加害者の方が今度は処を追われたり死者が続出

    (*嘘みたいな話だけれど“観音経”(正しくは、法華経“妙法蓮華教 観世音菩薩普門品 第二十五”にある、呪詛諸毒薬、所欲害身者、念彼観音力、“還着於本人”は、本当の事なんですよ。今の池田の姿をよく見たら分ると思いますよ。だから出てこれないでしょ)

    (*以前紹介した沖縄・大城氏を「除名を検討する」(2001年11月)と言い放った沖縄創価の最高権威者・三盛洲洋沖縄総長は2001年12月に病に倒れ、2002年4月現在も入院しているそうです。「真理なき教団2ペ-ジ参照」)
    *ネットで調べたら“三盛 洲洋氏(みつもり・くにひろ=創価学会副会長、同沖縄総長)2日午後5時45分、肝不全のため沖縄県具志川市の病院で死去、58歳。2003/04/03 01:56【共同通信】” /(*こんな事があったので、除名の話も立ち消えになったのでしょう。)

    239 したりで被害者みたいになった。部落の連中も弱いから苛めてやれということらしかったが結局は弱い彼の方が強かったということ、何れも陰で苛めるのが特徴のようです。それは彼の住む岡山市のその部落でも一人の人間が権力の座をねらった時から始まった。初めはこちらの命のある限り追い詰めるつもりであったらしいがこの実行班長の急死で一頓挫したようです。しかし今もなお郷里岡山で彼が憎しみを一身に受けているのは一人の権力者の下に馳せ参じないからであるという。
     さて川澄氏は若い頃から古文書の解読に興味を持ち、そこで四明流とか従義流の源流を辿っていったのである。今も南画が話題にのぼる理由も根本はそこにあった、と彼は書いている。そして現在全盲に近い境遇にありながらあと数年はどうしても書きたいことがあると私に手紙を送って下さった。
     余生を世間様への報恩のしるしに法門を書きつづけたいと。……

    243 そして今日、この不思議な水のような左の二文に出会えた私は何という仕合わせ者かと思うのです。
     ──末法万年未来永永まで大石寺の別当日目にて御座候。
                   (九世有師の<連陽房雑雑聞書(もんじょ)>より)
     ──御本尊は久遠以来、未だ手懸けられざる御付属なり、色も替わらず其の儘なり。
                     (十四世主師の<条々事示書(しじょ)>より)
     この二つの文に私は言葉に尽くせぬ自然の富を得たような喜びでいっぱいなのです。
     ──此の事を人知らずして……
     と有師はいう。何と不思議に聴こえてくる言葉なのか。私は今この二つの文が宝珠を両掌にとって扱う気持でいっぱいなのです。……

    246 さてその偽書というかそれに近いというか、最も警戒しなければならないものは、
    一、 盂蘭盆御書 二、当体義抄 三、三世諸仏総勘文教相廃立
    四、三大秘法抄 五、御義口伝 六、法華初心成仏抄 七、唱法華題目抄 等々。
     こういう偽書謀書のあることをあなたも考えられた方がよいかと思います。

    (*お薦めなのは(形見と思へと書いた)『開目抄』
    31p 仏法には祖は要らない=思想だから。→*思想に金は要らない。少しの本代と、思考する時間は必要。
    32p 仏教となれば必ず元祖も派祖も出てくる。*組織を維持・拡大させるために、集金、命令指図が必要になってくる。)
    *御書を引用するときは、変換に手間取ってイヤになる。(._.)これも、修行?

  24. 「日興跡条々事への復帰~大石寺法門研究序説」伊芸 益道/1990年4月・鹿砦社発売

    12 はじめに─対症療法より根本療法
    13 昭和五十七年九月に正信覚醒運動の廉で、今の安倍日顕師によって擯斥された。
     それからというものは、だれ憚ることなく、自宗他宗の偏党を捨てて、専ら道理を先として宗学の研鑽に励むことができた。
    ※節(=○数字)までで、項以下は省略します。(各節に二~七項あり+A~F(項の下))

    第一章 宗教の害毒17   ①宗教の阿片なる所以  ②神意に反する賽銭箱
              ③即身成仏の論理    ④種々の一念三千
    第二章 御法主は但お一人43①宗教は儲かる商売?  ②謗法の根本原因
              ③僭称法主の起源    
    第三章 血脈付属の根本65 ①聖祖から興尊へ    ②日興跡条々事
    第四章 広宣流布を待つ111 ①能開の法       ②時を待つべし
              ③聖祖の御本懐に非ず
    第五章 法体の相承137   ①誠の善知識      ②血脈相承の原点
              ③独一本門は従果向因
    第六章 信徒集団の在り方199①僧俗の関係      ②僧侶の役割
              ③旃陀羅が如き沙門行  ④在家でも妨げなし
    第七章 日興門徒の本尊観239①厳密な意味での本尊  ②一宗悉く本尊に迷う
              ③本尊の文字      ④「悉く日蓮」とは
              ⑤排すべき師弟相対
    第八章 覚醒の荒海の中で305①正信会自然消滅論を破す②不安な航海の羅針盤を見出せ
    あとがき
    (*まず最初に「日興跡条々事」の意味がハッキリしないと、話は始まらない。
    即ち、御開山第二祖日興上人から第三祖日目上人への譲り状である。)
    <平成新編日蓮大聖人御書(大石寺版) 1883頁日興跡条々事 元弘二年一一月一〇日>

    347 解説 「日興跡条々事」は大石寺法門の最重要書(小見出し)
    第一に、聖祖日蓮大聖人のみが法主であること
    第二に、二祖開山日興上人が本門弘通の大導師であること
    第三に、三祖日目上人は一閻浮提の御座主であること
    この三点に尽きる。(*ザックリ簡単に云えば)

    26 だが仏教でも悪い宗教家を、もっと厳しく諌めている。
     即ち聖祖は顕謗法抄に涅槃経を引かれて、次のように仰せられておられる。
     「悪像の為に殺されては三趣に至らず、悪友の為に殺されては三趣に至る」
    と、三趣とは地獄、餓鬼、畜生の三悪道のことで、悪友は悪知識ともいわれ、宗教的な悪法や邪法
    27 などを説いて人々を迷わす者のことをいう。それで性質の凶暴な悪像に殺されては地獄餓鬼畜生には至らないが、悪徳宗教家に迷わされては三悪道に落ちるとのことである。
     この涅槃経の文はマルクスの宗教阿片説よりも、もっと厳しく悪徳宗教家を諌めている。
    (*妙な新興宗教(含創価)に、簡単に皆さんハマッテいるが、能々考えたが身の為です。)

    92 ともかく日蓮正宗に関する一切の宗教的悪徳の根源は、すべて日興跡条々事のご真意を失ってしまった、というこの一点にあると断言するものである。

    94…なぜならば本宗での聖興目御三尊以来の人脈的な跡目相続は主師が最後で、第一五世昌師以下第二十三世啓師までの九代の貫首は、本宗とは思想的にかなり異なる京都の要法寺から来られて猊座に就かれたからである。
     そこで推察できることは、本宗での御開山以来の正系的人脈が続いていた間は、この条々事のご真意も正しく護られていたのではなかろうか、ということである。

    166 こうまで騙されても、会員が正宗信者として創価学会に縛られるのは、なぜであろうか。
     その直接の原因は池田名誉会長の宗教ペテン的魔力によるものである。では池田氏のそれは何に起因するのであろうか。それこそが日蓮正宗の御法主上人なる者が、金口嫡嫡唯授一人の法水血脈を所持しているとの妄想によって、築かれた虚構の権威によるものである。……
     普通のペテン師でさえも、凡夫にはなかなか手に負えるものではない。まして邪宗教特有の宗教的魔力が加わると、どうしようもない。故に池田氏の宗教ペテン的魔力を破るには、先ず日蓮正宗の御法主上人なる者の虚構の権威の正体をあばき、それに徹底的なメスを入れる以外にない。

    216 言ってみれば、信施を虚しく食する者は無間地獄に堕ち、あるいは信施である他人の物を受けても、それを償わない者は、畜生道の報いを受ける、と仰せられておられる。
     ではなぜそうなるのかといえば、例えば白米一俵御書に、
     「白米は白米にはあらず、すなわち命なり」
    と。要するに、これは白米に限らず、すべて信者の施し物というのは、もともとは、その信者自身の命を養う物であるから、その信者の命そのものと思わなければならないことを、ご教誡なされておられるのである。

    226 また旃陀羅の心は謙下で驕慢せず、呵責されても怨恨はなく、罵詈や鞭撻を受けても黙然として瞋りがないという。自ら身分の卑しい下性であることや、一般大衆と同じ階級ではないということを知っているので、そこには尊貴な生活を貪るようなことはない、このような旃陀羅が如き沙門行を修する者は、貪瞋痴の三毒に犯されることがない、というわけである。

    247 それ故に、第九世の有師が化義抄に、」
     「当宗の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし」
    と。……
     だが、今の日蓮正宗僧俗は、本尊といえば色体巻軸以外にはない、と思っているのではなかろうか。実は色体巻軸の本尊は、あくまで真実の本尊を我が身に修得する為の媒体的本尊であること、そして真実に本尊の当体を我が身に修得するには、在家出家を問わず、日蓮日興師弟冥合の事の一念三千を体得している人々を師弟相対の師分とすること、またこの事の一念三千は、原則的には目尊との分半座によって修得するということ。

    288 つまり聖祖が一生通じて破折された念仏無限、真言亡国、禅天魔、律国賊よりも、聖祖の弟子中の増上慢の者の罪が、百千萬倍も罪報が大きい、ということである。……
    291 だいいち、そのような本尊を拝むと、未得謂得未証謂証の根深い罪業を受けてしまうのである。そうすると、仏道修行で非常に大事な懺悔心がなくなるのである。
     懺悔心がないと罪障消滅は無理である。罪障消滅のできない修行をしているから、自讃毀他による悪口、罵詈、雑言が異常なほど逞しくなるのである。
    (*確かに、正宗・創価の悪口、罵詈、雑言は、普通じゃない)

    303 因みにイスラム教でもイスラム教の教義が正しいから受難が多いとしている。
     これがどこかの宗教の法難とよく似ているので不思議に思ったものである。

    310 この点、正信会僧侶も反省が必要ではなかろうか。たとえば少なくとも僧俗会議に類するものは、少しは重んずべきではなかろうか。私も服装には無頓着な方で人に言えた義理ではないが、その僧俗会議における僧侶の服装などあまり見られたものではない。
     信徒はどんなに暑くても、ちゃんとネクタイをしてくる者が多い。それに比べて僧侶はといえば、殆どがチンピラ姿か、パチンコ遊びか、山へ芝刈りに行くほうが似合う者ばかりである。そのような姿でもただ僧侶というだけで、高い座にすわるのが相場のようである。
    (*正信会僧侶も、本山と似たり寄ったりでは、何のために独立したのか分からない)

    316 かって富士学林では、ただお一人の在家の教授、川澄勲先生が何かの書物に、次のように仰せられておられたことが、私の脳裏にこびりついて離れない。
     「力と力では、戦わずとも最初から勝負は決まっている。力の強い方が勝つ」
    と。なるほど、これは小学生でもできる算術である。更に先生は、
     「しかし、いかなる権威も、いかなる権力も、法力には絶対に勝てない」
    と。これだッ、と思った。

    339 もう一つ書き忘れたことは、僭称法主の本尊は魔界の曼荼羅であることは前述したとおりであるが、 340 法華文句に、
     「魔界即ち仏界なるは是れ円の義なり」
     「摂衆生の戒度を持すれば魔界降伏して即ち仏界の如くにして乗御に堪任す」
    と。つまり魔界と仏界はぴったりくっつくのが本来の在り方である。
     摂衆生の戒度とは、衆生を助ける為に戒めとする制度で、これは結局は日興跡条々事の事になる、また曼荼羅は良馬にも譬えられる。それで条々事の戒度を持つと、魔界を降伏してそれを仏界の一味となして、曼荼羅という良馬を御することに適応することができるということである。

    345  大石寺法門を捨てた日蓮消宗(小見出し)
     日達上人の後を襲って登座した阿部信雄は宗内の一般的な評価では「学会べったり」とか「池田大作氏の茶坊主」「学会のスパイ」等というすこぶるつきの悪評しかなかったのであるが。実際には「池田嫌い」では宗内でも並ぶもののないほどだと側近のA師はいう。

    348 立正大学や他の日蓮系教団関係の研究者は、一様に「日蓮正宗も創価学会も全く問題にしていない」「彼らの教学と称するものは矛盾だらけで自家撞着以外のなにものでもない」とまで言っている。
    「宗教界の王者」などと大言壮語するのはいいが「邪宗」よばわりしている相手からも逆に相手にされないのでは、あまりに情け無い話ではないか。……
     これまで日蓮正宗の僧侶は法義の研鑽にそれほど真剣に取り組んでこなかったといえる。
    学的批判に耐えられるような研究は、僅かに在家の松本佐一郎氏(故人)の「富士門徒の沿革と教義」(大成出版社)という著書が二十数年前に出されただけと言ってよいであろう。
    (以上引用終了)
    (*御書原文・出典、教義論争的な箇所はほとんど引用してません。アンマリ関係ないと思いますし、…教学が好きな方は(居ないとは思いますが)、各自でお願いします。)

    >レイラさん 2015年7月28日 03:41
    (言い換えるとアホな人はいいなりになりやすいって事なんでしょうか・・・)

    *詐欺師も、自分より賢い人は騙せないと云うし、“馬鹿も悧巧も、一票は一票だ”
    簡単に騙せる人が“費用対効果からも”分が好い。一生引っ掛かって呉れるしね。嗚呼

    *“創価”はまさに、「1984年」(ジョージ・オーウェ/1949年刊)の、“党”を現実化した組織みたいになってるね。党(ビッグ・ブラザー)の3つのスローガン
    戦争は平和である (WAR IS PEACE)→戦争法案が、平和実現だと?
    自由は屈従である (FREEDOM IS SLAVERY)→奴隷以下に扱き使われて絶対幸福?
    無知は力である (IGNORANCE IS STRENGTH)→センセの為に大勝利(何の事?)

  25. 『冬は必ず春となる―「創価学会」の虚構と真実』高橋公純(正信会→日蓮正宗へ帰山)/日蓮正宗憂宗護法グループ 発行・恒友出版発売(1991/05)

    【(参考)2ちゃんねる過去スレ 03/03/02 11:08 (何処まで正確かは不明。情報少ない)
    高橋公純師は、元正信会の御僧侶、反学会派の急先鋒だったが、御宗門に残った。正信会当時は、韓国担当で、韓国の学会を一時壊滅的打撃に追い込んだ。平成9年に御宗門の海外部と韓国の布教についての意見の 対立から、御宗門を離脱。】

    31 殺人予告の脅迫電話(小見出し)
    ……平成三年(一九九一年)一月三日、午前一時三十分ごろにかかってきた一本の電話から、私に対する殺人予告が始まった。
    32 一月二日、正式には三日の午前一時すぎ、電話で呼び起こされた。
    眠い目をこすって「もしもし」と言うと、十数年前に会ったと言い、私も記憶にあるような、ないような名前を名乗り、突然、
    「あなたは狙われています。リストにのりました」と言うので、
    「何で私が!」と聞いた。その方が言うには、
    「今回の学会問題でしょう」
    「学会問題といっても、私は別に何もしていませんよ」
    「いや、あなたは本山にテープを持って行ったでしょう。そのテープが今度の問題の発端であると思っているらしいですね」
    「いや、私は本山にテープを持って行ってませんが、テープ一本で殺人ですか」
    「それは私は当事者でないからわかりませんが、今回の問題について、学会の方はかなりの打撃を受けるでしょう。つまり、潰されるなら潰すものを潰せという論理で、その為に学会は金に糸目はつけませんよ」
     ここで電話は切れた。何ともいえない、いやな空気が流れた。今にも私を、殺人者が襲ってくるような気がする。……
    33…創価学会は、平和とか文化とか民主主義を口に唱えながら組織を守るためには殺人罪まで犯すのか。しかも、私は創価学会の組織を壊す等という考えは毛頭ない。私は、人より多少熱のある広宣流布への信奉者である事も自負している。
     それが誰一人、お目通りなどの事実を調べようとも聞きにくる人もなく、勝手に憶測し、「こうであろう、ああであろう」と、疑問を広げ、殺人まで走るとは言語道断である。…
    34 しかし、一月七日の「許されぬマスコミ利用の学会攻撃」(巻末資料参照)という正木青年部長※のデタラメ、捏造、猊下を猊下と思わない高慢極まるこの文書を見て、心の底から怒りを感じた。
    (★巻末資料/平成三年一月七日付『聖教新聞』に、「許されぬマスコミ利用の学会攻撃」という見出しで全文掲載されている。/創価学会青年部長、正木正明)

    「よし、きっぱりと命は捨てた。殺すなら殺してみろ。創価学会さんよ!私に何人でも殺人者を送りこんで来るがいい」と、決意したのである。
     私は、ここではっきりと遺言しておきたい。
     私が、もし、凶弾か凶刃に倒れるか、不自然の死があった時、それは創価学会の仕組んだものとほぼ断定して間違いないであろう。その時、日本国家の警察と司法の全てを動員して、創価学会の解体をお願いしたい。正法護持の心厚き人々よ、どうか私の遺言と思って、私の死を無駄にしないで下さい。伏して頼みます。純粋に法を守るべきものが一皮むけば、僧を殺すような教団、それは日本にとって害であり、世界にとって悪である。…

    65 仏教歴史二千数百年、在家の者が供養を受けていいと主張し、組織を使ってお金を集めた人はあったであろうか。私は寡聞にしてそんな話を聞いたことがない。

    107 『開目抄』に曰く、「外典、外道の四聖、三仙其の名は聖なりといえども実に三惑未断の凡夫其の名は賢なりといえども実に因果を弁ざる事嬰児のごとし」と。
     因果をわきまえぬ嬰児のごとき外道の人を、こともあろうに『聖教新聞』に「識者は語る」などととり上げて、「どうだ宗門降参か」と言ってみたところでむなしいだけではないか。これに関して学会員ですら、「それはおかしい」と思う人びとが出はじめている。

    248 あとがき
     宗門は単に池田氏に対して、宗規改正にともなって一時総講頭の位置からはずれてもらっただけなのに、口こみ、文書、公的機関等を使って、総本山猊下、末寺僧侶に対するすさまじいばかりの攻撃、兵糧攻め、いやがらせ及び脅迫電話、暴力事件と、まさに宗門側は嵐の如き攻撃をうけたが、葉の中まで雨水が浸みとおることがないように、全国の末寺も本山もビクともしていない。

    251 私たちもかって、正信会にあったとき、本山や本山僧はダラしがない、と責めた事がある。しかし、どんなことを言われようが、本山はビクともしなかった。詫びて本山に戻って、ようやくわかったことだが、本山は法を守るためには、石にもなれば貝にもなる。

    (*日顕さんには、もう少しも少しづつ、早めに解って欲しかった。少なくも池田dysに数百万人が、お金と精気を、抜かれる前に)

    (※谷川佳樹副会長派(実利派)vs正木正明理事長(=平和派)。とか云われてますが、どっちもどっち、同じ穴の貉。というか、平和デモは、
    >コージ さん 2015年7月28日 23:59
    所詮は「ガス抜き」的な意味合いしかないんでしょうね<

    と感じられたような、信濃町による三文芝居で終るか、…
    これを機縁として各人が覚醒のキッカケとして“選挙放棄”“財務放棄”まで行くか!…
    世間はジッと見てますよ。学会員の一挙手一投足を。
    そもそも本気で戦争法反対なら、安倍が強行採決する前に、創価組織を割ってでも反対するだろう。正木さん!。世論の風当たりが悪くなって来たから、ちょいパフォーマンスしましたじゃ、さすがの?私も“涙がチョチョ切れます”よ。)

    「慈悲の剣で迷える創価学会員を救済する―政教一致と池田金満体制を許すまじ」水口修成/日新報道 (2013/05)
    【著者略歴】政治アナリスト。1944年愛媛県宇和島市生まれ。国士舘大学専任講師・国際武道大学教授等を歴任。現在フランスをモデルに「政治の現実と未来」を研究しつつ、「仏教を中心に据えた人間の生き方」について講演をしている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

    【アマゾン】日蓮正宗から破門された創価の元同志への呼びかけ  投稿者 如蓮華在水
    投稿日 2013/5/24
    職業として大学教授と、信仰として創価学会の千葉県学術部長をしていた著者が
    創価学会が日蓮正宗から破門され、今や池田狂になっているにもかかわらず、
    信仰の惰性から、創価にとどまっている元信仰仲間に、信仰の蘇生を訴えた良書。(以上コピペ終了。*いやーコピペ楽だわ)

    (*なんか、軽くて文字も大きいし、アッという間に読み終わるので、図書館に有ったら、買うまでは?)
    序にかえて
     昭和四十四(一九六九)年十一月、日新報道から、当時、明治大学政治学担当教授であり、政治評論家としても活躍していた藤原弘達氏によって「創価学会を斬る」が出版された。
     当初、十万部ぐらいが出版されたが、学会は池田大作と学会を守るために殆どを買いしめてそれで終わらせようとした。だが、かえって日本中で大評判となって百万部ほどが売れたという。
     そこで著者の藤原氏には、同書の出版について、創価学会・公明党からさまざまな圧力が加えられたという。
    「言論・出版の自由のないところに民主主義はありえない。チェコの現状を憤るだけの人が、なに故に創価学会・公明党の行うこの言論に対する卑怯きわまる圧力に対し、厳しい戦いを行なわないのか。私は、創価学会・公明党と誼しみを通ずることによってしだいに筆を曲げていった多くの言論人や評論家の姿を知っている。まことにこれを遺憾と思うも のの一人である」
     と藤原氏は言う。
    ……
    しかし、驕れる平家は源氏によって滅ぼされていった。
    そして現代の池田創価学会独裁体制もそれに似ていて、一時的には権力と金満の力で栄えたようではあるが、平家のように、歴史的に見れば短い命として、もうすでに崩壊過程にまちがいなく入ってきているのである。

    (*そもそも都合の悪い出版物その他を、「隠そう・見せないようにしよう」と云う発想がまさに“北朝鮮そのもの”と云う事が分かってない。正々堂々と言論には言論で闘いなさい。嘘とデマで誤魔化そうというその根性は、“北朝鮮以下”と世間から見られている。)

    「破折」島田 正人/日新報道 (2006/8/6)

    (*アマゾンレビューが無いのをみても分るように、教学部間の教義論争ですね。)
    ○本尊がニセか? ○信心の血脈のみで(又、大聖人直結で)創価に仏法が存するか?
    ○悪の宗門・悪侶等排撃しての僧侶不要が謗法となるか?
    ○創価のいう宗教革命は仏法に有り得るか? ○御書根本で仏法の一切が信解できるか?
    その他諸々です。
    (*教義論争は疲れるので、私はパスしたい。好きな書物の書誌学なら兎も角……)

  26. 「創価学会教学の本質―見破られた巨大教団の奥義」南方隆正/閣文社 (2006/01)
     まえがき
    4 カ-ル・マルクスが資本論の序文で次のように述べている。
     「私が予想している読者は、なにか新しいことを学ぼうとし、したがってまた自分自身で考えようとする人々なのである」
    私もまたマルクスと同じく、何かを求め、自分自身で考える読者を期待したいものである。

    第一章 創価学会問題の核心─根本の問題を考える─    11
    第二章 創価学会問題問答                35
    第三章 創価学会教学の本質               131
    第四章 現在の状況と日蓮の思想・民主主義の危機     191
     結びにかえて
    (*客と南方との、対話形式になっている。「立正安国論」に倣ったか!)

    26
    南方─釈尊の組織には、支配し支配されるという関係はなかった。釈尊には、自分が組織の統御者であるという意識すらなかったといわれる。→以降南と略す
    客─ダンマ、法が後継者だと。
    南─そうです。釈尊最後の遺言は「依法不依人」であり、法が後継者となるのである。
    29
    南…例えば日蓮の次の言葉を忠実に実行しようとすればど ういうことになるでしょうか。
    30 「念仏者・禅宗・律宗等が寺を焼き払い、念仏者どもが首を刎ねらるべしと申す」…
    人間の言葉を絶対的にとらえるのではなく、人間の著した教典も絶対的にとらえるのではなく、法、ダンマ、真理、妙法、道理を優先させるという姿勢が求められますね。
    52
    南─「名聞名利は、今生の飾り、我慢偏執は後生のほだしなり、嗚呼恥ずべし恥ずべし、恐るべし恐るべし」
     このような姿勢であったから、仏法のためには命を賭すことが出来たのである。
    (*まさに池田dへの鉄槌。日蓮が居たら池田なんちゃらは“即破門”とスグ判る、((持妙法華問答抄))の、言葉ですが、“名誉紙切れ”を有り難がる末端の会員って、御書とか読んだ事ないのん?)
    62
    客─仏陀観と成仏観の関係を知らないと、釈尊を否定してみたり、日蓮を本仏だと思ったり、あるいは池田名誉会長を本仏にしてみたりということになってしまいますね。
    南─創価学会は仏陀観を壊してしまっているので、成仏の見本を喪失してしまい、羅針盤なき航海になっていますね。やがて座礁するでしょうね。
    67
    南─最近の創価学会の大石寺批判は異常である。このことを異常と感じない学会員は正常ではない。このような異常な精神が中世のキリスト教社会の魔女狩り、あるいはスターリン体制下の粛清劇を引き起こしたのではなかったか。
    97
    南─日蓮は何のために題目を唱えたのかということから考えねばならない。それは如何にして妙法の世界、すなわち本体界に回帰するかということのほかならないのである。そうであるならば、題目を唱えている人たちが本体界に回帰できないでいる原因はどこにあるのか。あるいは本当に、日蓮の説いた三大秘法の実践によって本体の世界に回帰できるのかということが問われなければならない。あるいはその他の方法はないのかということが問われますね。
    客─南方さんの場合は、日蓮には必ずしもこだわらないということですか。
    南─そうです。妙法の世界、本体の世界に回帰するその他の方法があればそれでもいいと思っている。ですから私は、ヨーガの実践者、あるいはキリスト者、あるいは回教の者、あるいは日本神道の実践者や武道の修行者であろうが、この道を実践することによって、本体の世界に近づいている人たちは評価するし、このことによって、主(尊厳)・師(智慧)・親(慈悲)の三徳の深化を可能にしている人たちを尊敬もしているのである。
    104
    客─自覚が本物かどうかはどのようにして見極めたらいいでしょうか。
    南─それはよく分らない。ただ大聖といわれている人たちを見ると、思考が柔軟であり、非常に謙虚である。そして世俗的な地位や名誉には執着していないから、この辺がポイントになるのではなかろうか。
    109
    何でもそうであろうが、実践する場合は、身口意の三業がそろわなければならない。口だけで唱えてもそれはあまり効果は期待できない。体と意志、心が伴わねばならない。題目を唱える人は多いが、現証を示している人はまれである。
    (*創価本部は言ってる(謳い文句)事と、やってる事(集金集票奪時間)が繋がらない。従って、云われるが儘の会員も時に応じてシャターを、上げたり下げたり…。何のために十如是を毎朝唱えてる?まさにこれを、頭破七分・支離滅裂というのか!/○如是本末究竟等→
    初めの相を本とし、終わりの報を末として本末は一貫して等しいことをいう。

    仏教哲学大辞典第三版より)/一貫していなければ駄目なのである(教学小辞典より)

    114
    客…創価学会は偏狭的な面だけを受け継ぎ、包容力がなく、暖かみがない。池田大作はどんな時涙をながすのであろうか。財務だとかいって会員より金をしぼりとり、あるいは去って行く人達に、執拗な嫌がらせを繰り返していると言われる創価学会を見ると、池田名誉会長には選挙に負けた時のような悔し涙は流せても、法のため、あるいは人の苦しみに同情した涙はないのではなかろうか。
    122
    南─しかし、第九識まで意識が少しでも行っている人は創価学会の矛盾に気づき、既に脱会しているか、現在、組織の中にいたとしても相当悩んでいるのではなかろうか。
    客─そうすると、大石寺の板曼荼羅にも功徳があるということですか。
    南─純粋な気持ちで一生懸命題目をあげてゆけば、内なる妙法即ち九識の世界に感応し、病気などがなおるといういわゆる奇跡は起こると思います。板曼荼羅に力があったのではなく、この人の純粋な信仰に力があったのである。それを板曼荼羅が治したと錯覚し、それを紹介した組織の親分である池田崇拝に陥っているところに現在の創価学会の大きな問題があるといえよう。
    123
    客─池田は題目の力を自分の野望のために使おうとしている。しかし諸天善神はそれをゆるさないでしょうね。
    南─そう思います。ですから、そのことに気づいた会員の人達が軌道修正をこころみねば、学会は滅びるでしょう。
    129
    客─それにしても創価学会の会員は、よっぽど純粋というべきなのか、疑うことを知らないというっべきかこれほどのことになっても池田名誉会長を強信(盲信)していますが、洗脳教育というのは恐ろしいほどの成果をだしますね。
    南─まさに「毒気侵入失本心故」ということでしょうか。毒が深く回り本心を失っている。スターリン万歳をしながらスターリンに殺されて行った人達に共通したものを感じますね。
    136
    南─しかし私はここであえていいたいが、創価学会をこうまで堕落させたのは、日蓮正宗の教学および牧口初代会長の価値論にあったということです。本尊論、日連本仏論、そして真の代わりに利をもってきた価値論がそうさせたのです。原島氏の求道が本物ならば、彼の糾弾は、富士教学および価値論までゆきつくでしょう。今の所、原島氏にそのことを望むのは無理であろうが。
    138
    南─たとえ創価学会や日蓮正宗から離れることがあっても、法華経からは離れてはいけないということです。妙法の他頭上に如何なるローマ法王も認めないという依法不依人の立場を堅持しつつ、新しい求道の旅に立ってほしいということです。妙法の信徒の将来に幸あることを祈ります。

    235 【南方隆正、著者紹介より】1944年沖縄生…
    法政大学卒業後、公務員生活の傍ら社会問題の探求に専念し、…20代から歴史、宗教思想、マルクス主義……幅広く論陣を張り、その奥深き理論は内外の高い評価を得る。
     近年は「自灯明、法灯明」をモットーに、あらゆる思想から離れ、自由な境地をめざしている。(*私の考えも、この著者に近い)
    (以上引用終了)

    >ラザリスさん 2015年7月30日 02:51
    その時の活動内容は、……選挙期間中になると、会合は更に増えました。<

    (*大変な無償労働でしたね!。ですが、お寺の方も、例えば手元にあった2月度行事予定を見てみますと、{注、17,8年前の話。}
    1日 御経日(全員) 2日 壮年部会
    3日 節分会(全員)
    7日 興師会(全員) 9日 青・少年部会 10日 婦人部会
    13日 御報恩御講(全員)
    16日 宗祖誕生会(全員) +壮年部会
    17日 勉強会(全員) 20日 幹事会  23日 班長会
    等々です。当時の会費は確か月千円だったと思います。+週刊新聞代・月刊雑誌代など。
    それに、年に最低一回(以上)は本山登山。折伏目標最低1人。婦人部の方はお寺の100畳敷きの本堂清掃をちょこちょこやってましたし、真面目にやってたら学会同様テンテコ舞い、です。お寺に行く度に、受付には御供養封筒が積んであるし、…結局はカモでしかない。母親も「結局はお寺も銭取り主義だったね!」と、呆れていました。私「今更!」)

    想学談林-管理者の部屋 【20150729】政治は信濃町界隈に言え (*参考。一部コピペ)
    ……
    でもまあ、実際には信濃町界隈は無傷でいくのでしょうね。安保法制や集団的自衛権の決定。そして世論や会員が創価学会に対して燃え上がり、火の粉が飛んだらこう釈明すれば良いのですから。
    「あれは当時の執行部である、山口代表等か独断で行った事であり、創価学会としては残念な事だと考えています。つきましては云々」
    こんな事を発表し、党執行部の首を飛ばし「新生・ニュー公明党」とかいうフレーズでごまかせば言い訳ですから。
    そうすれば会員達も「山口代表も所詮は、矢野・竹入とおんなじか」となって、またもや公明党を支援し、進めていけますからね。
    そして山口代表や首にした執行部なんかは、有り余る創価学会の資金をもって、陰ながら生活の面倒を見ながら黙らせて置けば済むという感じでしょう。……

    在野のアナリスト 2015年07月29日 安保法制をめぐる公明の動き(*参考です)
    …敵性国家として、中国を名指しするケースを安倍政権が増やしている点です。創価学会は、池田名誉会長が中国と昵懇で、それこそいくつも賞や勲章をもらっている。中国と対抗することを明示する安倍政権と協調路線が歩めるか、…(以上一部コピペ)

  27. 前回の補遺…新聞「大白法」は、週刊じゃなく、月2回発行でした。配達は無いので、お寺に置いてあるのを貰いに行かなければなりません。私なんか1~2か月に一回位しかお寺へは行かなかったし、3か月行かなかったら、新聞は無くなってる事も有りましたね。
    折伏用にお寺に連れてこられた人へやってたみたいですね。聖教同様読む処無いので、ドッチデモ良いんですが、少なくも罵詈雑言は無いだけマシか!のレベルです。

    それと、お寺という位で、やたら、盆だの彼岸だの何回忌だのと、“御塔婆供養”(二千円)がありましたね。創価が「薄っぺらい板を使い回して云々」と批判してましたよね。
    九州や北海道から本山へは、一人5万円から掛かりますよね!。4人家族だと20万円!
    「何故年に最低一回行かねばならないの。一生に一回行けば私はそれで充分ですから!」
    と云う事で、僧侶も困ったでしょうね。「それで駄目なら辞めますから!」と云うだけ。

    「創価公明党との決別―OB議員の赤裸々な体験集」 創価学会公明党を糾すOB有志の会/人間の科学新社 (2012/09)
    帯 ◉結党の理念
     「大衆のために共に語り共に死ぬ」 誇りと名誉は何処へ行った!!
    ◉総本山外護と仏法の広宣流布─学会の本来の姿に立ち還れ!!
    ◉全身全霊を捧げて戦った人生─尽きぬ思いを23人の議員OBが一挙公開!!

    はじめに─水口和夫
    … しかし、数百億円の現金を集めた正本堂御供養を境に、金権主義に陥り増上慢と化した大作氏は、あろうことか御宗門に対して牙をむき、乗っ取りを工作するに至りました。そこには最早、日蓮大聖人の仏法を広宣流布するという、崇高な使命感は失われてしまいました。当然、第六天の魔王と化した池田氏に、死活を握られている公明党議員には、王仏冥合の理念のかけらも残されておらず、次第に政教一致の矛盾のみを露呈していきました。
     私たちの多くは、昭和末期から平成初期の頃、創価・公明組織の逆鱗に触れる激しい“池田大作批判”を展開し、平成二年における池田氏の総講頭資格の喪失、それに続く池田氏と創価学会員の除名処分を契機として、創価学会・公明党から離脱しました。そして多くの元議員は晴れて御宗門に帰依し、同二十一年の佳節の年を目指して、破邪顕正の折伏行に励んだのでした。
     その間、もとより覚悟の上とはいえ、創価学会からは様々の悪口雑言や嫌がらせを受けました。振り返って見ますと、この間の創価学会、公明党の変質ぶりには驚かされることばかりであります。とくにこの数年に限ると、多くの学会幹部には厳しい仏罰の現証となって現れています。何よりも、大作氏自身が不治の病魔に侵され、文字通りの地獄の苦しみを味わい、さらに多くの学会員は誤ったニセ本尊を拝まされた挙句、それぞれの不幸な現証に喘いでいます。

    【1】 初心にもどり、……~【23】一生成仏を目指し云々、までの23名の体験談集

    86 仏壇に「矢野、福本撲滅祈願」─マインドコントロール(小見出し)
    …ここで改めて、今の学会の本質的な問題点を挙げると、
    ① 池田名誉会長に師匠を押し売りされているオレオレ師匠詐欺
    ② オレオレ博士詐欺問題
    ③ ニセ本尊発行について
    の信仰の誤りの三つを挙げられるとおもいます。

    120…「あの人に票を入れたら、功徳がある」「入れないと罰が当たる」、対立候補に対して「○○は、仏敵である」というやり方や、選挙時期になると非課税等の優遇措置が適用されている宗教施設が、選挙応援体制の実質的な拠点として使用されるようなことでは、政治は良くはなるはずがありません。

    124 ◎福島源次郎さんの「模刻現場の目撃」談─絶望する中で脱会覚悟─
     それでも、長年にわたって学会に育まれてきた私は「でも、退転だけはしたくない」と抵抗を試みました。すると福島さんは「退転とは何か。それは大御本尊様から離れることでしょう。既に、創価学会が退転しているのですよ」というのです。それを聞いて、脱会する覚悟を固めました。もし、この時に脱会する覚悟ができなかったならば、と考えるだけで恐ろしくなります。

    164 結び─『立正安国論』ご教示の「依正不二の原理」(小見出し)
    165 その結果が、今では珍しくもなくなった、殺人、強盗、放火、詐欺、幼児虐待、ひったくり、麻薬、不登校、自殺、いじめ、暴走、等々枚挙すればきりがない。
     しかもこうした世相は平成に入ってからにわかに増えたのである。
     それはなぜか。心ある日蓮正宗の信徒ならば知っている筈である。その根本原因を…。
     正に、「立正安国論」に御教示の通りであり、依正不二の原理である。(以上終り)

    (*参照コピペ;今日の宮川メモ
    ◆仏教の教えに、「依正不二(えしょうふに)」という言葉があります。
    「自分と自分の周りを取り巻く環境は、別のものではなく一体であり、周りで起きる出来事も、周りにいる人間も、全て自分自身の心の状態を投影させたものである」
    という意味です。)

    「創価学会は日蓮を殺す」赤間剛/三一書房 (1998/06)
    内容(「MARC」データベースより)
    日蓮の教義を掲げながら、その精髄「法華経」を裏切る創価学会。変革の予言者・日蓮の思想を再検討しつつ、創価学会の本質に迫る

    プロローグ 日蓮宗はなぜ世界を目指すのか?
    第一章 日本最大の教団・創価学会の野望
    第二章 日蓮は世界を“法華の浄土”にしたかった!
    62 日蓮とのからみでいうと、日蓮は決して日蓮宗を唱えたのではない。「法華経の行者」として、法華経による民衆救済=仏国土を唱えたのである。
     創価学会のように権力欲の野合で、何をするかもわからない政権奪取を考えたのではないのである。法華経の精神を忘れて世界の『立正安国』もない、日蓮は他宗派と組むようなことを考えなかった。法華経のみを掲げて日本の改革を望んだのである。このことをみないと、創価学会のような権力欲のみの教団と、日蓮主義を混同することになるのである。

    第三章 『法華経』は社会革命を支援する
    第四章 闘う日蓮とその強烈なカリスマ性
    第五章 警世の大予言、世界最終戦争は必ず起きる
    第六章 日蓮の“志”をつぐ者
    130 <1>不屈の弟子・その1(法難を受けた弟子)
    ◍日親 ◍日典 ◍日奥 ◍日持 ◍日像
       <2>不屈の弟子・その2(広宣・弘教・弟子育成等)
    ◍日尊 ◍日祐 ◍日宣
       <3>近代の日蓮主義者
    137 日蓮にとっては、いかなる地上的な権力も、仏に優先するものではなかった。
    139 こうした、国家に迎合した形での教理の塗り替えは、仏教各宗の中でもとりわけ日蓮宗および在家の日蓮主義者、信仰団体に強かった。その代表が清水梁山による「天皇本尊論」である。
       <4>“純正日蓮主義”を唱えた田中智学
    141 智学の思想は、彼がいかにこれぞ純正日蓮主義者だと主張しようとも、やはり偏向であった。日蓮その人にとっては、天皇といえども「仏の所従」にすぎなかったのは自明だったからである。
       <5>日本=ギリシャ同祖論者・木村鷹太郎
    141 日蓮主義には変人・奇人が多い。日蓮そのものが大奇人であるからだ。その代表的一人が木村鷹太郎である。
       <6>怪物・北一輝の法華信仰
    143 天皇主権説をとらず、天皇機関説をとったのである。このような点がにらまれ、出版後まもなく発禁処分を受けた。
    145 最愛の息子大輝のために書き溜めたこの遺言には北一輝の人生観、価値観が躍動している。また『法華経』の「読誦三昧を以って生活の根本義とせよ」といい、刑死した北の劇的最後にも、“日蓮”をかいまみることができよう。
     ちなみに北一輝の“国家論”は「純正マルクス主義・国家論」として評価が高い。

       <7>怪僧・鷲谷日賢
    146 「北一輝が妻を霊媒にして霊界通信を行ったように複数の霊媒を用いて世界中の神霊や人霊を呼び出し、それら諸霊をすべて日蓮宗に改宗させて霊界の統一を実現したと豪語した怪僧──それが鷲谷日賢である」
       <8>テロリズムの法華行者・井上日召
    148 「私にとっては(血盟団事件は)私の仏行であると信じておった。私はかえりみて善いとも悪いとも思わない」と獄中手記に書いている。一九六七年没、享年八一歳の大往生であった。
    (*「血盟団事件」中島岳志/文藝春秋 (2013/8/7))

       <9>世界最終戦争と石原莞爾
    150 つまり、この地にソ連との緩衝地帯としての五族(日・漢・満・鮮・蒙)による協和国家をつくり、そこからアジア民族の一大連合いわゆる「東亜連盟」を築きあげ、きたるべき白色民族との最終戦にそなえようとしたのである。
       <10>ファシズムと闘った妹尾義郎
    153 日蓮宗のみならず宗教界全般が天皇制を礼賛し、戦争を正義のための戦いと位置づけそのための理論武装をした時代にあって、断固として戦争反対を唱え、資本家による労働者・民衆の搾取を糾弾した妹尾およびそのグループは、明らかな異端であった。ただしそれは戦前のことで戦後に一八〇度評価が変わったのはいうまでもない。…
    154…妹尾義郎の志は戦前にあっては、唯一といってよいほどすぐれた日蓮主義であった。
    (*「妹尾義郎宗教論集」大蔵出版 (1975)、/創価テーマとちょい違うが、余裕があったらアップしたい。でも疲れそう)

    第七章 日蓮系の新宗教はどこへ行くのか
    <1> 現世利益を説く本門仏立講
    155 日本の新宗教のうち圧倒的な強さを誇っているのは、日蓮系と神道系の教団である。神道系では天理教はじめ大本教から派生した生長の家、世界救世教、世界真光文明教団などがあり、日蓮系では創価学会、霊友会、立正佼成会などがあげられる。
    156 同教団は新宗教のトップバッターである。同教団は室町時代の日蓮宗・八品派が源になっている。
    <2> 本門仏立系教団
    <3> 妙法蓮華経を受持する大乗教
    <4> 平和運動を展開する日本山妙法寺大僧伽
    <5> 法華経と先祖供養の霊友会
    <6> 霊友会の分派有力教団
    <7> 社会活動に邁進する立正佼成会
    <8> 立正佼成会の世界戦略
    エピローグ 今、仏教復権の時代

    (*図書館への返却期限が迫って、未読の2冊を急いで読んで都合6冊、返却したため、アップが遅れました。…“山本太郎”参議が良い質疑をされてますね。7/29公開y-t
    今年の暑さは異常なのか!、それとも異常が普通なのか?。創価蔓延り依正不二なのか!)

  28. 「日蓮正宗の敵 池田創価学会を解散させよ」龍年光/日新報道 (1991/07)
    内容(「MARC」データベースより)
    いまや公明党は池田大作の私党となり、学会は池田学会となりはてた。日蓮正宗の信徒たる学会員は、宗教法人の特権を剥奪し、池田を放り出すべきだ。日蓮正宗の敵、池田創価学会を解散させよ。
    まえがき
    4 一九八八年『文芸春秋』十一月号に「池田問題と異端」という文が掲載された。筆者は、山本七平氏である。
    “この人物の異常さは宗教史上類例を見ない”という副題が付けられたこの文の中で、山本氏は「あらゆる“異端”より異常といわねばならない」と述べている。
     つまり、西洋の宗教史の中に登場する異端者とは全然違う種類の、精神に異常をきたしている人物にすぎない、ということである。
    ……
     およそ仏教の歴史の中で、信徒が集団で暴徒となり、その宗派の法主や僧侶に対しかくの如き蛮行を行うなどということは、前例がない。
    12 池田教に入ることは、信心の血脈を自分の手で断ち切ることである。その家庭も、その人も暗黒の人生、即ち永久に地獄行きの特急列車に乗り込むことである。どんなに声を張り上げ、何時間お題目を上げても、何百万の金を出しても、地獄行きの特急列車のスピードを上げるだけである。

    序章“池田教”包囲網が大きく動きだした
    (一)「キミはどこまで狂うのか」
    (二)宗門は池田大作の大謗法に断固たる決定を下した
    (三)続々寄せられる学会員の池田批判
    38 「入信して二十三年目になるが、池田に騙されたと思うと、本当に口惜しい」というのは九州の男性からの電話だが、全く純真な人なのだろう。途中で涙声になり、絶句して電話を切った。
    今、私のもとに寄せられる声の中で圧倒的に多いのは、「もうこれ以上、池田にはついていけなくなった。これからは誰についていったらいいのか」というものだ。
    私はそのつどお答えしているのだが、実は、この「誰についていったら…」という考え方が既に池田の邪義に毒されたものなのだ。
    (四)仏教本来の姿をひっくり返した池田狂信の団体信仰は破滅の道だ
    39 「誰についていったらいいのか」というのは、いつまでも自我の確立ができず、池田の後についていくことが信仰の道であるという邪義の、いわば後遺症なのだ。
     従って、そういう体質をもった信者がいれば、そこに必ず第二、第三の池田が現れることは必定である。

    第一章 幾多の言動に池田大作の魔性をみた
    第二章 池田大作の精神構造はもともと異常だった
    第三章 森田一哉理事長も池田の走狗と化してしまった
    79 そもそも、創価学会は会費をとらないことを誇りとしてきた。草創期には、学会の活動費はすべて、戸田先生の事業利益で賄われていたのだ。
     しかし、先生の余りの苦労を見かねた原島宏治、森田悌二(一哉の父)らと、自分でも商売をやっている幹部たちが、「財務部員」の制度を自ら作り、自分の商売で忙しく活動に時間を割けない分だけ、活動資金の一部を負担しようということになったのだ。
     北条は、戸田先生の精神を覚えていたので、会員からの寄付金集めを極力抑え、池田に対する“無言のブレーキ”の役目を果たしていた。池田も、北条の目の黒いうちは、さすがに戸田80 先生の精神に真向から反する常軌を逸した金集めをすることはできなかった。
     しかし一方、池田は湯水のように金を使う。…
    82 しかし私は、九州に最初に池田の名を付けた会館が出来た時、聖教新聞の社員が二人、池田の部屋に駆け込んできてこう報告したのを、その場で聞いている。
    「先生、おいいつけ通り、池田先生の名前を会館につけるようにさせました!」
     すると池田は、嬉しそうに、「そうか、よくやった!」と叫んだ。
     つまり、池田本人が裏で手を回して、会員から自発的に「池田先生の名前をつけてくれ」という要望が出るように仕組んだのだ。
    88 北条が死に、「池田院政」が復活すると、まるでダムが決壊したかのように、常軌を逸した金集めが再開された。
    ……
     坊の奥には池田の専用室があるが、明け方にここに各方面の最高幹部が集まり、協議をする。協議が終わると、皆がバーッと出てきて、電話機に飛びつく。各地の会館に電話して、「何人 88 集まった!?」と聞く。集まった人数が、即ち金の額なのだ。その結果を待って、奥にいる池田に一秒でも早くと報告に走る。山崎尚見もその一人だった。
     この競争に負ければ学会出世レースから脱落するから、みな必死の形相だ。
     池田は、それを集計して分析している。まるで餓鬼の集まりのような、おぞましい光景ではないか。
    (*まさに、餓鬼・畜生・修羅界の生命ですね。絶対幸福が聞いて呆れる)

    第四章 都知事選における池田学会の暴挙
    102 私はそれ以後も議会活動に邁進していたが、これは池田にすれば面白くない。何とか
    竹入を都議会の中心にしようと、圧力をかけて来た。
     そのうちに、竹入のために「書記長」という、社会主義政党のような役職を作って、彼を立てることにした。当時、竹入はこんなことをいっていた。
    「龍さん、あんたのやり方を続けていると、公明党は自民党を敵にしますよ」
    「そりゃそうだ。我々は反自民でやっているのだからな」
    「しかし、それじゃ損ですね。なんといったって、今は自民党の天下なんですから。国家権力を敵に回したら損ですよ」……
    109 今回の「鈴木降し」にしても同じことだ。自民党のさる有力都議会議員が、こう憤懣をぶちまけていた。
    「藤井富雄はギリギリまで、鈴木さんで大丈夫だ、といっていた。我々は信用していたのに、二日後にはひっくり返った。誰がどう考えてもおかしい」
     しかし、池田大作の号令一下、平気で人を裏切るのが、悲しいかな、現在の公明党なのだ。
     自民や民社の心ある議員は、敢然と鈴木支持を貫いているが、公明党議員ときたら、一人残らず池田のいいなりだ。無理もない。なにしろ公明党の議員は、選挙の際、大勢の学会員の前で、「私は議員バッジをつけて、池田先生を守ります!」と宣誓させられるのだ。

    第五章 辻、柏原、和泉、小平よ、戸田先生の墓前に懺悔せよ
    126 片山は何人もの人に、御本尊を焼かせるという大謗法を犯させた。しかし今、その何万倍、何百万倍の大謗法をしている者がいる。池田大作がそれだ。
     池田は創価学会の中に、個人崇拝の池田教を作り上げた。さらに世界各国の、東洋思想、仏教への憧れを逆用して、インチキな池田教をまき散らしている。日蓮大聖人の教えである三大秘法の御本尊ではなく、池田大作の名前だけの広宣流布をしてきた。これほどの大謗法は、日
    126 蓮正宗七百年の歴史にはなかった。もちろん三千年の仏教の歴史にも、キリスト教やイスラム教の歴史にもなかった、宗教者の仮面をつけた稀代のペテン師である。
    (*池田は手術出来ない部分に脳腫瘍が出来てるらしいが、“脳腫瘍といえば、仏罰になるらしいので、脳梗塞と言ってるそうな”こ奴に仏罰が出なければ、○○{誰の名を入れても該当する}以下、誰も苦しむ奴はイナイでしょう。近頃は原田会長も聖教に出れないくらい苦しんでるという噂も。新聞無い為情報未確認)

    第六章 公明党は池田大作の私党だ
    第七章 ルノアール絵画疑惑に象徴される池田学会の体質
    150 当時、学会の顧問弁護士は山崎正友が団長格で、その下に常時七~八人の弁護士がいたが、実際のまとめ役は八尋のようだった。山崎が離反した後は、八尋が事実上の弁護団長となった。……
    151 しかし今、その八尋も、池田の身代わりとして世論の矢面へ立たされることになった。この先はおそらく、「金庫事件」の中西治雄と同じ運命を辿るであろう。
    (*「八尋褚雄(やひろよりお)副会長・顧問弁護士→
    ルノワール疑惑」とは、’89(平成元)年3月28日、帝国ホテル「桂の間」で売買されたルノワールの油彩『浴後の女』、『読書する女』の取引にからむ使途不明金疑惑である。)

    第八章 池田の異常さに離反した若者、悪にのめり込んだ青年
    165~もし池田が偉大な人格者であれば、それに感化されて、どんな者でも必ず善い人間になるはずである。
     しかし、池田のそばに近づいた前途有望な青年たちが次々と池田に背いていくばかりか、貴重な人生を棒に振っていく姿をみれば、まさしく池田が「仏」ではなく「魔」であることの証明たりえているのではないか。……
    169 しかし、池田が何事も「山崎のいう通りにせよ」と厳命していたので、北条以下、皆、見て見ぬフリをしていたのだ。
     私は、山崎が、共産党・宮本委員長宅の盗聴を北条に進言している現場に同席していたことがある。
     私は山崎の提案に呆れ、「そんな子供騙しのスパイごっこみたいなことが、うまくいくはずがない。やめろ」といったが、北条は言葉を濁していた。
     こんな提案をする時、山崎は予め池田に直接話をし、池田の了解をとった上で北条に告げているので、北条としては、どうすることもできないのだ。結局、盗聴は私の知らぬところで行われていた。
    ……
     しかし、彼(*リクルート事件で失脚した池田克也の事=前頁。)にしてみれば、自分が師と仰ぐ池田大作の真似をしただけだ、何が悪いのだと、開き直りたい気持ちだろう。池田に近づけば近づくほど、いつの間にか良心が麻痺してしまった典型的な例である。
     原島嵩、山崎正友、田代富士男、池田克也──彼らは皆、もとは純真で才能ある若者だったのに、大魔王。池田大作に心酔したために、貴重な人生を狂わされてしまった。
     現在、池田に用いられている創価学会の副会長、さらに青年部、学生部や婦人部の幹部たちも、彼らと同じような破滅の運命を辿ることは、火を見るより明らかだ。
     彼らは今、全国各地で、池田大作にそそのかされ、七百年間、清浄に仏法を守り抜いた日蓮正宗の僧侶に対し、集団暴行にまで及んでいる。池田の異常な精神に感染してしまっている証拠だ。
     彼らは、日常生活でもこのような常識ハズレの精神で行動するため、職場でも敗残者となり、家庭は破壊され、周囲を不幸にしながら、日本中に災いの種を撒き散らしている。焦点の定まらぬ異様な目付きで、「池田センセーイ」と叫びながら、堕地獄への道を歩み続けているのだ。
     いずれも、池田大作が蒔いた種が成長し、「悪の華」をさかせているのである。

    第九章 池田の出世の本懐は宗門潰しと池田教立宗だった
    第十章 こうすれば池田学会は解散させられる
    終章 日蓮正宗の信徒たる学会員は今後どうすべきか
    231 「下駄を預ける」という言葉があるが、「頭を預ける」などという言葉は聞いたことがない。ところが、それを実行している人たちがいるのだ。それは、今の学会の幹部と会員たちだ。
     池田大作こそ世界最高の指導者であると信じ、その一言一句を総て真実と思い、催眠術にかけられた人のように、自分の考えや判断力を捨ててロボットの如く池田のいう通りに動き、池田のスピーカーの役を務めている人たちだ。この人たちは、全く池田に「頭を預けている」といってよい。
    ……
    232 戸田先生亡き後の池田大作はもとより、学会の上層幹部たちはいずれも、きちんとした職業を持つ社会人ではなくなってしまった。池田をはじめ、理事長、会長、副会長、各部部長等、聖教新聞社や潮、民音等、関係企業の社員に至るまで、総て、学会員から様々な名目で吸い上げた金で生活している寄生虫のような存在である。従って、社会人としては自立できない欠陥人間の集団といってもいいのだ。

    【龍 年光(りゅう としみつ、1921年10月10日 – 2007年3月25日)】は日本の政治家、宗教家。通称「りゅう ねんこう」。原島宏治、辻武寿らと同様に支持母体・創価学会の最古参幹部を兼任しながら公明党東京都議会議員団副団長、団長を歴任したが、晩年は学会に反旗を翻した。
    役職歴─創価学会 男子部第4部隊長、青年部参謀、理事、教学部師範、文化局政治部長、統監部長、壮年部長、公明政治連盟 書記長等々

    “ハイヒール女の痛快日記”(*参考コピペ)
    2015.08/01 [Sat] 風化する戦争の恐さを甦らさせてくれた安倍に御礼!
    はじめまして!東京ルミックスです。
    女子高生がハイヒール姿で渋谷をデモ行進!ないか?
    ……
    「-ns Sowl– @teensSowl
    私達だって思考し行動し続けるよ。
    戦争法案に反対する高校生渋谷デモ8/2(日)15:30 代々木公園けやき並木南側でお待ちしています。 高校生やるなーって思ってるそこの大人の方も、お待ちしています。」
    高校生が民主主義を守ろうってデモする世の中になるなんて、想像もしなかった。原発事故から始まり、2兆円を超える莫大な費用が掛かる東京五輪、そして極め付きは戦争法案だ。安倍政権になってから、止まる所がないほど三流国家へ堕ちつづける日本。…(以下省略)

  29. 「池田大作・創価学会の脱税を糾弾する」龍年光/日新報道 (1994/11)
    まえがき
    序 章 創価学会糾弾の手をゆるめるな
    第一章 公明党・創価学会は存在そのものが憲法違反だ…北野弘久
    第二章 <対談>池田大作を空前の脱税犯として逮捕せよ…北野×龍
    110 龍 その実例は、リクルート事件で起訴され、裁判中の池田克也と、砂利船汚職で、やはり公判中の田代富士雄です。
     池田克也は、月刊誌『潮』の編集長として、学者、評論家、文化人を高い原稿料で釣り、池田礼賛記事を書かせる工作をやっていました。その手腕を買われて衆議院に出て、文化人対策をやっているうちに、リクルート事件の渦中の人物になりました。
     田代は、矢野絢也の先輩として、池田大作直伝の強引な選挙戦術で、関西方面の政治基盤を拡大して、その中心人物でした。
     いずれも池田大作に師事しているうちに、金銭感覚が麻痺して、汚職収賄議員の悪名を天下に晒す結果になりました。
     池田の靴下のお陰で、司法試験をパスしたという暴力検事・金沢仁も同じです。
     これらは氷山の一角です。何十万か、あるいは何百万の青年たちが、貴重な人生を、池田大作の狂気と毒気に冒され、一生をダメにしています。
     北野 それほど多くの優秀な青年たちの人生を、個人の虚名・名誉欲・権力欲を満足させるだけのために犠牲にして、自分だけは大きな顔をしている池田大作という男の罪は、はかり知れないほど大きい。絶対に人間として許せない!!
    111 (北野先生の声は、激しい怒りに震えていた。日本の将来を託する青年のために、教育者の崇高な魂からほとばしり出た言葉であった。…

    127 この一連の動きは、池田が本心ではいかに国会喚問を恐れているかという証拠である。
     池田は、会長就任以来、四十年近く、すべてウソで固めた自分の虚像をつくり、その周りを、池田のためなら、殺人、放火、サギ、横領…何でも平気でやる狂信集128・9は挿絵
    130 団で固めてきた。それが国会喚問で、テレビの画面を通して全国民に晒され、虚像が音を立てて崩れて行くことは、月刊ペン事件の公判で身にしみてわかっているからだ。

    第三章 国税庁、検察庁を動かし一大国民運動を
    終 章 都政は池田大作のために存在するのか
    213  「龍年光を潰す会」ができた(小見出し)
     週刊誌の連載記事が面白いと評判が高くなるにつれ、池田がつくらせた「龍年光を潰す会」は、躍起になって私のイメージダウンを図った。悪口、中傷を日蓮正宗の全国末寺や、マスコミに大量に流した。
     私は、共に戸田城聖先生の指導を受けた先輩として、池田の仏法上の誤りを指摘しただけである。それに対して、一言半句の反論も弁論もできずに、私の中傷、悪口、スキャンダル探しに狂奔する、卑怯で、汚い、陰険なやり口。これが、池田大作の正体である。池田は、このやり口で、批判者を徹底的に追い詰め、葬り去ってきたのである。…
    216 池田側が次に狙ったのは、財団法人・土と人間の蘇生の会の事業を潰して私の収入源を絶つ、いわゆる糧道作戦と、デッチ上げの裁判を幾つも起こして、弁護士費用を出させる出血作戦である。
     これは、池田の常套手段である。…
    230 平成五年一月二十四日の聖教新聞に、座談会の記事が載っていた。秋谷会長や青木副会長、柏原ヤス、高間や曽根らが、
    231 秋谷が「そうだ」と合槌を打っているが、彼等が私と地主の裁判を知るはずがない。
    学会がこの問題をかぎつけ、弁護士をつけて地主に裁判を起こさせたことを、数百万の会員に白状しているのだ。
     さらに「龍年光の社会的な名声にダメージを与え、糧道を絶ち、出血わさせるために、市河政彦を使って監査請求させ、行政裁判をやらせたのは、池田大作の指示を受けて私たちが使ってやったんです」と、自慢しながら話したことで、後世に創価学会犯罪史の一ページに証拠として残るだろう。どこまで狂っていくのか、愚かなことだ。

    「崩壊する池田創価学会―似非宗教家に明日はない」継命新聞社/日新報道 (1990/02)

    第一章 池田大作虚言録
    第二章 限りない自己演出家の虚実
    47 この「一杯のかけそば」まがいの連続感動?のシ-ンは、池田の偉大さ、慈悲深さと、センセイを求める純真な会員のすがたとして、数百万の組織のすみずみまで徹底して宣伝された。
     しかしその舞台裏では、数か月も前から聖教新聞沖縄支社が中心になって調査、企画したうえ、先発隊が全部演出したもので、人選、場所、プレゼントや桜の枝まで用意した上でのヤラセだった。
    ゆかりちゃんが貧しくて上ばきがないことも、センセイは事前に報告を受けて地元に準備させておいて、「知ってるよ、上ばきがないこと。東京から買ってきてあげたからね」となったのである。
    (*池田の感動秘話なる物は皆ヤラセですから!。まさか普通の人は“こんな悪どい事”を宗教者?がヤル訳が無い。と思っているが、そこがミソなのでした。私が、「呆れて信じられん!」という意味が分ると思います)

    第三章 呪術・霊能・本仏気取り
    71 「私を離れて、いくら戦ってもダメだ。私と境地冥合していなければ、異体同心とはいえない」(前進s40.7)
    (*又々、この詐欺師が“言いたい放題”言いよるが、…末端会員も“シッカリせい”と云いたい。大法螺とスグ分かりそうなもん。常識人と違い“嘘”を、ほんの僅かの羞恥心も持たずにシラフで言えるから、“役者やのー”ではある。)

     ここでは、池田は完全に本尊になり替わっているのである。また、しばしば池田は、不遜にも大聖人になり替わった。…
    78 池田にとって大事なのは、大聖人でもなければ御本尊でも本山でもない。それは池田自身であり、池田を守ってくれる創価学会という組織なのである。…
    82 折伏行とは本来、慈悲行であり、それ自体が目的であって、会員の増大を図るための宣伝方法ではない。また、義理や利益でつるような勧誘は折伏ではない。…
    88 池田は、批判者の書物に対して「いいか!必ず仇をうて。いつか、この本は何だ!と本人の前にたたきつけるのだ」とすさまじい形相で側近に語る。さらには、仇を打つことこそ学会精神であるといってはばからない。怨親平等を説くはずの仏法が、池田を介すると復讐鬼の思想に様変わりする。池田の究極の夢は、権力をもって批判者を弾圧することである。…
     こうした発想が、数百万といわれる会員の精神をどれほど貧弱なものにしているか。この会員総体の精神的な荒廃──「心の病」こそが、さまざまな弊害の中でも最大にして深刻な問題である。…
    89 加えて、池田大作を守るためには何をやっても許されるという思想が教義的に裏打ちされるとき、途方もない権謀術数の渦巻く社会をつくりあげていくのである。これらは、およそ日蓮大聖人の教えとは関係なく、逆に仏教そのものを死滅させるものである。
    (*【「怨親平等」とは】はてなキーワードよりコピペ
    大慈大悲の精神から、自分を害する怨敵も憎むべきではなく、自分を愛する親しい者にも執着してはならず、平等にこれらを愛憐する心をもつべきことをいう。
    日本では一般に、戦いによる敵味方をとわず、一切の犠牲者を供養し救済しするなど、平等に応じる意味に使われる。
    一遍上人は、蒙古襲来の際の犠牲者を、敵味方の区別なく円覚寺に供養した。)

    第四章 金まみれの創価学会
    95 創価学会には、「水滸会結遺誡置文二十六箇条」という秘密書文書がある。これは池田自身の構想を戸田二代会長の言行録として、昭和五十三年ごろ、秘かに副教学部長の佐久間昇に命じて作らせたものであり、池田の隠された野心を示したものとみてよい。…
     それらを整理すると、
    ① 総理大臣の座をうばい、日本を自由に動かす。
    ② 当然、自衛隊を動かす権力をもつ
    ③ 官庁や社会の重要ポストを青年部出身で押さえる。警察権力を占める
    ④ 百人ほどの国会議員を自由に動かすことができるようにする
    ⑤ 学会批判の言論については、青年部を使ってつぶす
    ⑥ その他あらゆるところに星をうっておいて、一気に国家改革を行ってしまう
    ⑦ それらを遂行するためには、なんとしても経済的基盤が必要である。「最後は経済」なのである。
     ここに、池田が二十六歳で参謀室長になって以来、今日まで秘かに抱き続けてきた謀略そのものが綴られている。そして、これらを何としても実現するための要が、“軍資金集め”なのである。
    (*まさにオウムが焦って一足先に、“妄想を実現させよう”と、実行したのだが、創価は実行する前に“本体が呆けちゃって”実行までに至らずに尻蕾か?)

    第五章 池田大作は何を狙っているか
    第六章 連合・連立に隠された爪
    156 ところで創価学会は、もともと「功徳」という私的価値や個人的欲求を叶えることを売り物にし、学会を信ずる者は功徳があって得をし信じない者は罰が当たって損をする、という教えを信ずる集団である。
     これを明大の富田信男教授は、「学会は、不安、孤独にさいなまれ、むしろ強制、他律を求める心理、公的使命感を失い私的利益を追求する心理、こうした現代社会の病理に対応する教義と病理をもった集団なのである。それが、今日の大をなした原因といえよう。かかる組織が権力を握った時の危険性は、ここで改めていうまでもない」

    第七章 謀略と暴力の歴史
    183 さらには、造反者に対する迫害は、商売や家庭の破壊工作、経済封鎖にまで及んでいる。例えば「あの八百屋で買った野菜がクサっていて食中毒を起こした」「あの店では有害な薬品を扱っている」などとウワサがウワサを呼ぶようにするのである。…
    197 池田の信心とは、権謀術数をめぐらして敵対者を抑圧し抹殺することであり、日蓮大聖人の仏法における「無縁の慈悲」とか「逆縁の成道」といった信仰はみじんも見られないのである。

    第八章 創価学会に「功徳」はあるか
    211 功徳とは、本来「功能福徳・積功累徳」すなわち善因善行の結果得られる「六根清浄の果報」であり、タナボタ式の現世利益ではないからである。
     もし池田の言のごとく現世利益を功徳と称するのであれば、王子として生まれ、財にも、健康にも、妻子にも恵まれ、何不自由のない暮しを享受していた釈尊は、生・老・病・死の無常を感じて出離の道を歩まれる必要はなかったはずである。釈尊の捨てたものを「功徳」と称するのでは、本末転倒もはなはだしい。

    第九章 創価流「広宣流布」の誤り

    “街カフェTV”/藤島利久公式ブログ・・本当のことを話そうじゃないか
    安倍シンゾウは米諜報機関の盗聴を知っているから首相公邸に住んでいない。。あっち側の人間だよね! 2015年08月01日 | 戦争法案を叩き潰せ!(*参考に

  30. 読書に嵌り過ぎての眼精疲労から、打撲の痛みでここ数日、目を瞑つて、専らタイガ-バームを瞼に塗って、CD聴いて(久しぶりに本田美奈子:COMP CLASSICALやスカルラッティソナタ34CD:ScottRoss、2PAC:all eyez on me、高田渡、友川かずき等)眼の疲れの回復を待ってましたがやっと、疲れがそこそこ取れてネットが見れるようになりました。もう10代から何十回となく目が開かなくなる迄本読んで苦しむのだが、…プロの物書きなどは絶対無理って奴。以前8月に書いて投稿できなかった分の2冊を投稿します。(流れ上アップの可否は、シニフェさんにお任せします)

    『「与直し」の真実―「池田大作さん」政治軌跡の検証』野田 峯雄/第三書館 (2003/10)
    帯↓
    「創価学会の60万票を/自民党に入れる」
    確約文書で始まった/“政教一致”のいまを追う

    7 世界にはさまざまな集団が存在する。が、創価学会のような選挙(票)に拝跪する集団は存在しない。彼らは票を「拝みまくる」集団なのである。彼らの多くはポリシーにほとんど関心を抱かず、ひたすら「選挙」にまみれ、その得票結果に泣き笑いする。
     国政選挙や自分の町の選挙は言わずもがな、隣町の選挙、隣県の選挙、東京など主要都市の選挙。創価学会員は三百六十五日、必死に選挙を追い続ける。いや、選挙に追い立てられていると言ったほうが正確かもしれない。とにかく彼らの人生は選挙まみれなのである。おまけに、すべて先生のため、やましいなんて気持ちが元々ないから、平然と選挙違反を犯す。……

    13 冒頭に「今後の地域部のあり方」(地域部は地域本部の下部組織)と書かれている。それによると日本列島にはすでに創価学会員たちの次のようなネットワークが張りめぐらされているという。
    14 ①町会・自治会三役たちの地光会、②商店会三役の盛光会、③老人会三役の寿光会、④民生委員・保護司の福光会、⑤PTA三役の学光会、⑥消防団の勇光会、⑦青少年委員・交通安全委員・体育委員など公的ボランティアの慈光会である。
     これらの地域ネットを牛耳る者たちは「(学会本部に直結する)ライン組織との連携」を強く義務づけられている。(原文例=組織活動の三本柱としての地域活動の推進、意識啓発、戦略については、ライン組織で行う)。

    41 哀れだ。池田大作さんの終幕演技が続いている。私は勝った、私の人生を見よ!などとしきりに騒ぐので嫌々ながらそちらへ目をやると、ご本人は〇三年春に続いて二度目の最悪状態とか。
    どうやらいつものサル芝居ではないらしい。
     とすれば目を三角にして買い集めた勲章の山もゴミの山。それだけによけい悲惨である。とはいえ、彼の場合、スズメと競争し最後まで踊り抜こうとしているところがすごく偉い。
    (*著者独特の、シニカルアイロニー節は、好き嫌いも分れるでしょうが?)

    43 ごまかし、隠蔽、虚偽の丁寧な上塗りは周知のように池田大作さんが若き頃から練に練ってきた手法だった。これを池田大作さんとその手駒たちはイラク特措法の成立過程でいかんなく発揮したわけだが、じつは彼らにとってイラク人の流血事態なんてどうでもよかったようである。……
     とにかく、池田大作のポッコリ終点が先か。彼の仕組む国家腐敗の極点到達が先か。私たちはじつに恐ろしい場面にさしかかっている。

    57 彼は、季節を問わず、昼夜を問わず、朝夕を問わず、極上トロと極上牛肉(しゃぶしゃぶ)と極上メロンの三つをこよなく愛するという。
     それかあらぬか、彼自身の宣伝などによると、三つの病におかされている。心臓病、網膜症、糖尿病だ。ここに、ぜひ精神面の「虚飾症候群」を付加する必要があると思われるが、……

    60 口のある者が口のない者の言動を改ざんする作業はどこでも見られる光景だ。が、池田大作さんほどこれに没頭しきった者はいない。牧口さんと戸田さんの像はいまや池田大作好みに徹底改造され似て非なるものになっている。

    64 ちなみに、池田大作さんは口を開けば必ず日本と日本人を侮蔑する。激しく愚弄する。そもそも池田大作さんにとっては、日本と日本人がどうなろうと知ったことではない。池田大作さんの最大の関心事は、もっとも肝心なのは「池田大作」である。現に彼は、たとえば平和を連呼しながら、両手で支配下のミニポテたち(神崎武法代表)の背を突き“日本の戦争国家への変貌”を推進しているが、そんな彼に「平和連呼と戦争体系づくりは矛盾していますよ」と指摘してもキョトンとしているに違いない。なぜなら。彼がいつも得意げに薄毛の大頭にのっけているのは「王冠をかぶった池田大作」、ヘイワもセンソウも、つまり「池田大作」が幸福を掴むための材料でしかないのだから。

    77 さらに、池田大作さんは“ぱんぱんに膨れあがった栄誉名声渇望収集袋と海外隠し預金通帳らしき束”をよいしょとかつぎあげるような雰囲気を漂わせ、こんなにすべすべとしたお声を投つけてくださる。
    「『磨き抜かれた生命』以外の名声や栄誉は、すべて幻です。しかし、多くの人々は、それを忘れている」
     名声や栄誉は幻だなんて、ついに糖尿病が頭へまわり、いままでえらく鈍かった部分を刺激したのか、つまり頭中でマイナスとマイナスが激突してプラスになったのか。なんと深みのある、なんと重い、なんとひょうきんじみたお口遊びであろう。

    80 池田大作さんのお便りだという聖教新聞の一面の左下に、池田大作さんの本音を正直になぞり、いつもアル中第三期症状の嫌悪や不快やおぞましさを煮詰め、ところかまわずシャワーのようにツバを吐きつけるたぐいの池田大作像をみごとに浮かび上がらせた、まさに野卑と無知のお手本(犯罪)そのものとしかいいようのないないコラム「寸鉄」がある。
    (*私が創価関連本100冊以上(雑誌記事除く)読んだ結論では、池田大作さんの唯一の喋り?の本音記事がこの“寸鉄”のようです。{他の池田著は、基本的に代作グループ)今は喋りも叶わんから5,6年前からは違うでしょうが!)

    117 〇二年の春に創価学会は会則を改訂し、池田大作さんを「永遠に」称えると宣言した。彼らはその永遠リストに初代会長の牧口常三郎さんと第二代会長の戸田城聖さんの名前をあげているけれど、このふたりがサシミのツマなのは学会員の間では常識。新会則は全学会員がとにかく池田大作さんにひざまずくことを、いままでよりもはるかに強く、つまり「規則」として定めたのだった。公明党の五十五人の国会委議員も約三千三百四十人の地方議会議員も、むろん、例外ではない。
    (*永遠と云う位だから死後5年~10年位は、持てるだろう。持って欲しいと婦人部はダイモクを送るんでしょうね。(-_-;))

    121  組織的公金横領(小見出し)
     商品券七千億円のバラ撒きの発案者は創価学会だった。彼らは以前から「うち」の池田大作さんの居住する東京都新宿区信濃町の本部へ日常的に手弁当でせっせと大金などを運んでくる、とりわけ地方在住学会員たちに「いつも上納ご苦労さん、センセイもご満悦、そこら辺のメシ屋で
    122 何か食って帰んなさい」と言い金券(本部界隈で使える千円前後の商品券)を渡していたが、これがヒラメキの元だった。
     何もしないでカネをもらえるって最高じゃないか。カネをもらって喜ばないやつはいない。要するに、カネをバラ撒けば「うち」の人気上昇は間違いなし。ただし、現金だとタンス貯金するアホが出る。「うち」のやってる金券方式こそベスト。カネの出所? 国庫があるじゃないの。公金があるじゃないの。そいつを巧く利用できないやつはアホだ。このバラ撒き策は竹下登(自民党)と話をつければすべてバンザイよ。自民党諸君とは間もなくいっしょになる予定。「うち」といっしょにならへんかったら、やつらは確実にペケだね。だから嫌とはけっして言えないよ。さあ、「うち」の大盤振る舞いに国民は泣いて喜べ。うちもおおいに喜ばさせていただきますさかい。
     しかし結果は案に相違して不評サクサク。

    127 「結論として一言、強く申し上げたのは、宗教の名を借りてテロ行為を働くことは、それ自体、その宗教の自殺行為であるという点です」
     宗教の名を借りたり、宗教を盗み食いするのは池田大作さんの最大得意芸である。だからこそ重みのある言葉というべきか。彼はこう続ける。
    「仏法は絶対に平和主義であり、暴力否定です」
     しかし、そうのたまう池田大作さんから「暴力」を抜いたらいったい何が残るのだろうか。確実にかき消えてしまう。いずれにしろ言葉をかくも激しくタバコの煙にした者はいない。

    151 「新聞の顔である一面トップの記事は何か」
     う~ん、もう知ってるくせに。毎日毎日、明けても暮れても、年から年中、春夏秋冬、十年一日、あんさんの名誉称号とかの買い付け記事ばっかしじゃおまへんか。政教一面トップはいつもあんさんのむくれ顔だらけ。
     池田大作さんの目がスッとすぼまり虚空を撃つ。

    198 池田大作さんほど平和を弄び、卑しめ、蹂躙し続けている者はいない。彼ほど私益増大に耽り、盗みや殺人教唆や淫行行為やいじめの数々を隠蔽しようと、尻尾をちぎれるほど振って国家権力に阿諛追従している者はいない。彼ほど、あくどく、かつ巧妙に脱税し続けている者はいない。
    彼ほど憎悪を他人になすりつける喜びに淫している者はいない。彼ほど虚飾を強く抱き締めている者はいない。彼ほど死神に襟首をしっかり掴まれてもなお短足をパタパタさせている者はいない。これらの罪はいずれも万死に値する。
     が、池田大作さんはしゃらしゃらっと「正義とは勝つことである。そしてまた、幸福とは勝つことである」(〇二年四月二十一日)などと説教してくださる。要するに「勝てば官軍」。何したって勝てば万事OKじゃん、とうそぶくのだ。
    (以上引用終了)

    ※「戦争行きたくないは利己的」 自民・武藤氏ツイート炎上(*参考に)
    京都新聞 8月3日(月)15時50分配信

    (*↑戦争法案を通過させた張本人である創価(=公明)である以上、上の論理で行くと、創価高校・大学卒業生は100パー自衛隊へ就職して“中東へでも、中国へでも行きなさい”となろう。勿論公明子弟もね。池Dの孫はまっ先送ろう!行ってらっしゃい。)

    ※安保法案:公明離れの学会員次々…自民と協調に「失望」(*参考に)
    毎日新聞 2015年07月27日 21時07分(最終更新 07月28日 13時12分)

    (*案外“嘘から出た誠”って奴で、選挙活動放棄で→考える時間が取れるカモ?)

  31. 「わが池田大作バッシング―世紀末の奇怪な足音」野田 峯雄/第三書館 (2000/02)
    帯↓
    自自公政治のキーパーソンであり、「盗聴法」「周辺事態法」成立仕切り人にして
    国家勲章21、名誉市民とう100、名誉博士・教授70を持つ
    「世界桂冠詩人」にナナメ前方から迫る一冊!!

    32 意外な感じがする。創価学会の飛躍期はなんと六〇年代末ですでに終わっていたのだ。参院選全国区
    33 の得票数を六百六十六万票に押し上げた六十八年が飛躍の終焉のときだった。……
     とはいえ、もはや後退は不可能だ。彼らはすでに「選挙を続けなければ存在しえない集団」に変貌しきっている。従って、選挙から選挙へ。ただ走り続けるしかない。
    ……とくに指令やメッセージは口頭によるものが多いという。
     が、もちろん文書類もある。この文書類は投票日の夜、すべて灰にしなければならない。しかし、Bさんはそうしなかった。
    34-35 
    「学会員は投票の締め切時刻いっぱいまで選挙活動をします。たとえば老人たちの投票所への連れ出しはあたりまえやし、車で入院患者を迎えにいったり、いっしょに投票所へついていって、学会の候補者に入れたんか、確認のため隣から覗き込む。私もそうしたことをやりました。学会員は、これでもか、これでもかといった活動をします。また、幹部は下の者にくどいほど『数珠や教本など(学会に)関係のあるモノをもって歩いたらあかん。なんかあって職務質問などされたら、私の考えでやったと言いなさい。たとえ捕まっても何も言うな、こちらで警察に話をつけるさかい』と注意して背中を叩きます。」……
    36 大阪市平野区でこんな話を聞いた。
    「選挙のたびに、いつも選挙ポスター候補者の『目の玉』を焼く者がいる。無傷なのは公明党関係のポスターだけです」

    90-91
     彼はノーベル平和賞および勲一等および東京都名誉市民称号などを夢みる日本列島の「桂冠詩人」ゆえ、いつしか、自身の口から湧き出る、美しい、妙なる、雄々しき言葉の連鎖にうっとりとなってしまい、火照りまくる頬をそっと両手で包み、……ついに感極まって、こう叫ぶのだ。
     「滝(ナイアガラ)よ、ほとばしれ! 私はもっと大胆にほとばしるから!」(以上の詩もどきは聖教新聞連載の「池田名誉会長の写真紀行/地球は美しい」より)
     ナイアガラより大胆に? ほとばしる? いやー、あなただけにはもうこれ以上、大胆にほとばしって欲しくないっす。クリントンさんや大阪のノックさんの向こうを張って欲しくないっす。絶対に。

    114 麻原は根っからの拝金主義者だった。他方、池田大作さんの「金」に対する欲もすさまじい。
    「芸者の旦那と宗教の信者は、しぼりとればしぼりとるほどついてくると、ある坊さんがいった。学会も見習わなくてはならぬ。(学会員たちから金を)もらって上げることが、その人の信仰心を強くしてあげることになる」
     「ある人」がこう言っていた。という間接表現は周知のように「逃げ」の定型の一つである。たとえばおばさんたちが立ち話などで多用しているけれど、しかし、池田大作さんが戸田城聖氏の下でせっせと修得したのは、街のおばさんたちのものとは比較にならない、もっと洗練された、もっと鋭い、ほんまもんの詐欺師や誑かし屋たちの手法だったと考えられる。
    122 …さらに、嘘をつくことに関し、麻原は嘘つき大魔だが、池田大作さんの前に立つと三歳児でしかない。池田大作さんに匹敵する人はいない。池田大作さんと並べば現役二枚舌の中曽根康弘氏さえ蒼白になるだろう。「池田大作という一個の存在の根底」には虚飾の沼がふてぶてしい表情を見せ広がっているようだ。

    128 しかし、池田大作さんが意識していようといまいと、過剰賛美は女性蔑視(セクハラ)のもう一つの顔である。彼の女性賛美の沼をみる。すると女性蔑視(セクハラ)の堅い岩がいくつも突き出ていることがわかる。現実に即してもっとはっきり言えば、池田大作さんにとって「女性」は、まずたいせつな経済意地基盤である。まめな金の提供者である。しかも、きわめて重要な大量の票田である。世界をふらふらと歩き(いわゆる華麗外交)、たとえば勲章や名誉称号やろくでもない美術品などを買い漁るための富を保障してくれる、とともに大量票により政治上の権力の行使を可能にしてくれる雌山羊の群れ、でしかない。

    158 「終末がおいしい商売になる」お墓(ばか)ビジネスとゴミ処理利権(小見出し)
    165 池田大作さんは折に触れて自然愛護を口にする。しかし、自然愛護と金儲けのどちらを選ぶかと問われたら、彼は「ちょっとカーテンを閉めろ」と言って、部屋を暗くし、ためらわずに「金儲け」のほうを掴むのではないだろうか。これまで彼らの展開してきた巨大墓苑づくりが、その蓋然性を証明する。
     池田大作さんたちは「終末の場面がじつにおいしい商売になること」をよく知っている。人間の終末ビジネスに目を付けた彼らが、人間の生活の終末ビジネスに目をつけないはずがなかった。
     池田大作さんの弟子たちはごみ処理ビジネスにおいてもあちこちにすさまじいネットワークを張りめぐらして利権を食んでいる。
     もたもたしている地方自治体のごみ行政の間隙を衝いてもぐり込むや、増殖を始め、事件を起こし、街をひどく歪めきって自分たちの居心地の良い「幸福城」をつくろうと奔走している。

    166 東京都西郊の東村山市。九五年九月、この街で、創価学会(公明党)の悪行を厳しく摘発し続けていた朝木明代市議が不可解な死を遂げた。彼女は議会活動だけでなく、B5判・四ページの、一ヵ月に1回発行の「東村山市民新聞」でも論陣を張っていたのだが、いま、それを矢野穂積市議と故朝木明代さんの長女の朝木直子市議が継承、たとえば九七年三月十九の同紙でこんなレポートをしていた。
    (*朝木明代市議殺人事件は、創価の根本悪に係わり、目撃者・警察官・裁判官をすべて創価で固めた、根の深すぎる問題のため、取りあえず検証は留保の段階ですね)

    184 九八年十一月、…四日に東京都板橋区の中学校二年の男子Aが逮捕された。……
    「この街には、池田先生に時間も金も吸い取られて、自分の家庭を実質的に崩壊させている学会員たちがいっぱいいます。不況がその崩壊に拍車をかけている。巨額借金、離婚、不倫、仲間同士のいがみあい、倒産、夜逃げ、メキシコでの変死などが続々と発生し、じつにぶきみな雰囲気になっています。私はこの街にいるのが本当に怖くなってきました」
     板橋区の創価学会の元地区幹部がそう話す。
     Aの犯罪は、当然、いろいろな要因が重なって発生したのに違いない。しかし、これだけは断言できる、Aは、彼のもっとも身近な歪みを、彼なりにもっとも強く「表現」したのだ、と。池田大作さんは、A逮捕の十六日後の九八年十一月二十日、関西創価学園の小学生に向かってこう強調した。
    「負けた人間は哀れである。勝った人間は生き生きとして幸福である」
     とすれば、たとえばAの両親はどうなるのだろうか。ひたすら池田大作さんにつくしてきた彼らはどうなるのか。「哀れな人間」なのか。
    193 寝ても覚めても池田大作さんに背中をどやしつけられている弟子たちは、いまや平然と、「魔をやっつけろ」などと、オウム真理教の信徒たちを完全に上回る勢いで合唱する。また、聖教新聞のコラムの『寸鉄』などを使って、「青年よ、戦いに『余力』を残すな。限界を極めてこそ次なる力が湧現する」などと、つまり“極悪行為”へ向かって突っ走れとしきりに煽る。彼らはとんでもない狂気にとりつかれている、どの角度から接近しても、そんなふうにしか考えられない。
     盗聴行為はこうした狂気の流れの一つである。

    203 池田大作さんたちは盛んに「発展」とか「前進」と叫ぶ。全国で学会員が増加しているといった印象である。本当にそうなのか。いま学会員は増えているのか。逆だ。むしろ減少傾向にある。にもかかわらず、彼らは組織をどんどん新設する。一見奇妙に見えるが、むろん、それなりの理由がある。役職の増発だ。
    204 学会員に役職のない者はいない、あるいは「長」の付かない者はいないと言われる。としたら、彼らにとって役職は微風に舞う一片のチリよりも軽いのではないか。否。たゆまざる池田大作さんの名誉渇望言動と扇動ゆえ、池田大作さんの弟子たちの上昇志向や名誉欲の強さは一般人のそれをずっと上回ってしまっているらしいのである。彼らには役職のバーゲンセールがきわめて強い効果を発揮する。だから、池田大作さんはこれまで「副」などを次々と設け、みんなが出世の階梯を歩んでいるような幻想を与えてきたのだった。その幻想を巧みに利用して巨額の金と票をせしめてきたといえなくもない。
     とともに、けっして見落とすことができないのは、そのプラスアルファ効果、「役職を与えてくれた者に対する強い感謝の念の喚起」である。池田大作さんは、彼らの心情を機敏にとらえ、学会員にとってもっとも大切なものは「師弟」もしくは「親分・子分関係」だと諭し池田大作崇拝教の、よりいっそうの強化をはかるのだ。
    (*途中までだったかもしれませんが、疲れるので、以上引用終了

  32. カガテツさん
    流石ですね!ありがとうございます!すべて読ませていただきました(^^)これからもよろしくお願いいたします。

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